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2021.10.20
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​​​​​​​​​​​​​​​​​「摂理から見たアベルの正道」(その1)

1979年12月30日


  アベル文化の世界と歴史の完成

 統一教会の恨みの七〇年代は、三日をあとにして過ぎ去ろうとしています。八〇年代は希望の年となるようにお祈りいたします。

 きょうは、「摂理から見たアベルの正道」について話しましょう。

 統一教会に入教してきた人たちにとって、まず問題になるのはカイン・アベルです。普通は、先に入ってきた人がアベルだとみんな考えていますが、それは間違った考えです。なぜかというと、摂理路程には蘇生時代があり、長成時代があり、完成時代があるからです。原理がそうなっているのです。統一教会の歴史を見ても蘇生時代、長成時代、完成時代へと発展しています。アベルとは、アベルとしての道の蘇生時代を勝利的に歩み、長成時代も勝利的に歩み、完成時代も勝利的に歩んだ人です。このような責任がアベルにあるということを、はっきりと知らなくてはなりません。そして責任を果たした証を持たなくてはなりません。

 ではなぜ、アベルは蘇生時代、長成時代、完成時代を行かなくてはならないかというと、堕落したためにそうなるのです。もし、堕落せずにアダムとエバが成長して二十一歳を迎えたならば、このような位置は全部越えてしまうのです。その位置で、天の世界の成人となってしまうのです。それで、この位置から家庭時代に入り、家庭を中心にして氏族的家庭時代、民族的家庭時代、国家的家庭時代へと発展していくというのです。

 したがって、家庭の伝統も蘇生時代、長成時代、完成時代を経て受け継がれなくてはなりません。言い換えれば、祖父の時代、父の時代、孫の時代を中心にして受け継がれるというのです。すなわち、一つの家庭が中心の氏族的基盤となって、横的に発展していくのです。そのように家庭、氏族と広がれば、兄弟たちによる家庭氏族、家庭民族が大きく発展して国家基盤になるのです。そして国家から世界に伸びていくのです。そうなればアダム文化世界が広がって、神様の伝統的歴史が成立するのです。これがアダム文化の世界と歴史の完成であるというのです。

 では、その文化は何をもって成すのかというと、我々の生活をもって成されていくのです。また、歴史は何をもって形成されていくのかというと、我々の伝統によって形成されるというのです。これをはっきりと知らなくてはなりません。それゆえに生活と伝統は絶対に必要なものなのです。そこで、どのような生活をし、どのような伝統を受け継ぐのかということが重視されますが、それは生活文化と伝統歴史の一語に尽きます。その課題は何千年前のアダムにとっても、何万年後の後孫にとっても同じです。

  伝統的中心思想は神様の心情を実現する天国の愛の完成である

 それでは、その伝統的中心思想は何でしょうか? それは神様の心情を実現する天国の愛の完成です。天国の愛は伝統歴史の骨髄であり、その愛の力で摂理歴史は進展してきています。そして摂理歴史の進展に伴い、伝統が引き継がれ、生活圏と生活文化、すなわち家庭が引き継がれるのですが、その中心は心情です。心情が問題なのです。心情の中心軸は骨髄に向かい、地上から永遠の霊界にまで連結されるのです。そうであるため、このような形態は霊界にまでも連結されるのです。この二重構造のゆえに、成就することが難しいのです。
 人の一生は霊形体時代、生命体時代、生霊体時代へと発展していきます。霊形体、生命体、生霊体、これは原理が教えているものです。そしてこのような段階的発展を遂げたならば、堕落はなかったのです。ところがこれが失敗し堕落したために、ここからここに落ちてしまったのです(黒板で説明)。遠い圏内に落ちてしまったのです。落ちた世界は次第に大きくなりましたが、堕落しているためにこれは死んだ世界なのです。エバの堕落の原因は、初めに不信でした。その次に心の問題です。心情をなくしたのです。そして三番目は天を失ったことです。

 堕落エバとは何かというと、それは不信仰の人であり、不心情の人であり、不天国の人です。そのように、堕落した女性は信じることのできない者たちです。心情的に天と一つになることのできる愛がないのです。理想がなく、現実に縛られていて自己中心です。神様に向かって、「神様を信じているから、神様、私を信じてください」「神様を愛しているから、私を愛してください」と言い、将来の天国よりも今を問題にするのです。そのような考えは堕落から来ているのです。堕落のためにそうなるのです。そしてこのエバは、アダムまでも引き入れたのです。

 不信仰の人、不心情の人、不天国の人は、天国には行けないようになっているのです。堕落によってつくられたこの世は不信の世であり、愛のない世であり、理想のない世です。受け継いだ文化は堕落した文化であり、受け継いだ伝統は自己中心の愛の伝統です。男性も女性も自己中心の愛を求めるほかは、神様も全体も知らないのです。英語で、「I」を大文字で書くのも自己中心性の現れです。「I」は「am」という文字を抱いて大きく現れます。歴史的に見て、この「I am」を代表的に受け継いだものが西欧文明です。このような結論が出るのです。

 そのような国を代表する実用主義国家、それがアメリカです。アメリカ人は実用主義のあまり、利益を求め過ぎており、利益のためなら将来のことなどどうでもよいという生き方の人が多いのです。アメリカの諸君、先生の言ったことは正しいですか? 皆さんもそうですか?

  審判はアベル文化圏の使命

 堕落は何を蒔いたのかというと、不倫の種です。不倫の結果として実ったこの世に、倫理破綻の時代が来るというのです。青少年たちが人間始祖の蒔いたとおりの種になる倫理破綻の日が訪れる時に、アメリカの樹木の下では、若者たちの堕落圏の現実の舞台が繰り広げられるのです。その中でもアダムは恥じて覆い隠すのに、女子は着ていた服を脱ぎ捨てるのです。そこに男と女の違いがあります。恥を知らないのです。女性は恥じらいをもなくしてしまったというのです。背信のアダム、エバが神様から追い出されたように、この地球上から追放しなければならないそのような者たちです。国家が、民主世界が滅亡途上に入っているのです。何の話か分かりますか? 地球上に滅亡の時が来ようとしているのです。自然に滅亡するのです。

 これは審判されるべきです。では審判は誰がするのでしょうか? (メシヤです)。これが大きな問題です。誰がすべきでしょうか? (メシヤです)。メシヤではなく、アベルがしなくてはならないのです。アベル文化圏がするのです。

 神様は、アダム、エバの堕落によって拡大された、不信仰、不心情、不天国のこの世を正すために信義の人を立て、心情の人を立て、天国の理想的な人を立てて歴史を巻き返す運動をしてこられたのです。この運動の先駆者として信義の先知者、心情の先知者、理想の先知者が地上に送られたのです。人々に天を慕う心情を抱かせ、天の愛と信仰を主張する使命を背負ったのが先知者たちです。また、預言者たちなのです。

 このように、先知者たちは天から送られた人ですが、地上の人々からは「私はついて行けない」と、背を向けられて悲惨な道を歩むのです。彼らは反対され卑しまれる運命に遭ったのです。時には蹴られ、時には争う中で死に襲われて「ワー!」と叫び、人間世界の落伍者となっていくのです。だから先知者たちは仕方なく、見捨てられた立場で、この世の落伍者や不具者たちを中心にして、天の愛と信仰による新しい因縁を結び始めたのです。新天新地に希望を抱かせ、霊界を背景にした新しい信仰の波を起こしたのです。

 しかし、この世の者たちは信仰の話に耳を傾けながらも、古い習慣や観念を優先し、昔の風習から脱皮することができなかったのです。代わりに底辺の者たちが集まるという逆現象が生じたのです。立派な人たちはみな通り過ぎ、立派でない人たちもみな通り過ぎたあとから、病人や屑のように扱われた人々が、新しい世界を求めてやって来たのです。

