|
カテゴリ:UCI、サンク
コスモスさん記事の「家庭連合?新しい教義」は何も今に始まったことではない。
お母様発言から支流人らが言ってきていたものであり、私の過去記事で「原理講論とは矛盾しない」と結論付けていた。 以下はコスモスさんからの引用: もうcocoaさんのところに動画がありましたが、私個人の意見としてだが、摂理の中心宗教キリスト教ではなく儒教の家庭に生まれたお父様が原罪なく生まれたとは言い難い。それについて説明できる方がいるか聞いて回っているが、現在なおその回答を得ていない。 サンクの澤田治平氏も本部教会前で騒ぎまわっているが、彼自身も応えることは出来ないだろう。 名古屋4万名大会で初めてその姿を見たが、哀れとしか言いようがなかった。 さて、聖書からイエス様は「再臨のエリヤは洗礼ヨハネだ」と語っていたが、原理講論の「復活論」からの引用は以下。 これに関する実例を聖書の中で挙げてみることにしよう。マタイ福音書一七章3節に、エリヤが霊人体としてイエスとその弟子の前に現れた記録があるのを見れば、エリヤがそのまま霊界にいるということは確実である。ところが、マタイ福音書一七章12節を見れば、イエスは地上で生活している洗礼ヨハネを指して、エリヤであると言われた。イエスがこのように言われた理由は、エリヤが洗礼ヨハネに再臨して、彼をして、自分が地上で完成されなかった使命まで代理に完成するように協助して、再臨復活の目的達成をさせようとしていたので、使命的に見れば、洗礼ヨハネの肉身は、正に、エリヤの肉身の身代わりともなるからである。 聖書でこれに関する例を挙げてみれば、洗礼ヨハネはエリヤの協助を受けて、彼の目的を立てていったので、彼はエリヤが地上にいるとき完成できなかった使命まで、みな完遂してやらなければならなかった。したがって、洗礼ヨハネの肉身は、エリヤの肉身の代理でもあったので、イエスは、洗礼ヨハネをエリヤであると言われた。これらの引用を応用すれば、コスモスさんほかが疑問に感じたことも容易に納得できるはずだ。 お父様は「再臨主」。 つまりは、洗礼ヨハネが再臨エリヤであったように、イエス様がお父様に再臨協助してその使命を全うされた、と考えればよいことだ。 イエス様が再臨協助されることで、お父様も「独生子」の位置まで進むことが出来たし、さらには、1960年の真のお母様「独生女」を捜しての聖婚式が「小羊の婚宴」であり、黙示録の預言が成就することをもってお父様「再臨主」としての証しも立った。 「独生子」×「独生女」=「真の父母」(小羊の婚宴)であった。 支流人らのお母様「独生女」否定はこれに反するものであり、むしろ、このことこそが「お父様は再臨主ではない」と明言しておられるかのようだ。 その先頭に立っているのがH3、H4であり、彼ら自らがお父様・再臨主をも否定した中で「真の家庭」だと名乗る資格を喪失してしまっているのが現実である。それに付き従う支流人の方々は何処に向かているというのだろうか? 「真の家庭」を名乗るH3、H4の先にお父様(真の父母様)がおられるかどうかは自明である。 原理講論にはまた、多くの教訓も盛り込まれている。因習に囚われることなく、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」だ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.20 01:16:18
コメント(0) | コメントを書く
[UCI、サンク] カテゴリの最新記事
|