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2021.10.15
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​​​​​​​​​​​​「祈祷の重要性」

1979年4月15日
ベルベディアにて


 真の息子・娘として

 誰でもが希望を持っていますが、その各自の希望はどのようにして達成されるのでしょうか。それは、天によるのではなく、個人の責任によって成すのです。そして、その希望を達成するには、二つの道があります。一つは自分の力だけで、もう一つは他との関係によって成す道です。あなた方の希望を全うできない時は、他からのより大きい力が必要です。たとえば小学校に入れば、良い成績でそこを卒業することが目標となりますが、良い成績を得るためには、あなた方自身の努力と先生の力が必要です。中学、高校、大学でも同様です。それぞれの段階にて百パーセントあなた方の希望を達成することは、ひじょうに難しいことです。では百パーセント満たすには、どのような努力・姿勢が必要でしょうか。それは第一に全力を集中することです。だから、外に遊びに行きたいとか、友だちに会いたいとか言う人は、それを百パーセント満たすことはできないのです。

 この観点から、私たちは、人生の目的は何か、ということについて分析してみましょう。人生の目的は、神の息子・娘にも、いろんな種類があります。養子も息子ですし、また反抗的な息子、一般的な息子など、いろいろあります。そのような中で、真の息子・娘になることは難しいことです。その真の息子・娘になるためには、一つの目標に向かって百パーセント集中することが必要です。その目標とは真の父母です。それ以外に真の息子・娘になる道はありません。一般の親に対しても、真の息子・娘になることが難しいのに、神の真の息子・娘になることは難しいことです。その真の息子・娘になるためには、一つの目標に向かって百パーセント集中することが必要です。その目標とは真の父母です。それ以外に真の息子・娘になる道はありません。一般の親に対しても、真の息子・娘になることが難しいのに、神の真の息子・娘になることは、どれだけ難しいことでしょうか。天ひ向かって「神様、私の父よ」と呼んでも、すぐに「息子よ、何か?」と答えてはくれません。さらに加えて、あなた自身、神が本当にいるかどうかに対して、百パーセント確信を持っていません。そういう状態ではなおさらのことです。

 堕落人間とはなんでしょうか。それは神から離れてしまった何ものでもありません。人間は神と関係ない状態に陥ってしまいました。そして今、私たちは元の関係に帰ろうとしています。故郷へと。この世界においてさえ、小さい時に不幸にして親と別れてしまった子供は、大きくなって親に会っても、それが誰かわかりません。その若者にとって、その人が親であると認めることができるためには、それを説明する理由や論理的何かが必要です。若者を納得させる説得させる説明が必要であるし、またそれを証明するものがなければならないのです。

 たとえあなたが、自分の親を本当の親だと知っていたとしても、そこには二つの異なった考えがあります。真に、真の息子・娘になるためには、親の願いを相続しなければならないのです。親の願いは私の願いである、というように、二人の願いが一つにならなければならないし、親の命と自分の命とは一つである、というようにならなければなりません。親はその心と魂を子供に、また子供はその心と魂を親に与えなければならないのです。二つの側(親と子)が一つの共通の意志、目標、願いに一致していれば、一方の願いが満たされた時、それはもう片方の喜びになります。一つの事に対して共通の目的を持った時、その目標を達成すれば、それは共通の喜びとなるわけです。そのような歩みを一年、十年、そして一生続けていけば、親と子は完全に一体になります。

 究極的中心点

 今日の私たちの仕事は、「神の願いは何か」ということを探し求めることです。なぜなら私たちの願いは、神の真の息子・娘になることだからです。神の願いの中では、私たちに対して何を食べさせようか、何を着ようか、どこへ住ませようかということは、それほど重要なことではありません。もちろん私たちにはそういうことも必要ですが、聖書では、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。まず神の国と義とを求めなさい」と言っています。

 では、「神の国、神の義」とはなんでしょうか。統一教会の人たちにとって、王国とか義とは地上天国を実現することです。イエス様が言われた王国とは、アメリカとかいう、一つの国のことを指すものではありません。また、イエス様が言われた義も、一つの国の義ではありません。アメリカの義や国とかは、より大きな神の王国に抱合されます。だからアメリカの人々の義というものは、第二番目になります。国の義が二番目にくるのだから、あなた方自分自身の義や希望は、もっとはるか下方にあります。神が、神の王国や義について語る時、国や家庭、個人は、その中に含まれています。

 アメリカの国を大きな円で描き、民族、氏族、家庭、国家、個人を順々に小さな円で描いていくと、その中心は同じであり、小さな円は大きな円に含まれます。網と横に直線を引けば、それはすべての円の中心を通ります。それは大きな国でも小さな国でも同じになります。そしてすべてが軸を中心として回転しています。だから、この小さな円から大きな円までの究極的目標は同じです。

