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2021.06.19
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「我が家庭の行く道」(その2)


<1からの続き>

 この世とは反対の道を行きなさい

 皆さんはいつ、一度でもそのようにしたことがありますか。統一教会の文先生はどのようにしたと思いますか。そのようなことがしばしばありました。つかめば離しますか、離しませんか。離さなければならないですか? (「離してはいけません。」) 神様も文先生に会って大変な目に合ったでしょう。(笑い)ヤコブが天使に勝って、イスラエルになったでしょう? 神様に勝てなくて天国がなるでしょうか。サタンに勝ったことをもって、それでもってなると考えるとすれば、とんでもないということです。神様に勝たなくてはならないのです。このような話をすれば不敬ですが、事実はそうなのです。神様に勝たなくては、天国は成されないのです。

 イスラエルは養子であります。息子として祝福しようとすれば……。父母は息子に負けますか、負けないですか? (「負けます。」)いつも負けます。「ああ、どうか私の話を聞いてくれ」と言うでしょう? 同じです。息子がお父さんに勝つことのできる道が、そういうところにあるというのです。何をもって? 愛の道、心情の道だけを行けば、お父さんも僕にさせることができるのです。お父さんが僕の生活をするでしょう? それを泣きながらしますか。(「笑いながらします。」) 笑いながらするのです。そのような何かがあるというのです。

 故に、神様に勝たなければ、イエス様を息子としてつくることができません。それができなければ、人類の祖先が出て来ないというのです。このような話を既成教会の人々に話せば、仰天して倒れてしまいます。倒れる人が悪いのであって、私がこのように話したことが悪いのではありません。私は堂々とした話をしているのです。看板を付けて、天の公認を受けて、これを始めたのです。

 皆さん、考えてみてください。この統一教会の文先生の道は見くびれないのです。いつも神の福を得るのです。御旨といえば、許しがないのです。父母も妻も、子供達にも許しがないのです。

 何故そうなのですか。一つの世界と離別して、一つの世界を迎えなければならないからです。女性であれば、嫁に行って住んでいた女性が再び嫁に行くようなことと同じです。復帰の道は、サタンと暮らしていた一人の女性が、神様のところに、再び嫁に行くようなものです。それなのに、後に置いてきた昔の夫のことを考えれば、今の夫は喜ぶでしょうか。自分の奥さんが昔の夫のことを考えれば、再び娶る男は喜ぶでしょうか。喜ぶ男がいるかといえば、一人もいないのです。そのような人は手を挙げてみなさい。喜びますか、喜びませんか。(「喜びません。」) それと全く同じです。その人は夢にも現れるなというのです。それで、昔のことは夢にも思い出さない、そのような立場にまで引っ張って行こうとするのです。

 この世で家庭を導いていくならば、他の世界が現れますか。この世では見えない他の道……。このように行くならば、塞がってしまうのです。その道は、世界まで越えることのできる道ではないのです。従って、ここで抜け出そうとすれば、仕方なく、この世とは反対の道へ進むのです。この世が好む道とは反対の道を行かなければなりません。一歩も許しがないのです。境界線はどこにあるでしょうか。神とサタンの三十八度線はどこでしょうか。私自身です。ここから出る欲を中心として世界を導いていこうとするので、六千年かかってできた歴史的な基準を超越することはできません。しかし、私がすべて否定して回れば、直ちに再び娶る夫に出会うというようなことと極めて似ています。

 下りて行くことはいいことですか、悪いことですか? (「いいことです。」) 皆様に何か付いているときに、どのように、その付いているものを取りますか。それを下ろして取りますか、上げて取りますか。「さあ、早く上がりなさい、上がりなさい」と言いますか、「こいつ、離れなさい」と言うでしょう。そして、どのようにしますか。足で、崖に蹴ってしまうのです。

 神様と通じる一番の早道

 神様が愛するには、こんなものを切ってしまうのにも、精誠を尽くしてするように、ゆっくりなだめてするならどれほどいいでしょうか。しかし、ばっさり切って崖の下に投げ込むのです。サタンがまた入ってくることのできない深い谷間に押し込むのです。そうして、サタンがいなくなった後に、神が訪ねて来て治療をしてくれるのです。足が折れていれば、足を治療してくれるし、体がよく動かなければ、神様が担いで上がっていくのです。このような所で、神様と通じることができます。

 神様と通じることのできる最も早こが、どのような道なのか。二つの道があります。この世を捨てて入山し、修道する道と、この世に入って行って犠牲になる道、その中でどの道が早いでしょうか。入山修道する道よりも三倍早こが、この世に出て行って正しく生きる道です。それで、統一教会は精誠を尽くすことよりも、出て行って伝道しなさいというのです。私がしてみると、それが三倍も早かったのです。

 祈祷する目的は何か。実践するためです。実践をすれば、祈祷しなくても、それ以上の位置を探し求めることができます。いくら考えてみても、その道が一番早こです。私は精誠を尽くして神様に出会う時まで、数多くの試練を受けてきました。しかし、皆さんが御旨のために一線に出てくるようになれば、一度に先生に会うことができるのです。

 御旨を中心として苦労してみてください。何かがあれば、すべて直接会うことのできる圏内に入って行くのです。数日もしないで、みんなそのようになるのです。故に、その場が福のある位置であるというのです。先生が訪ねて行って、主人の役をするようになれば、サタンが退いて行くべきですか? (「退いて行かなければなりません。」)

 それに接する立場がどこですか。皆さんが、先生が神様の指針を受けて、約束を受けた境地まで行けば、そこで、今までしなかった、新しい教訓を与えてあげたいというのが神様の心です。

 悲惨な道を歩まずしては父子の因縁を結べない

 皆さんは上がりますか、下がりますか? (「下がります。」)「生活が難しいので、楽な道を捜し求めなければなりません」と言えば、こいつ、殴り殺してしまえというのです。「妻子に食べさせることができないので、胸がひりひりして死にそうなのです。私はこの道を行けません」と言うと、サタンはそこに調子を合わせて踊りを踊り、神様は荷物をまとめるのです。先生はそのような道を行かなかったと思いますか。皆さんは南の地なので、行って会うこともできますが、先生は荷物をまとめて三十八度線の北に行ったのです。何か準備をして、挨拶をしてから発って行ったのではありません。皆さんは挨拶をして発たないのか、というのです。先生はその時、■■でお米を買っておいたのです。解放された後には、ソウルでお米を買うことができませんでした。それで、そのお米をトラックに積んで来ようと思って行く途中、その車の中で、「三十八度線を越えなさい」という天命を受けたのです。どうしようもなかったのです。「ああ、妻と子供に連絡しなければならない」と言うことができなかったのです。

 その時、家にはお米が一升もなく、隣の家に住んでいる友達の家に行って、「明日の朝までに返しますので、米一升だけ貸してください」と言って、持って来ておいたのです。すべてをなめて、食い潰してしまって、お金が一銭もなかったのです。そのような状態で三十八度線を越えて行ったのです。こういうことができるかというのです。その時、聖進が四月二日に生まれたので、一か月半、約五十日ぐらいになっていました。一九四五年五月二十七日に命令を受けて出発して、六月六日に平壌に到着しました。血だらけの者を置いて……。

 当時の聖進のお母さんの年齢はいくつかといえば、二十二歳でした。親戚も誰もいませんでした。艱難の中で皆別れてしまいました。そのような人に、行くとか、来るとかという挨拶も無く去って行きました。行ってからも手紙も出しませんでした。どうせ覚悟した道なので、挨拶をして立てば不浄のためにたたると思ってそうしました。子供のために涙を流せば、不浄のためにたたるし、妻のために祭物を捧げる体は、不浄にたたるというのが先生の考えでした。

 すべてのものをそのままに置いて出陣する兵士の心情で、「私は死地に向かって、監獄に行く迫害の道が横たわっているのである。この手が裂かれるのか。この足が折れるのか。いつどこで銃弾が飛んで来て、私の脇腹を貫通するか、後ろから貫通するのか、前から貫通するのか」。そのように深刻だったのです。死ぬ覚悟をして、北を訪ねて渡ったのです。

 これから私が手記を書けばいいのですが、そういうものは書こうとは思いません。何日に、どういうことがあったということをみな知っています。しかし、私は手紙を一枚も出せませんでした。天の前に任せた後には干渉をしてはいけないのです。「ああですか、こうですか」と、聞いてもいけないというのです。私は両親と離別して分かれた後に、北韓で、神様の前に「私のお父さんとお母さんは元気でしょうか」という祈祷を一度もしなかったのです。「私のお母さん、お父さんにを幸福にしてください」という祈祷を一言もしなかったのです。私が祈祷すれば、死んだのか、生きたのか、ということがすぐに分かりますが、今まで知ろうとしなかったのです。しかし、誰々が一遍に死んでしまったということを霊的に知っているのです。今まで、そのような賭けをしてきたのです。

 自己犠牲の道からサタンが分立

 その後、私が南に戻って来た時、聖進と聖進のお母さんがどのような生活をしていたかということを、みんな知っていました。どこに行けば必ず会うことができるということも知っていましたが、行きませんでした。私が修道の道において、御旨の道で出会った人々を解決しなければなりませんでした。私がこの道を出発したことは、聖進のお母さんに会うためではありません。

 カインを復帰して帰って行くために、この世の人々のために、この道を出発したのです。因縁を結んだこの世の人々を最後まで皆探し求めたのですが、その人々が相手にならず、相対的な立場に立たない時に、私は責任を果たした後に私の家を捜し求めて行ってこそ、引っ掛からないのです。私が家を出てから三年六か月経っていました。手紙一枚だけ出せば、すぐにでも会うことができたのですが、手紙を出しませんでした。私が会わなければならない人、神の前に誓い、約束した数名の人々に出会うことができなかったので、彼等に会うまで待たなければならないのです。その人々に会うや否や連絡したのです。連絡するとすぐに来ました。

 この世的に見た場合、私は夫という立場であるにもかかわらず、子供が七歳になって初めて会ったのです。その時には、食口達と一緒に過ごしていた時でした。お婆さんたちをひき連れていた時でした。ところが、「私の息子が来た」と言って、私が喜んで迎えると引っ掛かってしまいます。
 アベルは誰を通じてですか? カインを通じて紹介を受けて、愛さなければなりません。カインが、「あなたが聖進様ですか。先生、聖進様が帰って来ました」と言って抱いて、愛の表示として一つになって迎えなければなりません。これが原理の法度です。

 聖進と聖進のお母さんが私のところに来た時、先生が「この子が聖進か?」と言ってしまいました。それが、聖進のお母さんには一生の間、恨めしいと思っていることなのです。世の中に、熊や虎も自分の子供を保護するのに、この人は一体何者かというのです。死地においてあらゆる苦労をして、初めて父子が出会うのに、「お前が聖進か」と、手も一度も握らないで、ぼんやりと門前で立っていても、「入って来い」という話もしなかったのです。そういう話は食口がしなければならないのです。私は原理的に生きようと、今までも、ありとあらゆる悲惨な境地を経たのです。

 いったん神の前に預ければ、神はすべて責任を持ってくださいます。御旨からみれば、父母が神の前に孝の道理を果たせば、その子供は父母の前に孝の道理を果たさなければならないというのです。そのようにして出会った息子が、お父さんに何の情が行くでしょうか。それにもかかわらず、聖進は、自分のお母さんが反対する中で、七歳の時に母親を置いて、お父さんを訪ねてきました。お母さんが金だ玉だと言って愛しながら、七歳になるまでおんぶして育てたのに、そのようにお母さんを捨てて、自分のために何もしてくれなかったお父さんを捜して来たのです。誰かが誘って来たのではありません。自分の足で歩いて来たのです。そして、お母さんが迫害しようとすれば、事前に来て、すべてを教えてくれるのです。これは本当に、不思議なことでしょう。そういう子に、一度も教育をしたことがないことを申し訳なく思います。原理がこのようになっているという教育を、一度もしてあげられませんでした。父親としての責任を果たせなかったのです。この世的に見た場合、父親としては0点だったというのです。

