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奇   知   外   記

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2021.06.25
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​​​​​​​​​「天宙主義の出現」

「週刊宗教の意義」より
1971年9月16日
水沢里で


 復帰の道は再創造の原則によって行くのが当然である。

 物的分別、実体的分別、最後には心情的分別をなしながら、心情的分別に行く前に全てを蕩減してしまわなければならない。それが復帰の路程である。
 
 心情的蕩減基準に行くまでは、堕落したその基準を全て勝利してしまわなければならない。それを我々は、実体的環境圏において、蕩減させるところがカイン・アベル問題である。カイン・アベルの問題が解決されないというと、いわゆる、父母の解放ができない。アダム・エバが堕落したのだから、それが悪の主体の立場に立っているし善の方の立場にも立っている。だから二つを分けることができない。それが分かれた、という条件をカイン・アベルに立たせて、分別させて、それが一つにならないというと、堕落した蕩減の要件をかなえられない。そうしないと父母の前に立つべき関係を結ぶことができない。

 そういう風にして、アベルを中心として、アベルはカインを復帰すると共に父母を復帰するというんだね。これが摂理の中心になっている。

 再臨の主というものは、アベルの世界の中心になる。世界的カインを復帰すると共に、世界的父母を復帰しなければならない。父母を復帰するには、結局、カイン・アベルを一つにした立場でなければ父母の席まで上っていかれない。それは堕落したアダムの家庭よりそういう原理になっていたからそういう基準において蕩減しなければならない。これが摂理的歴史観である。

 アベルの立場というものは、まずもってカインを復帰しなければならない。そして、父母を解放しなければならない。父母を解放して、天使長を解放しなければならない。

 アダムは、天使長世界解放・神の世界解放となっているんだね。
 アベルからいえば、横的に見た場合に、カイン復帰・父母復帰だよ。天使長復帰と神の世界復帰というそういう立場なんだよ。それが最後の主体者として再臨主が来なければならない。

 そうすると、カインは、蘇生的カイン・長成的カイン・完成的カイン。それは三人の天使格である。結局、三人の天使長世界復帰の基準を象徴しておる。結局、一人の天使長が堕落したのだから、三人の天使長の理念というものは、覆されてしまった。それを地上において、本当の主人である再臨主が来られることによって、平面的に蕩減する条件を立てなければならない。そうすると、天使長の復帰のために、今まで歴史過程に立てられてきたのは何か?

 それが宗教である。

 宗教の中には、蘇生的宗教・長成的宗教・完成的宗教が世界に広がっている。各民族のその先祖の如何によって異なっている。

 宗教はアジアから世界に回っている。そういう立場で宗教圏が地上に生まれてきている。それは歴史から見た場合に、仏教は昔、霊的世界を担当した使命なのが仏教である。神がいるか、いないか混同しておる。

 それに相対したのが儒教である。キリスト教と回教は後の問題である。仏教がアベルであり、カインが儒教である。

 儒教は、天はある、と言っているがぼやけている。具体的ではない。天に従うものは祝福されるし、従わないものは罰せられる、という。天ということを言っているから、その内容をはっきりさせて、我々と天と結ばれる中心的をはっきりさせねばならない。外的立場の宗教観念だね。

 仏教思想は国を治める思想だ。

 こういう風に考えてみた時には、その中間的宗教、いろいろな民族において、いろいろな宗教があるんだね。それも、昔の時代にはそれなりに善であった。低級であったんだけれどそれなりに真理である。それ以上の真理が出てきたんだから高級な真理に吸収されてその時代に相応したものになっていくし発展していく。

 そういう風にして、横的関係、外的関係が発展していくんだね。こうしてみるというと世界の四大宜教がある。四大宗教の中で蘇生形が儒教で、長成形が仏教であり、完成形がキリスト教である。だから、仏教・儒教も、イエス様が来られる基台をアジア的版図に広げるためにあった。

 それに対応してヘレニズム文明が対立しあっている。その東西文化圏の中間に生まれたのがキリスト教文化圏である。

 新婦宗教のキリスト教

 キリスト教はどういう宗教か、と見た場合には、これは女の宗教である。花婿を備えるための地上の新婦的宗教である。

 こうみた場合に、今まで地上にあった宗教は天使長宗教だ。そういう形であらわれてこなければならないよ。
 新婦宗教、それからアダム宗教、新郎宗教だね。その形を通じなければ地上は戻っていかない、というんだね。アダム家庭を中心としたカイン・アベルだ。アベルの理想相対圏は新婦を求める。アベルが大きくなったらお父さんになれる道をね。それを辿って行きながら、その母を求める道がキリスト教だよ。

