奇  知  外  記

2018/05/26(土)00:19

師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!

分派(祝福権委譲と異端者・爆破者宣布ほか)(360)

​​​​​師観のブログ記事(2018-05-25)記事から。 独生女に対する最近の議論(2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されている)​http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-364.html​​​​​​貞操を守っていることが変わり者扱いされているのです。お陰で、今頃 純潔を唱えると白い目で見られる有様です。 ・これはサタンの戦法といえるでしょう。神から来た真理は”取って食べてはいけないのです”が、サタンはその真逆を言うのです。 そして、それを人々に定着させ、一般化していくのです。そして、それを未だ受け入れていない人々を変人扱いにするのです。 ・家庭連合も「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくのです。 やがて、これが信徒の間に定着し、一般化していくとどうなるでしょうか。”あなた、未だ ”「独生女」や「女性メシア」”論を受け入れていないのですか?ということになって行くでしょう。 TMは八大教本から原理講論を除くことを主張しましたが金栄輝先生がそれを守った話は有名です。 原理講論には「独生女」や「女性メシア」論は出てきませんので、取り除きたかったのでしょう。 ・組織信仰とは恐ろしいものです。組織の言うことが絶対化され、個々人の良心がなおざりにされていくのです。 451年のカルケドン会議では、キリストとは「真に神であって真に人間である」と宣言されキリストは神性と人性の両性を持つ存在でした。 然るに、いつの間にか、神性だけが強調され、人性は忘れさられ ”独神性”になって行くのです。「独生女」が「独占女」になって行くのなら2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されているのでしょう。 注:「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくことは問題ですが、それが即free sexを定着させるサタンの戦法と同じだと言っている訳ではありません。内容は随分違いますが、原理と真逆のことを言って、それが広がり定着していくという構造は全く同じなのです。だから、注意しなければいけないのです。 ​​​​​師観氏のこれはフリーセックスと「独生女」を同じに見ての批判記事だが、そうまでしてもお母様を貶めたいのだろうか? まずもって、「お母様が八大教材教本から原理講論を除くと主張した」は、私には初耳だがどこからの情報か?意外と匿名者投稿のPカフェ情報ではないかと思うのだが。 また、「独生女」は原理にはない間違いであるといった主張は何処から出てきたものなのかだ。 「独生女理論」「独生女論」などといっては、その裏返しが「独生女批判理論」であったことはこれまでも私tomy4509が証明してきたものであった。 ​「独生女」の言葉そのものを最初に語られたのは、お父様だ。​ そのみ言全体の中で「独生女」は約180回あるとのこと。「独生女批判理論」からはお父様の語られたそれが一つとして聞かれない。師観氏の文中にも「八大教材教本」が出てきたが、その中の黒・天聖経にも「独生女」が書かれていた。 お母様の「独生女発言」だけをもってして、師観氏は家庭連合はお父様を忘れ去ろうとしているというが、お父様の「独生女」を語らない師観氏らこそがお父様をどこかに置き去りにされておられるのではなかと言いたい。 また、451年のカルケドン会議がどうだというのだ。家庭連合をこれまでのキリスト教の枠で測ろう(謀ろう=騙そう)とでもいうのか。 「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」だ。 さて、サタンが恐れるものが「真の父母」である。 2000年前のイエス様の時はサタンの三大試練にもあった。「独生子(独り子)」であっても十字架に架かればそれまでだった。血統を連結することが出来なかった。 本来ならイエス様は結婚していれば、十字架に架かることはなかったという。ために「再び来る」と言われたのだ。そして、何をするといったのか。「子羊の婚宴」だ。1960年がそれだった。 分派の(祝福家庭の)方々はそれをも忘れては「自己の位置を離れ」ているようだ。1)神と同じ立場に立てない2)自己の位置を離れる3)主管性を転倒する4)犯罪行為を繁殖するなかでもサタンが最も恐れるのは、「独生女」であることは言うまでもない。 イエス様がニコデモに語られたのがそれだ。堕落人間であっても、再びその胎に入って生み変えられなければならないと言われた。「聖霊」を迎えなければ「独生子」のイエス様一人では何もできない。原理講論(「重生論」)にも書かれた内容である。その実体の聖霊がこんにちの「お母様」であることは言うまでもない。こんにち、「独生女」の出現によってそれが可能となったという話だ。 私たちはこれを信じて祝福を受けてきたのではなかったか。 お父様ひとりでは不可能な事だった。 また、「原理本体論」もまた絶対『性』、堕落のないアダム・エバについてかたられたものであった。 「天宙父母実体み言宣布大会」は!! 師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事だ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵 すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓    ​​​​​

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