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2021.09.25
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​​​​​​「苦難と栄光の座 真のお母様自身の証し」​
 
一九七七年五月三日
ご聖婚記念日に、真のお母様が米国・ベルベディアでご自身の証をされました。(韓国語版『愛の世界』より翻訳転載)


 主を迎える道

 お父様はきょう、あなたがたに、私自身の証と、十八回目の聖婚記念日に当たっての感想を述べるようにと言われましたが、もしあなた方が三度の食事よりもっとその証を聞きたいというのであれば、一日中でも話してあげましょう。

 先週の日曜日にベルベディアでお父様の説教を聞いた人は、真の父母をこの地上に迎えるために、何か特別な、天的、摂理的出来事が、ひそかに内的に起こったことを認識したことと思います。

 当時韓国には、「聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行ける」と単純に、かつ盲目的に信じ込んでいる、形式化したキリスト教団とは違った、特別な霊的教団が数多くありました。それらの教団は、再臨主を迎える道を準備し、主の花嫁を捜し出すために、神からの啓示を受けることを唯一の目的として存在していました。

 そして、それらは私が生まれる前後の宗教的情況であり、私はそういう情況下に、ある特別な霊的な家庭の中に生まれました。

 私は、神と絶えず親密な交わりをもち、主の再臨と新時代について、主が再臨する日に何が明かされるかということについて、啓示を受けていました。

 私がきょう、当時のことを考え、悲しくなってしまうのは、母の属していたその教団が、言語を絶する、実に信じられないような、耐え難い苦難を通過しなければならなかった日々のことを思い出しているからです。

 彼らは絶えず、神の啓示を受けてきました。そして、蕩減路程を通して主の道を直くするために、実に信じ難い、苦難の道を通過しなければならなかったのです。そして、その中の多くの人が、あまりにも不運な事情の中で過ごさなければならず、ある者は牢獄の中で死んでいきました。

 彼らは天に選ばれ、召された人々として、献身的に神に侍り、「いつの日か、メシヤにまみえる」という唯一の希望にすべてを託して、あらゆる苦難を乗り越えていったのです。

 彼らは再臨主を迎えるために、すべてのものを準備しました。例えば、スプーンから衣服に至るまで一切を準備したのです。神の子をメシヤとして送られる神ご自身の計画について、詳しく明かした啓示に従って準備しました。霊能者たちは、服のサイズに至るまで、非常に詳細に啓示を受けていたのです。

 そのような言語を絶する苦難の中にあって、主の再臨を待っていた彼らは、不運にも、ついにその日を迎えることができず、一人、また一人と、死んでいったのです。その間、その使命は三代にわたって引き継がれ、それらの啓示の最後の頂点として、私が生まれたのです。


 天のプロポーズ

 私が生まれたころ、神がその御子を地上に送るためのご計画を明かした啓示を受ける使命を引き継いできた、最後の霊能者がいました。

 その女性の霊能者は、私が六歳にもならない時に、「この方こそ、天の花嫁になられるでしょう」と、預言しました。その女性の霊能者は、その六歳にもならない幼い少女が、天の花嫁となるべく運命づけられているという啓示を絶えず受けていたのです。

 当時の韓国の情勢はとても厳しく、事実上、どんな人も、神やキリストへの信仰をもち続けることは不可能でした。ご存じのように、当時、韓国は日本帝国主義の占領下にあったからです。

 私はそのころ北韓にいたのですが、その地域もやはり日本帝国主義の支配下にあり、特に、日本総督府は教会活動を激しく迫害していました。したがって、だれであろうと、信仰をもち続けることは、事実上、不可能なことでした。

 私は平安南道の安州で生まれました。そこは、韓国の三十八度線以北にあり、先生がお生まれになった定州のある平安北プク道からそれほど遠くない所で、お父様と誕生日を同じくして生まれたのです。しかし、私が北韓にいた間は、そのようなことを知る由もなく、もちろん、先生にお会いすることもありませんでした。