 だから、地上にあらわれている世界文化圏をなしているのはキリスト教圏であり、新婦宗教圏である。

 こうみた場合に、全ての宗教は、アダム・エバの宗教、天使長宗教とこういう地上的関係になっているんだよ。

 再臨の主を迎えてやるべきことは一体何か? エデンの園においてアダムのなすべきことは何だ。それは、エバを主管するとともに天使長も主管するのがアダムの使命である。だからその使命を果せなかったんだから、青年期においてアダムがなすべきことを再び世界的になす基準を求めなければ理想世界が来られない。

 それは天使長世界復帰、エバ世界復帰、アダム世界復帰というんだね。

 天使長にもそれぞれ世界的に、蘇生・長成・完成とある。いろいろな宗教は、その圏に立っているんだよ。それを別々の天使長圏を立たせてやったのでは大変だから、神様の摂理においては、天使長圏を近づけて、ユダヤの国とイスラエルの国と通ずるような宗教になっていかなければならない。ユダヤは、国からみた場合には、外的な蘇生・長成・完成基準を通過する内的準備をなさなければならない。国からみた場合には、ユダヤは内的立場に立つべき国だから、その国自体も蘇生・長成・完成圏だね。それを外的にみた場合に、天使長であり、内的にはアダム。

 キリスト教はイエス様が来られて、行ってから生まれてきているんだよ。イエス様が来られないと新婦宗教は生まれてこないよ。

 だから、アベルがアダム完成の目標である。

 イエス様の時代まで、ユダヤ教を中心として望みの目標であった。だから、望みの実体が来る前までには、相対的に迎えるその基盤として立てたのがイスラエルの国であり、その立場はアダムに対して天使長の立場である。
 イスラエルの国は天使長の立場であり、ユダヤの国はアベルの立場である。ユダヤの教会を通してアベルが育てられていくんだね。それが僕の僕のアベル圏から僕のアベル圏、養子のアベル圏が完成されてそうなった場合には実子のアベル、国家的・世界的中心アベルとして立たれるべきその方が、来られるメシヤである。その思想をユダヤ教・イスラエル民族が共に一つになる。考えてみれば、一人は養子であり、一人は天使長だね。一人は養子であり僕で、実子の立場にあるメシヤを求めてきたのがイスラエル民族であり、ユダヤ教である。それが一つになる。一つにならなければならない。一つになれば、僕の立場から養子圏に一致する。

 国も教会もなった場合には、国自体がメシヤが来られる為に僕の立場に立っておるものが恵まれる圏が来るというんだね。そのために、メシヤを迎えるその時において、僕の立場に立ったイスラエルの国は、養子圏と一つになるんだから、養子圏に入るというんだね。養子圏に立っておるユダヤ教はそのメシヤが来るんだから一段上る。実子と結びつけるのが絶対である。全てを受け入れ、新しく生まれる。養子であるんだけれど、養子じゃないんだね。実子の全て、思想から、生活観から、世界観まで全てを受け取らなければならない。

 そうすることによって結局どうなるかというと、僕と養子と実子が一つになる。これが蘇生・長成・完成になる。旧約時代・新約時代を兼ねている。それが延長され、成約時代を迎えるんだね。それが、養子と僕が一つになった場合には、そこに来られるのはメシヤである。メシヤと僕と養子が一つになった立場は、蘇生・長成・完成だ。旧約・新約・成約が一ペンに結ばれるんだよ。

 それは何かというと、サタン世界で今まで堕落の動機を成してきたその世界が、完全にイエス様によって統合されて、一つのもとの基準に帰っていった立場である。堕落しないアダムと天使長圏に帰ってきた立場である。
 ここで問題なのは、エバがない。エバというものはアダムによって作られた。そのエバはどこからもらってくるか。天使長がエバを取っていったのだから、養子圏と天使長圏から捧げられる。

 捧げるには、メシヤに対してメシヤとして生まれるためにメシヤの母がいなければならない。それからメシヤの相対者がいなければならない。それからメシヤの妹がいなければならない。こういう問題になるんだよ。

