4463862 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇  知  外  記

PR

X

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Recent Posts

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Archives

Comments

tomy4509@ Re:ブログ村規約違反(11/22) キムヨンギさんへ 大変ご迷惑をおかけし…
キムヨンギ@ ブログ村規約違反 あなたは私の日本国における本名(通名を…
tomy4509@ >ほふられた子羊さんへ 引用み言全体は「御旨と世界」に掲載され…
tomy4509@ Re[1]:独生女考(18)-- タマル以降も次子を愛された神様(01/13) 隠密部隊さんへ タマルが何故に義父・ユ…

Calendar

Headline News

2021.10.12
XML
​​​​​​​​​​​​「主体的基盤となろう」

1978年10月24日
韓国 雪嶽山にて


 危機なる世界

 こういう自然や、その反対のトンネル(北朝鮮の南進トンネル)とかを実際に見て、いろいろと内心的に体験したり、考えたりしたと思います。こういうような韓国のトンネルとか自然の風景とかの今の現状を反省してみる時、それはいつも世の中にあったことです。苦しい反面に理想があるのと同じように、おとといトンネルを見た時と、きょう自然の風景を眺めた時のその思いとは天地の差があるということを、あなた方各自が体験したことと思います。

 私たちは今、統一勇士として、世界的な共産党と、どうせ運命の判決をいつかはつけなければなりません。それは運命的な道になっています。西ドイツと東ドイツの分断とか、韓国の南北の分断という問題は、それは一国に限られた問題ではありません。それらの国々は、互いに自分の国を中心として統一しようとしているので、自然に平和が訪れることはないでしょう。それはいかなる政治的方法や経済的方法、また文化的活動の連結でもっても、不可能なことでしょう。そういうような世界的立場からみた時に、その現実の実態を誰が責任をもって解決するかという問題があります。

 世界は自由世界と共産世界との二つに分かれていますが、共産主義というのはいくら世界的になって行き止まりになっているとか、中共とソ連の立場においては反対の立場にあっても、もうこれ以上交われない、親しくなれないというように自由世界の人々は考えているのですが、この一時の政治体制が替っていった場合には段々変わっていきます。毛沢東が死んで今の華国峰政権になっていますが、もう一度替った場合に、親ソ的な政策を立てるようになれば、自動的に中共とソ連は一つになります。そうなれば、二大ブロックの共産圏が完全に一つになるのです。一つになる目的は何かというと、一つ一つの戦いを越えて、ある時に向かって結束して戦わなければならないという決意のもとで一つになるに違いないから、その時は大変なことになります。六〇年代の東西の分裂とか南北分裂とかいう時期とは全く違うのです。その時には民主主義世界、自由世界の全体が結束して、共産主義世界と向かい合わなければなりません。そういう時機が今日です。今後、ソ連と中共とが一つになったとするならば、それこそ大変なことになります。

 そういうような時点を前にして考えてみた場合、この世界を誰が救いますか。いくら「それは大きい国、アメリカだ」と言っても、その国民自体が共産主義に対して、文化的交流とか政治的交渉でなんとかなるような考えをもっていると、それは不可能です。こういう現実の状態から考えてみた場合、世界において最後に固まった共産主義を誰が撃退して降服させるかということを考えると、いくら考えても統一教会以外にありません。そういう結論に到達せざるをえないのです。その統一教会は、一国の理想のために生まれてきたのではありません。あるいは一時代の理想のために生まれてきたのではありません。歴史を通しての神の創造理想を中心として、この地上に生まれてきたのだから、この統一思想というのは国民的思想や一国の理想としての思想ではなく、これは歴史的であり、摂理的であり、天宙的な神を中心としての理想であります。

 統一勇士の立つべき位置

 真実でないものは変化していきます。あるいは、アメリカの歴史も変化していきます。時代の変化に伴って変化していくものではなく、変化していく世界にあっても、その世界を消化しえるような思想が、神が求める思想だと思う時、それを成す主体のメンバーは誰かというと、現代の統一教会のメンバー以外にないというのです。そうすれば、このメンバーを固めて、いかにして現代の困難な思想圏内において主体性を確保するかということが、神において願われる最も重要なポイントであり、各国民が願って準備しなければならない重大な基準であるわけです。

