りんどうの花
誕生日の朝、ある兄弟が「誕生日おめでとうございます」と言って「りんどうの花」をプレゼントしてくださった。以前、交わりの中で「りんどう」のことを話したことによると思う。内村鑑三の「天然の歓喜」の中で彼は、秋の花としてはりんどうが好きで、ブライアントの詩を翻訳して載せている。説教の中で、思わず、そのことを触れて、以下の詩を読んだ。なんじ、秋の露をもって輝く花よ空の色をもっていろどられなんじは皮膚(はだえ)にしみわたる寒き夜に静かなる日が次いで来る時に開くなんじはすみれが小川と泉のほとりに首(こうべ)を垂れる時に来たらずまだおだまきが紫布(むらさき)を着て巣鳥の床によりかかるときに開かずなんじは待つことおそくして、ひとり来たる林は枯れて取りは飛び去り霜と短き秋の日とが冬の近きを告ぐる時に来たるそのとき、なんじのやさしき静かなる眼は紫の袖をかざして空を望むその蒼(あお)きこと、あたかも蒼き空がその天井(てんじょう)より花を落とせしがごとし余は望む、余もなんじのごとくに死の期(とき)が余に近づく時に希望は余の心の中に咲いて世を逝(さ)りつつも天を望まんことをそして、内村はさらにこう記している。「・・・甲武鉄道、中野ステーションに近き楢(なら)林の中において余は計らずも枯葉の中に、余のかねてより敬慕せる余の秋の友人なる紫りんどうに遭遇した。余はしばしの間、彼の育成の地において彼を見つめた。彼はあまりに慕わしくして、彼に手を触れ得なんだ。余は即座にブライアントの言葉を原語のままにて唱えた。Blue- blue as if that sky let fall,A flower from its cerulean wall.その蒼きこと、あたかも青き空がその天井より花を落とせしがごとし・・・われらは彼らを友として喜びながらこの涙の谷を通過(とお)ることができる。深い感動に満ちた、2月4日、聖日の朝だった。ハレルヤ!