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奇   知   外   記

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2020.12.31
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カテゴリ:天一国摂理史
​​​「ニューズ ・ ワールド」創刊、ニューヨーク

<ニュースワールド>創刊(1976.12.31、ニューヨーク州)

1976年12月31日、米ニューヨークで「ニュースワールド(The News World)」の新聞が創刊された。真のお父様は「人類のために、神の名前のために公正な論説をすることができる新聞を作成する。」と言われた。最初は24面で発行された新聞は1983年4月4日「ニューヨーク・トリビューン」に題号が変更された。
ニュースワールドは、1980年に米国の大統領選挙で選挙日であった1980年11月4日に「レーガン(Reagan)圧勝」と一面記事と一緒にレーガン当選予測を報告した。翌日の新聞は「神に感謝します。私たちは正しかった!」という一面記事とレーガン米国大統領当選者が自分の圧倒的な勝利を予見したニュースワールドを手に取って見せているUPI通信社の写真を一緒に発行した。

  



<天一国経典・真の父母経>から:

アメリカの「ニューズ・ワールド」
真の父母様は、一九七六年十二月三十一日、アメリカでは初めて保守言論の旗印を掲げ、総合日刊紙「ニューズ・ワールド」を創刊された。この新聞は、一九八三年四月四日、題号が「ニューヨーク・シティ・トリビューン」に変更された。


6 今まで、言論界は正義の言論界ではなく、不正義の言論界だったので、私たちは正義の言論界のために立ち上がらなければなりません。これを正すことができな ければ、アメリカを救うことはできません。直接的問題に引っ掛かっているので、私が手を付けるのです。宗教指導者が新聞社を造って、何をするのでしょうか。新聞が世の中を減ぼす元凶になっています。ですから、私の目が新聞に向かい、私の耳が新聞に向かい、私の鼻が、私の口が、私の手が、私の足が、私の心 が新聞に向かっているのです。このような重要な基点、分岐線が新聞社になっているというのです。それはお父様の方針です。

その次には、伝道をしなければなりません。この二つが問題です。これをしなければ、アメリカが滅びます。世界が滅びるのです。それで、私は世界の宣教師たちに、あらかじめ新聞記者の訓練をしなさいと、特別に指示しました。各宣教師に特別措置をしました。「宗教を中心として世の中をつかみ、引っ張って いかなければならない」と言ったのです。これが私たちの言論機関の精神です。それが最も貴く、最も大きいのです。


7 私が「新聞社を造る」と言ったとき、「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」もすべてあざ笑いました「レバレンド・ムーンが新聞社を造るというのか」と言いながら、あざ笑ったというのです。新聞社というのは、誰もが造れるものではありません。実力基盤がなければなりません。

言論機関というのは、そのように簡単ではないというのです。そこには、多方面に素質のある人的資源がなければなりません。それは、月給をあげてもできないのです。日本の「世界日報」を造るとき、四ヵ月前に組織を編成して造りました。「ニューズ・ワールド」を造るのは、四ヵ月もかからなかったのです。


8 私たちには、この国が危機に瀕しているとき、協助しなければならない責任があります。そのような観点で、天意に従って未来の防波堤を造らなければなりません。私たちは目に見えない闘いをしているのです。そうして一線を引き新しい基点と方向を定めていかなければなりません。私が個人と家庭と氏族を中心として 転換点を形成したので、今や国家を中心として転換点を形成しなければなりません。今日、アメリカが保守的な右翼のほうに帰っていくようにしなければなりません。そのようにしなければ、神様のみ旨が成就されません。

み旨から見れば、今がこのような時だというのです。私がここで門を開けなければなりません。そうして、天意を受けて、そのようなことをしてみると、 予想外の結果が起きました。私たちの「ニューズ・ワールド」が、世界的に有名な新聞になったのです。レーガンとカーターが大統領選挙を行うとき、「レーガ ンが選挙人団三百五十人以上を突破するだろう」と予測したのですが、その時は「カーターが勝つ」と言われている時だったのです。「ニューズ・ワールド」は そのような記事を全国に送りました。ですから、どれほど「狂っている」と言われたか分かりません。「恥をかくのを見よう」と言われたのです。


9 レーガン大統領は、私と何の関係もありませんでした。アメリカが世界のキリスト教の中心国家なのに、その伝統思想を忘れてしまいました。そうして、アメリ カは今、共産勢力が乱立している実情にあります。それで、私が助けてあげたのです。大統領選挙の開票前日、「レーガン、地滑り的勝利」と「ニューズ・ワー ルド」で特筆大書しました。アメリカにある新聞社は千七百を超えます。そのような新聞社が「レーガンには見込みがない」と言っていた時でした。そのような 状況で、「レーガンが勝利する」と発表したのです。


