パスターハリー(Pastor Harry) の書斎
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日記71
昔描いたスケッチなど25
夢の話1
聖書11
聖地旅行の時のスケッチ6
旅行記など56
韓国旅行等12
写真等11
信仰生活48
説教5
好きな言葉4
わたしの出会った聖句5
書斎に眠れる?本の数々2
一枚の名画7
明日を開く命の言18
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久し振りに、このブログに書きこみます。実はこの11月1日に息子の所に孫が生まれました。おじいちゃんなったということですね~。孫の誕生の記念に、ブログ復活します。(なんか変かな?)
2015.11.06
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京都の息子の所に行って赤ちゃんに会ってきました。 小さくてかわいい赤ちゃんで、わたしに似ているということで 何となく嬉しかったですね。 不思議な感触ですね。 初孫が生まれて、僕もおじいちゃんということで満足でした。 足が元気に動いていたのが印象的でした。 これは息子の勉強室。(アップしてあとで 怒られるかな?) 行くときに、新東名高速を通ってゆきました。 A字型のデザインが印象的でした。四日市、鈴鹿を通って、京都に行きました。
2012.07.20
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最近はスケッチづいています。 今度は屋上になった家内の作っている「梅の木」の 梅を描いてみました。これは娘が成人式を記念に 植えたものだそうです。 食べるにはまだ青いですね・・・。 透明水彩は、白の部分が難しいと思いました。 食べるにはまだ青いですね・・・。 透明水彩は、白の部分が難しいと思いました。
2012.05.10
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皆さん。久しぶりです。 先月の8日で、ブログが止まっておりました。 実は2月19日の夕方、教会の夕礼拝に急いで 出席しようとした家内が、3階から2階に降りてくる途中、 慣れない靴でヒールが引っかかり踊り場に転落、 救急車で、病院に運ばれました。 CTやMRIの検査をした結果医師から告げられた判断は 「頚髄中心性損傷」。頚髄が損傷している関係で、 色々な影響が出る可能性があり、かなり深刻である。 一ヶ月の入院を考えて欲しいとのことでした。 入院当日は、あごにギブスをはめてICUで寝ており、 身体は動かせず、両腕に痛みがあり、苦しそうでした。 でも、数日して、身体も回復して、自分でスプーンを持って 食事が取れるようになりました。 多くの方々のお祈りを心から感謝します。 当日、廊下で、4時間近く待っておりました。 その時、与えられた聖書の御言葉。 「あなたは善にして善をなされる」詩編119:68 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」イザ41:10 「見よ、神はわたしを助けたもうお方」詩編54:6 御言葉の通り、元気になっているので、ご報告と、さらに 皆様のお祈りをお願いいたします。
2012.03.16
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あけましておめでとうございます! 2011年お世話になりました。 2012年も主にあってよろしくお願いいたします。 天地創造 ミケランジェロ(1475-1564)今年の与えられた聖句は、「神は言われた。光あれ!」です。言うまでもなく昨年は日本中が3月11日の大地震、津波、放射能被害と想定外の体験をしました。さらにヨーロッパに端を発した経済危機が日本にも及び、日本中が暗い闇か霞がかかったような一年間であったと思います。そのような中で、新年に向けての聖句を祈りつつ、与えられたのは、まさに神様の天地創造の「光あれ!」のメッセージでありました。あるコラムにも次のように書かせていただきました。 「光あれ!」と神は言われた。この聖句から新しい二〇一二年を始めたいと思う。旧年は三月十一日の大震災で厳しい、一年を過ごした。今年も、被災された方々と共に復興の歩みを続けて行きたい。実際に被災地を訪ねた時、友人の牧師が言われた。「この津波の爪跡を見たときに、怪獣がやってきて皆、踏み潰して行ったような感じを持ちました。バビロン捕囚の悲惨さのようですね」。わたしも同感だった。すべてを踏み潰してゆく混沌の怪獣。罪と死の力。しかし、この混沌と暗闇の支配の只中で神は光を創造された。「光あれ!」と。神の光は救済の光、新創造の始まり。われらはこの光を内側に頂きながら地上を旅する神の民である。光の都を目指しながら、今年も恵みの一年を! ブログの中での共に励ましあって、光の中を歩みましょう。
2012.01.01
11月23日は、横浜で姪の結婚式があったので主席した。結婚式はいいですね~。花嫁さんが感激の涙を流し、わたしたちももらい泣き・・・。幸せになってほしいよね。ミッチャン!!
