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2021.06.06
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​​​​​​​​​​​​​​「子女の日の決意」

1970年10月30日
韓国でのみ言


 この日を迎えるまでの苦難の道

 皆様がご存じの通りこの「子女の日」が設定されるまでは、天がいか程の苦難の道を経てきたかということについて、深く考えなければなりません。

 我々の人間始祖の堕落がもしなかったとすれば、人間の完成と共に「神の日」「子女の日」そして「万物の日」が設定され、天地創造のあらゆる理想が成就された訳でありました。

 もともと天と人間と万物とは離そうとしても引き離すことのできない一体の関係をもって歓喜の日を迎え得た筈であったのです。

 然し堕落の結果天も、人間の真の父母も、真の子女そして又真の万物が喜びの日を失ってしまったという事実を我々は知らなくてはなりません。

 それ故にこの日を回復するため天は苦難の道を歩まれ、又歴史路程に於いて数多くの予言者・義人達が血を流すという代価を支払って来たのであります。

 そのような土台の上で、天は善の勝利の基礎をつくるために外的環境に於いては選民圏を拡大して来られたのであります。故にアダムよりヤコブに至るまでの苦難の歴史は本然の心情に立脚した生命の起源まで再生させるための歴史であったのです。

 然し、ヤコブが勝利することに依り外的なイスラエル圏は準備されたのでありますけれども、内的な勝利のイスラエル圏を出発することができなかった為に、ヤコブとタマルとユダの三代形態の内容を整えた上、ユダの血統を通してペレヅとゼラの闘いが展開されたのであります。

 ここにおいてペレヅが腹中の中から勝利の位置を占めることにより、次男から長男の位置を獲得する歴史を蕩減することができたのです。このような歴史過程を経てマリヤは自己の威信と体面と生命の危険をおかしてまで天の祝福を受けた血統圏を実現させようとした、神の心情を慕うそういう立場に於いてイエス様を産んだのであります。
 このようにして初めて、血統的に勝利の分別点を立て、新しい神の子を中心とした愛の起源をつくり得たのでありました。このような復帰の大きな御旨を抱いて、勝利的なメシヤがこの地上に来られたのであります。

 悲惨なイエス様の生涯

 ところが、その時に至るまでの四千年間の歴史的準備を整えていたイスラエルは、勝利的立場に於いてそれを相続することができず、不信に陥ってしまったのであります。それ故にイエス様の生涯は悲惨なものになったのです。

 他人の知らない御旨を抱いて、独り淋しい生活をしたイエス様、……彼には勿論お母さんがいました。然し、お母様として彼を愛することができなかった母であります。彼には又お父さんがいましたけれども、それは義父だったのであります。兄弟がいました。けれどもそれは又腹違いの兄弟であったのです。親戚もいました。けれどもイエス様は彼等とは何の関係もないそういう立場に於いて生活したのであります。

 イエス様は兄弟と親戚と民族と世界を愛したかった人でありました。けれどもそれができなかったのであります。むしろ、彼の前でイスラエルの選民は反旗を振ったのであります。彼と天の前で愛の心情を蹂躙し、反逆したその罪を彼等は負わなければならなかったのです。そして、イスラエルの民族は歴史的な蕩減の路程を歩まなければならなかったのであります。

 イスラエル民族は数千年の間、『国のない』人民として、多くの民族の前で犠牲にされてきたのであります。又、無数の敵に踏みにじられてきたという事実を我々は歴史を通じてよく知っています。

 このように蕩減の道に於ては容赦がありません。

 民族が失敗したならば民族を通して解決しなくてはなりません。そして民族がこれを解決できない場合に於いては、世界がこれを解決しなくてはならないのであります。

 統一教会の行く道

 このような歴史的な蕩減路程を前にして、今日に於ける統一教会が歩いて来た道を回顧するとき、我々は、我々が歩まなければならない前途に国家が残されているし、又、世界の蕩減路程が我々を取り囲んでいるということを知ることができるのであります。

