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2021.11.29
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」

1984年7月10日
ベルベディア

 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。


 人間の責任分担

 イエス様以後キリスト教全体を見ても、先生が来る時まで、霊界では家庭がありませんでした。家庭がないから、もちろん氏族もなく、その国もありません。その国というのは、神様が理想とされるその国しかないでしょう? その国は、真なる理想として残されなければならないのに、神様が悲しまれる国として、悲惨なる実情が霊界自体に展開されるしかなく、地上にそのような結果世界が広がるしかないこの事実が悲惨だというのです。霊界と肉界の、このような悲惨なる状況をだれが造り出したのか? サタンとなった天使長がこのような問題を起こしたのです。

 それでは、なぜ天使長を除けないのか? この問題は、今まで神学者たちと数多くの霊界に通ずる人たちにとって謎でした。サタンがいることは分かるが、全知全能なる神様の前で、すべて知っているというサタンをなぜ除けないのか? いつの時でも神側に行こうとするならば必ずサタンが妨害するのに、それをなぜ天が干渉できず、神様が制裁できないのか? 霊界に通じても、そのような問題が分からなかったのです。それで、サタンによってそのようになった悲惨なる事実を全部、霊界がなぜこのようになり、地上がなぜこのようになったのかを解(と)かなければなりません。神様が知っているからといって、それを神様が教えてやることができない。なぜならば、(人間には)責任分担というものがあるからです。

 では、責任分担を責任負うことのできる方はだれか? それが、本来堕落せずに成さねばならなかったアダム・エバ、真の父母にならなければならないアダム・エバだったというのです。それは、父母だけが責任を負うことのできる責任分担であるのです。父母が責任分担を果たせなかったそのような結果の世界において、だれに責任分担を教えることができるでしょうか? 父母にも教えることができない、神様が教えることができないというのです。それがひっかかっているというのです。今日、我々の原理で言う責任分担という言葉が出て来なかったならば、歴史を解く道がありません。

 世間を見ても、悪い人がより良い生活をしており、善なる人が滅びて行く場合が多いというのです。そのようなすべての歴史をだれがこのように造ったのか? それは、責任分担を果たせなかったからで、責任分担を成して行くとき、サタンが反対することによってこれを蕩減して解決しなければなりません。

 蕩減というのは、個人の蕩減だけではなく、歴史性を帯びています。氏族、民族、国家、世界史的なこのような蕩減内容が、全部責任分担を中心として連なっているというのです。個人蕩減の責任分担、家庭蕩減の責任分担、全部そのようになっているのです。

 ところで、今まで国家から見ても、すべての宗教から見てもこれらが一つになっていません。国家は国家なりに怨讐になっており、宗教は宗教なりに怨讐になっています。それで、世界史的な蕩減問題を、条件にひっかかっている責任分担を全うすることによって、蕩減復帰し、連結させなければ世界性がありません。どの民族を中心としても世界を連結させることができず、どんな国を中心としても世界を連結させることができず、どんな宗教を中心としても、キリスト教ならばキリスト教を中心として世界を連結させることができないというのです。宗派であるならば宗派を中心として連結させることができないのです。

 選民イスラエルの使命

 このように見るとき、神様が何を考えるようになるでしょうか? 責任分担を完遂しなければなりません。一人の個人を立てて、氏族編成と合わせて、その氏族編成が一つの世界的宗教を背景として、その氏族編成を基本として世界国家というものを統合して、同じ位置で連結させることのできる背景をならしておかなければなりません。それが、ユダヤ教の歴史です。イスラエルというのです。イスラエルを選民に立てて蕩減復帰するのですが、蕩減復帰というのは、カインにイスラエルが勝つことであり、これが何かといえば、ヤボクの渡しでヤコブが天使を屈服させたことです。そのことが聖書に出ていますが、それがなぜイスラエルになったのか今まで分からなかったというのです。相撲を取ったことがなぜイスラエルになったのか、分からなかったというのです。それは蕩減復帰を知らなかったからです。

 それゆえに、イスラエル民族を中心として、一つの宗教、つまり、神様を信奉することのできる氏族とユダヤ教を立てておいて、またその次には、一つの国を代表することのできるイスラエを立てておいたのです。

 それゆえに、歴史過程で責任分担を果たせないときには、蕩減で異邦の国に引きずられて行って、十二支派が南北に分かれて、全部蕩減して出てくるというのです。その蕩減の内容を、今まで知らなかったでしょう。それによってイスラエルは、イエス様が来る時まで、より一層国家的宗教を置いて、世界を代表する国家と世界を代表する宗教の統一背景を持たなければならなかったというのです。

 そのような蕩減の内容を支払って、国家とか、国家的宗教の基準の前にサタンが反対できない基準を作って、そこでメシヤを迎えなければなりません。世界的宗教と世界的国家を代表する国家同士が完全に一つになったならば、そこにメシヤが来て、世界的宗教圏を中心として、世界的国家形態を収拾していくというのです。それゆえに、ローマという大帝国を中心として、宗教をローマ帝国以上の宗教に発展させなければならなかったのです。

 ところで、その時、自然神を崇めてそうしたというのです。そのような環境よりも唯一神を崇めなければならなかったし、徹底した世界的宗教観を中心として、世界国家観をあのローマのように拡大して行きながら、アラブ圏を中心として、中東からアジアを連結させて、一つの文化圏を形成しようとしたのです。そうしながら、メシヤを中心とした世界的宗教と世界的国家の背景を一致化させて、そこでサタンが反対することのできる道を完全に塞いでしまわなければならなかったのです。

 蕩減条件が個人の責任分担を中心として引っ掛かっており、家庭の責任分担、氏族、民族、国家の責任分担を完遂した後に、そのような国家基準を中心として、ユダヤ教を中心として、ユダヤの宗教国家を中心として完全に蕩減過程を経て、サタンを分別させた上に、完全なメシヤを迎えなければならなかったのです。

