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2021.07.17
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「今後私たちが成すべきこと」(その1)

1972年5月9日


 本国にいる教会長とか、さらに先頭に立って走っている皆さんたちの責任がどんなに重いか、今はそれが現れてはいないけれども、栄養分になって、歴史的な基盤になっていることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルが必要なのは父母を復帰するためであり、復帰歴史は蕩減復帰歴史であるために、必ず祭物的過程を経なければなりません。ですから、皆さん自身がみ旨の前に、教会長とか班長としての責任を持っているということは、復帰歴史の中心的な責任を背負っているということです。

 原理的な観点からみて、中心的な責任を背負った人はどんな立場かといえば、アベル的な立場なのです。今日、我々統一教会は、既成教会に対して自分たちをアベルといい、私たちの教会内では祝福家庭をアベルといい、また祝福家庭の中でも長くなった三十六家庭などをアベルといいます。長くなった人ほど神の前に近いと見ているのが、普通の考え方なのです。

 ところでアベルという存在は、カインなくしてはアベルになることができないということを皆さんも知っているように、アベルが必要なのは父母を復帰するためなのです。堕落したアダム・エバを、再び復帰するためなのです。つまりアベルは、父母を復帰するために生まれた存在なのです。もちろんアダム・エバが堕落しなかったならば、アベルも必要ないし、カインも必要ないのですが、堕落したためにアベルという存在を通して、父母を復帰しなければならないのです。父母を復帰してアベルとカインが父母と完全に一つになってこそ、堕落しなかった本然の基準に上がっていくことができるのです。

 アダム・エバが愛を中心に堕落したために、今日私たち自身が復帰していくにおいて、家庭を持って四位基台の形態を備えたとしても、完成の立場ではありません。どんなに家庭を持ったとしても、その期間は長成期完成級を標準として越えていく期間であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 この立場から(先生が黒板を使用される)、完成期間へと進んでいくのです。つまり、蘇生期完成、長成期完成、完成期完成期間を経ていくことになります。私たち人間始祖が長成期完成級で堕落することによって、万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、愛を失ってしまいました。そのために、あらゆる問題を家庭から蕩減しなければなりません。

 ここから(先生が黒板を使用される)愛を失ったということは、偽りの父母が生まれたということです。ですから、真の父母の因縁を備えることのできる立場に立たなければならないし、真の父母の立場を備えて一つになって復帰することのできる立場に立った、真なるカイン・アベルが現れなければならないということを私たちは原理を通して学んでいるのです。

 統一教会における祝福の意義

 ここで、父母と一つになって上がっていくのです。堕落してしまったので、再び探し求めなければなりません。父母の愛を失ったことによって、私たち人間は「父母の日」を失ってしまい、「子女の日」を失ってしまい、「万物の日」を失ってしまいました。人間が堕落することによってすべてを失ってしまったのです。

 それで、ここから失ってしまったものを再び探し求めなければならないのです。統一教会でいう「父母の日」とは、偽りの愛を中心として父母になったことを清算して、真の父母の立場を定めて現れる時に設定されるのです。「父母の日」を探した後には、「子女の日」を探さなければなりません。「父母の日」のみではいけないのです。子女としての蕩減復帰条件をすべて越えなければならないのです。そうすることによって、「子女の日」が設定されるのです。また父母と子女が一つとなることによって、万物を復帰したという意味から、「万物の日」が設定されるようになるのです。このような三つの重要な復帰の日を立てて、完成家庭を通して、完成期完成級まで上がっていくのです。

「神の日」というのは、神様に接することのできる立場であり、完成期蘇生級の立場ではなく、完成期完成級の立場です。本来の完成期完成級に立てば、神様と一つになるようになっています。ところで、人間が長成期完成級で堕落したために、我々は長成期完成級を再び復帰しなければなりません。そのような立場に立っているのが何かといえば、統一教会の祝福なのです。

 祝福のお祈りをしていただき、祝福を受けたということは、長成期完成級での祝福を受けたという立場です。アダム・エバがこの立場から堕落したために、我々人間はその落ちた立場から再び上がっていかなければなりませんが、一人で上がることはできないのです。

 アダム・エバは二人で堕落したために、復帰においても二人で上がらなければなりません。サタンを中心として落ちた夫婦の因縁を、神様を中心として完全に一つにして、長成期完成級を越えた夫婦が現れなければならないのです。ここにおいて、信仰の三人の息子娘とか、いろいろな蕩減の内容があるけれども、時間がないので省きます。

 まず、この立場、長成期完成級を越えなければなりません。この立場を越えるためのものが、統一教会の祝福であるということを、皆さんはよく知っています。では、祝福を受ければあらゆることが終わるのでしょうか。すべてが終わるのではないというのです。祝福を受けることにより神様の民として、神様のみ旨に対して、神様と人間が互いに協調できる平面的、横的な関係を結ぶようになるのです。

 祝福を受けることによって、そのような関係が結ばれるのです。ですから、祝福の前には、我々人間は神様と関係を結ぶ立場に立つことができないということを皆さんは知らなければなりません。

 信仰の子女を立てなければならない理由

 もし、アダム・エバが堕落しなかったならば、アダム・エバを中心として、そこに何があるべきかというと、三人の天使がいなければなりません。そうして、アダム・エバは神様を中心として、三人の天使と完全に一体となって、完成期完成級を望みながら上がっていかなければならないのです。ところが、天使が堕落することによって、サタンになって人間を逆に落としてしまいました。これを復帰するために三段階、三代の家庭を通して横的に蕩減しなければならないのです。

 アダム・エバの創造においては、三人の天使が完全に一つになって協助しなければなりません。つまり三天使の目的は何かというと、アダム・エバの創造を助ける役割なのです。ところが、アダム・エバが堕落したために、堕落しなかったアダム・エバの立場にまで復帰するのが神様の摂理なのです。ゆえに、ここを探して上がるためには、まず天使からの協助を受ける過程を経なければなりません。その過程を経なければならない人間が誰かといえば、アダム家庭のカイン・アベル・セツなのです。この三人の息子は、三天使と同じ立場から蕩減しなければならないのです。

 ですから復帰の道においては、僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がっていくのです。そのまま直系の時代と因縁を結ぶことはできないのです。必ず、原理によって「信仰基台」を経て、「実体基台」を経て、「メシヤのための基台」を経なければなりません。つまりメシヤを迎えないといけないということです。

​ メシヤは神様の真なる息子です。養子と真なる息子とは、血統的な関係が違うのです。それゆえ、血統転換が必要だというのです。聖書を見ると、接ぎ木して復帰するということが出ています。野のオリーブの木をそのままにして置けば、野のオリーブの木の実を結び、原罪のある息子娘を生むようになるけれども、真なるオリーブの木を接ぎ木すれば、真なるオリーブの木の実を結ぶことができるということです。これは、原罪のない善なる息子娘を生むということです。原罪のない善なる息子娘を生んで、この地上で神様の愛を完全に受けなければ、天国に入ることができないということです。これが神様の創造原則なので、再び原理原則を通して復帰しなければならないということです。​

 そこで、三人の天使と同じ状態が、再び横的な基準として現れなければならないのが、父母を復帰するための三人の息子であるというのです。それでアダムを中心としてカイン、アベル、それにサタンを加えた、三数の因縁の歴史であったということを皆さんは知らなければなりません。

 アダムの三人の息子と一つになって上がっていったのではなく、下りてきたのです。それゆえ今日、我々信仰生活において、失敗したすべてを再び探し出して蕩減して上がっていかなければ、復帰することができないということを知らなければなりません。

 この家庭を蕩減するためには、我々統一教会でいう、信仰の子女を立てることです。信仰の子女とはどういうものでしょうか、また、信仰の子女はなぜ必要でしょうか? 信仰の子女がいなければ、我々人間は父母の立場に上がる道がないということです。アベルを立てたのは父母を復帰するためですが、アベルをもって父母を復帰することはできないのです。原理的にみると、神様とアダム・エバと天使長、これが神様が創造した本来の原則的な基準なのです。しかし、これを失ったために再び原則に則して、神様、人間、天使長が一致できる原理型に合わせなければならないのです。原理を通して蕩減復帰する路程が必要だということです。それゆえ、三天使が完全に一つになった立場に立たなければ、上がる道がないのです。

 アベルの使命

 アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。言い換えれば、失ってしまった横的な三人の息子を探していく責任を背負った人がアベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、サタンがいるはずです。分かりますか。

 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。

 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。

 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。

 アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。

 アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。

 また、アダム・エバは堕落することによって、実体を失ってしまいました。その次に、心情を失ってしまいました。この代わりに復帰の中間的な責任を持たなければなりません。

 言い換えれば、アダム・エバは堕落することによって、神側とサタン側の中間の立場に立つようになりました。それゆえ、こちらにもあちらにも動く立場に立っているのです。彼らが人間を神側へのみ立つようにすることができるでしょうか? これはアダム・エバがやることではありません。アベルがやらなければなりません。そのためにアベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。

