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分派(祝福権委譲と異端者・爆破者宣布ほか)

2018.07.05
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​​これまでの話を要約すれば、お父様がイエス様の使命継承者(中心人物)となるためには、過去に加重された蕩減条件を一代で蕩減復帰しなければならないという原理原則があり、お父様も例外なくそうだったといえる。
これまでの内容は私tomy4509の個人的意見としてだが、原理講論にもある記述を分派の方々であっても否定される方はいないと思う。元能登教会長・郭炳憲氏もまた「原理は正しい、お父様は正しい」との説教をされていた。ところが、お母様の語る「独生女」を信じることが出来ないといっては三男さんのところへ行かれたのだが……。原理講論を改めて読めば「父母」「真の父母」が随所に出てくる。これをもってしても「真の父母」がどれだけ重要かを伺い知ることが出来る。

このように、「お父様に原罪があったか? なかったか?」をことさらに論ずること自体がバカげたことであり、
「真の父母」は、いうまでもなく「独生子・独生女」が出会って「子羊の婚宴」を成したものだ。

それにもかかわらず、真のお母様が「独生女」を信じることが出来ないは、ヨンギ氏の言葉を借りれば「狂った人である」ということだ。原理講論の「真の父母」も信じられない、原理そのものが間違いだ、といっているようなものだからだ。

私tomy4509からは、「お父様に原罪があったか? なかったか?」は原理講論から見ても矛盾しないことを示唆したものであって、原理講論にその具体的記述がない以上は個々人の信仰に留めておいてよいものだ。あくまでもその起点は「真の父母」だということだけは心にとめて置いて頂きたい。

また、「お父様に原罪あり(堕落圏から)」といったとしても、キリスト論の「第一節 創造目的を完成した人間の価値」等から見ても価値的には何ら問題がない、ということだ。
むしろ、「僕の僕」から「神様」に至るまでの本来堕落人間が通過しなければならない縱的八段階を一歩一歩と復帰されてその道を切り開いてくださった「偉業」が光り輝くだけだ。



ヨンギ氏(マキの夫)ほか「独生女批判」をされる方々は、お父様が語られた「独生女」を隠し、また、原理講論までも「改ざん」しては、お母様(独生女)までも排斥して何が出来るというのか? だ。

お母様を貶めれば、三男さんが「長子だ」「後継者」といってはお父様の後釜に入れるとでも思っているのだろうか。

アブラハムのイサク献祭はどうだ。
「GPFを1年間停止して原理(アベル・カイン)を学びなさい」は?
また『真の父母様宣布文』では、エサウのように「天の祝福(血統)」よりも「パンとレンズ豆のあつもの(UCI)」を選択していかれたのが三男さんだ。





ヨンギ氏よ、
私の言っていることが間違っているか?!









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最終更新日  2018.07.05 00:13:07
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2018.07.04
前回記事「ヨンギ氏(マキの夫)の質問に応えて-- お父様に原罪があったか? 」の続き。

お父様に原罪があったか? なかったか?」については原理講論には直接の記載はないが、そのヒントがいくつか書かれていた。

イエス様の十字架(第二次世界的カナン復帰路程の失敗)以降、​「第三次世界的カナン復帰路程」が出発した(P.420~)。
出来れば「第三次世界的カナン復帰路程」全体を読まれることをお薦めするが、ここではその中の「再臨主を中心とする実体的カナン復帰」の一部を掲載しておく。
​​​​​​​​​​​​​​​​(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程

……再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。……再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。
……
神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。……
このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである……。

それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。
……
イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。
イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。
しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。

それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。……再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。

……もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。
​​​​​​​​​​​​​​​​
これは、前回の復習ともいうべき内容である。イエス様は洗礼ヨハネの立場で十字架に架かられた。その使命を継承さ有れた(肉身の)再臨の主も洗礼ヨハネの立場からということだが、果たして「原罪はありや? なしや?」である。

また、P440~を見れば「縱的な蕩減条件と横的な蕩減復帰」では、
​​​復帰摂理のみ旨を担当した中心人物は、自分が立たせられるまでの摂理路程において、自分と同じ使命を担当した人物たちが、立てようとしたすべての蕩減条件を、自分を中心として、一時に蕩減復帰しなければ、彼らの使命を継承し、完遂することができないのである。したがって、このような人物が、また、その使命を完遂できなかったときには、彼が立てようとした蕩減条件は、その次に彼の代理使命者として来る人物が立てなければならない蕩減条件として、その人物に引き渡されるのである。このように、復帰摂理路程において、その摂理を担当した人物たちがその責任を果たせなかったことから、歴史的に加重されてきた条件を、縦的な蕩減条件といい、このようなすべての条件を、ある特定の使命者を中心として一時に蕩減復帰することを、横的な蕩減復帰というのである。​​​
​との記述もある。

