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2021.09.28
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「再会の心情」

1977年9月11日
ニューヨーク・ベルベディア

  暖流と寒流

 七十日後、あなた方とこうして再会することができて、本当にうれしく思います。私が、ここを出発したのが七月三日ですから、ちょうど七十日間です。この七十日間に皆さんが、私を恋い慕う思いで待ってくれましたことを、心から感謝しうれしく思います。再会に際して、互いに慕い合う情や、懐かしいと思う情と意志が起きなければ、共通の目的と目標がないということになります。

 私は韓国人で、アジアから来ましたが、あなた方はアメリカ人です。一方は東、一方は西という文化伝統の全く相異なる両極の世界をつなぎ合わせ、結合させるという背後には何か深い摂理的な内容があるのです。そうでなければ今あなた方が、こうしてアジアから来たある人物を慕い待ち望んでいるということは、起こり得ないはずです。

 御承知のように海には、暖流と寒流があります。海は、たとえじっと静止しているように見えても、決して止まっているのではなく、絶えず異なる二つの海流によって動いているのです。この二つの海流は、それぞれあちらの方向、こちらの方向と激しく動き回りながら、しかも常時ぶつかり合い、出合っているのです。人の目には、膨大な海原は不動で静止しているかのように見えますが、実はその広々とした海洋に、大いなる運動が展開されているのです。流れ、走り、ぶつかり、うず巻き合い、その他あらゆる動きを海洋の中に見いだすことができます。

 海洋の動きを観察する人は、一日に少なくとも二回、海がふくれ上がったり減少したりして潮が出入りするのを見届けるはずです。しかし海の動きは、それだけではないのです。潮が流れ激突し合って動いていく中に、全地球の動きが、実にこの動きの中に包含関連づけられているのです。

 海中には、この潮の流れに従って、多種多様の驚くべき魚がひしめき泳いでいるのです。海の多数の魚が、暖流と寒流の巡り合う所に住んでいます。世界でも有数な漁獲地、例えばボストン北部やヨーロッパ北部といった漁獲地は、例外なく暖流と寒流が交流しているのです。魚の種類は、川の魚と海の魚の二つに分けることができます。しかし魚が産卵する時には、通常、川と海の魚が出合う場所を探し求めるのです。産卵の目的のゆえに彼らが特定の交合点に集まるということは、実に驚くべきことです。出合いということ、共に一緒になるということは、非常に大切なことです。

 さらに古代文化の根源を見る時、いくつかの世界的に有名な文化発祥地は、例外なくどこも水と陸が合流しているのを知ります。陸も港も川もみな一つに集合する。そうでなければ人類の文明は発生しません。例えばギリシャ文明やイタリア文明は、陸または半島、あるいは港と川とが合致している特別な地域です。これらの地域は、人類文明のために特別に選ばれた地域です。

  劇的な出会い

 そして出会いや再会のその距離が、短ければ短いほど感激は少ないのです。しかし遠く離れた両極が再会するとなると、その感激は、劇的な感動ぶりで迎えるのです。ある意味で私は、地球の反対側の最も離れた所から来たことになります。多くの人々は、韓国といえば遠く離れた国、ともすれば月よりも遠いように思っています。アメリカ人の心の中には、韓国は戦争で知られ、戦争の惨事で惨めに傷ついた跡が思い浮かぶのです。韓国とは、この国ではそれほど色鮮やかな国としては映らないのです。

 例えていいますと、米国は山の高峰にそびえ、韓国は谷底の奥深い所にあるとしましょう。ところで世の人々は不思議がっています。「いったい、この理解できない事態は何だろう。誇り高き近代文化の頂点にあるアメリカで、谷底の奥深い所にある韓国から来た人物に、全くどんな力と理由があるのだろうか。この両者には、どんな関係があるのだろうか」。人々はとんと見当がつきません。

 広大な海は、表面では分からなくてもそこには暖流と寒流とが交わり合って大運動が展開しています。同じように、レバレンド・ムーンと皆さんたちが、大洋の潮流のように二つのものが一つになる時、偉大な、普通でない出来事が生じるのです。ではそれはいったい、誰の意志なのでしょうか? レバレンド・ムーンの意志ですか、皆さんの意志ですか? 私は、そうとは思いません。そこには何かそうせしめる摂理的な意志とかみ旨があるに違いありません。二つの極を押し合わせ、一つの偉大なものへと結び合わせるある宇宙的な力が働いているに違いないのです。そこには、何か超自然的なものがそうせしめているのです。

 何か興味を引く音楽を作曲する場合、高い音から低い音あるいは強い音から弱い音への急激な変化のある音やリズムの動きのある曲にします。ドラマーを考えてみましょう。彼はただ、ドラムを上下に打つだけではないのです。わくわくするようなドラムをたたくためには、彼の動きは大きく幅広く上に跳ね上がったり下がったりする必要があります。その動きが私たちをわき立たせるのです。ドラム自体が興味をそそる音を出すのではなく、ドラムをたたく人間であり、また彼のすべての動作、顔つき、その他すべての動きが総合されてそのような音をつくり出していくのです。こうして出てきた音が、聴衆者に響き、共鳴をもたらし、興奮へと導くのです。バイオリンは、細い弦を使う楽器です。非常に女性的で、美しい音を奏でます。しかしこのバイオリンにも、高い音と低い音があり、大変音の変化の激しい楽器です。太い弦は低音を、細い弦は高音の響きを奏でます。この弦によってバイオリンの美しさを奏でているのです。

