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2021.09.27
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​​​​​​​​​​​​「万物の願い」

1977年6月17日
(万物の日のみことば)
マンハッタンセンターにて


 創造目的

 皆さんも良く知っているように、きょうは十五回目の「万物の日」です。そこできょうは、「万物の願い」というテーマでお話したいと思います。

 被造世界はすべて創造目的を持って創造されています。「万物」という場合に、その中には創造されたすべてのもの、すなわち自然界のすべてのもの、それに人間も含まれます。ではこの観点から見た場合に、創造目的とは何でありましょうか。それは、神様のみ旨を達成するということであります。み旨の達成とはどういうことでしょうか。それは、神様の愛を実現することであります。神様はなぜ、この被造世界を創造されたのでありましょうか。それはただ単に、人間や自然をながめるだけのためではありませんでした。

 神様が被造世界を創造された目的は、神様の愛を完遂するためであったのです。たとえ神様が実在するとしても、神様が愛の神でなかったならば、すべての物の存在は無意味なものとなってしまうでしょう。神様が真に神様であり得るためには、神様は愛の神でなければなません。したがって、神様は万物を創造することによって、愛の神たる存在の意義を達成しようとされたのであります。

 すべての人間は真の人間になりたいと願っております。では、真の人間とは何か。その定義は何でしょうか。真の人間とは、真の神の、真の愛を受けることのできる人間です。それでは、聖なる存在となるためには、人間はどうすべきでしょうか。人間以外の万物は、真の神から真の愛を受けるという目的のために存在しているのです。真の人間は、神からの真の愛を受けるために存在しているのです。真の人間は、神からの真の愛を受けるために存在しています。

 しかしながら、人間の堕落によってこれらの目的は、達成されなくなってしまいました。したがって人間の堕落以後は、神様の目的も成就されなくなってしまったのです。なぜなら、神の真の愛を受けるべき人間が、いなくなってしまったからです。神様は、人間を神の愛を受ける相対物として創造し、万物は人間から愛を受ける存在として創造されたのですが、中心存在たる人間が神の愛を受ける存在でなくなってしまったために、神様の創造目的は実現され得ず、したがって神様自体もまた、完成できなくなってしまったのです。

 では、人間についてはどうでしょうか。人間は愛について良く語りますが、この世で人間が語り合う愛とは、はたして神様を中心とした愛でありましょうか。親は子を愛します。しかしその愛は、神様を中心とした愛ではありません。夫婦が愛し合うとき、その愛は神様を中心とした愛でしょうか。この世の人々が語り合う愛は、神様から離れた愛でしかありません。この世の人たちの間のあらゆる種類の愛、親子・兄弟・友人間の愛は、神様を中心とした愛でない以上、完全な愛とはいえません。

 愛の水準

 では、神様はこれまで何をしてこられたのでしょうか。神様は人間を創造本然の位置と状態に復帰しようとしてこられたのです。そのため、神様は宗教をてられ、これを通して、個人的レベルから世界的レベルに至るまで、人間を復帰しようとしてこられたのです。原理が説明しているように、復帰は一人の人間から始まります。神様は一人の男を立てて、一人の女を復帰し、これによって一つの家庭を復帰します。そうしてそれを世界的規模に拡大するのです。この一人の完全な男性、これがメシヤなのです。

 メシヤの存在が必要とされる理由は何でしょうか。メシヤが来られる目的は、人間の不完全な愛を完全な愛へと完成することであります。堕落によって愛は、サタンに奪われてしまいました。そこで神様はメシヤを通して、このサタンに奪われてしまった愛を取り戻し、純化し、聖なる愛へと高めようとされるのです。このためには、サタンの下に置かれている人間を復帰し、神様の真の愛を受けることのできる人間をつくることです。これがメシヤの使命なのです。

 したがって、復帰された人間は、神様の愛を受ける資格を持つためには、愛の水準をより高い水準にまで引き上げなければなりません。復帰された人間の使命は、サタン世界における愛よりも高い水準の愛を神様の前に示すことです。神様とメシヤは、サタン世界にいる人間いる人間を前のままで愛することができません。神様がメシヤを送られた時、もし堕落世界にいる人間がそのままで復帰されるのであれば、世界の復帰は極めて短時間でなされ、長い復帰歴史は必要なかったでありましょう。

