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パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

詩編126編

《涙と共に種をまく》

「ひとりでできないものは結婚と救いの体験」との言葉があります。「救われる」という出来事が起こるということは、誰かが祈り、伝道してくれたからです。それは多くの犠牲と涙なしにはできないことなのです。この詩編126編には繰り返し「笑い」と「涙」に言及されます。伝道の奉仕に当たる時に、笑いが起こり、涙が流れることはその信仰が生きている証拠なのです。命ある信仰は、喜び、笑い、泣き、悲しむのです。

【テキストの解説と区分】
 詩篇126篇は都もうでの歌の7つ目の歌です。この詩人はバビロン捕囚後帰国した民族のリーダーと見ることができます。ご存知のように紀元前586年、イスラエルの民は大国バビロン帝国の侵略を受けて、首都エルサレムが崩壊し、民族の精神的な支柱であった神殿は廃墟とされてしまいました。民のおもだった人々は遠くバビロンにまで連行され国は滅びてしまいました。「バビロン捕囚」と呼ばれる出来事でした。 さらに時は流れて538年、ペルシャ帝国のキュロス王によって解放令が出されました。長くバビロンに捕囚となっていた人々に、ついに神の時、解放の時が来たのでした。イスラエル民族の復興を願い、熱い祈りを捧げてきた人々は、「ついに民族の復興の時がきた!」と喜び、信仰に燃えて帰国しました。しかし、燃えるような希望と幻をもって帰ってきた人々を待っていたのは、過酷な現実だったのです。すでに異民族がそこに住んでいました。華麗を極めたといわれたソロモンの建てた神殿は見る影もない廃墟となり、瓦礫の山となっていました。追い討ちをかけるように、飢饉や病気が帰国の民の中に広がり、人々は疲れはて、神殿の再建工事は19年間も捨て置かれたままでした。この辺のいきさつはエズラ記、ネヘミヤ記、ハガイ書、ゼカリヤ書から読み取ることができます。この詩編126編の背景はこのような厳しい歴史的な事情があったことを踏まえると、以下の様に理解することができます。
1ー3節 過去の恵み バビロン捕囚からの解放の通知に喜ぶ
  4節 現在の祈り  ネゲブの川のように民の帰還を祈る
5ー6節 将来への希望 現在の労苦は必ず将来の収穫に繋がる

【メッセージのポイント】
1)、「主がシオンの囚われ人を連れ帰ると聞いて、わたしたちは夢見ている人のようになった」
 ⇒ 過去の恵み  救いの原点に立て!        
 捕囚から解放された信仰者である詩人はまず、歌い始めます。解放勅令の知らせを聞いて、「わたしたちは夢見ている人のようになった」と。彼の人生の原点がここでは歌われます。バビロンからの解放!自分の罪と恥のゆえに奴隷となって失望した日々。異国の民の間にさまよった屈辱の歳月。恵みに満ちた主なる神は、今や、奴隷の縄目からわたしどもを解放して下さった。この詩人は、現実の困難の中にありながら、まず、神様の大いなる救いの業の原点に思いを寄せて歌い始めました。
信仰者はいつも自分の人生の原点に立ち帰ります。神様が圧倒的介入をなされて、惨めな罪と死の奴隷だったわたしどもを買い取ってくださった、あの救いの原点に立ち返るのです。
イスラエルの民にとっては、それは紅海渡渉の出来事であり、バビロン捕囚からの解放の業でありました。
わたしどもクリスチャンにとっては、主イエスの十字架と復活の出来事を信じ受け入れたあの時こそ、まさに救いの原点です。そこでわたしたちの罪はあらわにされ、しかもその罪を主イエスは自分のご宝血をもってあがないとって下さったのでした。あの時、わたしどもは主イエスの恵みに感動し、主のためにすべてを捧げて歩むと決意をしたのでした。信仰の原点に立っていつも歩み続けましょう。

2)、「主よ、ネゲブの川に流れを導くようにわたしたちの囚われ人を連れ帰ってください」(4節)
 現在の祈り  主よ、リバイバルを!         
 この詩人の今生きている現実は、悲しみの現実、失望の現実のようです。彼はバビロンの囚われから夢見る者のように喜んで先祖の地、約束のカナンの地に帰って来たのです。そして、新しい神の民の建設と新創造の期待に燃えていたのです。しかし、彼を待っていたのは厳しい現実でした。多く人々は神の救いや恵みの世界などには無関心で、バビロンから帰って来なかったのです。
彼は失意の中で祈りました。
「乾季には水のないあのネゲブの川も、雨季には滔々と流れる大河になります。主よ、人々をこの約束の地に連れ帰って下さい。滔々と流れる大河のように人々を連れ帰ってください!」。
ここにはリバイバルを願う熱き祈りがあります。
わたしどもの現実も同じです。
「主よ、あなたはすばらしい救いの道を創造されました。神の独り子を十字架にかけてまでわたしどもを愛し、わたしどもの悲しみの原点である罪と死を滅ぼされました。キリストにある新しい生活、聖霊に満たされた、すばらしい生涯が計画されました。世界中の人々がこの恵みの世界に霊の目が開かれ、次々と立ち返っています。しかし、日本の地はなかなかそのような恵みの世界にはなりません。人々はバビロンの世界に心引かれ、御許に帰ろうとは致しません。しかし、主よ、わたしは信じます。今は乾季になって、水がないあのネゲブの砂漠の川も、雨季にはいると滔々と水の流れる川になることを。主よ、リバイバルの季節を来たらせてください!キリストの季節を来たらせてください!そして、この会堂に人々を大水のように送り、主に従う人々で満たしてください!」

3)、「涙を持って種まく者は喜びの声をもって刈り取る」(5節)
 将来への希望  現実の試練を越え、将来の収穫の幻を持て! 
 詩人はさらに人々を励ましています。新しい世界を切り開くのは厳しいことです。それは労苦と涙を要するのです。しかし主にある労苦は虚しくは終わりません。公平な主は、わたしどものすべてをご存じで、豊かな祝福をもって報いてくださいます。
ユダヤでは種をまく時に、まず、種を水に漬つけると、早く芽が出るのだと言われます。わたしどもも、愛と犠牲と祈りの涙で、湿らして福音の種をまくのです。やがて、大きな収穫の時がやってきます。
人間の作った暖房機、電気ストーブや石油ストーブで春を来たらせる事はできません。でも、天地を創造し、季節を支配する全能の神は、やがて春の季節を与えるのです!そのとき、枯れたように見えた山の木々に花が咲き、若葉が茂るのです。神様は太陽をめぐらせて春の季節を与えたもうのです。
瀬尾要蔵先生の説教にこのような話が載っています。かつて米国の小さなメソジスト教会で伝道会がもたれました。費用が足りず、ついに牧師夫人は大事なミシンまで売ってお金おつくり、有名な講師を呼び、チラシを作ってまきました。集会中は多くの人々が集まりました。でも、集会が終わると、潮のように人々は教会から去って行き、結局、救われたのは15才の少年ひとりだったというのです。教会員も牧師もがっかりしてしまいました。しかし、この少年はやがて成長し、献身して、有名なナザレン教団の名監督ニース博士となりました。彼を通して多くの人々が主イエスを信じることとなったのです。

【結論】 今日、わたしどもは自分のクリスチャン生涯の原点に立ちましょう。あの救いの喜びの日を思い起こしましょう。また、「ネゲブの川に水満ちたり!」とリバイバルへの期待をこめて祈りましょう。そして、将来への希望を持って、日本中に、世界中に、主の福音の種が行きめぐるように共に祈り、労して行きましょう!  ハレルヤ。


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