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2021.05.05
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カテゴリ:天一国摂理史
​​​​​​​​​​​​​​​​​



​​​​​​​​​​​​​​​​​​​文鮮明先生御言選集 20070505 - 「双合十勝日」三周年記念式典の御言

『「双合十勝日」三周年記念式典の御言』

天一国七(二〇〇七)年五月五日、韓国・天正宮博物館


 時が変わる節目の時

 訓読の前に、先生が言うとおりに言ってみてください。

 きょうから。(「きょうから……。」)天地創造の主人であられるわたしたちのお父様が。(「天地創造の主人であられるわたしたちのお父様が……。」)摂理上の先頭に立って指導する。(「摂理上の先頭に立って指導する。」)

 変わります。時が変わるのです。それを理解して、きょうが(「双合十勝日」)三周年なので……。きょうは、いろいろあって複雑でしょう? 五日目を越えていく時です。

 訓母様が来ていましたね。なぜ現れなかったのですか? (郭錠煥会長「来られましたが……。」)(「双合十勝日」の説明と訓読)

 (2007年)三月十七日[「キング・ガーデン」奉献式および環太平洋摂理新出発大会、ハワイ、コナ]、四月十七日、五月十七日、三か月です。本格的な出発です。韓国から、日本と米国と太平洋圏を超えるのです。最後の闘いです。

 先ほど始める前に、わたしが何と言いましたか? (「きょうから、天地創造の主人であられるわたしたちのお父様が、摂理上の先頭に立って指導する。」)摂理歴史時代において、初めて神様が先頭に立つのです。

 宗教を通して、思想を通してではありません。直接先生を通して先頭に立つのです。先生が十六歳(数え年)で新しく出発したのも、人間始祖が十六歳で堕落したからです。

 ですから、先生の体を中心としてサタンと闘い、分別するのです。先生が勝ち、内的な基準を中心として生き残ったので、外的なサタン世界が除去されます。蕩減です。

 天一国に入って、一年、二年、三年、四年、五年、六年……。これが逆さまにこのようになり、ここから四、五、六、七となって再び出発するのです。

 八です。これが中心になります。いつも一次から三次に超えていくのです。失ってしまったものを求めて戻ってきて、すべてを経ました。

 そのような意味で、「双合十勝数」というものは全体が入っています。ですから、十になった後は十一です。今までは、十の次の十一に神様がいませんでした。神様が出発しなければならないのですが、サタン世界より優れていなければならず、十より優れていなければ、新しいものはありえません。サタンが十を支配したので、新しく二十へつなぐ十一、また二十を超えて三十に続くことができる二十一、このように前に続く基盤を先生が築いてきたのです。(訓読が行われる)

 数えるときも、一、二、三、四、五、この五つです。これは、サタンが支配しています。三を通して全体を支配しているのです。一、二、三、四、五、これをすべてサタンが支配しているのです。ですから、取り戻さなければなりません。


 「双合十勝日」三周年

 きょうが満三年目です。「双合十勝日」の三年目です。三年が完成数なので、この摂理全体を天に委ねるのです。今まで、自分の不足なものは、サタン世界の助けを受けることはできないので、すべて真の父母に頼ってきましたが、今はもうそのような時が過ぎていきました。

 霊肉を中心として見てみたとき、真の父母が実体基準の体になっていますが、内的な天も父母なので、そこには影がありません。明るくなっているのは、内的な光が体を通して現れたものなので、サタンはここにいません。それを知らなければならないのです。

 この全体の摂理史を皆さんが考えれば、先生が本当に苦労したということを知ることができます。先生に対して「苦労した。」と言うことさえ大変です。自分たちは、個人時代も超えることができないのです。

 家庭時代、氏族時代、八段階の世界を超えていけません。それは、先生が超えていくのです。先生が十六歳を中心として、国のすべての希望も、家庭の希望も、兄弟の希望もなく、父母も信じることができない中で、独り闘ってきたのです。

 そのような位置に立って祈祷したのが、今、皆さんに伝えた「栄光の王冠」です。その時の祈祷です。わたしだけ残ったのです。一人しかいません。そのような責任を中心として、すべてのことが先生に懸かっています。死ぬか生きるかという問題が懸かっているのです。

 そのようなことを理解して、一次、二次、三次、個人時代、家庭時代、氏族時代、祝福家庭が経てきながら……。その祝福家庭が経てきた困難は、個人より家庭がもっと大きく、五段階までは、サタンの戦力がすべて集まってくるのです。

 サタンの全権と天の全権です。天の全権は行使しませんが、真の父母の全権をサタンに浴びせるので、サタンは五を超えて六までも思いどおりに処理しようとするのですが、それは譲歩しません。