 ところが、メシヤが来るのにユダヤの国は、信じていなかったのです。それで分かれた、一つになれなかったというのですね。その時、蕩減路程というものは、知らなかったけれども、歴史的なすべての過程を一時に通過する立場がユダヤ教とユダヤの国に残っており、必ず蕩減の道においては、カインはアベルに反対するようになっているため、ユダヤの国の立場がユダヤ教に反対するようになったのです。

 しかし、ユダヤ教自体を見るとき、ユダヤの国の王になるためには、ユダヤ教の祝福を受けるようになっていたのです。今、アメリカの大統領になるためには、牧師が主礼となって任命式をするのと同じですね。それゆえに、下では反対しても、頂上に上がって行けば、もてなしを受けるようになっています。王もそれによって、下ではどれだけ反対されても、頂上に上がって行けば行くほど反対するのは弱くなるというのです。

 それで何が問題になるかと言えば、個人の信仰を徹底しなければならないのです。個人の信仰と国家観を徹底して、その宗教を絶対に信じてその国家を絶対に信じたならば、蕩減があってもそれは無難に越えて行けます。蕩減が成立しないというのです。

 世界を代表する民族が自分の民族を中心としたがゆえに、いつも蕩減を得たのです。なぜそうなのかと言えば、サタンは自分を中心として、自分の欲心を中心として出発したので、欲心を中心とした道には、責任分担を全うする道がないというのです。それだから、自分を主とする個人や宗団には、これは、サタンが蕩減も適用しないというのです。自分を越えて、自分を犠牲にして宗団を信じて、国のために出て行く人に限っては、サタンが反対するというのです。だからと言って、そうでない道を行って死ぬならば、全部サタン側となり、天側になることができないというのですね。そのような道を行かなければなりません。

 父母が立つ基盤

 それで、神様が選民イスラエルを選んで、メシヤであるイエス様を送ってくださったが、メシヤとはどんなお方なのか? ユダヤの国を中心として、ユダヤの宗教が一つになった基盤の上でカイン・アベルが一つにならなければならない。カイン・アベルが一つにならなくては、父母の立つ場がないというのです。父母はどこに立つのか? 父母が来たとしても、カイン・アベルが一つにならなくては父母が立つ場がありません。

 それでは、カイン・アベルが一つになれなかった責任を、父母が来てからどのようにするのか? 父母がそれを代わって造ってやらなければならないというのです。なぜそうなのかと言えば、カイン・アベルの問題は、父母が責任を果たせなかったために生じたのだから、カイン・アベルが父母であるメシヤが来るのを願って、カイン・アベルを国家的次元、国家的宗教の次元で準備してメシヤが来たにもかかわらず、天のものとして奉ることができないときは、そのメシヤが責任を負わなければなりません。

 カイン・アベルはなぜ生じたのかと言えば、堕落ゆえに生じたので、メシヤ、すなわち父母ゆえに生じたので、父母が選び出してこれを一つに作ることのできる基盤、国家的基盤、国と宗教が一つになることのできる基盤を父母が作ってやって、その勝利基盤の上にこれを手本に見せてやって、カイン・アベルが今や「分かりました。」と言うとき、越えて行くことができるというのです。そうでなければ、父母までも立つ位置がありません。

 それで、イエス様すらも死んで行かざるを得なかったのです。イエス様は神様の息子として来られたので、死ぬ必要がありませんでした。それなのになぜ死んだのか? カイン・アベルが一つにならなかったので、その問題で死んだというのです。

 我々の原理では、堕落したアダム・エバをだれを通して救うかと言えば、アベルを通して救うのです。そして、アベルが御旨を完成するために、カインを通さなければならないようになっています。それが原理の骨子なのです。

 それだから、イスラエルの国とユダヤ宗教の基準がどれだけ国家的基準になったとしても、その宗教と国が一つにならなくては、来られる父母に侍ることができません。国家的次元でこのように見るとき、その宗教を中心とした政治体制は心情政治です。民主主義的な政治ではないということを知らなければなりません。

 アダム・エバの位置

​ アダム・エバを中心として、すべての世界が一つに連結されるようになっているので、その体制は、死んであの世に行くようになれば、アダム・エバが神様の形状として残っているというのです。神様が別にいるのではありません。神様がアダム・エバを造った目的がどこにあるのでしょうか? 我々人間は、形状を持っており、体を持っていますが、無形の神様は、体がなく、体を着なくては地上でも霊界でも留まることができないのですね。それで、どれだけ神様がおられたとしても、人間の父母として現れるためには、体を着なければならないが、それがだれだったかと言えば、堕落しなかったアダム・エバで、その体を着て現れるというのです。​

​ アダム・エバはだれなのか? 人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になります。実体を持った神様として、永遠なる無形世界に、神様に代わって形状を着て現れ、神様の位置で、父母の位置で世界を統治することのできる責任がアダム・エバにあったのです。何の話か分かりますか?​

 それでは、アダム・エバをなぜ造ったのか? 実体世界を造った以上、実体世界の中心がアダム・エバだったので、アダム・エバの形状を通して霊界と肉界を連結させるための御旨でアダム・エバが造られたのです。

 では、霊界と肉界の連結は何を中心としているのか? 霊界の代表は神様であり、地上の代表はアダム・エバです。それで、アダムは地上で生きなければなりません。生きるとき、その持っている形態は、地上の国の王です。永遠なる王。永遠なる王権を持って現れたのです。

 エバはだれかと言えば、王妃でしょう? 永遠なる王妃権を代表した王妃として登場したのでしょう? その永遠なる王権を代表したその夫婦が、そのまま霊界に行って神様の代身者になります。

 それでは、天では、無形の神様一人おられて何をするのでしょうか? 見えない神様であっては、何もならないのです。我々人間の父母になろうとするならば、体をもって感ずることのできる体を着なければならないので、やむを得ずアダム・エバを二重的存在に造らざるを得なかったということを知らなければなりません。

 なぜ、二重構造に造らざるを得なかったか? 無形の神様がアダムと全く同じになろうとするから、アダムの心と体が一生を通して成長して、あの世に行く時までに神様と一つになったという基準にならなくては、あの世に現れる神様の形状が一つになることができません。二重構造に造った理由も、神様の実体であるアダム・エバ、すなわち、実体である王権を持った父母と無形の父母である神様が一体になって、永遠なる天上世界に体を着た王権を宣言することにあったのです。

 それでは、アダムをなぜ造ったのでしょうか? 神様が体を着るために造ったのです。だから、神様もアダム・エバと連結されなくては、この世と関係を結ぶ道がないというのです。アダム・エバと関係を結んでこそ、アダム・エバも当然関係を結ぶことができるのでしょう?そうでしょう?

