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奇   知   外   記

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2020.08.07
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韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁

第6部 最終一体宣言と天一国時代

3. 真のお父様が有り難く思う真のお母様

14人の子女をお生みになった真のお母様


お母様は子供をたくさん生みました。それでも、今まで健康なので、なんと有り難いことだろう(韓国語でコマウンヂゴ)。「ヂゴ(至高)」というのは、極めて高い宇宙の母になるということです。挨拶する時に、「真の父母様、なんと有り難いことだろう」と言うのです。(601-316, 2008.11.10)

どうしてつわりがあるのでしょうか。願ってもいないのに、つわりがあるのです。赤ん坊の性格に応じて補給し得る要素を集結させる行動です。有り難いことなのです。そのようなことを知ってみると、有り難いことなのです。「これほど私に苦労させて、どのような息子を我が家に授けてくれるのだろうか。貴い贈り物が我が家にやって来るために、このような環境をつくっておくのだな」。困難であれば困難ななりに、お母さん、お父さんが「ため」に生きれば生きるなりに、胎教の中でもそのような胎教はありません。母は息子、娘を大切に育て、その父の血族の前に礎石となるようにしなければなりません。レンガの家を建てる際に、息子を育てて、レンガの家を早く積み上げることができるようにするのが母親の責任です。畑で収穫した穀物を倉庫に積み、その門中、家と家で暮らす人たちを喜ばせるためにするのと同じ立場です。良い実を収穫して、父の前に送るのです。私の妻は、子供を13人も生んで育てるのに苦労しました。(358-50, 2001.11.1)

お母様は20年間に12人以上の息子、娘を生んで、ヤコブの家庭を完全に蕩減復帰しなければなりません。イエス様の12弟子が一つになることができずに、イエス様を売ってしまいました。別々の氏族によって結ばれた兄弟圏が問題でした。ヤコブの家庭では、4人の女性を通して生んだ12人の息子、娘をもったので問題になりました。その問題を克服するためには、20年以内に12人以上の息子、娘を生まなければ、お母様の使命が不可能になります。そのような面から考えると、20歳を越えたら、(真の)お母様になることはできません。満18歳までです。数え年では19歳までです。ですから、40歳のお父様が17歳のお母様と結婚したのです。お父様が16歳の時にすべてを決心して出発したように、女性も16歳を越えて、その基準に合わせなければ、女性の解放圏を連結する道がありません。(247-255, 1993.5.9)

先生の直系家庭も12人の息子、娘がいなければならないのです。ですから、お母様は本当に有り難いのです。20年の間に、全部で13人生みました。これが内外に連結できるのです。12方数を連結させることができるのは長子です。先生における長子だというのです。皆さんは、孝進兄さん、譽進姉さんと言いながらも、それがどういうことなのか分かりません。皆さんのお父さん、お母さんよりも、先生の息子、娘と一つにならなければなりません。なぜかというと、長子と次子が一つにならなければならないのですが、皆さんのお母さん、お父さんが生んでくれたとはいえ、本然の父母の道を通らなかったというのです。あくまでも他の系統から生まれたのです。ここからカイン型とアベル型が出てきたのです。長子がこの地上に先に生まれました。それが恵みなのです。皆さんは祝福を受け、蕩減の道を行ってきたという条件があるので、次子として生まれたのです。次子の立場です。皆さんは長子の嗣業にただそのままついて行ける立場にあるので、それが恵みだというのです。(120-331, 1982.10.20)

お母様は子供を18回以上身ごもりました。14人生んで、残りは流産しました。薬を飲んだのではありません。疲れと過労が原因でした。私はそのような歴史をよく知っています。4人を生むまでは病院にも行けませんでした。エデンの園で妻が赤ん坊を生むのに、そこに産婦人科があるでしょうか。興進君の出産時には、どれほど苦労したかしれません。死んだ赤ん坊を生んだようなものでした。その赤ん坊を生かすために大騒ぎしたことが印象に残っています。(441-115, 2004.3.3)

