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2018.05.13
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​​​​​​​​お父様が
​これから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。​
と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。
このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。

また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。

今回は第2回目ですが、上述のお父様のみ言がここにありました。ご確認ください。


​文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 2​



歴史的意義をもった祝福子女修練会

 では、いつこれを始めるのでしょうか? 四十年が過ぎたきょうこの時間にこのような内容を話すのは、孝進君が韓国に行くことによって、三十六家庭を始めとする祝福家庭全体が一カ所に集めて一つにしたからです。この時参加しなかった人たちは、歴史的に慨嘆する時が来るに違いありません。このことを思うと、一つになって集まるその時間がどれほど重要な時間であろうかと言うのです。一次、二次修練会がどれほど重要であったかということです。

 ここでは、この世界のような自己出世という観念が認められません。“自分は学校のために云々”などの口実は条件として通用しないのです。そういう彼らは、長子圏、次子圏に上って来ることができないために、生まれていないのと同じです。そのような者たちが仕事の采配を揮うとか、第二、第三の目的を立てて追求するなどできない話です。それらはすべてサタン世界の因縁によってもたらされるものであるから、サタンの因縁に帰着してしまうのです。このことを確実に知らなくてはなりません。過ぎてしまったから言いますが、一次、二次に参加しなかった人は歴史的に問題になります。このように重要な期間であったのです。

 それで、今回も天がすべて役事する中で、可能な限りのすべての祝福家庭が皆参席したという消息を聞きました。天は哀れみの心を抱いて、初期の時代から先生について因縁を持って来たその人たちを、天がどこまでも貴重にみるために、皆その後孫までもその因縁に結んであげようとされたのです。その間、たしかに事故もありましたが、事故に遭った人が問題ではないというのです。もし、その事故が今回の摂理によって発生した事故であるとすれば、事故当事者は祝福された一人です。

 世界的蕩減期間を越えて

 この期間、即ち先生がダンベリーから移って迎える四十日と四十三日までの間は、世界的に蕩減の期間であるため、不祥事が多発するのです。例えば、日本での旅客機墜落事故や、あの船会社の事件などもそのようにみることができます。全部複雑な問題が起きるのです。そのため、こういう期間は、できるだけ子供たちを外に出さないようにとお母さんに言っています。

 私が一九八三年に韓国で大会を開いた時も、同じような時でした。韓国とアメリカとの世界的基盤を築いたその因縁を、国家的基盤に連結させることのできる重大な時機でした。その時、子供たちを集めて、「絶対に出歩いてはいけない」と言い聞かせました。言うことを聞かないで自由行動をしたならば、我々の家庭が蕩減するというのです。そのような立場で興進君が霊界に逝ったのですが、万一、興進君が逝かなかったならば、国家的次元で問題が起こったはずです。その時を前後して、韓国はKAL機事件、ラングーン事件に会いました。全部、その転換時期であるため、外的に内的に蕩減する時だというのです。

 そういうことを知っているために、先生は父親として、「あるべくならお前たち、このような期間には出歩いてはいけない」と言ったのです。私はお母様から、ある用事のことで出かけようとしきりに誘われましたが、私は「この二十日が過ぎてから」と言ったのです。このような摂理的内容を知っていたから、私はそのようにしたのです。

 ​このような時は、統一家にとって精誠を尽くさなくてはならない、とても貴重な時です。しかも、四十年を越えて迎えるこの時に、先生を中心にした世界史的カインの長子圏を立てなければなりません。かつてのカインは、サタンが讒訴することのできるカインですが、今、ここで神と一つになることのできる長子圏を立てなくてはならないというのです。長子圏は先生の家庭で立てなくてはならないというのです。先生の家庭には聖進兄さんがおり、喜進君がおり、孝進君がいます。その中で三代目の息子にあたるのが孝進君です。孝進君にとって、聖進君は兄さんにあたりますが、聖進君が生まれた時は、摂理を成功させることができませんでした。​

​​​ 次に生まれた喜進さんは、伝道に行く途中で汽車によって客死したのです。これに関連して、韓国統一教会の劉協会長が亡くなりました。劉協会長の三位基台では金元弼が一の立場であり、二番目が劉協会長なのです。二番目がいつも問題だというのです。これらの因縁が外的に蕩減されなかったために、私の家庭に潜入して来ました。それが完全に蕩減されなかったために、直系の父母様から生まれた二番目の息子興進様が逝ったのです。そうすることによって、この位置にいる喜進も連結し、劉協会長も連結し、イエス様も連結して、天上世界と地上世界が連結することのできる橋を高めているのです。​​​

 そのような理由で、私がお母様に言ってきたことは、私たちの家庭が受けなければならないすべての蕩減は、皆通過しなくてはならないというのです。そのような意味で、悲しいことがあったにしても、絶対に天を怨んではいけないというのです。天を怨むのではなく、我々が責任を果たせなかったことを反省して、自らの不足を責め、悲しい出来事を甘受しなくてはならないのです。

