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独生女考

2019.07.21
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カテゴリ:独生女考
​​​​​前記事家庭連合に「種」が無い?では、種は必ずしも男子子女様方のDNAを指してのものではないことをお父様のみ言から探ってみた。今回はさらに「血統」といった場合にはどうか、私なりの私心から書いてみたい。

一般に血統と言うと、男性血統を中心に考えるのが因習的である。ところが、天が願われた「血統」を考えたときに男女、特には、夫婦関係がどうであるかが問われるのではないか。

神様は自分の形に似せて被造世界・人間を創造されたというのが創世記であった。原理からは、つまりは性形・陽陰の二性性相ということだが。さらには、神様を中心として正分合作用で合成体を形成することで神様の形象的個性真理体、象徴的個性真理体となるようになっていた。男性一人でも、女性一人でもそうはならないという話だ。
その最初としてアダム・エバを創造された。ひとり息子、ひとり娘として。
ところが、堕落することでそれを失ったのが神様であり、今日までその神様の悲しみをイエス様を除いては誰一人知ることはなかった。

そのイエス様の使命を継承して来られた方が再臨主、統一教会では「真の父母様」をそれと信じてきた。
聖書における創造理想を完成した「生命の木」「善悪知るの木」を復帰された方が「真の父母様」である。

聖書からは人間始祖アダム・エバであり、第二アダムが「ひとり子」イエス様、その相対としてお父様は「独生女(ひとり娘)」と1959年10月から語られていたが、イエス様は十字架に亡くなられたので地上に「聖霊」を送ってくださり霊的救いのみされて来られた。また、第三アダムの相対としても「独生女」ということだった。

イエス様は再臨を約束されながら、来ては「子羊の婚宴」をなさるとの預言まで聖書に書かれていた。それが1960年4月の聖婚式、「独生子」×「独生女」=「真の父母様」(子羊の婚宴)ということなのだが。
ところが、支流人らが語るところはその「真の父母様」は偽物であって「我こそが」と主張しているようである。プラスが生じれば自然にそのマイナスも存在するのが原理だが、支流人らの「独生女(ー)否定」は、即「独生子(+)否定」にもつながる。

四大心情圏や三大王権の完成といえば下図の四位基台で現わすことが出来る。




1代、2代、3代と真の父母様あっての子女様の家庭であり、それ無しには真の家庭とは言えない。ところが、H3はしきりにその「真の家庭」を強調してはその「長子」だというが、​その真の父母様否定によって自らの位置を離れた位置にあることに皆さんは気付かれるべきである。三大王権もまた「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」があってなされるものであるは、お父様のみ言からだ。
太田講師の映像「UCI(FPA)による『特別祝福式』の誤り」、それを批判する意見もブログ村で見かけたが、「真の父母様を中心とする三代圏の確立」があって「第四アダム圏」との説明であった。それを忘れての批判は論外である。


さて、話は少し横道にそれたが「ワンファミリー・アンダーゴッド」の観点から「血統」(祝福結婚)についても考えることが出来るものと思う。
下図は少し雑だが、



人間始祖アダム・エバがそうであったように、お父様もお母様も神様(天の父母様)から生まれた兄妹関係となることで(絶対信仰)、二人が結ばれて真の愛(絶対愛)によって、お互いがために生きる(絶対服従)を通して子女もまた神様の血統を相続した息子・娘(真の父母様を中心とする三代圏の確立)として生まれてくるようになる。

次に、真の家庭(特に男子子女様)における祝福結婚を見てみたときに、その相対者はどこから?
父母様が祝福された祝福家庭からということになり、当然その新郎新婦の父母は違っているはずだが、同一の真の父母様を祖父母と信じることでその夫婦から生まれてくる孫もまた神様(天の父母様)の血統を相続した立場で「4代」といえる。

アダム家庭、アダム一族もこのようにして形成されていったはずだ。
アブラハム家庭も失敗がなければメシヤを迎えてそうなっていただろうが、
イサクとイシマエル、父親は同じでも母親で分かれた。
ヤコブもまたレアとラケルやその僕らの12部族に分かれた。

一世と二世とでは少し様相は異なるが、祝福結婚を考えたときに真の父母様から聖酒を受けることで新郎新婦は同じ父母、真の父母様の息子・娘(兄妹関係)として重生されることで天の父母様の血統を相続した中、縱的に同じ血統の子女を生むことが出来るようになる。



第四アダム圏時代とは、そのようにサタンの血統とは関係しない善の子女を生み増やしていけるようになるということだ。

過去、私たちが受けた祝福結婚は、世間一般が否定するなかに「真の父母様を父母と信じる」というその一点だけを条件としてのものだったし、こんにちもそれに代わりはないはずだ。

かつてH3はGPFで「ワンファミリー・アンダーゴッド」を叫んでいたが、その実のところ、問題はその相対者の信仰にあったのではないかと思う。H3の義父・郭錠煥氏は、真の家庭に対して祝福家庭は養子圏であり直系の子女様を通してでなければ真の父母様につながる道がない、と教えていた。その相対者・娘もまた、その養子圏教育の影響を受けてそこに留まっていたとすれば、当然、人間始祖における血統問題でアダムがサタンに引っ張られていったように。
そして、「三大王権」どころか「第四アダム圏」も断ち切られてしまうこととなる。

サンクのH4夫妻においてはお父様聖和前まではこの絶対信仰を持ち合わせていたが、侍墓3年期間を待たずにその信仰をひっくり返してしまった。お母様「独生女」否定によって「不母主義」、さらには、姜賢實女史の結婚式で自らの父母そのものを取り換えてしまった。「二代王」と自らが名乗るその初代王となるのは「偽りの父母」、「真の父母様を中心とする三代圏の確立」とは似ても似つかない代物である。
ここでもまた、相対者・娘の絶対信仰が大きく作用していたことにうなずかれる方も多いだろう。
リヨナさんからの教えは、「原理講論よりも聖書を勉強しよう」であり姜賢實女史と祝福結婚を受けたキリスト教のアウグスティヌスがその背景にある。

このように、分派問題を突き詰めていけばH3やH4(K)の相対者の信仰観が大きく影響していたことが伺える。
私自身、「独生女理論」だと言ってはお母様否定する牧会者から過去2年間その説教を受けてきた。「独生女」を信じることが出来ないの一点張りで、これも彼の信仰観からくる何ものでもなかった。支流人の皆様方はどうか?
信仰観のズレから三大王権を見失い、第四アダム圏まで放棄していないだろうか。

最後の峠を越えるときである。十四万四千人は聖書に書かれた最初の復活に預かる者の人数だ。
このままでいけば、これまでの統一食口よりもキリスト教徒が多くその座に座ることになるであろう。
先のものが後になり、後のものが先になり。




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最終更新日  2019.07.21 22:13:35
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2019.07.20
カテゴリ:独生女考


記事「真の父母様と不一致のH3の8月の特別祝福式は無効!! H4にも祝福権無し」にて黒・天聖経(韓国語)から「독생녀(獨生女)」を探しては紹介していた。今回はその前後の一文を日本語の黒・天聖経にて紹介していく。韓国語「独生女」は日本語では「ひとり娘」として訳されていた。



​​​​そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。真の父母として来るには、どのように来なければならないか? 一人ではだめなのです。真なる父に代墲閧、る一人の男として出てこなければならないのです。
今まで、数多くの宗教は、一人の男を探してきたのです。男の中でも、生活をよくする男を探してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を主にした男を探してきたのが、仏教の教えと見ることができるのです。
では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。
ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母
(天の父母様)​として喜び、その神様のひとり子とひとり娘が横的な父母として喜びうる新郎新婦になって、地上で息子、娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?
それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。
イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。
その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八)
​​​​​


​​ イエス様が、どうして天国に入れなかったのでしょうか。天国は、堕落せずに生きた者が入る事が出来る様に、神様が人間に造って下さったものです。人間は、本来の原則的な基準に立ってこそ、天国に入る事が出来ます。それ故、イエス様御自身も堕落した人間を救い、堕落しなかった人類の父母であるアダム・エバの立場で、息子、娘を率いて入らなければならないのです。しかしイエス様は、一人で生まれて、一人で死んだので、子孫がいません。いない為に、楽園に行く様になったのです。天国に入れずに、楽園にいるのです。天国に行く為の待合室の様な所に行っているのです。
 それで、イエス様は再び来て、新婦を探さなければならないのです。本来のエデンの園で、アダム・エバが新郎新婦になってこそ天国に行く様になっています。人類始祖は堕落しましたが、その原則は残っている為に、その原則どおりに花咲かせる為、イエス様は来られなければならないのです。「再び来て、地で解かなければならない」という聖書のみ言と同じです。(四一―三〇〇)
 堕落がなかったなら天国は、ひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭をつくり、神様の愛で暮らしてから、引っ越していく所です。天国へは家庭が入る様になっています。個人は、天国に入れないのです。イエス様は、家庭を成せなかった事によって、天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。
 この様に見る時、天国は空いています。これを考えれば、神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史なのです。
 神様は、アダム・エバを失ってしまいました。二人を失ってしまった事だけで終わるのではありません。アダム・エバを失ってしまったという事は、アダム・エバの一族を失ってしまった事なのです。その一族が拡大して、民族になり、一つの国家を成し、一つの世界に拡大したはずですが、それらを失ってしまったのです。ですから、アダム・エバを失ってしまう事によって、天国の王権を中心とした王国を失ってしまった事になり、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。(一四三―二五)




 4.イエス様と楽園

​​ 堕落がなかったならば、天国はひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭を築き、神様の愛で暮らして引っ越して行く所です。天国は家庭が入って行く様に成っています。個人は天国に入っていけないというのです。イエス様は家庭を成せない事によって天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。

……

 天国は空いています。これを考えれば神様の復帰摂理が、悲しい復帰摂理の歴史であるというのです。神様がアダムとエバを失ってしまいました。二人を失ってしまっただけで終わるのではありません。
アダムとエバを失ってしまったという事は、アダムとエバの一族を失ってしまったのです。その一族が拡大して民族に成り、一つの国家を成し、一つの世界へ拡大されたはずですが、失ってしまったのです。ですからアダム一人を失う事によって、天国の王権を中心とした王国を失う様に成り、天国の民族を失い、天国の氏族を失い、天国の男性、女性、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。​


​ サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには彼らを呼んで神様を中心として祝福してあげたことでしょう。
 アダムとエバが善悪の実を取って食べないで、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治めることのできる基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。
 神様の手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、取って食べるなと言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。キリスト教はそれを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定することのできる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。​しかし無知には完成がありません。​​



②怨讐の血統を受けた

 堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うからです。ですから統一教会で、愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書かれています。善悪の実とは何か知っていますか。善悪の実は果実ですか。風が吹けば、落ちてごろごろ転げ回る果実でしょうか。違います。
 アダムとエバの心にサタンが入って、一つになったので、サタンの血統を受け継いだというのです。愛の神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。強盗、殺人も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じるならば許されると言ったのに……。サタンを許してあげることができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したからです。それは何のことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。
 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができません。もし善悪の実を取って食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしていたことでしょう。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダム、エバが成熟したあとには、神様が呼んで、祝福してあげたはずです。
 アダム、エバが善悪の実を取って食べずに完成していたならば、天地を創造した大王の息子、娘になるのです。大王の息子、娘というのは、その直系の長男、長女とは何ですか。正に王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の王国を治めることのできる基盤になります。王権は二つではありません。一つだというのです。
 神様の手によって直接造られたひとり子、ひとり娘がアダム、エバです。アダム、エバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのでしょうか。「取って食べるな」と言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたなら、どうなっていたでしょう。キリスト教は、そのことを考えることができませんでした。考えてみても分からないのです。それは蒼々たる大海なのです。深いか浅いかについて、深さを測ろうとしても、それを測定する方法がありません。分かろうにも分かるすべがないので、無条件に信じなければならないという冠をかぶせたのです。​けれども、無知には完成がありません。​​





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最終更新日  2019.07.20 10:40:45
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2019.07.14
カテゴリ:独生女考
​​お母様が40歳になる1982年1月1日、お父様が語られたみ言引用。
今まで、お母様が四十歳まで何をしてきたのかというと、そのことをしてきたのです。自分の息子、娘の家庭(子女様方)とカインの息子、娘の家庭(祝福家庭)を抱いて夫のところに行くのです。夫は、これをもって神様の前に行くのです。
2008年4月6日のカインアベル儀式でもこれと同じようなことを語られていた。
 それで、今から式の進行はお母様が主管します。二人の息子、娘を代表してするのです。あなたたちカイン(H3)とアベル(K)が、お母様の言葉に絶対服徒しなければなりません。迎えることができずに追い出した父を取り戻してきて出会うことができる、その最後を締めくくる式です。それで、お母様とカインとアベルの三人が一つになり、アダムを中心として夫を堕落させる根本の元凶となった位置を踏み越えて引っ繰り返し、父が成しておいた位置をつかんでそこに上がっていくことによって、堕落がなかった、神様が直接的に連結された血統と真の愛、真の生命の因縁と一致し、真の血筋が連結するのです。ですから、サタン世界とは無関係なものであり、天だけが主管することのできる自由解放の地上世界に間違いないというのです。アージュ。(「アージュ」)
           (『ファミリー』2008.6月号 P.30)



同年12月の時もまた、お母様を中心にH3とKのカインアベルであった。

 

あるブログではノア路程のセム・ハム・ヤペテに譬えては、H3がハムだとか。
順番からいけばH3・K・H4。「K」が次子ハムであり、私の過去記事からもハムは「K」であった。
父母様が構想とした真の家庭は右図であったが、そのバランスを崩していたのは「K」その人だ。
こんにちにおいても遅くはない。H3とKが「信仰基台」「実体基台」を成して「メシヤのための基台」を造成していくべきである。H4もまた「K」を自分のところに留めようとするのではなく、本来の位置に戻るように説得すべきであろう。
さらには、真の父母様との血統を違えている原因はそれぞれの女性陣(相対者)にあることをしっかりと把握しておくべきである。女性陣も全人類が天の父母様、天地人真の父母様から生まれた娘であるという「絶対信仰」が必要である。詳細は記事「サンクの真の父はアウグスチヌス!」の後半で記した通りである。16万訪韓女性修練会のみ言からも



「全世界の女性はお母様の分身になるのです。」はレアとラケル、つまりは本妻と妾の話をされておられた。また、「真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながってい電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか?」とはなにか?
真の男性はただお一人であり真の女性もただお一人でしかないが、世界の女性がそのお母様の分身となり一体圏をつくることで電線のような糸でお腹とつながれば、そのお腹の中からアダム家庭の子供たちが生まれてきては氏族・民族・国家・世界までも拡大していくことが出来る、という内容だ。