 アベルの立場

 血を流す歴史的な祭物路程というのは、カインにあるのでもなく、アダムにあるのでもなく、父母にあるのでもありません。誰にあるかといえば、アベルにあるというのです。アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。

 この天地をすべて堕落させた中心的な天使長がサタンになったために、これを復帰するために、アベルを通して蕩減してきたことを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦いなのです。これが今までの歴史であるということを知らなければなりません。主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。アベルという存在がそのような立場であることをはっきりと知らなければなりません。

 アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。アダム・エバが天使長と愛の因縁を結ぶことによって、神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。このような立場から出たのが、アベルなのです。反対だということです。

 天使長がアダム・エバを堕落させることによって、理想的な実体を犯し、理想的な愛の世界を犯したので、これを蕩減するために神様はアベルを立てたのです。それで、アベルが実体的に血を流さなければならなかったのです。歴史時代にアベルの立場に立った人たちには希望もありましたが、その希望を成就した立場で死んでいったのではなく、成就できないままに血を流し、犠牲になったのです。

 天使長が責任を完成することができず、アダムが堕落することによって、そのような結果がもたらされたために、神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。

 ですから、アベルはカインを復帰しなければならないし、父母を復帰しなければならないし、その次には神様と関係を結ばなければなりません。本来あらゆる存在が神様から始まったために、アベルも神様から始まらなければなりません。そのために神様を絶対視する立場に立たなければ、アベルになることはできません。アベルは神様を絶対視する立場、神様のためにそのような立場に立つようになれば、天使長の立場で神様の愛を受けることができるのです。

 愛は先に誰が受けたのかといえば、天使長だったのです。ですから、アベルは復帰の道において、誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場に立って、天使長の失敗を復帰する立場を果たさなければなりません。

 神様を絶対的に信じることのできる立場に立っても、神様の愛を受けることのできない人はアベルにはなれないのです。アベルはアダム・エバをつくる前の三天使長と同じような立場にいます。天使長はアダム・エバが神様の愛を受ける前に、たとえそれが天使長級の愛であったとしても、神様から先に愛を受けたように、復帰時代においては、アベルが神様の愛を先に受けたということになるのです。ですから、天使長は、自分の所有と全権限を誰に渡さなければならないかというと、アダムに渡さなければなりません。これと同じく、歴史時代にアベルも、自分の命を完全に犠牲にする立場に立って、一つの希望である主を中心としていかなければならないのです。このように一人のメシヤを希望として、その一点にあらゆる者を吸着させる歴史を、旧約時代から新約時代を経て、今日まで綴ってきたことを皆さんは知らなければなりません。

 天使長の願いは何かというと、再創造の復帰歴史を経ながら、天使長級にいる人たちができなかった真の父母の因縁を完遂させてあげなければなりません。そうすることで彼らの願いが成し遂げられるのです。今までの歴史時代において神様のみ旨に責任を持っていた人たちがアベルであり、そのアベルは天使長と同じ立場であり、天使長の願いは、堕落せずに完成した人類の真の父母がこの地上に現れることです。これが最高の目的なのです。

 あらゆる存在は結局、真の父母との因縁を完成させるためにあるのであり、自分のみ旨のためにあるのではありません。ですからアベルとして、祭物を連結させてきたのが、今までの宗教の歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今までの歴史はメシヤ一人を迎えるためであり、宗教は天使長級歴史を継承して、完成した父母の因縁まで継承するための世界史的な使命を果たしてきました。それゆえ、高いレベルの宗教は、相対的な理念を付与することができなかったのです。宗教者は一人で生活しなければならないのです。なぜならば、天使世界は相対理念を持つことができないのが原則だからです。ですから今日まで、宗教は独身生活を強調しているのです。それは、アダム世界を復帰するために、天使長世界を復帰しなければならないからです。アダム・エバが堕落することによって、天使長世界も堕落した結果になったために、真の父母を復帰する過程において、先に復帰してきたのが天使長世界なのです。

 それゆえ、天使長世界復帰歴史過程において、宗教は必ずメシヤ思想を持つようになっているのです。原理がそのようになっているのです。今までの歴史的宗教がそのようになっているのです。では、今までいろんな宗教を立てて、願ってきたものは何でしょうか?それがメシヤなのです。メシヤ、これは養子なのです。
(先生が黒板を使用される)養子ということは、堕落したために生まれた言葉なのです。本来、養子はあり得ないのです。分かりますか? これは直系の子女なのです。この直系の子女の道を整えてあげなければなりません。そのために、直系の子女の前に現れるサタンを完全に防御しなければなりません。そのようになれば、サタンのいないエデンの園と同じ立場になるのです。分かりますか? そうして、養子と直系の子女が完全に一つとなるのです。

 アダム・エバの前に天使長が一つになるには、必ずアダム・エバが主人の立場であり、天使長は僕の立場で一つにならなければならないのです。それゆえ、どんな宗教であれ、メシヤ思想を持っているということを皆さんは知らなければなりません。キリスト教はもちろん、ありとあらゆる宗教が終わりの日に待ち望んでいるのはメシヤなのです。ですから、メシヤがこの地上に来てみ旨を成すためには、サタンの讒訴圏ではならないということです。サタンを屈服できる権威を持って現れなければなりません。

 ヤコブから始まったイスラエルの歴史

 サタンは天使長であるために、アダムは天使長より高いレベルにいるのです。そうでしょう。天使長が僕であれば、アダム・エバは神様の直系の子女であるために、高いレベルにいるというのです。

 神様はアダムを直接主管するようになっており、天使長を直接主管するようにはなっていません。このような観点から見た時、堕落した世界の個人から家庭、氏族、民族、国家を復帰しなければならないということですが、堕落した世界は、神様が主管できる世界にはなっていないのです。サタンが主管する天使長圏世界が堕落した世界なのです。ですから神様が主管する世界に分立しなければなりません。

 では、分立しなければならない原因はどこにあるでしょうか? 神様がアダムを創造する時に、天使長を通して創造したのです。ですから、分立しなければならないのは、天使長の立場なのです。アダムを創造する時、天使長は神様の相談相手でした。これが天使長の立場なのです。アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。このような原則によって、協助する立場に立てば神様が取るのであり、協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。ですからサタン世界で原理的な立場に立てば、神様が奪ってくることができるのです。アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件さえ立てれば、奪ってくることができるということです。

 こうして、人間が堕落以降四〇〇〇年の歴史を通して摂理されてきたのがユダヤ教の歴史なのです。僕の歴史は、神様を主人と呼ぶことができるのですが、僕の僕の時代には、僕を主人と呼ぶのです。その僕にもなれず、僕の僕の前に主人になることもできないのです。それと同じような立場を経なければなりません。

 養子圏が現れるには、そのような過程を経なければならないのです。僕の時代から、養子の時代に進んでいかなければなりません。では、僕の僕時代から僕の時代に入る時代はいつでしょうか? それはヤコブからです。ヤコブの時代に初めて、イスラエル民族が現れますが、これらはサタンの息子ではなく、復帰した天使世界の息子と同じなのです。

 このようにして復帰してきたのが、イスラエルの歴史です。サタン圏を逃れるためには、サタン圏よりも上でなければなりません。天使長が堕落したことによって、死亡圏がつくられたのです。堕落することによって、個人もサタン圏内に入り、家庭もサタン圏内に入り、氏族もサタン圏内に入り、民族もサタン圏内に入り、世界もサタン圏内に入ったのです。

 天使長が堕落することによって人類はどうなったかというと、堕落した天使長の子孫になってしまいました。堕落した天使長の子孫は非原理の形であるために、神様はどうすることもできません。それで、堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。分かりますか? そして、堕落した天使長の息子と、堕落しなかった天使長の息子とが戦って、誰が勝ち残ったのでしょうか。

 堕落した天使長の息子が勝っても、神様の前に帰ることはできないというのです。堕落しなかった天使長の立場にいる人、神様が選んだ民が堕落したサタン世界の非原理級にいる人たちよりも進んでいかなければなりません。堕落した僕を追い出し、堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです。

 復帰された天使世界に該当するイスラエル国とユダヤ教圏を中心に、完全に一つとなって、個人的に堕落した天使世界の個人よりも優れていなければならないのです。家庭的にも優れていなければならないのです。民族、国家全体を見ても優れていなければならないのです。優れた立場に立つことができなければ、復帰して越えていく道が生まれてこないのです。国の行くべき道が生まれてこないのです。

 それを越えていくためには、ここに、必ず蕩減がついてくるのです。そのような蕩減基準は何でしょうか? 蕩減は堕落の母体を中心として成されるものです。いつも家庭を中心として成されるのです。どういう時であれ四位基台を持たなければ、神様が足を下ろすことができません。個人がどんなに足を下ろしたとしても、死んでしまったら終わりです。四位基台を成して、この地上に定着しなければなりません。

 どういう時代であれ、戦って勝利して、一段階、一段階前進していくためには、必ず中心家庭が世界性を持ってサタン世界よりも優れる立場を占めなければなりません。そうしなければ前進することができません。

 サタン世界の家庭よりも優れなければ、絶対に上がっていくことができないのです。永遠に上がっていくことができないのです。個人も同じです。今までのキリスト教の戦いは、個人の戦いでした。