2011.11.26
昨日は娘が運転免許を取ったと感謝報告に来ました。 一緒に楽しい夕食をと思ったのですが、会議が続いて 10時近くなり、娘は「じゃーね!」とか言って帰って行きました。 一緒にお祝いしてあげたかったですね。 でも、車の運転は気をつけてほしいですね。 わたしもこの間、軽違反がたまって、違反講習に 行ってきました。車は人を傷つける凶器にもなるので 気をつけて安全運転をしましょう・・・。 この図柄はドラクロアの「ヤコブの格闘」です。本文とはあまり関係ないかな? ま、娘の格闘の末の「運転免許」、少しは関係あるか・・・。
2011.11.01
バラのように広がる銀河 ハッブル望遠鏡21周年で公開でした。 ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた、バラのように広がる渦巻き銀河の画像(NASA提供・共同) 【ワシントン共同】別の銀河の重力の影響でバラの花びらのように広がって輝く渦巻き銀河をハッブル宇宙望遠鏡が捉え、米航空宇宙局(NASA)が20日、画像を公開した。同望遠鏡の打ち上げ21周年を記念した。銀河は、地球から3億光年離れたアンドロメダ座の方向に位置する。画像の下部にある小さな銀河の重力で引っ張られ、このような形にゆがんだという。昨年12月17日に撮影した。すごい宇宙の神秘的な美しさ(*^-^*)☆
2011.10.31
お彼岸がやってきてずいぶん涼しくなりましたね。9月7-14日(木-水)、今回はアトランタで集会が開催されました。アトランタでの会議の合間に、 マルチン・ルーサー・キング牧師の記念館と教会を訪問。多くの戦いの後を見てきました。 続いてストーン・マウンテン公園も見学しました。岩に、南北戦争の英雄、リー将軍の大きなレリーフがありました。 ワシントンDCに移ってからは、ウェスレー神学校を訪問。土曜日だったので学長にはお会いできませんでした。 午後はモ-ルの見学。国立美術館で印象派の作品や後期印象派の絵画を見ました。セザンヌの絵が印象的でしたね。日曜日にはグローバルチャーチに礼拝出席。熱がこもった賛美や教会員に励まされました。午後は、「ワシントン日本人教会」で説教させていただきました。9・11の10周年記念の礼拝での説教なんて、主の深い摂理を覚えました。上原先生ご夫妻や多くのなつかしい兄弟姉妹にお会いでき、皆様からの熱い歓迎に涙が出て止まりませんでした。皆さん、ありがとう!!それから歓迎会に出席して、記念写真。それからすぐにニューヨークに向かいました。 ニューヨークの夜景はきれいでしたね・・。ニューヨークでは特に9・11の10周年目にグラウンド・ゼロの地を訪問し、参加者が心を1つにして祈りを捧げる事ができました。世界トレードセンターの場所も新しいビルが工事中でした。4つのビルが立つそうです。 犠牲者の家族に主の慰めを祈ると共に、神様の愛と平和が全世界にありますように祈りました。すばらしい体験でした。 お祈り感謝します!!
2011.09.23
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5日の朝に仙台の教会を後にして、本州を横断。 鶴岡、酒田、新庄と教会に訪問し、トラクトヲ配布したり 子ども会をしたり、礼拝の応援をしたり、いろんな方々と 出会いました。 まず、強烈だったのは、仙台から鶴岡は本州を横断する 旅行でした。途中、月山のトンネルを通過。月山は高い山ですね。驚きました。 きれいな風景でした。(写真を載せられなくて残念) そして、鶴岡教会へ。鶴岡教会はわたしの神学校の後輩が 牧会しておられる教会で、現在の神学生の出身教会。 楽しい会話をたくさんしました。藤○先生、ありがとうございました! 教会玄関にある聖書学者黒崎幸吉の記念碑がありました。鶴岡からは神学者佐藤敏夫先生も出ています。 楽しい交わりを終えて、酒田暁星教会へ向いました。こちらの教会の牧師はやさしい山本先生。 山本家の新太君(小学校6年)と健心君(小学校2年)が、ご飯の手伝いなどしてくれました。 そして、新庄新生教会へ。こちらは中村先生ご夫妻と詩園ちゃんが歓迎してくれました。 どういうわけか、西海満○子先生もおられて写真を撮りました。 わたしは土曜日に子ども会に参加。 皆元気がいいですね!新庄新生教会での夏期キャンプバイブルアワーでは「ザアカイ」をいたしました。紙芝居の後、わたしが説教しました。 最上川の写真や前森高原の写真をたくさん撮りました。 日曜日に礼拝説教。主にある交わりは最高でした。お祈り感謝です!
2011.08.08
7月15日(金)わたしどもの命の恩人とも言うべき「渡辺正夫先生」が 召されました。74歳の生涯でした。わたしと友人のNが、前夜式とお葬儀の 御用をします。 わたしが小学6年生の頃、一つ年上の甥が中学生になった。彼は目を輝かせて、中学校のことを話してくれた。「面白い先生がいる。この先生は自分のことを『ガマ』とか『ガス』とか言っている。この先生は実はクリスチャンで、友人のNが首に十字架のネックレスをかけていたら『そんなの遊びでするもんじゃない』と言って、『じゃ、それを譲ってくれ』と言ったんだ。」 悪童どもにもてあそばれていたカメを助けた浦島太郎の美談のように小学生のわたしには響いた。「中学校にはめずらしい先生がいるんだ」と思っていた。 それにシュバイツアーのイメージなどが重なった。そして、中学生になった時に、担任になられたのが、実にこの渡辺という先生だった。先生は新潟県の出身で色の白い、口の大きな方で、教師になって初めての担任がわたしどもだった。24歳の理想と使命に燃えた先生は、わたしども田舎の中学生に体当たりで教育をしてくださった。「人生は出会いで決まる」と言われるが、わたしにとって、渡辺先生との出会いは、文字通りの「人生をまったく変える決定的な出会い」だった。・・・・http://blogs.yahoo.co.jp/ps23062000/19969543.html 文字通りの「人生をまったく変える決定的な出会い」でした。 先生、ありがとうございました!