 精神的分野に於いて、ユダヤ教がイスラエルの民族を指導した如く、又、今日のキリスト教が世界の民主主義を指導しているように、我々は、私達の統一教会を中心として今日に於ける思想と精神的全般問題を指導し得るような立場に立たなければなりません。

 それでは一体、この責任を誰が背負わなければならないでしょうか? この責任を受け持つべき者達は、今まで天のみ旨を開拓するために疲れ切ってはいるけれど、その我々であるという事実を皆様は知らなければなりません。我々は再びこの責任を背負うために立ち上がらなければならないのです。そして、民族的な、また国家的な責任を果たさなければなりません。この事を皆様がはっきり知ってほしいのであります。

 そして、又、ここに於て祝福を受けた家庭はいかなる立場に立っているかという点も皆様がはっきりと認識しなければならないのであります。

 祝福家庭の責任

 統一教会の祝福家庭はその昔、イスラエルを中心としユダヤ教を通してメシヤを待ち望んでいたそういう位置におかれているのではなく、メシヤを現実的に迎えて氏族の編成をなし、また一段階前に進んだそういう立場に置かれているのであります。このような立場に置かれている祝福の家庭は個人的範囲に置かれているのではありません。民族と世界を代表しなければならないのです。

 天と地を代表する家庭にならなければならないということを皆様は明確に認知しなければいけません。もともと国家的な宗教を主管するところに於てはイエス様自身がこれを直接主管するようにはなっていません。

​ イエス様は連結できる家庭を中心として、その国のあらゆる至聖所を護ることができる祭司長にならなければならなかったのであります。そして、イエス様は民族的な中心となり、祭司長の責任を家庭的な責任として完結することができる形態をつくらなければならなかったのであります。​

 故に皆様は天の望みがかけられた、その天倫を相続できる家庭がいかに貴重なものであるかという事実を、皆様は再確認しなければなりません。

 このような歴史的な価値を中心としてみるとき、皆様は、祝福を受けた家庭として、ただ喜んでいるというところに止まっていることはできない筈であります。千秋万代を通して天が望んでおられたその願いを間違いなく相続できうる家庭的な伝統を如何にして残すことができるか? これが今からの問題になるのであります。

 今迄の六〇年代は、個人の勝利を固める時でありました。

 然し、七〇年代は、家庭の十字架を背負い、家庭的勝利の基礎をつくる時であります。民族も家庭を通して構成されるのであるし、国家も又、家庭的勝利の基盤を通してつくられるのであるとするならば、家庭は民族を復帰するためのものであるということを考えなくてはなりません。そして民族は世界を復帰するためのものであるということも忘れてはなりません。

 このような段階的な発展を通して善が発展して行くという事実を知る時に於ては、今から皆様は家庭を率いて、氏族の方に向かわなければならないのであります。皆様は氏族を動かして、新しい始祖としての伝統を立てなければなりません。このような時代が、我々の眼の前に近づいて来たわけでありますから、今から我々は家庭的な苦難の道をたどらなければならないのであります。

 峠を越す年、一九七二年

 然し、今年(一九七〇年)に入って十カ国を中心とし結婚式をあげましたので、心情的基盤をもって、一つの中心の前で世界性を連結させ、平面的な対象圏が決定されたために、統一教会も運勢の一時を迎えたのであると見ることができるのであります。

 これが七〇年度から七二年まで続くものとみています。

 そしてこの時期は、世界としても一つの分水嶺を越える時であります。そして又、外部の情勢から見ても七二年度が一つの峠をなすものと見ています。それは天の摂理と一致化し、一つの問題として解決されなくてはならない復帰の運命をかたづける時期でありますので、我々もこのような期間に於て是が非でも民族を中心として、七二年度までは、世界的な出発を準備しなくてはならないのであります。そうしなければ、統一教会の将来に苦難の道が残されるということを、この先生は余りにも良く知っているために、全体が総動員するように命令を発したわけであります。

