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2021.11.14
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​​​​​​​​​​​​​「愛よ永遠に」

1984年1月22日


 皆さんは愛が好きですか? (はい)。御飯を食べることよりも好きですか? (はい)。成功し、出世することよりもですか? (はい)。

 神様は存在しておられます。ではその神様は、私とどういう関係があるのでしょうか。神様との関係は遠いように見えます。そして神様は全知全能であり、至る所に存在し、何でもすることができるお方であると皆さんは考えるでしょう。しかしそれだけでは、自分とそんなに近い関係であるとは感じられないでしょう。神様は全能であって何でもすることができ、また全知であるから私について何でも知っておられ、私に対して何でもすることができ、私を完全にコントロールすることができるとすれば、“もう自分の中には何らの秘密の余地がない”とそう考えるかもしれませんね。ではそのような神様がなぜ私に必要なのでしょうか。そういう神様が私と近づくことのできる一つの内容があるとしたら、それは真の愛です。皆さんはどう思いますか? (偉大です)。偉大であるよりも親わしい関係です。

 皆さんには両親がいますね。その父母は「何をしてはいけません」とか、「遊んでばかりいないで勉強をしなさい! 御飯を食べなさい! 眠りなさい! 起きなさい!」といつも言うのですね。その時、父母がいなかったらいいなと思うのですね。特にアメリカの子供たちはそう思う人が多いのです。やりなさいと言うことよりやるなと言うことの方が多いからです。(笑い) しかしそこに一つ含まれているものは、子供を愛しているという事実です。子供は愛されているという事実を知るようになるとき、叱られ打たれたとしても「ママ」と言い、泣きながらもついて行くのです。何のためですか? そこに愛があるからです。

 皆さんの中で学校が好きな人は手を挙げてみなさい。勉強することが好きな人は手を挙げてみなさい。(ノー。イエス)。(さまざまな答え)「イエス」ではなく、みんな「ノー」でしょう。「ノー」と言うのがもっとノーマルですよ。先生が子供たちに勉強しなさい、勉強しなさいと厳しくするのは先生の愛、師弟の愛なのです。そういう愛が国と連結されるのです。学校は第二の世界、国家へと連結され、更に大きな世界、霊界へと連結できる出発となるのです。このように師弟間の愛があるために、いかに困難な環境でもすべて消化することができるのです。学校に行って勉強をするのは先生の愛を受けるという、そのような内容があるのです。それは国家と通じることができ、世界と通じることのできる橋のようなものです。先生の愛と自己の出世しようという動機が、成績と思想の因縁で連結された結果、国と世界へ通じることのできる道となるのです。学校の先生たちが推薦(サイン)する道を経なくては、国と通じる道はないのです。いかに父母が「私の息子、娘が素晴らしい」と言って推薦したとしてもそれは通じません。分かりますか。なぜそうしなければならないかといえば、社会の愛の公約の法度を通じなければ、国を愛する道がないのです。学校は社会に出ていく最初の過程なのです。学校を愛し、学校で愛されることが、この国とこの世界で愛され愛することのできる基礎となるのです。学校にはこのような世界に連結される愛を中心とした生徒同士の愛や、先生と生徒間の師弟の愛があると思うとき、家庭で味わうことのできない愛があるのです。そのように考えるとき、どれほど学校が身近になることでしょう。勉強するのも愛をその心に植えるためであり、勉強をさせるのも心に愛を与えるためです。それはどんなに美しいことでしょうか。そのような学校がアメリカにありますか? (はい! たった一つベルベディアにあります)