 そのように思ってみた場合、アメリカやドイツ、日本、韓国の多くの青年が集まった、今のこの集まりにおいて、それ以上の超国民的な立場に立って神と一体になりうる心情的一致点を求めて、神と共なる思想をもうということは、これは実にすばらしいことであります。歴史過程においての宗教は、そういう観念を求めようとしても果されませんでした。今のキヽスト教を見ても、仏教を見ても、モスレムを見ても、超国家的な心情圏を掲げて世界を救おうという動きはありません。今まで、いかなる宗教をも果たしたことがないということを思う時、私たちが現実に立っている使命というのが最も重要な使命になっているということを、各自がもう一度自覚しなくてはなりません。

 そしてその者たちが数を増して国に影響を及ぼすようになり、それが一国ばかりでなく自由世界にも影響を及ぼすようになるということが万人の願うところであります。また、過去において多くの宗教を信じてきて犠牲になった霊人達が願うことであり、犠牲をしながら待ち望んできた神様が願うことであるのです。そういうことを私たちは確固たる心情圏において自覚しながら、そういう自覚基準をいかなる時においても消してはなりません。いかなる怨讐に対しても譲歩することができません。そういう確固たる信念をもって、東西に分かれている青年達が結束しあう数が、百、千、万、十万、百万、千万、そしてもしもこれが一億以上になったとするならば、これはまさしく神自体が信頼しえる中心体になるということは間違いありません。あるいは自由世界のこういう混乱期において、そういう結束した基盤が造られたとするならば、この基準を自由世界は旗上げの中心として、希望の中心として、あるいは自分たちの未来を任せる、また、父母より以上の基準として信じざるをえない基準になるでありましょう。

 そういうことを考えてみた場合に神様の摂理的観点からみた時、今は緊急の時期に迫っているのです。今の韓国の情勢をみた場合、まさしくそれと同じ立場であるし、日本の情勢をみてもそういう立場であります。自由世界をみても同じです。共産圏世界からみても同じような立場に追い込まれています。だからどこも混乱期です。自由世界も混乱期であり、共産主界も混乱期です。どこも中心点を保ちえることができません。こういう世界の混乱の渦中において私たち自体が一つの旗上げをした場合、それこそ今から三年間は、とくに重要な期間であると私は思うのです。七八年はあと三カ月を残しているだけですが、七八年、七九年、八〇年、八一年の中間期までの満三年の期間は、統一教会が本当にこういう使命を完成し得るにふさわしい基盤を造らなければなりません。

 こういう困難な世界を押しのけて行くような、そういう主体的な基盤を誰が造りえるであろうか、神様がいれば、そういう立場において心配せざるを得ない。霊界があれば心配せざるを得ない。自由世界すべてから考えてみても、それは心配せざるを得ないような基準であります。そのように考えてみると、すべての希望は私たちに集中されています。そういう集中された希望を、私たちがどういう結果にきたらせるかです。天的な方向、勝利的な結果、あるいは人類が願う勝利の方向へと向かわせることを誰かがしなければなりません。その誰かがしなければならない位置が、統一の勇士が立つべき位置です。そうするには自由世界を引きつけて新しい方向に引っぱっていくだけの心情が必要です。そのような動きを、の三年期間において、いかに果すかと考えてみた場合に、統一教会を指導する私にとって、これは深刻な見地であります。

 強固な心情の結束

 昨日、あなた方はトンネルを見に行きました。共産党の悪辣な執念深い信念というのは無視できません。命令一下、自分の命を捧げて進んでいきます。もしもそれを果たさなかった場合には殺されます。銃弾を受けるか、それとも生き残るかということを、使命を預けて、命を賭けて決めなければならないのです。そういうような人間一致全体化というような思想圏をもっている共産圏というのは、私たちが思うような簡単なものではありません。これは民主主義世界、あるいは自由世界、西洋文明圏にいる、あらゆる青年たちが思うような所とはまるっきり違います。想像だにすることができません。