 六〇年代になるまでは、私は聖進を他人の家で生活させました。何故でしょうか。復帰原則を歩んで行かなければならないからです。カインがアベルと一つにならなければならないからです。それで、疎かにされながら学んだ人になりました。迫害を受けてはいけない環境にいなければならないにもかかわらず、このようなことがあるために、他人の家で生活させたのです。

 聖進が小学校に行っている時にも、私は鉛筆一本も買ってあげませんでした。中学校に行く時も、鉛筆一本も買ってあげませんでした。六〇年代に聖婚式をして初めて顔を……。喜進もそのような賭けをしました。譽進も、生んでから復帰して入って来たのです。そうしないと原理が間違ってしまうのです。そして、寺に行って、寺で生活させ、他人の家での生活を経て、外地で生まれ、外地で死んだのです。

 このような天的な歴史を知っている立場に立つ主人が、そのようにすることができるでしょうか。天罰を受けるというのです。先生が心情で育てておいた道です。この原理原則は天地の分かれ目になっているし、復帰される天国の憲法の基準になるものであるのに、皆さんがそうしなくては、伝統的思想を引き継ぐ父子の因縁が成り立つかというのです。とんでもないことです。誰かが言う前に、自ら、そのような道を行かなければならないのです。

 先生が皆さんより劣るから苦労したのでしょうか。神様が先生の家庭をただで苦労させたのでしょうか。何のためにそうしたのでしょうか。皆さんの家庭のためにです。先生の家庭と皆さんの家庭が一つにならなければなりません。それには、どこで一つにならなければなりませんか。サタンが付いて来る所で一つになれますか。サタンと別れた立場で、一つにならなければなりません。他人のために犠牲になるという立場で、サタンが別れるです。

 従って、皆さんの家庭の婦人達は全部、この国、この民族のために犠牲にさせるというのです。先生が氏族復帰をするために北に訪ねて行ったように、皆さんもその賭けをするのです。全部別れ別れにならなければなりません。別れて合わされなくては、天の国に入籍されないのです。悲痛な大韓民国の歴史において、南北の統一がなされるその時まで、この役事をしなければならないのです。

 そして、統一の運勢を備え、一つの国家の勝利圏を備えて、エバ圏国家に相対することのできる姿勢を備えなければ、統一の運命の受難の道の前に、皆さん自身は全部悲惨に、犠牲になってしまうのです。キリスト教が悲惨な目にあったと同じように、皆さんの前途には言うことのできない悲惨が待ち受けているのです。

 相続権は希望のない、低いところから引き継がれる

 イスラエル民族が、イエス様一人を悲惨な立場に置くことによって、歴史的に悲惨になったでしょう? 

 自分の祖国を回復するために再び訪ねて来たけれども、怨讐が銃剣で狙いながら、「神様を中心とするお前達は、まだ民族的基準において、私達に屈伏していった世界的基準までは至らなかったので、世界の基準を越えて行かなければならない」と言って脅かしているのです。昔は同族であり、友達であった十二支派が全部アラブ国家になって怨讐となり、銃剣で狙っています。どうしてですか。先祖の間違いを蕩減復帰しなければならないからです。銃剣で裂いて置いたので、銃剣で狙っているでしょう? イスラエルの生命は私が手を出さなければなりません。他の秘法はないのです。

 それで、皆さんは下りて行きますか、下りて行きませんか。(「下りて行きます。」)泣きながら下りて行きますか、笑いながら下りて行きますか。(「笑いながら下りて行きます。」)相続権はどこで継承されますか。希望のないところで継承されますか。希望のあるところで継承されるでしょう? (「はい。」)「最後まで忍耐して、辛抱する者が救われる」と言われているでしょう?

 それで、イエス様は霊界に行って、地獄の底に行って、三日間、受難の道を克服しなければならなかったのです。イエス様はノア以後の、霊界を中心として、彼等の所願を成就してあげることができなかったのです。霊肉を中心として、勝利の起点を持たなければなりませんでした。それで、彼等を中心として道を開いておかなければ、讒訴を受ける立場に入って行くのです。道を作らなければならないのです。それ故に、イエス様は霊界の地獄に行って開拓し、道を開いておいたのです。そこに行って、そのようなことをしなければなりません。

 監獄の中から蕩減復帰の道を開拓

 先生もそうでした。先生は北に行って何をしたのでしょうか。このような原則を知っていたので、監獄に入って行ったのです。イエス様は監獄で滅んだのでしょう? それで、先生も怨讐に追われた道を元返して行く時には、監獄を探し求めて行ったのです。私は平壌の刑務所で、手錠をかけられ、刑罰を受けている間にも、誰々に会うという約束を受けたのです。「向こうに行けば、イエス様の三大弟子のような人に会うだろう」という約束を受けたのです。復帰の運勢圏内においてそうしなければ、道が合わないのです。従って、手錠をつけて監獄に入る道も、最高の希望の道であったということです。その時、そこで出会った人々が今日、皆さんの前に出て証をする人々です。

 こういう人に会うであろうというその希望を持って、監獄を探し求めて入って行ったのです。希望の中で探して行って、絶望の中で探して行ったのではありません。私がそこに入って行ったので、そこで道を作って、その苦労の功績を通じて、その門が自動的に開くようにしなければならないのです。そうしようとすれば、完全に蕩減しなければならないのです。

 その監獄生活をし、その監獄で祭物にならなければならないのです。それで、その獄に入ってから、最も難しいことを私がみんな引き受けてなしたのです。体ですることの中で最も難しいことを私が全部引き受けてしたのです。最も難しいことを一歩も譲歩しなかったのです。それで共産党員から毎年、模範労働者の表彰を受けました。それを私が願って受けたのではありません。全部彼等がくれたのです。共産世界の監獄に入って、模範労働者として一等になったので、世界のどこに行っても問題はありません。そうしなければ蕩減復帰ができないからです。

 監獄で私はマラリアに罹って数か月苦しみました。そのような中でも一日も休まなかったのです。他人はそれを理由に上げて、休むことができないと大騒ぎでしたが、私の責任量は死ぬまで……。私が責任の量を果たせなかったことはなかったのです。それで、監獄に入った人間として、所長からまでも特別待遇を受けました。言葉には出さなかったのですが、全部、私を尊敬していました。言葉には出さないで別の国をつくっていったのです。全体のために私の組を経て行った人の前で……。そこでは毎日朝、その組の編成を行いました。千名に近い人々がいたために、数多くの人々が私がいる組を経ていったのです。私がいる組を経ていった人々は、みんな私が好きでした。監獄生活の中の監獄生活をしたのです。この文という人の後ろに、犬が多かったのです。皆さん、犬というのは何か分かりますか。しかし、そのような条件に掛かる男ではなかったのです。

 私が言うことであれば、命を懸けて脱獄もすることのできる人がいたのです。死地においてイエス様の十二弟子が逃げて行ったのを復帰しなければならないのです。自動的に復帰しなければならないというのです。

 私が口を開けなければ、霊界が動員されて伝道してくれたのです。先生の囚人番号は五九六番です。どのように考えてみても耐え難い番号です。ある人には夢で先祖が現れて、「何号室の五九六番、こうこうこういう方がいるので、あなたの受けたそのミスカル(注・蒸した餅米を炒って、挽いて、粉にしたもの。みじん粉)を持っていって、少しも手をつけないで、その方に捧げなさい」と命令したのです。それでも「このような、雲をつかむような夢みたいなことが何だ」と、一度言っても聞かなかったのです。それで、二回、三回言って、最後には、首を締めながら、「この野郎! するのか、しないのか」と言うと、「はい、いたします」と、このようになっていました。

 監獄でミスカルといえば、命よりも貴重なものでした。それで、その人がみじん粉の袋を逆に持って、私の所に来て、「ここに五九六番いますか? 誰ですか」と言うのでした。「誰かって、誰さ。ここにいらっしゃる、この男の方ですよ。皆さんの先生となられる男の方ですよ」と言って、霊界で動員されて、みんな食べさせてくれたのです。その後、私が何の話もしないで、平壌から避難するときに、四人の人が付いて来ました。四位基台の復帰です。分かりますか? 教会を中心として、四人の人を連れて出て来たのです。このように、歴史は復帰の原則を離れることができないというのです。

 終わりの日に現れる四つの形態の国

 それでは、何故四人を連れてきたのでしょうか。私達の心と体が分かれているでしょう? 内的な心も性相的なものと形状的なものがあるでしょう? 外的な体にも、性相的なものと形状的なものがあるでしょう? それで四つです。完全統一は内的に霊的サタンを屈伏させなければならないし、外的には肉的サタンを屈伏させなければなりません。私達の体は、神様の外的な面を代身し、心は神様の内的な面を代身しています。これら四つが一つにならなければなりません。この四つが一つになっていなければ、世界の統一もなされないのです。ヤコブが何故妾を置いたか分かりますか。

 従って、終わりの日にはどのようになるのか。終わりの日には四つの国の形態になっているのです。民主世界も二つのグループ。共産世界も二つのグループ。このような世界になるのです。全世界が四つに分かれるのです。イエスの国、右側の強盗の国、左側の強盗の国、次にバラバの国が生じるのです。バラバの国が何かといえば、回教国家です。強制だということです。「コーランを受けるのか、あるいは刀を受けるのか」という宗教です。キリスト教とは反対でしょう? それがバラバの国です。イエス様のために恵沢を受けたけれども、その功徳を知らない群れ、自分の連中だけのために尽くし、恩徳を返すことを知らないバラバ型の宗教が出てくるのです。それが回教です。そのようになっているのです。

 左翼、右翼というのはイエス様の時代から生じたものです。イエスがイエス様の国を中心として来る時になれば、この四つの国が出会い、頂上的な道を見分けて行かなければならないのです。そこから歴史が分かれたために、そこから歴史が収拾されて、新しこが模索されなければならないのです。今、世界が右翼と左翼に分かれていたでしょう? その次に回教圏があったでしょう? そして、キリスト教圏があったでしょう? キリスト教圏は、来られる主を中心として、新しい天国文化圏を中心として生まれたものです。この四つの出合の時代が来るのです。今がその時です。
 それでは、共産党はどのようになりますか。共産党はアラブ圏と手を組むようになるのです。これは先生が、既に話したことです。一九六五年にアメリカのアイゼンハワー元大統領と会った時、話をしたのです。共産世界が滅びる時には、必ずアラブ圏を通じて民主世界に再び反旗を揚げてくると言いました。今、そうなのです。

 このような時代的流れの中で、ソビエトとアラブ圏のナセルとが手を握って、ナセルを連れて行ったのです。彼を滅ぼさなければなりません。これが粉々になって分かれなければなりません。その時が来れば、私達の時が来ることを知らせるのです。見てください。民主世界で、アメリカが孤立しているでしょう? 分かれているでしょう? 完全に孤立しているのです。そして、共産世界でソ連が完全に孤立しているのです。今、孤立しているでしょう? また、中国もそうです。世界が全部孤立しているのです。ナセルを中心として、アラブ世界も今、孤立しています。ナセルが死んだためにみんな孤立するようになっているのです。キリスト教も同じです。キリスト教自体もやはり孤立しています。

 キリスト教が行く道がありますか。民主世界が行く道がありますか。共産世界が行く道がありますか。回教が行く道がありますか。ないのです。みんな方案がないので、ここで新しく来られる再臨主が、再臨思想を中心として、新しい方案を持って、「このようにしなければならない」という、旗を立てて出て来るようになるのです。歴史を見ても、今が終わりの日です。