2011.07.16
今日は気仙沼の教会でお話しをしました。 盛岡のホテルを7:30に出まして、水田先生の車に載せていただき 気仙沼第一聖書バプテスト教会に約10:00に到着しました。 この教会は今回の津波で教会牧師館ともに流された教会でした。 教会がなくなって、どこで集会をするんだろうと思っておりましたら、 教会の役員さんの印刷工場を改造しての集会でした。この3日に 皆で板を張り、ステンドグラスをつくり、講壇とマイク等の設備を 完成して、初めての特別集会とのことでした。にこやかで元気一杯の 峰岸先生や多くの兄弟姉妹に歓迎されて、優しい笑顔のただなかでの 説教で、すばらしい恵みのひと時となりました。 家を流されてしまったという方が、おふたり、初めて教会にいらっしゃい ました。最後の握手をしたときに涙をためていらっしゃいました。 集会後に皆でカレーをいただきました。とてもおいしかった! その後、朝日新聞に出た瓦礫の中の流木で作った十字架の写真の 気仙沼第一聖書バプテスト教会のその場所に、案内していただきました。 2008年に新築したばかりの教会なのに2年で流されてしまったとのこと。 3時29分でとまったままの目覚まし時計が二つ置かれていました。 そしたら、「サマリタン」の奉仕の若い方々が6,7人駆けつけてくださいました。 峰岸牧師から「ハリー先生、祈ってください!」と依頼されて 教会の復興、地域の復興を祈りました。教会のお隣の方々は、今も、 避難所生活だそうです。お別れのときに、元気に手を振られ、 「気をつけてね!!」と元気な声を背後に陸前高田の方面を通って 盛岡に帰りました。こちらが元気をいただきました。 明日は花巻の教会で御用です。お祈りください。
2011.07.07
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今日は忙しく一日を過ごした。午前中は祈り会。午後は聖書学校の委員会でした。終わったら今度は夜の祈祷会。使徒言行録の13章。ピシデヤのアンテオケでのパウロの説教。御霊に満たされたすばらしい箇所でした。そうそう、「象さん」が、「ハリーさんの日記復活したけど、また、三日坊主ですね」とか言われたので、書いてます。毎日書くのはかなり大変!おやすみなさい。
2011.06.09
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東京聖書学校の年一回のファミリーデイ。みんなで近くの「水元公園」に行こうということになっていたのですが、どうも天気が崩れるらしい。しょうがない、屋内の交わりの時にしようということでどういうわけか「ボーリング大会」になりました。礼拝説教はY先生が、詩編147編からの異色の説教。そのあと場所がボーリング会場の移されてバトルとなりました。二人づつの組み合わせ。わたしの坪○先生のグループは最初トップに躍り出て、「これは意外?僕もなかなか捨てたもんじゃない。中学時代の野球部の運動神経がまだ残っているか?まわりより優れている・・・」と傲慢になり後半は、どうも、何回かガーターにボール転がしました。Y先生の説教。「へりくだって主とともに歩むこと・・」ということの大切さを再確認させられました。 夕方は風邪が治りきっていない感じなので休憩を取りました。今、夕食が終って、体調はかなり回復しています。明後日の説教のため備えましょう。ハレルヤ
2011.05.27
写真を載せられなくなったので、やめてしまったのですが、「象さん日記」とか「やまひでぶろぐ」などは、写真なんかはっつけなくてもすばらしい内容なので、わたしもやってみようと再チャレンジです。 さて今日は、関東教区総会2日目でした。朝9時半から午後4時まで。どちらかと言えば、穏やかな、震度2,3ぐらいの揺れでしかでしょうか。T伝道師の始めての祈祷会メッセージ。ロマ書1章でした。風邪気味で体の筋肉が全体が痛いので今日は寝ます!お休みなさい。
2011.05.26
長い間、ご愛顧いただきました「パスターハリーの書斎」は以下のブログに移転しました。http://blogs.yahoo.co.jp/ps23062000 少し名称が違ったりしておりますが、どうぞ、 末永く、お付き合いくださいますよう切にねがいまして ご挨拶とさせていただきます。 (管理人)
2010.09.08
すごいでしょう! このご馳走!!今年の夏の祝福は韓国からの17人の10日間の滞在。楽しかったですね。 7月25日の夜は燃え上がりました!コリアンナイト!! この衣装の鮮やかさが良かったですね~。 子供達が、仲良く遊んだりけんかしたりして、親しくなるところを踊られました。 これは「アリラン」の踊りです。なんとも、情念のこもった踊りでした!「わたしを捨ててゆく、あの人の足がアリラン峠を越える 前に痛んで歩けなくなるように!」愛情に裏切られた女性の恨みは時代やお国を超えますね・・・・。燃え上がる情念!! おお、こわっ・・・。 天国行きの汽車に乗って・・・・ぽっぽー!! 伝統的な結婚の式も披露されました!燃え上がった、夏の夜でした。カンサハムニダ!!
