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2021.09.10
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​​​​​​​​​​​​​「神とアメリカと我々の方向」

1976年7月4日
ベルベディアにて


 二〇〇年と二〇年

 皆様方もご存知のとおり、きょうは、アメリカ建国二〇〇年記念日であります。

 私の知るところでは、我々統一教会の歴史におきまして、アメリカ建国二〇〇年を祝うのは、今度が最初でありまた最後であります。アメリカの今日までの歴史は、神のアメリカに対する祝福とアメリカを通しての世界に対する祝福の歴史でありました。

 したがって、この歴史は、アメリカが六〇〇〇年を蕩減する期間でありました。神の復帰摂理の上において、アメリカの三〇〇年目に入るとただちに、我我統一教会の食口が神の復帰の残された意義と重大さを蕩減復帰する責任があることを私たちは、よく知っております。そして同時に、私たちは、アメリカが三〇〇年目に入って、上り坂にあるのではなくして、下り坂にあり、退廃し、腐敗しつつあることは確かであることを知っています。

 神は、アメリカが衰退しつつあるのを放っておいたり、衰退するのを見るのをがまんすることはできないのです。それ故に、アメリカを救い、世界を救うために、統一教会というグループを三世紀目にあたって建てられたのです。

 きょうは、アメリカ建国二〇〇年の記念日であるばかりでなく、統一教会の歴史におきましてから二〇年前、不名誉で屈辱的な日でありました。二〇年前のきょう(七月四日)統一教会にとって、不名誉で屈辱的なことがありました。そして、これは、その不名誉と屈辱を耐え忍び、ある期間を蕩減することによって、それをこの国の建国二〇〇年に二〇〇年祭に結合したのです。

 これには摂理上の重大な意義があり、我々にはこれから果たさなければならない重大な使命があるのです。統一原理によれば、我々が二〇年間の困難を忍んできたことと、アメリカが二〇〇年を神の復帰摂理の歴史に足跡を記してきたことは、一致点がありますが、ご存知の通り、十月十四日は私が、解放された日であります。十月までは私たちは、神の復帰摂理の歴史全体を蕩減復帰するために自分が果せるどのような蕩減をもなしてゆかなければなりません。

 私は、あなた方に、きょう我々がこのように集まったことは、意義あることになるのであろうことを知ってもらいたいと思います。

 あなた方もご存知のように数多くの式典が行なわれようとしています。その中の一つの大きな式典は、ここで行なわれ、ワシントンでは、もう一つの大会があり、フィラデルフィアでも行なわれようとしています。その他の所でも行なわれようとしています。

 外的大会と内的大会

 しかし、我々の活動におきましては、我々の大会の意義は、四数をすることにあると感ずるのです。ここにおいて、我々の二〇〇年記念祭と他の式典とは、神の目から見ればどれが最も意義ある大会でしょうか。私たちは自分たちが正しい方法によって祝うことによって、過去のあやまりを蕩減復帰して将来のための基礎が築かれるのです。

 他のすべての祝典は、外的なものですが、我々は内的に祝うのです。そして私の喜ばしく思うのは、建国二〇〇年の祝典が、偶然に日曜日にあたるということです。統一教会の二〇数と建国二〇〇年の一致があり、日曜日と内外が給合されているのです。さきほども述べましたように、ワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアにおいて外的な祝典がなされますが私たちは、同じ日、ワシントンで内的な祝典を行ないます。

 内的なものが中心でありますから、ワシントンで私たちの行なおうとする大会が神の目から見るならば最も意義あるものであり、もし私たちがこの立場から出発して、神の歴史を給合し完了する方向に向かって上っていくならば、この祝典が人類歴史において最も意義のあるものになるでしょう。これは単に導入部分にすぎませんので、これから本題に入っていきましょう。(笑い)

