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奇   知   外   記

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2021.11.09
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​​​​​​​​​​​「オーシャン・チャーチ」

1983年8月28日
ベルベディアにて


 きょう、本当はどこかに行く予定でしたが、こちらに来てしまいました。(拍手)

 先生が行くところはどこでも問題になりますが、それは良いことですか、悪いことですか。(良いことです)。今年の夏、皆さんが御存じのグロスターとかプロビンスタウン地域でのオーシャン・チャーチを中心とする活動も、国家的な問題になっています。それについてお話してみましょう。

 宗教といえば、山とは関係がありましたが、海とは関係がありませんでした。イエス様は山で祈り、モーセもシナイ山に登り、仏教の釈迦においても山に行って修業しました。このように山はいつも一つの修道の基盤となっていたのです。もちろん統一教会もそのような過程を経てきました。ところが(今日)統一教会は他の教会と異なって、オーシャン・チャーチ(海洋教会)というのを始めたのであります。

 どうしてこのようなことを始めたのでしょうか。地球の三分の二は水であります。陸地に生きる生物と、海に生きる生物との量を比較してみると、人類は四十億ほどですが、海の魚は種類も多く数百億と生きています。そして海というのは、太平洋の水が大西洋に行き、そのように五大洋が互いに連結されているのです。陸地も連結されていますが、その連結の意味が違います。海は平面的な連結ではなく、円形的に連結されているのです。海洋の動きは生動しながら、一つの動きをもちつつ、すべて連結されているという結論になります。このようにみるとき、地球が生きていると言えるとしたら何をもって言えるかといえば、もちろん地球には陸地もありますが、海の水があるから生きているということができるのです。皆さんが海を見ると、海は単調にみえるかもしれません。青く水平線になっているだけです。しかし、その内容はどれほど複雑か知れません。そして資源的に言っても、陸地よりも豊富です。ですから、創造主がいるとしたら、海と陸地のどちらに関心をもつかと言えば、海に関心をもつことでしょう。そこには無尽蔵の宝物があり得るのです。ダイヤモンドや、人間が好むあらゆる宝物がそこに沈んでいるのです。

 このように貴い海を主管しようとしたら何が必要でしょうか。アメリカ開拓時代をみても、西部の鉱山は冒険的であり、勇猛な人たちがそれを所有することができました。そのごとく、宝物を探し出すことは容易なことではなく、幾度となく冒険をしなくては所有することができません。

 今まで、船が行き来きする航路のための戦いはありましたが、海の中のもので所有をめぐる闘いはありませんでした。ところが、今の時代になって二百海里を重要視するのは、魚が重要な問題となっているからです。魚が必要になって二百海里が設けられましたが、もし地下にある資源が必要であるとしたら、欲をもった人間たちは、何百海里、何千海里を設けようとするでしょう。

 そこで海の主人という問題について考えてみましょう。地球に大変動が起きれば、海の中に陸地が生じ、陸地が海になることもあり得ます。太平洋の中にアメリカより大きな陸地が現れたら、その陸地は誰のものかと問題になるでしょう。そのようなことがないとは言えません。いつそのようなことが起こるかわかりません。海底に火山脈がないわけではありません。そうなると二百海里だけが私のものであると主張する人がいなくなります。間違いなくそのような時が来ます。海をめぐる戦いの時が来るでしょう。そこで、この海を所有することのできる人は勇猛で、開拓的精神をもった人でなければなりません。海のために戦うことのできる群でなければなりません。