 苦難と犠牲はサタンの讒訴を避ける神の戦法

 個人を統一させるためには、どうしなければならないでしょうか。自分を犠牲にしなければなりません。自分を犠牲にすることは、上がることではなく、(自分自身を)下に閉じ込めることです。その閉じ込めることは、良いことでしょうか、悪いことでしょうか? (「良いことです。」)歴史時代の人物の中で、閉じ込めなかった人がいるでしょうか。アベルを閉じ込めましたか(犠牲にしたという意味)、閉じ込めませんでしたか? ノアを閉じ込めたでしょうか、閉じ込めなかったでしょうか? アブラハムを閉じ込めましたか、閉じ込めなかったでしょうか? ヤコブを閉じ込めたでしょうか、閉じ込めなかったでしょうか? 数え切れないほど閉じ込められたでしょう? (「はい。」)またモーセを閉じ込めましたか、閉じ込めなかったでしょうか? 洗礼ヨハネを閉じ込めましたか、閉じ込めなかったでしょうか? イエスを閉じ込めましたか、閉じ込めなかったでしょうか? (「閉じ込めました。」)閉じ込めましたね? (「はい。」)

 それでは統一教会の文先生を閉じ込めましたか、迫害しなかったでしょうか? 返事をしなさい。(「迫害しました。」)閉じ込めましたね? (「はい。」)それでは、それを継承する統一教会の人達は迫害されるべきでしょうか、迫害されるべきでないでしょうか? (「迫害されなければなりません。」)生きる道を見上げると滅びてしまいます。神様がその道を防いで、犠牲にさせたのではなく、先生が犠牲にさせたのです。この道を避けては、生きる道がないのです。犠牲になりますか、なりませんか? (「犠牲にします。」)犠牲になることが正しいと思っている人は手を挙げてみてください。下ろしなさい。

 見てごらんなさい。神様が先生に対してどんなに無慈悲なのか知りません。谷間にちょうど行って知らん振りをされるのです。世の中に、そのような主人をおいた人が、どこにいるでしょうか。私が世の中の人だったら、神様であれ、誰であれ、じっとしていなかったのです。あきれて物も言えないのです。あれこれ優しい言葉で誘い、興味をそそるようにして、首を上げさせておいてからは閉じ込めるのです。挨拶をしないのです。(笑い)それが良いことでしょうか、悪いことでしょうか? (「良いことです。」)それを知っていますか。何故そうしなければならのか。皆さんはこれを知らなければなりません。それはサタンの讒訴を避けるためです。

 例えば、村で二人の子供が喧嘩をしているとしましょう。私の子供と村の子供が喧嘩をしているとしましょう。そころで、このような子供の喧嘩が大人の喧嘩になる場合があります。子供が喧嘩をしているところに、その村の人が、私の子供を散々殴ったとしましょう。このようになったとき、私が現れて、その人に「あなたの息子が悪いのです」と言うと、そこで大人の喧嘩になるでしょうか、ならないでしょうか?

 そのような時には、その村の子供のお父さん、お母さんが見ている所で、自分の子供に「こいつめ!」と言いながら私は自分の子供を三発たたくのです。するとその人が申し訳なくなって、「あなた、あなたそれ止めてください」と言うでしょうか、言わないでしょうか。(「そのように言います。」)

 そうなると、サタンが来て讒訴するでしょうか、しないでしょうか? 顔も挙げずに背を向けるのです。馬鹿らしく屈伏させようとしてはいけないというのです。一瞬にして影もないようにしなければなりません。祝福してくれて、公認してくれなければ、帰ることもできないようにしなければなりません。証明書をもらっておかなければなりません。勝ったという証明書をサタンからもらっておかなければなりません。「お前、私の子供をどうするつもりか」と言って、「私はどうしようもできません。あなたが処理しなさい」という公認書をもらっておかなければなりません。

 そのような約定書を残すために、作戦をするのです。それは良いでしょうか、悪いでしょうか。証人がいなければなりません。父と子供が一つになって秘かに企てると、これは誰が信じてくれるでしょうか。天地の前で、サタンが証すことができるようにしなければなりません。方法はそうなのです。

 時が近付くほど、私は、地域長とか地区長が、自分の息子にあげるご飯を、自分も知らないうちに奪って食べたという話を聞くことを願っているのです。何の話か分かりますか。その時を願っているのです。息子にご飯を食べさせていたが、そうすることすら忘れて、そのご飯を自分が食べたといえるほど悲惨な立場にまで行くようにおくのです。その立場まで行くように責め立てるのです。先生はそのように厳しい人なのです。こんな人に従いますか、逃げますか? (「従います。」)本当に従いますか? (「はい。」)この道を行くために皆さんを責め立てるのです。それで、この前もお話ししたように、難しいと思う人は、自分の家に帰れというのです。耐えられない人は帰れということですね。

 今回も私はすべて知っているのです。「さあ、荷物をまとめて帰ろう」と思っている人もたくさん来ていますね。一度見たら、「今回、修練会にでも一度出て考えよう」とか、「これから工場にでも勤めよう。人並外れてやることはないさ」というように考えている人もいるということです。

 統一思想の主流思想は真の父母の思想

 皆さんはこれを知らなければなりません。統一教会の先生が出る前の六千年の歴史は、すべて燃やして捨てなければなりません。歴史は先生の時代からだということを考えてみましたか。今まで数千年も続けてきた文化史というのは悲惨な歴史でした。今までの歴史は、サタンが神様を裏切った歴史なのです。けれども、神様が残すことのできる歴史の記録を先生一代から始めるのです。

 先生が今まで、五十余年間にわたって歩んできた生涯の歴史が統一思想なのです。その歴史と共に、皆さんが残るようになった事実は、皆さんが歴史的な英雄となることを意味するのです。現在に歩調を合わせて、宇宙の歴史の基盤を備えることにおいて、一歩前進するか、後退するかによって勝敗が決まる厳粛な瞬間です。この時は、先生の一生で外にはないのです。先生があの世に行く前に、ただ一度しかない時なのです。これから皆さんの歴史は、この歴史を中心として戻って行くというのです。先生が成し遂げようとするその世界、先生を中心としてなされているその伝統の歴史を、皆さんが余すところなく受け継いで、そっくりそのまま未来に残しておかなければなりません。

 その内容は何でしょうか。先生を中心としてなっているものが、世界をすべて統一させるのです。その母体は何でしょうか。真の父母の思想なのです。真の父母の伝統がなければ、真なる息子の歴史は現れることができません。文化の出発は父母から起こるのです。その短い期間が、宇宙の歴史の尺度となるのです。皆さんはそのことを考えてみたことがありますか。それ故に先生は深刻なのです。

 それで、先生は今まで「統一思想の伝統的基盤を成立させよ」と願うのです。今まで願ったのはそれなのです。これを整えておいた基盤の下で、家庭が成立しなければならないし、国家が成立しなければならないのです。その主流思想というものは何でしょうか。それは自己を中心とした思想ではなく、全体を中心とした思想なのです。そうしながら自己を全体のために犠牲にする道を歩まなければなりません。それが統一思想の主流思想なのです。

 迫害の真っ只中で挙行した聖婚式

 私達の体制において教会もあり、会社もあり、すべてありますが、それは傍系的なものなのです。皆さんが、千辛万苦を重ねて、世界的な抽選を経て残ってこそ、荷担することができる栄光の恵沢圏に入っているということを考えてみましたか。

 イエス様はサタンに「人はパンのみで生きるのではなく、神様の口から出る一つ一つの御言によって生きる」と言ったでしょう? 本当はそうなのです。先生は今まで労働しながら生きましたか、お金で生きましたか? (「いいえ。」)神様は御言をもって生きるのです。そうしても滅びないのです。

 統一することのできる絶対的な方法は、神様と共に一線を越えることです。神様と共に、最後の最後の線まで越えようというのです。その線がどこでしょうか。熾烈な闘いの場であり、包囲網を貫いて行かなければならない、生死の交差路に接している接境地帯ではないでしょうか。

 それでは、神様と共に越えなければならないその第一線はどこでしょうか。栄光の立場でしょうか、お酒を飲む、そのような立場でしょうか。涙と鼻水を流しながら、人類愛を中心として苦しむ立場なのです。サタンが残酷で凶悪な武器を持って、これを一瞬にして撃破しようと準備する落とし穴に入れということです。その落とし穴の中に入って、それを撃破して、その落とし穴を平にしなければなりません。皆さん、その落とし穴に入りますか、入りませんか? 虎を捕らえるためには、虎の穴に入らなければならないでしょう? (「はい。」)それと同じく、サタンを捕らえるためには、サタンの穴に入らなければならないのです。神様をつかむためには神様のいらっしゃる第一線に行かなければなりません。

 神様とサタンの出会いは天上世界でしたし、そこから今まで闘ってきましたが、いつ分かれるのでしょうか。分かれる所はどこでしょうか? これを私達が考えなければなりません。

 今までサタンが讒訴してきたでしょう? 神様とサタンが分かれなかったのです。神様とサタンが分かれる所はどこでしょうか? その場はサタンが耐えることのできない立場なのです。それ故に、歴史上の一番悲惨な立場に行かなければなりません。牢獄に行くようになると、その牢獄の主人となり、労働するところに行くと、労働の主人にならなければならないし、飢えなければならないから、誰よりも飢えなければなりません。先生は三十歳になるまでおなかの空かなかった日はないのです。

 このようにしながら、六〇年度まできたのです。六〇年度まできて、大韓民国が反対する時、聖婚式をしたのです。闘いをして、奪ってきたのです。サタン世界が奪っていったでしょう? 私が入って行って奪ってくるのではなく、自分自らが飛び越えて来なければなりません。塀を越えて飛び越えて来なければなりません。そのような闘いをするのです。

 誰を奪い取ってこなければならないのでしょうか。エバを奪い取ってこなければなりません。このエバの奪い合いの闘いの悲惨なる副産物として統一教会が悪口を言われたのです。大韓民国の検察庁まですべて動員されたのです。六〇年度に、聖婚式が行われるその前日まで、私は検察庁に行って来たのです。皆さんはすべてを知らないのです。

 そのことに投書した人達が十二名でした。イエスを売り払ったその時と同じく、その人達はすべて統一教会に近かった人達なのです。不思議なことに、ちょうどぴったり十二人でした。彼等は署名をして闘ったのです。聖婚式を中心として作戦を立てる時は、滅びるか、栄えるかという最高の冒険をしたのです。個人的受難の峠を越えて、家庭が出発すれば、家庭的受難の道を行くのです。個人に対して陥れたことは、すべて流されてしまうのです。先生が家庭を中心として来たために、個人的衝突はすべて崩れてしまったのです。その次に残るのは家庭的十字架の道でした。それが第一次七年路程でした。先生が家庭的十字架の道を行ったのが第一次七年路程でした。

 「三十六家庭」祝福の意義

 家庭的第一次七年路程を越えて、次に子女達が行かなければならない七年路程があるようになるのです。それで皆さんが七年路程を行くのです。わが聖進がこの時に定着することができなければ、大変なことになるのです。感謝すべきことに、日本にいて御旨をなしたということです。これがすべて蕩減復帰なのです。そのような内容を中心として、聖進が、今はかなり定着したというのです。今、日本の幹部達が付いて回っています。それ故に、皆さんの家庭も聖進を中心として見た場合に、皆さんが蘇生級であれば、聖進は長成級にいるのです。カイン、アベル格なのです。このように見ているのです。そのような立場が成立するのです。この二つが一つにならなければなりません。復帰の道は簡単ではありません。

 家庭は先生を通して成立するのです。家庭の行く道は、女性達の恨みの道を蕩減復帰する道なのです。聖書の歴史には女性を中心とした内容はないのです。今までの縦的な歴史は主体を探し求めた歴史でした。六千年の間アダム一人を捜し求めてきたのです。アダムを捜し求めて、女性を探し求めなければならいでしょう? この男性世界に女性がいなければなりません。悲惨なことも、女性と共にすべてやったのです。氏族の歴史を横的に蕩減すると言ったでしょう? 横的な基準を中心としてみると、今までの歴史は七千年の歴史だというのです。この七千年の歴史を横的な基準に立てて蕩減復帰してくる期間が、第一次七年路程の期間なのです。

 先生が個人的な勝利の基盤の上で第一次七年路程を宣言したのは、女性を中心として、横的な家庭的蕩減の基準を備えてあげなければならないためでした。このような家庭的基盤をつくろうとしたので、三十六家庭を祝福したのです。ノア家庭から勝利の基盤をつくったでしょう? 伝統的家庭の基準を立てたのがノア家庭なのです。