またほかには、アブラハムは「アダム→ノア→アブラハム」の三番目であり、神はサタン側の偶像商の長男・アブラハムを神側に復帰することが出来た。同様に「アダム→イエス様→再臨主」と三番目、神様はまた、サタン側から再臨主を復帰してくる条件が成り立つと言えないだろうか!!

今回は原理講論から眺めてみた。

<続く>





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最終更新日  2018.07.04 00:40:13
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2018.07.03
​​​ヨンギ氏の記事コメント欄(以下)へのtomy4509(peace)の回答。


真の父母様宣布文は悪意の塊である。
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12387936175.html
Re:前回のコメント欄からですが……

>peaceさん
あなたは、一体、いつから、真の父が原罪ある
と思うようになりましたか?まさか、この道に
入教した頃からとは言いませんよね?およそ
半世紀の間、真のお母様の語られた、独生女論
は、初めて聞いたことなのです。原理講論に書い
てある、いわゆる『独生女』は、全く違います。

マキの夫2018-07-02 21:29:23


(まずのお断りですが、以下はあくまでも私tomy4509の個人的意見の何物でもないということをご理解くださいますようお願いします。また、「独生女論」はお母様批判のために作られた造語であったことをtomy4509はこれまで強調してきたことをつけ足しておきます。)


>マキの夫さん

お父様に原罪があったかなかったか?

原理講論にはそれの記載がありませんし、また、お父様がメシヤ・再臨主であるという記述もまったく見当たりません。
私たちがお父様がメシヤ・再臨主であると明かされたのは講義「主の路程」によってでした。それによれば、「16歳のときにイエス様と出会って天の召命を受けた」と聞かされていました。16歳以前のことについては幼少期の性格についてはありましたが、「原罪云々」についての説明はありませんでした。
ほかには、お父様は「一時期、堕落人間のように45度頭を下げて生活された」という話もありました。
ヨンギ氏、貴方はどうでしたか?

イエス様が「無原罪」で聖誕したからその再臨主も「無原罪」は、ユダヤ人が「エリヤは雲に乗って来る」と考えていたように、因習による以外の何ものでもないようです。

また、原理講論には「独生女」そのものは書かれていません。何故なら、原理講論は「来るべき再臨主は…(肉身を持って、しかも、二方「善の父母」として来られる)」というように、『預言の書』的にクリスチャン向けに書かれたものでした。

ここでイエス様の話をしましょう。
イエス様は「無原罪」として聖誕された「ひとり子(独生子)」でした。
ところが、そのイエス様を証しすべきエリヤ・洗礼ヨハネが不信したゆえに40日断食の後サタンから「三大試練」を受けました。これは無原罪のイエス様にあって然るべきことだったでしょうか? (原罪のある)洗礼ヨハネの立場にまで降りて本来のイエス様の位置を復帰して来ざるを得なかったということでしょう。
お父様もまた洗礼ヨハネ的使命者がありましたが、その方々も同様でした。よって、お父様も原罪ある立場から復帰(牢獄から)というのが通例の考えであり、堕落圏から長成級完成期まで復帰された上で「子羊の婚宴」を持たれたというのが、私個人の認識でした。また、16歳の天の召命以前については「主の路程」で聞いたそのままで、その時までのお父様についてはどちらの考えも持ち合わせていませんでした。

その一方、お母様については原理講論に書かれた(天から来た)「善の父母」ということで、(無原罪の)実体聖霊としての信仰を持ってきました。


真のお母様の語られた「独生女」は、初めて聞いたことなのです。
原理講論に書いてある、いわゆる『独生女』は、全く違います。


「独生女」批判される方々が口々にされることは、お母様が初めて語られたかのような誤解を招くようにしての誤導操作がされていたようです。



一方、「独生女理論」であるかのように言われた​「天法苑長・金振春」のそれ​は実は、お父様が語られた「独生女」について紹介したものでした。




1959年10月11日、「子羊の婚宴」の前年から「独生女」について語り始めておられました。数的には180個と少ないもので私たちの目にはあまり入ってきていなかっただけだったということです。

さて、お父様が語られたという「独生女」ですが、私からはまずは黒・天聖経に書かれたそれをブログで紹介していました。


ほかいくつかありましたが、お父様が語られた「独生女」(本然のエバ)に関するみ言と、お母様がこんにち語っておられるそれとにどのような「違い」がある、といって反対される方々は批判しているのでしょうか?

