4347682 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇  知  外  記

PR

X

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Recent Posts

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Archives

Comments

tomy4509@ >ほふられた子羊さんへ 引用み言全体は「御旨と世界」に掲載され…
tomy4509@ Re[1]:独生女考(18)-- タマル以降も次子を愛された神様(01/13) 隠密部隊さんへ タマルが何故に義父・ユ…
隠密部隊@ Re:独生女考(18)-- タマル以降も次子を愛された神様(01/13) タマルが遊女となってユダの子を宿す。こ…

Calendar

Headline News

2021.09.23
XML
​​​​​​​​​​​​​​​​「歴史的父母の日」

1977年4月18日
ニューヨーク・マンハッタンセンター


  喜びの宣言の日

 きょう私たちは、十八回目の父母の日を祝っていますが、「真の父母の日」を祝賀している団体は、この世界中に私たちだけです。統一教会では、「父母の日」「子女の日」「万物の日」「神の日」を四大名節として重視し、天地の新生を記念するものとして祝っています。しかし本来、人間の堕落というものがなかったならば、これらの四つの祝いの日は別々ではなかったはずなのです。

 人類始祖たるアダムとエバの二人だけは、この神の日、父母の日、子女の日、万物の日というべきものを祝ったでしょうが、その後孫は、こうしたすべての勝利の基台がつくられた一日だけを、合わせて祝えばよかったはずなのです。言い換えれば、アダム、エバの子孫たる私たちは、それらの四つの日の基台の上に生まれてくるべきものであったということなのです。しかしながら堕落によって、この地上にはそのうちどれも達成されなかったのであります。そのために神様にとっては、喜びの日が一日もなかったというのです。喜びがすべて失われてしまったために、祝うべき神の日も、父母の日も、子女の日も、万物の日もなかったというのです。そして万物も人間も、共に苦しみの中におかれるようになってしまいました。それでも何とか創造本然の世界を復帰せんと求めてきた歴史でしたが、今日まで復帰は成されないままにきたのです。

 この世界には数多くの祝日や休日がありますが、それらは、サタン主権下にある堕落した人間が祝っているだけであって、神が祝うことができる祝日ではないことを知らなければなりません。例えばあなた方も、誕生日や結婚記念日を祝うでしょうが、それらは果たして堕落世界の水準を越えるものでしょうか。依然として堕落した水準にとどまっているのではないでしょうか。では、神と人類が共に祝うことのできる日とはどのような日のことをいうのでしょうか。それは決して、あなた方自身の誕生日や、結婚記念日や、あるいはあなたがたの国の独立記念日といったような日ではありません。

 歴史を通して人類が待ち望んできたのは、神が喜びを宣布することのできる一日でありました。それが「神の日」であり、「父母の日」です。そしてこの日が神の喜びの日として宣布されれば、自動的に子女の喜びの日、万物の喜びの日も宣言されたでありましょう。しかしこれまでの歴史において、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を祝う者は誰もいなかったというのです。しかし本来一年、三六五日の中で最も重要な日は、神をたたえ、神御自身もその喜びを宣言する日、すなわち「神の日」であるべきです。この世的にいえば、それは「王の王の日」とでもいうべき日なのであります。

 そしてきょう、私たちは父母の日を祝っています。本来の私たちはそのような日を祝うに値しない者たちではありますが、ただ真の父母に出会ったということによってその恵みにあずかっているのです。この日は喜びの日ですが、しかし同時にまた、悲しむべき日でもあります。なぜなら、この日の意義を知って、この日を祝っているのが、私たちのようなほんのわずかな者たちでしかないからです。そしてまた私たちがこの日を祝っているこの環境が、依然として堕落した世界であることも悲しいことです。

  愛の病気

 人間が堕落したのち、堕落人間を創造本然の状態に復帰するために、神がどのような過程を通ってこられたかを考えてみましょう。堕落によって二つの結果がもたらされました。第一は、神の権威が失われたことであり、第二は、人類が本来あるべき位置と状態から離れて、地獄の状態に堕ちてしまったことです。

 人間が堕落すると同時に、天使界も堕落してしまい、さらにまた、万物世界も苦しみの状態におかれるようになってしまいました。言い換えれば人間の堕落によって、すべてが病気の状態におかれるようになってしまったのです。病気になった者は、自分で自分を治すことはできず、医者がなければなりません。それは誰でしょうか。病気の状態にある人類を救う能力と意志をもっておられる方は、ただ神だけであります。

 堕落して病気の状態にある人間が、本来の健康を回復するには、堕落したのと反対の経路を通らなければなりません。だから救いというのは、本来の位置と状態へ復帰することであり、神の立場からは人間を救うことですが、救われる人間の立場からは、創造本然の状態に復帰することになります。

 もう一つの重要な原理は、堕落人間が復帰するためには蕩減を支払わなければならない、ということです。例えば、病気の人が病気を治してもらいに医者の所に行けば、苦い薬を飲まされたり、痛い注射をうたれたりします。たとえ嫌であっても、病気を治すためには我慢しなければなりません。本当に効く薬は、普通苦いものであって甘くはないものです。堕落人間は、病気にかかった患者のようなものなのですから、健康な状態に回復するためには、それなりの苦しい過程を経なければならないというのです。

 堕落によって人間は、どのような病気になってしまったのでしょうか。堕落人間の病気とは、「愛の病気」です。すなわちサタンを中心とした愛によって、サタンの虜となり、サタンの血統を受け継ぐようになってしまったことが、堕落人間の病気なのです。言い換えれば、堕落の結果すべての人間は、サタンの血統をもった、サタンの子として生まれるようになってしまったということです。