 ここに於ては、いかなる弁明も条件もあり得ません。天が与えた厳粛な命令を受けて進撃しなければならないのであります。我々の前途に苦難の十字架があるとするならば我々はそれを背負って、天の御旨のために、義のために、そして又、その愛を実践するためにいかなる死の道もこれを恐れず、感謝しながら行かなければならないのが我々の道であります。

 今から三年の間、総動員しましょう。

 三十八度線を越えて、生きるべき道を探し求めて来た北韓の避難民の如く、我々も善の定着地をめざして勇敢に走ろうではありませんか!

 先生の決意

 この先生が○○を出発する時、「私はこの本郷の地に戻り、基盤をこしらえる時まではあらゆる苦難の道を歩こう」という覚悟を決めて出発したのでありました。本郷の地に戻り、祭壇をつくって「天のお父様! 今日のこの一日をもってこの国が解放されました!!」と喜びの祈りを捧げることができ、そこに於いて祝賀会を催さなければならないということを既に知っていたわけであります。

 このような内外の情勢をおいて観察する時、七〇年代に突入してからは我々が準備しなければならない事が余りにも多いということを痛感するのであります。私は七〇年から七二年度にかけて、我々がこの民族の前に基盤をつくらなければならないということを余りにも詳しく知っているためであります。

 このような時点に於て、皆様は「私は死んでも、御旨のための遺志は残さなければならない。又、家庭と共に苦難の道を歩くといえども、天の御旨と共に行くのであるから」という固い決心を抱かなければなりません。天の御旨と共に行く途中に於て、たとえ家庭が亡ぶことがあるとしても我々は亡ぶという事を考えてはいけません。

 家庭に大きな難関がぶつかって来るといって、我々が「あわれな者」となったと考えてはなりません。

 『二つがともにいい』ということは、難しいことであります。

 山が高ければ、谷底も深いのであります。高い山に登るためには、深い谷底におりなければならないということが、自然の理ではありませんか! それに依って、家庭的な伝統を立てなければなりません。

 家庭勝利の基盤を造ろう

 六〇年度に於ける苦難の道において、倒れることなく、たとえ勝利の個人的伝統を打ち立てることができたといえども、今からは家庭として倒れることがなく、又、亡ぶことのない伝統を世界的に立てなければなりません。そうすることに依って、我々は今後統一家族としてこの地球上に、ある地盤を保つことができるのであります。

 今までは、外的な分野を中心として、「なげき」の壁をぶちこわすために、我々は苦難の道を歩いてきました。血をぬいて売りました。つける着物もなく、又我々は飢えながらも、非難されながらもこの道を歩いてきました。というのは、我々は天のあらゆる与件を中心として我々だけが主張し得る内容をもっているために、消耗戦を敢行して来たのであります。

 歴史時代を越え、何千年ぶりに訪れて来る一時を迎えて、我々は打たれるときは思い切って打たれなければなりません。そして勝利的家庭をつくらなければならないのであります。

 家庭的に打ち寄せてくる十字架を喜びをもって背負い、各々の家庭が世界に向かって力強く広がって行くようになるとき、これが天の祝福を受けた家庭として成し遂げなければならない責任であるということを今一度皆様が深く心にとめなければなりません。

 『家庭の時』を迎えることができなかったヨセフ家庭の恨みが千秋万代に於けるイスラエルの悲しみとして残され、又世界の悲しみとして取り残されたという事実を考える時、我々も我々の家庭を訪れてきた『一時』を逃がさず、勝利的な供物として残れるように全力を尽くさなければならないのであります。

 そうしてこそ、その家庭が千年も万年も生き残るだろうと思うのであります。

 今日の『子女の日』を迎えながら、自分の個人だけでなく、家庭という問題を中心として新しく再出発するという決意を固めなければならないと思うのであります。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.06.06 06:17:18
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