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2021.04.18
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​​​​​​​​​​「天の勇士」

一九六四年十月三日(土) 大邱教会


 我々統一教会員たちは互いに食口と言うでしょう? 食口という言葉の意味が何でしょうか? 漢字を分解すれば「めしを食う口」という意味です。ですから食口とは共にめしを食う兄弟であり、共にめしを食う家族です。すべてが母、父であり、兄弟なのです。

 大邱での感懐

 それでは統一教会の先生の立場で話しますが、我々食口たちが生きることのできる万世の楽土はどこでしょうか? 暮らすならどこでしょうか? 韓国が万世の楽土のようですか? 韓国でなくとも万世の楽土はどこかに必ずなければなりません。そんな万世の楽土があれば良いでしょう?(はい)ところが、なければどうしますか?(造らなければなりません)造るのですか? 誰が造るのですか?(私たちです)造る自信がありますか?(はい)これはやたらに苦労したからといって、造れるものではありません。

 それではどのように造るのでしょうか?「美しい山と海よ!」それはいいです。韓国の山川は美しいのです。世界を廻って見ても、韓国ほど自然の恵沢をたくさん受けている国も稀です。どこを見ても絵のようです。「美しい山と海よ! 情がゆく故郷よ」皆さん、情がゆく故郷がありますか?(はい)そうお? ハエがわんわんして、匂いがするでしょう? お嬢さんたちが見たら逃げ出しますよ。ところがその故郷に情がゆくのですか? 農夫は家に情がいかないといけません。

 先生がずっと巡回をして大邱にさっと来てみると、とても印象が違うのです。全羅道に行くのと慶尚道に行くのとでは、まるで感じが違うのです。ところで慶尚道の中でも大邱は最も印象に残る都市です。都市といえば慶尚道で大邱が何番目の都市ですか? 二番目でしょう? ところが先生の考えでは一番目の都市のようです。良くてそうなのです。大邱を先生は好きです。

 「大邱」といえば、先生の脳裏に忘れられない所です。大邱のことを考える度に、今から十年前の思い出が懇切なのです。先生がとても大変な心を抱いて、胸を叩いて祈祷して決意して誓った時のことが思い出されて、感懐が深いのです。いつでも「大邱」といえば「ここは一番どえらい闘いをやって、神の一時を成してあげよう」と誓ったことが思い出されて、忘れようにも忘れることができない所です。皆さん、良いでしょう?(はい)

 ですからここに住む統一教会の食口たちも、一度ぐらいは嫌というほど苦労をしてみなければなりません。大邱を代表して、さらには慶尚北道を代表して、み旨のまえに忠臣の道理を立てるのが統一教会の信者であるなら、慶尚北道に責任を負って求めるという統一教会の信者であるなら、全部が行かなければなりません。行ってどんな活動をするのか?逆に正しこだとされたいのです。なぜ? これから大邱を我々のみ旨の中に引き上げるなら、大邱全体を思いのままに料理できなければならないからです。

 これが独りでやれるでしょうか? 出来ません。ですから我々若い男たち、そして若い女性たちを動員して、私が命令しようというのです。そのためにはこの先生の過去に憤った心に比例する勇気が必要です。過去に憤った先生の恨を解くという自信を持つ、男と女性たちが必要なのです。

 今日、大邱に来てきてどんな話をするかを考えました。良い話をするか、苦い話をするか考えたのですが、どうしても苦い話をしなければならないようです。でもどうしてそうできるでしょうか? 悪い話は嫌ですからね。苦い心はそのままおいて、皆さんのために良い話をしなければならないでしょう。ですからどれほど辛いでしょうか? こんな時は「ああ ! 神様はまさにこんな心情を抱いておられたのだなあ」と感じるのです。父母たちもそうではないでしょうか? 自分の息子が駄目でも愛しているので、情がゆくので、自分のうっ憤を晴らさないで、良い言葉をかけるでしょう。皆さんもにこんなことを感じているのです。

 今日、大邱に来たら一言悪口を言おうと思ったのです。皆さん、悪口を聞きますか? 聞くのですか? ここ大邱の皆さんはいつでもこのようなことを知らねばなりません。前に一次、二次、三次に渡って復興会をしたでしょう? またやるのです。そして今は、この慶北地区本部が最もみすぼらしくとも、これからどこの教会よりも大きな教会を、ここ大邱に造るのです。慶北地区の紳士たち、栄光でしょう?(はい)

 大邱の人たちは骨のない人たちです。ふにゃふにゃしているのです。だからといって大邱の人たち、寂しく思わないで下さい。骨のない人のような大邱の人々ですか。そうですか? 慶北の人々は新郎のいない人々です。

 人が必要である

 皆さん、我々教会地区の中で大邱地区本部が最もみすぼらしいのです。それではこのみすぼらしい本部に入って来る人々はどうでしょうか? みすぼらしいですか? さっぱりしていますか? 声がしません。さっぱりしているというなら一言聞こえるのに、じっと黙っている他には。これから慶北地区、即ち大邱教会が最も大きくなるのです。こんな考えをしますか? こんなことを考える? しない? 答えなさい。しなくても先生が問うたら「はい」と答えなければならないでしょう。どうお。そのようにしますか? しませんか?(します)いつですか? いつするのですか? 心でだけするのですか? それでは駄目です。実際にしなければならないでしょう?