 当時、神に予定され召命されたその教団は、主に北韓に広まっていましたが、その北韓の中心である平壌は、「新時代の聖都、エルサレムになるであろう」という予言や啓示が下りていました。とにかくその地域は、キリスト教の勢力が非常に強い所でした。

 私は北韓では先生にお会いできず、北から南に渡ってきた後、ソウルで初めてお会いしました。それは私が十三歳の時で、ちょうど小学校を終えたばかりで、今の仁進と同い年でした。当時は、母と一緒に入教したばかりの時であり、それまで多くの苦難の道を歩んできたので、未来に対する確信をもつことができませんでした。特に、一九六〇年に何が起ころうとしているのか、知る由もありませんでした。

 初めて先生にお会いした時、先生は、私をご覧になった瞬間、目を閉じて瞑想された後に、心の中でささやくように言われました。「名前は何というのかね?」と言われたので、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。

 すると、「ああ、神様、韓鶴子というこのように素晴らしい女性を、この韓国に送ってくださったのですね。感謝いたします」と言われました。先生はその瞬間、瞑想されて、ほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそう聞こえました。

 その時は、統一教会の教祖である先生が、私の将来に関して特別な啓示を受けておられるような感じを受け、少し不思議に思いました。

 そのころ私は、韓国の北東部にある春川に住んでおり、先生はソウルの教会本部にいらっしゃったので、春川とソウルという距離をおいて遠く離れていました。私は先生にお会いした後、教会に通いながら、中学校を終え高校に進学しました。

 きょうがその記念日ですが、聖婚式が挙行されたのは、一九六〇年四月十一日(陰暦の三月十六日)でした。その一か月前に、先生が夢で現れて、神からの特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備をしなさい」という啓示を受けたのです。その時から、天の結婚の申し込み、というより、天の訓令が来ました。

 訓令があった時は、私は完全に無私になりました。私にはその時、このような大きなことを判断することができる能力がなかったので、無私になる以外にありませんでした。

 そして、祈らざるを得ませんでした。「今までも私はみ意のままに生きてまいりました。今、神のみ意が何であろうと、神の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どんなことでも、お命じになるままに従います」。啓示に対する私の気持ちを示しました。それは、私が十八歳の、初春二月ごろのことでした。

 私は完全に無私になって準備をしていたので、その事情を分析したくありませんでした。神のみ意のままに、全面的に身を捧げることを、ひたすら願っていたのです。

 当時の私は、おとなしいほうで、静けさと平安の中で読書や音楽を好む人として、学内でも知られていました。そして、かなり知的な女性としても知られていました。極端に感情的でもなく、極端に激しくもなく、常に理性的で、初めて会う人々には、むしろ、少し冷たい感じさえ与えていたでしょう。

 私のそのころの生活は、ほとんど修道女のような生活でした。男性と行動を共にすることは一切避けていましたし、まるで温室の中に咲く一輪の花のごとくに、完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。

 今となってはそれが、いつの日か主にまみえ、主の花嫁となる者としての、聖別のための天の準備であったということが分かりますが、当時の私は何も分かりませんでした。

 そして、私の本来の性格も外向的ではなく、いつも控えめで、世の中から離れて、自分自身の世界を楽しむほうでした。ですから、男性たちに対しては、ほとんど完全に無視しているように行動し、周りにいる青年や男性たちを、私のほうから先に見たこともありませんでした。男性を見るだけでも、何か気恥ずかしく、純粋性を失ったように感じられたからです。

 外からちょっと見る時には、お父様がどういう方なのか知っているので、皆さんは一様に、そして単純に、私がとても幸せで、あらゆる面で完全な方に違いない、と思うことでしょう。「あなたは、神がそのようにつくられ、もともと完全な姿でお生まれになったのだから、ご自身は何の努力をする必要もなく、ただ、その位置に選ばれた方だ」。そう思うかもしれません。

 そして、「全天宙の母であり、お父様に出会い、幸せな家庭をもって、人生を楽しんでいる」というのが、私に対する人々の一般的な見方でしょう。

 しかし、それに反して、お父様がその位置に立つために、苦難と十字架の道を歩まれる限り、私もまた当然、私として、信じられないような、耐え難く、負い難い十字架を与えられたのです。