そうしてこそ「ワンファミリー・アンダーゴッド」、全世界がアダム家庭となっていけるというものだ。
真の家庭においては、孝進様家庭と興進様家庭ですでに勝利基準が立っている。
あとは、郭ファミリー、姜女史ファミリーほか76億全人類が「偽りの父母」(サタンの血統)を切って真の父母に「接ぎ木」されていくのが何時になるかの時間の問題だけである。



冒頭のみ言引用は「真の父母様の生涯路程10」(以下)から。



真のお母様の四十歳と真の御子女様の聖婚(一九八二)​​​​

《祈祷》

 この日(一九八二・一・一)、この朝、お母様においては、四十歳を迎える新しい日となりました。幼い体をもって、師のような、父母のような、あるいは兄のようなこの夫に侍り、今日の統一教会の歴史を創建するにおいて、血のにじむ道を歩みながら、よく耐えてきてくださったお母様を、お父様、あなたが愛してください! この方は、大きな心を抱いて怨讐の子女まで愛し、自らの子供も愛することができるこの位置に立ちました。

 今、統一家においては、統一教会の祝福を受けた家庭と、真の御父母様の家庭を中心とした娘、譽進と息子、孝進の家庭が一つにならなければならない歴史的使命があるので、三次七年路程が終わる年に結婚と約婚を挙行することができました。この驚くべき事実をお父様の前に心から感謝いたします。お父様、今、周囲を取り巻いているカイン的家庭が、天使世界が天の家庭を守ることができなかった歴史的恨を再び解くために、精誠を尽くして垣根となり、すべての面において手本となって、厳粛に天の前に孝行の道理を果たすことができるよう、見せてあげ、教えてあげることができなければなりません。

 このようなことを通して平和の基準を備えることによって、そのような基盤が家庭圏を中心として、氏族圏、民族圏、国家圏を成すようになる時、初めて真の御父母様の家庭が国家的真の父母の基準を通り、世界的父母の過程を経て、天上世界の真の父母の家庭になることによって、万世に恨を抱いた神様があの世で王として君臨なさることができる神様の愛の基盤がつくられるという、この驚くべき事実をもう一度思いながら、意義ある一九八二年を迎えたこの時間を、お父様、祝福してくださることを再度お願いいたします。

 真のカインの子女と真のアベルの子女がいなければなりません。二つが一つにならなければなりません。そのようにならなければ、真の父母の立つべき位置がないというのです。そのようにならなければ、天国に帰っていくことができないのです。二種類の息子、娘がいます。一つは義理の息子である庶子であり、一つは直系の子女です。

 それで、三次七年路程が終わったのち、譽進と孝進を昨年のうちに約婚してあげたのです。皆さんは、「先生の息子、娘は年が若いのに」と思うでしょう。十六歳から二十一歳圏内で引っ掛かるというのです。アダムとエバは、何歳の時に堕落したと思いますか。未成年の十五、十六歳の時です。それを蕩減しなければなりません。それで、お母様もティーン・エージャーの時に先生と結婚したのです。お母様もそうであり、息子、娘もみなそのようになるのです。

 アダムとエバ、カインとアベルというこの四人によって、サタン世界が完全に横的に実を結びました。それゆえに、歴史過程において、カイン・アベルを中心としてこれを一つにするのです。一つにしてこそ、単位が上がっていくのです。すなわち個人から家庭単位に上がり、氏族単位に上がり、民族単位に上がっていくのです。

 ですから、お母様、エバは、二人の息子を一つにして、長子を次子にして次子を長子し、アベルを右手に抱き、カインを左手に抱いて、どこに行かなければならないのでしょうか。アダムのところに行かなければなりません。そのようにしてこそ、アダムが受け入れるのです。ですから、​今まで、お母様が四十歳まで何をしてきたのかというと、そのことをしてきたのです。自分の息子、娘の家庭とカインの息子、娘の家庭を抱いて夫のところに行くのです。夫は、これをもって神様の前に行くのです。​​

 カイン家庭を取り戻したからこそ、皆さんが入ってくることができたのですが、今はどのような時が来たのかというと、カイン家庭ではなく、長子の家庭を取り戻さなければならない時です。それで、皆さんは、先生の息子、娘に対して「お兄さん」、「お姉さん」と言うのでしょう?

 それで、先生は孫までもち、三代をもったのです。今日、この地上の三代圏家庭はすべてカイン的家庭ですが、アベルが長子の位置に立った天国の家庭をもったので、長子を復帰せずにそのまま順理的に天国に入っていくことができるのです。

 今は、素晴らしいお母様になりました。それで、私が全権をゆだねるのです。生活費もゆだねるのです。四十歳を超えたので、今はそのようなことにおいては安心です。(歓呼、拍手)

 今まで、正しく教育して、私の言うことをしっかり聞くことができるように育ててきました。今はもう、お母様は合格です。昔は、一銭のお金も勝手に使うことができないようにしました。

 私がお母様を教育するにおいて、言葉にできない様々な事情がありました。私が願う心の前に変わることなく、私が行く道の前に変わることのないその日が来ることを願ってきたのですが、お母様は立派なことをたくさん行ったのです。

 最近では、お母様は素晴らしいというのです。西洋世界に行っても、「レバレンド・ムーンの夫人を通して、東洋の代表的美貌の女性に初めて出会った」という話をたくさん聞きました。(笑い)私がどうしてうらやましいでしょうか。このような一等美人の妻をもっているので、どうして女性を慕わしく思うでしょうか。それくらいで十分でしょう。
​​​
……

真のお母様の日本歴訪

来日歓迎式でのみ言

 一九八三年三月十三日、日本の東京教会で催された真のお母様日本歴訪歓迎式において、真のお母様は、「私たちは、何であろうと成すことができる」という題目のみ言を語ってくださった。

 到着して、この新しい本部教会の建物に足を踏み入れた時、限りない感激に浸りました。私一人で来るのではなく、お父様と一緒にこの建物の中で皆さんとお会いすることができれば、どれほど良かっただろうかと考えてみました。

 今まで、皆さんがお父様のみ言を受け入れて、内的に外的に、すべてにわたって苦労する姿を、しばしば訪ねてくる指導者たちの報告を通してたくさん聞いています。私も、本当に何をもって皆さんを慰労し、激励することができるだろうかととても考えました。

​ 栄光から始めなければならない歴史でしたが、アダムとエバの失敗によって、恨み多い復帰歴史として出発しなければならなかったのが父なる神様の歴史でした。また、お父様一人で歩まれた生涯は、迫害と苦難と絶え間ない受難の路程だったのであり、そのような路程を通して今日の統一世界の基盤を広めるまでには、言葉で言い表すことのできない、そのような隠された事情がたくさんあったということを、私たちはよく知っています。一言で言って、涙なくしては身の置き所がない血と苦痛の歴史であったということを、皆さんは体験されたことと思います。このような歴史過程を通して、今日多くの国で成されている役事を見るとき、本当にお父様が重要で、貴重だということを、骨身にしみるほど感じます。​

 サタンは、私たちに余裕をくれません。今回、アメリカでなされた裁判(脱税容疑)を皆さんは詳しく知っていることと思います。必ず天が勝利を収められるということを、私たちは知っています。しかし、その過程において、お父様は陰に陽に大変疲れていらっしゃいます。言葉には出されませんが、内的に血の出る闘争をしていらっしゃいます。その激しい闘争の中で成されたアメリカでの多くのことは、皆さんがあまりにもよく知っていることでしょう。「ワシントン・タイムズ」の創刊や二度にわたる巨大な祝福行事など、これ以外にも推し量ることができないほど多くのことを行われました。

 最近、「ニューヨーク・タイムズ」が、ホンジュラスのカウサ活動に対する報道を行いました。その記事では、カウサ活動は文牧師が後援する団体だと報道しています。この世の中は理解することができないでしょう。南米や中米はもちろん、アフリカのような世界に至るまで、百三十七ヵ国に宣教師を派遣し、そこで、み言の炎が燃え上がっているのです。

 なぜ私がこのような話をするのかというと、子女の物心がつく時は、その父母が年を取ったあとではないかと思われるからです。

 お父様は、常に「既に私は、いつでも死ぬ準備ができている」とおっしゃいます。そのようなお言葉を聞くたびに、私は、ただそのまま聞き流してしまうことができません。

 私たちの誇りがあるとすれば、私たちの喜びがあるとすれば、そして私たちの幸福があるとすれば、ただ一人のお方であるお父様なくしては、それらの意味はあり得ないというのです。

 日本にも数千の祝福家庭がいます。祝福家庭の願いとは何でしょうか。統一教会の願いとは何でしょうか。それは地上天国であり、神様と真の御父母様に共に侍って暮らしたいということではありませんか。私たちの時代にできなければ、私たちの子孫を通してでも、必ずその日をこの地球上に到来させることが私たち父母の責任ではないでしょうか。統一運動、統一の歴史は必ず真の御父母様と共にみ旨を完成させ、それを見た子孫たちが本当に誇らしく思うことができる家庭となり、私たち自身になることを、私たちは懇切に願っています。

 今、アメリカでは、三月一日を期して、すべての日本食□を動員させました。ニュースを通してよく知っていると思いますが、その中には祝福家庭として多くの子女をもった母親もいます。「ひとたびみ旨に従って子供をあとに置いて出発したこの体であれば、できないものがどこにあるでしょうか」という話を聞きました。私たちは、何であろうとなすことができるのです。

 何であろうとなすことができるならば、お父様が、国家や人々のいかなる拘束も受けず、心の願うとおりに、この地に送ってくださった天のみ旨に対する使命をこの時代にすべて果たすことができるようにしてさしあげなければなりません。そのためには、皆さんが続けて努力し、精誠を尽くしてくださることを心の奥深くで祈願します。


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最終更新日  2019.07.15 17:24:46
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2019.06.22
カテゴリ:独生女考
​​​​​​​​​​以下も「真の父母様の生涯路程10」からのものであり、ご聖婚後の21年路程では最初の一次・二次路程は崔元福先生がレアの立場、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母の型でお父様に侍られていたが、第三次は完成時代なので「お母様が全体の責任を持たなければ」、とお父様が語られていたものだ。

ここにおいてもサンクの姜賢實女史ではなかった。
子が父母を勝手に決めては祝福式をするといったことはあり得ないことだ。
サンクのそれが原理的に見ても何ら正統性(正しい系統・血統)を発見することは出来ない。

二代王は、お父様と姜賢實女史から生まれた?
流れから見ても、​神様 → 真の父母様(完成したアダム・エバ)→ 子女(祝福家庭)​ であって、二代王 → 偽りの父母 → 堕落人間 ではない。


以下引用:



「真の父母様の生涯路程10」引用は以下。

惠進様の昇華

​​ 真の御父母様の五番目の御子女様であり、次女であられる惠進様が、一九六四年七月二十八日(陰暦六・二〇)に誕生され、誕生されてから八日目の八月四日(陰暦六・二七)午前四時十五分に昇華された。真の御父母様は、青坡洞前本部教会において、惠進様の昇華後十日目である八月十四日(陰暦七・七)午前七時、「霊的サタンを打つ式」を挙行され、その七日のちの八月二十一日(陰暦七・一四)午前十一時、「肉的サタンを打つ式」を挙行された。そのようにして、アベル子女の犠牲を条件として霊肉間におけるすべてのサタンを打ち、攻勢的立場の摂理を進めることができる基盤がつくられた。​​

 六月、七月は、七年路程の三年半を越える峠なので、祝福を受けた老人たちと惠進が亡くなったことには大きな意味があります。死去した四日、ベトミン(ベトナム独立同盟会)の問題が発生しました。

 皆さんが、先生に最も近い存在が死ぬことを経験するということには大きな意義があります。皆さんが行く所には何かしら危険が存在するようになります。以前のサタン世界とは違います。皆さんは、モーセとアロンとホルの前に立ったヨシュアのような信念をもたなければなりません。

 以前は、サタンが祈祷中に現れれば外部から問題が発生しました。しかし、今年からは、そのような時には家庭から問題が発生します。今後、蕩減の供え物がもっとあるはずです。

 神様は、アベルが供え物だったので、アベルを打ってカインを許してくださいました。これを条件として、神様はサタン世界を打つことができたのです。今からは、み旨に反対する人は打たれることでしょう。私たちは、誰が何と言おうと、神様のみ旨だけを見つめて進んでいかなければなりません。

 私は、惠進の死を通してイエス様を失った神様の心情を体恤し、まだ死を免れるほど神様の前に忠誠を尽くすことができていなかったということを悟りました。

 先生の蕩減路程は、キリスト教の蕩減路程を経て、統一教会で再蕩減路程を歩んでいるのです。それで、先生の家庭において、子女たちを供え物として捧げるという歴史的な事件が起きるのです。

​​​​ 七年間でこのすべての世界的蕩減路程を歩まなくてはなりません。先生はこの勝利的基盤を築いたのですが、​​​お母様​​は築くことができていなかったので、それを築いて越えていくことができる道をすべてつくってこそ、天の中心女性として堂々と立つことができるのです。それゆえに、七年の間、個人として三年の闘い、それから四年間の家庭的闘いをなしてきたのです。​​​​​

​​​​ 母子、兄弟、前妻後妻関係において、愛の闘いが今までの人類歴史の闘いでした。崔元福先生は、マリヤとイエス様の夫人格であると同時に、レアの立場です。したがって、先生のみ言に絶対服従しなければなりません。また、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母の型です。完成期は堕落人間の心情では通過できないので、完成期に到達しようとすれば、​お母様​が絶対的に必要です。それゆえに、​お母様​が苦しんだのであり、先生の家庭において惠進が蕩減を受けたのです。​​​​

 一九六四年度に入ってくると同時に、協会長に教会を任せました。今、私が経ていかなければならない道は個人の道ではありません。家庭的時代を迎えて歴史的な悲運の家庭的環境を喜びとして消化し、氏族的悲しみ圏を迎えていかなければならない責任をもっているので、その因縁を整理するために、誰も知らない内情的心情を中心として独りで闘ってきたのです。皆さんには分からないはずです。これは、協会長も分からなかったはずです。近くにいる誰もが知らない心情をもって歩んできたということを、この時間、皆さんの前に話すということを知らなければなりません。

 私たちの家庭、私たちの部落において、千人、万人が犠牲になることがあったとしても、あるいは子供たちが死んでいくことがあったとしても悲しんではいけません。そのような時、逆に先生は、人類のために歴史的な恨みを食い止めることができる家庭として立つことができなくなるのではないかと思い、むしろそのことを心配したということを、皆さんは知らなければなりません。

