★★混迷する融合政策@オランダ★★
オランダの融合政策はどこへいくのか?ますます混乱の様相をみせる、融合政策のニュース。23日付けのAlgemeendagblad紙よりRotterdam wil scholen bijkleuren.内容的には、Rotterdamの計画では、「zwarte kinderen」、「witte kinderen」の2種類のウエイティングリストをつくって、「zwwarte school」に「witte kinderen」を入学することを行政側で決めることができるというもの。その逆も可能。「zwarte kinderen」とは、モロッコ系、スリナム系、アンティル諸島出身の子供。「zwwarte school」とは、「zwarte kinderen」の多い学校。「witte kinderen」というのは、白人系オランダ人。「witte school」とうのは、「witte kinderen」の多い学校。オランダ人の会話で、よくこの単語がでてくるから、スラングだと思っていたんだけど、議会審議の法案にでてくる単語でもあったんだ!『「zwart」と「wit」の融合』とても理想的融合政策だけれど、これが施行されたら、Rotterdamの教育環境は最悪になると思う。80年代、筆者が米国に留学しているときに、同じような政策があった。近くの町の中流階級の白人のアメリカ人が、筆者の住んでいる町に大挙して引っ越してきた。きけば、教育委員長が理想主義者で、中流階級の白人の学校の生徒と、貧しい地区に住んでいる黒人の学校の生徒と半分入れ替える方針にした。そうすれば、白人と黒人の生徒の交流が深まり、学力レベルも「均等に」なるだろうとのことだった。結果、白人家庭は、その地区から逃げ出し、その町はスラム化してしまった。似たような話をよく聞くので、この時代、全米に流行っていた融合教育政策だったのだろうか。「教育は、義務である。が選択するのは、消費者(親・生徒)である」の典型的な例だろうか。教育者が理想を追い求めすぎて、消費者の現実をみないと、全ての教育の質、その地区全体、または国全体のレベルが総崩れしてしまう。オランダ語の語学学校の体験からだけれど、皮膚の色や、国籍でクラス分けをするのはバカげている。能力判断テストを入れて、生徒のレベルでクラス分けをし、学期中に、必要あらば、さらに上のクラスや下のクラスに振り分けるほうが、よほど効率がいい。生徒にとっても、先生にとっても、そのほうがよほど、幸せだ。「zwarte kinderen」と「witte kinderen」の定義をどうするつもりなのだろうか?長男は、日本人なので、「zwarte kinderen」として、登録され、お金持ちで、優秀な子供の入る「witte school」に優先的に入学できるということが可能だ。一般的な定義では、3代までオランダ人であれば、「オランダ人」だ。でも、おじいさんが「インドネシア人」で、金髪・青目のどうみたって白人のオランダ人ってたくさんいる。その子供達も、「zwarte kinderen」として登録が可能ということだろう。この制度が施行されれば、「witte kinderen」の親達はRotterdamから逃げ出して、ますます「zwarte school」化が進むだろう。とても不公平な制度で、Rotterdamの教育そのものを崩壊させてしまう、かなり危険な制度だ。崩壊した学校、教育環境というのを普通の状態にもどすのは、カネも時間も、労力もかなりかかる。D66政党も同じような意見をいっているし、Van der Hoeven教育相も、慎重だ。こういった制度を、喜んでやろうという連中は、オランダエリート層の左派社会主義だろうだ。オランダのエリート層というのは、10%弱のエリート大学出身者。このうちの、左派社会主義のいうのは、現実離れした理想主義者だ。オランダをはじめ、他の西側ヨーロッパや米国でも同じなんだけど、この10%弱のエリート層と大多数の労働者階級とでは、考え方にかなりの温度差がある。一部のエリート層左派の理想で、犠牲になるのが、貧しい労働者階級だ。彼らは、子供の教育のために引っ越す金銭的余裕などない。オランダに入れば、子供に、比較的安価で質の高い教育を受けさせる権利、選択の権利というのがあるのに、それすら奪うことになってしまうことを想像もしていないようだ。こういったエリート層と労働者層の軋轢というのも、ますます広がっていくようだ。「Spreiding en integratie(拡大と融合)」なんだけれど、最近、政策のスローガンとして新聞に、よくお目見えする。今までが、「Segregatieとverzuiling」すぎた反動だろうか。segregatieは隔離verzuilingは「オランダ社会の縦割り構造」、「多極的共存型社会構造」のこと。かつては、カソリック系、プロテスタント系、労働党系など、社会生活がわかれていた。今はそれほどでもないけれど、まだ残っているのが学校。その中でも、モロッコ系のzwarte schoolと白人系のwitte schoolの格差が激しい。自国出身者だけのコミュニティーで、母国語と自国の文化・伝統・宗教を守りつづけ、オランダの法律や言語を学ばなくても大丈夫という環境は、少数民族にとっては、オランダはとても心地いい国だ。ただ、多民族、多言語、多宗教、多文化システムは国家が分裂する危機をはらんでいる。11月22日付けのNewsweekにオランダの特集があった。2001年頃に、「オランダの奇跡」として「polder model」というのを取り上げていたけれど、今回は打って変わって、「オランダ多様性社会」の危険性と脆弱性をついている。筆者も、ほぼ同意見。多分ライターは、アメリカ人だと思うけど、オランダでは過激・極端を嫌う国民性は、ふれていない点がちょっと気になる。米国とっていうのは、ホント、極端な国民性をもっているからね。話はそれるけど、アラファト議長の特集も同号であった。まだ、じっくり読んでいないけれど、アラファトの個人資産が3億USドルとも、10億USドルとも、あるらしい!資産を蓄えているのいうのは、聞いていたけど、そんなにあるのか!もちろん、彼はパレスチナ人を一切信用せず(得に彼の妻Suha夫人)、ヨーロッパのどこかの銀行に預金されているのだろうけど・・・少なくとも、仏政府の調査では、アラファトの資産のうち、一千万USドルがフランス系の銀行を通して、スイスからSuha夫人に送金されたそうだ。中東問題は、サッパリわからない。特に、パレスチナ・イスラエル問題は。ただ、よく話題に上るのは、オランダには、パレスチナを支援しているオランダ人がたくさんいる(いた)。さる高官の夫人が、パレスチナを支援して、かなり論議をよんだ。最近おとなしくて、あまり、メディアにでない。なけなしのお金をせっせと、「かわいそうなパレスチナ人」のため、送っていたオランダ人はブツブツ文句をいっている。アラファトが自分の資産を、パレスチナのために、建設的なこと(子供・女性の教育、医療・福祉、インフラなど)に使っていれば・・・という。そうなんだけれど、オランダ人の「パレスチナ=かわいそうな人達」、「イスラエル=悪い、いじめっ子」、「アラファト=英雄、パレスチナ人の救世主」みたいな図式では、到底理解不可能だと思う。日本のメディアもその傾向がある。これは想像だけれど、莫大なカネを、パレスチナ人をゼッタイ信用せず、ヨーロッパの銀行家(フランスかスイス?)を信用したからこそ、アラファトがあそこまで生き延びたんだろうな。「カネは正義なり」「カネこそ、全て」この考えが理解できないということは、かつて「ケチ」で有名だったオランダ人は、すっかり変っているということだろうな。