 では次に、どうなるべきかというと、国に忠誠を尽くす人にならなければなりません。そうでしょう。いくら子女を愛したとしても、父母を愛する孝子であるとしても、私には国は必要ありませんと言えますか。そして皆さんは、国家的であれば国の大統領と近づきになろうとするでしょう。そういう考えは起きませんか? そこで国の主権者の深い愛の世界に入り込むために、自分の職場で国のために忠誠を尽くすのです。それは並大抵の苦労ではありません。大きな国を抱き、愛することができなければならないのです。このような愛で国を愛することによって、大統領もサインをすることができる国民になれるのです。そうしなくては、その国を代表して世界に行く人となることができません。世界へ行くのに誰の推薦状が必要かといえば、学校の先生の推薦状だけでは駄目なのです。大統領の書いた推薦状がなければならないのです。分かりますか。そのうち世界は一つの世界になります。いずれ世界の大統領が出現するでしょう。それはもう誰しも考えていることであります。一つの世界の主権者が生まれてくるのです。そしてすべての人々は、世界の大統領に愛されることによって、またその愛で大統領の愛するすべてを愛する人となることによって、大統領から身元保証のサインを得ることができるのです。そういう人を聖人と呼ぶのです。皆さんは聖人が好きですか? (はい)。(皆さんが)上に上がっていくためには、そのようにして行くのです。

 きょうは、『愛よ永遠に』という題目ですが、人間の世界を超越して神様がおられるかどうかは漠然としていて、誰もこれを知らなかったのです。世界がどのようになっているか分からなかったのです。ですから神様がおられるかどうかも分かりませんでした。しかし、これが最も人間世界において重要な課題なのです。哲学や宗教が人生の問題を解決する重要なキーポイントとなってきたのです。神様が間違いなくおられると確認した卒業証をもっていたとしたら、今日、この世にある数百、数千の大学の卒業証よりも貴いものです。百の博士学位よりも貴いものです。皆さんが御飯を食べること、服を着ること、妻子を愛すること、国を愛することが貴いと言っていますが、最も貴いものは神様がいるかどうか、これを知ることが一番貴いのです。そうだと思いますか、そうでないと思いますか? どうですか? (はい、そう思います)。

 では、神様がいらっしゃることを知るための勉強をしようとしたら、月謝はどれぐらい支払ったらいいでしょうか。いくらぐらいですか。一億ドルでできますか? (いいえ)。では月謝を何で払ったらいいですか? (笑い) これは深刻な問題ですよ。笑いごとではありません。さあ、どれぐらい支払いますか。深刻な問題ですよ。いくらぐらい支払いますか? 例えばアメリカを売れば学ぶことができるとしたら、アメリカを売ってでも学ぶべきですか、どうですか? では世界を売ってならどうですか? 「天と地を売ってでも神様を知ることができるなら、探し求めていかなければならないと言っても異議なし」というのが結論ですね。これは正しいですか? (はい)。

 では、統一教会のムーニーたちは神様がいらっしゃることを知っていますか。神様がいらっしゃることを学びましたか? (はい)。本当に神様を知っていますか? (はい)。どうして神様がいらっしゃることを知ることができますか? 「私は神様がいることを経験によって知ることができます」。そうですか? (はい)。自分の頭でも否定することができない、目も鼻も私の五官すべてが否定することのできない体験を通してですね。皆さんはそのようにして知ったのですか? (はい)。神様を知るための体験というのは、楽に眠り、楽に休み、楽に遊ぶことによって知ることができますか、それとも死ぬほどの苦難の中で体験によって知ることができるのですか? どちらですか。最初ですか、二番目ですか? (二番目です)。そうです。神に対する体験をするためには、一生涯、世界において、考えられる限界線以上の受難の道を克服することによってのみ可能です。この結論を受け入れられますか? (はい)。

 では、皆さんは神体験をしたことがありますか? (はい)。あると言う人は手を挙げてみなさい。皆さんは神様を知って、次に何をしますか? (皆さんが)神様を知ることは、自分がお金がないときお金を下さいとか、自分に権力が必要だから権力を下さいとかを願うために必要なのでしょう。自分が出世するために神様が必要なのでしょう。(笑い) 権力をもって何をし、知識をもって何をしますか。その力をもって神様と対抗することができますか。その知識をもって神様と闘うことができますか。できません!