……

総解怨式

​​​​ 公式路程を始められた一九四五年からは三十年、協会を建てられた一九五四年からは二十一年になる一九七丘年五月一日、真の御父母様は、清平修練所において紐解怨式を挙行なさった。この解怨式は、堕落世界の母の代表格である崔元福先生を中心として、天使世界と宗教人、善王、忠臣、良心的人士、哲人たち、先に他界された真の御子女様方と統一教会の人物たちはもちろん、ルーシェルから歴史上の代表的な悪側の中心人物たちまで、全体を解放し、新しい道を開かれ、その基盤で神様と真の御父母様が解放を受けられるという、総体的解怨儀式であった。​​​​

 きょうは、二十一年になる協会創立記念日であり、また第二次七年路程の最後の期間となります。また、先生自身の一代をおいて見れば、三十年(一九四五~一九七五)を越えていく時だというのです。

 このような時代なので、この全体の解怨成就、蕩減式をしなければなりません。この式を行う時は、最初に神様の前に解怨式をしてさしあげなければなりません。その次には何かというと、真の父母の解怨式をしてさしあげなければなりません。

​​​​​ 崔元福先生がきょう還暦だということですが、還暦という言葉は何かというと、再び帰っていくという意味です。言い換えれば、復帰して帰っていくということです。崔先生の還暦も還暦ですが、これは、崔先生を中心として、堕落した世界の真の婦人として一人の母のような立場に立ち、新しい復帰歴史のすべてのものを蕩減するという、そのような式にもなるのです。今からは、崔先生を中心として、すべてが変わっていきます。今までの堕落した世界、霊的世界全体は、崔先生を中心として蕩減しなければならないというのです。本来の父母を中心として蕩減するのではありません。​​​​​

​ もちろん先生がすべて築いてきたのですが、結局、女性が失敗したので、そのような条件を中心として、これをすべて一度に追い込んで蕩減しなければならないのです。そのようにしようとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。崔先生は、完全に蕩減して峠を越えていくにおいて、一人で越えていくのではないというのです。ここでは、キリスト教や、それからイスラム教や仏教や儒教など、今までの数多くの宗教をすべて糾合しなければなりません。それから、今までの歴史時代において、善君がいたのであり、忠臣たちがいました。忠臣の中には、文官がいて武官がいました。一つ一つの国を中心として、善君と忠臣たちがみな一つになって越えていくのです。​

​ それから、今までの歴史時代において、宗教は信仰しなかったけれども良心的な立場に立った、そのような人々を糾合しなければなりません。天は証したけれども神様のみ旨に侍らなかった人々です。哲人、哲学者や、良心的な系統の人々です。そのような人々をすべて糾合しなければなりません。また、その次には、カイン的世界です。それはルーシェルから、イスカリオテのユダ、皇帝ネロ、今の共産党世界に至るまで連結されているカイン的世界をすべて一つにして、蕩減条件の道を開いておくのです。共産党までも救うことのできる道を開いておき、一つにまとめて、きょうこの日にすべて屈服させ、今からはすべてが天倫に従っていこうという、そのような式を行って屈服させなければなりません。そのようにして、ここに崔先生を中心として連結させて、すべて解怨成就しなければなりません。そのような基盤のもとで、真の御父母様の解放と神様の解放が成されるのです。​

 ここに膳を整えましたが、この膳は何を意味するのでしょうか。私たち統一教会が今まで歩んでくるにおいて、統一教会を信仰したのちに霊界に行った霊たちがいるのです。そのような統一教会の教会員たちもまた解怨してあげなければならないというのです。そこには、喜進もいて、惠進もいて、先に逝った人々がいるのです。また、協会長をはじめとする統一教会を信仰したのちに霊界に行った人々をすべて霊的に解怨してあげると同時に、地上の解怨もしてあげなければなりません。統一教会を信仰している途中で流れていってしまった人々がたくさんいるのです。その人々まで連結して、すべて蕩減してあげなければなりません。

 キリスト教を中心とした宗教人を東側にし、天使世界は西側にして、それから南側には善君、愛国烈士、北側にはカイン型のサタン世界、このようにして解怨成就しなければなりません。それで、きょうは何の日かというと、総解怨をする日です。歴史における総解怨を行う日です。この日が現れることによって越えていくのです。


崔元福先生の使命完了

​​​​ 第二次七年路程を越えたので、今からの第三次七年路程は、父と母を中心として越えていかなければなりません。今まで崔先生が、皆さんの知らない中で、お母様の基盤を築くためにどれほど多くの苦労をしたか分かりません。そのような功労の基盤によって第二次七年路程を無事に突破したのだということを、皆さんは知らなければなりません。しかし、これからは、誰よりも真心を尽くして孝行する孝女の立場に立ち、お母様に侍って天の法度を立てるにおいて再度困難な道を歩んでいかなければならないであろうと思っています。​​​​

 このような意味で、心的に、あるいは外的に、皆さんがよく慰労してあげ、声援してあげることを願ってやみません。もちろん先生自身も導いていかなければなりませんが、ここに何よりも、個人の事情も事情であり、個人の立場も立場かもしれませんが、私たちは、み旨のために公的な立場を立てなければならないので、個人が悲しいことに遭ったとしても、公的な喜ばしいことのために決断を下していかなければならないのです。これが、今まで先生の歩んできた道であり、また復帰摂理路程なのです。

​ そのように知って、皆さんは、今までの崔先生の功労を通して、このような位置に越えてきたのだということを知って、そこに感謝し、今後、より一層力強く歩んでいくことを願いながら歓迎してあげるよう願ってやみません。拍手で歓迎しましょう。(拍手)​

​ 今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。​​第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、​お母様​が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。​​

​​ 本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。​​






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最終更新日  2019.06.23 10:09:17
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2019.06.19
カテゴリ:独生女考
​​​​​​​​お父様のダンベリー収監、その時お母様が「真の母」としてシッカリと立たれていたからこんにちの「家庭連合」があり、お父様聖和後も「中断なき前進」とお父様の意志を継承されていかれた。
もしもH3やH4がなっていたならば、真の父母様主義ではなく、自分勝手な教義でますますの混乱は避けられなかっただろう。

以下もまた「真の父母様の生涯路程10」からだ。




日本食口父母招請の集い

 一九八四年十月十日、アメリカのニューヨーク、イースト・ガーデンを訪問した日本の食□の父母たちに、真のお母様は、「神様の愛が日本と共にありますように」という歓迎のみ言を語ってくださった。


真のお母様の歓迎の辞
 私が皆様にお話ししようとすることは、外的な日本ではなく、内的な日本に対することです。今、神様の摂理を成すにおいて、日本を先頭に立てて活動している統一運動の内容を見れば、日本は、神様と近い関係を結んでいます。また、日本は、真理と愛に根ざして神様のみ旨と一体となったということと、神様の心に最も近い国として常に愛を受けていると言うことができます。
 これが日本を世界の中で外的に繁栄させている原因ではないかと思います。しかし日本の外的な発展は、摂理的な一時のことです。この時代が過ぎれば、またどのようになるかは誰も知りません。それは、歴史を見れば常に知ることができます。
 ところで、皆さんが神様の前に感謝しなければならないことは、皆さんの子供たちが神様の前に父母と一つになって活動しているという事実です。特に、理念に基づいて築いた因縁は、時間がいくら経過しようと、年が変わろうと千万年消えないものであり、一つの貴重な贈り物として残るようになるのです。そのような愛の贈り物を神様から受け取ったということを切実に悟ってくださるようお願いします。
 皆さんが御存じのとおり、今、文先生は、歴史的に最も重大な路程を歩んでいらっしゃいます。将来の歴史家は、この事件、すなわち文先生が今なされていることこそ、神様の前に永遠に切れることのない偉大な功績と実績を成してさしあげる最も偉大な瞬間であったということを、必ず証明するようになるでしょう。
 今、皆さんを歓迎しながら、一方ではうれしい気持ちなのですが、もう一方では、文先生がいらっしゃらなくてつらく悲しい側面もあります。一人の女性として、そのお方の妻として、痛みの心を感じるのは、私としてもどうすることもできません。
 皆さんが、今回の旅行を通して、この天宙的な最後の闘いにおいて、必ず最終的な勝利を収めようという固い決意をしてくださることを願います。文先生の歴史的な闘争の隊列に皆さん自身も参与するという思いで、今回のアメリカ旅行の意義を深く心に刻み、日本に帰っていかれて、その志を伝える皆さんになってくださるならば、それ以上願うことはありません。
 皆さんの今回のアメリカ旅行が、神様と皆さんの間で深い愛として発展し、永遠の生命を得ることができる機会となることを心から願う次第です。

第二十五回「子女の日」慶祝行事

 一九八四年十月二十四日(陰暦十月一日)、アメリカのニューヨーク、ベルベディア修練所において挙行された第二十五回「子女の日」慶祝礼拝の席上において、真のお母様は、祝祷をされ、「責任を果たす子女となろう」という主題で記念の辞を語ってくださった。

真のお母様の祝祷
 愛するお父様! きょう、「子女の日」に、全世界の統一家において、ダンベリーとこのベルベディアに向かって式典を挙げていますので、興進君をはじめとする天軍天使、多くの聖なる霊と霊人たちを動員なさってこの場を聖別してください。あなたが親しくお座りになる中で、きょう挙げるこの式典を受けてください。今から挙行するこの式全体の上に、あなたの喜びが満ちあふれることを祈願いたします。また、真の御父母様を式典に捧げます。
 お父様! この日は、一九八四年十月二十四日、陰暦十月一日、回数おいて二十五回目を迎えるようになった「子女の日」です。この日を仰いであなたを慕うすべての場所において、お父様の満ちあふれる愛と恩賜を等しく与えてください。
 お父様! ここに集まった小数の群れは、あなたの貴く大きな哀れみと愛の中で召命されてから数十年を過ごしてきました。きょう、二十五回目を迎える「子女の日」に、天の前に真の子女として、召命を受けた者として、頭を上げることができない罪責感と重い心をもってこの場に来ました。
 愛のお父様! 再度お願いいたしますので、この場で座り込むことなく、あなたの貴く大きなみ旨に向かって一歩飛び上がっていき、誇らしい息子、娘の姿として立つことができる固い覚悟と決意をすることができるこの時間となるようにしてください。再度、父と息子間のこの困難を越えることができるようにしてください。
 お父様! 私たち全員が、過ぎし日の覚悟を回想し、その責任を全うすることができなかったことを自責しております。私たちは、お父様の前においてもっているものがなく、不足で意気地のない群れでしたが、それでも、お父様に向かう一片丹心の忠節の心だけは変わらず、残った生涯を尽くしてあなたの前に誇らしい息子、娘の姿として立とうと、再度誓うこの瞬間であることを受けてください。
 お父様! 今、世界の至る所において、あなたを欽慕し、慕いながら、この日を祝賀し、記念しているすべての統一家の息子、娘たちの上にも同じ恩賜を与えてくださり、彼らが決意して進んでいく全体の上に、お父様のより大きな哀れみと愛の手と祝福の手を広げてくださるよう懇切にお願い申し上げます。そのようにして、全国的に、全世界的に、あなたを勝利と栄光の立場で再度褒めたたえてさしあげ、今やすべて成し遂げたと言うことができる「子女の日」を迎え入れることができるその日まで、私たちが勇進奮闘することのできる真の子女の姿になるように導いてくださることを懇切にお願い申し上げます。
 すべてのことがお父様の前に勝利の日として訪れるように誓うことができるこの瞬間になったことを感謝申し上げながら、すべてのみ言を真の御父母様のみ名を敬ってお祈りいたします。アーメン。

真のお母様の記念の辞:責任を果たす子女になろう
​ 韓国の昔の言葉に、父母のいらっしゃる時は父母の有り難さが分からず、父母がこの世を離れたのちに、孝道を果たすことができなかった自責感と恨をもち、自分の心に対してその慰労をしようと必死の努力をするようになるという言葉がありますが、それが不孝ということです。​
 私たちがよく知っているように、堕落した人間においては、「子女の日」というものもあり得ず、「真の父母」という言葉もあり得ません。何ゆえに生まれ、何ゆえに生きているのか分からない、そのような状態において、「子女の日」や真の父母という言葉はあり得ず、真の愛の関係もあり得ないというのです​。天のお父様が、言葉では表現することのできない数多くの蕩減の路程を経られ、真の父母の一代において、迫害と反対の中で蕩減路程を勝利することによって、「子女の日」が生まれるようになったということを考えるようになる時に、感謝を捧げると同時に、過去を回想せざるを得なくなります。​
 お父様が、「基盤がなければ滅びる」というみ言を何度もおっしゃっていることを、皆さんは聞いていることと思います。お父様が、父母の立場で、天全体を身代わりして歩まれている道は、世界を抱かなければならない立場で、子女たちがすべて備えてさしあげることができなかった立場で行かざるを得ない苦難の道であり、十字架の道でしたが、同時に愛の道でした。
​ この期間、皆さんが何よりも深く悔い改め、叫ばなければならないことは、「一つになろう」という運動ではありませんか。もちろん個人においては、心と体が一つになる立場でみ旨を中心として一つになることが重要です。​
 それで皆さんが、真の父母を中心として、自分を主管する立場で、三位基台を成す三人が完全に一つになった立場でその基台を広げていけば、み旨は成し遂げられるでしょう。世界の縮小型と見ることができる四位基台において、横的数は三人ではありませんか。四位基台の横的三人が一つになれば、世界を一つにすることは易しいことだと思います。その言葉をまた世界的に広げてみるとき、世界は、三人が一つになって成す四位基台の拡大的形態になっていると見ることができるのではないですか。
 そのような意味において、きょう、皆さんにお願いしたいことは、一つになった子女の立場で、次の「子女の日」を迎える時は、真の父母をお迎えした立場で世界の子女たちと共に祝賀を捧げることができるように、その日を待ち望み、誓いながら進んでいくことです。それをお願いしたいと思います。
 皆さん、各自の「一情祈祷会」をしっかり守っているでしょう? きょうこの日を期して、今後四十日間、特に皆さんの三位基台の三人が一つになった立場で祈祷の条件を立ててくださればと思います。可能ならば、この近所とイースト・ガーデンにいる祝福家庭は、イースト・ガーデンで祈祷会をもってくれるようお願いします。もちろん現在も継続していることを知っていますが、ベルベディア聖地において、すべての三位基台が参加する中で「一情祈祷会」をもっていただけたらと思います。もし事情があれば、三位基台の中で、一人が継続して抜けないように順番に回りながらすることによって、四十日間という精誠の条件を立ててくださるようお願いします。
 今まで、そのように実施してきたでしょう? 金元弼氏、どうですか。(はい、そのように実施してきました。今、十二月までの祈祷会の日程をすべて作成して配ってあげました。四十日の一情祈祷会は、三人ずつ一チームにして実施されています。お母様が言われたように、祝福家庭でチームを組んで実施しています)。
 ここに集まった人々だけが一つになっても、アメリカ復帰は問題ないでしょう? きょう、私が式典で涙を少し見せましたが、今、私の心情は、一言で言ってとても落ち着いており、感謝する心で生きています。皆さんも、子女の立場でお父様に心配をおかけすることがないように、各自が心を正しくもち、受け持った責任に最善を尽くす子女となってくれることを願います。