 ある個人がより高い目標を成そうとするとき、その個人は家庭、民族、国家を離れて成すのではなく、家庭の中心の中にあってまず、その目標を達成し、次に氏族、民族、国家へと成していくのです。あなた方は個人的機関者です。しかし、その背後には家庭・氏族・民族・国家があります。あなた方が働けば、家庭の、氏族の、民族、国家、世界、霊界の機関車がその後に続きます。

 この概念から考えてみると、今日のアメリカの若者、そしてアメリカの国はどうでしょうか。人びとは自分だけで他人を必要としていないし、アメリカの国も他の国は必要ない、と言って孤立しています。神が一つの統一された国を造ろうとしているので、このような自己中心的な考えは神に対して反対の立場に立ちます。アメリカはあらゆる人種や、い九んな皮膚の色の人が混じっています。もし人々が「アメリカの国など問題ではない」とか「白人だけを愛して黒人や黄色人種は愛さない」ということを言えば、それは神の側からみたとき恐ろしい敵でああり、反逆者なのです。それは人種による壁を作ろうとするものであって、神のみ旨に反するものです。神のみ旨と願いは、常に一つの中心にあり、その中心が個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで一つの共通したものであるということを、私はあなた方にわかってもらいたいと思います。

 父子関係の原理

 では天宙の中心とはなんでしょうか。天宙の中心的法則・原理は、父子の関係です。それがすべての出発点です。家庭においても父子の関係が中心であり、他の関係はそこから出発して家庭というものを構成します。社会においても一つの家庭が父の立場に立ち、他のすべての家庭は子供の立場に立つという、父子の関係です。会社においても社長が父の立場であり、社員は子供の立場です。こういう父子の関係です。これは国についても同じことが言えます。大統領や国の責任者が父の立場、人民は子供の立場に立つわけです。国の中心である大統領、会社の中心である社長が父親としての心情をもって他に接すれば、それは真の中心者となります。もしそうでなければ、それは偽者です。

 国の大統領とあなたの父親の基準とを比べて、どちらがベターでしょうか。正しい関係においては、父は国の中心者を自分の子供を愛する以上に愛さなければならません。なぜなら父も、その中心者に対して子供の立場に立つからです。そしてまた、その父は自分の子供に対して、国のリーダーを自分以上に愛してほしいと願うのです。つまり、親は子供に対して愛国者となるように願うわけです。国のために、たとえ自分の家庭、氏族、民族を犠牲にしても、国を愛してほしいと思うのです。そのような道を行くのです。しかし、国の大統領が最終ではなく、天宙の大統領が最終であり、その上に全能の神がいます。天宙の大統領は、他のすべての人々が彼に忠誠を尽くすように、全能の神に忠誠を尽くさなければなりません。どうしてそうなるかといえば、それは個人から神に至るまで、一つの中心、一つの線で結ばれているからです。つまりすべての個人から神まで、一つのブリッジで結ばれているのです。

 もし会社において、社長が父親の心情で社員のために働き、社員が子供の立場で親に対するような心情で働けば、その会社は発展して義の会社となります。では統一教会においてはどうでしょうか。統一教会は父子の関係で成っています。私たちの目標は統一教会ではありませんから、統一教会の発展のために働いているのではありません。私たちは父と子が一緒になって、個人や教会よりも大きな目標に向って働いているのです。国のため、世界のため、天宙のために、私は常にあなた方に「自分を犠牲にして国のため、世界のため、神のために働きましょう」と教えています。「統一教会の発展のために働きなさい」と教えたことは一度もありません。もし統一教会が本物の教会であって、こういう生き方をしていれば、その理念は国の、世界の中心理念となるでしょう。私たちは氏族のメシヤから民族、国家、世界のメシヤになることができるのです。さあ、父子の関係について、よくわかりましたか。

 私は原理を探求していた時、苦悶しながら昼夜祈りました。その中心的祈りは「神よ、宇宙の出発点はなんですか。あなたの中心原理はなんですか」ということでした。何年もの苦悶の祈りの中で、ついに「宇宙の中心的出発点は父子の関係である」と答えが与えられました。それは鍵であり基台なのです。私たちはこの父子関係の原理を実行することによって、平和な一つの統一された世界を築くことができるのです。そのようにこの宇宙が父子の関係で創造されたので、あなた方はお互いに兄弟姉妹の関係になるのです。それ以外にありません。なぜなら共通の親を持っているからです。一人の父のもとに兄弟姉妹なのです。

 両親が子供をみた時、下の子がおにいさむんを両親よりも愛したからといって、両親は嫉妬するでしょうか。親は、子供たちが兄弟姉妹として愛しあう姿を見て喜び、そういう姿を見たいと思うのです。統一教会においても同じです。あなた方が真の兄弟姉妹として、天のお父様を愛する以上に互いに愛し合う姿を見て、お父様は喜びます。それはなんとすばらしい姿でしょう。真の息子・娘になる前に、まず兄弟姉妹として、両親を愛する以上に愛しあわなければなりません。それは両親に対する最高の贈り物です。そのような息子・娘になれば、両親に対して、より近くなります。このことが間違っていると思いますか。原理を知らない人であっても、「まちがっている」とは誰も言えません。これは常識なのです。

