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2022.01.10
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「韓国は人類の祖国」

1989年6月18日
韓国・ソウル本部教会にて


 先生のたどってきた道

 この中で外国の食口は手を挙げてみなさい。日本の食口、ヨーロッパの食口は手を挙げてみなさい。その間みんな元気でしたか?(はい)。このように韓国に帰ってくると、また私は韓国の人になった気持ちがします。私は韓国の人でしょうか、他の国の人でしょうか?(韓国の人です)。言葉は韓国語を使い、姿形はアジア人で、行動は西洋人のような行動をしてきましたが、根本は韓国人なのですね。しかし先生の今日までのすべての行動は、韓国人の人とは異なり、アジアの人とも異なり、今世界に住んでいるすべての人々とも異なっているのです。そのために問題の人物とされながら、人類の歴史をつづってきた一人の代表者なのです。このように韓国の人や世界の人々と同じでないために問題になるのです。韓国の人として韓国で共に住めば何の問題もないのです。アジアの人として、アジアの伝統的文化背景を中心として、環境的国家体制圏内に順応していけば何も言わないのです。またアメリカや、ヨーロッパや、世界中のどの国に行っても、その環境的体制に歩調を合わせれば何の問題もないのです。ところが、特別に韓国が私を問題視し、アジアの中の日本や中国、またアメリカやヨーロッパ、さらにはアフリカのような第三世界までもが問題にしているのです。

 レバレンド・ムーンに対して、自分たちの文化背景、すなわち六大州の各国が誇るその背景圏内において融和しなければならないのです。もしそれが除去される時には、すべてに問題となるのです。このように見た時、六大州を中心としたこの地球上には数多くの民族が多くの国家を成していますが、その国家から「自分たちとは異なっている」と言われ、歓迎を受けなかった歴史的な代表者がレバレンド・ムーンなのです。分かりますか?(はい)。

 ここに来た皆さんたちは若い人が大半ですが、その背後を考えてみた時、そこには父母たちがおり、おじいさんやおばあさんがおり、そのような親戚を拡大していけば六〇〇〇万の南北の白衣の民族となるのです。北韓の金日成は今、全面的にレバレンド・ムーンを除去するための運動をしています。今日まで中国やソ連もそうでした。しかし今からはレバレンド・ムーンを歓迎する段階へ越えて行かねばなりません。アメリカも私を嫌って監獄に入れましたが、今やアメリカは私の後についてこなければならない環境に置かれているのです。また韓国もそうです。すべてに自分たちが最も偉くて、文なにがしは世の中の最も悪い人種の代表であり、歴史を代表して反対しなければならない怪獣の旗手であると言っているのです。最近も既成教会が反対しているようですが、本当に反対するのならば、この統一教会の根っ子を取ってしまわなければなりません。彼らは反対すればするほど、どんどん後退するのです。そのような反対を何のためにやるのでしょうか。反対して後退し、また反対して後退し、どんどん後退していくのです。

 アメリカのキリスト教がいかに連合して反対してきても、私を除去することはできませんでした。またそのような内容もありませんでした。キリスト教の文化背景を中心として、アメリカが私を除去しようとしましたが、私に屈伏したのです。アメリカのキリスト教文化圏のすべてが、レバレンド・ムーンの思想に手を挙げたのです。さらに思想的世界においては、民主主義と共産主義の思想体系を総合して私に攻撃してきましたが、それも今や全面的に吸収される段階に入ってきました。皆さん、共産主義の世界を見てみなさい。私が「一九七三年になれば限界線が来る」と話したとおりです。

 第二次世界大戦以後四十三年たてば、韓国の時が来ます。しかし四十三年を越えても世界に向かって整えることができなければ、韓国は混乱状態になり、家を持っていたとしても誇ることができず、国を持っていたとしてもその国を誇ることができない、混乱状態に陥っていくのです。それで今や世界中の情報は、レバレンド・ムーンが韓国で何を話しているかということに焦点を合わせているのです。共産世界も民主世界もそうです。

 アメリカも要人を送って、先生が政治的発言をしていないかどうか注目しているのです。政治的発言はさておいても、レバレンド・ムーンがどのような内容の話をしているのか知っていますか。レバレンド・ムーンの宗教的話の深さを知っていますか。

 母の体内にいる子供は、父母の言葉を聞きたくても聞くことができず、見たくても見ることができないのです。それはまだ人としての立場に立っていないからです。このようにいうと失礼かもしれませんが仕方がありません。そのようになっているからです。ここに初めて来た人は、文総裁は非常に独裁的な宣布をすると思うかもしれませんが、独裁者といえば先生ほどの独裁者はいないでしょう。今や世界中の青年たちは、東西南北で誰の言うことも聞かず、いかなる宗教的背景も信仰的な面も皆かなぐり捨てて、自分勝手に生きて、自分勝手に結婚しようとしているのです。そのような人たちであっても、「このようにしなければならない!」と言って恐喝、脅迫してはなりません。そのようになれば、すべてが滅びるのです。しかし、そのような人も自分の一生を思ってみた時に、この文先生に生涯を投入しても決して損にはなりません。皆さんは三六〇度のいかなる環境に置いても、損にはならないということを知っているために、先生が何かやりなさいと言えば、そのごとくにやるというのです。また、やってはいけないと言えば、けしてやらないのです。それでもし私が、「ソウル中のトイレを清掃しなさい」と言えば、彼らはすべての家のトイレを訪ねていくことでしょう。

 そのようなことは、国の王様の命令でもすることはできません。大統領の名前でもすることができません。その国に偉大な学者や宗教指導者がいたとしても、そういうことができるでしょうか?(できません)。このレバレンド・ムーンには何か特別なものがあるのかもしれませんが、「これをやらなければならない」と言えば、「そうです」と言って皆が従ってくるのです。強制ではありません。「やりたかったらやるし、やりたくなかったらやらなくていい」と私は言うのです。皆すべてを知っているのです。結果がどのようになるかということを知っているのです。このようになって橋を渡っていけば都市があり、都市にはよいビルがあり、ビルに入っていけばバンケットが始まるというのです。そのバンケットの貴賓席に座って、舞踏会に参加し、踊りを踊ることができるのです。豪華絢爛な装飾を整えて正装し、舞踏会で踊りを踊ることができるのです。それは地上世界のみがそうでなく、永遠の世界もそうなのです。このように夢があるのです。

 ですから、このように回り回って、部落で問題になり、村で問題になり、郡で問題になり、道で問題になり、その次は国で問題になるのです。「彼を追い出せ!」と言われるような、その国での問題のチャンピオンとならなければなりません。その次は、世界で問題にならなければなりません。世界中から「あの人は駄目だ!」と言わなければなりません。それが先生のきた道です。そして勝利したのです。ですから先生に対しては、たとえボクシング選手で、いくら連戦連勝のチャンピオンのネームバリューを持っていたとしても、一度ノックダウンされれば、その日からは反対に勝者に仕えなければなりません。(はい)。たとえ仕えなくても、知って侍らなければなりません。それと同じことです。

 最後まで耐え忍ぶ人は救われる

 世界でも小さなこの大韓民国は誰も知りません。まして盧泰愚大統領を世界で誰が知ってくれますか。世界で盧泰愚大統領を知らない人はいますが、この文総裁は世界的基盤を持って、よく知られているのです。そして二十四時間話をし続けても終わることのできない話をすることもできます。一度やってみましょうか? 皆さんは謝礼をどれくらい出しますか、入場料をどれくらい出しますか。(笑い)一億ウォンではあまりに少なすぎます。いくらずつ出すつもりですか?(持っているものを全部出します)。さあ、いくらずつ出しますか?(笑い)。それは皆さんが何のチケットを持ってきたかということです。何のチケットを持ってきましたか? 何の特権を持ってきましたか。

 統一教会の皆さんは先生を知っていますか?(はい)。では、先生の何を知っているというのですか。この顔を見たからですか。写真で見た顔は先生の代用品です。これが実体です。写真の実体がこのレバレンド・ムーンです。さあ、先生を本当に知っていますか?(はい)。神様も先生を知らないのにですか?(笑い)先生も自分を知らないのです。統一教会に三十年もいれば、霊的に高まって多少は知っているかもしれませんね。ですから、先生がいつ帰るかということを皆知っていて、通知も電話もしないのに飛行場に迎えに来ている人たちが多くいます。そういうことはこの社会では理解できないことです。次元が異なるのです。地平線以下にいる人にはいくらやっても分からないことです。そういうことを見ても偉大な統一教会なのです。

 そのように偉大な統一教会なのですが、皆さんはどうですか? 統一教会と言えば、その中心はいったい誰ですか?(真の父母様です)。世界が統一教会を知らなくても、レバレンド・ムーンのことは知っているのです。私は教祖ですか。逆に言えばカトリックで主教でないでしょうか。(笑い)主教と教祖は同じようですが、それは反対です。教祖は正常です。ですから、主教たちが来て侍らなければならないのです。統一教会に来て僕になれというのではありません。侍ることが原則なのです。先生は、再臨主というためにどれほど迫害を受けたかしれません。死の恐怖をどれほど越えたかしれません。しかし、そういう話をしないようにしているのです。

 今日ワシントンにおいて、世界を支配する高層ビルの頂上の安全椅子に座って、「この者たち! 世界は私の膝の下で治められるのだ。私の足の先で動かすのだ」と言って、誇っていた人々が先生の世話にならなければならなくなったのです。これは本当に不思議なことです。また、私が何かやるたびにホワイトハウスから国防省までが問題とするのですが、アメリカの国防省の問題においても、このレバレンド・ムーンが貢献したことが多いのです。このような話をすれば、韓国の国防部長官は私が、「よく嘘をつく」と言うことでしょう。これは国防部長官が知るはずのないことです。また参謀総長が知るはずのないことです。韓国の大統領が知るはずのないことです。千年後を計算するコンピューターの結論をいくら途中で掘り下げて顕微鏡で見ても結論は出せません。しかし、最後になれば分かるようになります。それで聖書に記されているように、最後まで耐え忍ぶ人は救われるというのです。

 では、統一教会の群れは最後まで耐え忍ぶ群れですか?(はい)。今「はい」と言った人の夫を先生が奪っていってもいいですか。また、息子、娘を連れていっても構いませんか。それでも「はい」と答えますか?(はい)。それならば公開することはないでしょう。なぜこの話をするかといえば、この統一教会はどこにいくのか、また大韓民国はどこにいくのか、世界はどこにいくのか、世界的人物といわれるレバレンド・ムーンはどこにいくのか、神様はどこにいかれるのか、これが問題なのです。創造された立場から見れば、いかなる存在もそのような結論を必要としているのです。ですから生まれて見て、女性たちは「私はなぜ女として生まれたのか」と言うのですね。あなたは日本の女性ですか?(はい)。なぜここに一人で来ましたか? 韓国の言葉が分かりますか。(はい)。「私はなぜ日本の女性として生まれたのか、韓国の女性として生まれていたならば、先生の話を自由に聞くことができるのに、聞いても分からず、どれほど息苦しいことでしょう」と思っているのですね。

 それでは、女性は自分が女性として生まれたのが不幸でしょうか、幸福でしょうか? 統一教会の信者たちに、「女性として生まれて不幸ですか、幸福ですか」と聞いてみると、どんな答えをするでしょうか。(神様を恨むようなことはしません)。皆さんは神様を見たのですか。(笑い)今日はこのような話をして一日を過ごしましょう。私は一生の間どれほどストレスが積もったことでしょうか。(笑い)そのストレスを晴らさなければならないのです。(笑い)

 それでは、統一教会の人たちは女性として生まれたことを幸福に考えますか?(幸福です)。もし女性として生まれなかったならば、統一教会に入ることはできなかったでしょう。女性として生まれたために、神様が必要とされて統一教会におくってくださったのです。もし男性として生まれていたならば、統一教会には入れなかったのです。ですから、女性として生まれたことは不幸ではなかったのですね。(笑い)

 こういう話がよく分かる統一教会の信者たちはIQ(知能指数)が高いというのです。ですから世界の人々は、統一教会の人を無視していては大変なことになるのです。私がアメリカにいた時、「アメリカはこのような大国なのに、アジアの小さな国から来てワシントンの重要都市を掻き回すのか!」と言って打ってきたのです。「お前は気が狂った男であって、精神がどうにかなった人間である。このアメリカがどういう国なのか知っているのか! 無知な韓国人よ。韓国は動乱の時から全部火の海となって何もないのに」と言ったのです。私は無知なのでしょうか。私はこんなに賢明なのですが。(笑い)このごろになってようやく、「偉大なレバレンド・ムーンが来られた」と言っているのです。こういう話をなぜするのかというと、先生に対してアメリカは反対していましたが、今や「行かないでください。あなたに行かれては生きていけません」と言っているからです。

 真の愛によって和合される男性と女性

 さあ、そうなった場合に私は素晴らしい男ですか、素晴らしくない男ですか。素晴らしい男の反対は何ですか。素晴らしくない男という言葉は私に合いません。もし私が今独身者であるならば、私に求婚しない女性は一人もいないでしょう。(笑い)この世でこういうことの言える男性はどこにいるでしょうか。そういう男性はどこにいますか。おばあさんと嫁、その嫁の娘、そのように三代を呼んでおいて、「おばあさん私を愛しますか。私が好きですか」と言えば、「愛して好きであるばかりでなく、死んでも死に切れません」と言うのです。(おばあさんの食口が「アーメン」と言う)。(笑い)現におばあさんがそう言っているのです。また嫁は、「このおばあさんは、私がしようとする話を代わりにしているのです」と言うのです。「おばあさんは思っているだけですが、私は行動します。統一教会に行って、文先生の後に従って歩いて何をするかというと、誰も一度も手も握ることはできず、キスも一度もできないのに、私は今や文総裁の手首をつかみ、キスもしてみようとします」と言うのです。それで、そのような女性の群れのために私は有名になり、悪口もたくさん言われたのです。(笑い)

 女性は座る時に、スカートをこのようにして(先生がしぐさされる)膝を揃えて座らなければならないのに、統一教会の女性は気を抜いてこのように勝手に座っているのですね。それで女性の家で有名になり、悪口もたくさん言われました。このように女性のために先生は悪口を言われたのです。女性として生まれたことは幸福ですか、不幸ですか?(幸福です)。では男として生まれた者はどうですか。「ああ、この社会で生きていても、やることはないし、気に入ることはないし、息苦しくて男性として生まれたことが恨めしい」と、言いますか。ある父母と息子がいて、息子の外見は素晴らしいのに父母の外見は醜く、それで、その父母の外見を見て立派な息子が、「ああ、父母は私を生んで、このように苦労されたのか」と言うでしょうか。これが問題なのです。

 男性として生まれた者は、私は過去の歴史を代表して誇ることができ、世界の男性の代表として、未来の後孫の男性に対しても誇ることができ、「神様がいれば、神様が私に似なければならない。私は神様に似たくはない」と言いたいのです。もしこのような男性がいたとしても、神様は「この者、神がお前に似なければならないのか、私がお前に似て喜ぶことができるものなら似たい者だ。一人でいるよりも喜べるならば」と言われるのです。「そのように喜ぶためには、何を中心として似なければならないか」と神様が尋ねれば、「私が好きな愛に神様も似なければなりません」と言うのです。その時、神様の答えは、「おお、この者はたいしたことを言う、そのとおりだ」と言われるのです。そこで、「神様も愛が好きであり、天下を取った私という男性の愛を中心として、歴史上のいかなる男性であっても私に似なければならない。私が標本である。私を中心として測定しなければならない。また世界中の人類を代表しても、私は愛の標準である。さらに、未来においても私が愛の基準とならなければなりません。神様もその愛に相対したいでしょうか」と、このように問うことができるのです。その時には、神様も「あなたに似なければならない」という言葉が正しいのです。なぜかというと神様も愛が必要であるからです。それは何の愛ですか?(真の愛です)。

 小学生のころには、「愛」という文字を書く時、「人」と書くことが多いのです。「愛」という文字と「人」という文字は、似ているのです。韓国語ではそうなのです。英語の「マン」と「ラブ」は違うのですが、韓国語の「サーラン」と「サラン」は似ているのです。愛がいいですか、人がいいですか? 男性がいいですか、女性がいいですか? 男性であっても女性であっても、みんな愛が好きなのです。愛によれば男性が生まれても女性が生まれてもすべてが良いのです。愛には通じないことはありません。愛を中心として似た形態は、万国が歓迎し、万世が歓迎し、歴史が歓迎するのです。真の愛で和合された男性と女性が笑って写した写真は、世の中の傑作品の中の傑作品です。それ以上に価値のある写真はあり得ません。どうですか? 夫婦同士で移した傑作写真は、愛の花が咲いてその香を宇宙に発散させるほどに満足して、細胞までもが笑い出すのです。

 そして、男性と女性が一つになって「ああ、離れてはいきることができない」と言う、愛の化身体となったカップルの写真が傑作賞を受けるのです。どうですか?(アーメン)。前にいてアーメンと言う人は口を慎みなさい。後ろにいる人に対して聞いたのです。前の女の人たちが朝から運勢の悪い声で「アーメン、アーメン」と言うのですね。愛の痕跡のない芸術はいくら美しく、いかに立派だと言っても価値がないのです。そのように日常生活を中心として見た時、愛の花の香りの中に浸って生きた男性的姿、女性的姿をもって、天地が和動する中において、葉なの中の花として二人が出会って和合した花の蕾のようなその姿は、宇宙博物館において最高の王者の立場に立つことのできる傑作品に違いありません。どうですか?(おばあさんの食口が「アーメン」と言う)。

 文総裁の生涯は愛を中心とする歩み

 皆さんは、先生の手がどうして黒人の手のようになったのだろう、と思っているかもしれません。私は黒人と共に生活してきたので黒人になったのです。それで黒人の手のようになったのです。真っ黒でしょう。黒人世界で生きてきたのです。外の人たちが休養している時に、この文総裁は海へ出ていって、海中のすべての魚類を調査したのです。これからは人類の食糧問題が重要であり、この食糧問題を解決するため、万国の基地を造らなければなりません。その養殖問題を中心とした教材を作ってあげようとして海に行って研究したのです。

 あの中国などでは河が多いので飢え死にしないのです。アメリカは海岸地帯のフロリダやマイアミなどには高層ビルがあり、ニューヨークやワシントンではパーキングビルがあります。自動車の家です。そのような高層ビルに、これからはフィシュビルディングが生まれてきます。魚の養殖ビルです。ボタンだけ押せば二十階、三十階でも、なまずを育てることができる養殖ビルが建てられるのです。今やそういう構想を実践に移す時です。

 アメリカにおいて生産される肉の中で、常に王座を占めている肉は何でしょうか。人間が最も好む肉はどのような肉なのか全部研究して、生産するには原価を少なくして、生産価格を操縦しなければなりません。そのために、私が教えてあげなければならないのです。私は海に出て行って魚釣りをすれば、常にチャンピオンなのです。この私が呼べば、日本のどんな社長も教授たちもやって来るようになっています。そのように有名な人々を皆呼んできて、全部研究させるのです。その人たちは肉をよく食べるし、つりの好きなフィシュマンが多いのです。釣人は一度や二度で底がついたら駄目です。無窮、無尽でなければなりません。どんな魚をどのように釣るかということを知っていなければなりません。