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史吉子 / 著

  • 判型/頁数:A5変型判 / 340頁
  • コード:30768
  • 発行日:2018年9月10日 発行

商品内容

1971年 神は、私にアメリカに行けと命じました。そうして、キリスト教の復興を試みアメリカの建国精神を取り戻す運動を展開せよとおっしゃいました。(本文より)

これは、真の父母様がアメリカ、そして、世界の救いをかけたみ旨への出発でした。
本書は、真の父母様に侍ってこられた史吉子先生が、この期間に起きた数多くの驚くべき内容を記した証し集です。

目次

前編1 ダンベリーからベーリングまで
1 天の消防士として
  1971年、神は私にアメリカに行けと命じた
  ニューヨーク五番街に立って涙を流した
  アメリカに対する警告
  ワシントン・モニュメント大会
  第二のレバレンド・ムーンになれ
  私は潔癖です
  「真犯人は文鮮明先生を罪人に追いやった彼ら」
  「私たちは皆、文鮮明先生を助けなければならない」

2 獄中の救世主として
  獄中からの手紙
  ダンベリーとカープ







最終更新日  2019.06.20 04:39:36
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2019.06.18
カテゴリ:独生女考
​​​​​​お父様のダンベリー収監、その時お母様が「真の母」としてシッカリと立たれていたからこんにちの「家庭連合」があり、お父様聖和後も「中断なき前進」とお父様の意志を継承されていかれた。
もしもH3やH4がなっていたならば、真の父母様主義ではなく、自分勝手な教義でますますの混乱は避けられなかっただろう。

以下もまた「真の父母様の生涯路程10」からだ。




指導者会議

 一九八四年七月三十一日、アメリカのニューヨーク、ベルベディア修練所において開催された指導者会議の席上で、真のお母様は、「内外が一つになって責任を完遂しよう」という主題のみ言を語ってくださった。

真のお母様のみ言
 今まで、皆さんは一生懸命に活動してこられたことと思います。お父様は、「次に備えた目標と計画に対する指導者会議を、きよう緊急にもちなさい」と指示されました。
 私の生涯の目的はただ一つだけです。すなわち、私は、いかにしてきのうよりもきょうをより感謝する心で生きていくかということです。日ごとに感謝する心をもつことが、私の人生の目標でした。
 私は、神様に向かう信仰生活をするにおいて、より真なる道とはどのようなものかということを常に考えてきました。私たちが、神様のみ旨をはっきりと、そして確実に知ることができる方法を知っていれば良いのですが、時々、それが分からなくなって挫折したりします。それは、人間だからではないかと思います。したがって、神様に対する絶対信仰をもつにおいて最も良い方法は、神様とお父様のみ旨に従順に従うことだと思います。
 お父様がダンベリーに出発される直前におっしゃったことは、「不平を言ってはいけない。立てられた位置で感謝し、感謝することによって完全に一つになれば、大きな奇跡が起きる」ということでした。
 お父様の歴史を、皆さんはよく知っていらっしゃいます。お父様は、侍られるために来られました。もし世の中の人々がいち早くお父様を受け入れていれば、お父様の路程は、今日とは異なって展開していたでしょう。しかし、お父様は、世の中の人々から反対されながら、寂しい苦難の路程を歩んでこられました。
 しかし、はっきりとしていることは、いかなる反対と迫害があろうとも、お父様は神様のみ旨を成してこられたということです。お父様は、常に天のお父様のみ旨のために全体を投資してこられ、ほんの少しも退かなかったというのです。
 皆さんは、先輩たちの証を聞いて、お父様が過去において歩んでこられた路程をすべて知っています。言ってみれば、誰にも負債を負わす、逆にほかの人々に負債を負わせながら生きてこられたのです。そのようにして、常にほかの人々のために生きてこられたのです。
 お父様がダンベリーに行かれるとき、私はお父様が心の中で悲壮な決意をなさっているのを感じました。もし、人間たちが自らの責任分担を正しく履行していれば、お父様は、このように難しく、大変な道を歩んではこられなかったでしょう。反対と苦難の道の代わりに、勝利者としての栄光の道があったでしょう。しかし、お父様は、到底言葉で言い尽くせない苦難の道を歩んでこられました。いったんその道が運命の道だと思われながら、常に御自分のことは忘れて神様を慰労し、その状況の中で最善の道を通して、神様に喜びを捧げながら生きてこられました。
 お父様がダンベリーに収監されていらっしゃる間、私は、何度かお会いするために行きました。先日の指導者会議の時に皆さんもお聞きになったように、お父様は、「この四十日の間に、私は奇跡を起こさなければならない」とおっしゃいました。お父様は、面会に行く私と子供たちを慰められ、勇気を植えつけるために努力もされました。お父様は、私たちに、「私の生活は心配するな。断食や祈祷することよりもずっと楽だから」とおっしゃいました。
​ お父様は、また私たちにおっしゃいました。「二千年前、イエス様は一人でゴルゴタの丘を越えていかれた。その時は、誰の助けもなく理解もない中を一人で行かれた。甚だしくは、弟子たちからの同情もなかった。今、私には、多くの支持者がいて、宗教指導者たちもいて、世界の至る所に理解してくれる正義の勇士たちがいる。だから、レバレンド・ムーンは、一人ではない」とおっしゃいながら、私たちを安心させられました。​
 ​皆さんも知っているように、お父様は、何年間も私たちに向かって「世界復帰のために、何万人の指導者が必要だ」と、繰り返し語ってこられました。しかし、残念にも、私たちはそのようにすることができませんでした。お父様は、「今がその時だ。アメリカの牧師たちを通して、その数を復帰する機会だ」とおっしゃいました。​
 私は、皆さんが、ワシントン大会の結果を通して、その目的を達成することができるという自信をもったと思っています。きょうの会議の目的は、ワシントン大会の勝利をアメリカ復帰のための国家的次元に高めようということです。
 そのためにまずしなければならないことは、​四十日間の「一情祈祷会」を通して、勝利の四十日にすることだということを知らなければなりません。お父様は、モーセの立場で山(ダンベリー)に行かれました。群集(私たち)を導いていく立場に立っていらっしゃるのです。すべての人が一つになって、固い信仰を見せてさしあげなければなりません。特に今は、イースト・ガーデンの真の家庭を中心として、すべての祝福家庭が一つになることが内的な統一です。外的統一は、私たちがすべての宗教団体と一つになることです。​
 現時点において、私たちの活動における先輩である金元弼先生と郭錠煥牧師、朴普煕総裁が教会活動を指導するにおいて、内的にも外的にも完全に一つにならなければなりません。これが、お父様の第一の指示のみ言でした。言い換えれば、「内外が一つになって、責任を完遂しなさい」ということです。

第十三回「科学の統一に関する国際会議」開会式

 一九八四年九月二日、アメリカ、ワシントンD・Cのマリオット・ホテルにおいて開催された第十三回「科学の統一に関する国際会議」の開会式で、真のお母様は、「そのお方は神様と人類のために生きてこられたお方」という主題のあいさつのみ言を述べられた。


真のお母様のあいさつのみ言
 尊敬する議長、著名な学者、そして紳士、淑女の皆様‐・ 私は、第十三回「科学の統一に関する国際会議」に来られた皆様に、歓迎の言葉を述べさせていただくことをとても喜ばしく思います。
 この会議が、毎年開催されるたびに、より重要になり、より成果のある集いになっているのは、まさしく皆様の積極的な参与と、絶え間ない努力のおかげです。
 私の夫は、きょうこの場に参席することができないので、私をして、今回の会議に参席するために来られた皆様全員に深い感謝の意を伝えてほしいと語られました。
 今回の集いは、私においては特別な意味をもつものなので、私の夫である文鮮明牧師の活動とそのビジョンに関して証言をする機会にしようと思います。
 私の夫は、自分自身のために生きていません。そのお方は、神様と人類のために生きていらっしゃいます。しかし、そのお方は、連邦刑務所に収監されていらっしゃいます。
 皆様の中で、なぜ文牧師は監獄に行かなければならなかったのだろうかといぶかしく思われる方もいらっしゃるでしょう。私は、これに対して、そのお方は、神様の召命を受けたお方であり、既にその全生涯を通して迫害を受けてこられたということを述べさせていただこうと思います。
 一九七一年、そのお方は、アメリカに来てキリスト教の信仰心とアメリカの建国精神を復興させるようにという神様の召命を受けました。
 韓国で暮らしていた時に私におっしゃったことは、「自分はアメリカから迫害を受けるようになるかもしれず、また監獄に行く苦難までも耐え抜かなければならないかもしれない」ということでした。それにもかかわらず、そのお方は、「全世界の生存はアメリカがその責任を果たすか果たさないかにかかっているので、神様から受けた使命を成就するためには、アメリカに行かなければならない」とおっしゃいました。
 この十二年間、そのお方は、この国と世界のために、深い心情と自らの霊魂、そして多くの汗と涙を注いでこられました。
 私は、このように重大な時点で、私の夫がアメリカの宗教の自由のために注目される立場に立つようになったことを、神様の前に感謝いたします。
 アメリカは、ついに霊的覚醒が起こり始めたのであり、キリスト教の統一運動も同じように事実化されてきています。このすべての目標は私の夫にとってとても重要なものであり、そのお方は、この目標のために生命まで捧げようとしていらっしゃいます。
 私の夫は一人ではないと感じています。そのお方は、神様がこの国を祝福されるように、監獄において祈祷していらっしゃいます。そのお方は、宗教の自由のための闘争を導く特別な責任を賦与されたことを、神様の前に感謝していらっしゃるのです。
 私は、文牧師の妻であり、そのお方の子供たちの母であり、そして神様を固く信じる信者であることを誇りに思います。私の夫と家族、そして私たちの運動が苦難に置かれているこの時に、皆様が送ってくださった慰労と愛と声援、そして何よりも皆様の祈祷に対して、深い感謝を申し上げます。私の夫も、私と共に皆様全員に深く感謝していらっしゃいます。
 「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)は、私の夫にとって、常にとても特別な意味をもつものでした。
 本会議は、この地上に神様の国を建設するために寄与する事業の中で、最も重要な模範事業の一つになっています。全世界の各地域から、そしてすべての学問領域の学者たちをこのように一箇所に参席させることができるということは、ほかのいかなる機関もできないことであり、世界の問題を扱って解決することができる可能性を見せてくれているものです。
 この時間、私が最も懇切に熱望し、お祈りすることは、皆様が「科学の統一に関する国際会議」の意義と事業を継続的に支援してくださり、学者世界の重要な責任を活気をもって成就される方案を絶え間なく模索してくださることを願っているということです。もし皆様がそのようにしてくださるならば、それ以上に私の夫を喜ばせてさしあげるものはないと思います。
 私の夫が毎年伝統的に行ってきた創設者の演説を、長男である孝進君をして代わりに行わせていただきます。皆様が、私の息子をして父のメッセージを代読するように許諾してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。




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​​​お父様のダンベリー収監、その時お母様が「真の母」としてシッカリと立たれていたからこんにちの「家庭連合」があり、お父様聖和後も「中断なき前進」とお父様の意志を継承されていかれた。
もしもH3やH4がなっていたならば、真の父母様主義ではなく、自分勝手な教義でますますの混乱は避けられなかっただろう。

以下もまた「真の父母様の生涯路程10」からだ。




ダンベリーでの最初の面会後の真のお母様のみ言

 真のお父様がダンベリー刑務所に入所された翌日の一九八四年七月二十一日、真のお父様に面会して帰ってこられた真のお母様は、ニューヨークのイースト・ガーデンに集まった食□たちに、「お父様の代身者になろう」という題目のみ言を語ってくださった。