 神様がなぜ人を造ったのか? 同じ父母の位置に立つためです。体を着るためです。同じ父母として内外です。外的な神様は、アダム・エバであり、内的な神様は、心と同じだというのです。​体(からだ)的な神様がアダム・エバであり、心(こころ)的な神様が神様です。父母様なのです。​

 本来、父母というのは、一人の御方です。御一人だから、その御一人が入ってきて、おられることのできるアダム・エバ、男性・女性の二性性相を持った分性的聖殿と同じくしておいて、神様がそこに入って行くのです。神様が入って行って作用してこそ、この二人が、アダム・エバが理想的作用をすることができます。神様が作用できなくては、神様の御旨であろうと何であろうと何も分かりません。そうでなくては、神様が人間と関係を結ぶことができる基盤がありません。

 ところで、その本来の基盤が壊れたために、神様が人間との関係を結ぶということはあり得ないという結論が出て来ました。だから、人間がどれだけ地に多くとも、神様と関係ない人になったというのです。本来、神様と関係を結ぶよう、創造理想として立てたのにもかかわらず、それが実践されなかったので、再び再創造の歴史を成さなければなりません。復帰という再創造過程を経て、これを引きちぎって出て来るのです。アダムの小型、アダム個人型、アダム個人の少年時代…。アダムを捜して出て来なければならないのですが、しかしその基盤がもう既に世界的舞台なので、アダム一人を捜して立てたと言って出ることができるでしょうか?

 本来、アダムの堕落がなかったならば、「この世の人」は、全部アダムの統治圏内になければならなかったのです。世界は全部アダムの下(もと)になければならないのですが、アダムという小さい赤ん坊のアダムを捜して立てたとしても、世界は既に堕落した人間たちが、家庭から氏族、民族、国家を全部造ってしまっていました。

 その造られた国家自体は、原理の中で見るとどのようになっていますか? アダムの息子になるのです。堕落したばかりに、これが問題なのです。だから、個人の少年と同じアダムを造って立てたとしても、その少年を世界の頂点に持って行って置くことができるかというのです。

 これは何かと言えば、先ほど言った蕩減路程に個人の責任分担が残っているということなのですね。アダム・エバであるならば、二十一年間神様だけ絶対に信じて、事故さえ起こさなかったならば、個人の責任分担、家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担が一度に連結されるのです。分かりますか? 一度に連結されるのに、堕落ゆえにこれが少年アダム・エバを捜して立てたとしても、既にカイン世界が生じていたので、世界に責任を負うことができる位置に立てることができません。カイン世界は、サタンと完全に一つになっているので、神側に反対するようになっているというのです。

 アベル的主流の確立

 それで、アダムの小型のように育てて出て来たのがアベルです。カイン・アベルの天側の人。神様の人ではありません。天側の人と神様の人は違うのです。天側と言うようになれば、東西南北、各方向になるのです。天側の人と言うようになれば、高い位置の人もいるし、低い位置の人もいるし、中間の人もいるし、東の方の人もいるし、西の方の人もいるし、南の方の人もいるし、北の方の人もいます。すべては神側です。それだから、世界の舞台を中心として天側のアベルを育ててくるというのです。分かりますか?(「はい。」)

 そうして、天側のアベルを育てて出て来るのですが、アベル側の中心主流を決定せずしては、収拾する道がないというのです。だから、アベルのような少年が、天側に東西南北を中心として四人がいるとしましょう。四人がいたとしても、それぞれが人ごとにばらばらではだめです。そこで主流は、こうでなければならないというような主流がなければなりません。アベル側を中心とした主流は、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させなければなりません。カインを屈服させるならば、主流は確立されるでしょう。

 それで、カイン・アベルの問題を中心として、ヤコブとエサウを中心として、ぴったりそのような立場になるのです。そうして、ヤコブが二十一年間、異邦の国に行って住むというのです。サタン側に行って闘わなければなりません。サタン側に行って訓練を受け、サタン側を詳しく知らなければなりません。サタン世界を知らなくては、絶対復帰できません。カインがどうなのか、よく知らなければなりません。

 それで、ヤコブは自分の伯父であるラバンの家に行って何回も騙された。それは完全に詐欺でしょう? 伯父をして詐欺をさせる、嘘を言わせるのです。妹のラケルを嫁にやると言って七年間仕事をさせて、姉をやってしまった。レアをやったのです。あとの七年間で、こちら側は、公的利益を取って出て行くのですが、あちら側は、私的利益を取るのですね。いつも、私的利益を取る者の前には公的利益を取る者はやられてしまうというのです。

 それで、主流になるためには、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させて勝利したという覇権を持たなくては、主流になることができないというのです。それでは、カインをどのように屈服させますか? 握りこぶしで屈服させるのですか? 愛? 何の愛?天の本質的愛! サタンは天に対する反対的愛を通じて後に出て行ったので、今日、天を中心とする本質的愛を持った弟の位置から復帰しなければなりません。天的愛の本質を持った弟と、サタン側の愛の本質を持ったカインとは完全に違うのです。しかし、本物はどれか分からないほど光らないのです。金を見ると、本物と偽物があれば、偽物がピカピカしてもっとよく見えるでしょう? しかし、それを熔鉱炉に入れ、打って内のものが外に出てくるようにして、外のものを中に入れてみれば、偽物は光が違ってきます。本物は、打てば打つほど、叩けば叩くほど、内のものがもっと良いというのです。分かりますか?

