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2021.06.08
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「御旨の行くべき道」

1971年年1月9日
江原道の江陵教会(全国の地区巡回師達に語られたもの)


 統一教会の力

 このような事実を根拠として見る時、アメリカは今や全ての面において後退することでしょう。それは誰のためでしょうか。統一教会のためです。これから、立派だと言われている人々は、皆挫折していくことでしょう。韓国に援助をしてくれなければ、滅びます。「何故、そのように話を飛躍するのですか」と言うかもしれません。飛躍した話ではありますが、意味が含まれている話です。私は時間がなくて、もっと詳しい話はできませんが、我々統一教会の人々は皆知っていることです。
 昔、ケネディ大統領が韓国の経済援助に対する予算を削減した時、「見ていなさい。必ず挫けていくだろう」と私は宣布しました。韓国の人々は、アメリカ人の物を持って来て食べていますね。そうでしょう? 韓国の人々の中で、アメリカの物資の世話にならなかった人が、どこにいるでしょうか。現時点では、韓国の人はそれを食べなければなりません。アメリカの人達は全部倉庫の倉庫番なのです。韓国の人達は主人の子女なのです。ところが、倉庫番は主人の子女達に食べさせて、手助けしてあげるようになっているので、それを面倒臭く思うのです。そうなれば、その人達は全部滅ぶしかないのです。
 それで、私がそれを処理しようとしているのですが、大韓民国政府が反対し、キリスト教が反対するので、二十五年という歳月が巡って来たのです。
 今はアメリカを中心とした作戦が必要です。統一教会はホワイトハウスにも道があります。私の計画圏の中に、アメリカの下院議員百二十名が連結されており、上院議員は四十九名も連結されています。何の話か、皆さん分かりますか。
 我々統一教会の子供舞踊団は、ホワイトハウスと三日以内に交渉をして、ホワイトハウスの部屋の中に入って踊りを踊ることができます。そこに入るためには、大韓民国の大統領であっても一年も前から交渉しなければなりません。世の人々は、統一教会の文先生が死んで、亡くなってしまった者と考えていますが、先生はそのように案山子ではないのです。そのような空っぽな者ではありません。今も先生が何をしているのか、皆さんは全く知らないでしょう?
 明日は、韓国の著名な教授五十名以上がアカデミーハウスで統一教会の原理を聞くことでしょう。それが良いことですか、悪いことですか。(「良いことです。」)その次の二十一日、二十二日、二十三日には既成教会の立派な牧師達千二百名程が統一教会の原理を聞くことでしょう。我々の教会に反対したのですが、このように繋がって来たのです。気持ちがいいですか、悪いですか。(「いいです。」)このようなことは、静かに座っていてすることができる仕事でしょうか。統一教会の文先生はそのような仕事をしているのです。
 北韓の金日成も、今私を一番怖がっています。日本の共産党が一九七〇年度の年頭に第一目標として掲げたことが何かと言えば、「国際勝共連合を日本国内から打倒しよう」ということです。それは、恐ろしいからそうするのですか、好きだからそうするのですか。(「恐ろしくてそうするのです。」)共産党の機関紙「赤旗」が、毎日のように反復して打っております。彼等が恐ろしくてそうするのですか、恐ろしくなくてそうするのですか。恐ろしいと思うのです。じっとしていては、道理がなく、やられるしかないのです。
 それで、この頃の若い人達は、精神を真っ直ぐにしなければなりません。ここに、大学を出た人達がいますか。大学を出たからと言って偉そうにする人がいるとすれば、統一教会から追い出さなければなりません。本筋を行かない者達はもっともっと悪いのです。そういう人達は、かえって高校を出た人よりも低いというのです。大学に通っているからと言って、偉そうにする人達は私の手中にかかれば、とんでもないことになります。そういう考えを持っている人達がいれば、追い掛けて行って、叱ってあげなければなりません。全部清掃しなければなりません。
 ここに、「地区長が小さい」と言って、馬鹿にする人がいますか。(「いません。」)皆さんはいくら小さくても、辛い唐辛子にならなければなりません。
 このような私達が集まった統一教会には、世界に恐ろしいものがありません。大韓民国の国軍と郷土予備軍を全部動員しても、統一教会を没落させることはできません。完全に踏みにじることができないのです。
 このような統一教会にあって、もし私が統一教会と韓国を捨てて行く日には、韓国が淋しくなります。それ故に、皆さんは矜持と自負心を持たなければなりません。それで、未来に向かって力強い一歩を踏み出さなければなりません。分かりましたか。(「はい。」)
 では、聖人中の聖人は誰であると言いましたか。(「イエス様です。」)イエス様ですが、その方が成し得なかったことを私が皆成してあげようとするのです。実際に、真の父母になろうとすれば、霊界に行っている全ての聖賢達も先生の指導を受け、従順にならなければなりません。彼等はみんな霊界で常に会っていますが、私が尋ねることに答えることができないでいます。
 世界を統一しようとすれば、まず霊界を先に動員しなければなりません。そうしなければ、世界を統一することができません。それ故、世界を統一する以前に、霊界を動員しなければなりません。それで、道の世界を正して、教祖達をつかまえておかなければなりません。

 霊界と一つになってこの世界を開拓して行かなければ

 しばらく、私の宣伝をしてみたいと思います。統一教会の文先生には、仏教界のお坊さん達の中にも弟子がいます。これは誰も知りません。ただ、霊界に通じた人だけが知っています。そのお坊さん達は、「釈迦牟尼が私に『先生を訪ねてみなさい』と言いました」と言うのです。「行く時にはただで行かないで、お土産を持って行きなさい」と教えたのです。それで、先生を訪ねて来た人がいます。そこには女性のお坊さんも混じっています。皆有名なお坊さん達です。間違いなく、お釈迦様が先生についてみんなに教えてくださったために、彼等は先生を訪ねて来たのです。
 彼等がたとえ木魚はたたいていても、統一教会を宣伝しています。(笑い)儒教を信じている人達の中にも、たとえ儒教を信じているとしても統一教会を宣伝する人もいます。そればかりでなく、観相を見る人達とか、占い師の中において、統一教会を宣伝する人もおります。彼等は、先生がどのような人であるかを直ちに知っています。どのように知ることができますか。霊界の法は統一されているために、アンテナを高くすれば直ちに知るようになっています。しかし、この世の貧しい人達は、知らないというのです。
 皆さんは、統一教会の文先生を知っていますか。知る者と言えば、目が鋭く、誰の話も聞かないような格好をしている、というようにしか知らないでしょう? 今、我々統一教会が伝道する方法は簡単です。霊界を通せば直ちに伝道することができます。先生の名前を持って行って、原理の本だけ持って行けば、誰でも直ちに知るのです。素晴らしいでしょう? そのような体制と基盤が、今やみんな成されているのです。
 我々統一教会の信者達は、このような事実をよく知っています。ここにいる統一教会の信者達も、今このようにみすぼらしく見えますが、皆知っているのです。私が統一教会で何かをしようとする時に最も困難なことは、人知れず計画を立てるのですが、韓半島全土において、いつもアンテナを高くしている統一教会の食口達は、今先生がどこで何をしているのか、みんな知って座っているという事実です。
 先生は人を一度見れば、この人が何をする人か、みんな分かる素質を持っています。そういうことをしないだけですが、みんな知ることができます。それで、私が日本の人達に祝福をしてあげる時、二三〇双を十時間の間に全部マッチングしてあげました。ところが、その中に摩擦があって、「合う」とか、「合わない」と言って、よく私に尋ねる人達がいました。そういう人々に、「あなたはこのような歴史を持っているでしょう? そうですか、そうじゃないですか」と尋ねれば、「そうです」と答えます。「だから、あなたはこの女性が合うし、あなたはこの男性が合うのです」と言うと、その時になって、「悪かったです」と言うのです。(笑い)
 先生は人を見る専門家です。今までこのことのために一生を捧げてきたので、一目見れば分かります。それでも、知ったか振りをしません。ただ、知らん振りをしているのです。そのようにして後ろを向いても香りだけかいでも、みんな分かるというのです。ここにいる地区長が精誠を込めてきたか、込めなかったかみんな分かります。私が地区長のために祈祷を少しすれば、みんな分かります。それ故に、統一教会はただものではないというのです。
 我々統一教会は霊界と関係を結んでいて、未知の世界を開拓する先駆者の立場に立つことができます。我々統一教会の人達が原理をよく分かれば、道人達に会ったとしても、彼等を一挙に主管することができます。そうでしょう? 我々統一教会の信者達は聖人として変化しようとする人々です。

