6243342 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇   知   外   記

奇  知  外  記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Recent Posts

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Comments

Calendar

Category

Archives

2021.10.28
XML
​​​​​​​​​​​​​​​​​​「祝福子女に語られたみことば」

一九八一年四月十二日
韓国にて


  大切な伝道

 お父さんやお母さんが、子供を沢山生むのにどのぐらい苦労するでしょうか。そして、苦労して 食べさせて、勉強させて、育てているのに、何だかんだと不平を言ってはいけませんよ。血肉圈か ら、神を中心とする兄弟として、あなたたちに因縁を結ぶ運動が伝道です。それで、私たちは伝道 が好きなのです。私を置いていったとしても、兄弟が多くなってくるということが嬉しいので、お 父さんやお母さんが伝道することに、誇りをもつのです。わかりますか(はい、わかります)。

 あなたかちの家で、お父さんやお母さんが伝道しないで、寝てばかりいたとすればどうでしょう か。「私のお母さんは良くやっているよ」と言いますか。それとも「私のお母さんは何をやってい るんだろう」と言いますか。私たちには、兄弟が多勢必要です。「病気になった時などは、兄弟が 沢山いれば協助してくれるから、良いし、私がりっぱな学校に行こうとすれば、兄弟が多ければ手 助けしてくれて良くなるのに、お父さんやお母さんはどうして眠ってばかりいるのですか。私たち の兄弟をいっぱい増やして下さい」と言ったらいいでしょうか、言わない方がいいでしょうか(言 った方がいいです)。ですから、寝ているお母さんを起して、押し出して伝道に行かせることは正し いことです。それは親孝行です。お父さんやお母さんが伝道で所労する時、りっばな息子、娘は苦 労する父母に協助します。それはどれだけ良いことでしょうか。そのような運動をするのが統一教 会であります。

 統一教会で祝福をうけた群をみていると、我々祝福をうけた群が一番である、三十六家庭が一番 である、と思っているのです。三十六家庭の次は七十二家庭であり、七十二家庭の次は一二四家庭 である、と思っている人々が沢山いるのであります。あなたたちのお父さんやお母さんの中にも、 そう思っている人たちが沢山いますよ。サタン世界の人がみんないなくなるように、伝道を熱心に して、神の国の子供が多くなれば、神様が喜ぶのです。それなのに、神様が喜ぶことをしないで、 サタン世界が喜ぶようなことをしながら、それをみているだけではいけません。何の話しかわかり ますか。

 中学一年、二年、三年ぐらいになると、十二、十四、十五歳ぐらいになるでしょう。あなたたち は、食事もお母さんやお父さんが作ってくれるといい、と思うでしょう。その方が嬉しいのでしょ う。お母さんやお父さんが作ってくれる食事が、私は一番おいしい、伝道なんてあっちにおいてお いたらいいのに、と思うのでしょう。私が学校から帰ってきたら、お母さんが食事の準備をちゃん として侍っててね、そして、お父さんとお母さんとみんなで一緒に食事をしましょうよ、と願って いるのでしょう。そういう、お父さんやお母さんが好きですか?どうなの?学校から帰ってみ ると、お父さんもお母さんも誰もいない、伝道に気違いになっていて、伝道にでかけて行ってしま っているのです。そういう時、あなたたちはどうするのですか。泣きべそになりますか。それとも  「私のお母さんは素晴らしい」と言いますか。どちらでしょうか。

 「私のお母さんは素晴らしい」と言いますね。本当にそうですか? 学枚から帰ってきて、お父 さんもお母さんもいなかったら、エプロンをして、お米をといで、御飯をたいて、お父さんやお母 さんは伝道して帰ると遅くなるし、お腹がすくだろうから、と夕食の準備を全部やっておこう、と 思いますか。どうでしょうか、ここにおられるお嬢さん、そういう人は手を挙げてみて下さい。素 晴らしいお婿さんを選んであげましょう(笑い)。みんな笑っているところをみると、お婿さんとい うことがわかるのですね。

 人間の身体は必要ないようでありますが、必要なのです。神の国は挟いでしょうか、それともと ても広いと思いますか。無限に広いのであります。ですから、いくらそこに入れたとしても、満ち あふれることはありません。では、神様は欲ばりだと思いますか、欲がないと思いますか(多いで す)。欲が多いですから、兄弟を連れてくる時、お父さんやお母さんが一人二人連れてくるより、数 十名、数百名、数千名を連れてくることを、神様は歓迎するのです。そのような神様が、多くの群 を連れて入ってくる家庭を最初に歓迎するでしょうか、それとも少なく連れてきた家庭をまず歓迎 するでしょうか(沢山つれてきた家庭です)。

 沢山連れてくることを歓迎するので、少ししか連れてこない家庭は一番最初ではなく、一番最後 の地獄の門に一番近いところに立つのです。一番最後ということは、そういうことです。神の国で はなく、地獄の門の前に立つようになるのです。ここは、いつもサタンが手をのばして引っぱって いけるような所であって、引っぱられてしまいやすい所です。

 安全地帯というのは、多勢の群をなして神の国に入っていくので、後に守ってくれる人がいっぱ いいるので、サタンの手が届かないのです。そのために、絶対に安全地帯に立つことができるので あります。神の国に最初に入っていくために、そうなるのであります。

  より信仰の兄弟を愛す

 それでは、あなたのお父さんやお母さんが伝道した人を見たことがありますか(はい)。あなた のお父さんやお母さんが伝道した人が醜い人だったら、どうしますか。陰気な感じの人だったら、 どうしますか。「あいつ、陰気くさいやつ。泥棒のような男」と言いますか。それとも、本当のお 兄さんのように愛しますか。ここにいるお嬢さんたち、お兄さんのように愛してみましたか。伝道 した兄はどんな兄でしょうか。信仰の兄です。では、信仰の兄とはどんな兄でしょうか。カインの お兄さんです。自分のお母さんが生んだお兄さんはどんなお兄さんでしょうか。アベルのお兄さん です。真なる兄弟となろうとすれば、自分のアベルのお兄さんを愛するならば、そうはなれません。 カインのお兄さんをアベルのお兄さんよりも良く愛して、尽した後に、サインをしてもらって、印 を押してもらって、はじめてアベルのお兄さんを愛することができるのです。

 これが復帰の家庭の形態なのであります。わかりますか。これが、統一教会の家庭がいく道なの であります。それで、あなたたちのお父さん、お母さんもあなたたちを先に愛するのではなく、ア ベルの息子、娘を愛する以前に、カインの息子、娘をアベルの息子、娘以上に愛するのです。そし て、そのカインの息子、娘が「信仰のお母さん、私のことはこのぐらい愛して下されば良いですか ら、私を愛する以上に、その十倍、百倍もアベルの弟と妹たらを愛してあげて下さい」と言われて こそ、帰ってアベルの息子、娘を愛することができるのです。そうなっています。何の話しかわか りますか。これが原理の道なのです。

 ここに協会長おりますね。金協会長、金協会長をじっとみていると、金協会長の息子はチンギル ですね。みてみると、信仰の息子、娘はさておいて、チンギルだけを先に愛しているようにみうけ られますよ。そのように思いますか、思いませんか。あなたたちの方が良く知っているでしょう。 私は太平洋をへて、アメリカから帰ってきたばかりですから。さあ、どうでしょうか。返事をして 下さいね。チンギル、あなたのお父さんは信仰の子女をあなた以上愛しているようですか、それと もあなたの方をより愛しているようですか。

 あなたは協会長の娘ですね。あなたは今までみてきたからわかりますね。どうでしょうか。(チ ンギルの方を愛しているようです)(笑い)。とても率直でいいですよ。だから、神様は子供たちを 好きです。もし、大人に聞いたとすれば「信仰の子女の方を愛しています」と返事するでしょう。 協会長の娘は少女で、少女の心は美しいものです。率直で美しい心とはどういう心でしょうか。そ のままで、飾りけがなくて、赤い花は赤い花としてみえるし、臭いにおいがすれば、臭いとして感 じるし、それを王様の前においてでもそのままに表現するのであります。飾りがないのです。年を 取った人ならば、王様の前では臭いにおいがしたとしても、臭いとは言わないでしょう。飾りがな く純粋な心です。

 さあ、そのような観点からみる時、資格のある協会長でしょうか、資格のない協会長でしょうか  (みんな笑い)。私が聞いたならば、返事をしで下さい。どうですか(資格のない協会長です)。 そうですね。このように祝福の父母たちが恥をかいたのですから、私たち子供もそうすべきでしょ うか。(いいえ、そうではありません)。私たらのお父さんやお母さんは世のお父さん、お母さんと は違うのです。あなたたちも、自分の弟や妹を愛する前に、信仰の兄弟をもっと愛さなければなり ません。一重まぶたが二重まぶたになるぐらい、懐かしがらなければなりません。一重まふたが二 重まふたになるということは、夜眠むらずに、ということです。夜眠らなければ、目がひっ込んで 二重まぶたになるでしょう(笑い)。それほど懐かしがり、愛さなければなりません。そうしなけれ ば、今日のサタン世界と神の世界との境界線はひくことができないのであります。何の話しかわか りますか。