 この世には、立派な父母、立派な息子、娘、立派な家庭をもった人はほとんどいないのです。家庭が破綻し、家族が別れ別れになっている父や母、あるいは息子や娘、負傷者たちが宗教に関心をもち、新しい世を希求して先知者を訪れるようになったのです。そこから天の因縁が始まるというのです。

 このような働きをする責任者、預言者たちの位置が、それがアベルの位置なのです。その預言者、アベルは地上の人々に頭から、「おい! お前たち、私に仕えろ」と言って、この世に受け入れられると思いますか? この世で人間の屑として卑しまれている人々を、不信の人から信仰の人に変えるためには、自らが信仰者としての行動を示さなくてはならないのです。不心情の人から心情の人に変えるためには、愛をもって感化させなくてはならないのです。無天国、無理想の人を理想天国の人として立たしめるには、ため息が出るほどつらいことがあっても、それを希望に燃えた表情の下に隠していなくてはならないのです。そうするのです。皆さんもそうするのです。

  アベルが責任を果たせば、カインはアベルを保護する

 七年たって、信義の人になったのですか、心情の人になったのですか? 天の国の理想をもった人になったのですか? 知ろうと知るまいと、伝道の志を立てたならば、対象者が従順屈服するようにもっていかなくてはならないのです。このように、アベルの伝統歴史がいかに難しいか知らなければなりません。

 仮に、先知者たちが地上に送られる時、世の人々から歓迎されることが約束されていたとしましょう。先知者は王の座で、あるいは出世の道で称賛を受けるものと喜んだのですが、実際は違う結果となり、考えもしなかった厳しい現実に直面した時に神様が信じられなくなり、「本然の愛も天の理想もみな疑わしい」と言うような先知者は、本物の先知者でしょうか? (いいえ)。

 アベルは、そのサタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕えるようにして、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。しかしその場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。その時にサタン世界の僕たちは、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた」と認めるのです。アベルは「いかに耐え難い時も、信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、最後まであなたを信じて尽くすことができました」と、言えるのです。そこで「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と、なるのです。その認められた事実でもって、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなくてはならないのです。カインは兄さんです。

 そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界のみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立するのです。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのが、カインです。そうすることで天の国に行くことができるというのです。

 カインはアベルの面倒をみなくてはなりません。兄さんが弟をみてあげるのが天のカインの道理ですから、弟を保護する運動が起きてくるのです。エデンの園では、カインがアベルを保護しないで殺してしまったのです。反対になってしまったのです。

 このような原則があるにもかかわらず、今日の統一教会の信者の中には、自分は不信仰であろうと、不心情であろうと、不天国であろうとどうでもよく、「ただ先に入ってきたからアベルであり、お前はカインだから屈服しなさい」と言う者がいます。そんな法がどこにありますか! アベルが寝る時間が短いと不満をもらしたり、仕事もこなせず、実績も上がらず、全体の犠牲にもなれないとすれば、いったいどうなるでしょうか、皆さんもそのようなまねをするのですか?

 次の問題は、天国に入る時にはカインが、「私が先に入ることはできません。あなたが先に入ってください」と言わなくてはなりません。天の父の前に進む時には、弟が兄さんの位置に立たなくてはなりません。では、それを誰が決定するのかというと、アベルが決定するのではないのです。カインが決定しなくてはならないのです。「統一教会で、自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それでは、「自分は統一教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それならば弟のいないカインがいるのですか? (笑い) アベルがいなければカインもいないのです。カインとアベルの決定は、「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、互いに約束すればいいのです。「私が兄であり、私は弟になる」。こういうふうにです。

 では、アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか? 不動の中心がなくてはならないのです。それが何かというと、信義と心情と理想です。信義は動くことができず、心情も動くことができず、理想も動くことのできない存在になっているのです。さて、次にもう一つの問題があります。理想に到達し、理想がかなえられると、理想に酔ってしまって二人が行くべき道を歩めなくなるということです。

 皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? カインとアベルはなぜ必要なのですか? 「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何だ」。(笑い) どうして笑うのですか、本当のことでしょう。カインなんか煩わしい、みんな蹴ってしまえばいいじゃありませんか? (いいえ)。なぜ「いいえ」ですか、カインがいかに煩わしい者か知っているのですか? カインはこう言うのです。「統一教会はいいのだが、アベルというのは嫌いだ。天才主義ではないか。アベルは勉強もしていないし、あのような者が何だ。あれがアベルなのか」と。

  カインのメシヤはアベル、アベルのメシヤはカインである

 皆さんは、皆さん自身がメシヤであることを知っているのですか? カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインであるということを知らなくてはなりません。それを知らなくてはならないのです。今まで説明したそのような関係を結ばずしては、それを経ずしては駄目です。では、なぜそうしなくてはならないのでしょうか? この原因はエバにあります。エバは堕落して誰を生んだかというと、カインを生み、アベルを生んだのです。これが兄であり、これが弟です。堕落ののち、誰が先に生まれ兄になったかというと、カインが先に生まれて兄となり、アベルはついていったのです。これは何かというと、後ろからついていく根拠になるのです。そのために、カインがサタン世界の相続権をもっているのです。サタン世界のすべてのものの相続権はカインにあるのです。サタン世界はカイン世界ですから、カインのものになるというのです。

 もし堕落しなかったならば、長子も天の側であり、次子も天の側になったはずです。これを知らなくてはなりません。そして、その国の相続は長子が受けたのです。長子が引き継ぐようになっていたのです。神様の原理法度は、先に生まれた人が父のすべてのものを管理し、責任を負うようになっていたのです。そして堕落した世界も、原理法度に従って規範どおりに運営していくというのです。

 長子がサタン圏のものとなったのですから、二番目の息子はどのようにしてこの、長子の位置を越えていくのでしょうか? それは屈服させることです。長子の権限をどのようにして引き継ぐか、これが問題なのです。どのように迎え入れるかということです。争って越えるのではありません。不信から信義へ、不心情から心情圏へ、不理想から理想圏へと、兄さんは弟についていかなくてはならないのです。そうすることによって、昔カインがアベルを殺したことを償えるのです。従順にアベルについていくことによって復帰されるというのです。カインは自分のほうから先にアベルを殺したのです。何の話か分かりますか?

 このようないきさつに基づいて、二〇〇〇年前に、国家的アベルとして来られたのがイエス様であり、国家的カインはイスラエル民族でした。イスラエル民族は国家的カインの立場から、国家的アベルであるメシヤに絶対服従してついていくべきでした。イスラエル民族は自らが滅びたとしても、アベルであるメシヤを生かすべきでした。そうできたならば、イエス様は死んだでしょうか? イエス様は十字架で死んではならないという話はここから出たのです。死を決して守ったならば、カインはアベルを殺さずに生かしたはずです。イスラエル民族が二〇〇〇年間メシヤの出現を待望したのは、この蕩減法からきたものです。

 母子協助

 神様のみ旨の中で、弟が兄さんを屈服させることに誰が協助するかというと、お母さんです。母子協助です。お母さんのエバは、堕落の実であるカインを、アベルと一つになって復帰しなければならないのです。母子協助という言葉はここから出てくるのです。弟が兄さんを屈服させる摂理がいつ行われたかというと、ヤコブとエサウの時代です。エサウは外的な存在です。お母さんであるエバの立場は誰ですか? それはリベカなのです。堕落の種を蒔いたのはお母さんですが、復帰は息子にお母さんが手助けをし、また息子がお母さんを手助けしたのです。

 エバが堕落する時、どのような事態が起きていたかというと、アダム、兄さんをだまし、神(父母)を偽り、堕落したのです。お父さんと息子の二人をだまして堕落したのですから、こちらからこちらに行くことで蕩減復帰ができるのです(黒板で説明される)。