 統一教会は、一つの共通した法則があります。誰が本当の統一教会のメンバーであるかと言うと、それは私を愛する以上に、兄弟姉妹として助けあい、愛しあう人です。そういう人が本当の統一教会のメンバーです。それは私だけの考えではなく、国の大統領や会社の社長、また、もし世界の長というものがあるとすればその考えであり、神ご自身の考えなのです。一つの原理は、すべての違うレベルに働くのです。それは単純な法則です。

 主体と対象

 あなた方は、どのようにして神の息子・娘になりますか。まず、あなた方は神の心を感動させ神の心を引きつけなければなりません。そうすることによって神の息子・娘となれます。神の原理に生きている個人は、どこに行っても原理がその人から離れることがありません。ポプラの木は、どこへ行ってもポプラの木です。ニューヨークのポプラの木も、ベルベディアのポプラの木も同じです。そのように神の原理に生きる人は、どこに行ってもモデルとして生きます。誰かが「私は父子関係という原理には賛成できない。自分でもっとすばらしい原理をみつける」と言うならば、私は「どうぞ行って探してください」と言うでしょう。

 聖書で言う「神の国、神の義」は、父子関係によって実現されるということにあなた方は同意しますか。(はい)父子関係という縦的関係を横的関係に言い表わせば、主体と対象の関係になります。私が主体で、私が持っているチョークが対象です。主体と対象は父子関係を横的関係で表わたものですから、そのような関係で一つになれば、一片のチョークでもひじょうに貴重になります。この社会において行うすべてのことは、常に主体と対象から成り、この関係で行う行いは意義深く、貴重であり、得る物が大きいのです。勉強をするときも、勉強自体には何もありません。しかし、あなた方が勉強に対して主体の立場、その中心に立てば、勉強自体も重要なものとなります。本を読む時も、本をいやがるという心情ではなく、この本は自分の対象であるという心情で愛すのです。

 この宇宙のすべてのもの、動物、植物、その他の対象と考えれば、すべてがあなたにとって貴重で意味深くなります。あなたが、この宇宙のすべての関係に対して神の愛で接し、すべての創造物は神から来たと考えれば、すべてが貴重となり、あなたが神の愛によって主体に立てば、どこへ行こうとも、そこには幸福、授受、ハーモニー、喜びがあります。神様がどんなに一生懸命考えても、それ以上の答えは出ないと私は思います。

 今日、私たちは何を食べようか、飲もうか、どこに住もうか、と考えるのではなく、まず第一に神の国と神の義とを求めなければなりません。私たちは、そのことを知りましたね。神は、あなた方に食物や住む所が必要であることを知らないわけではありません。しかし、神はまた、あなたが第一に成さなければならないことを成せば、他のすべては自然に供えられるということをも知っていらっしゃいます。ゆえに、あなた方は神の愛を得ることを第一に考えなければなりません。他のすべてのものは二番目なのです。わかりましたか。(はい)。言うことはやさしいですが、現実は難しいです。あなた方がその理想からいかに離れているか、あなた方は私以上に実感していると思います。どうですか。(はい)。そのような目標を実現するために、あなた方は現在、ま近にいますか。それともまだ遠く離れていますか。(遠いです!)。

 「理想」という言葉の響きはいい。しかし、そう生きることは難しいことです。それを実現するには自分のまわりにあまりにも問題が多く、自分にはカバーできないとあなた方は尻込みするかも知れません。家庭には家庭のレベルの問題があり、世界・宇宙においても、それぞれ大きな問題があります。あなた方はそういう問題に対して、あきらめてしまうこともできます。しかし、それは簡単ではありますが、解決にはなりません。ではどうしたらいいでしょうか。もし、あなた方の能力が十分でないならば、誰か助けてくれる人を捜さなければなりません。あなた方は自分の能力が十分なものでなく限界があることを知っているので、「どこにそれらを解決する最高のものがあるだろうか」と捜さなければなりません。誰が本当に自分を助け、教えてくれるでしょうか。

 神との絶対的誓い

 ここで、きょうの説教の題に戻ります。あなた方は自分の足りなさ、弱さを知っていますね。だからあなた方には祈りが必要なのです。誰かに尋ねなければならないのです。しかし重要なことは、祈る人の態度、姿勢が問題です。最も重要なことは、神との約束です。「はい、私はこの道をどんなことがあっても行きます」と決意しひければなりません。それが祈りの第一の姿勢です。たとえ台風が、竜巻きが、何が来ようとも、それがこの道をやめさせようと障害になっても、進まなければなりません。「なんでも来い」という気概があれば、何ものもあなた方をストップさせることはできません。それは決定的な約束です。第一に、そういう絶対的誓約がなければ、神を助けることができません。それは祈りの始まりです。