 我々本部教会に行けば素晴らしいでしょう? 本部教会に行ってみた人たちは分かるのです。本部教会は素晴らしいでしょう? 先生はこのように素晴らしい家で暮らす人間です。ソウルに行ってみればですよ。近所には鼻クソみたいな小さな家がたくさんあるのです。ここにいつも私が、お金を何千億ばらまいていっぺんに全部家を造りたいのです。お金ができたら目をぎゅとつむって、その日からやりたいのです。今はとても目を開けて見ていられません。

 私はそのような大きな家を欲しくはありません。それだけならできるのです。今、私が願うことは家よりも人です。人、人間が必要です。善のために悪と闘争することができる人間、み旨のために自分の命も惜しまないという人間が必要なのです。この慶北地区本部はみすぼらしくても、慶尚北道の人々はどうでしょうか? ソウルの人々が慶尚北道の人たちを見て何と言うでしょうか? 菩提門などと言うでしょうか?

 じっと見ると政治をやるという慶尚道の人々は、門前まで行って争っているのです。一しきり争っても門前に行ったら団結しなければならないのに、バラバラになって論議しているのです。そうかそうでないか、見てごらんなさい。ところが全羅道の人たちは、門前ではさばさばして入ってから争うのです。これが慶尚道の人間と違う全羅道の人たちの特性です。

 復帰路程においては、慶尚道人たちの気質が必要な時もあるのです。しかしながら今日大怨讐たちと闘うときは、作戦計画を立てて総攻勢をしなければならないので、団結しなければなりません。人間が団結しなければなりません。ところで家が何で必要ですか? ある国の君主がどんなに戦いを上手にやっても、数多くの敵と戦って勝てるでしょうか?だから人間がいなければなりません。国を生かすときも、家ではなく人が必要なのです。人間が必要だというのです。

 現在、韓国が滅んでしまうと大騒ぎしていますが、それは韓国に良い家がないからではありません。人間がいないからなのです。学博士がいなくて韓国がこの有り様になったのでもありません。人間はいるにはいるが、団結しないから問題なのです。年かさの両班たちはぐっと髭をしごいて「お! おまえたちが何を知っているか? 我々の話を聞かなければならない。我々老人のために何をどうしてこうするのだ!」と言い、また若い人たちは若い人なりに、おじいさんおばあさんたちとは世代が違うと大変なのです。一つになれないのです。それでは駄目です。一つの目標を立てておいて、それに向かってただ希望を持って、一つの運動を展開していって、その目標に合わないものを全部、取り除かなければなりません。そのようにできる人間になるのです。分かりますか?

 ですから我々慶尚北道食口の皆さん、家が大きいと自慢することもなく、家が小さいと心配することもありません。前にも話しましたが、本部教会が大きくないでしょう? とはいえ先生が願っていることは家ではありません。家よりも人を要求し、家をきれいにするよりも、人間をきれいにすることを望んでいるのです。きれいにするのも表よりも、内をきれいにしなければなりません。このようにして「誰も私の内なるものを奪ってゆくことはできない。神も奪えない」とする人間にならねばなりません。世の中のどんな立派な人間も、その内は奪えないという人間になるのです。

 一度心から決定をしたなら誓って、心の門をぎゅと閉め、誰も開けることができない人間、自分が閉めたのだから自分だけが開けるという人間、そうして一つの目的のために合わさる人間、こんな人間が必要なのです。

 この大邱に来て皆さんをずっと回って見てですね。私はたくさんの人よりも、若い人々を見るのがとても気分がいいのです。先生は以前に第一世代は過ぎ、第二世代が来たと話したことがあるでしょう? 今、既成教会の牧師や長老たちが来るかも知れませんが、この方たちが額があがり、髪の毛が抜け、半白になっても統一教会に反対するかも知れません。しかしその息子・娘たちは統一教会の文先生の手の内に入るのです。これが統一教会の先生が持つ確固たる信念なのです。

 第一世は荒野に倒れで禿げ鷹の餌食になっても、第二世には私が必要なのです。反対する既成教会の牧師、長老が聞けば寂しいでしょうが、私はこのように考えているのです。私のこのような考えに反対する自信があるなら出てきなさい。一つ対決してみるのです。そのようになるかならないか、見ていなさいというのです。こんな私の信念は神も奪えないのです。誰が反対して、何か国の力を動員して反対しても、どうすることも出来ないのです。こうなるかならないか、見ていなさい。

 ですから統一教会は第二世たちの教会です。どこに行ってもびくともしないのです。一度パッと蹴っても、ごろごろ転がるだけで変わっては駄目です。転がってもバラバラになって転がるのではなく、ぐるぐるに括りつけられて転がるのです。私はそんな人間が好きです。球もパッと蹴ればころころ転がる球がいいでしょう。先生が時に統一教会の青年男女を蹴とばすときがあるのです。若い者を一度づつ、いきなり蹴とばすということです。

 堅く積極的な人間

 そうすれば岩の塊にぶつかるのです。ここで本当に頑丈な人は、大きな岩にぶつかって血が出てもそれ自体は壊されないで、かえって岩のかけらをくっつけて落ちるというのです。分かりますか、何の話か? 私がこの慶北に来たので、皆さんを岩にいきなり蹴っとばしてみれば良いのです。どうですか? 私が足で蹴れば頭も壊れ、体も壊れてそのままポ-ンと落ちてしまうのですか? それでも平気でなければなりません。こんな勇士を造らなければならないのです。

