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キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

ボクは信者になった

 両親は、子供たちに愛情を注ぐ人たちだった。本当は、両親の関係は冷えており、やがて別れの時が来た。
 うまく事が運ばない他の出来事も重なり、何もする気がなくなり、そして自堕落な毎日を送った。
 学校に行っても授業内容がわからない。一番後ろの席で、後ろの黒板に椅子ごと寄りかかり、窓の外の景色をながめていたっけ。先生から注意も受けなかった。ある都立高校での思い出の一場面。

 通学の途中で、教会の集会案内のポスターが貼ってあるのを見っつけ!

「重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)

 何にでも首を突っ込みたくなる性格は、教会への階段を上らせた。
 教会の中では宣教師夫妻がゲストに招かれ、賛美歌を歌っていた。一人が伴奏、一人が歌う。本当に知らない世界。次の日も行く。柔和な顔つきの老牧師が出てきて、神を心に受け入れるように勧められた。

 「罪」という悪が、あなたの心にありますと指摘された。
 わがままで甘えん坊、欲しいものが手に入るまでダダをこねる。人に厳しく自分に甘い。親戚の女の子をいじめたこと。大人しそうな顔かたち(?)に隠された嫌らしい心の汚れには、気づいてた。親を偽善者と呼んでいた者自身が、もっと偽善者だとわかっていた。
 イエス・キリストというかたが、その汚れを赦しぬぐい去って下さるから、この方ににお頼りしましょう、と言われた時、心にぴったりと納まった。

「求めていたものは、これだ!」

 牧師さんとご一緒にお祈りした。それから、安らかな毎日が始まった。
 最初の出合い以来、40年近くも経過。あの時から神サマは確かにずっと、ご一緒して下さった。


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