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奇  知  外  記

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文鮮明先生み言葉選集(講演文)

2021.09.21
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「言葉と行動」

1977年1月30日
ベルベディア


 神が語り行動する理由

 今朝のメッセージの題は、「言葉と行動」です。日々の生活において、私たちの言葉はひじょうに大切です。私たちの言葉は、多くの重大なことをします。それらはインスピレーションを与えたり、幸福をもたらしたり、心痛を起こしたりするものです。一般に、人々はよく話せる人々を賞賛します。しかしながら私たちの生活の中で成功するためには、言葉だけでは充分ではありません。その言葉が行動によって支えられなければならないのです。

 私たちは、人間生活における成功の秘訣を決定しなければなりません。言葉が多くの行動が少ないのと、言葉は少なくても行動が多いのとでは、どちらがよいでしょうか。人がもつ言葉と行動の組み合わせがその人の価値を決定し、その人の人柄と人格を明らかにするのです。その基準は、人間にとっても神にとっても同じです。

 では、しばらく神について考えてみましょう。なぜなら神も語り、行動するからです。神は全能で遍在されますから、神にとっては、どんなことも不可能ではありません。では、なぜ神は、わざわざ話をするのでしょうか。全能なる創造者である神は、ご自分の行動を誰にも説明したり、弁解したりする必要がありません。それなのに、なぜ神は話す必要があるのでしょう。なぜ神は、わざわざそうするのでしょうか。地上であれが霊界であれ、私たちは、私たちの生活に幸福と喜びがあれば、笑い、踊り、そして歌います。しかし私たちは、自分たちだけで喜びや幸福を伝達できるものではありません。そのように、神がその喜びを表現するためには、神は何かを必要とするに違いありません。私たちは、神が話し、行動することを知っています。それは創造するためでしょうか。聖書によると神は、神の言葉によって世界を創造したと書いてあります。それは、神が山の頂山に登って遂造物が現われるように叫んだということでしょうか。本当に神は、物を創造することだけに関心があるのでしょうか。

 創造には、なんらかの目的がなければなりません。神は創造することだけのために創造しているのではありません。神が話して行動する中心的な理由がなければなりませんが、それはなんでしょうか。神が世界の救済のために語り、行動することを知っています。しかし実は、世界の救いは神が本来意図したことではなかったのです。それは堕落の後に、はじめて必要となったのです。統一教会のメンバーたちに、ひとつ聞いてみましょう。あなた方はは、世界の復帰が必要であるこの緊急事態を、永遠に続かせたいと思いますか。それとも、復帰を終えて新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けをみたいと願っています。神は確かに救いのみ業をなさっていますが、それが神の永遠の仕事ではありません。神はそれを早く終えたいと願っておられるのです。復帰は、創造の本来の考えが全うされていないために、今、必要とされていることなのです。

 しかし神は、救いのみ業や創造以外にも、なお語り行動しています。それはなんでしょうか。それは愛です。真実の愛のためです。もしそうであるなら、真実の愛とはなんでしょうか。

 調和と統一の世界

 誰も真実の愛については、人間の言葉で説明することができません。真実の愛が来る時、私たちの骨と器官・五官は正にすべて微笑み、同じ瞬間にどっと笑いだすことでしょう。その時、の救いは神が本来意図したことではなかったのです。それは堕落の後に、はじめて必要となったのです。統一教会のメンバーたちに、ひとつ聞いてみましょう。あなた方は、世界の復帰が必要であるこの緊急事態を、永遠に続かせたいと思いますか。それとも、復帰を終えて新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けをみたいと願っています。神は確かに救いのみ業をなさ-ていますが、それが神の永遠の仕事ではありません。神はそれを早く終えたいと願っておられるのです。復帰は、創造の本来の考えが全うされていないために、今、必要とされていることなのです。

 しかし神は、救いのみ業や創造以外にも、なお語り行動しています。それはなんでしょうか。それは愛、真実の愛のためです。もしそうであるなら、真実の愛とはなんでしょうか。

 調和と統一の愛の世界

 誰も真実の愛については、人間の言葉で説明することができません。真実の愛が来る時、私たちの骨と器官・五官は正にすべて微笑み、同じ瞬間にぞっと笑いだすことでしょう。その時、私たちの心はどうするでしょうか。私たちの体が微笑み、どっと喜んでいる間、私たちの心は石のように冷たくなっているこでしょうか。私たちが真実の愛と連絡をとる時、あらゆるものが反応します。そこには調和と統一された行動があります。私たちの心と体全体が、それに調和して反応します。これは永遠の、しかも遍的な原則です。

 たとえば、多くの異なった種類のダンスがありますが、それらすべてについて言えることは、あなたの腕と足が動きだす前に、あなたの心が既に踊っているということです。なぜ私たちは踊るのでしょうか。それは、ダンスは真に愛の表現、喜びの表現だからです。天国の世界は音楽の世界、ダンスの世界、笑いの世界です。しばらく美しい歌について考えてみてください。「私は英雄(ヒーロー)だ」とか「私はヒロインだ」とかいう、自分を讃美した歌がたくさんあるでしょうか。そのような歌は、人々の心に訴えません。そのような歌は、たとえ短くても、人々を厭きさせてしまうでしょう。ですからそれらは、二回、十回、あるいは百回と繰り返すことができません。しかしあなたが愛の歌を時は、それを百回、千回と繰り返した後でも、なお新鮮さと興奮があるでしょう。愛の歌は、千年間繰り返されてもそうなのです。たとえ全宇宙が権力とお金と知識によって完全にぎゅうぎゅう詰めになったとしても、なお愛の歌のための余裕は残されているのです。

 お金と権力と知識は永遠に存続しませんが、愛の歌は永遠の新鮮さと永遠の認識と永遠の喜びとを持っています。理想世界、特に完成された霊界は愛の世界です。愛は永久的に極点に達しています。その世界からは、音楽と歌とダンスと喜びの笑いが起こってきます。すべてのものは理想世界と天国の中心的な特質である、このひとつの真実の愛を中心としています。あなた方はこれに異議がありますか。それを願わない人が誰かいるでしょうか。誰もが理想的なものの方を向きます。理想世界は尊敬を得ようとして、「自分はヒーロだ」とか「ヒロインだ」とか言おうとする人は誰もいません。そのかわりに誰もが、愛の世界に溶け込んでお互いに調和した授受作用をもつことを願います。

 「今の世界においては、お金がすべてである」という人々がたくさんいます。彼らは、お金が究極的な幸福をもたらしてくれると考えています。それで彼らは、お金持ちになって見せびらかしたい、マンションを持ちたい、すべてを持ちたいと願っています。彼らは富が人間生活の極致であると考えているのです。統一教会のメンバーは例外として、アメリカの女性はひじょうに金持ちの夫を持ちたいと思っています。そしてたぶん、彼女たちの次に高い目標は、ハーバードやエール大学で博士号を取得した、無限の知性をもった男性と結婚することです。あるいは彼女たちの目標は、それよりもずっと高いかもしれません。彼女たちは誰もが自分の所に来て尊敬を表明するようなファーストレディになって、世界の権勢を思うがままにしたいのでしょう。それはあなた方の目標ででもあるのでしょうか。しかしそれらは、朝の露のように消え去ってしまうことでしょう。

 愛のある場所

 愛の言葉について考えてみましょう。あなた方が自分の愛を言葉で表現するとき、あなた方はその説明をしたり、それに何かの条件をつけたりしますか。あなた方は、私はあなたがたくさんのお金を持っているから、あるいは、あなたが米国大統領だからあたたを愛する、と言うのでしょうか。あなた方は、説明を要するような愛と、あなた方の心に直接入ってきて、正に自分の骨の髄で感じるような種類の愛との、そのどちらを好みますか。私たちは、たくさんの種類の愛があることを悟らなければなりません。人を過らせるような愛、他人を利用しようとするような愛、他人を操るような愛など、ひじょうに多くの偽りの種類の愛があります。愛は非常に
 もし私たちが愛を分類するとしたならば、神を中心とした愛とサタンを中心とした愛との、おもに二種類に分けられます。それらの違いはなんでしょうか。まず第一に、神を中心とした愛には統一と調和があります。それがあるところでは言葉と行動、心と体とがすべて一つの共通のゴールを中心として統一されています。それらは一つの目的、一つの方向に向かって行動します。真実の愛は一つにさせる力であり、したがって心と体、男性と女性、家族同士、また友人同士を統一させる共通点があります。

 それでは、統一の基準と公式はなんでしょうか。愛がその基準を決定します。愛は主体と対象が出合い、心と体が出合い、男性と女性が出合い、親と子が出会う共通の場所です。その中心点に神が住んでいます。なぜなら愛は実際、神のものであり、それはあなた方自身よりも高いところからやってくるからです。なぜ神は、その王座を、愛という格別な位置に置くのでしょうか。それは、神が対象を求めているからです。愛である神は、愛がご自分に応える共通の場所を探しています。

 私たちは一般に、人体は神の宮であると言っていますが、聖なる宮とはなんでしょうか。それは生活のために働く場所という意味でしょうか。それは、工場、あるいは事務所のことでしょうか。あなた方は、聖なる宮について考えるとき、直ちに、平和と静けさをもっている、ある恒久的な休息所を思い浮かべます。愛の住む場所は、静かな場所でなくてはなりません。なぜなら、愛がなければ静けさも平和とないからです。もし私たちが神の宮であるならが、私たちは休息所、聖なる場所、神の愛の住む場所となるでしょう。これは私たちが、平和と平安とを回復することのできる唯一の方法です。

 あなた方が神の愛をもつとき、自分自身の中で休むことができます。私たちは自分自身を聖なる神の宮として高め、永遠に平和と平安を回復できる神の住む場所となりたいと願っています。そのような人格をもった人々の世界を、私たちは心情の世界と呼んでいます。あなた方が神に対して、あなた方自身の聖なる場所に住んでくださいと招待するならば、神の愛は泉の水のように、どんなに多く使っても、新鮮に湧き続けるでしょう。そしてそれは淀むことも尽きることもないでしょう。そのような人に、あなた方はなりたいと思いませんか。