 同じように、神様の本質的愛を中心とするアベルと、サタンの本質的愛をもった堕落体のカインとは、本質的に違うというのです。反対側、サタン側の愛の本質は、全部宇宙を嫌い、環境を嫌い、空気やこのすべてのものを嫌います。しかし、本質的愛を中心として歓迎するときは、本質的愛が迫害を受ければ受けるほど、その周囲のすべての力は合わさるのです。

 この宇宙の力が合わさればどんな位置に行くのかと言えば、我々の周囲の良心的な人が付くのです。そのまま一つになりません。カインは、十二回以上殺そうとします。それでも、それを忍んで越えて行かねばなりません。それで、ヤボク川で天使と相撲を取ったのが、霊界のサタンをなくすことだったのです。天使長をなくすことだったのです。

 「アダムはお前に負けたけれど、私、アベルは、お前に負けない。天使であろうと何であろうと、一回戦ってみよう。」このような戦いです。もものつがいがはずれても離さない。サタンは、自分が戻って行かねばならない時があるので、祝福をせざるを得なかったのです。天の祝福を全部与えて行くのです。そのように、ぞっとするほどに恐ろしい蕩減路程を経るのです。

 カイン屈服の道

 しかし、一個人や個人の兄弟を中心とした蕩減路程がそれだけで終わるのではありません。個人の責任分担を完遂したならば、その次には、家庭の責任分担が残っているというのです。アダムの時は、個人の責任分担です。家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担を一度に皆、戻って行ってなすのです。これは、世界、東西南北全部反対して来るので、これを一日の内にすることができますか?

 だから、個人が闘って勝利して、家庭的基盤を固め、そして氏族的基盤を固めて行かなければなりません。このようなわけで、イスラエル民族はいつも追われるのです。一つの場所に定着していては、祝福を受けることができません。それで、ユダヤ人は遊牧民になったのです。一地方に入って基盤を造って住むと、必ずそこで人の気嫌を伺って生きなければなりませんでした。今まで、人の気嫌を伺う役をして来たというのです。それゆえに、イエス様もこの地上に来られて「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と言われたでしょう? 自分も同じように叩いてはアベルの位置を占めることができないというのです。カインを屈服させる道がないというのです。これが今まで宗教が行く道で一番理解できない道でした。

 宗教人たちは、なぜ家を出なければならず、なぜ犠牲にならなければならないのか? なぜ苦行をしなければならないのか? この問題を、今まで宗教を信ずる人自体も解決できずにいました。責任分担という言葉が出て来なかったならば、解決する道がありません。アダム・エバが堕落せずに神様の懐の内にだけ生きたならば、二十一年間に天宙の勝利的覇権者として登場するようになるのに、堕落することによって逆になってしまった。だから怨讐たちが全部四方に現れて、覇権者が現れようとすると、切ってしまおうとする。なぜか? サタンの部下になったからです。

 アベルが出て来てカインを屈服させた日には、天国がまわってくることのできる世界が生ずるので、サタンとしてはこれが生命線です。神様のすべての所有権を完全に奪われて、この責任分担という基盤を完成するようになればだめだと考えて、サタンは食い下がるというのです。神側の人の中で何が必要なのか? 互いに中心にならなければならないのです。主流になるためには、カイン・アベルの代表的な立場で、霊界と肉界を代表して、霊界のサタンを屈服させなければなりません。地上のサタンである長子を屈服させずには、主流の道を行くことができません。このような責任分担を担って宗教界を代表したのが、イスラエルのユダヤ民族、選民だったのです。選民が何かといえば、主流的なアベルの位置を選択した民族のことです。

 神様の作戦

 ところで、イエス様が来る時までイスラエル民族は、自分も知らずに犠牲になってきました。ひたすら打たれながらも対抗せずに、無条件に犠牲になりました。こうなると、何が起こるかと言えば、サタンが先頭に立って迫害するのを、その後(うしろ)にいて良心的な人たちがぶらぶらしながら見ているので、その人たちが全部押し寄せて来るのです。群れを成して集まるようになっているのです。善なる人を犠牲にさせて、周辺の良心的な人たちを動員させて、ここに囲いをつくる役をするのです。

 それで、個人的にアベル圏を成し遂げさせるために、個人的カインの前に犠牲になることによって、個人を中心とするアベル形態の良心的な人たちを糾合していく。良心的な人は、歴史時代の宗教人として落伍者であり、無能力な人たちです。こぶしを振り回せず、詐欺をできず、他人の物をゆすることもできないから無能力者でしょう? どこに行っても、ひたすら他人の僕の生活をして、全部奪われても何も言えず、そのまま追い払われて出て来るから、無能力者でしょう?

 そのような人たちが宗教を信ずるということがなぜ生じて来るのか? サタン世界の悪党たち、非良心的な人たちが全部嫌っても、仕方なく、その国の民として逃げることもできず、その環境を離れることができないから、くっついて生きなからでも忍ぶのです。その時は、中間でふらふらしているけれども、しかし、昼にはアベルが迫害されるのを見たので、夜には集まって来て慰めてあげる。分かりますか? そのようなことが起こります。一人を犠牲にし、十二人以上を糾合させる運動をするのです。

 それで神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦です。宗教人は知恵があるので、打たれながらも、無くなり去ってしまうようであるが、自然的勝利圏を獲得して出て来るのです。なぜか? 良心・本然の世界があるので、いったん決めて死の場に行けば、皆一緒に死のうとします。皆一緒に死のうとすることによってアベル圏を勝利すれば、神様がいつでもその基準で、アベルを探して立てることができ、それでアベル個人型を拡大させていきます。しかし、これに最も反対する人が自分の兄弟や自分に最も近い人です。そのように役事するのです。兄に反対させて、父母にさせて、夫にさせて、妻にさせて役事するのです。分かりますか?