 七年間で七千年を代表し、摂理史に必要なすべてのものを超えて、今、この(天一国)七年の一月からなされたすべての諸事実は、この世界、歴史の全体を代身してすべての季節を経るのです。

 四季、四時代、旧約時代、新約時代、成約時代、心情圏時代を超えていくのと同じであるということです。それを代表して超えていくのです。一心、一念、一核です。家庭が分かれることはできません。一つです。

 口と目、鼻が分かれることはできません。堕落していない心と体の考えによって作動するようになっているのであって、目自体、口自体では作動できません。今は目が二つです。口も二つですべて二つです。

 ところが、天の目が見えません。サタンの目で見ています。青盲(目はあいているが視力の全くない人)になっているでしょう? これが原理を通して……。

 「原理」もそうです。今から、(わたしたちの生活自体が)御旨の道になります。『原理解説』、『原理講論』の時代、そして今は実体の時代です。今からは祝福の完成です。

 そのようになっていくのです。それを知らなければなりません。皆さんが持っているこの本、平和のメッセージが最後の内容です。これをすべて覚えなければなりません。

 この先生のみ言の中の結論は一ページにもなりません。二分の一ページにもなりません。み言がそのようになっているでしょう? 百六十二ページ、百六十三ページです。

 何ですか? 結論が、どこですか? 何ページですか? これは別のものでしょう? 最初のものには、巨文島の話が出てきます。完成の日です。絶対性を中心として終わるのです。(「プリントされた本では百八十九ページです。」)

 ここに出ていますね。「平和メッセージ完成の日、二〇〇六年十一月十五日、巨文島にて」とあります。


 先生の時代は過ぎていく

 天正宮博物館においては、「二〇〇七年一月八日午前四時四十二分、完成完結」を宣布しました。

 これは先生です。すべての精誠を尽くして、やり終えたことを報告したものであるということを知らなければなりません。今からは、先生の時代が過ぎていくのです。

 自分たちがしなければなりません。先生に対して支援を願う、それは違います。​天の父母​を中心として実体の父母が一つになり、神様を中心として先頭に立てながら、皆さんがしなければならないのです。

 今までのような、神様が地上のわたしと共にあり、完成できていないわたしを押してくれる時代とは違うのです。神様が、前に立たなければなりません。

 ですから、きょう、皆さんが出発する前に、(「双合十勝日」)三年目の記念日なのでこれを宣布したのです。摂理歴史、摂理世界の先頭に、神様が立たなければならないのです。今から先生は、後ろに戻らなければなりません。称賛することがあれば、文総裁を称賛するのではありません。

 今までレバレンド・ムーンが反対されてきた代表的な言葉が何ですか? 真の父母です。この真の父母を取り戻すために、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母、復帰の過程には、このようなたくさんのこぶがぶらさがっていました。それを取ってしまわなければなりません。

 皆さんが真の父母と連結され、神様と、天地父母と連結されようとすれば、神様を足場にするのではなく、真の父母を足場にしなければ、天地父母、神様を連結させることはできません。真の父母が許諾しない皆さんは、天国でも何でも、存在価値がないのです。サタンよりももっと悪い、創造前の土の塊にも劣る位置に落ちるのです。

 再創造の歴史は、言葉だけで終わるのではありません。皆さんが言葉だけであれば、春なら春の風が吹き、夏なら夏の風、秋なら秋の風、冬なら冬の風、春夏秋冬の風が吹く、一年、二年、数十年の歴史が皆さんと何の関係があるのかということです。自分が誇ることができる期間になっていません。

 逆さまに下がっていきます。上がっていくのではありません。引っ繰り返って、上がっていかなければなりません。み言の訓読は、すべて終わりましたか? (「少し残っています。」)それでは読んでください。

 ですから、皆さんは、この日を守らなければなりません。毎年一月八日午前です。一月八日です。新出発する日です。四時四十二分です。サタン数を超えて、完成完結を宣布した記念日です。

 四時四十二分に起きて精誠を尽くさなければなりません。訓読会に参席するためには、精誠を尽くさなければなりません。先生は、十二時を過ぎれば、昔とは違う生活をしています。

 昔は、十二時、一時、二時に寝ましたが、十二時になる二時間前、三時間前、九時、十時になって寝れば、翌日は、必ず一時、二時前には起きるのです。

 きょうもそうです。そうしてすべて準備するのです。歴史時代のすべてのことを、再び行かなければならない道があるのです。


 『天聖経』と「平和のメッセージ」について

 ですから、『天聖経』やこの本(平和のメッセージ)は、皆さんのすべてと自分のすべての先祖を渡しても取り替えることができない本であるということを知らなければなりません。そのようなことを考えてみましたか?