 私がいつもお母さんに言っているように、私が天の前に間違っているならば、その代価は子女を通して受けるのです。それは天理がそのようになっているからです。子女を通して蕩減しなくてはなりません。​万一、間違ったことをしたならば、その子女が必ず悔い改めて倍価の努力をしなければならない立場になるのです。その間違ったことを知りながら、過ぎた日の父母様に与えたすべての心の痛みとか、食口たちに被害を与えた過去のすべてを反省して、深く悔い改めなくてはなりません。​

 長子の使命

 このような観点から、もし孝進君にそのような過ぎ去った日々があるとすれば、それによって天の前に帰って、過去を完全に切ってしまい、アベルのような立場て忠臣・孝子となる彼らの前に立って悔い改めた後に、そのアベルのような孝子や忠臣以上に努力するというような立場に立つならば、そこから初めて、今まで述べてきた長子圏の出現が孝進君を通して成るようになるのです。

​ 聖婚式を挙げた真の父母の息子が、本来の長子の座に立つことができるということです。そのような観点から、伝授式が行われなければならないのです。​

 しかし、そのすべての責任は私が負うのです。四十の峠を越える、第二次大戦以前に、私は家庭的出発をすることができなかったのです。しかし、第二次大戦後の四十年が過ぎた以後において、家庭でなく、自分の息子・娘を通して世界的な出現をさせることのできる基盤を連結させることによって、過去四十年の期間は失った期間でなく、探し求めた天の期間として、立てることのできる重要な時点、重要な過程であると見るのです。それは私が探したものであるから、私が孝進君のような年齢で出発した当時、世界的な舞台に出現できなかったために、自己の一代にできなかったことを、代身者としての第二世を世界的舞台に立たせる基盤に連結させることができるのです。

 それは何かと言うと、長子は父の代身として、仕事の責任を負わなくてはならないからです。又、難しい事は、統一家において原理が教えるすべての課題を、自ら進んで責任を負うことなのです。

 父母というのは子供のことを考えてから、自分を考えるのです。これが原則です。先に子供を愛してから、自分を愛するのです。夫婦の間で、子供を愛する妻を持つ夫は天に感謝しなければなりません。子供を愛する妻は天の側に立つことができるからです。又、子供を愛する夫を持った妻は、天の夫として侍らなくてはならないというのです。子供を愛することのできない父母は、天の側の父母として侍られる立場に立てないと見るのです。そのような意味で、孝進君を誰よりも愛するのはお母様なのです。もちろん、先生も愛しています。が、先生は愛するという話をしません。

 サタンは私の家庭の長子を引っ張って行こうと、あらゆる手段を講じていました。これを止めるために興進君が蕩減しました。孝進の身代りとなって、興進君が急死したのです。興進はアベルの位置において犠牲になりました。それは、イエス様の犠牲と同じ意義があります。イエス様が犠牲になられたのは、兄さんの立場に立つ全人類を救うためでした。即ち、長子であるカインを救うために犠牲になったのです。

 興進君の犠牲により、我々の家庭は完全な蕩減条件を立てることができました。これを契機に孝進君は一大変化をしなければなりません。興進が父母に精誠をこめて尽くしたように、孝進も父母に尽くさなければならないのであり、身代りとなった興進の分も合わせて、二倍の努力をすることを決意しなければなりません。このような衝撃的な事件に見舞われた私たちの家庭に対して、世間一般の目から見れば、身内を失った不幸な出来事と思われがちですが、御旨の面から見るならば、このことにより、新しい家庭的復活圏が繰り広げられていくのです。

 統一家の伝統

 そこで皆さんに急に集まっていただいたのは、きょうが八月十六日、四十年の峠を越えて初めて迎えるこの日の式を行うためです。

 今までの歴史は、兄が弟を殺して血のいけにえにし、弟から奪取し、犠牲にさせることの繰り返しでした。しかし、今からは、これが反対になるのです。今まで、神の側の息子の位置に立てられたアベルが犠牲になってきましたが、その目的は長子圏復帰のためでした。従って、神側の長子として生まれ変わるための歩みは、天の側の長子圏のその伝統を、死と血の歴史でもって作り上げてきたのです。この伝統が、正に統一家の伝統であることを良く知っておかなければなりません。

​ これから、先生以後に、孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。しかし、長男がすべてにおいて不足のため、伝統を受け継ぐことができない場合は、兄弟たちを集めた公的会議の場で話し合わなければなりません。兄自身が自己の不足を認め、「家庭の伝統を立てることができないために、誰かが私の代わりに立って欲しい」と願い出るべきです。そのような要請があれば、公的会議または家庭会を開き、全員が祈祷した後に選定されなければなりません。​