 皆さんは従うことが好きですか? 誰しも従うことは好みませんね。神様はそれをよく知っていますよ。皆さんを見ると欲心で満ちています。どうですか? そうではないですか? いくら顔の醜い人でも欲心(望み)のない人はいないのです。神様以上に神様の頂点に行きたいのです。そうではないですか? 神様がそれを知らなかったでしょうか? 何をもって望みを主張しますか? お金ですか、力ですか、知識をもってですか? そうではなく、真の愛をもっていけば満足するのです。そういう頂点に到達するのです。これは事実ですか、偽りですか? 想像的でしょうか、推理的論理でしょうか、理論的結果でしょうか?(事実です)。そうですか? そうだろうと思いますか? 男子は答えないで女子が答えてみなさい。(はい)。「はい」と言う人は手を挙げてみなさい。では「いいえ」と言う人は手を挙げてみなさい。

 神様が全知全能であるとしたら、人間を百パーセントコントロールすることを考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そしてそれをダイヤモンドや黄金をもってしようとしたでしょうか? (いいえ)。そうではなく、神様の愛が実際の黄金やダイヤモンドよりも良いというのが事実であり、価値があるのです。皆さんはその愛のために一度投身してみたいですか。投身してみたいの? 投身しようとするの? 投身したの? (既に投身しました)。ではどのような体験を得ましたか? 知識に対する体験や、金に対する体験よりも絶対的な愛に対する体験をしてこそ、万事に「オーケー」となるのです。このような観点から聖書を見るときに、神様の真の愛の真髄を中心として話されたイエス様の逆説的な話も完全に理論的な論理として展開されるのです。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイによる福音書第十章三十七節) 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書第十五章十三節) 「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。」(ルカによる福音書第十七章三十三節)と言われたイエス様の話はこのような観点から出たのです。現実的な立場から見るときに、このような論理こそ、理論的論理となるのです。何の話か分かりますか?

 皆さんは投資する自信がありますか? (はい)。投資する時は最も必要なものを投資しますか、それとも使い残りの必要ないものを投資しますか。最も必要なものを投資するという人は手を挙げてみなさい。何でもできますね。どんなこともできますね。そういう人は正常な人なのです。では何を投資しますか、何を投資しますか。私たちの教会を投資しますか。国を投資しますか。それは皆さんとは関係ありません。皆さんは皆さん自身を投資するのです。何を投資しますか? 片目取って目を投資するつもりですか。鉤でもって、目を取り出しても感謝できますか? (はい)。鼻も投資する自身がありますか? (はい)。これは言葉で簡単に言うべき問題ではありません。深刻な問題ですよ。痛いか、痛くないか。その耳を切ってみます。耳を切ろうとすれば皆痛いと言って引っ込めてしまいますね。このように整った顔の私が醜くなるのかと思えば、私は嫌だと思うでしょう。(笑い) それで醜くなっても「はい」と言えますか。では何を投資しますか? 神様があなたに投資してほしいと願うものは何ですか。神様は何を願っていらっしゃるでしょうか。神様は何を投資すれば、よくやったとおっしゃるでしょうか? (愛です)。誰の愛ですか? (私の愛です)。あなたの愛は真の愛なの、偽りのイミテーションの愛なの? (笑い) 神様は真なるお方なのに、偽りの愛を捧げますと言った時、神様の関心を得ることができるでしょうか。神様は「オー!」と言って、その投資を受け入れられるでしょうか? (いいえ)。 皆さんは真の愛を知らない立場で、今まで神様を愛し、投資したとしても神様におかれてはノーコメントです。皆さんは真なる愛に到達していますか、いませんか? (到達していません)。ではいつ到達しますか? (永遠にトライします)。それでは真の愛と何の関係がありますか。だから深刻ですよ。「愛よ永遠に」という言葉があるように、すべてを除去しても永遠に求めることのできるものは愛しかありません。

 では、偽りの愛と真の愛とをどのようにして区別することができるでしょうか? これが問題です。公的であるか、私的であるかという問題を中心として、真なる愛であるか偽りの愛であるか区別されるのです。そこで神様は為に生きるという結論を出すのです。生命自体も、愛自体も為にするのです。愛は生命を越える力をもっています。生命と共に愛の力をもって来なければ宇宙は動きません。今日、理想世界を目指しても動かないのです。皆さん、結論づけておかなければなりません。定義を下しておかなければなりません。神様は歴史を通して数多い人類のために、御自身を犠牲にしながらもそのようなことをやっているので、真なる愛の主体であるという結論です。そこにのみ、そのような境地にのみ真なる愛があります。何の話か分かりますか。真なる愛は他のために生きることです。はっきり分かりましたか?