 そういうことを考えてみた場合に、私たち統一教会員は、日本においてもアメリカにおいても、いろいろな問題を起こして噂になっていきます。青年たちを集めて奴隷を作るとか、いろいろと噂があるのです。しかし、それは問題ではありません。最後にぶつかるのは、アメリカで反対している群れではなく、共産党です。共産党と真っ向からぶつからなければならないのです。そういうことを思う時、日本での反対やアメリカでの反対などは問題ではありません。ヨーロッパにおいても反対などを問題にすることができない私たちの立場であることを、はっきり知らなければなりません。あなた方も知っているように、フレーザー委員会を中心として私たちは勝利の一点を獲得することになりました。それを誇るべきではありません。それは始まりなのです。もっと壮烈な戦いが私たちの行く所に展開してきます。そして三年期間を通して、日本、アメリカ、ヨーロッパ、韓国にいかに勝利的な基盤を、国を越えて思想を固めて心情一体圏をなしえるかです。こういうことを思って、今度のあなた方のこういう期間を設けるようにしたのです。

 山に登ったり洞窟に上がるのに、いろいろと難しいことをしながら汗をかきながら登ります。それを自分のためにするというのではなく、国と世界のために向こうに怨讐を迎えて一騎討ちするという、最後の生死の結末をつけなければならないという思いで、登るという立場に立ったとするならば、どういう思いになったでしょうか。それを考えなければなりません。自分は、自分の国民を代表するとともに、自分の自由世界を代表している。そしてすべての世界が全体的に一つになることによって神の摂理と一体圏を作るという、強固な心情的体質、あるいは決意を固めるために、ここに来たということを考えなければなりません。

 今、韓国において、私を中心として動いているこのような現状自体は、それを広く拡げた場合には世界的になるし、縮めた場合には一人の人間と同じであるわけです。共産党は、恐怖を人民の前にかざして、それで生命を呪わせることによって、党の命令を果たさせるようなことをするのですが、私たちは違います。自由圏において命令があれば、共産圏以上の力、それ以上の結束した心情圏をもって果たし得るのです。そういう効果は北韓自体も及びません。いかなる共産圏、いかなる共産主義者が考えても、自分たちがなしえないことを、統一教会のメンバーはやっているというのです。これは事実、闘わずしてもなしえてきました。そのことを見て恐れるような実体圏を造らなければ大変なことになります。

 今後の作戦について

 それで昨日、学生部の部長と大学界についていろいろ話したのですが、それは深刻な話です。日中条約を結んだ以後においての日本の今後のなりゆきや、世界情勢を眺めてみた場合に、これは重大な時期に入っています。それを考えてみた場合、今までとは次元が違うのです。今までは、韓国、日本、アメリカは自由に通じ得るし、これは誰がなんといっても変わっていかないというように、政治家はもちろん、多くの人々も安心して眺めていましたけれど、今はそうではありません。韓国、日本、アメリカは、これは散り散りに分かれなければならない、そういうような状況が目前に迫ってきています。

 アメリカの政治の方向は、今、カーター政権が親共産政権をとっているのですが、もしもこれが反共産政策をとったとするならば、日本は今、親共産圏に立って旗上げしているので、孤立します。帰る所がありません。中共に帰ることもできなければソビエトに帰ることもできません。アメリカにも帰ることができません。そのように完全に孤立圏に終わるということを思う時、目前の現実ばかりをみて国家的運命を決めるような日本の政治体制、政治家があったとするならば、日本の危ない立場に追い込まれます。そういうことを思ったので、私は日中条約反対運動を提唱しました。しかし、結果的には果たしえずに、日本は日中条約を結ぶようになりました。

 今からの私たちの対策としては、そういう三角点をながめてみた場合に、これは特別な作戦を組まなければなりません。しかしそれは、政治的問題においてではありません。経済的分野においても、すでに過ぎ去ってしまいました。ただし思想的においては、私たちは中共をながめることができます。こういう見地からながめてみた場合に、青年層の大学界を中心として、新しい希望を求めている青年層をもう一度固めることによって、その運動を横的に拡大し、新しい次元の基盤を準備しなければならないということを私は思うのです。