  率直な心

 あなたたちはお父さんやお母さんが一番好きだといいましたね。あなたたち兄弟が一番好きだと いいましたね。堕落した世界において、家庭的な立場で合格しうる真の息子、娘の位置はどんなか といいますと、あなたたちの親を愛するよりも、カイン側の父母を愛さなければならないのであり ます。それでは、真の父母とは何でしょうか。真の父母はカイン側の父母よりも、もっと愛さなけ ればならない方です。そうなっているのであります。何の話しかわかりますか。あなたたちの父母 がいて、カイン側の父母がいて、その次には真の父母がいます。あなたたちが真の子女となるため には、カインの父母を消化して、それに拍手を与えなければなりません。それが天使長の家庭なの であります。カイン家庭というのは、天使長の家庭であります。

 天使長の家庭はサタン側の家庭であるために、サタン側の家庭というのは今まで全部、神側の家 庭に反対してきております。しかし、みんな反対したとしても、私は最後まで愛して、それをすべ て消化して、彼らが愛に染って自然屈服することのできる、そのような家庭の環境を整えなければ なりません。そうすることによって、カイン家庭がはじめて天使長家庭の立場において、堕落しな いでなしたアダムの家庭のような立場を築いて、生きるようになるのであります。何の話しかわか りますか。とても、複雑ですね。

 それでは、先生の前にどんな家庭があるのかといえば、祝福をうけた家庭と祝福をしてあげなかっ た家庭があります。祝福をうけた息子、娘がおり、その次には祝福をうけなかった子女がいるとい うことです。家庭の中には、祝福をうけて生んだ子供もいるし、祝福をうけないで生んだ子供もお ります。それで、祝福をうけて生まれた子女が、祝福をうけないで生まれた子供たちを足げにした り、僕のように扱ったりしては、絶対天国はなされないのであります。わかりましたか(はい) あなたたちはどうしても信じられませんね(はい、わかりました)。

 それでは、祝福家庭は世界の何分の一になるでしょうか、それとも何百万分の一になるでしょう か。世界からみると本当に少ないのです。それでは、神様は人々が多く集っている所に行きたいで しょうか、少ししか集っていない所へ行きたいでしょうか。あなたたちは市場へ行った時、人が沢 山集っている所へ行きたいですか、少しの所へ行きたいですか(沢山集っている所です)。神様はど うでしょう。神様がみつめる時、少しの人たちの群をみつめるでしょうか。多くの人々をみつめる でしょうか(多くの人からをみつめます)。神様は多く人々のいる群をみつめましたが、質があまり 良くありませんでした。少しの人々の群は質が良かったです。祝福の子女は貿がいいですか、悪い ですか(いいです)。いいですね(はい)。りっぱですね。

 りんごで例えれば、まっ赤でとてもかわいらしくて、形が良い、そんなりんごでしょう。世界の 人々と祝福の子供たちを比べる時、何百分の一ぐらいになるでしょうか。神様の目でみる時、.自分 の一の祝福の子供たちをまず訪ねていくべきでしょうか。それとも九十九倍になるエンジェルス学 校をまず訪ねていくべきでしょうか。九十九倍のエンジェルス学校の生徒たちを、まずみつめるよ うになります。みつめてみて、かわいらしく良いのがないので、祝福家庭の方に質の良いのがある のではないか、と思ってそららをみてみます。そして、祝福家庭の中に、赤くて形がよくて一番大 きいりんごがある時、神様ははじめて「ああ、ここにある」と言えるのです。

 私が一番大きい、と言うのは背が高いということではなく、心が大きいということです。一番美 しい、ということは顔が美しいということではありません。心が美しいということであります。赤 いということは、心情が赤くなければならないということです。そうなった時、はじめて神様は「 ああ、これはおいしい]と言えるのであります。

 あなたたちは小さい時から、自分たちのお父さん、お母さんがいると同時に、カインのお父さん、 お母さんがいます。統一教会の祝福家庭は、自分たちのことだけを考えているんですね。自分の祝 福の子供だけのことを考えて、側にいる人に知らん顔をするのでしょう。以前の劉協会長の奥さん、 史吉子おばさん、自分の子供だけに、背が大きくなるように、と御飯を作ったり、お汁を作ったり、 して、食べたくないと訪っても食べさせるのでしょう(はい、そうです)(笑い)。とても率直でい いですね。この世の子供だちよりも、祝福をうけて生まれた子供たちはとても率直なのであります。 両親の体面を考えない、そういう人たちは純粋な人たちであります。

  祝福家庭のいく道

 私たちの家庭がいく道というのは、あなたたらだけを愛していくことはできないということであ ります。わかりますか。カインの家庭を愛していくことのできる家庭でなければなりません。信仰 の三子女に会ったことがありますか。信仰の三子女とは、三家庭の子供でありますから、三家庭の 父母がいるのであります。その三人の信仰の子女と、その父母までも愛することができなければな りません。蘇生、長成、完成とサタン的堕落圏内において、三家庭をへてそれを復帰するのです。 心情的復帰基準において、偽りの父母の蘇生、偽りの父母の長成、偽りの父母の完成をへた後に、 本当のお父さん、お母さんを愛することができるのです。それが原理であります。  

このことをはじめて聞きましたか。昔、お父さん、お母さんから聞いたことがありますか(はじ めて聞きます)。これは、あなたたちのお父さん、お母さんが行かなければならないし、あなたたち が行かなければならない道です。直接に、お父さん、お母さんを愛するのではなく、側にいるカイ ンの三子女の父母を愛し、その兄弟を愛するのです。そして、彼らを愛したそれ以上の基準をもっ て、自分のお父さん、お母さんを愛するのです。そうして、神の国に家庭として入っていくことが でき、真の家庭の子女になることができるのです。そのようになった子女たちが互いに愛する時、 真の神の国の兄弟となることができるのです。確かにはっきりとわかりましたか(はい、わかりま した)。これが原理なのであります。

 そのために、あなたたちのお父さん、お母さんを中心としてみる時、東西南北、四方を捜し求め てたてた一つの点となるのであります。一つの円形となるのであります。協会長、何の話しかわか りますか(はい)。統一教会で、祝福をうけた家庭が自分の子供ばかり愛してきました。ここにいる 一二十六家庭で原理がこうなっているのに、先生がそのように自分の子供ばかりを愛する姿をみて、 気持ちがいいと思いますか、悪いと思いますか(悪いと思います)。先生が気持ちが悪かったら、あな たたちはいいでしょう(いいえ)。あなたたちも気持ちがわるいですか(はい)。お父さんとお母さんが 気持ちが悪い時、そのような両親をみて、あなたたちは気持ちがいいですか(いいえ)。「お父さん、 お母さん、どうか私を愛して下さい。愛して下さとと言いますか、それとも「どうか、カインの 兄弟を愛し、カインの父母を愛して、そうして帰ってきて私を愛して下さい]と言いますか。どち らだろう(後の方です)。聞いて、よくわかりましたね(笑い)。これから、あなたたちはこのことを 知らなければなりません。

 自分の子供だけを大切にするのではありません。隣りにいる幼い人を愛するのです。そして、統 一教会の祝福をうけた子供たちは学校においては模範になり、この生徒たちがいなかったら、うち の学校は寂しくなるというようにならなければなりません。三百名の四倍である千二百名を消化し なければなりません。そのような運動を、エンジェルス学校においてやってきましたか。聞くのも はじめてなのに、やるはずがありませんね。そういうことをはっきりと知らなければなりません。 ですからお父さん、お母さんに「早く伝道して下さい。先生は『カインの息子、娘を愛しなさい」 と言ったのに、何で私を先に愛するのですか」と言わなければ、天国は入ることはできません。

 ヤコブには十二人の息子がいましたが、一番祝福をうけたのは誰か知っていますか(わかります。 ヨセフです)。ヨセフは何番目の子供ですか(十一番目です)。ヨセフの下はベニヤミンです。ヨセフ の上の十番目までの息子たちは、サタンのような立場であります。お兄さんを中心とした、その十 代の息子たらが何のようであるかと言えば、サタンのようであり、憎むのであります。なぜ憎むの かと言いますと、カイン・アベルを中心とした形において、三家庭を中心とした東西南北の中心に 立った立場だからです。ですから、十家庭以上が反対します。そういう家庭の中で冷遇をうける立 場で、戦いをいどまれて、それを越えていかなければなりません。兄弟たちはヨセフを井戸で殺そ うとしたが、殺さずに、イシマエル人に売りました。

 あなたたちを祝福してあげたのは、あなたたち、人だけが良い生活をするように、という願いからで はありません。統一教会に反対し、統一教会を嫌う、ヨセフの十人の兄たちのような、そういう人 たちを助けて、抱いて神の愛の圏内に導く責任的使命を代表としてもっているのであります。それ がヨセフのような立場にある、祝福をうけた家庭の子供たちがいくべき道なのであります。何の話 しかわかりますか。

  十二名の信仰の子女

 祝福をうけた家庭の子供たちをみてみると、それは堕落しなかったアダム‘エバの立場であり、 救世主のような道をいかなければなりません。イエス様がこの地上にこられて、人々を生かした後 に、御自分が生きる道をいったのであります。そのような使命と原則は同じであります。祝福家庭 のあなたたちを神様が祝福して、良く生活ができるような環境をつくったとしたら、それはあなた たらのためのものではありません。それは世界のためです。