 すでに導入部分に二十三分間経ましたね。しかし、私がすでに語ったことが、きょうの話しの本題になります。

 ニューヨークの大会はきょうの何時に始まるか知っていますか。八時に始まり、本格的な話は十時になります。ですから私たちが最初に、アメリカ建国二〇〇年を祝うことになります。したがって、誰も、きょうの朝までこのような大会は、アメリカ二〇〇年の歴史にもなかったことです。もし、眠ってしまっては、それを祝う資格はありません。一夜、眠らずにすごさなくては、二〇〇年、二〇〇年この神の意義ある日を迎えることはできませんよ。だから眠ってしまってはだめですね、わかりましたか。

 神が建国したアメリカ

 きょうの話は、神の御旨の方向、アメリカの方向と我々の方向です。私たちは、アメリカの歴史の意味をいろいろな方向から見ることがきますが、アメリカの歴史は、神の摂理としか考えざるをえません。神がこの国を建て、神が祝福したのです。神の目にもアメリカの人の目にも世界の人々の目にも、アメリカの歴史は、神の摂理と結びつけて考えるほどに意義深いものです。

 キリスト教なしにはこの国は、生まれませんでした。アメリカは、ヨーロッパの国々を含めて世界中からきた世界中の民族によって構成された国です。過去の歴史では、すべてのヨーロッパの国々は敵対関係にありました。

 その敵対関係にあったイギリス、オランダ、イタリア、フランス、ドイツ、スカンジナヴィア諸国の人々が、続々と海を渡ってまで、新大陸で調和のとれた一つの国家を形成したことは神秘的であり、謎めいたことです。

 しかし、移民の主要な流れ、すなわち、あなたがたの先祖の中には、ヨーロッパという旧世界において、宗教の分野で迫害されカトリックの国々から宗教の自由を求めて、この新大陸において、プロテスタント信仰の自由を得たのです。

 彼らは、神の名において自分たちの政府や国民によって迫害され、旧大陸からのがれて新大陸に渡ってきました。彼らは、宗教の名において、教会の名において、やってきました、彼らは一つの共通点があったのです。彼らは自分の国では、カトリックに迫害され宗教の自由を求めてきたのです。

 それ故に、彼らは、共通点があるのです。このような方法においてのみアメリカという秩序ある調和のとれた国家を建てることができたのです。あなたがたのピルグリム・ファーザーズやピューリタンは、新しい宗教秩序や教会法律までもをイングランドで建設しようとしたのです。

 宗教の自由と新しい教会を求めて

 それ故、彼らは宗教の自由を求めてきたのです。イングランドからやってきてどうして母国イギリスと戦うことができたのでしょうか。それは、彼らが、宗教の世界において迫害されたために、憤がいして、旧い勢力に対して統一して戦かったのです。

 彼らは自分たちの(祖国)旧世界を否定しなければならなかったのです。というのは、彼らの願ったことは、プロテスタンティズムかアメリカという国を建てるようにということであり、この意味において、旧世界に対して戦うために一体化したのです。ご存知の通りジョージ・ワシントンは、神の前にひざまずいて祈りました。彼らの人々の心の中には、迫害する勢力に対して戦かい、プロテスタントの新しい国を建設しなければならないという根深い考えがあったのです。それ故に、彼らは、神の名において、神の国、将来における神の国を建てることを願ったのです。

 その当時の軍隊はいろいろな国籍の人々からなっているのです。独立軍は、世界中の国々の人々から構成されており、その当軍隊の志気をあげて勝利に導びくための、彼らの共通した考えは、この新大陸において、神の国となるべき国を建て神の名において建てるというものでなければなりませんでした。

 その当時の将軍は、イギリスの為とかイタリアの為とかオランダの為とかブラジルの為とか、特定の国の為に戦うのだということはできませんでした。しかし、神の名において新大陸に教会を建てるというのが、戦いの原動力であったのです。それは私たちのスローガンでもありますね。