 サタン世界とは、この世界がサタン世界であるために、全世界のことをいうのです。またサタン世界の個人といえば、過去・現在・未来の歴史的存在をいうのです。堕落した個人を中心として見ても、そのような歴史的なサタン世界の個人に対して、それよりも優れた立場に立たなければ、蕩減復帰する道が生まれてこないのです。またサタン世界の家庭の代わりに選んだ家庭は、サタン世界の歴史的な家庭よりも優れた立場に立たなければ、上がっていくことができないのです。

 そして、サタン世界の歴史的な氏族よりも、神側の氏族が優れた立場に立たなければ上がっていくことができないのです。サタンは自分よりも劣る時に、自分のものだと主張するのです。それが原則なのです。囲いの中に包囲された人たちがその立場を逃れるためには、その囲いよりも強い力がなければ、脱する道がないということです。つまり自分が相対よりも弱い時には、自分はいつも相対に属するようになるのです。ですから、相対よりも強くなった時に、そこから脱することができるのです。

 それで神様は、今までこのような作戦を取ってこられたのです。神側の個人がサタン世界の個人に勝たなければならないし、神側の家庭がサタン世界の家庭に勝たなければならないし、神側の氏族がサタン世界の氏族に勝たなければなりません。そして、神側の民族がサタン世界の民族に勝たなければならないのです。

 そして、神側の一つの国がサタン世界に勝つ立場に立たなければ、神のみ旨、復帰歴史の勝利的な基盤を備えることができないのです。メシヤを送られた目的は、サタン世界を屈服させるためです。

 では、メシヤをどこに送るのが神の願いだったのでしょうか? 堕落した世界の個人の前に送るのではなく、堕落した家庭の前に送るのでもなく、堕落した氏族の前に送るのでもなく、堕落した民族の前に送るのでもありません。民族と国家が一つになった立場で、主権を持った国に送ることを願っておられるのです。カイン国家を屈服させるために、一つの国にメシヤを送るのです。

 メシヤは一つの国に来られて、そのような使命を果たさなければならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。分かりますか? 国家以上なのです。国家以上の立場から世界を復帰するために来られるのがメシヤであり、国家以下の立場で勝利するために来られるメシヤではありません。

 それはなぜかというと、人間が堕落することによって、全世界がサタンに奪われてしまい、全世界がサタン国家になったからです。ですから数多くの国家があっても、一二〇か国家があっても、その中で一番の国家は一つであるということです。一番悪いサタンが誇ることのできる国家は一つなのです。そうでしょう。イエス様の時は、ローマ帝国でした。サタン世界の一番の国家というのは、一つなのです。一二〇か国があるにもかかわらず、一つしかないのです。

 サタン世界の民族がどんなに多くても、サタンが神様の前に、「ああ、神よ。私が自から指導して、私に忠誠を尽くし、私の言うとおりに絶対服従し、私と生死を共にする国として、あなたの前に誇ることのできる国はこの国である」と、言える国は二つではなく、一つなのです。その一つの国がローマ帝国です。歴史的に見てもそうです。

 その時、ローマ帝国は世界的版図を持って、世界的に誇れる国家圏を持っていました。そのようなサタンの讒訴に対して、神様は「いや、サタンよ。私がどうしてお前より劣ると思えるのか」と言うのです。サタンよりも優れてこそ、神様の権威が立つのです。さらに神様は、「お前がどんなに誇ってみても、それは私が願う国の基準を越えることはできない。私が願う国の基準を絶対に越えられないのが、お前の限界線なのだ」と。神様は、このように見ているのです。「お前の国民にその限界線を越えさせて、お前を屈服させて、お前を知って、アダムが天使を主管した立場に復帰するのだ」と言うのです。

 これが原則なのです。この地上にサタンが足を下ろすことのできないようにしておくのが、原則なのです。結局、神様がメシヤを送ったのは、サタンを屈服させるためなのです。サタンを屈服させて、この地上から追い出すことです。すべての人々がアダムと同じようになれば、天使長は堕落しなかったアダムの前においては僕であるために、僕の立場の天使長はアダムに屈服しなければ地上に足を下ろすことができないのです。この原則に従って、今まで神様は摂理されてこられたのです。

 サタンの国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。ですから、その国よりもより優れた神様の国も一つなのです。神様は絶対者であり、全知全能な方であるために、その一つの国を絶対的基準にまで引っ張っていかれるのです。それゆえ、昔から一つの宗教思想を中心として、天のために真心を込めることのできる群れを通して、一つの国を探し求めて来られたのです。一人の人ではありません。一つの教派、その教派は国をして、カインの使命を果たすようにするのです。そして、民族はカインであり、教会はアベルです。カイン・アベルがなければ、復帰ができないのです。

 まず、このような観念を皆さんの頭の中に、はっきり入れておかなければなりません。私たちは何をどのようにして、どこに行かなければならないのか? 戦いは、どのように戦い、どこまで行って判決を下し、追い出し、「今やすべて終わった」と言って、初めて手を洗うことができるのか? そのような立場をはっきり知るために、この観念をはっきり知らなければならないのです。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンの誇ることのできる国は一つしかないために、神様がその一つの国を主管して思いどおりにするためには、神側の国の民がサタン世界の人々よりも優れていなければなりません。

 サタンは国家主義、神は世界主義

 我々統一教会の願いは何でしょうか? 皆さんはサタン世界の人よりも優れていますか。優れていないとしても、サタン世界の人とは行動が違うのです。世の中の人たちのやることをやらずに、世の中の人たちがやらないことをやっているのです。世界の人たちが一〇〇の良いことをしたとしても、それはサタン世界でやったことであり、神様とは関係がないからです。

 神様は彼らに一点の点数も上げることができません。しかし我々のやることは、どんなに小さいことであっても、一から一〇〇まですべて神様を中心としているために、彼らよりも多くの点数を受け取ることができるのです。これが違うのです。

 ご飯を食べることも同じだし、統一教会の人だからといって、別に違うことはありません。外的には彼らより優れているものは、あまりないのです。しかし、目的が違っているのです。行く道が違っているのです。方向が違っているのです。サタン世界はすべてどうなっているかというと、国よりも自分が中心なのです。教会も自分のために通うのです。お父さんもお母さんも、自分のためにいると思うのです。すべて自分の役に立たなければ、捨ててしまうのです。すべてが自分のためにあるのだと思う世界です。これがサタン世界なのです。

 そして、サタン世界の行く最後の終着点は、国を越えることができないということです。これが、サタン世界の限界点なのです。サタンは一つの国を中心として、いかに誇ってもそれ以上上がることができません。サタンの一番誇る国を中心として、世界平等化できる基準、国以上の基準には上がることができません。サタン世界には世界主義がないのです。言葉では世界主義と言うけれども、内容は民族主義、国家観念を超越することはできないのです。

 今日、ソ連の共産党を見ても、スラブ民族を中心としたソ連共産党の理想は、世界主義であるけれども、その基盤は民族主義観念から脱することができないのです。

 サタンは世界主義者になることができません。世界主義を唱えているけれども、それは偽りなのです。嘘なのです。サタンはアダムとエバを騙す時も、理想的な言葉でもって騙しました。同じく世界的な嘘主義を持つことはできても、実体的な世界主義の基盤を持つことはできません。ソ連を中心として共産党が、どんなに世界主義を唱えて現れたとしても、共産世界の取得権を放さないために、宗教と離れてしまったのです。

 サタンは、外的にのみ世界主義を立てたのです。サタンがアダム・エバに対して、甘い言葉で「神様がそう言ったの。もっと良いことがあるから…」と言ったのです。表と中身が違うのです。ですから、世界人類を愛することのできる道を教えることができないのです。その道を教えて、そのように行動する日には、完全に壊されてしまうのです。共産党は、内外がそのようになっているのですが、神様は違います。神様は外的に世界主義を唱えるように、内的にも国家主義を超越しなければならないと唱えているのです。

 韓国が神様のみ旨の前に、世界主義を唱える神様の全体的使命を背負ったとしても、韓国の国民をもってはできないのです。韓国の国民のみが、常に主体勢力を持っていかなければならないという観念を持つことは神主義ではないということです。

 それで、神様の歴史的な願いを成すために一つの国が現れなければならないということを知らなければなりません。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。その代表の一つの国をもって讒訴し、その国の法律を中心として、世界を一つにしようとするのがサタンの主張であり、共産世界がその役割をしているのです。それで、国家が問題なのです。もし神様が一つの国を持つようになる日には、犠牲・奉仕も要らないのです。原理的にそうなっているのです。このような国が現れる時、この国はアダムの国であり、神様の国であります。このような国さえあれば、サタンの国はあり得ないということです。天使長の国が世界的であっても、来られる主の前に世界が完全に屈服するようになれば、天使長という存在は残るけれども、そうでない時は、いっぺんに首にすることができるというのです。