 もちろん、私も初めから完全な人間として出発したのではなく、完成まで到達しなければならないのです。その到達しなければならない基準は、あまりにも高かったので、時には、目標まで到達することが、本当に不可能にすら思えました。

 その使命を果たし、神の期待にこたえるためには、非常に厳しい試練と苦難と、絶対的な信仰が必要でした。私はそのような立場にあったのです。

 過ぎし日のこのような事情と、自分が歩んできた路程について思い出す時、私は耐えることができず、涙が流れます。なぜならば、これらについて語ろうとすると、苦難と試練の記憶のすべてが、生々しくよみがえってくるのです。私にはそれを語ることがとてもつらいことなのです。今朝、私が悲しそうに見えるかもしれませんが、それはそのためなのです。

 私が歩んできた道は、考えただけでも、耐え難い苦難の連続でした。神は、選ばれたお父様を試練されたように、私にも何度も試練を与えられました。そして、サタンもまた、先生とイエス様を試練したように、やはり私を試練したのです。

 メシヤが通過されたのと同じような過酷で厳しい試練を、このか弱い女性が通過したというのですから、とてもあなた方には信じられないことでしょう。

 すべては、歴史の秘密の一章の中に隠されてきました。皆さんは原理を知っているので、蕩減の関係から見る時、私が聖婚記念日を迎えた今日に至るまで、いかに困難な道を歩んできたかを、想像することができるでしょう。

 一九六〇年に聖婚式が行われ、私は今、天宙的使命を担っておられる偉大な先生と結婚した女性であるわけですが、お父様のその天宙的使命をかいま見たならば、常人には、そのような使命を果たすということを考えることすら、不可能なことです。

 私は、温室の中の一輪の花のごとく成長してきました。平和な雰囲気の温室で摘まれ、砂漠に持って来られた花のように、自分自身、感じていました。砂漠のようなところ、それが私がいた環境でした。至るところで海が荒れ狂っているようなものでした。

 私の周囲は、一寸先を見ることができないほどに、多くの誘惑と試練と、さまざまな苦難が渦巻く、厳しい、現実的、または霊的情況であったのです。私はまるで、荒海に浮かぶ小さな帆掛け舟のようなものでした。

 一方でまた、その当時は、私のうえに訪れた神の恵みを最も感じた時でもありました。

 私が苦痛のただ中にある時にも、神はご自身を現して、啓示を与え、導いてくださいました。そのような直接的な導きのない時も、私を愛し守ろうとする、周りの人々を通して、絶えざる導きと啓示を、毎日与えてくださいました。

 ですから、そのころは、かくも厳しい試練と忍耐と困難の時であったにもかかわらず、同時に、この時こそ最も美しく、神の恵みに満ちあふれた、まさに神が共にいまし給うことを実感することができた時でもありました。

 こうして完成に向かって苦悶してきた成長期間が終わり、今、天が願われる基準に達した私がそのころを振り返ってみる時、その苦難に満ちた記憶のすべては、喜びに変わりました。

 私はお父様といつでも、深く語り合い、交流することができます。言い換えれば、お父様と私の間には、尽きない話題と限りない理解があり、無限に、信頼に満たされた会話があります。

 お父様とそれほど多く話さなくても、互いの事情を深く理解し合うことができるのです。なぜなら、お父様の通過してこられた事情と、私の歩んできた道は、神秘的なまでに、あまりにも似ていたからです。お父様とは、共通の一つの目的を深く理解することができるのです。

 不屈の信仰ですべてを耐え忍び、あらゆる困難と闘い、完成基準に到達して、もはやサタンが一切侵入することのできない基準まで歩んできたという勝利感があります。お父様と私が互いに見つめ合う時、互いに感ずる勝利感によって、私は限りなく慰められ、平安を得ることができるのです。