 神の御旨と教会の建設の理想がなくして彼らは、それらの勢力に対して戦い勝利することはできず、アメリカという国を建てることはできなかったのです。すべての旧世界の国々を否定し、旧世界と戦わなければならず、彼らの目標や目的が、旧世界の旧制度に勝さったものとするためにアメリカという国を建てるということでなくてはなりませんでした。彼らの考えたことは、神のもとにおける新しい国であり新しい教会でありました。

 神様主義は国境と宗派を乗り越えるもの

 彼らが主張し、彼らがつくらなければならなかったのは、国境を越え旧世界の社会秩序を越えた神の名における新しい教会であり、神の名における新しい国家でありました。

 彼らは、新しい教会新しい国家を建てるという考えによって動かされました。その思想は、他ならぬ神様主義でありました。その思想によって独立が可能でありました。

 独立戦争において、勝利をもたらしたのは、このような思想でありました。私達は、神様主義といいましたが神様は、特定の宗派、キリスト教さえをも中心としているのではありません。神様は、メソジスト派フレスビテリアン派その他キリスト教の宗派を中心にしているのでもありません。

 では、神様主義とは何でしょうか。神様主義というのは、諸宗派キリスト教の宗派を乗り越えたものです。神様主義、神の思想というのは国境を越え、人種の差を乗り越えているのです。

 それでは、神様が諸宗派間の争いを考えたのでしょうか、それは、宗派の教えであり、(人種差別主義であり)神様主義ではありません。神様は、全世界を救い、すべての民族が一体となることを見ることもできません。この国の建国精神を見る時に、それが国境を越えたものであることがわかります。しかし、今だに諸宗派間の壁を取り除くことはできないのです。

 この国にはメソジスト派とか長老派とか教多くの宗派が存在しています。この点においてアメリカ史上、私たちの義務、使命はこの大陸に神の名のもとに一体化し神の国を建設できるように諸宗派間、諸民族間、諸国家間の壁を打ち破ることであります。


 御旨と人間の意志とのへだたり

 それでは、諸宗派間の壁を打ち破ることと、諸民族間の壁を打ち破るのはどちらが先ですか。(国家間の壁を取り除くことによって動機づけられています。国家間の壁を取り除いた後、私たちの仕事は、諸宗派間の壁を取り去ることにあります。

 もし、私たちが諸宗派間の壁を取り去ってしまえば、国家間や民族間の壁を取り去ることは容易であります。アメリカ史上初めにメソジスト派、長老派などキリスト教諸派の国会議員がその当時諸宗派間の壁を打ち破って統一国家を築くために一体化していたならば、統一をなすことはもっともっと容易であったでありましょう。この国の建国精神は、神のもとにおける一つの国家ということでありましたが、それは弱められこの社会から根こそぎにされて、忘れられようとしています。

 あなたがたの先祖がこの国を建てた理由は、宗教の自由を得るためであり、すべてのことが神の名において、教会の名においてなされるためでありましたが、このような事はこの国の政府においては見られなくなりました。

 彼らは、神の名においてではなく、国民の名において、アメリカの名において語っています。それ故、神の御旨とこの国の意志にはギャップがあるのです。この国を建てた神の御旨と国民の意志の間には、大きなへだたりがあります。したがって、もしこのような状態がそのままつづくならば、この国は、必ずや滅びる運命にあります。

 ここアメリカ建国二〇〇年祭で、この偉大な国の第三世紀目を迎えて社会の内部をながめてみると、将来における希望と光よりも、暗黒と絶望が広がっています。よくご存知だと思いますが、フィラデルフィアにおいて、ワシントンにおいてさえも、共産党の式典である。いわゆる人民の二〇〇年式典が行なわれようとしています。

 これは何でしょうか。共産党のアメリカ建国二〇〇年祭は、神考えたことでしょうか、あなたがたは、世界中の国々から船がやって来たり、三〇トンの花火を打ち上げたりする光景を目にするでしょうか。これらは、本当の意味で神の名においてなされるのでしょうか。それともそうでないでしょうか。