  調和による美

 人類の東と西の融合を考えたら、バイオリンと比べることができるでしょう。皆さんは、バイオリンの低音部の弦のようなものです。アジアの文化は、まるで高音でバイブレーションは極めて高く、貫く音を出します。歩き方も東と西とでは、大層な違いがあります。アメリカの人たちはターザンやキングコングのように歩きます。しかし日本人の歩き方は、小刻みです。ダンスを見ても、調和のとれたよいダンスを演出しようとすると、ここでも日本人のような小さな動きと、アメリカ人のような大きな動きの両極がなければならないのです。こうしたすべての動きが総合的に結ばれ、一つの調和された動きとして描き出される時、そこに偉大な芸術がつくり出されるのです。

 調和という言葉を用いる時、その言葉は単に同じものを結び合わせる目的のために存在しているのではありません。調和の状態が美を生み出す時は、両極端に異なるものが融合し一つの美を創出する時なのです。調和の価値は、相異なる二つのものが結合し、一つの意味をかもし出すことによってつくられるのです。ではいつ、それがなされるのでしょうか? 皆さんは花が好きですか? どんな種類の花が好きですか。赤い花ですか、あるいは黄色ですか? 一人一人違った好みをもっていると思います。もしすべての人が、黄色だけを好んだとしましょう。そうしたらその世界は、たちまち黄色と化し、黄色の衣服、黄色の口紅、黄色の化粧になってしまいます。その世界は、実に色の地獄になっています。気の狂った世界です。

 宇宙の神秘とは何でしょうか? 調和です。すべての色を統合した時の調和です。ある時は黄色、赤色、青色、それが混じり合ったもの、斑点のあるものなど、様々です。様々な色があるから、私たちはいろいろ解釈鑑賞することができます。私たちの心情をいろいろ反映することができるのです。そこには美があり、私たちはその美に決してあきることがないでしょう。

  人間にある調和

 朴普煕先生を御覧なさい。けさ朴先生は、様々な色を携えているでしょう。黒い髪と少し日焼けした額と唇、それに灰色のスーツ。一人の人の中に既にたくさんの異なった色があるのを見つけることができるでしょう。女性は、自分自身を引き立てるために、何か一つよけいに装います。ネックレスとか指輪とか装飾品を身につけます。皆さんは、いつも同じものを身につけますか? 一つ一つ違うはずです。赤い色の服を着た時、それにマッチしたものを身につけるはずです。マッチするということが、つまり調和ということなのです。
 あなた方は、すべての人が例外なく青い目をもってほしいですか? 私の目が黒と茶であるという理由だけで、私のことを「ノー」と言うのではないでしょうか。皆さんは、心底では青い目が好きなのでしょう。それでは皆がみな、青い目、青い歯、青い舌をしていたらどうでしょう。その上に青い顔であるとしたらどうでしょう。なぜ神は、そこに青い目を与えたのでしょう。白い肌と高い鼻それに黄色い髪、その中にちょうどうまく対照的に調和するようにはめられた二点、それが青い目だったのです。まるで二つの小さな池のように。
 特にアメリカ人の鼻は高く、目は深いので奥をのぞき込むのに何マイルも行かなくてはならないのです。考えてもごらんなさい。目の井戸の奥深い所が黒であるとしたら、何か恐ろしくある意味では地獄のようです。しかし神は、黒い目を収められなかった。神は青い目を置き、そして劇的に美しさと完全な調和をかもし出されたのです。皆さん、私の説明はなかなかよいとは思いませんか。黒い歯をずーっと並べた人を想像してごらんなさい。たとえその人が笑っても、恐ろしい顔に映ります。

 被造物を見ると、神は実に見事な芸術家だと感じます。それを観察すると、それ以上に優れた調和は考えられません。すべてのものがうまく調和しているのです。東洋人の顔は、特に女性の顔は平たくつくられています。神は、その顔に合わせて目の色を与えられました。神は、いかにして事物をマッチさせるかを知っておられます。ですから被造物は、実に美しく調和を保って創造されているのです。

  交わる時の混乱

 極と極とが出合い統合して、調和の美がつくり出されます。暗黒の世界も二つのものが出合う時、そこにはいつも、何か稲妻のような閃光があるのです。文化の最果ての極、すなわち韓国からきたアジア文化、それを代表するアジア人のレバレンド・ムーンに、その逆の極地にあるアメリカの若者がなぜ従うのですか? 私たちは、ここに東と西の両極を合致させ、調和された文明へと統合して、宇宙的な美をつくり出すために集まっているのです。

 ところがあなた方の両親の多くは、私に反対しています。川が流れる時、いつもどこかに何らかの妨害物があります。水が岩を打ちつける時、そこにはざわめきや混沌、そういうものがつくり出されるのです。ですから二つの巨大な文明圏が一つの融合となって交わり合う時、必然的にどこかで生じる騒動は避け得ないのです。しかし、ある混乱や騒動が生じても、しまいにはそれらも統合されるのです。それは水がすべてつながり合っているように、一つの主流に最終的に巻き込まれていくのです。一度主流に加わったものは、主流の先を越えていくことはできません。どこまでも主流と共に流れていくのです。

