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カテゴリ:UCI、サンク
yosia621氏の新着記事「訂正させていただきました。そしてyosia621は共産主義ではありません。」
前回記事にての質問は2点についてもう一度の確認です。家庭連合の教義である一つの核心的部分は「真の父母」であり、それを否定される方々に対して「異邦人サマリア人(UCI)」ということになります。「善きサマリヤ人」の譬えは、ごく一部がイエス様の教えを信じたものであって、もともとがクリスチャンでもない私もまた「異邦人サマリア人」ということになります。こんにちで言えば、統一教会の「真の父母」を信じるかどうかが「善き・悪しき」の分かれ目ということです。 また「共産主義」ということですが、UCIがワシントン・タイムズを売却に出したもので、統一教会側の韓国統一財団がわずか1ドルで買い戻したとのことでしたが、文総裁はその売却先(共産主義者等)から奇跡的に買い戻した、と語られていました。先ずは、UCIに「共産主義」のレッテルを貼られたのはお父様でした。記述の順番は逆になりましたが、私個人の主張の背景にはお父様のみ言があります。 異邦人サマリア人(UCI)は、お父様が聖和されてのちはお父様のみ言を軽視される傾向にあり、お父様そのものも感じることが出来ない、無形実体世界(霊界)を信じているのかの疑問を投げかけたものでした。お母様は八大教材教本を改ざんされて新しい天一国経典を出されたなどと、お母様や家庭連合を批判するデマ宣伝もありました。八大教材教本の一つ「黒・天聖経」の「独生女」の記述については、自称ルポライタイーtomy4509は2015年4月4から(「一人娘(独生女)について(その2・捕捉)――天聖経(黒表紙・韓国語)から」)それをルポしていました。「独生女」は、お父様が一番最初に語り始められたイエス様「独り子(独生子)」に対して、もしも、十字架がなかったならば「ひとり娘(独生女)を探して結婚をしていたでしょう!!」 1959年10月、1960年3月の韓総裁との聖婚式前に語られていたこれまでのキリスト教にない新しい「新語」でした。そして、第三アダム(再臨主)は罪のないエバ(独生女)を探して結婚式をしては「真の父母」となる、それが黙示録の「小羊の婚宴」だとも語られたみ言もあります。異邦人サマリア人(UCI)はそれを見ようともしませんでしたし、見たとしても、「お父様の語られた「独生女」とお母様のそれは違う」と言っておきながらどこがどう違うのかの具体的なものがありません。「お父様原罪あり、お母様原罪無し」が間違っているといっては、因習的観念からしか見ようとはしません。「新しい酒は新しい皮袋に」の聖句はどこへ行きましたか? これらについても自称ルポライタイーtomy4509の過去記事を探せば、原理講論やお父様のみ言から検証したものがありますし、確信をもっています。 異邦人サマリア人(UCI)は砂上の楼閣でしかありません。ヨンギ氏が「奇知外記には何を言っても無駄でしょうが一応(ワシントンタイムズ)」などと中身のないタイトルを挙げていました。この過去の腐った情報(弁護士がどうとかの)はどこからですか? UCIと韓国統一財団が父母様を中心として一つになっていれば、わずか1ドルのやり取りもなかったという話を私はしているのです。復帰摂理のアベル・カインでしょう。そういうこともUCI人は原理について無頓着なのですか? 霊界に行かれたとしても、これらお父様のみ言も受け入れることが出来ないとなれば、「UCI(「職員」とは書いていません)グループ・郭グループ」、顕進氏(郭錠煥教)を支持される方とて同類ということです。UCIグループに対しては、ほかにも「異端者爆破者宣布文」、「真の父母様宣布文」もあるでしょう。これらは、お父様、真の父母様のサイン(許諾)を得たもので、これらは現在なお有効です。三男さん・文顕進氏の名前入りで、ほか彼を支持される方々に向かって書かれていました。 お母様は、もしも顕進氏を愛するならその周囲の方々は彼の元を早く離れなさいとも語られていました。UCI皆さんは早くそうするべきです。そうすることが、彼をも生かす道であると知るべきです。 彼自身、平和活動家(政治面)としての手腕はあるかもしれませんが、祝福権を相続されてはいません。2000年9月の「祝福権移譲」のみ言を挙げられる方もいますが、『祝福家庭 19号』2000年冬号P.6にその回答は既に出ています。 冒頭の小見出し「祝福を行う権限を興進君に伝授」となっており、顕進氏とはなっていませんでした。お父様のその時の祝祷(同P.22~)でも、興進様は何度もありましたが顕進氏は一つとして発見されませんでした。 