 では、どのような人を選定すべきでしょうか。より犠牲になってきた人、よりアベル的伝統歴史を受け継いだ人。命令だけするのではなく、命令を受ける人に福を与えるための道を行く人でなければなりません。今まで、サタン世界のカインは命令して、搾取して殺そうとしてきました。これからのカインは、天の側の長子の座に立つのですから、今までとは反対になります。アベル伝統の歴史を受け継いだために、全体のためにより犠牲になろうとする人でなければならないし、誰よりももっと苦労しようとする人でなければならないのです。先生もその原則に従い、そのような伝統を立てるために一生を捧げて来ました。数多くの宗教者、数多くのキリスト者、数多くの歴史的な聖人たちがいますが、その中において、サタン世界を復帰するために、誰よりも犠牲になろうとし、誰よりも為に生きようとして来たのです。

 統一教会に三十六家庭が定められてから、三十年歴史を迎えようとしていますが、私は今以って彼らの為に生きているのです。これが伝統です。

 この伝統は、先生の子女たちは勿論のこと、食口たちも守らなくてはなりません。このように兄さんの位置に立つということは、いかに難しいことかを良く心得ておかねばなりません。すべての困難は彼と共に相談しなければならないのです。長子は全体の困難に責任を背負い、神の代りに伝統を受け継いだ責任を果たすために、できる限りの精誠を尽くさなければならないのです。

 できないという話は言えないようになっているのです。難題を抱えた時、「そうか、後で考えることにしよう。研究してみよう」と、こういう言葉は良いが、頭から、「それはできない」と言ってはならないと言うのです。目的さえ善であれば、「しなければならない」と言い、自己の持っている力を活用して兄弟たちを動員し、目的達成のための陣頭指揮を取るのです。どの後継者もそのようであるならば、統一家の伝統は永遠に継承されるのです。これから生まれてくる我らの後代の長子、後孫は絶対に、自己中心に生きる今日のこの世の権力者の真似をしてはならないというのです。

 中心というのは、すべてのことに責任を持つ位置にあります。中心の位置に立つ者は、すべてを与えることのできる人でなければならないのです。中心とは責任を負い、与えるばかりでなく、保護してあげることを知らなくてはなりません。このような伝統的歴史が、復帰摂理過程で綴られてきました。堕落以後、アベルがカインに殺されて死んだのは、神のために、次にはカインのためでした。

 心情の極限に立って

 このことは、特に孝進君がよく知っておかなくてはなりません。今回、韓国と日本を連結させて帰ってきましたが、これは実に驚くべきことです。これからは、韓国と日本で誠を尽くした以上の基準で、アメリカにいるすべての食口たちが孝進君を尊重しなければなりません。

 孝進と言えば、昔の孝進を誰も知っていますが、今の孝進は知らないのです。ここ二、三カ月にわたって起きたいきさつは知らないのです。CARPの責任者となって本を出したり、日本で活躍したことを知らないでしょう? しかし、この事実というのは、孝進の一生において革命的なことなのです。加えてこの事実は、世界史的デビューへの看板を掲げたことに等しいのです。

 ここで、良かったか悪かったかの評価を受けるのです。幸いにして、素晴らしい評価の言葉が韓国の代表から、韓国の家庭から、韓国の食口たちから伝わってきました。それに加えて、更に日本でも同じような評価をしてくれています。そればかりでなく、祝福を受けた二世たちの歓待と称讃を受けることによって、両親を含め、私の家庭の誰よりも勝(すぐ)れている立場の証を立てることができました。全員が一つになっても、それと取り替えることのできない代表者となって帰って来ることを期待していましたが、孝進は立派にその責任を果たしました。

 天の御旨の中で繰り広げられた今回の修練会に対して、神様が見つめる観点はどういうものだつたでしょうか。始め修練会の責任者として立てられた時、「原稿を準備しないで行って、祈祷しなさい。精誠ここめて祈祷するように」と言いました。弱き者であるから、羊のようなイエス様と同じ立場で、何も知らない孝進が今ダビデのようにゴリアテの前に出て、ありったけの力を出して神を信じて、石投げを持って立つのであるから、それはどれほど苦しかったことでしょう。そのような心情の場に置かれたというのです。

 孝進が神にすがり父母にすがって摂理の第一線に立つというその心情を持ったならば、神は無条件に協助するようになっているのです。だから、この事が普通の事でなかったのです。先生のこの監獄生活の全過程で、四十年を越える前後を中心にして、このようなすべてのことが偶然の一致のような結果をもたらしたということは、内的な面で神が数理的な計画を進めてこられたその基盤の上で始められたということを、孝進が知らなくてはならないのです。そのお陰で、今回有終の美を飾って帰って来たというのです

 私が一番うれしいと思うのは、韓国の皆さんが孝進の送別会をしてくれた後、飛行場には見送りに行かないことにしたにもかかわらず、二世たちが全員出て来て金浦飛行場に集まり、たいへんにぎやかな見送りをして周囲を驚かせたということです。指示はしなかったけれども、自ら進んで動いた、この事により、二世たちをして天の福を受けることのできる条件ができたことを皆さんに言っておきます。



<その3に続く>



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最終更新日  2018.05.13 19:30:05
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