 心を中心として体を主管しなさい

 では、原点に再び帰って、聖人中の大聖人は誰だと言いましたか。(「イエス様です。」)ここのおじさん達、分かりましたか。イエス様が聖人中の大聖人であることが分かりましたか。(「全然分かりません。」)今まで聞いても分かりませんか。何故こんな男がいますか! (笑い)
 人間は心と体に分かれています。心と体がお互いに闘っているので、これをそのままにしておいてはいけません。恐らく、そのままにしておきたい人はいないでしょう。それで一つにするためには、一方を無くすことです。宗教はこれを強調しています。
 では、どちらの方を殺すべきでしょうか。言い替えれば、あるものを中心として、あるものを捨てなければならないのです。心を中心として体を捨てなければなりません。間違いないと言うのです。何を中心としますか。(「心です。」)心を中心とするということを、絶対に忘れてはなりません。
 皆さんは、人生の道を真っ直ぐに行かなければなりません。一般的に良心を言う時、「曲っている」と言うでしょうか、「良心は真っ直ぐだ」と言いますか。(「真っ直ぐだと言います。」)良心は真っ直ぐであるために、真っ直ぐな道を行かなければなりません。悪なる人は、体が願う道、善なる人は、心が願う道を行くのです。
 我々は悔い改めなければなりません。今、既成教会に通っている人を見ると、教会に行っては「神様、許してください」と言いながら、涙を流し、悔い改めて感謝していると聞いています。このような仕方で信仰します。そうする間に、自分の知らないうちに春夏秋冬が移り変わり、歳月が変わる間に信仰心が育つのです。春夏秋冬の季節が変化しながら育つというのです。
 信仰する人達がこういう生活を繰り返せば、発展が大してないようですが、春夏秋冬の季節が変わるごとに万物がすくすく育つように、信仰的な人格も育つようになります。育つことによって、心の側に体が移動するのです。そのように移動すれば、その後には体が既に知るようになるというのです。そうなれば、本当に死を覚悟しなければなりません。
 心がどこかへ行こうとする時、「気分が悪い」と言いながら、闘わなければならないのです。そうなれば行くことができないというのです。善なる人は良心に従わなければなりません。
 では、体をどのようにすればいいでしょうか。こちらを砕けというのです。それで、宗教においては体を主管するために、断食を行ったりします。「断食をしなさい。柔和謙遜であれ。犠牲奉仕しなさい。人の為に死ね」と言うのです。統一教会の文先生の指導方法もそのようにするのです。国の為に死ねというのです。国の為に死のうとする人は自動的に国家的な人格として生きていくのです。それ故に、統一教会を知る人達は、統一教会を怖がります。命を懸けて愛国愛族する団体であると、今は天下がみんなそのように思っています。
 私は統一教会の信者達に会いさえすれば、「苦労をしなさい」と言います。私達の会員達、今この頃どういうご飯を食べていますか。ころころ転がる麦だらけのご飯でも食べていますか。そういうご飯を食べていても、気持ちがいいでしょうか。しかし、静かに考えてみれば、息が詰まりそうなことです。夫もなく、子女達も皆遠くに居て、こういう所に出て来て、麦だらけのご飯を食べているということを考えてみると、身を滅ぼしたという思いがします。そこに冷たい部屋に一人いるからです。そういうように生きても大丈夫ですか。それでもいいですか。(「はい。」)正しいです。そのような心持ちを持たなければなりません。

 どんな事でもできる人になりなさい

 ここで話をしている人(先生)もそうでした。私は平壌で共産党に捕まって、手錠をはめられ、監獄に連れて行かれたことがあります。昔は日本の警察に連れられ、監獄に入ったこともありました。そういう人ですよ。監獄に行ってみると、中には国の為に戦って、入って来た人もいました。
 しかし、私はそういう人達とは違います。異なります。私は希望に膨らんだ心を持って監獄に入りました。何故ならば、監獄に行けば、誰かと出会うであろうという約束がされているからです。霊界から誰かと出会うように、既に約束が皆できているのでした。その人と会うために、喜びの心で行ったのです。[そこに行けばこういう人に会うことができる]と思えば、それがまさに希望の出発となるのでした。
 大韓民国においても一九五五年度に西大門刑務所に入ったことがありました。その時、統一教会の文先生がどうであり、こうでありと、噂が一杯ありました。私が手錠をはめられて入って行くと、拘置課長という男が私を呼んで気合を入れようとするではありませんか。私は心の中で「こいつ、見ていろ。お前は、私に一か月以内に屈伏するか、しないか見てみよう」と言いました。
 最初入って行った時には、何か動物園の猿でも見物するがごとく、猿扱いをしようとするのでした。それで先生は、「お前達の言うとおりにやってみなさい! 私はお前達のようにつまらぬ男ではない!」と言いました。このようにして、一週間以内に、そこにいる看守達を皆主管するようになりました。拳を振るってそうしたのではありません。その人の正面に向かって、「こいつ、誰に向かってこういうことをするのか。この悪党!」と言うと、彼等はびっくりするのでした。
 このようにして、私は宣伝されました。監獄でも、「先生」という言葉を聞きました。私が出て来る時、所長までも来て、「文先生だ」と言いました。それで私は、「それはそうだろう。お前達が監獄に入れたのだから、私が望む時には、林檎、瓜、そして西瓜のような物を持って来なさい。私はお前達の言うなりになるような男ではない」と言いました。素晴らしいでしょう? そういう何かがあるというのです。
 今もどこかに行ってご飯を貰い食いする競争をすれば、私は一番になるでしょう。(笑い)そういう素質がありますよ。世界的な革命をするためには、あらゆることをみんなできなければなりませんよ。そしてリヤカーを引っ張ること、あるいは木材を運搬することも問題ではありません。人間が人間を知らなければ、人間を治めることができないために、あらゆる仕事をしてみました。それで、荷物を背負って行く仕事もしてみました。畑を耕すこともやってみました。道具を扱うこともできます。何でもできます。そのために、休む間がありません。そういうことをしたのは、私が今こういうことをするようになることを知っていたからであります。それで、今もこの時間も忙しいのです。
 運動も、してみなかった運動はありません。私が運動の試合に出れば、出て三等以内に入賞しなかったことはないのです。ボクシングもしてみました。してみない運動というのは、殆どありません。どれほど大きな人に向かっても、一発殴れば倒れてしまいます。しかし私がぶたれる時は、私は目をパチパチしているのです。私が相手するほどの相手にはならないためです。ここにいる若い人達、運動しなければなりません。
 先生の身体が丈夫に見えますか。(「はい。」)今、私の体重がどれくらいかといえば、九十六キロですよ。更に四キロ程増やすことは、一週間だけ神経を使えば間違いなく可能になります。そのようになれば、巨人協会に加入することもできるでしょう。
 皆さんは運動して身体を健康にしなければなりません。今も、先生は常に運動をしています。私が研究した運動法は、他の人が三時間以上運動をして効果を得ることのできることを、三分以内で効果を上げることができます。このような運動法を持っています。皆学びたくないでしょうか。学んだらいいと思うでしょう? このように高価なことを、皆さんにただで教えてあげることはできません。また私が皆試してみて、幸福に生きる人に教えてあげるし、良い所で素晴らしく生きる時、教えてあげるでしょう。その他にもたくさんありますよ。

 精誠を込めた塔がすぐに崩れようか

 統一教会の文先生は、神を売って、原理を売って生きている人ではありません。理論と言えば、誰にも負けない程の理論を持っております。皆さんは先生に出会って良かったでしょうか、良くなかったでしょうか。(「良かったです。」)
 宗教人は苦行をしなければなりません。よく食べたくてもよく食べてはなりません。また、肉のおかずを食べてはならないから、菜食をしなければなりません。菜食も、一日三食をすれば身体が重くなるので、二食あるいは一食だけせよ、というのです。
 そして、お祈りをしなければなりません。先生が昔祈祷する時には、膝にたこができるほどでした。今もたこが残っており、それが取れません。
 最近先生は、そのように祈祷する必要がありません。祈祷したとしても、簡単にします。私が祈祷する時は三分以内に短縮してします。今は完全に専門家となったのです。昔のような不自然な、あるいは複雑にする必要を感じないのです。
 しかし、皆さんはまだ、祈祷を複雑に、長くしなければなりません。皆さん、そのように祈祷しますか。そのように祈祷しない統一教会の人達はでたらめです。祈祷もしないで何をしようとするのですか。祈祷を熱心にしなければなりません。祈祷する時には、十二時間は標準として設定しておいてやります。普通、七時間以上は精誠を込めなければなりません。世界の問題をおいて祈祷する時とか、国の問題をおいて祈祷する時には、数分だけして終えてはなりません。少なくとも七時間は祈祷しなければなりません。
 こういう話は初めて聞くでしょう? 何故、不思議に思いますか。精誠を尽くした塔は決して倒れないというのです。そういう精誠がないならば、今日の統一教会の文先生が、文先生となることは決してできませんでした。統一教会の文先生がなすことは、誰でもできる、そういうような平凡なことではありません。
 ここにいる誰でも、「統一教会の先生をしてみなさい」と言えば、恐らく誰も絶対にできないでしょう。たった一時間もできないでしょう。私でなくては絶対に、誰でもできることではありません。正しいですか。(「はい。」)私がやることは複雑ですよ。統一教会の人達は一番言うことを聞きません。こういう人達が最も素晴らしいのです。しかし、私の言葉を聞くようになっていますよ。
 肉身を主管する方法が何かと言えば、まさに苦行です。それで、イエス様は『死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ』と言いました。これは、身体が願うことを全部切ってしまわなければならない、ということです。学生達、「劇場に行くな」と言えば、行くべきでしょうか、行かなくていいでしょうか。(「行ってはなりません。」)悪い村があるとすれば、その村に行って生活したらいいでしょうか、生活しなくてもよいでしょうか。生活してはならないでしょう? そういう所には、行くこともしないで、見ることもするなと、いうのです。でたらめな所には、行くなというのです。このように、身体が願うことを全部取り除かなければなりません。
 では、恋愛をしてもいいでしょうか、してはならないでしょうか。(「してはいけません。」)男性がどれ程愚かであるからと言って、女性に「私の命にかけてあなたを愛します」と言うのでしょうか。そういうのが男性ですか。天地の男性たる男性が、天下を主管すべき男性が、どこに女性がいないからといって、そういうことを言うのでしょうか。
 エデンの園で、男性が女性の後ろに付いて歩いていって堕落したでしょう? それだから、堕落の継承点が女性の後ろだと言うのです。

