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2021.09.26
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「神は我々だけを頼りにしている」

1977年6月1日
ベルベディアにて


 堕落による混乱と無秩序

 この世界と人類を救う為には、神のみ旨を中心としなければならないことを、われわれは十分承知しています。神のみ旨は、神ご自身のみによっては達成できません。神と人間が共に働かなければなりません。​もしアダム・エバの堕落がなければ神のみ旨は、その時代に達成していたにちがいありません。男性は百パーセント完成し、女性も同じく完成していたにちがいありません。​

 もし堕落がなかったならば人間を中心として完全な神の愛が達成されたのです。神の愛を中心として完成した夫婦、親子が、個人から家庭、民族、国家、世界、天宙へと拡がっていったにちがいありません。この神の本来の理想は、人間とすべての万物が一つになることです。この神のみ旨は、地上のみでなくして霊界にも成就されたはずです。いいかえれば二重の世界が、神の理想を中心として完成されたはずです。

 この地上だけでなく霊界にもアダムとエバは、家庭をもったにちがいありません。ですから天宙的な一大家族による理想の統一世界が成されたにちがいありません。このような世界が実現していたなら、地上地獄はなかったでしょうし、この地上に住んでいる人々は、完成して自動的に天国に行くようになるはずです。

 アダムとエバの完成によってつくられる天宙的な文化文明は、神の文化であり神の文明です。すべての人類が、天の血統を受け継ぐと同時に、すべての人類と万物は、神の主管下に入るようになります。それによって神は、地上に住まわれ、またわれわれの間に住まわれるようになるのです。その世界は、神が本来計画した理想の世界となるのです。内的には、人々の中に神が住まわれ、外的には、神によって文化と文明が創られ、内外の天国が地上に成就されるのです。

 この世界を見つめた時、この世界は理想世界とは正反対です。人間の堕落により混乱と無秩序と悲劇が見られます。この世界には、数多くの文化と文明が現われ、数多くの異なる生活様式が現われました。そして、数多くの分裂と不調和と対立による悲劇があります。また数多くの異なる国家が出現しました。

 神の目から見れば、神の下の一国家が理想のはずです。この小さな地球の上に、どうしてそのように多くの国家があるのでしょうか。すべての人々は、自由に国境を越えて友人と語り合うこともできないのです。神のみ旨とは正反対なのです。

 誰がこの問題を解き、誰が神のみ旨を解決することができるのでしょうか。どうしたらこの問題を解決することができるのでしょうか。

 因習や宗派を超越する宗教

 この問題を解決し目的地に到達する為に神は、宗教を設立したのです。宗教は、個人のためや国家のためのみあるのではなく、もっと大きな目的のために存在するのです。

 過去の宗教の指導者、創始者たちは、宗教のこの本来の目的について理解していませんでした。宗教は、神のみ旨を達成するためにあるのです。宗教を基盤とした善や愛は、個人を越え国家、世界を超越して全人類に及ぶものでなければなりません。けっして小さな枠の中に閉じ込められるものではありません。

 これまで多くの宗教研究家が、一つの宗教の構造の中で研究してきたけれども、宗教間の境界を越えては研究してはこなかったのです。各宗教は、それぞれの教義や自分たちの救いのみを考えてきただけで、自分の宗教を越え人類世界のことは考えてきませんでした。ですから神は、み旨を成就させるために外的には文化を、内的には宗教を、と二面性をもって進めてこなければなりません。

 しかるに現在は、すべての人々が国家の平和や秩序について、語りあっている時代であるにもかかわらず、宗教指導者たちは、自己の宗教の中にとじ込もってしたっています。これは、まったく神のみ旨に反することです。神の目からすれば、そんなに多くの宗教は必要ではありません。仏教、イスラム教、キリスト教、あるいは数多くの宗教がありますが、神はそんなに多くの宗教を必要としておりません。自分の教派にとらわれたり、世俗に陥った宗教は、必要ではないのです。

 因習や宗派を超越し世界の為に働き、悪の力を一掃する為の宗教を、神は必要としているのです。過去においてより力のある優秀な文化文明が、発達の遅れている文化文明を支配してきました。同じように力のある優秀な宗教が、力の弱い宗教を吸収し超越していくのです。しかしそれは、暴力によって強制的にするのではなく、自動的に自然にそのような方向に移向するのです。

 神が宗教を通じて人類を救おうとされる以上、これに適った宗教があるにちがいありません。神はそうするにちがいないのです。そのような宗教は、一つの国家の性質と方向性を内包するものでなければなりません。さらに一つの国家だけでなく、世界を神と結びつけるものでなければなりません。

 そのような理想の宗教は、他の宗数と対立するものではなく、他の宗教と並行しともに働きながら、それらを自動的に吸収するにちがいありません。そのような宗教は、それが出発した国だけに影響を及ぼし吸収するだけでなく、他の宗教、文化、文明を自動的に吸収していくにちがいありません。このような宗教を神は創りたいと思っているし、また創るにちがいありません。