 なぜか? もともとは、エバは妹である。妹の立場から大きくなって、新婦になって、それからお母さんの立場に帰る。そこに帰るには、子を求めて来なければならない。

 エバはアダムによって生まれる。そのアダムを復帰するには、メシヤが生まれるには母がなければならない。女が先である。マリヤはイエス様より先に生まれた。イエス様の相対者はイエス様が生まれてから、イエス様によって作られたものでなければ相対者になれない。しかし、母の立場は前に生まれておる。マリヤ自体からみて、マリヤが責任を果さなければならない問題は何かというと、イエス様の妹の立場に立つべきものを立たせてやらなければならない。求めてやらなければならない。

 イエス様が十字架につけられた動機はそこにあるんだよ。だから、女をサタンの方でみんな取っていった結果によって神が必要とするところの女はどういうタイプかというと、母の立場に立つタイプである。中間的な立場で相対的立場、新婦の立場に立つ者が必要である。それから、女を全部連れてきた場合には、結婚している女、今に結婚しようとしている青年の女、そして少年の女だよ。

 要するに、結婚した家庭と、愛の問題で約婚した様な女、それから結婚しないような立場。それが復帰歴史から見た場合に、イエス様が来られる前までの旧約時代までは、自分なりの結婚した家庭。イエス様は約婚式をあげて結婚しようという立場だ。それから少女。こういう三つのタイプが世界的に連なっているよ。復帰の道は下っていくんだよ。下っていくんだから、母、それから妻、それからそういう様な立場に立つんだよ。

 日本の教会も、三人の女が一人の男と完全に一つにならなければ、摂理の基台が生まれてこない。それはこういう原理から生まれてくるんだよ。

 イエス様がこの地上にきて、やられるべきことは一体何か。母、自分の求める相対者、相対者を愛する前に、その相対者を妹として愛した、という立場に立たなければエデンの園において堕落しない前に、アダムを自分の兄さんと思って完全の愛をなしえなかったのが堕落だから、地上において、再び復帰しなければならない。

 だから、完全な愛を妹にしなければならない。親じゃないよ。母じゃないよ。自分の妻じゃないよ。立場がそうなっているんだよ。約婚した立場で、妻じゃなく妹を先に愛さなければならない。エデンの園において、アダムに妹として完成基準に立って兄さんから愛された基準が果たされなければいけないんだね。

 そして、それが熟して、自分の相対として相対者の立場に上り、それが熟して母の立場に上るんだね。母というものはマリヤとは違うんだよ。イエス様を中心として、原則に立ったエバの立場においての母の立場に帰るんだね。そこにおいて、初めて堕落した基準が元返しになるわけなんだよ。

 十二人の女たちがイエス様を中心として侍るようになればイエス様は直ちに自分の相対を決めると共に、十一人十二人弟子も、一ペンに祝福してやることもできるよ。

 そういう関係をイエス様が来られる時に、一つの氏族から求めなければならない。

 それを基準として、七十門徒とか、百二十門徒とか、家庭を作るのがイエス様の本来の願いであった。それが果たされずして、アダム完成の基準から、再びそれを勝利圏として、勝利圏を求める立場で再びイエス様は、洗礼ヨハネ、養子の立場だね。養子の立場に立って、そういう十二弟子がない。イスラエル民族の十二祭司長、十二支派長を迎えるべきメシヤの立場であるにもかかわらず、立たれなかったので、それを再び準備しなければならない。完全に一致した基準において侍らなければならないのが、それが一つになれずして三人弟子までもイエス様を不信するようになってしまった。

 十二支派長のカインは、養子的基盤がなくなってしまったんだから、それを再び求めようとして、行かれるところがない。だから十字架につけられる道、サタンに引っぱられて行かなければならなかった。養子の勝利圏も達成することができなかったんだから、それかといって、天使長圏、僕の基準に降りていくことは、絶対にできないんだね。イエス様は養子圏まではいい。それは兄弟圏だよ。しかし、僕圏というのは血統が違うんだよ。だから行くところがない。結局、行くところがないんだから、サタンの願い通りに引っぱられて行かなければ、神が再びとってくる作戦を立てることができない。

 イエス様が奪われたのは作戦だよ。それが今までのキリスト教の願いだよ。再臨の時を迎え、地上にエバの基準を立たせながらやってきた。だから結局、自分の神の実子を養子圏から再び取ってこなければならない。とってくるその時が再臨の時であるというんだね。

 そうして、養子圏を再び作って、そこに子供をとってきたのが終末であり、再臨の主が来られる時であるというのだが、そうするとエバはどうなるか?