  自己中心という病源

 では、この「愛の病気」は、どのようにして始まったのでしょうか。この病気の始まりは、そもそも自己中心の思いによってもたらされました。自己中心こそが堕落の動機となったのであります。自分を中心として考え、自分を中心として愛を求めようとしたことによって、堕落がもたらされたのです。

 自己中心の愛が堕落をもたらしたのですから、復帰するためには、神を中心とした愛、すなわち自己中心でない愛を求めなければなりません。エデンの園においてアダムとエバと天使長が、自己中心ではなく、神を中心として愛し合ったならば、堕落はあり得なかったことでしょう。この地上で自己中心でない愛、神を中心とした愛をもって、互いに愛の関係を築いた人々が最後に行く所が天国です。これが神のみ言たる原理の基本の基本であります。

 あなた方は自分を愛しているでしょうか。愛しているとしたら自分中心にでしょうか、神中心にでしょうか。一日二十四時間、あなた方は、神を中心として自分を愛していると言えるでしょうか。そう言えない者は、天国へは行けないかもしれません。そういう者は自分に対する束縛から自己を解放する必要があるのです。それは、あなた方が毎日行わなければならない熾烈な闘いであり、その闘いに勝利しない限り、天国に行くに値する人間にはなれないのです。

 もし、あなた方が他人から打たれたら、その人を打ち返すというのが、人間の本性からいって当然のことに思えます。しかしそのような時にもあなた方は、我慢しなければなりません。弱いからではなく神の名において、神の子女たるにふさわしい者となるためには、我慢するほうが良いというのです。

 イエス様は四六時中、神のことを考え、神を中心として生きた方です。だから他人からどのように攻撃されても、サタンに支配された堕落人間がするような仕方で、対応しようとはされなかったのです。イエス様が敵を讃美し、迫害する者のため祈った時、イエス様はサタンのすべての讒訴から解放され、神のみ座と直結することができました。そしてそこから救いのみ業を発揮することができたのです。

 サタンはいつも、人間を自らのほうへ引きずり込むため、人間の中に鉤がないかと探しているのです。普通の人間は、至る所に讒訴条件があるので、サタンはたやすくそれを見つけることができます。しかしイエス様という人は、どこを探しても、サタンが引っ掛けることができる鉤をもっていない方でした。だからイエス様はサタンの讒訴から完全に自由となって、神と一体化することができたのです。イエス様がそのようにしてサタン世界を越えて、神と一つになったからこそ、神はイエス様を百パーセント用いることができたのです。

 それゆえに神はサタンに対して、「サタンよ、お前は私の子イエスを十字架につけて殺したのだから、私は私でイエスを復活させるのだ」と堂々と主張することができました。かくして神は、サタンに対して何の遠慮もなく、自分の力を行使して、イエス様を復活させることができました。このようにイエス様の勝利によって、イエス様を通して新しい世界、新しい秩序、新しい生命が生まれるようになったのです。

 だからこの原理によって考えるならば、人類の救いのためにメシヤが再び来られる時も、その方は、栄光の中に来られるのではなく、むしろ惨めな中においでになり、神がそうされたごとく、すべてを耐え忍ばれて、最後に勝利の栄光を実現されるに違いない、ということが分かるのです。だからそのように、忍耐の道、苦労の道を教える宗教は、どのようなものでもいずれはメシヤに到達するのです。

  統一の本義

 では、統一教会とは何でしょうか。「統一」という言葉は大きな言葉です。この言葉のもとに私たちはすべての宗教を一つにすることを願っています。すべての人々を神のもとに帰するために、私たちはすべてを許し合って一つにならなければなりません。それが「統一」という言葉の意味するところです。だから統一教会は、メシヤ的な道を歩まなければなりません。それは安易な道ではなく、苦労の道であり、惨めな道です。始めから終わりまで、人類の最も惨めな最低の状態を通過していく道です。言い換えれば、統一教会は真に「世界の宗教」としての責任を負って行かなければならないのです。

 私たちが、今こうしてここにいるのは何のためでしょうか。それは統一教会のためではなく、世界、天宙のためです。統一教会は正に神と人類のためにのみ存在しているのです。私たちは神の直接の擁護者として、何よりもまず神のため、そして人類のためにある存在です。神がそのように考えておられる以上、私たちもそのように考えなければなりません。私たちは、今苦労と迫害の道を通過していますが、それは私たち自身と私たちの教会のためではなく、神と神のみ旨のために苦労しているのです。私たちがそのように考えない限り、決してサタン世界を乗り越えることはできません。

 この世は、すべてが自己中心的にできています。だから、私たちがこのサタン世界から自らを解放するためには、百パーセント、絶対的に、この世とは異なった生活様式、すなわち、自己中心的な生活ではなく、神中心の生活をしなければなりません。そうすることによってのみ私たちは、このサタン世界から自らを解放することができるのです。

 あなた方が伝道に出かける時、もし、「ああ疲れた。自分はどうもこの仕事には向いていないから、どこかで休んでいよう」などと考えたとしたら、それはとても神を中心とした考え方であるとはいえません。多くの人が、「統一教会のメンバーはよく働く」というかもしれませんが、神の立場からすれば、まだまだ決して十分とはいえません。たとえあなた方がこれまで忍耐して一生懸命頑張ってきたものとしても、ここで音をあげてしまって、“ああ、もう疲れた、もう自分の道を歩もう”と考えたり、さらには、神や統一教会のことを悪く考えるようになったりしたら、サタンはここぞとばかりにあなた方の中に鉤を見いだして、引っ掛け引きずり込もうとするでしょう。

 だからもし、疲れ果てて、もう駄目だと思ったら、“神様、あなたは私よりも、もっと苦しんでおられます。主は私よりももっと苦しんでおられます。私が今このようにして、いるだけでも感謝であります。命ある限り、体の中の血が最後の一滴になるまで、私はあなたのために行きます”というように考えるのです。あなた方がこのように考えて感謝するならば、背後にいるサタンは、あなた方を捕らえる鉤を見つけることができず、あなた方も、イエス様と同じようにサタン圏を乗り越えて、神と完全に一つになることができるのです。