 現在、両親が反対し否定的であったとしても、時は、必ず来るのです。ぶつぶつ文句を言いながらも、しかも我知らず両親はこの遠い流れの末端に連なって、従ってくる時が必ず来るのです。そうすることによって、また一つの大規模な融合がなされるのです。川の流れは、あらゆる種類の動きがあります。急流、うず巻き、混沌、激突が行われ、主流へと流れ込むのです。しかしその動きが滝にさしかかるとしましょう。その時は、すべての水の動きが前向きへと向かってしまうのです。

  味わいある水

 あなた方が山へ行くと、たくさんの岩やあらゆる形をした小石や、多くの種類の木々を見つけるでしょう。この無数の岩石や木々を通り抜け、わき上がって出てくる水は、実に健康に良い水なのです。それは、この水があらゆる種類の物質からたくさんの要素を吸収して、うまく調和されているからなのです。

 私は時々、美しい山の鳥がなぜ山に住むのか、と考えたことがあります。それは、美しい水がそこにあるからなのです。ですから山から離れ去ることができないのです。このように、すべて論理的になっています。山を流れる川、入り江を形成する小石の一つ一つ、崖に突き出る岩々、山川草木のあらゆる色や形や種類は、全体を美しく調和的にまとめ上げているのです。その一つ一つが重要な役割を果たし、何物も無駄な存在とはなっていないのです。こういう観点から見ると、すべてのものがより一層美しく映えてくるのです。

 あなた方も、高い山に登りわき水を見つけてごらんなさい。山からわき出る水は、決して人を害するものにはなりません。山の鹿やトナカイを御覧なさい。いつも澄んだ水を飲み、清い美しい公害のない空気を吸って、あんなにたくましく、健康的に速く走っているではないですか。すべては一言に尽きます。それはハーモニー、調和されているからです。調和された世界とは、画一化され編成化された世界のことをいうのではありません。調和とは、個々別々にそれぞれが各自の独特の個性を発揮しながら、互いに引き立て合っていることなのです。何が山を素晴らしくするのですか? あなた方は、高く伸びた松の木だけが山を美しくすると考えるのですか? そうではありません。一種類の木だけではなく、すべての種類の木々、巨大な木、曲折した木、様々な影と色を映し出した木々が、その山の美しさをつくり出しているのです。

  出会いの理由

 本来の話に戻りましょう。私たちは、なぜここで出会うのですか? なぜハーモニーが必要なのですか。なぜ東と西の文化が出合うのでしょうか。またどんな調和で、どんな目的があるのでしょうか。それを話すために私は「再会の心情」という題を選びました。外的な統一、一致だけだとそれは浅薄なものです。そこには深く心情的な愛を中心とした理由があるに違いないのです。出会いの、何かの理由が。

 この世には、あらゆる研究分野があります。その中でも、最も私が重要だと考える研究分野は、調和についてだと思います。もしある大学が、調和科という学部を設けたとして、その学部で研究した学生が結婚する時、単純な画一化された同種の文化民族同士の結婚を願うと思いますか? きっと願わないでしょう。皆さんは、反対の人を願うといいました。では白人に対する反対というと、それは黒人です。これは、実に意味深いことです。アメリカには、白人と黒人がいます。全く正反対の者が、共に住んでいます。これには、いったい何の目的があるのでしょうか。そして今日、アメリカには完全な調和が見られますか。調和を保てない理由は、どこにあるのでしょうか。いったい、誰に責任があるのでしょうか。率直にいって、調和を妨げるきっかけをつくっているのは誰ですか。黒人ですか、白人ですか?

 ここアメリカには、全く調和がありません。神様は、二極を組み合わせ調和をつくろうとされてアメリカを祝福されました。ですからこの国の不調和に対する責任をとらなくてはならないのは、まずもって白人です。神は、アメリカ人が世界の中でも最も調和学部を必要とする国であると思っておられます。あなた方は、調和学部の生徒でなければなりません。そしてあなた方が、この特別課目をよく修了した時に初めてこの世界に調和が見られることでしょう。

  昼の文化と夜の文化

 真昼は明るく膨大な太陽の陽光が、全くその逆の立場にある真夜中に向かって照らし出すのです。しかし真夜中を通過しなくては、翌日の真昼を迎えることができません。もし真夜中の暗闇を通過することを欲しなければ、次の日の真昼の中に現れることはできないのです。

 今日、西洋文化は、原則的に白人文化です。白人文化は、非常に尊大であり、また権威主義的なのです。例えば、「我々白人文化は、他に何もいらない。最高の文化である」と言っています。他の原始的で暗黒の文化や黄色人種の文化を排斥したりして、自分たちのみが生き残ろうとするのです。それは、あたかも真夜中を通過することを拒否する真昼のようなものです。そして二度と再び、次の昼を迎えないでしょう。他を排斥するような西洋文化圏に住む人々が、どれほど必死になって食い止めようとしても結局は滅んでしまうのです。

 今日、西洋文化は、真昼のような最高の明るさの中にありますから、今後の西洋文化の方向性は、原始的で暗い文化のような人種の暗い文化へと移りつつあるのです。西洋文化に、他の何ものかを混ぜ合わすように努力すれば、新しい創造と新しい日が始まるのです。もう一つの栄光に満ちた繁栄が訪れるのです。そうしなければ西洋文化は、何の希望もありません。