 皆さんは海は危険だと思うでしょう。特に女性たちは海が嫌いです。男性でも、真面目で一つしか見つめない男性は海が嫌いです。ここで、神様は、この海の主人はどういう人がなるべきだと思われるでしょうか。もちろん、個人的に勇猛な人が必要です。しかし、問題はそのような一人だけではなく、そのような人たちが一つの団体を成し、国家を越え、世界を越えて集まるとしたら、そのような人たちこそ海の主人として神は認めるでしょう。海を愛する人たちであると認められるでしょう。そういう人たちは間違いなく、未来の海の主人になり得る候補者であるとみるのです。海をめぐる戦いの時代が間違いなく来ます。だからアメリカの代表、日本の代表、いろいろと国民を代表したあらゆる勇猛な人たちの中で、オーシャン・チャーチを組織しなければならないと考える人がいなければならないと思うのです。国家を超越した世界的立場において(そうしなければなりません)。そうだと思いませんか。そこには、アメリカ人、日本人、ドイツ人、ソ連人とみな入るのです。このように海を愛する人たち、勇敢なる人たちが、海に対する規約を作り処理をするようにならなければなりません。

 レバレンド・ムーンを中心とした統一教会は世界的です。西欧の人たちは、「レバレンド・ムーンは韓国人であるが、韓国だけのために働くのではなく、世界のために働くという観念を強くもっている」と言います。それで多くの迫害を陸地でも海でも受けながら、大胆に勇敢に世界的な一つの協会の構成をしています。そして、宗教を背景にしたこのような体制で、海洋教会(オーシャン・チャーチ)というタイトルを掲げたのは恐ろしい宣言です。オーシャン・チャーチは海でただ訓練をするだけではありません。創造主の本意に合致することのできるよう、海を管理し、海を愛し、海を中心として、世界を結束させることのできる一つの舞台にしようとするのです。

 海と陸地の境界線は海岸線です。海は陸地を連結しなければならないし、陸地は海を連結しなければなりません。このような二つの目的が重なる境界線とは海岸線しかありません。陸地も必要であり、海も必要な事があるとき、どこが一番必要な所であるかというと、海岸線であります。これから海岸線がいかなる土地よりも高くなる時が来ます。このようにみるのです。これまで人は休養に行く時は、山に、あるいは平地を訪ねて行きました。しかし最近、海に休養に行く人たちがふえています。なぜ海に行くのでしょうか。日焼けするためですか。日焼けならここでもできます。(笑い) なぜ行くのか、と尋ねられても答えることができません。ただ(何となく)行くのです。水が好きで、砂が好きで行くというよりも、海は多様であるからです。

 海が静まった時はとても神秘的です。魅惑的な神秘の女王のごとく、美女のごとく、すべての人々を引きつける力があります。土色に見えたかと思うと、他の色に変わります。実に千態万象です。そこに風がそよぐと、その波の美しさは何とも言えません。いくら舞妓がうまく舞うと言っても、それにはとても及ばないほどに、大洋全体が舞うのです。ダンサーが踊るステージはそれは狭いものです。しかし、海は無限なのです。海のステージは何と広いことでしょう! そこにかもめが飛んでいることを想像してください。舞い降りるもの、舞い上がるものがあります。そしてそのかもめの鳴く声も、すべて美しさで飾られます。また鯨のようなものが、高く跳び上がります。バチャンという音と共にその色が金色に光る。それを見ると変化無常です。

 そのように美女のごとき舞妓のごとき面があるかと思えば、一度怒り出すと広野から突進するライオンよりも、トラよりも恐ろしい。何十メートルの波がどっと押し寄せることを考えてみてください。そのような時にはかもめが鳴くことなど問題にもなりません。いくら歌が上手で、喜劇の俳優だとしてもその雄壮なる気勢の前ではどうすることもできません。その威勢は堂々たるものです。静かな時にはハイスピードで突進してきた船も、ここでは力を発揮できません。波に乗って、波がやろうとする通りにやるしかありません。自然の力の偉大さを知ります。ですから、海を愛する人は傲慢になることができません。傲慢ではあり得ません。それほどに偉大なのです。