 世界的なものを受け継ぐためには、十二名以上の信仰の兄弟を愛さなければなりません。ヨセフ の十一人の兄弟が、全員ヨセフに屈服したように、あなたたちは十二名以上の横的な兄弟を愛して、 彼らから「あなたは全ての愛の主体であり、模範的であり、家を相続できる人です」と言われなけ ればなりません。お父さん、お母さんに「何名カイン的な兄弟がいますか」と聞いてみなさい。十 二兄弟を横的になすためには、家庭に十二名の息子が必要です。先生はお母様に子供を十二名生ん で下さい、と‘言って十二名生みましたか。どうでしょうか(生みました)それは、とても大変なこ とです。十二名の兄弟を愛さなければならない立場に立ったために、カイン的な兄弟を縮小させた 立場において、天の子女の兄弟の立場において、愛しうる環境をつくってみようというのでありま す,わかりますか。

 信仰の子女が十二名、元来は三名以上、十二名いなければなりません。十代ないし十二代を中心と して、いつも、歴史は展開するのであります。あなたたちはかわいそうですね。お父さんとお母さん が祝福の子供たちを放っておいて、出回っているので。何のために出回わっているのでしょうか( 伝道のためにです)。伝道をして、どうするのでしょう。カイン兄弟の、十二の環境を整えなければ ならないからです。そのために、イエス様も十二弟子を求めたのであります。家庭からいろいろと 反対をうけて、十二弟子を求めるために苦労して回ったのであります。このような運命は、すべて の祝福家庭がもっているのであります、

 神の祝福をうけて、お父さん、お母さん、そして子供と四位基台をつくれば、天国に入れると思 っているかもしれません。しかし、四位基台を.つくったとしても、天国には入れません。四位基台 をつくって、サタン世界の天使長の基台の上に立って、そしてそれを拠点として入っていくのであ ります、それは、先生の家庭も同じであります。祝福をうけた家庭を、基台として愛したという基 盤をつくっておいて、その上に立つのであります。全てを愛した後に、はじめて自分の子供たちを 愛するのであります。今から、先生は自分の子供たちを愛そうと思います。三次七年路程が終って、 第二回三次七年路程があなたたちにより出発することにより、先生の家庭を中心として子女を愛す るようになっているのであります。何の話しかわかりますか。

 あなたたちはそれを知らないで今まで、お父さんやお母さんは私たちだけを愛してくれればいい のに、と思っていたのでしょう。それは、正しい考えですか、そうではありませんか(正しくあり ません)。お父さんやお母さんがあなたたちを愛する、それ以上の愛の気持ちをもって、サタン世界の 信仰の子女を愛することによって、彼らがあなたたちを愛することができるのです。三人以上の信仰 の子女がいてこそ、天使長の基準が復帰されるのであります。三人の天使長を復帰して、祝福して こそ、アダム・エバははじめて自分の立場にもどることができるのです。これが原理なのでありま す。今、はっきりとわかりましたか。正しい話しをしているのに、どうして気持ちの悪そうな顔をす るのでしょうか。これを知らなければなりませんよ。カインの子女を三人以上を愛さなければなら ないということです。

 カインの三子女はみんな兄弟なのであります。彼らに父母がおりますから、あなたたちの父母を 愛する以前に、カインの三兄弟を愛し、彼らの父母を愛するのです。その後に、自分たちのお父さ ん、お母さんを愛するのであります。そうして、父母を愛した後に、自分の兄弟を愛することがで きるのであります。これが原理です。これを知らなければ、サタン世界を絶対救うことができない のであります。世界を救うということ、世界に責任をもつというのは、このようなことであります。 協会長、このことをみんなに明確に教えてあげなければいけません。わかりますか。

  子女たちのための三年伝道

 あなたたちのお父さんやお母さんは、このことを今まで良くわからなかったのです。統一教会で 祝福をうけて生まれたあなたたちは賢くて、勝れていると思います。あなたたちは間違いなく先 生の話しを良く聞いていて、お父さん、お母さんにその責任を問うてくれると思います。また、兄 弟に対してもそうしてくれると、私は信じております。信じてもいいですか、どうですか(信じて もいいです)。それでは、お父さんやお母さんがそうしなかったならば、どうしますか。押し出す のです。[お父さん、お母さん、伝道して下さい」と言って押し出すのです。そうして、あなたたちが お父さんやお母さんの代りに食事を作ったり、洗濯をしたり、弟や妹の面倒をみたりするのです。 そういう立場に立たずしては、祝福家庭の子供として資格があるとは言えません。わかりましたか  (はい、わかりました)。

 ここで、お父さんやお母さんが信仰の子女をもっている人は手を挙げて下さい。全部ではないで すね。統一教会では、自分の子供を生んでおいてから、三年とか何年とか伝道に出かけるのを、あ なたたちは不思議に思うでしょう。年齢の高い、高校一二年生ぐらいの祝福の子供たちは覚えている でしょう。お父さんやお母さんは、自分が学校に通っているのに、無慈悲に一二年間も私たちを捨て て出ていってしまった、無慈悲なお父さんやお母さんだ、と思っている子供もいるかもしれません。 あなたたちを放っておいて、遊びまわっていたのではなく、伝道に出まわっていたのです。それは 良いことだったのでしょうか。悪いことだったのでしょうか。仕方がなかったのであります。捨て ておいてでも、信仰の子女をもたなければならないのです。そうしなければ、自分の子女を愛する ことができないからです。あなたたちを愛するために、仕方なくあなたたちを放っておいて、サタ ンの厳しい反対の中、伝道に出かけたのです。任地の村に行っても、統一教会はああでもない、こ うでもないと言って、人も騒ぐし、犬も騒ぐのであります(笑い)。にわとりまでつつくのであり ます。

 サタン世界に伝道に行ったら、サタン世界が崩れてしまうので、とても反対するのであります。 こうすることにより、蘇生、長成、完成の蕩減になるのであります。なぜ、あなたからを置いてい かなければならなかったかといえば、お父さん、お母さんは自らが苦労をしに行って、愛すべきあ なたたちには苦労をさせたくなかったからです。ですから、孤児院にあずけてでも行かざるを得な かったのです。では、孤児院にあずけたことは良かったことですか、悪かったことですか(良かっ たことです)。返事がまちまちですね。「いいえ」と返事をした人たちは、幼稚園の子供たちでし ょう。良く言葉を理解できなかった・子供たちがした返事でしょう。「良かったことです」と返事を したのはヽ小学校五年生以下ぐらいの子供たちでしょう。あなたたちは孤児になったことがありま すか(いいえ)。

 先生の息子のうち、一番大きい息子は誰ですか(聖進様です)。一番大きいお兄さんに、聖進が いるのです。私の家庭も今の祝福家庭と同じなのであります。聖進を孤児院に送ったりもしました。 お寺に出したりもしました。このように、聖進は中学にも苦労して通いました。

 それは、サタンが讒訴しうる環境、周囲をなくすためでありました。そういうことをしなかった なら、あなたたちはみんなサタンに引っぱられて行きます。迫害の中においても、サタンに勝利し うる道をみいださずしては、絶対もどってくることはできないのであります。それを誰が先に知っ ていたか。お父さん、お母さんが先に知っていた故に自分の子供たちのゆく道を整え、防御するた めに、あなたたちを置いてでも、伝道に出かけたのであります。自分の子供たちの将来のために、 孤児院に入れたとして、未来において迫害のない道を整えていくということは、非常に良いことで あります。統一教会においては、このようにややっこしい、この世において知ることのできないこ とをやっているのであります。中学生、高校生はわかりましたか(はい)。

  孤児の時代

 きょう、先生のお話しを聞いて帰ってから、お父さん、お母さんに「四位基台の完成を教えてく れたお父さん、お母さんありがとうございます。四位基台完成をなす前に、私たちの外的四位基台 はどうなっていますか」と尋ねてみるのです。「カインの信仰の三子女が天使長になりますが、こ の天使長が胎中から讃美する立場に立っていなければならないのに、それを立てずして生まれてき た私たちは、どのようにすればいいでしょうか」と尋ねるのです。堕落しなかった本然のを場に立 つのではなく、堕落の立場に立ったのであります。だから、讒訴をうけるのであります。気持ちが 悪いでしょう。それでも、仕方がありません。子供を置いてでも、世界へ出て行ったりするのは、 自分たちの基盤を整えるためであります。カインの環境圈を天へと連結させて、神の環境圈として つくらなければ、天使圏がなされないのであります。

 あなたたちの世代は孤児の時代であります。このような孤児の時代がなければなりません。お父 さん、お母さんがいても、孤児なのであります。しかし、サタン世界の天使長と異なるのでありま す。堕落世界の孤児はサタン世界の孤児なのであります。サタンとは神の怨讐であります。それで、 その世界の孤児のお父さん、お母さんは永遠に息子、娘を知らないのです。しかし、統一教会にお いて祝福をうけて生まれた孤児は、神の国の孤児と同じであります。お父さん、お母さんたちはあ なたたちのために、一生を犠牲にするのです。それが違うのであります。