「初めて聞いた」ではなく、
お父様のそれを見ようともせず語ろうともしないでは、
まったく話にならないではないですか。


前述したように、原理講論には「独生女」は書かれていません。
だからといってこれを否定する根拠はまったくない、ということも申し上げておきます。




ヨンギ氏よ!
人に「原理を勉強しろ!」といわれる前に、聖書も読まれたらいかがですか?!

神様は「ハナニム」、真の父母も同様です。アダム・エバであっても「一対」、神様の似姿として創造された「一方」ということであり、最終一体の宣布をされました。また、そこから出てくる血統も「一つ」であって二つではありません。








<続く>





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最終更新日  2018.07.03 06:22:38
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2018.07.01
昨日届いたAPTFからの定期郵便物。その中の『祝福家庭 89号(夏号)』に徳野会長の講和「真実を語られる真のお母様の心情、事情、願いを正しく理解しよう」が掲載されていた。その中のP.10~からだ。
直系の長子の立場にいる者が中心人物に

「天の摂理において明白なことは、「真の父母」です。真の父母は、『天地人真の父母』です。この天地人真の父母は、前にも、あとにもありません。ただお一人です。後継者という概念があり得ないという話です。分かりましたか。
 この天地人真の父母の伝統を受け継ぐにおいては、直系の長子の立場にいる者が中心人物になることはできます。それは易しく言えば祭司長の各位です。皆さんの国に責任を持った人は、国の祭司長です。
 けれども全体的に、真の父母を中心とした伝統を立てていくにおいては、直系の長子の子孫が代を継いでいくようになります」

ここで「長子」というのは、これまでのtomy4509の調べでは家系の兄弟の長「長男」を指してのものではないということだ。真の家庭における女性子女様も含めての全子女様方である。
上記引用文はお母様が3月に米国で語られた内容のようで、徳野会長の講和からも「真の父母に二代目はいません」が「中心人物になることはできます」として、その各位は「後継者」ではなく「祭司長」であるということだ。ところが、「分派に関わる3人の男の子女様たち」はその「後継者」を巡っての争いをしており、もしもそれが続くようならば、お母様は別の道もすでに準備されているということだ。



これはごく一部の紹介であり、文全体を読まれて「真のお母様」への理解を深めていきましょう!!

今日は7月1日、さいたまスーパーアリーナに真のお母様をお迎えしての2万名大会があります。
大会の勝利を祈願します。
私は田舎教会(or 自宅)でインターネット生中継の視聴となります。



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最終更新日  2018.07.01 20:00:05
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2018.06.30
​kimuchi氏ブログ記事からの引用:

「7・1 埼玉スーパーアリーナ日本大会」は “女メシア宣言大会”の挙行
https://kimuchi.muragon.com/entry/502.html

​断わっておきますが、再臨の再臨は最早ありません。お父様も、既に真の長子家庭(顕進ニム→信元ニム→定男ニム)を得られて「다 일었다 全て成した (天暦2009.9.10)」宣言を成されました。
メシアとは“父母” の別名称です。にも関わらず、それを殊更に “女メシア宣言大会”の挙行となると、再臨主(第3アダム)および後継者/참長子(第4.5.6次アダム)の否定に繋がることを知らないといけません。そして参加者の皆は、それに加担条件を立てることになります。

真剣かつ深刻を極めた話です。為に、今回はここに敢えて “顕進ニム” と“お母様” と霊界に居られる “お父様” と “大母ニム” とに特別にビデオ動画や霊界通信を介してご登壇を頂いて、其々のお話/ご主張を伺ってみたくあります。

​あとは、各自の責任で "霊(心霊)と真(真実)" をもって礼拝してください。​​
ここで、天暦(陽暦では?)2009.9.10の宣言とあったが、どこかにその出典ともいうべき一文はあるのか? 
文鮮明先生み言葉選集の第615巻(P.283)からは、
2009년 9월 10일(木), 천화궁.
* 이 말씀은 아침 식탁에서 하신 것으로, 제목은 편집자가 붙였음.