 海の中にあらゆる色の魚族が、黄金色、金色、青色など、ない色がないほどいろいろな色の魚族が住んでいます。陸地も美しいですが、緑があり、花があり、蝶があると言った程度です。美しい鳥と言っても単調です。花には動きがありません。しかし海はとても美しいのです。そこでは豪華絢爛たる色とりどりの魚族たちが、舞いを踊りながら活動しています。神様も海では無限に楽しむことができ、退屈しません。神様は陸地より、海にもっと関心をもっておられるに違いありません。また神は未来の理想家であられます。今まで現れた歴史時代の地球に成されたことに関心をもつよりは、現れていない海の世界に関心をもたれるでしょう。未来の観をもっておられる神が、海に関心をもつであろうことは必然的なのです。未来を思う人も同様です。海を考える人は未来像を描く人、憧憬する人であるということになります。

 海は歴史時代にどれほど多くの貢献をしたことでしょうか。昔の人は大きな河を渡るために船を考え出しました。小さな船とか、カヌーのようなものを、これは大変なことです。海を渡るために船を造るということは、次元の異なる文化の紀元を創ることであります。このようにして大きな河を渡る時はどうしたら良いかと考え、小さな船で渡って平安な世界を探求しました。エジプトとかローマは地中海をいかに渡ろうかと考えたのです。昔、河を渡ることができるということをプラスする人々は、この河を渡ることのできない人たちを支配してきました。イギリスが海洋国家として、十六世紀前後のビクトリア朝の時代に、海洋政策を中心として世界制覇した時代も、その意味において重要です。

 地中海のみでなく大西洋を渡り、大西洋ばかりでなくそれ以上の海を渡る。ここにおいて世界を制覇することができるのです。アメリカも太平洋を渡ることによって、近代の世界を世話することのできる文化国として登場しました。それで、五大洋を舞台として夢をもって、平安の世界を望みとして行く、そのような基盤をもったとしたら、世界を世話することができます。文化発展の歴史を通して、そのような結論を出すことができます。

 大西洋を渡ったピューリタンは、自分の個人の実力ではなく、神を信じる宗教の偉大な力をもって、アメリカを目ざしたという事実を我々は知っています。宗教がなかったら、大西洋を渡ることはできなかったでしょう。そのピューリタンの宗教はキリスト教でしたが、統一教会はキリスト教以上の強力な内容をもった宗教なのです。

 さあ! 五大洋に行く船に乗りましょう。(先生の笑い) それでカヌーより少し大きなワン・ホープを造りました。これに乗って五大洋に向けて行きましょう。理想郷を求めて、神を愛し、信仰をもって前進しましょう。海へ行きますか。(はい)。皆さんはそれが良いですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) 本当ですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) それでは先生は行かなくても、皆さんは行くことができるということですね。(はい)。ワン・ホープカヌーが、ワン・ホープシップ(大きな船)に変わるでしょう。

 しかし、それはとても危険の多いことです。皆さんの思いの及ぶことができないほど、危険が連続的に起こる事実を知ってください。それでもそれらを一切問題にしないで、大胆で勇敢に死を覚悟しなければならないという結論になります。結論は簡単です。死を覚悟すればいいのです。レバレンド・ムーンは統一教会の人たちが、生命をかけてこの海を理想に向かって前進することのできる、勇猛な群となってほしいという思いをもっています。皆さんはどうですか。

 この世の人たちは皆さんを何と言いますか。ムーニーと言っていますね。ムーニーというのは、ムーン・ピープルという意味で、ムーン・ピープルというのはレバレンド・ムーンに属する人という意味ですね。(はい)。皆さんもそう思いますか。(はい!) 今朝の先生の話を聞いたから、はいと言うのですか、それとも以前からそう思っていたので、はいと言うのですか。(以前からです)。それでは先生が海に二カ月や三カ月も行っているのに、一度も(海に)現れないのはどういうことですか。それは関心があるということですか、ないということですか。「そうしたかったのですが、先生が承認してくれなかったからです」そうだったでしょう。それは事実でしょう。(先生の笑い)