 神の愛の真の味を知らなければ

 統一教会では、女性達が「文先生に惚れました」と言います。しかし、女性が私に惚れたのかどうか、どうなっているのか、私はよく分かりません。それは、女性達に尋ねて聞いてみなければなりません。私は今まで、誰かに付いて歩きながら、愛したことがないからです。男性がでたらめで、「あなた故に、私は死にたい」と言ったらいいのでしょうか。そのような男性がいれば、何ができますか。逆さになって死んでしまわなければなりません。
 私には今まで女性達が先に立つ役事が沢山ありました。ベルトをつかまえて泣き出す女性がいたり、とにかく、あらゆる女性を皆見ました。私は女性がどれ程怖いかということを、よく知っています。「大人しい犬が先に台所の上に上がって行く」という話がありますね。あらゆる姿を見ながら、今まで来ましたよ。そのような女性が、死ぬ程付いて来たことはありますが、私がそのようにしたことはありません。皆さんの中に、私がそのようなことをするのを見た人がいますか。
 女性達、先生が好きですか、嫌いですか。(「好きです。」)何故好きですか。世の人達のように悪い意味で好きであってはなりません。真心で先生を愛するということは、即ち神を愛するというのと、相通ずるのです。
 先生を愛さなければならない立場に立てたのは、神を愛することのできる方法を教えるための一つの方法なのです。先生は、皆さんに世界の人間を愛せる方法を教えてあげるための一つの教材であります。このような教材として使うために、「先生を愛せよ」と言うのです。
 先生を愛する程に神を愛し、先生を愛する程に人類を愛さなければなりません。そのために、「先生を愛せよ」と言うのです。言い換えれば、「神を愛し、世界人類を愛せよ」と言うのです。その後に、先生のために死にたければ死ねばいいし、死にたくなければ死ななくてもいいのです。
 人間がまずしなくてはならないことは、神を愛さなければなりません。その後には、人類を愛さなければなりません。それを教えてあげるために、この地上の代表者として先生を立てたのです。それ故に、女性でも男性でも、「先生を愛せよ」と言うのです。
 男性達は先生を愛しますか。男性達も、先生に会いたくて涙を流さなければなりません。ここ江陵に、そういう人がいますか。先生に会いたくて涙を流してみた人がいますか。流したことがない人は統一教会の本物の食口ではありません。偽物です。
 不思議なことに、先生も男性ですが、男性が男性に会いたくて泣き出すのです。身の毛が立つ程会いたくて、泣く時があります。いくら激しい風が吹いたとしても、会いたくて尋ねて行くのです。皆さんはそういう体験をしてみましたか。
 先生は男性でしょう? (「はい。」)神も男性格主体としておられるでしょう? (「はい。」)会いたい時にはそういう気持ちになるのです。本当に気が狂いそうな気持ちです。神様から漂うその味を、何で表現することができるでしょう。その味を皆さんが分からないことは、まだ幸いなことであって、もしその味を知るようになれば、世界のことをまともにできなくなりません。その味を味わったとすれば、続けてその味に酔って生きたいと願うのです。
 それは阿片が問題ではありません。考えてみなさい。絶対者からの理想的な愛が、感覚的な阿片を味わうより劣るでしょうか。考えてみなさい。劣るでしょうか。劣るというならば、こういうことは全部投げ出してしまわなければなりません。私がそのようなことを知っているために、世間から追われたとしても、どのように回されたとしても、天下が何を言ったとしても、堂々と生涯をかけてこの道を今まで来ました。
 男性達も先生を愛しますか。(「はい。」)どのように愛しますか。(「神を愛するように愛します。」)私も神を愛しました。蒔いたものを、そのまま収めるのです。神が懐かしくて、一週間に一睡もできないで夜を明かしたことが普通でした。ある時には、泣いて目が腫れて、光を見ることができないこともありました。このようなことを基準として見る時、統一教会の信者達がどれほど偽物であるかを知らなければなりません。
 先生は神とそのような因縁を結んだ人であるために、神の為にやりがいのある道を行こうとします。それ故、精誠を尽くさなければなりません。ご飯をたきながらも、神に感謝しなければなりません。先生はソウルで豊かに暮らしています。だからと言って、「先生は豊かに生活しながら、私はこのように麦だらけのご飯を食べているのだ。その先生の奴、罰を受けよ」、こういう考えを絶対にしてはいけません。何故かというと、そういう道を、私が先に整えて来たからです。
 皆さんには友達もおり、同志もおりますが、先生は友達もなく、同志もいません。生涯を歩みながら幾十星霜の風雪を皆経ながらも、友達がいません。教会長など多くの人々は、友達がいますが、ここにいる先生には友達がいません。皆さんは寂しい時、母、兄、姉などを訪ねて行って相談することができるでしょう? (「はい。」)そのように考えてみる時、皆さんは私よりも遙かに幸せなのです。
 こういうことを知っている先生の心は、神と通ずるものであり、天倫と通ずるものです。したがって、皆さんは自分の舌を噛んで死ぬようなことがあったとしても、先生に対して「先生はご飯を食べて、私は飢えて死んでいきます。だから私は悔しいです」と言うようなことがあってはなりません。そういう意味において、先生はそれ以上の道を既に経てきたのです。

 若い時には何でもできる人になりなさい

 先生は誰かを踏みにじって、上がろうとすれば、その手段と方法を持ち、手腕と頭もあり、知力も持っていますが、そういうことを一度もやったことがありません。かえって、私が踏みにじられてきたのです。今も私は公の席に出ようとしません。数多くの群集の前に立って、話もよくできます。しかし、そこには弟子達を皆立たせます。何故そうするかと言えば、私は根と同じであるからです。根が現れるようになれば死んでしまいます。
 神は全知全能な方であられるし、人類の全ての存在に対して、力と命の根源となられる方ですから、あまりにもた易くでしゃばってはならないのです。神はいるかいないか、千年万年苦労しながらも現れないでいるのです。それで、統一教会の信者達を苦労させるのです。皆さんは苦労しながらも何と言えばいいでしょうか。恨みますか、感謝しますか。(「感謝します。」)
 私が誰かを羨ましがったことは、一度もありません。大韓民国において趙重勲さんが最もよい生活をしていますが、私は羨ましがりません。彼は歳月が過ぎれば流れてしまう一人の人にしかなりません。その人が、金があるといって、どれくらいありますか。私も金があります。私は金がないと思いますか。ないようですが、ありますよ。
 江陵地区の本部は、家がなくて借りて使っていると言いますね。しかし、買ってあげません。何故でしょうか。その金があれば大韓民国のために使うことでしょう。江陵にある統一教会のために使うのではなく、未来の大韓民国のために使わなければなりません。それで水澤里修練所のようなものが何千万元であっても、小切手を切って直ちに造るのです。しかし、我々の本部教会に行けばみすぼらしいでしょう? それを見て笑う人達がいます。
 日本にある一人の老人が住んでいます。その老人は、韓国の一年の予算に近いお金を扱っている人です。その老人のビルディングに行けば、素晴らしいものです。
 その老人と私は知り合いです。その老人の勧誘によって、そのビルディングに入ったりしたことがありますが、一度はその老人に、「我が家に来なさい」と言って招待したことがありました。私が住んでいる家は私達の教会の二階です。戸を開けて、私のベッドから何から全部見せてあげました。「日本では私が第一人者である」と自称している彼に、私がどのように生活しているか見せてあげたのです。後でどんな話しをするのか見てみようと思って何も言わず、昼食まで共にしました。世の中の人達は、豊かによく暮らす人にはへつらったりしながら生きています。しかし、先生は少しも卑屈になることはなく、「私はこのように生きている」と言いながら、全てを見せてあげました。
 それで態度が変わるようだったら私はやっつけようと思いましたが、この老人も考えがある老人でした。日本に帰って「統一教会の文先生は非常に怖い」と言ったのです。その老人は我が家に来て、屈伏して行ったのです。
 私は今も変装して街に出れば、ご飯も乏うて食べることができます。私は女装して、ソウルの街を歩いたこともあります。
 統一教会の人達は、統一教会の文先生をよく知らなければなりません。若い人達は、三十歳になるまでには多くの苦労をしなければなりません。この中の三十代の若者達は、地方に行くようになれば、全員が、郡守とか警察署長と肩を並べなければなりません。郡守がジープに乗って行きながら、私達教会の信者達を案内することができるよう、私が準備しておきました。