  原理を実践する家庭

 三十六家庭の年上の子供たちは、自分は三十六家庭の子供だからといって特別に思ってはいけま せん。その両親が七十二家庭や一二四家庭の子供たちには知らん顔をして、自分の子供たちだけに おいしいものを食べさせて、大事にしているのです。それをみる先生の気持ちはどんなでしょうか。 年上の子供たちは何の話かわかりますね。あなたたちの両親がそうであれば、統一教会を滅ぼして しまうことになります。あなたたちは十五歳以上の年齢になったのですから、中学、高校、大学生 ですから、このようなことをはっきりと知らなければなりません。これからも三十六家庭、七十二 家庭、一二四家庭の子供である年長の皆さんは、自分の両親を導いて、法度通り原則通りに生きな ければなりません。「私たちが立つことのできる環境を整えて下さい」と言うのです。学校に行く 時も「私も学校に行って頑張ってきますから、お父さんお母さんも頑張ってきて下さい」と挨拶す るのです。そのような家庭が天の祝福をうけることができるのです。

 祝福家庭だからといって、何もせずただ黙っていて、神の国に入れるわけではありません。三家 庭をへてから入れるのであります。何の話かわかりますか。先生は三カ国をへるようになっている のであります。今日既にこのような環境が整えられております。三次七年路程が終り、アメリカが 反対し、韓国が反対し、全世界が反対したとしても、神のみ旨の中にある三カ国は既に歓迎できる 基盤を整えているのであります。

 お父さん、お母さん、私と四位継台の家庭であればいいというのではなく、その他に三人の天使 長のような、三人の霊の子女、彼らには両親がいますので、その三家庭を私たちの家庭とともに連 結させて、平面的なつながりをもたせて、東西南北が設定されるのであります。祝福をうけた私た ちが東になるのであります。西はその中でも最も代表的な家庭がなるのであります。そして、南は その次の家庭、北は一番末になるのです。このようにして一つになるのであります。三組の父母が 一つになることによって、その中に神が臨在するようになるのであります。神を中心とした一つの 復帰された完全なる家庭が立つのであります。あなたたちはこれをはっきりと知らなければなりま せん。

 では、あなたたちのお父さん、お母さんを中心として、祝福家庭ではありますが、復帰されたこ の原則的な家庭が形成されていますか。どうでしょうか。イエスでしょうか、ノーですか(ノーで す)。これは一体どうすればいいのでしょうか,氏族復帰時代がきたのですから、近親者、従兄、 はとこまで集めて、そこにつなげることができるのであります。昔は一番怨霊を伝道してつなげま した。自分に一番反対する人を、一番中心的な人としてつくりかえて、このような三子女の基盤を つくらなければならなかったのであります。今は、先生が勝利することによって、時がかわってき ました,自分の親戚、文さんならば文さんの親戚をつれてきて、そうすることができるのですから、 どれほど復帰が速い時代に入ってきたかということがわかると思います。このような原則・公式に あうようにしなければなりません。いくらりっぱで、優れた協会長の息子であったとしても駄目な のです。わかりますか(はい).

 先生に子供たちがおりますけれども、あなたたちは祝福をうける時には先生の子供と祝福をうけ たいなあ、と思っているでしょう(笑い)。率直に言ってみなさい。そうですか(はい)。では、 資格はどうあらねばならないでしょうか。前の協会長の息子である、今の協会長の息子である、と いうことは資格になりません。一二○家庭の子女であっても、この原理の原則にあうならば、三十 六家庭、七十二家庭の子女をのり越えて、それが可能なのであります。先生の子供が沢山いるとい いですね。あなたたちはどうせ結婚するならば、先生の義理の娘、息子になりたいと忠うでしょう。 ここにいる全員がそう思っているでしょう(はい),

 先生は原理を却っているので、そのような原理的な家庭を探しているのであります。そのような 家庭があるならば、原理を実践している家庭があるならば、その家庭を先に考えねばなりません。 私の話していることは正しいでしょうか、間違っているでしょうか。正しいですね。ですから、あ なたたちもそのような背後の環境をもっていないとするならば、親に「私のこの基盤をつくって下 さい。眠らずに頑張って下さい」と言って、押し出すのです。協会長であろうが、何であろうが、 役職を全部とり除いて、その基盤が築き得ているかどうかが大切なのです。そのようにして、親を 押し出すことは良いことでしょうか、悪いことでしょうか。良いことですね。

  子女の時代の出発

 きょうは何の日かわかりますか。先生がお母様に会って聖婚式をした日です。そして、三次七年 路程、二十一年路程を終える日なのであります。それで、ここにきょうなぜあなたたちを呼んだの か理由があるのです。これから、どのような時代かというと、先生がやってきたことをあなたたち にまかせる時なのです。先生がやってきたことを、協会長の家庭を中心として全祝福家庭が代をつ ないでやる時がきたのであります。それなのに、あなたたちのお父さん、お母さんはみんななって いないのであります。今まで満たさなければならない器を満たしていないし、祝福の法度を立たし めていないために、あなたたちを呼んだのであります。そして、お父さん、お母さんが誤ったこと をあなたたちが果たして、またお父さん、お母さんが責任を果たしていないところをあなたたちが 指導して、天国にいけるようにしなければなりません。あなたたちはそのような年齢になったので、 ここに集めたのであります。

 十八歳以上になる人は手を挙げてみて下さい。お母様は先生のところに何歳でお嫁さんにきたか 知っていますか? 十七歳以上ではなく、丁度満十七歳の人だけ手を挙げてみて下さい。四十歳にな る先生があなたたちのような十七歳のその人をお嫁さんにするその立場は、いかばかりのことでし ょうか。幸福であったでしょうか、かわいそうな立場だったでしょうか,あなたたち考えてみて下 さい。これが原理であります。

 イエス様はなぜ家を出ていかれたのでしょうか。信仰の三子女、三家庭を中心として愛の基盤を 整えずしては、結婚して生まれてくる息子、娘をサタン世界から守ってくれる城壁が、垣根がない のであります,そのために、朝、東から太陽がのほれば、そちらを向いて祈られたのであります。 そして、三年後、その年数を祈ることによって、東西南北を整えることができたのであります,東 西南北を整えることによって、平面における一つの中心を決定することができるのであります。そ の中心の地を決定する所に神様は臨在することができるのであります。十二支派とは何でありまし ょう。三年の四位基台をイエス様はつくったのであります。それは何のことかといえば、家庭を中 心としてみる時、東西南北を整えて天国へいかなければならない、という結論になるのであります。 これは世界が完全に統一されるまで、統一教会の祝福家庭がいくべき道であります。完全に復帰さ れるまで続くのであります。

 これを簡単にさせ、集結化させたのが、ホーム・チャーチなのであります。本来、三六〇軒とい うのは何かといえば、全国家一二〇の蘇生、長成、完成を代表するものであります,そのために、 これはサタン世界全部を代身した家庭数と同じなのであります。これらの国家から完全に認められ る父母たちになったならば、あなたたちはサタン世界の讒訴をうけることなく、天国に入ることが できるのです。そして、天国に入る時、東西南北の門から一度に、あなたは東の門から、あなたは 西の門からヽあなたは南の門から、あなたは北の門からといって入ってきて、あなたたちのお父さ ん、お母さんを中心として四方のあなたの三六〇の種族を、霊界において連結することができるの であります。これはどういうことかといいますとヽあなたたちの父母は霊界において氏族のメシヤ となると同時に、全サタンが讒訴することができる国家の代表の型を蕩減することのできる安全地 帯を形成できるということであります。そのための、三六〇軒ホーム・チャーチなのであります。 あなたたち、何のことかわかりますか(はい)。

統一教会の祝福家庭は子供を沢山生みますね。一番子供の多い家庭は何人ですか(九人です)。 兄姉が多ければ、一膳の御飯を分けて食べなければなりません。しかし、貧しく生きたとしても兄 姉が多い方がいいですね,あなたたちが愛の心をもちさえすれば良いのです。良い服は私が着て悪 い服は弟にあげる、というあなたたちですか? 続一教会の子供たちは、他の子供だちと異ならな ければなりません。良いものがあれば弟にあげ、悪いものは私に、と全ての生活において、天の前 に感謝の涙を流しながらいくのです。そしてヽこの民族を愛しヽ愛するお父さんヽお母さんの願い をかなえてあげられる私になりますようにヽと涙を流しながらお祈りすることが多くあればヽ神様 は心情の神様ですから、多くの恵みを与えて下さるのであります。二十一歳までは完全に忍耐し、 たえしのぶのです。十二歳までではありませんよ。そのように待ったらヽ安全にサタンの前に勝利 して、恵みをうけるようになるのであります。