 勇猛な男性の背後には勇猛な女性がいます。これは正しい話ですか、間違った話ですか。(正しい話です)。それでは、ムーニーの男性が勇猛であれば、勇猛なムーニーの女性が背後にいるはずです。ムーニーの女性たちはどうですか。(はいそうです)。大洋を渡る途中、夫が病気になって寝込んでしまったとします。それでも船を止めようとしないで、その運転台でハンドルを握って、ブー、ブーと作動する女性はどれほど勇敢でしょうか。そうなれば、今まで固い男の手でさわられていた運転台は、今や柔らかい香水の匂いのする手で運転されるので幸福を感じるでしょう。(笑い) そんなものです。片方が悪いと、片方が良いのです。先生の話は面白いですか。(はい)。続けますか。(お願いします)。女性の皆さん、夫が倒れても、大きな波が押し寄せて来ても、勇敢に行くことができますか。(はい)。そうすると今まで台風が吹いていた海が、申し訳なくて、あなたのスカートの下で休まなければならないと、静まってしまうことでしょう。とても詩的でしょう。どうですか。真の文学というのは、このような所にあります。このように先生が、海に関するお話をすれば、とてもたくさんありますよ。

 鳥よ! 君は飛んで行かないでそこに留りなさいと言えば、そこに留ります。また飛び立ちなさいと言えば、飛んで行くのです。鳥さん、あなたが私を嫌いで飛んで行くならば、私は(どこまでも)ついて行きましょう。泳いで行くことができなければ船を造って行く、船でだめなら飛行機でついて行くでしょう。そこには文化の発展的要素がいくらでもあります。あなたが飛んで行くならば、カヌーを造り、船を造り、飛行機を造ってついて行くでしょう。それは本当によく調和できる考えです。そのようにみると、海というのは本当に神秘で、無限なる宝庫の内容をもっていることを知ることができます。

 皆さん、エンパイヤ・ステート・ビルディングの百二十階で、大きなロマンをもって(会う)約束の時間をもったら、どれほど素晴らしいでしょうか。大変ロマンチックです。誰も見ることも、考えることもしないそのような場所において、王様と女王様のように会うのです。

 さあ! 私たちは大洋を経て、南極にも行ったとします。南極には可愛いペンギンがいます。夫は雄のペンギンを見て、妻は雌のペンギンを見て、ペンギンのごときキスをしたらどれほど幸せでしょうか。とても詩的です。(先生の笑い) それは海を渡ることを考える人のみが可能です。海を渡ることのできない人は、考えることさえできません。高次元的な夢の実現と想像の世界を描くことは、冒険的過程を経てこそ可能であると言えます。

 先生はこの間二度ほどアラスカに行って来ました。氷山の中にあるアラスカが連想されます。そこには白鯨が連想され、無尽蔵な魚族が住んでいます。どれほど多くの夢があるか知れません。行ってみるとアシカ(シーライオン)に出会ったのです。孤島で、オン、オン、オンとそのほえる声で天地が震えるようでした。雄だけがいて、オンオンとほえたらバランスがとれません。雄も雌も共にいてほえるので調和が成されます。そうですね。鯨もおひょう(ハリバ)もいます。皆さんはおひょうというのを知っていますか。おひょうは三百パウンドぐらいあって、先生のような人が二、三人後ろに立っても隠れてしまうほど大きいのです。ちょうど巨大なひらめのようで、平らな魚です。

 神様は思われることでしょう。「私がこのように貴く、大きなものを取って食べることを願って海に造ったのに、この愚かな者たちよ! それを見ることもせず、関心をさえもたないとは……」と。それを活用できる心をもった勇猛な人を神様は好むでしょう。その勇猛な人たちがこれらを所有することができるでしょう。それは当然な話です。

 今度、アメリカの女性があのようであれば良いと感じたことがありました。その話を聞きたいですか? 聞いたならば皆さんは困惑するかもしれません。それでも構いませんか、それとも、レバレンド・ムーンは説教の時にいつもアメリカの女性を苦しませると言いますか。(いいえ)。