 これが神の基本的な原理なのです。だから、苦労が多くなればなるほど、困難が多くなればなるほど、私たちがサタン圏から解放されて、神の主管圏に近づきつつあるしるしである、ということをはっきり知らなければなりません。

 先生の十字架

 今の期間、すなわち一九七六年から一九七七年六月までの期間は、このような意味で、サタン主管圏から私たちを解放する路程の最後の段階なのです。この期間は非常に重要な問題です。アメリカ議会のある消息筋によると、現在、統一教会に関する賛否両論の見解が、多くの人々から寄せられていて、国会議員たちは、そのことで、まるでウォーターゲート事件の時のように忙しくしているとのことです。

 だから私たちは、正に世界的な問題になっているというわけです。今に全世界が、私たちに反対して立ち向かってくることでしょう。いわば私たちは今世界を双肩に担わなければならなくなるのです。だから時間がないのです。私たちの敵は世界的です。彼らは世界中で私たちに反対しているのみならず、時には非常に汚い手を使います。例えば彼らは、その勢力下にある者を、善良なる人間であるかのように装って統一教会に入会させ、そして統一教会の会員として、様々な問題を引き起こさせるのです。そのようにして統一教会の会員が問題を起こしたことにして、統一教会と、レバレンド・ムーンの評判を悪くしようとしているのです。かわいそうなのは先生です。統一教会の外から数々の攻撃を受けるのみならず、内部からも会員たちの行為によって、先生が恥ずかしい目に遭わされるのですから。
 あなた方は、先生をどのように見ているのでしょうか。確固たる信念と、鉄の意志をもち、決して崩れない人間として見ているのでしょうか、それとも、臆病で、神経質で、弱い人間として見ているのでしょうか。先生は自分でも、単なる普通の人間とは思いません。先生は、ある意味では火のように激しい、極端な性格をもっていますが、それは正に神から授かったものです。しかしそれでいながら、あたかも骨のない人間のように、じっと打たれるままに我慢しているのです。

 誰をも呪わず、誰にも復讐しようとはしません。なぜならそうすることが、神の願いであることを知っているからであり、ただ神のみ旨を成就することのみを考えているからです。イエス様は、十字架上の死に際して、なお敵を許し、彼らの祝福を祈りました。しかし、レバレンド・ムーンは、この地上において、生きてこの世から打たれ、迫害される苦しみを通して、敵を許し、この世と、この世の罪人を祝福するという条件を立てたいと願っているのです。

 イエス様は、十字架について死することによって、サタン圏から自らを解放しましたが、先生はこの地上に生きている間に、それを完遂しようとしているのです。そこに大きな違いがあります。なぜ、そうしなければならないかというと、神は、この地上において勝利が実現されることを望んでおられるからです。全人類をサタン主管圏から解放することを使命としている先生は、したがって自ら先駆けて、この地上において勝利の基台を完成しなければならないのです。

  新しい日、新しい歴史

 そうしてそのための摂理の絶頂は、ワシントン大会の勝利によって乗り越えることができました。ワシントン大会の勝利ののち、今年の二月二十三日、御聖誕記念日に、先生は、天地を前にして特別なお祈りをして、この日から新しい日と新しい歴史が始まったことを宣言しました。正に新しい日と新しい歴史と言うのにふさわしい出発がなされたのです。

 それからまた、きょうは、十八回目の「父母の日」です。人間は十八歳になればもう大人であり、アメリカでは州によっては、十八歳で選挙権が与えられるところもあります。厳密にいえば女性が先に成熟して、十八歳で大人になり、男性は二十一歳で大人になるのです。だから十八回目の「父母の日」から、二十一回目の「父母の日」までの三年間は、本当に多くのことが成される期間となります。

 この期間は、私たちが統一教会の権威を復帰する期間となるでしょう。神は、何もレバレンド・ムーンと統一教会に対して、いつまでも、骨のない人間のように、打たれっぱなしで我慢していなさいと命令されているのではありません。条件が満ち、時が来れば、神は私たちに対して個人、家庭、社会、国家、世界のすべての基準において、神側の権威を宣言するように命じられるでしょう。これまでは私たちは堕落したサタン主管圏内において、忍耐してきました。しかし、いつの日か時が来れば、私たちの権威を宣言し、主張することができるようになることでしょう。
 長い神の歴史において、神はそのみ旨を真に実現してくれる人間が現れる一日を、待ち望んできました。だからもし現実にそのような人間が現れ、神に代わってサタンに勝利し、神の勝利をこの地上で宣言する時が来たとしたら、それは神の歴史において最も偉大な、記念すべき時であるといえます。先生は既にそれに勝利しました。だから、たとえ今死んだとしても、天の前に堂々と勝利者として立ち、勝利者の栄光を受けることができるのです。

  天の主権

 しかしながら先生が確立した復帰の公式は、サタン世界が残っている限り、引き続き適用されなければなりません。先生がサタン世界に勝利し、これを乗り越えたと宣言する時、それは先生だけが乗り越えたことを意味するのではなく、全霊界もまた、サタン世界を乗り越えたことを意味するのです。

 霊界は天使界に相当しますが、本来天使は、アダムの僕としてアダムに従うものとして造られたものです。だからアダムが行く所にはどこへでも、霊界がついてくるのです。この意味で先生は、今や全霊界を背後に従えているわけです。したがって神は、先生を中心として、この地上に新しい主権を宣言したことになり、これからはこの主権に反抗する者たちは、かえって損害を被るようになるのです。