 それから、それに相応して、新しく緊急なる経済的基盤が必要です。それはなぜでしょうか。早いうちに世界的外的国々を結束させるには、大学建設という問題を世界的未来の観点においてなさなければなりません。また、重要な使命を結束させることによって、こういう危機たる時期を乗り越える希望を見い出すということを思います時に、今はいろいろと新しい作戦を組んでやっていかなければならない時期です。そのために今までやってきたすべてを犠牲にして、新しい方法をまとめていくには、やはり経済力が問題なのです。日本をアジアの中心として旗上げして、勝利の基台を、確固たる基盤を残さなくてはなりません。あなた方がこれを果たしえるようになれば、これは直ちに、西洋文明圏にある私たち統一教会のメンバーの心情圏に花をつけるようになります。

 そうすることによって大移動です。もしも日本に問題が起こったとしたら、世界を越えて大移動して、自分の生命を賭けて、神の目的のために死の境地までも喜んで訪ねていくような、そういう自由往来運動を越えて青年たちが果しえるようになるのです。そのようになって、その運動を中心として共産圏と対峙するようになれば、自由世界において新しい希望の一筋の方向性になるではないかと考えます。それを思う時に、今度の訪韓問題は、例年にあったような事とは違って、立体的な内容を兼ねていることを覚えてもらいたいのです。

 絶壁に生えた松の木の価値

 それから、こういう自然を見ると、いろいろな自然現象があるのですね。岩にしても、あんなに大きい岩もあれば、小さい砂利や砂もあるしね。松の木にしても、立っている所が、あるものは肥沃な土地にあると期えば、あるものは傾斜の上に立っています。あるものは、かわいそうにも向こうの岩の上に生えた松の木もあるのです。肥沃な土地に生えた松の木は太くて高いのです。見ただけで、「ああ、すばらしい」とみんな言います。「松の木であれば、ああいう立場に育つのが理想である」と、単に肥沃な土地の松の木ばかりを見る人は、そのように思うかもしれません。あのように岩の絶壁の中にあって、後ろにたれ下がった松は見るに悲惨なものです。しかし、見るに悲惨なものだけれども、あの大きな岩に一つあるから、あれは何百万倍の価値を持っているというのです。飛ぶ鳥も素通りできなくて、そこに座って観賞します。そういう松の枝というのは、肥沃な土地に生えた松の木の全体の木にも比べもとにならないというのです。

 そういうことを考えてみると、統一教会のメンバーは松の木であるけれども、肥沃な土地に生えた松の木ではなく、ああいう絶壁に横づきになった松の木ではありませんか。だから神様は地上を眺める時に「あの岩はすばらしい」というよりは、あの岩の先に生えている松の木はすばらしいと言うのです。神様がスケッチを持っていたならば、神様はそれをスケッチせざるをえないでしょう。それからあの松の木から種が落ちて岩の分け目に根をおろして、そして風に吹かれ、雨に打たれ、雪に凍らされたり、いろいろな苦難の結果において生命を残して、小さいながらも松の権威をもっているということは、これはすばらしいことですね。そう考えてみた場合に、そういう国が韓国です。まさしく韓国みたいな国です。アメリカは、肥沃な土地に生えた松の木みたいです。

 平地の肥沃な土地に生えた松の木よりは、ああいうような高い絶壁の上に松の木として生えるのが、もっとも頼もしいのです。風が少し吹いただけで、朝に夕に一日二十四時間、揺れるのです。谷の木はびくともしないのに、あれは三六〇日、時間を越えていつも揺れています。そうみると、平地に育てられた木の価値の何千倍、何億倍の価値を備えるために、そのような立場で育てられた松の木というのは実にすばらしいのです。人間にしてもそうです。私などをみた場合には、そういう人間ではないかというのです。松の木でも、先が真っ直に立った松の木よりも、岩がこういうようにそびえている所で根が反対になって生えている、そういうのがもっとすばらしいのです。そういうことを考えて世の中をみると、一つでもみんな理想とか、あるいはアルファとかオメガとかの観念を中心としてみると、みんなそれなりの価値をもっているというのです。

 この雪嶽山には、いつも大勢の人が来ます。日本人が訪問するし、韓国人はもちろんのこと、西洋人も韓国に来た場合、みんなが「すばらしい所だ」といって訪問するのです。訪問した時には、平地に生えた松や木には誰も関心がありません。ずいぶん高い峰の岩の上の松の木を見ます。そういうことを考えてみると、一時の限られた平面的な観点ならみた場合には、こういう木を不幸だというかもしれないけれども、全体的風景という観点からみた場合には、ああいうように惨めな松の木として生えた方が、価値として数千、数万倍の価値をもっているわけです。そう考えると、それはそれなりに果たしえる使命があります。世界万民が写真を撮るにしても向こうの大きい木ではなく、あの遠くの小さい木を見て撮るのです。理想を求める人たちは、みんなそれを目標として、気持も、もちろん心情も集中するのです。そうならざるをえないのです。日本においてもそうでしょう。