 言葉と行動の統一

 もしあなた方が神の宮となるならば、あなた方は悲しんで泣いている人々を慰めてあげることができるでしょう。もしあなた方が神の愛の完成品となりつつあるならば、あなた方は完成した人間になりつつあるのであり、あなた方の近くに来る人々は、その愛の春のような雰囲気の中で溶けてしまうことでしょう。すると、悲しみや辛苦、苦痛は不思議と溶け去ってしまうのです。そして神を中心とした愛だけが、体と心とを調和させることができるのです。たとえばどんな人間の努力をもっても、世界のどんな糊を使ったとしても、愛のようには、心と体を一緒にさせることができません。

 統一教会では、私たちは互いを兄弟姉妹と呼んでいますが、どのようにして兄弟姉妹となるのでしょうか。一般に人々は、私たちが神のことばにより、統一原理を通して、兄弟姉妹になると言っています。でもあなた方は、統一原理それ自身だけど、すでに統一原理をもって生きている人格の、どちらを欲しますか。あなた方が本当に統一原理によって生き、完成させるならば、あなた方の人格は愛の心をもちます。

 「言葉と行動」が、きょうの私の話題です。気高い人格の人間であるということは、その言葉と行動とが一つの共通の原理によって統一されており、話しと行動を完全に一致させて行うことを意味しています。私たちは話した通りに行動しない多くの人々を見ることができますが、しかしなががあなた方が、高貴な、あるいは神のような人をそのような観点からみた場合、彼らの言葉お行動が統一されているのことを見い出すしょう。たとえどのような角度からみようとも、あなた方はそこに、矛盾ではなく調和と統一とを見い出すことでしょう。では、あなた方はどうしてでしょうか。あなた方は完全に言葉と行動とにおいて一つとなっていますか。自分自身の妻に対して、自分の国に対して、また神に対して、自分の言葉が自分の行動と矛盾しないと主張できるならば、その人は本当に完成された人間です。

 また私たちは、それらの言葉と行動が、何を中心としているかを考えなければなりません。ある人は、「自分の言葉と行動は、お金に関する限り、決して互いに矛盾することがない」と言うでしょう。ビジネスに関する所においては、彼らの言葉は黄金のようです。多くの学者たちは誇らしげに、「自分たちが宇宙の知識を追求している間は、その言葉と行動はまったく同じだ」と言うでしょう。地上の強力な支配者たちである大統領や王様、世界の帝王たちは、自分たちの言葉は法律であり、自分たちの言葉は行動を起こし、その結果、自分たちの言葉と行動の間は完全に一致している、と言うかもしれません。そのような基準で生きた人々は多くいます。しかし、人生の真の価値を考えてみるとき、私たちはそのような人々に、どのような評価を与えることができるでしょうか。

 彼らの言葉と行動は、たしかに一体化しています。しかしそれはお金、権力、あるいは知識といった特定なものに強点を置いてのみです。それを神の観点からみると、彼らは神のことばの基準以下でしょうか。それとも基準以上でしょうか。これらの異なった基準は、単に仮説というのではなく、人間生活において現実的なことです。私たちはそれらを、どこででも、毎日目撃することができます。

 では、あなた方の強調点はどちらですか。もしあなた方が言葉と行動の統一された人間になるとするならば、どのような強話点、あるいはどのような基盤の上で生きたいと思いますか。もし、あなた方の強調点と基盤が明確でなかったら、あなた方の方向は不安定であり、あなた方のコースはぐらぐらしたり邪魔されたりするかもしれません。

 宇宙の中心である神の愛

 いったい、どのような強調があなた方に、より高い価値をみたらしてくれるのでしょうか。誰であっても、人生の最高の方法である言葉と行動の最高の一致が、愛を強調することによって始まることを否定することはできません。このことを結論として、またしばらく考えてみましょう。誰かが、「何かがおかしい。私は完全に同意できない。私は革命を起こしたい。私は愛を壊してそれをつくり直したい」と言うことができるでしょうか。それは可能でしょうか。あるいは、愛というものは、この世で最も悪い人間がそれを革命することを考えることもできないようなものでしょうか。

 愛は普遍的なものです。世の中のあらゆるものが、そのまわりに一致します。もしお金を強調するならば、人生のある部分だけを支配できます。また、知識や権力を強調するならば、それも、ある部分を統一させたり支配したりできます。しかし、普遍的な成功をおさめることはできません。自分を賢いと主張するン々がひじょうに多くいますが、神が知恵の王者です。もし神と知恵者が共に、あることについて深く考えたとしたら、彼らは同じ結論に到達するでしょう。人々がいかなる永続的で普遍的な統一と平和を得ようとしても、それは愛を中心としたものでしかありえません。愛を強調してのみ、人間の生活様式に高貴さをもたらすことができるし、それを崇高なものにすることができるのです。

 神、または愛は、天国の中心ですが、私たちはそれから引き裂かれています。私たちは、天の中心が、愛を備えた神であると言わざるをえません。白人であろうと黒人・黄色人種であろうと、私たちのうちの誰も、それに反論することはできません。私たちは誰であれ、神と普遍的な愛を求め、憧れています。故に、神と愛は、ともに宇宙の中心です。それでは、宇宙的な人間となるためには中心をどこに立てるべきでしょうか。それは、自分の中心を、神と神の愛でつくるべきです。あなた方は、神と神の愛を備えた中心を既にそこに持っており、自分自身をその中心に受け入れられるようにしています。あなた方は、その中心の中にはいりつつあります。

 神は静止してはいません。神は呼吸し、神は行動します。神は宇宙の中心であるために、神が呼吸するときには全宇宙が神と共に呼吸します。神の影響を受けないものは何ひとつありません。あなた方は「私は神の呼吸や神の影響力とは関係がない」と言うことができません。そう言うことは、「私は、神のことばや真理や愛とは関係がない」と言うのと同じことです。全宇宙の中で、神のことばや神の愛と関係がないと主張できるものは、何ひとつないのです。神の行動は、全宇宙的範囲をカバーする波のようなものです。誰もがそれを感ずることができます。あなた方が、その中心と自分自身との関係を確立したならば、神のあらゆる呼吸、あらゆる行動、微笑み、そして囁きが、自分のものになります。あなた方はそれらを聞き、それらを感ずるでしょう。

 神の愛の領域

 ですから宇宙的な愛の中心的位置に立っている神が、そのような関係をもつことのできる人々を探しているというのも、また論理的なことです。神は相対的な関係をもつために、ひとつの対象を求めています。どんなものでも、ただひとつの方向だけに向かうことはできません。呼吸自身をみても、吸入することと吐き出すことがあります。ただ空気を吸い込むだけというのではありません。もしそうするならば、風船や泡立つ飲料水のように爆発してしまうでしょう。したがって、全宇宙において神は、吸入し吐き出しながら、誰かと一緒に呼吸したいと願っているのです。

 あなた方の手の使い方は良いですか、悪いですか。あなた方はそれを、良くも悪くもすることができます。あなた方が誰かの顔を叩く時、それは愛を表わしませんが、あなたが誰かを愛撫する時には、それは愛を表わします。愛か憎しみかの表現を代表するタッチの度合いがあります。愛の中心である神は、神と適当な対象とが共に呼吸しあい、完全に酔いしれ、完全に天に引き上げられるような授受を持ち得るような関係を求めています。

 もしあなた方が、神の愛のそのような領域に入ると、自動的に呼吸することさえ違ってきます。呼吸自身が、吸入と吐き出すことが、神の愛の陶酔の一部となるのです。ある意味であなた方は、神の愛の酔っぱらいになるのです。いったんそのような雰囲気の中に自分が完全に溺れてしまうならば、あなたがすることは、たとえ何も考えないでやったとしても、すべてが自動的に神の愛の表現になるのです。笑いと呼吸、微笑みと踊り、跳びまわること。あなたがすることにはどんなことでも、すでに跳びまわることにはどんなことでも、すでに神の愛が浸透しているのです。その気持ちはあまりにも尊いので、あなた方は、いったんそのような神の愛を体験すると、それを世界のどんなものとも交換したくありません。あなた方はいつも笑いたくなり、あなた方の口を閉めるのには千年間もかかるでしょう。あなた方の踊りは永遠に続くでしょう。そこには遅屈というものがありません。

 もし、そのような喜びの領域、そのような愛の領域が可能であるとするならば、あなた方はそれに触れるための手を伸ばしたいと思いませんか。いったんあなた方が完全にその中に引き寄せられ、完全に神の中心的な愛とひとつになるならば、あなた方がこの世に出てきて話をするとき、すべての表現が神の表現になります。そのような一体の世界から語る人は、世界中に神の愛をばらまきます。その人が行動するとき、その人の行動は愛の表現であり、それは神の愛の波を世界にもたらすのです。これらのことについて聞くだけでも、あなた方の徴笑みはだんだんひろくなっていきます。その世界は、絶対的に可能です。そのような生活様式は、絶対に可能です。

 もし、そのような神の愛を知らず、また経験することも、それと一つになることもないならば、あなた方の言葉や行動はむずなしいものです。たとえあなた方がここに立って、「神の愛がこの世にきた」と宣言したとしても、まだこの世的な喜びや笑いにしがみついているならば、あなた方の言葉はなんの基盤も持っていません。それらの背後には、何ひとつ確固としたものがありません。

 あなた方が神のおられる中心点から話すとき、その言葉はもはやあなた方から出ているのではなく、無限の貯蔵庫から出てきているのです。そのような特別の位置において、あなた方は恍惚の喜びで、また、完成という引き上げられた感覚で生活し、行動し、話しをするのです。あなた方がなすことは、どんなことでも、あなた方自身の行動やあなた方自身の言葉といったものがありません。すべてが神の愛の伝達者、あるいはかけ橋となります。いったんあなた方が神の愛を味わおうと、人間生活や人間関係はすべて喜びであり、刺激となります。呼吸で、吸収することと吐き出すことは共に意味があり、喜びの刺激を増大させます。そのようにいったんあなた方が神の愛の圏内に入ると、あなた方はそれだけ多くの変化に富んだ経験を得、それだけ多くの興奮を感じるのです。ダンスに変化と運動があれば、それだけ大きな興奮と喜びがつくりだされます。ダンスで動く腕ではなく、あなた方が表現せずにはいられない、ある感覚の表現なのです。このようなダイナミックで理想的な生活が、私たちの成就しなければならないものです。