 我々統一教会の理念が何でしょうか? 統一でしょう? 統一するには力がなければなりません。能力がなければなりません。その上、万物相のような美をもって光りを発すれば、誰もが必要とせざるを得ないのです。輝かなければなりません。強く輝くのです。強いだけでは駄目です。堅くなければなりません。このような個人が必要であると同時に、こんな群れが必要なのです。

 このように結わえ、あのように結わえておいても自由に駆ける人間、こんな人間が必要なのです。こわごわしていて、ガンと叩けばポキッと折れる、そんな人間になっては駄目です。ふてぶてしくて、ああ結わえてもこう結わえても正しく立つことができる人間にならなければなりません。

 こうして何をするのでしょうか? いつか私は青年たちを連れて海に出るのです。海に行けば魚がたくさんいるでしょう。潜っている魚もいるし浮かんでいる魚もいるのです。そんな魚を捕獲するにはどうやってやるのか? 毎日釣りをするのでしょうか、でなければ手で網を投げて捕まえますか? あのアメリカのアラスカや日本のような所、あるいは太平洋に網を投げて、そこの魚を全部を引き上げるために網を握って投げるとき、私はその綱を処理する人間になったら良いと、時々思うのです。どのように捕獲するかに思いを馳せるのです。

 我々統一教会も同じです。我々民族を中心に世界を全部、揺るがせてみるのです。三千里半島を中心に、世界を揺るがせてみようというのです。極東の中でも韓国はどうにもならない国です。三千里の国土、白衣民族、錦繍山川というのですが、凄まじい国です。とはいえ凄まじい国で凄まじく育ったのですが、凄まじい内容ではない輝く内容を持って、世界を料理してゆくというのが統一教会です。そうでしょう?

 白衣民族が世界のまえにガンとぶつかったら、どうなるでしょうか? 一年もしないで我々民族は壊れてしまいます。しかし今は違います。世界一二〇か国家が全部統一教会に反対して、こんな数多くの国家とぶつかって、最後に残る群れがどんな群れでしょうか?統一教会の群れです。統一教会の群れが最後まで残るというのです。どうですか? 済まないでしょう? 何人にもならない統一教会の群れが、数多くの国家と対決して残ったら済まなくないでしょうか? なぜ答えないのですか? これから先生が問うたなら、口をグッと結んで答えなくても、決意しますか?

 統一教会は強く積極的な人々の教会です。金一文なくても「何だというのだ」としてやるのです。金を儲けるなら恐ろしく儲けるのです。しかしながら国を救うのに金で救うのではありません。人間、人間が必要なのです。人間も、とても恐ろしい人間が必要なのです。民主主義や共産主義、その他のどんな思潮が襲ってきても、分別して審判することができる信念を持った人間が必要なのです。勿論、年配の人にはすみませんが、頭が半白になったおじいさん、おばあさんが必要なのではありません。年のいった方は寂しく思わないで下さい。私も年のいった方に近いのです。年のいった人よりも若者、若い青年たち、情熱と気迫に溢れる若者が必要なのです。こんな若者を中心にして団結する国家であるなら、世界を支配することができるのです。

 その中で悪い名詞は私に必要ありません。失礼ですが悪い名詞は私に必要ないのです。世界で最も良い名詞はすべて私のものです。私は欲心がとても多いのです。これも失礼ですが、私は「幸福という言葉は統一教会の文先生のものだ」と考えるのです。若い先生が非常に独善的だというかも知れませんが、幸福という名詞は、私のものと考えるのです。満足という名詞、何か世の中で良いという名詞は、みな私のものと考えるのです。

 世の中でどんなに幸福だとしても、これはみな壊れてしまうのです。どんなにアメリカの人々が先進国家だと自慢しても、見ててごらんなさいというのです。みな引っくり返るのです。幸福は保管されているので、彼らは保管人に過ぎません。私はこのように考えているのです。皆さんは世界で最高の栄華を享受できる立場にいるほどなのですが、いろいろな人々が嘲弄しにやってきても、深い幸福を感じる人間でなければなりません。こんな人間が本当に幸福な人間であると先生は考えるのです。ですからこんな考えをしている先生に従う統一教会員も、幸福な人間であると私は見るのです。見た目にはみすぼらしく、惨めですが見ててごらんなさいというのです。心情が天地と共に運行し、天地は我々の心情と共に運行しているのですから、自らの価値を一〇〇%以上高め、自ら幸福感を感じることのできる人々が、我々統一教会の食口たちです。

 こんな幸福、こんな民族、こんな理念、こんな信念を誰が支配できるでしょうか? 民主主義も共産主義も支配することはできません。どんなに素晴らしい学博士たちであってもできません。しかしながら統一教会文先生は、支配することができるのです。どうですか? そうですか? 統一教会の食口たちは先生の話を聞くのです。優れていてもそうでなくても、統一教会文先生の支配を受けるのです。世界に数多くの人間が暮らしていても統一教会の先生を代身する人間はいないと考えるのです。これは皆さんがよく知っていることです。なぜ? 心情問題があるからです。

 我々は幸福な人間ですか? 不幸な人間ですか?(幸福な人間です)近頃、皆さんは昼ごはんを食べていますか? 食べていませんか?(食べています)

 先生は昔、着物もぼろばかり着て、監獄生活をたくさんしました。まるで趣味のようにやったのです。監獄に入れば秩序整然と、きちんとやるのです。経歴が多いのです。また監獄で最高刑を受けた者、あるいはいろんな犯罪者たちと肩を並べて生活もしたのです。ですから先生は質素なのです。彼らに一度話をしたらうまくやるのです。「あなたは過去に、これこれのように生きてきたでしょう」と始めれば、話をよく聞くのです。昔にはそうでした。統一教会が出発した時も、牧師が来れば門前で「あなたはあんなこんな人間なのだ」とひとしきり激しく打って、騒ぎなどするのです。