 神も時間を無駄にしたくありません。歴史を通して神は如何に多くの人から裏切られたことでしょう。人々は誓っても、次の瞬間にはそれを裏切ってしまいます。人類歴史はそれを繰り返してきたのです。神が、どうしてもあなた方の誓いを信ずることができるでしょうか。神があなた方を助けるためには、その前に、あなた方に神を信頼させることのできる何かがなければなりません。きょう、あなた方が「神よ、私は誓います。この道をどんなことがあっても行きます」と言っても、神は「三年間待ってみよう。今は百パーセント信用できない」と言うでしょう。神は即座に手を差し延べるほど愚かではありません。ある人は三年間待てずに去っていって失敗してしまうでしょう。もし私が神の立場ならば、やはり同じことをするでしょう。あなた方が神の立場だたらどうしますか。(同じです)。

 あなた方は強い確信をもたなければなりません。「神よ、私は本物のムーニーです。どんなに苦しみや迫害があっても行きます」と。たとえ、どんなに一生懸命祈ったとしても、そういう誓約が第一になければ、何も起こりません。ただ時間を無駄にするだけです。そんなことなら祈らない方がいいでしょう。わかりましたか。(はい!)。「神よ、私は年をとりました。二十歳、三十歳、五十歳。しかし私はあなたに誓いました。私はムーニーです。決して心変わり致しません」という決意、態度が必要です。

 私がそういう誓いを神にしたとあなた方は思いますか。(はい!)。私は一番目に「神よ、私に絶対に変わらない信仰を与えて下さい」と祈ります。「神よ、私に、一つも信じられないようなことを与えて下さい。しかしそれでも私はそれを受け、信じ、決して変心いたしません」と。そして、二番目に絶対的知恵を与えてくださいと祈ります。三番目に完全な愛を与えてくださいと祈るのです。私は生涯を通して、この三つの目標に対して祈ってきました。そしてすべては満たされ、すべては成されました。それがなければ、私も、国家の境界、人種間の問題を越える力を持っていなかったことでしょう。神によって完全な知恵を与えられたので原理を発見することができたし、それによって世界というものに対する正しい概念を知ることができました。

 絶対の誓い、絶対的態度は、すべての基です。すべてはその基から起こります。あなた方は皆、自分は年をとった、いつ結婚できるのだろう、と心配しているかもしれません。しかし、そういう必配が、あなたの絶対的誓いを動揺させているのではないでしょうか。それによって動揺するのではなく、そのようなものは私の誓いに比べればピーナッツのようなものであると考えなければなりません。大きな問題、大きな苦しみがあればあるほど、それを乗り越えた時、あなた方の信仰は篤くなり、強固になるのです。そして、鉄の意志をもつのです。

 祈りの内容について

 平和な家庭を想像してみましょう。その家庭において、突然、夫や妻が死んだらどうなるでしょうか。あなた方は神を恨むに違いありません。「神よ、あなたはなんという人ですか。私を愛すると言いながら夫(妻)を連れて行ってしまった。私はあなたを滅ぼしてやる」と。しかし、そういうことを言うかわりに、「神よ、あなたが与えて下さったすべてに感謝します。私はの試練を乗り越えます。次の試練はなんですか。なんでも受ける覚悟です」と言わなければならないのです。そうすれば、あなたの信仰は篤く、そして強くなるのです。神は親です。あなたを憎んでいるわけではありません。あなたの愛する夫(妻)を連れて行くには、何か理由や目的があるのです。

 統一教会における美しい言葉に、「蕩減」という言葉があります。「神よ、誰も死という重い蕩減を払う者はいません。しかし、あなたは私を選ばれました。私はこれを感謝して受けます」と、もしあなた方が生きているうちに愛する夫(妻)を失って辛い蕩減を払うなら、あなた方の子孫は限りない祝福を受けるでしょう。それに比べれば、あなたの失ったものは小さいのです。もし、あなたが本心からそれに対して感謝して、「神よ。私はこの試練を受けます。次はなんですか」という祈りをすれば、神は「おお、私の息子はなんとすばらしいのだ。祝福は自動的にあなたのものになるだろう」と言われるでしょう。祝福を受けるということは、神が決められることではなく、あなた方自身で決定することなのです。

 あなた方は、そのような大きな試練に対して、感謝して受けることができますか。「次はなんですか」と。(はい)。良いことがあれば神に感謝できるが、悪いことが起これば文句を言い、神を恨むに違いないのが実状です。しかし、「私には何もできません。すべてを神に委ねます」と言える人が、蕩減というものの意味を本当に知っている人の態度です。統一教会の人は、最初は希望に燃え、目が輝いていますが、三年もたつと、その目は死んだようになりますね。(いいえ!)。では十年後はどうですか。(いいえ!)。本当ですか。では、信じましょう。