 あなたがたも知らず、この国の国民も知らずに、三〇トンの花火のための材料は中共の毛沢東から送られて来たのです。

 神の立場から見るならば、神は二〇〇年前に、神の摂理の四〇〇〇年歴史を蕩減復帰するために建てた、アメリカがこのようなことになることを願われたと思いますか。このようなことをごらんになろうことを望まれたと思いますか、神は、この式典が神の名において、おこなわれ、この国の過去の歴史を神の名において完結して、この国が新しい世紀、第三世紀を願っています。

 二〇〇年歴史の完結のために

神の名においてすべての国家の壁のほか宗教や教派の壁を乗り越えて始めることを望まれるでしょう。神は、どうか私達を神のもとに帰して下さいという叫び声を聞き、神の名において二〇〇年式典が行なわれることを望まれています。

 神は、この国からそのような叫び声が起こることを望まれているのです。私は二〇〇〇年歴史を蕩減復帰するためにこの国を立てられた、神の蕩減の重大さを知っており、この国の二〇〇年祭の重大さを完結するために、六月一日と九月十八日の間にこの国の二〇〇年式典の日を祝いたいと思うのです。

 私たちは、ほかにも式典が行なわれることを知っていますが、私たちは神の御旨にかなうように行ないたいと思います。それ故、私たちの式典が内的な意味において、最も重要だということになります。わかりますね。(はい)

 数は少いけれども私ちは、ここにおいて、国家の諸民族の壁を乗り越え、宗教や宗教の壁を乗り越えての二〇〇年祭を祝うのです。そうですね(はい)。

 私たちの見方によれば、アメリカ史は、神の御旨と一体とならなければならず、私たちはアメリカ史を完結してこの国の二〇〇年祭を神の名において祝わなければなりません。ワシントン、フィラデルフィア、そして、ニューヨークでの祝典は、たとえ忘れさられても、私たちが、ここで開く祝典の意義をけっして忘れてはなりません。

 私たちは、この国が神の御旨に一体化するために、三世紀に入って神が神の復帰摂理を完結することを望み、私たちはいかなる犠牲を払っても、この国を建国精神に立ちもどらせなければなりません。

 衰え行くアメリカ

 もし、この国の人々が衰退の道をたどるとすれば、神は地獄に向っていることになります。しかし、私たちは、この国を建国精神に立ちもどらせ、永遠の繁栄をすることができる本来の道にもどさなければなりません。わかりますか(はい)。

 あなたがたは、神がこの国を去りつつあり、神がこの国の教会を去りつつあるということを知らなければなりません。なぜあなたがたから神が去りつつあるのでしょうか。それは神の御旨とアメリカ国民との間に、さらには、神の御旨とアメリカの教会との間においてさえ一体化したことがないためです。寝てもさめても、あなたがたの先祖は、この国を建てるにあたって神の御旨が実現化されることを考えていました。

 ですから少なくとも、ここアメリカに建国精神に立ち帰るように働きかけるグループが立ち上らなくてはなりません。そして彼らは、寝てもさめても、先祖の建国精神を相続して、神の御旨がこの国においてなされるように、考えなくてはなりません。

 さもなければ、この国は、滅亡する運命にあるのです。その他にいく道はないのです。ごらんのように、この国の国民や、この国の政府と神の御旨の間にはギャップがあります。

 そして、アメリカの政府や世界中の国々の政府は、異なった目的や異なった目標において異なった利益を持っています。神がこの国を建てたのは、教会や宗教の自由のためである、この国を通して、他の国を救うということでありました。しかし、神がこの国を中心とするこの二つの目的はともに消滅してしまいました。

 アメリカは、今や教会と世界を失ないつつあります。それは神の御旨ではありません。今から、アメリカは神の御旨において教会を救い他の国を救えるような国にならなければなりません。

 今そのような状態になっているでしょうか(いいえ)。第二次世界大戦が勝利に終わった時、神は、アメリカが神の御旨において世界を指導することを願われたのです。しかし、この国の人々はその点においても誤まりを犯したのです。