 神が望む宗教

 この方向性と思想をもって神と交流できる一つの宗教を創る為に、二千年前にイエス様がこられました。しかし今日のキリスト教は、間違った方向にいってしまっています。今日では、四百以上もの宗派に分れています。もしキリスト教が、一つの国、一つの世界という理想をもち、それを実行する力をもっていたならば、宗派の分裂はなかったでしょう。さらにもしキリスト教が、神の願いを直ちに継承していたら、内外両面において勝利し吸収支配していたにちがいありません。その後で、主義とか宗派について語りあえばよいのです。

 では神の望む宗派とは、なんでありましょうか。もしすべてを抱擁し吸収する一つの宗教があるとすれば、神とイエス様はきっと喜ばれることでしょう。

 クリスチャンは皆、イエスが雲に乗ってくる、と信じています。しかもイエス様が今来られたら、どのようなことになるでしょうか。一つの体しかもたないイエス様は、四百もの宗派があるので、どの宗派に行ったらよいかわからないでしょう。四百の宗派を見てイエス様は、天の父になんと言ってよいか分らず、混乱してしまうにちがいありません。

 イエス様は、神にどう祈るでしょうか。「二千年前、私の弟子たちはとてもよく働きました。今は四百もの宗派があります。どうぞ私の祈りを聞きとげて下さい。」これはとてもできることではありません。また四百もの宗派を訪問して、それぞれに対して「あなた方は素晴らしい仕事をした。」といって称賛され喜ばれるでしょうか。四百の宗派を見てきっとこういわれるでしょう「一つになれ」と。他に方法はありません。神は、バプテストとかプロテスタントとかの一つだけを受け入れることはできません。

 四百の宗派の中で神が受け入れることのできるのは、ただ「一つになろう、神と一つになろう、キリストと一つになろう。」と主張するグループのみです。神の目からみる時、世界はこの方向に近づきつつあります。そしてその唯一の宗派が、統一教会であり、ムーニーたちです。

 あなた方は、とても敏感で熱狂的です。しかし私たちは、ものすごい迫害を受けています。それは、民族や国家の壁を乗り越えて活動しているからです。韓国とか日本とかアメリカとかの国家を乗り越えなければなりません。一つの世界、一つの神、一つのキリスト、それが私たちのモットーであり、これを追求しているのです。統一教会は、神のご計画に従って現われた歴史的な運動であることを忘れてはなりません。私たちは、現代のこの時代を指導しなければなりません。

 あなた方の使命は何か。世界を一つにすること、神のみ旨を成就することです。あなた方は、素晴しい言葉を知っている。しかしまだまだ道は遠い。あなた方は英語を使っているが、アダムとエバは神と話す時、どのような言葉を使っていたでしょうか。とにかく一つの言語であり、一つの文化である、一つの生活様式、心情も一つであったにちがいありません。これが人類の行くべき運命です。ですから、これは自分のものだ、われわれのものだ、などといってはなりません。

 貧しい統一食口

 私はアメリカの各地をまわってみると、どこでも人々は、博物館にある過去の遺物を誇りにしている。素晴らしい、貴重だといっていますが、歴史的残骸の何ものでもない。神の目から見たら、くず以外何ものでもない。それは多くの人々を搾取し働かせてつくられたも物にすぎない。搾取された人々の、血と汗の結集物にすぎない。そこには、愛もなければ情も何もない。神とは何の関係もありません。

 国王や貴族や金持ちが、世界のいろいろな宝石類を素晴らしいといって賞賛しますが、神の目からすれば心の痛むことであります。

 神は、これらのことをどんな思いで眺められているだろうか。歴史的残骸を賞賛しているイギリスをはじめヨーロッパの国々と比較した時、アメリカは少し神の側に近いようです。アメリカには新しいものを発見し、新しいものを創造しようと努力してきました。ですから博物館や科学の観点からすればアメリカは、神の側に近いといえます。

 統一教会はどうでしょうか。私たちは、博物館をもっていません。博物館や科学という観点から見れば、統一教会は今貧しい状態にあります。あなた方は、自分の部屋すらももっていません。狭い場所に眠ったり起きたりしています。あなた方は、ジプシーやかたつむりのようです。その上、殻さえもっていません。さらに最悪の場合は、両親たちが「おまえはもう私の息子でも娘でもない。レバレント・ムーンの子供だ。」といって裁判に訴えています。そして自分の子供たちを誘拐して法廷に訴えています。

 このようなおかしなことは、過去の歴史において起こらなかったことです。図書館で調べても、そういう記録はありません。それは、この時代のムーニーに関係してだけのことです。ムーニーは、強い神秘的な神の力をもっているので、すべての反対者が迫害しようとやってきます。

 神は、私たちに注目し、同情しています。なぜあなた方は、ここに集まっているのでしょうか。あなた方は、小さくてまるでかたつむりのようだけど、世界を救い人類を救うのだ、と大きなことをいつも考えています。本当にそうしようと思っているのですか。あなた方は「イレブンカー(二本の足)」しかありません。あなた方は、毎日何を食べていますか。普通の人が食べたがらないものを食べていま。それでも世界を救い人類を救う、という情熱を持っています。あなた方のしている仕事は、普通の人々が好まない内容です。あなた方は、普通の人々からみたらとうてい考えられないことをしています。それでも人類と世界を救うために、と信じているのです。