 ノア家庭はアダム家庭から連結して、因縁に従って来た家庭なのです。ノア家庭が勝利したために、未来の望みを中心としてヤコブ家庭が現れることができました。アダム家庭を中心として霊界と肉界が分かれたのを連結させるために、堕落した世界で自分勝手な結婚をした既成家庭を祝福したのです。これは、アダムの血統を受けて出た後孫なのです。

 更に、ノア家庭は、所願の御旨を成すことができなかったイエス型に匹敵する型なのです。いつも二番目が打たれるのです。イエスも二番目だったので死んだのです。アベル、ハム、すべてが二番目だったでしょう? ノア家庭全体を、神の摂理においてアベル型として見てみますと、イエス型家庭と同じなのです。この家庭は、御旨をなすことができなかった家庭なのです。ノア家庭型に入った人達は、みんなそのような人達なのです。この地上において男性であれば、男性として生まれたけれど、自分の初恋をなしとげることができなかった人達が、第二家庭にいる人達なのです。復帰歴史はこのように複雑なのです。

 その次はヤコブ家庭です。第三家庭とは何でしょうか。これは純粋な処女と独身の男性なのです。ここから地上の基盤はすべて蕩減復帰して、完全なものを立てなければなりません。そのようになるのです。そして初めて、ヤコブ家庭型の十二家庭を中心として、横的な東西南北が立てられるようになるのです。三十六家庭を中心として全体を代表した立場から基盤を整えるようになるのですが、これが十二支派を中心とした三時代の十二型なのです。ヤコブを中心としてみれば、蘇生、長成、完成の三時代なのです。これが全部一つにならなければなりません。

 「七十二家庭」祝福の意義

 今まで先祖達が責任を果たすことができなかったために、崩れてしまったでしょうか。そうではありません。先祖達も過ちを犯したけれども、兄弟達が過ちを犯すことによって、そのようになったのです。それで三十六家庭の兄弟のような立場で、カイン・アベル、二つの型を立てたのが七十二家庭なのです。

 ヤコブの代まで、地上に横的な基盤を整えるまで、家庭を中心として、家庭のカイン・アベル二つの型の復帰された基準に立てておいたのが、七十二家庭です。それによって、今までの直系の先祖達の家庭がすべて復活された形態の家庭として地上に現れたというのです。これによって、重要な中心が決定されたのです。十二家庭を中心として、イスラエル支派型の出発がなされたのです。

 それでは、ヤコブの目的は誰の時代に実現しなければならないのでしょうか。イエスの時代なのです。イエスはイスラエルの基盤を中心として、民族を経て、国家を経て、世界まで行かなければなりませんでした。イエスにおいては何の使命があったでしょうか。ユダヤ教は氏族を代表したものであり、ユダヤの国は民族を代表したものです。そのようになるのです。イエスを中心として、ユダヤ教まで連結すれば、イエス様が復帰された氏族の家庭を持ち、その家庭を中心として、十二支派を編成しなければならないのです。これをすることができなければ、十二支派にかかっていたユダヤ教団は責任を果たすことができないのです。イエス様はその御旨をなすことができませんでした。自分の親戚を中心として、従兄弟、また従兄弟を中心としてしなければならないのに、他の地に行ってしようとしたので、不信されて、追い込まれながら死んだのです。兄弟達同士でやったならば、打ち殺されることはなかったでしょう。そうではありませんか。

 何故イエスは死ななければならなかったのでしょうか。マリアとヨセフが過ったからです。ヨセフが夜も昼も、「これは誰の息子なのか」、と言いながらマリアと喧嘩をしたために、その噂は広がったことでしょう。イエスが私生児として追い込まれた動機は、ヨセフとマリアが過ちを犯したためです。ヨセフが秘密を守って、村でも「この子は私の息子だ」と言って、目をつぶって暮らしていたならば、イエスは村の中でもお兄さんとして、弟として愛されたことでしょう。けれども、そうすることができなかったために、私生児として追い込まれるようになったのです。氏族の中でもイエスを受け入れることができない立場に立ったために、悲惨な運命の道に立って、外地に出て定着して、外から再蕩減をして、氏族を復帰し、民族を復帰しなければならなかったことが、イエスが十字架で亡くなった動機となったのです。

 他の人の血を受けて生まれた私生児と、誰が一つになろうとするでしょうか。万が一、ヨセフとマリアが良くしたならば身内、親戚と姻戚の八寸までも、七〇人門徒、一二〇人門徒を立てることができたでしょう。そのようになれば、一族はすべて神側に立てられたために、イエスは何もしないで静かにいて家庭をなして子供さえ生めばいいのです。母子協助をしたので、父女協助をすることのできる基盤さえできれば、御旨は自然になされるのです。

 今日、私達が七十二家庭を立てたために、先祖達を中心とした基盤が、この地上に立てられたのです。

 「一二〇家庭」祝福の意義

 イエスがユダヤ教的な基準を成し遂げることができなかった恨みがあるために、それを代身した一二〇家庭が、イエスの恨みを晴らしてあげる祝福家庭であるというのです。それ故に、一二〇家庭は先頭に立って犠牲にならなければなりません。

 この前、出動教育を受けた地域長達は、すべてが一二〇家庭だと思います。一二〇家庭は犠牲にならなければならないのです。一二〇家庭はイエス時代の一二〇人の門徒の立場であり、世界的な支派編成をなすための世界百二十国家を代表した国家的な基台なのです。国家的な基台が十二支派とすれば、その国家的基準を中心として、世界に出て行くことのできる、世界的な出発基準になるのが一二〇人門徒であるというのです。

 一二〇人門徒が死んでいった原因は何でしょうか。一二〇人門徒のような一二〇名の女性がいなかったためです。それで御旨をなすことができませんでした。イエスを中心として一二〇名の女性が一つになって、生死を共にすることができたならば、イエスが砂漠に入ったとしても、御旨が成し遂げられるのです。

 このような伝統的な歴史を中心として、わが統一時代においては、一二〇人門徒を代身することのできる基準を、内外を中心として、世界的に分けて、立てておかなければならないということです。それ故に、世界が百二十か国以上になって、その百二十か国を代表して、世界的四十か国を中心とした聖地を定めたのです。

 今、第二次七年路程を行く統一教会、第二次七年路程を行く皆さんの時代に来て、千二百名の婦人を動員したのは、イエスの時代よりも一段階上がって、一二〇の十倍として、世界的基盤を整えるためなのです。一二〇〇門徒が現れる前に、一二〇〇人のエバが現れて、皆さんがそのエバを中心として絶対的に一つになった立場を編成して、民族の運勢と世界の運勢を越えて行こうとするのです。今、大韓民国の運勢と世界の運勢を越えるか、越えられないかという立場に来ているのです。

 それで、これが、一九七二年までいくでしょう? 何故かといえば、世界的なイエスの恨みを蕩減して晴らし、それと共に、先生は世界的な新しい出発の布陣を整えておく時が、一九七二年度までなのです。

 そうすることによって、この家庭は先生と直接に内的因縁を結ぶことができるために、ここから入籍問題が起こるのです。すべて原理的なのです。大まかな計算ではありません。このようにすることによって、今の時代に女性の歴史が蕩減することができるのです。女性達はいつ蕩減しましたか。お母さんが七年間役事したことは何かといえば、そのようなことをしたのです。女性として難しいことはすべてやるのです。夫から不信されるような立場まで入っても絶対に信じろ、と言ったのです。

 今は家庭的開拓時代

 アダムとエバは怨讐です。互いの命を死亡に置き換えた怨讐なのです。そのような怨讐の立場にいても、恩人として迎える立場に立てるために、七年間闘いをしながら蕩減路程を歩んできたのです。皆さんが、その基準を中心として、横的に勝利の基盤を受け継ぐためには、皆さんの家庭も女性を中心として勝利的な基盤をつくらなければなりません。皆さんが先生と関係を結んで、勝利の基盤をつくることによって、先生と皆さんの妻達が一致すれば、皆さんも自動的に勝利することのできる立場に入るのです。このようにして、歴史的な蕩減を成し遂げるのです。カイン・アベルの蕩減をすべて成し遂げ、アダム、エバ、天使長の蕩減もすべて終わるのです。

 カイン・アベルの蕩減をすべて終わったにもかかわらず、皆さんの息子・娘が反対するでしょうか。お父さん、お母さんが反対するでしょうか。お父さん、お母さんが御旨を受け入れるようになるのです。そして、皆さんが天使長であれば、先生はアダムです。それ故に、先生の許可なしにエバの側に行くな、ということです。しかたがないでしょう? そうしても仕方がないのです。

 六〇年代には女性を立てて開拓をしました。今は家庭的開拓の時代なのです。そうしながら、民族を中心として、これから大韓民国の家庭の女性達が、「この国、この民族を復帰しよう」と言いながら三十八度線を無くすために出て行くようになる日には、北は崩れるようになるのです。

 皆さんが下がって行くのは横的な基盤をつくるためなのです。一つになることのできる統一的な基盤を立てて、勝利的な基盤を選んで、勝利的な基盤をつくった男が出るようになれば、女性は、その男性を絶対的に信じなければなりません。それ故に、何も知らない人がお母様としては最高なのです。先生が相対をもらうようになる時に、「私が先生の相対者になろう」と、霊界を通して……。そのような時に、霊的に支配されて生きてはならないのです。先生の相対者になれる人は二十歳以前の人でなければなりません。アダム・エバが堕落した年がそうだったからです。先生が四十一歳で、何も知らない十八歳の処女を迎えました。世界問題を前において考えてみたら、あきれてものも言えないことなのです。新婦になる人がいなかったでしょうか。大学を出て、素晴らしいという女性達がたくさんいたのです。

 お母さんを選ぶにおいて、どのようにしなければならないでしょうか。完全な家庭から選んではいけないのです。お母さんのお母さんが、ここに来て、お手伝いさんの生活をしたでしょう? 一番下から忠誠を尽くさなければなりません。そのお母さんは牢獄の生活をするような身の上でしたが、それがすべて福だというのです。統一教会は牢獄の生活をして、苦労しながらも不平不満を言わないで、すべて自分が過ちを犯したこととして、神の前にもっと忠誠を尽くそうとするのです。そのような面から見れば、すべて復帰原則によって見分けてきたのです。そして、お母さんになる人は血統的にどのような過程を通らなければならないでしょうか。それは簡単なことではありません。

 私が文氏の先祖をよく調べて、文氏家門の族譜(家系)を尋ねてみると、新羅時代の王の夢の中で、この国に特別な子供が生まれたから子供を探せ、という命令を受けて、南平にある文岩峰という峰の岩で泣いている子供を探して、そこから出発したというのです。また、摂理的に見たとき、花郎道の思想の発祥がどこかというと、文氏なのです。今はそれを知らないでいます。そういう複雑な事柄が絡み合っていきました。

 それでは、男性のみが蕩減すれば済むでしょうか。女性が勝利したという立場に立たなければ、お産をすることができません。出発することができないのです。それ故に、第二次七年路程の期間にあっては、私にとって教会が問題ではありませんでした。一九六四年度からは、私は壇上に立って説教をしなかったのです。すべて劉協会長に任せて、家庭的な道を歩んだのです。個人的な十字架を背負った後には、家庭的な十字架を背負わなければなりません。皆さんには十字架がありません。先生は個人的な十字架と家庭的な十字架を世界的に背負わなければなりません。サタンと対決しなければならないのです。

 蕩減復帰原則から見た現在の世界情勢

 その次には、民族的な十字架を世界的に背負わなければなりません。それで、今世界的な情勢を見分けながら、世界的な運命を判決しなければならない時に入っているのです。今ここに一人で座っていて、中国と日本との間に橋を架けているのです。今、先生が一言いえば、どうなるか分かりますか。

 台湾政府の蒋介石総統も、先生の版図圏内に引っ掛かっているというのです。今回、日本の食口が「日本が中国に反対し、台湾の蒋介石総統を裏切ってはいけない」と言って、一週間の断食闘争をしたために、久保木は、台湾に対しては日本政府よりももっと近くなったのです。今回、久保木会長がローマ法王庁とか世界を巡回する時も、日本の食口達が全員断食闘争をする写真を持って、中国の蒋介石総統の紹介によって、中国大使館の大使達の歓迎を受けたのです。天使長は、エバの国家である日本の教会長に侍らなければならないというのです。復帰しなければならないのです。蒋介石総統がどうやって歴史的なアジアの人物になったかというのです。石を(蒋介石の石という字を意味する)復帰するための歴史であるため、そうなのです。そうではありませんか。石を復帰するための歴史なのです。中国は天使長国家なのです。

 日本はエバ国家であるために、男性国家である二つの国が引っ掛かっているのです。ちょっと過ちを犯すと、韓国も滅びてしまうのです。中国も滅びるのです。二つの男性国家がちょうど引っ掛かっているのです。今そうではありませんか。それで、日本がエバ国家というのです。それは、先生が日本をエバ国家として選んだために、そのようになるのです。日本は二十年内に世界にない美人として化粧したのです。お嫁に行く時に、刃物を持って行くのではありません。お金を持って行かなければなりません。それ故に、日本は今まで無防備状態でいた国家でした。これから私が命令すれば、準備しなければなりません。今そのようなことをやっているのです。それを見ると、時が満ちたでしょう?