 統一教会に一番初めに入った人たちは、伝道されて入って来たのではありません。しかし入って来れば自分たちが行った道を逆にして、伝道に出発したのです。そして彼らが伝道に行くと、途中で足がひっ付いて「ここに某教会の某長老がいるから行って伝道せよ」と啓示を受けるのです。このようであったのです。審判されるのです。

 今現在は数多くの問題があるのですが、これから統一教会を研究しなければならなくなるのです。韓国の民は統一教会を知らなければなりません。以前に釜山で話したことがありますが、日本のような国もこれから、統一教会の理念を知らなければならないのです。日本を救援するためには、統一教会理念でなければ駄目だというのです。すでに上流階級の人々は先生と連絡しているのです。韓国は統一教会を、取るに足らないとしています。しかし見ててごらんなさいというのです。彼らの下らない愚かな非難の気勢に消える統一教会なら、先生はもう風呂敷を担いで消えています。アメリカには明年までに五〇か州に統一教会が入るのです。ですから今が最も忙しいのです。今回の巡回も実は時間がなかったのですが、無理にもやったのです。

 無量の心情のなかにおられる神

 世の中では統一教会が滅びるといっています。しかし先生は呼び出しを受けて法廷に通う時、アメリカに伝道師を派遣し、日本に伝道師を派遣したのです。その当時先生は「十年後にはおまえたちを追い越す。だからどんな作戦でもやりたいようにやれ」としたのです。私は拘禁されても、我々のみ旨は韓国に投げ網を打つのです。投げ網が何だか分かりますか? 包囲作戦をするということです。このようにしてきたのが統一教会です。

 人々は統一教会の文先生が今、何をしているか知りません。だからといって私が、自分の国を破壊させる工作をしているというのではありません。韓民族を世界のまえにどの民族よりも優秀な民族として立てようとしているのです。今このような世界になっていっているのです。

 これから韓国の暗黒街のボスたちが全部、私の手によって動くようになるのです。これが今、着々と進行中なのです。世の中の人々は統一教会の文先生が、今は暴力組織と手を結んだと悪口を言っています。しかし私には目的があるのです。暴力組織の親分を捕まえて料理して、悔い改めさせて天の先覚者に立てる考えなのです。先生はこんな考えをしているのです。

 我々統一教会ではする事が多いのです。しかし人々はこれを知りません。知らないのです。今日統一教会がこれほどの基盤を築くまでの複雑さは、今の大韓民国の行政府の複雑さ程度ではありません。四方から社会団体が私一人を引ったくって捕らえようとしたのですが、私は掛かりません。皆さん、今もうちょっと日本とか各国に基盤を築くのです。大きな抱負を抱いて行くのです。

 今日、大邱に来て皆さんを見るとき、これから大きな舞台を前にして世界を牛耳る時代が訪れて来るのですが、目を真っすぐに向けた思想が正しい男子、乙女たちがどのくらいいるでしょうか? 私はそんな人間を求めてきたのです。私自身が神のみ旨を立てて行く過程みおいて、どれほど試練を受けたか分かりません。神は大きな使命を背負わせ、死の境地にまで送り出すのです。このように薄情なお方なのです。同情が何でしょうか? 非情なのです。血を吐いて倒れても駆り立て、足で蹴りとばすのです。しかしながら天情を知っているので、これに耐えて打ち克ってきたのです。神様はどん底で慟哭されているのです。「おまえがどうしようかという時、わたしはこうやって、おまえがどうしようかという時、わたしはこうやったのだ」と慟哭されるのです。では神はなぜ、このように対されるのか? このような人間に創るためなのです。私はこのことを知っているので、今までこの道を歩んでいるのです。

 今日、既成教会が統一教会を迫害し、反対していることを、私は有り難く思うのです。それで彼らを怨讐視しないのです。知らないでそうしているのですから仕方ないのです。私がもしも既成教会員であるなら、私もこのように反対するだろうと考えるのです。同じ立場でそうだというのです。理解できるのです。しかしながら皆さんはここで、彼らが統一教会に反対するときの教勢以上の、教勢を持たねばなりません。であれば私は皆さんを賞賛し、押し上げるのです。しかし統一教会が反対された後で、反対される時以上の教勢を得ない時は、呪咀するかも知れません。邪教だ、異端者だという声を聞けば、その時以上発展して良くならなければならないのであって、でなければ崩折れてしまうのです。このようなことは今する話ではありませんが、皆さんはこのことを知らねばなりません。


 生命がほとばしる本然の姿

 一番は(聖歌「天の勇士」)心情を中心にするということであり、その次の二番にいってみましょう。何が出てきますか?「無限なる人格で光りを放つ」無限なる人格がどこにありますか? 神の人格が無限なる人格であり、イエス・キリストの人格が無限なる人格です。数多くの権勢者たちと、数多くのユダヤ教徒たちがイエス様の人格を侵害しようとしたのです。しかしイエスは歴史の途上において彼らの支配を受けず、むしろ歴史を支配したのでした。こんな立場でイエス様の人格は、永く輝いているのです。このようなものが永遠の人格です。

