2018/03/29(木)19:26
ゲツセマネのキリスト
今週は教会暦での「受難週」
キリストが十字架にお架かりになるのが、金曜日
日曜日は、イースター
木曜日のキリスト様の足取りは
最後の晩餐、弟子たちの足を洗う(洗足)、ゲツセマネの庭での祈り、捕縛、審問
ゲツセマネの庭では、3人の弟子を伴われて、天の父に祈りを捧げる。
わたしはもう少し向こうで祈るから、あなたがたはここで祈っていなさい
そう言われた弟子たちは、ただならぬ主のご様子に、緊張のあまり寝入ってしまう。
主キリストは血の汗をしたたらせ、悲しみもだえて祈られる。
殉教を前にしての悲しみではないだろう。
殉教なら、それは信徒の勲章なのだから。
そうではなく、全人類の罪を一手に引き受けて、父の裁きを代理で受け、死を遂げることの、恐ろしい戦いである。
胸が張り裂け、その場で悶死してさえ、不思議でない。
罪なきキリストが、人類史上最大の罪人たる罪を引き受けて、刑死する。
裁かれるのは父なる神だ。
その父の強い決意がキリストの心を動かしている。
キリストは、罪との恐ろしくも激しい戦いを、戦っておられる。
キリストは苦しみの中で、見はるかしておられる。
こんなにも戦っても、そして救いの道を開いても、なお悔い改めを拒む人々があることを。
悲しみを、なお深くされる。
イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」マタイによる福音書26章36~39(日本聖書協会新共同訳聖書)