 中国、ソ連を中心としてみると、サタン世界も蘇生、長成、完成として出て来るのです。蘇生級の国はどの国かといえば、ソ連であり、長成級の国は中国であり、完成級の国は北韓の金日成です。長成級は何かといえば、エバの立場です。また金日成はアダムの立場であり、天使長の立場はソ連です。ソ連とアメリカは同じような天使長格であるため一緒に手を繋ぐのです。

 復帰の時が近付いてくると、世界が滅びてはいけないため、天運が漂って、互いに怨讐であったアメリカとソ連が手を繋ぐようになります。世界的第一包囲網の塀は手を繋ぐようになっているのです。いくら中国がその中でざわめいてみても食われてしまうのです。

 民主世界において、アメリカが天使長国家であり、日本がエバ国とすれば、韓国がアダム国家です。その三つの国がしっかり手を繋ぐのです。それで今、エバ、即ち、日本と中国が相撲を取って、アダムとアダム、つまり大韓民国と北韓が相撲を取り、天使長と天使長、つまりアメリカとソ連が相撲を取っているのです。ここでソ連はアメリカに引っ張られて行くのです。引っ張られて行くようになっているのです。すると、これから天運はどうなるでしょうか。神側のエバ国家の運勢を中心として左右される時が来るということです。

 ところで、中国と日本を中心としてみた時に、日本が中国に引っ張られて行くというのです。そうなっては、滅びるのです。それ故に、ここから、このように回って入ってこなければなりません。ですから、神様はここから出発させるのです。それは面白く越えて来るのです。このようになることによって、アジアで中国と日本を中心として、すべて集まるというのです。アメリカ、ソ連、すべてがここに集まっているのです。集まって、ぶつかり合ってどうなるかというと、すべてが崩れてしまうのです。中国によってソ連も崩れていったし、中国故に北韓も崩れてしまいました。また、日本故に、アメリカも崩れていって、韓国も崩れていくようになっているのです。ですから、統一教会の文先生が作用せざるをえないのです。このようになれば、韓国は絶対に崩れていかないのです。

 それでは、アジア圏において、復帰基台の面から、復帰の環境を中心として見るとき、誰が天使長でしょうか。アジア圏の天使長は蒋介石総統です。天使長は蘇生型です。何故蘇生型として起こるかといえば、先生を中心として三次にわたって成してくるためです。その次に、長成的な天使長は誰かというと、アメリカです。完成的な天使長は誰かというと、西ドイツです。それでは、サタン側のアダムと、世界的な天使長が一つになっているでしょうか。二つ共分かれています。アメリカも左翼と右翼に分かれている立場です。すべてが分かれているのです。それを知らなければなりません。四位基台になっていれば、(板書される。)こういう四位基台の形にちょうどなっています。韓国と最後とが分かれています。一つの国がちょうど二つに分かれなければならないのです。すべて左翼と右翼に、アメリカとソ連に、そして韓国も一つの国が二つに、西ドイツも一つの国が二つの国に……。この二つの国が問題を決めれば、世界は平和の天国時代に入るというのです。韓国の統一、ドイツの統一、東西が統一される日には、共産党は完全に……。

 このように見るとき、皆さんが知るべきことは、祝福家庭が出るまでは、個人が蕩減しなければならないということです。皆さんが家庭をなすようになったのは、先生が血の滲んだ闘いの功績を通してきたからです。第一次目に個人を復帰するのには、六千年かかりました。第二次に家庭復帰をするためには、今まで七年路程を経てきたのです。これから三次目に、子女復帰のための十字架が残っています。

 統一教会とキリスト教が一体化すれば世界は回る

 私は喜進が行ったことに対して感謝しています。彼の性格は、何か問題が起こると、その性格がねじれ易いのです。そうなると、サタンがすべてを引っ掛けてくるのです。彼の性格からみると、喜進はとても活発な子供だったのです。勘がとてもよく利くし、また男性的でした。そのような立場で相当心配したのです。

 先生の家庭を見ても、二番目は分かれるのです。そのようになりやすくなっているのです。それが復帰の原則であるからです。そのようなことを見ると、一面には、ああ、その子が行ってしまったことは、とてもかわいそうなことですが、地においては損にならなかったと考えているのです。これからは、聖進がよくやって、伝統さえ立てておけば、弟達はそのままついていくようになっているのです。

 こういうことをみんな知らなければなりません。型から見たら聖進はアダム復帰型であり、喜進はイエス復帰型なのです。イエスは犠牲になったでしょう? その次に、孝進の時代は再臨主の時代なのです。このようになると三時代です。縦的な立場から、蘇生・長成・完成です。それ故に聖進が何をなすべきか? そのような使命を果たしえなければなりません。それで日本にいるのです。

 先生が今心配していることは何か。日本はエバ国家ですから、一つちょっと間違えば、女性達に巻き込まれるようになるのです。外国でサタンの役事と共に、巻き込まれていくようになるというのです。そこで貞操を守って帰って来いというのです。先生の過去と同じようなものです。私が今考えているのは、海外宣教師を、日本の食口ではなくて、韓国の食口の中で誰かを送らなければならないと思っているのです。今はそれができません。遠からず、将来にすぐ実行しようと思っています。そのようなすべてが、皆さんが考えないうちに復帰路程の公式的な過程を通して、現在の基盤まで上がって来たということを知らなければなりません。

 そのような基盤の上で、このような複雑多難な数千年の歴史的な解怨成事の基盤の上に、皆さんが何の功労もなしに立てられたというのです。六千年の間、宗教を中心として探し求めてきたことは何かといえば、天使長なのです。今まで宗教は天使長を探し求めてきたのです。
 堕落した人間はメシアのための基台を立ててきましたが、宗教を信じているのは養子の立場に立つためであり、養子はカイン型であるために、天使長の立場にあるのです。ですから、今まで信じてきた宗教の目的は、世界的な一つの天使長をつくることによって、来られるメシアの前に、忠僕にさせるためであるということなのです。それを、世界的中心宗教であるキリスト教に立てようとするのです。

 そのような忠僕が一人から三人くらいいればよいのです。その三人を代表した一人さえいればいいのですが、必ず三人になるようになっているのです。何かの会議をしても会長がいれば、必ず二人の副会長がいて、これらの人達が合意し、決定の下に動くようになっています。統一教会を中心としてキリスト教が一つになれば、世界は回っていくのです。そうすれば韓国は復興するのです。共産主義はすべてなくなるのです。

 そのような基盤の上に民主世界を代表して、国家を代表して、キリスト教を代表して、宗派を代表した、一人の人がいて、そのような人だけ屈伏すれば一度に個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、国家復帰、世界復帰がなされるようになるのです。一瞬に家庭的勝利の基盤、国家的勝利の基盤、民族的勝利の基盤、世界的勝利の基盤が整えられるようになるのです。ですからここでは、個人復帰完成、家庭復帰完成、氏族復帰完成、民族復帰完成、世界復帰完成が一度に皆なされるようになるのです。

 ところが、これができなかったために、再び個人的闘いの蕩減路程を経て個人復帰をしなければならないし、氏族的闘争の蕩減路程を経て氏族復帰をしなければなりません。このような血の滲んだ闘いの再蕩減路程が、先生の一代で行っているということをはっきり知らなければなりません。

 一人の人がしなければならないことを、私が今まで生涯をかけて再蕩減してきたのです。それで国家基準を越えて、イエスを中心として失敗したキリスト教の恨みの根源を解決することのできる時になりました。そのようにして、初めて正常な姿勢を備えて、世界的権威を持った息子として現れる時が近付いてきたのです。

 四位基台を中心とした神側の版図拡大が急務

 そのような基盤をつくって縦的な歴史的な恨みを晴らし、横的な世界的な恨みを晴らすことによって、そのような勝利した家庭の基盤の上に、皆さんには何の功績もないとしても、そのまま立てられるようになっているというのです。そのようになれば、皆さんはどのような存在になるでしょうか。世界的な天使長の使命を成した立場、言い換えれば洗礼ヨハネの使命を完結した立場に立った存在となるのです。そのような立場にいきなり立てられたというのです。

 皆さんがその恩返しをするためには、先生が苦労したことの三倍以上、七倍まで苦労しなければならないというのです。何の話か分かりますか? 死ぬ立場があれば、自分が先に行って死ななければなりません。苦労する所があれば、自分が先に行って苦労しなければなりません。先生を苦労させようとする人達は、そういう立場に立つことができません。皆さん、先生を苦労させようと思いますか、苦労させまいと思っていますか。(「苦労させたくありません。」)

 見てごらんなさい。地方教会にいる人は、地方教会に難しいことがあれば、「本部から先生が助けてくれなくては」と言うけれども、「絶対に助けてあげるな」、と言いました。今回、各教会を少しずつ助けてあげたのは、既成教会のためです。既成教会の牧師達が今考えてみて、(統一教会に)入ろうとするのに恥をかきそうだから、そういう恥をかかないために、風呂敷でも被らせておかなければならないから汝矣島の土地も買ったのです。

 統一教会がお金がないと思ったけれども、「三か月以内に支払うことができる」。こうなると、ソウル市庁の市長、局長、課長達も、統一教会の言うことをみんな聞くようになったのです。ソウル大橋を渡ってみると、汝矣島鳥瞰図の中で一番高い建物が描かれた所が、統一教会の位置であるというのです。

 韓国が象徴的に準備しなければなりません。建てると言えば、百二十階だけ建てるのでしょうか。千二百階も建てることができるのです。それが倒れてしまったら、大韓民国が滅びるかもしれないので、百二十階だけ建てるのです。(笑い)そのように考えているのです。

 皆さんが形なく一間の部屋で、ぼろを着て住んでいるけれども、お金がありながらそのようにしているから、国家的な暗行御史のように思うことができるのです。皆さんを勝手に扱ったら、大変なことが起こります。今まで私が何をしてきたか分かりますか。貧官汚吏(注・貪欲で品行の悪い官吏)達は、私の手の中にみんな入っています。ぼろを着ているからと言って嘲笑するなというのです。そのように見ましたか。お金がないけれども、誰も「お金がない」と言っていません。

 それで、最近は最も困難だというのです。先生は皆さんを同情してあげません。世間では何か悪だくみがあるから、そのようにすると思うかもしれません。物乞いをして食べても、おろそかにもてなすことはないのです。ですから、今や死の境地の峠の道に至っていると思うのです。地方では、「統一教会はお金がある」と言っていますか、「ない」と言っていますか。(「ある」と言っています。)