 先祖も億千万金を出し、神様も億千万金を出して、この本と取り替えてもらわなければなりません。神様も解放されていません。真の父母自身が道を開いておいたので、真の父母がすべて解決しなければならないのです。

 今、先生は、神様が命令していない、以前に完成できなかったその道をすべて超えました。何のことか分かりますか? 「原理」にもなく、復帰の再創造理念の中にもないことまで、やってきたのです。それは根を抜くためです。

 題目が、「神様の理想家庭と平和理想世界王国」ですが、「平和理想世界」は取ってしまってもよいのです。「神様の理想家庭と王国」です。理想家庭の中には、神様のすべてがありました。

 理想家庭、理想氏族、理想民族、理想国家、理想世界、理想天宙、理想天上天国、神様の時代まで、そこにおいては神様と一体となって、神様との一体圏を成さなければなりません。八段階です。

 まず個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代の五段階を超えなければなりませんが、五段階を超えれば、この世界には行く所がありません。このようには連結されません。

 ですから、わたしが再び出発してここに合わせなければならないのです。合わせようとするのですが、サタンがこの中に詰まっているので、合わせることができません。これをすべて除去しなければならないのです。

 神様が除去することは、できないではないですか? 偽りの父母が生じたので、真の父母が千万の受難があっても、それをすべて除去しなければなりません。死ぬことが問題ではなく、これをなくすことが問題なのです。

 皆さんが、今まで暮らしていた、その習慣のままではいけません。今まで統一教会を信じていたそのままの姿ではいけないのです。

 アダムとエバが祝福を受ける前夜祭に現れるとき、あるべきものは何であったでしょうか? 水平を中心として、初めて横的な世界の上に縦的な出発が始まるのです。この横的世界は、すべてのものを立てていては、この縦的世界と横的世界の中心が生じません。

 中心がいくら大きくても……。中心というものは、ここで立てることはできません。ここで二つをぴたっと合わせて広げ、ゆがんだ所を広げた所で中心が立つのです。その四方を中心として、この中心の縦の長さに該当する型が四方にできれば、その分、高くなるのです。これが押してなくなれば、これが生じます。

 皆さんが断食するのは、そういうことです。世の中で願う心と体の欲望をすべて否定してなくしてしまえば、その分、上がっていきます。無視した分、上がっていくのです。

 中心はこの二倍ではありません。この二つに折った半分の所に上がっていくのです。合わせれば、中に縦的な基準がぴたっと一点で出てきます。中心点として、ぴたっと一点が出てくるのです。

 ですから、天は、二倍以上努力してこそ残るということです。そのようにして中心が出てきます。そうではないですか? 二倍にするよりも……。二倍にしても、ここから芽は出てきません。それよりも優っていなければならないので、二倍以上、三倍です。三倍であってこそ、折って入っていき、同じ位置に立つのです。そうでしょう? 三倍になってこそ、出てくるのです。


 「初不得三」

 「初不得三」ですが、「初」と「不得」は駄目です。「三」が中央に留まって出発しなければなりません。言ってみてください、「初不得三」。(「初不得三。」)

 わたしたちは、サタンに勝ってこそ、新しい出発ができます。「初不得三」です。ですから、これを中央で半分に折っておけば、この位置を中心として、この中の値がこれと同じにならなければなりません。二つが合わさって代表……。ここでは、一人で行くのではありません。相対理想です。一つ、二つ、三つ。そうでしょう?

 二つが一つになっていないので、三つが一つになりません。二つが一つになり、折って挟み、一つを立てようと犠牲になってこそ……。二倍以上、三倍以上しなければなりません。これは、主人が来てしてくれます。宗教であれば、教団の責任者たちが責任を果たさなければなりません。

 教団の責任者たちが、その権威を中心として……。これは、世界の中心ですが、教会の中心はこれしかありません。そこで、神様が自分と共にあると言い、神様のみ旨がどうだと言いますが、どうやってそこから出発するのですか? 出発できないので、そこで動けば動くほど、だんだん、だんだん落ちていくのです。

 それで、すべての主義が世界主義を主張するその時は、共産主義も滅び、キリスト教主義も滅びます。それがすべてなくなり、残るべきものは、キリスト教や共産主義が求めようとしていた世界主義が残るのです。それは、神様を中心としてアダムとエバ、本然の理想的な基準である最初と二番目と三番目が残ります。三番目が真ん中になっています。そうでしょう? そうではないですか?

