人生は出会いで決まる。
昨日は上野の教会で礼拝説教の御用をいたしました。JTJ神学校が建物の中にある教会です。いろんな人と出会いました。主にある出会いは最高ですね。先日の説教箇所の一節3月は別れの月、4月は出会いの月だと言われます。 「人生は出会いできまる」というユダヤの哲学者、マルチン・ブーバーの言葉があります。 ある集会でこのような話を聞きました。 青山学院大学に有名な教授がおりまして、この教授が若いときに横浜の駅のプラットホームを歩いていたのだそうです。あまりにあわてていたものですから、前に女性がいることに気づきませんでした。階段を下りるところで前の女性にぶつかってしまったそうです。ちょっと古い話なので、この時代、女性は袴(はかま)をはいていたそうです。その教授は彼女の袴の手を入れるところに足を入れてしまい、階段を転げ落ちるというへまをやってしまったそうです。彼は本当に申し訳なく思って、「どうぞお許しください」と謝って急いでその場を離れました。ところが、翌日、駅のプラットホームでまたその女性と会ってしまったそうです。彼はポーっとなって「どうも、昨日は失礼いたしました」ともう一度、わびました。一週間経ってからまた会ったそうです。「先週はどうも・・・」。なんと一ヶ月経ってまた会ったそうです。「一ヶ月前はどうも・・・」。そのうちにこの二人は親しくなって結婚され、夫婦となられたというのです。(大川牧師著「風は思いのままに吹く」) 考えてみると人生は人格と人格との出会いで成り立ってゆきます。どのような両親と出会うか、どのような兄弟、どのような友人に出会うかで人生は決まってゆきます。不幸な出会いによって暗い闇のような人生を歩んだという人のおられるでしょう。しかし、まさに、主イエスに出会うときにあなたの人生は輝きを持ち始めるでしょう。この一年、主イエスにあるすばらしい人生を歩まれますように!