 アメリカは偉大なキリスト教国です。しかし、もし、アメリカが、この天の主権に反対するようなことがあれば、アメリカはその時から衰退せざるを得なくなることでしょう。これまで二〇〇〇年間発展してきたキリスト教が、一九六〇年ごろからこれまでの約二十年間に、著しく衰退してきた最も根本的な原因は、実にキリスト教が、この新しい天の真理と主権に反対するようになったからです。キリスト教がこれを改めない限り、今後キリスト教文化圏がますます衰退していくのは避けられない運命です。

 だから結論としていうならば、もしキリスト教が、悔い改めて真理を受け入れるならば望みがありますが、そうでなければ、もはや希望がないのです。また、アメリカについても、もし悔い改めて真理を受け入れるならば希望があります。そうでなければ、今後ますます衰退していかざるを得ないことになるわけです。こういうことを聞くと、中にはそれはあまりに大言壮語である、と思う人がいるかもしれません。またこういう言い方を好まない人がいるかもしれませんが、こう言わざるを得ません。先生は真実をありのままに語っているにすぎないのですから。

  七年路程

 しかしながら、私たちは統一教会だけが栄えて、他の人々が滅んでいくことを願ってはいません。それは神のみ意ではないからです。神はあなた方に、この天の主管圏からこの世界に出ていって、そこに住む人々を救うために命を懸けて努力せよ、と命じておられるのです。だから先生もあなた方に、この世界に出ていって人々を救え、と命じざるを得ないのです。あなた方は、先生が歩んだと同じ路程を歩まなければなりません。先生は、この道を三十年以上歩んできましたが、あなた方もまた、安易な道ではなく、苦労の道を歩まなければならないのです。なぜなら、まだ蕩減条件を十分に立てていないからです。

 ではその蕩減条件をを十分に立てているかどうかを証明するのは誰かというと、それはサタンなのです。ですから、サタン世界に出ていって、サタンから蕩減条件が十分であることを証明するサインをもらってきて、それを神様に見せるのです。サタンが認めてこそ初めて、神様も認めることができるのです。こういうことから神には何の力もないかのように見える時があるのです。神は、何よりも人間自身が努力して、サタンに勝利してくるのを待っておられるのです。

 あなた方が先生についてきたいと思うなら、安易な道を選ぶべきでしょうか、それとも苦労の道を選ぶべきでしょうか。苦労して、神様と先生を愛するのと同じくらい、そしてサタンに認められるくらい、サタン世界を愛さなければならないのです。そのようにして初めて、神様からも神様を愛した、と認められるのです。しかしあなた方が、神様と先生以上に世界の人々を愛したとしても、神様も先生も決して不平は言いません。神様御自身がそうなるようにあなた方を導いておられるのですから。

 私たちが神様の前に出るためには、二つのものが必要です。第一は、霊の子女であり霊の子女をもつことによって、あなた方は霊界を解放することができます。第二は肉の子女であり、肉の子女をもつことによって、地上界を解放することができるのです。この二つを得るために、あなた方もサタン世界に出て行って闘わなければなりません。ですから普通、統一教会に入ってから最初の三年間は、霊の子女を復帰するために邁進しなければならない時であり、祝福を受けてからの約三年間は、肉の子女を得るための準備をする期間となります。

 ですから全部で七年間の路程を行かなければならないのです。天地創造のために七日間の路程があったのと同じ意味で、統一教会の食口は七年間の路程を行かなければなりません。三十六家庭であろうと、教会長であろうと、単なる会員でろうと、この原則には変わりありません。この路程を通過しない者は、先生に従う者としてふさわしくないのです。先生は今なお苦労の道を歩んでいるのです。

 今日、先生ほど真剣に、神のみ旨を考え、それを実現しようと努力している宗教家がほかにいるでしょうか。神のためには何ものをも恐れず、すべてを懸けて、神のメッセージを宣べ伝えようとしている人。それがレバレンド・ムーンその人なのです。

 今、この話を聞いているあなた方の中には、共産主義のスパイや、政府関係者や、マスコミ関係者がこっそり入り込んでいて、レバレンド・ムーンの話に何か問題となることがないかと聞き耳を立てているかもしれません。たとえ、そういう人がいたとしても、先生は何も遠慮することなく堂々と話します。もし言うべきことは言わなかったとしたら、神の命令に従っていることにはならないからです。

​ 真の父母になるまで​

 世界を真に復活せしめる者は誰か。それはキリスト教でも、ローマ・カトリックでも、まして共産主義でもありません。それをなす力と確信をもっているのは、私たち統一教会をおいてほかにはありません。それは正に私たちの責任であります。私たちの決意なのです。

 第十八回目の「父母の日」というこの意義ある日にあたって、私たちはいま一度、私たちの使命は何か、私たちは今どこに立っているかを深く認識しなければなりません。堕落によって人間は自己中心的になり、自己を中心として愛を求め、サタンの血統に生きるようになってしまったのですから、私たちがサタン圏から解放されるためには、まず私たち自身が、自己中心の人間から脱却しなければなりません。そうすることによって、私たちは善なる天使界に相当する立場に、立つことができるのです。

 次に重要なのは愛によって霊の子女を生み殖やすことです。霊の子女を育て、一人前に完成させることによって、あなた方もまた、完成した立場に立つことができるのです。このような霊の子女を少なくとも三名立てたとき、それを基台としてあなた方は、自分自身の肉の子女を生み殖やすに値する者となれるのです。

 神が、エデンの圏でアダムとエバを創造された時、神は一人で人間を創造されたのではなく、天使の助けをかりて、天使と共に人間を創造されました。同じように再創造である復帰の過程においても、私たちが自らを再創造するためには、神の助けと天使の助けを共に必要とします。そしてこれらの助けによって初めて私たちは、自分自身を、完成したアダムへと再創造することができるのです。そうしてのちに、自ら自身の子女を再創造することになります。