 努力すれば祝福も大きい

 三十才以上になった女性も、三十五才以上になった男性も結婚のことを考えないで、毎日神のみ旨のことを考えています。私は、この度の祝福の時とても強い印象を受けました。三十八才の女性に結婚したいかと聞くと「いいえ、神の仕事をしたいです。」と答えがありました。彼女は、自分のことより神のみ旨と自分の使命のことを考えているのです。

 私は、非常に責任を感じました。あなた方にこのような道を歩ませたのは、自分なのだと。それでも私たちは、行かねばならないのです。あなた方の情熱の野心は、人類と世界を救うことです。

 私も同じです。自分のすべての人生が迫害とともにありました。それでも私は、敵がくればくるほど、その迫害の下で、彼らと競争をしてきました。われわれの敵は、天国までついてくるかも知れない。私は、その覚悟ができています。しかし今は無視しています。戦っている時間はありません。神のみ旨を行うことで忙しい、自分は戦うためにここにいるのではありません。神のみ旨を果たす為にいるのです。着実に神のみ旨の目的地に進まなければなりません。敵の位置を気にせずに、より早く神の目的に向かって進みたいのです。

 しかしあなた方が、私についてくるのは非常にむつかしいことです。昨日も神山君がきて報告するには、明日六月一日はヤンキー大会の記念日であるけれど、自分たちは伝道したり新聞があったりで忙しい。だから明日の記念日は、ニューヨーカーで迎えたらよいのではないか、という期待をもってきました。私は、これに同意しませんでした。私はもっとあなた方の霊的な面を重要視しているのです。千名近くの人々が、ベルベディアに行くよりも、先生がニューヨーカーにきた方がよい、というような期待を神山君はもっていたのでしょう。

 それは、神が許してくれません。一度が二度になり、継続してくると日常の習慣となり、最後は恐ろしい結果となります。もし私がニューヨーカーに行くならば、このような怠惰な訓練されない組織化されないことが生じます。

 あなた方は、きょう五時半にここにきました。ですから私も、昨晩は目覚まし時計をセットし、遅れないように霊的にも準備してきました。努力すればするほど、大きな恵みを得る。それが霊界の法則です。ですからあなた方に、六時ではなくて五時半までに来るようにいいました。素晴らしいことです。

 神に属する万物

 このようなムーニーになることは、素晴らしいことですか悲劇だと思いますか。幸福ということは、お金をたくさんもつことですか。ムーニーは、お金を持っていません。あなた方が持っているのは、五本の指と二本の腕と手の掌だけです。同じ衣類を何日も着て、予備の背広ももっていません。それでも幸福ですか。そこにいる女性は、もともとは美しい人ですが化粧もしていません。それでも幸福ですか。

 私たちは、何も持っていません。多くの人々は、レバレント・ムーンは百万長者で、大きな邸宅をもち、大きな土地を持っていると批評しています。しかしそれは、教会が所有しているもので、私自身のものはなにもありません。神のみ旨を果たす為の資金がないので、むしろ苦しんでいます。神の仕事をしているのに、なにも持ってちいない私に、あなた方は同情しなければなりません。持たない私が、あなた方に同情するという法はありません。

 あなた方は汗水流して得たお金を教会に持ってきます。私はそれを、神のみ旨のために使用しています。もしそのお金をあなた方が使うとしたら、どんな使い方をするでしょうか。学校とか修練所をつくっていたでしょうか。私は、神に属する者を使うために頭を痛めております。あなた方も、私のために働いているのではありません。私自身のことに関しては、私はけっして誰も頼ってはいません。

 ムーニーとサニー

 多くの人々が、あなた方を「ムーニー」といって批判する時、あなた方はどんな気持ですか。「ムーニー」という言葉が、韓国人にはどのように聞こえるかというと、から目上の人への相談とか対話という意味です。ですから人間が神に話しかける、という意味をもっていることになります。また音声上のもう一つの意味があります。単色の絹の着物の上に、花とか美しいデザインがあると、もっと意味深く価値ある優れたものになります。韓国人は、それを「ムーニ」と呼びます。ですから私たちは、天のお父様と相談しつつ、サタン世界に美しい刺繍をしている。、という二つの意味をもっているのです。

 音声上韓国語がもっている二つの重要な意味に従えば、まず第一に、世の人々が問題をもっている時、あなた方のところに相談にこなければなりません。次に、改善とか発展を必要としている時、あなた方のところにこなければなりません。

 あなた方は、刺繍した花のついている美しい絹を着ている場合にあります。「ムーニ」は、すぐに「サニー」(太陽のような意)となります。人々はあなた方のことを「ムーニ」と呼んでいますが、神の目から見れば、あなた方は「サニー」です。

