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奇   知   外   記

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2021.05.30
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​​​​​​​​​​​​「先生御自身の証」

1970年10月13日
水澤里にて


 涙の信仰生活

 結局は、この歴史のすべての犠牲は、私一人を救うためのものであったことを実感できる、自分の人格を持たなければならない。そういう歴史を見た場合には、涙なくしては見詰めることができない。統一教会の食口は、涙の切れる生活であってはいけない。
 一週間、だれも自分を相手にしなくとも、自分なりの信仰生活ができなければならない。神様と向かい合った時、胸が裂けるほどの悲しみを感じる。こんな私を頼りにせざるを得ない神様は何とかわいそうか。つらい歴史を担当してきた神様の心情を、私たちは慰めなければならない。神様には昼も夜もない。何千年も続けて失敗を繰り返しながら後退できず、ずっと摂理を続けてこられた神様はいかにかわいそうか。
 涙が切れている統一教会の兄弟は、食口ではない。目がはれて、太陽を見ることができないほど泣き続けたことがあるか。本当の孝行息子なら娘なら、一言の言葉で神を泣かせる。また神の一言で、わき上がる涙を抑えることができない。いつ自分の感動的一言で、神が泣いたことがあったか。神と抱き合って一体となって感謝し合ったことがあったか。
 世界のだれ一人分からなくとも、神と私との間にあったその内容は、だれにも否定できない事実として存在している。それがなければ霊界に行っても惨めだよ。心情が問題だ。子としては、やってもやっても、もっとやりたくて、そしてもっと探し求めるような心情だよ。神のためにやりたくてやりたくて、それが永遠に続くような心情だよ。こんな神様を自分の父として迎えるのが、統一教会の食口だ。

 北韓の牢獄

 先生は、北の共産党の牢獄に入って二年八か月(興南では二年五か月)、重労働した。何の労働かというと、肥料工場だ。硫酸アンモニアの工場で、粉がコンベヤーで工場の真ん中に落ちるようになっていて、それをはかりにかけて袋に詰め、貨車に積み込む。
 熱処理をして造ったものだから、落ちてくる硫酸アンモニアは熱い。それが冷えると塊になる。それを何年も置いておくと、岩石のようになってしまう。
 重労働だった。一日八時間の労働時間に、一人ひとりの責任分担がある。十人が一組になって仕事をする。一日の責任は千三百袋で、八時間以内にやり終えないと、食料の半分は減らされてしまう。一日にくれるご飯は、小さなおわんに一・七杯くらい。漬け物は何もない。汁は塩水をかけたもので、みそ汁ではない。それを食べて八時間労働するのだよ。
 共産主義の作戦で、重労働させて殺すようになっている。ここに入って三年たつとみんな死ぬ。必ず、間違いなくそうなる。三年以内に。食べ物をやらずに重労働させるのだから、この工場に入ってくる者は、まず完全に処分できる。
 この世の基準なら、一日に三食、油物を食べて最高にやっても一日七百袋だよ。この工場はその倍に近い。
 食べ物は少ないし、大口なら三口で終わってしまう。そして重労働するものだから、朝食べて工場に向かうその道でもう足が何回も曲がるのだよ。そういう足を引きずって行って、朝から働き出す。それはもう悲惨極まりない。