 許すことのできない時が訪れるのです。そうしなければ、それが原理原則ではないからです。なぜ、そのようにしなければならないのかというと、それは神様の権威、アダムの権威をもって、天使長の下に降りて、神様が権能を顕現できないからです。ですから皆さんがどんなにお祈りをしても、神様はサタン世界に協助することができないのです。今まで僕の中の少しましな僕を通して、天使を介して役事をして来られたのです。なぜ先祖たちを通してこの地上に役事をしてきたのかというと、復帰する天使長およびアダムを探し求めるためです。

 終わりの日には統一教会でいうところの個人の復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰をしなければなりません。国家を復帰する時は、勝利したアダム国家となるために、それ以外の国はすべて天使長の国家として扱うのです。もし言うことを聞かなければ、容赦しないというのです。

 今までの神様の復帰歴史においては、国が現れるまで、個人、家庭、氏族、民族、国家というように上がっていったのです。何の話か分かりますか? 直線で上がっていくのです。この時に、平行歴史の平行権限は付与することができません。中心は二つもありません。中心を探さなければなりません。

 このような原則があるので、国家を中心として探してきたのです。その国は、サタン世界の国よりも大きくならなければなりません。サタン世界よりも上に立たなければなりません。神様がこのような国を願ってこられたのが、今までの歴史なのです。そして、その国を中心としてメシヤを送るのです。天使長よりも高い立場から来られる方が、完成したアダム、つまりメシヤなのです。

 そのようなメシヤが来られて、サタンの国よりも劣る国であるならば、神様の顔が立たないのです。金持ちの子供たちが僕よりも劣る立場で生活するくらいならば、むしろ死んだほうがいいと言うのです。それと同じことです。ですから、たとえ数は少なくても、「悪なるサタン世界よりも三倍以上強くあれ」と言うのです。なぜそうならなければならないかといえば、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代の恨みを持っているからです。

 復帰は僕の僕の時代から僕の時代、養子の時代へと上がっていくのです。そのような三時代を経てきたので、三時代のどんな人よりも上に立たなければなりません。三時代のどんな国よりも優れなければなりません。今、神様が一番誇ることのできる国において、サタンが「過去に私が誇った国より良くない」と、言わせてはならないのです。

 天の側に立った人であるならば、地獄に行っている霊人たちよりも、中間霊界の楽園にいる霊人たちよりも、これから霊界に行くサタン世界の人たちよりも、過去・現在・未来に讒訴されることのない堂々たる国の国民となっていかなければなりません。そうしなければ、いっぺんにサタンが讒訴するのです。サタン世界よりも三倍以上強い、そのような民族にならなければなりません。

 神様の願い

 神様が今まで一番驚かれたことは何かというと、サタン世界は多くの国を持っているので、一つの国が滅びると、また他の国を立てて、幾らでもやってきたことです。つまり一つの国が責任を果たせなければ他の国を立てて、神様を信じるキリスト教信者たちに反対してきました。神様には国がないため、それができないのです。神様はどうすることもできないのです。ですから、国の主権者が変われば、あらゆることが変わったのです。

 神の国がないために、Aという主権者の時代にはキリスト教を歓迎したけれども、Bという主権者の時代には、どんなに国民がキリスト教を信仰しても、その主権者一人によってキリスト教がすべて壊されてしまったのです。

 今日、大韓民国に統一教会がありますが、世界的時代を迎えて、世界の世論において、どんなに教会が強力な団体であっても、韓国の大統領がサタン側に立っていれば、すべて受け入れることができないのです。それゆえ、神様の願いとは、サタン世界の悲惨なる歴史的運命を逃れて、その限界線を越えることです。このことを地上の宗教者たちは知らないのです。それが何よりも悲惨だということを知らなければなりません。キリスト教はそれを知って、ローマを越えることができる国、神様が願われる一つの共同的な国、サタンよりも強い主権国家を地上に立てて、今までの恨みを蕩減復帰してきたのです。

 その国を目指してきたならば、既にこの地上にはそのような国が成されて、イエス様以降二〇〇〇年の歴史はこのように延長されなかったということです。再臨の歴史は完成して、この世の中を料理して、すべてを神の願いのままに成すことができたのです。

 神の国がない時代には、どんなに信仰深い家庭であっても、信仰深い氏族であっても犠牲にされるのです。そしてどんなに信仰深い民族があったとしても犠牲にされるのです。もし共産党が全世界を握れば、キリスト教の人々は犠牲にされるでしょう。このようなことを、キリスト教の人々は知らないのです。

 では、神様の願いは何かというと、神様の願いは愛する息子娘に会うことです。堕落したこの世において、神様の願いは愛する息子娘たちが讒訴されない世界的な国家を持つことです。神様の愛する息子娘たちを地上に送って、サタン世界の国より上に立つ基盤を持つことを神様は願っておられるのです。

 そのような基盤を持つことができなければ、神様の息子としての立場を立てることができないのです。イエス様もその基盤を持つことができなかったために、国から追われて死なざるを得ない運命の道をたどったということを、皆さんは知らなければなりません。統一教会の人たちも国がないのです。

 今の民主世界は、神様が六〇〇〇年苦労してつくりあげてきたものです。もし皆さんが昔、イエス様の時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首はもうなくなっていたことでしょう。先生も、もうこの世にいなくなっているでしょう。国家的なサタンの身代わりである、全世界的なサタンの身代わりである共産主義が宗教を抹殺しようとして、最後の手段を動員しているということを、私たちは知らなければなりません。

 統一教会の人々には国がありますか、ありませんか?(ありません)。ですから、どこにいっても軽蔑されているのです。これは何よりも悔しいことです。このことを忘れてはなりません。私たちがこのように悔しさを堪えているのは、一つの国を探すためなのです。

 神様は、世界の前に一つの統一国家を立てて、それを基盤として全知全能なる神のみ旨どおりに、すべてのことを成就する時を願ってこられたのです。もしそのような基盤が立つ日には、共産党であれ、いかなる党であれ、神様は取り除くことができるのです。

 ですから、そのような国が現れるまで、悪なるサタン勢力に対して戦ってこられたのです。今は、神様とサタンが世界的に対決する時です。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、一直線で対立しているのです。平面的に水平線上で個人的に、氏族的に、民族的に戦っているのです。このようにして個人的に戦い、社会的に戦い、国家的に戦い、世界的に戦って、その時代が来れば、その時が終わりの日なのです。

 今までそのように戦う時がなかったのです。イエス様の時にのみ、外形上、国家的に戦いました。サタン側も個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に全体を動員し、神側も個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的に全体を動員したのです。この二つの群れがいっぺんに行列を成して、ぶつかり合ったのです。その時、神側に動員されたのがイスラエルの国とユダヤ教でした。ユダヤ教とイスラエルの国が一つになって、世界的なローマに対して、国家的にぶつかり合ったのです。

 もちろんローマのほうが大きかったのですが、それでもぶつかり合わなければならなかったのです。しかし、今はその時代とは違います。その時は国家的基盤を中心としての完成に向かっての出発でしたが、今は世界的基台を中心としての完成に向かって出発する時代なのです。そこでイエス様は、本然の使命を受け継いで、国家を越えて世界的に出発しなければなりませんでした。

 本来イエス様が来られたのは、国家を探すためではありません。世界を探すために来られたのです。それゆえ、イエス様は死んでも霊的に世界を探すため、二重の蕩減をしなければならないのです。一つは世界のために蕩減し、一つは民族のために蕩減するのです。この二重の蕩減のために、キリスト教は今まで数多くの犠牲の代価を払いながらも、これほどに発展してきたのです。

 それで今の時代は、そのような宗教者と非宗教者、つまり神側とサタンが対決する時なのです。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に戦う時であり、左翼と右翼の時代なのです。

 ところで、今どちらが優勢かというと、共産党が優勢なのですね。それゆえ、神側の三つの国家が犠牲を払わなければならないのです。これが原理の観点なのです。それでここにおいて誰が犠牲になるかといえば、中国が祭物になります。そして次は、アメリカが犠牲になります。第一次世界巡回におけるアジアの防御がねじれてしまいました。第二次世界巡回では、世界的な面からアメリカがそのような立場に入っていくのです。それゆえ、これから一九七七年、一九七八年までが峠になるのです。

 第三次世界巡回の目的

 アジアという地域的な面から見た時に、なぜ中国は国連から追い出されたのかというと、これはアジアにおいて、中心国家である韓国の南北問題のためです。そこで、金日成の年齢が問題になるのです。サタン世界の代表的な存在が六十歳になる時、その地域が世界的な時代に入っていくのです。

 今度、四月十五日は何の日ですか? 金日成が六十歳になる日です。中国が追い出された日が、この日から数えて六か月以内だったのです。そのようなことが六か月以内に起こったのは、私たちの時がだんだん近づいているということです。

 それで中国が国連から追放されたのです。金日成が六十歳になる時、六数圏がサタン圏であるために、サタンは七数圏内に侵入することができないのです。それで三年よりもっと延長されるだろうと見ているのです。三年延長されれば、私たちの第二次七年路程が終わるころになるのです。何の話か分かりますか? 私たちの第二次七年路程までには、国家的な基準においてサタン勢力は後退せざるをえないというのが原理的な観点なのです。それをアジアにおいて、韓国、日本、中国、この三つの国家をつなげようとしてきたのが先生の作戦だったのです。