  地獄を天国に変えて

 最後に、皆さんに一言語っておきたいことがあります。

 私は、自分自身の体験を通して、神について、神がいかにしてそのみ業をなされるかについて、多くのことを知りました。

 私の人生において、まさに天国と地獄をすべて通過してきましたが、そのどちらも、神が期待される完全な成熟した人格を形成するために必要なものであったということを知るようになりました。

 もし私が、天国の喜ばしいことだけを味わってきたとすれば、天国の生活をそれほど深く味わい、感謝することができなかったことでしょう。私は、地獄の最低の底までも通過して、その苦い味も味わったのです。

 「これ以上、こんなに難しい道を行き続ける力は、私にはありません。この道を歩み続けることは、絶対に不可能です。神よ7 なぜ私に、このような道を行けと言われるのですか?」と問うたことも、数えきれないほどありました。

 私に必要だったのは、まさに疲れることのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私をつくり上げたと言えるでしょう。

 もう一つ言っておきたいことは、皆さんは、天国に行く道において、天国のような面だけを期待してはならないということです。地獄のような面も当然、予期しなければなりません。地獄の底の監獄を通過することも当然、予期しなければならないのです。

 そして、それこそが、神の恵みを感じることができる最も貴い部分であるとも言うことができるのです。それを通過することによって、皆さんはより堅固に立ち、強くなることができ、円満で総合的な人格、神的人格を成熟させることができ、天国をより深く感謝することもできるのです。

 そのような体験のすべてが、いつの日か、皆さんの誇りとなることでしょう。勝利と忍耐の記録こそが、いつの日か、皆さんの誇りとなるのです。

 この二、三日、先生は皆さんに魚釣りの競争をさせられましたが、その時皆さんは、ふと心の中で、「なぜ先生は、こんな無意味なことを私たちにさせるのだろうか? こんな悪天候の時に、水の中に入ろうとする者が、どこにいるのか? そんなことはする必要がないし、川がこんなに深いのだから、死んでしまうかもしれない」と思ったことでしょう。

 だれしも、ほんの一瞬、ふとこういう思いがよぎったに違いありません。「なぜ、お父様は、何か狂ったように、こんなことをされるのか? なぜ、このようなことをしなければならないか?」。しかし、皆さんはその時に、「私はそんなことしなくていいでしょう。私にはできません」とは言わないでください。

 このような瞬間こそ、皆さんが性急に判断してはならない時なのです。このような時であればあるほど、その試練を通過し乗り越えることによって、喜びが来ることでしょう。

 なぜ、お父様は、皆さんを泥の積もった川の中に入らせたのでしょうか? そのような霊的試練がある時こそ、どんな人にでも、正常な人はだれでも、自然な本能的な思いとして、そのような思いが心の中をよぎるものです。その時に、いかにしてその思いを克服するか、それを喜びに転換することができるか、それが問題なのです。

 私の半生のすべては、毎日毎日が、まさに、皆さんが経験した魚釣り競争に例えることができるのです。

 私が言っておきたいことは、以上です。

 ですから、皆さんは、いつも忍耐強く、不屈の精神で活動してくださればと思います。何事も、性急に判断したり、考えたり、すぐに反発したりしてはいけません。そうすれば、どんな厳しい試練も、喜びに変わることでしょう。それこそが、いつの日にか、誇りになるのです。

 私が今朝、流した涙には、二つの意味があります。一つは悲しみの涙ですが、それは単純に悲しみの涙ではなく、喜びの涙であるということも知っていただければと思います。

 勝利したその喜び、そして、このようにお父様と共にいることのできる喜びの涙であるということを…。実際、そのような二重の意味をもった涙でした。

 そして、これからは、ただ喜びの涙だけを流したいと思います。

 ですから、どうかこれからは、私の過去のことは尋ねないでください。ただ勝利的な未来の大いなる理想についてのみ語り合いましょう。このことを皆さんにお願いしたいと思います。

 未来に来るべき偉大な日のために、何度でも喜びの涙を流しながら喜びましょう。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.25 08:42:53
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