 生命の源による愛の生活

 ここで私たちの考えを、しばらく宗教に集中してみましょう。宗教は、人間生活の中で神を探し求める一つの方法です。しかし実際、神が究極の目標でしょうか。そうではありません。私たちは、神の愛の圏内に入ろうとし、神の愛に陶酔したり、浸ろうとしています。それが宗教の目的です。それはスリルがあり、しかも悲しいことには、もし人間の堕落がなかったならば、私たちは宗教を必要としなかったであろうということです。本来ならば、私たちは中心的位置にあって生まれ、その中で成長し、永遠に天国で楽しむ生活をしていたことでしょう。

 愛や人生には、説明を要せず、また学校で学ぶ必要もなくい多くの面があります。たとえば、あなた方は親と子の間の愛の理論を学ぶ必要がありますか。それは自然であり、それは自動的にあなたの一部となります。愛は空気のようなものです。一日二十四時間呼吸をするのに、どこに空気があるかを説明する必要はありません。人間は生まれながらにして、神の愛を呼吸するようになっていました。もし、あなた方が、呼吸する空気を得るためにどこかに行かなければならないとしたら、あなた方はすぐに困難に陥るでしょう。なぜなら、空気を求めて待つ、長い列ができるでしょうか。しかし空気はどこにでもあり、神の愛もまたどこにでもあります。もし私たちが堕落していなかったならば、それが私たちの環境になっていました。私たちは生まれながらにして神の愛を感じるはずでしたが、人間の堕落によってもたらされた多くの妨害のために、私たちはそれができません。しかしながら、この堕落がいったん取り去られれば、神の愛はあなたにとって自然なものとなります。私たち個人の中心は神の中心に置かれるべきであり、そのような共通の中心があるべきです。

 根本的な話し方をすると、人々はなぜ生まれるのでしょうか。あなた方は力やお金や知識を完成させるためではなく、愛の完成のために生まれています。あなた方は愛のために、また、愛から生まれています。神は、愛をそのように偉大なものとしてつくったので、それが生命の源です。私たちは愛の結果であり、生命の結果ではありません。私たちは皆、私たちの両親同士の競争によってではなく、愛と美の中で生まれました。それが人間すべての生命の原因です。どんな誕生も、母親と父親が座ってお金を数えた結果ではありません。誰であっても、もっとも重要な科学的理論を論じた結果、生まれたのではありません。

 愛から生命が現われ、あなた方が現われました。私たちは愛によって生まれ、私たちの目的も愛によって結果を生むことです。主体と対象の愛の一体は化は、生命を新しく発生させます。ですから子供がいない夫婦は、なんとなく不安定です。夫と妻が一つになっているとしても、子供がいなくては、彼らが一つであることを鮮やかに示すことのできる共通の業績がありません。たとえ夫と妻の間に多少の喧嘩があったとしても、彼らが自分たちの子供を見るとき、彼らの不和はたいてい解決されます。神が男性と女性を一緒に置かれたとき、彼らが家庭をつくりだすことが神の理想でした。神は、彼らの子供をみようとされました。

 すべての人間の行動と私たちの愛の生活は、常に神の愛の中に沈められます。神の愛の雰囲気は、あらゆる生命を包含します。愛の約束は、この宇宙の最高の力です。アダムとエバが一つになるとき、その出来事は、実際、宇宙で最も重要な出来事です。神とすべての被造物とアダムとエバは、彼らのすべての注意力をそれに集中するでしょう。

 永遠なる愛の天国

 神は過去を代表し、アダムとエバは現在を代表し、彼らの子女は未来を代表します。過去と現在と未来は、すべて神の愛の包含する雰囲気の中で一体となります。あなた個人的位置は、過去と現在と未来の合成です。神があなたの創造に参加したので、過去があなたによって代表されます。そしてそこにはあなたの両親が関係しているので、現在がそこにあり、あなた自身は未来を代表します。愛を通して、一つの統一された位置がつくりだされ、彼らはその子に触って抱きしめたいのです。ここには不思議な力、つまり神の愛が働いています。その子供は親の愛の現われであるので、子供はその両親の愛に参加します。従らは皆、一つです。もちろん神の愛が環境をつくりだしたので、神もその位置に参加します。いったんあなた方全員が愛で一つになると、世の中のどんなものも、あなた方を別れさせることはできません。それが理想です。

 いったん愛が神の愛の環境の中で花開くと、誰もがそこに永遠にとどまりたいと思います。誰もがそれを永遠のものにしたいと思います。あなた方は神が、「さて、もうしばらくしてそれを変えよう」と言うと思いますか。理想に対する神の考えによると、愛の関係は、永遠の基準で確立されています。だからこそ神は、男性と女性が愛しあうのを見、その愛が永遠に存続するのをみたいのを願われるのです。あなた方は、自分の両親の愛を永遠に続かせたいと思いますか。あなた方は、彼らがあなた方を十年間愛して、それからあなた方から離れるのを願いますか。それでもかまいませんか。私たちは、たとえそれが夫婦、親子、あるいは神と人間の愛であろうと、皆それが永遠であることをせつに願っています。

 あなた方は、あなた方の両親の愛の代表であり、彼らの愛の実です。さらにあなた方は、神の愛の生きた見本です。神は暖かい愛のある所に住みます。それが天国です。この地上にいようと霊界にいようと、この一つの原則は変わりません。つまり天国の本質は、神の愛です。愛の繰り返しが歴史をつくる公式です。代々織りなされた真の愛の歴史があるのです。

 統一原理において、私たちは天的四位基台に関心をもっています。四位基台は神を中心とした人間愛の、種々の面を表わしています。故に、いったん私たちがその天的四位基台をつくると、何ものもそれを粉砕することができません。

 それでは天国はどこにあるのでしょうか。太平洋のかなたですか。いいえ、天国はあなた方のただ中、妻の心、夫の心、子供たちの心、祖父母の心の中にあります。天国はディズニーランドのようなものではありません。あなた方のいる所が神の住まわれる場所であり、あなた方の両親の住むところです。天国は、あなた方のただ中にあるのです。あらゆる愛は、あなた方のいる、正にそこに存在しています。いったん堕落の結果が一掃されると、あなた方はもはや、天国を追求する必要はなくなるでしょう。あなた方は天国で生まれ、そこで育ち、天国で完成し、極みに達するのです。

 神と親の代表である「私」

 「私」と言うことは、責任あることを意味しています。あなた方は「私は何も気にしない」と言うことができません。なぜなら「私」は親の代表であり神の愛の代表であるので、彼らが心配しているからです。あなた方の事情は単純ではありません。あなた方の事情は、ひじょうに天的な重荷です。今日の最も重要な新しい思想は、「私」を中心としています。多くの人々は、「私はどうなってもかまわない」とか、「どうしてあなたは私のことを心配するのか。私はあなたを必要としない。私は自分の好きなことはなんでもできる」と言います。そのような類いの「私」は、真実のものではありません。あなた方が理想に対する神の概念を理解するならば、あなた方はひじょうに責任のある「私」となります。

 あなた方が「私」と言うとき、あなた方の親が自動的に関係し、神も関係します。あなた方の過去と現在と未来が「私」に関係します。そこで私たちは三つの誇りをもたなければなりません。第一に歴史、つまり私たちの過去における誇り。第二に、私たちの現在における誇り。そして最後に、私たちの未来における誇りです。

 アメリカでは、特に骨董品に凝っている人々がいます。アメリカは僅か二百歳の若さであり、そんなに古くはないのですが、アメリカ人はそれでも過去について郷愁をもちます。彼らは骨董品を作りだそうとさえしています。彼らは、家を建てたり家具を造るための真新しい材木を使う場合、それを古く見せるように努力したりします。それをハンマーでへこませたり、ムラのあるペイントを使って、それをまいて染みをつくったりします。彼らはあちこちに穴をつくることさえして、それを百年もたったように見せるのです。

 人々はどうして、そんな気違いじみたことをするのでしょうか。人々は歴史に自分自身を登録させたいのです。彼らは、より長く残りたいのです。骨董品は歴史からきているために、その価値が高いのです。もしあなた方が、自分の祖父の祖父の使った物を持っていた場合、あなた方は歴史に何かの個人的なつながりをもつことになります。どんなお金ででも、そのような価値を買うことはできません。この犠牲は、私たちの本性の願望を反映しています。

 もしあなた方が自分を傷つけるならば、それは自分だけを傷つけているのではなく、両親の愛の実を傷つけているのであり、神の愛の現われを傷つけているのです。自分の子供が大きな苦痛を感じます。もし、あなた方が大きな喜びを感じるものをもっていれば、あなた方の親も、また神も、一緒に大きな喜びを得ることができます。そのように、あなた方の感情は、平行しているのです。

 歴史の所産であるあなた方

 アメリカでは、若い人々は自分の親について、あまり知りません。彼らは、「私の親は、私に生命を与えた。だから、それで彼らの任務は終わった。私は独立している。私は彼らとなんの関係もない」と言います。このことは、アメリカの文化が家族生活の美しさを失い、動物の国に近づきつつあることを示しています。このような考え方は神の宇宙的な原理に反しており、水素爆弾よりも危険です。アメリカの会社、特にアメリカの家族制度をみるとき、神はアメリカにあまり大きな希望をもっていません。アメリカは神の真理に至る最も大切な幹が失われているために、未来は暗く、不安定です。

 女性の皆さんが鏡を見て、自分の最高の顔だちは自分の目だ、と確信したとしましょう。するとあなた方は、自分の目を愛し、「私は世界で最も美しい二つの輝く目をもっている」と言うでしょうが、その時あなたあなた方は、左の目を「自分の母の目」、右の目を「自分の父の目」と呼ぶべきです。そのようにあなた方は、自分の一部を、あなた方の「おかあさんのもの、おとうさんのもの」と言うようにしてください。自分を、自分の親の表現としてみつめることは、すばらしいことです。誰でもが自分自身が好きですが、あなた方はそれを自分のために好きになってはいけません。それをあなた方の親のためと神のために好きになりましょう。それが美です。するとあなた方は、あなた方の親を愛し、あなた方自身のおとうさんとおかあさんと神を、自分を愛し自分を好むのと同じぐらいに好むでしょう。