10 レーガンが大統領に就任する時、私は「強く雄々しくあってこそ、神様が共にいらっしゃる」と手紙を書いて送りました。これから、アメリカでデモがたくさん起きるでしょう。

また、世界的に、レーガン行政府を攻撃するための戦略が多く展開されるでしょう。共産勢力は、エルサルバドルにゲリラを送り、レーガンに痛手を負わせようと計画しています。

そのような世界的な戦略的計画のもとで、エルサルバドルで左翼のゲリラ戦が起きるというのです。これは間違いない事実です。ですから、この前、私た ちの「ニューズ・ワールド」が「ニューヨーク・タイムズ」を攻撃しました。「ニューヨーク・タイムズ」が左翼系の勢力を支援しているのです。本当に痛まし い話です。言論界では、初めて「ニューヨーク・タイムズ」を打ちました。南米と中東にも新聞社を造り、ヨーロッパにも新聞社を造ろうとしているのはそのよ うな理由からです。


11 一九八三年四月に、「ニューズ・ワールド」を「ニューヨーク・シティ・トリビューン」という名前に変更したのですが、その名前が本当に良いのです。これに より、初めてニューヨークに来る人は、「ニューヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を見るようになります。アメリカ人たちの通念 がそうです。

「ニューヨーク・シティ・トリビューン」と言えば、それは「ニューヨーク・タイムズ」と対等な立場だとみなすのです。また、「ワシントン・ポスト」 と「ワシントン・タイムズ」を、一般の人々は対等に見ます。タイムズやトリビューンというのは、新聞世界における王の名前です。ニューヨークは、観光客が たくさん行き来する所です。ですから、彼らが時事に関する内容を知ろうとすれば、必ず新聞を買って読まなければならないのですが、このときには、「ニュー ヨーク・タイムズ」と「ニューヨーク・シティ・トリビューン」を買って読むようになるというのです。


12 今や「ニューズ・ワールド財団」に、韓国の「世界日報」が入らなければならず、アメリカの「世界日報」、日本の「世界日報」、「ワシントン・タイムズ」が 入らなければならないというのです。その次には、「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、「ウルティマス・ノティシアス」、「ミドルイースト・タイム ズ」も入らなければなりません。これらすべての言論機関が、「ニューズ・ワールド財団」の中に入っていなければなりません。

アメリカの「ワシントン・タイムズ」がある程度の成功基準に達すれば、強大な力になります。これがある軌道さえ越えれば、その収益性は大変なものに なるでしょう。また、これと関連する機関、行政機関であれば行政機関を中心として、どんなことでもできます。膨大な事業をすることができる強大な力をもつ というのです。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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以下は、ニューズ・ワールドに関わるレーガン大統領誕生の秘話であります。
​当時ニューズ・ワールド社長だった朴 普熙先生が日本で巡回講演をされたもので、それを書籍にした『日本の未来はどこへ行くのか』(朴 普熙著、1995年)からの引用です。
​​​​​​​​アメリカの大統領を選ぶ

 レバレンド・ムーンは神から、アメリカの大統領の協力を得よとの啓示を受けました。
 そこで、最初に、ニクソン大統領を選ばれたのでございます。
 一九七四年三月一日、文鮮明先生は、ホワイトハウスの大統領執務室でニクソン大統領に会い、彼を懇々と説得しました。「ウォーターゲートという政治的破滅から自分自身を救い、ベトナム戦争を勝利に導き、東南アジアの一千万の流血を防ぐのがあなたの責任です」と語られました。そして、その方法を教えました。私は、その歴史の証人でございます。私はその場で、それを通訳した者でございます。

 レバレンド・ムーンに固く約束したニクソン大統領は、残念ながらレバレンド・ムーンを失望させました。そのため、ベトナムでアメリカは敗北しました。これはアメリカ約二百年の歴史に、初めての敗戦という屈辱でありました。アメリカが神のみ旨から離れた結果でございます。そして、東南アジアに一千万の無益な血が流されました。
 あの時、アメリカのレバレンド・ムーンに対する迫害は絶頂に達しておりました。それは、レバレンド・ムーンが人気のないニクソン大統領を助けようとされたからでございます。
 レバレンド・ムーンは悲壮な覚悟をされ、神に次の大統領を願いました。啓示で与えられた、次の大統領の名前はロナルド・レーガンでありました。

救世主の大統領づくり

 レバレンド・ムーンは神に、レーガン氏を大統領に当遷させることを誓いました。私はレバレンド・ムーンの指示でレーガン大統領候補と会見をするためにオハイオ州に行きました。当時、私はニューズワールド新聞社の社長でありました。