お母様は、生むべき子供の数を満たすまでは苦労しなければなりません。お母様が14人の赤ん坊を生みました。どれほど苦労したことでしょうか。先生が世界を巡回する際に、お母様が子供を生むことも知らずに回りました。榮進を生む時はドイツに行っていました。榮進は頭が大きくて、お母様は苦労しました。けれども、先生は、お母様が子供を出産するのを見守ることができませんでした。祝福家庭の相対世界をつくるために忙しかったのです。(500-239, 2005.7.12)

有り難く思う真のお母様

お母様に対して有り難く思うのは、先生を信じているということです。夜でも明け方でも、一人で寝かせておき、あとで入っていっても安心して寝ることのできるお母様を得たということは幸福なことです。この世ならば、けんかだけで済むでしょうか。1ヵ月も暮らせずに別れます。(459-53, 2004.7.10)

お母様が立派なのは、先生の言うことをすべて信じたということです。先生を絶対的に信じ、先生の言ったとおりに絶対的に従おうとしたのが、お母様の偉大な点です。数多くの女性たちが反対する立場でしたが、それを消化して、父として信じられる娘の立場に立ったのです。復帰路程であるので、娘として父に足りないところがあっても、自分がすべて責任を負いますと言うことができてこそ、エバが罪の根を抜き取ることができるのです。(325-170, 2000.7.1)

お母様が立派ですか、先生が立派ですか。私は植える人で、お母様は種を受けて育てる人です。育てて何をするのでしょうか。私たち夫婦二人がしたことは、神様が喜び得る農地となり、神様が春夏秋冬、御飯を食べる時に、お前たちと一緒においしい御飯を食べようと言えるようでなければなりません。初めて息子のする生活を共にしたいのです。(565-24, 2007.6.5)

お母様が立派なのは、私がどのようにしたとしても耐える時は耐え、拍子をよく合わせます。先生は火のような性格をもっています。少し誤っただけでも雷が落ちるのです。(227-248, 1992.2.14)

お母様が私のことを支えるために千辛万苦、どれほど精魂を込めたか知っていますか。お母様が苦労したことを称賛しなければなりません。とにかく立派な夫に仕えるのにどれほど神経を使ったことでしょうか。一言話すにも用心深くならざるを得ません。自由がありません。いつも神経を尖らせ、薄氷の上を歩くように、「きょうは安らかだろうか。明日は安らかだろうか」と、毎日神様に感謝する生活をしたのです。それを私は知っています。私は小言を言いません。そこに拍子を合わせたところ、高潔なお母様になったというのです。(202-228, 1990.5.24)

お母様はかわいそうです。休ませる間がありません。きょうも、昨夜、2時間も寝られなかったので目まいがするというのを私が引っ張ってきました。「あなたは公的な人である。目まいがするといって、寝られるような幸せな立場にいられない。行くべき責任と全体の表象になるためには、嫌でも行かなければならない」と言ったのです。それをお母様はよく理解したのです。先生は厳格な人です。公的なことには容赦ない厳格な人です。その場で死んで倒れたとしても、事情をくんであげることはしない性格です。また、だからと言って、お母様が倒れることはないのです。(100-309, 1978.10.22)

お母様は、私につき従いながら、多くの苦労をしました。世界大会だとか何だとかいって、ひどく苦労して、あらゆることを見てきました。お母様が40大学巡回講演をしたことは何でもありません。この真ん中に出てきて闘うのです。あらゆることをしました。ですから、世の中のどのようなものを見ても平気です。お母様は私と出会って多くの苦労をしました。お母様に対して有り難く思うのは、先生の命令ならば絶対服従することです。結婚すると同時にすでにそうでした。(252-115, 1993.11.14)