 きのう出発される直前、お父様は、御自分が住まわれていた部屋の中を見回されながら、過ぎし日を回想するかのようにされ、手あかのついた一つ一つのものを真心を込めてなでてから出てこられました。お父様は、淡々とした姿勢を見せられましたが、妻である私は、平然としようと努力しても、そのようにすることができませんでした。私がお父様を慰めてさしあげなければならなかったのですが、むしろ私がお父様から慰められました。そのようにお父様を送り出さなければならなかった私自身の無力さが、この上なくもどかしく感じられました。
 きょうは、いち早く、子供たちと一緒にお父様に面会するために行きました。お父様に会ってから二時間ぐらいすると、そこの看守長という責任者が来て、「十二時が過ぎたら席を外してもらえるか」と言ってきました。ちょうどその時、何はともあれお父様に昼食を召し上がっていただかなければならないと思って、サンドイッチを召し上がっていただいてもよいかを聞くと、「そのようにしなさい」ということでした。それで、孝進にサンドイッチを買ってこさせてお父様に差し上げました。
 そのようにしていると、きょう一日は、お父様のなさる仕事が何もないではありませんか。それで、あまり早く出てくるのもいけないと思って、三人の子供は先に帰しました。そして、機関にいる人々がお父様と交わす話があるということで、少し席を外してあげなければなりませんでした。孝進を通して、隅のほうで待っていてもよいかと伺ったところ、「そのようにしなさい」ということでした。
 私は、お父様のそばを離れたくなくて、何度もドリンクを買って飲んだり、電話をかけるために小銭を替えたりしながら時間を引き延ばしました。そのようにして、わざと時間を長く遅らせました。
 お父様は、サンドイッチを召し上がりながらも、「神山氏が一人で長く待っているはすだが、私だけこれを食べるので、のどを通らない」と、神山氏のことを思われるのです。それで私が、「神山氏は、あした面会がありますから、心配なさらすに召し上がってください」と言いました。
 そのようにしているうちに、ケース・マネージャーが来たということで、その人に会いました。そこに入ってくる人は、誰もが仕事をしなければならないようです。お父様も仕事をしなければならないのですが、工場のような所に行かれるようになれば、このように面会に来て奪われる時間を補充勤務しなければならないということです。
 そこでは八時間労働をするようになっているのですが、短い時間の間に受け持った仕事をさっさと片づけてしまう仕事場を受け持ったらどうかと尋ねてきたのです。受け持った仕事を早めに終えて、自由時間を継続してもつほうが良いではないかと、様々な面から便宜を図ろうと努力してくれました。親切で有り難い人だと思いました。
 彼らも、お父様が来られる前にもいろいろと考えていたようです。普通の方とは違うので、正しくお迎えしなければならないと考えている姿を見ました。しかし、彼らの中にもお父様に対する偏見をもった人がいるかもしれないので心配になります。
 私たちに、「何日か過ぎてから来なさい」と言いました。お父様のために、一人の息子が霊界から積極的に保護してさしあげていると思うと、少し心が楽になりました。また、今、お父様はイースト・ガーデンにいらっしゃいませんが、孝進がお父様の代わりに責任をもつ立場で私たちによく侍り、「自らの本分を果たします」と繰り返し申し上げながら、お父様に、「心を楽にしてくださり、安心していらっしゃってください」と慰労してさしあげる時は、この上ない喜びを感じました。
 私自身、一つ希望に思えることは、それが法的にどのようになっているのかは分かりませんが、仮釈放というものが三ヵ月後に可能なようです。仮釈放が可能かどうかに対する最初の対話がすぐにあるということです。そこの機関員がそのような話をしてくれながら、「レバレンド・ムーンに対する仮釈放問題は相当に重要で、関心ある問題になるだろう」と言っていました。その時のそのような様々な態度を見て、お父様にとても協力的な人だという良い印象を受けました。
 そこに入っていけば、一週間はオリエンテーションを受けるということです。ところで、ほかの人々、入所してから何力月かたった人々を見ると、囚人番号がありませんでした。ズボンの後ろ側に番号があるのですが、何度も洗っているうちに消えて見えなくなっていたのです。お父様は、入所してから一日しかたっていらっしゃらす、まだ番号を受けていらっしゃらないようでした。お父様が囚人番号をつけて歩くことを思うと、この上なく耐え難い思いになりました。いったい、お父様が何の罪を犯したということで、刑務所に入っていかなければならす、凶悪犯などがつけて歩く囚人番号を受けなければならないのでしょうか。
 何よりも心配になることは、お父様がそこで生活する間に起こるかもしれない不慮の事故、すなわち身辺問題でした。私が心配すれば、常にお父様は「心配するな」とおっしゃいます。超然とした態度で、むしろ私を安心させてくださいました。
 お父様がお休みなって生活される部屋は、四十、五十人ぐらいが寝起きすることのできる所だということです。現在は、四十数人が一緒に生活しているということです。お父様は、神山氏と共に二段ベッドを使用なさるそうです。それは、そこの責任者の配慮があったからだそうです。
 お父様の横のベッドで生活する人が、朝来てあいさつをしながら「握手しましょう」と言って、お互いにあいさつを交わされたそうです。ちょうどその人も、夫人が面会に来て面会室に現れたのですが、ミスター金がお父様と話をしている間、その人と少し話を交わすことができました。その人は私に、「きょうの朝、レバレンド・ムーンとあいさつをしました。今から毎日一緒に運動をするだろうし、レバレンド・ムーンのおなかの肉も取ってさしあげる考えです。また、英語も教えてあげます」と言ったのですが、この上なく有り難く思いました。
 今でこそ皆さんに言いますが、お父様がダンベリーに出発される時は、本当に大きな挫折と痛みを味わいました。生き別れするかと思うと、目の前が真っ暗になって全身の力がすべて抜けていってしまいました。それで、お父様に向かって「私は、本当にこのようになるとは夢にも思いませんでした。まさかお父様がダンベリーにまで行かれるとは思いもしなかったのですが、このように現実として訪れてくるのを見ると、今、私自身もどうすることもできません」という内容の言葉を申し上げざるを得ませんでした。しかし、きょう一日中お父様が子供たちと対話されながら、また、「私は現実の中でも絶対に損をしないので、心配するな」と重ねてお願いされるのを聞き、心を少し楽にすることができました。
 お父様は、私に、「今から成されることを見て、今後、いくらでも感謝の祈祷を捧げなければならないだろう」とおっしゃいました。お父様のみ言の中には、苦難を勝利に変えてしまおうとされる意志が確固としてあり、「むしろアメリカと世界が救援を受けることができる道が開かれるだろう」とおっしゃいました。
 現在、皆さんに内的な決意をすべて話すことはできませんが、これまで外的な面において私が目立って活動したのでもないので、皆さんが一致協力して助けてくださらなければなりません。突然お父様の仕事を引き受けるようになり、心の準備もしなければならないので、少し時間をもちたいと思います。そして、この期間は、子女たちをお父様の立派な子女として教育して立てたいと思っています。特にお父様の願いがあったのですが、「孝進を教育する時間にしなさい」ということでした。
 また、内的な面で直接判断し、教会のことや、今までお父様が心血を注いで推進してこられた人類救援の事業に対して、すべての報告を聞いて対策を立てていこうと思っています。いつもお父様がいらっしゃる時と同じように、朝、全員来てください。毎朝会って話し合う中で一日を出発し、成されることに対して成果を検討していこうと思います。
 皆さんが、受け持った分野において責任を全うして大きな実績を積めば、お父様は、ダンベリーにいらっしゃる間に多くの慰労を受けられるでしょう。また、それが、子女の道理を全うすることだと思います。すべての人がお父様の代身者となって、お父様がお喜びになることができる孝子、孝女となってくれればと思います。


ニューヨーク地区の中心食口集会

​ 一九八四年七月二十二日、ニューヨークのイースト・ガーデンにおいて、真のお母様は、ニューヨーク地区の中心食□が集った聖日の夕拝を通して、ダンベリー刑務所に面会に行ってこられた内容を中心として、「誇って、見せてさしあげる実績をもとう」という題目のみ言を語ってくださった。​

真のお母様のみ言
 私が思うとき、これまで皆さんは、とても多くの愛のみ言を受けてきました。その価値と比重は計ることができません。皆さん自身をおいて考えてみてください。真実の命令一つだけおいてみても、皆さんは責任を全うしたとお思いになりますか。今までしてきたとおり、会議も良く、み言を聞くのも良く、再度決意することも良いのですが、今はもう、皆さんが何かお父様の前に見せてさしあげる実績をもたなければならないと思います。
 一九八四年七月二十日は、本当に、永遠の歴史の中から取り去ってしまいたい日でもありました。お父様は、ダンベリーに出発される瞬間から皆さんを激励され、皆さんに希望を吹き込んでいかれました。
 二十日の晩十時にイースト・ガーデンを出発して、キャンプ・オフィス(ダンベリー刑務所)までお連れしてさしあげました。何度も唇をかみしめながら、心を強くもたなければならないと誓いましたが、我知らす流れてくる涙を抑えることができませんでした。
 車から降りられる前までも、御自分の前に迫ってくることに対しては少しも心配なさらす、むしろ私を慰めるためにすべての神経を遣っていらっしゃるのを見るとき、私はどうしてよいか分かりませんでした。
 お父様が入っていかれると、警備員たちが、「あの方はわなにかけられました(He is in the trap)。あの方がわなにかけれたことははっきりとしています」と言っていました。
 お父様は、出発される前に、「私は監獄まで解放するために行くのだ」とおっしゃいながら、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈祷しなさい」というみ言を何度も語られました。なぜかその言葉を聞く時、自分でもどうすることもできない抑えられない悲しみが込み上げてきました。なぜ私がこの話をするのかというと、皆さん全員に、「本当に責任をもって仕事してください」というお願いをしたいからです。真の父母と同時代に共に呼吸しながら、共に働いた皆さんは、歴史の記録となるでしょう。しかし、このようになった事実をおいてみるとき、皆さんは、皆さんの子孫に何か言う面目があるでしょうか。
 最低の立場から出発した統一教会の歴史は、国家的基準を越えて、世界的基盤と言うことができるアメリカで十四年間役事してきました。
 けさ早く、お父様が私に電話をかけてこられて皆さんにお願いされたことは、ほかでもなく、「神様の召命を受けた者として、キリスト教にのろしの火をつけなさい」というみ言でした。
 お父様に対する自由の保障は、皆さんの意志にかかっているのです。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今まで成してきたことと、また、今指示しているすべての内容を、精誠と積極的な活動で必ず成就させてください。皆さんの精誠に神様が感動され、サタンが降参し、歴史は新時代を迎えるでしょう。お父様のみ言は、「今後四十日以内で、神様が役事なさることのできる祝福の期間をつくりなさい」ということでした。
 お父様がお願いされたことの中の一つは、今、アメリカでは多くの日本の食□が来て活動しています。韓国の幹部はもちろんですが、特にアメリカの食□たちは、日本の食□と一つになりなさいということでした。お父様は、避けることができない牢獄の身となられ、苦痛を受けていらっしゃいますが、日本の食□たちは、この時代において、世界的な経済的十字架を背負っています。そのような点から見るとき、この機会は、アメリカの食□の皆さんが日本の食□と一つになることのできる機会なのです。「この機会を皆さんが逃せば、歴史をおいてどのように言い訳することができるのか」とおっしゃっていました。
 それでは、最初の日に面会した内容を報告いたします。譽進、孝進以下、上から六人の子供たちを連れて、朝八時に面会に行きました。
 お父様が出てこられる前に面会者名簿に署名し、心の中で、お父様を待つ私の姿がどうなのかと、焦る思いで隅に場所を取って座っていたのですが、出てこられて最初に御覧になった人がデイビッドでした。お父様は、デイビッドに握手をされてから私と子供たちが座っている所に来られました。その心や表情を見ることはできませんでしたが、お父様はとても自然でした。
 皆さんは、お父様がどのような姿で出てこられたのかが最も気になるでしょう。一言で簡単に表現すれば、濃いベージュ色系統、力ーキ色というよりもベージュ色が強い予備軍のような服装をしていらっしゃいました。履物も、もちろんそこで出してくれる履物を履かれ、それは、コットンとポリエステルを混ぜた布で作ったようなスリッパに似た青緑色の履物でした。
 朝八時三十分から面会が始まったのですが、その日だけは、朝の食事が十時三十分に始まるということでした。それで、食事を召し上がることができなかったのですが、食堂はカフェテリアだということです。それで、「何か少し召し上がらなければならないでしょう」と言うと、「あー、私は食べてきた」とおっしゃるのです。それで、「まだ朝食が始まっていないのに、何を召し上がったのですが」と聞くと、クッキ-とティーなどを召し上がってこられたということでした。それで、「それでは、どのようにして召し上がったのですか」と聞くと、その横にいる方々が、それぞれ来て、「これも召し上がってみてください」「あれも召し上がってみてください」と言って何でも持ってきてくれるので、食事をなさったというのです。そのように与えたいと思い、助けてさしあげたいと思う、そのような雰囲気だとおっしゃいました。
 一晩を過ごされたのですが、その中に一緒にいる人々がレバレンド・ムーンにとても積極的で協助的だという報告がなされたようです。一つの部屋に四十、五十人がいるので、全員がみな良いと言うことはできないでしょう。ですから、私たちが多くの精誠を尽くして、霊的にでも最善を尽くさなければならないという気がします。
 ところで、本来そこは、女性の囚人たちのために造られていた所ですが、女性の囚人が少ないので男性の収容所にされたということです。それで、お父様が出てこられておっしゃったことは、「男性のためのトイレが一つもなく、すべて女性のためのトイレだった」ということです。
 けさ、お父様は電話で、「私は食堂で仕事をするようになった」とおっしゃっていました。
 私が知るには、入っていかれた日、ベリータウンから何人かの食□がアメリカの国旗をもってきて、お父様の乗られた車が過ぎる直前に、そこに横になって絶対に入っていくことができないようにしようとしたということです。それで、ようやくやめさせて帰したということです。そのようにしてでも入っていかないのであれば、私たち全員でそのようにするかもしれませんが、そのようにすることができないところでは、そんなことをしても何の助けにもならないと思います。
 お父様の天的な使命と全体的になしてこられた業績など、様々なことを見るとき、その場所に長くいらっしゃるようにすることはできません。一日が急がれます。皆さんの精誠が天に届き、神様が生きてレバレンド・ムーンに直接役事なさることを、満天下に見せてあげる役事が継続して起こり、未来の歴史に大きく記録されるように、受け持った仕事を、最善を尽くしてT生懸命にしてくださることを願います。



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最終更新日  2019.06.18 19:50:18
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2019.06.17
カテゴリ:独生女考
​仕事中にも私の背後の霊からの言葉がある。
今日は「原理講論の神様の定義を見よ」というものだ。

さて、​​​​原理講論の創造原理​には神様がどういうお方かについて定義されている。原理講義からは以下の黄マーカーが強調されるあまりに十分な理解もされないままに、こんにちの混乱が生じているようだ。
上述した内容を要約すれば、​神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。​

ここで、​「上述を要約すれば」​がくせ者、で私たちは要約されていない部分をもう一度確認してみたい。
​​​​​​​また、今日の科学によると、原子を構成している素粒子は、すべてエネルギーから成り立っているという。それゆえ、そのエネルギーが素粒子を形成するためには、必ずそのエネルギー自体の中にも、素粒子形成の目的を指向する性相的な部分がなければならないということになる。更に一歩進んで、このように性相と形状とを備えているそのエネルギーを存在せしめることによって、あらゆる存在界の究極的な原因となるところのある存在を我々は追求せざるを得なくなるのである。この存在は、まさしく、あらゆる存在の第一原因として、​これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない。存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである。​​我々は、今、パウロが論証したように、あらゆる被造物に共通に見られる事実を追求することによって神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として、すべての存在界の第一原因であられることが理解できるようになった。

既に述べたように、存在するものはいかなるものでも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在するという事実が明らかにされた。それゆえに、森羅万象の第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ないということは、当然の結論だといわなければならない。創世記一章27節に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と記録されているみ言を見ても、神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体としてもいまし給うということが、明らかに分かるのである。

それでは、性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。それゆえ、陽性と陰性とは、各々性相と形状との関係と同一なる関係をもっている。したがって、陽性と陰性とは、内外、原因と結果、主体と対象、または縦と横との相対的関係をもっている。神が男性であるアダムの肋骨を取って、その対象としての女性であるエバを創造されたと記録してある理由もここにあるのである(創二・22)。我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。