 半月かかった決心

 先生は、共産党の政策を相当知っているから、それに引っかからないようにした。先生は、与えられるご飯の半分で生きる決心をした。人間は、パンによって生きるのではないんだよ。神様からの言葉で生きるんだよ。どうせこのご飯では死んでしまう。だから、このご飯の半分で生きようと決心するまでに半月かかった。自分が半分食べて、あと半分は配ってあげる。いかに自分が精神的に幸福か。日々、いかに感動の量を大きくするかが問題だ。精神的慰めは実に大きなものだよ。
 生活は科学的である。働いていても働いていることを考えない。仕事の時間が祈りの時間だった。いつも世界的にいろいろなことを探っている。
 朝、牢獄を八時に出発して、工場に十時に到着する。
 十分間トイレの時間が与えられた。
 もう死にたいくらい疲れるのだよ。胃が溶けてしまうほどのつらさを感じる。だからそのことを全然考えない。それを考え出すと、ただ休憩の時間ばかりを頭に描く。四十キロの中身を入れて、それを持ち上げるのが一番難しい。皆嫌がる。先生は、みんなが嫌がるこの難しい仕事を自分が担当する。この難しい仕事を続けたら死ぬ。だから、この一番難しい仕事をやり抜く体力をつくるより生き抜く道がない。
 皆さんも一番難しい仕事を担当せよ! そういうように前進的に考えよ!
 一日に千三百俵以上入れて運ぶのだから、もう休む暇がない。千三百俵といったら、この講堂(水澤里)よりも大きな山になるよ。考えてごらん、千三百俵だよ。これを一日八時間でしなければならない。粉を入れて量って、袋を移動するのに五分から十分かかる。平均五分でやった。みんなは十五分かかる。こんなに時間をかけていたら、責任分担を果たせない。山を崩していくにしたがって、はかりを移動していくのだが、四、五メートル以上はかりを動かしたら遅くなる。だからあまり動かさないで入れるように工夫した。
 みんなこれに従わないから、しかたなく自分一人でやる。そういうふうにやると、みんなやはり良心があるから、先生は千三百俵のうち半分以上は一人でやるので、結局はみんなが従ってくるようになる。
 先生は模範労働者だよ。共産党から毎年、模範労働賞をもらった。その時の体重は十九貫三百(七二キロ)あったよ。今は二十一貫(七九キロ)近くある。先生は見たところあまりないようだけれど、骨が重いのだよ。
 囚人は皆やせ衰えるのに、先生はやせない。だからみんなの研究の的だった。
 新しく入ってくる者には先生が教育した。
 体は硫酸に侵されてくる。毛が抜けてくる。肌をつまんでみると水が出る。六か月で必ず喀血する。たいがい肺病と思って落胆するから死んでしまう。せいぜい一年半くらいか、二年しかもたない。

 どれくらい腹が減るか

 どれくらい腹が減るか。ご飯がどれくらい欲しいか。それは話にならないや。
 自分の家族とかが面会に来る。来る時は何かを持ってくるので、どんなに恋しい妻でも、慕わしい母でも、来た人の顔を見るより先に、まず持ってきたものに目が行く。面会の時は持ってきたものを食べられる。どんなに会いたい妻でも母でも、そんなものより食べられることがうれしい。
 工場ではほとんど食べさせないから、面会の時に食料を与えないのでは社会問題になってうるさいので、これは許していた。面会に来て、米の粉を持ってこなかったときほど悲しいことはない。親が死ぬより以上悲しいというんだね。それはもうあなたたちには理解できないよ。
 どれくらい腹が減るかというと、腹が減ると胃液が出る。ただ胃が運動するから熱が出る。だから、唾がゴムのようにずうっと伸びる。それはもう想像できないだろう。
 一番恋しいのは満腹になることだ。そうしたら死んでもよいと思う。これだけご飯が恋しいんだよ。そういう日の連続だ。
 ある人が面会に来て米の粉を持ってくると、それをこねて餅を作る。しかし、石でこねると石に粉が付くから石をあまり使わない。石に粉が付いたら、もう競争し合って、それを取って食べる。それは話にならない。研究にも及ばないところの境地だよ。ご飯がどれくらい恋しいか、それは死ぬ境地を越えるほどご飯が恋しいんだよ。
 工場に出ない時は必ずご飯が半分だ。働かざる者は食うべからず、というのが共産主義の鉄則なんだよ。病気でも、みんなと同じ一杯のご飯が欲しくて、死力を尽くして出かけていく。そうして最後の力を尽くして帰ってきて、夕食の時食べながら死んでいく。と、すぐ周りの人が死んだ人のものを戦闘的に奪い合う。先生はそんな中で、人間の深いところまで研究したんだよ。
 このパンを慕うほど神を慕うか。先生は毎日、比較対照しながらやってきたんだよ。何よりも神を愛さなければならない。このご飯の一握りを食べるために入ってくるのではない。万人の蕩減の道を開拓するために入ってきた。自分の仕事の分配に対して、不信するような態度は絶対とらない。だから先生は有名だった。
 それから絶対口をきかない。共産党の組織を知っているから、口をきかずとも、霊界より協助してくれる。人間はみ旨のために生きる以上、心配することはない。神はあらゆる方法を持ち、方策をもって助けてくれる。
 先生は一番貧しい服装をしていた。良いのはみんなに上げて、破れれば自分で竹で針を作って縫った。
 日曜日は休みだ。みんなは死体みたいに倒れてしまう。先生は絶対に寝ない。規則正しい生活をずっと続けていた。
 先生もある時、あまり無理をして病気になったんだね。マラリアにずっと一か月かかった。しかし、自分の責任分担に許しはない。同じようにする。