 祈りは絶対に必要です。あなた方は\D02Fをつき頭を下げて祈るでしょう。しかし重要なことは姿勢ではありません。約束です。そのような環境をつくらなければなりません。それがなければ祈りは無意味です。キリスト教界をみてみましょう。何百万というクリスチャンが毎日祈っています。彼らは「キリスト教を滅ばして下さい」と祈っているでしょうか。彼らは「私たちに発展と繁栄とを与えて下さい……。何々を与えて下さい」と祈っています。しかし、そういう祈りとは反対にキリスト教は衰退しています。なぜでしょうか。

 では、あなた方は統一教会のために祈りますか。(いいえ)。もしそうであるならば、あなた方は祈る必要がありません。統一教会のために祈るよりも、より大きな国のため、世界のため、神のため、神の解放のために祈りなさい。それは、「神よ、私に大きな十字架を与えて下さい。統一教会の十字架は十分ではありません。もっと大きな十字架を与えて下さい」と祈っていることになりま。大きな仕事をするためには、大きな責任と十字架を負うのです。小さいもののために祈る祈りは、受け入られません。神はそのような小さな祈りには興味を持っていません。あなた方が国や世界のことを話す時、神の目は輝き、興奪します。神は、どこに、誰の所に行こうかとエキサイトします。いかに大きなことに対して祈るか、ということが、私たちの中における訓練です。もし、あなた方が毎日毎夜、激しく神のために活動していれば、たとえあなた方が祈らなくても、神は助けてくれます。だから心配しなくていいのです。

 既成教会に行ったことがあるでしょう。彼らは自分の宗派、自分の教会、自分の牧師、自分の家庭について祈っていますね。そのような祈りを神が聞けば、神は心が痛くて、やめてくれ、と叫んで耳をふさぐことでしょう。しかしあなた方が、「この世界を救うために、神を解放するために、私を犠牲にして下さい。私の教会を犠牲にして下さい」と祈ればどうなるでしょうか。神様は驚くでしょう。神様はあなた方と同じように、人格をもっています。わかりましたか。自己中心の祈りは、神は聞くことができません。それは最も退屈な祈りであり何も起こらないでしょう。

 あなた方は、神の国のため、神の義のため、世界、国家、神の解放のために祈るのです。それは祈りにおける主題なのです。大きいことのために祈り、それを達成しようとすれば、そこには冒険や危険があります。しかし神は「私が後ろについているから心配するな。迫害されても喜んで行きなさい」と言うでしょう。もし、あなた方がそれらの困難に立ち向かって、その壁を打ち破ろうと進めば、神がエキサイトしてあなたに代わって戦うでしょう。神は、誰が間違っているかを知っていて裁くでしょう。まず神は、あなた方が自分の力でその壁を破ることができるかどうかを見ます。もしあなた方が破れば、神は「私の息子よ、良くやった」と叫びます。しかし敵に対して、できないとか弱音を吐けば、親が「おとうさん、こわいよ。戦いたくない」と言う子供を恥ずかしく思うように、神もそう思うでしょう。

 祈りと行動

 あなた方は善の問題を起こさなければなりません。あなた方は、天の問題の起こし屋です。レバレンド・ムーンは、天の善の問題の起こし屋としてアメリカに来ました。だからアメリカは、レバレンド・ムーンを好きではありません。アメリカは独立後発展し、世界の一等国になり、文化社会もすばらしくなりまさた。そこへレバレンド・ムーンが来て、空手チョップやキックを加えました。アメリカの人々は、「あなたは誰か。うして私の平和を壊すのか」と言っています。しかし私はアメリカを滅ぼすために来たのではありません。私はアメリカに大きな危機が迫っいると警告に来たのです。ダムが壊れようとしています。誰かがそれを知らせて危機が迫っていると人々を起こさなければなりません。戦いが始まろうとしているので、腕を捲って戦備しなければなりません。

 あなた方の心と体、精神は、それに立ち向かう準備ができましたか。私はすべてを準備しましたが、もし足らなければ、あなた方が「助けてください」と言えば神は「息子よ、私はあなたのすぐ後ろにいる」と言うでしょう。そのような真剣な状態で神に祈れば、神は「行きなさい」と言うでしょう。神は「この男、女はまちがいない。彼らは完全に決意している」と思って、彼らに対して確信を持ち、彼らにより力を与えるでしょう。私の場合、時々、祈る以前の考えている段階で、神は私が祈ろうとしている内容を知っておられ、既にそれが満たされているのです。そういう経験を私は持っています。神は何段階も前を行なっていて、私に対して笑いながら「私がやったことを見たか」と話しかけられます。

 あなた方は祈りの態度・環境・基盤をつくらなければなりません。それをつくるためには、暗い部屋で何時間も待っているよりも、外に出て、一人の命を救うためにホームチャーチの戸を叩き、たとえ唾をかけられたとしても歩むのです。そのような迫害を受けながら活動する方が、暗い部屋で祈っているよりも、ずっと良いのです。祈りは、あなたが全力を尽くして歩んでも、なお満たされなかった時に、神に「私は全力を尽くしました。私を助けてください」と祈るのです。もし、あなたが助けを必要としないで出来れば、神に助けを求める必要はありません。「神よ、私は一人でもできます。見ていてください」と。