お母様は、日ごとに高まる感謝の気持ちをもっています。ですから、「アッパ(お父さん)、ありがとうございます」と言うのです。娘のように考えるのです。「アッパ!」と言ってです。先生もお母様に向かって、「オンマ(お母さん)!」と呼びます。先生が子供のようになるのです。それが統一教会の素晴らしい夫婦像です。未来においても消えることのない、このような立派な夫婦像が、万民を通して崇拝されるべき母体である真の父母像にならなければならないと思います。そのような夫婦を崇拝するようになれば、皆さんも間違いなく尊敬するその夫婦の影のようになっていくのです。その影がより一層濃くなるならば実体となり、年を取った父母様は霊界へと移行していくのです。(257-323, 1994.3.16)

先生は幸せな男性ですが、何ゆえに幸せなのでしょうか。髪が伸びて、「オンマ、私の髪が伸びたよ」と頭を出すと、髪も切ってくれるし、爪が伸びて、「爪が伸びたよ」と言えば、爪も切ってくれるのです。また、足の爪を見て、「歩くとここが当たるので、足の爪をちょっと切ってくれ」と言うと、足の爪を切ってくれるのです。このように不平も言わずやってくれるのです。お母様がそうだというのです。

「私は何もせずに母親をこき使う長男だ」と言って、何を頼んでもすべてしてくれるので幸せなのです。お風呂に入っても、「ああ、オンマ、背中がかゆい。背中に垢がたまっているから、かゆい」と言うと、背中を流してくれるのです。それでもお母様は他のことを願いません。いかなる女性よりもこれくらい自分のことを愛してくれるならば、それが幸せなのです。それが芸術的であり、幸せだというのです。これが芸術的な夫婦が生きる愛の方法であり、生き方なのです。それが素晴らしいのです。

ですから、私がお母様の長男のようなので、息子、娘が13人いますが、みなどこか行って帰ってくると、「お母さん、私の髪を切って」と言うのです。父に似たのです。ですから、お母様は一週間に何度も切ってあげなければなりません。お母様の鏡台の引き出しを開けると、散髪用の道具がそろっています。外的に必要なことはお母さんがして、内的な愛はお父さんがすればよいのです。それが理想的な家庭です。(297-158, 1998.11.19)

お母様は、遠路の外出をする際は夜を明かします。先生が使うのに支障がないように準備するのです。お父様が先に逝かなければならないでしょうか、後で逝かなければならないでしょうか。アダムが先に生まれたので、先に逝かなければなりません。それなのに、できることなら一日、二日でも遅れて逝ってほしいと言うのです。そのように精誠を尽くすのを見る時、どうでしょうか。お母様よりも23年長く生きることはできません。それを知っているお母様が23年生きる準備を終えて旅に出るのですが、同伴者となるのです。霊界に行って不備なものを補うべきことが山のようにあるだろうから、自分は夜を明かして目が充血してでも、先生を休ませてその準備を、変わることなく、しているのです。それを見ると、有り難いお母様なのです。(599-89, 2008.9.25)

お母様に仕えて生きる男が不幸だということがあるでしょうか。幸せなのです。ですから、20代の顔を私が写真に撮って心で見るのです。20代の顔の中で輝いていた目と鼻、唇はどのような姿だったかということを考えます。それが角度も合い、互いにすベて似ていたのですが、30代になって夫に対して不満があると、目がこのようになったり、鼻がゆがんだりするのです。必ずゆがむのです。垂直になりません。20代の顔、30代の顔、40代の顔を、心を中心として写真に撮り、その顔が30代と40代に違ってきたので、このように行くべきだと形を整えてあげようと考えるのです。それが有り難いのです。流れる雲の合間に見える月の光は情緒的で、詩的です。詩情が豊かです。晴れた空に浮かぶ丸い月よりも、雲の中に入り、雲の間から照らす光が千態万象なので、その味わいが違うのです。ですから、一生の間、生きるにあたって天地調和の表象となり得るのがお母様の顔なのです。それを慕い、味わいがあり、面白く、味わい深く生きる人は幸せな男なのです。 (590-29, 2008.5.18)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.08.07 20:42:38
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