 宗教の役割は人々を教え、彼らがサタン世界におけるよりも高い水準の愛を身をもって示すときに、神様の愛が始まるのであります。だから聖書には、「あなたがたは誰よりも私を愛しなさい、父よりも母よりも兄弟姉妹よりも誰よりも私を愛しなさい。さもなければ、あなた方は私にふさわしくない」と書いてあるのです。これが正は、統一原理の核心でもあります。

 私たちはこのサタン世界の誰よりも、神様に対してより高い水準の愛を示すことのできる者にならねばなりません。なぜなら、そうすることによって、神様の愛を受けることのできる者となるからです。だから男も女もすべての人間は、神様とメシヤを最高に愛するこにによって、人間として完成することができるのです。この理由により、統一教会ではこの道を歩まんとする者は、神様とメシヤを愛するためにすべての愛を注ぐ七年間の路程を歩むことになっているのです。

 自分を犠牲にして努力する者

 統一教会に入教後、三前ないし三年半この道を歩むことによって初めて祝福を受ける資格ができるという規則になっています。そして実際には、家庭を持つまでの準備期間として、さらに三年半歩むことにより、合計七年間の路程むことになっています。これは天からの大いなる恵みの期間です。個人から家庭、社会、民族、国家、世界へとすべてのレベルにおいて、三年路程が必要です。

 入教後三年半経って祝福されたら、今度は共に夫婦として残りの三年半を歩みます。この期間はちょうどアダム・エバが堕落したのを乗り越える期間です。完成するために二人でこの期間を乗り越えなければならないのです。だから子供をもつものは、普通、祝福されてから三年った後ということになりるのです。これまでの祝福家庭は、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭から今日まで、皆この路程を通過てきました。先人達がこのような条件を立ててきたおかげで、今回祝福された七十四双の場合は、七カ月の聖別期間を経て、子供をもつことが許されるようにちりました。

 統一教会の目標は単純明解です。私たちが統一教会のメンバーになるのは、主に出会い、神様の愛を実現することであります。皆さんはきょう早くからここに集まって、私の話しを聞いていますが、内心では早く話しが終わったらいいのに、そうすれば早く街へ新聞販売に出かけることができるのに、と思っているかもしれません。なぜそのように心が動くかといえば、それは神様自身がそれを望んでおられるからです。このように神様の願いを知り、それを実現しようと努力する者は、神様からの祝福を得る資格ができるのです。

 神のための仕事をすることによって、皆さんに将来、妻または夫にふさわしい人間となっるように訓練されるのです。皆さんが神の願いをはたすために街頭に出て行くのは、いわば将来の妻や夫にためでもあるのです。エデンの園において、もしアダムが男として一生懸命にその責任を果したならば、エバはそれほど苦労しなくても共に祝福されたでしょうし、また反対に、もしエバがアダムの分まで努力したならば、アダムはそれほど働かなくても祝福されることができたはずなのです。

 堕落とは何か。簡単にいえば、神様を無視して、自分勝手な道を歩んだことです。神様の願う方向とは何かを知らずに、一生懸命働いても、神様から祝福を受けることはできません。皆さんが神様の願いを知って、そのために働くことは、つまり将来の配偶者や子供を幸せにするための貯金をし、道を直くすることになるのです。このように神様を中心として働くということが、サタン世界から脱却するために何よりも大切なことなのです。

 サタン世界は個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へとあらゆる水準に存在しています。したがって、神様の道を歩まんとする宗教者は、あらゆる段階においてサタンから防害され、攻撃されるのです。真の宗教者はこれらの迫害に直面しても屈することなく、サタンと対決し、これを乗り越えてゆく決意を持っていなければなりません。だから結論として言うならば、もし真に神様と人類のために、自分を犠牲にして努力する人々のグループがあるとすれば、神様は必らずそのググルループを通して働かれ、そのグループは必ず世界的になるでしょう。それは間違いにのない真理です。そのような立場にあるグループが統一教会です。

 発展と勝利の秘訣

 これまで歴史上、数多くの宗教団体が存在しましたが、統一教会ほど急速に世界的になり、かつ世界的に迫害されている団体はありません。統一教会の創始者レバレンド・ムーンは何者か。その特徴は何か。レバレンド・ムーンは一つの小さな国の出身でありながら、かくも早く世界的になり、かつ世界的に反対を受け、迫害されている、という点において歴史上他に類を見ない存在です。そして、世界的な迫害の中にありながら、統一教会のメンバーはますます固く結束して、これらの障害を克服し、さらにそれを乗り越えつつあります。