 このような生活には、なんの利己主義もありません。たとえ自分を愛したとしても、それは利己的な愛ではありません。子供が学校で何か嬉しいことがあるとき、その親もひじょうに嬉しがります。そういった瞬間にあなた方は、「ああ、神様も嬉しいに違いない」と思ったことがありますか。あなた方が微笑んでいるとき、あなた方は「ああ、神様も微笑んでいらっしゃるに違いない」と考えますか。あなた方が誠に有頂天になって踊りまわっているときも、これはあなた方の喜びだけではないことを覚えておいてください。これはあなた方の親の喜びであるし、また、神の喜びででもあるのです。神は上の方で踊っているに違いありません。全宇宙も、あなた方のまわりで踊っていることでしょう。あなた方の喜びは宇宙全体にこだまし、波のように拡がるでしょう。

 このことは、自然にもみられることです。春が到来すると、ベルベディアは大変美しい所となり、多くの小鳥たちが早朝さえずります。しかし彼らは、「チープ、チープ」、「チャープ、チャープ」、「トウィート、トウィート」と、皆違うようにさえずります。彼らはまもなく、ニューホープシンガーズ・インターナショナルとなるでしょう。

 あなた方が喜びを表現するとき、それは別な人によって美しい生命のこだまとなり、全宇宙に波となって拡がるでしょう。その生命のこだま、歌や踊りのこだまは、自分のためだけのものではありません。あなた方が完全に、自分は親と神の代表であることに目覚めているならば、神があなた方の中に住んでおられるので、あなた方は神と親のために歌い踊っていることを感じるでしょう。そのようなとき、神が出て来て、「おい、黙れ。どうしてこんなに朝早く、おまえは私を起こすのか」と言うでしょうか。あなた方の親も「叫ぶのをやめなさい。来て食べなさい」と言うでしょうか。

 あなた方は貴重な存在ですから、自分を賞賛していいのです。しかしそれは、自分のエゴや自分の権力を拡大するためではありません。あなた方は歴史の所産です。あなた方は、数千年の歴史と伝統の体化物です。神は、これらすべての業績の背後で働いてこられました。神があなた方の中に、神の住まいをつくったということを知ることは、すばらしい悟りです。その生活はすばらしく、理想的です。そして、その中心に立つ人は、人生のテストを通過してきたので、神の承諾を得ています。しかしひじょうに多くの場合、私たちはこういう人生のコースに失敗します。

 神の息子・娘として

 あなた方はどこで生まれましたか。あなた方はどこから来ましたか。あなた方は、親の愛と神の愛から生まれましたね。それを忘れてはいけません。神の干渉があなた方の誕生に大きな役割を果たしており、あなた方はあなた方の親の愛の結果なのです。したがって、男性の世界はあなた方の父親の世界の拡張であり、女性の世界はあなた方の母親の世界の拡張なのです。あなた方が親をもつとき、あなた方は全宇宙を所有するのです。彼らは二人一緒になって男性の全世界と女性の全世界を代表し、二人一緒にあなた方の中に現われれました。ですからあなた方は宇宙の縮少体であり、中心です。あなた方が中心になっているので、あなた方の行動が正しければ、あなた方の行動はあなた方に大変な喜びをもたらし、あなた方の父母はあなた方の喜びを分かち合い、他の世界は彼らを通して、

 孝行は宇宙において承認されていますから、誰であっても、親に忠実な孝行息子・娘を尊敬します。その心によって、あなた方は自分の両親が他の世界と関係するための触媒点、または中心点となります。あなた方の両親は、あなた方の誕生以来ずうっとあなた方のそばにおり、神も常に関与しています。これらの同じ天的四位基台は、社会、国家、世界へと繁殖するでしょう。それが、理想的な生活がこの地上で天国へと拡大していくことのできる方法です。

 天的四位基台は、世界的および宇宙的スケールで人間生活のすべての愛情関係を代表しており、そしてまた、究極的にはこの地上での神の国を代表しています。それはあなた方も中心として小さな規模で始まり、あなた方の家庭、社会、国家、世界へと拡大します。ここで最も重要な要素が、あなた方の正す愛の質です。あなた方が第分の両親に対して利他的な愛を示すとき、あなた方は孝行息子となるでしょうし、あなた方が国家に対して利他的なな最も美しい愛を示すとき、あなた方は愛国者とみなされるでしょう。そしてまたあなた方が、この美しい愛を人類に対して示すとき、あなた方は聖人なる人と呼ばれることでしょう。

 これらの愛の質は、同じ中心から出発しているので、同じものです。それらは別々の中心点をもっているのではありません。愛の中心的位置を所有する人々は、本当に神の息子・娘と呼ばれるのでしょう。国家的観点からみて、彼らは神の国で最も愛国的な人々であり、神の宇宙的観点からみると、彼らは最も聖人なる人々です。しかし彼らは、いつも神の息子・娘として出発します。

 神の真理のすべての教えは、すべての人類が、たとえ堕落した世界においてさえも、神の息子・娘になりたいと願っているという、ひとつの単純な文章に要約することができます。私たちは、堕落した世界が、堕落した人類始祖から生じたことを知っています。堕落した世界を復帰するにに、誰かが宇宙に新しい共通の中心、つまり神の中心をもたらさねばなりません。故に、新しい、神を中心とした親が必要であり、真の父母という概念が生まれました。

 聖書全体の教えは、「堕落した世界は、サタンによって偽りの親を通して生まれました。ゆえに神は人類歴史の新しい始点、つまり真の父母をたてる」という、ひとつの単純な真理を指し示しています。そのように、私たちは真のオリーブの木に接ぎ木されなければなりません。サタン世界を代表する野生のオリーブの木であったものから離れて、私たちは新しい生活と新しい歴史を始めるでしょう。その空極の目的はなんでしょうか。それは神の子女となることです。

 けさの話題に戻りましょう。言葉はそれ自身のために存在するのではなく、行動もそれ自身のために起こるものでもありません。言葉と行動は、ある目的の役に立たなければなりません。話したり行動したりすることのできる資格はなんでしょう。あなた方は神の息子・娘として語らなければなりませんし、神の息子・娘としての資格をもつために、あなた方はどうあるべきでしょうか。あなた方は、自分が真の父母の、立場・労働・愛、さらに神の愛の現われであることを悟らなければなりません。そのように悟れば、あなた方は既に天国四位基台を成就したことになります。神は確実にあなた方とともにあり、真の父母も確実にあなた方とともにあります。彼らと一体となることによって、あなた方は四位基台を代表し、天地において神の息子・娘と宣言されることができるのです。

 あなた方の心から、誰もその考えを取り去ることはできません。もし人々が、あなた方を打ちのめして投獄したとしても、彼らはあなた方の心から、あなた方が天の父と真の父母と一つであり、天的四位基台の代表であるという悟りを、取り去ることはできません。あなた方は、自分がどこで終わるだろうかと必配する必要もありません。もし、誰かがあなた方を地獄の土牢の中に突き落としたとしても、あなた方はいつまでもそのにいることはないでしょう。あなた方はスプリングボードに乗っているかのように、天国の最高の位置にまで飛びあがることでしょう。私たちの救いは保証されています。あなた方は心情的な男性・女性となって、これらのことを単に論理だけによって理解するのでははく、感覚と感情によって理解できるようにならなければなりません。

 これらの感覚があなた方の骨に深く食い込んで、無意識的にでもそれらが常にあなた方の生活の一部となり、何ものもそれを変えることができないようにならはくてはなりません。

 神の愛に根ざす建設の言葉

 個人的にあなた方は、過去と現在と未来に関係しています。あなた方のおとうさんはすべての男性の世界を代表しているために、あなた方はそこに連結点をもちます。また、あなた方のおかあさんはあなた方に代表されているので、あなた方はあらゆる女性を愛することができます。さらにあなた方は、神の未来とあなた方の両親の未来を代表しているので、未来を愛することができます。

 あなた方は、あらゆる方向からの普遍的な愛の現われです。空極的に私たちは皆、神の御座に行くことになっていますが、独りで行くのではありません。あなた方は真の父母と共に行くのです。そうすると、神は手を広げて、あなた方を迎えてくださるでしょう。あなた方が真の父母と共に神の御座に近づくということは、実際、あなた方が全宇宙と共に来ているということです。真の父はすべての男性世界を代表し、真の母はすべての女性世界を代表しますから、父母と一緒になって近づくということは宇宙的な存在として近づくということになるのです。したがって、あなた方は独りぼっちなのではありません。あなた方が彼らと一緒であるならば、あなた方は全世界と共に行くのです。もしあなた方が、父母と共に神の御座に向かいつつあるならばあなた方を拒むことができないでしょう。

 それであなた方は、自分を包み、共に神の御座に行けるように、父と母をどのようにして自分のものにすることができるのでしょうか。それは、あなた方は自分を父の心情に受け入れられるようにすることによって、また、自分を母の心情に受け入れられるようにすることによって、彼らを自分のものとすることができるのです。単純な言い方をすれば、あなた方は敬虔な息子・娘にならなければ、必ずあなた方は、神の心をも動かすことができるでしょう。

 これは永遠の公式です。理想強な人間、あるいは神の目からみて完成した人間とは、自分の父親を愛するようにすべての男性を愛し、自分の母親を愛するようにすべての女性を愛し、神が全人類を愛するようにすべての人類を愛する人です。別な言葉で言えば、この人は神の観点から世界を見おろすことができます。その人は真に完成した人間であり、神のどんなテストでも通過することができるのです。

 その人は、天にある神の国へのフリーパスをもっています。たとえ神が特大のベッドで寝ていようとも、寝床にもぐり込んで神の邪魔をすることができ、それでも神はその人を受け入れられるのです。自分の言葉と行動を一つにさせるならば、あなた方は自分を完成させることができ、自動的に調和をもって生き、話し、行動することができるようになります。そのような人間は完成されており、それ以上、先のゴールはありません。