 そして苦労を多くし、精誠を多く尽くせば、お父さん、お母さんのすべてを相続することができ るのであります。いくら顔が悪くて、背が小さく、知識のない人であったとしても、このように情 誠を尽くす人がその家庭の相続者となるのであります。これは正しい言葉ですか。どうでしょうか  (正しい言葉です),先生が統一教会の食□たちをずっとみる時「苦労しなさい」と言っても、そ の苦労をしないで、苦労するのは愚かだからだ、とできるだけ苦労から遠ざかろうとする食口たち が多いのであります。「伝道に行きなさい」と言っても、穴うめの伝道です。人の出方をみながら の伝道です。厳しくすれば、少し進みますが、笑顔をみせればまた後退してしまいます。そのよう な人たちは、絶対統一教会の相続者となることはできません。統一教会の協会長、局長、部長など 全責任者をみる時、先生は言葉を言わないけれども、よく知っています。全教会の食□たちの前に 誰よりも苦労し、混乱をも自分が責任をもつと言って、夜も昼も寝ないで東奔西走し、むずかしい 道を、困難な道を自分が訪ね求めて身もだえする、そういう人になる時、そのような教会や家庭は 統一教会の相続をうけるようになるのであります。何の話かわかりますか。

  統一教会の伝統

 そのようなお父さん、お母さんの子供が両親からそのような思想をうけ継いで、原理研究会でも 全体のために尽くし、責任をもつような人は先生の子供たちの嫁、あるいは婿になることができる のであります。先生のこの考えは正しいでしょうか、間違っているでしょうか(正しいです)。一 つお話をします。私の子供の誉進さんと仁進さんがある時「お父様、お母様言いたいことがありま す」と言うのです。「何のことかね」と尋ねると「韓国に行ってみて、いわゆる祝福をうけたとい う三十六家庭をみてみると、みんなために生きようとする心、与えようとする心よりも、先にうけ ようとする、泥棒のような心持ちのお父さん、お母さんになっていて、その子供たちもそのような 両親に似ていっています。」と言っていたことがあります。それは、統一教会を滅びに至らせます。 例え貧しくとも、父母が教会の役職の責任者にならなくても、統一教会の伝統を残すことができる その家庭の背後において、神は喜び、愛することができるのであります。神はそのような家庭を願 っておられるのです。婚礼の家に行って、もちをもらって食べたいのに「もちを下さい」と言わな いで「キムチを先にもってきて下さい」と言う人をみて、その家の御主人は気持ちがいいでしょう か? その時、もし「私は家に帰って御飯を食べます」と言うならぱ、その御主人は自分の家にあ るおいしいものを全部集めて、食べさせてあげたいという気持ちになるでしょう。統一教会の伝統 を残すために、先生の息子、娘たちはそのように考えていると思います。何の話かわかりますか。

 先生は統一教会の責任者だし、お金持ちだから、先生の子供と祝福をうけたら英国とか世界の食 □たちが「はい、はい」と従うので、どれほどいいだろう、と思うかもしれません。それよりも、 自分を犠牲にするという考えが先に必要であります。その言葉は正しいですか、どうですか。お父 さん、お母さんがそのような条件を整えなければなりません。そうして、将来の統一教会を守る二 世たちは、先生よりも両親よりも素晴らしくならなければなりません。あなたたちのお父さん、お 母さんがそうなっていない時は「そうしなさい」と言いますか、どうですか(言います)。お母さ んが「まあ、青二才のくせに」と言ったら、先生の名によって、私が指示したのですから「金栄輝、 鄭大和、指示に従うように」と言ったら、両親は「アーメン」と言うでしょう(笑い)。金栄輝協 会長、鄭大和さん、そうですか(はい)。

 私は今、笑わせるためにお話をしていると思いますか。この幼い四百名の子供たちに説教する私 は、どれほど惨めでしょうか。一九八一年四月十二日、今何時ですか。二時ですね。私がこのよう に指示したのですから「アーメン」と言うべきですね。「アーメン」と言わない親は気合いを入れ なさい。あなたたちはお父さん、お母さんが「アーメン」と言うのを聞きましたね。永久に統一教 会の伝統を残すことができ、それぱかりでなくこの国と民族の代りに伝統を残すことのできるお父 さん、お母さんになるためには、教会のために犠牲にならなければならないし、民族、国家のため に犠牲にならなければなりません。そのために自分の子供を苦労させたとしても、その子供は親孝 行の道を極め、中心の道をなし、聖人の道をなすのであります,このような人には間違いなく、神 様が恵みを与えるのであります。もし、彼が涙を流しながら祈るならば、神は百パーセントそれを 聞いて下さるでありましょう。

 神の前に、自分たちの子供のことで心配しないで下さい。私たちのお父さん、お母さんは私のた めに、教会のためにそのような立場に立っているので、私たちを愛して下さっていますし、お父さ ん、お母さんの願いを成就してあげて下さい、と祈るならば、間違いなくお父さん、お母さんのな すことは、神が成就してあげざるを得ないのであります。あなたたちの顔をみても、そうできます。 そのような家庭をつくって、天国に入ることのできる合格証を得ることを願って、私はしばらくお 話をしたのであります。わかりましたか(はい)。

 では、あなたたちはこれからお父さん、お母さんをみ旨に押し出さなければいけませんよ(はい)。 それから、家庭を革新させなければいけませんよ。あなたたちはお父さん、お母さんから「これか ら伝道に行きますから、代りにこの用事をしていて下さいね」と言われた時「エエー」と言います か、どうですか。「私は八歳だけれども、全部やれますよ。お姉さんができるのに、どうして私が できないことがあるでしょうか。私にやらせて下さい」と善の競争をしなければいけません。あな たたち、そうしますか(はい)。そうするという人は手を挙げてみて下さい。ここにいるお父さん、 お母さんたちはそうしますか、そうするという人は手を挙げてみて下さい。きょう、私の言ったと おりになす家庭は間違いなく天国に入ることができ、そしてこの国の愛をうけ、世界人類の愛をう けるようになるでありましょう。

 すべてに、与えてうける授受作用の原理があります。私はこのようにあなたたちに与えましたか ら、あなたたちは何か私が気持ちがよくなるようなことをして下さいよ。言葉でか、歌でか、踊り かでですね。一番気持ちが良くなるのは歌うことですか、踊ることですか。歌うよりも踊ることで すね。でも、ここは狭いので踊ることができませんから、その次に良い歌を歌って下さい。統一教 会で一番お兄さんと思う人と、一番お姉さんと思う人は立って歌って下さい。(以下順々に子供た ち歌う。そして次に小学生以下の子供たちを退場させる)。

  三時代

 全てのものには、三時代があります。動物において水中時代があり、次に陸地の動物時代があり、 次に昆虫や烏のように飛ぶ時代があるのです。人間は万物の霊長であり、被造世界の全ての万物を 主管しうる資格をもつために、人間は水中時代において、どのような存在よりも完全な内容を整え なければなりません。そして陸地時代においても、どのような動物よりも、最高の資格をもっか存 在でなければなりません,ですから、人間は高等動物であると言われるのです。ところで人間は翼 がないでしょう。では、いつ飛ぶことができるのでありましょう。あなたたちは飛んでみたことが ありますか(いいえ)。人間は昆虫や烏よりももっと高く、遠くまで飛ぶことができるのです。ど のような飛行機よりも瞬間的に地球上を飛ぶことができるのが人間なのです,

 そうなるために、どうすればいいかといいますと、肉体をもってはできないのであります。人間 は万物の霊長であり、神は霊的な存在であり、その神の対等な相対的な立場にたとうとすれば、そ の活動の舞台が宇宙的であり、そこを往き来するためには光の速度よりも速く作用することができ なければなりません。それが霊人体なのであります。

 私は今ここにおりますけれども、ア″という間にニューヨークに行ってきました。「アッ」とい う瞬間にもう行ってきました。稲妻よりも速いのであります。それが霊人体なのであります。この 世において最も速い作用とは何でありましょうか。それは愛の作用なのであります。愛の力です。 互いに愛する人がおれば、地の果てから他の果てを越えて互いに引っぱり合うのです。そのような 力をもっているのであります,そのために今日、宗教を中心として「愛を求めなさい」「愛の神に 近づくようにしなさい」とか「心情問題を大切にしなさい」「良く祈りなさい」とか言うのは、愛 の世界に接触することによって、神のあらゆる愛の作用に同伴して、ともに参与できるようになる ためです。神がおられる所、神がいかれる所はどんな所にでもいくことができるのであります。  神の本来の世界において、真なる愛を体験した人は、神が願うあらゆるものを、代りに即座に所 有することのできる能力と権限をもつことができるのであります。それでは、その資格をどこにお いてなすかと言えば、地上が基盤となるのであります。統一教会式に言えぱ、霊人体を中心として 肉身とが一つになれば、ここにおいてはじめて神の愛と接触がなされるのであります。あなたたち は同胞を愛し、民族を愛し、万物を愛することによって、神の愛を感じなければなりません。五色 の人種を愛する、その愛の心をもたねばなりません。人間のみならず、微小なる動物までもそのよ うな心情で愛することのできる心が、自動的に生じてこなければなりません。

 花が咲く時、その花の美しい色は自分が願ってでてきたのではなく、自然にでてくるのです。自 分がこういう香りをつくろうとして香るのではなく、自然に香ってくるのであります。同じように 愛の花が咲かなければならないし、愛の香りが康わなければなりません。そのためには、愛の花が 咲くことのできる栄養素をもたなけれぱなりません。地上においてあらゆる栄養素をうけるように 霊人体も栄養素をうけるのです。それが生霊要素であり、また肉身生活を通してくる生力要素であ ります。そうして、愛の完成体になるのであります。そして、どんな所にでも行くことができるよ うになるのであります。太陽系とか銀河系、全宇宙世界は全て私の活動舞台になってくるのであり ます。