 神様の目には、これこそ世界的なサタンを打ち負かすことのできない無敵のグループであると映ることでしょう。なぜこのような強さがあるのか。それは私たちが何よりも神様の愛を求めて努力しているからであります。私たちは、神様の愛を受ける者となるためにはどのようすればよいかを知っています。それは、カインとアベルの一体化によって蕩減条件を立てるということです。

 カインとアベルはお互いに敵であり、愛することができない立場にあります。サタン世界はこのために必ず分裂し、闘争が起るのです。しかし私たちは、これとは逆の道を歩みます。すなわち、お互いに愛し得ない者同志が愛して一体化するということです。これこそが発展と勝利の秘訣なのです。アベルとカインの関係において、アベルはより神様に愛される立場にあり、カインはアベルを通して神様の愛を受けるべき立場にあります。しかし、だからといってカインの立場にある者は、アベルの立場にある者に無条件で従うのが当然だ、などと考えることは誤りです。アベルの立場にある者は、カインの立場にある者が従順に従ってくることができるように、仕向けなければなりません。

 カインは本来、アベルに反感を持ち、反発する性質をもっていますから、そのままでアベルを愛し従ってゆくことは、むづかしいのです。したがって、アベルの立場にある者は、誰よりもカインの立場にある者を心から愛し、身をもって教え導くことにより、カインの立場の者が心から喜んで従ってくるようにしなければなりません。そのようにするための中心的な要素は何か。それは愛であります。愛こそ二つのものを結びつける磁石なのです。皆さんは私を愛していますか。原理が正しい真理であば、このように私と皆さんとの間に愛の関係が存在するのは当然のことです。もしそうでなかったら、原理は真理でないでしょうし、私は世界で最もみじめな人間となることでしょう。

 復帰の基礎

 私は朝早く目が覚めるとすぐ、皆さんの仕事のために外に出かけます。もっと家で時を過ごしたら良いのにと言われることもあります。が、私はいつも外にばかり目を向けています。それはなぜかというと、私は親の立場であり皆さんは子供の立場にいますから、親として私は一生懸命働くことによって、子たる皆さんも親になってがんばってくれるように願うからです。そしてまた、私ががんばることによって、弟子たる皆さんにできるだけ多くのものを相続してもらいたいと思うからです。

 私は独身時代には、北韓で拷問されたり、牢獄に入れれたり、あらゆる苦労をしまたが、そのような時でも私は希望を捨てずにいました。自分が苦労することにより、自分が築く土台の上に、将来自分に与えられる妻や子供は、それほど苦労しなくても幸せになれる。そういう希望を持って耐えました。皆さんもいかなる苦しさ、いかなる困難の中にあっても、私はそれによって将来の妻のため、家庭のために、今、蕩減条件を払っているのだと考えて、常に希望をもって耐えました。皆さんも今、同じような立場にいます。将来の妻や夫、家庭を幸せにするために蕩減を支払っているのです。

 個人から世界に至るあらゆる水準の復帰の中で、最も困難なものは個人と家庭の復帰です。なぜか。個人と家庭こそがすべての復帰の基礎だからです。個人と家庭を復帰すれば、子供が与えられます。これが世界を復帰する基本的な基台となるのです。サタン世界の迫害がどんなに厳しくても、個人と家庭を復帰してあれば、それがサタンの攻撃から身を守る盾となるのです。この基台さえ確立すれば、後は大した危険なく進んでゆくことができるのです。

 統一教会には若者が多く入ってきます。それはなぜかというとや神様が若者を多く送るからです。神様が願われることは、皆さんが若い間に大いに苦労することによって、個人としての人格を形成し、その人格の上に家庭を築き、そして築かれる家庭の上に世界を復帰して天国を築いてほしいということです。皆さんが個人のレベルにおいてみ旨のために働くとき、あらゆる方面から迫害を受けます。皆さんの家庭・社会・国家・世界が皆さんに反対し、迫害するでしょう。神様はそのようなとき、皆さんが決して挫けることなく、強く雄々しく困難に立ち向い、苦労して蕩減復帰の基台を打ち立てることを願っておられるのです。

