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テーマ:アセンション(261)
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本日4月11日は、再就職先の入社日であった。
私はてっきり、自分は介護と看護を兼務する仕事をするのだと思って行ってみると、医務室への勤務となり、実に医務を覚えていかなければならないという求人だったのか!!と悟り、凄くショックを受けた。 処置そのものより、今日は新型コロナの対策や、入退院、救急搬送のやり取りが大半で、利用者さんとの愛ある関わりに意気込んで居た自分が空回りしているように思えた。 しかしながら、同僚のナースは、心から尊敬できるような向学心の強い人であった。もう一つ熱烈なオファーがあった会社社長のナースとほぼほぼ違わぬくらい、向学心をいつまでも持ち続けている人だったので、「どっちを選んでもこういう出会いだったってのか!?」とびっくりした。 だがな…流石に「行くだけでも十分楽しいという境地の職場」ではないと思った。まだそこにはたどり着けぬのか。 帰宅すると、久々の仕事と言うのもあり、足はパンパンである。 こんなんじゃあ、来年働きながら看護学校なんて行けるわけないよ、と辛くなった。 しかしながら、もし慣れて体が楽になれば、割と時間配分は好きに使えそうだとも思った。息子が帰宅して、二人で食事を摂ったのは、いつもと変わらぬ時間だったからである。 好きな人の事ばかり考えていた。 というのは。 実は昨日は緊張してほとんど眠れなかった。 瞑想したり、心を無にしたりと、頑張ってみたが、眠れなかった。 ああそういや、ツインレイって胸のチャクラが塞がっているとかでサイレントが長引くとか書いってあったな、と思い出し、 「私はただただあなたからの愛を受け入れます。」ってなアファメーションを思いついてしてみたら、不思議と足の先まで暖かくなった。 それでも、やはり眠れず、「ああ、もうこんな時間。」と思った時に、「あれ?そういやそろそろ好きな人が仕事に行く時間じゃないの??」と思い出し、 「今日も頑張ってね。」と心の中で呟いた。 その自分が不思議だった。今までそんな風に好きな人を思ったことはただの一度もなく、私は自分がしんどい思いをして仕事に行くことしか考えていなかったし、好きな人は長く勤めているんだから、仕事とか別に苦に思って行くわけ無いだろう、と思っていた。 自分があまりにも自分のことしか考えていなかった、その欺瞞を思い知るようで驚愕した。 今日は電車の中でも、好きな人の制服姿が何度も浮かんできた。 食事をしている間も、あの人は食事中かな、何をしているかなぁと、また制服姿が思い浮かんだ。 このように思い起こすのは執着なのだろうか。 すっかり忘れて仕事に打ち込むことが、良いらしい。 だがどうしても、私は偶然再会した日の夢や、あの人のただ誰かを待つような姿を思い出すと、あの人と私が結ばれぬ訳がないとさえ思ってしまっていて、そうなれる日はお互いが心からの愛を確信していて、もう幸せしか創造できない境地に至った頃なのだろうな、と思ったのである。 すると、私が「笑い」が相当に高い意識進化レベルだとは思っていたが、 赦しの次に笑いがあって、愛があるのだと思いこんでいたのだが、実は「笑い」が最高レベルの意識進化ってことじゃないのと、気がついた。 人は平等→公平→謙虚→感謝と意識進化が進んでいくことは確信が持てていたし、その次に「赦し」の境地が訪れることは知っていた。 しかし「笑い」の境地がどこに入るのか全くわからなくて、次は笑いだと思いこんでいたんだが、やはり愛があって、人は笑うんじゃないか、笑顔で居られる日々を作り出せるんじゃないのか、と思ったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.11 23:09:06
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