神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、神の創造目的のままに、動じ静ずる、一つの完全な有機体である。したがって、この有機体も性相と形状とを備えなければならないわけで、その性相的な存在が神であり、その形状的存在が被造世界なのである。神が、被造世界の中心である人間を、神の形状である(創一・27)と言われた理由もここにある。したがって、被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。コリントⅠ一一章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。​​​​​​​
冒頭引用の要約された別の言葉が以下ということになる。
  • 神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として、すべての存在界の第一原因であられることが理解できるようになった。
  • ​「我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。」​
そして、
  • ​被造世界(母なる大地)に対しては、性相的な男性格主体(天の父)としていまし給うという事実を知ることができる。
​ということになる。注目すべきは、
神における陽性=男性
神における陰性=女性​
​​
と書かれていた。​神様の「男性・女性」が分かれたものが被造世界ということであり、人間の「男性・女性」、つまりは、人間始祖アダム・エバに分かれたものだった。

関連画像

霊界に行っても無形の神様は見ることは出来ないが、神様の似姿となった(完成した)夫婦は霊界では(神様のように)一体となって見えるということだ。

真の父母様は神様を「天の父母様」と呼ばれたが、これは原理講論の神様の定義からも明らかである。
H3、H4は、お母様が神様の呼称を「天の父母様」に変えたとかいう批判もここまでだ。
また、「独生子」「独生女」批判も同様である。



恣意存は続くよ何処までも? 」末尾は以下。
彼からでてくる「夜の神様、昼の神様」情報の出所は、『TWJ2012.天暦一月号』P.14~ でH4が語っていた内容そのものだ。お父様のほか「夜の神様、昼の神様」み言を読み合わせてみても、H4の歪曲した解釈からのものであることは言うまでもない。


​H4の「夜の神様、昼の神様」からは、「真の父母様」の言葉はあってもお父様中心であり、原理講義で強調された「被造世界に対しては、性相的な男性格主体」からのものであった。また、原理講論では「我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。」​との教訓もある。

H4の「夜の神様、昼の神様」でも、そうであれば「唯ニ神」ではないか? とある方がお父様に質問をされたそうだ。回答はすべて「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の講演文をお持ちになって「この中に全てある。この者!」と怒鳴られた。
」シムソン(恣意存)氏に対して私tomy4509からも「二元論では?」と疑問を投げかけていたそれだが未だにそれが未解決のままだ。
彼曰く。
​理解しようとする気持ちを持たない、あなたの為に答えるつもりはありません。​​​​​​​​​​​​
​「心情基準」をH4に合わせなければ、ということだった。


H4の全文を掲載するほどでもないので一部だが、以下。



​「私は(存在論的に)夜の神様から出てきた」と語られたのです。ですから、夜の神様から来られたそのおかたを神様の息子(娘)であると、私たちは言えるのです。​
​一体となられた真の父母様のことを考えれば、お父様がそのように語られたとしてもお母様にも同様のことが言える。以下も、シムソン(恣意存)氏は「地上の三位神」とかも取り出していたが、
​お父様は(真の父母様)は夜の神様から出てこられたので、神学的に言うと、「the Godhead(三位一体)から出てこられたために、私たちを生かし、私たちの霊魂を救援なさることが出来るのです。​
​​​これまでのキリスト教では、「三位一体」は『父と子と聖霊』と言われていたが、原理講論からは聖霊は「女性(神)」だと書かれていた。神の定義からも「神の陰性=女性」であって、「お父様の聖霊」いうものはあり得ないことだ。H4の原理講論を歪曲した解釈から来るものであり、過去の歴史の「男性上位」を維持しようとするサタン的発想が働いているようだ。
アブラハムの三種の供え物で、成約時代を象徴する雌牛を指しては「成約時代は女性時代」であると預言しており、真の父母様も1992年から「女性連合」を創設されては「女性時代」の開幕と初めて公式の場で​「私たち夫婦はメシヤ、再臨主」​だと宣布された。また、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」も真の父母様で宣布されたものだ。お父様おひとりではなかった。

次に、この時すでにH4は「精子神学」論の考えも発表していた。それが以下の赤線だ。
もちろん、H4が原理から外れた「非原理」を語っていたことは、神様を「天の父母様」と真の父母様が呼ばれていたことからも納得のいくことだ。







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最終更新日  2019.06.18 05:58:46
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2019.06.16
カテゴリ:独生女考
​​​​​




以下は「真の御父母様の生涯路程10」からの抜粋。
(註:()番号はtomy4509が付けたもの)

​真のお母様のみ言(1)
 私は、一九四三年陰暦一月六日午前四時三十分、平安南道安州郡安州邑信義里二六番地で生まれました。今まで故郷の安州の住所を覚えているということは殊勝なことでしょう? 私が生まれる時に外祖父(洪唯一先生)が「今、何時か見ておきなさい」とおっしゃられて、正確な時間が分かるようになったのです。

 そして生まれる時、韓氏の父(韓承運先生)は、胎夢(妊娠する徴候となる夢)と言うより夢示(夢の啓示)、幻を見られたということです。とても鬱蒼とした青い松林の中に清らかで美しい日が射し、二羽の鶴が和動する姿が見えたそうです。それで、名前を「鶴子」とつけられたのです。

 私の村は、ひどい片田舎ではありませんでした。家の裏には丘があり、小川が流れる、とても穏やかで暖かい感じを与える所でした。ちょうどめんどりがひなを抱くようにです。裏庭では、家族が食べるために栽培していたとうもろこし畑がありましたが、そのとうもろこしがとても大きかったことを思い出します。

 真のお父様の故郷である定州は、私の故郷の安州と川を一つ挟んだ所にあり、七里の距離です。一九九一年十二月に定州に行った時、ヘリコプターで安州を通り過ぎましたが、アパート団地が建っていて全く変わった姿になっていました。真のお父様の故郷である定州よりも、もう少し市街地へと変わっていたのです。

​真のお母様のみ言(2)

​​ 韓氏の父は、新イエス教の篤実な信仰者でした。李龍道牧師、李浩彬牧師、彼らに従って大母様と一緒に信仰生活をされました。二人が結婚して赤ん坊をもてば、天が大きく用いられる息子が生まれるという啓示を受けたのですが、娘が生まれたのです。その李浩彬牧師は、真のお父様と崔先吉さんの主礼も行い、母方の叔父の主礼も行いました。

 外祖父の洪唯一おじいさんは、背が高く美男子でした。だから私が初めて真のお父様にお会いした時も、外祖父と姿がとてもよく似ていて同じ印象だったので、見知らぬ人のような感じもせず、恐ろしくもありませんでした。また、その時代に、嫁にハイヒールを買ってあげるほどのおじいさんだったことが思い出されます。

 趙元模おばあさんは小さくてかわいらしい上に、勤勉で活動的でした。勉強はあまりすることができませんでしたが、開化期の新しい教育を受けた女性であり、ミシン商会をしていらっしゃいました。販売したあとに集金する時、故障した物は修理してあげたりもしていました。

​ 私の家門の歴史を見たときに、母方を見れば、趙氏おばあさん、大母様、そして私のすべて一人娘でしたが、お父様は「それはすべて意味がある」とおっしゃいました。大母様も娘一人、また外祖母である趙氏おばあさんも娘一人だったのです。趙氏おばあさんは定州でお生まれになったのですが、その趙氏の家族は、定州の地でとても裕福だったそうです。皆さんが知っている弥勒菩薩の信仰をもっていらっしゃいました。​

 弥勒菩薩の歴史について話せば、これは伝説ではなく、本当にあった話です。私の家はキリスト教の家庭だったので先祖を崇拝せず、何代かはよく知りませんが、我が国が中国の属国の立場にあった時のことだそうです。中国の使臣が韓国へ来ようとすれば、定州の撻來川を渡らなければならないのですが、その当時、橋がなかったのです。橋を架けるお金が国になかったということでしょう。それで、その橋を架けることができる人を探すために公示文を貼っておいたのです。

 その時、おじいさんの趙漢俊氏という方が、私財を投げ打ってその橋を架けたのです。橋は石橋でしたが、橋の下を船が通り抜けることができるほど大きな橋だったそうです。そして、そのおじいさんが石橋を造る際に全財産を使い果たし、銅銭三文が残ったそうです。それで、あすは橋の竣工式に行くということで、その残ったお金でわらじを買っておいてから寝たそうです。ところが、夢の中に白い服を来たおじいさんが現れて、「漢俊よ、お前の功労は大きい。それで、お前の家門に天子を送ろうとしたが、残しておいた銅銭三文が天に引っ掛かったので姫を送ろう」とおっしゃったということです。その夢を見てから外に出てみると、その丘の上に石仏ができていたそうです。

 昔、弥勒は男性を象徴し、菩薩は女性を象徴したでしょう? 釈迦牟尼はすべての人々が平安な心で福を祈ることができるようにと、慈悲深い印象で造られていたのですが、その菩薩はそれ以上に慈悲深い姿をしていらっしゃり、おなかがふっくらと出た仏でした。昔、父が言われたのですが、馬に乗っていく途中でも、その菩薩の前では、馬から下りて敬拝をしなければならなかったということです。なぜなら、馬がその前では決まって足を止めたからです。誰であろうと、その前では敬意を表さなければならないのであり、そのようにせずには通り過ぎることができなかったのです。

 ところが、私の家門に問題が起こりました。その趙氏のおじいさんが「夢の啓示を受けたとおりに娘が生まれれば、菩薩のような腰がまるまるとした子が生まれるだろう」と言って「その仏のおなかを削り落とそう」と言ったのです。それで、腰の部分を削り落としたところ、血が出てきたそうです。それで人々が悔い改めをして、削り落とした部分にセメントを再び塗ったというのです。父が幼い時にその場所に行って遊ばれた時は、セメントを塗った部分が長い間風に当たって、そこに穴ができ、はちたちがしきりに出たり入ったりしていたそうです。この石仏の話は、定州に住んでいる人は誰もが知っている話です。

 このような話を通して一面を知ることができるように、趙氏おばあさんの家の先祖は、神様を知らなくても、民として国の願いに従って生きようとした先祖だったのであり、それゆえに天が記憶することができる祝福された家庭だったのです。それで、私が笑い話で「趙漢俊おじいさんによって趙氏の家門に王子が生まれるところだったのに、その銅銭三文のゆえに、遅ればせながら王女が生まれたのですね」と言ったのです。​​
​​​
真のお母様のみ言(3)
二千年前にイエス様がイスラエルの地に誕生されるまで、天は、その民族がイエス様を迎えて天の家庭を築き、一つになった国家を築いて世界へ進んでいくことができるようにするために前もって準備させました。しかし、その時に準備されて責任を担った人物たちは、天の深い意味や事情よりも現実問題に汲々としてイエス様を正しく理解することができず、ついには十字架に送ってしまったのです。

 それで、イエス様の復活以後二千年間伝わってきたキリスト教文化を中心として、来られる主を迎えるための新婦としてのあらゆる準備をなすことができるように、天は、無知な人間たちを悟らせながら役事してこられました。天は、韓国を選民の国として選ばれ、韓国のキリスト教が短い歴史しかもっていないにもかかわらず、解放直後を通じて新しい主を迎えるための内的準備を行う団体を立てられました。

 そこに、平安北道の鐵山を基点として、エバの使命を蕩減復帰する、金聖進おばあさんが主軸となった聖主教団がありました。また、聖主教団の金聖進おばあさんが死ぬと、そのあとを継いで、聖主教団の平壌教会の責任者であり、腹中教をつくった許孝彬氏夫婦を通して、天は、内的にどのように再臨主を迎えなければならないかということを直接的に教えてくださいました。

 衣服を準備するにおいても、イエス様が生まれて三十三年の生涯路程を歩まれる時までの全衣服を、それぞれサイズに合わせて作らせるなどの実質的な準備をさせられました。そして、再臨主の三弟子に誰がなり、また三十六家庭の形態を準備する役事までもありました。

 北側では、共産党の勢力が大きくなると同時に、宗教に対する弾圧も激しくなりました。それで、一九四六年八月、許孝彬氏も平壌の大同保安署という監獄に入るようになったのですが、監獄で再臨主に出会うという啓示がありました。その時、真のお父様も、平壌で伝道している中で捕まり、同じ監獄に入られるようになったのです。

 その監獄で、許孝彬氏の一番弟子である黄元信氏を通してお父様がこの事実を聞かれ、許孝彬氏に手紙を送られたのですが、途中で看守に見つかり、お父様は激しい拷問を受けて歯まで折れる受難を経られたのです。

 その時が、私が以南に下ってくる少し前だったのですが、許孝彬氏の母親が啓示を受けて私を呼ばれたのです。六歳のころでした。許孝彬集団は、聖主教に続いて再臨主のための新婦の使命を果たす団体だったのですが、その名目のもとで私に祝祷をしてくれたのです。「この次に大きな使命を果たされる方だ」という祈祷を受けました。白いチマチョゴリを着た若いおばあさんが私一人を呼んで、「天の啓示があった」と言いながら祝福してくれたことをはっきりと覚えています。

 私が六歳にもならなかった時に「このお方こそ天の新婦になられるだろう」と予言したのです。彼女はその時、六歳にもなっていなかった幼い少女が天の新婦になる運命に生まれついたという啓示を頻繁に受けていました。

真のお母様のみ言(4)
 復帰摂理路程において、女性の役割はとても重要です。特に母の使命を準備することに対して、天は、人間が知らない中で、サタンの讒訴を受けない限度内において大変な苦労の路程を導いてこられました。​

 趙元模おばあさんと洪順愛大母様は、再び来られる主を迎えるための準備と信仰で生涯一貫した生活を送られました。世の中と妥協されず、安逸な家庭環境の中で型にはまった信仰をすることなく、二十四時間をすべて天の前に奉仕し、主を迎えるための準備に限りない精誠を尽くされました。そのような信仰生活で、大母様はほとんど家にいらっしゃらなかったので、私は、幼い時には主におばあさんと多くを過ごしました。それで、その趙氏おばあさんを通して自然に、当たり前に信仰を受け入れるようになったのです。

 外祖母は、私に対する天の何かのみ旨を知っていらっしゃったのか、私が世の中に染まらす、とにかく純粋に育って天の前に用いられることができる貴い娘として成長するように多くの精誠を注がれました。​外祖母は、絶えず私に「お前のお父さんは、天のお父様だ」と言われました。その記憶しか思い出しません。「天のお父様がお前のお父さんだ」と言われていました。​