 神の愛を求める道

 皆さんは時々、自分は孤独だと感じることはありませんか。誰も自分のことをわかってくれない。家庭からも反対され、教会のメンバーたちさえも、自分に同情してくれない。先生も自分のことはわかってくれない。そしてさらには、神様からも愛されていないのではないかと思うくらいや孤独でさびしいと思う時があるでしょう。そのような時こそ、信仰が試される時です。他人から何と言われようと、他人が何と思おうと、けっしてあきらめることなく、自分が正しいと信じる道を歩み続けると決意するならば、その瞬間、皆さんは信仰者として最高の基準に到達した時に、神様は無条件で皆さんを信頼することができるのです。そして皆さんは飛躍的に発展することができます。だから孤独の時、さびしい時こそ神様のことを思いなさい。神様を信じて、けっして希望を失わないこと、これが信仰者にとって大切なことです。

 苦難に直面した時、たとえ自分の身が死んでもこの道をめくという決意と勇気をもちなさい。皆さんは死ぬのは惨めだと思うかも知れません。しかし神様のみ旨のために死ぬことは、けっして惨めではありません。それは敗北ではなく勝利なのです。全霊界が皆さんを英雄として歓迎することでしょう。なぜか。それは蕩減復帰の法則からいって当然のことです。皆さんは、神様のためにすべてを捨てました。愛する父母や兄弟姉妹、学校、職場、すべてをみ旨のために捨ててきました。だから神様はこのような皆さんに対して、すべてを与えようとされるのです。それが蕩減復帰の法則です。わかりますか。私は正にこのような道を進んできました。

 皆さんの場合は、私ほどの苦労をしなくても済みます。私がすべてに先を歩んだからです。私の歩んだ道に従って歩めばよいのです。しかし私の場合は、誰一人教えてくれる者もなく、自分で切り開いて行かねばならなかったのです。わかりますか。安易な道を歩んでいたのでは、けっして私の道に従ってくることはできません。安易に思える道を自分なりに考えて歩んだとしても、結局は後戻りして再び元に帰ってこざるを得なくなるのです。

 世間の人々は皆さんが統一教会に入って、私に従っているのを馬鹿にするでしょう。なぜそんな馬鹿なこと〆するのか、と笑うでしょう。しかし皆さんは、この道を歩むことが必要であることを知っています。なぜかうまく説明することはできないけれども、心の中の何かが、この道を歩むことが最善なのだ、と皆さんに命令しているはずです。それは皆さんの本心で、この道が究極的に神様の愛を追求していく道であることを知っているからです。私の場合は、この道を歩むに際して、目に見えない神様に従ってきましたが、皆さんの場合は、目に見える私に従って行けばよいのです。私たちは神様の愛に向って歩んでいます。だからこの道を歩むならば、何か気持が良いものを感じ、歩まない時は気持ちが悪い感じがするのです。それは本心がそのように働くからなのです。

 男性・女性の願い

 きょうの話のテーマは「万物の願い」でしたね。それではその万物の女性たちの願いは何か。女性は自分を愛してくれる男性を得たいと願うものです。いかなる愛で愛されることを願うか。真の愛です。真の愛とは神様の愛です。要するに女性は、神様の代身者として神様の愛を与えてくれる男性を得たいと願うのです。皆さんが知っているように、神様は唯一絶対不変なるお方です。そして神様は人間を神の似姿として、永遠なる存在として創造されました。だから、人間が堕落しても、神様は人間を亡ぼしてしまうことはできず、人間を何とか復帰し、これを再創造しようとしてこられたのです。

 だから真の愛とは何か。真の愛とは、神様の性相を代表するものでなければなりません。すなわち、永遠、不変、唯一、絶対的な愛です。だから女性は、このような神様の愛を表わす男性、すなわち、女性を唯一、永遠、不変、絶対なる存在として愛してくれる男性を得たいと願うのです。女性が求めるの自由でなく、自分を真に愛してくれる男がいれば、むしろその愛の因人となることを求めるものです。そのような男性の前では、何でも男性のいうままに従うことがむしろ喜びであるのです。私は自分が女性でないからら、女性の心理を全部わかっているわけではありませんが、原理から考えれば、女性というものの願いは何かがわかるのです。すなわち女性は、神様に代わって永遠不変、絶対的に愛してくれる男性を得たいと望むのです。そのような男性がいれば、女性にとってその男性は正に神様のように見えるものなのです。