 未来に向かって堂々と歩め

 統一教会のメンバーは、今までずっと一緒に活動して何年になりますか。十何年になるでしょう。五九年だから、十九年になりますね。十九年の間を考えてみると、最初の出発はなんですか、廃品回収からですね。公園のベンチの上で寝ながらやったことを考えてみなさい。きのうのことのように思えます。そういう環境を誰も歓迎しません。誰も、足もなければ手もつけたくないような、そういうことをやってきたのです。思っただけでもいやなことをやってきましたが、それが十年、二十年とたつにしたがって、あなた方の名声は政治家の最高の者まで「君たちがなければならないようになっている。日本の希望は君たちである」と讃えます。あなた方は青い顔をして、なんの希望もないような姿をしています。見ただけでも、みすぼらしいというのです。

 私だってそうです。世界万民が私に反対します。しかし、大きな肝っ玉をもって、この世界を動かしてアメリカでは知らない者がいないレバレンド・ムーンです。段々問題の男として、みんな嫌がりだしたけれども、結局開いてみれば、自分の目の下にあると思っていたものが、見れば見るほど段々大きくなって、向こうの山の岩の上の真っ直な木みたいになってきたわけです。自然と、「ああ――」と口を開けるようになりますね。人々はいろいろな計りを持っているにもかかわらず、私を計る基準がありません。「宗教家だ」と言えば、宗教家はこうでなければならないから宗教家ではない、あるいは「事業家だ」と言えば、事業家はこうでなければならないので事業家でもない、「文化人」と言えば、文化人でもない。これは、みんな合わないのです。私は突飛な背後関係をもって、突飛なスタイルを持っているというのです。それが、みればみすぼらしいというのです。だからそこまで出すには、そこまで生き残るには、それは並大低のことではありません。

 それを考えてみた場合に、私たちは、不平を言ったり、不幸だと言ったりできません。また、人に探されないような絶景の先の、峰の一番高い岩の真ん中に生えている松の木をあるでしょう。それはみんな向こうに立ってみなければわかりません。登ってみた場合に、松の木がすばらしい格好をしていたとするならば、それはもっとも賞讃すべきです。こういうことを考えてみた場合に、私たちは貧しいからとか苦しいからとか、あるいは難しいからといって落胆してはなりません。そこでもって判断して「これはだめだ」というのは、まだまだ早いというのです。もっともっと肝っ玉を大きくして、そして未来に向けて、もっと難しいことがあっても、私たちは自分が松の木だったら松の木として、威風堂々たる実績を残してゆくのです。そういう思想をもっていくならば、必ずこの統一思想は、世界万民の深い心情の基盤に根をおろすに違いありません。わかりましたか。そういう観念をもって、今度日本に帰ったら責任者はもちろんのこと、教会員たちは上下一体となるのです。

 目標に向かって前進、跳躍

 天地創造の神の理念というものは主体なる神から始まって、相対圏に影響を及ぼしました。それが創造の原則です。そういうことを考えてみた場合に、ここに来ている者たちは責任者ですね、責任者は結局、日本統一教会の主体者であります。だから上下一体となるには、あなた方が主体性をもって影響を及ぼさなくてはなりません。結局、相対圏に立っている者は、主体によって左右されるのです。それは、まさしくそうです。統一教会においては私が主体の立場です。私が主体だとしたら、みんな影響で私が引っぱられていったら、これはだめですね。日本でもそうです。このようにして行くのです。こういう刺激を与えるような主体的な責任を果たすために、あなた方は、つらい所を抜けて高い所に登るのです。わかりましたね、今度、私が日本に寄って一六一〇双の婚約がありました。だから、「ああ、日本に恵みが授けられた」として、もう責任者も、老いも若きも、みんな喜んで口をぽかーんとあけている、いいことが起こったと。そして環境に真っ先に掻き回されてしまって、み旨が疎かになっています。それはまずいです。祝福された者は、むしろ先頭を乗り切るような気合いがなければなりません。それは、あなた方の肝っ玉の決め方によって左右します。結局そうですよ。