 やがて私たちが、「サニー」となり、この世の人々が「ムーニ」となる時がくるに違いありません。目下の「ムーニ」と目上の「サニー」が互いに近ずきあって、ついに世界は一つになるのです。「ムーニ」は、すぐれた魅力的な、そして自動的かつ摂理的に存在するようになった名前です。あなた方は、「ムーニ」として生まれ「サニー」となって死ぬのです。本当にそうです。私たちは、地上での生活が終ったら天国に行き、神の下で「サニー」となるのです。

 きょうの話の題目は、「神は、あなた方を頼りにしている」としました。

 神の期待と理想は、この世界を復帰することです。ムーニーは月の人で、サニーは太陽の人です。地上のムーニーと天上のサニーが集まって一つになることを、神は期待しておられます。東洋的運勢からすれば、女性は月のような人になりたいし、男性は女性陽のような人になりたいと思っています。

 時間、物すべてを献げよ

 この地上にはムーニーとかサニーとか呼ばれている人間は、私たちしかいません。私たちには、民族的境界もなければ、差別もありません。神は無色です。私たちはその真の子供になろうとしているのですから、統一教会においては、そのような概念すら持つことはできません。

 もしも将来、あなた方が世界に散らばり一国の大統領になったとします。そして神が、一斉に国境を取り除けと命令します。その時あなた方は、国家の大統領を辞めて一般国民にならなければなりません。はたしてその覚悟はできているでしょうか。今あなた方は、大統領ではないのでイエスと答えることができますが、しかしいったん国家の主権とか権力を握ったら、誰もそれを手離したくないし、退めたくないものなのです。これが問題です。

 あなた方は辞めることができますか。あなた方の中には、時間、物すべてを神に献げきっていない人がいます。もしそのような性質をもっていたら、どうして大統領を辞めることができるでしょうか。もしも霊肉共にあなた方がもっているすべてのものを、神の為に献げる覚悟がないならば、天国に住む市民の資格はありません。

 きょうのテーマに照らして、考えてみなければなりません。本当に自分は、神が頼ることのできる者となっているか。あなた方は、イエスといっていますが、安心できません。この話の最中でも居眠りしている人もしますし、横を向いている人もいます。イエスといいながらも、心の中には不平不満や妄想がいき交っているのです。真剣に考えなければなりません。神が私たちに頼る時、本当にその期待に答えることができるかどうかを。

 神が信頼する者となるために

 あなた方に自信がなく、また資格がないので神は、どうしたらこの人々を頼ることができるか、と真剣に考えなければなりません。一人びとりを眺めた時に、この人は滅びようとしているのか、本当に成功しようとしているのか、あるいは発展しつつあるか、改善しつつあるのか、神はいつも考えなければならないのです。

 自分は試験に通過するかもしれないが、自分の妻や子供たちは失敗するかもしれない、というのであれば、どうして神が頼ることのできる資格ある人、といえるでしょうか。

 考えてみましょう。神は最初にアダムとエバを信頼しましたが、彼らは失敗してしまいました。信頼したがた為に、悲しい経験をしてしまったのです。また人間を信じた神の歴史は、失敗だったか成功だったかを。アダム・エバ、カイン・アベル、ノア、ヤコブ、モーセ、洗礼ヨハネなど。過去において神は、人間を信じてきました。しかし結局は、失敗の記録になってしまいました。ですからどうして、あなた方を信じることができるでしょうか。

 あなた方は、本当に一つになっているか。あるいはその過程であるか。多分神は、あなた方の考えは信頼するでしょう。しかしあなた方の行動、実践は信じることはできません。なぜでしょうか。大きなことをいうのは、容易なことです。しかし人類と世界の復帰を実行することは、非常にむつかしいことです。

 あなた方の考えは、神が信頼できるものです。大きくて素晴らしい。しかしその考えは、どこからきたのですか。神から私を通してきたものです。そしてその概念や思想を自分のものにする為には、それを実行に移さなければなりません。概念や思想が行動として実現された時、はじめて神はあなた方に頼ることができます。あなた方は本当にそのような段階に到達していますか。

 唯一の方法

 個人を復帰するためには、蕩減を払わなければなりません。あなた方は、どうしたら蕩減できるかさえ知りません。家庭、民族、国家、世界を復帰するため為にも、同じように蕩減が必要です。あなた方はその方法さえ知りません。そうならばあなた方のできる最善の方法は、真の主に継がることです。接ぎ木されて一つになり、ともに行動するのが唯一の方法です。接ぎ木されれば、真の親の性相を受け継ぐのですから。あなた方は自動的に天国へ行くことができるのです。接ぎ木することが必要です。ですからあなた方は、真の親、真の父母が必要なのです。あなた方は、本当に真の父母が指要だと思っていますか。

 レバレント・ムーンが詐欺師であるか本物であるか、一体誰れが知っていますか。神に必死になって尋ね、答えを求めたことがありますか。神が自分に頼ることができるということは、実際にどういう意味でしょうか。このような概念を神は、人類歴史において長い間考えてきました。イエス様をはじめ、過去の聖人義人も同様に考えてきました。