 今度行った所は熊や、狼、狐等が住む所で、人が住む所ではありません。そこに八年間住んできたという夫婦に出会いました。先生はとても関心がありました。なぜここに住むのかと尋ねてみると、そこは自由天地だからだそうです。話をしてみると、とても自由天地です。ニューヨークだとしたら、目をつぶったまま一時間ぐらい歩いていたら、そこら中で非難を受けます。そこでは千年が過ぎても非難する人はいません。アラスカはアメリカに属する一つの州ですが、このような所には規制がありません。自分自身が法であります。ニューヨークのように多くの人が集まって住んでいる所では、あれはしてはいけない、魚もこれ以上は捕ってはいけない、鳥はどうで、うさぎは捕るな。何をしてはいけない、いけない、いけないずくめです。しかし、そこはとても自由です。

 ところでその妻は、アメリカの女性だからとても大きいと思っていたのですが、そうではなかったのです。大変小さく、ほっそりしていました。しかし、根性はとても大きいのでした。彼女は海に出れば海を征服することができ、山に行けば狼、熊等も自分の手で思いのままにコントロールすることができるというのです。それは西部を開拓していたアメリカ女性の標本ではないでしょうか。

 そこで彼女がどのようにして夫に出会ったのか聞いてみました。彼女は行かない所がないほど、世界を回って、立派だという人にたくさん会いました(が、それほど心を引かれませんでした)。ところがここアラスカに来てみると豊かな自然の魅惑と、自然を治め、海を治めるそのたくましい魚夫に魅力を感じたというのです。心のままに表現し思うことをそのまま行動する、それは社交性があって二重三重に変わる文化人より、どれほど素晴らしいか知れないというのです。彼女はレストランに勤めていましたが、その純朴な魚夫に魅力を感じ、彼とは年が三十も離れているのですが、結婚したということです。彼は、お茶とかコーヒーを作ってあげると心の純朴さと同時に、心で感じたそのままに、直線的に動くタイプだったのです。また、とても孤独だったのです。それで人に出会えば自分の親せき、父母、兄弟に会った以上に喜ぶ姿をみるときに、これこそ深い人間世界の貴い姿であるということを感じることができたと言うのです。

 (彼は実際先生に)自分が知っている一番良い所、一番誇らしい所を案内してくれると言ったのです。そこにはありとあらゆる魚がいます。普通の人ならば、そんなに魚が多い所は教えてくれないのです。そして「もっと大きい魚を捕っていきなさい」と言いました。魚の腹を切ってとり出すのに本当に喜びでもってやってくれました。統一教会の皆さんでも、それほどにできる人が千人中一人もいないのではないかと思います。やることができないでしょう。魚はとても臭います。

 そこに深い、次元の異なる人間の交流があります。このようにして(その日は)魚をたくさん捕りました。夕方帰って来て謝礼をしようとしました。ところが絶対に受け取らないのです。いやだというのに、三人を動員して納得して受け取ってもらいました。すまないという気持ちで受け取るのを見る時、それはとても美しいものでした。アメリカで本当の人間に会ったのです。(拍手) そのような深い世界が思い出されると、エスキモーのように本当に人がなつかしくて海をながめながら、誰かが来ることを願うそのような人がいるならば、もう一度訪ねてみたいと思ったのです。どれほど喜ぶか知れません。先生はアラスカにまた行かなければなりません。どのような魚が住んでいるか調べるのです。

 皆さんは先生が好きですか。(はい)。皆さんもアラスカが好きですか。(はい)。台風が吹いて来る時も、船に乗って出かけることができますか。先生が出かけて行くのに、私は止めますと言いませんか。(笑い) その時「先生、私が行って来ますから、先生はここでお待ちください」と言うことができますか。(はい)。

 こういうこともあり得ます。妻が待っていることを知りながらも、捕えてみると魚が小さくて夫としての面目がたちません。そこでもっと大きい魚を捕まえて、妻を喜ばそうとして、夕方になり夜遅くなるということはいくらでもあることです。それでも小さな魚しか捕れずに帰ったら、妻が怒って、「今何時だと思っているのですか」と不平を言い始めます。その時の夫の気持ちはどうでしょうか。大変惨めになります。ところが、小さな魚を取り出したとしても、「あら、今日は大きな魚を捕りましたね。うれしいでしょう」。そのように言ってくれれば、その妻に対して母親よりも、女王よりも良いと感じるのです。これは先生も体験した事実です。(笑い)