 私はレーガン氏に会った途端、「あなたは神からアメリカの四十代目の大統領に選ばれました」と言いました。するとレーガン氏はあまりにも驚いて、「それはいったいだれの話ですか?」と尋ねました。私が「レバレンド・ムーンの神の啓示によるものです」と言うと、「では、なぜ、神とレバレンド・ムーンは私を大統領にしようとするのですか? 何が条件ですか?」とさらに聞きました。
 そこで、私は答えました。「条件は何もありません。神とレバレンド・ムーンはあなたを大統領にして、神と人類の敵、共産主義の終焉をもたらそうとしています。それがあなたの使命です。その決心があれば、あなたは次の大統領になれます」と宣言しました。レーガン氏とナンシー女史は深く深く感動いたしました。

レーガン当選の見込みは"ゼロ"

 けれども、帰ってきた私は、レバレンド・ムーンに新聞社の社長として世間の世の世論を詳しく述べざるを得ませんでした。それは、グッドニュースではありませんでした。それは、レーガン氏の当達する可能性は全然ないという意見でありました。私はレーガン当選の見込みは"ゼロ"であるとの、つらい話をしなければなりませんでした。
 私は五つの意見をレバレンド・ムーンに述べました。
    1. レーガン氏が七十一歳という高齢であること。アメリカの歴史にこのような高齢の大統領はかつていなかったということ。
    2. レーガン氏は極右として知られている。アメリカ人は極右も極左と同じくらい好まないということ。
    3. 彼は一九七六年に大統領選に挑戦して、すでに一回失敗したということ。
    4. 彼はハリウッドの俳優出身であるがために、政治家として真摯にとらえてくれないこと。
    5. 最後に、最も重大な理由として、カーター大統領は現職の大統領であり、現職の大統領の再選はいつも八〇%有利な立場にあるということを申し上げました。
 これを注意深く聞かれたレバレンド・ムーンは、毅然としておっしやいました。「だからこそ私は、その不可能なことを可能にするのである。神の栄光のためである。奇跡は神の力で起こるのだ」と。
 私も毅然とさせられました。


投票日の予想

 いよいよ投票の日がやってまいりました。レバレンド・ムーンは私に命令されたのであります。投票日の前日、ニューズワールド新聞に大きく予言を出せとのことです。それも「レーガン、地滑り的大勝利」とせよとのことです。今レーガンが勝刊するかさえも疑問なのに、「地滑り的大勝利」とは、これは当時の事情としては、あまりにも、かけはなれたものでありました。
 当時、アメリカ全国にレーガンが勝つと分析した専門家は一人もおりませんでした。ところが、私にはこれは救世主のみ言(ことば)でございます。どうしますか、これ? 「万事休す」でございます。

 私は、しっかりと信仰をもってとらえましたが、新聞社に帰ったら、反対が大変でありました。「冗談にもほどがある、これはあまりにもひどい。明日ニューズワールドは笑い物になる」と。
 私たちは皆、憶病になり小さくレーガン勝利の予言の記事の草案を害いて、レバレンド・ムーンにお見せしました。それは、「もしかしたらレーガンが勝刊する、かもしれない」との内容でありました。
 それを見られたレバレンド・ムーンは、急に「おい! ごみ箱をちょっと持って来い」と、私におっしゃいました。そして、「この記事は、ごみ箱行きだよ」とおっしゃって、それをごみ箱に捨てられました。
 そして私を正面に見すえながらおっしゃいました。「お前、第三次世界大戦が起こっ
たら、どのような見出しを新聞に書くのか」と。
 私は何気なく「それはもちろん、大変なニュースですから、一面の大見出しで、こぶし大の大きな活字を使います」と言いました。
 それを聞いたしバレンド・ムーンは「そうだ! それで行け! 私にはこれが第三次世界大戦だ」とおっしゃいました。

 編集局に帰った私は、ますます高まる反対の者たちを、しかたなく一堂に集めてこう叫びました。これは私の一生で最も重大な演説ではなかったかと思います。
 「皆さん! ニューズワールドは救世主の新聞であります。ニューズワールドは、今日、救世主の願いを一つ果たして、明日、潔く殉教新聞になりましょう。最後の新聞を勇敢に作ってください!」
 と。これには、だれも何も言うことはありませんでした。

 そして、でき上がったのがこの新聞でございます。
 ​「REAGAN LANDSLIDE  レーガン、地滑り的大勝利」​。正に第三次世界大戦勃発のご
とくです。翌日の朝早く、これを受け取ったレーガン候補は、まず驚き、そして大変喜び
ました。
 それが、ちょうど投票日一九八O年十一月四日の朝でした。レーガン大統領候補は、この新聞を掲げて記者会見に出ました。
 このニューズワールドの写真がアメリカ全国の新聞に出たばかりか、アメリカのすべてのテレビがこの新聞を全国に報道しました。
 二億四千万のアメリカ人はこの役票日の朝、大混乱に陥りました。
 「オー、もうレーガンが勝ったのか?  投票がもはや終わったのかな?  私、まだ投票していないのに。これどうなったのか?」と。
 彼らは、テレビを通じて「レーガン地滑り的大勝利」はよく見えるけれど、ニューズワールド新聞の予測だ」という文字は小さく
てよく見えなかったのであります。

