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ママのCity Hall日記

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ふょん@ Re:10年の歳月(10/08) コメントありがとうございます。 思い出し…

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是々非々 リカーマン1号さん

2008.07.17
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 鬱病の友人、知人がいる人は多いと思うが、そのたいていは鬱病の知識が乏しく、実際にどういう励まし方をしていいのかわからないのではないかと思う。

 励ますというのは、はっきり言って鬱病の人には、受け止めがたいことだ。気持ちはありがたいが、大きなお世話というか、何も知らないくせに、という反応の方が多いのではないかと思う。

 一番いいのは、「うん、うん」と話を聞くこと、押し付けがましくないコメントをしてあげることだ。コメントをしないのが相手の気分を害さない一番よい方法なのだろうけど、誤解されるリスクは高くても何らかの、コメントをして、「あなたのことを大切に思っています」というメッセージを発するのは大事なことだと思う。
 鬱の症状のある人の大概は、たいへんな孤独感に苛まれてもいるから。

 鬱の友人と話す時、薄氷を踏むような思いをすることが度々ある。

 私は、何と言っていいのかわからない時でも、何らかのコメントをする。時にはそのコメントのせいで、鬱がいっそうひどくなるんじゃないかと心配しながら。私の言葉の端をとらえて、落ち込んだりしないように、ひどく気を遣うことがある。
 返事をしないのが、一番簡単なのだが、それが見当違いなコメントだったとしても、何かを言うことで友だちとしての誠意を見せたい。

 それが相手にとって必ずしもいいことなのかどうか、迷いながらなのだが、一生懸命にコメントを探すことが、唯一、他人ができることなのではないかとも思う。本人はもっと辛いのだから。

 それから、鬱病の病状の一つとして、自分本位な考え方をするということもある。これも心しておかないと、病気が言わせた言葉に必要以上に傷つけられたりする。友だちとしては、ある程度の距離を置き、振り回されないようにしないと、結果、共倒れになる。
 鬱の状態が悪く、素人判断で声の掛けようがないときには、「私にはわからないけど、聞き役になってあげる」という態度が無難だと思う。鬱の友人に感情移入しすぎて、自分までおかしくなってきた時、どこまでが鬱が言わせた言葉で、鬱がとらせる態度なのかわからなくなってしまう。

 同情は禁物。病気の人に同情するほど、失礼なことはない。
 鬱の人と話していると、自分の精神の均衡がおかしくなってしまうような錯覚が時々ある。足元が崩れてくるというか、自分の考えが揺さぶられるような思いをすることがある。自分は壊れているのじゃないかと、思うようなとき、たいていは、鬱にペースをとられているのだ。 ちょっと距離を置いて、出直そう。

 鬱の人と会話をするとき、病気の相談事より、他のことに話題を誘導していったほうが気晴らしになる。鬱の時には、いろいろな欲が消滅して、食べ物や服なんかの話には興味がもてないだろうけど、友だちとしての共通の話題にはなる。こちとらは、鬱の専門医ではないのだから、病気の話より、話すことはたくさんあると思う。

 鬱の友人に言葉をかけるとき、いつもと同じであってよいと思う。わからないなりに、何かの言葉をかけてあげる、ただそばにいてあげる。病気の友も、きっと(いつかは)わかってくれる。

 鬱の人にとって、一番我慢ならないのは、欝でない人が、今私がしている風にレクチャーをたれること。
 でもね…、鬱の家族から見た欝への対処の仕方はこうなのだからしかたない。


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最終更新日  2008.07.17 16:12:07
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