 愛する夫がいれば、夫とともにどんな所にも行くことができるのであります。太陽のまん中も通 ることができるのであります。太陽のまん中なんて、火が燃えているので恐くていけない、と思う でしょう。そのような火のまっただ中でも無事通過なのであります。東西南北を自分の思いのまま に通過できるのであります,太陽のまん中にダイヤモンドがあったり、貴金属があったり、とこの 膨大な宇宙の全てを知ることができます。千態万象はみな私の活動の舞台になるのであります。も し、完全なる愛の人格を備えないとすれば、道は制限されてしまうのであります。四方八方を通過 できないのであります。東西南北を自由にへることができないのであります。渡り鳥になってはい けません。春夏秋冬、どんなところにおいても合わせて生活できるようになるのです。このような 資格を整えようとするならば、完全なる愛の人格を備えなければなりません。

  地上生活の意義

 そのために、三時代をへるようになるのであります。死ぬということは、はって歩いていた陸地 の生活から、飛んで宇宙を活動の舞台として、愛をもって楽しむことのできる世界に入るためのも のです。そのような世界に入学するために、死の道にいくのであります。死ぬということは新たに 生まれるということであります。胎中において胎盤が赤ちゃんを育てる役割りをします,生まれて くる時は、それを全部ぬぐい捨ててくるのです。それと同じように霊人体を育ててくれる土台のよ うなものが肉身ですが、霊界にいく時はそれをぬぐい捨てていくのです。そのために、三時代をヘ るのです。そうして、人間は名実ともに水の世界、陸地の世界、無限なる愛の世界に生きるのです。

 水中時代にあっては、空気に相当するのが水ですが、霊界における生命の要素は愛です。みんな 呼吸をしているのです。その世界は全ての細胞が息をしているのであります。全身が細胞として息 をするのであります。それで、愛の要素を全身から吸収するようになり、全てにおいて満足感を得 ることができるようになるのであります。そこにおいては、夕食を食べたいと思えば瞬間的に億万 人の夕食の準備をして、お祝いをすることができるのであります。この世の最高の美しさをもった 宮殿以上の美しい宮殿で「億万人分のお祝いの準備をしなさい」と言えば、愛の心情圏であらゆる ものが直ちになされ、不可能ということはないのであります。即座になされるのであります。その 時参加するあなたたちは王子になり王女になり、王になり女王になるのであります。これが可能な のであります。

 このことがわかるならば、この地上で生きることの意味がわかり、更に霊界で永遠の愛の中で生 きたいと思うでしょう。あなたたちは腹中にある時は、腹中が一番いいと思っていたことでしょう。 お母さんのお腹の中で足をけると、お母さんは「この子は何か嬉しくて、足をけっているんだわ」 と思うことでしょう。そして月が満たないのに途中で出産するとしたら、それはいやでしょう。ま た、腹中からこの世に生をうけてくる時には、一度死んだ思いをしなければなりません。出産の時 は母親もそうですが、胎児自身もどのぐらいエネルギーのいることでしょうか,このように出産時 に一度死ぬような思いをするのと同じように、肉身の死にもそのような作用があるのであります。 死というのは、出産の苦労と同じなのであります。それが蘇生・長成・完成なのであります。

 私たちがいって永遠に生きることができるのは、愛の空気で充満したそのような世界であるため に、この地上において愛の呼吸作用を体恤することができ、それを開拓する人にならなければなり ません。そのために、統一教会においては「人を愛しなさい」と言うのであります。自分のことだ けを考える人は地獄にいくのであります。為に生きる人になるのであります。愛の完成実体となり、 愛に対する個性真理体になり、真理の完成体となれば、誰でもがみな歓迎するようになるのであり ます。どこに行っても歓迎されるのであります。そのために、人に会うことが嬉しく、喜ぴなので あります。

 霊界においては「ジャンボ機七四七現われよ」と言えば、出てきて操縦しようと思えばできるの です。パイロットになることもできるのです。離陸もできるし、飛べるし、曲芸師のようにも飛ぶ ことができます。全てが可能なのであります。事故が起ったり絶対にしません,考えてみて下さい。 どれぐらい素晴らしいことでしょうか。このような素晴らしい世界に、自分一人で生きるのではな く、愛の理想相対を中心として、そのように生きてみよう、というのが神の創造理想なのでありま す。そこが世界の本郷の地なのであります。霊界とは、そのようなところであることを知らなけれ ばなりません。そのために、あなたたちは愛を主管しなければなりません。

  本郷の地・霊界  

 お父さんの愛、お母さんの愛、夫の愛、妻の愛、そしてそればかりでなく民族的愛、世界的愛を 得なければなりません。万民に愛される人になるのであります。そして、最後に神の愛をうけるこ とのできる資格を得るための訓練課程をへるのであります。それが統一教会におけるホーム・チャ ーチなのであります。ホーム・チャーチとはこのようなあらゆる蕩減歴史、個人蕩減、家庭蕩減、 氏族、民族、国家、世界の今まで先生がやってきた全ての蕩減を縮小した場なのであります。ホー ム・チャーチをそのような立場にたてました。ですから、そこにおいて全てをなすことによって、 全世界、天地に積った恨みを何の喚問もなく通ることができる資格をうけるのであります。そのよ うなパスポートをくれるのであります。それが統一教会におけるホーム・チャーチなのであります。 ホーム・チャーチをへずしては天国にゆけるパスポートを得ることができません。  

 そしてまた、パスポートをいくらもっていても、父母様のサインをうけなければ通過することが できないのです。真の父母とは、地上における愛の中心であります。このような立場にいるために、 愛の課題を中心として合格したと認められるためには父母様のサインをうけなければなりません。 それであなたたちの父母がホーム・チャーチを完成すれば、あなたたちの時代には人口が多くなる けれども、この宇宙は完全に伝道されてしまいます。世界の人口を四十億とすると一千万人が三六 〇軒のホーム・チャーチを担当すれば良いということになります。このように考える時、ホーム・ チャーチを担当する人々は神の国の軍隊であると言えます。ホーム・チャーチを良く担当するよう になれば、この家、あの家と毎日まわりますから、どこに共産主義者がいて、どこに詐欺師がいて と全てを知ることができるのです。どこにスプーンがあるかまでわかってしまいます(笑い),こ のようにして、私たちはその環境面に残されているサタンの要素を除去するために、総進軍するの であります。  

 このようにして、ホーム・チャーチ圏内においてあなたたちは、二十四時間のどの時間に訪ねても 歓迎されるようにならなけれぱなりません。三六〇軒がみんな門を開けて歓迎して、百パーセント あなたを信頼して家の鍵をあずけ「自由にしてもいいですよ」と言われるぐらいに、その基盤を整 えなければなりません。そのために、ホーム・チャーチを担当する人はメシヤであります。メシヤ とは何かといえば父母であります。そのために三六〇軒の各家庭の人々にホーム・チャーチを担当 する者は嫌われずに、父母のように慕われて「私の家にきて下さい」と歓迎される基盤を整えなけ ればなりません。そうしなければ、数億千万の人々がいる神の国をあなたたちの理想的な活動の舞 台として、相続することができないのであります。何の話かわかりますか,  

 そのような世界に住むことのできる合格者をつくるために、今日統一教会は苦労の道を行け、と いうのであります。真の愛とは、平安なところにあるのではありません。むずかしい立場を耐え忍 ぶことによって、より深く広く高く大きく真なる愛が実っていくのであります。そのために、宗教 者は迫害をうけなければならないし、苦難をうけなければならないのです。それは私のためのもの ではなく、世界のためであり、神のためであるという、そのような愛を基準として進むことによっ て、霊界で呼吸が楽にできるようになるのであります。本来の十分の一しか呼吸できないことを考 えてみなさい。例えていえば、それが地獄であります。地獄が他にあるのではありません。うけた い時にうけることができず、与えたい時に与えることができないのが地獄であります。空気を吸い たい時吸えず、息をはきたい時にはけないとすればどれほど苦しいでしょうか。これが即ち地獄な のであります。天国は愛を中心として与えたい時はいつでも与えることができるし、うけたい時は いつでもうけることができて、そこには制限がないのであります。それで、霊界において愛の空気 を思いっきり呼吸し、思いきり活動することのできる人、パスポートをうけることができる人、そ の世界の合格者をつくろうとするのが、統一教会であります。そのことを知らなければなりません。  

 ですから、人間はそのために霊人体を整えなければ、宇宙旅行をすることができないのでありま す。私たちが新しい世界の息子・娘となるならば、素晴らしい本郷の地は霊界であることがわかり ます。わかりますか(はい)。では、一度いってみたいと思いますか(はい)。あなたたちは地上 において、いいとか悪いとか言っていますけれども、それは影のようなものです。一度タッチすれ ば、それは永遠につながります。では、統一教会のメンバーはその世界に誰をたずねていきますか。 霊界にいけば、その国の主人は誰でしょうか。父母様であります。父母様のおられる所にたずねて いくのです。

