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奇   知   外   記

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2020.03.05
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カテゴリ:UCI、サンク
​​とうごま氏は知恵者であると信じた私tomy4509がバカでした。
お父様が語られていた「独生女」まで隠蔽しては、なおの批判にどのような正義がありますか。実名を並べたところで同じです。デマを垂れ流しては恥の上塗りをしているだけです。

今回のとうごま氏記事「中村仁史氏に対する「教義研究院」公式批判文書・7つの根本的な誤り。」(2020.03.04)は、「7つの根本的な誤り」などと7項目ですが、2013年に祈祷の神様呼称を「天のお父様」から「天の父母様」変えたということが主なものでした。原理講論やお父様のみ言の「天の父母様」はOK、祈祷呼称「天の父母様」はNGというものです。その論拠を見れば、まさに詭弁でしかありません。

結論から言えば、「天の父母様」の呼称に変更した真のお母様にケチを付けたいだけのものです。
一方では「神観」を挙げておきながら、中村氏の論点は「呼称変更」だといっては教理研究院は論点をする変えているとかですが、論点をすり替えているのはどちらでしょうか。
重要なのは神観ですか? 呼称ですか?
呼称は神観について回るものです。であれば、「神観」でしょう。
以下もとうごま氏記事引用から:
家庭連合(韓鶴子女史)は、神様に対する呼称を「天のお父様」から「天の父母様」に強制的に教義レベルで変更した。それを実践すれば、家庭連合は、「一元二性」の神概念から、「父なる神と母なる神」という「二元論」の神概念に転換した事になるという事実を指摘しているのである。(*これは大切な論点であるから今後大いに議論してもらいたい。)
これに関しては既にお父様のみ言からゴミ箱行きは決定していました。私の記事「とうごま氏のデマには要注意を!! 「家庭連合は二元論ではない」」にて紹介したものでした。「天のお父様」「天のお母様」と分けて考えることが出来ないというのです。また、2011.01.22付のみ言(『TWJ』2011.天暦1月号P.18)で祈祷の呼称に関して以下のようにも語られていました。よくも調べもしないで情報が薄いです(笑いものです)。



もはや議論の余地もなしです。とうごま氏の妄想のみが宙を舞っています。

中村氏ビデオで挙げていた引用について:
●中村仁史氏が引用したアボニムの御言​​

『神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。何ですか? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。
(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。
その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです。』 (『文鮮明先生御言選集』 182-61 1988.10.14) ​​
これに関しては次の記事で『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をあげますので、皆さんで判断してください。中村氏が引用した部分は赤字にしていますが、中村氏以外の方が翻訳されたもののようですので少し違っています。男性格主体に女性格主体となれば「二元論」となるとお父様のみ言から読み取れると思います。男性格主体と女性格対象の中和体ということでしょうか。
創造原理から正(神様)から分かれた人間の男女を見ても、陽性のみが男性、陰性のみが女性とはなっていません。合(夫婦)となってもどうでしょうか。『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をお読みください。

この二つの引用文を語ったのは、誰なのだろうか?
中村仁史氏が「公開礼拝Ⅰ」で「天一国経典」の翻訳編纂過程の問題点を告発したように、韓鶴子女史は、御言の「出典」「出典日」「誰が語った御言なのか」という「出典索引」をすべて抹消することを指示した。​
これに関しても私の記事「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」(2020.01.31)「今朝の訓読からです」(2020.01.31)にてその出典については別冊にて掲載されていることをすでに書いていました。そういったことも確認されずの反論では情報(心)が乏しすぎます。

 


教理研究院からも中村氏については以下のように書いていました。
『サンクチュアリ教会に追随する中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったと言わざるを得ません。』
目の前に出されたお父様の韓国語み言を翻訳したかもしれませんが、そのみ言一つ一つの全体を確認してのそれではなかったはずです。また、ほかのみ言との関連性についての研究などもされてはいないでしょう。明らかに「元「光言社」職員さんの証言--「文字の奴隷」でしかない」「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」が彼の姿です。韓国語のお父様のみ言から「独生女」を見られては、それを隠蔽し批判されることそのものに彼の翻訳者としての良心は何と言っているのでしょうか?



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.03.05 06:20:40
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