空振りをどう捉えるか。
何らかの危機が迫っていて、対策を直ぐに講じなければ被害が予想される場合。その事象が確定されたものであり、時間的にも正確でなければ、なかなか世の中には認められない。確率は高くても警告の空振りをすれば、『それみたことか』と情報発信者は非難を受ける。また、そうでなくても警告が何度も空振りすれば、警告自体の重要性が受け手に感じられなくなり、情報は素通りする。先日の土石流災害でも、気象庁の過去数度の土砂災害警戒情報が空振りだったため、役場の職員はそれが重要だとは受け止められなかった。テレビでよく『識者』と言われる方々の中には『パニック論』を振りかざし、早期の警戒情報の発令に疑問を提示しているが、これがもっとも恐ろしい。知っている人間が居ながら、その情報を最も必要とする人に何も知らされないままであるとしたら…。警報は空振りに終っても、恐れずに発するべきであり、情報の受け手は平時から警報の持つ意味を正しく理解し、自分の身の回りに起こり得る危険な兆候を自ら知って置くべきだ。近年気象の観測技術は飛躍的に進歩し、空間的にも狭い範囲まで予測が出来るようになった。しかし、地域における地形の特殊性や一戸一戸の置かれた状況までは把握できない。警報で得られた情報を自分の安全につなげるには、自身の判断と行動が不可欠なのだ。台風も、雨も、土砂災害も誰も止めることが出来ない。自分の身に迫っているときには避難しか方法がない。避難することは大変なことだし、空振りで不快な思いをすることはあるだろう。しかし、知らされないままでいることのままで良いはずはない。【送料無料】 気象災害の予測と対策 / 饒村曜 【単行本】価格:2,415円(税込、送料込)【送料無料】高齢者・障害者の災害時の避難支援のポイント [ 災害時要援護者避難支援研究会 ]価格:2,000円(税込、送料込)