 カインのタイプを知らなくてはなりません。カインは、遠い所にいるのではなく、最も近い所の父母がカインにならなければ、お兄さんがなり、お兄さんがならなければ、弟、妹がなります。夫がなるか妻がなるか。そうでなければ息子がなるかです。それで、イエス様がこのように言ったでしょう。「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも、息子・娘を愛する者は私にふさわしくない」と。

 アベルの行く道

 アベルの道を行こうとするならば、このようにすべてが反対する道を行かねばなりません。彼らが反対するとしても、忍んで耐えなければならず、彼らを愛してはなりません。愛はすでにカイン側に染まったので、愛してはいけません。イエスは世界的な息子なのだからイエスを愛さなければならないでしょう? イエスのために自分の愛する妻を捨てることができ、愛する夫を捨てることかでき、愛する息子・娘・父母を捨てることができなければなりません。自分の最も大切だと思うものを否定することができなければなりません。

 そのために、アベルになろうとする人は、自分を完全に否定する位置から出発しなければなりません。堕落した世界に自分がいるということは、その父母がサタン側にいるのですから、サタン側の息子・娘の立場にあるということになるのです。それで、自分を認めるようになればサタン側になります。それだから、原理で責任分担ということを知らなかったとするならば大変なことなのです。責任分担を中心として、これがひっくり返って、代わらなければならない蕩減路程を行っている事実を知らなければ、宗教世界が解けません。地上で解かなければ、霊界に行っても解く道がない。全部結ばれているというのですね。君たちが知っている責任分担の道を行くということが、どれだけ歴史的な福音であるかを知らなければなりません。

 また蕩減復帰がなければアベル圏を探すことができないし、アベル圏を探すことができなければ、父母が出て来る道がなく、父母を探すことができなければ、神様の理想世界を探す道がありません。そうであるから、すべての人間は、個人的責任分担、家庭的責任分担、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担がひっかかっており、これを解決できなければ、霊界、永遠なる世界までも天国と地獄が分かれるようになり、そこでも責任分担を果たさなければなりません。地上の天国、天上の天国下で神様が統治すべきであった本然の人間自体が堕落することによって、神はそれを成すことができなくなりました。しかし、堕落した人間といえども、アダム・エバの息子・娘に違いないのですから、これをそのまま、抹殺することができません。それで、復帰ということをしなければならないのです。

 今、考古学では、人間の歴史を八十五万年から百五十万年だと言っていますが、この内容を知らなければ、百万年の歴史も知ることができません。これを解くために自然神を崇めるようにし、太陽神を崇めるようにし、人を崇めるようにしたのです。太陽神、自然神崇拝時代、人間神崇拝時代があり、人間神崇拝時代は、ローマ文化圏を形成したのです。ギリシャ文化圏は全部人間神を崇拝しました。何々の神というのは、力を象徴する人だとか全部人の関係だというのです。これが全部、訓練なのです。それで宗教界に入って来て、特定のタイプを中心として、神様の代身崇拝時代に入って行くのが世界的宗教時代です。

 サタンの罠

 責任分担と蕩減復帰は絶対必要だということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)個人の責任分担圏が世界的にまだ覆われなかったし、ユダヤ教とキリスト教があっても覆われなかった。だれかがこれを覆うとするならば、メシヤを中心として、父母様を中心として、カインとアベルが一つになることによって、サタンを分別したという世界的な人物が出て来ない限り、難しいというのです。まだ、個人の責任分担、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担圏を整えることが一つも解決されていなかったというのです。分かりますか? これを解決するためにメシヤが来なければなりません。それはアダム・エバが分からないため、責任分担を教えてやることができないのです。いかにアベルに知恵があると言っても、神様は教えてあげることができないのです。それは、アベルの責任分担ではありません。本来の責任分担というものは父母にあります。

 だから、責任分担を完遂し、これを解く方がだれかと言えば、父母の位置に立つ方だというのです。父母が来なければならないというのです。父母の資格で世界史を代表して、責任分担の問題に責任を負って解決なさろうとして来られる方がメシヤ、救世主だというのです。救世主は何で救うのか? 責任分担で救うのです。サタンは、責任分担で首に食い下がって来ますが、責任分担を完遂しようとするならば、私の怨讐までも愛さなければなりません。サタンも愛さなければなりません。さもないとサタンはなぜそうなのかと食い下がるというのです。

 「神様! 私は堕落したものの、本然の位置は天使長ではありませんか? 天使長である私を、アダムを造る以前には愛さなかったですか? 神様は、正当な神様ですし、本来の永遠なる神様なのだから、変わることがあってはならないではありませんか? 私は堕落して変わったものの、あなたは変わることができますか? だから、あなたが変わらない愛を私にくださったという条件を立てることができなければ、アダムを探して行く道がありません。またそうでなければ、あなたが私に勝つ道はありません。」というのです。これは、蕩減、責任分担を意味するものです。

 だから、責任分担を確実に知らなければなりません。責任分担にかかっています。「あなたがアダム・エバを中心として責任を果たす時までは、私が彼を愛するのと同じく、あなたは私を愛することができますか? 責任分担を完遂したメシヤを探すためには、私を愛したという条件を立てなくては、探す道がありません」。その愛はいかほどか? 本然の天使長の位置にいたからこの世の人よりも、堕落した世界の人よりもっと強い愛だというのです。