 エバが堕落することにより、カインが長子になりました。そこでヤコブは何をしたかというと、お父さんのイサクと兄さんのエサウをだましたのです。そして祝福を奪うのです。なぜこのようなことが聖書に記されているのでしょうか? これが聖書だろうかと考えてしまうのですが、しかしそれだから聖書なのです。祝福を奪い取ったのです。長子の祝福は、口で言って次子に与えられるものではないのです。ヤコブはその長子の祝福を要求したのです。ヤコブは知恵を使って言いました。「兄さん、おなかが空いているなら、パンとレンズ豆のあつものを上げますから、代わりに長子の嗣業を譲ってください」と。長子の嗣業は売り渡すべきものではないのです。それは自分の天国を売り渡したのと同じであり、自らを滅ぼすことになるからです。天国も神様もなくなってしまうのです。

 エバの立場のリベカは、それほど重大な取り引きに対して、「お前たちが約束したとおりにしなさい」と言ったほかは何も触れていません。「お前たち、売れるものは売るし、買えるものは買えばよい」という調子です。リベカはヤコブに長子の嗣業を奪わせようと思いましたが、イサクが長子の嗣業をヤコブに譲らせるはずがないことははっきりしています。そこで思いついた方法が、兄弟で約束を交わさせることでした。

 つまりヤコブはアベルの役割をしたのです。そしてヤコブはリベカに、「お母さん! 約束どおりになりました。兄さんはレンズ豆のあつものを食べて祝福を売りました」と言いながら、母子でこそこそと話し合ったのです。実は、こそこそしているのはエバでなく、アベルだったのです。そのようにしてヤコブが祝福を受けることになるのです。ヤコブを祝福したのち、イサクから「カインは祝福をすることができない」と言われたエサウは、ヤコブを殺そうという憤りを抑えることができなかったのです。それは何かというと、ヤコブがアベルの立場で、カインの脳みそを抜き取ったようなものです。何の話か分かりますか? もし統一教会がある村においてそうしたならば、統一教会は完全にその村のカインの福を占領することができるのです。祝福を奪ってくるということなのです。

  ヤコブは二十一年間にカイン以上の基盤をつくる

 ヤコブは祝福を受けてから二十一年間、天の側の身代わりとなって、ありとあらゆる苦労をしました。家を出て、二十一年間苦労をしたのです。しかし、祝福を受けたはずのヤコブは、両親にも親戚にも、「私は神から祝福された。私は勝利したのだ」と言うことができなかったのです。エサウを屈服させる前は、そのように言うことができないのです。それをはっきり知らなくてはなりません。

 ヤコブは結婚をし、家庭をもったのですが、妻子たちにも神様の祝福を受けた話はしませんでした。祝福を公認する立場にないからです。「長子の嗣業を相続したのですから、あなたが天の祝福を受けなくてはならない」というサインを誰がするのかというと、カインなのです。それをカインが認定しなくてはならないというのです。カインがエサウが認定しなくては、ヤコブは祝福を受けられないという話なのです。

 では、ヤコブは家を出てから二十一年の間、何をしたのでしょうか? 自分の枠を築いてその中に氏族をつくったのです。カインより優秀な基盤をつくり、カインを消化しようとする運動をしたのです。その努力する姿を見て、ヤコブを神様が祝福してくれたのです。お金も多く、羊も多く、すべてのものが豊かに恵まれていたのです。ヤコブは母方の叔父や両親との因縁を大切に思い、それで、故郷ははるか遠い地にあったのですが絶えず贈り物をして、家族とのつながりを保ち続けていました。分かりますか? (はい)。そうしているうちに、エサウが考えるのです。“弟がいない、ハランに逃げたのだ。長子の嗣業を売った私が悪かったのだ。そうだ、私が悪かったのだから、私のほうから先に弟に会いに行かなくてはならない”。そして、「もう今は反対しない」と言って歓迎してくるのです。エサウも自分の過ちに気がつくようになるというのです。

 こうして二十一年後、故郷に戻る時にヤコブは最上の物を兄に捧げたのです。僕も動物も、そして財貨もです。それらの万物を僕たちに持たせて先に贈らせました。「このように、これらの物をすべて差し上げます」と言いながら。しかし一つだけ、長子の嗣業だけは手離さなかったのです。それは、長子の嗣業を返さなければ殺されることもあり得るのを知っての上です。そして、そのようなことがないように、すべてから解放される条件をつくるために、ヤコブは必死に二十一年間を働いたのです。その条件を供えれば、サタン世界を完全に越えることができるのです。それが何かといえば、財物です。何の話か分かりますか? (はい)。これが歩むべき伝統の道です。これが伝統なのです。この伝統の公式はどの時代にも通用するものです。

  「怨讐を愛せよ」

 先ほど説明した家庭基盤、氏族基盤、国家基盤、世界基盤にこの伝統を立てなくてはなりません。ヤコブは、イスラエルの氏族を中心にした国家編成までの伝統を立てたのです。ここにおいて民族交代をするのです。イスラエルの氏族が、エジプトに大移動しなければなりません。ヤコブの家庭基盤がそうなったためにエジプトに入るのです。エジプトという異邦の国に入って、受難の道を歩むことになるのです。

 氏族から民族基盤をつくり、次にエジプトに向かって移動しましたが、エジプトの国は長子の国です。文化も長子の文化ですから、サタンの文化なのです。イスラエル民族は次子ですから、文化も次子の文化です。すなわちエジプト文化はカイン型文化であり、イスラエル文化はアベル型文化なのですが、エジプト圏内でイスラエル文化がつくられていくのです。分かりますか? エジプトで民族的試練を受けながら、国家的基盤を築かなくてはならないのです。

 そうして四〇〇年の間、僕として過ごしたのです。それは迫害を受け続ける長い道程でした。その受難の中で信義のイスラエルの民族となり、また心情において天を愛することにより、彼らの前に、大いなる恵みが与えられることになりました。イスラエル民族を神様は祝福せざるを得なかったのです。

 イスラエル民族は、エジプトの最下級以下の人たちと交流を深めており、高位の人ほどその間に隔りがありました。天の摂理圏にある、アベル圏の立場のイスラエル民族が親しくしたのは、社会からつまはじきにされた人たちでした。イスラエル民族を愛した下層のエジプトの家族たちです。しかし上流階級の人たちはイスラエル民族を蔑視したのです。そして、エジプトの地でイスラエル民族は次第に増えていったのです。

 やがてエジプトの民は、このままではイスラエル民族のためにエジプトの民がいなくなり、エジプトの地がなくなるのではないかと恐れるようになり、国王は王権が奪われ、国中が侵害されてしまうと危惧したのです。国王が、「さては長子の嗣業を奪いに来たのか」と警戒するのです。これは公式なのです。

 さあそこで、モーセがイエス様の仮の立場で現れ、カインがアベルを殺した歴史の、国家的基準を越えるのです。個人的犠牲を耐えなくてはならず、国家的犠牲を耐えなくてはならないのです。イスラエル民族は耐えること四〇〇年間、怨讐に対して耐え続けたのです。イエス様が言われた「怨讐を愛せよ」ということはここから生まれたのです。既成教会はこれを知りません。イエス様が何をもとにして、「怨讐を愛せよ」と言われたのかを知らないのです。ヤコブも怨讐であるエサウを愛したというのです。兄弟を愛するのも、神様を愛するのも、父母を愛するのも同じことなのです。そのように、神様を愛しているから兄さんを愛することができたのです。兄さんから見れば、自分がアベルの立場ですから、ヤコブがカインであり、ヤコブはまたイエス様の立場でもあったというのです。イエス様の兄弟なのです。この兄弟が一つにならなければ必ず神様の仕事が複雑になるのです。分かりますか?