 ところで、神様はお祈りをされると思いますか。考えてみましょう。父親、母親についてみてみれば、親は「私の息子・娘が良くなってほしい。ああしてほしい、こうしてほしい」と呟き、一人言を言いますね。神も同じです。神はあなたのために、私のために、統一教会のために呟き、一人言を言います。「統一教会は、きょうどうだったか。私の息子・娘よ、強く進んでほしい。私はいつもあなた方の後ろにいる」と。危急の時は、神も落ち着いていられません。それが神様の祈りです。あなた方も、時には座って祈る必要がないでしょう。自分自身に、「私はこうしなければならない。あれもしなければならない。神は、先生は、今が非常時だと宣言された。だから、もっと働かなければならない」と呟いて、神様に話しかけなければならないでしょう。歩きながらも地下鉄に乗っている時でも、どこでも呟くのです。それがあなた方の祈りなのです。

 実際、私たちは先に祈って、後で行動しますが、本当は祈りと行動とは一緒なのです。祈りながら行動するのです。祈りながら座って待つ、というのは良くないことです。あなた方が最後の血の一滴、最後の涙の一滴までも流しきった後で、神に求めるなら、神はダッシュしてあなた方の所に来るでしょう。そういう祈りは聞かれるのです。あなた方が全力を尽くしきった後の祈りが、もし聞き入られないようなら、どうして私たちはサタンを屈服させることができるでしょうか。六千年間、神に心痛を与えて悩ましてきたサタンを屈服できないとすれば、それはましまいです。だから、何か道があるのです。

 祈りは真剣に

 祈りは真剣でなければなりません。祈りは一つに集中しなければなりません。二つの違った思いがあってはなりません。結婚の時は、男性にとっても女性にとっても、人生で最も真剣な時です。しかし、祈りはそれ以上に真剣でなければなりません。そして、そういう真剣な祈りりには答えが返って来ます。親が死ぬ時も、真剣になる時です。父親が死のうとしているのに、そのベッドから離れることはできません。神に対する祈りは、それ以上に真剣でなければなりません。祈りを他の言葉で言い換えれば、それは神とあなたとの間における約束、契約です。一度契約を結べば、守らなければなりません。まちがいなく果たさなければならないのです。それが、あなた方の姿勢です。

 祈りに対して、すぐに答えが返ってこなくても、ガッカリすることはありません。時には長い時間がかかることもあるのです。また、すぐに答えが返ってきたからといって喜びすぎてはいけません。神とあなた方との間には、さまざまな段階で隔りの世界があるので、届くまで時間がかかります。多くの人は、祈っても聞き入れられないと祈りを止め、神を裏切ります。最後の一インチを耐えることができないのです。それは、なんと愚かなことでしょう。あなた方が世界のために祈っても、あなた方のまわりで、すぐには何も起こりません。それで、その祈りはあなた方にとって意味がないように思われるかも知れませんが、しかし遠く共産主義の世界では崩壊が始まっているのです。祈りによる衝撃は向こうに伝わっています。あなた方がアベルの立場にいるとすれば、その答えはカインの方からくるのです。それが届くには時間がかかるのです。

 あなた方の祈る祈りの種類によっては、それは一千年後に満たされるかも知れません。私はそのような祈りを、一千年、二千年後のためにします。その祈りが満たされるまで、統一教会はそれに向かって進んでいくのです。たとえ私が霊界に行っても継続されます。そのような祈りが必要です。もし、統一教会のメンバーがそのような祈りをもっとすれば、全世界はもっと動くでしょう。その影響、衝撃は、世界的レベルで起こります。祈りの根は、あなた方の涙と汗と血です。それらの上に美しい花が咲くのです。イエス様はゲッセマネの園で、涙と汗と血を流しながら真剣な祈りをされました。深い祈り、それは一時間ではなく、十時間、時には一日中。そういう祈りは感動させます。

 どういう姿勢で祈るのが一番いいでしょうか。もし、あなた方が膝をついて頭を下げて祈ることができれば、それが一番良いでしょう。あなた方はそのような姿勢で体を主管し、体の苦痛がでても乗り越えなければなりません。そうすれば、神はあなた方が真剣であることを知るでしょう。イエスや偉大な聖人たちも、祈りがなければ偉大なことはできなかったのです。祈りによる力、衝撃が歴史をつくたのです。あなた方は祈りの力に対して希望をもっていかなければなりません。それは、いつ祈りが満たされるかわからないので、いつでも希望をもつことができるのです。しかし、多くの場合、あなた方は祈りを忘れてしまいます。