 このようにこの二つを折れば、中央がどこかというと、この縦的なものは、二つが合わさった中心に立つので、半分にしかならない所です。その二つの生命体を中心として、その根源がすべてそこにぶらさがっています。

 ですから、絶対に一つにならなければなりません。分かれた存在はありません。絶対信仰という観、絶対服従という観、そこに横的に延長した……。折る前のその延長が役に立ちますか? そうでしょう?

 右側と左側の二つが合わさり、その中に、三を挟んで入れなければなりません。右側と左側の代表なので、そこから根になり、幹になり、新芽が出てこなければなりません。新芽というものは、統一された縦的基準の中心です。

 自分個人主義ではありません。天宙主義まで拡大するのです。人間が暮らしている今の生活環境では、いくら理想が発動してもそこには届きません。その最高の中心、最高の高い所に神様がいるというのですから、そこは安全地帯でしょう。自分のあらゆる精誠を尽くして、それがそこに届けば、神様がそこから下りてくるのです。

 それでは、ここに備えたすべてのものは自分のものではありません。中心のためのものです。中心のために存在するものであって、それが自分のものだという女性や男性たちは、どろぼうです。

 地にあったものを、わたしが天に上げ、神様の所有権内に広げなければなりません。広げれば、下りてくるのです。ここから下りてくるので、サタン世界はなくなります。このように回っていくのです。それで、サタン世界はなくなります。存在することができません。

 ですから、百八十度の基準から上がっていき下りてこようとするときは、サタン世界はありえません。回れば回るほど、すべて風が押してくれ、作動するのです。それで、反対がありません。解放釈放時代が来るのです。

 運動の法則がそのようになっています。じっと見てみれば、運動がそのようになっているのです。それを、度数を合わせて解いていくのです。双合十勝というものが、神様の日になります。

 数に対して、一、二、三、四、五、六、七、八、九まではサタンが支配しました。それで十分の一献金です。十分の一献金というものは、神様にささげるのです。そうすることによって、人間の体はサタンのものになりましたが、神様が人間のしっぽにくっついて離れずにいることができるのです。

 しっぽが生きて、体まで生かそうとすれば、天が霊界に入っていって補充して連結させてあげなければなりませんが、そのしっぽがありません。父母がしっぽになりますか?

 ですから、上がっていってから下りてくるとき、頭がしっぽになり、しっぽが頭になって戻ってこなければなりません。そのようになるではないですか? それで回るのです。回る原則があるので、逆さまの形になっても、それは立て直すための不可避な結論です。


 所有権について

 それで、皆さんが生まれるとき、自分の主人がいますか? 父母も自分の父母ではありません。父母自体も自分の父母ではないのです。自分という存在が、母親の卵子と父親の精子が一つになる場に自分がいましたか? 自分の所有権がどこにあるのかということです。すべて母親と父親の所有権でしょう。

 ですから、父母を信じることができなければなりません。この原則を知れば、孝子にならなければなりません。聖人でも何でも、道人の道というものは必要ありません。宗教でも何でも、必要ありません。父母がいて、そこで母親が認め、父親が認めてこそ自分のものになり、自分の体のように考えてくれてこそ、自分の所有権が生じるのです。

 父母はそうです。皆さんはそうではないでしょう? 父はわたしの父であり、母は永遠のわたしの根本であると考えていますか?

 めちゃくちゃになりました。堕落世界では、母が死ねばよいと考え、父が死ねばよいと考え、兄が死ねばよいと考えているでしょう? それは、すべて自分のために……。地が土でわたしを立ててくれたのに、これ(地)を否定すれば、自分はなくなるのです。

 それは、「地獄に行ってはいけない。」と言っても、地獄に行きます。簡単なことです。それは難しいことではありません。哲学や宗教は必要ないのです。それを知らなければなりません。

 皆さん、先生がしたことは、皆さんも自分の生涯ですべてしなければなりません。祝福結婚式をしなければならないでしょう? 天の国の国民証を受けなければなりません。何でもよいのではないというのです。

 先生が死の峠道を歩んできたことが、すべて骨になっていて、手が、骨が……。骨をかたどって体が生じるのです。この地上の堕落した人間たちは、骨がありません。骨があるとしても、臨時のものであり、しばらくの間あるだけで、サタンが喜ぶものです。

 アダムでいえば、一代に連結できる、ふにゃふにゃした骨があったかもしれませんが、それはあってもなくても同じです。十年の歳月で見れば、なかったのと同じです。かえって妨害になるのです。自分の所有権があってはいけません。

 自分の夫と妻が、今から神様が勝利した天国を中心として認定されなければなりません。その天国は、堕落する前の神様の創造理想世界での一つの天上天下であり、天上天国です。それが地に下りてこなければならないというのです。