 それでは、皆さんは何故そのように貧しい生活をしていると言いますか。何故そのように住んでいると言いますか。そのような話を聞いたら気持ちがよいでしょうか。皆さんは、「私達の先生がこれから四十日間に千個の教会を建てます」と宣伝しなさい。そうすれば、誰からも、「どうなっているのですか」、と聞かれることでしょう。すると、「一千個の教会を建てる土地を買っておいたのですが、これが、こうなって二十億の財産になりました」、と言って大砲を射つのです。鉄砲も、曲射砲を射つのです。

 今回、全国で部屋を借りてあげましたが、それは対外的な威信のためなのです。皆さんを助けてあげるのは原則ではありません。皆さんの背中の皮を剥いで売ってでも基盤を作って、既成教会の礼拝堂よりも大きく建てるようになっているのであって、先生が皆さんを助けるようになっていません。正しい思想を持ちなさい。自分の家は自分で建ててこそ精誠となるのであって、誰かに建ててもらうのはいいことですか。そのような人に国を任せたら、その国を売り払ってしまうというのです。私があげたくてあげるのは大丈夫なのです。しかし、皆さんがもらいたいので、「ください」と言うからといって、私があげるのはいけないことです。

 「お父さん、お母さん、私が相続を受けます」と言う人で、正しい人がいますか。放蕩息子の比喩があるでしょう? 自分の欲望通りにもらって、食べて、どこへ行きましたか。身を潰すところに行ってしまったでしょう? 父母があげたいと望んでいる時に、あげなければならないのです。孝子であれば、父母からもらうのではなくて、父母の前に捧げなければならないでしょう。皆さんは春夏秋冬、四季が変わるたびに、服一着でも準備して、先生の前に捧げなければなりません。それくらいの苦労をしなければならないのです。三年の間に少なくとも十二着の洋服は捧げなければなりません。魚も東の海の魚、西の海の魚で、一番大きいものを季節ごとに一匹ずつ買って捧げなければなりません。

 ご飯を食べても、一人で食べるのではないのです。皆さんは一人でいるとしても三人家族なのです。神様まで入れて、四人家族なのです。このように考えるのでしょう? 八人家族にならなければ復帰することができません。皆さんの内外に八人食口になってこそ復帰されるのです。皆さんの家族が八人家族であれば十二人になるのです。先生を中心として四位基台でしょう? 皆さんを中心として四位基台になるでしょう? 皆さんの直系の代を受け継いだ子女達も四位基台をなすようになっています。ですから十二人になりますね。これが神側の版図なのです。四位基台を中心として十二数をつくらなければなりません。

 公的な基盤の上で輝くことのできる栄光のチャンス

 今や個人を知りましたね。(「はい。」)しかし、個人だけで立ってはいけないのです。女性は蕩減路程を解決しなければなりません。これを誰が解決すべきでしょうか。女性が解決することではなく、男性が解決してあげなければなりません。エバはアダムによってつくられたのです。アダムが主管性を失ったことによって、エバが堕落したために、これを復帰するためには、女性が失敗したことまでも、七千年の恨みの歴史を、七年路程を通して男性が蕩減してあげなければなりません。これが統一教会の家庭的七年路程なのです。その次に、子女の時代に入りますが、これが民族的七年路程になるのです。

 第二次七年路程が一九七四年度に終わるでしょう? そうして、三次七年路程は一九八一年度に終わりますね。九×九は八十一になるでしょう。掛け算が終わる八十一年ということですね。それ故に、一九八〇年度に入ってみなさい。統一教会は世界へ音もなく飛んで行くことができるでしょう。気持ちいいですか。私が電話さえすれば、飛行機の切符はいつでも手に入れることができるのです。私が電話すれば、ホテルはどこでもあるのです。誰が予約していたとしてもすべて取り消して、私が泊まることができる、そのような世界的版図になるのです。その頃になると、先生は六十代になるでしょう。今まで七数を越えて来ることができませんでした。先生一生において、その安息期間を経て世界へ再出発する時代が、我等の目の前に現れる時が来るのではないでしょうか。それが可能であるか、可能ではないかということを占ってみなさい。可能でしょうか。(「はい。」)

 先生の一代は悲惨な一代です。二十一年間に世界の歴史を料理しなければなりません。そして、内的な二十一年間に天と地を料理しなければなりません。それで、一九六〇年度から一九八一年度まで外的な二十一年間と、その前四十歳になるまでの内的二十一年間を合わせて満四十年間に、世界を料理しなければなりません。それをすることができない時には、統一教会の運命は悲惨になるのです。

 神様は今まで先に準備をされなかった時がないために、ここにも調子を合わせておいて、前もって前進して行かれながら、私達に相続してくださる万端の準備をしておられるのです。このように急変することを誰が知っていたでしょうか。こういうことを見ると、この統一教会が何もないように見えるけれども、この統一教会の先生が打つ太鼓に合わせて、世界が行ったり来たりするのです。

 これは本当ですか、嘘ですか? (「本当です。」)これが本当であるならば、気を付けなさい。歴史は短いのです。峠の道の頂上にこのように立っていれば、二つの国の人になるのです。三十八度線に立って、一足進めば勝利するのです。今、そのような時に置かれているのです。その足を進めるにも、皆さん、一人で進むのではありません。命令と共に進むことのできる時になっているのです。そのようになった時、最初の復活に同参した人になるのです。そこに参加できれば良いでしょう? (「はい。」)これは歴史に残ることなのです。ですから、七年の間は祝福をしてあげないつもりなのです。

 今も、お爺さん、お婆さん達が大騒ぎしているけれども、そういうことは先生の眼中には無いのです。今の時はそのような時ではありません。先生が祝福してあげると、前線に飛び出して行くという人でなければ、祝福してあげないのです。前線に出て行くために祝福を受けますか。出て行くために祝福を受けようとすればやってあげますが、「一人では孤独で淋しいからしてください」と言えば、してあげないのが原則なのです。

 このような観点から見ると、皆さんがそのような公的な基盤の上で、輝くことのできる栄光のチャンスを、先祖から今までの皆さんの氏族を代表してこの世の中で迎えたということは、億千万金をあげても替えることのできないことなのです。その価値を考えてみれば、この韓国の地に勝るダイヤモンドをあげるとしても、替えることができないのです。皆さんは先祖達を一堂に串焼にして祭物として捧げたとしてもできることではありません。たまたま巡り合ったから、このように出会ったのです。ちょうど良かったと思うかもしれませんけれども、良くなることもできるし、良くならないこともあり得るのです。もしここで追い出されるときには、すべて倒れてしまうのです。

 相続権は家庭を中心として行われる

 罪を犯して監獄に入っている人が思うことは何かというと、皆自分が犯した罪のことを思います。「アイゴ、あそこで一歩間違えさえしなかったら、そうはならなかったのに…」と思います。このような思いは監獄暮らしが終わるまで続きます。それを切り離すことができないのです。監獄へ入ってみなさい。それと同じく、皆さんの生涯でこのような伝統を残したという事実が、天地にその価値が高く現れ、万国が仰ぎ称えることのできる起点になることが分かる時、大韓民国は生きるのです。そのような立場にいる私達が間違ったら、先祖の恨みになり、現在の氏族、後孫の恨みになります。

 もし間違ったら、後孫が私達のお墓に来て敬拝をすると思いますか? 「この先祖め!」と呪います。呪われたアダムとエバの立場と同じになるのです。それが分かりますか? そのようなうんざりした、恐ろしくて、恥ずかしい世界的な事実を残さないために、先生は、飛び石の橋を渡るときも、一本橋でも渡っている心情で真剣にやってきています。そのような伝統的思想を受け継がなければならない者達が、ご飯のために、子供のために、妻のために…。それで子供と妻をあらかじめみんな処断したでしょう? だから格好よく歩みなさいということです。それなのに、どうして妻達のためにうるさく言いますか? ここにはそんな人はいないでしょう。彼等より少し食べて、良くない所で寝て、もっと苦労するのに、誰が何と言いますか。簡単なことです。

 統一教会の先生もそうなのです。良いものを食べたがる人ではありません。作って持って来るから食べるのです。そんな時はいつも、私が監獄に入っていた時、十二月十四日から二十日までの出来事を思い出します。監獄生活をする時のことを思うのです。「ああ、きょうはこういう人達がこんな食べ物を作ってくれたが、私がこの膳に向かっていることを呪っている人はいないだろうか」ということを思います。だから、良いおかずを出されると、私は食べないで、必ず誰かに分けてあげます。私から頼まれてやるのですか、食口達がやってくれるのですか。やってくれなければいけないのです。皆さんは、先生が良いものを食べると悔しいですか。(「いいえ。」)

 孝行者になるためには、貧乏暮らしであっても、父母には良いものを食べさせなければなりません。自分の妻の着るものを売ってでも…。子供には食べさせないことがあっても、父母にはやってあげなければならないのです。それが孝の道理です。先生はそれを全部やってきました。そのような点においては落第者ではありません。それが皆にも回っていくべきではありませんか。ギヤー(歯車)が噛まれて回っていくように…。ギヤーが回る時、噛まれた歯車が外されて、その次の歯車が噛まれていくでしょう? そうやって回っていくのと同じなのです。

 先生がそうだったから、皆さんがそれを受け継いでやらなければなりません。誰かがこれを地上でやってこそ、ギヤーが噛み合って回っていくように、地上を中心として天国が回っていくのです。ギヤーも歯が三つ以上で噛み合わなければ回りません。それと同じように皆さんがそれをやらなければなりません。三位基台を作らなければならないのです。先生を中心としてそれをすべきです。三位基台の家庭がそれをやるのです。先生から言われるとおりにしながら一つになっていくべきです。そうしてこそ、この地上に、その伝統が残されて教育の教材になるのではありませんか。それが歴史の復活実体になり、未来に実証できる動機の基点になるのです。

 皆さんは神様のためにどれほど飢えてみましたか。その目でどれほど人を懐かしんでみましたか。これが全部問題になるのです。それが先生が千辛万苦の果てにつくっておいた基盤です。ところで、皆さんのやっていることを見ると、私は気持ちが悪くなります。私がそのようなことをまたしなければならないというのです。素足でまた走らなければならないのです。イエスがタオルを腰に結んで弟子達の足を洗ってあげたようなことを、またしなければならないのです。

 皆さんは、その位置に一人では立てません。先生の版図に足を踏んで立つことはできますが、一人では立つことができません。家庭を中心として相続権が展開していくのです。一人だけでは相続を受けることができません。イエス様一人だけでは相続を受けられないのです。アダムとエバ二人が堕落したので、世界を相続するためには、家庭を中心として蕩減すべき内容を提示しなければなりません。そうしなければ相続されないのです。

 皆さんが相続することのできる、このような驚くべき位置に立っているのは誰のお蔭ですか。皆さんが見たくもない奥さん達のお蔭です。皆さん、妻が気に入りますか、気に入りませんか? 好きですか、嫌いですか? 皆さんが偉くてこの位置に立っているのではありません。この位置に立つようになったのは女性のお蔭です。また、女性は自分が偉いためではなく、男性のお蔭で立っているのです。この場に出会ったのは相手のためだということです。相手がなければならないのです。横的基盤をつくることはできません。相対的基盤がなければなりません。家庭というのは男と女を中心としてつくられたもので、男と女が出会って完全に一つにならなければなりません。

 その男と女が出会うときは、誰を中心として出会わなければなりませんか。父母を中心として出会って分かれたので、ここでは子供を生んで、その子供を通じて一つにならなければなりません。これが、神様が願われる所願の基準であり、父母が願われる所願の基準です。それ故に、神様の霊気を受け継いで、神様の愛を中心として正しい所に植えておかなければならないのが、家庭を持った皆様の使命です。これが、「我が家庭の行く道」です。

 善の先祖となり、天国の基盤をつくるべき家庭

「我が家庭の行く道」とは何でしょうか。天の家庭の伝統を植えて、輝く善の真なる先祖になり、サタンは関係することができず、天のみが関わることのできる、福なる天国の基盤にならなければなりません。これが家庭の行くべき道です。分かりますか? (「はい。」)ここで、真の父母の名前が、天の勝利が出てくるのです。ここで、サタンとの別れがあり、ここで真の子女を迎えます。そして真の万物との出会いが行われるのです。それで、皆さんは父母の日、万物の日、子女の日と共に、神の日まで迎えることができます。どこで迎えますか。家庭においてですね。(「はい。」)