 ある団体を指揮する責任者の主体性によって影響されます。それは、なんにも使いようにない顔つきをしていますよ。みんなをここで突き上げてしまったら倒れるような格好をしていますが、そう簡単にはいかないでしょうね。そうでしょう。鏡の前で自分をみた時、芳しくない格好をしていると自分なりにみつめるのです。しかし、この顔はみっともないけれども使ってしまうのです。松のはああいうみっともない格好をしているけれど、二重三重の価値を抱えているということを考えて、「私たちは価値に相応する相対圏を造るんだ」という決意を日本の教会員たちが固めるように、発破をかける働きかけを、今後帰ったらやってもらいたいものです。わかりましたね。

 それで、八一年までに日本のメンバーをどれぐらい増やすか計画していますか。(三六〇軒体制を通して十倍ぐらいやりたいと思います。)十倍ですか。十倍ではいくらもありません。私の思っているようには、千倍、万倍にもならないんですね。だからそれをなしえるのに力がないから、神様を信ずるのです。神様をね自分の力があるという次元内において信じるのではありません。絶対に、信仰はそれだけの信仰をもちえません。自分の力が足りないから神様を信じるのです。自分の働きかける力に余力がある以上は、「神様は後ろからついてきて下さい」という腹でいけば、神様は喜びます。

 今度、中共の大学生が一万名入ってくると言っています。それは、二、三年以内に入ってくるでしょう。だから二、三年期間内に、それ相応なるすべてを消化しえる大学内の基台を確保するのです。また、全日本に中共のいろいろな文化人はもちろんのこと、政治、経済、各方面の者が集結します。それに従って地下組織運動が頻繁に行なわれるでしょう。そういうようにして、日本共産党がソビエトの方に偏っているから、それを崩してしまうためのいろいろな作戦が展開されるような混乱期があります。この期間を私たちは突き抜けなくてはなりません。こういう私たちですから、最大なる緊迫期に接していることを各自が覚悟して、自分が果たしえる天の願う使命を突進しえる覚悟を固めてもらいたいのが、私の願いです。わかりましたか。

 日露戦争の時に、東郷元師が、日本海海戦においてソ連のバルチック艦隊を迎えました。その時の日本の艦隊は話しになりません。しかし、そういう艦隊でもってバルチック艦隊を全滅させました。そのときの標題は「皇国の興廃この一戦にあり、各員奮励努力せよ!」ということでした。私たちにとっては、「皇国の興廃」ではなく、天宙ですね。「天宙の興廃この一戦にあり」、各員奮励ではなく、「各員精励」、努力ではなく「勝利せよ」。そのように考えなければなりません。そのようにして、今度帰ったら、結束して、今度帰ったら、結束して跳躍をするのです。今年の目標が、前進と跳躍ですよ。

 ホームチャーチ運動について

 それから、今度は作戦がちがいます。昔は、国の方向をこうしたいと、全日本的な活動をしてまわりました。しかし今は、そういう時代とは違って、三六〇軒を中心としてやります。今までは畑に種を蒔いて収獲して、その収獲物を倉庫内に入れてきました。倉庫内のものとしてそれを私たちに預けられたのが三六〇軒です。ホームチャーチ運動です。今までの木端微塵にみんな砕いてしまって、自分という主体性のあるところへみんな集めてしまうのです。それは本部責任者を始めとして全責任者はもちろん、各員がみんな共同の使命をもつのです。ある者は二重の使命になることでしでう。責任者としての使命も果たされていないのに、三六〇軒のホームチャーチまであるのです。「これはやっていけません」というわけにはいきません。価値としては二倍の価値があるからです。これは、絶壁の所に生えた松の木は暖かい日よりも風の吹く日ほど価値があるというのと同じです。二重三重の使命を持てば持つほど、自分に立体的価値が備わるのです。