 現在、第三次七年路程の最終的段階を終えようとしているので、その勝利のために私は祈っています。私は一人です。あなた方は私がリラックスしていると思うかも知れませんが、私はリラックスする時間など一瞬もありません。私の心は第三次七年路程の目的のために、いつも働き祈っています、あなた方は祈りの重要性についてわからなければなりません。信仰の確信のある祈りは答えられます。祈りによって力を与えられます。また祈りりによってビジョンを受け、未来をみることができ、未来を導くことができます。そして、どのような困難がきても、それを乗り越えて発展させることができます。そうすれば、あなた方は大きな仕事ができるのです。祈りだけが、そのような道を開拓できるのです。

 私は自然を愛します。なぜなら木や水・海・草などの自然は、私に、祈るための良き環境を与えてくれるからです。私は静かな真夜中に祈るのが好きです。黙想するのに最高の時間だからです。私はそこで受けた構想や見た光景についてあまり語りませんが、あなた方が受けるような構想や夢を私はいつも受けています。それを語るには、あまりにも幻想的です。そのような新しい世界のドアを開けて、そこに届くのは祈り以外にありません。そこで愛を味わい、愛を経験するのです。これはとてもしっとりと暖かいものです。乾いた砂漠では、そういうしっとりとした暖かい愛を感じることができません。だからあなた方自身が、そのような愛を発するモーターにならなければなりません。そういう力を発することができるように研究し、それを永続させるようにならなければならないのです。それが祈りの力なのです。

 人々が認めようが認めまいが、見ていようが見ていまいが、それはあなた方の義務であり、果たさなければならないことなのです。それは神との契約なので、熱狂しながら信仰をもって満たさなければなりません。昼でも夜でも行くのです。休む時間はありません。それは生きた証しなのです。祈りに対する私の主題は毎年変わっています。なぜなら新しい段階、新しい時代へと進歩・発展しているからです。私は神のタイム・テーブルにおいて、現在がどのような時にあるかをはっきり知っています。それは祈りによって知るのです。あなた方にもそのような準備が必要です。わかりましたか。(はい!)では、そう祈る者は手をあげてください。(はい!)。どのように祈るのですか。(先生がきょう話されたように!)あなた方は、神の国と義のために祈らなければならないのです。

 ホームチャーチに対する心情

 アメリカには歴史を通して、多くの愛国者が現われました。あなた方は、その誰よりもこの国を愛し、祈らなければなりません。神がこの国を心配する以上に、あなた方はこの国を心配しなければなりません。そうすればこの国は生き残ることを保障されるでしょう。さもなければ、この国は滅びるかもしれません。

 私は統一教会を指導していますが、何がその目的でしょうか、運命でしょうか。私は神の願いの方向にあなた方を導いています。どんなに難しくても、そこに行くのです。ただ重要なことは、いかに短時間で行くか、です。その道は最も危険が少ない道だからです。私たちは、そのように危険や災難をなるべく起こさないようにして、行かなければなりません。現在は過渡的時期です。新しい時代に移ろうとしています。革命的な変革が起ころうとしています。神とあなた方にとって危急の時なのです。

 昨夜、各部門の責任者たちにホームチャーチの真の意味について話しました。ホームチャーチは、神と真の父母が人類に与えた最高の贈り物です。それは過去において未来においても、けっして存在しない最初のものであり最後のものです。あなた方はホームチャーチの贈り物を受けました。それを果たすことによって、あなた方は真の息子・娘になるのです。ホームチャーチは、あなた方自身を真の息子・娘にする容器なのです。私は、この贈り物があなた方に与えられるためには、六十年の全生涯を準備してきました。あなた方は、それを相続し、完成しなければなりません。ゆえに、ホームチャーチに対して、真剣に祈らなければならないのです。

 父母の心情でホームチャーチの人に対し、子供を愛するように愛して祈るのです。人々は地獄で苦しんでいます。あなた方の心はそのことに対して、どれだけ心配し、嘆いているでしょうか。もし、あなた方が彼らに対して親としての心情をもっていないとするならば、それは大きな問題です。あなた方は心を開いて、ホームチャーチの人々に対して父母の心情をもたなければなりません。もしあなた方が彼らに対して、本当の愛をもっていないとするならば、あなた方は自分自身を押し出して自分の心の中にそういう父母の心情が満ちるようにしなければなりません。それは、あなたの第二の性格となります。父母は誰に教えられなくても子供を愛します。それと同じように、あなた方も誰にも教えられなくても彼らを愛するようにならなければなりません。たとえば、小学校を卒業するのにも、六年間毎日学校へ行きます。ホームチャーチはメシヤの学校です。であれば、どれほど重要な学校かわかるでしょう。あなた方はその心と魂のすべてを、その生涯を、ホームチャーチに注がなければなりません。

 三六〇軒の中に、神は全宇宙の印を与えられました。アメリカには七千万の家庭があります。もし一人が三六〇軒のホームチャーチをもつと、二十万人で全アメリカの家庭をカバーできます。もし、全キリスト教徒が統一教会に入って、ホームチャーチ伝道をすればどうなでしょうか。あなた方にとってホームチャーチ以上に重要なことはありません。