 それではこの無限の人格は、どこから始まったものでしょうか? イエス様ご自身を主として形成されたものではないのです。神の無限なる愛と心情的な因縁によって形成された人格ですから、無限なる人格になるのです。我々が望むものは無限なる人格です。有限なる人格は私も嫌いです。今日は良くても明日は悪いのは嫌いです。

 それが故に、我々統一教会員たちが正しいのです。先生が一度信じたらそのままなのです。周囲でどんなに反対して批判してもそのままです。おかしいでしょう。先生が信じてあげた人間は、最後まで祈祷した人です。その人たちが祈祷すれば、霊界で先生に従えと教えてくれるのです。ところがもしも彼らが反対して祈祷すれば、霊界でも「統一教会の文先生を絶ってしまえ」といえばいいのですが、反対して真情から祈祷してみれば「この駄目はやつめ、わたしがあれほど教えてやったのに分からぬのか? 反対と体面を押し切って訪ねよ」というのです。なぜ? それは彼らが物心がついていないからです。こんなことが多いのです。

 また反対した人たちが道を歩いていて私を見ると、顔を真っ赤にしてどうしていいか分からないのです。身のおきどころがないのです。男だか女だか忘れるほど、彼らはうろたえるのです。先生はしきりとそんな見物をしたのです。一度信じてあげたら三度以上天が処理される前に、処理したらいけないことを知らねばなりません。人間の信義がそうなのです。一度信じてあげたなら、しかも理念を中心に盟誓をしたらその理念が滅びるか興るか、終わりまでいってから判断するのであって、その前に判断したら先祖の功績を全部すっかり奪われてしまうのです。「無限なる人格で光りを放つ」というときの、無限なる人格は説明する必要がありません。自然にその何かを放つのです。その次には何ですか?

「造られた万物の栄光の灯台」でしょ。こんな人格は全万物が追求する所望の灯台なのです。その次には「生命がほとばしる」でしょう? こんな人格を得たなら、これは死ぬことがないのです。生命がほとばしるのです。「生命がほとばしる本然の姿」生命が躍動するそれ自体が本来、神が創造当時に創られた本然の姿なのです。これがまさに「生命がほとばしる本然の姿」であるのです。

 その次に、「所望の価値で花咲かせん」初めて神が天地万物を創造された時に所望とされた価値的な存在となって、万世に花を咲かせて香るのです。これが神様が願った人格なのです。分かりますか? 皆さんもこんな人格を得るために、統一教会に入ってきたのです。そうでしょう?

国家の為の祭物の道

 その次に、三番は真理をいうのです。「秩序の要の上に真を立て」我々が今、動いていることは、世の中の動きではありません。世の中では’金をくれなければ仕事はしない。月給を貰わなければこの体が一日も動けない。報酬なしには生きてゆけない’このようになっているのです。ところが皆さんは月給を貰いましたか? 月給をあげるといって何をあげるの? 一文もあげないで、かえって捧げるというのです。月給を貰うというほうが異常です。そうでしょう? 皆さん、どうですか? お金をあげなくても働くでしょう?お金がなくても仕事をするでしょう? 女性たちもそうでしょう? これはどんなに凄いことでしょう。皆さんをおいてじっと考えてみるとき、ぎすぎすに苦労しても安いと思うのです。なぜ? 我々は民族を代表して、祭物的な立場に立っているからです。

 自由党の時イスンマン牧師が、統一教会の文先生の話を一言でも聞いていたなら、今日この国がこのようにならなかったのです。イギボンが絶対に死ぬことはなかったのです。パクマリアが絶対に滅びることはなかったのです。私がどうするか、分かりますか? ところがイ博士が反対をして、国を台無しにしたのです。この時私の話だけ聞いていたら、共産党はすでになかったのです。我々の理念がそうだというのです。もしもこの時この民族と既成教会が、統一教会文先生を異端視しないで手だけ握ったら、今日世界的な基準に上がっていたのです。また既成教会の牧師たちも、世界一二〇か国を飛行機に乗って往来することができるようになったのです。私はこのように分かっているのです。

 それで自信を持って今まで、この道を来たのです。神がそうだというのです。皆さん、復帰原理で学んだでしょう? 四〇年といえはどのような基準に上がって来るかということが、原理的にさっと出てくるのです。ですから先生が以北に行ったのです。エソウとヤコブが闘わなければならない立場になった時、ヤコブがどこへ行きましたか? 怨讐の世界に行かねばならなかったのです。それで先生も以北に行ったのです。すべての人々が以南の地に下って来るのですが、先生は以北に上って工作をしていって、再び以南へ下って来たのです。栄光の道が変わって、十字架の道になったのです。

 もしもこの時に私を歓迎したなら、今日既成教会が絶対にこうはならなかったのです。世界を救うことができる既成教会になったのです。今日の大韓民国もこのようにはならなかったのです。すでにアメリカ・ホワイトハウスの行政府は、我々の手に入っていたのです。しかし無念にもそうはならなかったのです。それで統一教会員が苦労するのです。民族が失敗したことを、蕩減しなければならないからです。

 それで先生は栄光の出発をすることができず、道を塞がれて獄中から出発したのです。そして先生一代に三国家の政権から、迫害を受けなければならなくなったのです。先生にどんな罪があるでしょうか? この国を誰よりも愛していたのです。日本に行って地下運動の先鋒になって独立運動もしたのであり、北韓の黄海道にいるときには密使として連絡することもしたのです。国のために、誰よりも強い愛国心をもって働いた人間です。日本にいる時も、名勝地を一度も訪れて見たことがなかったのです。私はぼろを着て食べられなくても、苦学生たちを訪ねて彼らのために苦労もしたのです。なぜ? 韓国を愛していたからです。