 地上世界と天上世界は、別々ではなく一つの世界です。天国だけがあり、神様を中心としてわたしの父であり、息子、娘にならなければなりません。「神様の家庭がわたしの家庭である。」と言うことができ、共に暮らすことができる立場にならなければならないのです。

 この天正宮博物館が皆さんの家ですか? 三日なら三日、一週間なら一週間に一度ずつここに来て眠りたい、そうでなければなりません。眠らなければならないのです。ここに連結した地、北漢江の川を中心としてこの川、京畿道、江原道の境界線を引いている、この二つの世界をだれも思いどおりに入ってくることができません。今すべて入ってきているのです。

 ここに、統一教会に反対した人がいます。訓母様を苦労させ、引っかいて血肉をはがし、自分が裕福に暮らそうとした人です。どうなるか、黙って見ていなさい。

 最初はうまくいくように見えますが、だんだん、だんだん風に飛ばされてしまうのです。吹きつける暴風雨は、それをほうっておきません。いくら砂漠の丘があっても、風が吹けば平地になるのです。ぴたっとそのようになります。

 ここに上がっていくのですが、自分の土地があっても、自分がその主人ですか? 神様のものなのですから、神様にお返ししていないものがあれば、墓でも何でも、自分の先祖たちが来て、すべて入れ替えなければなりません。

 それで、ここに新しい花や木を植えるのです。クロフネツツジですか? (「つつじ浄火祭です。」)浄火祭ですか? 浄火祭とは何ですか?

 祝賀するのです。祝賀というものは、神様を抜かしてだれを見て祝賀するのですか? わたし、文総裁は、どれほど苦労した体かということです。サタンに打たれた跡が多いのです。

 その跡は、うれしいものではありません。わたしは苦労しますが、皆さんの苦労をすべて超えさせてあげるのです。ですから、わたしが飢え、わたしが困難でも、皆さんがみ旨を知り、生死の境を意に介さずに行こうとする人には、自分の服を脱いで与え、皮を脱いで与え、肉を脱いで与え、骨を与えてあげるのです。父母がそうです。父母の心情がそうなのです。

 ところが、皆さんが死ぬまで先生を利用し、先生の世話になり、先生を苦しめて死ねば、どうなるでしょうか? では、先生を愛していますか? (「はい。」)どのように愛するのですか?

 自分は、山が溶けて砂の海になり、砂の海が緑地帯になり、花が咲き、オアシスのような泉になって草木が育ち、そこで畑仕事をして神様をお迎えしようと考えなければならないのが、堕落によって地獄に行っている人たちの立場です。

 わたしは、それをそっくりそのままつかんで水平にし、ちょうど半分のここに立たなければなりません。自分中心に、これもわたしのものであり、これもわたしのものだと、永遠にそのようになれば、上がっていくことができません。

 天国がないのです。そうではないですか? 地で億万年暮らしたいと思うでしょう? 霊界に行きたいという思いがありますか? 中心がなければ、中心にいることはできません。中心になるためには、四方、東西南北を中心とすれば、東西南北にすべて与えなければなりません。

 それで、先生は、韓国人として韓国のために生きたのではなく、世界の人のために生きました。どこかの島国に行けば……。島の中で、いちばん大きな島はどの島ですか? (「世界で、ですか?」)そうです。(「オーストラリアがいちばん大きいです。」)オーストラリアは大陸でしょう。(「はい。」)

 島国に旗を挿さなければなりません。ですから今、韓国の地にある四千三百の島を、わたしに任せなさいということです。先生がそのように懇切に願っても、黄善祚氏は、「先生だから言うのだろう。」と、すべて忘れてしまうでしょう? やらなければ、先生が大統領を立ててしまわなければなりません。

 皆さんが先頭に立たなければ、わたしが先頭に立たなければなりません。わたしが先頭に立つことはできないのです。十二か国の大統領を立ててこそ、先頭に立つことができます。十二支派長ではないですか? そうではないですか?

 二千年前、イエス様もその十倍、百二十か国の上に立たなければなりませんでした。ローマを消化すればよいのです。ですから、環境を創造した神様がイエス様を送りましたが、イエス様が行くべき環境においては、そこに主体と対象の組織を編成し、人生と国の形態を成すのは、イエス様自身がしなければなりません。

 皆さんに、すべてただでしてあげたのですが、これをもってこれを成していける部屋もありません。公的な部屋がないではないですか。すべて公的な所有です。ですから、ここにすべての財産をはたいて入れなければならないのです。

 先生が、ここに修理できるお金を用意しなければなりません。また、ほかの宮殿を建てて拡大するために、この宮殿で食べさせることができず、着せることができず、覆うことができずにいるのです。ないからです。自分たちが平安に暮らして、ここに来て、「自分の宮殿である。」と言うことができますか? これが自分の宮殿ですか? それをしなければなりません。

 訓母様、来ていませんか? 訓母!