 これらの過程を通過するには、七年間が必要です。それゆえに、あなた方が完成に至るためには、三段階を通過することになるのです。第一段階は、堕落したサタン世界から分別することによって、復帰された天使の位置に立ちます。第二は復帰されたアダム、エバの位置に立つ段階です。さらに第三は、子女を生むことによって父母の立場に立つ段階です。子女がなければ父母となることはできません。

 私たち自身は、サタン世界の中に生まれてきたのですから、復帰されたとはいっても、完全にサタン世界から分別しているわけではありません。しかし、私たちの子女は、祝福によって神の血統の中に生まれてきますから、私たちもそれらの子女によって、より高い基準にまで高められるのです。ですからそれらの子女が成長し、結婚するまで、あなた方は本当に細心の注意と愛を注がなければなりません。

 ではあなた方が、サタンの血統圏から神の血統圏へ入籍した、と認められるのはいつかというと、真の父母によって祝福される時です。この世に多くの結婚が行われていますが、それらはすべてサタン圏の中での結婚です。私たち統一教会が、真に誇り得るのは、私たちの結婚は神のみ名によってなされ、それを通して、神の血統圏に入籍したと認められる祝福であるということです。

 私たちは祝福を通して、堕落と逆の経路をたどることにより復帰されるのです。先生はこの秘密を解明することによって、サタンの妨害を退けて堕落人間が神に帰る復帰の道を開拓したのです。こうしたすべての路程を開拓するためには、誰かが、人一倍苦労して、道を切り開かなければなりませんでした。先生はこの道を開拓して、復帰の公式を確立したのです。あとに続くあなた方はこの公式をよく理解して、それを応用して歩みさえすればいいのです。だから、復帰されるためには何が必要かというと、子女が必要なのです。サタン世界から最初に復帰されるときは一人ですが、完全に復帰された段階に到達するためには、子女をもたなければなりません。
 最初に必要な子女は霊の子女です。あなた方は、霊の子女を基台として祝福を受け、肉の子女をもつことができるようになるのです。それらの子女がどんどん生み殖えることによって、あなた方を中心として、あなた方の家系が拡大していくことになるのです。すなわちあなた方自身がそれぞれの家系における真の父母の立場に立つのです。

 先生の願いは、あなた方すべてが真の父母になってくれることです。これは単なる理論ではなく、先生自身が実際に歩んできた路程であり、この路程の公式が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと拡大していくのです。

  我らは正統中の正統

 先生はこれら一つ一つの水準において、自ら勝利することによって、サタンからの解放を宣言してきました。個人の解放、家庭の解放、氏族の解放、民族の解放、世界の解放、天宙の解放、そしてさらには、「神の解放」を宣言したのです。これまで悲しんで来られた神が、先生によってついに解放されたのです。これこそ恐るべきことではないでしょうか。あなた方にはこの重大な意味が分かるでしょうか。

 先生がこのようなことを言っているのをキリスト教の牧師が聞けば、きっと、“レバレンド・ムーンは異端だ”などと考えることでしょう。しかし、神の国から見て、どちらが正統で、どちらが異端でしょうか。レバレンド・ムーンの言うことこそ、「正統の中の正統」であることが、いずれ分かる時が来ることでしょう。

 私たちは、復帰の聖業をすべて、霊界と地上界の両面においてなさなければなりません。地上でなすべきことをしないで、霊界へ行った場合には、霊界から地上に降りて来なければならなくなります。先生は、ここではっきりと宣言します。「統一教会の食口は、三人以上の子女をつくらなけば、祝福を受ける資格がありません」。イエス様は、霊の子女を基台にして祝福を受け、地上に真の父母として立つことが願いだったのです。しかし、イスラエル民族の反対により、その願いを果たすことができませんでした。

 だからイエス様は、再び人間としてこの地上に再臨しなければならないのです。もしイエス様が、クリスチャンの多くが信じているように、雲に乗って天からやって来るようでは神の願いを果たすことはできません。それどころかキリスト教全体が、無力となって崩壊せざるを得なくなるでしょう。

 人間始祖の堕落は、決して霊界において起こったのではなく、この地上においてなされたのですから、復帰も、正に、この地上においてなされなければならないのです。天国は、まずこの地上において実現されなければなりません。イエス様は、天国建設の鍵をこの地上に残して行かれました。だから、マタイ福音書一六章に、「地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれる」と書かれているのです。この意味が分からなくては、聖書全体の意味を理解したことにはなりません。

 私たち統一教会は誇り高き存在です。私たちは神のみ旨を成就し、天国をこの地上に建設するために、神によって直接選ばれて集まってきました。私たちの使命は、この地上からサタンを追い払い、天地に神の栄光と勝利を宣言することです。「復帰の公式とは何か」について、もう、よく分かったことと思います。しかし大事なことは、その公式に従って「歩む」ことであります。今日のクリスチャンたちはある意味でこの点をあまりにも安易に考えています。彼らはただイエス様を信じさえすれば、それで自動的に天国に行けるかのように考えていますが、それはあまりにも安易な考え方です。神のみ旨は、そのようなことでは決して成就するはずがありません。神の見地からすれば、そのような考え方こそ異端です。異端は統一教会ではありません。終末が近づくと、すべてのものが混乱し、真実が偽りのように、偽りが真実であるかのように見えてきます。そうしたことが、正に今日起こっているのです。

 レバレンド・ムーンの統一教会は正しい真理を語り実践しています。それなのに外部の人々の多くは、先生が怪物か何かのように考え、マフィアよりも悪いと思っているのです。先生は科学も数学も勉強して知っていますし、科学的真理に基づかないでたらめなことをするような馬鹿ではありません。