 では男性についてはどうでしょうか。男性も女性から同じようなことを求めます。そうでしょう。男たち、わかりますか。神様も正にそれを望んでいるのです。だから男性と女性がこのような水準の愛でお互いに愛し合う時に、神様を中心として一体化することができるのです。神様は分かれているものを結びつける力です。なぜ男性は妻を得たいと望み、女性は夫を得たいと望むかといえば、夫婦とちることによって神様の性質、すなわち、永遠不変、絶対なる愛を経験することができるからです。私たちの目標はこのような神様の愛を体恤した人間となり、愛の家庭を築くことです。

 三つの愛

 次に父母の役割は子供を教育することです。夫婦が互いに争っていたのでは子供を教育することはできません。子供が立派になるように導くための第一歩は、夫婦が互いに愛して一つになることです。万物の願いは何か。万物の願いは、そのような理想的な愛の関係にある人間から愛を受けることです。万物は神の愛、父母の愛、子女の愛の三つの愛を体恤した人間から愛されることを何よりも願っているのです。

 予供は親よりも愛を受けるのにより良い立場にいます。なぜなら、子供は神様と親の両方から愛されるからです。アダムとエバの子供は、アダムとエバ自身と神様御自身から愛を受ける立場にいたわけです。親子の愛は縦的であり、夫婦の愛は横的であす。だから親子の愛の方がより本質的です。なぜそういうことが言えるでしょうか。たとえばアメリカでは、夫婦の離婚はたくさんあります。しかし、お互いに愛が冷えて離婚した夫婦であっても、子供に対する愛は冷えることはありません。子供は将来、神様の愛と結ばれるための希望であり、離婚した夫婦が再びよりを戻すためにもその拠り所となることを何となく本心は感じ、子供に期待するのです。だから離婚する夫婦は何とか子供だけは自分の手元におこうとするのです。

 親がその子供を殺害したり、殺害されるような立場におくことは重大な罪です。なぜなら、神様さえもそのようなことはできないからです。そのような罪を犯す人間を、神様は赦すことができません。これと反対に、子供のために自らの生命さえも犠牲にしようとする親に対しては、神様はこれをほめ讃え、祝福されるのです。なぜなら、神様御自身がこれまで子たる人類に、自らを犠牲にしてきたから、そのような立場が理解してくれる人間がいることは神様にとって大きな慰めになるからです。

 統一教会のメンバーである皆さんは、結婚して子供をもって時に、自分たちの幸せのために子供を犠牲にし、捨てることができますか。自分の喜びのなめに、子供を邪魔者扱いするような親は、それこそ地獄へ行くに値するといわねばなりません。動物や馬ですら、自分の子供を愛する本能をもっているにもかかわらず、まして人間でありながら、自分の子供を愛さないとしたら、それこそ動物よりも劣るといわねばなりません。そのような動物以下の人間が多いのが堕落した人間社会の実状です。

 人間の価値を決定するものは何か。それは外見や財産や地位ではなく、愛であります。だから結論として言うならば、万物の願いは神様の愛、アダム、エバ、エバの愛、そして神様とアダム、エバから愛されている子女の愛、この三つの愛を受けることです。子供が親から受け継ぐものの中で最大のものは、神様の愛を体恤した親からの愛です。だから私たちは子供に対して、神様の愛を教え、受け継がせて行かなければならないのです。神様の愛がいかなるものであるかを子供に教えるめにも、親が神様の立場に立っち、神様の愛を実践することによって、子供に身をもって示さなければなりません。

 真の愛で結ばれた家庭

 統一教会のメンバーは、祝福を受けて結婚し、子供を持ったならば、もし子供に対して何か罪を犯したりしたならば、それは最大の罪であることを知っていなければなりません。その場合には、神様の前に悔い改めるよりも、むしろそれ以上に子供に対して謝罪し、子供との関係を償わねばなりません。それがもっと重要なことです。それによって子供が親を赦すならば、神様もその親を赦すことができるのです。