 ですから、家庭は神の日を迎える場であり、真の父母の日を迎える場であり、子女の日、万物の日を迎える場です。即ち四大名節が一致され、統合できる貴い基地が夫婦の間で作られることを思うとき、皆さんの立場は恐れ多い位置なのです。妻の目がどうであれ、片輪であれ、問題にならないのです。

 この法度を中心として生きながら引っ掛かる日には、無慈悲なのです。引っ掛かる日には誰から讒訴されるかというと、サタンが「この奴」と言いながら讒訴するのです。サタンが皆さんをサタン扱いします。「私は長成期完成級で、神様から許されざる心情の誘発によって堕落したけれど、お前は完成期完成級が見えるところで、神様の心情を知りながら堕落した」と言いながら讒訴するのです。「この者め、離れて自分勝手にする奴等は見てみろ」と言うのです。後でどうなるか。何人が引っ掛かるか。それは先生が決めるのです。何千代までも引っ張ることができます。一族を根っこのまま…。大変な、想像もできないことが私達の前に展開されるでしょう。

 これをどうやって、私が他の法をつくって生かしてあげられるでしょうか。それをやるべきですか。すると、私達の後孫の前には大きな癌ができるのです。この癌をどうやって取り除いてあげるか。先生の一代で血を流してでも行こうとするのです。先生は今そんな問題で心配しているのではありません。これは嘘でも脅迫でもありません。

 私が地上で、これができないまま霊界へ行くと、霊界へ行っても、この法に引っ掛かるのです。だから自分が一度会ったその女性は、六千年間求めてきた恋人が訪ねてきて出会った相対です。神様が見ておられ、父母の紹介で出会った相対だということです。愛は天から、父母から自分へと繋がっていますね。泥棒になってはいけないというのです。だから、我々の家庭は素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです。」)

 ですから、統一思想の言う救援の道理は、個人の救援ではありません。家庭が救援できないときは全部が駄目になるのです。夫婦救援であり、子女救援です。子女を救援できなかったときは、霊界に行って待たなければなりません。それで、霊界でも教育法が出来たのです。霊界には皆、一列に並んで行くのです。霊界には教育法があって、地上でできなかったことを霊界に行って教育をして一緒に越えて行くのです。私達は家庭救援のために信じるのです。

 私が信じているのは妻のためであり、妻が信じているのは夫のためです。子供が信じているのは父母のためであり、父母が信じているのは子供のためです。四位基台、即ち三対象目的のために信じるのが統一教会です。分かりますか? (「はい。」)一人だけでは救われません。絶対に救われません。それで、先生もお母様に対して関心が大きいのです。好きで関心を持つというよりは、原理的立場から、お母様より、私のほうがもっと愛そうと思っています。お互いがそうしなければなりません。

 統一家庭の教育法

 このような観点から見るとき、皆さんもそのような価値ある家庭をつくらなければなりません。そしてその家庭で三大愛を…。神様の愛は何かというと三大愛を総合した愛です。その愛を実現する家庭が、天国家庭です。ですから、独身時代に神様の前で愛されなければなりません。その次は、新郎の時に愛されなければなりません。その次は、親の時に愛されなければなりません。その愛は別々に分離した愛ではなく、一つの神の愛であり、独身の時にも、新郎の時にも、親の時にも、「良い」と言えるものでなければなりません。

 女性も、娘時代に神様の愛を受け、新婦の時にも、母の時にも愛を受けなければなりません。そうしてこそ、神様の愛の基準を中心とした代表的な父母の位置に立つことができるのです。自分が神の愛を中心として息子・娘の愛を体験し、新郎新婦の愛を体験し、父母の愛を体験すると、神様の三大愛を横的主体である父母の位置で受け継ぎ、横的に世界に向かって発展することができるのです。

 だから皆さんは自分の妻を、「ああ、この娘は神様の三大愛を受けるにおいて、世界に二人といない娘として愛される人であり、世界に二人といない妻として愛される人であり、これから母として、世界の誰よりも愛される人である」と考えなければなりません。ですから皆さんは子女の教育をどうしなければならないかというと、子供達が、「私の両親は世界一だ。神様を除いては、私の両親よりも他に偉い人はいない」と言って誇ることのできる教育をしなければなりません。これが統一家庭の教育法です。この教育法は、神様がうなずくことができ、皆さんの後孫がうなずくことができれば、公認されるのです。

 うちの子供達を見ても、「神様の次は、うちのお父さんだ」と言います。皆さんもそのような思想をもって、子女達に教育してあげなければなりません。先生は皆さんの家庭においてはお祖父さんですね? 皆さんは子女達に「私はお祖父さんから愛されたから、私もお祖父さんと同じだ」と教育していますか。皆さんの息子・娘にはそのように教育していますか。子供に「先生は、神の愛を受けてあのようになったので、その神の愛を受けた先生があなたのお祖父さんだ。このお父さんはそのお祖父さんから誰よりも愛され、お祖父さんと一つになったので、世界の誰にも負けない一番のお父さんだ。だから、このお父さんが、あなたを愛するにおいては世界一だ」と教育していますか? 自分の子供を愛するのは第一ですね。そのような思想を入れてあげなければなりません。これが千年万年継続されなければなりません。その血統が汚されることなく千年万年継承されると、あの世の先祖も、この地の後孫も千倍万倍福を受けることでしょう。家庭の行くべき道が分かりますか? 祝福家庭の者達、分かりますか? (「はい。」)この男達、泥棒の目をして、とんでもないことを考えています。奥さんが好きですか? (「はい、好きです。」)その後ろの者、奥さんが好きですか? (「はい。」)仕方なしに好きな人は手を挙げてみなさい。そんな人はこれから鞭で打たれます。

 家庭の行く道は、世界のために犠牲になること

 もう、我が家庭が歩むべき道が何か、殆ど分かりますか? (「はい。」)先祖から伝統を受け継ぎなさい。その伝統を自分の後孫に正しく繋げてあげなさい。そうして、御旨に反対する世界的サタンを屈伏させるためには、正常な行路を家庭的に全部切り抜けなければなりません。

 家庭的に切り抜けなければなりません。先生もいまだに家庭的には切り抜けてはいません。切り抜けている途中です。私達は家庭的に切り抜けなければなりません。一人だけで歩んではなりません。一つの鼻にぶら下がっているここで、共同で運命を解決しなければならない立場にいます。皆さんがそれを一気に越えたという条件を立ててあげるため、今皆さんの奥さん達が呼び出されたのです。これを越える日には、皆さんも一緒に越えられるのです。みんなが越えられるのです。

 ですから、皆さんはこのような時であるということを知って、大韓民国やアジアの問題、世界の問題に責任を持つことを、自ら決心しなければなりません。先生は一目見たら、そのようなことが感じられます。世の中がいくら広いといって、その行動は天地を握るという信念を持たなければなりません。故に、統一教会は滅びても、世界を生かすんだという信念を持たなければなりません。統一教会の人達は苦労させても、国のための仕事をしなければなりません。そうでしょう? 統一教会が良くなろうとすると統一教会は滅んでしまいます。そうしたら統一教会は今まで発展できませんでした。私達には背後にある思想だけが残っています。この民族三千万を頭から尻尾まで一か所に集めて、回っていくその場が私達が行く方向を経て回る時まで、私達はこの道を経て行かなければなりません。これを知らなければなりません。解く時は全部巻いてから解かなければなりません。そうしてこそ、最後を通して切り抜ける道を捜すことができます。復帰の道がそうなっているのです。

 三大愛を復帰しようとすれば

 皆さんの中で、妻を殴ったことがある人は手を挙げてみなさい。私が許してあげますから率直に手を挙げなさい。この者達! 殴ることがあったら、まず涙を流すのです。サタンが覗いているところで…。またそうしますか、しませんか? (「しません。」)三大愛を復帰しようとすれば、母の愛を感じなければなりません。その次は妻の愛を、その次は妹の愛を…。

 アダムとエバの堕落によって、母の愛を失い、妹の愛を失ってしまいました。三大愛を失いました。女性の立場から見ると、父の愛を、夫の愛を、兄の愛を失ってしまったのです。サタン世界でもお父さん無しに生きるのは偽物です。原則に不合格です。サタン世界の誰よりも幸せに生きることができなければ不合格です。世の中の自分の妹を愛する以上、もっと妻を愛せなければ不合格です。

 皆さんの妻は、三時代の女性像を代表した一つの実りとして、今日自分の眼前に現れた貴い存在なので、神様の前に感謝できなければなりません。先生は反対です。娘として育て、妻として育て、母として教育させて、「オモニ」という名を捜して立てたのです。反対でしょう? 先生が育てました。先生の年齢から見ると、お母様は娘のような年ですね。お母様は娘のようなので、妻や母のように思うのは難しいことです。考えてみなさい。年齢がある程度だったら無条件に「オモニ」と言えますが…。私がオモニに使う言葉は「オンマ」です。「オンマ」と呼びます。それが一番難しい問題です。外から帰って来て、妻を捜す時、「誰々のオンマ」と言って捜しますね。先生は「オンマ」と言います。

 ある時は、外から帰って来ると、子供のようにお母様に全部話します。私は昔、外から帰って来ると、夜を徹しながら母に報告しました。その心以上にならなければと思いながら報告をするのです。これがすべて復帰につながるのです。みんな蕩減復帰しなければなりません。

 女(妻)が男(夫)に対して疑おうとしても疑うことができないような男にならなければなりません。だから、どんなことでも相談をしてから行うのです。「御旨はこうだから、私達の行く道はこうだから、これはしたほうがいいか、しないほうがいいか」と、原理を説いてあげるのです。「これに異議があるか、ないか」と聞いても、「異議がありません」。このようにならなければなりません。男性の行く道は、女性が間違ったことをすべて取り除いてあげる道です。

「あなたが行くべき道はこんな道だけど、この道をあなたが行くと倒れます。十回のうち九回は倒れます。だから、私が先頭に立ちます。私は闘ってきた経歴もあるので、この道を行くので協助してくれませんか」と言うと、協助せざるを得ないようになるのです。そのようなことをやっていくのです。だから、私達の家庭が一つになります。誰よりも近いのです。オモニの代わりとして妻を愛さなければなりません。オモニと妻と妹が、家の中にいると思えばいいのです。何か難しいことがあったら、妻をオモニのように思って「こうです」と言うと、妻はオモニのような立場で涙を流します。涙を流した後は、遠くなるのではありません。

 世の中では、涙を流した後は遠くなりますが、私達は涙を流してから更に近くなります。二人がすすり泣いてからは、互いに済まなくて話もできなく、挨拶もないまま出てきますが、遠くなるのではありません。もっと近くなるのです。手と手を握って一つになって、互いに信じることのできる夫と妻になれば、これこそ幸福な夫婦ではありませんか。

 神様が見て、「この者達、私を愛するよりももっと好きになっているなあ」と言って罰を与えるでしょうか? このようにならなければなりません。このように生きてきた人は手を挙げてみなさい。皆やってみなさい。皆さんがそのようになる時、皆さん以上の後孫が生まれるのです。本当に有り難いことには、うちの子供達は霊界と通じる人達が見ると、とても興味深いと言っています。

 四位基台の愛を中心として精誠を尽くしていこう

 皆さんに息子・娘が生まれると、その息子・娘は統一教会の運勢と、先生の運勢を受け継いで生まれます。皆さんが頑固で意地っ張りなら、そのような皆さんの子供が生まれます。良い子供を生みたいですか。そうしたければ、先生が選んだその人を、先生のように愛さなければなりません。夫や妻を先生のように愛し、父母のように愛しなさい。そうすると、その運勢を受け継いで、皆さんとは全然違う子供が生まれます。