 神様はそこにおいて活動するのです。他にいるのではありません。そこから個人的活動、家庭的活動、国家的活動があるのです。世界に向かう神の活動はそこにあるのです。二人がいれば、一人は神側でもう一人はサタン側というのがすぐに分かります。どちらが神側であるかといえば、より為に生きる方が神側で、そうでないのはサタン側です。分かりますか? それは絶対的な基準ではないけれど、そうしなければなりません。そこから次元の高い発展した歴史が始まるのです。二つの中の一つの側からです。

 今まではこのはっきりした境界線を知らなかったのです。この世は境界線が分かりませんでした。知らなかったのです。神様とサタンが境界線を、限界線を中心として、あなたの側と私の側を分離しているのを知らなかったのです。もし、アメリカが独立戦争の時のように、また南北戦争の時のように二つの側に分かれて戦う時、神様はどちらの味方になるでしょうか? このアメリカは一つとなって世界のために闘わねばなりません。リンカーン大統領が主張したのはそのことです。白人が黒人を差別するような人種差別をしてはならないのです。それが真理なのです。

 今まで民主主義が生かされてきたのは、全世界の人民を中心とする立場にいたためです。この公式を通して、もしアメリカとソ連が戦えばどちらが勝つでしょうか。ソ連は世界を目指して全体を動かそうとしているのに、アメリカはアメリカだけのためを思えば滅びるのです。ソ連にやられてしまうのです。だから、アメリカが滅びそうになったので、統一教会のような団体が生まれてアメリカを滅ぼさないために、世界のために生き、今後共産世界までも救わなければならないのです。そのためにこの運動を起こすのです。神様がおられるのでこの運動ができるのです。このような結論になります。このように見るとき、神様は統一教会の側に絶対にいなければならないという、公式的結論が出るのです。分かりますか? 何の話か。

 我々は世界を導くために、神の名でもって一つの世界をつくることが必要であることを知っています。そのためには、私たちの統一教会をいつでも犠牲にすることができるのです。国があるとしたら国のために統一教会を犠牲にするという思想は、神様を永遠に迎え入れることのできる一つの理論的土台となっているのです。ここに立っているレバレンド・ムーンは、非常に孤独な人間であります。世界もみんな反対し、統一教会に入って立派だと言われる人も多くが落ちてしまったのです。たった一人でこの道を歩んできました。今になっては世界的な名声を得、世界的な基盤をもって、誰が見たとしても、国家の首相ですら“レバレンド・ムーンは成功した人である。あの人はこれから注目すべき人である。どれほど発展するだろうか”と思うようになったのです。このように皆が関心をもつことも神様が共にいてくださったので事実となったのです。アメリカの政府と闘い、法廷闘争をしながら、誰が神側にいるか、誰がもっと公的か、誰がもっと私的か。法廷闘争をしながらもそのように見ているのです。そして今でもアメリカという国を愛し、怨讐の国のために成しているのです。それは神様がレバレンド・ムーンの側であるという事実を知っているためです。レバレンド・ムーンのそのような理論は間違っていますか、正しいですか? (正しいです)。