 それで、父親と言えば、肉身の父のことを思わず、いつも天のお父様のことを思ったので、神様を思うと常に心温まる感じをもったのであり、外的に見れば人々がすぐには理解し難い環境で育ちましたが、特別な不平不満はありませんでした。いつも何かが私を包んでくれているような温かい感じがして、常にゆとりのある心で過ごしました。大母様やおばあさんにも、肉身の父親に対してや、またお二人がどうしてこのように暮らされるのかなどといった質問は全くしませんでした。ただそのままその生活に満足しながら暮らしていました。肉身の父母に対する恨みや反発感といったものは、私の人生には全くありませんでした。

 二千年前のイスラエルの国においても、主を迎えるための内的な準備が多くあったように、解放前の韓国においても、再臨主を迎えるために準備した団体が数多くあり、復帰摂理歴史を内面的に歩んできた団体も数多くあったのですが、おばあさんと大母様は、そのような団体を探して歩きながら世の中と一切妥協することなく、ただひたすらみ旨だけのために、ただひたすら主お一人に出会うその日だけのために生きてこられました。結局、そのような信仰が私をこの位置まで導いたようです。

 絶えず深い信仰生活をされました。絶えず分別され、清潔な生活、清い生活をされました。私は、生活の大部分を大母様から学びましたが、趙氏おばあさんもそうであられました。

 趙氏おばあさんは、真のお父様と私が聖婚したのちに亡くなられましたが、霊界に行かれても、仏教系の霊通する信女(在俗、女子の仏教信者)である尹清浄心氏に現れて、「時になったので昔の君主が王位に就く時に着る服を作りなさい」と言ったことがあります。結局、尹清浄心氏はこれを果たすことができずに逝きました。また、おばあさんは、真のお父様を「王の王だ」と言われ、時局が変わるたびに、その位置がお父様の位置であると証されたりもしました。

​真のお母様のみ言(5)

​​ 聖婚後、大母様は、私に起こるすべての出来事を、啓示を通してすべて見ていらっしゃいました。誰にとってもこの位置は大変な位置でしたが、大母様がいらっしゃったので克服することができました。すべての女性の誤りを大母様がすべて清算されました。大母様が誰よりもよく御存じです。

 今、私の年齢は六十になりつつありますが、幼年期や青年期よりも、その後の四十年間のほうがもっと波瀾万丈な人生を送ってきました。すべてを□に出して言うことはできません。

 (たくさん泣かれながら)神様にも健忘症がおありになるのでしょうか。健忘症があるのですべてのことを忘れ、克服して越えていくことができるのだと思います。健忘症があるということは祝福です。憎い人を憎いと思わすに、愛ですべて克服するということが簡単なことだったでしょうか。

 外からちらっと見るときには、お父様がどのようなお方だということを知っているので、皆さんは全く同じように思い描き、単純に、私がとても幸福で、すべての面において完全な人であるに違いないと思うことでしょう。「あなたは神様からそのように創造され、もともと完全な姿としてお生まれになっているので、自分では何の努力もする必要がなく、ただそのままその位置に選ばれるようになったお方だ」と思うかもしれません。そして、「全天宙の母だということ、お父様に出会って幸福な家庭をもっていて人生を楽しんでいる」というのが、私に対する人々の一般的な見解でしょう。

 しかし、それとは反対に、お父様がその位置に立たれるために苦難と十字架の道を歩んでいかれる限り、私においても当然、私なりに信じることができないほどの耐え難く、乗り越え難い十字架を背負ってきたのです。もちろん私も、最初から完全な人間として出発したのではなく、完成まで行かなければならない過程がありました。その到達しなければならない基準はあまりにも高く、時には本当に目標まで行くことは不可能ではないだろうかという気までしました。その使命を果たし、神様の期待にこたえるためには、とても難しい試練と、苦難と、絶対的な信仰が必要でした。私はそのような立場にいました。

 過ぎし日のこのような事情と、私が歩んできた路程について思い起こす時、私はこらえることができずに涙が出てくるようになります。なぜなら、これについて話そうとすれば、苦難と試練のすべての記憶が再び生々しくよみがえってきてしまうからです。ですから、私にとってはそれを話すということは大変つらいことなのです。

 私が歩んできた道は、考えるだけでも耐え難い苦難の連続の道でした。神様は、お選びになったお父様に試練を与えたのと同じように、私に対しても何度も試練を与えられました。そして、サタンもまた、お父様とイエス様を試みたように、私に対しても試みました。メシヤが通過されたのと同じ、そのような過酷で激しい試練をこの弱い女性が通過したと言えば、本当に皆さんは信じることができないでしょう。



 一九六〇年に聖婚式が挙行され、私は、天宙的な使命を帯びられた偉大なお父様と結婚しましたが、お父様がその天宙的な使命を成していかれる生活を傍らで見守るならば、普通の自然人には、そのような使命を果たすということは考えることさえも不可能なことです。

​ 私は、温室の中に咲く一輪の花のように成長してきました。平和な周囲の雰囲気という温室の中で、「砂漠に咲く花のようだ」と私自身が感じてきました。砂漠のようなものは私が生きていた環境であって、行くところはすべて荒海が狂ったように暴れているかのようでした。それは、私の周囲が一寸先も見ることができないほど多くの誘惑と、試みと、様々な苦難が渦巻く、難しい現実的、また霊的な状況だったからです。私は、本当に荒海に浮かぶ小さな帆掛け舟のようでした。​

 一方で、その当時は、私に訪ねてこられる神様の恩恵を最も深く感じた時でもありました。私が苦痛の中にいる時でも、神様は親しく現れて啓示を下さり、導いてくださいました。そのような直接的な導きがない場合でも、私を愛し保護してあげようとする周囲の人々を通して、絶えず導きと啓示を下さいました。ですから、その時が、あれほど難しい試練と苦難の中で耐えなければならない時であったにもかかわらず、同時に、その時こそ最も美しく、神様の恩恵に満たされた、神様が本当に共にいてくださるということを実感することができる時でもあったのです。​​







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最終更新日  2019.06.16 16:58:07
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2019.06.06
カテゴリ:独生女考
お父様の「元祖・独生女論」(その5)

真の父母様の生涯路程(10)』から 。


​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​二 真のお母様の選定

十七歳の少女

 み旨がなかったならば、先生はお母様と出会うことはできませんでした。お母様になる人は二十歳を越えてはいけません。本来は、十八歳を越えてはいけません。満で十八歳を一日でも過ぎてはいけないのです。エバが十六歳で堕落したので、三年を経て十九歳まで連結されるのです。

 二十歳は二十数なので、蘇生、長成、完成を代表します。それゆえに、二千年歴史とは、完成の峠を越えて完成することができる段階を意味しているのです。ですから、二十歳前でなければなりません。お母様の因縁をもった人は、絶対に二十歳を越えてはいけません。父となることができる人がこの地上に生まれ、母を選択する際に立てる条件は、その人が絶対に二十歳を越えてはいけないということです。

 お母様は、できるだけ年齢が若いほど良いのです。なぜでしょうか。堕落圏を見れば十代が問題ですが、韓国的な立場から見るとき、年齢が低いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。

 年齢は四十になったとして「天のために若い妻子を迎えて、一度忠臣的夫になってみよう」ということが念願でした。また、「齢四十にして、自分勝手に生きてきた女性を引き連れて暮らしながら、いかにしてその年の多い妻から一生褒めたたえてもらうことができる真なる夫になることができるだろうか」と思い、そのような意味で年齢が若いお母様を迎えたのです。

 お母様と私を比べれば、私はお母様よりも二十三歳年上でしょう? この世から見れば、私は父親のような年齢です。自分の娘のような女性と結婚する男性がどこにいますか。しかし、真の愛は年輪を越えるのです。真の愛には、億万歳になるおじいさんにとって、億万歳だという考えがそこには及びません。記憶できません。ただそのまま新しく感じられます。ただそのまま良いのです。ただそのまま和合です。ただそのまま統一です。ですから、真の愛は悪くないというのです。お母様と私は年齢の差が大きいですが、真の愛の世界に行けば「おい、二十三年してから来なさい」と言うでしょうか。それは問題にならないというのです。

 さらに、四十歳以下の人の心情圏を何によって連結しますか。お母様を代わりに立て、下りていってお母様と共に上がってくる基準を中心として、家庭的心情圏を連結させるのです。そのようにすれば、思春期以下の男性、女性は、同じケースとしてすべて連結され得るのです。

 しかも、先生は二十年間で十二人の息子、娘を生まなければなりません。そのようにしてこそ二千年を蕩減することができるのです。おしりが丈夫で、腰の力があって、毎年次から次へと産んだとしても産めるかどうかだというのに、年を取った人では大変なことになります。ですから、仕方なく、できるだけ年が若く、十六歳以下でも良いと考えたのです。そのように考えていたところ、そこに合致した、雲の上に飛んでいくものを私がさっと捕まえて手に入れたのです。それがお母様です。(笑い、拍手)


絶対従順の相対者

 先生は四十歳になって十七歳になる娘と結婚しました。この非常に大きい団体を動かさなければならない責任を担った先生には内助者が必要だったので、大学を出た人もいましたが、お母様を選択しました。行く道がこのような道なので、自分を主張することなく、いかなる死の峠であっても夫のために生命を身代わりすることができる人が必要でした。それゆえに、首を横に振る人の娘は絶対に選びませんでした。

 最も底辺において黙って犠牲となり、「また行かなければならない」と心に誓いながら行く人の娘が選ばれました。教会で献身生活をしていたおばさんの娘、高校二年になる娘を選んだのです。摂理的プログラムがそのようになっていたからです。妻を迎えるにしても、私の欲望を中心としては選ばなかったのです。

 お母様の母親は、ここに来て家政婦暮らしをしたでしょう? 末端から忠誠を尽くしなさいというのです。その母親は監獄生活をする運命にありましたが、それはすべて福なのです。統一教会は、監獄生活をして、苦労してそこから出てきたとしても恨むことなく、すべて自分が悪かったのだと思って、天の前により一層忠誠を尽くそうとします。そのような面から見れば、すべて復帰原則によって分別してきたのです。

 お母様自身も、愛を中心として羊のように従順でなければなりません。すべての面において絶対従順することができる条件を復帰しなければなりません。ですから、夫のために全面的に犠牲とならなければなりません。夫を愛するのに絶対的でなければならないのです。そのようにすることができる条件を備えなければなりません。お母様が、家庭も良く、誇ることができる条件を備えていれば驕慢になります。すべての面において服従しなくてはなりません。ですから、お母様が「私の父親よりも劣る。私のお兄さんよりも劣る」と言って比較の基準をおいてはいけません。世の中のいかなる男性よりも、先生よりも、おじいさんよりも、誰よりも、私の夫はもっと優れていると思わなければなりません。

 なぜかというと、エデンの圏において、エバは、男性というものを見ることができませんでした。男性に対して考える余地がありませんでした。エデンの園において、アダムは、エバの父親になり、それからお兄さんになります。その次には夫になるのです。それが復帰です。神様を取り戻さなければならないので、真なる父を取り戻し、真なる兄を取り戻し、そののちに真なる夫を取り戻さなければならないというのがエバの立場です。それで、そのような女性を選ぼうとしたので、何も分からない、そのような幼い娘を選ばざるを得なかったというのです。

 先生自身もそのように思っていました。先生は勉強もして、すべてをしましたが、最も良い相対は小学校を出た人だと思っていました。お金持ちの娘ではなく、農村の何も知らない純真な人を思っていたのです。そのように思っていたので、神様があのように美しいお母様を迎えさせたのです。

 み旨のためにはただうれしく、先生のために一〇〇パーセント歓迎する人であれば、最も劣った人でも良いと思っていました。ですから、最も優れたお母様を迎えたのです。(拍手、歓呼)お母様も「自分もどのようになったのか分からず、このように先生のところにお嫁に来るようになった」と言っていました。それは、避けようとしても避けることができないようになっていたのです。何かに流されてきたというのです。


八段階の女性心情圏の伝授

 結婚はしましたが、条件が立てられる前にお母様を迎えれば大変なことになります。殴り殺したり、薬を飲ませて殺したりという、ありとあらゆることが起きるのです。自分の孫娘が来られる主の新婦となり、自分の家が皇族になるという啓示を受けていたのに、突然どこからかほかの新婦が来たので、じっとしていることができますか。ですから、八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで収拾し、これを引き受けてあげなければなりません。そのようにして、お母様に譲り渡してあげなければならないのです。

 サタンである偽りの父親から生まれたので、霊的にでも本然の完成したアダムの位置を探して入っていかなければなりません。それで、女性を代表した人々が先生の新婦候補者となって、先生が結婚する前におなかの中に入っていき……。この十代から八十代までの七十年に及ぶ女性たちのすべてのものをお母様が引き継がなければなりません。引き継ぐことができるようにするためには、それらをすべて収拾しなければなりません。ですから、先生が収拾して、お母様を選び、お母様が再び引き受けて産んであげなければなりません。このように、蕩減復帰、実体復帰が難しいのです。

 そのような時局に、「お母様だ」と言って、小さな、青い、まだ熟してもいない人を連れてきたので、どれほどのけ者扱いにするでしょうか。それゆえに三年間完全に隔離して、一段階、一段階、八段階を経て越えてきたのです。八十段階のおばあさん、七十段階のおばあさん、それから六十段階のおばあさん、五十段階のおばあさん、四十段階のおばさん、三十段階のおばさん、二十段階の女性、十段階の若い娘まで、すべて経てきたのです。

 神様が御覧になるとき、全世界の女性は一人です。一人として見るのです。堕落する時、アダムとエバが堕落したので、全世界を代表したアダムの前に、全世界の女性はエバの立場に立っているのです。ですから、年齢が高かろうと低かろうとすべてエバです。ゆえに、八十代のおばあさんの時代から橋を架けなければなりません。花の橋、愛の橋を架けなければなりません。ですから、彼女たちをみ言で導き、自分の娘のように育て、率いていきながら、東西南北のすべてのものを収拾し、橋を架けなければならないのです。

 そのためには、数多くの女性たちのそのような事態を踏んで上がってこなければなりません。踏んで上がってきながら、エキスを抜いて愛のひもをすべて奪ってこなければなりません。そのようにして、天の前に立つことができる本然的姿勢を備えたという勝利の印を受けなければなりません。解放を受けなければならないのです。

 垂直線は、サタンが審判することはできません。ですから、真の愛を中心としてこれをすべて連結してあげなければなりません。それゆえに、八十歳になるおばあさんの愛を七十代に譲り渡し、七十代の天の愛は六十代に譲り渡し、六十代の天の愛は五十代に譲り渡し、五十代の天の愛は四十代に譲り渡し、四十代は三十代、三十代は二十代まで譲り渡してこそ、連結されるのです。