 そのように、普通の世界では結ぶことのできない、そのような因縁をこの世界では美しいものとして結ぶことのできる、詩的な内容がいくらでもあります。それで、海を知らない人たちは、幸福の分野が制限されているという結論になります。創造主がいれば、陸地を知り海をよく知って、陸地の美しさを考え海の神秘性を考えながら、賛美することを好む創造主であって、一面だけ創造したのではそれほど喜びがないであろうということは、極めて理論的な話です。

 魚はぬるぬるしています。それは、魚が川を上る時は、常に水の流れにさからって泳がなければならないからです。魚はなぜなまぐさい臭いがするのでしょうか。(笑い) その臭いは魚の一番好きな臭いでしょう。それをそのように感じることができないのは、それほど嗅覚が発達していないということです。先ほどのおひょう(ハリバ)の雄と雌は互いに相手を臭いと言うでしょうか。その臭いによって同じ種類同士で愛することができるのです。魚たちは臭いをかいで、自分の群を探す習性があります。これが臭いの一つの(役目でしょう)。そのように群をなすことによって、保護を受けることのできる環境が自然に形成されます。そのように造られているのです。ここに創造主の無限なる調和が潜んでいます。

 鮭は卵を生んでは死ぬのです。卵を生むために雄と雌とが一つとなって生きるのをみると、死ぬ日を知っているような人間の夫婦が愛する以上の愛ではありませんか。雌は卵を生もうと土を掘り、雄は敵から保護してあげます。それこそ理想カップルです。そこで卵を生んで雄と雌は死ぬのです。色が変色しながら死んでいく姿を見るとき、先生は大変ショックを受けました。このようにして子供のために死ぬのです。

 では創造主は、どうしてそのように造られたのでしょうか。子供がいかに重要であるか、愛が重要であるかを(教えるためです)。愛が最高のものであり、子供が最高のものであるということを見せてあげる一つの標本として、サーモン(鮭)を造られたであろうという理論は極めて妥当なものです。生命を捨てても、その愛と子のためには行かなければなりません。このようにみるときに、アメリカで互いに愛し合っている若いカップルをそのサーモンと比べれば千万里の距離があるでしょう。ここでサーモン(鮭)はムーニーの魚にしなければならないと思ったのです。

 私は今までマッチ・メーカー(結婚の世話人)をたくさんしてきましたが、その人たちがサーモンのようになって、自分の愛のために、自分の後孫のために死ぬサーモン以上の人を造って神の国に送ったとします。そうすれば神様は私に対して、「レバレンド・ムーンよ! なぜこのようにサーモン以上の人を造ってここに送ったのか」と言うでしょうか。それとも賞を与えるでしょうか。(賞を与えられます)。(黒板で)サーモン(SALMON)にOを加えれば、サーモンではなくサームーン(SALMOON)です。(笑い) ここでSALMOONのSALはSALVATION(救い)のSALで、SALMOONのMOONはMOONIE COUPLEのMOONです。ですからSALMOONはSALVATION MOONIE COUPLE(救いのムーニー・カップル)です。(拍手) 皆さんは鮭を食べる時、(自分は)サームーンであると思いなさい。それで鮭に「君はサーモンでいたいか、サームーンになりたいとか」と聞けば、サームーンになりたいと言うでしょう。

 先生もたくさんのことを学び、たくさんのことを考え、深刻になりました。数多くの魚(鮭)が川一杯にずらっと行列をつくって上って行くのは、信じられないでしょうが、愛を中心として子供のために死ぬために行くのです。そこに不平なく、自然の道理に順応して、自分の死において厳かに行くのは、尊敬に値する事実であります。先生はいまだに、統一教会においてサーモン教育をやっていなかったのです。サーモン教育をしなければなりません。