 問題は行動すること

 問題は、いかに考えを行動に移して実践するかです。これを果たす為には、あなた方はすべての面において主体性をもつ必要があります。半体性という意味は、どんな障害もどんな反対もどんな不運も通過し、乗り越えなければならない、ということです。それは、個人においてだけでなく、組織全体についても同じです。個人個人が、すべての困難に打ち勝ち神のみ旨を果たす、という確信を、心の中に刻み込まなければなりません。これが、目的を成就するた為の道です。

 私だけでは十分ではありません。あなた方全体が、ともにこの確信をもって行かなければなりません。すべての統一食口が、思想を行動に移す、という確信をもって努力し一つにならなければなりません。

 神はアダム以後、六千年の間とてつもない苦い経験してきたので、人間を信頼することができません。しかし今全統一食口が、先生を中心として一つになって、思想を実践するという確信をもって出発しようとしています。ですから神は、あなた方に希望をもっておられるに違いありません。

 私を通して語られた原理は、素晴らしいものです。それを受け入れ信じているあなた方をみて、神は賞賛しておられます。問題は、いかにそれを実行するかです。神を知らない人々は、私たちに反対し妨害し邪魔してきます。しかし問題は、いかに私たちが実行するかです。神は、あなた方が私を中心として、み旨を実現するまでじっと待っておられるのです。神は、あなた方が信頼できるようになるため、時がくるまで待っておられるのです。

 問題なのは、私たちの行動であり、けっして世間の反対ではありません。実践している途中で、たとえ多くの敵が迫害してきたとしてもいつも神と一つになっていると確信していかなければなりません。

 行動と鉄の意志の人

 もしもレバレント・ムーンが、思想を語るだけの人間であったら、誰れが彼について行くでしょうか。私が行動の人だから鉄の意志の人だからこそ、あなた方も私についてくるのです。アメリカ人の目から見れば、レバレント・ムーンは東洋の一角韓国から来た人間であり、それほど重要ではありません。名士でもなく、ただの普通の人間です。しかし彼は、実践の人であり、一たん口に出せば必ずそれを成し遂げる男だ。これが問題なのです。

 私は一年前のきょうをはっきりと記憶しています。ヤンキー大会の戦いと勝利です。あの日神は、宝座より降りてこられました。神は、私たちを本当に頼っていたでしょうか。あの時あなた方がなにを考えたか、覚えていますか。あなた方の中にはあの時、もし神がいるなら、そして神がレバレント・ムーンを愛しているならなぜこの時間にこのような暴風雨が起こるのだろうか、と思ったに違いありません。神山君でさえ、私の部屋にきて泣き、どうしたらよいでしょうか、と途方にくれていました。

 その時私は、このような危機に直面した時こそ私たちは、冷静に安定にしていなければならない、と思いました。戦いはまだ終っていない、終りまでまたなければならないと思いました。そしてそれを実行しました。私の写真が、嵐のためはだけ落ちた時は、私も気持ちの良いものではありませんでした。もしこのようなことが生じたら、あなた方は自分を謙遜にして、気持を鎮めなければなりません。もしなにか誤ちが生じたら、統一食口はその結果を甘んじて受け、天からの懲罰を受けなければなりません。

 私たちは、いつもそういう覚悟をしていなければなりません。どんなことがあっても、最善を尽さなければなりません。ヤンキー大会が終れば、何が起こるか、次の段階は何か、という思いが私の心の中にありました。

 試練を甘受すること

 私たちは、二つのことを考えなければなりません。もし神が、罰を与えておられるのであれば、それを甘受しなければならないし、もし試練を与えておられるのであれば、それを乗り越えなければなりません。そうすれば私たちは、より多くの祝福を受けることができるでしょう。

 実際、自分の全エネルギーと心をヤンキー大会の為に集中しています。あの時反対する者たちは、殺し屋を雇って私を暗殺しようと計画しています。私は、それほどの危機的な状況だったことを知っていました。しかし雨と嵐のために暗殺計画は、お流れになりました。こういう観点からみると、あの嵐は、私を救う為の神の作戦だったことが分ります。

 常識からすればあのような天候の下では、大会は中止せざるを得ません。しかしその悪条件の下でも遂行することができたのは、ムーニーだけです。ムーニーだけが乗り越えることができるのです。ヤンキー大会の価値ある勝利を、覚えておかねばなりません。条件の悪い避けることのできない逆境を、乗り越えて成功したので、私たちは貴重な素晴らしい成果をうちたてることができたのです。

 この情熱と力によって、六カ月以内にワシントン大会を勝利することができました。元来ワシントン大会は、今年一九七七年に計画されていましたが、一年締めてしまいました。それは、新時代を画する出来ごとです。摂理歴史よりみて私たちは神の願いを地上に成すための真の礎石を、一年前のヤンキー大会を中心として打ち建てたことになります。

 議論の的になる私たち

 どうしてムーニーは、議論の的になるのでしょうか。それはあなた方が、考えたり話したり教えたりするだけでなく、実際に行動するからです。これは、大きな問題です。あなた方の行動は、この世の動きとは次元を異にしています。