  誰よりも我を愛せよ

 では、なぜ世界が統一教会に対して反対するのでしょうか。答は簡単です。彼らは私たちを恐れているのです。ユダヤ教とカトリックは過去二〇〇〇年間争ってきました。カトリックとプロテスタントは過去四〇〇年間争ってきました。それなのに統一教会に対しては、ユダヤ教も、カトリックもプロテスタントも、一致して反対しています。これを見て一般の人々は、レバレンド・ムーン一人に対して、ユダヤ教と、カトリックと、プロテスタントが一緒になって反対するからには、彼は大した巨人に違いないと考えているのです。

 また、このようにして、これまで相争ってきた、ユダヤ教と、カトリックと、プロテスタントが団結していることは、将来、神を中心として、これらの三つの宗教が団結する可能性があることを示しています。この点では喜ばしいことです。いずれにしろ、、レバレンド・ムーンと統一教会がなかったら、これら三つは団結することはあり得ないことでしょう。ここにも統一教会の役割があるといえます。

 私たち統一教会の食口が伝道に行く目的は二つあります。一つは、言うまでもなく、霊の子女を獲得することであり、もう一つは統一教会の親戚を復帰することです。統一教会にとって、プロテスタントは最も近い親戚ですし、その次はカトリックまたユダヤ教も、他の二つよりは遠いけれども、やはり統一教会の親戚です。また、信仰をもたない人々といえども、私たちにとっては遠い親戚です。このような親戚の人々を復帰することが、統一教会の任務なのです。

 あなた方が蕩減復帰の道を歩む中において、それはあくまで条件的なものであることを知らなければなりません。あなた方だけで蕩減条件のすべてを支払うことは不可能ですが、わずかな条件を立てることによって、復帰の道を飛躍的に進むことができるのです。ではどのような条件によって、それが可能となるのでしょうか。お金でしょうか、権力でしょうか、それとも知識でしょうか。永遠に変わらない条件とは何なのでしょうか。それは愛です。永遠の愛、これこそがそういう条件となるのです。

 イエス様はメシヤとして、二つの使命をもってこの地に来られました。外的使命と内的使命です。外的使命とは、王の王としてこの地上を治めることであり、内的使命とは、父母として人類を愛することです。イエス様といえども、権力によって真の父母となることはできません。では何によるかというと、それは愛によるのです。いかなる愛か。サタン世界のすべての愛を合わせたよりも、もっと高く、深く、広い愛です。イエス様はそのような愛をもっておられました。だからこそ、イエス様は人々に対して、「我を愛せよ。あなた方は自分の王、自分の父母、夫、妻、子供、恋人を愛するよりも、もっと、私を愛さなければ私にふさわしくない」と宣言されたのです。

 そのように、堂々と言うことができないようでは、メシヤとなる資格はありません。イエス様は真に、誰よりも大きな愛で人類を愛する方でありましたから、このように堂々と宣言されたのであり、その意味で、正にイエス様は、真実メシヤであられたのです。イエス様は、最高の愛で人類を愛する自信があったからこそ、そのように宣言されたのです。

  愛の貿易

 これはすなわち、当時の人々についていうならば、自分たちの王や家族以上の大きな愛でイエス様を愛したならば、彼らは、イエス様と共に天国を築くことができたはずでした。それと同じように、あなた方も、あなた方の父や母や兄弟や子供に対する以上に大きな愛で、主を愛するならば、あなた方は天国の市民になる資格ができるというのです。イエス様は、いわば愛の貿易のために地上に来られたようなものです。イエス様は、神の愛をもって来られたのですから、当時の人々は、彼らのもち得る最大の愛をイエス様に与えるべきでありました。人々にとって、これは決して損な取り引きではなかったはずです。なぜなら、イエス様を愛することによって、結局は、イエス様、さらには神の愛をも得ることができる立場にあったのですから。だからこそイエス様は「誰よりも我を愛せよ」と宣言されたのですが、当時の人々には、そのことの意味がよく分からなかったのです。そのために、イエス様は、あたかも大言壮語する者、神を冒涜する者のように思われ、ついには十字架にかけられるようになってしまったのです。

 メシヤたる者の道は、実にいばらの道であります。神は、正に不可能なことをせよと命じられるのです。それをしなければならないのがメシヤの役割だというのです。あなた方の中で、メシヤになりたいと思う者がいるでしょうか。メシヤたる者は、神の命令によって、普通の人の目には気違いのように見えることさえもしなければならないのです。決して生易しい仕事ではありません。それをなし得る力は愛の力だけです。真の愛は時間、空間、そして歴史を超越するからです。

 神は、愛を最高のものとして創造されましたから、真の愛は何ものにも支配されないのです。

 あなた方の中にいる中年の女性はお分かりになることと思いますが、初恋というものは、いくつになってもきのうのことのように、甘い思い出として感じられるものです。だから今でも、もう一度初恋の味に浸りたい、という思いをもつことがあるはずです。愛は時空を超越します。もし、恋人が南極にいたとしても、遠く離れているからといってそれだけ愛が弱まるものでしょうか。愛は、時間、空間によって限定されるものではありません。真の愛は何ものによっても変えられないのです。神すらも真の愛を変えることはできないのです。真の愛は、始めから終わりまで不変なるものです。

 例えばこの小さなハンカチが、ある愛する人の愛を象徴するものであるとしたら、その人にとってそのハンカチは、アメリカ大陸に勝る価値をもっていることでしょう。このように愛は、時空を超越するものであるがゆえに、愛のみが天国を復帰するための条件をつくることができるのです。

  真の父母を求めた歴史

 では真の愛、歴史的な愛を復帰するためには、神はどのような路程を経て働いてこられたのでしょうか。私たちはそれを知らなければなりません。人間の堕落によってすべてが、天使界も、万物すらも、創造本然の世界から堕落世界におかれるようになってしまいました。だから復帰とは、これらすべてを、神と一体化した状態に、もとがえすことでなければなりません。