 イスラエル民族はこれを解決したのでしょうか、できなかったのでしょうか? エジプトで兄弟のような立場を、国家的次元でイスラエル民族が解決しているのでしょうか、いないのでしょうか? (解決しています)。そのように解決したのならば、エジプトでは他にすることがなく、イスラエル民族はエジプトでの受難期を終えてカナンに復帰したでしょう。しかし、カナン復帰してから何をしたのかというと、メシヤを待つ間に、もっと大きなカインであるローマ帝国の国家圏内に入っていったのです。ローマ、それは世界圏なのです。もし、カインであるエジプトを屈服させて、一つになっていたならば、ローマは問題ではありませんでした。ローマは問題外だったのです。

 カナンに復帰してから、イスラエル民族に大勢の優れた頭脳をもった人々が生まれました。それは神様が祝福したからです。次第にイスラエル民族が繁栄していくので、ローマ帝国は恐れ始めました。ローマ帝国は、イスラエル民族にはメシヤ思想があるということを知るようになったのです。イスラエル民族はメシヤの名を呼び、「我々はローマの兄弟ではなく、神様が送った人の兄弟だ」と叫んでいました。

 そして、イスラエル民族はローマ帝国から打たれたのです。メシヤを信じる人たち全員がです。そうすることでローマ復帰が始まるのです。一方、ローマ帝国でもイスラエル民族と親しむ人々が増えていき、イスラエル民族の勢力が広い範囲に及びました。その時期にイスラエル民族がカナンの人々と一つになって、メシヤを迎えたならば、メシヤとイスラエル民族が完全に一つになることができ、カナンにいる十二支派も完全に一つになれたのです。

 そして次はどこに行くかというと、アラブ圏を通って、インドへ通じる道が用意されていたのです。当時、ヨーロッパはローマ強国に直轄されていました。アジアを中心に世界が一つになるためにはまず、アラブ圏内でイスラエル民族が一つになった条件を立てるべきであったのです。それができたならば、インドと中国はイスラエル民族を応援し、受け入れたはずなのです。インドと中国はローマ帝国に圧力をかけ、イスラエルの政治的基盤を強力にしたに違いないのです。イエス様が血を流したのはなぜでしょうか? 本来イエス様はこの地点を通過して中国に渡ったに違いありません。中国とインドは宗教圏であり、ローマは純然たる人本主義圏です。キリスト教は絶対にローマでなく、インドから中国に渡ったはずでした。東洋にキリスト教が伝わるという結論です。それを知らなくてはなりません。

 しかし、イスラエル民族がメシヤに反対したために、どこに行ってもキリスト教信者たちは打たれて歩くようになったのです。追われつつ、より大きな怨讐のいる、より大きな国に入って、より大きな蕩減をしなくてはならなくなったのです。

 イスラエル民族はローマの中に入ってしまいましたが、本来の神様の計画は、東洋にキリスト教を迎えることでした。しかし、イスラエル民族が反対したためにアラブ圏の道がふさがれてしまいました。そしてローマ帝国に逃げて行ったために、ローマ帝国を相手に勝利しなければならないのです。そうしなければ、追われていくだけなのです。この世界が許さないのです。民族が離れ離れになってしまうのです。信義の人、心情の人、理想の人になるか、否かにかかっているのです。イスラエル民族も一つにならなければ、カナン復帰はできないのです。一つになることによってこそ、下水溝の底のような位置からはい上がって、ローマ帝国に勝利することができるのです。

 ついにそのような底辺から立ち上がった大衆運動が、ローマ帝国をしてキリスト教を受け入れさせ、全世界はローマの支配下に集まったのです。この勝利が、イエス様が死なずして勝ち得たものであれば、イエス様は天下を統一したはずでした。しかしイエス様の死によって得たものなので、キリスト教は霊的キリスト教文化圏としてのみ世界に広まったのです。

 ローマの世界制覇は、教皇を中心とした自由世界のローマ統治時代の幕明けとなったはずでしたし、その時の王がアベルに屈伏したならば世界は統一されていたのです。国民が知ろうと知るまいと、アベルが王に向かって、「王よ、あなたは私の言うことを聞きなさい」と言い、王が、「はい。絶対に服従します」と答えたならば、この世のすべては平安に治っていたはずなのです。

 本来、イエス様は死なないで、元老院と折衝すべきであったのです。しかし十字架のために、キリスト教は、ローマを経て英国に渡り、アメリカを回って中国に向かい、再びローマに戻っていくのです。アジアを通ってローマに戻るという逆の道をたどっていくようになるのです。

 その過程で、霊的であるはずの教会が物質的な教会になり、西欧文明の外的なキリスト教になったのです。精神的文化のキリスト教がなぜ、実用主義の物質的なキリスト教になったのか、キリスト教自身も分からないでいるのです。キリスト教が物質的アメリカを導いていかなくてはならないのに、物質的アメリカがキリスト教を引っ張っているのです。逆になってしまったのです。これを逆転させなくてはならないのです。

  アメリカの不信仰

 アメリカにサタンが入ったのです。サタンとしては、キリスト教を滅ぼさなくてはならないのであり、家庭と倫理を滅ぼさなくてはならないのです。その的の中心は、二世の青年たちです。神様が入らなくてはならないのに、サタンが入って全部を堕落させています。若者たちは酒を飲み、ディスコ・ダンスに夢中です。二世たちは国がないと言い、宗教も必要ないと主張するのです。全く単純としか言いようがありません。父母を否定し、兄弟を否定し、家庭を否定し、国を否定し、宗教を否定しているのです。すべてが否定であり、ただあるのは自分一人の人生なのです。

 愛についても、人が何と思おうと身勝手な愛に溺れているのです。サタンが若者たちに淫らな行いをさせるのです。日本女性を愛したあとで中国の女性も愛し、黒人の女性も愛して、十二種以上の女性たちを放蕩させているのです。サタンの所有物だからそうなるのです。自らを破滅させる者たちにはサタンがついているのです。

 これらはみな、アメリカで起きていることです。アメリカの女性は、男性と簡単に結ばれているのです。これらの人たちは落伍者です。必要のない人たちです。今夜はどこへ行こうか、東に行こうか西に行こうかと考える、このふしだらな女たち。女が問題です。男よりも女が問題なのです。そのように女たちは、あのエジプトの時代も今も、村や町のあちらこちらで、時には路上で男の遊び相手となっているのです。アメリカの女性たち、どうですか、そうでないのですか?

 これからアメリカの女性に何が起こると思いますか? 嫁にいきたくても、アメリカの女性はまず同じアメリカの男性から嫌われるようになります。嫁にいっても娼婦のような女たちです。パーティーなどと言って、家を回りながら、愛を売り歩く女たちです。そのように歩き回ったあとどうなるのでしょう。今に一人住いの女性のアパートが数十棟、ずらりと列をなして建つ日を、アメリカは目前に迎えているのです。このことゆえに世界中から打たれ、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ばれ、追放される日が来るでしょう。これは、レバレンド・ムーンが作った話ではなく、神様が教えてくださったことです。アメリカはこのように不信仰に陥っています。カインがアベルを殺した不信の歴史は、殉教の形で受け継がれており、終末の最後の時まで天の人は卑しまれ、世界の果てまで及ぶということを知らなくてはなりません。

 アメリカは韓国を犠牲にしようと陰謀をたくらみましたが、時を逸して失敗しています。どういうことかというと、この線がアメリカの行く道です(黒板で説明)。韓国を通過しなければなりません。このように、アメリカは韓国を切り離すことのできない運命にあるのです。加えて、キリスト教がアジアを通過しなくてはならないことを意味するのです。イエス様が死ななかったならば、アジアの東洋文化世界を中心にして、世界を指導し、その精神的基準はアジアにおいたはずでしたが、イエス様の死により、物質的世界が精神的世界を求めて行かなければならない立場に置かれてしまったのです。そのため、キリスト教文化は逆の道を回り、物質を根拠にしてきましたが、今度は物質世界の西欧から精神世界を捜して、世界を一周する役事をしなければならないのです。