神学生の一緒に大自然の中で新鮮な空気を一杯吸って来ました。オーストラリアの草原のようですね・・・。歩いていったら林の中で食事をしている人もいました。水辺があるとほっとするのはどうしてでしょうかね?にんげんのDNAにそう刻まれているのでしょうか?兄弟に肩車してもらったのに、とうとう、木登りはできませんでした。残念!!あずまやで皆で讃美して礼拝しました。讃美の声が、緑の空気に溶け込んで行きましたよ・・・。ハレルヤ~!!
2010.06.09
今、JEA(日本福音同盟)の総会で静岡県の掛川市のつまごいというところにきています。今日は二日目で、今年、10月にアフリカ、ケープタウンで開かれるローザンヌ世界宣教会議の話や昨年の9月にもたれた北海道での日本宣教会議、また、5月のエジンバラ会議のことなど、さまざまな事が話されました。 日本中からいらした140人の先生方とも出会い、とてもチャレンジに満ちた二日間でした。いろんな先生方がいらっしゃいますね。今日の夜は、講師の先生がボストンの自宅からスカイプでの講演でした。ケープタウンでの準備会議でどうしても日本まで来れなかったようです。ITの進歩で世界は狭くなりましたね。(でも、何度も、画像がきれましたが・・・)主の僕として、世界的な視野を見させていただきました。
2010.06.01
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尾鷲教会が無牧なので、応援に行ってまいりました。すてきな教会でしたね!尾鷲教会の写真を数枚・・。教会のためにお祈りください!
2010.05.23
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先日、副牧師が、早天祈祷会で、有名な「フットプリンツ(=足跡)」という詩を読んでくださいました。総会を前にして1年に感謝していた時だったので、心に深くとどまり慰めを受け、新たに感動をしました。ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空にこれまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。一つはわたしの足跡、もう一つは主の足跡だった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。わたしの人生で一番辛く悲しい時だった。この事がいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。あなたに従うと決心したとき、あなたはすべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生の一番辛い時、一人の足跡しかなかったのです。 「主よ。わたしがあなたを一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に、足跡が一つだった時、わたしはあなたを背負って歩いていたのだ。」 この詩は、マーガレット・パワーズさんの作と言われます。実は、約10年前にパワーズご夫妻が日本に来られたのです。いのちのことば社の主催で東京でも集会がありました。その集会でわたしが司会をおおせつかりました。とてもすばらしいご夫妻の証しがありました。特にその時のご主人の証しは忘れられません。彼は、小さい時にアル中のお父さんの下で育ち、暴行を受け、ある時にはひどく殴られ、あばら骨が折れて病院に担ぎ込まれるような状態でした。心が荒れて、思春期には犯罪に手を染めるようになりました。何回か友人と盗みをしていたのですが、10代の終わりに忍び込んだ家でその家の女主人に見つかり、持っていた銃を発射。その女主人を殺害してしまったのです。彼は少年院や刑務所に行きました。そこで聖書の話を聞き、福音を受け入れ新しい人生に目覚めました。彼は今、全米を回って少年院や刑務所で教誨事業をして、人々に新しい人生を指し示しています。笑顔のすてきな方でした。
2010.05.05
今日は主イエスの聖金曜日ですね。受難週は、主イエスの十字架と復活の出来事を記念する大切な週です。聖書は次のように記します。第1日(日)棕櫚の聖日・エルサレム入城。マタイ21:1-11他 主イエスはロバに乗ってエサレムに入城。民衆が棕櫚の枝を道に敷いて出迎えた。第2日(月)神殿行き マタイ 21:12-22 他 主は神殿で、腐敗を憎み、宮潔めをされた。第3日(火)エルサレムでの多忙な宣教の一日。マタイ 21:23-26:5 他 主イエスは、ご自分が神より遣わされた神の子であること、 再臨による世の終わりのこと、を人々に告げられた。第4日(水)ベタニヤにおける憩いの一日。第5日(木)最後の晩餐・ゲッセマネの祈り。マタイ 26:17-56 他 主イエスは弟子たちと最後の晩餐を持ち、オリーブ山のゲッセマネで祈られた。第6日(金)十字架。マタイ 26:57-27:61他。 不正な裁判で、主イエスは十字架刑に処せられ、 死亡が確認され、 アリマタヤのヨセフの墓に埋葬される。第7日(土)墓にて。マタイ 27:62-66。 主イエスは亜麻布に包まれた状態で墓に納められた。第8日(日)イースター(復活)。 マタイ 28:1-15 マルコ 16:1-13 ルカ 24:1-43ヨハネ 20:1-25 主は予告通り復活。 主は十字架において罪を贖い、復活において死を滅ぼされた! 救いは成就した!