있다는 것입니다. 알겠어요?「예.」
자기가 옛날에 결혼한 사람과 축복을 받더라도 그것을 에덴동산에서
잃어버린 축복의 연장으로 인정할 수 있습니다. 그래서 평화의 조상과
주인이 아니 될 수 없고, 혈통의 조상과 주인이 아니 될 수 없는 참가
정입니다. ‘원 패밀리 언더 갓(One Family under God; 하나님 아래
한 가족)’의 이상적인 기준에서 하나님의 조국과 고향 땅을 넘어서기
위한 탕감적인 제물을 바칠 수 있는 그 날을 위해서 준비해 나가는 기
간이 3년 3개월 20일입니다.
……
2009年9月10日の朝食のテーブルでのみ言があったが、三男さんの名は出ていなかったようだ。ほかのどこかで三男さんについて宣言されたみ言葉があるのか、ということだ。kimuchi氏は、それについて責任をもっての回答を願う。

私からは別のみ言をつけ足しておこう。
トゥデイズ・ワールド・ジャパン2010年1月号のP.10,11、お父様がその約1か月後の10月15日に郭錠煥氏に向かって語られたものだ。

郭錠煥氏に二度も「行ってきなさい」とは何処へ行けといっていたのかはいうまでもなく「三男さん」のところだ。





ここでは、文捧王(郭錠煥氏)は「ルーシェルの兄、ルーシェルの父」と語られていた。また、「娘・婿を思い通りにできないのか?」とも。

ルーシェルとは誰か? 郭錠煥氏の娘婿とは誰か?

同じくP.14も開いてみよう。
ここでも郭錠煥氏だけでなく三男さんの名も出てくる。




このお父様のみ言は2010年10月14日「天宙祝福式」の翌日に語られたもので、
三男さんの子(孫さん)・「定男さん」の名前もあるが、果たして、その場で文字通りに祝福されたものであっただろうか?
否!! 郭錠煥氏に二度も行かせてその祝福式への参加を促したものだが、それには三男さんは参加していなかった。故に、三男さんの子(孫さん)へも行くべき祝福は頓挫してしまった格好である。
「郭錠煥氏!」、これに続く一文も三男さんの考えに対してお父様からの忠告ともいうべきものだ。
三男さんは、父母様を飛び越えて直接に神様につながろうと考えていることへの警告である。
血統ということを考えれば、父母無くして血統は連結されていかれない。
お父様ひとりだけであってはその血統は生じないことだ。
よって絶対「性」、絶対父の精子と絶対母の卵子がついに新しく出会うべきときがこの天宙祝福式、三代圏であった。

その後に「異端者爆破者宣布文」が2010年6月、「真の父母様宣布文」が2011年と続く。

kimuchi氏、2009年9月10日の三男さんに関する宣布は有りや?  無しや?
お父様のみ言と、偽霊媒師による霊界通信、どちらを信じるか!!
「再臨の再臨は最早ありません」。天の血統、真の父母様の血統に連結されることが出来るのもお母様が地上に居られるときです。分派子女様も例外はありません。もう一度「霊的」にも重生されなければならないでしょう。

絶対「性」、絶対父の精子と絶対母の卵子がついに新しく出会うべきとき--こんにち、「独生女」の否定はその血統をも否定したものであることを今一度知るべきである。


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最終更新日  2018.06.30 11:15:34
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2018.06.23
​​「師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!」、第7回目である。
エリコ城は7周りした後に陥落していったが、果たして。

今回の師観氏記事。

韓女史が人類の真の母として認識されるためには(韓国至上主義を超えるべき)
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-378.html

これまで同様に、お父様の「独生女発言」も語らず、また、原理講論の内容についてのそれもない。
「古参の食口」(777双)ということだが、聞いて呆れるばかりだ。
カテ「家庭連合 批判告発」メンバーの記事を紹介したり、情報源もあやふやなものばかりだ。
まして、師観氏のコメントなどはどうでもよいことだ。
「古参の食口」というのであれば、後輩からの疑問に対して応えられたら如何なものか。私の挙げた「お父様の独生女発言」や「原理講論」のそれについてだ。

師観氏のしていることを見れば、統一教会を異端宗教やカルト宗教といってはその信徒を拉致監禁して「改宗」しようとしていた反対牧師、脱会屋と内容はさほどに変わりはない。
既存の神学や既成概念でもって家庭連合への信仰(信用)を失墜させようとするものであり、強いては家庭連合つぶしまで図ろうとしている。特には師観氏は「嫌韓主義者」であり、ブログ記事でもそれを拡散しては日韓の関係をきりさこうとしているのが随所に見受けられる。お父様は日韓米の一体化を推し進めてきたが、まさに、それに逆行するものだ。
お父様(父母様)に対してもメシヤ・再臨主だなどとの思いは一切ない。したがって、祝福を受けたとしても祝福家庭には救いなどない、というのが結論だ。