 これからは水産観光の時代です。人間は文化生活をすればストレスが溜まります。ストレスが溜まればじーっとしていられないのです。中心がなくなるし、手と足だけが大きくなるのです。それで、そういうことをなくすために教育しなければなりません。何の話か分かりますか。これからの若い人は全部船に乗ることになります。女性たちも女船長です。そのために女性たちをアメリカで訓練しています。ツナは一〇〇〇ポンドのものもいます。アメリカの女性たちは、このようなツナを捕ると言えば家庭で大騒ぎするのです。今に統一教会のお嬢さんたちが半ズボン姿でツナ釣りをするようになれば、その様子を見て、魔女が生まれたと言うのです。それで、「そういう人たちを指導している文なにがしは妖邪な人だ」と、どれほど迫害を受けてきたか分かりません。文総裁はそのような面における戦いを経て、今日の基盤を造ってきたのです。すべて、戦って勝利して基盤を造ってきたのです。分かりましたか。

 では文総裁の生涯と、世界の歴史上の人々を見たとき、世界の歴史は人々の欲心のゆえに流れていく、常識的人間たちの習慣性によって流れていく歴史でした。しかし文総裁の歴史は違うのです。最初から最後まで違うのです。世の中の歴史は何年かたてば違ってくるし、何十年もたてばすべてが異なってくるのです。そして最後には皆流れてしまうのです。しかし、文総裁は最初から最後まで変わりません。それは何を中心としてかと言うと、愛を中心としているからです。人類はこうなければならないという愛を中心としているのです。

 歴史的に人間が歩んでいった道を、愛という課題をおいて見た時、いったい誰が合格するかといえば、文総裁だけが合格するのであって、皆落第なのです。現代の五十億人類が愛を中心として生きていくことにおいては、過去も文総裁の生き方が標準となり、現在も未来も文総裁の生き方を標準としなければなりません。それはなぜかというと、お金持ちだからでも、先生に権力があるからでもありません。ただ一つ愛を持って生きているからです。これからも一生そういうふうに生きていくのです。統一教会の人々は、そういう伝統を受け継いで、これからの歴史においてすべての人々がついてこざるを得ないような主流的な隊列を整える群れとならなければなりません。そのような愛の家に住み、愛の環境に満ちた国の民となっていくのです。それは世界でも同じであり、天と地でも変わらないというのが結論です。いくら文総裁の歴史が短くても、人間世界の数千年の歴史があっても、そういう愛を中心として生きたという歴史を代表した文先生の人生を除外することはできません。

 霊界に行った人々も、「文先生の人生は私たちが願っていたことです」と言い、この地上の五〇億人類も、「私も文総裁の生き方についていきたいし、これからもそうすることが私たちの願いです」と言うのです。「歴史を代表して、人類歴史上に初めてそのような道を行く代表者が文総裁です」と言った時、過去の人々はノーメンと言いますか、アーメンと言いますか?(「アーメン」です)。五〇億人類はノーメンと言いますか、アーメンと言いますか?(「アーメン」です)。数千年後の我が後孫たちはその時になって、「文総裁の言葉は間違っていたか、正しかったか」と問題になった時、「ノー」と言うでしょうか、「イエス」と言うでしょうか?(「イエス」です)。ですからいくら豊かに生活する人であっても私には自慢できません。自分はアメリカの大統領であると言っても、アメリカの大統領はレバレンド・ムーンの協助を受けていることを天下は知っているのです。先生を知らない人々は「文総裁にどのような力があるのか」と言いますが、私にはある力があります。愛の頂上で根っ子まで引っ張るようになれば、それに引っ掛からない人はいないのです。

 レバレンド・ムーンの愛の伝統

 韓国も政治、経済界が問題です。ビジョンがないからです。野党とか労組の機嫌を伺おうとするからです。そうではなく、哲学を持たなければなりません。先生は七十を超えたのですが、それでも青年には負けません。そういう若さがあるというのです。お母様のほうが先生の世話になっているのであって、先生はお母様の世話にならないのです。(笑い)力から見ても、何から見てもそうだというのです。愛のある人にはおじいさんも喜ぶし、おばあさんも喜んでいます。朴勝☆氏も喜んでいますか?(はい)。彼があの李承晩博士時代に国会議員をやっていた時、文総裁に侍っていたらどうなったでしょうか?(彼は知りませんでした)。知らないとは何を知らなかったのですか。天下に噂が広まって五代長官が私を殺そうと謀略し、中傷して牢屋に入れた梨花女子大事件を知りませんでしたか? 今になって年を取って死ぬようになったので訪ねてきたのではないでしょうか。文総裁はいくら世の中で悪口を言われたとしても、前後の道を全部整えながら歩くのです。愚か者ではありません。ですから、国会議長も私を訪ねてきて相談しなければならないのです。今はそういう時代です。

 今回、私にアメリカの大統領の就任式の招請状が来ました。個人としての招請状をもらった人は四人だけです。レバレンド・ムーンはその中の一人だったのです。(拍手)それで大統領就任式に参席しようと大騒ぎし、韓国の誰々が行くと言って誇っているのですが、先生は{私がなぜブッシュ大統領の就任式に行くべきなのか、彼のほうが私を訪ねてこなければならないのだ}と言って、行きませんでした。そういう招請を受けたならば、韓国の国会議員は五代新聞とか七大新聞に誇ったりして大騒ぎするのに、このレバレンド・ムーンは静かに漢南洞で過ごしていたのです。レバレンド・ムーンはそこに参席しなかったのです。そうすると特使を送ってきたのです。それは韓国の世界日報創刊記念晩餐会の三日前でした。それで「文総裁が韓国の世界日報を提唱したので、あなたはブッシュ大統領の特使として賛美する立場である、米国大使館の大使が祝賀をできないならばあなたが来て祝賀していかなければならないのではないか」と言ったのです。それで当日、彼に、「歴史が動いているということを一言話しなさい」と言ったのです。韓国の政治家の中にはいろんな人物がいますが腹のある人がいないのです。それで先生はこの男を一度テストしてみたのです。「今度の選挙の内容がどのようになっていったかということを韓国に公表しなさい。大韓民国の人々は、このレバレンド・ムーンのことを分かっていないのです」と言いました。

 すると、彼は壇上に立って、「ブッシュ大統領は、レバレンド・ムーンの支援がなかったならば大統領にはなれなかったでしょう」と宣言しました。ですからあの時、朝野の人々が、「ああ、文総裁の話は事実だったのだ」と知ったのです。そのように先生は生きているのです。素晴らしく生きているのです。分かりますか。

 先生が大統領たちの右の頬を打てば、「左の頬を打ってください」と言う時代になったのです。分かりましたか。彼のほうから「どうか私の家に来てください」と言うのですが、私がなぜホワイトハウスに行く必要があるというのですか。ブッシュやレーガンにはいつでも会うことができるのですが、私のほうが会わないのです。自慢したくないからです。彼らが先生の写真を持って誇りたいがために、写真を撮ろうとして訪ねてくることは仕方がありません。そういうことを誰が知っていますか。統一教会の皆さんも知っていましたか?

 そのように見た時、愛の標題を中心とした人生において、先生は歴史上を東西南北に駆け巡りながら悪い噂も出ましたが、結論は愛であったということをアメリカの国民が知るようになったのです。先生がダンベリーから出てきた後には、アメリカの法務省に問題が生じたのです。「レバレンド・ムーンを捕らえて監獄に入れたのは、アメリカの過ちであった」と言っているのです。西洋文化を創建し、これからも主役になろうとするアメリカ国民も、レバレンド・ムーンをよく知ってみると、普通の人ではないと気付いたのです。今や謝罪をしなければならないという声が高まっています。

 私がダンベリーでどのように生活していたかと訪ねていってみると、その責任者が、「一人の人の影響がこれほど大きいとは知りませんでした。レバレンド・ムーンが監獄に入ってくる前は道義的基準がありませんでした。しかしその後は、酒を飲もうとする人たちは皆隠れて飲むようになりました。また麻薬のようなものを吸う時も、私に見つからないようにと森の中に入って隠れて吸っているのです。以前はまた、けんかをすることも多かったのですが、どうして囚人たちがおとなしくなったかその時は分からなかったのです。しかし、レバレンド・ムーンが出ていって三日もたたないうちに昔の姿に帰ってしまったのを見た時に“ああ、一人の人が偉大な力を持っていたために、監獄世界で言葉なくこのような影響を及ぼしていったのだ”と、そのことがいつまでも話題になっているのです」と言うのです。本来こういう話は私がすることではありません。これは刑務所の調査官たちがダンベリーに入って調査した結果の報告です。

 先生はこのように監獄に行っても野原に行っても、どこへ行っても愛を中心として何かを残そうとして身悶えしながら辛い生活をし、悪口を言われてきたのです。監獄に入ってもこのように生きたのです。そういうような辛い人生を歩んでいるのです。そういう世界史的代表者がレバレンド・ムーンなのです。もし愛を知らなかったならば最もかわいそうな人です。分かりましたか。

 愛を中心として生きる歴史的代表の人を挙げなさいといえば、レバレンド・ムーン以外にはないのです。神様も愛を中心として人類と共に生きたいという、内心的情理を中心として見た時に、「私もレバレンド・ムーンのように生きたい、レバレンド・ムーンに似たい」と言っても、失礼にならないというのです。こういう時アーメンと言うのです。この者!(笑い)こういうときこそ手を挙げて、声を張り上げてアーメンと言えば、東西南北、天地が順応し、天と地が共にアーメンと言うのです。(アーメン)。そこから、笑いと喜びと平和の世界の新しい朝の黎明が始まるのです。そこで「感謝、アーメン」と言えば、すべてが終わるのです。(アーメン)。世の中の出来事がすべて終わるのです。私はそのようにして生きてきました。

 監獄生活の中では、先生に銃を向けないような人は誰もいませんでした。「あいつ、殺せ!」と言ったのです。しかし、今になって分かってみると、レバレンド・ムーンは自分たちと無関係の人ではなく、自分の父母であったのです。それが結論です。そのように迫害を受けてきた代表者が、私の骨髄の起源となり、人間の理想の基盤となったのです。父母の血肉を受けた息子たちが、そういうことをしたのです。ですからその父母に対して深刻に悔い改めなければなりません。この事実を知った時には、五〇億人類すべてが痛哭するでしょう。そして、その痛哭の後に希望の天国が訪ねて来るのです。そのためにイエス様がこの地上に来られる前に洗礼ヨハネが現れて、「悔い改めよ、天国が近づいた」と言ったのですね?(はい)。ところがユダヤ民族は悔い改めず、自分の父母を殺したのです。分かりましたか?(はい)。

 今は正しい指導者が必要である

 そのために万国はこれからレバレンド・ムーンの前に痛哭せずしては会うことができないのです。それはすべての国の歴史がそうであるからです。大韓民国の歴史もそうなのです。今まで大韓民国の大統領でありながら先生を迫害した人たちは、霊界で痛恨しているでしょう。梨花女子大学の金闊蘭、延世大学の白楽俊などもそうです。白楽俊という人物は、定州の人でありながら、統一教会を潰すために先頭に立っていた人です。このごろでは、北韓から来た群れが朝鮮日報を中心に一つの群れになっていますが、先生の故郷も北なのです。まるでフンブとノルブのようです。フンブとノルブは二人の兄弟ですが、勝手に騒いで最後はどうなりましたか? ちょうどそのように今日も迫害を受けてきましたが、最後には神様のそばに座って、この地上の人間が希望とする天国の王宮に入っていく時、先生が愛の兜を付けて神様と最初に出会えば、すべての事情が晴れて解放の世界と天国が始まるでしょう。

 ですから、まず金日成に付いていく群れのみが偉そうに闊歩するようにつくられているのです。皆さんの責任もないとは言えません。そうではないでしょうか。今、主体思想が乱舞しています。今日、韓国の戦いは何かといえば、盧大統領と金日成との戦いです。盧大統領も金日成の狡猾さには勝てません。それはすべてが皆知っていることです。最近の密入国問題も金日成の術手にあることです。今まで三十四年間、以北五道民を私に預けて防御しなければ、韓国の未来が困難であると言い続けてきたのですが、当時この文総裁の価値を誰が分かってくれましたか。

 最近では、先生は世界的なネームバリューを持って、大韓民国がいくら追い出そうとしても追い出すことのできない、そのような基盤を造ってきたのですが、あのころ先生の言うことを聞いていれば、大韓民国はこんなことにはならなかったのです。大学についてもどんなに警告したことでしょうか。数十年前から、「大学生たちは思想武装しなければならない」と言ってきたのですが、ああだこうだと理由を付けて拒んでいるうちにこのようになったのです。もし全大統領が私の話を聞いていたならば、今や韓国は世界の主体国となって、未来の太平洋時代において世界の崇拝を受けられる歴史的国家になっていたはずなのです。先生に世話になっていながら背反した者がどこに落ち着いて生きられるでしょうか。その時彼らは、「国の主人が二人いれば、船頭が二人いれば、その船は陸に上がっていく」と言って、「全大統領こそが主人であり、レバレンド・ムーンとの関係を切る」と言って、先生に反対してきたのです。先生がドイツにいた時です。このレバレンド・ムーンをおろそかにしてはなりません。なぜ先生がこのような話をするかというと、今や困難な政局に直面しているからです。韓国も金日成も、どうにもできないのです。文総裁しかできません。このことをよく知って、これからは皆さんが先生がどのように生きてきたのかを学んで、伝統を受け継いでほしいのです。先生は悪口を言われて生きてきたのですが、それは素晴らしい生き方でしょうか、どうでしょうか?(素晴らしい生き方です)。では皆さんもそのように生きなければなりません。(はい)。

 それで、これから韓国統一教会の祝福家庭は、全部世界に出ていくでしょう。皆さんが出ていって統一教会は滅びるでしょうか、栄えるでしょうか。それが世界救援のための一番の早道であるという時には、たとえ国が反対し世界が反対したとしても必ず実行するのです。ですから、祝福を受けた家庭の二世たちは、み旨に従っていかなければなりません。先生はそういう人です。父母はその国を生かすのであり、神様を解放するのです。根っ子が病気になれば枝を治療するのではなく、枝を何百、何千切ってでも根っ子を治療しなければなりません。分かりますか。これが結論です。そのように生きることです。

 最近、学者や退役将軍たちが「韓国を生かすことのできる人は文総裁のみである」と言って集まってきたのですが、それらの人々に向かって、「この無知なおじいさんたち!」と言ってあげたのです。大学教授たちが無知であるとは、いかに時代感覚に反した話でしょうか。しかし、文総裁を知らないということは、足の裏のように無知な人々であると言うのです。そのようにして、頭を下げさせてしまったのです。先生の本当の価値が現れるようになったのです。既に世界中の人々がレバレンド・ムーンを必要としているのです。ソ連や中国が私を必要としています。それはレバレンド・ムーンに侍って一つになればアメリカを追い越すことができるからです。それで韓国はどうですか。私は韓国の人ですか、日本の人ですか?(韓国の人です)。韓国は自国の人を奪われても、それは仕方がないのです。今まで問題が多かった人なので仕方がないのです。皆さんは決死的に先生を奪われまいとするのですか?(決死的に奪われまいとします)。(先生が笑われる)

 この文総裁は四十年間に何回監獄を行き来したことでしょうか。そうしながらも、その中において決して死なずに、出てきては、さらに大きなことを言っているのです。ここに既成教会の牧師たちがいれば気持ちが悪いことでしょう。「彼はまた大きなことを言っている」と言うでしょう。私は大きなことを言うに値する人間です。あなた方は全部共産党組織の嘘にだまされてしまったのです。ですから、立派な総裁に侍っていかなければなりません。この青坡洞教会は立派ですか?(はい)。場所が立派なのですね。

 日本の著名な博士たちは私に合うことを唯一の願いとしているのですが、私は一人も会ってあげないのです。ICUSの議長を三回も歴任した英国の有名な博士も、「もしニューヨークに行けば、文総裁に一度は会えるだろう。イーストガーデンを訪問できるかもしれない」と思ってやってくるのですが、先生はいつも彼をそのまま帰すのです。今までにイーストガーデンに来た人は数人しかいません。そのために彼らは、イーストガーデンの文総裁を一度訪問することが夢なのです。それで一度でも訪問できれば、それが百万ドル千万ドル一億ドルの価値となるのです。その世界で、「文総裁のイーストガーデンに行きました」ということで大騒ぎになるのです。私はそれを知っているので、外の人たちには会ってあげないのですが、先日ユダヤ人には会ってあげたのです。アングロサクソンは駄目です。あなた方は少し待っていなさい。アジア人が懐かしくて涙を流しつつ、待っていなさい。会うことはできません。

 文総裁に会おうと、かつてダンベリーへ列を作って面会に来ましたが、アメリカの有名な人たちにも先生は会ってあげませんでした。先生は歴史を直視し、正しいことと間違ったことを判断する男です。そこに合う相対価値を持たずしては、レバレンド・ムーンに会うことのできる資格者とは見なしません。漢南洞公館にも誰も入ることができません。この間政治家の中で先生に会おうとする人がいましたが、人間は人間らしく生きなければなりません。先生は正義と悪の死の境地においても、自分の責任を遂行できる信念を持った男が必要であって、雑巾のような使い古したカードは必要ありません。

 今や、言論界においてもそうです。文総裁の思想と関連する内容を持って特集記事を組もうとするのですが、誰にも会ってあげないのです。先生の必要な時には会ってあげるのです。そのように生きている先生なのです。なぜこのような話をするかといえば、今は正しい指導者を探さなければなりません。何の指導者、何の先生でしょうか。この世にはお金を持った指導者も多いのです。会社の社長も多いのです。大学教授も多いのです。しかし、最近のお金持ちの社長たちの姿はどうでしょうか。従業員たちはデモをして騒いでいるのです。お金を持っても一人で食べてはいけません。必ず分けて食べなければなりません。大学教授とは死ぬことができないから生きている人です。学生たちの気配を伺いながら自分の立場を守らなければならないのです。今や大学教授は弟子たちにら致されて、ぶたれてその威信など話にもなりません。会社の社長たちも同様です。会社の運営を間違っているのです。最初はお金を得ることを人々は最も好みます。しかし、自分が社長になってみると、次の二世たちが唾を吐き、こぶしを振り回す標的になるのです。また教授や学者がいいと思って、そこに就職をしてみると、全部そういう姿になってしまっているのです。政治家も全部そうです。

 最近世界中の大学がこぞって先生に博士学位を与えようとして騒いでいます。自分の学校の名前が出てくるので、お互いに博士学位を与えようと騒いでいるのです。先生は博士になることを願いません。先生は博士を教える立場なのです。私が博士学位を与えなければならないのに、それを私がなぜ受けるのですか。これからノーベル賞を与えようとする先生なのです。受ける必要はないのです。