 基盤が整えられた統一教会

 それで、以前ある人が私に、「人材は皆統一教会にいます」と言ったことがあります。皆さんが人材ですか。この江陵で名が通っていますか。郡で名が通っていますか。恐らく、他のことは知らなくても、よく話すことでは噂になっているでしょう? (笑い)とにかく、対社会的活動において既に歴史が輝いているのです。それで気持ちがいいのです。
 我々は四年前に国民を対象として五百万名以上、勝共教育をしました。五百万名あれば大韓民国国民全体の六分の一でしょう? 今年にも、約二百万名の教育をすることでしょう。
 このような事実を国民、議員達が知って、「韓国の反共体制を整えることにおいて、文先生が功労者になった」と、お互いが騒いでいます。青瓦台において功労勲章を与えるのに、国会議員達が大統領や国務総理に、「統一教会の文先生には何も賞を与えないのか」と言って抗議しています。「賞を与えようとすれば、統一教会の文先生に与えなさい」と言うのです。大韓民国は今まで詐欺師のような人達に賞を与えてきたのでした。私はじっとしているのに、彼等が私の味方になって、「統一教会の文先生に国家の第一である功労賞を授けなさい」と、宣伝するのです。そういう人が多く現れました。これは良い現象でしょうか、悪い現象でしょうか。(「良い現象です。」)
 皆さんはそういう賞がいいのでしょうが、私はそういうことを願いません。少し経てば功労賞を与えずにはいられません。その時統一教会の文先生に賞を与えようとしても、私は受け取りません。しかし、「神様の息子、文先生に」と言えば受け取るでしょう。また、賞を受けたとしても、誰かを行かせて取ってくるようにするのであって、私が直接受け取りません。そのようになっているのです。
 そういう人が、話にもならない者達の親分となって、この大韓民国の滅びる群れに追われ、悪口を言われ、中傷を受けて、あらゆる濡れ衣をかぶったことを考えてみれば、話にもなりません。しかし、そういう全てのことがかえって私に恵みとなったのです。私は骨無しではありません。[いつかは見てみよ。実力で対決しよう]と、私はしているのです。
 大統領も、「統一教会の文先生が私に会おうとするのか。一度見てみよう」と言うでしょう。会おうとすればいくらでもできるのです。しかし、私は徒に、低姿勢の立場で会うようなことは決してしません。
 今や、再び春の時期が訪れました。同じような段階に入ってきたのです。それで、若い人達にかなり強力な訓練をさせているのです。身体を維持することのできない程の訓練をさせる計画です。そして、その要員達を北に送ろうと思うのです。それでもいいですか。(「はい。」)あの北にいる怨讐達は、そのことをためらわずやっていますが、何故、私達大韓民国の若者達にはできないのかと言うのです。私はそれを成すことができるように訓練させます。
 それで、私が今は香港に興信所を造ろうとして計画しております。興信所を造って何に使うのかといえば、統一教会が先頭に立って、韓民族の高貴な民族性を世界に誇ろうとするのです。それを皆さんも願いますか、願いませんか。(「願います。」)先生が今そういうことをしようとしているのです。

 心の願う通りに身体を動かそうとすれば

 その次に、肉身が願うことを切り捨てる方法の中で、宗教で教えている苦行があります。肉身の欲望を無理にでも切ってしまわなければなりません。そうしなければ、心と体が似ているために闘うのです。即ち、お互いが一度は勝った、一度は負けたというような、似たような版図であるが故に闘うのです。
 ところで、身体が願うことを抑制するために、どのようにすればいいでしょうか。心を強くしなければなりません。心にポンプの仕事をさせて、心と体に対する力の均衡を五対一位にすれば、この身体が心に挑戦するでしょうか、しないでしょうか。(「しません。」)レスリングのチャンピオンと小学校の生徒に闘いをさせておけばどうなりますか。勝敗は決まっています。声だけ張り上げても、倒れてしまうでしょう。それと同じように、心と体もそのような基準が必要です。心に体よりも五倍以上の力を投入しなければなりません。
 そうしようとすれば、どうすればいいでしょうか。精誠を込めなければなりません。皆さん、「精誠を尽くせば天に通ずる」という言葉があるでしょう? 至誠であれば感天です。即ち、精誠を込めなさいというのです。至誠の限界点はどこですか。命までも惜しまず出しなさいというのです。皆さんは精誠を込めるのにおいて、命を懸けて至誠、誠を捧げなさいというのです。
 我々統一教会の人達は生命を懸けて精誠を込めなければなりません。皆さんは生命を懸けましたか。(「はい。懸けました。」)皆さんの生命は使こもないのに、そのように出しましたか。(「はい。」)皆さんの思いがそうであれば、皆さんのお父さんお母さんは最も嫌がるでしょう。皆さんの父母には皆さんが最も貴い生命ですから。しかし、統一教会においては、そのように貴い生命も貴くないと言うことができるのです。それでも、生命を懸けますか。(「はい。」)真心を尽くせば天に通ずると言いました。精誠を込めれば、どのような変化が起こるかというと、心に力が生じるのです。飛べば空中に飛ぶような気持ちになるのであり、地をたたけば天地が沈んでしまうような気持ちになる、そういう偉大な力が生ずるのです。
 そういう力が心に生ずれば、この肉身は相手にもなりません。宗教は、この二つの方法で肉身の欲望を阻止し、治める方法を教えてくれます。この方法を知るためには、精誠を込めながら祈祷しなければなりません。涙、鼻水、あるいは汗を流しながら精誠を込めなければなりません。

 どのような祈祷をすべきか

 祈祷する時にも、皆さんは、そうしなければなりません。祈祷する時には、自分のために絶対に祈祷するなと言うのです。
「私の父母をこのようにしてください。私の子女達をこのようにしてください」と、そういう祈祷をしてはなりません。私には北に父と母、そして八人の兄弟がいます。私の兄は、弟である私を誰よりも愛しました。その方は、我が国が解放される以前に、解放されることを既に知っていましたし、霊界を通じて韓国の運命を判断することのできる人でした。弟の為には自分の生命を失うことがあったとしても、成そうとしたのです。自分の弟である私が、どのような使命を持って生まれてきたかは知りませんでしたが、世界にたった一人しかない弟であるという事実を知っておりました。私にはそういう兄でした。ところが、彼がどのようになったのか、誰も知りません。
 私の父母と兄弟達が北韓でどのようになったか、よく知らないというのです。私が祈祷する時、一度でも神様に、父母が霊界に行ったのか、行かなかったのかと尋ねてみたことはありません。またそのようにしてはなりません。何の話か、皆さんは分かりますか。父母と兄弟に対して、「神様、私の兄弟達はどのようになりましたか」と、未だに特別な関心を持って、一度も祈祷を捧げることができませんでした。それだから親不孝でしょう? 不幸なのです。
 また、七年間、妻子と別れて暮らしましたが、「私の息子、そして私の妻を、神よ、保護してください」と、一度も祈祷しませんでした。しかし、私の父母を失い、兄弟を失ったとしても、世界の為に、民族の為に、また私に従う皆さんの為には、血と汗をながしながら、精誠を込めました。分かりましたか。(「はい。」)
 それは最も貴い物を与えて、皆さんを買ったのと同じことです。そうしたからと言って、彼等が悪くなることは決してありません。かえって、神は彼等を保護してくださるのです。皆さんはそれを知らなければなりません。
 私が監獄に入って拷問を受けて、血を吐くような立場に立ったとしても、「神様、この立場から私を避けるようにしてください」という祈祷は一度もしたことがありません。その時にはかえって、「父よ、このミスター・ムーンという人は昔の誰々とは違います」と言いました。血を吐きながら気を失うことがあったとしても、決して死にませんでした。その血はいくらでもまた再び補充することができます。「私がそのような立場に立ったとしても、少しも寂しく思わないで、かえって私を愛するより、もっと力強く伸びていくことのできる信念を与えてください。民族の為に、世界の為に、死を覚悟している立場ですから、この場から逃避する、そういう、仕がない者にならないようにして、義なる者として、血を流しながらお父様を慰めながら、堂々と倒れていく男となるようにしてください」と祈祷しました。自分のために祈祷をする必要がなかったのです。
 国が私によって恵みを受けたならば、国が私を立てなければならないのです。世界が私故に恵みを受けたとすれば、世界は私の為にしなければならないのです。それ故、統一教会の信者達が私によって福を受けたならば、「私の為にするな」と言っても、自然に為にするようになっています。これがまさに本物だと言うのです。
 私が皆さんに、「私の為になってください」と言ったことがありますか。「私を思慕しながら付き従ってください」と言ったことがありますか。「私に会いたがるようにしてください」と宣伝しましたか。(「宣伝しませんでした。」)「そのようにしなさい」と言わなかったにもかかわらず、そのようにしなければならないようになっています。これが、私と他の人と違うところです。
 勉強している若い学生達。昔先生が勉強する時には、一頁を読んで涙を流しました。この一頁一頁ごとに、民族の運命を左右する秘密が含まれているのではないかと言いながら勉強したのでした。祈祷もそのような方法でしなさいと言うのです。