洪順愛大母様との一体圏

 僕である天使長がエバを堕落させてひっくり返してしまいました。それで、それと同じように僕の生活をするのです。復帰の道では僕の生活が展開していきます。なぜならば、エバの主人であるサタンよりも大きな愛をもつことなくしては新婦を取り戻してくることができないからです。エバが神様の真なる愛を中心として、自分のすべてを否定して「私は死んだとしても、あなたのおそばに行きます」と言って、その夫に屈服することができる基盤を造成してこそ、初めて取り戻してくることができるのです。それがこの道です。もしそのようにすることができなければ、欺いてでも奪ってこなければなりません。

 それでは、ここで相手は女性ですが、女性を中心として見るとき、どのような女性でしょうか。女性の中で新婦となることができる女性です。女性の中においても、母の立場の女性がいて、娘の立場の女性がいます。それはレアとラケルを象徴しています。これは、来られる新郎の本意ではありませんが、天理原則によってそのような役事が展開するのです。

 ところで、その母は、僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければなりません。母が僕ならば、娘は何になりますか。僕の娘になります。そのようにして、まさしくその僕の娘を神様の娘として入籍する相続式を行わなければなりません。その式を行うことによって初めて新郎として来られた主の前に新婦が策定されたとして、新しい時代の前に宣布式をすることができるのです。その時代は統一教会で言えば、一九六〇年度に相当します。

 ここにいるお母様を中心として、そのように役事しました。皆さんが知らない中でそのような役事を行ったのです。洪順愛氏というお母様の母親がいます。母と娘はいつも心が一致しているので、二人で共にひそひそと話すのです。

 サタン世界の版図を中心としてエバ圏のカイン、アベルを失ってしまったので、二人の母が必要なのです。その次にはカイン的息子、アベル的息子が必要です。そのような位置の基準を身代わりして立てなければならない人がお母様になるのです。

 なぜそうなのかというと、母というものは縦的です。先日、洪氏おばあさんに対して「大母」という言葉を使ったのもそのためです。「大母」という言葉です! しかし、この母から直系になっていないのです。それで、このようなすべてのことを蕩減条件に連結させて基盤を築かなければなりません。それゆえに、先生を中心として見ても、二人目のお母様です。最初のお母様が代を継ぐことは難しいのです。レアとラケルが一つにならなければなりません。ここで心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏を成さなければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。兄が弟になっても喜び、弟が兄になっても喜ぶことができる内的基盤の一体圏をつくっておかなければなりません。そのような過程を経てお母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。


お母様の四位基台

 誰もがお母様になることができるのではありません。すべての摂理は、エバの役事を中心とした歴史時代におけるすべての摂理と連結させた因縁を中心として出てくるのです。それゆえに、金聖道の代を許孝彬が継ぎ、許孝彬の娘が主を迎えるように準備がなされたのです。それで、十二弟子のような、そのような準備をしたことを見れば、本当に不思議なほどです。

 そのようにすべての内外を合わせて主が来られ、三人の女性の協助を受けて結婚式を行うようになるのですが、その時、三人の女性は何かというと、蘇生、長成、完成です。おばあさん、母、娘の三代が一つになったということは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。そのようになることによって、初めて父母が定着することができる時代に入ってくるのです。

 それゆえに、今日、統一教会においても、お母様を中心とした三位基台があるのです。縦的にあった三位基台が横的に展開されるのです。それではどこが中心でしょうか。お母様が中心です。

 崔元福氏もそうなのです。しかし崔先生が中心ではありません。​お母様が中心です。女性といえば、堕落した女性と堕落していない女性に分けられます。​堕落したエバの直系の子孫、それと希望の女性です。希望の女性はイエス様の前に新婦となります。堕落した女性は、イエス様の前における裏切り者です。その裏切り者を導いて許してあげ、カインとしてアベルに仕えさせるのです。それゆえに、崔元福氏も、お母様の行く道を切り開いていかなければなりません。

 堕落した母の立場で復帰することができる個人的十字架、家庭的十字架など、すべての十字架を背負って、エバがお父様の前に失敗したすべてのことを蕩減するにおいて、主導的役割をしてあげなければならない万人の女性がいなければならなかったのです。

 エバは、愛が何であり、夫が何であるかも知らない時に堕落しました。ですから、それを教育して、天国の王妃として、后として育てていくのです。そのようにしてサタン世界を生かしてあげようとするので、お母様の三位基台を中心とした基準があると同時に、お母様の母親の三位基台がなければなりません。お母様の母親の三位基台であるおばあさん三人をおいて回っていかなければならないのです。

 それで老人たち、池承道老人、玉世賢老人、それから李奇完氏、この人たちが一つの家で生活しなければなりません。この三人はどのような人たちかというと、お母様の三位基台に対して基盤となる人たちです。崔元福氏の三位基台に対して象徴的基盤となるのですが、これが一つにならなければ、統一教会のすべての伝統的歴史を汚してしまう立場の代表者となるのです。それゆえに、一つにならなければなりません。

 このように、おばあさんたちを三位基台で一つに結び、母子協助することができるサタン世界の三人の息子、娘を立ててきたのです。そのおばあさんたちはみな、先生が呼んだのではありません。霊界で出会わせてくれた人たちです。


三 「父母の日」の設定

真の御父母様の約婚

 一九六〇年三月二十七日(陰暦三・一)午前四時、ソウル市龍山区青坡洞一街七一-三の前本部教会において、文鮮明先生と韓鶴子女史の約婚式が挙行された。翌年の第二回「真の御父母様約婚記念日」において、真のお父様は、この日を「父母の日」として公式宣布された。その後、毎年陰暦三月一日を「父母の日」として記念してきたが、一九九四年、第三十五回「父母の日」記念礼拝を期して、その名称が「真の父母の日」と改められ、記念されるようになった。

 先生は、何も知らないお母様に十四歳の時に一度会い、それから、嫁に来るまでに二度会いました。正式に会ったのは十四歳の時です。その時、私が呼んでおいて、今後資格があるかどうか試験したのです。

 その時、お母様は高校に通っている娘でした。それで、「おいおい、文総裁があなたを呼んでいる」と言われ、「なぜ。知らないのにどうして」と言って来てみると、「あすの朝、結婚式をするそうだ」と言われたので「そうですか」と、こうだったのです。反対するすべを知らなかったのです。

 私が試験をしました。絵を描いたのですが、なかなか上手な絵を描くのです。そして、絵を描くと、開いて見せることも恥ずかしくしていました。心の姿勢が絵よりも素晴らしいのです。その時、お母様は本当に美しい娘でした。素晴らしかったのです。

 また、私がお母様と結婚する時、「神様、私は結婚する時になったので結婚します」と言って結婚したのではありません。神様が「時になったのでしなさい」とおっしゃられて結婚したのです。それが原理です。お母様も、私と結婚するということは考えもせずに来たところ、どうしてかそのようになったのです。


《祈祷》

 この時間、悲しみの時間ではなく、こみ上げてくる切なる心情に幼いこの心を抑えることができず、喜びにあふれて号泣しながら訴えざるを得ない時間なので、お父様、四十年の生涯を導いてこられたお父様の大変な労苦をこの時間解いてください。誰よりもあなたが孤独なことを私が知り、誰よりもあなたの無念さを私が知っていたので、真の父母の名を掲げてきたすべてのことが天のためだったということを、あなたが知ってくださるようお願いいたします。ここにいる、あなたのみ旨を心配するあなたの息子、娘も、今、み旨を成し遂げるために残された余生をすべて捧げ、死のうと生きようと、絶対に天の前に傷を残す息子、娘となることがないようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。

 行けば行くほど孤独な道がお父様の行かれる道だったのであり、知ってからまた再び心配しなければならない、そのような歩みをされたのがお父様の歩みだったということを知りました。お父様、六千年間探しに探されたその日を探し出され、この日を歴史に立てられ、お父様の新しいみ業を全天宙の前に立てる日となるように許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。

 この日、立てられた娘を受けてくださり、勝利の月柱冠をかぶせられ、積もり積もった恨を解くことができる娘となるように許諾してください。この日から、この勝利の栄光だけが父の前にあり、食口たちが進んでいくすべての道の上にお父様が共にあってくださることを懇切に願いながら、送ってくださったところの名によって申し上げました。


真のお母様のみ言

 私は、北韓ではお父様にお会いすることができず、南韓へ渡ってきたのちに、ソウルで初めてお会いしました。その時は、私が満十三歳の時(一九五六)であり、ちょうど小学校を卒業したあとでした。当時は母と一緒に入教してからいくらもたっていない時であり、その間、数多くの困難な道を歩んできたので、未来に対する確信をもつこともできませんでした。特に一九六〇年に何か起こるかということは知るはずもありませんでした。

 初めてお父様とお会いした時、お父様は私を見た瞬間、目を閉じられ、瞑想されたのち、心の中でささやかれるように「名を何というか」とおっしゃいました。それで、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。すると「あー、神様! 韓鶴子というこのように素晴らしい女性をこの韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」と言われました。お父様は、その瞬間瞑想され、ほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそのように聞こえました。

 その時は、統一教会の教主であられるお父様が私の将来に関して特別な啓示を受けていらっしゃるような感じを受けたので、多少不思議には思いました。その当時、私は江原道の香川に住んでおり、お父様はソウルの本部教会にいらっしゃったので、春川とソウルという距離をおいて遠く離れていました。

 私は、お父様と出会ったのち、教会に通いながら中学校を卒業し、高校に入学しました。

 今日、私たちが記念している聖婚式が挙行されたのは、一九六〇年四月十一日、陰暦三月十六日でした。聖婚日のT刀月前にお父様が夢に現れ、神様からの特別な啓示がありました。

 「その日が近づいたので準備しなさい」という啓示が下りました。天が求婚をしたと言うよりは、言ってみれば、その時から天の訓令が下りてきたのです。訓令がある時、私は完全に自我を離れた立場に置かれました。天の摂理でなくては、私はその時、そのような大きなことを判断することができる能力がなかったので、無我になる以外にありませんでした。そして、祈祷せざるを得ませんでした。「今までも私はみ旨のとおりに生きてきました。今、神様のみ旨が何であろうと、神様の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どのようなことでも、命令されるがままに従っていきます」。啓示に対して、私の心をそのように応答して示しました。それは、私が満十七歳の時の春である、二月のころでした。

 私は完全に無我の境地になって準備していたので、その事情を分析したいとは思いませんでした。神様のみ旨のままに、全面的に体を捧げることを、ただひたすら願っていたのです。

 小学校の時、大母様に従って青坡洞に行った時、初めてお父様にお目にかかりました。その時、お父様がおっしゃったみ言があります。学生服を着た私を見られたのちに、じっと目を閉じられ、「大韓民国に韓鶴子が生まれたのだなあ」と言って感嘆されたのです。そのことが、今も記憶にはっきりと残っています。

 すべてのことは天が準備された、ということを常に感じます。私の性格から見ても、また生きてきた背景から見てもです。イサクがアブラハムと一緒に祭壇を築くために上がっていく時、アブラハムに祭物がどこにあるのか尋ねてみるのですが、アブラハムは「神様が既に準備されている」と言いながら何の回答もしませんでした。しかし、幼いイサクは、既にそこで状況判断をしていたのです。それと同じように、私においても、「私が何かをしなければならないようだ」という状況判断を、幼いころからしていました。再臨主の相対として準備された自分であるということを、それとなく感じていたと思います。

 私は、生まれながらにして、既に私に定められた道を行かざるを得ないように生まれついていました。ほかの女性であれば、ふろしき包みを何度包んでも余りある立場でしたが、そのような考えですべてのことを克服してきました。


「父母の日」の意義

 私たちの先祖であるアダムとエバが堕落していなければ、私たちは既に「父母の日」を迎えていたはずです。しかし、アダムとエバが堕落したので、「父母の日」を迎えるためには、まずこの地上に真の父母が来なければなりません。そのようにして初めて「父母の日」を迎えることができるのであり、その日を基準として真の父母による子女をもったのちにおいてこそ、「子女の日」を迎えることができるようになるのです。そのようになれば、万物を主管することができる日も迎えることができるようになります。

 神様は、六千年歴史の中で、三段階を経て救援する摂理を行ってこられました。僕の時代である旧約時代と、養子の時代である新約時代を経て成約時代を迎えたのです。成約時代には、子女が現れて父母の位置を整え、父母を迎えなければなりません。今まで、神様はそのような復帰歴史をなしてこられたのです。

 したがって、「六千年の復帰摂理歴史は、真の父母を探すための歴史であった」と言っても過言ではありません。真の父母は、六千年摂理史全体を代表されるお方です。ですから、その真の父母を探すことができなかったことが、人類全体の悲しみを表し、全体の苦痛を表し、全体の悲哀を表しているということを、私たちは知らなければなりません。

 イエス様は、地上で新婦を探し出して真なる父母の因縁を立て、世の中と神様の前に「父母の日」を立てなければなりませんでした。しかし、そのみ旨を成し遂げることができずにこの世を去られたイエス様の心情とは、どのようなものであったでしょうか。私たちはそれを知らなければなりません。

​ 人類を生かすことが願いであり、目的であったので、そのみ旨を成し遂げることができずに十字架で亡くなられたイエス様は、再臨されなければなりません。それでは、イエス様が再臨される時、まず何をなさなければならないでしょうか。それは、弟子たちに出会うことではありません。新婦を探し出さなくてはならないのです。​

 その日が来なくては、天宙の恨を解くことはできません。この日が来ることなくしては、神様のみ旨を奉じることはできません。この日が立てられることなくしては、サタン世界であるこの地上に神様の勝利の土台を築くことはできないのです。神様の勝利の日を決定する日もこの日であり、聖徒たちが解放されることができる日も、まさしくこの日です。天宙間の願いと理念が一つになる日もこの日であり、天地が開闢する日もこの日であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 ところで、統一教会において初めて「真の父母」という言葉を中心として、歴史上に「父母の日」が設定されました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性がこのような関係で夫婦を成す「父母の日」が設定された、という事実を知らなければなりません。そのようになることによって、神様を中心として、男性の心と体と女性の心と体が完全に水平線となり、神様が願われた理想的完成圏を出発するのです。

 その時は、一九六〇年三月二十七日でした。今正に、初めて歴史上に「父母の日」が生まれたのです。失われた神様の栄光を身代わりし、人類の勝利を褒めたたえ、悪に対して公義の法度で審判の権限を行使することができる私たちの父母が生まれたのです。これは、​この地上における福音の中の福音です。それを宣布したのが「父母の日」であり、その日がまさしく陰暦の三月一日だったです。​
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