余談だが、「師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!(その6)」を書き終えた朝方に三男派へ行った郭グループ(郭血族)の前能登教会長・郭炳憲氏(FPAJapan)が霊的に私のところへ訪ねて質問をしてきた。「霊的な実感」を伴ったものであり夢ではなかった。
さて、「彼の質問とは?」は、​洗礼ヨハネが牢屋から弟子をイエス様に遣わして「あなたはメシヤですか?」と訊ねたくらいに何をいまさらといったようなものであったので、あまり記憶に残っていない。

郭炳憲氏の教会長としての最後の日曜礼拝での私との関係については、ブログ記事で紹介していた。
彼の能登教会在職時2年間にわたって「独生女理論」とか言ってのお母様の「独生女発言」を批判し続けていたものだが、その礼拝を前にして私のブログ記事で「独生女考(21)-- 独生子といえども「罪人」として歩まざるを得なかった理由」、「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!!」と断言記事を書いた。彼がそれを読んでのものと思うが、その最後の礼拝では私を見ながらも横に座るママさんに独生女に関する(「信じられるか?」といったような)質問を何度も投げかけていた。以下がその続きだ。
『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。
この後を読み続ければ、




​ここでもハッキリと第三のアダムの相対者について、「堕落前のエバ」「堕落していないエバを探し出さなければ」と書かれていた。​
今日、韓総裁の無原罪の「独生女」を裏付ける一文である。

​ところが、「お母様は原罪なし お父様は原罪あり これは本当ですか はっきり答えよ!」などと松濤本部前で騒ぎ立てている話も聞く。​

第三アダム--再臨主の相対はキリスト教圏から探し出さなけらばならなかった。無原罪の「独生子」「独生女」が出会って「子羊の婚宴」のはずであった。ところが、文総裁の第1番目、2番目が失敗し第3番目に韓総裁が来られた。統一原理の蕩減原則から、誰かがこの失敗を蕩減しなければならない。
2000年前のイエス様と同じだ。イエス様自身、神のひとり子として来られながら洗礼ヨハネの失敗によって、サタンからも試練を受けイエス様自らが洗礼ヨハネの立場から出発しなければならなかった。
原理講論にもそれが書かれている。

師観氏に限らず、前・能登教会長もお父様の「独生女発言」を一言も語らず、原理講論のそれもなかった。
ヨンギ氏、kimuchi氏なども私からの間違いの指摘に対しては何一つとして訂正しようとはしない。
彼らにとって三男さん擁立が難しいと分かると「やれ、長子だ! 後継者だ!」の記事は消え、デマ記事の垂れ流しによって「家庭連合つぶし」だけが正義とみているのか?

「侍さん」​作成のものは以下。








間違っていることに対して、もしもそれが認識不足からくるものであれば訂正していくことも可能であろ。
ところが、それを知りつつもなおも頑なになって心を開かないとするならばエジプトのパロ王の兵士らが紅海を渡れなかったようになるだろう。
天の父母様は誰一人として滅びることを望んではいない。出来得るならば、お父様の「独生女発言」、原理講論にも耳を傾け、神霊と真理に目覚めて正しい道を歩まれることを願う次第である。

悲しい歴史を次世代に引き継ぐことはしたくないものである。




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最終更新日  2018.06.24 08:35:56
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2018.06.21
師観氏の意見を百や千並べたところで何の価値もない。いつまでそれを繰り返されるのか?
自称「古参の食口」がお父様のみ言も語らずば、その香りも漂って来ない。
以下に師観氏の記事引用

ご父母様の原罪のことに関する考察
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-377.html
​ある人が次のような意見を述べました:

ご父母様の原罪のことについてですが、もう本当にざっくりと言ってしまえば、サタンが讒訴する条件が成立しない 状況が整えば、無原罪のメシヤが誕生するわけです。



これに対する師観のコメント:

・文教主がどうして無原罪で生まれることが出来たかについては、すでに7つぐらいの項目を以前の日記で挙げておきました。

その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。これを採用すると、複数のメシア候補が可能になります。