2010.04.02
1971年2月ごろに見た夢です。懐かしくなって思い出しました。 場所は東京都北区神谷の4畳半のアパート。21歳のころです。この頃は絵描き浪人3年目。いわゆる「70年安保闘争」や「ベトナム戦争反対デモ」に参加し、自分自身も世の中も、分からないことだらけ、矛盾だらけ。怒りと自己嫌悪と問題だらけで、疲れ果て、更に加えて、失恋の痛手。「人生、真っ暗」という感じの時でしたね。 でも、1年前のクリスマスに洗礼を受けていたし、(ま、教会からは距離をとって半年ぐらい礼拝には行けなかった・・・)信仰の恵みの世界もある程度は知っていた。そして、おぼろげながら、自分は、主イエス様を信じて、信仰の生涯を歩んでゆきたい。こころの平安がなくては何をしても、だめだということを深く感じているときでした。自己嫌悪と、自分の惨めさで一杯。でも、主イエスの愛と平和の中に歩んでゆくことができるなら、なんとか、この人生に、平安や喜びがある生涯を生きられるんじゃないかな・・・という期待があったころでした。まあ、真っ暗な部屋に、主イエスの愛と平和の福音が、一条の光のように、薄くさしこみはじめたという感じの時でしたね。 わ! びっくりさせてごめんなさい・・・。ちょっと画像が大きすぎましたね。こんな感じのときでした・・・。ふふふ。絶望的、19歳! さて、夢本体の方ですが・・・・。わたしは苦しみながら空を飛んでいました。飛行機のように。気流に乗るようにして、てをひろげていたのかな・・・?とにかく、飛び続けていました。そのうちに、雲の中に突入。苦しいような、重苦しい雲の中を飛んでいました。視界が開けない。どのぐらい飛んでいたのでしょうか。しばらくすると、今度は、急下降。映画の場面のように、地面すれすれの所に降りてきて、かなりのスピードで地面に沿って、飛んでゆきました。高い空ではあまりスピードは感じませんが、地上の近くだと、ものすごいスピード感で、全てのものが後ろに向かって飛んでゆく。地上には桑の木のようなものが生えていました。わたしはその桑の木の間を、すべるように飛んで行きました。ふと見ると、その桑の木の枝々から、芽生え始めた、若葉が見えました。「ああ、春がきているんだ・・」と思いました。ものすごいスピードで飛びながら、わたしのこころに一抹の、希望の光がさしてくるような気配を感じました。その時、どこからともなく、ベートーベンの第9交響曲の歓喜の歌の部分、第4楽章が、静かに聞こえてきました。それは合唱の部分ではなく、器楽の部分でした。「春が来るんだ!」 青空が広がって行くような調べを聞きつつ、わたしは胸から熱いものがこみ上げてくるような喜びを感じていました。それから数ヵ月後、教会の二階に引っ越して「教会献身」の時が始まり、実際に恵みの歩みが始まりました。わたしの人生の転機に見た夢だったと思います。【ちょうど、この時に合うような写真を探したのですが、いいのがありませんね・・)
2010.03.27
還暦に沢山の方々からの祝福を受けましたが、サムエル・ウルマンの「青年」の詩を読みました。週報に載せたものですが、紹介します。「 還暦にウルマンの詩を読む 」 青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の状態を言う。逞しい意志、あふれる想像力、炎ゆる情熱、怯懦を退ける雄々しい心、安易を振り捨てる冒険心。人は年を重ねただけで老いない。理想を失う時に初めて老いる。歳月は皮膚のしわを増す。しかし情熱を失う時に精神はしぼむ。 思い煩い、不信仰、不安、恐れ、失望。 これらは長年月のように人々の腰を曲げ、伸びゆく魂を塵に伏せしめる。 年は70歳であろうと16歳であろうと、その胸中に抱くべきは不可思議への驚き、空の星晨やその輝きにも似た事物や思想の対する憧れ、物事への果敢なる挑戦、幼子の如き未来や歓びや楽しみへのあくことなき期待感。 人は信仰と共に若く 不信仰と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐れと共に老ゆる 人は希望と共に若く 失望と共に老ゆる。あなたの心は、大地より、人々より、神より、美と陽気さと勇気と壮大さと力とを受ける限り若さを保つ。しかしやがて白銀の紐は切れ、悲歎の白雪が黄金の皿を蔽い、嘆きの氷が固くとざす時が来る。その時にあなたはようやく年老いるのだ。祈る、その時には、神の憐れみがあなたの魂の上にあらんことを。(このサムエル・ウルマンの「青春」はマッカーサー元帥の座右の銘で、 松下幸之助さんの愛唱の詩とのことです。) 還暦を迎えましたが、青春が始まったと言う感じです!