 言葉というものは強力なものであり、それは世界を建設することも破壊することもできます。そうでしょう。あなた方の心が神の愛の中で確立されているならば、あなた方の話すどんな言葉も愛の表現となります。その言葉はひじょうに荒々しかったり、不親切に聞こえるかもしれませんが、それは神の愛から来ているため、それは常に建設し、破壊することはありません。言葉はまた、審判者でもあります。もし私が、ある明確な規準について語った場合、それらの言葉は審判所となります。もし、幸福そうな人が耳を傾けているとしたなら、その人は直ちに、ひじょうに深刻になるかもしれません。たぶんその人は私のもとに来て、「私はこういうことをしました。私をお許しいただけますか」と言うでしょう。すると単純な許しの言葉によって、すぐにその人の士気をあげることができるでしょう。

 愛は大変強力であるため、あなた方が天的な愛に基づいているならば、あなた方の言葉も強力なものとなります。その言葉が愛に根ざしている限り、それは建設するだけで破壊することはありません。あなた方が本心から行動するとき、あなた方の行動は、宇宙から何かを取り去るのではなく、全宇宙を一層調和させることでしょう。

 統一教会の香り

 統一教会とは、どのよきな所でしょうか。統一教会の香りはどのようなものでしょうか。あなた方が魚市場に行くと魚の臭いがし、養豚場に行くと豚の臭いがしますね。それでは統一教会は、どうな匂いでしょうか。統一教会は、今朝あなた方が聞いたように、具体的な論理と哲学と確信をもっています。あなた方は神の息子・娘として語り、世界に出て行き、自分を神の代表として現わしています。ここに私たちは破壊的な力ではなく、建設的な力、宇宙を清掃する力として共に集っています。私たちは神の息子・娘という立場で、神の国の匂いと香りをもって、ここに集っています。もしあなた方が、その熱心さと悟りをもって行動しようと出て行くならば、あなた方はすばらしい結果をもたらすことができるでしょう。しかし、もしその基盤がぐらぐらしているならば、あなた方は何も建設できないでしょう。

 実際は、あたた方の言葉もあなた方の行動も重要ではなく、あなた方のなんたるかが重要なのです。もしあなた方が、神の息子・娘として絶対的な確信と自覚をもっているならば、あなた方はしたい放題に出て行動することができ、あなた方がすることはすべて、神の神の愛の現われるとなることでしょう。単純に話せば、あなた方は自分のためではなく、あなた方の両親、真の父母、そして究極の親である神のために生きているのです。あなた方の本当の親は、全人類を包む神です。だからあなた方も人類は、全人類を包む神です。だからあなた方も人類のために生きなければならないのです。

 私たちが世界の人類について話すとき、実際、私たちは兄弟姉妹について語っているのです。白人と黒人は一緒になって、最も胸がうち奮えるような美をつくります。たぜならその時私たちは、お互いの間で一層刺激を感ずるからです。白人が黒人を愛し、黒人が白人を愛する時は、自分が白人を愛し、黒人が黒人を愛するだけよりも、ずっと美しいのです。あなた方の言葉と行動が、あなた方自身の兄弟姉妹に対する愛の言葉であるならば、どんな方向に動いても、決してあなた方は妨げられることがありません。

 あなた方がすることは、すべて神の愛という内奥の性質の表現であるため、あなた方は二十四時間話し続けることもできます。もし誰も聞こうとしないならば、床が聞き、空気が聞くでしょう。あらゆる自然が耳を傾けるでしょう。そのように、あなた方がすることはどんなことにも被造物が応えるでしょう。そのような世界が私たちの永遠の世界です。霊界はすでにその原理について生きています。私たちの究極の目的地は天国です。この地上において、私たちは自己を鍛練し、天国で拡大される私たちの人格をつくりだす機会をもっています。あなた方が神の愛の体現者となったとき、人々はあなた方がすることはどんなことでも受け入れ愛するでしょう。

 愛の力で溶かされる心

 ではしばらく、親の立場について考えてみてください。あなた方の親はどのように感じるでしょうか。彼らは、あなた方が自分たちを愛する以上にあなた方の兄弟姉妹を愛してほしいと願っています。なぜなら彼らは神を代表しているので、神がそほように感じておられるからです。親の心と神の益は共通なものがあります。この宇宙で最も偉大なものは親の愛です。この愛は最も清らかです。なぜならそれは絶対的に利他的であるからです。真の父は、多くの利益が自分に対してよりも自分の妻にくることを願います。彼は、自分の妻が名誉を受けて賞賛されたり、すばらしい贈り物をもらうとき、自分がそうされるときよりも、常に大きな喜びを感じるものなのです。

 親の愛に近い愛は、どんなものでも高貴で聖なるものであり、愛が利他的であればあるほど、それは親の愛にそれだけ近いのです。宇宙全体は、その究極的な最高の形の愛に向かっています。なぜならそれが、正に神の愛だからです。神は完全に、神の子女のために存在します。愛の世界では誰でも、自分を最高位に引きあげようとする者は最も悪い点数をもらいます。愛の世界では、その基準は通用しないのです。

 愛の世界では、犠牲が最高の価値です。神の心情に近い宗教は、いずれも犠牲的な献身的な精神を示しています。どんな親も、自分の子供にどれだけの愛を与えようかと計算したり、「私はあなたの大学の授業料を払うから、あなたは将来、私に大きな家を買わなければなりません」と言う親はおりません。むしろ、彼らはためらわずに与え、彼らの息子、あるいは娘が成長し、国家や世界のために、あるいは人類のために何か重要なことを成し遂げることに喜びを感じます。それは正に、神の気持ちと考えを反映していてしいます。

 この道を侵す者は誰でも、神の世界では最も小さい者となり、それを強調する者は誰でも巨人となります。真の親はあなた方に、犠牲的な人間となるように教えるのでしょう。親は自分のことを忘れて他人のために犠牲になることを強調します。彼らは、「出かけて私があなたを愛したように世界を愛したように世界を愛しなさい」と言うでしょう。そのような人たちこそ真の親です。

 この基準から統一教会を調べてみましょう。私たちは正しい軌道にいるでしょうか。それとも間違った軌道にいるでしょうか。私はあなた方に、きょう、そして毎日、二十四時間私を愛さねばならないと教えていますか。それとも私はあなた方に、まずあなたは出て行き、神と人類に仕えるために犠牲的に自分を捧げるべきであると教えているでしょうか。私たちがその原則に従って生活するとき、私たちは滅ぶように運命づけられているでしょうか。それとも成功するよう運命づけられているでしょうか。実際、これは天的征服の秘訣なのです。天国征服は、愛によって、愛の力で人々の心を溶かすことによって成し遂げられます。あなた方の親、人類、国家、神までも、彼らすべての心は愛の力によって溶かされるのです。あなた方は、神を征服し、あなた方に対して神が手も足も出ないようにすることができます。この愛が囁くだけで、ただ存在するだけで、神はそそにいたいと思うのです。ただ、あなた方は神に来るようお願いしてください。そうすれば、神はそこへダッシュして来るでしょう。この点において、あなた方はすでに、私を指揮しています。

 奇蹟を起こす私たち

 このような観点からみるとき、使命が難しければ難しいほど良いのです。なぜなら、それは自分を試練し、神の目からみて私たちがどれ位の価値があるかを証明する、より良い機会を与えるものだからです。英雄は、緊急時や危機の時にだけ生まれてきます。一番の逆境の下で、私たちは自分が犠牲的であり、真に利他的であることを証明しできます。その精神を示すために私たちがこの地上に生きているのは、ある限られた期間だけです。永遠と比べれば、この地上での私たちの生活は閃光のようです。

 私たちが肉体をもってこの地上にいる期間は、私たちの愛と私たちの霊とを完成させるための機会です。私たちは、私たちの中にある神の愛を示すために、肉体を必要とします。それが、私たちの肉体が重要だある理由です。そこには問題の世の中がありますが、それは良いことです。これは、原理を応用し、それを生活化するための機会です。これは行動が入り込む所です。

 私は様々な問題を起こして世界的に有名になりましたが、それは良い意味においてです。私は毒を放出しているのではありません。むしろ、すでに多くの毒があるので、私がそれを中和することによって問題になっているのです。私は、サタンが六千年間撒き散らしてきた毒を中和する力をもってやって来た、最初の人間であると思います。こうすることによって、かえって私は問題を起こしているのです。外部の人々は、私が最悪の悪鬼だと考えているかもしれません。彼らには、そう考えさせておきましょう。しかし後で、彼らに私をみさせましょう。すると彼らは、私が初めの理解とはまったく違ったものであることを悟るでしょう。何かを復帰するには、通常、道路でUターンするように、一つの完全なサイクルをつくり、戻らなければなりません。しかし復帰をやめるために私たちは問題を起こして、その代わりに跳びまわってきました。私は、ずっと迂回して、行く時間を費やす余裕はないのです。

 たとえ人々が私について否定的なイメージをもっめていても、それはかまいません。少なくとも彼らは、私を知っているからになるからです。すると彼らがしなければならないことは単純なひとっ飛びであり、私たちはそれを一夜にして起こすことができます。それは私たちが肉体をもっている間、この地上において可能なことなのです。いったんあなた方が肉体を脱ぎ、霊界にあげられると一インチの霊的進歩をなすために、あなた方は何百万年も必要となります。

 私たちがここで霊と肉体とを一緒にもっている間は、私たちは奇蹟を起こすことができます。私たちの肉体は私たちの心を示すことができ、途方もない変化が起こり得るからです。しかしいったんあなた方が肉体を失い、霊だけになると、そのような機会はなくなります。そうなると、行動するためにあなた方は下りてきて、地上の誰かと一緒に働かなくてはなりません。現在、あなた方が自分自身の肉体でさえも、時々、自分の心にあまりよく反応しないとしたら、ましてや他人の肉体ではどうでしょうか。何事を成し遂げるにも大変ぎこちなく、はがゆいことでしょう。私たちが一度はっきりと神についての真理を知るなら、犠牲的な生活をすればするほど、私たち自身の業績のためには、それだけ良いことがわかるでしょう。