 こんな先生は素晴らしいですか? 女性から見た時、もしお嫁にいくとすれば先生のような男性の所にお嫁にいかなければなりません。そうですか?(はい)。それで、お母様はよく世話をしてくれます。しかし時に正座をして目を真っ直ぐ見る時は怖いのです。それを知っているのです。それは立派に教育しておいたからです。そのようにお母様は多くのことを学んでいます。しかしもうおばあさんです。孫が八人もいるのです。十年後には一〇〇人くらいにはなることでしょう。この世界で女性として権威を誇ろうとしたら、お母様について来ることができなければなりません。お母様ほどに内外共に整った女性となっている人を知っていますか。女性たちは知っていますか。それは何かというと、侍ると言うことなのです。皆さんはこのことをよく知らなければなりません。今日の説教はこれまでにしましょう。(笑い)

 皆さんはこのように生きてきた文総裁に出会って良かったですか、悪かったですか?(良かったです)。そのように生きてきた文総裁は、最近、男女を結婚させています。宗教の看板を立てて、世界の若者たちを祝福してあげているのです。先生は今まで約二五〇〇〇双以上を祝福してあげました。ですから、もし私が夜中に彼らの家を訪問して、二人で眠っている布団を取って、「この者たち!」といって起こしても、「この人は誰ですか」とは言えないのです。そこで、「私はあなた方に会いたくて、このように真夜中に訪ねてきたのになぜ戸を閉めて寝ているのですか。待っていなければなりません」と言うと、「ああ、おいでくださるとは知りませんでした」と言うのですね。アメリカ式では、「電話でもしておいでくださればいいのに」と言うのですが、「この者! 愛の世界になぜ電話が必要なのか」と言うのです。(笑い)そうなれば万事がOKです。

 この前他界したアメリカの有名な弁護士がいました。こう言えば皆さんは直ぐに分かるでしょう。共和党のレーガン前大統領の顧問弁護士もやった人です。彼が、「どうか私に一度だけでも会ってください」と言ってきたのです。それで私は、「あなたを個人弁護士にしようと思うので、興味がわいたら一度来てみなさい」と言いました。すると、彼はやってきました。それで約一時間半ほどの間に、彼を完全に溶かしたのです。それは武力で溶かしたのではありません。静かにいろんな話をしながら一時間半ほどの間にすっかり溶かしたのです。こうして一度その味を知った彼は、しきりに「土曜日ごとに会いたい」と言ってきたのです。彼は穏やかで、すっきりした人でした。有名な弁護士なのですが、「文総裁に一度会ってからは、私は女性が男性に恋すること以上の思いです。ですから、どうか一度あってください」と言ったのです。そうしているうちに彼は会えずに世を去ったのです。霊界に行ってみて初めて、「ああ、レバレンド・ムーンを普通の人のように思っていたが、霊界ではどういうお方であるのかを知りました」と言っていることでしょう。何の話か分かりますか。先生が好きになる妙薬があるのですね。(笑い)男性たちにもそうです。男性たちを千名集めておいて、約一時間だけ話をすれば、直ちに先生が主人になるのです。時間だけあれば誰でもそうなります。先生の中にそういう何かがあるために、アメリカの歴史すべてと、この世界を主管することができるというのです。

 統一教会とは、教会と名の付くもの全部を含む

 既成教会は四十年間反対してきましたが、このレバレンド・ムーンをうち倒せませんでした。追い出すことなどとんでもありません。そのような不肖な私ではありません。そういう複雑な過程の中で、四十年間も迫害を受けながら、銃弾一発も射たれずに今日まで生き残って、大きいことを言っている人は歴史上にレバレンド・ムーン以外にいないというのです。分かりますか?(はい)。それでこそ統一教会の食口なのです。このように有名な先生が現れたので、皆さんは故郷に帰り、おじいさんより三代を従えて、文総裁の教育の場に連れてきて訓練を受けさせることのできるリーダーにならなければなりません。

 統一教会とは、すべて教会という名の付くもの全部を含んでいるのです。キリスト教、カトリック、イスラム教、ユダヤ教などすべて集まることができるのです。そうして宗教を統一しようとするのです。最近、先生はシリアのモスレムの指導者に会いました。

 彼は四十年前、第二次世界大戦直後に啓示を受けて篤実なる信仰生活に入ったのですが、その時「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教を統一することにおいて、連合運動せよ。そうせずしてはこれからモスレムの世界は残らない」という啓示を受けたそうです。それで四十年間連合運動してみると、モスレムの人たちが歴史的怨讐として見えてきたというのです。十字軍戦争の時も、キリスト教と戦って勝敗を決したのがモスレムでした。それで彼は、そういう怨讐的見方を持ったために、モスレム世界の監獄に入れられてあらゆる迫害を受けたというのです。またユダヤ教から、「あの人は気が狂ったのではないか、私たちを見てどうしてモスレムと一つになれというのか!」と言われたというのです。キリスト教でもそうであり、どこに行ってもそうでした。そうして四十年を経て、今こそ宗教が一つになる時が来たと思ったというのです。先生が世界宗教議会を中心として、宗教指導者たちを集めて世界的な大会を開いて、宗教一致運動を始めているということを知っていたのです。先生がそこで何をしようとしているかということを知って、これはただごとではないと分かったのです。自分が四十年間運動をしてきても何の基盤もないのに、先生は既に世界的基盤を造って、また政治、外交、文化、言語などのあらゆる分野における基盤を持っているし、宗教界やあらゆる面においての旗手であるということを知ったのです。それらを見て感嘆したというのです。

 それで約二万名の責任者たちが集まったモスレムの集会で、「私は四十年間宗教一致運動をやってくるなかで多くの迫害を受けてきたが、今やこの世界は一つの世界に向かっていかなければなりません。宗教が一つにならずしては世界を収拾することができないことを神様が知って、こういうことを全部準備せよと言われるので、私もそうしてきたのですが、今やそのことを実践して、世界的版図を中心としてすべての宗教が反対しても従わざるを得ない基盤を造った方がおられます。その方こそレバレンド・ムーンなのです」と言ったのです。そして「私が今まで提唱してきた道を完結する現代の代表者がレバレンド・ムーンです」と結論づけたのです。(アーメン)。(拍手)

 先生はその人に何か強制したのではありません。霊界が、レバレンド・ムーンのみが今後宗教界のすべての壁を崩していくことのできる力を持った人であると教えてくれたのです。それで、彼なりのキリスト教に対する何かがあって、決死的に先生に会おうとしてやって来たのです。ですから、先生は会わなければなりませんでした。初めて彼に会って、国を代表した宗教指導者として彼をイーストガーデンに招待して神の摂理について話しました。

 先生は、そういう時には簡単に話をするのです。先生が説教するようになれば内容が深くなってしまいます。この前はワシントンで十二時間半も話しました。今日はその内容を簡単にまとめて話そうと思うのに韓国の人は受ける資格がないようですね。私の口調がなぜこのように冗談ぽくなっていくのか、先生の口を誰がコントロールするのでしょうか。畑を耕す牛を引っ張っていくように、引っ張られる方向に従っていくようになっているのです。

 それで先生は、こういうみ旨を持って歩んでいるということを話しました。その次に、内部の責任者たちが報告したことの話をしました。それで彼は、「自分はシリアの大統領の所へ行って何でも指示できる基盤を持っているので、帰国してからアラブ国家のすべての総帥たちを集めます。その時、文総裁が会ってくださるならば私は連れてまいります。それで許してくださいますか」と言うのです。それは許諾して良いでしょうか、しなくて良いでしょうか。そうすると国が引っ掛かってくるのです。モスレムの国です。イランとの戦いや中国とソ連の外交政策においてシリアが問題になっていたのですが、この人の手中で皆回ってしまうのです。こういうモスレムの頂上にいる人が先生に侍るようになったのです。彼らが贈り物をラクダに積んでやってくる時に通行禁止にすればいいでしょうか、通行禁止を解除しなければならないでしょうか。皆さん、どうですか? 門を開けなければならないでしょうか、閉めなければならないでしょうか。先生は民主主義の代表者ですので、私たちは民主主義に決定しましょう。門を開けなければなりませんか、それを閉めたらいいですか?(開けなければなりません)。開けなければならないという人は手を挙げてみなさい。それ以上の人たちは全部何ですか。手を挙げなかった人たちは手を挙げてみなさい。朝から悪口を浴びせてデモをするような人は一人もいないですね。(笑い)

 この統一教会に入ってきて文総裁を知った人は、教会を離れても一人で生きることはできません。反対する人に、「あなたは文総裁を憎みますか」と聞いてみれば、「文総裁は尊敬するのですが、幹部たちが嫌です。教会長が私に辛くしたのでこのような姿になったのです。誰々が私をこういう姿にしてしまいました。文総裁がそうするはずはありません。私は文総裁を今でも愛しています」と言うのです。いつだったか思い出せませんが、これは実際に起きたことです。急に道路にある人が飛び出してきました。それが誰かと言うと、元ムーニーです。私を見て涙を流して逃げていきました。その人はなぜ涙したのでしょうか。先生は直ちに分かったのです。「ああ、彼か」と。先生の前で話しもできず横道へ逃げていくその姿を見た時、“ああ、教会を離れてかわいそうな人になったなあ。再び訪ねてくれば先生が分別してあげよう”と思ったのです。先生は悪い人ではありません。一度手を挙げて約束すれば、原理を中心として約束したことを条件として、愛するために従おうとする人であり、反対したり排斥できない人です。それが原理の道だからです。先生自身がそうですから、彼らは先生を射つことができないのです。人は霊物であります。

 今日、既成教会の牧師たちは反対しているのですが、その信者たちは皆統一教会に来るようになるのです。そうなるか、そうならないかを見ていなさい。なぜ連日のように文総裁に反対するのですか。自分たちに何かくれと言うのですか、それとも自分の妻を強奪されたのですか。(笑い)むしろ彼らが貧しい時、隠れて学費を与えたりして、先生は既成教会にどれほど多くの投資をしてきたことかしれません。数十、数百億以上です。世界を回りながら反対する怨讐の子供たちのために犠牲となりました。今や世界はそれを知っているのです。それで信者がだんだん多くなって、これからは新芽が出てきて実を結ぶようになるでしょう。

 「愛の軌道に従って走る勇者となれ!」

 きょうの話はこのくらいにして題目だけ教えてあげましょう。(黒板に書かれる。白墨が折れる)ああ、これを見てください。書くなと言っていますね。しかし、このチョークに皆さんのために書けと言うのです。では誰の話を聞けばいいでしょうか。皆さん全部がそれを願いますか。きょうこれくらい話をすれば、これからの世界の動きがどのようになって、皆さんの行くべき道は分かったでしょう。簡単に話せば、歴史に残して行かなければならない道は何かと言うと、「愛の軌道に従って走る勇者となれ!」ということです。それが結論です。きょうの説教はこれで終わったのです。こうしてみると、先生は亡国の種にならなかったのです。分かりますか。亡国ではなく生国の種になったのです。個人は生きることにおいて、レバレンド・ムーンのようにならなければならないし、家庭も生きることにおいて、先生の家庭のようにならなければなりません。

 さて、もう一度み言の題目を書きましょう。新しいチョークはどこにありますか。この折れてしまったチョークは除きなさい。「シーッ」。(笑い)気持ちが悪ければ「シーッ」とするでしょう。(はい)。「サタンよ! 食べて出ていけ」と言うのです。(笑い)こうして蕩減復帰条件を立てるのです。(「韓国は人類の祖国」と書かれる)韓国が事実このようになれば、韓国の民は気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか?(いいです)。みんな泥棒のような根性を持っていますね。(笑い)功績もなく、それを得ようというのですか。

 チャンピオンは二人でしょうか、一人でしょうか?(一人です)。そうです。それが我が韓国の生んだ愛のチャンピオンです。歴史を代表し、宗教、文化、すべてが愛の因縁や内容を離れては存在しないために、人間の歴史において愛の論理を語るようになる時には、文総裁の生活や生涯は人類全体の各分野において過去現在における傑作品であるために、歴史を代表した世界的チャンピオン賞は大韓民国がもらようになるのです。分かりましたか。その傑作品の賞は人類の願いであるために、人類を代表して大韓民国がもらうようになるのです。また天と地のすべての願いの焦点でもあるので、天と地を代身して大韓民国がもらうようになるのです。(アーメン)。(拍手)このことは、世界の学者たちが研究しなければなりません。

 それで最近、有名な言葉が生まれました。レバレンド・ムーンは愛の鉄人だと言うのです。何の話か分かりますか。鉄人とは、鉄をはめられた人のことではありません。鉄の印を押した人のことをいうのでもありません。判子でもありません。(注:人と印は、韓国語では同じような発音である)愛の鉄人ということは、この学者世界ではレバレンド・ムーンであるという看板が背後にあるために、それを最も適切な言葉で表したのです。絶対に必要な内容の表象として登場する述語が何かといえば、真の男であり、成長して真の夫となり、真の父母となるのです。分かりましたか?(はい)。

 真の男になりたいですか?(はい)。このような愛の基準を通して成熟し、最も理想的な相対を迎えることのできる男性を真の男だというのです。そのような真の男を失った世界において、成長して配偶者を迎えようとする時に、互いに永遠を中心とする賛美の基盤の上で立って結ばれる夫婦が真の夫婦なのです。天と地が朝夕、四季を通して、そのような二人の家庭を軸として回りたいのがこの宇宙の動きであるために、そのような夫婦を中心として大きく回れば国となるのです。そして家庭には父母があり、子供たちがいるように、民が子供と同じ立場なのです。それが世界的な基準となった時、世界の中心的な王の立場がなければなりません。その次に民の立場が必要なのです。天と地を中心として、これは霊界においても同じなのです。この人類世界を見た時、そこには中心的な父母と同じようなものがあり、子女と同じようなものがあって、その因縁を中心として、その基盤や環境が愛の包括圏内から離れたくなく、そこで永遠に起居生存したいというのが存在世界の永遠なる理念なのです。

 先生は今やこのようなチャンピオンシップを取って、世界を一つにする作業をしているのです。ワシントンに行っても、「何! 文総裁が再臨主であっても何だというのか」と言うのです。今はそういう時代です。「その方がそうなのか」と言いながら政治家は目の色が変わってくるのです。日本も先生の言うことを聞かなかったので今やリクルート事件のために抗議を受けています。さらに今度は中国が大きな混乱を受けました。結局保守派が再び奪われた政府を取り戻したのです。今度保守派とリベラル派が戦うようになったのも、レバレンド・ムーンが一つの動機となっているのです。今やソ連もアメリカも全部が私の指導の下にあるのです。若い人たちは気持ちがいいですか? そういう秘密を先生が皆知って、この天地を握っているのです。韓国の指導者も先生が何か一言言えば、全部めちゃくちゃになるのです。ここに情報関係者たちも来ているでしょう。文総裁がこういう話をしていたと報告してもいいのです。

 ここの超党的な宗教指導者たちを全部先生がアメリカに連れていった時、夕食を招待して、「私たちと戦うのではなく、あなた方の身長がどのくらい大きいか、幅がどのくらい大きいか、自分自身をよく知って、世界に尽くしなさい」と言いました。世界は、そのように簡単ではないのです。今朝も食事が終わった後に、宗教協議会からの感謝の杯を贈りたいと言ってきました。先生はそういう感謝杯はあまり受けたくありませんが、どうか受け取ってくださいと言うのです。今後先生は世界の問題の人々を指導しているのですから、そういう内容の人が感謝状をくれなければならないのです。

 先生がアメリカを離れる時、もしブッシュ行政府が先生の言うことを聞かないようになれば、このアメリカは滅びます。先生の話を聞けばどうなるのか三年間見ていなさい。韓国の問題も簡単です。私たちは言論機関を持っているので、一週間の間にすべてが終わるのです。「共産党を好んでいる人は、北の共産国家に行って視察してきなさい」と言えば良いのです。「金日成と会ってきなさい」と言うのです。そこで大学教授などを全部、飛行機に乗せていくようにするのです。一度行って見れば、皆「金日成が一番悪い」と言うはずです。自由世界のアメリカの言論人たちにも、ソ連を視察するようにさせました。今度、七回目にソ連のモスクワを訪問するのです。今まで共産党の手先をしていた熱心な分子たちも、行ってきて一八〇度変わったのです。これは私がテストしてみた結果です。ソ連に行ってきて変わった人も北に行ってみると、卒倒してしまうでしょう。(笑い)目玉が飛び出して死ぬことになるでしょう。先生は北を知っているのです。監獄に入って彼らの組織の骨組みを全部知っているこの先生はだませません。先生は既に中国に七十八年から摂理を始めてきました。そして、八一年度に中国の高速道路を中心とする技術の平準化運動を提示しました。中国は共産主義から脱せずして十二億人口の生きる道がないのです。

 さらに一九八三年に、「ソ連帝国主義滅亡せよ」という大会を行ったのです。その時、科学者たちの中で「先生、なぜ大会を行うのですか。共産党は何百年たっても滅びないでしょう」と言っていたのです。「滅亡だ! 自信を持ってやりなさい。五年後の世界はこのように変わっていくのです。見ていなさい」と。題目を書いてあげたのです。ダンベリーに入っている先生に、その議長団たちが三回も訪ねてきて、その問題について相談しました。郭錠煥牧師も来て叱られたりもしました。「ソ連帝国は滅亡する」というタイトルを「滅亡するであろう」と書き換えたので、「この者! あなたは、議長団をやめなさい!」と、三回も気合いを掛けられて仕方なく発表するようになったのです。さらに、ソ連専門家たちや世界のキラ星が反対して騒ぎ立てたのですが、「見ていなさい。今にそのようになるか、ならないか見ていなさい」と。このようにして出発したのですが、このごろではみんな感謝しています。このように世界が変わったのです。ソ連帝国が滅亡することを知って、レバレンド・ムーンが天地を懸けた運勢を注いだので、そのごとくになったのです。誰も天地運勢を主管していく先生であるということを知らないのです。何の話か分かりますか?(はい)。

 このごろではどんなことが起きているかというと、ソ連は平和攻勢だとか、自由世界解放問題だとか言って、現在のゴルバチョフ政治改革が問題になっています。しかし、これを収拾せずしては自由世界に接近する道がないのです。ゴルバチョフは、自由世界の反対を受けていたレバレンド・ムーンが、不思議にも自由世界から歓迎を受ける基盤を造って今や、アメリカの指導層はすべてレバレンド・ムーンの修練所に入って教育されていると言うのを知っているのです。我々の自由世界経済体制と共産主義、社会主義体制は何が違うかといえば、所有権制度が異なるのです。個人所有と国家所有の差異です。この体制の異なった国同士をどのように変更していくかというのが問題なのです。それを折衷せずしては西欧社会との連結も不可能なのです。どんなに反対を受けたとしても、このレバレンド・ムーンを研究し、その人的構成要員を見ると全部が賢い人たちなのです。