 レバレンド・ムーンはこの新聞一枚で、アメリカ全国民の心理をレーガン勝利のほうに
導いたのです。今考えても、これは天才的な戦略であります。
 アメリカに”JOIN THE WINNER”(勝つ方に立つのが得だ)という諺がありますが、アメリカ人は勝つほうに立ちたがるのです。
 「レーガンが勝つ」という心理が、アメリカ全国にみなぎりました。アメリカは一日中、REAGAN RANDSLIDEの大見出しを見ながら投票したのでございます。

 その夜、開票が始まりました。夜の十時にはもう、レーガンの勝利が確実となりました。十一時が過ぎると、ニューズワールドの予言のごとく、レーガンの「地滑り的大勝利」という奇跡が確実になったのでございます。

 アメリカのすべての言論界の目は、ニューズワールドに集中しました。数百名の記者たちが、ニューヨークのわが新聞社に押し寄せてまいりました。「社長と会見をしたい」とのことです。
 私は、おもむろに記者たちの前に立って、静かに言いました。
 「何か質問があるんですか?」 
 興奮して狂気と化した記者たちは「どうしてレーガン勝利が分かったんですか?」
と怒鳴りました。
 「何人に電話して調べたんですか?  何千人ですか?  何万人ですか?」と聞きました。アメリカでの世論調査は大体数百人に電話で行うのですが、彼らは我が新聞社がこのような確実な結果を出すためには、何万人にも電話したと思ったのです。
 私は、言いました。
 「いや、私たちはそんなやり方はしません。それは十九世紀の時代遅れのやり方です。私はただ、電話一本をかけただけです」
 記者「だれに電話をかけましたか?」
 社長「レバレンド・ムーンに電話をかけました」
 記者「では、それはレバレンド,ムーンの予言ですか?」
 社長「全く、そうでございます。レバレンド・ムーンの予言です」
 記者「では、レバレンド・ムーンはどうして分かったんですか?」
 社長「私が聞くところによりますと、レバレンド・ムーンもただ一本電話をかけたそうです」
 記者「だれにですか?」
 社長「神様にです!」
 記者「ええっ!! 本当ですか? では、その神様の電話番号、ちょっと教えてください!!」(大笑いと拍手)
 その日、ニュースワールドは一躍アメリカで英雄的な新聞となりました。

 私は、文鮮明先生の偉大なビジョンとその戦略の偉大さに感動のあまり涙が流れました。「さすがー、我が先生は救世主である。救世主に栄えあれ」と何回唱えたことでしょうか。

 こうしてレーガン氏はアメリカ四十代大統領になったのでございます。皆様は、そ
の驚くべき秘話を、今日聞いたのでございます。

救世主の新聞作り

 では、レーガン氏を大統領に当遷させることによって、共産主義宗主国、ソ連の終焉はもう決まったのでしょうか。いや、そう簡単ではありません。もし、レバレンド・ムーンがもう一つの大きな奇跡を起こしていなかったならば、今もまだ、共産主義の終焉はなかったのではないかと思います。

 そのもう一つの奇跡は何だったのでしょうか?  それは、ワシントン・タイムズの創設でありました。アメリカは、世論の国でございます。政府より強いのが言論でございます。ところが、レーガン氏就任の時のアメリカのマスコミは、徹底的にリベラルであり、特に、自由世界の首都とも言えるワシントンには、ワシントン・ポストという、超リベラルな容共新聞が一つだけ残っていたのであります。皆様、東京に新聞が一つしかないということが考えられますか?  これではソ連を「悪魔の帝国」と呼んだ、さすがのレーガンでもかないません。

 ここで、レバレンド・ムーンは立ち上がりました。
 「このままではアメリカは滅びる。アメリカが滅びれば世界が滅びる。我々はアメリ力を救わなければならない。統一教会を犠牲にしてでも、ワシントンに保守系の新聞を作らなければならない」と悲壮な覚悟をなさったのでございます。
 その日が一九八二年の一月一日でありました。

 その翌日、私はワシントン・タイムズの初代社長に任命され、二百名の中核メンバーたちを引き連れて、ニューヨークからワシントンに入ったのであります。
 それから、六か月もたたない五月十七日、ワシントン・タイムズがその雄姿をアメリカの前に現したのでございます。これは本社ビル、これはアメリカでも有名な我が編集局、これは印刷工場です。
 ……​​​​​​​
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Last updated  2021.01.01 10:32:10
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