 正しい動機と心を持った行動

 心からの愛情なしに、兄弟姉妹にリップサービス(口先だけの好意)をしてはいけません。何かしようという深い動機がなければ、それをしてはいけません。誰かに感銘を与えるだけために何かをすることは、霊界では最悪の重荷となるでしょう。霊的法律は、真実味のない行動と言葉を復帰する手段を何も提供しません。単に統一教会のメンバーであるということだけが、天国にはいる保証とはなりません。それは、あなた方がどれだけ真理に生きているか次第です。どのようにしたら神の息子・娘になれるかをあなた方が知った今、あと残されたことは、正しい言葉を語り、正しい行動をするということだけです。

 心から話し行動することは、ひじょうに大切です。そのようにすれば、あなた方がどこへ行こうと、あなた方は準備する必要さえありません。あなた方の言葉は準備され、行動も準備されています。あなた方が正しい動機と正しい心をもって出かけるとき、あなた方の行動は自動的に出るでしょう。あなた方が何をしようと、それが伝道であろうと、あなた方にはひとつの中心的なゴールがあります。それは、あなた方が神の敬虔な息子・娘になるために、それをするということです。あなた方は神の国で、真の愛国者になりたいと願っています。あなた方は神の目からみて、聖人や聖なる人になりたいと願っています。それは一つの中心的共通の原理によって、それらすべてを威厳をもって成し遂げることができるのです。

 私は誇りをもって、あなた方を前線へ送り出します。私たちは前線で苦労しますが、そこにはなんの恥もありません。なぜなら私たちの目的は、フォード自動車会社やIBMやどんな一流会社で働くよりも、はるかに偉大なことだからです。これ以上に高貴な心も、これ以上に崇高な仕事もありません。このように生活することによって、私たちの親に対して、私たちの社会、国家、人類、そして神に対して、私たちの愛はより強くなり、また、神の目からみた私たちの霊的成熟度と業績も膨大なものとなるでしょう。私たちの動機は正しいのですから、なぜ私たちは恥じる必要があるでしょうか。

 私たちはとんとん拍子に繁栄するでしょう。なぜならこれは神の真理であり、それは従うべき唯一の道だからです。利他的な行為は成功するようになっています。なぜなら、万人の内的本性は、そのような業績にあこがれているからです。結局それは、世界を勝ち取る唯一の方法です。それが、私が常に生きたいと願ってきた道であり、私が常に生きてきた道です。

 韓国と日本で、私は幾度も時計を見ることさえしませんでした。たとえ朝の三時、四時であろうと、私の話に誰かが耳を傾けている限り、私は時刻に気づかずに教え続けました。各国の指導者たちがイーストガーデンにやって来て私に報告するとき、彼らはいつも私の話しや聞くことに情熱的ですが、十二時から一時頃になると、私は彼らの心がわかってきます。「なぜ先生はこように話しを続けられるのですか。なぜ私たちに、ベッドに行って休みなさいと言わないのですか」。しかし私は彼らに、私はあなた方の親として、いつも私の心の中心ひじょうな興奮を感じるので、どうしてもしをやめたくない、とは決して言いません。神もまた私と共に常に目を覚まし、情熱的で、神の子供たちがするあらゆる小さなことにも注意を払っていらっしゃるのです。

 これは、私のあなた方に対する忠告です。あなた方の心が沈んでいるときは話してはいけません。また、あなた方の心が本当に感動していないときは行動してはいけません。私たちはこの世の中で、言うべきことと行うべきことをひじょうに多くもっているので、いったん私たちがその価値を知ると、私たちは自分の仕事に誠心誠意をもって身を投じることができるのです。

 神とさえ競争できるあなた方

 なぜ私たちは伝道に行かなくてはならないのでしょうか。もしあなた方が、ニューヨークの街頭から一人の人を連れてきて神を理解させることができれば、彼の先祖全員も引きあげられます。地上での行為によって、多くの魂が霊界で助けられるでしょう。あなた方が神の真理を分け与えるとき、あなた方は神の愛の仲保者となります。あなた方を通じて、ひじょうに多くの人々が真理を知ります。あなた方は彼らの永遠の生命を生き返らせることができるのです。あなた方は、神の愛を彼らに振り掛ける愛の仲保者です。あなた方の立場は、霊的母や父のように、絶対的にすばらしいものです。

 あなた方は伝道の影響を知りまえんが、もしかするとあなた方は英国の人々全体に影響を及ぼし得る人を伝道するかもしれません。あるいは伝道された人が、それをするだけの実力がある重要でお金持ちの別な人を伝道するかもしれません。あるいは伝道された人が、それをするだけの実力がお金持ちの別な人を伝道するかもしれません。するとその人は、あなたの霊の孫となるでしょう。一人の人に真理を理解させることを通して、あなた方はその人の国全体、及びその人の霊界全体に影響を及ぼすのです。あなた方は、自分のうちに世界を動かすことのできる力をもっているのです。もしあなた方が一人の人を動かすならば、たぶんその人は多くの国々、あるいは大陸を動かすことができるかもしれません。真理によってあなた方は、その一人の婦人や男性を動かすことができるわけです。

 たとえ話をしましょう。カーター大統領のおかあさんはホワイトハウスに行くことができますが、彼女はそこに行くだけのどういう権利をもっているのでしょうか。実際、彼女はホワイトハウスに行けます。なぜならそれは、彼女が大統領のおかあさんだからです。それと同じように、もし、あなた方の霊の子がある国の指導者になった場合、霊の親としてあなたは彼らに会う権利があるでしょうか。本当に現実的にこれらのことは可能です。しかし、あなた方が霊界に対して影響を与えて見えない道は、なお一層、意義あることです。たとえあなた方の霊の子が国家の指導者にならなくても、心配しないでください。その人は、その人の先祖を通して、霊界で大変重要な立場をもっているかもしれません。

 外部には、神のために偉大な指導者になり、この世界を変革できそうな有能な人々が多くいます。そのような人に真理を伝えることによって、その人がもっているすべてのものである、教育、経験、そしてお金は、神様のために使われるでしょう。外部の多くの人々は、私が彼らの子供を盗んだと言って、私を大変非難しています。もちろん私はそのようなことをしたことはありませんが、どうして彼らばそう感じるかは理解できます。彼らはあなた方に食物や衣類、教育を与えてくれました。しかし、突然あなた方は私の弟子となり、今は、彼らが理解できないことに仕え、専念しているので、この世的な言い方をすれば、それらの親たちは自分の子供が盗まれたと考えてしまうのです。

 しかし、あなた方は最高の目標と業績を遂行するためにここに来ています。あなた方は、真なる価値というものは見えないものであることを知っていますが、あなた方の親は、あなた方自身が一番価値あるものだと感じているのです。それで彼らはあなた方に希望を託していましたが、それが突然、彼らの基準からすると気違いじみたことをあなた方が始めてしまったのです。あなた方は、本当に革命家です。あなた方は初め、それぞれ個人的な目標や私的な野心をもっていましたが、統一原理を聞いたとき、一週間以内にあなた方の心の中に重要な革命が起きました。それがあなた方の生活の方向をまったく変えてしまったのです。

 私は、あなた方がそんなにも自分を徹底的に変えてしまったことを、誇りに思ってほしいと思います。と同時に私は、あなた方に神の真理の力を称えてほしいと思います。このことはつまり、あなた方が伝道に出かけて行くとき、あなた方も他人の中に同じ革命を起こしことができるということを意味しています。あなた方はそれを誇りに思っていますか。各個人は全世界を代表していますが、あなた方はすごいスピードで、より良く変わることができるのです。あなた方はそれを自分の目でみてください。そして、あなた方の業績を誇りに思ってもいいのです。

 あなた方は、神とさえ競争することができます。神は六千年間、人間を変革しようと努力してこられましたが、あまり多くのことを成し遂げることはできませんでした。しかしあなた方は、一週間以内で、人を変えてしまうことができるのです。それは興奮できる仕事ではないでしょうか。どうしてあなた方が宣教をやめることができるでしょう。どうしてあなた方の足も休むことができるでしょう。興奮させることが起こっているのです。どうして私たちはそれをやめられるでしょうか。

 神のために行動と言葉を投資せよ
 
 考えてください。あなた方はこの地上にいる間に、一千年の生命を変革することができるのです。もしあなた方が、一千人の霊的子女をもったならば、あなた方は世界で最も裕福な親となるでしょう。そして実際、あなた方は自分の国を建設するでしょう。するとあなた方は、世界中の子供たちを訪問するのに三年以上もかかるでしょう。あなた方は、あなた方の霊の子にとって、最も重要な人となるでしょう。あぜならあなた方は、彼に、この世で最も貴重なもの、つまり神の息子・娘になる希望を与えたからです。その人は完全にあなた方に負債を負っています。彼はあなた方を追い払うどころか、むしろあなた方を歓迎するでしょう。

 今から十年ないし二十年たったら、すばらしい旅行が始まるでしょう。その時は、あなた方に「世界中のあなたの霊の子を訪問しなさい」と言うでしょう。ある人は訪問する人々を多く持っているでしょうし、また別な人は、自分の子供たちがどこにいるかさえもわからないでしょう。訪問する人が誰もいなくて、独りぼっちでいることを考えてみてください。世界の至る所に自分の霊の子を訪問する人は無限の喜びをもつでしょうし、なんの収穫ももたない人は、なおポツンと立っていることでしょう。

 教育によって知識を得ることはひじょうに大切ですが、それよりもさらに大切なことは子供をもつことです。あなた方は伝道に出ていって、二十四時間ぶっ通しで倦むことなく語りますか。あなた方が神の子になる時、あなた方の話す言葉は神の言葉です。ですから、あなた方の言葉とあなた方の行動を最大限に投資しなさい。あなた方の体を怠けさせてはいけません。なぜなら、これは神があなた方に与えた唯一の機会だからです。自分を浪費させてはなりません。

 もし、あなた方が自分のためだけに語り、自分だけのために生きたならば、なんの栄光があるでしょうか。しかしもし、あなた方が自分の体と自分の言葉を神のために投資したなら、あなた話すあらゆる言葉は、目的と結果をもって弾丸のように飛びます。無駄な言葉を話してはいけません。不平を並べないことです。不平不満はあなた方のエネルギーを浪費する言葉です。