 本来人間は、神に最も近い存在として創造されたにもかかわらず、堕落によって神から最も遠く離れた存在となってしまいました。したがって堕落した人間は、何かを通してでなければ神に帰ることができないのです。

 旧約時代には、万物が神と人間とをつなぐ仲介者となりました。人間は万物を供え者として捧げることによって、神につながろうとしたのです。このように旧約時代においては、人間は、万物を通して下僕の段階におかれていました。その後イエス様が神の子として来られ、下僕の立場にある人間を、神の子女の立場に復帰しようとされたのです。イエス様御自身は、神の子の立場から、人類の父母の立場に立つべき使命をもっておられました。だから聖書には、イエス様のことを「祭司長」とか、「神の子」とか書かれているのです。しかし、「真の父母」とは書かれていません。それはイエス様が、その段階まで到達することができなかったからです。イエス様の時こそ、人類が下僕の立場から、神の真の子女にまで一気に復帰される絶好の機会であったのですが、イスラエル民族の不信仰により、このみ旨は成就されなかったのです。そこでイエス様は、自らを供え者として捧げることにより、将来再臨されるための道を直くする条件を立てられたのです。これによって新約時代が始まりました。

 その後の二〇〇〇年間は、十字架上に供え物となったイエス様をメシヤとして信じることによって、人類が神の養子の段階にまで復帰することができる期間となりました。さらにまた、この期間は、将来、来られる再臨主を迎えるための基台をつくる期間となったのです。再臨主は人類の父母となるべく来られて、人類は再臨のメシヤを通して、神の真の子女として復帰されるのです。

  大いなる供え物の日

 イエス様が来られた時、イエス様を迎える基台として準備されていたのは、内的にはユダヤ教、外的にはイスラエル国家でした。再臨主が来られた時には、内的にはキリスト教、外的には自由世界が再臨主を迎え、これを支える基台とならなければなりません。キリスト教と自由世界が再臨主を迎えて、これと一体化するならば、共産世界を含めて全世界が、神のもとに復帰されるのです。復帰の路程においては、必ずアベルとカインの間に抗争があり、アベルとカインが一体化したときに、復帰摂理が推進されるのです。

 現在、統一教会とキリスト教、統一教会とアメリカ国家とが対立している関係にあります。もしこの三者、すなわち、統一教会とキリスト教とアメリカが一体化する道が見いだされるならば、世界の復帰は短期間になされ得るのです。しかしながら、現実には、キリスト教もアメリカも、私たちを歓迎するどころか、反対している現在です。もし、このまま反対し続けるならば、私たち統一教会は旧約時代、新約時代を蕩減復帰する基台を、自らの手によってつくらなければなりません。万物を復帰する時代に相当する旧約時代、子女を復帰する時代に相当する新約時代、父母を復帰する成約時代。この三つの縦的な蕩減復帰を今、統一教会は、横的に復帰する条件を立てつつあります。

 第一に統一教会は、今や自らの土地、建物、さらに、多くの部門の経済力を有しています。第二に、私たちは数多くの青年たちを神の子女として復帰しつつあります。第三に、私たちの運動の中に、既に祝福された家庭がたくさんでき上がっています。

 統一教会内において、万物と子女と父母という三つの要素が横的に展開されています。このように統一教会は、現代のこの時点において、旧約時代、新約時代、成約時代を象徴する、万物、子女、父母を一度に復帰する条件を立てつつあるのです。私たちは、これらを供え物として、神に捧げています。そして神がこれらを受け入れ、これに対して恵みを返してくださる時、天国がこの地上に実現されるのです。

 一九七二年に先生が、アメリカに来てからこれまでの期間に、先生は世界的な規模で、これらの万物、子女、父母を神に捧げる条件を立てることに成功しました。なぜなら、ニューヨークは全世界を象徴する所だからです。このニューヨークにおいて、土地や建物等の経済基盤と人材を復帰し、神に捧げたことは、世界的に、万物と子女を捧げた条件となるからです。また、全世界を象徴する供え物を捧げる条件とするために、ニューヨークにおいて投入されたお金と人材は、全世界の兄弟姉妹たちの血と汗と涙の努力によってまかなわれました。

 そして、この供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。一九七六年九月十八日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。

 このような意味でこの日は、復帰歴史上において、輝かしい勝利の日でした。全霊界が、勝利を宣言したのです。地上においても、神を愛するすべての人々が勝利を宣言し、祝うべきでありましたし、アメリカ自体が私たちと共に勝利を宣言し、祝うべきであったのです。しかし、アメリカはそれをなすことをしなかったのです。

  どれほど真剣だったか

 ワシントン大会を決行しようとする過程において、様々な障害がありました。多くの人々が、「ワシントンでそのような騒ぎをするのは、ためにならないから取りやめてはどうか」と進言してきました。統一教会の幹部の中にさえ、「財政的にも技術的にも、困難が多いから、今ワシントン大会を行うことは不可能だ」と言う者がいました。

 しかし先生は、断固として言いました。「これは先生の一生一代の勝負である。いかなる犠牲を払っても、成し遂げなければならない。私たちのもてるすべての力をこの勝利のために捧げなければならない。それは神のために捧げる供え物なのだ」と。

 先生は、ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。

 一九七六年九月十八日、大会が始まる前の先生の気持ちは、正に死刑囚が死刑を執行される日のように真剣なものでした。その数日前から朝食と夕食とを取り違えるほどに時間の経過すらも分からないほど、必死だったのです。九月十八日の大会は、正に復帰摂理歴史上における最大の善悪闘争の時であり、統一教会の浮沈をかけた一大決戦でありました。これに勝利するためには、何としても神と霊界の協力が必要です。しかし神と霊界が働くためには、何よりも人間が命懸けで頑張らなければならないことを、誰よりもよく知っていましたから、先生はそれこそ真剣だったのです。