  レバレンド・ムーンの使命はアベル的歴史の収拾

 現在アメリカは滅亡の危機に瀕しています。統一教会の我々は、このアメリカを救うために、韓半島を通過してこの地に集まってきて、二世たちに手術を施しているのです。

 レバレンド・ムーンの使命は何でしょうか? それはアベル的歴史を収拾することだというのです。今日世界的に拡大した人類の数から見て、カイン・アベルの歴史も、二人の歴史ではなくなっています。それを一人の人が解決しなくてはならないのです。

 家庭を中心にして見る時、家庭には必ずカイン・アベルがいて反対し合うのです。家庭的時代から氏族的時代に移ると、加重された十字架がカイン・アベルに負わされることになるのです。氏族的反対があってそれを越えると、より大きな民族的カイン・アベル圏に入り、国家的、世界的へと広がっていくのです。そのように役事をしなければならないのです。そして、今日の全世界的カイン圏は何かというと、天の前に一番近いキリスト教です。来られる主の前にはキリスト教がカイン圏なのです。ユダヤ教がイエス様の前にカイン圏であったことと同じ立場に立つのです。

 ユダヤ教のすべての祭司長や祭司たちがイエス様に、「この世のすべてが、あなたのためのものですから、ユダヤ教もあなたのためのものです。すべての財産とこの身を捧げますので、どうぞ指導してください」と言ったならば、「分かりました」と言うイエス様の一言で、アベル圏ユダヤ教としての大きな恵みを受けることができたのです。そうすれば、ユダヤ版図を中心にして、ユダヤの国王と一つになることができたのです。
 そこで国王が、「私はあなたの絶対カイン圏として服従します」と誓ったなら、国家的アベル世界が広がったのです。次は、もっと大きな国ローマを、そしてインドや中国を屈服させれば、世界的版図の世界統一が成就したのです。その日に、世界は完全に一つになれたのです。

 英国が世界的な支配力をもった時代には、アジアもインドもその支配下にありました。国土を擬人化した場合、半島は息子であり、島はお母さんです。それを知らなくてはなりません。キリスト教はどの道を通ったかといえば、ローマの国を中心にして、ヨーロッパを過ぎ、英国を経て、次は大陸に、お父さんである大陸に行くのです。そのようにしてアメリカ大陸に入ったのです。

 アメリカは男性です。そして天の側の女性の国家は島国です。ですから、島国の日本を通過してアジアを回らなくてはなりません。島の次は半島です。半島は息子です。韓国は息子です。必ず、日本から韓国への過程を通らなくてはならないのです。物質的なものが、精神的な世界に入っていくのです。アメリカも、日本についていくようになるのです。

 最近は一つになる道しかないのです。韓国の統一教会もキリスト教と一つになるならば、アメリカとも自然に一つになれるのです。世界を代表した立場でアメリカの宣教師がみな韓国に入っているではないですか。

 二〇〇〇年間、繁栄し発展してきたキリスト教は、約二十年前に力を失ってしまいました。罪のない統一教会に反対したからです。我々統一教会は底辺の位置にありましたが、今やはい上がって世界的キリスト教に勝利したのです。全世界のキリスト教が、レバレンド・ムーンをどうすることもできないのです。統一教会をどうすることもできないのです。

 ヤコブは七年で終わらせることを、二十一年かかりました。キリスト教が七年の間で統一教会と一つになったならば、七年以内に世界的統一をして余りあったのですが、その責任を果たせなかったのです。統一教会は、一週間以内で思想を変えることができます。たったの七時間で思想が変わることもあります。皆さんがそうであったからです。それは本当ですか? (はい)。皆さんがそうであるのに統一教会に反対し、レバレンド・ムーンを踏みにじり、「レバレンド・ムーンはブレーン・ウォッシュをして、搾取した」と悪口を言った世界中のキリスト教も、七時間でその思想を変えることができるのです。七時間です。そういうことを可能にしたレバレンド・ムーンが罪人になるとしたら、悪いことで罪人になるのでしょうか、良いことで罪人になるのでしょうか? (良いことでです)。

 それでは、レバレンド・ムーンが個人的カイン・アベルの蕩減復帰を瞬間的に果たし、家庭的カイン・アベルの蕩減復帰も瞬間的に果たせるならば、すべてのカイン・アベルの蕩減復帰も瞬間に終えることができ、キリスト教会の世界的版図も瞬間的に乗り越えることができるのです。

 その機会は、私がアイゼンハワー大統領に会った時にあったのです。そのころは韓国動乱が起きていた最中でした。アイゼンハワー大統領が私の考えを受け入れたならば、キリスト教が反対したものを蕩減復帰できたのです。私は間違いを指摘してあげましたが、彼のアジア政策はことごとく反対に回っていったのです。何の話か分かりますか? 彼はキリスト教が反対したことを蕩減復帰しなくてはならなかったのです。ですから、世界史的カイン圏の蕩減条件を立てなくてはなりません。それで七年の間にアメリカで、世界中の動きを正す運動を展開することになったのです。そのような目的で私はアメリカに来たのです。

  より大きなカインを求めて戦っていく公式の道

 一九八〇年までが七年路程です。全部を合わせると二十一年です。世界蕩減に反対したために、そのような世界蕩減の路程を歩むことになったのです。三次七年路程を中心にして、打たれながら統一の日まで歩み続けなくてはならないのです。それで先生が打たれてきたのです。また、私に反対した大統領も打たれたのです。先生の話を受け入れたならばこのようにはならなかったのです。それで、アメリカの統一教会の中にも騒ぐ者たちが現れたのです。彼らはいつの間にかいなくなることでしょう。「私は、アベルについていけない。アベルは嫌いだ! 先生にも厳しくてついていけない。ついていけない」と、このように不平不満を言い散らすのです。アメリカの国民が統一教会を受け入れようとする時は、また統一教会の群れたちが落ちやすくなるのです。

 統一教会はどのような反対を受けたかというと、私が何もしなくても、アメリカの人々は統一教会の信者たちをけなし、先生がさも暴力人間か詐欺師かのように言いふらしているのです。アメリカの国民は審判されなくてはなりません。

 もし、アメリカの国民がみ旨の責任を果たさなければ、南米人が果たし、黒人が果たし、アジア人が果たすというのです。白人たちがみ旨を放棄した場合は、スペイン人がやり、黒人がやり、アジア人たちが成就するのです。世界がアメリカを打つ日が来ます。それが何の話か分かりますか? 南米ではレバレンド・ムーンを招請しています。「敬意をもって、歓迎する」と言って、人を送ってきているのです。レバレンド・ムーンが南米に行くとすれば、皆さんはアメリカに残りますか、ついていきますか? (ついていきます)。南米に行って何をするのですか? その国に行くというのは、迫害を受けにいくことなのです。新たな迫害を受けにいくことなのです。そこでは我々をさげすむ「ムーニー、ムーニー」という声が、アメリカ以上に高まるでしょう。

 しかしそこで、何回も会って協議を繰り返しているうちに、下層階級の人たちはレバレンド・ムーンとムーニーたちが好きになります。今やアメリカの反対で、下層部にいる黒人たちとスパニッシュたちが行き来しています。レバレンド・ムーンの下に集まっているのです。そして、「ムーニーは信義のある人で、心情的で愛のある人であり、思想のある人たちである」という噂が次第に広まって、今度は歓迎の、「ムーニー、ムーニー」の声を聞くようになるのです。今のアメリカの不信仰、不心情、不思想も覚えておきなさい。語る言葉はみな覚えておきなさい。もし摂理が延長されたならどうなるでしょうか? 七年路程でアメリカが方向を変更しない場合、二〇〇〇年まで摂理が延長してしまうのです。

 私はアメリカの牧師たちに、英国、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに新しい基盤をつくらなくてはならないと指導してきました。この指導をアメリカが支援すれば、私は遠からずして間違いなくモスクワ大会を開きます。たとえ一人であってもです。何の話か分かりますか?