 それ故に、この国の人々は教会を失ない始め、教会の基礎を失い、神のもとにおける世界国家を失なったのです。それ故、あなたがたは危機に直面しているのです。反対に世界の国々が「ゴーホーム、ヤンキーズ」といって、アメリカを追い払っているのです。そのような迫害や拒否に会っているのです。それを知っていますか。

 責任をとるのは誰か

 宗教と政府との間にはへだたりがあるのです。あなたがたの政府はあなたがたの国(あなたがたの国民は)どうですか。上り坂にありますか、それとも、下り坂でしょうか。もしアメリカ政府、アメリカの教会さえもが責任を取ることができないならば、誰かが責任を取らなければなりません。誰がしますか。あなたがたにできますか。どのようにすれば責任を果たすことができるでしょうか。

 神が私たちの側にいらっしゃっています。ですから私たちが神の名のもとにおいて、私たちが国家の壁や宗教の壁を乗り越えようとする時、私たちは、私たちの仕事を果たすことができます。

この国の建国精神に立って、国家間の壁や宗教間の壁を乗り越えて、もし私たちがそれを再生させて、この点から出発して、神のもとにおける一つの国民ではなく、神のもとにおける一つの世界を作らんとしてこの国の第三世紀目に入るならば、もし私たちがそれらの問題を解決しようとするならば、神が私たちとともにあり、私たちの目標を達成することができるのです。

 この建国二〇〇年の記念日にあたって、このアメリカは、一つの国家の基準を乗り越えて神のもとにおける世界というスローガンを声たかく掲げて、神の御旗をかけなければなりません。そうでなければこの国は滅びつつあります。

 誰がその仕事を果たしますか。アメリカ政府に期待できますか、(いいえ)、アメリカの教会がそれをなすと期待できますか、誰がそれをしますか、(私たちです)あなたがたにそれができますか。

 アメリカ政府とアメリカの全国民は、私たちを迫害しようとしています。それでもなしていくことができますか(はい)。

 神のもとに帰るということが唯一の方法です。それが神の御旨だからです。神の目から見るらば、メソジスト派も長老派も洗礼派も、その他の宗教もありません。

 神の唯一の御旨はそれらの諸宗派が一体化することであります。神様主義だけが適用されるのです。神様主義とは何ですか。それは世界を救うということです。世界を救うためには、必要であれば、私たちは、このアメリカという国家を否定し、アメリカの国民や教会さえも否定しなければなりません。国家を救い、世界を救うためには、私たちは、統一教会の食口は、私たちの教会と教会のメンバーさえも否定しなければなりません。

 教会の食口には、アメリカの国民の代表し、教会は、アメリカの教会を代表しています。したがって、私たちは、両方とも否定しなければなりません、それができますか(はい)。

 私たちの準備

 統一教会においては、韓国人もアメリカ人も日本人もヨーロッパ人もありません。ただ神のもとにおける民だけであります。キリスト教の宗派も、他の宗派もありません。民族もありません。私達は、神の子であります。そのようにできますか(はい)。この世においては、この二〇〇年を祝うために人々は気狂いのようにおどったり歌ったりしていますが、私たちは、この国を救うために、もっと困難な道を通過しなければなりません。その準備ができていますか(はい)。

 あなたがたの体は小さいけれども、もし、この国において神の御旨をなすために、この偉大な目的のために自らを献げるならば、手を上げてみなさい、ありがとう。レバレンド・ムーンは、アメリカの教会、アメリカの政府やアメリカの国民に迫害されていますが、神の目から見るならば、どちらが正しいでしょうか。

 あなたがたは、本当にそう思っているのでしょうか、それとも私があなたがたにイエースと言わせようと脅迫しているのでしょうか。本当に神が私を支えていると思いますか(は)。もし、あなたがたが本気でイエースといったならば、迫害し屈辱を与えんとする嵐や台風があなたがたを襲ってきたとしても、あなたがたは完全に一体化しなければなりません。いいですね(はい)。