アボジが初めて日本に来た時に、語られたみ言葉の中に、自分も含めて7人のメシア候補がいたという。

韓国の権威のある宗教雑誌ではメシアを名乗る人物が50名もいるという。同様に、メシアの妻になる方もこの説を採用すると無原罪になりうるハ-ドルが低くなるでしょう。

そうすれば、目くじらを立てて、誰が原罪があるかないかで大げさに騒ぎたてる必要はなくなるでしょう。

但し、TMのみが生まれながら無原罪の独生女で、TFは彼女に出会って無原罪になったというと韓国の教会責任者たちにも手に負えなくなり、物議が生じ、澤田氏みたいな人達が抗議に本部に押し寄せて来るでしょう。​​

​「その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。」​は「独生子」でなくとも「独生女」にも当てはめられ得る内容だ。
ところが、それらは原理講論には書かれていないものであり、師観氏は新しい原理(非原理)を語っておられるのではないか。

これに関しては、原理講論にはしっかりと書かれたものがある(P.440~)。
(二)縦的な蕩減条件と横的な蕩減復帰

 ​​復帰摂理のみ旨を担当した中心人物は、自分が立たせられるまでの摂理路程において、自分と同じ使命を担当した人物たちが、立てようとしたすべての蕩減条件を、自分を中心として、一時に蕩減復帰しなければ、彼らの使命を継承し、完遂することができないのである。したがって、このような人物が、また、その使命を完遂できなかったときには、彼が立てようとした蕩減条件は、その次に彼の代理使命者として来る人物が立てなければならない蕩減条件として、その人物に引き渡されるのである。このように、復帰摂理路程において、その摂理を担当した人物たちがその責任を果たせなかったことから、歴史的に加重されてきた条件を、縦的な蕩減条件といい、このようなすべての条件を、ある特定の使命者を中心として一時に蕩減復帰することを、横的な蕩減復帰というのである。
 例を挙げれば、アブラハムがその使命を完遂するためには、アダムの家庭と、ノアの家庭が立てようとしたすべての縦的な蕩減条件を、一時に横的に蕩減復帰しなければならなかった。ゆえに、アブラハムが、三つの供え物を一つの祭壇に置いて、一時に献祭したのは、アダムからノア、アブラハムと三段階にわたって延長されてきた縦的な蕩減条件を、アブラハムの献祭を中心として、一時に、横的に蕩減復帰するためであったのである。したがって、その三つの供え物は、既に、アダムとノアが立て損なったいろいろの条件と、またアブラハムが中心となって立てようとしたすべての条件を象徴するのである。
 そうして、ヤコブは、ノアから彼自身に至るまでの十二代の縦的な蕩減条件を、一時に、横的に蕩減復帰する条件を立てなければならなかったので、十二人の子供を立て、十二部族に殖やしていったのである。同じく、イエスもやはり、四〇〇〇年摂理歴史路程において、復帰摂理を担当してきた数多くの預言者たちが残しておいた縦的蕩減条件を、彼自身を中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさらなければならなかったのである。
 例を挙げれば、イエスが、十二弟子と七十人門徒を立てられたということは、十二子息と七十人家族を中心として摂理されたヤコブの路程と、十二部族と七十長老を中心として摂理されたモーセの路程などの、縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に横的に蕩減復帰なさるためであったのである。また、イエスが四十日断食祈祷をされたのは、復帰摂理路程において、何回も繰り返された「信仰基台」を立てるのに必要とされる「四十日サタン分立」のすべての縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさるためであったのである。​このような意味から見るとき、復帰摂理を担当した人物は、単に一個人としてだけではなく、彼に先立って、同一の使命を負ってきたすべての預言者、烈士たちの再現体であり、また、彼らの歴史的な結実体であるということを知ることができるのである。​​​
再臨主といえどもこの原理原則を逃れることは出来ない。
イエス様の使命継承するためにはその蕩減条件は必須と書かれていた。故に、お父様はすんなりとその使命を引き受けたわけではなかった。