 それで先生は、青年の皆さんを厳しい試練の場に送り出しているのです。そのような試練を与えるのはなぜでしょうか? アメリカの幹部たちは先生を怖いと思っているのですが、君たちもそうでしょうか? 先生は厳しいのです。誰のために厳しくするのかというと、民主世界のためにそうするのです。共産主義の打倒を先生が一人でやっているのです。共産党が背後から攻撃してくるのを、先生が一人で受けているのです。サタンの攻撃を先生が一人で受けているのです。キリスト教会からのサタンの攻撃も先生が一人で受けているのです。

 皆さんは、攻撃されるのが嫌ですか? みんな嫌がっているのではないですか。では一つ聞いてみましょう。昔、愛していた、好きな男性、好きな女性に会いたくないですか、その人が恋しくないのですか? ディスコに行って踊り、学校では自分の自慢をし、自分だけが満足する生き方をしたくはないですか? クリスマスや年末でにぎわう通りを歩きたいでしょう。おいしいごちそうを思いきり食べたいのも知っています。しかし、君たちの現実は全く別のものです。

 アメリカ人で、レバレンド・ムーンが死んだらいいと思う人が、どれほど多いか知っていますか? 国務省でさえ、レバレンド・ムーンを追放しようとしているではないですか。「彼をこのままにしておくとアメリカが危ない。彼はアメリカを滅ぼそうとしているのだ」と言っているのです。昔のローマ帝国と、そっくり同じことをしているのです。アメリカ全土でレバレンド・ムーンをのみ込んでしまおうとしているのです。今、我々にとって、キリスト教が怨讐であり、共産党が怨讐であり、アメリカ人が怨讐となっているのです。民主主義も、共産主義も、キリスト教信徒も、アメリカもすべての人々がレバレンド・ムーンを嫌っているのです。

 これが公式なのです。アベルという名の公式です。歓迎せず、反対する日にはこの公式どおりのことが起こるのです。天の側の人は、サタン世界では、反対されても歓迎はされないようになっているのです。そのような見方で歴史の内容を分析する時、アベルは、「個人的カインよ出てこい。家庭的カインよ出てこい。氏族的カインよ出てこい。民族的カインよ出てこい。国家的カインよ出てこい。アジア的カインよ出てこい。世界的カインよ出てこい。共産主義の世界的最後のサタン、カインよ出てこい」という具合いに、より大きなカインを求めて戦っているのです。

 カインは全部アベルを殺そうとするのです。個人的基盤で殺そうとし、氏族的基盤で殺そうとし、国家的基盤で殺そうとし、世界的基盤で殺そうとするのです。蕩減をするのにも、個人のレベル、家庭のレベル、イエス様のレベルなど、いろいろな蕩減の段階があるのです。それを知らなくてはなりません。

 では、皆さんにアベルがいますか? (いいえ)。何が「いいえ」ですか。アベルのレバレンド・ムーンと一つになるのです。一つになって伝統を立てるのです。レバレンド・ムーンは、天の国の摂理的伝統をつくるために来ているのです。その伝統は単にアジアや韓国だけのものではありません。それは神の伝統なのです。(拍手)

 私は個人を信じたいし、家庭を信じたいし、氏族を信じたいし、民族を信じたいし、世界を信じたいのですが、すべてが信じられません。信じられるのは自分自身だけです。分かりますか何の話か? (はい)。もう分かりましたね。この世がどうなっているのか、世界がどうなっているかということを。先生は反対を受けるたびに、「この身に世界中の反対の弓矢が当たろうとも神様のみ前に恥じないアベルとしての十字架の道を越えさせてください」と祈って乗り越えてきたのです。今後は共産陣営のモスクワで、アダムの仕事を成功させることです。その時、皆さんは共産党に勝利できますか? 共産党に勝利して、次は何をしますか? 皆さんはソビエトに行かなければなりません。皆さんはその国で働き、その国に住まなければなりません。それにはお金も必要ですし、友達も必要になります。それをどのように解決するのですか? それには基盤をつくることです。黙々と基盤をつくらなければなりません。

 そうすることで、カンボジアの青少年のことを、ベトナムの戦争のことを、回教圏で戦う人々のことを考えられるのです。これらの考えをもって、心情の中に鋭敏に感じ取った不義なるものを歴史から除去してしまわなくてはならないのです。ベトナムの人々は家族がバラバラに分かれて生きているのです。そのような悲惨さをよそに、皆さんは今まで甘く楽しいことばかり考えて生きてきました。そのままの延長では、果たして世界に出て天のみ旨を立てることができるのかというのです。

 み旨の地で「神様! 私を保護してください」と言っても、絶対に保護されないのです。アメリカで私から受ける訓練は、共産主義からの大きな迫害を消化させるためのものです。迫害を乗り越えて、未来世界に行く準備です。未来世界で神様にお会いする準備をするのです。そのためにはもっと苦労しなければなりません。私は皆さんを骨が抜けてしまうほど訓練させるつもりです。

  韓国の蘇生圏、日本の長成圏を吸収して、アメリカの完成化を

 今日まで、数十年たちましたが、その間皆さんを愛さなかったとでも思うのですか? レバレンド・ムーンは、韓国人を最も愛し、その次は日本人を愛し、三番目にアメリカ人を愛していると思っているのですね。皆さんは原理が分かっていません。私は韓国を捨て、日本とアジアも捨て、アメリカを訪ねてきたのです。なぜかというと、アメリカは世界的な版図であるためです。世界中の民族がアメリカに来ています。韓国人も日本人も先生と一緒になって苦労してきました。皆さんも、その苦労の伝統を受け継ぐのです。その文化を受け継ぐのです。

 今まで何を行ってきたかというと、新しい文化と生活方法を残し、新しい伝統を立てるための仕事をしたのです。皆さんは韓国と日本の食口から先生の生活方法と伝統を聞いて、いろんなことを知っているでしょう。それらは全部私が教えたものです。私は多忙なため、個人のためのみに時を費やすことはできないのです。そこで一つの方法として、指導できる人たちを連れてきて、私の代わりに教えるように指導しているのです。皆さんたちはその指導者たちから、文化と生活方法を学ばなくてはならないのです。皆さんには伝統がありますか、あるとすればいったいどこの伝統ですか?

