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2020.06.26
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​​​​韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁

真のお母様の生涯 概観3

第3部 荒野路程と真のお母様の勝利


真の父母様は、聖婚式以後、歴史上初めて人類の父母の位置に立たれ、父母として人類を救うための祝福結婚の道を開かれた。また、万物を天の前に立て、世界の復帰のための本格的な活動を始められた。そのような内容が、聖婚式後の7年路程を通して成し遂げられた。

7年路程とその摂理的意味

真の父母様は、1960年から3次にわたる7年路程を設定され、内外的基盤の拡大に拍車を掛けられた。特に聖婚後の7年は、真のお父様の21年路程の中の完成期路程であると同時に、内的には真のお父様が完成した一人の男性として真のお母様を迎え、家庭的な勝利を決定する時であった。同時に、真のお母様がサタン世界の讒訴条件から抜け出し、堕落によって失った娘と母の基準、真の父母の基準を実体的に復帰する期間だった。

聖婚後の3年間、真のお母様に対して、あらゆる中傷と謀略、憎しみの矢が向けられたが、大母様はすべてのことを啓示で先に御覧になり、これを防ぐ責任を果たされた。真のお母様は、「聖婚後、大母様は私に起きるすべてのことを啓示で御覧になりました。誰が立ってもこの立場は困難な立場でしたが、大母様がいらっしゃったので克服することができました。すべての女性の過ちを大母様が清算されました」と、当時の大母様の使命を説明されている。

真のお父様の21年路程と真のお母様の7年路程、そして統一家の第1次7年路程を完全に乗り越え、その基盤の上で氏族的・国家的・世界的基準の第2次、第3次7年路程を出発するようになったのである。

真のお母様は、切迫した摂理路程の中で、いつも真のお父様の後に黙って従いながら、献身と忍耐の一貫した生活を送られた。服の一着も思いどおりに買うことのできない、影のような生活をされながらも、12人以上の子女を生まなければならないという摂理的な使命を果たされた。真のお母様は、1961年の譽進様をはじめとして、21年の間に回復する間もなく14人の子女様を出産なさった。

真のお母様は、「1971年から1975年までの5年間に3、4回自然流産がありました。お父様がアメリカに来られ、テロの危険に直面するなど、最も困難な時期でした。そのようなお父様に侍って回るので、あまりにも緊張する中で自然流産せざるを得ませんでした」と回顧されながら、「その後、今でも冷たい水でシャワーすると悪寒を催し、5分ほどは動けないようになりました」と語られた。

アメリカでの蕩減路程の勝利

真の父母様は、1976年10月4日のワシントン大会の勝利祝賀集会で、「天勝日」を宣布されたのに続き、1977年2月23日の真の父母様の聖誕日に​「地勝日」​を宣布された。その日は、真のお母様が33歳を越えて最初の聖誕日であり、「34歳の誕生日を、天と共に喜びの中で迎えたかったイエス様の願いを、地上で真のお母様を通して蕩減する条件の日」でもあった。この日、真のお父様は、「この日を期して、先生とお母様が行く道において、新しい次元の時代が開かれた」と語られながら、「1976年が終わり、お母様も完全に解放された」と宣言された。

真のお母様は、1977年5月3日の真の父母様の聖婚17周年記念日に、最初の公式的な、生涯を回顧する証をされた。この日、真のお母様は、「私が歩んできた道は、考えただけでも耐え難い苦難の連続だった。神様はお父様に試練を与えられたように、私にも何度も試練を与えられた。そしてサタンもお父様とイエス様を試したように、私に対しても試した。メシヤが通過されたものと同じ、そのような苛酷でひどい試練を、この弱い女性が通過したというので、皆さんは信じることができないだろう」と語られた。

真のお父様は、この日、真のお母様に対して、第1に霊感が鋭く、天性的に鑑別力が優れていて、第2にみ旨に対する絶対従順、目的を中心とした忍耐心が確固としており、第3に与えることが好きな性稟をもたれ、第4に多くの子女様を生み育てられた功労が大きいと褒め称えられた。

1960年の聖婚以後、1977年の「地勝日」の宣布まで、真のお父様の後ろで、真のお父様を無条件信じて従う絶対対象の生活を通し、真のお母様は万難を克服して解放されたのであり、これは取りも直さず真のお父様の成功であり、勝利であった。

一方、1972年からアメリカ全域で野火のように起きた統一運動は、既得権層の反発を呼び起こしながら、アメリカの裁判所は脱税容疑で真のお父様を起訴した。真のお父様は、数回の裁判を経て、1984年7月20日にコネチカット州ダンベリー連邦刑務所に入所された。その後、1985年8月20日まで13ヵ月の間、苦難に遭われた。



真のお父様は世界的なゴルゴタの峠を越えながらも、決して挫折されなかった。ダンベリーの獄中でも、「共産主義の終焉」を宣布させ、多様な勝共運動を展開して、冷戦の終息を早められた。また、1985年2月1日の明け方に、イーストガーデンにいらっしゃる真のお母様に電話を掛けて、霊界と肉界の門を大きく開いてつなぐ「開天門の日」を宣布された。

真のお母様は、真のお父様が収監された日を思い出されて、「お父様を送らざるを得ない私自身の無力さが限りなくもどかしく思った。何度も唇をかんで、心を強くもとうと努力したが、我知らず流れる涙を抑えることができなかった」と当時の心情を表現された。

真のお父様の面会時間には決まって真のお母様はダンベリーにおられた。真のお母様は当時3歳になる情進様と手をつないで、毎日のように誠意をもって真のお父様にお会いになり、面会を終え、坂道を下りていかれる時は、必死に涙をのんで振り返り、真のお父様に親しく手を振られた。

真のお父様の投獄自体、真のお母様にとっては耐え難い十字架であったが、それほどの重荷を背負っても、黙々と歩まれる真のお母様を見つめながら、食口たちは心を一つにして頼った。真のお母様は真のお父様に代わって、記念日や行事など、内的な大小の事柄を指揮され、同時に「科学の統一に関する国際会議」などの外的な行事や貴賓との面会など、忙しい日程を消化された。

1945年から1985年までの40年世界的荒野路程において、真のお父様と真のお母様は、すべてを犠牲にされながら、ひたすらみ旨の成就のために歩まれた。特に聖婚後における真のお母様の心情的な苦難が大きかったが、そのすベての試練を勝利され、摂理を世界的次元に拡散させることができたのである。







一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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すなわち神様の知恵

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Last updated  2020.06.26 21:52:30
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