 霊界の塀

 では、あなたたちはこの世で一体なぜ宗教を信じ、このように奉仕し、あらゆる人々の犠牲にな らなければならないのでしょうか。それが大きな問題なのであります。人のために生きなければな りません。人のためにではなく、自分のために生きるとすれば、霊界においても、個人を中心にし て生きていた人たちのグループに入ります。互いに喧嘩をして、互いが自分だけを考えるのであり ます。そして、その人は永遠にそのグループから離れることができないのであります。個人を一生 とした、個人主義的な人々は他のグループに永遠に入ることができないのであります。家庭を重ん じて生きた人々は、霊界にいって家庭のグループに入っていきます。家庭のみを中心にして生きた その人々のグループの塀の中に、みんな入ってしまうのです。そうすると、他の所へ越えて行こう としても行けないのであります。民族主義者は民族主義者だけが集って互いが「私は愛国者である」 と言うのであります。そして、そのグループの塀ができているのであります。  

 それでは、神様の主義とは何でありましょう。神様の主義とは個人主義でもなく、家庭主義でも なく、氏族主義、民族主義、国家主義ではなく、天宙主義なのであります。ですから、天宙主義の 基盤をもった霊界では、個人主義の塀の中に入った人は他に行こうとしても行けないのです。家庭 を中心として、私の子供、私のお母さん、私の夫、私の妻だけを考えた人々は、その塀を越えてい くことができないのであります。永遠に越えることができないのです。そして、その塀の中では個 人を中心として、家庭を中心として、互いが争っているのであります。氏族主義者たちは、あなた の氏族がどうの、他は何も必要ないと言うのであります。人間の堕落の結果、これが霊界の実情で あります。霊界にいった人たちは、このようなグループの塀の中でみんな大騒動しているのです。  

 このような塀を撤去してあげなければなりません。個人主義の塀を推が撤去してあげるのでしょ うか。では、誰がこの塀を生ずるようにしたのでしょう。人類の父母が過ちを犯した結果、この塀 が生じたのです。ですから、この人類の祖先の過ちの責任を代りに負うその資格をもった方が、個 人的な塀を崩し、家庭的、氏族的、国家的、世界的、霊界の塀を崩すのであります。このように、 完全に全ての塀を崩すためにこられる方がメシアなのであります。これがメシアの使命です。  

 では、統一教会は今まであった全羅道と慶尚道の塀を崩しましたか。全羅道の人と慶尚 道の人はみんな怨讐なのであります。結婚など考えもしなかったのです。何の話かわかりますか。 統一教会には平安道の人、忠清道の人、咸鏡道の人とあらゆる出身地をもっか人がいるのです。皆 は「いやだ」と言っていましたが、今は「あなたの嫁は素晴らしい」と言っています。このような 塀はみんな崩れてしまったのです。そればかりでなく、韓国人と日本人が結婚し、あるいは韓国人 とアメリカ人が結婚し、民族主義的塀が崩されるのであります。韓国人であるという塀を越えるこ とによって真の理想的な天国がなされるのであります。理想的な天国にゆくために、この塀を崩し てしまうのです。そのために、韓国人とアメリカ人が結婚することを奨励するのであります。

 神を愛し、統一教会の思想をもった外国人はより素晴らしいのです。民族主義を越えて世界主義 的な人間になるのです。世界は今、共産世界と民主世界が対峙しています。五色の人種のカラーを 克服しなければなりません。白人だけが好き、韓国人だけが好き、というのは駄目です。白人は黒 人を好きでなければならないし、黒人は白人を好きでなければならないし、黄色人種が黒人を好き になり、また黒人が黄色人種を好きにならなければなりません。あなたたちは黒人と結婚できます か。笑っている人は民族主義の塀を越えることができないのであります。世界主義圏を越えること ができないのです。

  塀を崩す天宙主義  

統一教会で祝福をうけて、三年間を一緒に生活しないでいたりしますね,個人主義者は「結婚し たらその日から子供を生むことができるし、勝手にできるじゃないか。何でいちいち」と思うかも しれませんが、これは先生の時代に生きて、このようにすることにより個人主義の塀を崩したので あります。そして、祝福家庭は自分の血族よりももっと愛し合わなければなりません。これは家庭 主義を克服することなのであります。このような家庭よりも民族の家庭をもっと愛さなければなり ません。このように愛することによって、国家基準を越えることができ、世界へと連結できる立場 へと出ていくことができるのであります。  

この塀の全ては愛の内容を中心として塞がれているために、これを開くために、愛の内容を中心 として、家庭を中心として氏族を越えよ、結婚を財界的にしなさい、というのです。みな怨讐が結 婚するようになるのであります。怨讐を愛するとは何かというと、神とサタンが一つになるという ことであります。それは天国と地獄とに塞がれた塀を崩してしまうということであります。そのた めにイエス様がいかれる道において、地獄においても天国においても塞がれる道がなく、いつも無 事に通過することができるような立場をとるために、イエス様は十字架上でローマ兵という怨讐に 対して恵みを祈ったのであります。それは死亡の塀を崩すためであります。

 その結果、イエス様を信じていた人たちは個人主義、家庭主義、氏族主義、民族主義、国家主義、 世界主義圏内において、いかなる所でも一つのイエス様を信じる具体的な舞台ができたのでありま す。それがいわゆる、楽園なのであります。しかし、まだ天国は開かれていないのであります。キ リスト教は教派主義なのであります。このような教派主義を超越して、人類主義者になり、愛の主 義、愛の氏族、民族にならなければなりません。そのようになれば、個人から家庭、氏族、民族、 国家、世界と塞がれた塀がみんな崩れるために、自由に往来ができるのです。  

 それで、今日統一教会は何を中心にしてこれをなすことができるかといえば、個人主義的な愛に よって誤まったので、その反対の愛を中心として世界主義的な犠牲の愛、人のために生きる愛の力 によって、これを崩すのであります。あなたたちに「人のために生きなさい」と教える宗教とはそ のような定義に立脚して、理想的な天国にいくためのものです。それ故に、数多くの宗教は多くの 迫害と苦難の道を辿りながら、そうであればあるほど発展していくのであります。なぜなら、真の 愛の道は塞ぐものがないために、塞ぐ時はこの塞ぐ者が滅びるようになっているのであります。こ のようにして、無限に発展していくのであります。三十六家庭のあなたたちのおじいさん、おばあ さんたちも、はじめは統一教会に反対しました。しかし、最近はみんなついてきているのでありま す。このようにして、土台を広げてきたことを知らなければなりません。  

 私たち統一教会の主義は何かといえば、天宙主義なのであります。神の主義とは民族主義ではな く、世界主義なのであります。天宙主義なのであります。天宙主義とは、愛でもって相対になり得 るし、主体にもなり得るし、相手になってあげられるし、対象になることができる、そういう人を 天宙主義をもった人といいます。わかりますか。神の主義は何といいましたか(天宙主義です)。 小さな昆虫から動物、あらゆる存在を愛でもって、主体となり対象となり導くことのできる人、そ のような人になってこそ、神様の天宙主義の同伴者であるということができるのであります。何の 話かわかりますか。  

 ですから私たちがみる時、大韓民国といっても世界をみるのであります。神様の目には大韓民国 がありますか。世界をみつめるのであります。神様の目でみる時、神様には三つの世界がみえます。 地球上の人々がみえ、地獄の人々がみえ、楽園の人々がみえるのであります。それを御覧になる神 様はどんなお気持ちでしょう。楽園の人々もみんな理想世界がくることを願っております。神様の 目には、地獄の人、次は地球上の人、楽園の人とみえ、楽園の人よりも天国の人をみたいと願って おられるのです。  

 しかし、天国人となるためには、このような神主義の人間にならなければなりません。愛の理想 をなして、地上世界の全てに滞ることなく、全ての塀を越えて霊界に通ずることのできる愛の主体 的存在、対象的存在になってこそ、霊界にあらゆる塀があるとしても、瞬間にそれがみな長いハイ ウェイとなって、私を通してくれるでありましょう。そして私が通った後、また夫々の塀になって しまうでしょう。一度人ってしまえば大変なことになってしまいます。あなかがちの力では帰って くることができないのであります。先生がこのようなことを地上において解くことによって、霊界 においても解かれるのであります。

  三六○軒の門を開く

それで短い肉身をもっている期間中に、全ての塀を崩したというパスポートをもっていかなけれ ばなりません。そのようなパスポートを得ようと、神が数万年間復帰の道をきたとしてもできなか ったことを、先生の時代になって四十年期間においてなしたのです。あなたたちは全道とか村を指 示することができる者になるのに、四十年でなく、四年でもなく、四ヵ月もかからないでしょう。 三六〇軒ホーム・チャーチをあなたたちが指導し、糾合し、統合するのにた易い基盤を整えてきた のであります。ここにいる人が門を閉じてしまえば、霊界は塞ってしまうのであります。三六〇軒 の門を開いておかなければなりません。「わが家に早く来て下さい」と言われるあなたたちになら なければなりません。

 先生が祝福家庭のあなたたちの家に行こうかな、と思って行くと「先生、来ないで下さい」と言 いますか。「どうぞ来て下さい、来て下さい」と言うでしょう。「御馳走をもってきて下さい」と 言ったら、あなたたちのお母さんは精誠を尽して準備するでしょう。「今晩は、泊っていこうかな」 と言えば、小さな家でも喜んで泊めてくれるでしょう。ホーム・チャーチで「あっ、私の嫌いな人 が来た」と言われるならば、その人は門が閉ざされてしまうのです。ですから、ホーム・チャーチ で玄関から入って、裏門から出て、また次の家の玄関に入って裏門から出て、と三六〇軒を一まわ りぐるっとしてくる時、皆に「どうぞ、どうぞ」「ありがとうございました」と言われるような人 にならなければなりません。