 「すべての万物を創造した時、あなたは、私と共に相談して造ったではありませんか? アダム・エバを創造することによって御旨をなそうとするならば、私もアダム・エバと同じ位置で、愛に同席すべきです。その階級においては、私が彼等に侍り奉る僕の位置にいましたが、それは単なる主従関係に止まるのではないですか? だから、あなたが私を彼等と平等の愛の圏内で愛されるということは、間違っていなかったのではないですか?」とサタンが食い下がります。「神様が個人的アベル圏を越えて行こうとするならば、それは、アベル圏を立て、カイン圏を立てて、メシヤを育(はぐく)み出す道だから、その道にあっては、私を愛したという条件を立てることがなくしては、出て行く道がありません!」これが問題だというのです。何のゆえか? 責任分担のゆえに…。これが、今までサタンの罠だったのです。数多くの宗教人を殺したのです。どれほど血を流させ、犠牲になったか測り知れないというのです。

 無私の立場

 責任分担の路程で自分だけを考える時は、皆、失敗するのです。だから、反復しながら限りなく亡びの歴史として延長されて来たこの世において、神様が立ち塞がって選民圏を立てたというこの驚くべき事実を知らなければなりません。責任分担を完遂できるアベル主流圏を造らなければなりません。アベルを立てて何をするって? 責任分担を完遂するのです。

 そのためには、死ぬような場所であっても、「私」を意識してはいけないというのです。死ぬとしても、自分を意識してはいけません。エデンの園でサタンが自分を殺すということを考えてごらんなさい。君たちがエデンの園で責任分担を完遂する位置で、サタンが私を殺そうとする。神様が知っている。然るに意識しないことがてきますか? 死の前でイエス様も恐れたというのです。十字架を前に置いて、「父よ、できることでしたらこの杯(さかずき)を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の思いのままにではなく、父の御心のままになさってください!」これがひっかかったというのです。それは何か? 私の思い、父の御心、二つの思いではないか。これが間違ったというのです。今度の裁判問題で先生を御覧なさい。御旨が願うなら死の道も行きます。異議がない。イエス様のような言葉を言いません。見ている人たちが「先生は、蕩減条件も皆立てたのに、何がどうして?」と話が多いんです。サタンが首を打つとしても、「ああ、お父様、私を通じてお父様の仇を打ってくださいませ」。そうすればこそ、これを越えて行けるでしょう。理論的にそのようになっている。こうしてその主流が確定される時は、その主流の命令に絶対服従しなければならないと言うのです。分かりますか? (「はい。」)

 復帰摂理の複雑な背景

 個人的責任分担を完成してカインを屈服させた人たちは、殺されながらも、血を流しながらも行くのを見たので、自分たちも異議がないというのです。どんな悪口を言っても、異議がないという話なのです。私が個人で蕩減を受けることのできる恵みを一つだけ持ったとしても、それは私のような人が千万人死んでも、成し遂げることができない恵みだということを知らなければなりません。

 それで、イスラエル民族は、イスラエルのその個人を中心として、カイン・アベルを中心として、闘いをしました。エサウが殺そうとしたでしょう? それで自分が二十一年間に得たすべての財物を、僕であろうと羊であろうと財産全部を捧げたでしょう? 「殺してもいいし、殴ってもいいが、あなたの前に長子権を受けた祝福だけは奪わないでくれ。」と言ったでしょう? 長子権を受けなければならないというのです。カインが長子権をもってこの世を蹂躙しているというのです。父母の代わりに、長子は弟を支配できる権限が原理的には付与されているのです。だから次子の位置にいてはだめです。長子権を復帰しなければなりません。それで、彼のお母さんが手伝って蕩減復帰するために、彼のお父さんに嘘を言ったのでしょう? 天使長が嘘で騙されたのですね。聖書を見る時、なぜそうなったのかを理解できないのです。蕩減復帰を知らなくては聖書を理解できません。

 「ヨブ記のように、自分の娘が酒を飲んで、それで一体何が聖書なのか。」と言うかも知れませんが、蕩減復帰というのは、サタン側で行なうすべてのことを反対にしてて引っ張ってくるためのものです。このような道でも神様の為に行くときは、そのまま信仰で越えて行くことができる道が、いくらでもあると言うのです。たとえ殺人強盗であるとしても、愛国の為に敵陣に入って行って功を立てるとき、殺人強盗たちも恵みを受けて、福地圏内の祝福を受けて生きることができる民になり得るのと同じ位置に立つというのです。

 この地には妾の子が多く、ありとあらゆる立場の子がいますが、蕩減復帰の背後はいかばかり複雑でしょうか? それだから、事実、祝福を受けて生まれた君たちを私が売ってしまうこともできるというのです。一人売って、ソ連の国を救うことができるなら売るでしょう? 不満はないですか? (「はい。」)この世には、そのようなことが数えきれないくらいあります。タマルが祝福を受けたのは何でしたか? 自分の舅(しゅうと)の懐に入って行くのです。それも騙して娼婦の服を着て、血統を残すためにそんなことをしました。その血統を通じてイエス様が誕生できたのです。それを誰が分かりますか? その当時は、すぐに石に打たれて死ぬようになっていました。君たちには、それが分かりません。タマルは死を覚悟していたのです。

 自分中心の思いで、よこしまで怪しい行動をしたとしたら、全部ひっかかります。そのように厳格なのです。百ならば百、千ならば千、全部法にひっかかるようになっています。このような内容を原理で解明しない限り、全部亡びるようになっているというのです。だから、歴史時代に、いかほど多くの宗教人たちが犠牲になったことでしょう。犠牲になったその歩みは、全部皆、異端として烙印を押され、歴史はすべて流れてしまいました。そうして神様の復帰摂理は、少しずつ、もっと難しくなったという事実を知らなければなりません。

 ここで、鄭壽源(ジヨンスウウオン)のおばあさんの証を聞いたことがあるでしょうが、金聖道(キムスンドウ)おばあさんは、先生が出て来たから、今、孫娘が立って証することも可能となったのでしょう? 先生が出て来なかったならば、よこしまで怪しい宗教詐欺師でしかなかったのです。それが主様のためにすることなのかどうか、どうして分かりますか! 全部、先生が出て来たから、そういうおばあさんたちも歴史的な人物になったのです。今も霊界には、怪しげなことが多くあります。永遠の巻き物を解かなくては、霊界のすべての難しい問題を、地上の難しい問題を地上で解く道がありません。

 愛の成熟期

 この責任分担を徹底して分かっていなければならないのに、それをくだらないことだと思っていたでしょう? これを知らなければ歴史を解くことができません。責任分担をなぜ与えてくださったのですか。神様! 取って食べるなと言うのです。責任分担を与えられなければ思春期がなくなり、原理主管圏というものがなくなってしまうのです。思春期という愛の成熟期間があって、互いに相対性を知って、引力関係と同じように活動することのできる資格が出て来なければならないでしょう?