 これと反対に、もし子供が神様の前に罪を犯した場合には、その親が神様の前で子供の立場で悔い改め、赦しを乞わねばなりません。その時初めて、神様はその親の故に、子供を赦すことができるのです。しかし神様がけっして赦すことができない一つあります。それは神様の真の愛を破壊する罪です。誰でも神様の真の愛を放棄し、顧みない者がいたら、神様はその限人を赦すことができないのです。なぜか。もし神様がそのような者を赦すことができたならば、何も復帰のために今まで苦労る必要はなかったはずであります。これまで何千年もの間、忍耐し、苦しむ必要はなかったはずです。神様が一つだけ絶対に妥協することができないのは、このことです。

 人間が神様の真の愛を復帰する条件を自らの力で立てるよう導くために、神様はこれまで苦労してこられたのです。神様はいかなる犠牲を払っても、人間が蕩減条件を払って、失われた神様と人間との間の永遠不変、絶対的な愛の関係を復帰されようとなされるのです。この点において神様は、けっして安易な妥協をすることはできないのです。神様の真の愛を破壊する罪に対しては、神様は決して容赦できないのです。

 この世界、とくにアメリカにおいては、夫婦が真に愛し合うことなく離婚したり、別居したりするケースが多くありますが、これははなはだしいことでです。統一教会においては、祝福を受けて結婚した夫婦は、お互いに愛し合い、信じ合い、助け合って、神様を中心とした幸福な家庭を築き、世の模範とならねばなりません。真の愛で結ばれた家庭こそ、神様の栄光と喜びを表わす博物館であると思わねばなりません。それこそが神様にとってすべての中で最も貴重な存在なのです。「万物の日」などの天の名節の日に、神様はその博物館を訪れて、神様の愛と美を表わした作品を見に来られますが、神様が何よりも見たいと願われるのは、夫婦が神様の愛を中心として創り出す家庭の美であります。そのような家庭を神様は探しておられるのです。

 美の世界の実現

 神様の願いは、神様の真の愛をアダムとエバが受け、それをその子供に与え、されにそれを万物に与えてゆくさまを見たいということです。アダムとエバの願いは、神様からの愛を子供に与え、そして子供がさらに万物に対して、神様からの愛とアダムとエバからの愛を与えてゆくのを見たいということです。また、子供の願いは、神様とアダム・エバからの愛を万物に与え、万物がそれによって喜ぶのを見たいということです。

 このようなことが実現するときに、万物はこういうでしょう。「われがめはこれまで、被造物の中で最も下位に位置する取るに足らない存在だと思ってきたけれども、実際は、がわれわれは、神様とアダム・エバとその子供たちのすべてから愛される存在であるから、われわれが最も多くの愛を受ける光栄な立場にいるわけだ。だからわれわれは最も聖なる存在なのだ」と、こういって宇宙の万物は喜んで美を帰すのです。こうして万物は、神様に感謝し神様の栄光を帰すために、統一教会する宇宙の中心存在たる人間のために、人間の必要な食物や衣類やその他一切を与えるのです。

 万物はこのようにして人間の身体をつくり、人間を生かし、人間に役立つことによって人間を通して神様に喜びを帰すことを彼らの誇りと思うのです。このように世界は本来、美しい聖なる世界であるはずだったのです。統一教会を中心とした美の世界の実現、これこそ万物の願いであり、神様の願いなのです。

 皆さんは神様の代身者として万物に対してこのように考え、愛をもって接していますか。この世の多くの人々は、万物に対して感謝することもなく、いつも不平不満を言っています。このようなことでは、万物は悲しむし、万物からの美を感じることはありません。皆さんが台地を歩む時も、大地を愛する心をもって歩くならば、大地からの反応を感じることができるでしょう。文学作品や詩歌が、人々の心を魅きつけるのも、それらの中において、作者が自然の万物に対して愛の心をもって接し、それらの価値を理解して描いているからです。

 神様は人間を被造物の中で最高の存在として創造されました。人間の中に森羅万象の要が含まれています。人間の身体の構造は、植物や動物の構造と似た面をもっています。人間の胃は植物の根に相当し、肺は植物の葉に相当します。また、人間は無形実体世界、すなわち霊界のすべての要素をも備えています。だから人間は、「小宇宙」であると言われるのです。人間が動けば、それは宇宙全体が動くと等しい価値をもっています。人間はそれほど貴重な存在なのです。