 囚人番号五九六番

 先生は、牢獄での囚人番号が五九六番だった。霊界の先祖たちは、何とかして先生と因縁を結ばせようと必死になる。そして何か差し入れでもあると、その霊の霊界の先祖が現れて、半分を五九六番に持っていけ、というおとぎ話のような話なんだね。
 統一教会はこのような生活圏から出発した。口をきくことができないから、霊界は天使長圏だから、天使の復帰の使命を果たせないと、アダムの栄光圏と関係を持つことができないから、霊界は援助せざるを得ない。そして牢獄の中で十数名が伝道された。
 どんな悲惨な環境にあっても、先生は神様と生活をした。
 一九五〇年八月一日、百機以上のB29が総攻撃して、興南工場を大爆撃した。先生は、こうなることをあらかじめ知っていたので、先生の直径十二メートル以内は神が守るということが分かったので、親しい者には、みんな先生の周囲にいるように言った。
 先生はそんな中でじーっと瞑想していた。爆弾のことは思わない。今後の理想世界のことを考えていた。結局、思想、理想を持った人が価値あることになる。このような復帰の使命を果たす、このような人を霊界に連れていったら、神は天宙的な損であるというんだね。神は、どんな犠牲を払っても防備してあげたいし、そうせざるを得ない。
 いろいろなことがあったよ。その中で一番難しいのが、毎日感想文を書くことだった。先生は書かない。それが問題になっていた。しかし仕事においては、やっているのだから、共産主義の考え方が良いとも書かないし、悪いとも書かない。いつも白紙を出した。そういう戦法をとってきたんだね。
 先生は五年の刑で入獄した。連合軍が攻めてきた時、共産党は囚人を処分していった。先生の前まで全部殺された。ある日、麻縄をよせ始めた。先生は直感で最後の時がいよいよ来たことを感じた。
 先生は深刻な祈りをしたよ。名前を一人ひとり呼び上げた。他の場所に移動するという。これが最後の道だった。一人ひとり、井戸に逆さまに投げ込んで殺した。次の番が先生だった。
 その夜、総攻撃があって、午前二時ごろから逃げ出した。その時、何人かの弟子を連れて平壌に寄って南に帰り、統一教会の再出発をした。
 牢獄での生活はいくら苦しいといっても、人に恩恵を受けてはいけない。それが絶頂に立つべき方策だ。他人から恵沢を受けることは、蕩減の道には許されない。いくら極に立ってもやらなければならない。精神的にも、物質的にも、やったという立場を越えないと完全蕩減した立場に立てないよ。
 千三百俵を毎日持ち上げた。それでもびくともしない。何によって乗り越えたか。それは精神力だ。
 こういう体験が、先生の生涯においてマイナスにならない。あんたたちに時間があったら記録に残そうと思うんだけど、本当に話もできない惨めなことがあったよ。そういう境地から統一教会の出発があった。

 出獄

 出獄した後は何も持たない旅人だよ。ずーっと平壌から南まで、約三か月間は乞食をした。黙々として。そういう時には、言葉で言い尽くすことのできないほど食べたいこともあった。放浪の生活をした。
 霊界は先生を愛するらしい。かと言って、神様、きょう食べるものがないから何か…なんて祈りは絶対しない。かえって神様を慰めて寝たよ。
 ある時は、あすはきっときれいな婦人が道端で何かくれるだろう、とそう思うと次の日には、そのごとくに真っ白い着物を着た人が道端で待っているよ。
 実は夕べ啓示があって、万全の準備をして待っているようにと言われたので、こうして待っておりました。どうぞ召し上がってください、と。そんなことたくさんあるよ。こういう、だれも否定できない生きた実績を持っているよ。そういうふうに助けてくれた部落には、時至ったら恩返しに行こうと考えているよ。