 祈りの力と作用

 祈りの力について、テストしてみたらいいでしょう。一人の人に対して、何も言わずに涙の祈りを続けていけば、目に見えない礎石によって通じることができます。その人はどうして自分がある方向に導かれているかわからないけれども、磁石の力によって引っぱられます。あなた方が心からその人のために疑うことなく祈れば、あなた方に会った時、その人は自然とあなた方の所に来るのです。そういう驚くべき力があるのです。そう思うと真剣にならざるを得ません。催眠術師は魔力を持っています。しかしそれ、祈りの力に比べれば、はるかに小さくて低次元です。

 祈りの力はなんと強いことでしょう。限界がありません。そして、どこにでも行けます。祈りの力によって全霊界を動かすことができます。私の霊的力は、あなた方の祈りを通して働きます。あなた方が祈れば、奇跡が起こります。そして教示するでしょう。正しい方向・環境・姿勢をもってすれば、奇跡が起こります。ケープ・ケネディにおけるロケット発射台で最も重要なところは土台です。それは高熱で圧迫されても、溶けたり壊れたりしてはなりません。祈りも発射台のようなものです。自分の利益のために祈ってはなりません。公的な祈り、自分を忘れた祈りは、あなた方をますます霊的に高めます。あなた方が霊的に高まれば、霊界と通ずることができるし、未来に対して準備することもできます。

 あなたの中には、二人のあなたがいます。人間の中には鏡があり、内的人は外的人よりも鮮明です。二人はいつも一緒に行動し、喜びも一緒に味わいます。しかしもし、二人の行動が別々になるならば、それは悲しいことです。あなたの中では、そのような行動が毎日行われています。あなたがある人を見れば、あなたの内的な人が、その人が誰であるかを教えてくれ、またあなたが誰かの報告を聞けば、あなたの内的人である感が、その報告が正しいかどうかを教えてくれます。私は誰かが部屋に入ってくるだけで、その人が良い報告を持ってきたか、悪い報告を持ってきたかがわかります。そのように二体が一つになっています。

 あなた方は、自分の内的人にいつも尋ねることを怠ってはなりません。あなたの内的体は、いつも外的体と話をしたがっています。あなたの心霊が高まれば、内的体と外的体が一つになって話ができます。自分が話したくない時にでも、唇が動いて話すことがあります。それは自分が話しているのではなく、内的人が話しているのです。そういう現象が起こるのです。人間とは不思議なものです。ねずみでも、ボートが揺れて転覆しそうになれば逃げ出します。そうであるならば、神の最高の創造である人間に、危機が訪れようとしていることがわからないはずがあるでしょうか。あなた方はねずみよりも上なのです。祈りはそういう霊性を得るために力です。内的人と外的人が一体となるためには、力強い祈りが必要なのです。

 まとめ

 私は、お母様や子供たちなどの家庭を持っています。しかし私は、家庭のためには祈りりません。いつも国家・世界・宇宙のために祈ります。そうすれば神が私とその家庭に対して責任を持ってくれのです。なぜなら、私が神のみ旨に対して責任を持っているので、神は私に対して責任を持たれるのです。もし、私が、教会や国、世界のことを思うかわりに、家庭のことばかり思っていたとしたら、神は私の家庭を守ることができず、家庭の人は病気や災難に会うことでしょう。だから、私は家庭のことを心配したことがないのです。家庭のことを心配している時間もありません。神が責任を持ってくれることを知っているからです。だから私は、いつも教会のことや世界のこと、神のことを心配します。それは授受の原理です。他のために多く与えれば、他からより多くを受けます。自分自身が謙虚にへり下っていけば、神が引きあげて下さいます。

 あなた方は、空虚な祈りをしないようにして、霊的な体験をすることが必要です。あなた方の行なっていることが、成功するか失敗するかを、あなた方は霊的に知ることができるようにならなければなりません。成功するときには、なんとうまくいくように感ずることでしょう。体はそれを感ずるようにできているのです。アンナを持っています。あなた方は自己中心的な考えを追い出して、そこから自由にならなければなりません。そうすれば大きな力がでてきます。そのような戦いに勝利しなければなりません。そうすれば神の力を求める権利が与えられます。そうして、神の国と神の義のために祈れば、神が降りて下さいます。

 そして祈ったら行動しなさい。行動することによって祈りの力を知ることができるでしょう。昨日と違う自分を発見することでしょう。きょう成せなかったら、「神よ、きょう一日歩んできましたが、十分ではありませんでした。あなたの助けが必要です」と祈るのです。毎日、神にあなたの行動を示すのです。それは絶対に必要なことです。それは、あなたの第二の性格、趣味となって、たとえ自分が意識しなくても、自然にそういう行動をするようにならなければなりません。そのようにしましょうね。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.10.15 21:30:46
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