 皆さんは日本や韓国の指導者なしに、自分たちだけでみ旨をしたいと願っているに違いないのですが、果たして皆さんだけでみ旨ができると思いますか。韓国が蘇生で、アジアが長成で、アメリカが完成だとすれば、蘇生圏を吸収して、長成圏を吸収して、完成化すべきではないでしょうか。天使長が、アダム圏、エバ圏以外のどこから何を受けるのですか? それを知らなくてはなりません。しっかりと覚えておかなくてはなりません。

 アメリカ人がアメリカで仕事をするよりも、韓国人や日本人がアメリカで仕事をすることは、はるかに骨が折れるということを皆さんは知らなくてはなりません。韓国人が英語をしゃべり、日本人が英語をしゃべらなくてはならないという、そういう原則はないのです。逆に皆さんたちにも同じことがいえます。しかし先生は英語を学び、日本語も学んでいるので、皆さんも韓国語を学び、日本語を学ばなければなりません。

 韓国人に話すためには韓国語で、日本に行けば日本語で話し、アメリカに来れば米語で話せるように私は努力しました。言葉が通じないため、アメリカに来てからどれほど面倒な思いをしたかしれません。本を見れば分かることでも、会話となっては出てこないのです。そのような経験をしながら、韓国では「イエス」と「ノー」しか知らなかった私が、今では大分聞き取れるし、理解もできるようになりました。

 初めのうち、言葉が理解できない部分は心情で理解しようと努めてみましたが、どれだけ言葉が重要か、改めて教えられる思いです。皆さんは先生よりも若いのですから、「学べ、学べ、学べ」と言うのです。先生の年になると本を読むのも大変です。昔だったら二十ページぐらいなら、一度読むだけでも自然に単語が頭に入ったものですが、今はそうはいきません。きのうも単語の勉強をするつもりで、夜三時間ほど頑張りましたが、これがくねくね、あれがくねくね、ちらちらして、虎文字です。健忘症に陥ったような気持ちになってしまうのです。
 最近になって少しずつ分かるようになったのですが、勉強の苦痛は知らない時より大きいのです。何の話か分かりますか? (はい)。外国の地に行って仕事をするということは、そのように言葉の悩みがつきまとうのです。皆さんが私の立場であったなら、仕事を投げ打って逃げてしまっていることでしょう。

 私はこの国を救ってあげようとするのに、この国は私を捕まえて殺そうとしているのです。私に何の罪があるというのでしょうか。この国を救うために、膨大な資本を注いでいます。そのことに対して同情されることは願いませんが、私を捕らえるのでなく、彼ら自身は同情しなくてはならないというのです。

 さあ、それでは、皆さんはアベルをもっていますか? (はい)。それは誰ですか? (先生です)。先生は天の側に立っているのですか、サタン側に立っているのですか? (天の側です)。では、先生が迫害されるべきでしょうか、皆さんが迫害されるべきでしょうか? 原理的に先生の話を考えてみなさい。「私はこんなに苦労しましたから、先生覚えていてください」と言うべきでしょうか、「先生、責任を果たせなくて申し訳ありません」と言うべきでしょうか?

  原理がすべてに通じる公式である

 自分がカイン的基準で迫害されたならば、その迫害に負けず、より高い基準の迫害へと乗り越えていくのです。氏族的迫害から民族的迫害へ、民族的迫害から国家的迫害へ、国家的迫害から世界的迫害へと、迫害を受ける次元を高めながら先生の歩む道を直くしなくてはならないのが皆さん自身の責任であるのに、私は世界的迫害は嫌だと言うのですか? (いいえ)。「迫害という迫害はみな引き受けて、先生が行かれる道を、アベルが行く道を自分がつくってみせます」と言えるようにならなくてはなりません。(はい)。

 先生に対してアベルというのですが、そのレベルは、家庭的レベル、氏族的レベル、国家的レベル、世界的レベル、天宙的レベルのどのレベルなのですか? (天宙的レベルです)。

 天宙的レベルになれば、カインも祝福されるでしょうか、されないでしょうか? み旨を成したあとで、天宙的レベルになれば、神様の前で私が祝福を与えることにより、家庭段階に入っていかなくてはならないのです。アベルの家庭を中心とするカイン家庭は、「我々の家庭が犠牲になっても、アベルの家庭は犠牲にさせないでください」と祈るのが道理であるにもかかわらず、「我々の家庭は犠牲にしないで、アベルの家庭を犠牲にしてください」と言うのですか? (いいえ)。それならば、「先生はイースト・ガーデンでいい暮らしをし、我々の家庭は惨めな生活をしている」と言うのは、どういうことですか? それがカインの言う言葉でしょうか、カインがそのようなことを言えるようになっているのですか? 先生は、そのような祝福家庭の事情を知った上で言っているのです。

 イースト・ガーデンを守るためには、喜んで迫害され、家族も家庭も犠牲になれるようでなくてはならないのです。皆さんはイースト・ガーデンを保護するためには犠牲となる責任があるというのです。先生にはまた、守ることのできる天の側の本物のカインをつくる責任があるのです。皆さんを昼も夜も苦労させているのは、早く蕩減復帰して、永遠なる世界的位置のカインとならしめるためです。原理がそうだからです。先生は例外だとでも思うのですか? 原理はレバレンド・ムーンに対しても同じだというのです。何の話か分かりますか?

 レバレンド・ムーンの息子たちは今まで何をしたのでしょうか? 個人であっても、世界史的個人として、世界史的家庭として、世界史的氏族として、世界史的民族として、世界史的国家として、世界史的世界として立つことができるよう、天宙を賭けて戦ってきたのです。そのようにして、世界史的位置を定めることができたというのです。その位置は誰のために定めたのかというと、皆さんたちのために定めたのです。

 もし、共産党が民主世界を襲撃した場合、我々は民主世界を守るために天軍となってサタン世界と戦わなくてはなりません。その時、その位置は皆さんを守る柵となるのです。保護は柵の中で受けるのです。ですから柵がなくてはなりません。先生はこのアメリカに、共産主義の侵入を防ぐことのできる世界的柵をめぐらせようとしているのです。この柵が皆さんたちの家庭を守っているというのは事実なのです。何の話か分かりますか?

 これは原理的思想による話です。原理的思想をもたない者には理解できない話です。原理に外れたことを言わないように気をつけなければなりません。この原理を知らないと、伝統の原理も生活の原理も知ることはできません。原理に従って伝統が受け継がれ、原理に従って生活も営まれますが、これは、原理がすべてに通じる公式であるからです。

 レバレンド・ムーンは最も原理の公式どおりに生きているのですが、歴史上の世界的迫害を受けるというこの事実はなぜでしょうか? それは世界的アベルの責任があるということを示しているのです。分かりますか何の話か? (はい)。黒人たちでレバレンド・ムーンに反対する人がいますか? (いいえ)。最初は反対したのです。世間の噂を聞いて、最初のうちはレバレンド・ムーンは間違っていると非難していたのです。しかし、蕩減期間は短いのです。

  神の前に信仰、愛、理想においてアベルでなければならない

 世界の一二七カ国に宣教師を送ったのは全部、攻撃を受けさせるためです。世界的反対を受けさせるためです。宣教師はアメリカ人、日本人、ドイツ人の組み合わせでした。アメリカは南北アメリカの代理であり、日本はアジアの代理であり、ドイツはヨーロッパの代理です。この三つの国の宣教師たちが世界の国々に派遣されていったのです。三人の宣教師はそれぞれに、かつての敵対国家の国民です。その怨讐同士で一つにならなくてはならないのです。これはやさしいことでしょうか? (いいえ)。そこでもし、「自分がアベルだから従順に従え」と言えば、怨讐は従うでしょうか? アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには先に、カインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が厚く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈服させたあとに、カインたちのほうから、「我々の代身となって指導してください」と願われた時、「はい」と答えてアベルになれるのです。

 そうであるのに、食事の時に一番先に御飯を食べるのがアベルですか? (いいえ)。「私は食べ残りでもいい。君たちが先に食べなさい」と言うのです。休む時も「君たちは休みなさい。私はもう少し仕事をしてから休みます」と、言わなくてはならないのです。そこでカインが、「あなたは天の人です。どうぞ私たちの代表者となってください」と言ったならば、その時から御飯を先に食べてもいいし、先に寝ていいし、先に休んでもいいと言うのです。

 先に入教したからアベルであり、先に食べて良いという、そんな法はないのです。年取った人が、先に生まれたからといって天を先に知るというのですか? 統一教会の前にも、神様の前にも先に入った者がアベルではないのです。信仰においてアベルとならなければならないのであり、愛においてアベルとならなければならないのであり、理想においてアベルでなければならないのです。助けてくれず、伝道してくれなければアベルとは言えないのです。アベルは低くなければなりません。またエバの立場も低くなくてはならないのであり、アダムの立場も低くなければならないのです。これが何の話か分かりますか? (はい)。これがアダムとエバの位置です。

