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時々過敏症な生活へようこそ

時々過敏症な生活へようこそ

アトピーだった頃(思春期編)


受験のシーズンなんかは当然のようにアトピーも悪化した
中学生くらいになると全身がカサカサした
冬になると悪化していって、粉吹きまくりでかゆくて仕方がなかった

いつもばりばり掻いていた
私がいた後にはふけのような粉が落ちていたくらい
そのころかな、アトピーと診断されたのは

この頃はアトピーの知名度もなく、今よりもっとアトピーに対して世間の理解はなかった
かわいそうなんていってくれる人もいなかった
それと同時にステロイドがどんどん強くなっていった
治ってはでて治っては出ての繰り返し
けれどまだこの頃はさほど悩んではいない
本格的にアトピーがひどくなったのは社会人になってからだ

学生の頃から親が病気だったこともあり、医療に関わる仕事をしたいと思っていた
薬学を学び、製薬会社に就職した
夢のようだった。配属された部署は抗生物質試験室だった
抗生物質の過敏症とも知らず、日夜抗生物質に囲まれ、菌に囲まれ生活していた

そんなある日、ついに私の臨界点を超えたのだろう
朝起きたら顔はパンパンに腫れ、手もばんばんにはれていた
顔を水につけるとお湯になったくらいはれていた
それでも仕事に行った
夢だった仕事をあきらめたくなかった

幸い一ヶ月ほどで治ってきて、副原料試験室に変更になった
副原料は砂糖やタルクなんかで、錠剤や糖衣錠に使う主原料以外の原料のこと
仕事も慣れ、一年が過ぎた頃また顔が腫れた
会社の人たちは「またか」といった感じ
私の顔をみるとみんなぎょっとして後ずさりした
電車に乗っていたら、私近くにいた人がびくっとなってすごいものを見るような目で見てきた
負けたくなかった。けれど、会社の人から「あてにならない(病気になるから)」といわれたとき、すごいショックを受けた。今までがんばってきたものは何だったんだ。
このままでは私の体も精神も持たないかもしれない。それでも続けるのか?と考えたとき、答えはノーだった。

会社を辞めた。
それでも薬品関係につきたい私は薬局に就職した
けれどそれでもまた春になると顔が腫れた
だんだん自分でも暗く、下を向いて歩くようになってきた
お客さんの手はみんなきれいに見えて、指輪をはめている指が憎らしかった
自分には指輪ははめれない。かゆくてたまらないし、はまらない・・・・・
そんな中、励ましてくれたのはお客さんだった
「だいじょうぶよ!」
と、手を握ってくれた人もいた
会社の人で手をさすってくれた人もいた
けれど、煙たく思う人も多く、そんな人のことばかり思い悩む日が続いた

そんな中、父の転勤で家族で田舎に引っ越すことになり、私も会社を辞めてついていった
その頃、町の皮膚科に通っていて、内服ステロイドまで使うようになっていた
けれど、ひどくなる一方でもう治らなかった
病院の先生は泣いた
「君を治してあげられない」と
先生もアトピーでつらい思いをしていることを初めて知った
大学病院にうつったが、そこの先生は高飛車な女医さんだった
「私の処方でなおらないあなたがおかしい」
的なものの言い方をされて、研修医に私の手を観察させた

気が狂いそうだ、もうたくさんだ!
引っ越しした先で私はステロイドをすべて処分した
もう医者なんか信用できない!医者が治せないなら私が治してやる!
そう思ってアトピーの本を読みあさった
けれど、しばらくして本当の意味でのリバウンドがやってきた



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