 眠気が来るけれども先生の話を聞きたいでしょう。そういう時は口を開いて、「すみません」と三回あいさつをして蕩減条件を蘇生、長成、完成と立てれば大丈夫です。

 「郭錠煥!」ダンベリーで先生に気合いを掛けられながら、「五年後には共産主義が滅ぶ」と話したことを思い出しますか?(はい)。「これから五年以内には世界がどうなるか、分かりますか?」。ですから今やっておかなければなりません。そうすることによって、レバレンド・ムーンがいかに偉大であったかという歴史的基準が生まれるのです。「絶対に不平を言ってはならない!」と言ったのですね。

 最近では、議長団のカプラン博士が両極体制論において政治学世界で有名になりました。両極論を中心としてみれば、「韓国は六.二五動乱から両極になったのですが、一九八八年からは両極がプラス化されている」と言うのです。なぜそうなのか、なぜそうしなければならないのか。それは分からないというのです。知っている人は先生だけです。ハーバード大学政治学者であっても、歴史学者であっても何も知りません。ですから先生に学ばなければなりません。そのような高度な話を、きょうは皆さんにしてあげているのです。韓国は何ですか?(人類の祖国です)。この韓国がどのようにして人類の祖国になりますか。現在の韓国の指導者を中心として人類の祖国になることができますか?(できません)。

 先生は本当に不思議な人です。宗教指導者としていつの間にかすべての分野に基盤を造ったのです。そのようにしながら、これからは韓国の未来を中心として、橋を渡ることなく彼岸の世界へ飛び越えて、幸福の船の帆を上げているのです。気持ちがいいでしょう?(はい)。気持ちが悪い人は手を挙げてみなさい。(笑い)既成教会の牧師が聞いていたら気持ちが悪いことでしょう。既成教会の羊たちはかわいそうです。彼らは飢えています。羊たちが家を訪ねて父母の愛の餌を食べて、愛で太って、愛の喜びを持って幸福の安息所を捜すのですが、偽りの牧師たちにいくらついて行っても捜せません。見ていなさい。今に信者が全部既成教会を離れるようになり、大韓民国四〇〇〇万を失うでしょう。これから執事長老たちが全部先生についてくるようになります。今やアメリカにおいて、多くの人々を飛行機に乗せて、遊覧教育をしているのです。ですから、どんどん集まってくるのです。教授たちも、学者たちも、退役軍人たちも、著名人士もです。残る人はいません。全羅南道の有名な高等学校を卒業した人は何千名もいるのです。卒業式も五十九回目です。そしてその学校の卒業生は出世した人が非常に多いのです。そのような人々が今ワシントンに一八五名行っています。それで道では問題になっているのです。局長や課長が競って申請をしているからです。

 全州高等学校出身で出世した人たちをアメリカに一八〇名連れていったのです。行政庁や道の局長、課長たちは文総裁と席を共にしないと言っていたのですが、帰ってきた時には全部変わってしまったのです。ここにそういう人たちがいれば皆報告しなさい。きょうは清算するために話すのです。自分の今までの事情を話すのです。これは歴史に残ることなのです。

 日本を立てて、アジアの旗手としての基盤を造りました。もし日本ができなければアメリカを立てて、アジアの旗手とするでしょう。そういう基盤を造りました。今回、帰国した時、税関長が先生の所に来てあいさつをしたいと言うのです。そういうのは嫌ですね。「私は税関長です。文総裁よくお帰りくださいました」と言うのです。そして私のカバンを奪うようにして持っていくのです。(笑い)その人が先生にもっと早くに侍っていたならば、この国は栄えただろうに、なぜ今になってこうするのですか。よく見ると利用価値があるからなのです。彼らはどの雲から雨が降るのか分からないのです。この世の人はそういうようになっています。私はたくさんだまされました。苦い味、甘い味を皆味わって生きてきたので、この世をよく知っています。ですからやすやすとはだまされないのです。ですからそういう税関長を見た時、数十年の歴史の悲しい事情がちらつくのです。一言で、「よくやった文総裁。文先生、統一教会の教祖、世界の問題の指導をよくやりました」というのです。(アーメン)。(拍手)

 真の愛という力

 宗教の教祖の誰にでも先生は会うことができます。しかし、私は訪ねていきません。彼らが訪ねてくるようになっているのです。そのように生きている文総裁です。それは良いことをしてきたからですか、してこなかったからですか?(良いことをしてこられたからです)。ここにいる皆さんはどれほど立派なので、統一教会に入ってきたのですか、どうですか。このように年を取って、苦労の風呂敷がいっぱいぶらぶらと下がっていますが、入教して知ってみると、もう出ていくことができない人たちなのですね。片目を開けて出ていこうとすれば、この目が讒訴するのです。「出ていけばお前は死ぬだろう」と。鼻の穴を押さえて出ていこうとすると、風邪を引いたり病気になったりするのです。足で出ていこうとすると、この体が麻痺状態になったりするのです。これが統一教会の病気です。

 この文総裁に出会ってかかった病気は、治す薬がありません。文総裁の診断と処方に従っていく道以外にはありません。ですから世界が統一されざるを得ません。それでは、その処方の薬剤が何であるかというと、それは真の愛という薬剤なのです。統一教会の文総裁には魅力的な力があるのです。その力が何かというと、真の愛という力なのです。分かりましたか?(はい)。

 真の愛とはどれほど大きな力でしょうか。先生は、それを知って霊界に行けばどうなるかということを知っているのです。この世がどうなるかもみんな知っているのです。私は死に対しても既に生きて解決してきた人です。二十代において死の問題を皆解決しました。私には怖いものがありません。霊界がどうなっているのかということを明らかに知っています。そうでなければ私たちは生きられません。息苦しくて生きることができません。先生は昔、子供の時もそうでした。村のあの山の向こうに何があるのか行ってみなければ、気になって生きられなかったのです。あの先はどうなっているのか、周辺に何があるのか、そのような気掛かりをそのままにしておいて、どうして生きられますか。そういう性格の先生を神様が選んだところを見ると、神様は本当に知恵のあるお方です。本当によく私を利用しました。(笑い)

 それで私は、人生問題に対して多くの苦労をしてきました。人はなぜ生まれたのか。神様はいるのかいないのか。その根本を掘り起こしてみなければ死んでも、死に切れなかったのです。そうしているうちに統一教会の文総裁になったのです。原理の世界、膨大な秘密の世界、夢のようなその世界の真実を、現実社会の発展的歴史過程において数理的に合う今日の実践の場を発見した時に、人生がいかにあるべきかということを確実に悟ったのです。そのために、統一教会の皆さんたちは今や太平天地なのです。「私たちの先生の教えは間違いない」と信じているのですね。そうでしょう?(はい)。信じていますか、知っていますか? 二つの中の一つです。信じているか、知っているかです。「信じています」と答えれば落第です。皆知っているのです。

 それで今日先生が、このような統一教会の教祖として、神の摂理のみ旨を成就していく仕事をしているのです。信じてやっているのですか?(知ってです)。知ってですか? 既成教会の牧師たちは天国に行くと信じてやっているのですか、知ってやっているのですか。(信じてです)。目がすべて麻痺状態になっているのです。五感六感が麻痺して、神様が分からないのです。どうしてかと聞いてみても誰も答えられません。先生の所に来て大きいことを言っていた宗教指導者たちも、「もしもし、こういうことを知っていますか」と聞けば倒れてしまうのです。

 「私が知っているので教えて上げましょう。五分くらい時間をください」と、このようにして弟子を復帰することができるのです。数百年、数千年をとおして病気になっていた痼疾の指導者たちを瞬息の間に、私の前に跪かせることのできる秘法を持っているのです。皆さんは針を知っていますか。一回だけ刺せば麻痺した手が伸びるのです。それと同じです。ですから、世界中至る所で文総裁が必要なのです。ですから皆さんをして、私の代わりに行ってもらおうとするのです。そのためには、私に似なければなりません。

 皆さんは先生のように生きていますか?(はい)。夫婦同士で喧嘩などしていませんか。隣の人々から悪口を言われないで住んでいますか。「彼らは、二十四時間寝ないで、なぜあのように音をたてたり、讃美歌ばかりを歌って、祈祷する時には泣いてばかりいるのだろうか」と言われなければなりません。先生がそのように生きてきたからです。先生はどれほど憎まれてきたかというと、青坡洞教会で私たちが礼拝をしているのに、寝ていた人が裸になって出てきて、「こいつらの団体滅びろ!」と言われたこともありました。その人はこれから悔い改める日が来るでしょう。礼拝しながらなぜ泣いたのかというと、御飯を食べられないから泣いたのではありません。眠れないから泣いたのでもありません。この国が、このような姿になり、世界がこのようになったので泣いておられる神様を知ったからです。慟哭して泣かざるを得なかったのです。ですから私が代わりに悔い改めてあげようとして、代わりに鞭打たれようとしてきたのが統一教会なのです。ですから今までは苦労ばかりだったのです。しかし真の人生の道を求める人は、この教会を誰でも尊敬することができたのです。それは正しいからですか、間違っているからですか?(正しいからです)。(アーメン)。

 今や統一教会の時代が来た

 さあ、こういう話は長く話しても一言で話しても同じです。今や時が来たのです。来るなと言っても統一教会の時代がやってきたのです。では先生は自家用飛行機に乗らなければなりませんか、乗ってはいけませんか?(乗らなければなりません)。なぜ、何のためにですか? 神の威信、神の国の威信、神の歴史的伝統を残してきた昔の先祖たちの威信のためです。先生は個人的に飛行機を持ちたい人ではありません。​この世のサタンの子供たちは父を売って自分の好きなものを買うのですが、うちの孝進(様)は、「私は働いて、ご父母様が乗られる世界で最も有名な自家用車を買って差し上げたい。統一教会の幼い者たちを指導され、苦労されるご父母を慰めなければならない」と言って、この度ベンツ五六〇を買ってくれました。その次に英国の一番良い車は、何ですか?(ロールスロイスです)。それが世界第一の高級車ですね。その二台を買ってきて、「私はこれを買ったのですが、いかがでしょうか」と言うのです。​

 孝進(様)は良いことをしましたか、しませんでしたか?(良いことをされました)。(拍手)先生は車がないのではありません。いろんな車が数台ありますが、私はいつも最も悪い車に乗るのです。宗教指導者として良い車に乗って足を組んで咳払いをすることなど死んでもできません。それらを売ろうと思うですが、どうでしょうか? 私の息子が精誠を込めて、毎日街頭に出て働いているのです。そうしてお金を作ってくるその手を見て、父親はその車をもらわなければならないのかどうか、今苦悶しています。心が許さないのに、その車にどのようにして乗れますか。統一教会の信者の皆さんが代わりに払ってくれるならば乗ることもできますが、それ以外は乗る道理がありません。息子が街頭で血と汗を流しながら、雨の降る日も、雪の降る日も、土曜日も休みなく街頭で働いて毎日集めて、十年になるか二十年になるか分かりませんが、そのようにして月賦で払っていかなければならないことを考えてみた時、私がその車に乗ることができますか、できませんか? その車には死んでも乗ることができません。

 この前、ロールスロイスに乗って、一回りしました。すると、「なぜベンツの車に乗られないのでしょうか」と、孝進(様)がお母様に聞いていました。私には聞くことができないのです。父親を恐れているのです。私はそれほど恐れる父ではありません。面白い父なのです。しかし十代、二十代の成長期に自らが父親に対して縁遠くしたので、申し訳ないと思っているのです。それで、正面から私と目と目を合わせることができないのです。そのように恐れているのです。しかし、そうしながらも誰よりも私を愛しているのです。私が銃で射たれるような場にいるとすれば、自分が代わりに射たれる準備をしているのです。それを見ると統一教会には将来性があるというのです。そうでしょう?(はい)。それではその車に乗らなければならないですか、乗らなくても良いですか?(乗らなければなりません)。先生の心にはそれが重荷なのです。息子を苦労させて車に乗らなければなりませんか。それとも父親が月賦のお金を払ってあげなければならないのでしょうか。
 「郭錠煥!」(はい)。どう思いますか、そういうことを考えてみましたか?「金協会長!」。三軍の総司令官のような立場になってそういうことを考えてみましたか。

 先生の歴史は愛の資料である

 この前、六五一六双の結婚式の時、世界の人々がベンツ五六〇を一台贈ってきたのですが、なぜ飛行機一機ぐらいの贈物をして、もしそのお金がなければ、「先生お金が足りないので、少し貸してください。十年、二十年後になればお返しします」と。そういうことをしないのですか。ジャンボ機はどのくらいしますか。何千万ドルもするでしょうが、そのようにすればどれほど世界的に賛美されることでしょうか。「あの飛行機は六五一六双の国際結婚した人の贈り物です。それに乗って来ました」と言って、先生がインタビューに応じた時、その国の人々はどれほど喜ぶことでしょうか。そういう頭は回りませんか。「その時の祝福に参席していたのは私の国の誰々だ」と言ってあげられる氏、先生の滞在中は毎日のようにそのことが新聞などに報道されて、統一協会の食口になることが万年の栄誉になるのです。その宣伝価値だけでも、ジャンボ機の何十倍の価値があるのです。そういうことを考えた人がいないのですか。どうですか? 尹博士! そういうことを考えてみましたか。

 これは(先生が黒板の文字を示される)何ですか? (「韓国は人類の祖国」です)。人類とは何ですか? (世界の人々です)。それは、どれほど気分がいいでしょうか。悪いでしょうか?(いいです)。人類の祖国には数多くの国が入っていて、数多くの民がいるのですが、どこが最初の国ですか?(韓国です)。ああ、韓国の人たちは、平ぺったい顔をして多くの恵みを受けたのです。西洋の人は輪郭がはっきりした顔ですが、韓国の人は板のような顔をしています。(笑い)。何かを作っている途中でやめたように平べったい顔なのです。どうして目はあのように小さいのでしょうか。先生も小さくて、私が生まれた時には母親も目があるかどうか心配してジーッと覗き込んだというのです。めくらを生んだのかと思ったようです。私はどんなに目が小さかったことでしょうか。(笑い)よくよく覗いて見るとこれくらいの穴が開いていたというのです。それで、「ああ、目があるのだ」と言ったという逸話があるのです。

 目の形も観相学的に見ると、天下を主管できるかどうかを知ることができるのです。先生が見ると特にはっきり分かるのです。そして自ら、「私はこのように生きなければならない」ということを知ったがために、このように生きているのです。アメリカの人々にこういう話をすれば、つまらない話でも面白くてメモを取るのです。図書館にもそういう話はないからです。先生が図書館の泉となっているのです。結論はすべて私に学ばなければなりません。そういう意味において最も有名な人になったのです。では、先生は臭い匂いを出すことで有名な人ですか、香水の香りを出すことで有名な人ですか?(香水の香りです)。その香水の香りが統一協会の香りなのです。統一協会の香りは、いかなる地を回りながら、どんな悪口を言われたとしても、どんなに迫害を受けたとしても、どの村に行ってもこの香りがするのです。

 かつて先生がある村に入って行けば、その村の人が死ぬか病気になるか、そうでなければ豚が死ぬか牛が死ぬか、必ず何かが死んだのです。本当に不思議です。ですから多くの部落を訪ね回って、追い出されたことも多いのです。どんどん病気になっていくのです。この韓国も、私が帰ってくると病気になるのです。今病気になって大騒ぎしているのです。それで誰がその病気を治す処方を知っているかというと、先生だけがその処方を知っているのです。私の薬を与えればすべての病気は治るのです。

 ところが、統一協会の薬は嫌だと言って李政権も、朴政権も消えてしまったのです。先生のお母さんは北韓で虐殺されたという情報を聞いていますが、先生は父母が死んだことを恨んではいません。父母が息子のために殺されたのであれば、天上世界で生前に功を立てた聖人の名をもって褒めたたえられる何十倍もの立場になるという跳躍の動機を知っているために、私は父母のために一度も祈祷したことなどありません。何の話か分かりますか。

 子供たちに対してもそうです。今もこの場に子供たちが来ていますが、私が統一教会の教祖として世界の家庭の手本となっているために、子供たちにも十二歳になるまで、大きい娘も小さい娘も、寝る時間になれば毎日眠っている所に行って、祈祷してキスしてあげたのです。今はそれが忙しくてできません。お母様も子供たちに何もしてあげられません。しかし国のために、世界人類のために生きてきたと自負しています。ですから統一教会の文先生の生きた歴史の倉庫を見れば、個人の歴史時代に越えてきたすべての資料がいっぱい詰まっているのです。すべて愛の資料です。家庭はこのように生きなければならないという資料でいっぱいになっています。

 文氏一族に対してもそうです。カイン・アベル問題を教えてきたために、自分の息子、娘を愛する前にカイン家庭を千家庭、万家庭愛してこそ、自分の息子、娘を愛することができるということを教えてあげたので、それを率先して実践しているのです。先生は文氏宗親会の宗長になったのですが、それは大韓民国の時代が来たのでそういうことになったのです。今や文氏の宗中が大韓民国を収拾しなければならない時なのです。

 新しいアジアの建設に向かって

 韓国には文氏が四十万名います。彼らが先生に宗長として侍り、そのとおりに動けば収拾できます。先生の教えどおりに動けば、大韓民国は問題なく生き返るのです。それを宗長たちができないので、大韓民国の宗氏たちが集まった族譜会連合会、プリチャッキ連合会の総裁に私を引き入れたのです。それは霊界に教えられて造られた団体です。これから大統領選挙に出馬しようとする人は、この集まりを無視することはできません。宗氏長たちを全部合わせると全国の根が皆連結されるからです。それで出世のために、互いに争う場となり、孫会長が八年間総裁としてやってきましたが、他の人々が互いに総裁になろうとするのです。

 孫会長はすぐれた人です。理事会の時、理事の中の一人が、「きのう私は不思議なことに出会いました。この世では誰も信じることができない話ですが、不思議なことなので話さずにはいられないのです。私はきのう啓示を受けたのです。それは、この会の総裁問題を解決できることなのです。でも私の話を聞いて、気が狂った人として思われたらどうしましょうか」と言うのです。「一度話をして見なさい」と言うと、「きのうの夜、夢うつつに教えられたことは、総裁になる人は、一五〇カ国に基盤を持った五〇〇〇年歴史以来の愛国者であり、すべての先祖たちが崇拝することのできる現実的基盤を持っている文鮮明総裁しかいません!」と言うのです。夢うつつに、そういう啓示を受けたという話をしたのです。二十六名の理事たちはその話を聞いて、満場一致で総裁を文鮮明氏に決定したというのです。先生は世界でも長という名前が最も嫌いでした。しかしこの民族を愛するために、これを因縁として関係を結ばなければならない天運が訪れてきたのを知っていたので、「ああ、そうですか」と言って、受諾しました。

 それで六月二十三日、私は大韓民国の宗氏たちの総宗長となったのです。それは誰の名によってですか。文総裁の名によってですか?(神様の名によってです)。神様の名によってなるのです。先生はそのことの内容を聞いて、「ああ、神様がこの国を愛しておられる。私が責任を負わなければならないのだ」と思って、その推戴を受けて、今やその就任式のために来ているのです。それが終われば私は再び帰ります。世界的摂理をするために先生は行かなければなりません。