 三六〇軒に向かって、自分がばく進するのです。不平どころではく、希望と信念とをもって、これを迎えます。だから力が及ばない時には神に祈ります。自分の力が、限界を越えるような余力があるにもかかわらず神に祈っても、神は果たしてくれません。限界に突き付けられた境地に立って、神に祈ることによって神は助けてくれます。そういう者を神は必要とするのです。私にしてもそうです。ホームチャーチは、統一教会の宗教的使命をかかえているし、あるいは経済問題、政治問題、文化的やあらゆる方面においてそうです。それはでたらめなことではありません。みんなで一つになるように、全体的勝利圏を作るのです。そういうことをするのだから、神様を信頼して祈れば、神様が援助するにふさわしいのです。わかりましたか。だから、そういう自分の力があってやれるような立場においては、「神様、きょうはこういうことをやってみせますから、これを楽しみとしてお願い申しあげます」と言って、堂々と出発します。そういうように活動するのです。

 そういうようにして二年以後には、日本を中心としてアジアを動かすように、日本の発展をなすのが希望です。それは第二の希望です。第一の希望は、もう過ぎ去ってしまいました。七四年を中心として必要数の精鋭を持ったとするならば、日本を必ず救うと言ったのが、今になって、「そうであった」と感じるのです。その摂理を流してしまった過去のことを後悔するだけではなく、過去のことを後悔することによって、それをひとつの教本として、新しい未来に新しい約束を立てる刺激剤として、伝道力の母体として、また自分の内心の確信として残されるとするならば、過去の失敗は、未来の立体的勝利圏をかかえるにふさわしい何十倍の効果を得る道があります。こういう覚悟でもって、今から三年間、第三次七年路程を力強く雄しく命を賭けて一生懸命、心身一体となって、立体的勝利をアジアに負けない基準として日本に立たせてもらいたいのが、あなた方に対するお願いです。

 忙しい三年路程

 私は十一月早々、アメリカに帰ろうと思います。アメリカに帰った場合には、私は忙しいのです。いつ、このような機会があるかわかりません。三次七年路程が終わった場合に、アメリカのいい所や、ヨーロッパのスイスのいい所、モンブランの嶺とかに連れていくという、そういう夢はまだありません。きょう、私があなた方に言った決意を果たして終えて、勝利圏をアジアに果たしえた場合には、西洋のいかなる所へも飛んで行けますよ。それは景色を見るために行くのではなく、万民解放のために、万民に刺激剤を与えるために行くのです。それを満腹になるように与えて、みんなが喜ぶ、そういう群れをかかえて景色を見るようにするのです。

 しかし、今のところそうではありません。出発・アルファは何もないのです。しかしオメガはたります。そういう結果の未来をもつために、私はアメリカに、行って、また闘わなければなりません。そしてアメリカだけでなく、南米やアフリカにも基台を造らなければなりません。そのように、やはりアメリカを中心として、ほうぼう回りながら、忙しい三年路程の道を終わりまで走って、世界的な伝道基準を直接造らなければならないという考えを持っているのです。だからあなま方には、日本に帰ってそういう基準を造ってもらいたいというのが、私の真なる願いなのです。わかりましたね。

 今までは独自に組織活動をしていました。これからは一つの組織体にするのです。必ず組織を通して全体に報告して活動するのです。いつも責任者たちがこういう観念をもたないと、後を通して全体に報告して活動するのです。いつもこういう観念をもたないと、後についてくる教会員たちは、そういう観念をもてません。今の原理から言えば、高いものはアベルの立場ではなく、カインの立場です。だから高い者が、アベルの所に何回も喜んで訪問するような伝統を立たせることによって、日本の統一教会は一つになることができます。久保木会長にしても、枝をひきずりながらほうぼう回っていくことによって、全体を一つに統一するのです。そういうような活動的内容で固めていかなくてはいけませんね。わかりましたね。

 二、三年の期間において、私の願うような基盤を造ることは大変なことになります。ヨーロッパを中心として、私はいろいろなことをしなくてはなりません。共産世界にも伝道に行かなければなりません。あらゆる所に、どんどん送らなければならないのです。もし私が「何時何分にはロンドンの飛行場に集れ」と言えば、各自が飛んで行って、そして集まった場合には、日本人が数千人集まったりするのです。どこに集まるのかわからなくてもいいのです。数千人がきょうロンドンに着いたということだけを知っていればいいのです。人の顔は知らなくてもいい。そういうことをやりたいのに、今の人数はどれくらいですか。この人数で足りるでしょうか。世界のために、今後の世界にむけて、また準備をなさなくてはなりません。そうでしょう。