 カイン、アベルは一つになっていなければ、祝福は受けられないようになっているのです。その三者とは、神様とアダム・エバ、そして息子・娘です。

 皆さんも同じです。なぜ伝道するのかというと、父も子も、四位基台をもたなければならないからです。内的にも外的にも、子女が生まれれば食べさせなくてはなりません。自分の子女だけでなく、他人の子女たちも食べさせなくてはならないのであり、結婚させる準備もしなくてはなりません。ですから、各自が資金をつくることもでき、伝道することもできなくてはなりません。

 まず外的に家庭を祝福して、次は自分の息子、娘を祝福してあげるのが原理です。先生もそのようにするのです。先生も、原理があるから勝手にはできないのです。もし勝手にできるならば、私がなぜ苦労するでしょうか。皆さん、今日のこのアメリカの自由奔放な結婚を見てみなさい。祝福の意義を無視しているのです。全く許せないことです。貧しいのは嫌だとけちをつけるし、顔はきれいでなければいけないと要求するのです。どれほど頭の痛いことでしょうか。良いものは全部自分が得ようとする欲張りです。ある者は「レバレンド・ムーンとその息子、娘は良い暮らしをしているのに、我々は苦労しています」と、不平をもらしています。それは皆さんがレバレンド・ムーンを助けたのでいい暮らしをしているとでも言うのですか? 先生は血の汗を流し、世界で苦労しながら、自分の力で生活しているのです。何の話か分かりますか? (はい)。外的に先生が祝福してあげて、そして食べさせてあげて、嫁に行かせる時には、世の中のお母さんお父さんが生んでくれた以上にしてあげなければならないのはなぜでしょうか?

 三家庭以上が、先頭に立って天の祝福を受けるのを讃揚してから、内的家庭が生まれてくるのです。これが原理です。それから皆さんが、今度は「このように、我が息子、娘にも」と教えるのです。そのような自分の内的家庭として、一つになることのできる教育を教えているのです。

 そして、私がこのアメリカでは住めなくて、追い出される時、「あなただけが出ていくのです」と言うのではなく、霊的子女として共についていくのです。それは、自分が世話になったことを報いるためにです。あなたの息子、娘に対し「これこれこうだから、それを報いるためについていかなければなりません」と、言うのです。「あなたが私のために、また私たちの三家庭のために尽くしてくださったので、我々三家庭はあなたの息子、娘が結婚される時にはすべての精誠を込めて、あなたが苦労することを、我々が代わってあなた以上にしてあげたいのです」。このように報いていけば、今度は自分の息子、娘を愛することができるのです。アベルの息子、娘を愛するように、自分の子女たちを愛することができるというのです。

  アベルは目的をもって世界に伝統をもたらす者

 アベルはそのような目的をもって世界に出ることができます。伝統をもたらすのがアベルですが、その一つの希望をもって働くのです。伝統を残すためです。伝統は誰が立てなくてはならないかというと、アベルが立てなくてはなりません。アベルが、祝福家庭がです。何の話か本当に分かりますか? (はい)。それで、その復帰の基準が何かというと、僕の僕から、僕の位置、養子の位置、その次は実子の位置、父母の位置、神様の所に来るのです(黒板に書かれる)。これが統一教会の復帰の公式だというのです。

 ではこの「僕」とは何かというと、天の側からサタンの側に来た人を指すのです。サタン世界の僕の僕の位置だということを知らなくてはなりません。僕の僕から蕩減復帰しなくてはならないのです。その時、彼らは、「彼が我が家を奪いに来た」と言うのです。「主が来る時は盗人のように来る」と言うのです。サタン世界の泥棒です。それが誰ですか? (イエス様です)。皆さんもそうです。四方を見回して見て、自分がひどすぎたことを知り、息子を見るのも恥ずかしいし、お母さん、お父さんを見るのも恥ずかしいのです。また隣近所を見るのも恥ずかしく、国を見るのも恥ずかしく、世界を見るのも恥ずかしいのです。それを悟ったので屈服してきたのですね。

 皆さんはいつサタンが屈服し、いつカインが屈服するのかを知らなくてはなりません。いつ僕が屈服するのでしょうか? 隣近所で、「あいつを殺さなくてはならない。こいつ死んでしまえ」と、このように迫害されるというのです。そうしたあとで、サタンが屈服するというのです。皆さんはそのような迫害を受けたことがありますか? 皆さんは、僕の僕になってみましたか、話だけではなく、やってみたことがありますか? 「この統一教会の信者たち、みなこの位置に行け」と言ったなら、一人残らず逃げてしまうでしょう。このアメリカの者たち!

 僕の僕ですから、僕の主人がこう言うのです。「おい、お前はそこにいることはできない」と。また僕の主人は、「おい、お前のような奴はこうしなさい」と言い、僕が滅びるのを見ようとするのです。そうかというと、「おい、ああいうのを連れていけば金をもうけることもできるし、仕事をさせれば何でもできる」といって他に連れていくのです。そこでまた死ぬほど仕事をさせ、金もうけをするためのありとあらゆることをさせるのです。

 また僕に仕事をさせて、牛を買い、土地を買い、いろんなものを買ったということがみな噂となり、「あれは僕が来てから全部つくったのであって、主人がつくったのではない。この主人を殺せ、殺せ」というほどの噂が立った時に初めて、「これは汗代として」と言ってくれるようになるのです。そのようにして、養子の座に行くことができるのです。

 そうすることで、自分の贈物をもって初めて天の前に祭祀を捧げることのできる位置に立つので、養子圏内に行くことができるのです。その養子の立場で祭物を供える時、サタンの讒訴できる何らの条件もないのです。養子とはどういう位置なのか分かりましたか? 皆さんが祝福を受けるのは養子としてなのです。

 祝福され、次にはたくさんの財産を得ますが、その財産は自分のために得るのではありません。来たるべきメシヤ、アベルのために得るのです。養子になってから、“自分のために稼いだものだ。自分のものだ”と考える人は、絶対に天の国の、息子、娘の位置に立つことはできないということを考えなくてはなりません。息子、娘として迎えられないというのです。これが皆さんが行くべき道だというのです。話だけでなく、行かなければならない道だというのです。

 そして、養子圏を中心にして、家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくったので、神の真の息子として立ったのです。これが養子圏内の神側の僕です。これを世界的につくったのがユダヤ教であり、キリスト教でした。また、これは天の側の天使です。僕は天使長側ですから、カインの側です。天の側のカインです。

 皆さんはどのような位置にいるかを知って、七〇年代を越えなくてはなりません。皆さんは今どの位置にいますか? サタン側でこういうことをすべて成して、僕として仕えたことを世界が知り、「ひどすぎる」と噂され、「ムーニーが何の悪いことをしたのか」と味方してくれる人をもったのですか? 今や「レバレンド・ムーンが何の悪いことをしたのか」と言われる、今そういう時が来たのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 ここを通過せずしては結婚生活はできません。子供を生むことはできません。その十字架を背負っていく時には、その息子、娘を苦労させなくてはならないからです。ですから終わりの日には子をはらんだ女が罪になるというようになっているのです。養子の位置を経て、息子、娘にならなければ結婚できないために、独身生活をしなくてはならないのです。新郎、新婦もみな独身生活をしなければならないのです。五色民族が独身生活を強調するのは、蕩減条件を埋めるためです。そこで、宗教家はみな独身生活をしなければならないのです。この僕の僕の座を経ていく時に妻がいれば、どれほど気が重いことでしょうか。子供がいればつらく、その苦難を耐えられるでしょうか。どれほど耐え難い苦痛でしょうか。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.10.20 18:09:44
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