 これを今、世界時代に越えていくのです。アジアで防御できなかったために、世界に及ぶようになるのです。これを第二戦線で、アメリカが防御しなければならないのです。もし、アメリカが防御できなければ、第三戦線はドイツなのです。

 一九七七年、七八年は一九一七年に共産党が出発してから六十年になる年です。二月十七日は、一九七七年、一九七八年の両年にかかるのです。それで今回、先生はアメリカに行ってこのような内容を話しました。一九七七年、一九七八年になると、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるのです。アメリカのキリスト教の人々があっちこっちで犠牲になる姿を見て、「これではいけない」と言いながら、皆生きる道を探して逃げるようになるのです。その前に、我々統一教会の人々は準備をしなければなりません。第三次七年路程を中心として、これらの準備をするのです。

 三年間で、そのことを準備するのです。三年間準備して、完全に防御戦線を拡大させることが、今回の第三次世界巡回の中心的な計画であったということを知らなければなりません。アジアの日本と韓国と中国に続き、第二防御線を準備しなければならないので、ヨーロッパにおいて自由世界を代表した国家を中心として、アダム国家圏、エバ国家圏、天使長国家圏を備えなければなりません。その国家圏がアメリカとイギリスとドイツなのです。

 それで、今まで韓国で整えた基盤を持っていって植えてあげるのです。そうしなければ、韓国が不利になると後退せざるを得ないのです。分かりますか。後退作戦もあり得るということです。今日、先生は韓国にのみ住まなくてもいい時が来たのです。今回、第三次巡回路程が終わり韓国の地に帰って責任を果たせば、韓国自体は過ぎ去るのです。

 韓国にだけ投入しても仕方がないのです。中国、日本まで完全に傾けば、すべてが滅んでいくのです。そのような基盤の時代を越えていく時になったのです。深刻なのです。結局責任はどこにあるかというと、アメリカに責任があるのです。天使長国家の中で、アメリカに責任があるのです。復帰の歴史は正分合作用によって、発展していくのです。

 これが、(先生が黒板を使用される)プラスが三つであればマイナスもやはり三つなのです。これを一つにしなければなりません。これを一つにするためには、サタン世界は強制的に打つのですが、私たちは自然屈服させなければなりません。自然屈服する時が訪れたのです。三天使もこのような段階を経なければなりません。

 中国はアジアの地域においての天使長であり、アメリカは世界的な天使長です。サタンを中心として最高の決断をしなければならない、サタンを屈服させる最後の決戦地であるということです。霊肉を左右する最後の決戦地です。このようになって、地上に天国が立てられるのです。

 このような基準を中心として、世界の情勢が動いているということが、復帰原理から見た世界観なのです。これは必ず国家を中心として、神様が愛する国家であるか、サタンが愛する国家であるかによって、左右されるのです。このように世界的に対決する時が、縦的な歴史を横的に蕩減する時なのです。

 今日の世界を見ると、共産世界からの脅威を受けていない国はありません。祭物を捧げる時に、その祭物が受け入れられるかどうか恐れながら、祭壇に向かうことと同じ瞬間が、私たちの目の前に迫っているのです。

 復帰摂理をされる神様の苦しみ

 今までは、カインが個人的に、家庭的に、国家的に打ってきたのですが、世界的には打つことはできませんでした。今や世界的に打つことのできる、神様が最高に許す一時が私たちの目前に近づいているのです。
 サタンは、イエス様を中心として国家的に打ってきたのですが、今や世界を中心として来られる再臨の時代には、世界的に打ってくるのです。今、自由世界が打たれています。自由世界を打って、最後に統一教会まで打とうとしているのです。サタンは今までイスラエルの国を打って勝った基盤の上に、世界的に発展して、個人的に打ち、家庭的に打ち、氏族的に打ち、民族的に打ち、世界を蹂躙してきたのですが、今や神側がサタン世界に向かって打つことのできる時になったのです。

 今、キリスト教が共産党に打たれているのです。最後の時なのです。そのような時が過ぎ去って、もし神側がサタン側より上に上がる日には、両面作戦を取るのです。今までサタンは両面作戦を取って、神様は一面作戦を取ってきました。何の話か分かりますか?(先生が黒板を使用される)この人は、堕落した人なのです。堕落した人は、霊的にサタンに支配されています。実体的にもカインの主管を受けているのです。ですから両側に掛けているのです。もし神様にサタンが負けても、カインが戦う基盤が残っているのです。サタンがいなくても、カインが勝手にやることができるのです。

 しかし神様は、神様の選んだ人が残っていなければ作戦ができないのです。基盤がなければ、神様はどうしようもないのです。しかしサタンは、この世界が皆サタン世界なので、人間も皆サタンのものだから、いつでも、この国、あの国へと移っていくことができるのです。この国の個人から、あの国の個人に移ることができるのです。そうでしょう。もし、神様の愛する家庭が出たならば、サタンが襲ってきて、四方八方へ飛び回って、妨害作戦をすることができるのです。

 しかし神様は、そのようにすることができません。ですから神様は、今まで不利な立場で作戦を立ててきました。イスラエルの国とユダヤ教をつくるのにも、四〇〇〇年かかりました。四〇〇〇年のみではなく、人類歴史を考えれば、八〇万年にもなるのです。

 一つの国を立てるために、そのような歴史的な受難の道を経てきたのです。そこで過ちを犯す度に、必ず蕩減してきたのです。一度過ちを犯せば、三人が因縁を結ばなければなりません。一度過ちを犯す日は、三回も引っ繰り返さなければ逃れることができないのです。

 サタンはいつも両面作戦をすることができるのですが、神様は一面作戦しかできないというのです。その一面作戦も、人が真心を込めてお祈りして、初めて神様が直接に接することができるのです。

 神様は一面作戦しかできない状態なのです。なぜかというと、神様がお祈りしてあげれば、サタンが打つからです。神様はお祈りもできないのです。

 共産主義の脅威を受けている自由世界

 子供が犯した罪を、その親が蕩減することができるでしょうか? 親が刑務所に入ることができるでしょうか。そのような法律はないのです。罪を犯した人が、その罪を蕩減しなければなりません。神の前に、アダム・エバが「神様、過ちを犯しました。許してください」と言わなければ、神様が手を下すことはできないのです。ですから神様はどんなに不利な作戦をしてきたことでしょうか。

 このような世界的基盤を立てるまでは、どんなに神様が多くの犠牲の代価を払ったかということを、皆さんは知らなければなりません。

 今や、世界的に共産党の脅威を受けていない国はありません。私たちの韓国もそうです。北韓の共産党が、いつも攻めてこようと考えているのです。アメリカも同じです。今回、私はアメリカの上院議員、下院議員などいろんな人々と会ってきましたが、彼らのほとんどが、共産党の脅威を感じているのです。

 「あなた方は、今アメリカの富を前に立てて、共産党を防ぐことができますか」と質問したら、「自信がありません」と言うのです。すべてがそうなのです。イギリスに行っても、同じことです。今、新教・旧教の戦いが広がっていますが、その背後は共産党が操っているのです。ドイツに行っても同じだったのです。いかなる国も、共産主義の脅威を感じていない国はないのです。そのような時が来たということです。皆さん、分かりますか?病気にしても、極に達して初めて、死ぬか生きるかということが分かるのです。

 蕩減復帰ということは、そのままではできないのです。ある村で祭りを行うといって、人々が真心を込めて準備をするとします。するとその反対に、「祭りを見にいこう。何か貰いに行こう」と言う人たちが集まって来るのです。祭りを行うと、何か貰うものがないかと思って、乞食たちが集まって来るというのです。霊的な乞食たちも集まって来るのです。

 それでもし、互いに喧嘩でもすれば、その祭壇は乞食たちの祭壇になってしまいます。そこで一つになれば、根っ子でも残るのですが、不平不満を言うと、すべて失われてしまうのです。キリスト教が今、そのような状況なのです。祭物を捧げる群れと同じ立場にいる全世界のキリスト教徒たちが、乞食の群れになって押し寄せてくる、このような状況において、共産党と手を組もうとしているのです。

 昨日まで、僕に「この者め」と言った主人が、きょうは僕になったのです。今までは主人の役割をしていたけれども、今はすべて共産党と手を組んで、「共産党のどこが悪いか」と言うのです。これが今のキリスト教なのです。これでもいいですか、いけないですか? いけないのです。

 あなた方は、共産党に反対しながら死にますか? 反共も、勝共も、捨てて死にますか? 「私は勝共、反共を知りません」と言いながら死にますか? 勝共・反共をやりながら死ぬのです。それで当たり前です。

 統一教会の人は、代弁をする時には同じ代弁をしなければなりません。体が苦痛であればやめればいいのです。途中でやめる人は、今やめたほうがいいのです。最後まで行った群れだけが、アルパでありオメガなのです。分かりますか? 原理は右の目であり、勝共は左の目なのです。皆さんは片目になるのですか。