 さて、どちらが完全な調和に近いでしょうか? 高い文明は高い文明にとどまり、低い文明は低い文明にとどまっているのと、二つの文明が互いにその位置を交換するのと、どちらが完全な調和をつくり出せるでしょうか。かつてのギリシャも、彼らは自分たちの文明の精華を悦楽していました。彼らは、その文明が永遠に存続するものと考えました。また強大な力を誇ったローマ帝国も同様です。彼らは、自ら享楽している文明が未来永劫に存続する、と考えていたのです。彼らの文明が滅んでしまうなどとは、誰も考えたり予感すらしなかったのです。しかしいつしか、いずれの文明も滅亡してしまったのです。

 今日、最高の頂点を謳歌している西洋文明も、夜というものを探し求め通過していくビジョンがなければ、かつて不滅を誇ったすべての文化と同じく、この文化もまた消えていくのです。それが自然の理であり、普遍的法則なのです。例外のない何人も避けることのできない真理なのです。

 和合者による調和

 このように調和が、文化を存続させたり繁栄を約束したりする鍵になるのです。そしてこの調和をつくるためには、和合者がいなければなりません。ゴム糊とか接着剤のような、間に来るような人物がいなくてはなりません。しかしこれは、一瞬の内にできることではありません。原理的で規則正しく厳正な過程を経なければなりません。例えば極と極である白と黒とが調和されるためには、その中間色である黄色がこれら二つの中間に立たなければならない、ということは論理的に正しいのです。ですからあなた方は、神様がなぜレバレンド・ムーンをアジア人種の中から選び出したか、明瞭になったと思います。調和をつくり出すためには、絶対に和合者や媒介者が必要なのです。

 神は、白人と黒人とが険しく激突している事態に遭遇しているこのアメリカに、レバレンド・ムーンを連れてきました。私は、一本の腕で白人を支え、もう一本の腕で黒人を支え、踊りを踊りながらバランスを保つよう努力しているのです。私は、二つの人種を闘いの形相から微笑の形相に変えようと試みているのです。今、白人が私を拒絶する割には、黒人が私に親愛の情を示しているということは、非常に驚くべきことです。ある意味では素晴らしいことですが、これは神様は黒人だけが好きだとか、白人だけが好きだということではありません。神が人類を救済するために、こうした現象が起きつつあるのです。このことは、重要な真理なのです。

  二つの脅威

 白人文化すなわち西洋文化には、基本的に二つの脅威があります。この二つの脅威のゆえに西洋文化は、滅亡の危機を通過しつつあります。一つは、共産主義によってもたらされ、もう一つは、黄色人種によって引き起こされるものです。このことは、西洋人自身が認めている事実です。そしてこのことに対して彼らは、非常に神経質であり偏執病的であり懐疑的です。彼らは私に対してさえ、「彼は共産主義者ではないか。彼はイエロー・パワーの中心的人物ではないだろうか」などとささやき合うのです。

 さらにこのイエロー・パワーと共産主義の力とが一つになって、あなどり難い勢力として西洋世界に対峙しているのです。それが中共です。アメリカは、今この国に恐怖を感じております。共産主義国家中共は、巨大なイエロー・パワーなのです。ですからアメリカは、中共の関心を勝ち取るために、外交使節を送ったり上手に振る舞ったりしております。しかし中共の共産主義者たちは、「我々は真の友人をもっている。だからアメリカは出ていけ」と言っております。アメリカ政府は、中共を相棒にすることができませんでした。これがアメリカのおかれている現実的な立場です。

 なぜ太陽のもとにおける最強最大の国家アメリカは、中共に威{い}嚇{かく}されているのでしょうか。なぜ建国三十年前後の中共に、アメリカが関心を払うのでしょうか。それは、西洋文化に打ち勝つ何ものかが押し寄せてくるのを感ずるからです。イエロー・パワーと共に共産主義という巨大な津波が打ちかかって来るのです。そこに一種の恐怖を覚えるのです。しかしこれは、必然的な一つの歴史の流れなのです。

  もう一つのイエロー・パワー

 私は、同じ領域のアジアから来ましたが、私の道は中共とは全く反対の立場です。現実問題として共産中国は、イエロー・パワーと共産主義とを合わせもって現代のアジアに恐るべき勢力を築きました。一方私は、共産主義とは全く逆の立場から、もう一つのイエロー・パワーとして登場してきました。彼らは、「神は存在しない」と主張します。しかし私は、「神は実在する」と訴えるです。

 今日、共産中国は、「我々は、実に長い年月にわたって辛苦をなめ続けてきた。しかし今や我々は、共産主義によって世界を征服する。我々黄色人種が世界を征服するのだ」と言っています。しかしもう一つのイエロー・パワーである私は、「いいや、我々はそれは許せない。我々がなすべきことは、全人類が一つの共通の親、すなわち神のもとに一つになることである」と言って西洋の若き青年たちあなた方と結び合い、巨大な神の基盤を築いているのです。