 もし、あなた方が自分の体を自分自身のために用いたならば、あなた方の働きは残りません。しかしもし、あなた方が自分を、他人のために伝道したり、生産的な物事に捧げるならば、あなた方の行動は残るでしょう。きょう、今まであなた方がどれだけ多くの無駄な言葉を語ってきたか、またその逆に、どけだけ多くの言葉を神のために生産的に語ってきたか、あなた方は分析してみてください。

 さあ、前線の活動に出かけてください。あなた方の使命がなんであれ、そのために出かけてください。でもそれは消極的にではなく、喜んでしてください。まず自分の動機を集めることです。動機がなければ消極的パターンに陥るでしょうし、それはあなた方を益としないでしょう。またあなた方も楽しくはないでしょう。あなた方の言葉と行動は、神の記憶に記録されなければなりません。私はあなた方に、神が記憶することのできるようなことをしてほしいと思います。ボランティアを喜んでする人、あふれる情熱をもって喜んで参加する人となってください。

 私はあなた方を学ばせることはできません。学ぶのはあなた方自身です。あなた方は、自分の天国のために、資格を得なくてはなりません。すでに道は開かれており、あらゆるものがあなた方を待っていますが、あなた方がそれを利用しないかぎり、それはあなた方のものにはなりません。神の息子・娘として、そのような言葉と行動に専心しようとする人は、どうぞ手をあげてください。どうもありがとう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.21 20:17:27
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2021.09.20
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「食口に対する本年のメッセージ」

1977年1月1日
ニューヨーカービルで


 僕の僕からの出発

 きょう神の日を迎えるために歴史は、様々な復帰過程をたどってきました。僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、実子の時代、親の時代と。そしてその後、神の日が設立されたのです。

 私たちは神の日の意味を知っていますが、多くの人々は知りません。あなた方も知っているようにキリスト教は、神の養子の宗教です。堕落した人間を神の養子にまで引き上げる宗教です。ユダヤ教は、僕の宗教の立場にありました。そして宗教を持たない人々は、一番下った僕の立場にいます。ですから統一教会がきょう神の日を祝っているということは、革命的事業であり、革命的業績です。

 それは私たちが、非宗教の僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代を成就して、いま真の父母を中心とした実子の時代を迎えた、ということなのです。

 原理で知っているように人類は、成長過程の第二段階である長成期で堕落しました。そしてその堕落は、エバもアダムも一人で堕落したのではなく、一緒に堕落してしまったのです。彼らは、夫婦の位置を探しながら一緒に堕落したのです。ですから逆の過程をたどる復帰過程において、堕落は夫婦の関係を通して復帰されなければなりません。

 統一教会の歴史は、ある意味で全歴史の反映であります。もしキリスト教が、統一教会を最初から受けいれていたならば、復帰摂理は、養子の土台の上に立って一段階上に進み、実子と父母の時代を迎えていたはずです。しかし現実は、キリスト教の反対と迫害のために、これらの土台が崩れ先生と統一教会は、最低の位置から出発しなければなりませんでした。最低の位置、つまり人間として一番下った僕の僕の立場からこの開拓の道が出発したのでした。

 先生は、僕の僕から出発して神の日まで登りつめ勝利した開拓者です。さらに先生は、ただ単に一人で戦ってこられた、というだけではないのです。後からすべての人類がついてこれるように、または同じ業績に達することができるように橋を残しながら歩んでこられたのです。

 一九六〇年までの先生の険しい開拓の道は、想像を絶するものがありました。一九六〇年後は、御成婚式によってしっかりした基台が敷かれ、それによって真の子女が出現できる完全な基台が成立したのです。

 二人のアダムの一体化

 もし、人類始祖アダムとエバが堕落しなかったなら、本来彼らは神の目から見て、夫婦となる前に一人の個人として完成された神の真の子女となるべきだったのです。それが堕落行為によって人類は、神の子女の立場を失ってしまったのです。

 救い主の使命は、失われてしまったアダムとエバの位置を完全に復帰された位置に復帰することです。イエス・キリストの時代にイエス様がアダムの立場でこられたことは、皆さんは統一原理によってよく知っています。

 彼は、罪を知らない完成されたアダムとして生まれました。一方完全なアダムを支えるために、復帰されたアダムがおりました。それが洗礼ヨハネです。

 洗礼ヨハネは、堕落した人間の代表として復帰されたアダムの立場にいました。彼は、堕落人間の観点から、アダムの完成を求めていました。ではイエス・キリストとはどんな方でしょう。彼は何の罪も堕落も知らないアダムの立場にいました。彼は、まったく聖別されているのです。ですから二人のアダムは、一つになること、まったく一体化することになっていました。一人は完成されたアダムに、もう一人は復帰されたアダムです。

 なぜ完成されたアダムのイエス様と復帰された洗礼ヨハネの一体化が必要だったのでしょうか。この一体化によってすべての堕落人間が、イエス様の恩寵によって救われる位置に立つことができるのです。ヨハネが堕落人間の代表として、イエス様とまったく一体化することによって、ヨハネは、人類がその橋を渡れば完成できるような橋を築くことができたのでした。

 父としてのイエス様

 イエス様は神の血統として、神の直系の後取りとしてこられました。洗礼ヨハネと人類は、堕落した天使長の血統としてきました。洗礼ヨハネや堕落人間は、どんな努力をしたとしても養子の立場に立つことはできません。イエス様は神に属し、他の人々はサタンの親に属していました。ですから、神の養子として、神の側に復帰されなければなりません。養子にしかなれない人類は、生命の木、真のオリーブの木としてこられたイエス様に接ぎ木され真の生命を受ける、という最終段階の過程におります。この過程を通して人類は、神の直系の子女となることができるのです。

 もし堕落行為がなかったなら、堕落人間もいなかったでしょう。すべての男女は神に属していることができました。堕落の血統もなかったでしょう。すべての男子と女子は神の息子娘となったでしょう。堕落のために異なる人種と血統が生まれました。

 あなた方は、二千年前にイエス様が完成されたアダム、完成された父親の立場でこられたことを知らなければなりません。他の人々は、洗礼ヨハネを門徒として彼と一体化することによって、その門徒を通過し神の息子、娘として復帰される道があったのです。いいかえれば、イエス様と洗礼ヨハネが一体体化することによって長成期を勝利し、さらに進んでその時代に完成期を全うすることができたのです。

 霊的宗教としてのキリスト教

 長成期に堕落したために、多くのものが失われました。人類はすべてを失ったのです。「神の日」も「父母の日」などというものもありません。創造物は、すべて失われサタンの手中にあります。

 聖書には、十二弟子、七十二門徒、百二十人門徒などがいたと書かれてあります。イエス様の弟子は、二千年前に長成期を越えて完成に至るはずでした。​ご存知のようにイエス様お一人では、真の父母となることはできません。父母として立つ為には、二人の個人が必要です。私たちが「親」という時、当然として二人の人間のことをいっているのです。​

 ですからイエス様が、個人として成長し完成したならば、彼は次のレベルに進んで真の父母として立たなければなりません。彼は、はっきりと聖書の中でそういっております。

 しかしイエス様が御自身を新郎として新婦を迎える準備をして、親として完成しようと次の段階に進もうとした時、十字架がきたのです。

 イエス様は、親になる機会を与えられませんでした。真の親がいないのですから、本当の子女もいません。万物の復帰もできません。「父母の日」「子女の日」「万物の日」もありません。イエス様は、天国に一人で独身のまま、ある意味では天使の立場で昇天されたのです。ですからキリスト教は、霊的救いの完教であって、肉的救いはできませんでした。

 洗礼ヨハネは彼自身の使命を全うしませんでした。十字架は、おもに洗礼ヨハネの失敗の故に起りました。イエス様は、霊的救いのみを成しとげることができました。そして肉的救いの可能性は、すべて失われました。

 それからキリスト教の歴史は、霊的養子の宗教となりました。それ故に、ある意味でキリスト教は、ユダヤ教にさえ劣った立場にいます。少なくともユダヤ教は、肉的にも霊的にも僕の立場にいますが、キリスト教は、養子としてさえも肉的救いの方式を持たないからです。

 民と領土を失った神

 キリスト教は、霊的な養子のレベルまでの救いを成してきましたので、領土を持っていません。国もありません。少なくともイエス様の時代と旧約時代には、国がありました。神が、「これは私の国、私の民、私の領土」と宣言できる国と領土を持っていました。しかしイエス様の十字架以後、神がそう宣言できる国はありませんでした。本来なら、すべてを神に復帰しなければならないのです。

 キリスト教が根をおろした所で何が起ったでしょうか。キリスト教は、苦難に会ってきました。殺害され苦しみ無数の殉教者を出しました。二千年間の歴史において、あらゆる苦難が降りかかってきました。しかし今日のキリスト教は、自分の立場がまったくわからずにいます。彼らは、ただイエス・キリストを信じ、ある日キリストが天に現われ、キリスト教徒は中空に引き上げられ、至福千年が始まると思っているのです。今日、世界を救い神のもとに復帰しなければならないメシヤも二千年前同じく世界を復帰するためにこられたメシヤも、二千年前同じく世界を復帰するためにこられたメシヤも、肉体を持った人として私たちの中に現われなければなりません。これは原理的に明らかです。

 二千年前にこられたイエス様と末の世にきたるメシヤが、同一人物でありえるはずがない、ということは皆さんご承知の通りです。それは、エデンの園にいたアダムとそれから四千年後にこられたイエス・キリストとが同一人物でありえないのと同じことです。アダムの失敗を復帰するために、別の人であるイエス様がアダムの位置できました。同じように再臨のメシヤも、別の人が第三のアダムとしてこられるのです。

 第三アダムの資格

 では第三アダムの資格はなんでしょうか。まず第一に、彼はエデンの園のアダムの失敗を復帰することができなければなりません。すなわち第一のアダムの失敗は、第三アダムによって復帰されるのです。また二千年前アダムとしてこられたイエス様の使命を完遂完成させなければなりません。