 あなた方が私を見た場合、格行はこうだし、あなた方に会った場合には話しかけてくる先生だと思って、何もしないような格好をしているのですが、いろいろな機能をやって、基盤を造って、今になって「おお、先生はすばらしいことをやったな」と感嘆するでしょう。そういうことを、今も私はやらなければなりません。背後関係でもって、内外共の、上下関係の作戦を組まなくてはなりません。高い所に理想をもつ者もいますが、谷の深い所や岩の下にはいろいろな昆虫がいるのです。それが、あるに勝利の一念を迎えた場合には、山から降りてくるとともに、下からも、谷からも上ってきます。そのように勝利圏を果たさなければ、共産主義圏の世界を追い抜くことができません。わかりましたね。

 三年路程は結実の期間

 あなた方は今、辛いとか何だかんだというけれど、まだまだですよ。話にもなりません。私はそう思いますよ。あなた方が若い者だったら、呼んできて強烈な運動をしますよ。山の中にトンネルを掘るぐらいではありません。三人ぐらいで、一つの穴で八倍ぐらいやるようにします。そして二十四ぐらいやるようなことを勝利させますよ。あなた方は知らないけれども、大きい蕩減が残っています。アメリカでの闘いから、今、共産圏に向けて闘わなくてはならない第二の作戦が待っているということを、あなた方はいつも考えなくてはなりません。わかりましたね。

 共産党は今、日本にぶつかっているし、世界中、行く所みつかっています。そのぶつかる所において、敗北者として後退者であってはなりません。私は今度帰ればもう共産党が真正面にぶつかってきますよ。あるいはマフィア圏にまでみんな手をつけて攻撃してくるに違いありません。そういうように考えて、今、やらざるを得ないのです。誰かがやらざるをえません。だからもうすでに命を天に捧げて、残された使命のために直進する、前進する。真正面にぶつかるのです。木端微塵にぶつかった時に、向こうが破れるか、自分が破れるか、その二つのうち一つに決まるような結果を出さないと、この世の中に幸福な世界、地上天国は生まれてきません。わかりましたか。

 今、大概の人は子供を持っていますね。三人以上子供を持っている人は、手をあげてみてください。大変ですね。子供を三人ぐらい持った場合には、仕事もしなければならないし、子供を食べさせたり、学校にも行かせなければいけません。そういうような心配が出てくるでしょう。一人の人間を信じて、その国の代表として立たせて、天の心情圏を宣伝するような人格をつくるには十年間かかります。十年以上かかります。あなた方が統一教会に入って何年になったか考えてみなさい。急いでも十年かかります。そういうことを考えてみた場合に、子供たちを抱えても、行く道をコントロールしながら調査しなければなりません。こういう時代圏に入っているのです。わかりましたね。今は難しい立場に立っているから、み旨が先頭になります。

 だから今までの考えを一新して、残された三年期間、それは三次七年路程を一年にして、一年を三次七年路程の結実の期間として、三年を二十一年の代わりとして、その結実を固めるように各自奮励するようにしてもらいたいのが私の頼みです。わかりましたね。

 今は、昔とは違います。昔と違う。今は、日本共産党ばかりではありません。そこに中共がはいってくるのです。中共は必ず、日本の政府を策動するために、日本共産党と山を組むのです。朝総連と必ず、手を組むのです。今までは、みんな方向がバラバラで、四方八方に向けて打っていましたが、それがみんな総合して打つようになってきます。それに砕けないで、勝利の基盤を確保しなければならないのが、日本にいる統一教会の三年間の使命であります。わかりましたね。

 また、いつ、こういうような平和境、こうして安心して会える時がくるかわかりません。それは天に任せて、それよりも、安心しえる現実の基盤を日本内に固めて、そうして日本に私を迎える環境を求めるように各自に闘ってもらいたいのです。わかりましたね。わかった人は手をあげてください。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

​​​​​​​​​​​​​​






Last updated  2021.10.12 20:40:08
コメント(0) | コメントを書く
[文鮮明先生み言葉選集(講演文)] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.