 神様は父母でありますから、地獄の底から天上世界まで、父母様の一番高い所にいったとしても 塞ぐものがないという資格を与えるための・歩みがホーム・チャーチ運動なのであります。神様が 何万年、何十万年苦労したことを蕩減復帰することのできる資格を賦与することのできるものが、 ホーム・チャーチ運勣なのであります。わかりますか。こうすることによって、あなたたちは霊界 において全て塀で塞がれたものを取り除き、自由に天国に飛んでいき、行脚できる、理想的な人間 になることができるのであります。それが統一教会なのであります。私はこれをなさなければなり ません。  

 先程も言いましたが、祝福家庭が自分の子供が一番である、と言って自分の子供だけしか愛さな かったとしたら、その人は家庭をのり越えることができないのであります,自分の子供を愛すると いうことは、世界の全ての子供を愛するということであります。人類を愛したということを、誰が 証ししてくれるでしょう。それは神様とその子女です。堕落することによって、父母は証しをうけ ることができなかったのであります。神様の証しをうけることができなかったのであり、子女の証 しをうけることができなかったのであります。かえって、子供の僧しみをかったのであります。父 母は神の証しと子女の証しをうけなければならないのであります。わかりますか,  

 先程も話しましたね。自分の子供はさておいても、カインの子女とカインの父母を愛してきて、 それからアベルを愛さなければ、子女として真なる愛を神からうけることができないのです。私を 真に愛してくれる父母として証しをされるためにはこれこれといった神から愛されうる具体的条件 を解決しなければなりません。そうしてはじめて「私の父母は神様の愛をうけているので、私の真 の父母であります。その愛をうけるのにふさわしい父母です」と証しされ得るのであります。何の 話かわかりますか。

 あなたたちの中に、お嫁にいってその姑に仕えたくないという人がいれば、それは大変なことで す。そのような姑たちはあなたたちの行く道を反対し「天国が何だ」と言って、私の行く道を塞い だのであります。そういうことを先生は良く知っています。どんなことがあったとしても、私たち の行く道は急がれているのであります。私が生きている間に世界的な蕩減条件をたてて、ホーム・チ ャーチの組織をつくったということは、偉大なる天国の贈り物が地上に贈られたということです。 そして、そこには統一圏が臨むのであり、愛の主管圏が臨むという事実を知らなければなりません。  

 では、あなたたちの両親がホーム・チャーチをつくる時、あなたたちは何をしますか、見物をし ますか,献身的に助けなければいけません。「お父さん、お母さん食事の準備は私がしますから、 早く出かけて下さい」と促さなければなりません。そうしなければ、霊界へいって引っかかるので あります。個人主義になりますか。家庭主義になりますか。韓国民族主義になりますか。世界主義 になりますか。天宙主義になりますか(天宙主義です)。天宙主義は何の主義ですか(神様の主義 です)。それでは、神様の主義とはいかなるものでしょうか。いかなる微小な存在であっても、神 が創造された全てのものを、人はもちろん、無形なもの有形なもの全てを愛の対象として愛し、ま た愛されるあなたたちになることです。

  木が歌い、森が踊る

 朝、小鳥がさえずる時「この小鳥は私が寝ているのに、何でさえずるのか」という考えから「あ ら、小鳥さんありがとう。私を目覚めさせるために来てくれたの」また「大事なお客様が来ること をあなたは知らせに来てくれたの」と思考が変ってこなければなりません。一人でとても寂しくて 死ぬほどであるという時、庭園に出て花をみて、花の香りとお話をするのです。「花の香りさん、 あなたはどこから来たの?」 「どこから来たかって? 私のおじいさん、おばあさんの香りから来 たのよ。そして、それを辿っていくと神様から来たのよ」と答えるでしょう。神様は私たちのため に、このように庭園を整えて下さったのです。あらゆる生きた博物館を私たちに賦与して下さった のです。私たちはピカソの一幅の絵をみて美しいとばかり言っていますが、生きている草花一つを つくることができないのであります。神様の博物館を見物するというように考えたことがあるでし ょうか,

 ねこ柳は誰のためにつくられたのでしょうか。春のはじめ、氷っていた川辺の氷が解けて、水が 流れる頃にねこ柳の花が咲くのであります。それはどれほど素晴らしいことでありましょう。これ は誰のためでしょうか。のどが渇いて冷たい水が飲みたくなった時、川辺に行き氷を砕いて流れる 水を手で飲んだ後、ふと目をやるとねこ柳の花が咲いていました。それは一つの象徴体としてつく られたと思う時、どれほど素晴らしいことでしょう。このような生活は豊かなものとなります。愛 の博物館の全てのものと、私たちは語り合うことができ、友達になることができるのであります。 全ての環境がこのような驚くべき愛の因縁を結ぶためにあると知る時、寂しいと思うでしょうか。

 柿の木にからすがきてガアガアと鳴く時「あなたは私を訪ねてきたのでしょう。私はあなたと同 じようにガアガアと声は出せないけれども、あなたの友達ですよ。お腹がすいているの?」と語り かけるのです。そして、全てを愛するのです。今は亡くなったあるおばあさんの話ですが、木が歌 い、話しかけ、森が踊り、岩が歌っていたというのです。そういう話は本当なのであります。愛の 対象にならない存在はないのでありますo愛の言葉によってヽ高められないものはないのであり ます。そのために、愛は全てを可能にし、再現できる能力があるのであります。それ故に、霊界は 直ちに愛の心をもって、全てを可能ならしめる自由自在の世界であります。そのような世界を先生 は知ったので、全ては問題ありません。

 このような世界にいけるパスポートを先生がつくってあげるために、何をしなさい、と言いまし たか(ホーム・チャーチです)。これは世界の数多くの国家を代表していることを知らなければな りません。あなたたちの両親がホーム・チャーチの活動をしなかったならどうしますか。押し出し て下さい。そのようにしてでも、家庭的なパスポートをとらなければなりません。お父さん、お母 さんが苦労したとしても、あなたたちが天国へいけるパスポートをつくってくれればいいと思いま すか、思いませんか(思います)。もし、お父さん、お母さんができなかったら、どうなると思い ますか。あなたたちが苦労するようになるのであります。先生が二十一年間かけて、地上から天上 胆界まで、神の国を無事に通過していける神様のパスポートをつくったのであります。その方がな そうとすることを妨害する者は、天国の憲法によって裁かれるのであります。

 あなたたちは世の子供たちに負けないように勉強しなければなりません。勝ちますか(はい)。 そのためには忍耐強く勉強しなければなりません。勉強する時には許しや甘えがあってはいけませ ん。そして早く博士号をとって、りっぱな人になるのです。りっぱな人になるためには苦労が必要 なのであります。アリとキリギリスの話がありますが、あなたたちはアリになりますか、キリギリ スになりますか(アリになります)。どんなに多くの苦労をしてあんなに真黒になったのでしょう か、またあんなに腰が細くなったのでしょうか(笑い)。そのようなアリであっても、自分より十 倍以上の重さのキリギリスが死んで倒れると、それを引っぱってくるのであります。

 共産党と戦うために、祝福家庭の子供たちが最前線に出ていくこともあり得ます。その時、三十 六家庭の子供たちは除くのでしょうか、それとも第一線に出るのでしょうか。死なんとする者は生 きるのであります。、そうすることによって、神様から原理のパスポートに印をおしてもらえるので あります。女の子は世の女の子よりも勝れなければなりません。そうでなければ、天使長を主管す ることができません。

 洪さんの娘は何という名前ですか。そのように第一線に出たいと思いますか。その時、お母さん は「先生、この娘は誰よりも愛する子で、私がりっぱに育てようとしていますので、この娘をそこ に行かせないようにして下さい」と言いますか、それとも「私の娘をぜひ行かせて下さい」と言い ますか、どうしますか(そのように言います)。あなたはどうしますか(そうします)。そのよう な時「私は行きません」と言うならば、祝福家庭の資格がありません。

 先生も、神からの使命をうけて、生まれて四十日もたたない聖進さんとそのお母さんを置いて北 へ行きました。その時先生は「息子と妻は飢え死にするかもしれませんが、どうしましょうか」と いう祈りはしませんでした。そうして出かけて、手紙を一通も書きませんでした。特攻隊のような 使命をうけた先生は、それを完遂するまでは、家のことなど考えることはできないのであります。 自分の責任を果たす者には、神は絶対責任をもって下さり、滅びないのであります。責任をなした 者の子供たちは被害をうけないのであります。七年がすぎてきてみると、神の守りの中にいたので あります。

 ですから、あなたたちの両親も神の絶対的な守りがあることを信じて、ホーム・チャーチに励み、 またあなたたちもそのような両親を支えて歩むよう、心して下さい。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.10.28 20:28:22
コメント(0) | コメントを書く
[文鮮明先生み言葉選集(講演文)] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.