 本当にあなた方は、世界を救おうとしていますか。もし万が一私が基準を下げ、前進を止めてしまったら、その時あなた方はどうしますか。本当に前進しますか。イエスというのは非常に易しいです。はたして信じることができるでしょうか。ではいつから行動しますか。一年後か一カ月後か、あるいはきょうからか。

 私たちは、たとえ生命を犠牲にしても行かねばなりません。もし死んだら霊界から降りてきてでも、この仕事を続けるという決意が必要です。世界にでて行く時、神に「今から世界にでて行くのですから、どうぞ私の歩みを保証して下さい。」とお願いしたらよいです。

 一九七二年にこの地にきた時、私も同じように神に語りかけました。「あなたがこの地にくるように命じたのですから、私はこの第一を初めとして、三年以内にこの世界と人類を救います。」そう神に語り、行動でそれを示し目標を達成しました。

 私の責任は、好むと好まざるとにかかわらず、すべての人々に真理の御言を広めることです。私が語ることにより、全アメリカ、全世界にレバレント・ムーンという名を知られるようにならなければなりません。私はそれを成しました。統一教会という名前は、知らない人がいるかもしれません。しかしレバレント・ムーンという名前は知っているのです。私は肉体的には、けっして美男子ではないかもしれませんが、鉄の意志と行動の男です。あなた方がもし、この思想を行動に移したなら、私が成した以上のことを成すかもしれません。

 アメリカは、自由諸国の指導的立場であるのに、このレバレント・ムーンがきてアメリカをかきまわし、革命的に救いをもたらそうとしています。これは、常識では理解できません。アメリカのすべての組織、権力、科学者、政府、そしてすべての宗教者が改革を重ねてきました。しかしレバレント・ムーンは、よく跳ねるゴムまりのようです。彼らが打てば打つほど、もっと跳ねて元に戻ってくる。彼らのこぶしが疲れ砕けても、レバレント・ムーンは平気であり、以前より強く力を貯えるのです。

 勝利の要
 
 なにが勝利の要だと思いますか。行動とゴムまりのような跳躍です。攻撃がくればくるほど、その度に乗り越え抱擁し、逆に賛成するように導く。この強い行動力の背後に何があると思いますか。神です。ではどうして神が、後押しするのでしょうか。彼らが攻撃すればするほど、跳躍し自動的に円を描いて元の位置に戻る。見た目には負けているよですが、実際は勝利し、その度ごとに領域を拡大してきました。

 常識からすれば統一教会は、落ちぶれているようですが、内的にはより強くなり発展し、そして前進しています。私は、神を信頼しています。その確信をもって行動します。ですから神は、後押しせざるを得ません。

 しかしたとえそうであっても、私は神に頼ってばかりいるのではありません。親は「自分は、私の素晴らしい子供に頼る」といい、その子供中誇りにします。神も同じです。私が神に対して、「私は、あなたに頼るだけでなく、私の子供たちにも頼ります。」といったら、神も納得してくれるに違いありません。

 たとえ神が、すべてを与える立場にあったとしても、この世界の状態をみた時に、悲劇的であり、悲観的にならざるを得ません。しかしもし「天の父よ、勇気をもって下さい。私がここにいます。この状態を改善しますから、どうぞ楽観的になって下さい。そしてその仕事を私にさせて下さい。必ず成し遂げますから。」と祈る者がいれば、神はその人によって慰められます。神は「やりなさい。」と命令するでしょう。

 レバレント・ムーンが、このような存在ですので、長い期間失敗を続けてきた歴史であっても神は、今度こそ未来に希望をもち始められておられます。なぜなら神は、私を信じることができるからです。私は、この三年の内に個人から家庭、氏族、民族、国家、世界の基準まで復帰し、神の名によってアメリカ大陸に立ち戦い、神のために多くのものを獲得しました。このような私の歩みを神が見た時、神はとても誇りにし、頼りにしているにちがいありません。ですから私は、神が頼ることのできる資格をもっていると思っています。

 自分で考え行動する者

 きょうの話のテーマは「神は我々だけを頼りにしている」ということです。もしあなた方が、私に頼って行動しているならば、それはあなた方自身が仕事をしている、ということになりません。あなた方は、自分の力でやらなければなりません。私が指示する前に、自分で考え行動し勝利し、大きな成果を上げるならば、天の父もあなた方を信頼するでしょう。あなた方が、私が歩んで達成したのと同じ方法、教訓を受け継ぎ、この国と人類と世界を救うために行動するなら、神もあなた方を信頼するでしょう。

 私たちには、次の目標があります。その目標に向って行進するために、準備しなければなりません。「たとえ先生が行けなくとも、私だけは行く。」そういう様に考え、この世界の一切のむつかしい問題に責任を持たなければなりません。そして自分を押し出さなければなりません。このようなタイプの人が、この教会の主人となり、指導者となります。あなた方一人ひとりがこれを実行し、横的に展開するなら、神から信頼される者となることができます。