 責任分担をなぜ与えられたのですか? これは成熟期間である思春期を与えるためです。生まれながらに、赤ん坊の時から結婚が何か分かりますか? それで仕方なく成熟期間を置いて待たなければならないのです。女の人が四肢五体が皆成熟して、男の人も皆成熟するようになれば、自分が相対を取ることができます。

 アダム・エバが同じ園で、二人だけ住んでいるのにどこに行くでしょう! その時は、アダムがエバの手に触ってみれば、ふっくらとしているでしょう。エバは、アダムの手に触れてみると、とても硬くて気持がよい。よくできているのだね。その時は「愛するな」と言っても愛するようになっています。愛を教えるといって何を教えるのですか? その時まで待てば良かったのです。その時まで行けずに、成熟できない時に壊れたから問題なのでしょう。その実が熟していない栗のいがのように、形は同じようだけど、むいてみると実がない。種を構える所がないというのです。本質的な愛との因縁! 本質的な木全体との因縁を結ぶことができなかったので讒訴されたというのです。

 なぜ、責任分担期間を与えたのでしょうか? それは成熟するようにするためです。愛の力というのは、男女が一つに合わさるようになれば、もっと大きくなると言ったでしょう。成熟した愛の力をもって、夫婦が合わされば、女も男も大きくなっていきます。二人が合わさるようになれば、二人共皆大きくなっていきます。大きくなることによって、もっと大きい主体と対象の道を探して、最高の本然の種の実の位置に到達するために、全部探して行くようになっています。花の香りのよいその時がよいのではなくて、実を結ばなければなりません。

 責任分担を完成したか?

 今日、アメリカの若い子供たちを見ると、思春期に浮わついたまま生きて、実もなく死んでしまう。これは天道の背道者です。この宇宙の原則に反する悪人たちであり、大破壊主義者です。統一教会の食口はどうか? 世界を治めるために天の祝福を受けて、神様が双手(そうしゅ)をあげて祝福した貴童子が生まれるのに、産児制限をして首を切ったとするならば、これは人類に貢献することのできる天道の道を破壊してしまうのだから、そのお母さんはあの世に行って代が途切れてしまうというのです。分かりますか? (「はい。」)

 お母様がもし産児制限をしたらどうなったでしょうか? 天上、地上に統一理念を立てるための、神様の祝福の恩恵圏を破壊させた罪を負わなければなりません。それで仕方なくお母様も病弱でしたが、多くの息子・娘を産んだのでしょう? お母様は弱いけれども息子・娘は丈夫です。父母はそのように行くのです。父母は子供たちに食べさせ、子供たちを生かさなければなりませんが、どれほどか疲れることでしょう。しかし、疲れを耐えて、あるだけの精誠を尽くすときは、天の息子・娘が疲れを避けることができるように、天運が助けてくれて、我々にすべてを集めて来る。食べることを心配する必要がないと言うのです。だからと言って君たち、ひっきりなしに産みなさいという話ではありません。

 責任分担! 御飯を食べたいのなら責任分担を完成した口でもって食べなさい。完成した位置で、手が御飯を持っていってやらなければならないでしょう? また、目は美男子のようだったら、さっと見ても思い出に残り、気になってまた見たくなります。「その目! 君、責任分担を完成したのか? この目よ、サタンの目」と自分に言い聞かせるのです。それを考えてみましたか?

 原理的に見る時に、ああ、私が首飾りをする場合、責任分担を完成した首に掛けたのかどうか、と考えてみなければなりません。それだから、掛けるときは仕方なく、責任分担を完成できなかったけれども、許しを請いながら掛けるのです。私が活動するのに支障があるが、上の人が変に見るから、仕方なく首に掛けるときは、神様もどうすることもできなくて、「そうしなさい。」と言います。

 私は今まで指輪を一度もはめなかったし、時計はそこにあるものをつけて、先生はこのようにして生きるのです。先生は、世界、天宙の責任分担を完成したのかと問うてみます。統一教会の食口たちは、個人の責任分担から成さなければならないし、ある人は、三十六家庭ならば、家庭を中心とした責任分担があるし、先生は天宙を中心とした責任分担を完成しなければなりません。

 無情な蕩減の道

 大韓民国が問題ではありません。世界が問題でありません。私が行かなければならない責任分担を完成しなければならないということは、だれも分からないのです。しかし、先生が「だめだ!」と、思いきって一言(ひとこと)言うならば異議がない。恐ろしいよ。

 だから、私的なことがあってはならないというのです。責任分担を完成した後に、その時になって、国家に対する自由を得るようになるのです。その時になって監獄に行くことは眼中にありません。どのように天運の道を立てるのか? どのようにアメリカとこの自由世界を回すのか? これが問題なのです。自分が監獄に行くことが問題ではありません。この十字架の道を良く過ぎ行かなければなりません。そうでなくては、主流の位置に行くことができないからです。