 韓国の民を先生が呪咀するなら、いくらでも呪咀できるのです。悲しみがあるとしても先生が味わった悲しみ以上の悲しみはないのです。しかし先生が迫害されることが問題ではありません。神の復帰摂理がどう左右されるかが問題なのです。この民族がこのようになったのは、誰のためでしょうか? 見てごらんなさい。三八度線が解決できないでいるでしょう。トル-マンが北進派の英雄であったマッカ-サ-の話を聞いていたら、一九五〇年九月に終わったのに、マッカ-サ-の話を聞かないことによって一九五三年七月に終わりになったのです。一人の人の誤りによって歴史がこのようになることを、誰が知っていたでしょうか? しかし知る人は知るのです。こんな恨多い事情を知らない人は知らなくても、知る人は血が煮えくりかえるのです。


 神の戦術戦略

 今、韓国の将来はどのようになるのか? こんな問題に対して、誰よりも深刻に祈祷した人間が統一教会の先生です。

 一九六二年、ソ連がキュ-バを軍事基地にするためにカリブ海域に軍艦を送った時、ケネデイ大統領は海上封鎖令を下し「打て! この時に打ってこそ、民主主義が守られる」としたのです。これは真に良かった事です。アメリカに入って統一教会がこれまでのように発展するまでは、苦喪が多かったのです。しかしながら先生は人々の言葉を聞いて動いたのではありません。天道がどうなるか、天地の運勢がどのように入ってくるか? どうすれば天地の運勢に拍子を合わせ、必要な人間を必要な所に配置するか、どのように祭物的な過程を経てゆくか、という人知れぬ曲折と闘いの路程をへて発展させてきたのです。今日皆さんがそのまま考えたら、蕩減することがないように思うのです。しかしながら皆さんは、過去に韓民族が天のまえに責任を果たさなかったことを蕩減復帰して、神の恨を解怨してあげなければならないのです。イスラエル民族が誤って、イエス様が苦労したでしょう? 同じことです。

 この地を解怨しようとされる神は、ご自身の最も愛する人間を先頭に立てて、サタン世界に押し出すのです。こうして打たれて奪って来るのです。これが神の作戦なのです。ですから統一教会は、三千万民族にぶたれ打たれているのです。一時反対される時、先生は三月の間、西大門刑務所に入ったことがあったのですが、出獄した後で人を送って刑務所の看守や囚人たちに、文先生がどうだったかと問うてみたのです。そうしたら「ホオ 、話も話だが、今考えてもひやりとする」と言うのです。また「その人にもう一度会って見たくない?」と問うてみると、首を立てに振るのです。その時、先生は米軍のジャンパ-を染めた作業服を着て、ゴムぞうりをはいて、頭はバサバサでしたから彼らが分かるかどうか? とても印象的だったのです。

 そして小さな小学生に「君は統一教会の文先生を知っている? 見たことある?」というと見たというのです。それでは「その人は良い人間か? 悪い人間か?」と問うたのです。そしたら「その人は悪い人だと、うちのお母さんがそう言った」というのです。

 宣伝をよくやるでしょう。そうでしょう? 宣伝をよくやりました。しかしながらそのような立場で、良いという日には統一教会に闘いがなくなるのです。良いという日には、すべてのものがみな過ぎ去ってしまうのです。災いがかえって福となるのです。

 近頃、統一教会が良いという運勢に上がってきたのです。既成教会はだんだん落ちて下ってゆき、統一教会はだんだん上がってくるのです。これからは既成教会牧師、長老の最も愛する孝子孝女たちを連れて、統一教会の文先生が教えて伝道前線に送り出すのです。それで我々統一教会には若い人たちが多いのです。皆さんの中で二五才以下、手を挙げてみて。はい、下ろして。統一教会員の平均年齢が二二才です。彼らに火をつけなければなりません。悲運にみまわれるこの国、この民族を、我々が救援しなければならないからです。先生は寝ても覚めてもこんな考えをしているのです。

 近頃、統一教会文先生がこの国の大統領になろうと、秘密裏に動いているというのですが、先生は韓国大統領のようなものは願わないのです。世界を料理するのです。アメリカのジョンソン大統領、ソ連のフルシチョフは取るに足らぬというのです。

 彼らが何を知っているでしょうか? これから世界をどうするかを、教えてあげるのです。先生はこのようなことを考えているのです。こんなことを言うと異常だと思うかも知れませんが、我々統一教会はそんな何かを持っているのです。


 貴い犠牲の代価

 皆さん、統一教会の原理の御言を聞いたでしょう? 統一教会の原理の御言は今日までの、歴史上にあった書物から生まれた御言ではありません。新約聖書にもなく、図書館の数万巻の本を探してもありません。これは統一教会の文先生独りの出版です。こんな意味において偽ではなく、本物なのです。もしもこの言葉が信じられないなら、命懸けで祈祷してみるのです。

 世界には数多くの宗教、数多くの教派があり、数多くの霊通人たちがいます。彼らは全部、霊的に先生の弟子の立場です。全部が僕の立場だということです。統一教会の原理は途方もないものなのです。既成教会の牧師、長老たちはよく知らないのです。彼らから批判され、彼らから倒される原理ではありません。この統一教会原理を捜し求めた先生という人間が、どれほど多くの考えをして、どれほど多くの祈祷をしたか知っていますか?