 言うのは易しいけれど、実行することはむつかしいです。今からは毎朝鏡をみて、自分はこのような種類の人間として資格があるかどうか、尋ねてみるとよいです。ペテロでさえも忠誠を約束し、誓ったにもかかわらず三度も裏切ったのです。非常にむつかしいのです。神のみ旨を果たす為に、自分の生命をかける覚悟をしておかなければなりません。ばくちをする時、お金をかけると同じように、神のみ旨を果たそうとする時、自分の生命をかけなければなりません。

 神と共にある自分

 伝道や活動をしながら、人類と世界を救うといっているのを、この世的にみると非常に惨めにみえます。このような惨めな抱いた時は、理想の世界と反対の世界を見つめている神に波長を合わせて、神の気持を自分の中に感じなければなりません。悲しかったり惨めになった時は、いつも天の父の立場を思うことが大切です。天の父も、同じように悲しく惨めに感じている、という経赴をしたことがありますか。もしそのように感じたならば、その時こそ神はあなたと共におられるのです。もし天の心情とばれているなら、たとえ実績が少なくとも、問題ではありません。霊的には価値が高いのです。

 ここでもう一度決意しておかなければなりません。たとえ私たちが少数であったとしても、復帰する実績が少なくとも、それは人類と世界の救いに直結している。そういう考えを統一食口は、持たなければなりません。伝動や活動の時、そのような考えで実践するなら神は、あなた方を最も価値あるものと考えるでしょう。

 神の目から目る時、この少数の人間が神のみ旨と理想をこの地上に実現する、というのは、ある意味では惨めに見えるけれど、希望があるのです。たとえ少人数であったとしても私たちは、天の理想を代表したものであり、未来においてこの地上に理想を実現するための希望です。

 私は、迫害のまっただ中にあったとしても、それを乗り越え、反対する者をも神の前に導いていきます、と神の前で誓います。なぜなら私は、自分の考えに確信があるし、行動の男だからです。

 私たちはこの地に責任をもちます、といって神を慰めます。私たちはこの国と世界を救う為に迫害を乗り越えていかなければなりません。私たちは、このような天の仕事を成すことのできる唯一の存在です。神が未来に希望を持つことができるように行動を通して、神に刺激を与えなければなりません。

 私が神を慰めたように、あなた方は私を慰めるように歩まなければなりません。「たとえ自分はこのように小さいけれど、明日は今日よりももっと良い働きをします。私たちのグループは、このように小さいけれど天の道を拡大していきます。」そういって先生に刺激を与え慰めなければなりません。このようにしてこそ、統一教会において責任ある男性あるいは女性になるのです。現在神は、誰に頼ることができるのでしょうか。私たち以外にはいないのです。私も、あなた方を信頼する以外ないのです。

 共同運命下の私たち

 神も私もあなた方も、統一教会の運動を信頼しなければなりません。結論としていうならば、統一教会の目的は、全世界と人類の完全復帰に責任をもっている、ということです。現在軍隊は、存在していません。国連は、元来国境を越えて世界のために存在するためにつくられました。しかし神の目から見たら、もはやその目的に合致するものとはいえません。私たちは、天の軍隊として世界を救わなければなりません。銃とか大砲は必要ではありません。私たちではなく、「私」の手によって救われるのです。

 私とあなた方は、共同運命の下にあります。世界は、私たちの手で救われます。かりに戦場で負けるような場合には、共に死ななければなりません。そのような精神を私たちの軍隊に持たなければなりません。過去においては黒人と白人は、異なった人種でありましたが、今は天の軍隊をつくるため、異なる人種、民族を一つにしなければなりません。一つの血と一つの肉をもって、一つの目的の為に死のう。以前は、敵であった民族が、神のものに一つになった天の役軍です。

 迫害による練磨

 こういうことを考えたことがありますか。五十州の責任者がきていますね。神による思想に従えばあなた方は、神と私が頼ることのできる唯一の人達です。けっして滅びない岩です。あなた方は、今まで統一教会に従ってきて色々な経験をしたことでしょう。しかし私は、もっとひどい想像もできないほどの経験を、過去においてしてきました。日帝時代、韓国を征服し私を牢屋の中で拷問したこと、けっして忘れることができません。また共産主義者が、牢屋の中でものすごい拷問を加え、全身から血が流れた事を、忘れることができません。また韓国の既成教会が、理由もなしに迫害してきたし、政府からも迫害を受けました。

 しかし今までいかなる多くの蕩減を払ってきたとしても、もし勝利できないならば、今までの蕩減は無駄になってしまう。ですから勝利に向かって前進すなければなりません。迫害がくればくるほど、より強い確信をもって行動しなければなりません。もし迫害がなければ、発展する機会がなくなってしまうのです。ですから外からの迫害のかわりに今からは、私があなた方を迫害しようと思います。

 私たちは、いずれかの迫害を必要としています。迫害を通して私たちは、練磨され、もっと多くの実りを上げられるようにならなければなりません。このような訓練を受ければ、子孫たちもこの思想を受け継ぐのです。迫害を通して私たちは、完成することができます。サタンが攻撃してきても生き残り、神が迫害しても、私が迫害しても生き残るなら、すべての迫害を乗り越え勝利者になったことを意味します。そうなけば、どこへ行ってもあなた方は、永遠の勝利者です。サタンに勝利したら、あなた方は自分の思い通りに、サタンを主管することができます。六千年間という長い間闘争してきた、神とサタンとの間の仲保者となり、平和条約を結ばせることもできます。