 皆さんはムーニーですね。レバレンド・ムーンは、皆さんを何をもって指導するかというと、無数の経験によってです。たくさんの経験をしたのです。神様が私と共におられることを体験したのです。この原則に従って行けば、世界は自動的に地上天国になるのです。自動的にですよ。誰かが「これをやりなさい、やりなさい」と言う必要もないのです。私たちムーニーは街角で指をさされながら活動をするのはなぜでしょうか? 真の愛の道を知るためにですか。真の愛をもった神様に出会うためにそのようなことをやるのだという、驚くべきことを先生は発見したのです。何の話か分かりますか? (はい)。それで先生は、一生の間迫害を受けながら、このような法廷闘争をしながら、今も前進しているのです。法廷闘争のことはそれほど考えていません。それよりも世界の問題を考えて進んでいくのです。神様はそのような人を好むことを私はよく知っています。これは最も重要なことです。私たちは何も持っていません。ある者は両親も、兄弟も、国も、すべてを失いました。なぜなら彼らは私たちに対抗してくるからです。その立場は最もみすぼらしいものです。誰もそのような立場を好みません。私を含めて神様も同じです。私はそれをよく知っています。しかし神様は先生の立場を取ってくださいました。それについて今話をしているのですよ。はっきり分かりましたね。私たちはこの点をはっきりしておかなければなりません。

 私はいかに生きるべきや、いかなる基準に従って生きるべきや? これが問題です。自分が世界のためにいかになろうとも、いかなる犠牲を払っても、妻や家庭や最も価値あるものを犠牲にしたとしても、それでも自分のすべてのものを捧げて、神のために世界のために生きるということは何と素晴らしいことでしょうか。先生にとっても、神様にとっても、統一教会のメンバーは誰よりも愛する立場です。しかし世界のためにそれをも犠牲にしなければならないのが神様の立場であり、先生の立場です。そのような神様の本然の道、路程に従って歩んでいるのは先生だけです。皆さんはどうですか? 皆さんもそのような道を歩みますか? (はい)。なぜですか? それは誰しもが真の愛の中にありたいと願うからです。人のために生きた人は、永遠に忘れることはできません。永遠にこの愛は私から離れないでしょう。皆さん比較してごらんなさい。自分はいかなる人なのかを。自分は何パーセントの(為に生きる)人間であるかということをみんな知っていますか。皆さんは自分自身を知っていますか。何パーセントの者であるか知っていますか。先生が命令をする理由も正しく知っていますか。遊ぶようにし、休むようにし、楽にするようにすればいいのにと不平を言うこと自体が間違いです。どうしてそうなのですか、この時にどうして遊ぼうとするのですか。自分自身と闘わなければなりません。

 皆さんは真の愛を必要とし、永遠であることを願います。先生は皆さんを愛するがゆえに、恐ろしい人間のようにもなるのです。先ほども言ったように、家庭の両親、学校の先生、国の大統領、世界の大統領のサインをもらうために、あらゆる困難なことに皆さんをすべてコントロールしているのです。そこには真なる愛が隠れているということを忘れてはなりません。その内容をもって先生は皆さんたちを必要としているのです。誰よりも先生が皆さんを愛しているのは、以上のような愛さなければならない内容があるから、そのように心配しているのです。皆さんの家で、両親が勉強をしなさいと言ったり、細かいことを言ったりする時は嫌でしょう。しかし会社には社長がいて、国には大統領がいます。そのような人のサインを受けなければならないのです。また先生のサインを受けなければならないのです。皆さんは死んでからも、この世でも真の父母のサインが必要です。どうですか皆さん? (必要です)。

 今までに皆さんは、どれほど先生に対して不平を言いましたか? 十年間に、どれほど不平を言ったことか、ちょっと聞いてみましょう。先生がアメリカに来てから十年間、どれほど不平を言ったのですか? どれほど多く不平を言ったか率直に言ってください。どれほど不平を多く言いましたか? 不平を言わなかった人は手を挙げてみなさい。皆さんは首を切られ、足を逆にしたぐらいで不平を言うのですか。たくさん不平を言ってきたのです。どうせ傷ついた首であるから、いつ死んでもいいですと言えればすべては終わるのです。