 これらの二つのイエロー・パワーは、現在互いに面と向かい合い、また激しい戦いの中に対峙しているのです。しかし私は、西洋文化に対するイエロー・パワーの脅威から彼らを防御するために、西洋文化にアプローチしているのです。私は、巨大なコンテナー(入れ物)としてこの容器を満たすべく、アメリカという西洋世界に参りました。私たちはこの容器の中をまだまだ材料で満たさねばなりません。そしてやがてこの容器がいっぱいとなり、あふれ出すような時が必ず来るのです。何者もこの巨大な潮流に逆らうことは不可能なのです。私はこの巨大なパワーが、神の願いのごとく働くことを願っています。そしてこれは、単に黄色人種のためのものでは、絶対にあり得ないのです。西洋文化と全人類を救済するために、すべての人種を黒人や黄色人種などの区別なく、一つの大きな流れとなるのです。ナイアガラの滝よりも、もっと巨大な流れに成長してくるのです。

  統一教会の行く所

 それでは統一教会は、いずこへ行くべきでしょうか。統一教会は、この潮流を動かさねばならないのです。私たちが高い位置にあるとするならば、一番底辺に降りていかなければなりません。また仮に、一番低い所にいるとするならば、最頂へ向かわなければなりません。現在、統一教会は、アメリカにあって底辺にいるのです。今あなた方は、この国を神の方に向かわしめるための、準備をしていますか? 今からこのことが、現実的な問題として展開してくるのです。ですから私たちは、底辺から頂にはい上がっていくのです。そしてその次に私たちは共産圏に向かうのです。海が熱帯地方の水が北極に向かい、北極の水が温暖水域に向かって流れていることは、一般的事実です。すべては、回転しなければならないのです。

 人類の文化の流れも、同じように回転しています。古代文化は、熱帯文化でした。インド文明もエジプト文明もギリシャの文明も、すべて熱帯か亜熱帯地域に属しているのです。現代文明は、温帯文明圏にあります。例えばアメリカ、西ドイツ、日本、イギリス等々の国は、みな温帯地域の中にあって世界的な大きな勢力になっているのです。そして歴史は必然的に、寒帯地域に向かうようになるのです。それが共産主義のソ連です。ですから今日、この寒帯文明は、全世界に吹きまくり暴風雪をもたらしているのです。

 しかし聖書的歴史から見ると、元来人類文明の源エデンの園は、熱帯地域にありました。これが秋に相当する涼帯文明に移行し、さらに現在共産諸国が存在する冬の文明である寒帯文明へと移ったのです。私たちの生きている所は、涼しい秋の季節です。共産主義が、この秋の文明圏に吹き暴れ、冬の到来を告げています。

  新しい世代の種子

 すべての葉が色づき落ちていきます。そしてそれと同時に、秋は収穫を代表しています。収穫とは、新しい世代を約束する種子がある、ということを意味しています。葉が落ち実が落ちて、木は枯れ木となりますが、その実の中に種子が威厳をもって存在しています。冬が過ぎてやがて春に相当する新しい文明が、種子を蒔かれて誕生するのです。では誰が、この新しい人類の種子になるのでしょうか?

 私は、あなた方に人類文明の流れが、正確に復帰のパターンに当てはまることを知ってもらいたいと思います。復帰には、ある基本的な骨組み、筋道があるのです。中心点があるのです。それがすなわち種なのです。種子は、外皮の中に隠された要素で、どんな天候にあっても腐らない、いかなるものにも勝って堅いものです。新しい日が来るまで、じっと耐えて自己を守っているのです。種子は、ある意味で小さく醜い存在ですが、内部には強力なパワーをもっています。どれほど寒い冬が襲ったとしても種子だけが春を迎えるのです。そしてこの厳しい冬が種子を鍛え上げる唯一の助けになるのです。

 これは、歴史的な原則であって、私が作った特別な理論ではありません。ではどこにこの真実を見いだすことができるのでしょうか。この新しい生命の道、信仰の道は、共産主義によって犯されるような弱いものではありません。共産主義も、西洋文化も他のいかなる思想、宗教、イデオロギーも、この生き方に対して何の力ももたないのです。種子は、四季のいかなる温度によっても影響されず幾十年幾百年も生命を保ち続けるのです。その種子こそ統一教会なのです。

 あなた方は、本当に自分たちがいかなる厳しい天候にも生き残り、春を迎えることのできる種子になっていると実感していますか? こういう概念を、今初めて気がつき意識するようになったのでしょう。そして賢明なあなた方は、その考え方を私から盗んで自分のものにしようと思っているのですから、泥棒みたいですね! ここであなた方が、間違いなく種子になれるという絶対的確信をもったとしたら、これは歴史的事件です。良い意味で重大な問題です。あなた方は、巨大な力の源泉になるのです。

 冬を通過する種子

 けさの私の説教を要約すれば、一つの力強い黄色い勢力、イエロー・パワーが、他のもう一つの中国という神を否定する勢力に、相対するようになるということです。私は、地球上のすべての人種を神という共通の父母のもとに導きつつあります。それは、言葉だけのことではなくして注目に値するイデオロギーをもっているのです。私は今日まで、み旨を実らせるために、巨大な文化を築くために、様々な試練を乗り越え何回となく冬を過ごしてきました。ですから、あなた方も訓練されなければなりません。

 西洋文化は、秋の文化に相当しています。秋は急速に過ぎ去っていくのです。そして今日、人類の前に冬が戸をたたいて訪れているのです。私たちが一粒の種子になるためには、冬の冷たい気候に耐え得る堅い殻が必要なのです。そのためにあなた方は、規則正しく厳しく訓練されなければなりません。アメリカの人々は、夏が来ると涼しい所に避暑に行き、冬が来ると暖かいマイアミビーチに出かけています。統一教会は反対です。私たちは冷たい気候で衝突する。また暑い気候の所で衝突する。それに出会い勝利する。これが私たちの生き方なのです。あなた方は、堅固な種子になりましたか? 共産主義のような、冷たい天候に試される準備をしていますか。彼らの拷問にあい、信仰の放棄を強いられるようなことを、考えたことがありますか?