 だから皆さんが真に幸福であれば、全宇宙が幸福に感じて喜ぶのです。だから人間は自分のためでなく、万物のために幸福にならなければならないのです。幸せに生きる秘訣は何か。それは常に感謝に心をもって、他者のために生きることです。自然を見るとき、神様の偉大なる創造の作品であることを知って讃美し、また感謝しなさい。そうすれば皆さんは地上天国に生きることができるのです。

 統一教会の人生哲学

 皆さんは三段階の蕩減の道を歩まねばなりません。独身時代には最も困難な苦労の道を歩みなさい。その苦労を長して、蕩減条件を立ててこそ初めて祝福を受け、結婚することができるのです。配偶者を得てからは、独身時代ほど苦しまなくても、また別の意味での蕩減復帰の道を歩まねばなりません。そして第三段階としては、子供をもってから、また新しい復帰の道を歩むことになるのです。

 高様はこれまでずっと誰よりも苦しんでこられました。それは一なるアダムを得るためでありました。だから皆さんは、神様に祝福されるアダム、エバとして結婚するまで、最も困難な苦労の道を歩み、迫害を耐え忍ばなければなりません。苦労を通してここ、真に人格を磨き、愛を深めるこほができるのです。このような苦労の道を通過して夫婦になってこそ、真に神様の願う理想家庭を築くことができるのです。

 皆さんがほんとうに神様のために、世のため、人のために自らを犠牲にして尽すならば、神様は皆さんの苦労をけっして忘れることなく、皆さんに色々な形で恵みを返すでしょうし、さらには皆さんの子孫たちに恵みがもたらされるのです。だから皆さんは独身の間に、将来の家庭と子供のためにすべてよ蕩減を払ってしまう覚悟で、神様に対して一層困難な苦労を与えて下さい、と要求するくらいでなければなりません。蕩減をはたしておかなければ、結婚してからもカタンから借金を払うように要求されることになります。サタンが門口で待っていることになります。そのような者となってはなりません。

 独身時代に完全に蕩減条件を支払っておけば、祝福されてから相対者をサタンから守ることができます。蕩減をはたして神様の愛の一体となった夫婦には、サタンは指一本触れることはできないからです。そのような家庭こそ、真にサタンから解放され、自由を享受することができるのです。そのような夫婦は世界中どこへ行ってもサタンの讒訴を免れることができるのです。

 皆さんは統一教会に雇われて教会のために働いているのではありません。それどころか、私が苦労して築いた土台の上に、大きな恵みを受けるために歩んでいるのです。私はそう思いますが、どうでしょうか。皆さんは将来、天国に生きるために歩んでいるのです。だから皆さんは、自分自身をその目的のために雇っているようなものです。もし不満があるとしたら、それは自分に対する不満であるべきです。けっして他人のせいにしてはなりません。アダムは堕落した時、それはエバが悪かったからだと、責任を転嫁しました。そのように責任を他に転嫁するような者となってはなりません。不満があるならば、自分をこそ責めるべきです。他に対して不平不満を言う者は、天国への丘を越えることはできません。

 私にしても、もし神様に不平不満を述べるとすればいくらでもあります。「神様、あなたはなぜ私にアメリカへくるようにと命じられたのですか。アメリカでは、歓迎もされないし、生命を狙う者さえもいます。なぜこのようなことをせよと命じられるのですか。あなたらほんとうに私のことを思って下さっているのですか。」等々、いくらでも神様に対して不平を言うことができます。しかし私は、けっして神様に不平を言ったことはありません。だから神様も私に感謝し、受け入れて下さるのです。

 私は神様に対して、「どうかもうしばらく待って下さい。必ず勝利しますから」と頼むだけです。皆さんも神様や私に対して、このような態度を示してほしいのです。わかりますか。皆さんはどちらを取りますか。不平不満の道ですか。(従順です!)では従順によって皆さんは何を得るでしょうか。何よりも、皆さんは人間として完成することができます。完成することがなぜ必要ですか。それは真に、神様の愛を受けることのできる人間となるためです。そうすることによって、万物を真に解放する力が神から与えられるのです。

 統一教会の人生哲学はこうです。「私は万物に影響を与え、世界に影響を与え、神様に影響を与えるものとなります」これです。きょうは正に、このことを決意し、誓う日としましょう。ほんとうにそのような生き方をするために出発しようではありませんか。そのように決意する人は手を上げなさい。どうもありがとう。では祈りましょう。





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.27 18:19:06
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