 今私は黙って見ています。ある人には不具者と結婚させてあげました。そんな夫婦は心情的にどうやっていくだろうか、そこに関心があります。我々は現在のために生きるのではありません。歴史のために生まれたと思いなさい。歴史時代の先祖達の間違いが自分の代に来て蕩減される形で現れ、自分が不具者になったけれど、先祖の全てが悪いのではありません。歴史自体が外れたのではありません。ですから、不満に思ってはならないというのです。その場で不幸になるのではなく、心情的世界では、逆にそこから福を受ける因縁が結ばれるということを考えなさい。

 このような家庭に神様が来られますか、来られませんか? 三代の愛の因縁を全部なすと四位基台がなされます。四位基台がつくられた所には必ず神様が来られます。この場が四位基台ではありませんか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、これが四位基台の愛です。四位基台の愛のあるところには、神様が臨在されます。そこで、神様と千年万年共に生きなければなりません。その場が天国の基盤になるのです。

 そのようになれば、神様の愛を受けることができ、神様の代を継ぐことができ、神様が持っておられる全てのものを愛することになるのです。そのような素晴らしい位置が、神様から祝福された家庭の位置です。家庭を守ろう。統一教会で家庭を守ることができない時は…。

 統一教会を信じるのは、妻のために信じるのではありません。国家のために信じるのです。韓国を復帰するために信じるのです。自分の家庭と妻と子供を、世界のために出してあげなければなりません。この愛は神様と共に一致するのです。でたらめな馬鹿げた心を持って生きては駄目です。このような心は、宇宙の何も悟らせることができません。悟らせようとする者は潰されてしまいます。皆さんがこれからそのようにやっていけば、どんな所であろうとサタン世界は崩れると思います。

 先生はお母様とこのようにやってくる中で、先生が計画したことを神様が全部前もって教えてくださるのを見ると本当に不思議です。こちらで一言「クゥン」と言うと、あちらで「チュン」と言って滅びます。

 今や、新しい時代が私達の前に近付いてきました。輝く歴史時代、この時を失うと、皆さんの所願は成し遂げられません。皆さんの所願は明日にあるのではありません。真の父母のための精誠と、真の父母の因縁を中心として結ばれる四位基台、億千万年が過ぎても皆さんの後孫がこれを受け継ぐために…。

 今まで堕落した世界は、未来を、明日を眺めて来ましたが、これからは後ろを向きます。ここは歴史の決定点であり、天地の全勝利の解決点であり、全希望の核心点です。この点を拡大させた物以外はサタン世界の物なので、天は全部処断してしまうのです。

 きょう皆さんが座っている場、家庭という因縁による先生を中心としているこの場は、皆さんの千秋万代の先祖達が願っていた場です。歴史時代にもこれを願い、霊界でも今、この場を願いつつ、皆精誠を尽くしています。きょう私自身も、これを中心として精誠を尽くしています。
 この場は、目的と動機が一致する場所です。ですから、ここに住む人は三時代を全部勝利した人になるのです。そのような驚くべき立場が祝福家庭だということを、よく知らなければなりません。

   祈 祷

 お父様。アベルよりもノアがもっと良くなれと願われたお父様の心に、悲しみの一日が発生し、ノアよりももっと良くなれと願われて選んだアブラハムの家庭に、再び悲しいことが迫ってきたことを知っております。ヤコブを中心として、もっと優れた子孫をお待ちになりながら、戦いの行脚を経て、勝利の基盤をつくってこられたことも知っております。

 このような基盤の上に、民族的指導の責任を持ったモーセは、ヤコブよりもっと徹頭徹尾しなければならなかったことを我々は知っております。だから彼は、エジプトを離れ、ミディアンの荒野と、ハランの荒野で八十年間生活したことを知っております。モーセよりももっと熱心に、もっと精誠を尽くすべき人物が洗礼ヨハネであるということを知っています。その洗礼ヨハネが、世界的使命を果たせなかったことによって、イスラエル民族が千秋に恨みを残す民族になったことを、私達は感じ、今日私達の目を通して直視するようになります。

 お父様。イスラエル民族よりももっと精誠を尽くさなければならないのがキリスト教であり、キリスト教よりももっと精誠を尽くさなければならないのが、今日第三イスラエル因縁を持って御旨を立てようとする統一教団であることを思うとき、ここに立っている息子は、歴史時代の誰よりももっと精誠を尽くさなければならないことをよく知っております。

 行けば行くほど、使命をもって天と接すれば接するほど、足りない自分であることを感じ、完全無欠を願うお父様の摂理の前に、あまりにも欠点の多い自分であることを思うたび、どうしたら良いか分からない現在のこの息子の立場であることを、あなたは知っておられます。

 誰か分かってほしいと思う私でも、誰か認めてくれることを願っている私でもありませんが、あなたは私の前に先立って行かれながら、私に同情しておられるということをあまりにもよく知っています。この地の誰よりもかわいそうな者はなにがしと、一人だけではなく霊通した多くの人、出会う多くの人達が証ししますが、私はかわいそうな男ではありません。私をそのような男だと感じられるお父様が、もっとかわいそうであることを知っています。私よりももっとかわいそうな方がお父様であることを知らなかった不孝息子であったことを悟りたいと思う私の心を、あなたは知っておられます。

 行く道が平坦であることを願っているのではなく、勝利の栄光を探して行く道です。その勝利の栄光は、自分の勝利の栄光ではなく、あなたの前に返したい栄光であることを、あなたは知っておられます。

 今日まで統一教団が残されてきたのは、誰かの功績や徳のためではありません。あなたが表に現れることなく、根っこのような役割をされながら、全てのことを取り除く原動力になってくださったので、統一教団が今日この場に残されたことを知っております。

 あまりにも足りなかった過去を顧みながら、微々たる価値の結果を誓った愚かな自我を捨て、厳粛な神様の教えを誓って行く、この期間になるようにしてください。

 自分が怨讐であることが今、分かりました。自分に勝つところに、あなた自らに勝ってこられたことを私達は知らなければなりません。全知全能のあなたが、その全てを踏んで立ち上がるまでには、どれほどの忍耐と、どれほどの悲しみがあったかということを思うときに、よく分かるような気がいたします。それに及ぶことのできないところで嘆いている私達の事情を哀れんでください。

 お父様。今回この清平にあなたの幼い子女達が集まったのは、何かを探すためではありません。お父様の深い心情に再び浸って、あなたの心情を再び体恤できる場を探して来たのです。私達の苦難は問題ではありません。あなたとの因縁が永遠に消えないで、永遠に解けない場で結ばれる、その場を探すため来たのが私達の所願なのです。

 私達は世の中に勝たなければならないことが分かりました。サタンに勝たなければならないことが分かりました。これを見ると、悲惨に悲惨を克服する路程が統一教団の行く運命の道であることが分かりました。民族が苦難の道にあるのに、民族に代わって先頭に立つことのできない哀れみを、あなたは良く知っておられます。世界の苦難を見ても、世界の先頭に立つことのできないあなたの悲しさが分かったので、その悲しい場に付いて行く私達の悲しい事情をあなたはよく知っておられます。

 こんな時が来る前に、私達の行く道をあらかじめ用意するため、多くの受難の道を耐えてこられたお父様がいらっしゃることを、私達は自慢しなければなりません。自分の何かを自慢する前に、お父様を自慢すべきです。自分の何かを讃える前に、お父様を讃えるべきです。自分の全ての価値を認められたいと思う前に、お父様が認められないままにいらっしゃることを悔しく思わなければなりません。そのようなお父様に侍ることのできる子女達が、あなたの悲惨な位置を見て、「どうしてお父様がこのような道を歩まれなければならないか。この者達によって、いつ解放の日が来るのか」と言いながら、お父様がかわいそうで泣き叫ぶ時、あなたがその位置から切り抜けるということを、私の体験を通して知っています。

 ここに集まったあなたの子女達、自分の子供のために涙を流さないようにしてください。自分の子供が悲惨だったら、お父様が悲惨だということを悟って祈るようにしてください。「どうか、お父様はこのような立場に立たないでください」と言いながら涙する、その場を眺められるお父様の胸は何千倍痛いことかと思って、その場でお父様を慰め、自分の子供には、「お前は現在寂しい立場、哀れな立場にいるが、お前の後孫は滅びないだろうし、お前の将来は悪くならないということを私が立証する。食べさせることができず、着せることができなかったことを恨むな」と祈られる親は、貴い親であることが分かるようにしてください。

 妻にも他の人々のように着させることもできず、食べさせることもできず、時には病気で呻吟する妻を見る時、事情と環境が良くないと苦心するよりは、こんなところで天の道を行く子女達を眺めておられるお父様の心はどれ程悲惨であるかを思い、自分の妻が倒れ、自分が倒れても、お父様の心が悲惨にならないように祈りながら涙するときに、そんなところから逃れ、また逃れたことがあったことを、私は知っております。お父様を愛して、御旨を心配して、狂う自分になれば、絶対に滅びないということが分かるように許諾してくださることを切にお願い申し上げます。

 今は、胸から赤い心情の動脈の血として吹き出る血栓は、天と連結されなければなりません。そうして、お父様の胸から、動脈から出て来るその血と同じくなれるところまで行かなければなりません。そこへ行くには、私は死ななければいけないし、お父様は生きておられなければならないことが分かります。その道を快く行くようにしてくださることをお父様、切にお願いします。

 清平。ここはあなたが愛してこのようにしつらえてくださった所です。あなたが聖別した地です。ここに精誠の涙が交わり、全ての物語があなたと近くなる因縁になって、万国の国民達がここに訪ねて来て、涙でお父様を探し、貴いお父様として思う伝統が植えられる今回の集いになるように許諾してください。

 裸の立場であり、孤児の立場であり、追われる者の立場になっても、お父様と共に行く所は哀れな所でなく、幸せな所であり、そこは未来の天国が蘇る所、そこは未来の幸せなる巣が作られる所であることを思いながら、私達は行かなければなりません。疲れた体を整えて再び行かなければなりません。気力のない目に正気をかき立てて、遠くの山を眺めながらまた行かなければなりません。残されたお父様の足跡について行くのではなく、踏んで行かなければならない茨の道を、自分が先立って行くと、身悶えする息子・娘になるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
 復帰したいと思っておられる、貴いお父様の哀れな心情を、私達は未だ知りませんでした。血まみれた心情を持って耐えてこられた悔しいその内心に、「息子よ、克服と勝利の息子であれ」という、恨み深い願いが秘められていることを私達は知りませんでした。

 このように悲惨な中で生きている失望と落胆の子女達になりましたが、この中に天の光が近付き、闇の中でこの光が別れ道となって、ここに新しい天国の門が開き、天の輝かしい栄光が始まるということを、はっきり分かるようにしてください。

 明日の力強い歩みを、この時間から誓うように許諾してください。このような自分になったならばこのように生きたい、このような妻を迎えたならばこのように生きたい、このような子供が生まれたならばこのように生きたいと既に決めておいて、それが実行できる息子達になり、その息子達が御旨の道を歩むため、一、二度出て行く時は、あなたの新しい福地の日を安息の場へ移しておくということが分かるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。

 私達がどうせ越えなければならない峠を喜んで越えられるよう許諾してくださり、どう迎えなければならない運命の決定的な途上で、度量の狭い男にならないように許諾してください。強く勇ましくしてくださり、万民の前に訴えて天が紹介できる勝利の勇士になれるよう許諾してくださることをお願い申し上げます。

 この初日から始める全てのことが、あなたの栄光の懐に抱かれる結果として終わるようにしてくださり、幸福なきょうを許諾してくださることを切にお願い致します。八月が過ぎ去ろうとする今、統一教会の新しい出発と共に、希望にあふれる天運の結束がなされるよう許諾してくださることをお願い申し上げます。

 知る者と知らない者、無知なる者と知覚した者で、天地の差が生じるということを考えなければなりません。ここに集まった全ての子女は、知恵ある者になって、あなたの祝福の御前に現れるように守ってくださり、悟らせてくださり、指導してくださるよう再びお願いしながら、全てのことを真の父母様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.06.19 23:28:57
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