 実際問題として、あなた方は相当の問題児とされています。誰もあなた方を、正しく評価していません。しかし私たちは、歴史の必然的流れが明確に分かっています。ですから寒い冬の中でも、私たちは元気はつらつになるのです。やがて春が来て種子が芽生えるように、私たちの時代と希望が実現されるのです。

  中和文化の到来

 今、私たちは、人種と文化の異なった環境から集まり、ここで出会っています。ここで私たちのなしていることは、清く崩れることのない何ものかを、互いに交換し続けているのです。一粒の堅固な種子となるためには、いろいろな要素からエネルギーと成分とを吸収する必要があるのです。土、水、肥料と太陽光線などが一つになって初めて、一つの種子を形成するのです。美しい白人の女性たちは、どう思っていますか? あなた方は心の中で、“私は黒人も黄色人種も好きではない”と考えているのではないですか? それとも人種偏見から完全に抜けきっていますか。黒人の女性たちは、どうですか。今もなお“白人には我慢できない。たとえ原理を聞いたあとでさえ嫌だ”と決心しているのではないですか? 私は、きっとあなた方が神の愛のもとで、互いに一つになっているのだと信じます。

 私たちは、互いに不滅の美のエネルギーを引き出し合っているのです。ですから不滅の種子を創造することができるのです。やがて春が到来します。新しい日、理想の世界が到来するのです。それは春の文化であって、私はこれを中和文化と名づけます。中和とは、中心的調和あるいは中心的平和を意味します。あなた方は、この中心的調和の要素になる準備ができていますか? 今、人類歴史は、春の文化に向かって移動しつつあります。それがエデンの園、すなわち地上天国なのです。それが人類歴史の最終目的地なのです。

  神の愛による種子

 一粒の種子は、いったいどこから来るのですか? レバレンド・ムーンからですか? その種子の原因は、神御自身です。神が根であり、あなた方が種子です。神は愛のプロセスを通じてこの種子を創造されました。この愛のプロセスにあって神の愛の丹精あることによってのみ、種子が堅くなる道があるのです。

 私たちは、基本的に二つの調和的愛をもっています。一つは人類の愛、人間性の愛であり、他は神の愛です。二つの愛は、一つの愛の中で調和しなければなりません。円は、ある点を中心に回転しています。この円運動が中心点に来れば、再び中心点外に行かざるを得ません。自由に内と外を動くことは、行き詰まりがありません。この円運動の中心点は、運動の中心、核心です。そしてこの位置を占めるために、メシヤが来られるのです。メシヤによって天的愛が中心からもたらされ、私たちは外に出ることができるのです。

 今日まで、この人間と神の愛の完全に調和した理想社会は、単に理想としてあるいは、夢の世界に存在するものとして考えられてきました。メシヤは、この不可能と考えられてきた現実を、実際的なものにされるお方なのです。そしてそれが今は、手の届く所にあるのです。統一教会は、この目的を達成するために誕生しました。レバレンド・ムーンの最大の貢献は、人類と人類歴史に対して一つの共通の目標のもとに、人類を一つに織りなし、神の愛によって一つの調和的理想を実現していくところにあります。

  争いの原因の統一

 今日まで、常に、北と南の間には争いがありました。アメリカも例外ではありません。南部と北部が互いに敵となり、南北戦争を引き起こしました。東洋と西洋も互いに戦ってきました。このことは、国家間の問題だけではありません。家庭にあっても、団体同士も、常に争いがあったのです。

 何をもって、私が勝利している、といえるのでしょうか。それは、争いの原因を統一させることによってです。私はそれを試みているのです。小さな韓半島にあってさえ南北の人々は、それぞれがプライドをもち互いに敵意を抱いています。彼らは、歴史的に憎み合ってきました。しかし統一教会の結婚では、南北の一致があるのです。初めは南部の花婿と北部の花嫁は、互いに敵同士のように相対し、まるで二人の騎士が決闘をして捕らえているようでした。しかしやがて二人は、微笑し夢中になり、ついには最高の幸福をつかんだのです。この二人ですら初めは敵同士のようだったのですから、家族がどれほどの関係であるか言うまでもありません。しかし彼らも、いつしか花婿と花嫁の喜びに包まれてしまうのです。そして今では、韓国にあって大勢の青年たちが、「今度の合同結婚式はいつか。自分も加わりたい」と外部の人までが興奮を抑えきれないでいるのです。小さな波が、津波のように大きく成長しているのです。日本も同じです。初めは反対したけれど、今では、統一教会のカップルを見守っているのです。