 このような状況で、世界的にキリスト教を一つにし、宗教を一つにし、思想を一つにしてきた群れがいるでしょうか? 神様もどんなにつまらないでしょうか。呆れてものも言えないくらいなのです。それは、目も閉じ、鼻も塞ぎ、息もできないくらいなのです。皆一度やってみなさい。鼻を塞ぎ、耳を塞ぎ、何分くらい耐えることができるでしょうか。

 そのような神様の目を開き、神様が鼻で息ができるようにしてあげ、神様が口でものが言えるようにできるそういう群れが、この地上にいるでしょうか。いますか、いませんか?(います)。それは誰ですか?(統一の勇士です)。立派ですね。

 それで、皆さんは共産党を防ぐことができますか? 皆さんは、直ちに処分されるのです。何の議論もしないで、直ちに処分されてしまうのです。もし、北が南を攻めてきた日には、統一教会の人々は皆殺されてしまうのです。白頭山の谷間に逃げても、穴の中にいても、匂いを嗅いで探して来るのです。皆、首が地に落ちてしまうことはもちろん、骨一つも残らないのです。

 今我々は、そのような状況に置かれているのです。なのに、自分の息子娘のことを考える暇がありますか? 自分の夫のことを考えることができますか? 逃げる時は、一人で必至に逃げなければなりません。「あなた、私と一緒に行きましょう」と言う夫がいるならば、その夫は愚か者です。自分の息子娘たちを見て、「お前たち、早く逃げなさい」と言わなければなりません。

 そうすれば、皆殺されずに、一人は残れるということです。もし共産党が攻めてきた時には、よく逃げなければなりません。どこに逃げるかということですが、どこに逃げますか? 逃げる場所を調べておきましたか。行くところも分からずに逃げれば、どんなに逃げても、自動的に網に掛かってしまうのです。どこに逃げますか?どういう方向に向かって逃げますか。

 真心を込めるとしても、それだけでは駄目なのです。神様が導いてくださる道に従って行かなければなりません。

 神様が導かれる道

 それで先生は今回日本に行って、機動隊をつくっておきました。ある人に、「君は、このようなことを準備しなければならない」と言ったのです。もし韓国で三十八度線が崩される日は、何千名が太平洋を渡って、サンフランシスコに行っても歓迎されるし、台湾に行っても歓迎されるし、ドイツのハンブルグに行っても歓迎されるし、イギリスのロンドンに行っても歓迎されるようにつくっておかなければなりません。

 そのようなことを考えなければなりません。作戦が不利になる時には、後退が必要なのです。だからといって、韓国を捨てるということではありません。どこへ行っても、韓国を紐で結んでおいて、その紐で引っ張るとおりに行かなければなりません。そして、必要な時は、その紐を引っ張ると韓国が付いてきて、紐を緩めると現状に戻るようにしておかなければなりません。ですから責任を持つ時には、世界的に素晴らしい責任を持たなければなりません。

 戦う時も素晴らしく戦い、死ぬ時も、素晴らしく死ななければなりません。今そのような時が訪れたのです。自分の夫や子供のことを考える時ではありません。夫や子供を信じても、もし国がなければ、いっぺんに塞がれてしまうのです。今、皆さんに国がありますか? 今まで皆さんは、どのくらい軽蔑されてきたことでしようか。軽蔑されましたか、されませんでしたか? この大韓民国も腐っています。世界の指導者たちを見ても、神のみ旨のために働いている人は一人もいません。

 このような内容を訴えて帰ってきたのが、今回先生の第三次巡回路程です。世界がこのような時に、キリスト教徒たちが一つになれなければ、滅んでしまうのです。アメリカも一つになれなければ、滅んでいくのです。見ていなさい。一九七七年、一九七八年を見ていなさい。レバレンド・ムーンの言ったことが、正しいか否か、見ていなさい。現在のアメリカ国内には、そのような現象が芽生えているばかりでなく、そのような基盤のもとに、攻撃をすれば、誰もが皆知るようになるのです。

 自ら先に打たれようとして前に立って戦わねばならない

 ですから、今や我々のやるべきことは何でしょうか? 韓国を防御するよりも、アメリカの防御が忙しくなったのです。何の話か分かりますか。今や、先生が働かなければならない時になったのです。金日成の誕生日までに、韓国がいかに越えていくかということを、先生は問題にするのです。我々は金日成の誕生日まで、金日成を防ぐために祈ってきましたが、これからは大韓民国のために祈らなければなりません。この国が神様の選んだ国にならなければなりません。

 そのような国になれば、金日成、毛沢東は神様に一晩で呼ばれていくこともできます。しかし、なぜ呼ばれていかないかといえば、アダムの権威を立てて、天使に対して「この者!」と言った時、天使が恐れて「はい」と言えるようにしておかなければらないからです。ですから、それを待っているのです。そうなれば、私たちが手を打つ必要がありません。我々統一教会が早く、目前の人民軍よりも何倍も強くなって、三十八度線上に立つ日には、金日成が何千名いても問題にならないのです。

 これからそのようになるのです。復帰原則において、もちろん男性たちも共に戦うけれども、人民部隊の責任者は女性なのです。女性がサタンの誘惑を受けたために、最後には女性によって勝ったという立場に立たなければなりません。何の話か分かりますか。もし、人民軍と戦って南が勝って、降伏を受けるとすれば、その降伏は男性ではなく、女性が受けるようになっています。女性も、若い二十代の女性を前に立てて、確認書を貰ってこなければならないのです。

 今日、我々統一教会の女性たちが最後の戦線を担わなければならないのです。この世界の多くの国々の中で、立派な国は過ぎ去り、立派な教会は過ぎ去り、立派な教会の責任者たちは皆、過ぎ去り、足りない者たちが集まって、この世界に責任を持とうとしているのです。

 皆さんがよくやっていけば、良いことになるのです。もし我々がこれに耐えて成し遂げる日には、世界は我々によって左右されるのです。冬空を飛んでいく雁の群れを見ると、最初は互いに先頭に立って飛ぼうとするのですが、最後には強い者が先頭に立ち、「世界は私たちの行列を見習え」とばかりに飛んでいくのです。それと同じです。今は、お互いに自分が一番であると大騒ぎしてるのです。そのような時が訪れたので、だんだん複雑になっていくのです。

 イエス様は真理の王子でした。そうでしょう。ですから、イエス様が言われた言葉は世界的に成し遂げられなければなりません。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉は、個人に関して言った言葉ではなく、団体であれば団体、国であれば国に関して言った言葉なのです。国を懸けて、世界のために死のうとする国は生き、その国のために世界を犠牲にしようとする国は滅んでいくのです。

 アメリカが、世界のために死のうとする国として、先頭に立って責任を果たせば滅ばないが、世界を無視して自分の国のために生きようとすれば滅ぶのです。これが原理原則なのです。復帰の恨みの道を行くために、その最後の終着点を皆さんははっきりと知らなければなりません。

 それでは、我々統一教会において、統一教会の国がありますか、ありませんか?(ありません)。統一教会はあるんですね。では、この教団自体が死のうとした時はどうなるでしょうか? 生きようとした時は死ぬのです。また、キリスト教がもし死のうとした場合、生きようとした場合には、どうなるでしょうか? 終わりの日には、それを比べるのです。国のために教団を犠牲にしようとすれば、その教団は国と共に生きるけれども、国を逃れていく教団は、国と共に滅んでいくのです。これは歴史的な鉄則です。ですから今日我々は、このことを標準にして現われ出た群れであることを、堂々と語らなければなりません。

 世界のために自己犠牲をする道が我々の道

 今日、統一教団はどのようにするべきでしょうか。生きようとする立場に立たずに、死のうとする立場に立ち、悪と対決して防波堤になろうとする立場に立ち、歴史的な恨みを晴らすために親孝行する決心を持った立場に立たなければなりません。矢が向かってくれば自分が先に打たれ、倒れる時にも自分が先に倒れようとする立場で犠牲になり、親孝行の標的を先にもらおう、中心の標的を先にもらおうという覚悟の上で、現れたのが統一教会の群れであることを皆さんは知らなければなりません。これがきょうのみ言のテーマです。

 ところで教会が滅ぶかもしれない時に、自分の息子娘、夫のことを考える余裕はありません。私の生活が心配になって、ああだこうだと言うことはできません。おばさんたちは、三年期間が終わったらどうしますか、家に帰りますか? 家に帰りなさい。我々統一教会が死ぬほど大変なのに、家に帰って何をしますか? 楽しく住むことができるでしょうか? できないのです。いつもそのままなのです。

 家に帰って、無価値であるということが分かったら、また出て来なければなりません。これは、先生の言葉ではありません。三年動員が終われば、家に帰りたかったら帰りなさい。今は韓半島を中心として、その中心に向かって走らなければならない時なのです。今までは、準備の時でした。訓練の時だったのです。その訓練を受けた人たちが実戦部隊で落第したければ、帰りなさい。勝手に帰りたかったら帰りなさい。一九七二年末には、勝手に帰ることができたのですが、今訓練を受けた精兵たちが宙を逆に駆けて歩けば、非難民の扱いをされるのです。分かりますか。ここにいる女性たち、動員期間が終わったら帰りたい人は帰りなさい。私は知りません。実戦部隊において、皆さんたちが後退する時に、一〇〇名でも、一〇名でも募集しておかなければならないのです。