 ここに、私たちは黒人、白人、黄色人の間に強力な一体化を成して、国家の間を乗り越える世界中のどのような力も、私たちの一体化を崩すことができないようにしなければなりません。たとえ、彼らが私たちを打ち負かそうとしても、彼らが粉みじんとなるでしょう。しかしそれは私たち自身の力ではありません。そうですね。(はい)もし、全世界が私たちを打ち負かそうとしても、私たちは、それに耐え忍び私たちの目標を果たすことができるのです。たとえば壁の上にくぎが立っているとします。私たちは、壁をたたこうとします。くぎは私たちの力によって、飛び出てしまいます。それは、私たちがくぎによって突きぬけられるためではありませんね。(はい)

 もし、巨大な力があなたがたにおそいかかってきた時に、あなたがたは、くぎの役割を果たし、その固まりを突きぬけることができますか。(はい)

 私はすでにその準備ができています。たとえ、全アメリカが私におそいかかり、全世界が私を拒否したとしても、私は生き残ります。

 神の声に敏感であれ

 人類の歴史は、真夜中暗やみを通過していますが、たそがれ来るときには、人々は、レバレンド・ムーンの成したことを神の御旨において正しいことと悟るでありましょう。あなたがたは強く勇気を持たなければなりません。全イスラエルが荒野で死につつある時、モーセが年を取りすぎて死ななければならなかったため神は、ヨシュアとカレブを召命なさいました。

 そして、その時神は、彼らに強く雄々しくあれと語りかけられました。シナイの荒野で当時、イスラエル民族はなくなりました。しかし、私たちは、第二イスラエルにならなければなりません。そして私たちはすべての力が私たちを拒絶せんとしており、再び荒野の中に立たなければなりません。

 今、アメリカのすべての人々は危機に直面した第二イスラエルです。その中から、ヨシュアやカレブのような人々の群れを(神は)召命し、これらの人々に対してヨシュアやカレブに対したのと同じように強く雄々しくあるようにと叫びかけ、はげまされるのです。その声が聞こえますか。カナンという新天地を目の前にしながら第一イスラエルは滅亡せざるを得ませんでした。

 この世界の腐敗と危機の中にあっても私たちは、ヨシュアやカレブのような役割を果たしながら神の民として立ち上がっています。そして私たちは、強く雄々しくあれという神の声に対して敏感で注意深くなくてはなりません。あなたがたにはそれだけの強さと勇気がありますか(はい)。

 私は、あなたがたが神の意図にかなうことを願っています。全世界が神の御旨にかなっていない時、神のアメリカに対する希望が果たされていない時には、アメリカ国民は神を絶望し暗やみの中に追いやっているのです。

 しかし、ここに神の視点において立ち上がったグループがあり、神が私たちのグループに希望をたくして、私たちは神の復帰摂理の過去の歴史を結合して、アメリカのこの第三世紀と世界の未来を、神の御旨にかなうようにしなければならず、それをできるのは私たちのグループしかいのです。

 それを実現するために私たちのグループに希望をたくされているのです。人々が絶望し、神に対して感謝の心がないのに対して、私たちは、自分たちが与えられた使命に対して、神に感謝しなければなりません。

 反対があったら神に近づく

 あなたがたの両親は、あなたのしていることに反対しています。すべての教会が私たちに反対していますそれについて私は次のように考えるのです。反対や迫害には意義があります。あなたがたの両親からなされている反対や迫害においては、あなたがたは、真の父母とより一体化するように動機づけられています。もし、あなたの国と人々が私たちの運動に対して反対するならば、あなたがたは、国家以上に、そして既成教会以上に強くなるように立ち上り、試みられなければなりません。

 反対は必ずしも悪いものではありません。私たちがそれによって成長すればいいのです。したがって、私たちはそれに対して感謝しなければなりません。そうすれば私たちは最も強いグループとなり、神がともにいて、よりよい自分をつくることができるのです。