 きょう五時に訓母様がよく来ました。きちんと知っているからです。日本に行って、責任を果たしなさいと忠告するのです。十七日まで、負債を負ったまま超えてはいけません。負債を負えば、その負債を返して超えていかなければならないのです。

 それで、そこにいる人たちを、どこかに移動できる条件を立て、時になれば移動してしまわなければなりません。今のままでは、日本の国の人は、生きていけません。流れていって、すべてなくなってしまうのです。ですから、深刻なのです。

 さあ、わたしがする話ではありません。結論を下しましょう。(「結論を、最後に奉読いたします。」)最後をよく聞いてください。(訓読)


 わたしはない

 これが一つです。この中にわたしが入っていかなければならないのです。わたしはありません。わたしはないのです。こうして、これが一つの年輪になってこうなります。年輪になるのです。何千年たっても一つの木です。先生と共に同じ年輪にならなければなりません。年輪になっていないでしょう?

 自分たちの所有権はありません。先生の年輪の前から離れれば、離れたものはいつでも破壊されるようになっています。皆さんの一族が引っかかります。

 文氏なら文氏自体が、全体の年輪の中に入っていくことができなくなれば、残された年輪となって、行く道の前に千年万年怨讐です。サタンの振る舞いをするのです。清くなければなりません。

 先生のような年輪……。この年輪が神様の年輪ではないですか? そうではないですか? 心と体が一つになり、それが神様を中心とする年輪にならなければならないのですが、体自体が、自分のもう一つの所有権を中心として天を否定する立場に立つようになれば、これはなくなるのです。

 今からは、救援摂理がないので、残りません。なくなるのです。だれが救ってくれますか? 皆、知っているでしょう? 天国に行ける図面をすべて与えました。これを持っていれば、だれか反対すると思いますか? これを一枚(一ページ)でもつかんで離さなければ、天国に上がっていくのです。

 この本自体が完全な本です。ですから、この本が天上に上がっていくとき、皆さんがつかんだページが破れてはいけないので、皆さんも一緒に引っ張られて上がっていくのです。

 そうなれば、霊界に行った先祖たちはどのようになるでしょうか? ほかの世界に行き、島国のような所に連れて行って、再び教育しなければなりません。それは、先生が行ってするとき、一対一です。条件的な蕩減時代ではありません。春夏秋冬、四季の結実までも、実ができていれば、実に該当するものまでもすべて蕩減されなければなりません。

 エデンの園の土の中に、すべて埋められて戻っていくでしょう? 死んだ人類を燃やして、その灰のようなもので再びつくることはできません。そうではないですか? 本然の土になりません。それ自体が神様の墓になるのです。神様がそれに見向きもせず、それを避けて遠回りするのです。

 優れていると自分を誇っていたことそれ自体が、自分の先祖たちまでなくしてしまうのです。先祖までなくなります。ですから、父母を失ってしまうのです。天地父母と個人的にどのような関係であり、家庭的にどのような関係であり、天地とどのような関係があるのですか?

 わたしは関係がないでしょう。生きていくのに、日月星辰も空気もすべて「関係ない。」と言い、太陽が「関係ない。」と言えば……。関係のあるいちばん重要なものを知らず、一人ですべてなくしてしまいながら、ありがたさを知らずに生きているでしょう? 地に対してありがたいと思い、空気に対してありがたいと思い、太陽に対してありがたいと思いますか?

 未開人たちのほうが、むしろりっぱなのです。文明人たちは、夢にもそのようなことは思いません。未開人たちは、それでも自分よりも大きなものの前に頭を下げようとするのです。それが迷信(自然崇拝)です。迷信の王の峠を越えてこそ、善の人が生まれるのです。

 そうでなければ人の根本がなくなります。そのようなことを深刻に考えれば、どうして独りで暮らせますか? 人里離れて独りで暮らし、働きもせずに暮らせるのですか? ほかのものは、虫のように動いて働いています。太陽もそうであり、日月星辰、すべてのものが万宇宙の存在を生かすために存在し、働き、消耗して犠牲になり、努力して子女を生むのです。なくならないために子女を生むのです。

 最近は、女性たちが子供を嫌うでしょう? 夫も嫌い、女性だけがいなければならないと思っています。女性だけで一人で暮らしてみなさい。

 あとで影もなくなります。故郷もなく、父母もなく、独りで自殺して死んだ後、復活して生き返ると思いますか? 自分で自分を殺した者を、だれが生かしてくれますか? 生かすことができる時代の恵沢を真の父母が与えたのに、また自殺したいというのですか?