 国家の世話になっておきながら、素手で逃げてきた人を神様は許すことができません。先生が来られたならば何か良いことを聞かせてくださると思っていた人は、きょうのみ言を聞いて、もう首が地に落ちてしまったと思う人がいるかも知れません。それでも仕方ないのです。我々が滅ばないために、それでも成さなければなりません。国が滅ぶようになっても、世界が滅ばないためには、我々統一教会の一〇〇〇名ぐらいが犠牲になってもいいでしょう。爆弾でもって、一度に死んだとしても世界を救うことができるならば、いくらでも死ぬこともできるでしょう。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 そのように考えていますか? ああ、愛する息子娘たちが懐かしいということですか。死ぬ時に、息子娘の名前を呼びますか?「あなただけは死なないでください」と。そのように、死んだら天国には行けないのです。なぜでしょうか? イエス様の右側の強盗を見てください。今まで、どんな生活をしてきたとしても、その時には、「夫よ、私の前から退け」と言わなければなりません。その時には、夫が統一教会の怨讐なのです。自分が愛する息子娘が怨讐になるのです。イエス様は亡くなられる時、「エルサレムの息子たちよ、私のために泣かないで、あなたたちのために泣きなさい」と言ったのですね。ほんとうによく言ったものです。すべてを清算して、今や死の道の中で、光を発しなければならない中心として、永遠の主人となる最後の道に向かって堅実に走っていくイエス様の十字架の歩みであったということを知らなければなりません。

 イエス様のみ言は真理のみ言なので、個人的に死のうとすれば個人的に救われ、家庭的に死のうとすれば家庭的に救われ、氏族的に死のうとすれば氏族的に救われ、民族的に死のうとすれば民族的に救われ、国家的に死のうとすれば国家的に救われるのです。また世界的に死のうとする国家が現れる時は、世界的に救われるのです。

 ですから、これから全世界の宗教人たちが一つになって、一つの世界に向かって死のうとする群れになれば、統一の歴史はこの地球村に訪れるというのです。これが真理のみ言を通した結論です。

 結局、家庭も個人を植えたものであり、国家も個人を植えて繁殖したものであり、世界も個人を植えてより多く繁殖したものなので、個人が生きる真理も、家庭を代表したものであり、世界を代表したものなのです。

 今はそれが危機の時代に来ているのです。行けば行くほど高い山なのです。山また山なのです。しかし、世界の山になるためにはまだ遠いのです。私たちは今、富士山くらいに来ていますが、これからエベレストの山、ヒマラヤの山脈に向かって出発するのです。どうせ山に登るのならば、その山の頂上に標的を立てなければ、大声で叫ぶことができないのです。そうしたいですか、そうしたくないのですか?(そうしたいです)。

 解放直後におけるキリスト教の責任

 それでは皆さん、キリスト教がどうして風に揺れるような立場に立たなければならないのでしょうか。第二次大戦直後に共産党はありませんでした。あったとしても、それはないも同然のものだったのです。まだ共産党が世界的な活動部隊を備えることができない時だったので、あってもないようなものでした。その時に統一教会は出発したのです。

 復帰の原則によって、カイン・アベルを中心として見ると、当時韓国にはアベル的な既成教会はあったのですが、カインがありませんでした。神様はなぜ、我々を日本の前に四十年間、圧迫を受けるようにしたのでしょうか。これは神様の愛であるということを、我々は知らなければなりません。アベルの前に必ずカインがあるのですが、その時、アベルのキリスト教の前にはカインがなかったのです。カインの国がなかったのです。解放地区に国がなかったので、その時に指導的役割をしたのがキリスト教なのです。

 それで、来られる再臨主を中心として、キリスト教がアベルの立場ではなく、カインの立場に立たなければならなかったのです。そうなれば、それですべてが終わるのです。その一点で、歴史的なあらゆることを蕩減できたのです。結局、キリスト教が先生の行く道と統一教会の行く道に反対して、ねじってしまったのです。そのためにこの国がどうなったかというと、カイン・アベルが別々に生まれてくるようになったのです。何の話か分かりますね。このことをはっきりと知らなければなりません。それを知ってこそ、世の中がどのように回っていくかということが分かるのです。先生が何をしているかということが分かるのです。

 その時、キリスト教はカインを持っていませんでした。キリスト教は国家のために、犠牲の祭壇に立って先頭に立ち日本の帝国主義に対して戦っていました。このキリスト教が怨讐の国であるカインに対して戦う時はアベルだったのですが、解放直後にカインがなくなってしまったのです。そこでもしキリスト教が先生と一つになっていたならば、神様はキリスト教内に、カイン・アベル型をつくったのです。霊的な集団を中心とした基盤を広げて準備してきたのです。そうして解放直後に私たち統一教会が、国の主権を中心として活動するようになっていたのです。もし、李承晩博士と一つになったならば、すべてがうまくいったのです。李博士は、西洋の水を飲んだ人であり、キリスト教の思想によってすべてが回っていく人なのです。先生がその李博士一人を説得すれば、カイン・アベルの復帰は国家的基準からいっぺんに回っていったのです。また、キリスト教を動かすことのできる原理的な基盤さえ立てておけば、いくらでもできたのです。

 しかし、その時、李博士は自分が天になってしまったのです。博士の主権はキリスト教の主権だというのです。さらに当時は、仏教の勢いが強かったのです。ここでまた、一つのカイン・アベルが生まれたのです。このように複雑になっていったのです。そうなってしまったために、私たちの受難の道がだんだんと拡大されていったのです。

 結局、我々統一教会が追い出されてしまうことによって、神様がイスラエル民族の前にイエス様を送った時に、イスラエルの国とユダヤ教が一つとなってイエス様の前に立つカインの立場にあったにもかかわらず、一つになることができずに、悲惨な歴史を迎えたことと同じようになってしまったのです。

 そのようなイスラエル民族がその後どうなったかというと、世界に離散していく民族となったのです。そうですね。彼らは国のない主権のない民となり、世界のどこへ行っても、イエス様に反対した運命を乗り越えるまでは罰を受けるようになったのです。それゆえ、キリスト教よりも悲惨な血を流してきたイスラエル民族であるということを知らなければなりません。

 そのような歴史的な事実は、皆さんもよく知っているとおりです。キリスト教よりも多くの血を流してきたのです。そうせざるを得なかったのです。

 縦的、横的関係の切れる現象

 今や、その国が二〇〇〇年後の今日、再びこの地上によみがえるということは、春を迎えて、春の日が再び訪れるということを予告するものです。二〇〇〇年の歴史を経て、それが蕩減になって、新しい主権国家の復帰を神様が付与してくださったのです。ですから今日統一教会に反対した世界のキリスト教徒たちは、かつてのイスラエル民族のように散らばっていくのです。まるで私たち統一教会の人々が、家を離れて真理を求めた時と同じく、彼らは滅びざるを得ない世の中に、ご飯をもらいに出ていくのです。

 我々が行ったとおりに彼らもその道を行くのです。我々はどんなに悲惨な道でも神様に侍って行きましたが、彼らは神様を失って出ていくのです。それが滅びの道なのです。これが今日の歴史的な傾向なのです。

 今やサタンに支配され、サタンの前に完全に料理されているのが共産世界のキリスト教文化圏なのです。共産世界のどこにキリスト教の思想が残っていますか、どこにイスラエル民族の思想が残っていますか、どこにその民族性が残っていますか? すべてが失われてしまった立場なのです。

 エリアがバアルの神の前に屈することなく、七〇〇〇人を残したのと同じく、そのような群れを通して新しく収拾する運動がキリスト教の前に、世界的に起こってくるのです。そうなると、イスラエル民族のように悲惨な運命にぶつかるのがキリスト教の指導者たちなのです。キリスト教は今に秋風の中の落ち葉のように落ちていくのです。希望の基準がすべて失われていくのです。若い人たちがすべて落ちていくのです。権力を持った人たちがすべて落ちていくのです。そして年寄りだけが残るのです。基になるものだけが残るのです。

 神様は、青年世代、壮年世代、老年世代の中で、最後の基になる者だけを残すのです。彼らさえ残ればよいというのです。涙を流しながら真心込めてきた老人たちをキリスト教に残して、迫害の中から新しい伝統を受け継ぐ群れにするのです。

 このような新しい運動が起こる日には、新しい春が訪れるようになるのです。では、サタンの迫害はどこにいくのでしょうか? サタンが、年寄りに対して迫害する時がくるのです。ですから、キリスト教の年寄りが問題になってきます。そのような時代に入るのです。

 イスラエル民族がイエス様を裏切ったことによって二〇〇〇年が延長されて、今日ようやく世界的な時を迎えたのです。まるで春を迎えたように、今日完成時代において、二〇〇〇年を二十年で蕩減できる期間が一九六〇年から一九八〇年なのです。この二十年の間に、全世界で大騒ぎが起きるのです。国がどこにあり、氏族がどこにあり、家庭がどこにあり、お父さん、お母さんがどこにおり、兄弟がどこにおり、先生がどこにいるかということです。