 それは、お嫁に行っていた女性が、離婚して、再びお嫁に行って子供を生んで帰ってきても、「もう一度親と一緒に住みたい」と言うのと同じようなことです。これは一つの先生の会心を今割引するように話しているのです。先生が韓国へ訪ねてくるのがうれしくて、「良く分かりました」と願わなければなりません。このような心がなければ金日成は去りません。デモが終わらないのです。私はそう言っているのです。それを誰が解いてあげることができますか。今日大韓民国は、それを分かっても解くことができないのです。アメリカの国民二億四〇〇〇万人、日本の国民一億二〇〇〇万を越えて、ヨーロッパすべての国を代表した最高の立場で、第三イスラエル圏を相続するための一つの民族の伝統が、天の糸がここに降りていることを知っているために、そこに相対的配偶の資格を具備せずにはいられません。先生の包みを全部解いて置きたくないと言うのです。分かりましたか?(はい)。

 ですから、きょう先生は割り引いて話をするので、なかなか口がよく開きません。ここにいる人々は全部雑多な妖邪な群れです。この人たちは全部落第の群れです。個人で落第であり、家庭でも落第です。先生に祝福を受けたのですが、全部手直ししなければなりません。

 アジア建設のためには、鍬を持って新しい開発に先立たなければなりません。先生が興南の収容所で肥料の山を掘っていた時に、怪我をした脛の傷が治るのを待つ間もなく私の近くの人たちを通して、持っているものを全部祖国の基盤を造るために、世界万民の解放のための仕事に投入したのです。ですから先生がどんなに悪口を言ってプッシュしたとしても、「あの老人、早く死ねば良いのに」などと言う人は一人もいないのです。皆さんは先生が結婚させてあげた人々なのですね。そうでしょう?(はい)。こうしてよく見ると、自分でいくら新郎を得ても、先生が決めてあげた人と生きることよりもはるかに劣るのです。三年間はトラブルもありますが、三年を過ぎれば皆ピタッと合うようになっているのです。

 それで、これから文化オリンピックを中心として、世界の約一五〇カ国の若い人々を集めて結婚式をして挙げればどうなるでしょうか。それを中国の地でやらなければなりません。

 先生はそう言う考えもしているのです。分かりましたか?(はい)。

 考えはまたそのごとくに成るのです。人々が成すのです。たとえ能力がなくても成すことができるのです。今シベリヤの土地は、宋の時代に全部中国の満州の土地だったのです。早く本当の主人を捜してあげなければなりません。渤海の民族が中国の大陸を全部占めていたのです。万里の長城を造った人々は韓国の先祖たちではなかったでしょうか。その祖先たちの土地を捜していくのに誰が何を言うことができるでしょうか。韓民族の古い土地を回復しなければなりません。それは、レバレンド・ムーンの思想と統一運動を通して可能ならしめるのです。韓国が人類の祖国になるということは、統一原理がなければ不可能であり、ソ連と中国が共産主義を捨てることも、統一思想のみが可能にすることを知って、皆さんが受け持ったそれぞれの任務に、さらに尽力してくれることをお願い致します。

 もし日本の食口が、祝福において韓国の貧しい家庭の男女と一つになれば、日本人としての歴史的な誇りとなることでしょう。韓国人口の三分の二の人々は、平均以下の生活です。それが嫌で泣く韓国の女性に対して蔑視するような日本の男性がいたとするならば、日本は悲惨な状態になります。日本の位置が落ちるのです。分かりましたか。

 今回、韓国の女性と結婚した日本の男性の中で東大の卒業生が十三人いました。そのほかも大部分の人々が有名大学の卒業生なのです。そんな優秀な若者たちが韓国に来て新聞配達をしたのです。これはどんなに立派なことでしょうか。歴史的出来事なのです。このような歴史的なことを成し遂げたということは、日本にとって千年万年も自慢できることです。これは日本精神の一大事件として称賛するに値することです。

 ここにヨーロッパのメンバーは何人いますか。手を挙げてください。私たちはこのように、世界一家族となって生きるのです。分かりましたか。先生は今、教皇庁の指導者たちと交流しています。今や世界的に自由の風が吹いて、若い男女が自由に結婚してしまうので、カトリックの神父や修道女たちがいなくなってしまったというのです。そこで先生はその解決方法を提示してあげました。それで今、新しいカトリック教派を設定する動きが起きているのです。(アーメン)。先生は今だからこそ公式的にこんな話をするのです。分かりましたか。

 先生の生きてきた道

 今、モスクワに統一教会の信者たちがどれくらいいるか知っていますか。ソ連の主要都市には皆入っているのです。先生はそれらの報告を受け取っているので、モスクワの実状を誰よりもよく知っているのです。そのため、情報世界でも私を利用しようとしています。地下宣教運動をしている統一協会員の中には、捕らわれて刑務所に入っている人もいます。皆さんは知らないでしょうが、先生はその日が来ると、お祈りせざるを得ないのです。そのような人々に対しても、先生は何一つ借りがありません。霊界に行けば皆愛してあげる道を開いているからです。このように、先生自身が命を懸けて戦ってきたのですから、先生に従う皆さんも、そうあるべきです。今でも雨が降ったりすると、先生はよく独り言を言うのです。そして、「世界中に広がっている統一協会員たちが、先生の名のゆえに軒先で雨にぬれて、寂しさに涙ぐみながら先生を慕い、先生に会いたくて、先生のために祈っていることを忘れてはならない。それは天地が知っており、空気が知っており、海が知っている。人の高潔さを要求しながら、その血肉に絡まって、精神に刻み込まれているすべてのものを無価値にしてしまうような指導者になってはならない」と誓うのです。

 彼らは、銃で撃たれて死ぬ前に「文先生万歳!」を唱えるのです。ただ一言、「文先生、長生きしてください。どうか千年万年長生きして、このような歴史的悲運が長引かないように私を身代わりとして、処置してください」と、願いながら死んでいくのです。そのような恨の祈りが残されているのです。そのような人々の上に立っている責任者であるということを忘れてはなりません。何の話か分かりますか?(はい)。

 考えてみれば、先生は誰よりもかわいそうな人なのです。なぜそのようにしてまでも先生は生きなければならないのでしょうか。神様を知り、人類がどこに行くべきかということを全部知ったがために、生きてきた結果が、このようになりました。何かを語ろうとすれば涙が先立つ心で、人類を見つめて、恨みの歴史の道をただ一人で歩んできたのです。

 金サッカ(注:金笠、本名は金炳淵、李朝時代の放浪の詩人)の歌がありますね。(先生が歌を歌われる)「竹杖に、笠をかぶり…。放浪三千里。白い雲の峠を越えていく人は誰か。十二の大門の離れの部屋に住んで、乞食をし、一杯のお酒を飲み、一つの詩を残して去っていく。金サッカ」。これはまるで私のようです。先生はそんな生活をしてきました。父も母も兄弟も、皆私が冷たくして、この道を出発したのです。万国の歓迎を受けようとすること自体、間違っていることだと考えてきました。

 先生が北朝鮮の監獄にいた時に、母がやってきて「なぜ私の息子がこんな苦労をしなければならないのか」と言って、涙を流しながらハッタイ粉を差し入れしてくれました。しかし、その母が見ている前で、それをみんなに分けてやったのです。毎月私には父母が訪ねてきてくれるのですが、興南には一年たっても誰一人訪ねてきてくれない人々がいるからです。しかし、そのようなことを知らない母は、目の前でハッタイ粉を人に分けてやっている息子を見てどんな気持ちがしたでしょうか。また、絹のパジとチョゴリを差し入れたにもかかわらず、いつも息子が着ている服は監獄で支給する囚人服であり、それも内も外も皆破れて風が吹けばひらひらするし、どんなに寒くても下着は一枚しか着ていなかったのです。そんな息子の姿を見た父母は、どんなに血の出るような思いをしたことでしょうか。涙を流して、「こんなことがあっていいのか!」と叫ぶのです。その時私は、母にこのような話をしました。「これは何ごとですか! 私は文なにがしの息子ではありません。その前に、大韓民国の息子なのです。また大韓民国の息子である前に、天地の息子なのです。ですから、彼らを愛してから母の言うことを聞くというのが愛の道理なのです。この私が決してろくでなしの息子ではなかったことを知って、どうか私にふさわしい母としての行いをしてください」と言ったのです。そのような母が生きている間に、私は足袋一つ、ハンカチ一枚も買ってあげられなかったのです。自分が住んでいるどんなに小さな草屋まで売っても国に忠義の道理の教えを残さずしては、振り返ることができないのです。先生はそのように生きてきたのです。

 統一教会では霊界解怨をしますね? (はい)。先日霊界から論山ハルモニが現れて、「霊界を解怨する」と言うので、先生は許可しました。先祖の恨みを晴らして、良い所に行けるようにしてあげるのです。私の母親も今は霊界に行って、中間級にとどまっています。何かしてあげればもっと良い所に行けるのですが、先生は自分の母のために祈ることはできません。国を取り戻し、世界が安定するのをこの目で確かめて、「もういい」という結論を下すまでは、自分の母のために祈ることはできません。霊界は母だけの霊界ではなく、万民の霊界なのです。

 文家の家訓

 以前、文長老も霊界に通じて、こんなことがありました。愛国者の第一級の首謀者として生きてきた私の大叔父さん(文潤国翁)がいました。その人は立派な牧師であり、崔西南善と友達でした。李承晩博士が独立宣言書の起草をする時、大叔父さんも参与したといいます。大叔父さんは神学を勉強したので文筆を大変得意としました。しかし、愛国運動のために全財産を売り払ってしまい、牧師としてもやっていけず、官憲に追われて一生を逃げ回った人です。また独立軍のための資金が必要なとき、兄の家までも皆売り払ってしまった人です。上海臨時政府の軍資金として、当時のお金で七万円を贈りました。これは、当時としては大変な額です。また、おびただしい米やラジオなどを買って、ソウルを中心にして独立運動の組織も造りました。ある時には正にギャンブルのように、鉱山を買い、独立運動をして、兄の財産すべてお売り尽くして夜間に逃避しました。その時代は他に方法がなかったのです。私の母はそのような大叔父さんを見て、祖先の財産をすべて売り尽くしてしまったと思うのです。

 先生が幼いころ見たその大叔父さんの姿は、とても背が高くて美男子でした。李博士とも友達であり、李博士が大統領になった時、旌善(ゾンソン)警察署からヘリコプターを二度も三度も送って、「李政権を助けてくれるように」と頼んできたそうです。その時に、李博士を助けてあげていれば、李起鵬が(注:当時副大統領であり、朴マリアの夫である。一九六〇年「四・一学生義挙」時、息子に殺される)あのようにはならなかったことでしょう。大叔父さんは宗教がどこに向かっているのか正しく知りませんでした。世界を救うために宗教家としてどうあるべきかが分からなくて、協助を拒んだのです。それで、私のような者が苦労することになったのです。 

 それで大叔父さんは霊界に行ったのですが、その功労のゆえに旌善の文氏の宗家で勲章を授与されています。そこには漢学者が多く、慶尚北道、江原道の東海岸一帯に住んでいましたが、彼らがつくった詩を大叔父さんは批評してあげていたからです。そのようにして他界したのですが、そのことを誰も知らなかったのです。それがある時、文長老の夢の中に大叔父さんが現れて旌善のある人の住所を教えて、「私はその人の庭のどこどこに埋葬されているから、訪ねてくるように……」と告げたのです。そこでその住所に手紙を書いて出したところ、返事が来たのです。

 文氏の家系にはこのような霊的な出来事が非常に多いのです。それで文長老は大叔父さんお墓を移葬したのです。先生はこの大叔父さんを無視することができません。それで文社長と文長老を通して、坡州(パジュウ)に安住させるようにしました。今、坡州にあるお墓は、その牧師の大叔父さんの墓なのです。もし、上海の臨時政府に送った大叔父さんの手紙や記録が残っていれば、銅像を立てなければならないのです。先生はそういう愛国者の家の出身なのです。分かりましたか?(はい)。

 先生がそのような家系に生まれ育った当時、私の家では日本人に追われて満州に移民していく人々をいつも助けてあげていました。数千、数万もの人々が列を成して定州を通過する時、私の家で御飯を食べていった人々の大部分は全羅道の人々でした。慶尚道の人々もいましたが、全羅道の人々のほうが多くいたのです。それで、統一教会の指導者も全羅道の人々のほうが多いのです。そのように、往来する多くの人々をお世話することで私の家はいつも人でいっぱいでした。母は彼らを接待するのに大変でした。朝早くから御飯を炊いていました。そのようにしてもお金は受け取らず、すべて奉仕したのです。これが我が家の家訓なのです。

 八道江山のかわいそうな人々に御飯を食べさせる家は、八道江山を率いる主人になるのです。ですから、今日、先生のような人が生まれてきて、このような仕事をしているのです。当時の私の里の人々や、私の家系を知っている人々がもし統一教会の文総裁を「異端だ」と言うのを聞けば、口を引き裂くでしょう。彼らに聞いてみなさい! 私の家がどんな家だったのか。二十里以内の乞食たちも私の家を宿に決めていたというのです。乞食たちが来て御飯を乞うと、おじいさんは母に「お膳を持って行け!」と言うのです。嫁が恥じ入るくらいに、息子が恥じ入るくらいに、私の家に来るすべてのお客を接待したのです。

 ですから、先生もそのような伝統によって世界の人々に御飯を食べさせているのです。今もイーストガーデンには百数十カ国のお客が泊まっていきます。しかし私の家で食べるときはあいさつなどしないようにするのです。またその中でみすぼらしい人がいると、お母さんは先生の洋服まで着せてあげるのです。「主人として、かわいそうな人々には御飯を食べさせて、服がなかったなら服も買ってあげなさい」と先生が言ったら、絹の服ばかり買ってあげようとするのです。これでは費用がいくらかかるか分かりません。(笑い)それでこの前、「普通の服を買ってあげなさい。このままでは全財産までなくし、統一教会までも売り尽くすようになってしまいます」と警告をしたのです。

 氏族的なメシヤ権を与えられて

 私は祖先の前に立っても堂々としていられるのです。また私は、母にも忠告したのです。「あなたの息子だと言うのですが、私はあなたが見て喜ばれるような息子ではありません。学校に行く時も常に警察に追い回されたり、日本に行く時も要注意人物として監視されてきました。また、様々な友達の学費も自分で全部稼いであげたし、あらゆることをしてきました。しかし、私は父母にハンカチ一枚も買ってあげませんでした。私は実に不孝な息子です。しかし、国の名と共に、世界の名と共に私は生きてきたのです。あなたの息子は親不孝だったと言われるかもしれませんが、私は親不孝だとは思っていません」と。これが皆さんが仕える先生の生活哲学なのです。

 このような先生が霊界に行って解怨成就すれば直ちに良くなることを知っているので、文長老が霊界に通じるのです。私が行くと文長老に母が乗り移ってくると言います。母の霊が、息子が自分を見捨てたので寂しがっているというのです。そして悪口を浴びせかけてくるのです。それでこの前も現れて、「こんなことって、あってよいものか!」と言うのです。しかし私の霊界での立場を知ってからは変わりました。兄さんが、私が大事な人だということを教えたからです。

 時を経て、今や宗族的メシヤとして先生が一族を率いていかなければならないし、文氏一族をしてこの韓国を指導してあげなければならないのです。それで、文氏を立てるまでは龍基(文長老)に、「あなたは絶対にアメリカに来てはならない」と言い、今まで招請をしませんでした。数多い韓国人がアメリカに来たのですが、彼は来れませんでした。しかし、今や時至ったので、アメリカに連れていって見物させてあげました。このようにして全アメリカを見物させて、ヨーロッパも見物させてあげました。かわいそうに彼の奥さんは、今まで私のためにどんなに被害を受けてきたことかしれません。それで、今回ヨーロッパまで見物させてあげたのです。お母様にも特別に頼みました。「今度は特別に親類なのだから…」と言ったのです。これは文氏一族を代表してやってあげるのです。それで私が帰ってきても、いつもお母様がいないのです。「どこを出歩いていたのですか」と尋ねると、「あなたが親族のお兄さんに良くしてあげなさい、と言われるので、一緒に市場を回って歩いていたのでこんなに遅くなりました」と言うのです。文長老の奥さんにも今まで布巾の一枚も買ってあげなかったのですが、今や摂理の時が訪れたのです。

 これから、氏族的なメシヤ権を与えられて全国に配置される立場に立つために、イエス様が国境を越えて往来できる自由の権限を持つ世界版図圏をつくりました。ですから、先生はどこに行ってもそこが故郷になるのです。それで先生は韓国に住みましょうか、日本に住みましょうか?(韓国です)。もし先生が日本に住もうとすれば、日本のお城を買って上げたいというのが日本人の心なのです。どんなことをしてでも文総裁の住居には輝かしい建物を準備したいというのが日本人の切実な心なのです。日本人は数千年を通しての伝統的な武士道精神を誇る民族なのです。

 ですから、先生はどこに行って住むのがいいでしょうか。日本に行って住むほうが苦労もないし、夜も昼も静かに休めるのではないでしょうか?(韓国です!)。韓国人は夜も明けぬうちからやって来て、私の家のドアをドンドンと叩きながら、「先生、私が来ました! 三十年前からこんなに信じていた私が来ました。分かってください!」と言うのです。(笑い)それで、その人の身なりを見れば気違いでもないし、鬼でもないし……と、そんなことを先生は毎日見ているのです。同じ息子、娘であったとしても、身なりを整えて常に毅然とした態度で臨み前後のことを良くわきまえて、天の面子を考えることができなくてはとても日本人には勝てません。

 先生が公人としてこのような話をするのは、四〇〇〇万、いや六〇〇〇万の韓国人が、また韓国にいるすべての外国人がレバレンド・ムーンの話を聞くようにするためです。最近、編集している私の説教集は、今や一七〇巻を越えました。さらにカセットテープも作っています。「統一教会の人々は買ってはいけない」と言われても買って聞くことでしょう。それらの内容を知らなくては、これからは何一つ行動できないからです。そのために今度、「国際会議は、九〇年代からはすべて韓国語で行う。決して通訳を通さない。だから外国の食口には、会議に出席できるように韓国語を学習するように」と、再度宣言しました。これは五年前宣言していたものです。

 先生が約束したことは、天の国に記録されるし、世界中の言論人や政治家に知れわたるのです。ですから先生の威信上、九〇年からの国際会議は韓国語で行います。英語や日本語では行わないと言うことです。通訳も使いません。それが嫌だと言う人は手を挙げてみなさい! 一人もいませんね。では、そうすべきだと言う人は手を挙げてみなさい。
 そのように通告するのです。それでイーストガーデンには、韓国語の分からない人は入れません。それでもいいですね。どうしてこのような話をするかというと、文総裁が韓国語の説教集を世界に普及させる意味は、この国家や民族、全人類を上げても買えない宝がそこに入っているからです。それは世界的な学者たちが知っています。今やレバレンド・ムーンの研究のブームが起きているのです。