2010.03.16
2月4日は、立春でしたが、今年、60回目の誕生日でした。いよいよ、還暦!!! 運命のときのような感じでした。恵みの御言葉を沢山頂きました。この日の朝の祈祷会の聖句は詩編18:18、19でした。彼(主)はわたしの強い敵からすく出す。わたしの災難の日に、主はわたしにとって支えになる。この言葉を還暦の朝の聖句としました。また、祈祷会では、詩編23編からのメッセージでした。詩編23:5から「わが杯、あふる」でした。そしてこの間の礼拝説教では、イザヤ60章1章から「起きよ、光を放て!」でした。プレゼントもたくさん!!(ごめんなさい・・)まず、ナップサック。それから、赤い(還暦)ギター(小林旭のようだね・・・いや宍戸錠かな?)チョコレート娘と息子から、写真集、色鉛筆、ペンタブそして、最高の夕焼け!どれもこれも、感激のプレゼントでした。うるうる・・、こんなに愛されて60歳の誕生日を迎えられるなんて感謝で一杯です。主の恵みを証しする最後の輝きのときとしたいですね!!
2010.02.08
今日の早天祈祷会の聖書箇所はとてもすてきなところでした。詩編18:5,6でしたが、新共同訳ですと5 死の縄がからみつき 奈落の激流がわたしをおののかせ6 陰府の縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。となっています。この箇所は、ダビデの体験した激しい戦いの回顧となっています。特に、5節の2行目には「奈落の激流」がわたしをおののかせ とあります。これはもともとのへブル語ではナーハル ベリーヤアール と言う言葉です。このブログは「ナーハル〈川)・トーブ〈吉い)」ですが、「ナーハル〈川)・ベリーヤアール〈悪魔的な、破滅の、奈落の)」 と言う言葉です。今朝は、本来、自分の罪と惨めさのゆえに、奈落の奔流におののく存在なのに、主イエスの受けられた縄目と死の世界への謙卑のゆえに今は、ナーハル・トーブ、「恵みの奔流」「聖霊の清き流れ」に身をゆだねながら歩む生涯の祝福を痛感し、感謝しました。ハレルヤ!
2010.01.22
あけましておめでとうございます!ついに2010年ですね。今年は「寅年」です。なんとわたしは寅年なんですよ。ということは、なんと! 還暦!! を迎えます。60歳・・・・これは驚きですね。どうしてもわたしは自分の実感で言うと「45歳」ぐらいでしょうか? あるいは28歳ぐらい・・・。たしかに鏡を見ると、髪の毛の銀色になった男性が映ってはいるんですが・・・・。あ、つまらないことを言っておりました。今年は「神の川に水満ちたり」(詩編65編10節)の聖句に支えられて歩みます。年末年始、かなり忙しかったですね。連日、ご馳走が並びました!今年もよろしくお願いします。
2010.01.06
集会である神学生が次のような証しをしてくれました。家を持たず、町の郊外にあるほら穴で暮らしていた兄弟が、突然約5700億円の遺産相続権を得たとして話題になっているそうです。兄弟は幼い頃に母親に捨てられていたのですが、その母親の実家がとても裕福で、このたび兄弟の祖母が亡くなったために相続権を得ることになったとのこと。こんな映画やドラマのような話が、現実にも起こりえるとは驚きです。記事によると、話題になっているのはハンガリーの首都ブダペストでホームレスをしているZsolt PeladiさんとGeza Peladiさん兄弟。二人は郊外のほら穴で暮らしており、廃棄されたスクラップを売って生計を立てていたとのこと。ところがある日、Peladi兄弟の前に1人の弁護士があらわれ「ドイツにいる(兄弟の)母方の祖母が亡くなったので、二人に財産40億ポンド(約5700億円)を継承する権利がある」と告げたそうです。ドイツの法律では直系の子孫で財産を分配することになっており、Peladi兄弟の母親は既に他界しているため、母親が受け取る予定だった財産が自動的にPeladi兄弟へ相続されることになったとのこと。Peladi兄弟は母親の家がお金持ちであることは知っていたそうですが、母親は実家との関係を絶っていた上に、幼い頃にPeladi兄弟を捨ててどこかへ行ってしまったため祖母と接触したことがなく、ここまでお金持ちであったことを知らなかったそうです。住所不定のPeladi兄弟を探し出すのは非常に困難だったそうですが、地元のボランティアの協力で何とか居場所を突き止めたそうです。現在、正当な相続人として母親との家族関係を示す書類や母親の死亡診断書などを取得しようとしている最中で、今後アメリカに住む別の姉妹との間で遺産相続についての話し合いが行われる予定とのこと。Peladi兄弟は「遺産相続がうまくいけば、やっと人並みの生活ができる」と遺産相続に意欲を燃やしているそうです。クリスマスの主イエス様の恵みは本当はこれ以上ですよね!