 強い信念を持って行く人になりなさい

 先生は皆さんと同じような年に、日本に行きました。釜山から船に乗って日本に行きましたが、その時、釜山から連絡船に乗って行こうとして、限りなく涙を流したことが昨日のごとく回想されます。その時は日帝時代でした。かわいそうなこの民族を誰が束縛から救ってくれるのでしょうか。私が夜通し星を見ながら精誠を込め、涙を流しながら、「この民族のために、神の前に「今出発して再び帰って来る時まで、神よ守ってください」と祈祷しました。
 涙を流しながら、恨を残していった時が昨日のようでした。漢江の鉄橋から涙を流していた時が昨日のようでした。それが皆この民族の為の道であるので、そのような祈祷をしたのです。
 孤児のようなこの民族を置いて出発する時、コートをかぶってソウルから釜山まで痛哭しながら行きました。日本人のお婆さんが汽車の中で泣いている私を見て、「青年よ、お父さんかお母さんか亡くなりましたか。そのような悲しみは、人であれば誰も受けることではないでしょうか」と言いました。しかし、私の悲しみはただ国を愛する心で一杯に埋め尽くされていたのでした。
 釜山の埠頭において、日本に向かって旅立ったのが一九四〇年三月三十一日でした。今から何年前でしょうか。三十年前ですね。朝二時四十分に発ちましたが、その時の心情を未だに私は忘れることができません。私は日本にいて、地下活動をしました。国を愛せない人は神を愛することができないのです。
 その時、我々同志達は、上海臨時政府を中心として金九先生(注・一八七六~一九四九年、韓国の独立運動家、政治家)と共に運動するために、関釜連絡船に乗りました。釜山から新義州まで通いながら、抗日運動をしました。先生も、命を懸けてそういうことをした歴史を持っております。
 そのために先生は統一教会の信者である皆さんを、そのままおいておかないのであります。分かりましたか。(「はい。」)しっかりと信じなさい。それが嫌ならばここに来るな、約十年後に来なさい、と言うのです。
 男らしく生きたかったならば、でたらめな考えを持っていては妨害になるから、みんな落ちてしまえというのです。このことを自分の為にするのではありません。私は涙を流しても、私の為の涙は流しませんでした。それ故に、民族と国家に対して、誰にも一点の恥ずかしい思いも持っておりません。今も同じです。
 先生は共産党に対しても、あまりによく知っております。共産党は理念と思想的な体系で世界の制覇を夢見ているために、これからアジアにおいて戦争を挑発する可能性が大きいと言うのです。それで、十年前の一九六〇年代から、治安局を通して大田刑務所に入獄中のスパイ達に、全部思想を転向させ、北韓へ再浸透できる計画をし、政府に交渉したことがあります。
 その時、計画通りになっていたならば、日本は既に容共圏内から逃れていたことでしょう。日本が容共圏内に入っていくことを防止できなければ、大韓民国はいくらよくやってみても、川の中の鼠であるというのです。それで、私が十年前から大韓民国のために借金をしながら、宣教師を日本に送ったのです。その時は自由党の時でした。
 大韓民国が法治国家であるために、そのことが法に反したということをよく知っておりました。しかし、国の将来のために借金をしながらこのことをしました。それで、前線にいる若い人達を追い出したのです。忠清道の兵卒の裏庭から、「あなたは日本に行って、こういう使命を果たしなさい」と厳令を下しました。
 このようにして送ったのですが、三回も捕まって舞い戻って来ました。その時、「死ぬことはあっても、再び行くことができません」と言ったのです。それで、頬を殴りながら、「このやろう。男が一度決心したならば実践しなければならない。死ぬとしても、日本に行って死ね」と言って、声をあげて再び追い出しました。このようにして開拓したことが、現在の日本の統一教会になったのです。
 現在の統一教会は、難破した立場にいる大韓民国政府にとっての救命艇と同じような使命をしております。日本においても同じです。最近になっては、「統一教会の文先生、助けてください」と言われる立場になりました。皆さんはそのような事実を知らなければなりません。

 善が行く道

 皆さんはこのことに対して、現在の利益と目的のために進軍しなければなりません。この十年位過ごしてみなさいと言うのです。これから、どのようになるかということを先生は予想しているために、こういうことを言うのです。現在の皆さんは知りませんが、その時のために言っているという事実をはっきりと知って、特に女性の食口の皆さんは力強く闘わなければなりません。分かりましたか? (「はい。」)その代わり、男性の食口達は女性の食口達に負けてはなりません。眠ってばかりいてはなりません。それで、今年に入って新しい指示を下しました。
 我々が御旨を行こうとすれば、心をより強くしなければなりません。皆さんは統一教会を信じて何をしようとするのですか。滅びようとするのですか、栄えようとするのですか。(「栄えようとするのです。」)滅びるのは嫌ですか。(「はい。」)私も滅びることは嫌いです。 では、栄えることのできる方法は何ですか。共産党の方法は、「あなたの物は私の物であり、私の物も私の物である」という方式です。それは滅びるのです。孤独、単身となるのです。共産党は常に生命を脅かしており、恐喝したり、脅迫しています。しかし、それが曲ってしまう日には逆になって、一気に引っ繰り返っていくのです。北韓において、そのような現象が起きていると、以前新聞に報道されましたね。そのようになるのです。
 神の方法はどのようなものであるかと言えば、「私の物はあなたの物であり、あなたの物は世界の物であり、世界の物は神様の物である」と言うのです。これが正に善が志向していく道であり、これが正に善に向かって行く公式なのです。しかし、悪は、「私の物は私の物であり、あなたの物も私の物であり、国の物も私の物であり、世界の物も私の物である」という方法です。「神はいない」と言うのです。善が行く道と反対なのです。
 この統一教会を文先生が全部作って来ましたが、だからといって、統一教会が文先生の物ではありません。この統一教会は皆さんの物です。また汝矣島に一万坪を買って、清平にも多くのお金を投入して、約六十万坪以上の土地を買い、水澤里に大学用の土地を買っておりますが、それだからといって、それが私の物ではありません。これらすべてが皆さんの物です。これらすべてが私の物のようでありますが、皆さんの物であり、皆さんの物ですが、大韓民国の物であり、また大きくは世界の物です。
 世界の物として関係を結ぶことができてこそ、高貴な価値として残ることができるのです。だからと言って、遊んで食べていてはいけません。涙と血と汗を流さなければなりません。最も重要な事は歴史に残りうることです。それは世界の物であり、世界の物は神の物になります。これが善が行く道であります。
 それ故に、個人は家庭の為に犠牲にならなければならないし、家庭は氏族の為に犠牲にならなければならないし、氏族は民族の為に犠牲になり、民族は国家の為に犠牲になり、国家は世界の為に犠牲にならなければなりません。また世界は天と地の為に、天と地は神の為に犠牲にならなければなりません。これが御旨が志向する道であり、善を追求する、為に行く公式的な路程なのです。
 大韓民国にあって腐敗したことがあるとすれば、それは何でしょうか。ある個人が、国の財産を勝手に取って、国に傷を付けることです。自分だけの為にしたならば、国が滅びるしかないのです。栄えるようにする方法があるとすれば、精誠を込めて、血と汗を流さなければなりません。涙と血と汗の消耗がなければ、「精誠を込めました」と言うことができません。
 このような立場から、我々統一教会は闘わなければなりません。統一教会の発展のために闘うのではなく、統一教会がなくなったとしても、この民族の将来のために闘わなければなりません。理想的な国家のために闘わなければなりません。
 我々は今まで統一教会の発展の為に闘ってきたのではなかったのです。国の運命を脅かすことを防止するために、あるいは近付く未来のために闘って来ました。それ故に、韓国、日本、中国この三か国を中心として背水の陣を敷くために、今まで統一教会の文先生は血みどろの闘いを繰り広げてきたのです。