 キリスト教を中心として、子供を捜してくると共にエバを捜してくる。イエス様は、男というものは天の象徴であり、女というものは地の象徴である。だからイエス様は天に上ると共に、地上には聖霊が降りるんだよ。
 だから霊的基準において、イエス様の成長基準に伴えるような地上的基盤を、キリスト教圏を中心にして、聖霊と共に新しく生み出すようなことをしながら発展してきたんだよ。これが、地上には女、天上には男だよ。

 これが再び合わなければならない。それが再臨だね。それが地上圏に実体を中心として再び結んで、男と女が合うようにならなければならない。そうなるというと、キリスト教圏は必ずサタン圏を勝利した文化圏に立たなければならない。それが民主主義だ。

 民主主義は、あらゆる方面において共産主義に勝たなければならない。しかし攻められながら歴史は発展してきたよ。攻められて勝利しながら、そういうような道を辿ってきたのが今までの歴史であり、善と悪の闘いにおいて、宗教界が一般社会国家の立場からやられながら、宗教界の理念でもって世界に版図を広めてきたのが今の文化圏である。

 韓国において、ヨーロッパにおいて、南方において、今まで共産党が民主主義を打っているんだね。ここにおいて、地上の民主主義・エバ文化圏に立つキリスト教圏はどこに帰らなければならないか。

 民主主義というものは民意によって主権者を選ぶ。民意たるものは、新婦世界の代表、宗教文化圏のキリスト教文化圏においては、民意というものは、再臨の主を慕うのが民意だよ。

 民主主義というものは、結局、地上に再臨の主が来られた時に、主権の中心者に侍る、という準備の基台のためにつくられたのが民主主義だよ。

 それが今まで何も知らないで、民主主義、民主主義といってきた。

 だから、民主主義とはいっても、世のなかの主権者は武力で、共産主義もそうであり、民主主義も収拾する方法がない。今に世界は困ってしまう。そういう危険性がある。

 ここにおいて問題なのは、ユダヤ教の身代りに立った立場がキリスト教とだ。イスラエル国家の代りに立ったのが世界的民主主義だよ。

 このユダヤ教イスラエルが分けてしまわれた時に、世界的に滅びる道になる。

 第一イスラエル民族を見た場合には、それは、分かれたのはどこから生まれてきたか。それは、ユダヤ教自体でもない。民主主義でもない。それはイエス様を殺したからである。
 結局、ユダヤ教とイスラエル民族は離れざるを得ない。だから、国のない民族になってしまうんだよ。ユダヤ教もなくなってしまったし、イエス様もなくなったし、国もなくなってしまった。習慣的ユダヤ教は信じていても、その価値はなくなってしまった。

 そういうふうに他のところ、キリスト教文化圏に移して、これを、教会を新たに、メシヤを新たに、イスラエルを新たにこういうふうな立場を再び世界的基盤を作ってきたのが民主主義の立場とキリスト教世界と再びこられる再臨主を待っている立場がまさしく昔の第一イスラエル圏と同じだよ。

 こうなると、世界が滅びるか、生きるか、という問題は何によって決まるか、というんだね。

 宗教によって決まるのでもなければ、民主主義自体によって決まるのではない。

 誰によって?

 再臨の主によって決まる。もし、再臨の主が来られた時にユダヤ教とイスラエルが一つになって侍れなかった場合にはこれまた行かれるところがない。しかし、昔は国があって、世界に向かって希望を持っていったのだから、今は世界的になっているよ。だから希望として行くところがない。世界的理想を持って、希望として行くところがない。

 世界的理想を持って、世界を一つにつくろう。理想をもって、世界的基盤において一つの世界を願いつつ、やってきたところ、結局、これ尽きてしまった。そうなると何を望みとして発展していく道があるや、というんだね。

 昔は国の立場だから、世界に向かって発展する余地があったのだけれど、今は世界的立場からこういうふうになった場合には、何に向かって進んで行く道があるや。死んでしまわなければ行く道がない。その時代が滅亡されなければ帰る道がない。帰るには、何を標準として帰るか。

 ここに問題があるんだよ。こういう時に再臨の主が来られた場合にはね、世界が一ペンにまわってしまう。

 統一教会の唱える天宙主義という言葉は素晴らしい言葉だ。統一思想によって、世界統一は問題ない。そういう結論になるよ。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.06.25 23:46:56
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