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カテゴリ:今は亡き姑に
ダーリンのお母さん、私の姑は、私が初めてあった当時、すでに70代半ばだった。
ダーリンは、遅くに生まれた子供で、ダーリンのきょうだいは、私の母といくつも年が違わない。ダーリンの甥っ子も、私と6才違いだ。私とダーリンは、ちょうどダーリンの兄弟の世代と、その子供たちの世代の中間になる。 姑はどこからどう見ても「おばあちゃん」という感じだった。 最初、私はこのひとがとても怖かった。 出会いから、つまづいていた。初めて会うそのとき、私は姑に謝らなければならなかった。姑の、コンドミニアムの駐車場にタバコを捨てたのを、他の住民に見咎められ、姑のところに苦情が行ったらしい。姑は、怒ってはいなかったけれど、年も相当離れているし、日本から出てきたばかりで共通の話題もあるわけなく、最初に会ったファミリーディナーは本当に気詰まりだった。 姑は、典型的なブリティッシュの女性という感じで、あまり温かな母親の雰囲気はなかった。パキパキしていて、「ダーリンの母親」というよりも、「しゅうとめ」という言葉のほうがピッタリくる女性だった。ダーリンに対しても、子供のときから、べたべた愛情を示すようなことはなかったそうだ。 ダーリンと姑はあまり仲がよくなかった。ダーリンと姑が話をしていて、急に二人とも黙り込んでしまうようなとき、ほんとうに怖かった。 後から気付いたことだが、この二人は似ていすぎて、反発するようなところがあった。二人とも素直に、気持ちを表現できない人たちだった。 ダーリンのきょうだいは、中年というよりは初老に近い年になっていたので、あまり母親と衝突することはなく、程よい距離を保っていた。 ダーリンと私は、出会ってすぐに結婚を決め、一年もしないうちに実際、結婚してしまったのだが、姑からの反対はなかった。 ダーリンがそれまで付き合った女性は、なぜかいつも姑に気に入られなくて、姑は茶飲み友達や、ダーリンのきょうだいにこぼしていたようだが、私に関してはなぜか何も言わなかったらしい。 アジア人で、言葉もろくに話せない、若い女の子(私は当時、ことに白人からは年より若く見られた)。 きっと姑の敵にはなり得ないと思われたのか、それとも、姑も年をとってきて、攻撃的ではなくなってきていたのか? 日本に帰って、結婚したい人がいるということを実家の両親に話す段になったとき、姑は私に写真を持たせた。彼女の写真である。当時の姑より、10歳ばかり若く見えた。この写真を、日本に持っていって、両親に見せて欲しい、ということだった。 私とダーリンは、私の両親が結婚に反対するであろうことを、知っていた。ただ、その反対がどの程度なのか、想像もつかなかった。姑もそのことは承知していた。 写真は預かったものの、両親にそれを見せられるかどうか、わからなかった。写真どころではなくて、話さえ聞いてくれないかもしれないと思っていた。 勘当される覚悟はできていた。それでも結婚するつもりでいた。ただ、話だけ聞いてもらえたら。 日本に帰り、さっそく両親に結婚のことを話すと、あっけないほど簡単に話はついてしまった。もちろん賛成はしていないが、格別の反対もなく、拍子抜けするほどだった。 「この写真をむこうのおかあさんから預かってきたんだけど、」と両親に写真を見せた。 母は、「ふうん」と言っただけだった。 日本を発つ日の朝、私の母は、姑に渡すようにといろいろなお土産を用意していた。実は、写真を見せた時の反応から、そういうことを期待していなかった私は、両親からのおみやげという名目で、姑へのお土産を自分で用意していた。うれしい誤算だった。 無事、カナダに戻り、姑のところに報告に行った。たくさんあるお土産の言い訳も、全部ほんとうのことを話した。 「だから、大丈夫だって言ったでしょ」姑は笑った。 初めてこのひとが笑うのを見た、と思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.04 16:07:27
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