 思想を行動に移す習慣

 私は、神に対してこう祈ります。「もしも使命をこの地で果たせずして、天の父の宝座に行ったとすれば、もう一度降りてきて十倍あるいは百倍ものメンバーを編成して、残りの仕事を成し遂げます。」と。そうすれば百倍もむつかしい仕事が成し遂げられるでしょう。しかし実際には、この地上にいる間にこの仕事をする方が、霊界から降りてきてするよりももっと容易なのです。

 このように祈る者に対して神は、信じ頼らざるをえないのです。もしあなた方が、このような基盤をもった確固たる人間であるなら、サタンが左に押したとしても元の位置に戻り、右に押したとしても元の位置に戻る、安定した変わることのない者となります。そうすれば、他のどのような力によっても影響を受けない者となります。あなた方は、このようなタイプの人間になっていますか。

 思想を行動に移すことを、習慣としなければなりません。ちょうど食物がなくなると、お腹が減ってくるのと同じように。日常生活において、このような習慣をくり返すことによって、変化のない人間とならなければなりません。神の命令がきたら、それに従って新しい責任分担につけるよう、いつでも出発する準備をしておかねばなりません。

 多くの人が、レバレント・ムーンは豪華な邸宅に住んでいる、と批判しています。しかし私は、そのようなものには何の未練もありません。ただ社会の基準からみて、またあなた方が恥ずかしくないような、環境を整えているだけです。本当は大きなベッドを使うより、手枕の方がもっと気持ちが良いのです。私は、むしろ単純な生活や自然物の方が好きなのです。神が命令する時は、いつでも行く準備をしています。

 先生より有利な私たち

 あなた方の生活は、まるで避難民のようです。女性は、そのような夫を持ちたいですか。(イエス)なぜですか。いつでも夫を所有していたいに違いありません。私の妻でさえ、私がいつも出かけてばかりいるのは、好まないに違いありません。私としては、ベリータウンやニューヨーカーに行く時は、いつでも一緒に連れて行きたいのですが、何か口実を見つけて家に残ろうとしています。でも妻は、少し身重になっていて、良い徴候なので申し訳がたちますが。

 あなた方は、神の命令がきたら、どこへ行くのかわからなくても、いい訳したり、不平をいってはなりません。もしアフリカとか共産圏へ行け、という命令だとしても出発する準備をしていなければなりません。あなた方の行動は、世の人々との行動とは完全に違っています。私は、あなた方が将来どういう人になるだろうか、といつも関心をもっています。見た目に弱そうな者であっても、私の思想を受け継ぎそれを行動に移すなら、五年あるいは十年もすれば、このアメリカの指導者になることができるでしょうか。私はそう思います。

 あなた方は、私よりも多くの有利な点をもっています。たとえば私は、通訳を使わなければなりませんが、あなた方は自国の言語を自由に話し、半分の量でメッセージを伝えることができます。

 どんなことでも真剣に

 この男性は、最近修士諸程を卒業してきました。昨日ニューヨーカーに行ってた時、彼はセンターの床をごしごし磨いていました。喜んでやっていたか、いやいややっていたか、どうですか。あなたは、もっと一生懸命働かなければなりません。

 私は、使命あって生まれました。しかし今していることを、けっして恥ずかしいとは思ってはいません。私はよくベリータウンでは、自分で網を縫い漁師になって神学生たちに教えます。教授たちがそれを見て、驚きます。しかし恥ずかしいとは思いません。ん。ある時、神学者の会議があって有名な神学者たちが、たまたまベリータウンを訪れていました。彼らは、まさかレバレント・ムーンがきているとは知らず、私が自分で網を縫ったり学生たちに教えているのをみて、感銘を受けていました。彼らからすれば、まさかレバレント・ムーンがこのような卑しい仕事をするとは、想像もしていなかったのです。

 あなた方も、どのようなつまらない仕事であっても、不平をいうことはできません。私は、模範を示すためにすべてを通過してきたのです。

 この世界には、数多くの宗教や文化文明がありますが、神の目からみたら、私を中心とする統一教会の食口以外に信頼できる者はないのです。神は、私たち一人ひとりに衣頼しているのです。地上天国は、私の地上天国です。私は、自分の手で地上に理想の天国を建設する、と決意しましょう。霊界に行く時、どのような心情を持つか。五種類の皮膚の色をもった人種が、ともに手と手をつないで、自分の霊の子とともに霊界に行くのです。このような心構えを、準備しなければなりません。

 全世界に希望を与えることができるのは、私たちだけです。ですから私たちは、自分を誇らなければなりません。理想の天国を成し遂げるのは、地上にただ私たちだけです。ですから一生懸命働き、ただひたすら前進しなければなりません。そうすれば私と神は、あなた方個人個人を頼りにするでしょう。このような行動をするアイプの人間になろうと決意しましょう。では祈りましょう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.26 20:12:03
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