 日本統一教会の活動

 皆さんはよく知っておりますが、我々統一教会の基盤は固いのです。子供舞踊団が日本の佐藤首相に会ったことを、新聞を通して見たでしょう? それは、何もしなくてそのようになったのではありません。
 皆さん、日本で岸首相と言えば、日本では第一人者です。彼等兄弟同士、首相を四選もし、十年以上は任期を務めました。
 これから、韓国の運命の為に、この兄弟とどのように交渉するかということで、私が七年前から手を打ってきたのです。その過程は血みどろの闘争の連続でした。日本のお嬢さんに、「日本の政治家の幹部のところに行って、下女のような役割をしなさい。それができなければ痛哭しなさい」と指示しました。そういう命令を受けた統一教会の食口は彼等の秘書達によって門前払いをされたり、追い出され、あるいは「韓国の文某の犬め! 誰を滅ぼそうとして、門前に来て立っているのか」と言われたりして、あらゆる悪口を受けたのです。文某の弟子が犬の子扱いにされたのです。
 そういう批判を受けながら、今まで維持してきました。そうしながら今は、岸首相が今度の合同結婚式に祝辞までしましたね。今回韓国に来た時、私の家を訪問しようとしましたが、事情があって、できませんでした。
 今はそれ程、近付いて来ているのです。彼が活動している背後には、私が影響を及ぼしていることを世間は知らないでしょう。今回、日本と中国の経済人協会の会議の際、「周四原則」に反対して立ちましたが、それも私のコーチで成されたのです。
 ワクル大会も、私が全部コーチしました。日本全域にいる共産党に反対しようとして、挙国的世界大会を開きました。この大会の時二億七千万円の予算が編成されましたが、経費を節約して一億七千万円の大会費を払いながら、私達が闘争したのです。金は一銭も無かったのですが、私が方法を教えてあげて、このことを成したのです。
 これを見て、世界の数多くの国家の人達が、「ああ、大韓民国のあの人か」と言って感嘆したのです。それで、三か月間、日本の国際勝共連合の会長を、一躍世界的な人物に作り上げました。そういうことがただでできることでしょうか。
 統一教会の文先生の命を受けた我々要員は、例えば、蒋介石の部屋に入って彼と相談することができる程にならなければなりません。昨日は、日本の皇太子と岸首相をはじめとした官僚達三百名が、子供舞踊団の公演を見ました。そういうことがただで起こりますか。そういうことをするのは、唯、国を生かそうとする一念からしていることなのですが、韓国は未だに真夜中です。それでは話にもなりません。
 初めて来た方は、ここに来る時、[統一教会の文先生という人が来たが、怪獣が来たのか]と思ったのかもしれません。しかし、それは誤った判断です。
 一月の末頃には、將介石の息子が先生を訪問することでしょう。日本で開催されたワクル大会に、政界の有名な方達が多く出席したのですが、それは誰によってでしょうか。それは、極東の一角で流れて行く韓国の風潮の唯中で、姓名も知らない彗星のように現れた一人の男の手によって、そのことが成されたのです。

 統一教会の信仰と思想

 皆さんが大学を出て出世しようとして、御旨を捨てて飛んでみなさいというのです。十年後に見てみなさいというのです。そのように行ったとすれば、高等学校を出てきた統一教会の信者の僕にしかなりません。我々が動くのは、統一教会のために動くのではありません。皆さんは、統一教会のために進む人ではありません。統一教会は滅んでもいいのです。しかし、世界が滅びてはいけません。私が願って、神が願っている世界が滅びてはなりません。統一教会の文先生だけを愛する人を、私は願いません。私を愛する以上に神を愛し、世界人類を愛さなければなりません。そして、私を愛せよと言うのです。これが、統一教会の先生が教える精神であり、思想です。それ故に、統一教会の信者達は一般の人とは違うのです。
 大韓民国が世界を感化することのできる民族となり、国家となるためには、世界の為に最も貴重なものを世界に与えなければなりません。そうしなくては、世界が大韓民国の為にしません。そうでしょう? (「はい。」)与えずしては、ならないのです。
 与えても、与えた後において、誇ってはなりません。神は父母の立場で与えます。父母は子供のために与えますが、与えた後、「私が与えました」と宣伝しません。与える時も、ただ与えるのではなく、もっと良いものを与えなければならないのに、そうでないことに対しても、切ない心を持って与えるのです。
 それ故に、統一教会の信者は、誰に会ったとしても、一度行って排斥されれば、二度行って泣き、それでも排斥されれば僕となり、僕となって追い出されたら、その息子・娘を捉えて切に願えというのです。誰のためですか? 「自分の為にしなさい」というのではありません。「民族を愛する為に、そうしなさい」というのです。その一人に会う時は、三千万人を代表して愛し、その一人を三十億人類を代表して愛さなければなりません。
 そうしようとすれば、手段と方法を心配してはなりません。進まなければなりません。こういう姿勢で進む時、必ず神が共にしてくださるのです。それ故に、我々統一教会の信者達がそういう道を行こうとすれば、既に誰かが夢示を通して見て、道端で待っていて、侍ってくる人もいます。そのようにしてでも彼に侍るようにしてくれます。それで、先生はただでご飯を沢山貰って食べたことがありました。ある時は、私がとてもおなかが空いて、ある家を訪ねて行きましたが、その家のおばさんが言うのに、「夜、先祖が現れて、『貴いお客さんが訪ねて来るから、餅と御飯を作って晩餐を作って迎えなければならない』と教えたそうです」。そういうことが今も起こっているのです。そのようにして、私は生きております。
 皆さん、統一教会の歴史はどれほど素晴らしいか、知っていますか。統一教会の御旨が行く道がどんな道であるかといえば、個人を犠牲にしても家庭を救おうとするのであり、家庭を犠牲にしても氏族を救おうとするのであり、氏族を犠牲にしても民族を救おうとするのであり、民族を犠牲にしても国家を救おうとするのであり、国家を犠牲にしても世界を救おうとするのです。これが、正に統一教会が成そうとする御旨なのです。
 それ故に、神は今まで自分に最も近い人を犠牲にして、怨讐を獲得してくるようなことをされたのです。それで、神は愛の神であります。愛する息子を犠牲にして、怨讐の子供を救おうとされました。愛する家庭を犠牲にして、怨讐の家庭を救おうとしました。そして、自分の愛する氏族を犠牲にして、怨讐の氏族を救おうとし、自分が愛する民族を犠牲にして、怨讐の民族を救おうとされました。
 自分が最も愛するイスラエルの国を犠牲にしながら、数多くの異邦国家を救おうと努力されたのです。イスラエルの国家とユダヤ教の主人となられるイエス様、即ち、愛するひとり子であるイエス様までも犠牲にして、怨讐世界の息子・娘を救おうとされたのです。それ故にこそ、この貴く崇高な思想が、今日、救援摂理途上にある神の御旨が行く道に潜んでいることを、私達ははっきり知らなければなりません。
 我々は、このような歴史的な伝統の前に、神を代身する代身者の一人として、一つの時代的な先駆者の責任を厳粛に断行しなければなりません。これを決心していけば、誰が見ても見ていなくても、誰が褒めても褒めなくても、根を下ろすことができる時まで、あらゆる精誠を込めて、涙と血と汗がにじんだ精誠を込めておこうとするのです。これこそ、統一教会の信条であり、統一教会の信仰であり、統一教会の思想であることを、皆さんは知らなければなりません。

 統一教会員が行くべき道

 今日世界に広がっている統一教会員は、今や国を挙げて団結する時です。団結しよう。内外が一致団結しよう。一つの心で一つになろう。一つが黒ければ、全部黒くなければならないし、一つが赤ければ全部赤くならなければならないし、一つが白ければ、全部白くならなければなりません。そのようになってこそ、世界を愛することができるのです。
 では、我々が愛さなければならない標準は何ですか。アメリカにおいては、白黒の人種差別の論議が政策的に問題視されています。この問題は世界的にも重要な問題となります。この問題をどのように解決するかといえば、白人が黒人の家に行って、僕の生活をしなければなりません。白人の学者出身が、あるいは博士・学位を持った人が、黒人の労働者の家に行って僕の仕事をしなければなりません。そういう運動が可能になる時には、アメリカの黒人問題が一時に消えてしまうのです。
 そして、白人の名門の家の子女と、黒人のみずぼらしい家の子女と結婚しなければなりません。そういう問題を誰が解決するのかといえば、統一教会の文先生でなくてはできません。我々の統一思想でなければならないというのです。
 今度、合同結婚式がありました。この結婚式に同参した各国の人達は、御旨が行くべき道がどのような道であるかを知っていました。彼等は、自分の国を代表して怨讐の国を愛することのできる条件を立てる道を先に行こうとします。それが自分達が行くべき道であることを知っているために、それを自分達の義務として思っているのです。
 イギリスとドイツはお互いに怨讐でしょう? それ故に、イギリスの男性はドイツの女性を新婦として迎えなければなりません。ところが、ここにおいて、お互いに対話が通ずれば問題となりませんが、お互いが言葉も知らないながらも、「先生が結んでくだされば、一生を共に生活する伴侶としましょう」と言うのです。そこに従うことは、苦痛がどれほど大きいでしょうか。他の人達は、意志が通じ、全ての感情が通ずる立場においても、うまく生きることができず、破綻して行く状況にあって、彼等はどれほど誇らしく思っていることでしょうか。
 彼等は意志疎通の障壁が千里、万里、横たわっていたとしても、愛が通ずることのできる方法があれば、お互いが努力しながら生きて行こうとするのです。天倫の法度に従って行こうと、彼等は志願して、「結婚させてください」と言って先生の前にお願いするのを見る時、私は本当に有り難く思いました。統一思想がこのように恐ろしいものであることを、私自身も驚きました。皆さんがどのように行くのかということを、先生は続けて見守ることでしょう。
 日本の女性達は韓国語を知らないながらも、皆、「韓国の男性と結婚したい」と言い、日本の青年達も皆、「韓国のお嫁さんをもらいたい」と言うのです。これが成ることでしょうか、できないことですか。また、韓国において最も貧しい家庭の女性と、日本において最も豊かな家庭の男性と組み合わせてあげれば、その組が滅びるでしょうか、栄えるでしょうか? (「栄えます。」)それで、韓国の最も貧しい男性、あるいは女性と、日本において最も立派な男性あるいは女性とマッチングしてあげながらも、「うまくやっていけますか」と尋ねてみる必要もないというのです。だからと言って、統一家庭が最も良く生きるということでもありません。