 アメリカでも同じです。私の一挙手一投足を色メガネで見ながら、「次の結婚式はいつか。アメリカの青年たちの反応はどうか」と言っているのです。しかしいつかは理解されるようになるのです。全世界の人種が一つになる一番近道は国際結婚しかありません。二つの全く違った文化圏と環境から選ばれた男女が、神の愛によって仲むつまじく一つになる。これが完全なる調和と統一なのです。

 神の心情を知る私たち

 このような空想を実現するのが、私たちです。偉大な仕事を成就するために、私たちは巨大な愛の力を探らねばなりません。ただ最高の愛の力によってのみ、そのような力を発揮するのです。社会の動きや環境によって翻{ほん}弄{ろう}されるような愛ではありません。最高の愛こそが、国境を越え、人類の境を越え、文化の境を越え、知識の境を越えるのです。

 人類歴史を通じて展開してきた人類愛は、こうした壁を乗り越えるには限界があります。私たちの統一教会は、一なる神の愛と神の心情を中心に存在しております。統一教会は、人類歴史上初めて神の心情を語る、最初のグループになるのです。神の心情は一度感ずると、朝の太陽のように広がり、誰もとどめることはできません。さらにその輝く朝の光が、全世界をあまねく照らし出すのです。人間には一つの中心的ポイント、心があります。それは全人類を代表して神の愛を人間の基準につなげる点です。それは一つの点にとどまることはありません。遍在的であって、全地にあまねく広がり内外に出入りし授受作用するのです。神の心情、仮にあなたがそれを中心に回転する時、あなたの意図は、神の心情と出会うことでなければなりません。

 そしてその中心点と出会ったら、あまりに美しく圧倒される経験のゆえに、再び外に出ていくのです。神の心情に出会って、外に向かってはじき出される時、家族や、社会や、国家や、世界を抱き抱えたいほどの興奮を味わうのです。このようにして私たちは、あらゆる国内を通過しながら、地上天国実現へと向かうのです。

 これが、喜びの再会、心情の再会に関する中心的真理です。東洋と西洋が、共に出合い、喜んでいる。二つのものを一つにつなげる中軸、核心が神の心情なのです。私たちは、言葉でもって十分に神の心情を表現することができません。しかしそれは、私たちの心を温め力づけてくれます。あなた方が、心の空虚さを感ずることは間違いです。あなた方の心の中に、その中軸に神の心情の動きがないならば、たとえ統一教会員であっても、内面に空洞を感ずるのです。神の心情がすべてです。神の心情が心の中に入り住みつくようになれば、一人でいても決して寂しくはありません。すべてが充実してくるのです。完全に満たされた人は、完全に幸福なのです。

 幼い子供が外から帰った時、兄や姉が楽しく談笑していても、もし母親がいなかったらその子供は、「誰もおうちにいないの」と言います。実際は、楽しく優しい兄と姉がいてもです。それは、母親がいなかったからです。すなわち母親が愛の主体者だからです。愛の中心、中心軸がそこにあるので、皆は満たされ無心に振る舞うことができるのです。

 今あなた方は、主体の位置に立ち、その愛を広めなければなりません。この愛を十分に捧げ尽くした時、理想の倍化と実現化があるのです。愛は、距離を超越します。そして愛のスピードに対して光の速さは、比べものになりません。愛は最も速く、最も明るく、最も満ち足りているのです。愛は最高の甘さです。全宇宙の中で、愛を越えるものは何もありません。例えば、退屈で味気のない人生を送っている女性が、この愛の可能性を知った時、突然彼女は、体全体が輝くばかりに変わるのです。このような奇跡は、ただ愛の力によってのみ可能なのです。脅迫や銃口ではできません。

  統一教会の生き方

 私は、あなた方に統一教会の生き方を、知ってほしいと思います。私たちの哲学、原理の核心は、宇宙の中心、神の心情に連結しているのです。私は、あなた方に私自身が統一教会にあって、最高のもの、最も光沢あるもの、最も甘美に満ちたものを所有しているということを、知ってほしいのです。

 あなた方は、なぜ朝早くからここに集まって来るのですか。なぜそう好男子でもない私を見に来るのですか。私は、何のプレゼントも持ってきておりません。あなた方は私が愛の特別な力を発散していることを知っているから来たのでしょう。そしてあなた方も、自分で愛を広めていくことができるようになりたいからです。もちろん愛は、形に見ることはできません。しかし父母のいない家庭には、味わいがないのと同じように、私が存在しない統一教会は、無人のように感じられるのです。

 私は、人間としてはあなた方と同じです。では、何が違うのでしょうか。私は、生涯神の心情を受けることに捧げ尽くしてきました。誰も私ほどには、神様のことについて知っている人はいないでしょう。神様を知っているだけでなく、神の心情を感じとっているのです。だから私は、神によって光を放つ愛を与えることができるのです。

 あなた方は、太陽になることはできませんが、灯台になることはできるのです。あなた方が、街頭に出るとムーニーであることが分かって軽蔑されたり、つばを吐きかけられたりしたでしょう。しかし今、あなた方がいなくなれば、「あの快活な青年はどこへ行ったか」と言うに違いありません。もはやあなた方は、灯台になっているのです。そして人々は、これに気づくのです。私は、あなた方に灯台であるという、自信をもってほしいのです。灯台は、台風が来ても変わらないのです。まっすぐ立ち、もっと力強く輝かなければなりません。逆境の中だからこそ、より強く輝くのです。それが灯台の使命なのです。