2009.12.11
12月1日に石川県のかほく市の教会で牧師になるための式、按手礼式が行われました。ここの○田先生が3月まで二年間、現在のわたしの牧する○川教会の伝道師として御奉仕くださいましたので、片道、6時間もかかりましたが、行きました!軽井沢を越えて、佐久を越え、富山県を越えて、石川県へ!!ようやく着きました。立派な新会堂。緊張と喜びの中にいる○田先生に、皆で祝福の時を持ちました。がんばってね! 先輩!!写真を載せるスペースがないそうです・・。残念 教会員の作ってくださったお弁当 妙義山を車の中から 六文銭のマークは真田家の・・ 新築の恵○教会 按手礼式の感動。正教師が皆で手を置きます。
2009.12.03
■「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に (読売新聞 - 11月10日 23:33) http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1016718&media_id=20 これは与党、民主党の陰の総理といわれる小沢さんにしてはあまりにも軽薄な発言でしたね。うちの週報に、次のような文章が載せられました。小沢民主党幹事長の発言をめぐって 民主党の小沢一郎幹事長が「キリスト教は排他的な宗教である」と語ったことで波紋がおきています。代表的抗議文は以下のようです。民主党 幹事長 小沢一郎殿日本キリスト教連合会 委員長 山北宣久 抗議文 貴職は11月10日「全日本仏教会」松長会長との会談後「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと思っている。排他的なキリスト教を背景にした文明は欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」と記者団に語ったと報道されています。 この貴職の発言は、キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ「排他的」で「独善的」な発言であり、日本の責任政党幹事長が世界人口の約3分の1のキリスト者がいる国際社会に向けて発言した言葉として、その見識を深く疑わざるを得ません。 「汝の隣人を愛せよ」と説き、生命を捧げてすべての人々のために仕え切ったイエス・キリストを救い主と信じるキリスト教は民族・国境・思想等のあらゆる差異をこえて平和の実現のため努力しています。本連合会も教派教団を越えて一つなる歩みを重ね、日本宗教連盟傘下にあって「全日本仏教会」とも協力して広く差別偏見からくる排他性と戦っています。そうした働きを否定し、キリスト教を排他的と決め付ける言葉に抗議し、撤回を強く要求します。 同感ですね。公人がこのようなことを語るべきではないと思います。
2009.11.16
「脱皮ない蛇は死ぬ!」これが10月24日の首都圏キリスト教大会の第一回目のメッセージでした。聖書はニコデモの箇所、ヨハネ3章から。脱皮しない蛇は死ぬのです。講師の大川従道師によると、第二次世界大戦で敗北を喫した日本が、その後、経済的な繁栄は得たものの古い倫理観、価値観から脱皮できずに生きている。現代の日本の危機的な状況の一番の根本は、ここにある。また、キリスト教界も、本質的な内容と脱皮すべき内容とをよく認識して歩まねばならない、とユーモアをもって語られました。特に夜、ニコデもが主イエスを訪ねたことに関して、「現代人の持っている闇として、不安、罪、死の3つを取り上げて、全能の神への信仰の回復、十字架の和解を受け入れ、古い罪と死の支配から脱皮して、恵みの喜びの歩みを始めてください!と勧められました。その中で、人間の世界には暗い闇がある。白い絵の具で塗っても白くならない闇、どんなに強いサーチライトで照らしても明るくならない闇がある。人間の世界の罪と死の深淵は、すべての明るさを吸収し、人間の知恵と努力の光線では到底届かない、と語られたことは印象的でした。「脱皮しない蛇は死ぬ!」さあ、一体、どう脱皮するのでしょうか、皆さん?
2009.10.31
今日も早天祈祷会は、朝の6時から開催され、詩編9編12-13節を黙想しました。参加者10人で分かち合いをし、とても恵まれました。そのときのメモをもとに要約をここに載せます。恵まれた、濃厚な霊的祝福がお分かりいただけるでしょうか・・・。9:12 シオンにいます主をほめ歌い 諸国の民に御業を告げ知らせよ。 13 主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。 貧しい人の叫びをお忘れになることはない。【メッセージのポイント】1)この聖書箇所は、アルファベット歌の中のザイン(英語のZの箇所) 詩人は Z から始まる、二個の言葉をここでは語る。 それは、ほめたたえよ (ザーマール) 覚えておられる (ザーカール)2)12 シオンにいます主をほめ歌え! ここはまず、「シオンに座す主を(楽器をもって)ほめたたえよ!」と語り始める。 信仰者の生涯は、主をたたえるところからはじまります。 シオンにいます主は、かつてのシオンの丘で礼拝を受けられた主を意味します。 今は礼拝所にいます主と理解してよろしいでしょうか? 更に、「諸国の民に御業を告げ知らせよ」とあります。 