 だから興進様が行かれたのです。父母も同じです。私の首はまだ切られないので感謝であり、私の首がまだ切られず、いまだに生きているということに感謝しなければならないのです。自分の生命を捧げようとする人は息子の生命を捧げることも当然で、妻を捧げることも当然で、私の生命を捧げていないだけでも神に有り難く思わなければなりません。簡単ですよ。

 死ということを考えてみたときに、大衆のため、全体のために死んだとしたら先生は泣いてあげられるけれど、私的に死んだら泣いてあげられません。人間は公的な涙を流して生きなければならないのです。特に先生は簡単ですよ。先生から全世界の統一教会をすべて切り捨ててしまっても、翌日から再出発できるのです。私が生きている限りに……。そうしたら神様が共に成してくださるのです。それが真のスタンダード(原則)ですよ。分かりますか? (はい)。「自分は統一教会のために一生懸命にやった」と言うことはやめなさい。先生が皆さんたちのために一生懸命にやったと言う時にどうすることもできません。生命までも捧げるのです。極めて簡単な原理です。皆さんもそのような概念をもっていますか? (はい)。ですから統一教会は偉大です。統一教会は偉大ですよ。

 私たちの行く所は、どこへ行っても百点です。時間の差異や長短の差があるかもしれませんが、この原則は千年、万年、歴史上において常に勝利の黄金律であるということが先生が知っている真理のポイントであり、神様が知って立てている真理のポイントであることを皆さんも知らなければなりません。「愛よ永遠に」という言葉の意味が分かりましたか? (はい)。愛は誰のためですか? (神様のためです)。神様のためではありません。自分のためです。(人類のためです)。そうではありません。自分のためです。自分にとって、また神様と人類にとって、私自身の愛よ永遠であれということです。私たちがこの愛をマスターするならば、神様は私たちにとって最も近い存在となり、神様に背負われて生きることができるようになります。

 神様は縦的な方で、私は横的です。この縦と横が通ずるとき、一つになります。そのような神様に対しての体験をもって生きる人は、どんな不幸な環境にあっても幸福な人です。どんな幸福な環境の中においてよりも立体的に幸福な人です。そのような人は、知識や力をもって世界を支配するというようなことはとてもできません。そんなことは自分にとって関心がなくなります。最も大切なものは愛の知識であり、愛の権能です。それが必要なのです。なぜかといえば、この世をコントロールしなければならないからです。何でコントロールするかといえば、愛でもってコントロールしなければならないのです。力も愛の力でもってコントロールするのです。真なる愛で支配すれば不平がありません。

 皆さんの中で結婚している人たち。夫が自分を愛してくれる時、ただ弱く愛してくれる方がいいですか? それとも骨が折れるほどに強く愛された方がいいですか。特にアメリカの女性たちどうですか? (ノー)。強くですよ。あばら骨が飛び出るほどですか。(笑い) 愛でもってコントロールするほどいいのです。何の話か理解できますか? (はい)。

 皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、“それでも構わない。それくらい私は愛されたい”とそう思ったことはありますか。“もしそうなれば、どれほど幸せだろう”と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほどに愛されました」「ただ神様に感謝し万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして「私は初めてそのように本当に愛された人間を見付けた」と言われるでしょう。 (笑い)。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか。嫌いですか? (好きです)。どうですか? 先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか? (はい好きです)。(笑いと歓声) 先生もお母さんにそうしてあげたいのですが……。(笑い) 人は真の愛の主管を好みます。きょうは何カ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。皆さんもするべき仕事があります。もう二時間過ぎました。これからはマイクを装置して電話で説教する時が来ます。その時は英語で話をします。(笑い) そうすれば皆さんはわざわざこちらに来る必要がないでしょう。その方が効果的かもしれませんね。どうですか? (そのとおりです)。本当ですね。私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか? 神様を私の家に迎え入れることができ、私の肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神でなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか? (はい)。皆さんは希望をもって更に神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう! 正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう! では真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。

 神様の祝福が皆様と共にありますように。アーメン。(拍手、歓声)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.11.14 15:39:40
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