このように、祝福権のない顕進氏は「祝福」行事をすることが出来ません。天の父母様--真の父母様の血統を相続されていない彼に従ったところで、霊界までも無事に行けるはずがありません。神山威氏はどうだったでしょうか? 異邦人サマリア(UCI)人らがみ言を歪曲・改ざんしては、また、虚偽ストーリーでもってカテゴリー「家庭連合」内を土足で闊歩されることは嫌なものです。真の父母様が一体となっていない、お母様は独生女でない、等々はお父様のみ言から到底考えることが出来ないものです。万が一にそれが事実とすれば、再臨主、お父様やお母様は何のためにこの地上に来られたというのでしょうか? 「天地人真の父母定着実体み言宣布」であって、その実体を見失ってしまえば永久に原理(み言)そのものまでも灰となってしまいます。分派の方々はそれを望みますか? お母様否定はお父様までも否定する結果となっています。2000年前のイスラエル民族がイエス様を受け入れることが出来なかった教訓があります。ほか原理講論には多くの教訓と同時に、啓示的な内容も少なからずありました。その一つが完成期は雌牛、つまりは「女性時代」というもののでした。さらには、キリスト論の重生論(P.264~)では 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。 お母様の5月8日のみ言にしてもそうです。お母様の7年路程、安楽に寝て暮らしてそれが可能だったでしょうか。50数年間のマラソン、み言全体を読めばこの地上が大切であり、お父様と一体となられたお母様がこの地上におられる間が重要だということを私たちに諭したものでした。顕進氏もその例外ではありません。 私がいうところの「郭錠煥教」とは何でしょうか? 真の父母様から祝福を受けたとしても祝福家庭は「養子・養女」文化であって、さらには「真の子女様は私たちの命の綱」につながらなければ真のお母様、そして、真のお父様へつながることが出来ない、という教えです。(『祝福家庭』2000年、冬号P.108~参照) ところが、その子女様方がそのお母様につながっていなければ、果たして、お父様(神様)の御元まで行けるでしょうか? というのが私からの疑問でした。 錠煥教の結論からは、お母様につながらない子女様方、その命の綱の先にはお父様がおられないということです。いくら「お父様」と叫んでみても遠い対岸の岸で見ることも出来ません。その一方で、「1ドル紙幣」は何かというと、顕進氏がお父様との縁を切っては郭家の養子となるためのものでした。顕進氏の副会長就任式でのお父様のみ言は父母様に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」でしたが、違う道への切符ともいうべきものでした。それを支持されている方々もわずか「1ドル紙幣」の切符をもって同じに並んでいます。乗られる列車はどこへ行くかは自ずと知れたことです。 最後の結論です。 祝福家庭とはイエス様がニコデモに語られたように、36家庭に始まり6000双までは真の子女様と双子として真のお母様から生まれた経緯を経ています。へその緒(「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」)につながって生まれてきました。6500双以降も次元を違えてはお母様からへその緒につながって(例えば、統一教会(アベル圏)とカイン圏の双子で)生まれてきたものでした。宗教圏と国家圏といったものも考えられるでしょう。 一般的に考えても、生まれた子女は実父をどのようにして知るでしょうか。へその緒でつながっていた母親が「これがあなたの父親よ」と紹介してもらって初めて知ることが出来るでしょう。 余談ですが、サンクチュアリはもっと悲惨な道が待っているのではないでしょうか。 真のお母様を押しやっては別の養母を母としています。「真の不母主義」です。へその緒につながって生まれた子女ではありませんから血統もつながっていません。実の母親がいないまさに「孤児」、養母に「自分の父親は?」と聞いても応えることすらできません。夫婦関係も法(銃)による統治社会です。間違ったことをすればいつでも「撃ち殺すわよ」と、怖いですね。 亨進氏にはどれだけの銃口が向けられているでしょうか。考えただけでもゾッとします。だからといって万が一には銃弾は1発あれば事足りるものです。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.11.02 05:59:08
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