 途方もない内容を抱いて、途方もない闘い、途方もない血闘戦を経て、今日この地上に「統一」という看板を立てたのです。先生がキリスト教を知らないのではありません。キリスト教に対して彼らから、統一という名詞が出てくることをどれほど待ち焦がれたか知れません。統一という名詞が出てくことをこのように求めたのですが、最後まで出なかったのです。ところがこの失敗した基準を抱えてまた行くのか! ですから数多くの霊界を背後にして、ついにはその霊界を料理できる真理が、現れなければならないのです。

 我々は復帰の道に真を立てなければなりません。ですから我々の動きは真でなければなりません。父母の心情、僕の体、汗は地の為に、涙は人類の為に、血は天の為に、流すことができる人間がいるでしょうか? いないのです。だから皆さんがこの一国を、こんな立場に立てるなら、世界は問題なく征服することができるのです。

 神が今まで、このようにして来られたのです。満宇宙を創造された創造主なのに、創造主としての威信と体面が立たない神になってしまい、失った息子たちを捜すために僕の体で来られたのです。子女を生むために涙を流して一つの国、貴い地を捜すために、血の汗を流して来られたのです。また祭物的な立場で数多くの犠牲を払って来られたのです。神がこんな道を歩んで来られたので、神の息子・娘になるためには、今日我々もこんな立場で行かねばなりません。それで統一教会員たちは「苦労の道、涙の道、血と汗の道を行こう」というのです。涙を流すのも三千万民族を代身して流し、汗を流すのも三千万民族、さらには世界人類を代身して流すのです。血を吐き、血をふりまいても、この道を行かねばならないのです。

 そんな人間が多いのです。我々伝道隊員たちの中には、血を売って伝道に行った人たちが多いのです。こんな話を聞いた時、先生の心がどのようであったでしょうか? それでこそです。ここで語るこの先生も、上からの大きな使命を背負って今まで、人生を捧げてこのような道を歩んで来たのです。皆さんも当然、このような道を行かねばなりません。先生がこんな歩みをして来るとき、神様が協助して下さり、抱いて下さったように、先生もそんな心をもって、皆さんを神と因縁づけたいと願うのです。このような先生の心なのです。

 このような心情で神の血と涙と汗で結ばれた因縁を中心にして、そのような中で神の息子・娘としての栄光を得て、天地に勝利した姿として現れる一日を所望として望み見、一年、二年、十年、さらには人生のすべてを捧げて行くのが「統一勇士」の道なのです。

 私は皆さんのまえに先生という立場ですが、安楽なことを願ってはいないのです。立派な家を買って、羨ましいこともなく暮らす基盤はあるのです。そんな能力がなくはないのです。しかしながら私はそのようなことを願いません。国を持たない民は哀れな民です。その中でも自分の民族、自分の宗族、自分の家庭を持たない人間は、さらに哀れです。現在、統一教会はこのような過程にあるのです。この国を代身すべき大きな責任と使命があるのです。ですから個人的に見る時がないのです。それで皆さんを先に立てて、難しこに送り出すのです。

 これは先生の個人的な欲望や目的のために、やっていることでは絶対にありません。皆さんが血をたらして汗を流したものを、個人的な欲望のために使ったなら、天罰を受けるのです。皆さんの血は神のまえに貴く捧げた、万民を生かす一つの材料になるのです。この血が犠牲の血として蒔かれ、再び蘇生する日、万民がそのまえに頭を下げる一日が来ることを願っているのであり、またその希望が間違いなく成されることを知っているので、皆さんをこんな道へ行かせるのです。


 東方に明け来る燦爛たる文化

 三番を見ると「秩序の要の上に真を立て」とあるでしょう? 我々がこのように動いているのは、悪に占領されるためではなく、秩序の要の上に真を立てて、悪を占領するためです。それでこの真の実体を育てていかなければならないのです。

 その次は何でしょうか?「永遠を約束する不変の価値」でしょ? 我々が立てるべき真というものは、一時的なものであっては駄目なのです。我々がこの国、この民族の為に血と汗を流すことは結局、永遠なる天の国を成すためであり、千秋万代の後孫たちが永く賞賛する福地を成すがためなのです。永遠を約束する不変の価値こそが、永遠に共なる変わることなき価値なのです。このような価値が一つ、二つと合わさってだんだん大きくなって、遂には一つの真の真理の標柱が立つのです。こうして高らかに立てられた真理の標柱が初めて永遠に輝き「揚々たる善なる日」を装うのです。ここで揚々とは限りないことをいうのです。善なる日を限りなくきれいに装うというのです。この真理が我々の毎日々々の生活的な感情を、生活的な内容を装うというのです。このようにして「私たちは誇りなり、統一の勇士」になるのです。このようになるのです。

 四番を見ると「東方に明け来る絢爛たる文化、全世界がその光りの中に兄弟となり、願われる善き父母、とこしえに奉り、必ず成し遂げん一つの世界、私たちの誇りなり、統一の勇士」どれほど素晴らしいことでしょうか? 皆さん、みな一緒に歌ってみましょう。


 <祈祷>

 アボジ! あなたの為に生きるべきこの地の万民を復帰されようとされるあなたは、どれほど惨めな事情が多かったことでしょうか? お父様! み旨を知ってからあなたの為にという心が懇切であり、凄まじくも切ない心情にしみても、この御言の通りにアボジのまえに忠誠の道理を立てる者が、この地上に多くはないということを思うのです。天地を創造されたあなた様にこんな事情があるということを、誰が知っていたでしょうか?