 自分の息子を従えて、自分の妻を従えて一番良いという座に座れば、御旨はずっと後の方へ行く。だから、先生の生活は悲惨な生活なのです。私の家庭を愛することを知らないのではないし、私の子供たちを可愛がることを知らないのではありませんが、今まで過ごして来たその姿を見るならば三十六家庭の人たちを連れて、五十が過ぎ、六十に近くなっているのに、あの人たちのゆえに時間を皆奪われるんでしょう? それで先生の子供たちは不平を言わないでしょうか? 御飯を食べる時も同じ席で食べることもできないし、「お父さん、私ここで一緒に御飯食べるよ。」と、今までそうしてみることができなかったのです。しかし、その子供たちは、お父さんの保護圏にいるのです。静かに従順でさえあれば、天倫の位置で、自然に原理のみ言葉を知って、分別がつくようになれば、自分が皆分かるようになるのです。

 しかし、世界は先生の側にありません。カイン側を中心としているこれらを、私の側に造らなければ、自分の息子・娘に十字架が行きます。蕩減復帰路程を経なければ、息子・娘たちが責任分担を負わなければならないというのです。だから、千年を一日のごとくに「歳月よ、行け。」と言いながら、無法に膝まづいて世界の尖端を行って、世界を懸けて闘って行かなければならないと言うのです。

 それで個人の蕩減路程、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程まで越えなければならない。監獄を前にして闘うのです。

 人間復帰歴史に生命をかけて、死ななければ生きようと、マラソンをして来たイエスも、チャンピオンのメシヤとして来ましたが失敗しました。神様の息子・救世主として来ましたが、失敗したチャンピオンの道でした。何万年ぐらい走ったのか? 百万年以上人間たちは走ったけれども、ゴールインした人は一人もいません。すべてサタンの罠に陥ってきました。神様にどれだけ能力があったとしても、蕩減復帰、責任分担を解明できないときは、サタンが億千万年、「私の世だ。」と言って勝手にもて遊びました。しかし、先生の時代に来て責任分担を明らかにしたから解け出るのです。分かりますか? (「はい。」)責任分担を成すという、サタンと逆の蕩減復帰を成して行くのです。

 父母に会うために

 ​では、蕩減復帰をどのようにするのでしょうか? アベルを探すためには、カインを探さなければなりません。兄弟がお母さんの懐で二つの乳を飲みながら、「私のは、乳がよく出るが、弟のは乳が出ない。」とからかったり、足げにするようなことではいけません。弟が代わって兄のを飲んでも、双子の赤ん坊のように静かにいなければなりません。ペレヅとゼラは、互いに「自分が先に出てくるんだ。」と言って争ったでしょう? それではいけないというのです。兄が弟に、「お前、兄の位置に出て行きなさい。」と言わなければなりません。父母を迎えるために、父母を探すために、それを教えて知ることができるというのです。​

 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 我々は、今まで父母のいない孤児として育ったので、自分を中心として生きてきました。しかし、今や父母に会うことのできる道があるならば、私が何であろうとも、その位置を捨てて、弟の位置に千回座るとしても、父母に会うことのできる道がここから出て来るので、長子の位置だけでなく、アベルの位置まで全部譲ることができるのです。私の福をすべて捨ててでも、私の生命よりも父母を探すことが貴いので、長子の位置も放棄することができるというのです。この貴い父母に会うことのできる道がここにあるゆえに、私のできないことがありません。これこそ、父母ゆえになしうることなのです。

​ 世界統一圏の実現​

 それと同じ関係を、国家を代表する宗教と国家の間でつくるのです。互いが互いのためにする位置で、大祭司長の言葉を中心として一つになるためには、すなわち来られるメシヤのために、また父母に侍るためには、「我が国には準備が不足だから、あなた方教会が国のために準備して下さい。」と言わなければなりません。

 こうしたならば、イエスは来て、個人の蕩減路程、家庭の蕩減路程、氏族、民族、国家基準を完全に七年路程で果たさなければなりません。それで、神様を中心としてカイン・アベルが一つとなり、個人、家庭が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになるならば、一体サタンが侵犯するでしょうか? 原理的に侵犯できなくなっているのです。ローマ帝国から押し出されるとしても、イエスは亡びません。その当時、ローマは政治的には疲弊した状態でした。それで仏教圏をつくって、中国では儒教文化圏を中心として、昔の中東の中間に通ずるようになっていたのです。

 こうして、大ローマ帝国が太陽神を崇拝することに反対するようになれば、自然にイエスを中心として、アラブ圏統一を中心として統一されるようになっていました。そうならなかったために、「十二支派が祝福を受けた土地だ。」と言って争いになるのです。世界が分かれて、アラブ圏紛争、南北紛争、南米紛争、中米紛争、皆紛争ばかりです。共産世界と民主世界の紛争、サタン世界と神様の世界の紛争。これは、なぜかと言えば、アベル圏が設定されていないゆえに、アベルとカイン圏が一つになった基盤ができていないために、そうなるというのです。

 それで先生が今何をするのかと言えば、民主世界と共産世界の二つを一つにつくらなければなりません。それで、世界頂上会談を早く設け、そこに加わらざるを得ない基盤をつくって、ゴールインに追い込もうと、今準備して出て行くのです。これが一つになれば、世界統一圏が自然に現れます。

 民主世界でカイン・アベル圏が完全に一つになった位置に立つようになれば、そこに世界を代表することのできる分立が起こって、一つの本然の理想体制であり、創造理想である天国の本宮(ほんぐう)を引き継ぐことができ、地上世界の億千万年の主権を引き継ぐことのできる基盤が立つ。その上で、それが逆に世界に合わせることのできる形として越えて行くというのです。

 それで祝福を受けた君たち、この位置は易しいですか? 四千年間イスラエル民族を立てて、メシヤを送る約束をして、メシヤが来てなしたことは何でしょうか? 新婦を探して新婦祝福を受けなければならなかったのです。そうすれば、だれが祝福してやらなければならないのか? 神様は祝福してあげることができません。カイン・アベルが蕩減の責任分担圏を成して、基準ができる時まで、父母は国家的基台ができずにいたというのです。だから、国家的生活圏を成すことができず、愛することができなかったというのです。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.11.29 20:15:48
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