また、師観氏は再臨主候補について7名いた。また、50名とも書いている。
原理講論のP.220~からは、
6) 終末に起こる霊的現象​​​​

 ……
 終末には、「あなたは主である」という啓示を受ける人たちが多く現れる。しばしば、このような人たちは、自分が再臨主であると考えて、正しい道を探していくことのできない場合が多いが、……アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に達すれば、神が彼らに被造世界の主になれと祝福なさった、その立場を復帰したという意味から、「あなたは主である」という啓示を下さるのである。
 終末に入って、このように、「主」という啓示を受ける程度に、信仰が篤実な聖徒たちは、イエスの当時に、主の道をまっすぐにするための使命をもってきた洗礼ヨハネと、同一の立場に立つようになる(ヨハネ一・23)。……。
 霊通者が、「あなたは主である」という啓示を受けたとき、このような原理的な事情を知らずに、自分が再臨主だと思って行動すれば、彼は必ず、偽キリストの立場に立つようになる。終末に、偽キリストが多く現れると預言された理由もここにある。……。
 ……神は各自をして復帰摂理の目的を達成させるに当たって、彼らが各自最善を尽くすように激励なさるため、「あなたが一番である」という啓示を下さるので、横的な衝突を免れなくなる。また、彼が担当した部分的な使命分野においては、事実上、彼が一番であるために、このような啓示を下さることもある。
​​​​

また、「予定論」で復帰摂理の中心人物となり得る条件についても書かれていた(P.245~)。
第三節 人間に対する予定

​​​​ アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果たして、初めて神が予定された人物となることができるのであるから、神は彼らがいかなる人物になるかということを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。
 では、神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の「み旨成就」においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための九五パーセントの神の責任分担に対して、五パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした「み旨」が一〇〇パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。
 例を挙げれば、……。
 つぎに、​神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるか​ということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。
 それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。​​​

『師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!』、原理でない非原理をも語っておられるようだ。
その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである。
「古参の食口」が、後輩食口たちや二世たち悪いことを教えてよい、いうのか?



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最終更新日  2018.06.21 00:43:28
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2018.06.14
​ヨンギ氏(マキの夫)の記事で紹介された映像についてだが、以下が問題の字幕スーパーの部分である。

金榮輝先生は真のお母様を原罪があると言っていた
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12383455941.html



金榮輝先生が語られた(?)それは、画像からも「2015年9月 天一国指導者特別教育」となっていたがわずか数十秒の字幕と音声のみであり、その真偽が問われるべきものと思う。

私が疑問視した理由の一つは、重ねられた静止画像がいつのものかである。バックの英字からは「ニューヨーク、11月」と書かれているようでタイトルの「2015年9月」ではない。

さて、自称ルポライターtomy4509による実際の調べによれば、2013年11月16日、ニューヨークでの講演の時のものであったことが判明した。



この実際の映像はPeaceTVホームページ(​こちら​)からも視聴できるものであり、また、その講演内容も素晴らしいものであるので時間の許される方は見られることをお薦めする。また、文字起こししたものも下部にあるので少なくともそれに目を通されては如何がとも思う。

これまでもヨンギ氏のデマ記事の指摘を幾度となくしてきたが、家庭連合を貶めようとすることのみに躍起になり過ぎては一向に反省の気配すらないようだ。

以下tomy4509のヨンギ氏記事反論の記事群。


今日は「サタンが怖れる「独生女」とは?」の第2弾を予定していたが、後日に回すことにする。
「独生女批判理論」の矛盾点に照明を当てていくものである。




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最終更新日  2018.06.14 01:31:16
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2018.06.10
​​​師観氏、kimuchi氏ともにお父様のみ言「独生女」については一言も出そうとはしない。
以下のkimuchi氏のそれもまた同様であった。kimuchi氏は三男派と認識していたが、これに挙げたビデオはサンクの澤田治平氏のそれだ。
今回もなりふり構わずの「独生女批判」ということか。

小山田氏の見解ではお母様の祝福は正当なのか?
https://kimuchi.muragon.com/entry/490.html
小山田秀生氏の見解が明確に!

https://youtu.be/XEneQCAtwdg

■澤田:小山田先生!小山田先生!韓氏お母様は生まれながらに原罪はないんですか?先生!
□小山田:そうでないとメシヤになれんぞ。
■澤田:原罪、ないってことですか?
□小山田:そうよ。
■澤田:でもそういう教えを受けてませんよ、私達は。
□小山田:嘘っぱちだ、あんた、何の勉強してない、原理、全然分かっとらんよ。
■澤田:え?それが原理じゃないじゃないですか、お母様に原罪がないというのは。
□小山田:違うよ。
■澤田:え?違う?
……
では、澤田氏の

澤田:韓氏お母様は生まれながらに原罪はないんですか? でもそういう教えを受けてませんよ、私達は。
ということだが、本当にそのような教えを受けていなかったのだろうか?