 私たちは、自分たちが最も困難な時代に生きているということを悟らなければなりません。そして、国家が私たちの運動に対して反対することによって、神は、国家に対する祝福を私たちに相続させようとしているのです。

 教会が私たちの運動に対して反対することによって、その祝福が与えられ、どのようなグループでも私たちに反対すれば、それらの祝福が私たちに与えられるのである。迫害されればされるほど祝福がそれだけ与えられるのです。従って、伝道や経済活動において一生懸命努力しなくてはなりません。そして人の言うことを聞くときには、その人が教会のメンバーになるように愛のこもった目でながめなくてはなりません。

 人々は私たちが気が狂っていると思うでしょう。しかし(このようにして)私たちは気が狂っているのではありません。もし私たちが気が狂っているのであれば、私たちは、神の御旨のために気が狂っているのであります。

 私たちがたとえ正気でなかったとしても、神の御旨のためであれば、神にとがめられることも罰せられることもありません。そのように気が狂ったとしても、神は、私たちと一体化するために私たちを選ばれたのです。私はそれを確信しています。(拍手)

 九月十八日にすべてが一体となること

 この国の建国二〇〇年を祝うならば、私たちは、この日を神の御旨を相続し、この国と世界が神の御旨を成しとげるように、内的な意味において祝うようにしなければなりません。私ちは、この世における世俗的なことに対して、つんぼで、盲目でなければなりません。私たちの心の中の望みは、この貴重で偉大な日において、神の御旨をなすことであります。この祝典をすぎると私たちに残されたのは、ワシントン大会です。そして、この大会がこの国を世界においてアメリカ建国二〇〇年祭を終結することになります。

 私は、統一教会が、神の前において、それが受け入れられ、この国と世界の人々によって受け入れられ、歓迎され、人類の歴史においてこのようにして、忘れられるということはないと思うものです。

 私の望みと希望は、それが神とこの国の人々とレバレンド・ムーンとそのグループが、一体となって九月十八日を祝うということであります。これが私の願いであります。レバレンド・ムーンがたとえいなくとも、神の望みと願いは、アメリカ政府とアメリカ大統領自身が第三世紀目にあたり、この国と世界を救うという決意をなして建国二〇〇年を祝うということでありましたが、しかし、これが成されそうもないため、神は、それを成し遂げるために私を立てられたのです。

 神の本来の御旨は、この日を神を中心として、この国の政府と、国民と大統領と教会が一体となって祝うということでありました。しかし、実際はそのようになっていないので、神は、私を立たせました。私は、建国二〇〇年祝典をそのように勝利したいと望んでいます。

 あなたがたは、世界の中の数多い教会と、神の御旨を代表しているということを悟らなければなりません。そしてそのような責任と新しい決意を持って、この日を祝うものと思います。

 あなたがたは、世界と栄光とか比べて、たとえられるのではありません。しかしもしあなたがたが、神の御旨とこの国と世界をこの祝典に代表しているというあなたがたの責任を悟るならば、あなたがたは、全世界の誰よりも重大であります。私は、あなたがたに、この貴重な祝典の日に、自分の存在の重大さを悟ってほしいのです、この祝典の偉大な日に私は、あなたがた自分をささげることを願うものであります。

 神の権威において、あなたがたは、生きた供え物として自分を犠牲にささげるようにしなければなりません。このようにしてあなたがたは神の御旨において世界を代表することができるのです、このようになすことを願うものです。このようになすことによって、神が私たちと共にあり、この日を祝うことができるのです。そして、神の願われる勝利は私たちの力によって成されるのです。

 その勝利は、ワシントン・モニュメントのもとで成されます。そして、私たちは、自分の努力を九月十八日に集中しなければなりません。忘れずに、私たちは、ワシントン・モニュメントをめざして前進しなければなりません。これこそ神の御旨の方向であり、アメリカの方向であり、きょうの朝の題目であります。私は、どのような犠牲を払っても、前進し、目標に到達したいと思います。もし心がまえできているなら、神の前に手を上げて誓いましょう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.09.11 22:37:10
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