 既成教会の信者たちは今も反対していますが、このことは今後、自分の後孫たちがその墓を掘って捨て去るようになるのです。それを避けることはできません。このように歴史に恨みを残すかもしれない者たち! どこに行って顔を上げることができますか! 万国が讒訴する中であなたの後孫たちは、その墓を探しに行くでしょう。お彼岸になってもその墓の周りの草刈りもして上げられません。その手で墓を掘ってしまうような日が来るでしょう。血族の名を消し去って、名字までも変えて外国に行って隠れて生きるそのような悲惨さが、彼らの後孫の行く道になるというのです。

 先生はこのようにして、この民族の前に四十年間生きてきました。しかしまだ私が話していない多くのことがあります。これから、もし世界でレバレンド・ムーンを邪険に扱ったならば、かつての金サッカのように放浪の人にならないと誰が言い切れますか。そこの太った人はどこから来ましたか?(鍾路(チヨンノ)の教会から来ました)。鍾路教会の食口ですか?(はい)。何をするために統一教会に入りましたか? 統一教会に入ったからには、先生の従兄弟のようになり、先生に似るべきです。先生はこのように、韓民族の秘密を全部知っている人なのです。大統領の知らないこともです。

 韓国では、今年は雨が降らないので凶作になるのではないかと言って騒がしかったのでしょう。先生は、韓国がこんな状態の時に金日成が南下しないようにと心配してきたのです。それで雨が降ったので、また間違いなく豊作になるだろうと騒いでいますが、皆さんは外的な豊作よりも内的な豊作を望むようにならなくてはなりません。

 昔先生は貧しくて栄養失調になったかわいそうな人々のために、毎日二十里、三十里の道のりを池を探し歩いて、蛙を捕らえては食べさせてあげました。先生は幼いころからかわいそうな人を見るとそのままにしておけない性格なのです。今考えると、このような私の性格を神様が必要としたのです。今でも、世界のかわいそうな人々を見捨てておけないのです。ソ連の獄中にいる人々の所に行って、先生は門を開けてあげたいと思っています。この前、言論人体会にソ連の代表十二名が参加しました。私が彼らを招請したので、そのお返しにソ連の政府は、「レバレンド・ムーンが選ぶ言論界で有名な十二名の人々をモスクワに招待し、貴賓として案内したい」と言ってきました。また先生は最近ギャンブルについての研究もしています。最後にすべての悪を処理する審判官の席に立つために、それらの事情が分からなくてはならないからです。さらにアメリカでは、全食口にキス禁止令を出しました。そのように一メートルいないに近づけないようにして、自己防御するのです。

 世界を指導する主体国民たれ

 では、いよいよ本論に入りましょう。もう十時になりました。きょうの題目は何ですか?(「韓国は人類の祖国」です)。韓国は人類の祖国だと言う、その言葉は実に素晴らしいものです。しかしその内容はどうでしょうか。この言葉を実現することは、韓国の大統領にも、韓国の政府にもできません。六〇〇〇万の国民が文総裁と共に歩調を合わせる主権が現れる時、この言葉が成就するのです。分かりましたか?(はい)。今は言葉だけが嘆いています。「私の定着地は大韓民国の韓半島」と言っているのです。

 この祖国創建のためには、数多くの外国人が来なければなりません。彼らが祖国創建のために血と汗と涙を流す姿をこの韓民族が厳粛に受け入れて、真なる心から深く讃揚し、歴代の後孫たちの前に、血族の前に遺言とする民族にならなければなりません。そのような民族になった時、韓民族は第三イスラエルとして、世界を指導する主体国家になれるのです。そのことを、ただ信じる人であってはなりません。皆さんは知っている人なのです。先生がそのようなる外的環境を全部造っておきました。もしそれができないようであれば、その旗を日本に持っていってあげれば、日本はどうなると思いますか。その旗をアメリカに揚げれば、アメリカはどうなるでしょうか。その結果は七年以内に出ます。今のアメリカの上院、下院の国会議員たちや政財界の要人たちで、レバレンド・ムーンと関係ない人はいません。そういった人々が、今や「文先生には、私たちがいる限り責任を持って支援しますので、韓国からいらしてください」と言っているのです。

 このようなすべての問題を解決するために、今回帰ってきたのですから、そのための歴史的背後をきれいに整える責任があるのです。分かりましたか?(はい)。それができれば、韓国情勢はすべて溶けていくことでしょう。いかなる人々がどんなに反対してきたとしても、先生は堂々として正義に立脚して宣告するのです。分かりましたか。

 皆さんは永遠を追求する心を持っているのです。そのような皆さんの本心が永遠に根のようになっているのを悟るために、先生はそのような話をして、その永遠なる本心に深く刻んで保管できるような主人になることを望んでいるのです。分かりましたか。それで、先生によって捜し出されたこの祝福の恵みの宝物を、すべて後孫たちに残す相続人とならなければなりません。相続人とは何か分かりますか。皆さんが真なる相続人になることを願って、このような話をしてのです。このことを良く悟って感謝の生活をすべきです。

 皆さんはそれを受けられる収容能力を備えるべきです。金氏であれば金氏を代表して統一協会員になったことを誇りにできる人にならなければなりません。最近は日本人も変わりました。昔は「文鮮明のやつが日本を滅ぼそうとする」と言っていましたが、それが発展して「文鮮明先生」と言うようになりました。これからはどうなるかというと、「お父様」と言うようになるのです。お父様とは何のことか知っているのです。そこまで発展してきました。また、アメリカもそうです。私を監獄に入れて殺そうとしていたアメリカ人たちも変わったのです。ソ連も同様です。かつては先生の暗殺計画を金日成と組んでいたのです。「一九八八年十二月までには、文総裁は地上からいなくなる。それまでは、国際的な会議は待つように」と言っていたのを知っています。それで二十五名を投入して先生を暗殺しようとしたのですが、皆捕まってしまいました。神様が守ってくださったのです。その一人は路上で検問中に風呂敷のようなものを持っていて、中に爆弾が入っていたので捕まりました。その人が首謀者でした。それは一斉検問で捕まったのです。ニュージャージー事件として、先生に報告がありました。それはCIAで全部調査して浮かんできた事実です。このように、先生は命がけで生きてきたのです。分かりますか?(はい)。このように共産世界にとっての一番の危険分子は先生なのです。先生は金日成の計画するその秘密を全部知っているのです。そんな意味で先生は怖い人なのです。彼らには怖い人であっても統一教会の人々にはお父さんなのです。

 これからは、歴史上に愛を中心として人類の前に一つのプレゼントをしなければなりません。統一教会は真の親を捜してあげるのです。分かりましたか?(はい)。親をなくした人々に再び親を捜してあげるのです。彼らは、孤児の立場から親の懐に抱かれる喜びを与えてくれる栄光の恩師を、どのように迎えるべきでしょうか。「これからは感謝の涙で、万国の統一、天国統一、理想世界に向かって前進します!」と言った時、「ノーメン」と言う人は一人もいませんね。すべての人々が頭を垂れて、涙を流しながら「アーメン」と言うそのような環境を造る資格を持った代表こそが真の親なのです。分かりましたか?(アーメン)。(拍手)

 いまだ個人的な鏡を求めてさまよう青年男女は、文先生の若いころの鏡を見習いなさい、お母様の若いころの鏡を見習いなさい。さらに家庭の鏡、社会生活の鏡を見習って従ってきなさい。私に勝利できなかったことは何一つありません。先生は思想闘争においても、共産主義の理論を消化する基盤を造ったのです。アメリカに行って、有名な学者たちに先生のことを聞いてみなさい。科学技術の世界においても、言論界においても、さらに情報世界においても、すべての方面において先生は多くの悪口を言われる中で収拾してきたのです。今日ではそれらの団体が開催する多くの大会で、「総裁を一度お招きして講演を聞きましょう」と言うので、先生は大忙しなのです。ですから、皆さんはこのような先生を持ったことを誇りとして、内外を整えて実績ある統一協会員にならなければなりません。先生の名を汚すような者になってはいけません。

 さて、きょうここに集まった人たちはどういう人たちですか。皆さんは本物でしょうか、偽物でしょうか。本物と偽物の中間は何ですか、何と言いますか? 間抜けと言うのですね。(笑い)韓国の辞典で「間抜け」というところを引いてみると、「ボーッとして自分の身持ち一つできない灰色分子」と出ているのです。きょうここに参席した皆さんは、「間抜け」という言葉を使っても構いません。このように先生は、英語でもたくさんの造語を作っておきました。日本語も多く作っておきました。これから世界辞典の中に、先生の造っておいた単語が五分の一は出るようになるでしょう。新しい言葉を作ったのですから、私たちの図書館にしかないのです。気持ちがいいですか、悪いですか。もう昼食の時間になりましたので、私が中国料理でもごちそうしてあげるべきでしょうか?(結構です)。言葉だけで終わらせてしまうのは寂しいでしょう。(笑い)きょうは、「中国料理をごちそうしてください」と言われれば、先生はごちそうしてあげます。なぜかというと、きょうは六月十八日だからです。これはサタン数のすべてを清算する日なのです。一九八九年、九数なのです。六月十八日の数は、サタン世界のすべてを除去し解放の門を解放する話をするべき日だからです。

 氏族的メシヤとして祝福家庭を全世界へ配置する

 これから、いよいよ韓国がこの地球星に登場するのです。レバレンド・ムーンいわく、「韓国は人類の祖国」と。この言葉を否定して、世界中に歓迎されるこの群れを止めることのできる自信のある人は出てきなさい! 今後、「レバレンド・ムーンの提唱することは、西欧社会でも正しいことです」と言われるようになった日には、すべて終わりです。分かりますか! これから先生は、「再臨主・文鮮明」としてワシントンに入ると言えば、「Ok」と答えるようになっているのであって、「ノー」と言う人は誰もいません。イエス様はイスラエルで勝利できず、ローマのピラトの法廷で十字架に掛けられて亡くなりましたが、このレバレンド・ムーンを捕らえて十字架に付ける人は誰もいません。これからは『ワシントン・タイムズ』を通じてホワイトハウスに入っていくのです。

 それで、これからは黒人の大統領が何代も続くのです。有色人種を大統領として立たせるのは、このレバレンド・ムーンの責任なのです。スペイン系の人々は六カ月もあればすべてレバレンド・ムーンの懐に入ってきます。黒人も皆レバレンド・ムーンの懐に入ってきます。その次に、少数民族が同様に私の懐に入ってくるのです。このように、先生はアメリカでも有名人名人なのです。ニューヨークなどでは、アジア人を見ると「あなたは韓国人ですか?」と聞かれるほどです。それで中国人であれば、「私は違います」と言います。そして聞かれた人は「どうしてそのような質問をするのですか」と言います。すると、「レバレンド・ムーンを知っていますか」という答えが帰ってくるのです。

 先生はこの手でもって、すべての基盤を築き上げてきました。船が必要であればどんな船でも造ることができます。これからは雨の日も晴天のような生活ができるように、家庭的小型潜水艦の住宅を造ってそこにも住むのです。さらに、これから空中で暮らそうとすれば、まず一年分の食料を準備しなければなりませんが、火熱で御飯を炊いてはいけません。科学的化合物の食料でなければなりません。そのような栄養素を持っているものは魚しかないのです。そこで、すべての魚を養殖して世界に第二生活革命を起こすのです。住宅問題でもそうです。先生はすべてを成してきました。その代わりに統一教会員には苦労させましたね。それを歓迎しますか、しませんか?(歓迎します)。そういう統一協会員は本物の統一協会員ですか、偽物の統一協会員ですか、間抜けな統一協会員ですか。どちらですか?(本物です)。それは皆さん自身が知っていることです。神様が知っていることです。皆さんそうですね。白昼、先生の前で天地が見ているのです。

 それで先生のきょうの話の結論は、「大韓民国は人類の祖国である」ということです。このことは皆さんが成さなければ、日本人が成すし、西欧人が来て成すのです。今やそうせざるを得ない時が来たのです。これから民族の大移動が始まるのです。この統一教会に反対する人は韓国の地から移住していかなければなりません。

 かつて先生がヨイドに一二〇階の世界宣教本部を建てようとしたのを、当時の政府が反対したのです。それで仕方なく今は準備して待っているのですが、その時が来たならばアッという間に建設するでしょう。先生は毎日のように国際会議を開くので、狭い土地に建てたくはありません。先生は広い場所を選んで本部を建てたり、学校を建てるために、一九八〇年までに全部準備しておきました。大学校を建てたいと何回も認可を申し込みましたが、認可が下りませんでした。しかし文総裁は何度でも立ち向かって戦います。平民党など問題ではありません。今やアメリカもソ連もレバレンド・ムーンを恐れているのです。先生はそのような実力を持っています。『ワシントン・タイムズ』を持ってすれば、韓国政府のすべての機関は三週間で消化できます。政府内の隠されたすべての秘密を明らかにするのです。

 また、ドイツも機械工場を通して、レバレンド・ムーンを後援しなければ生きる道がありません。かつてアメリカの悪名高いある言論人が問題を起こして、レバレンド・ムーンを故意に苦しめるような結論を自分の弟に話しました。その言葉が遺言となってその人は四ヶ月の後に機械に挟まれて即死することになったのです。

 そのようにドイツを中心として、十年の歳月をかけて、ドイツの工業技術、日本の電子技術を準備しておきました。ですから、これを韓国と日本に連結しなければなりません。

 今日まで先生は多くの資材と組織を投入して、夜昼なく忙しく働いてきましたが、それはなぜかというと、神様のみ旨の中心であるこの国が人類の祖国となるために、内外の容貌を整えなければならないことを知っていたからです。今日直ちに隊列を組んで進軍命令を下せるように、すべて基盤を整えました。皆さんはこれから大きなことを成さなければなりません。その自信がありますか! 先生がなぜこのような話をするかというと、気をしっかり持たねばならないからです。統一教会は流れ去る教会ではありません。銀でも金でもありません。白金なのです。

 それで今回先生は、すべて氏族的メシヤとして祝福家庭を全世界に配置します。それはなぜかというと、イエス様は十字架で亡くならなければ将来ローマ帝国へ行って、地上天国の先祖となり、伝統的イスラエル選民権を全世界に拡張する基盤を造られたのです。サタンはそこで後退するようになっていたからです。

 今日、ソ連や中国が崩れていくのです。すべての国々、すべての人々の生きる道は、レバレンド・ムーンの道となるのです。そのようなレバレンド・ムーンに対して、この国は蔑視してきたのですから、皆さんがその責任を果たさなければなりません。そうでないと全部外国人に渡してしまわなければなりません。南米のブラジルに、「今から国を準備せよ!」と言った時に、もし受け入れ態勢ができていれば、先生が今日まで準備してきたすべてをそのままその国に渡してあげるのです。

 この大韓民国は、先生に対してお金を一銭でも出して助けてくれるのでもなくただ反対しているだけです。先生が準備してきたすべてを大韓民国から全部移していくかもしれません。中国はそれを知っているのです。「どう見てもレバレンド・ムーンは独自的であり、西欧社会の反対を防ぎ、アメリカの反対を防ぎ、ソ連の反対を防ぎ、日本の反対も防いで堂々と生活されている心の大きいお方である」と言うのです。中国はまるで、夜中に男の部屋に訪れる女性のように必死なのです。それは死ぬか生きるかの戦いなのです。これはこのような経験のない女性には分かりません。「あなたを主体として、私はあなたの願いのとおりに生きていきます」という姿なのです。それで、三十年間約束したのです。「三十年間、私の手に任せてください!」「OK!」となったのです。

 中国政府は、大韓民国の政府よりも先生を信じているのです。聖書には、「和解させるものはサタンの子である」と記されていますか?(いいえ)。では何と記されていますか?(神の子です)。それで、漢南洞公館会談を提議しているのです。そうなると、一夜で国会議員たちが先生と一つになるのです。先生はそのように生きているのです。

 私という存在は父母の愛の同参者である

 統一教会の皆さんは、いつまでも自分たちの知っている先生のみを思ってはいけません。先生は農村に行けば農村の指導者であり、船に乗って海に出れば船長を指導する人になるのです。この文総裁にはできないことはありません。鉱山に行けば、鉱夫となって支柱の立て方も教えてあげられる人なのです。炭の焼き方一つをとっても先生にできないことはありません。ですから、統一という看板を掲げて今日まで戦って勝利してこられたのです。皆さんが助けてくれたので勝利したのではありません。皆さんが助けてくれなくても勝利できたのです。これが先生の誇りなのです。

 先生は十五年間韓国にいませんでしたが、この間韓国にいた皆さんが先生を助けてくれたのでアメリカで成功したのでしょうか?(違います)。では誰が先生を助けてくれたのでしょうか。西洋人たちが反対する中で、今日の成功の道はどこにあったのでしょぅか。神様が先生を助けてくれたので、今日成功したのです。皆さんはこのことを正しく知らなければなりません。先生はそのことを知っているから勝利できたのです。

 韓国もアメリカも、世界中のどの国も先生を助けてはくれませんでした。いかなる指導者たちも、いかなる教団の責任者も先生を助けてくれませんでした。むしろ先生から盗んでいこうとする人が韓国人の中には多かったのです。統一教会で先生を利用する多くの人々が出てきました。皆レバレンド・ムーンを偽ってあらゆることをしました。先生は多くのことを経験しました。先生を利用しようとした者たちは、統一教会の者なのです。だからといって先生は復讐することはできません。愛するためにはそのような経験を経なければならないのです。そのようにして、先生は生きる道をすべて整えてきたのです。もはや私には、この世界、霊界のどこに行っても神様が歴代の聖人たちを動員して道案内をさせるようになっているのです。何の話か分かりますか?(はい)。ここで先生が決定してお祈りすれば、それが天の憲法になるのです。これほど恐ろしい人はいません。先生は今まで一度もこのような話はしませんでした。しかし、今日は決定的な話をするのです。

 韓国がどうなるのですか?(人類の祖国です)。何の祖国ですか? (人類です)。それは、亡国の人類ではなく、生きる国の人類なのです。では、何を中心としてですか? (真の愛です)。真の愛ですか、この宇宙は神様の愛から出発したのです。(先生が板書される)。皆さんはここから起因されているのです。「私」という存在はどこから生まれてきたのかということを考えてみた時、お父さん、お母さんの生命から生まれてきたのではありません。私の起源は愛なのです。愛から生まれてきたのです。私とはお母さんとお父さんの愛の同参者なのです。これは偉大なことです。有史以来の人間の最高の秘密とは、私という存在は父母の愛の同参者であるということです。父母を連結させた核の同参者です。中心なのです。父母が死ぬほどに私を否定すれば、天地の道の前に因縁がなくなり、堕落世界の悲惨が演出されるのです。万世に続く愛の伝統は父母の道を通して連結されなければなりません。ですから親は命を懸けて子供を守り抜く責任があるので、子供のために死をも選んでいくのです。それは愛の伝統を残していくためです。分かりますか?(はい)。