これについても、私tomy4509からは一つの回答をすでに提示していた。
原理講論P.263~の​『第四節 重生論と三位一体論』​がそれであった。
​​​​​​​(一)重生論

(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊

 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。
 ​アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。​
 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。​ゆえに、ペテロ・一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリント・一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。​
 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント・一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。​​​
また原理講論は、「堕落エバ」というような因習的な信仰観念と旧態依然とした信仰態度に対しての警告をも発していた。
(五)聖書に対する我々の態度

 我々は、既に、聖書のみ言によって、イエスに対する洗礼ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招来し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったという事実を知った。
 しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な秘密を明らかにした人は一人もいなかった。これは、洗礼ヨハネを無条件に偉大な預言者であると断定した立場からのみ聖書を見てきたからである。我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。使命を果たして行った洗礼ヨハネを、使命を果たさなかったと信じることも不当であるが、事実上、使命を果たさなかった洗礼ヨハネを、よくも知らずに、全部果たしたと信じることも正しい信仰ではない。我々は神霊面においても、真理面においても、常に正しい信仰をもつために努力しなければならない。我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。

このようにサンクの澤田氏がいうところの「教えを受けていない」などとは、果たしていえるだろうか?

もしも、サンクや三男派の原理講論にこれらが書かれていないとすれば、それこそが「原理講論を改ざん」したものに他ならない。手元の原理講論をもう一度確認されては如何か。

kimuchi氏、サンクの澤田氏よ:
原理講論にも原罪のない「真の父(独生子)」と「真の母(独生女)」が書かれていた。
私たちはこの「真の父母」を信奉してきたのではなかったか。

お父様が聖和されていたとしても、特別宣布式(以下)で、

​これからは、二人の人が一つの血筋の母体である一人の人として……​

宣布された真の父母様が一体圏を成した基礎のもとで、お母様の祝福式も正統なものである。








さらに付け加えれば、十六万の訪韓女性修練会(1993年12月~)でお父様が語られたみ言(​こちら​)から。
​​​さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。
それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。
もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな! 勝手にするな! 神様が命令するまで待て!」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです! ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。
女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。
ここで、女性は「空き箱」「籠」だと表現されていたが、それに入るものによってその価値が決定されるとのことだ。
「善悪知るの木」も同様で、「善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなる」とも。このように、
お父様が語られたみ言、そして、原理講論にも「独生女」について書かれていた。
こんにちのお母様も「空き箱」「籠」だということですが、そこには「お父様」だけでなく「神様」までもが入っておられる、と見るのが私たちの信仰観ではないでしょうか。
三男派の方々、サンクの方々は、
そのお父様や原理講論の「独生女」を否定されますか?



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最終更新日  2018.06.10 08:27:09
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2018.06.09
​師観氏のブログ記事から:
TMの父親について(これは天からの秘儀として受けとるべきか)
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-370.html

家庭連合はアヘンか?(光を失った家庭連合の実態)
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-date-20180608.html


上記ブログ記事から師観氏自らを「古参の食口」と呼称していたが、現在をもってしてもお父様の「独生女」のみ言一つも語ろうとはされずに「家庭連合」への誹謗中傷を繰り返しておられる。もはや、そこには「真の父母様」もおられなければ「お父様」の影すら感じられない。心はそこにはなく、「元食口」と大差がないようだ。

記事内容を見ても確証一つ無いものであり、過去に統一教会を貶めようとして流された「血分宗教」を重ねての批判としか言いようがない。当時、その統一教会のそれについては今となっては「風評」であったとされるのが一般的な見方である。
文中からは『「血分け教の開祖」である李龍道』などと書かれていたが、これもまた、これといった確証を示していない。過去の既成教会が「異端」とすべく考えた「風評」、統一教会のそれと似たものであろう。
他所のデマを師観氏が用いているに過ぎない。

また、原理講論の総序からの引用は甚だしく遺憾である(著作権侵害に当たらないか?)。
家庭連合を冒涜されるだけでなく、教義そのものを用いての批判は「古参の食口」であれば本部からクレーム物だろう。

それが「元食口」ともなれば、暗黒の世界でその光も見ることが出来ないでいる「師観氏」の姿であろう。

原理講論が提示されたので、お父様の「独生女」も語らずの師観氏に申し上げるが、キリスト論の「重生論」には、「無原罪の父母」(「独生子」「独生女」)についても書かれていた。
「食口」当時の師観氏はこれをも信じておられたのでは?


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最終更新日  2018.06.09 01:02:04
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