 人類がそうなったら、神様はこの地上に来ざるを得ません。人間たちが神様必要ないとしても、神様は人間の世界において、千年王国の理想をもって住まわれるでしょう。そこで、海においても、陸地においても、人間一人を教育するためにこのように造ってあると思うとき、創造主のありがたさを実感することができます。

 結論づけましょう。なぜオーシャン・チャーチを造ったのか。オーシャン・チャーチの仕事をなぜするかと言うと、それは神様の創造の深いみ旨を知って、そのように創造するのにどれほど苦労するかを知って、神様の友達の立場に立つためです。それは驚くべきことです。創造主の創造されていた役事に参画(同参)し、友人のような立場にでることができるのです。

 オーシャン・チャーチは統一教会にあったほうが良いですか。(はい)。本当ですか。(はい)。では皆さんも海に住みたいと思いますか。(はい)。女性は海に関心がない人が多いのですが、それでは統一教会の正当な信者になることができません。女性たちは全員オーシャン・チャーチの訓練を受けなければなりません。どうですか。皆さんが嫌だと言うならやめましょう。どうしますか?「はい」と言う人たちは手を挙げてみなさい。あ! 大変ありがとうございます。(先生が英語で)私も皆さんの意見に従います。ここでオーシャン修練を正式にしなければならないという結論が、皆さんの賛同で、出たのであります。正式な統一教会の人たちに対しては、一週間ないし二週間、訓練することをこの時間に宣布いたします。(拍手)

 (先生が)統一教会の女性に道端で会って、「君、魚釣りに行こう」と言ったら、「わかりました」と言ってさっと出かけるとします。私たちはどこの港にも船がありますから、(すぐに行けます)。先生と一緒に釣りに行けたらどれくらい素敵でしょうか。「よく訓練を受けたのですね。良い釣り場に案内しなさい」「はい」と言ってブンとエンジンをかけて操縦します。それはどうですか。ここで写真を撮ったら、霊界においても撮られます。そのような歴史をもって霊界に行って、「私は先生に侍って釣りに行ったことがあります」と言えば、これは歴史的な事件です。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのような意味において私たちは、多様な趣味をもたなくてはなりません。

 先生は統一教会の女性の誰が、第一代のトローリング船のキャプテンになるかみています。私たちの船はとても良い船です。飛行機のように、ボタン一つを押せば舵を取ったりする必要のない船を造るのです。魚を捕るのもボタン一つ押せば、引き上げることのできる船です。それで今、私たちは電子工学研究所を造って、海にある多くの障害物を避けることを研究しています。これは女性のキャプテンを造るために必要です。だから、女性を憎むレバレンド・ムーンではなく、女性のためのレバレンド・ムーンであることを知ってください。では女性の中でキャプテンになってみたい人は手を挙げてください。(はい)。ありがとう。アメリカの女性はとても立派だと思います。

 さあ! このようなトレーニング・コースをオーシャン・チャーチの責任者は、これから計画しなければなりません。大貫わかりましたか。先生は魚の臭いがします。今も魚の臭いがするので昼でも蚊に刺されるのです。アラスカに行って釣りをしてみたいですか。(はい)。南の海に行って釣りをしてみたいですか。(はい)。では先生について行きたいですか、先生を案内して行きたいですか。(案内したいです)。ありがとう。(笑い)

 私は今まで人を指導してきましたが、人について行ったことがありません。今回、皆さんについて行くことができれば、どれほど幸福でしょうか。そう思って練習してください。男性は言うまでもありません。(笑い)
 では時間になりました。お祈りしましょう。

一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.11.09 20:30:04
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Re:文鮮明先生御言選集 19830828 - 「オーシャン・チャーチ」(11/09)   はんこれ さん
み旨と海には、掲載されていないみ言をこのように、公開してくださりありがとうございます🙇‍♂️ (2022.06.30 21:15:17)

Re[1はんこれさんへ]:文鮮明先生御言選集 19830828 - 「オーシャン・チャーチ」(11/09)   tomy4509 さん
はんこれさんへ

訪問ならびにコメントありがとうございます。
これからも応援よろしくお願いいたします。
(2022.07.02 11:24:52)


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