 お父様! 数多くの民族の中で、哀れな統一の群れを守って下さることを本当に感謝いたします。私たちが従うこの道、他人が排斥し、他人がいかんというこの道は、涙なしには行けなこであり、死を覚悟して行く道であることを知っています。おくればせながら涙と共にアボジのまえに訴え出る私たち自身であることを考えますとき、一面では悲しく悔しいのですが、あなたの心情と近い場に立つことができましたことを考えますとき、真に感謝であります。

 今日、全国に広がるあなたの多くの子女がここに集いましたので、彼らの集いが無駄にならないようにして下さい。あなたが下された復帰の理念のまえに忠誠を尽くすことを誓い、すべての誠精を注ぎ、私たちにあるすべてのものをあなたの前に捧げることを覚悟する者たちですから、み旨の通りに私たちに命令して下さることを、身も心も伏して望むことをあなたは知っておられます。

 慶尚北道全体をアボジの掌中に復帰させるべき責任が、取るに足らない私たちに任されたことを知るものです。この手に余る使命を背負う私たちは、アボジに対するたびに今日も明日も、恐れ多いことを感じる他はありません。あなたがすでにこんな荷を負われたことを思い、あなたの愛とあなたの恩賜を考えるたびに、今日の自分があることを感謝します。

 今日このような環境でアボジを覚え、この民族の為に涙を流す子女をお許し下さることを、心から感謝いたします。この国、韓国の地を誰が愛し、この世界すべての人類を誰が愛するかとあなたが問われるとき、私たちがまず答えて出る者になると、すでに心より誓って久しくなります。私たちが誓ったすべてのことが、一片丹心、変わることを知らないようにして下さることを、アボジ、懇切に望み願います。

 今、終わりの時は急変しております。このような時に歴史的な因縁によって私たちが集まったことを知っております。それゆえ今日は勝たなければならないのであり、明日は開拓しなければならないのであり、今日の勝利と明日の開拓を誓う天の勇士となるよう、お父様、懇切に望み願います。

 艱難の中にもこの体を守って下さったわがアボジよ! 難しい中にも仰せつけ下さり、絶望の途上にもわたしがいるからまた行けと命令されたアボジがおられることを、私ははっきりと知っております。今アボジのまえに忠誠の道理を尽くし、アボジの仰せの通り従って行き、ひどい環境もすでに経てきたのですが、アボジがなさるみ旨は玄妙であり、アボジの摂理は奇妙とする他はありません。

 アボジよ! 困難が迫る時、その背後であなた様がいつも贈り物を持って来て下さることを知っておりました。お父様は打たれる者を愛し、迫害に耐えて克つ者に祝福を与えることを知っておりますので、今日の食口たちが心を尽くしてあなたを仰ぎ見るこの至誠をアボジ、記憶して下さり、この者たちを捨てたまわないで下さい。懇切に望み願います。涙のにじむこの者の行路が、アボジの心情の園に花を咲かせ、お父様が残された十字架の路程で勝利の精兵となりますよう、役事して下さることを懇切に望み願います。

 今度の期間はアボジのまえに誓った期間として、今統一の役軍たちは所々に広がって、アボジの御言とアボジの新生命の役事を成すものですから、お父様! この民族のまえに新しい光明なる光を輝かせて下さい。暗黒の権勢に捕らわれている数多くの若い男女に火を付ける導火線にならなければならないので、今回の期間に全能なる力によって私たちを導いて下さい。懇切に望み願います。

 今行くべき復帰の途上に立っていますから死んでも行かねばならず、生きても行かねばなりません。ここにお父様だけが共にいて下さい。あるいは倒れる恨があっても、あなたを証しすることができ、あなたから証されるあなたの息子・娘になりますよう、お父様!懇切に望み願います。

 アボジ、慶北地区を復帰して下さり、さらには大邱の都城に大きな恩恵をほどこして下さい。来ては行く一切のことが、自分のためとはならないようにして下さい。すべてのことがアボジの為であり、アボジのまえに忠孝の道理を立て、アボジのみ旨を成すためですから、お父様が収めて下さることを懇切に望み願います。すべてのことが人間のためとはならないよう、お許し下さい。アボジのものとして始まりましたので、アボジのものとして実を結ぶことができますようにして下さい。また、霊界の数多くの千々万の聖徒たちが歓喜する、勝利の基台を造る天の勇士たらしめて下さることを、懇切に望み願います。

 今日、この時間をお許し下ったことを感謝いたします。この期間に出会うことをアボジのまえに感謝すると同時に、私たちが一つになるようにして下さったことをアボジのまえに感謝申し上げます。さらには生きるも死ぬもアボジのみ旨を中心にして感謝すべき私たち、すでに命を懸ける覚悟をした体ですから、今日以後のすべてがあなた様が成されるみ旨の通りになりますよう、懇切に願うものです。

 残されたすべての時間を、アボジ、お守り下さり、勝利の一時を得ることをお許し下さることを、懇切にお願い申しあげます。数多くの統一の勇士たちがこの時間のために祈祷していることを知っておりますから、彼らの上にも共なる恩賜で保護して下さい。懇切にお願い申し上げます。すべてのみ言を主のみ名によって、懇切にお捧げ申し上げました。ア-メン。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.04.18 17:00:06
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