  私の立てた伝統

 私はグロスター港に七十日間滞在しました。そこで私は、伝説的人物になりました。私が海上で錨を下ろすと幾隻もの船が集まり、遠くから双眼鏡で私を観察し始めるのです。反対派の人々は、「魚よ逃げてしまえ」と言っているのです。しかし魚たちは私に従順なのです。あまりにも早く魚を獲るので、皆びっくりしています。そして彼らは、“彼は何かつき運をもっている。悪く言うのはよそう”と感じ始めるのです。

 私は、常に一番早く行きました。ですから私は、熟練の漁師たちにも良い影響を与えました。彼らは、魚を売った代金をみな酒に換えてしまいます。しかし私と競争し私を負かすためには、酒も飲まず一生懸命に働かなくてはなりません。まもなくうわさが広まりました。「この衰退しつつある漁港を救うのは、レバレンド・ムーン以外ない」と言うのです。市長も警察署長もこのことを言い出しました。

 私は、例外なく毎朝三時に起床しました。三時三十分には、もう外にいました。月影の下に船は出航し、もう一つのムーンとの間でいろいろなことが起こるのです。ところであなた方は、朝早く起きることができますか? ボートのメンバーは、私に従うしかないのです。眠いなどとは言っておられないのです。この夏、私は金銭的にはもうけたものは何もありません。しかし伝統を立てた、ということでは何千億ドル以上の価値ある仕事をしました。今後この伝統の上で、あなた方が歩むことでしょう。伝統を立てる、ということは私にとってさえ、重労働です。しかし統一教会の後孫のためにも、伝統を築かなければなりません。これが私の七十日路程でした。

 私がどれほど、伝統のために心血を注いだか、あなた方は知りません。七年間、私は二時間しか睡眠をとりませんでした。毎日毎日私は、原理を語り続けました。ある食口が非常に眠気に襲われた時、突然その眠気がすっ飛ぶような大きな衝撃を受けました。天使が現実に出現し、その人に、「何をしているのか。先生を見なさい。先生は毎日汗と涙と血の中で働き続けているではありませんか……」と叱ったのです。

  アメリカの代表としての自覚

 アメリカの兄弟たち、私のこういう話は多分、今まで聞いたことがなかったでしょう。私があなた方に願っていることは、既に昔、私自身が体験し、今も実践している内容なのです。あなた方は、決して不平を言うことができないのです。私の全生涯は、そうした経験とエネルギーと霊的力の豊かなる蓄積なのです。

 私は、こうした財産をすべてアメリカにもって来て、すべてをアメリカに降ろしているのです。政治家をはじめ、世界のすべての人々は、この国に来ると何か自分たちの国にもって帰ろうとします。大統領は、たとえ小さな国の元首であっても、国賓として迎えるでしょう。また他の誰が来てもこの国は、お客として迎えるでしょう。しかしレバレンド・ムーンが、神のみ言を携えて来ても、誰一人迎える人もなく、反対に拒絶されたのです。

 もしあなた方がいなかったならば、もしあなた方が私を慕っていなかったならば、私は、アメリカに関心をもつことができません。あなた方が私の力を引き寄せているのです。あなた方は、二億四〇〇〇万のアメリカ人の代表なのです。あなた方は、この国の希望です。この国の生命を守っているのです。あなた方なしには、アメリカは滅亡してしまうのです。統一教会は、神のみ言を中心にした統一と再統一の運動なのです。稲妻のように、あるいは雷の響きのように、私たちの運動は国中の隅々まで広げられるのです。私たちが神の心情を心に秘めていれば、私たちは、これをなすためのエネルギーをもつことができます。重要なことは、あなた方の心情です。激烈なる力をもっているか否か。そうした潜在的エネルギーをもっているか否かが重要なのです。

  再会の日

 きょうは、再会の日です。七十日後に再び私とあなた方が再会したのです。しかしより重要なことは、天と地が再会する場所だということです。あなた方が、きょうの再会を期して、エネルギーと心情をもってほしいのです。ニューヨークは、私たちの活動の舞台としては、狭すぎるのです。そういう思いをもってほしいのです。

 「私」は、天と地の文化を一つにする中心であり、和合者である。「私」は愛の焦点である。「私」は神の愛の伝達者である。「私」はこの国に、春の季節をもたらす思想を広める無限なるエネルギーを保有している。そう自覚してほしいのです。

 きょうは、そういう意味で新しい日、再会の日なのです。心情の再会の日なのです。私たちが、この再会の心情、愛慕の心情、神の心情、父母の心情をもつようになれば、新しい建設的で、創造的な力が生じてくるのです。私たちの動きを中心として、世界は回るのです。私たちは、本当に世界、文化を創造する発電機になれるのです。再会のある所に、目的がなければなりません。目的のない所は、誰も二度と出会うことはありません。目的をもって、それを達成した時、再び出会うのです。そのために準備いたしましょう。私たちの最終的ゴールを成就するために、再び前進しましょう。けさから違った私たちにならなければなりません。

 そのような人は、両手を挙げて祈りましょう。神の祝福がありますように。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.28 21:17:27
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