 すべてが個人主義化して、共産主義の思想が入ってきたのです。国も信じられず、世界も信じることができないのです。そうなった時、これではいけないということを人間たちが知って、新しい主義の世界に越えていくために、人間の前に共産主義という思想が現れて、それに群らがっていくのです。そのような現象が今の流れであるということを知らなければなりません。

 神様の前にキリスト教はどのような計画になっているかというと、キリスト教は天使長圏であるために終わりの日には一人になるしかないのです。団体でもって立つことはできません。家庭を持って息子娘を連れて立つことのできないのが、天使長の立場なのです。

 今アメリカでどんなことが起こっているかというと、男性同士で結婚して住んでいる人々が多いのです。女性は必要ないと言うのです。そのような運動が起こっているのです。これからアメリカの女性たちは大変です。嫁に行きたくても行くことができません。男性たちが、女性はすべていらないと言うからです。これは、世紀末的な現象なのです。ですから女性たちは男性たちに従うなというのです。来られる主に従えというのです。終わりの日にはそのようなことが起こるのです。

 復帰の時代においての女性の使命

 エバが何をしたかというと、エバは堕落した後、二人の夫に侍りました。不倫なる夫と本来の夫、二人の夫に侍ったのです。そして一番目の夫も気に入らず、二番目の夫も気に入らず、三番目の夫が気に入ったというのです。それゆえ理想的な三番目の夫を探そうとして、女性たちが浮気をしているのです。女性たちは三番目の夫を探さなければなりません。その三番目の夫を探すための運動が、今までの復帰歴史だったのです。
 一番目の夫アダムが滅びることによって、二番目の夫イエス様も滅びるようになりました。今は希望を持って来られる三番目の夫を探す歴史的な運勢に立っているために、男性よりも女性たちが浮気をすることが多いのです。世の中はそのようになっているのです。

 なぜ女性たちがそうなるのかというと、霊的な立場で父と因縁を結ばなければならないのがエバの立場だからです。しかし、父と因縁を結ぶことができず誰と因縁を結んだのかというと、僕と関係を結んだのです。そのために、人類は今日これを離れて父との因縁を結ばなければならないのです。それで先生に対して父と言うのです。

 少女が成長して、女性としての内容を備えるようになれば、心情的に変化が現れてくるのです。先生に対しても、時には父のように、時には夫のように考えるのです。原理がそうなっているからです。

 女性は、そのようなことを感じたことがありますか。それでは、今夜はそのような話をしてみましょう。男性たちは聞きながら十分ぐらい休んでも構いません。終わりには男性ではなく、女性が問題になるのです。

 世界のすべての興亡は常に女性によって起こっているのです。そうでしょう。何かが滅びる時には、そこに女性がいるのです。今の世も、みんな女性によって亡んでいくのです。どの国でも女性が賭け事をするのです。女性が餌なのです。皆さん、気持ち良いですか? どんな歴史であれ、悲惨な歴史には必ず女性がそこに介入しているのです。

 統一教会もやはり同じなのです。統一教会の餌は何かといえば、女性なのです。今までサタンが女性を餌にしてきたので統一教会の文先生も皆さんを餌にしています。気持ちが悪いですか、良いですか?(いいです)。

 皆さん、釣をする時の餌のことを知っているでしょう。餌は釣針についていくのです。嫌だといっても釣針のひもについて、餌はひもの動くとおりに動くのです。それと同じです。女性は気持ちが悪くてもしかたありません。そのようにしなければ復帰することができないのです。

 皆さん、「エバ」とは、復帰のことを知って帰れということです。「アダム」とは、神の子ができたということなのです。それで、それを越えなければなりません。頭が壊れ、足が折れても越えなければなりません。そのように考えれば疲れないのです。男性は男性の行く道が神の子であるということを考えていたならば堕落もしなかったでしょう。

 エバは堕落することによって、完全な神様の娘にはなれませんでした。娘になろうとしたのですが、崩れてしまったのです。ですから、神様の愛する完全なる妻になることもできませんでした。神様に認められた完全な妻になりましたか?(なりませんでした)。

 その次に、母になるはずだったのですが、すべて落第だったのです。これは一日、一代で起きたことなのです。それで、蕩減復帰するのに誰が必要かというと、神様の愛を受けた私たちが必要なのです。み旨を成すには女性がいなければなりません。しかたがありません。醜くてもみんな許してあげなければなりません。

 それでは、「私は間違いなく神様の息子になりました」と言える人は手を挙げてみなさい。先生は一つ聞いてみたいことがあります。皆さんは息子になりましたか、娘になりましたか、なろうとしましたか?(なろうとしています)。

 この復帰歴史は、なろうとすることで六〇〇〇年かかったのです。ですから皆さんは何代かかるのでしょうか。神様でさえも何千年もかかったのですから、皆さんはどのくらいかかるのでしょうか? 十人の中で、十代で復帰すればよいでしょう。しかしエバは、エバ一代ですべて成し遂げて越えなければならないのです。ですから幼い息子として、成熟するまで神様の愛をたっぷり受けることができなくてはなりません。

「お前は間違いなく、私の息子の中の息子だ。間違いなく、私の息子だ」というように、愛されなければなりません。その愛の量があふれて越えるのがいつかというと、成熟期なのです。分かりますか? お父さん、お母さんを必要とすれば、僕なのです。僕の心情の成熟を受け継いで横的に出発しなければなりません。これが天のみ旨の道なのです。

 父母の愛を受けた息子は、いつまでも父母と共に住んではいけないのです。これを徹底して教えてあげなければなりません。女性は男性を求めるようになり、男性は女性を求めて行くようになっているのです。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 男性たちはどうですか、聞いていましたか、聞いていませんでしたか?(はい、聞いていました)。
 
 成熟すれば父母の下を離れなければならない

 それで、神様の愛を受けて成熟すれば、心がそわそわするのです。女性たち、そわそわしますか? 先生は女性ではないので分かりません。

 成熟すると、胸が大きくなり、腰が大きくなって、そわそわする心が生まれてくるのです。これは何の話かというと、因縁を結ばなければならないということです。その時期には、すべてが興奮の対象となるのです。おもしろくないものは何もないのです。何の話か分かりますか。何もかもおもしろいのです。すべてが理由なしにおもしろいのです。また、木の葉が落ちて風に飛んでいくのを見ても心が暗くなるというのです。少女時代はそうなるのです。多方面に、平面的に広がっていく時なのです。

 あらゆることを、自分と関係させなければならない時なのです。なぜならば、愛は全世界を支配するのが原則なので、愛の感情が訪れる時には、すべて自分と関係を結びたいと思うのです。愛の素性がそのようになっているので、これは不可避なことなのです。

 その時は、鳥が歌えば、自分でも知らずに一緒にふんふんと鼻歌を歌い出すのです。春の歌を何回歌っても一人では面白くないのですが、そばに茫々とした髪の毛の青年がいれば、何となく気持ちがいいのです。

 私はよく知らないけれども、そうだということです。女性たち、そうですか、そうではありませんか? 人であればそうならなければならないのです。そうならなければ女性ではないのです。そうでしょう。ですから女性は二十歳にもなると、お嫁に行きたいと思うのです。お父さんお母さんと離れるのは寂しいけれども、気持ちは悪くないのです。そうですね。私が見ても、そのように見えるのです。

 私の妹が十三歳の時、私はよく冗談を言いました。「お前の夫になる人は目がこうで、鼻がこういう人だったらどうか」と言うと、「嫌だよ」と言ったものです。そして、十八歳になるころに、おばが来て、「仲人をするので嫁に行きますか」と言ったら、「どんな人か一度会ってみたい」と言ったのです。そこでお父さんとお母さんが、「あした、お見合いの相手が来るので、準備しなさい」と言ったら、妹はその日、朝早く起きて髪の毛をきれいにして、化粧したのです。そればかりでなく、洋服も着替えて、家の内外をすべて一人で掃除をしたのです。それはなぜでしょうか? お嫁に行きたいからなのですね。私はそれを見て、間違いなくそうだと思いました。

 私はお嫁に行ったことがないので、皆さんに聞いてみます。そうですか、そうではありませんか?(そうです)。ですから、二十代になり春の日になると、そわそわする風が吹いてくるのですね。

 マラソン大会に出場して一等になった人を見て、「私が一番になるべきなのに、なぜ彼が一番になったのか」と思うのです。男性たちはみんなそのような考え方をするのです。何にしてもよいことはすべてやってみたいのです。その時期には、詩の書けない人はいないのです。歌を歌えない人はいないのです。春になれば、鳥でも歌うのに、感情豊かな人間が歌わないはずはないのです。

 愛は万宇宙を支配するようになっているので、あらゆるものと関係を結ぼうとするのは愛が芽生えてくるからです。それで、そのような現象が起きるのです。

<2に続く>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.07.17 18:12:07
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