 皆さんの生命の起源は生命が先ではありません。愛なのです。愛を核として、お母さんの生命とお父さんの生命が一つに交わって、すべての精髄を吸収して自分という血統を受け継ぐのです。血統の起源は愛であり、父母の生命なのです。皆さんがもし数千万代の後孫として生まれた場合、父母を通じた先祖の愛の因縁の細胞が私の生命に生きるのです。私の血と共に生きているのです。このようなる愛の脈拍を通じた夫婦の愛の統一的な基盤の上に、皆さんの生命が転授されていくということを知らなければなりません。血統が転授することを知らなければなりません。ですから、親は子供を捨てられないのです。そうなると、自分の生命を断たなければなりません。それは、自分の愛の起源を無視することになるからです。その存在価値を否定し人間として没落する親に対して、無視するような人は存在の環境に対処できないことを知らなければなりません。これが公式的な結論です。絶対、父母に侍らなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 このように自分の生命は絶対的なのです。ですから女性も、絶対的な夫、真の男を得たいと言うし、男性は真の女を得たいと言うのです。それはなぜかというと、根本が真の男女の愛から出発したものであり、それが起源だからです。そのような伝統的万世人類を通じて、垂直的に下りていかなければならないのです。横には行けません。ですから、親は子供の前に垂直の道を行く責任があるのです。このように親は生命を越えて愛するのです。これはすべての動物世界でも同じことなのです。

 私たちが自慢できるものは血筋のみです。今日まで大韓民国はアジアにおいて、世界の諸国の民族の中において特殊な民族でした。それはなぜかというと、大韓民国は白衣民族の血筋を持っているからです。「族譜崇尚(ジョクボスンサン)」(先祖を崇めたたえる)を第一とする民族は韓民族しかいないのです。これは閉鎖的な思想ではありません。天理が訪れるための人類歴史の残された課題を解いているということを知らなければなりません。この課題の答えが出そろう時には、愛の根源の神様が、結実するために安息地へ訪れるというのです。分かりましたか。

 この中で、親不孝を願う人は手を挙げてみなさい。もし愛において、自分の生命の起源を無視して生きている存在があるとすれば、そのような男女の生命体は、不孝と見なければなりません。愛は転から降りてきた、親の血筋を通じて受け継いだ生命なのです。そして、私が子孫に受け継がせるべきものなのです。このように血筋を通じて受け継がれていくことを知らなければなりません。愛が爆発するところには、必ず生命が生まれてきて、その血が激動するのです。

 女性も恋をするようになれば顔中を真っ赤にするのです。胸がドキドキするし、雷が鳴り、大雨が降り、稲妻が走るように、すべての出来事が自分で収拾できないほどになります。何がそうさせるかというと、愛の力がそうさせるのです。愛の力だけが男性の生命と女性の生命を同位権に格化させます。最高の頂上の座に登っていき、プラスとマイナスになって、二人が愛して死ぬか生きるかという時には、稲妻が走るようになるのです。雷が鳴って、地上に生命を育てる雨が降るのです。その時すべての万物は、水を通じた因縁の中に蘇生するのです。それは、浄土と同じなのです。

​ 神様は縦的な父母であり、地上の真の父母は横的な父母である​

 このような原理を知ってみると、雨が降る時には天地調和において、陰陽の理において、陽電気と陰電気が新郎と新婦を迎えるためにさまよっているというのです。雷が鳴ったり、稲妻が光ったりするのはなぜかというと、自然界を通して人間に最高の理想的な愛を教えてくれる教材なのです。自分の後孫に生命の因縁を受け継ぐために、雨が降るように、愛のプレゼントをあげれば、地上に緑の万物が蘇生できる栄光の基が連結されるのです。分かりますか?(はい)。

 ですから多くの息子や娘を持った人は不孝ではありません。このことを知っているので、文総裁には子供が多いのです。ちょっと大変なようですけど正月生まれの子がいて、二月生まれの子がいて、三月生まれの子がいて、六月、七月と、それぞれに春夏秋冬と季節は皆違うけれど、性格は似ているのです。しかし皆特性があるので、親の立場から見れば本当に楽しいことばかりです。皆がそれぞれ自分の個性を持っていても、父母を中心として春夏秋冬、四季を通して一年三六五日、十二カ月に分かれていても、すべて父母に歩調を合わせて、父母が東に行けばみんなついて来るのです。好き嫌いもすべて父母に似るのです。私の子供のころに似て顔立ちがいいし、スマートなのです。よく自分の子供の自慢をするのは親バカだと言うけれども、それでもいいのです。なぜかというと愛らしいからです。(笑い)

 先生が韓国に来ている間に、アメリカの享進(様)から電話が来たとお母様から報告を受けました。父母に朝のあいさつをするのは我が家の伝統なのです。いつも子供たちが学校に行く前、ドアを開けてあいさつする習慣があるのです。それでドアを開けて入っては、「お父さん、お母さんがいらっしゃらないけれど、どこに行かれたのですか?」「どこにって? 昨日から韓国に行くからみんなにあいさつしたでしょう」「いやー、そうだった。お父さんは、韓国に行かれたんだ」と言ってしょんぼりして学校に行ったそうです。この子の名前は享進(様)というけれど、とても聡明なので、これから統一教会において大きな仕事をするだろうし、とても必要な息子になると私は見ています。それで先生は彼をロープと呼んでいます。家でも学校でもロープと呼んでいます。また絵を描けばいつでも一等なのです。三十万児童が参加した全世界芸術大会で一等になって金賞をもらいました。歌もうまいし、話しも上手だし、多方面で父親に似ているのです。(笑い、拍手)

 それで享進(様)を見て好ましく思わない人はいません。ボストンの先生も好意を持って、わざわざ学校に電話を掛けてきて、享進(様)のことを全部聞いたそうです。それで、学校の先生たちが、「あなたの安否を問う電話が来たよ。ボストンの先生に電話を一本入れたらどうですか」と言ったのです。それで電話を掛けると、その先生がとても喜んで「私の愛する人よ」と言って、大騒ぎしたのです。そして、「一度ボストンへ遊びに来てください」と言われたそうです。享進(様)の目は、内的感じが異なっているのです。愛がそうさせるからです。その目を見ていると享進(様)のために何かやってあげたくなるのです。それが、宇宙の宝物を伝授するための因縁を結ぶ最上の位置なのです。

 そういう意味においても、イエス様は誰よりも人々を愛したのです。それでは、その愛はどこから生まれてくるのでしょうか。これが問題なのです。そのためには、哲学的に愛の本質を明らかにしなければなりません。愛の本体論を研究しなければなりません。このことが今日まで解決できなかったのです。それは、神様がいかなる方であるのかが分からなかったからです。しかし今や、そのことを統一教会の文先生は五分以内に理論的に全部教えてあげるのです。

 統一教会の女性たちはアメリカの五十州において、あらゆる活動をしています。そんな中で統一教会の男性たちは大変なのです。妻が愛を持って見つめてくる時、そこに焦点を合わせてあげなければならないのですが、その焦点が正しく合わない場合は、いかに愛の因縁を結んでも破壊の生命が連結されるのです。ですから、真の父母を通して愛を伝授しなければなりません。天が真の父母を通して歴史を引き継いだがゆえに、すべては統一教会の文先生のみ言を中心としているのです。神様は縦的な父母であり、この地上の真の父母は横的な父母なのです。このような縦横の父母が連結して、激動して、血肉的に生命の因縁を連結させたのが新しい生命なのです。そして宇宙最大の発動の作用によって、愛の決着地として生まれてきたのが私たちの生命であるというのです。このことは誰も否定できません。ですから、そこにおいて、九十度の角度で出会わなければなりません。そして、転を愛するように父母を愛さなければならないし、天と父母を愛するごとくに兄弟を愛さなければなりません。自分の家庭と父母を愛するごとくに万民を愛する人が、天国の民の資格者を得て入籍することのできる人です。分かりましたか?(はい)。

 先生はこのようなことを教えたあげることにおいて最高の人になったのです。この地上において、全教育資格を持っているのです。もし「あなたはそういう教理を語っていますが、そのように生きてきましたか」と問われた時、「私はこれからそのように生きようとしています」と言った場合、私について来る人がいるでしょうか。ですから、文総裁はすべて自ら体験した後で教えてあげるのです。そのことを知らなければなりません。統一教会の原理の内容は、すべて先生が体験してから教えたものです。既成教会の牧師たちは献金のために説教するのですが、先生にはその必要がありません。雀たちは、食べたいと思えば自分自身で虫を捕まえて食べるのです。自主的に経済力と愛において、宇宙的な主体性を持っていかなければなりません。

 金日成は、人間の主体性、自主性、創造性、意識性だとか言っていますが、そこに愛という言葉は一言もありません。神様や宇宙という言葉は一言もありません。金日成は自分が生命の中心だと言っています。そんな言葉で人間を愚弄しているのです。それなのに、韓国で何も知らない人々は、「金日成、万歳!」と叫んでいるのです。今やアメリカでは、大学街で文総裁の写真を持って歩く運動が起こっています。文総裁の思想を知らなければキャンパスの中で話もできない時代が来るのです。これは宣伝ではありません。

 これから皆さんは、生命をどこに投入するべきでしょうか。愛をどこに投入すべきでしょうか。それは息子、娘に投入するのが定説です。自分は世界を代表した生命を持っており、世界を代表した愛の主人公であるということを知らなければなりません。そのようにして、主体なる神様に仕えて縦的な血統と、横的な真の父母の愛を中心として、天と人の統一的愛の基盤の下で、生命の因縁を通した血統的伝授者としての父母たる資格を誇ることができなければなりません。女性の体は、女性のものですか、男性のものですか、幼児のものですか。女性の胸が大きいのは自分のためですか、腰が大きいのは自分のためですか。女性のためにできているものは何一つないのです。それらは皆幼児のために、夫のためにできているのです。先生がこれらを全部突き止めたのです。人はどうして男性と女性に生まれてくるのでしょうか。なぜ万民平等権を主張するのでしょうか。それもすべて愛によるのです。女性は絶対的に男性のために生まれたのです。これは否定することのできない論理です。そして、愛のためなのです。そのような愛の主人の男性が現れるまで、二十四時間いつでも秘密の王宮の鍵を掛けて待っていなければならないのが女性の責任なのです。

 このような天の理論的な家庭を通した公式的な論理的愛の規範に従って、音楽の曲調に会わせるごとく人生行路の軌道を前進するところに、進軍のラッパが鳴り響き、人々の美しい踊りがあり、芸術が生まれるのです。このように自らは、すべての環境に結んできた愛の展示場なのです。「海よ、踊れ! 風よ、吹け! 荒涼たる野原よ、広がれ! 山よ、厳しくあれ!」と。すべてに「OK」なのです。先生はそういう理想主義者です。それは何の理想主義者かというと、妄想的理想主義者や敗北的理想主義者などではありません。万国が粛然となって尊敬せざるを得ない愛の理想主義者なのです。(アーメン)。皆さんも一度はそうなりたいと思う人、拍手してみなさい。(盛大な拍手)

 万国に愛の家を建てる

 先生がうれしければ皆さんもうれしいのですね。もう先生の下腹は力がなくなりました。ここで昼食を食べてまた話を続けましょうか。(笑い)先生は皆さんが良ければ、いったん話し始めれば最後まで語り続けるのです。皆さんには初めて会ったのになぜか別れ難いですね。それはどうしてかというと、民族愛、人類愛、世界愛、宇宙愛がここに絡まれているからです。その愛の中に入れば入るほど、夜も昼も問題ではなく、年を取るのも問題ではなくなります。万民はこのような統一の世界を望んでいるし、万国はこのような平和の世界を望んでいるのです。

 何を持って一つの世界にできるのかというと、権力ではありません。ナポレオンもムッソリーニもチンギスハンにもできなかったのです。それは愛の偉大なる力をもってこそ可能なのです。文総裁は今それを成しているのです。万国に愛の家を建てるのです。それらはだんだん大きくなっていきます。そして、この家を壊すことのできる人は誰もいません。そこに入ってみると、誰もが好きになるような何かがあります。これに背を向ける理由がないのです。幼児も好み、青年も好み、今に死にそうな老人もこれをつかんでいこうとするのです。

 先生は愛の天理を知っています。天理の運命の道に順応する父母の崇高な精神の前に、私は承服したのです。その時、母は私が統一教会の教主になる道を行くことをどんなに反対し、叱ったことでしょうか。しかし、母がどんなに反対しても私はこの道を歩んだのです。もし私がそのような母の言うことを聞いて孝子になっていたならば、この統一教会は地上に生まれてきません。もしそうなれば、人間は苦海から解放されることができず、息詰まる中で死んでいくのみです。誰もがこの世の中の人たちを解放してあげることはできません。

 皆さんはこの文総裁によって開放された人なのですね。そうですね? では、統一するには何をもって教育するのでしょうか?(愛によってです)。何の愛ですか?(真の愛です)。それは縦的な父母が公認し、横的な父母が公認する愛でなければなりません。

 神様はいかなる方かというと、私の縦的な父なのです。今日までこれが分からなかったのです。これが結論なのです。もし縦的な父の前に九十度の角度で合わせることのできる真なる横的な父母が共同して、縦的横的愛においての相続を受けていたならば、人間に苦しみはなかったのです。これが万国を治め、万世を主管できる根っ子となったのです。この根っ子の伝統的な精神を通してのみ幹が伸びていくのです。さらに、そのような幹に従って枝が伸びていきます。ですから、人間は悲しい存在ではありません。本来は愛のために生まれてきたのです。愛から生まれて、愛の中で育って、愛の中で愛し合いながら生きて死んでいくのです。神様がすべての人々を実りとして刈り入れるために、愛する万国の人々のために、一番正しい標本として捜し求めてきたのがメシヤ思想なのです。そのメシヤ思想を中心とした一つの男性の核、女性の核が真の父母なのです。それで統一教会の文先生は何の父母だといわれているのですか?(真の父母です)。愛を中心としての縦的な父が神様のです。縦的な位置は一つであり、絶対的です。それで、神様がアダム、エバを生めばいいのです。アダムとエバは横的です。縦的な基準を横的に広げると三六〇度になるのです。もし、縦的な位置が動けば天地が乱れてしまいます。

 神様は、永遠なる真の愛を中心とした宇宙の太初から、万古の中心であり、不変の終末まで循環の原理を永遠に持ちこたえることができる縦的な軸の起源の真の愛の方です。これを変えることのできる人は誰もいません。その神様も、この愛には従わなければなりません。神様は絶対的な大王なのですが、愛の前では相対的なのです。

 男女が夫婦となって生活をする時には、お互い愛を与えたいでしょうか、受けたいでしょうか。与えて受けるのが原則なのですが、与える前に受けたいでしょうか?(受けたいです)。その受けたいという思いはどこから来たのですか。神様は愛を与えたいでしょうか、受けたいでしょうか。これと同じなのです。神様に「あなたは愛を与えたいですか、受けたいですか」と聞いた時、どう答えるでしょうか?(受けたいです)。そうです。神様も受けたいのです。その愛を中心として絶対的な立場に立ちたいというのが、愛の原理、世界の原則なのです。それゆえ、神様が絶対者だという時には、愛における絶対者なのです。愛を絶対的に立てたので、神様も愛の法度に従って生きることを好きにならなければならないのです。分かりましたか?(はい)。

 では、神様が最も絶対的な価値として、永遠に保存される属性とは何でしょうか? それは愛の属性なのです。それはどうしてかというと、全部絶対として与えなければならないので、損をするのですが、愛のみに受けることのできる要素があるために、自ら均衡を取ることができるのです。これは論理的にも正しいことです。

 神様はいかなる方かというと、縦的な真の愛を中心とした父母なのです。ですから堕落しなかった立場として、人類を真の愛の縦的基準に結ぶためには、九十度の角度で連結させなければなりません。七十度で連結させてはいけないのです。そこにおいての理想的な連結とは、球形になることが一番好ましいのです。丸いボールのようにです。それには、愛の前に最高の理想の距離を中心として九十度線上に水平線を描かなければなりません。分かりますか。理想的な縦的決着地を、横的に探し求めて一つにならなければなりません。男性と女性が、神様の縦的基準の前において九十度の角度で愛を結び接ぎ木されることが、神様の願う最高の理想的な定着地なのです。これが宇宙の根本なのです。

 それで、堕落しない真の愛を中心として縦的な父母の前に、九十度で連結された真なる父母がその愛を経て、縦的に激動することにより、横的な父母の激動となり、そこから縦横の種となって結実して生命として生まれてきたのが私たち人類なのです。そして本然のアダムとエバの息子や娘となるべきだったのですが、アダムとエバが堕落したがために、これらが狂ってしまったのです。縦的基準の前に十五度になったりして、駄目になってしまったのです。

 ですから再創造歴史を通して、再び新たなる男性が現れてこなければなりません。そして、神様の九十度の愛の中で垂直に立たなければなりません。垂直は一つしかありません。では、愛というものはなぜ垂直が必要なのかというと、それは愛が最短距離を通るからです。愛する人たちは最短距離で出会うことを願います。愛は最短距離を通り直行するのです。ですから、神様は愛が訪れてくる時には最短距離を通さなければならないのです。

 そのことを論理的にどのように解明するかということが、先生が最も苦心した問題です。愛は最短距離を通るということを知った時に、先生はうれしくて狂ったように踊り回ったことを今でも忘れることができません。宇宙とは、このようになっているのです。そのような縦的な因縁を結ぶためには、男性は東に女性は西に行って、神様が九十度の線を正確に整えた時、そこで平等的に接触するのです。もしその時、一歩でも後になれば失敗です。同時に爆発するように、統一的な生命の激動点を中心とする神様の愛の生命自体、父母の愛の生命自体となって、愛の定着地を迎えて、それを引き継いで生まれる男性や女性にならなければなりません。

 愛において、良心とは何でしょうか。どうして良心があるのでしょうか。良心とは、神様の愛を中心として縦的父母を引き継ぐことのできる血統的相続の基準なのです。そして体は何かというと、縦的な真の父母の前に九十度の角度で、横的な真の父母と愛で一体化できる基準に歩調を合わせるためのものなのです。ですから体は縦的な自分の前に、絶対的に横的な水平線を描くことができなければなりません。体とは横的な自分であり、良心とは縦的な自分なのです。また、良心の命令が体の主体となります。これらを全部、哲学的に理論的に明らかにしたのです。

 愛の出発は為に生きることから

 それでは、このような統一はいつから始めるのでしょうか。自主的愛というものを神様が絶対として定めなければ、神様は統一的基盤を持つことができません。孤独な神様になってしまいます。それゆえ、一つの理想的なモチーフが必要なのです。愛を中心とするところにおいては、自らすべてのことを成して、その後には受けたいと思うものです。先に為に生きてこそ正しいのであり、愛の出発は為に生きることからです。その後には戻るべきであり、その時が成熟期なのです。

 皆さんが、お父さんやお母さんに育てられて、大きくなったらお父さんやお母さんを愛することと同じです。すべてに成熟する時が訪れるようになると、相対的価値を求めて世界のどこにでも東西南北の四方のすべてに因縁を結ぼうとするので、縦的な神様も横的な体のようなものが必要になるのです。このように見た時、アダムとエバは愛を中心とした神様の外的な体であったというのです。分かりましたか?(はい)。ですから、「天之人主義」とか、「人之天主義」というのもそこから出るのです。