 神の御旨を中心とした国家と世界をつくろう

 今や、共産党の手先をしていた民団を、たじろぐことのないようにしなければなりません。この者達、その民団の手を束ねておかねばなりません。御旨が行く道が正にそれであります。
 では、そういうことをして、統一教会の文先生が何をしようとしているのでしょうか。ある人々は、「統一教会がどんどん大きくなれば、…」と言いながら、恐れを感じています。我々統一教会が宗教界に手を付けないところがありません。言論界においても、昔は我々を打っていた人達が、今は、皆自分達が先頭に立とうとして、宣伝をして出るほどです。このようになると、一般の人々は「統一教会があのように発展している。もし看板さえ取り替えれば、政党になるのであり、文先生が大統領になろうとして基盤を整えているのではないか」という話をしています。私が大統領をしますか? 私が大統領を立ててあげることがあっても、大統領にはなりません。ここにいる我々の弟子達に大統領をさせるかもしれません。しかし、私はしません。彼等が勝手に恐れを感じて、そのように言っております。
 今度の二月に、我々の水澤里修練所に一万名を修練させることでしょう。以前、洞の班長から、郷軍小隊長以上、そして部落の有志達、あるいは賢い青年達を連れて来て、修練をさせました。共和党幹部に我が国の勝共思想を講義すると、修練会が終わるや否や、自分達の権力を全部捨てて出そうとする現象が起こります。その人々は、「我々が何故共和党の話を聞きますか。国際勝共連合の話を聞かなければなりません」と言うのでした。「そうするな」と言っても、そうするのです。
 そのようになれば、共和党内部において問題となり、閣議においても問題となります。一体統一思想とは何か、ということで、大学界においても問題が起こってきます。その時、その人達に我々の冠をかぶせてあげるのです。ここにも大学がありますか。(「関東大学があります。」)これからは、我々の統一原理を知らなければ、大変な事になります。
 これから、先生は国会を中心とした作戦をすることでしょう。統一思想を大韓民国の主体思想とするために、国会議員を立てて、国会に通過するように作るのです。そうすれば、つまらない与党や野党がある国とはならないのです。そうでしょう? そうできる可能性は充分あるのです。
 大学の有名な教授達もこの思想を聞いていますが、彼等が作成した感想文を見れば、素晴らしいものです。これを全部出版して、約百巻ほど造ろうと思っています。そうすれば目が引っ繰り返って、お互いが買おうと言って喧嘩をするようになることでしょう。これを知っている人達が先に買おうと言って、争うでしょう。それでもできなければ、原理研究会を訪ねて来て、へつらいながら、会員に付いて回りながら交渉して、一冊貰おうとするのです。そのようにして何をしようとするのでしょうか。統一教会を発展させようとするのではありません。統一教会は、滅びてもいいと言うのです。先生の主義は、大韓民国がない、といっても落胆しません。国土がない民族となっても後悔するなというのです。二十世紀を越えて二十一世紀の時代においては、この民族が持っている思想でなければ、世界を救う道がありません。「その時のために行きなさい」と言うのです。その時には、世界が私達の手助けを受けることでしょう。心配するなと言うのです。
 私がアメリカに足を踏み出した時、「私はアメリカを誰よりも愛する」と言いました。アメリカを、アメリカの誰よりも愛したのです。アングロ・サクソン民族によって約二百年の歴史を持っているアメリカを、誰よりも先生が最も愛したのです。
 何故そうするかと言えば、コロンブスがアメリカを発見する以前から、神がアメリカを愛したからです。アメリカの人がいる以前から、アメリカの主人は神様でありました。アメリカを誰よりも愛されたのは神ではないでしょうか。私は神の息子であります。堂々たる息子であります。神の息子であるが故に、誰よりもアメリカを愛します。このような伝統を受け継いだのです。
 今のアメリカになる前には、彼等の先祖達がインディアンを撃ち殺した歴史があったというのです。アメリカは、神が一つの使役者を立てるのに必要な道具として用いるために立てた所です。そういうアメリカは、これから統一教会の先生の話を聞かなければなりません。だからと言って、統一教会を中心としたアメリカを造ろうとしているのでは絶対ありません。また統一教会を中心とした大韓民国を造ろうとすることでも絶対ありません。
 神は、誰もが皆喜びますから、神の御旨を中心とする国として作ろうとするのです。文先生を嫌がっても、神を喜ぶのです。そうではないでしょうか? 文先生に対して批判する人はいるかもしれませんが、神に対して批判する人はいません。先生が行うことは、神の御旨を成就するための行いであります。即ち、神の御旨を中心とした国家と世界を作ろうとするものです。
 こういうことを全て成しておけば、神はどのようにされるでしょうか。神の全てのことを子女達に均等に分け与えてくださるのです。同じ事だというのです。これで、このようにしても大丈夫だし、あのようにしても良いと言うのです。それを、皆さんは知らなければなりません。

 栄える方法

 御旨が行く道は犠牲になる道です。我々統一教会の人達は皆犠牲になりなさいと言うのです。夜であっても昼であっても、眠らずに御旨を行かなければなりません。今は私は少しは眠りますが、以前は平均睡眠時間が一日三時間にもなりませんでした。
 それを知って、皆さんは今や、一九七一年度に、地区長を中心として一つに団結しなければなりません。分かりましたか。(「はい。」)団結して何をしようとするのでしょうか。江陵地方の為に、無条件で奉仕しなければなりません。そうするのに、涙と血と汗を流す覚悟をして立たなければなりません。
 明日の国の為に、愛国、愛族することのできる思想に染まって、村々、谷々を訪ねて奉仕せよと言うのです。人が見るには、穴を掘るみすぼらしい農夫の姿ですが、その胸の底には、諸々の国の為に生きることのできる中心の種子が植えられているのです。このように、ありったけの力を尽くしたにもかかわらず、滅びるようになったとすれば、先生の首を切れと言うのです。
 そのように苦労するようになれば、その場所の中心人物になるようになるのです。そうでしょう? そのようになれば、滅びるのではなく、栄えるのです。そのようにして強制的に彼等を屈伏させるのではなく、彼等自身が屈伏するのです。こういう事実を皆さんは知らなければなりません。
 このような神の作戦は何かと言えば、打たれて奪って来る作戦です。忘れて、数十倍を再び取り戻してくる作戦です。世界の為に愛する息子・娘を殺し、怨讐の国家から何億千万倍の収穫を収めたという事実を、私達は知らなければなりません。忘れて、取り戻して来る作戦、打たれて奪ってくる作戦です。
 真は、打たれれば打たれるほど無くなるのではなく、かえって、広がって行くのです。真の為に失ったならば、それを完全に失うのではなく、かえって自身が引っ張られて、どんどん上がって行くようになります。同じように、私が相手の為になっていたならば、相手は結局、私を引っ張って行こうとします。言い換えれば、私の物が世界の物であれば、世界が私を引っ張って行こうとするのです。そういう世界の物が神の物であるとすれば、神が私を引っ張って行こうとするのです。結局は一つの条件をかけて、全体の中心と結託できるたった一つの勝利の秘訣が、これです。団結できる唯一の方法がこれしかないのです。そのように生活しないで、他の人が握っている拳銃で復帰しようとすれば、歴史上の誰も、この戦いに勝つことができません。
 人の為になすことは、天国を建設するための勝利の土台であり、勝利の土台を広めるための善の土台であり、善の原則であることを、皆さんははっきりと知らなければなりません。皆さんが常にこれを念頭に置き、これを中心として生きるならば、間違いなく勝利することでしょう。人の為にやることは栄えることであり、自分だけの為にやることは滅びることです。
 結論を言えば、人の為にやることは、公的なことであり、自分だけの為にやることは、私的であると言うことができます。それ故、公的なものの為に生きる人は栄える人です。栄えざるを得なくなって行くのです。私的なものを中心として生きる人は、滅びるのです。滅びまいとしても、滅びざるを得ないようになっていくのです。そういう人は悪なる人です。
 何かを分ける時、多く持ったら、それは決して誇りではありません。そこで恥ずかしさを感じなければなりません。多く持てば誇りを感じるはずなのに、恥ずかしさを感じるというのは何故でしょうか。私的であるからです。私的である時には、自ら縮こまってくるのです。しかし、泥棒は私的な立場を絶対的に立てようとします。他人の物も、自分の物だと主張するのです。泥棒は何かを盗もうとする時、堂々と騒ぎながら行きません。這って行きます。それは、地に下りて行く姿です。天命のために、直行しなければなりません。
 しかし、良心的なことをする時には、堂々たるものでしょう? それで大きくなるのであり、やりがいと楽しみが出てくるのです。そのようになれば、全てが平安です。皆さんは、これをはっきりと知らなければなりません。それ故に、公的な路程を通してのみ、天倫と人倫とが接触することができるのであり、私的な路程を通せば天倫と人倫とが破綻するようになるのです。