 ワシントン大会に、多くの人々が集まり、雨も降らず、事故もなく、始めから終わりまで大会が見事に成功裏に行われたのは、正に神の力が働いたことによる以外の、何ものでもありません。人間の力だけでは不可能なことを、奇跡的に成し遂げたのですから、正に、神が働いたとしか言いようがないのです。

 ワシントン大会の時、一人の男の子が迷子になって行方が分からなくなってしまいました。ラジオやテレビでもそのことが報じられました。しかしその子は、三日目に無事に発見されたのです。それを聞いて先生は、このことは、神から離れてしまった人類が、必ず神のもとに復帰されることを見事に象徴している、と思いました。人類の復帰は必ず成る、と先生は確信したのです。

 このワシントン大会の成功は、実に大きな成果です。アメリカの歴史においても、一九七六年九月十八日は、レバレンド・ムーンが築いた最も意義ある日として記録されることでしょう。先生が太平洋を渡ってアメリカへやって来た時は、全く孤独でした。しかし先生は、神に対して深く祈り、必ず勝利すると誓いました。それから三年半後に、見事に、なすべき責任を果たしたのです。

 ワシントン大会の勝利によって、その後一九七六年十月四日を「天の勝利の日」と宣言し、さらに一九七七年二月二十三日には「天地の勝利」を宣言することにより、霊界と地上界のすべてが許され、解放されることが宣言されました。こうして新しい時代が出発しました。新しい天の歴史が出発したのです。そういう理由により、きょうの第十八回目の「父母の日」は、極めて意義深い日となりました。

  アメリカを救うもの

 以上述べたことにより、統一教会が先生を中心として、何を成さんとしてきたかが、よく分かったことと思います。なぜ、私たちが経済力を必要とするのかが、今はよく分かったでしょう。経済は万物を象徴しますが、その経済力がこれまですべて、サタン圏の支配のもとにおかれてきたのです。私たちは、これを神のもとに取り戻さなければなりません。そのために先生は、この世のいかなる企業の経営者よりも努力してきました。先生は、自分のためではなく神のみ名のために、経済においてもこの世の誰よりも勝るものとなって、神のかたきを討ちたいのです。

 先生は、あなた方、一人一人を心から愛しています。あなた方のすべてが、神の子女として力強く成長し、偉大な人物になってくれることを、切に願っています。キリスト教をはじめ、宗教が衰退しつつある今日、これらに代わって使命を果たすのは、あなた方において、ほかにはないのです。

 先生は韓国人であり、アジア人です。そしてここは世界一豊かな国、アメリカです。しかし驚くべきことに、アメリカにおいて私たちの運動を、ここまで発展させていくために費やしたお金は、アメリカのお金ではありませんでした。韓国、日本等の兄弟たちが貧しい中を血と汗と涙を流して、アメリカのために捧げたお金を用いたのです。先生はアメリカが、神の国に非常に重要な国であることを知っています。だからこそ、アメリカを愛するために、自分の国やアジアを犠牲にしても、アメリカのために尽くしてきたのです。

 それでは、アメリカの役割は何でしょうか。先生はアメリカに対しては、今までアメリカのために用いたお金を返せ、などと言うつもりは毛頭ありません。アメリカに対して願うことは、アメリカの富と人材を、真に世界のため、各地で苦しんでいる人々を救済するために用いてほしいということです。アメリカがこの使命を果たすならば、アメリカは永遠に祝福された、最も豊かな国として繁栄するでありましょう。

 愛こそ鍵です。愛こそすべてのものを結びつける力です。私たちは、愛によって、すべてのものを神にもたらさなければならないのです。そうすれば神も、私たちに祝福を与えてくださるでしょう。それによって地上天国が出発することになるのです。

 先生は、外部の人々が何と言おうと気にしませんでした。ただひたすら、使命を果たすことに努めてきました。アメリカに住む多くの人々が安楽な生活を楽しんでいる間も、私たち兄弟は清貧な生活を我慢してアメリカのために働いてきました。アメリカを救うために、何度も断食までしたのです。アメリカの若者の多くが、自己の快楽をのみ追い求めて、安易な生活をしている中を、先生は、あなた方に対して苦労の生活を強いてきました。先生は、アメリカのためには命さえも捧げる覚悟をしています。先生はかわいそうな人間です。ただひたすら神のために、このような道を歩まなければならないのです。神のおかげで今日のアメリカがあるのです。のみならずアメリカは、統一教会のあなた方のおかげでによって今日あることを許されているのです。

 先生は、あなた方を心から愛しています。しかし、現在の状況のもとにおいては、あなた方に優しくすることはできないのです。それは今日の場合、あなた方に対する愛の表現とはならないのです。むしろ残酷なまでに厳しくむち打たねばならないのです。あなた方が苦労してつくるお金は、一ドルといえどもアメリカ全体の富の代表であり、あなた方が苦労して伝道してくる人々は、一人一人がアメリカ人全体の代表です。

 先生は、このことを思うたびに神に対して、このように国を代表して神のために努力しているメンバー一人一人をどうか祝福してください、と祈らずにはいられない気持ちになります。あなた方の、もたらすお金の一つ一つに、あなた方の汗が込められており、あなた方が連れてくる一人一人に、あなた方の涙が込められていることを先生はよく知っています。それは、あなた方の血と涙と汗の苦労の結晶であることを。だからいかなるものよりも貴く、価値があるのです。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

​​​​​​​​​​​​​​​​​​






Last updated  2021.09.23 23:04:00
コメント(0) | コメントを書く
[文鮮明先生み言葉選集(講演文)] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.