 祈祷をする時に、「神様、どこにおられるのですか」と祈ると、ここに来られているというのです。心の中にいるのです。どうして心の中に入っているかということの論理的説明は、文総裁が苦心して探求した結果の特許品ともいうべきものです。愛の道とは最短距離であり、紹介者は必要としないのです。愛する妻を訪ねていく夫に、愛する夫を訪ねていく妻に紹介者は不必要なのです。ただ、「あなたがここに来て一つになれば、天下のすべての生命の相続を受け、すべての物質の相続を受けるのです」という道理、原則が待っているのです。それは宇宙の理想的相対を通じた愛の因縁に従って、その生命の結果に従って調和と統一の喜びと愛とが生じるのです。六十兆にも及ぶ細胞の内外に、男性と女性と神様の愛を完全に統一できる力というのは、造作された愛ではありません。神様の縦的な愛、真の愛でなければできないことです。心と体をいついかに統一するかという問題は、真の愛でなければできません。

 その真の愛とはいったい何かというと、縦的神の愛と、横的な真の父母の愛を統一することのできる伝統的な因縁を引き継いで、血統を通した生命体を中心として、再び愛の基準を実らせることであり、それが真なる人間の生き方なのです。これは理論的にも一致するのです。このように見た時、人の目は垂直になっていなければなりません。鼻はアダムとエバを象徴しているし、目は神様を象徴しています。歯は万物の象徴です。三十二本の歯は、四掛ける八,イコール三十二であり、万物世界の表示的象徴なのです。そして、これらすべてのものは生殖器で結実しているのであり、これは生理学を研究すれば分かることです。そこはすべての生命の激動の始まる所であり、結実する所なのです。それが一〇〇パーセント解放されて、完全統一されるのは男性と女性がお互いに主人を求める生活から始まるのです。それでは、男性の体は誰のものでしょうか。男性たち答えてみなさい?(女性のものです)。男性のものの主人は誰ですか?(女性です)。女性のものなのです。他人のものを自分のものとするのは盗賊です! 他人のものを自分のもののように振る舞う人は盗賊です。盗賊は万国の逆賊です。

 このような真理のすべてを、先生は血と汗とを流して捜し出したのです。皆さんは価なしにそのような真理を持っていくのです。神様は偉大な方です。すべてを与えてくださったのです。分かってみると、すべて私のうちにあったことです。このようなことも知らないで一生涯を過ごした人は、どれほど苦しかったことでしょうか。人生問題において、今日まで神様が誰なのかということが分からなかったのです。神様と人間がどのように関係を結ぶべきかということが分からなかったのです。私の生命の祈願であり、私のすべての血統的祈願であり、万世、私と切り離すことのできない神様であるということを知らなかったのです。愛によって神様と結ばれているということを知らなかったのですが、その道理の合格者になるには霊界において十二の真珠門を通らなければなりません。

 ですから男女平等権という言葉も、垂直を通して、九十度を備えた理想の愛による決着点を描いて行動する男女の愛の中心として出てくるのです。分かりましたか?(はい)。息子や娘たちは前後の九十度です。ですから、この九十度にすべてを合わせなければなりません。そして理想的家庭を築かなければなりません。すべて家庭には三代が住んでいます。おじいさんがいて、壮年がいて、少年がいるのです。分かりましたか? 隣人を自分のお父さんやお母さんのように愛さなければなりません。万民を自分の息子や娘のように愛さなければなりません。神様を愛するごとくに万国を愛さなければなりません。このような心情で私たちは統一の国を恋い求めなければなりません。それは私たちが永遠に生きることのできる愛の中心とした理想天国だからです。アーメン。(アーメン)。そこにおいてすべての幸福が得られるからです。

 心と体の統一を果たせば、霊人体と体が九十度で爆発して、回り回って宇宙に来てぶつかり合ったとしても、お互いが助け合うし、破壊力を持たない一番安全なものとなるのです。皆さん、サッカーボールを水に浮かべておくとどうなりますか。それがサッカーボールであることを知らせずに、槍を持って突くことができるでしょうか。少しねじれると突くことはできません。しかし、ただ一つの真理の道理を通して、その底辺にある軸の垂直に通じるところでのみ突くことができるのです。「家和して萬事成る」という言葉は、そのような論理から出てくるのです。そこが一番安全であり、永遠に誇りを持って存続できる席となるのです。

 それで男性と女性が一つになって、丸い宇宙を造って神様に似るのです。愛し合った後には、神様に帰るのです。縦的な愛の版図における喜びはすべて、永遠に横的な愛の版図に帰るのです。神様の愛の圏内で、神様の体になるのです。その統一圏はどのようにして始まるのかというと、夫婦がお互いに「ああ、愛する神様を私が先ずつかまえます」と言って始まるのではありません。神様も、「アダムとエバよ、縦的であれ、何であれ永遠に私を愛せよ」と言って始まるのではありません。私が縦的であるのは横的なもののために存在するのです。

 主体である男性は、自らの前に対象として立つ女性のために存在しているのです。そして、すべて愛を中心としているのです。神様は知恵の王であり、どんなに戦ったとしても決して離れられないようにお互いの一番貴いものを置き換えて造ったのが男性と女性の愛の至聖所なのです。モーセが律法の柩のために建てたものが至聖所であり、これに触れると雷に当たるようになっているのです。子孫万代が滅亡します。ただ一人、その主人である祭司長のみが入れるのです。この律法に従いつつも、過去に罪を犯した人たち、子孫たちは、失敗した歩みを行ったならば、直ちに悔い改めて、天上に順応できる道を行かなければなりません。

 そのような原理による統一教会の結婚は、アメリカ人と東洋人、黒人と白人を一つにするのです。黒人の愛は真っ黒で、白人の愛は白いのでしょうか? 愛には色はありません。このようにして、万国が統一され、万国が一家族となる平和理論が設定されたのです。

 では、統一的理論からして、神様は自分を好きでしょうか? 神様が存続されるのは愛のためなのです。その相対となる人間は、横的な父母のために存在するのです。そして男性は女性のために存在するのです。神様自身も、「お互い愛するということは、私がまずあなた方を必要としたのです。それは私のためではなく、あなた方のためなのです」と言われるのです。それは、どれほど美しい真の愛の言葉でしょうか。男性と女性がお互いに神様をつかもうとするのは、それは自分のためなのです。そして、そこからどういうことが始まるかといえば、「私があなたよりも先に神様をつかみたいのは、私のためではなくあなたのためなのです」と言う時に、万事が解決されるのです。ここで統一がなされるのです。神様も、「あなた方をつかむのは私のためではありません。あなた方のためなのです」と言われます。これと同じ論理なのです。すべてがあなたのために神様をつかむのです。先生が苦労してつかんだものを捧げたいその人は、先生の愛する人なのです。良いものがあれば、それをすべてお母様にあげるのです。お母様が喜んで、「ああ、私のことをこんなに思ってくださったのですか。本当にありがとう」と言って、うれしい顔になります。天下がすべて蘇生するような気持ちになります。そして、さらに良いものがあれば、すべて「あなたもどうぞ」と、言います。そこで「あなたが喜ぶ姿を見て、私もうれしい」と、そのような家庭になるのです。ここから、理想論の統一祈願が芽生えるのです。

 愛によってのみ、天地創造の起源が生まれ、その愛の伝統は為に生きるという立場で粛然と伝承されていくのです。そのような論理を知っているので、統一教会の文総裁の生活は為に生きる生活なのです。分かりますか? (はい)。もし先生にお金があっても、それを自分のお金だと思って使ってはならないのです。統一教会の人々にあげてもなりません。そのように、愛の道をたどっていくことは無慈悲でもあるのです。鞭で打たれ頭が壊れ、足が折れてギブスをしながらも、この道を歩み通して父母様の愛の懐に抱かれて、骨が溶けて細胞が柔らかくなってくると、一〇〇〇年休んだ以上にすべての疲れが取れるのです。そのような秘訣を知っているので先生は眠らなくても生きられるし、食べなくても生きることができるのです。

 どうですか、文総裁主義は素晴らしいでしょう! (はい)。そのような愛を中心とした主義を頭翼というのです。人間世界と関係を結ぶために現れる神主義は愛を中心とするのです。分かりますか?(はい)。このように先生は、愛に狂って生きてきたのです。

 先生は滅びることのない民族を立てる

 神様をこの地に迎えて、万国の人類の祖国として、万人類の祖国として出帆するその日にこそ、恨みに覆われた人類始祖たちの解放の日であり、神様を解放する日であり、イエス様の死による二〇〇〇年の血が滲む殉教の恨みの祭壇が晴れる日であるということを知らなければなりません。数多くの人々が絶望して、方向感覚を失っているこの時代に、すべてを解決して平和の王国へ直行できる方向性がこの中にあるのです。そのような恵みを受け継ぐことのできる民族は不幸な民族でしょうか、亡国の民でしょうか。先生のみ旨を受け継げばこの韓国は滅びません。先生は滅びることのない民族を立てることができます。そのような種を蒔くことのできる基台を築いたのです。万宇宙を代表して賛美するに値するような、神様の身代わりとして愛の継承者として、褒め称えられる墓を残して去った人には地獄がないのです。そこから、地獄の解放が始まるのです。そのようなる美しい生涯を残すことはたやすいことではありません。まず、怨讐を愛さなければなりません。個人的怨讐、家庭的怨讐、氏族的怨讐、民族的怨讐、国家的怨讐、世界的怨讐を愛さなければなりません。この文総裁は、怨讐のアメリカを救ってあげようと思います。怨讐である中国とソ連を救ってあげようと思うのです。韓国は怨讐の国でありますが、この国を救ってあげるために先生のすべてを投入しています。疲れて、既に倒れて、流されて、消えてしまったのに、愛の絆は永遠なる存続性を持っているのです。ですから、今日も七十歳の老体に鞭を打って既に何時間話していますか。五時間、六時間話しても、先生は疲れも知らずにさらに喜んで話し続ける力はいったいどこから出るのでしょうか。愛の源泉と連結させる時に、偉大なる力が存続することを悟りました。このような事実を皆さんに伝授しますので、大事に相続して祝福された皆さんの家庭の血統的伝統を立てて、新しい生命の絆と新しい愛の絆で接ぎ木して万世無窮に存続できるようにお願いします。

 このような内容は、アメリカに行ってすべて勝利してきたのです。先生は、歴史がどのように流れてきたのかをはっきり教えてあげるために帰ってきたのです。それできょう説教に臨んだのですが、題目のみで、他の話を多くしました。このようなことも必要なのです。先生の胸に秘められた心的、霊的ストレスを解消しなければなりません。先生がもし韓国が滅びるように呪えば、大変なことになります。ですから、先生はどんなことがあっても怨讐を呪うことはできません。呪うとそのとおりになるからです。本当に先生は恐ろしい人です。先生が何か一言いうと、八カ月以内に実現するから、金日成も呪うことができないのです。金日成が神の摂理に必要であるということです。なぜかというと、善なる王とは、たとえ怨讐たちが踊りを踊ったとしても、そのダンスパーティの途中で「怨讐たちよ止めなさい」と言うことはできないのです。分かりますか。神様は偉大なる方です。怨讐たちが踊りを踊っていても、その怨讐たちのために拍手を送り、粗な後片付けをするのです。そのような両面戦法を適用する主人公なのです。神様はすべてを好まれますが、サタンは一方的に片付けてしまうのです。

 もし私が金日成に会えば、彼を救ってあげるべきでしょうか、どうでしょうか? (救ってあげなければなりません)。なぜですか? (いつも愛であられるからです)。それでは、どのように救ってあげなければならないからというと、救ってあげるには代価を支払わなければなりません。先生はそのような問題を深刻に考えて生きてきました。怨讐の国アメリカを救ってあげ、日本も怨讐であるため救ってあげました。大韓民国も私の怨讐でしょう? (はい)。レバレンド・ムーンを殺そうと今日までどんな働きをしてきましたか。李承晩政権、朴マリア、金活蘭がそうしました。彼女らは霊界に行ってみるとつまらない者になっているのです。「私はどうしてこんな所に来ているのだろう? 梨花女子大学を建てた総長なのに、なぜこのような所に連れてこられたのだろう」と言っているのです。自分が愛の主人を裏切ったことを知らなかったからです。今やそのことを知ることができる時代になりました。世界が、先祖たちが皆文先生を尊敬するので、これからは悟るようになるのです。先生はこのような時代が来ることを知っていたので、じっと四十年間耐えて来たのです。分かりますか?(はい)。

 これからは悟れない者たちはそのままにしておきません。すべての世界を一つひとつ速やかに整理しなければなりません。先生はそのような能力を持っています。そうすることのできる基盤を持っているのです。先生のこの目を見てください。先生の目は恐ろしい形をしていますか、優しい形をしていますか? (恐ろしい形です)。恐ろしい形もするが優しいのです。愛とはそのようなものです。愛は恐ろしくもあり、優しくもあるのです。ですから、家庭に入るとお母さんは柔らかく、お父さんは堅いので家庭が調和されるのです。息子、娘たちがお父さんに話したいことがある時には、「お母さん、お父さんに伝えてください」と言うでしょう?(はい)。すべてはそうなっているのです。原則なのです。

 ですから、皆さんが滅びることのない群れになるように、きょう初めて会った皆さんにも切にお願いするのです。韓国が将来人類の祖国、天地人の祖国になるためには、その祖国の定礎を置かなければなりません。そのためには宿命的な課題を解決して、天の前に報告し、人類の前に示してあげなければなりません。そのために皆さんは、踊りの会場に行けば踊らなければならないし、笑う会場に行けば笑わなければなりません。また、畑を耕さなければならない時には畑を耕すのです。千体万象の環境に自ら合わせて、真の子女たる道理を果たすことのできる人にならなければなりません。そうなれば、祖国の栄光は皆さんを通じて万国に伝達されることでしょう。アーメン。(アーメン)。では祈祷しましょう。

 お父様、再び忘れようにも忘れられない韓国に帰ってきました。忍び切れない恨みと、曲折と、忘れられないことが交差する環境を眺めながら、復帰歴史を目の前において、摂理史を率いてきたユダヤ教とキリスト教の大転換の相続が新しい角度から展開した時代に、責任者として選ばれたイエス・キリストの悲惨な十字架の血の歴史によって、悲しみを受けられたお父様。そのすべての恨みを晴らすために、きょう韓民族を五〇〇〇年に近い歴史過程で、受難を受けてさすらいの実となるようにしてこられたすべてのことは、この国を万国の安息所として立てるためのお父様の愛であったことを思う時、我が先祖たちの生まれを呪い、この大地の上で生きていることを呪ったすべての恨みを晴らすことのできる福音のみ言であったことをはっきりと知りました。

 きょうは長い時間をかけて、いろいろな話をしました。このみ言の中で、統一教会の先生という人は、あなたが探している真の愛の道のために、為に生きる祭壇を万国に拡張させて、行ったその祭壇の上に新しい子女を立てて、その子女を保護することのできる神様が先立って、また、子女の後ろでこれらを保護するための歴史的な行路があり、人類を代表して愛で抱くために、一つの天に侍り、地に侍り、縦横に侍る上下、前後、左右が自然に循環して位置を決めることのできる同一的価値を持つための歴史的な行路であったことを考えた時、心から感謝申し上げるものです。
 この幼い私を召されたのもあなたであり、数多い訓練路程で誰も耐え得ることのできないような立場においても耐え得るようにと、このような内容を教えてくださったのもあなたであり、この世において隠されてきた宝物を相続させてくださったのもあなたの愛であったことを知ったので、今日までありとあらゆるものを捧げながら、この場までやってまいりました。

 私が、いつこの世の頂上で自由世界を気ままにしようと思ったことがあるでしょうか。いつ自分を中心としてすべてのものを占めようと思ったことがあるでしょう。あなたなしに何もできないことを御存じであるお父様は、あなたが立つべきその立場に私を立たせて、代わりになって守るようにと命じられ、あなたが率いるべきその立場に私を立たせて、代わりになって率いてくれるように願われた愛の心が、私の生涯のすべての路程とその回りに結ばれていることを御存じであるお父様はここを離れることができず、私と共におられたことを知っております。

 死なざるを得ない境地に立つ度に、いつもあなたが権能の服を私に着せて、解放の旗印を揚げさせ、歴史時代を経ながら万世の跳躍のプレゼントを、伝え授けてくださったことを、再三にわたって知っております。

 今や韓国に帰ってきましたので、これからあなたが計画するすべてのことがみ旨どおりに行われますように。私たちに対して、すべての人々が、天理に順応できる春の園で、すべての万物に春の光が訪れて甦って色を誇ることができるように、新しい愛の春光によって復活の歴史がこの韓国の彊土に染み込んで、新しい種の基盤となることができるように切にお願い申しあげます。

 残された世界の相続者として、それを伝え授けることのできる継承者として、歴史の代表者として恥ずかしくない後継者を残すための師として、父母をとして、指導者として、恥じることのない現実の実践の場を主導できる、愛の主人となれるように承諾してください。上を見ても恥じることなく、下を見ても恥じることなく、前後を見ても恥じることなく、左右を見ても恥じることなく、父母の前でも、妻子の前でも、神様の前でも、昼も夜も恥じることのない、愛しながら過ぎ去る立場、愛しながら鞭打たれて横たわっている立場であることをよく知っております。あらゆることに投入して、お父様の前に公にいただいたその道で愛のみを残していこうとする人の将来は、あなたが保障し、あなたが保護されるということを知っているので、統一教会の人々はこのような師の伝統の生活的哲学に従って順応して生きる人々となれるように承諾してください。

 自分の前に現れた夫たる者は、歴史の中の神様の復活体であり、再臨主の化身体であり、おじいさんの化身体であり、お父さんの化身体であり、お兄さんの化身体であり、弟の化身体であります。自分の前に現れた妻たる者は、歴史の中の神様の化身体として、おばあさんの理想体として、お母さんの分身として、お姉さんの分身として、妹の分身として、自分と直接因縁を結んで、その愛の厚徳を家庭の上に広い妻の毛布で被せてあげるための因縁の中に施された恵みであることを悟り、愛から始まって、愛に生き、愛に眠り、愛に起きるように、お父様が共にあって守ってくださり、目覚めさせて導いてくださいますように。そうして、あたかも師がそうであるように、そのようになれる因縁を厚徳の恵み共に施してくださいますように、切にお願い申しあげます。これから三日を越え、明日よりの新たなる熾烈な戦いを展開する道の前に、お父様が共に協力してくださいますようにお願いし、統一教会が行くべき将来において活動の場で、また哀切な愛の道を探して故郷へ帰っていく路程で、疲れて倒れる絶望者になることなく、喜びの勝利者となって、錦衣行して天国を受け入れることができるようにお願いしつつ、このすべてのみ言を真の父母のみ名によって祝願致しました。アーメン。(アーメン)。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.01.10 20:52:09
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