われらのために主がなされたのは、エジプトからの救い、バビロンからの 救い、新約においては主イエスの十字架につき、復活され、罪と死の呪いを砕き、 今ここに臨在される主とその御業をほめたたえて歩みたいと思います。 まず、シオンに座される主をたたえましょう! 3)「主は、わたしどもを覚えておられる!」ということ。 直訳:「なぜなら 血を求めるお方は それを 記憶する」 新共同訳「主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。」 主は「覚えてくださる(ザーカール)」なぐさめ深く宣言され、主の恵みを告白しています。 アルファベット歌では、大体、Z が来ると詩人はザーカールに言及されますね。 恵まれた信仰の極意は 「主がわれらを覚えたもう(サーカール)を、覚えよ(ザーカール)」ですね。 しかしここは丁寧に読みますと、ドキッとしましたね。 流された血潮に主は報復してくださると言うところです。 わたしはすぐに、福音のために拷問を受けた韓国のクリスチャンたちを連想しました。 拷問や殉教! 血なまぐさい出来事に、目を背けたくなります。 もしも、今、われらの尊敬する島校長とか、教団の議長の山北先生などが、捕らえられ、血を流すよ うなことがあれば大変ですね。 ホーリネスの群の歴史では、昭和17年に小原先生、車田先生、安倍先生、蔦田師など130名余の牧師 が投獄され、菅野鋭先生ら6名が獄中で召天、殉教されました。 第二次大戦中のユダヤ人600万人の殉教 江戸時代のキリシタン25万人の流血と殉教・・・ 主はそれらの流された血潮をこころに止めて、覚えていてくださる。 わたしどもは主イエスの言われたように、復讐は考えませんが、それらの流された 涙と血潮が、やがて大きなリバイバルの種子として用いられることを覚えました! 主は貧しい者たちの叫びを忘れることはない。 早天祈祷会から恵まれ熱き祈りをささげて一日をはじめました。
2009.10.21
20日(日)、21日(月)と広島キリスト教会の特別礼拝と修養会の奉仕をしてきました。広島キリスト教会は、礼拝堂の正面に立派なパイプオルガンがあり、ステンドグラスに囲まれたすばらしい会堂でした。 パイプオルガンの大きさにびっくりしました!礼拝者も150人。恵みあふれる信仰と、熱心な伝道で有名な教会です。皆さんが大歓迎で迎えてくださいました。 ヴェロニカさんのご要望に答えて、礼拝堂 今回は特別礼拝に続いて修養会があり、開会礼拝、キャンプファイヤー、バイブルアワーが2回、それに壮年会でのメッセージを入れると合計6回に及ぶ説教の奉仕でした。「最善と最愛に追われる生涯」のもとにすべて詩編からメッセージをいたしました。修養会の場所は、呉市郷原でたっぷりと恵みに浸りました。キャンプファイヤーの時にはゴスペルフラもありました!
2009.09.26
昨日広島に来ました。今日は、広島キリスト教会の特別礼拝と教会の修養会で御用をします。昨日の夜、植竹牧師とお嬢様に迎えていただき楽しい、夕食の時を持ちました。すべてを主に明け渡して歩んでおられるすばらしい先生ご夫妻です。植竹先生の名言をいつも結婚式の司式で使わせていただいています。いわく「人生の愛情の90%は配偶者に注ぐべきである。 子どもは両親の愛情のおこぼれで育つ」 それじゃ、今日の御用のためにお祈りください。
2009.09.20
この誕生カードは次女からのもの(立春の息吹が感じられるね・・)59歳の誕生日に皆さんからいろんな祝福を頂いて感激でした。でも今年の誕生日は、4月からの大移動と共に大きく全てが変わるので緊張した、それでいて大変恵まれた、そのような誕生日でした。 まず、第1は、早天祈祷会の遅刻!これは参りました。 誕生日に聖書学校の早天祈祷会の奨励でしたが、どういうわけか朝の6時の時、枕元にあった目覚ましが2時半でした。ああ、もうちょっと眠れるかな、と思ったら、内線の電話。「先生、早天祈祷会の時間です」。「え?」飛び起きて7分遅れぐらいで到着。参ったね。早天祈祷会から帰ったら時計は3時半でした。動いてたんですよね。・・・一体これはどういうことなのでしょう。誕生日の朝なのに・・・。と思いました。寝るときは確かに11時半ぐらいでうごいていたのですよ。主の警告かなと思いました。「人生は何があるかわからない。念には念を入れて万全の体制で事に当れ」ということかなと感じました。しかし、3時間半も遅れて時間が進むかね?電池の磨耗等でこんなことって起こりますかね??第2、そこでのアッパールームのことば。「いと小さき者にしたことはわたしにしたのである」マタイ25:40アルコール中毒の方を受け入れなさいとの奨励を呼んで複雑な思いがあったが7を70倍するまでに彼を許せとの主イエスの言葉を受け入れました。ちょうどその日に、教会に、疲れきった路上生活者が訪問しました。主の導きを感じましたね。第3、ある姉妹の祈祷会の言葉「クレニ先生は祈りという打ち出の小槌をもっている!」第4、誕生日にした祈祷会での奨励。「モーセ手を上げればイスラエル勝ち、モーセ手を下せばアマレクが勝った!」(出エジプト17:15-)の言葉。 全体としては、しっかり祈って、全能の神に期待せよ。心の帯を引き締めよ! ということでしょうか・・・。皆さん、ありがとう!
2009.02.09
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