 父母に連帯責任があるのです。生かすことができなければ、皆さんの息子、娘、皆さんの子孫が地獄に行くのです。ですから、善の子女の服に着替えさせるまでは、境界線を越えることができません。

 礼服がなければ、人が行き来する村の祝宴の場に入っていって食べ物にあずかることはできても、本当の新郎を迎える場には入れません。そのような主人のいる場に入っていくためには、主人の祝宴を手伝ったという何かの内容がなければ、その場にいることはできないのです。恵んでもらってばかりいる人が、主人の位置に立つことができますか? 追い出されるのです。

 天正宮博物館の主人はだれですか? 神様ですか、先生ですか? 皆さんですか? 皆さんが父母の名によって、真の父母の名によって一つになっていると、この周辺に来て……。

 とんでもないことでしょう。世の中の人が、いくら見物したいと思っても、ここに来ることはできません。許諾しません。「十年、百年、この境界線に入ってくることはできない。」と言えば、ここに訪ねてくる人が何人くらいになるでしょうか? 皆さんは、サタンの四親等、サタンの十親等、サタンの百親等、何と言いますか? 影のような人が入ってくることはできません。

 それを知らなければなりません。深刻に考えずに、ただ群れの中で押されていきながら食べる物を恵んでもらう、そのような不規則(無秩序)な民はありえないのです。それをすべて目覚めさせるために……。

 峠を越えようとすれば、自分が越えなければなりません。だれも越えさせてくれません。最近は飛行機があり、ヘリコプターがあるので、ありがたいのです。統一教会員たちは、ヘリコプターに乗って、飛行機に乗って行き来しましたか? 先生がそのようにしているので、皆さんにもそのような時が来ます。サタン世界が黙っていますか? 過った人は、かみつかれてのびてしまうでしょう。

 ですから、皆さんの先祖が、過去において皆サタン側に入っているので、早く先祖たちを救ってあげるようにということです。

 アダムとエバを最後に創ったでしょう? 今は、皆さんを祝福して先に創ったので、父母の代身、先祖の代身にならなければなりません。

 そうでなければ、先祖たちが逆さまに引っ張っていくのです。また、親戚が怨讐になります。ですから、親戚を祝福するのです。族長たちをすべて祝福したでしょう? すべてしました。先生がそのようなことを無責任に流してしまったりしません。

 今、カインの王たちを皆呼んで参席させています。何が何でも、自分の国の王は、手紙ででもアベルUNの加入書を書かせるのです。書かなければ追い出されます。神様の怨讐であるサタン世界の何倍もの城が、包囲してしまうのです。それは、越えることができません。

 女性が女性を好み、男性が男性を好んで友達になり、そこで……。それは、島国に追放してしまわなければなりません。本来は、男性と女性が一つになって子女を生まなければならないのに、男性は男性同士で暮らし、女性は女性同士で暮らし、互いに自分たちが一番だと言って争うので、最後には皆死んで、なくなるのです。

 今、女性時代が来たと言うでしょう? 女性時代を誇ったからといって、生きることができるのですか? だれが女性時代をつくってくれたのですか? 神様です。天のお父様です。お父様なのです。

 それでは、その時代になって青春を迎えても、赤ん坊を生めなかったおばあさんになれば、どれほど恨が大きいでしょうか? 尽くした精誠がすべて流れていく精誠になるのです。

 歴史時代の新しい時代において、新天新地で精誠を尽くす清い男女が、新しい夫婦の立場で赤ん坊を生むことができていないので、分身をつくりなさいということです。母の分身、父の分身です。接ぎ木してあげるのではないですか? 接ぎ木してあげて代身者になりなさいということです。接ぎ木するということは恐ろしい話です。そのようなことをよく知らなければなりません。


 きょうから神様が先頭に立つ

 きょうから摂理上において、だれが先頭に立つのですか? (「神様です。」)先生が独り祈祷してきたのです。「このような日になります。」と祈祷してきたのです。

 ですから、そのような特別な日なので、先生自身も、時間がなくて精誠を尽くせなければそれを悔い改め、そこに条件を立ててこなければなりません。「このようなことで代身します。」と、そのようにしてこそ引っかかりません。そのようにしなければ波風が立つのです。