 繁栄する伝統的な思想を残すために戦って行こう

 皆さんは、こういうことをよく知らなければなりません。私の言葉が公的なものであるのか、私的な言葉であるのか。私が見るものが公的なものであるのか、私的なものであるのか。また、私のなす事が国の為のものであるか、世界の為のものであるか、天の為のものであるか。あるいは、聞くことも、行くことも、公的であるか、私的であるかを皆さん自らが分析しなければなりません。
 朝、一歩を踏み出す時でも、公的な歩みであるか、私的な歩みであるかを反省しなければなりません。そして一日の仕事を終えて床に横たわる時、公的な一日を過ごしたか、私的な一日を過ごしたか、反省しなければなりません。あるいは、一年を中心として公的な生活をしたか、私的な生活をしたか、一生を中心として、公的であったか、私的であったかを、反省しなければなりません。
 このようなことを中心として、皆さんの生死を分別することのできる秤が上がったり、下がったりすることを皆さんは、はっきりしなければなりません。このような原則を皆さんが知ってさえいれば、公的な路程から御旨が行くべき道が決定されるのです。
 公的な土台に立ってこそ、横的な恵沢圏を広めて行くことができます。即ち、私は縦的に立っているのですが、私によって横的に拡散され、全体が私と同じような恵沢圏内に入って行くということを、皆さんは知らなければなりません。このように動くようになれば、影で生きたとしても、その影で生きれば生きる程、間違いなく、根が無限に広がって行くというのです。そこから再び芽が出て広まるようになる時には、根に比べることのできないほどの無限なる発展がなされていくという話です。統一教会がそのようになるというのです。統一教会はそのように発展しています。
 そして、私が皆さんを指導していますが、この一つのことだけは知らなければなりません。皆さんには絶対に負債を負いません。私は皆さんの血を吸い、皆さんを利用する人では、絶対にありません。今まで、皆さんが私の世話になったでしょう? (「そうです。」)この世話は、死んだとしても返すことのできないものです。皆さんに世話にはならないということが、先生の鉄則です。絶対に、皆さんの世話にはなりません。それ故に、皆さんは公的な立場に立たなければなりません。
 西洋の食口達も、先生に会いたがっていますし、懐かしがっているのです。何故そうするかと言えば、彼等も先生に負債を負っていますし、その負債を返さなければならないためです。それで、アメリカの食口も自分の家を売ろうとすれば、先生のサインを受けなければなりません。
 先生が韓国におりますが、この地において命令だけすれば、あの地の果てまでもそういうことが起こるのです。何故そうしなければなりませんか。そうしなければ、霊界から黙っていないのです。そういうことが起きていますよ。私がそれを願う以前に、霊界で黙っていないのです。そういうことが統一教会で起こっているのです。私がお金がなくてあえぐ時、霊界を通して立体的にアメリカにも命令が行き、日本にも命令が行くのです。分かりましたか。そのようにして、今まで生きているのです。
 それ故に、統一教会の食口達は[神がいない]とは、誰もいえません。今日、統一教会の文先生は、今まで自分自身だけの為に生きてきたのではありません。先生は五十星霜を全部、人の為に捧げました。そういう私の末路が、どのようになるのでしょうか。私が何もなく、あるいは客死したとしても、墓だけ残ったとしても、その墓には花が咲くことでしょう。何故ですか? こうして生きてきたために、そうなのです。先生はそういうことを知っております。
 皆さんが今行く道、この道は滅びる道ではなく、栄える道であることを知って、皆さんの後孫に恵みを伝え、彼等が皆さんを永遠に追慕することのできるようにしなければなりません。そのような伝統的な思想を守って行くことによって、万民の前に、目覚ましい恵みを受けることができることを願いながら、お話を申し上げました。

   祈 祷

 愛するお父様。きょう、大関峰を越えながら、今から十年前のことを考えました。過ぎ去った歴史の流れは、時には悲しく、時には喜びでありました。
 人が理解できない心の中に、神の悲しみが潜んでいることを考えるたびごとに、お父様に対して私は常に不足であることを悟るようになりました。
 お父様。きょうの夜には、江陵にいるあなたの子女達と共にあなたの御言を分かち合いました。我々が会うようになったこの因縁は、私達の能力によって会ったことではなく、お父様を中心として数千万代の先祖が橋を作って、その土台を広めた功績によってであります。きょう、このように会うことができる一時を持つことができるようにしてくださった全ての恵みを、私達は感謝して、感ずるようにしてくださるようにお祈り申し上げます。
 人間同士であれば出会って別れる立場においては、批判が加わるのであり、分裂が起こるのを見るのですが、天を中心として出会うところには、申し訳なさと、感謝と、涙だけが残ることを私達は知るようになりました。
 この度、このように集まったあなたの子女達は、深い心の中で神を更に同情し、我々のお父様であられる神を愛さなければならないということを、はっきり悟るようにしてください。気が狂うほどあなたを愛するために、自分の心と体のすべてを捧げて、全てを犠牲にしても感謝することができ、神様が見て喜ぶことのできる息子・娘となることができるようにしてください。
 喜ぶばかりでなく、一つしかないあなたの愛を全て分け与えながら、万民の前に誇りたい息子を、どれほど懐かしがりながら、捜されたことでしょうか。また、そういう娘を、あなたはどれほど懐かしく思われたことでしょうか。
 今や、私達の焦る姿があなたの性相に向かって一歩一歩前進しておりますから、あなたが「早く来なさい」と呼ばれる時を待つ、そのような私達の姿とならなければなりません。苦難が来ることを避けたり、また苦難が来ることを心配する、そういう息子・娘には、絶対ならないようにしてください。
 この江陵地域に統一教会の地区が設定された時から、受難の歴史があったとすれば、そこには、間違いなく人間同士の過ちがあったことを私達は知っております。お父様は背後に在ってよくなさりましたけれども、人間が過った時、神は悲しみ、寂しがらざるを得ない立場に立たれることを、我々ははっきりと悟らなければなりません。人間が互いに協助し、互いが誓ったにも拘らず、誤まったことによって、神が訪ねようとされる全体の恵みをくつがえすことがあっては、絶対になりません。このような事実を知って、自ら誓うことのできる息子・娘となるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
 御旨行くべき道、御旨が願う道がどのような道であるかを知りました。私達は公的な生命を持って生まれ、公的な愛をもって生きています。そして公的な思いで公的な人生の航路を行っております。そのために、我々は神の為に、地の為に、人類の為に、何を残していくことができるのか。何が私達が行かなければならない使命であるかを、はっきりと悟らなければなりません。自分の為に狂い、自分の為に戦い、自分の為に犠牲になる人に、絶対になってはなりません。
 そのような人くらい、無価値な人間はいないということを、はっきりと悟るようにしてください。統一の子女の幼い心の中に、新しい望みと、公的な人格と、公的な国と、公的な世界と、天を愛することのできる公的な心が芽生えるようにしてください。
 あなたの心情と一体化できる子女になるようにしてください。そして、勝利の結果を自分を通して家庭に分け与え、その家庭を通して、氏族と民族と世界の前に受け継ぐことのできる自分達になれるように、許してください。そして、貴い善なる祖先となれるように祝福してくださることを、お父様、切にお願い申しあげます。
 きょうの出会いを感謝しながら、今残った時間をお父様が主管してくださいませ。明日も、忙しい歩みを催促しなければなりません。未来の行路においても、あなたの祝福圏内、あなたの広大な愛の圏内において保護してくださり、養育してくださることを、再三お願い申し上げます。
 そのような明日を願う子女達の上にも、自ら共にいてくださることを、切にお願い申しあげながら、今回の巡回のコースを通して、あなたが喜び得ることのできる御旨が、食口の生活圏内に現れることができるように、恵みを施してくださることを再三お願い申し上げながら、全体を真の父母の御名を通してお祈り申し上げます。アーメン。  



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.06.09 21:22:08
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