 神への心情

 あなたたちは、先生に対して一言その時の心情に触れるものがあったら、先生は涙を禁じ得ない。神様もそうだ。
 先生と神様と抱き合って泣いた悲しさは、地上の人々はだれも知らない。その深い神への心情は計り知れない。それを思うと細胞がしびれるようだよ。そういう心情で、孝行の道を進んでいることがあなたたちに分かる?
 食口たちが霊界に通じるようになると、先生はかわいそうなかただとすぐ知れる。
 友達も、聖進さんのお母さんも知らなかったよ。たった一人でやってきた、しのびしのんでやってきた期間があるんだよ。それを取り出して讃えつつ、先生が世の中で一番かわいそうな青年である。だから「真を尽くせ」、と霊界は言うんだよ。
 そう考えると、植えたものは必ず刈り入れるようになる。何十倍、何百倍になって刈り入れるんだよ。先生が神の前に植えたものは、ほんのわずかだが、何倍、何千万倍にして刈り入れさせようという神の心情が分かっただけで、先生は神にどう報いようかと思うんだよ。

 感謝する心

 み旨成就が近づくに従って、ますます神に感謝する心が増し加わってくるんだよ。
 先生には、反対した者をどうしようという思いは夢にもない。もしもそういう心で神が打ったら、この地に一人でも残らなかった。もう数千年も前に飛んでしまっている。
 心情を傷つけたからといって、それを仇に思うなど、そんなこと夢にも思わない。それは、我々統一教会が、その教えの道を開拓しなかったからであって、そう教えることのできなかった自分の責任と思っている。だから先生には敵がない。昔反対した人々に先生は時々道で会う。しかし、それらの人々は先生を見ると逃げてしまう。
 こういう背後の歴史をもって、統一教会は生まれてきたよ。そういう根を地上と霊界に張ったから今、芽が出たのが統一教会で、その恵沢を受けているのが、あなたがたの現状の立場だよ。その根に匹敵したその力、勢いでもって、芽として若い枝として成長すればよい。
 背後の関係は、あなたたちは知らなくともよい。しかし、先生は根の使命があるからしかたない。これを世界的にするためには、枝を折って挿し木をしなければならない。その時、先生の通過した幾分の一かを通過しないと、挿し木はできない。

 お母様に申し訳ない

 先生はお母様に対して、内外的にこんな使命を果たすのにすまないと思うことがたくさんあるんだね。女としての心を知っている。女の花盛りのやりたいことをたくさん知っている。やれなかったんだから、かえってだれもやることのできない愛情の代価の 賜 として浮き上がる。疲れて寝る時、眺めながら、涙を流しながら敬礼する。そんな心情が必要だよ。こんな部屋は幸福な部屋だよ。香りがあれば、花盛りの香りの中に神は住まわれる。
 夫が帰ってきて、夕食もせず、口もきかず、いびきをかいて寝てしまったら、そのいびきを聞きながら、そのいびき以上に泣き声が自分の胸からわき上がる女にならなければならない。そんな家庭を見たいのが先生の願いだよ。もしも、それを果たさなかったら、先生の苦労はむなしいことになる。神様の六千年の犠牲はむなしい犠牲になる。それを知らなければならない。
 胸が突き詰まるほどの痛みを感ずる時、だれもそれを解くことができない。神自身もそれをどうすることもできない。しかし、たった一人、自分の心情を理解する横的相対がいたら何と尊いことだろう。そして、相対に欠けたところがあったら、神様に対して感謝できる条件になる。神の重荷を軽くさせる条件になる。相対が一から十まで、自分より足りない場合は、かえって神に自分を整えて出る条件になるんだね。
 開拓伝道をすると、生きた神がいつも一緒に我々の周りで守っていることを体験するよ。その神を裏切り、反対の方向に行く場合は長くないよ。必ず自分の子供が罰せられる。我々を迫害した者の子供が、あまりに悲惨になっているから、世の中で一番恐ろしいのは統一教会だとみんな知っている。だから、今は反対した部落の人々が頭を下げておわびをする。反対した者は、みんな罰せられている。
 日本もそういう現象が起こるだろう。行く道は難しい。三時代が引っかかる。死ぬどころの騒ぎではないよ。
 家庭内に心情の最後の基盤が残るように努力しなければならないよ。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.05.30 19:17:48
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