 ですから、九十になろうとどうなろうと、座って……。座っていれば足が痛むのです。二時間より三時間はもっと腫れます。立っていても腫れるのです。どうしますか? 横になって暮らさなければなりません。横になって暮らしてもそうです。横になっても、腫れたものがよくなりません。ですから、地上で生きられる時間が長くありません。自分の体の重さがだんだんとどのように変わっていくのかを知ることで、(地上に)いる日があまりないということが分かるのです。

 それで、あの国に行って第二次的な責任が残っているので、その責任を果たすために今準備するのです。

 このような怨讐がいたのに、あの国ではどのようにするつもりですか? 天の直系の息子、娘を刃物で切って殺すのを現場で見た神様が、赦すことができたのかということです。

 「あいつを殺しなさい。あいつの刃物を奪いなさい。」、このようにできなかった天の事情……。神様がそれに手を出すことができなかったので、再臨主が、息子という人が何十倍の鍛錬を受けました。

 そのような怨讐は、先生が喜ばない人であり、夢に見るのも嫌う人であるにもかかわらず、天上に行くときにそのような人を連れて行くのですか? 新しい保留地域があるということを知らなければなりません。

 今は一つの体制なので、地獄と天国が合わさって完全に入れ替わるのです。夏が夏にならなければならないのであって、秋になってよいのですか? そうではないですか?

 皆さん、それを知らなければなりません。あの国に行っても、先生についていくことができません。地で先生が「来なさい、来なさい。」と言っても、来ることができなかったのですから、先生が訪ねていくこともありませんが、訪ねていっても収拾しません。知らないふりをします。それが人情の常です。人が互いに持っている情なのです。

 ですから、先生は、だれの名前も記憶しないようにしようと思っています。姉の名前までもすべて忘れてしまおうと思うのです。もうろくすることを何と言いますか? (「痴呆です。」)侵害ですか、痴呆ですか? (「痴呆です。」)(韓国語で「侵害」と「痴呆」は同じ発音になる)「痴呆」はどのような意味ですか?

 「侵害」です。「害なので沈んだ」という話です。役に立たないということです。かえって妨害です。長生きしようとすれば、朴パク正敏さんのように痴呆にかからない自信がありますか? 今、九十四歳だそうですね。わたしは九十二歳だと思っていたのですが、二歳上の九十四歳だそうです。

 きょうが何の日ですか? 「双合十勝日」ですが、朴正敏さんが出てきて、一曲歌でも歌って、全員で一度万歳をしましょう。

 神様が代表としてこの地上に責任を持つときは、一晩で天下をすべて引っ繰り返し、わたしが願うとおりにするのです。朝になれば夜が来ます。朝に、「ああ、わたしは朝に目が覚めたが、夜が必要だ。」と考えても、夜になりますか?

 まっすぐに立ってみてください。このように体が曲がっています。それが習慣になっているからです。きょう、暗唱したいものをすべて暗唱してみてください。わたしがちょっと聞いてあげます。歌も歌い、暗唱したいものをすべて話してみてください。(朴正敏 勧 士の歌)話したいことを話してみてください。きょうは何ですか? (朴正敏勧士の証し)

 女性たちは、一年に一度ずつ精誠を尽くして朴正敏さんに食事を接待し、喜ばせてあげることが、自分たちが天国に行く一番の近道であると考えるのがよいのです。「あのおばあさんは、遠からず死ぬので関係ない。」と考えてはいけません。

 また、その次に、姜賢實さん。(「はい。」)一度、愚痴を話してみてください。「愚痴」というのは、「お釈迦様の経文だ。」と考えていましたが、自分の嘆かわしい愚痴を話してみてください。(姜賢實会長の証し)(史吉子会長の証し)

 演説文は、すべて終わりましたか、終わっていませんか? (「はい、少し残っています。」)終えましょう。これが必要です。中間に入れておいたものは、すべて必要なのです。きょうは記念する日なので、このような話をすべて聞いて、ふろしきをすべて解き、真っ黒なものを洗わなければなりません。

 自分自身が知っているので、良いものは残しておき、良くないものはすべてほうり投げるのです。毎日のように見物しなければなりません。天国に行けることがどれほど美しく、どれほど巧みで、どれほど不思議で、どれほど貴いかという事実を知らなければなりません。さあ! (訓読)(郭錠煥会長の祈祷)

 きょうたくさんのことを聞き、たくさんのことを感じ、たくさんのことを考え、そのことが皆さんの実として実るように努力さえすればよいのです。結実した世界は永遠です。(「億万歳」三唱)

 今から四回目を迎えるときは、健康で恥ずかしくない皆さんになることを決心するように願います。分かりますか? (「はい。」)


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Last updated  2021.05.05 21:51:07
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