 またその第三のアダムは、どこからくるのでしょうか。彼は、霊界の王座にきちんと立っており、人々はその人の話を聞くのでしょうか。彼は、そんな風に権威ぶってふるまうべきなのでしょうか。彼は、アダムが罪を犯した所に降りてこなければなりません。復帰の業がなされる所にこなければならないのです。

 メシヤは決して、雲に乗って栄光と力とを持って空中に現われるのではありません。またいくらかの人々を選び、空中で千年王国を出発するのでもありません。皆さんは、再臨の主がそのような超自然的な方法では現われない、ということを知っています。イエス・キリストは、そのような超自然的な方法では再臨しません。なぜなら神のみ旨は、地上にあるからです。

 地上における神のみ旨は、成就されておりません。二千年前にイエス様が果そうとした使命は、成し遂られませんでした。イエス様の使命は、地上にみ旨を成し遂げることです。メシヤの使命は、現実的なものですので彼は人間としてこなければならないのです。

 彼は、一番みじめな国にきて、人間の一番みじめな状態から出発しなければなりません。僕の僕から僕の立場、現実的にまとめあげて一歩一歩天国を建設していくのです。

 神が立てている宗教圏

 神は、メシヤ再臨のための滑走路として、今日のキリスト教を形成しました。もしキリスト教が、再臨の主を受けいれるとするならば、一体何が起るでしょうか。霊的業績が、肉的業績によって裏打ちされるのです。

 メシヤは、なんのためにこられるのでしょうか。けっしてそうではありません。この世界には、あらゆる宗教があります。すべての宗教は、神が立てているのです。それは、メシヤ再臨のその一日を準備しているのです。メシヤを受け入れ、メシヤに会うことがキリスト教とすべての宗教の目標です。

 堕落人間は、いくら天国へ行きたいと願っても、最後の一ペニーでも負債を神に帰さなければ、行く道がありません。

 無になれ

 私たち統一教会は、時々トラブルのないよう暮そうと思うことがあります。静かにおとなしく歩もうとしている人もいます。しかしそれは役に立ちません。通常に歩むならば、勝利していない重要な所を残すことになります。そしてサタンは、いつもそこに巣を作っているのです。

 私たちの体には、たくさんのホックがついていて、サタンはいろいろな方法でそれをひっかけようとしています。ですから私たちの行く道は、苦しくとも神経を細かく使って行く道です。

 しかしあなた方は「いやです。そんな苦労してまで行きたくありません。」というでしょう。しかしどんなに時間がかかっても、その極地まで行かなければ、あなた方は完成しないのです。もし神の方法に近道があるとするならば、あなた方が「先生、もっといい方法があります。」といいにくるのを待たずとも、ずっと以前に見つけていることでしょう。

 しかしそのような便利な近道は、どこにもありません。神が「無になれ。」とおっしゃるのは、どこかの隅になにもしないで静かにしている、という意味ではありません。完全に無になれ、ということです。

 たとえばある兄弟が、大切な人と会わなければならないのに、ぼろぼろのみすぼらしい作業服しかないとします。さてどうすればよいでしょうか。あなたは、切羽詰った状態にいます。しかし神のために、その人に伝道し獲得しなければなりません。

 センターに素適なジャケットがありました。それで許可も受けず、それを着て外に出ました。神のために自分を立派に見せなければならない、とばかり思っているので、潜在的にも自分自身のことは、浮かんできません。自分の使命だけを、そしていかにしてその人物を獲得できるかだけを考えているのです。

 このような行動は、神の目から見るならば罪ではありません。その兄弟の心の持ち方は、素晴らしいのです。あとでジャケットの持ち主が、誰かが自分のジャケットを着て出て行かれたことを知りました。しかし彼が神の人であれば「素晴しい、君が必要な時は、いつでもジャケットを着て下さい。これは神のジャケットです。神は、善のためにそれを使うようにといっています。」というでしょう。もし彼がそういったならば、彼は素晴らしい兄弟です。

 ですから大切なことは、あなたがどう考えるかであり、心の状態です。実際に役に立つのは、牧師とかいう称号ではありません。誰でもメシヤに従って生きなければなりません。もし「メシヤよ、少しお待ち下さい。私は、病院に世話をしなければならない赤ん坊がいます。」というならば、それは役に立ちません。

 先生の一番嫌いなことの一つは、それは古いメンバーたちがきて、「この子は、私の息子です。あなたの祝福に加えて結婚させて下さい。」ということです。これは、神の方法ではありません。彼らは、自分の息子、娘のことだけを考えています。神のみ旨のために汗を流し血を流している他の人たちのことを考えなさい。祝福に価するのは、彼らです。「彼らを祝福してください。」と願うなら神は、喜こんで歓迎するでしょう。

 メシヤは、栄光の主として輝く天の雲に乗っておいでになるのではありません。そのような華々しいお姿でいらっしゃるのではありません。彼は、人としてきます。人々が彼をメシヤと気がつかなくとも、誠意を持って受け入れられなくとも、今日のキリスト教の土台がありばよいのです。

 メシヤは、人としてきます。ですからアメリカ人としてくるか、ドイツとしてくるかわかりません。また哲学博士としてか、労働者としてくるか、盲目か跛としてくるかわかりません。人々は、まったく見当がつかないのです。

 神は全能です。しかし魔術の神ではありません。神は原理の神であり、論理の神です。再臨主がこられた時、キリスト教徒はメシヤを最初に迎える人々であるべきです。メシヤを迎え入れた後、彼らはどこに行くのでしょうか。栄光とともに天に昇るのではありません。

 メシヤの仕事

 彼らは、地上で仕事を始めなければなりません。彼らは、家を掃除するのです。罪で汚された地上を、アジャックス(アメリカの洗済)のように働かなければなりません。アダムの罪を洗い流し、イエス様の使命を引き継ぎ、地上に天国を実現しなければなりません。これがキリスト教徒の使命です。ですからメシヤが再臨した時、すべての人は、結婚前のアダムとエバの位置に帰らなければなりません。皆、最初から人生をやりなおさなければなりません。実際、メシヤがこられて親が定まるまでは、私たちは親のいない孤児のようなものです。

 ですから結婚した人も、結婚前のアダムとエバの位置に帰らなければなりません。聖書には乳飲み子を持つ女は不幸である、とあります。

 では誰が最初に結婚すべきでしょうか。それは、親が先に結婚すべきです。親としてのメシヤが先に結婚し、そのあと子供としての人々が聖なる結婚をできるのです。

 真の人間革命

 「生命を失なおうとする者は、それを見い出すであろう。」というのは聖書で教えていることです。神のために死のうと決意した者は、残ります。自分の生命を救おうとする者は、破滅するでしょう。もしメシヤが栄光のうちにこられるのでしたら、このような原則は成り立ちません。しかし実際に、このマタイ伝のイエス様の教えは、もっとも賢明な教えです。なぜでしょうか、考えてみて下さい。

 私たちは、サタンの血統から出てきました。新しい生命として新生するためには、古い自分を殺さなければなりません。そのためには、真の人間革命が必要です。あなた方も同じです。その過程を通らなければなりません。ですからあなた方が、自分自身のことを思うならば、まだ古い自分が生きていることになります。

 あなた方は、まったく自分を無にし、自分を除去しなければなりません。キリスト教の単純な真理が、統一教会の真理です。

 メシヤのために生命を失なおうとする者はそれを見い出すであろう。彼は、生命を見い出すためにそれを失いつつあるのです。だからといって、台所に行って首を切れ、というのではありません。生命さえも献げる覚悟をしている、ということです。

 自分を殺せとか自分を除去せよというのは、首を切ってしまえ、というのではありません。あなたの中の罪を殺せということです。あなたの中の貪欲を殺せ、ということです。

 あなた方は、どのようにして自分を除去しますか。何をとり除きますか。あなた方は、野心を持っていますね。皆、野心と貪欲を持っています。

 「私は、あれを自分のものにしたい。」これは、サタンの鎖につながれています。ですからそれを引きちぎらなければなりません。エデンの園での間違った貪欲が、堕落を引き起しました。そうした領域から、自分を完全に隔離しなければなりません。

 善に見えるもの、目で見て美しいものは、すべて神様のものであるということを生活の中で徹底しなければなりません。それは、私の物でなく神のものです。

 最初の貪欲は、物質に対する貪欲であり、二番目は、愛に対する貪欲です。堕落とは、天使長とアダムとエバの間に起った不義の愛です。統一原理によれば、本当はすべてのものが神に属し、神がすべてのものの所有者です。すべてのものを神に帰し、神からまた、それを分けて与えてもらう生活をしましょう。

 すべては、神からきます。愛は、神の陣地であり、その所有権は、神にあります。エデンの園で彼らは、神を除け者にして愛を自分たちのものにしなかったのです。これが堕落です。

 第二に私たちは、神の人生を生きなければなりません。私の生命は、神のもとに生まれ、神から生まれなければなりません。あなた方も、また全人類も、もともと神のもとから生まれましたか。人間の魂は、神から生まれましたか、何から生まれましたか。そうです。私たちは、正直なところサタンから生まれました、というのが真実なのです。私たちは、サタンの血統から生まれました。

 神の息子、娘として神の世界に復帰する三つの大きい法則は、エデンの園で行われた罪と不正を元返すことです。私たちの所有しているものを、すべて神の所有に返さなければなりません。あなたが自分のものとしたい愛を犠牲にしなさい。それは、あなたのものではありません。神のものです。愛するものをすべて神に返しなさい。その愛そのものを神に返しなさい。三番目に私の生命は、サタンから生まれましたから、それを取り除かなければなりません。

 新しい生命の出発

 私たちは、これをすべて根絶して、新しい生命を始めなければなりません。神に返さなければなりません。「神よ、どうぞ私の生命を始めて下さい。」神はどうなさるでしょうか。神は「わかった。だけど私は必要ありません。あなたは、いやな臭いがします。」といわれるでしょうか。神は、そういえないのです。神は、子供を抱きしめざるをえません。なぜなら原則的に、万物も人間も神によって創造され、しかも人間は、神の子女として創造されたからです。

 神は、人間の堕落が完成期に起ったのではなく、未熟期の未完成期に起ったことを知っています。ですから神は、復帰が可能であり、ほこりを落すことができると思っています。それゆえにまた、人類は、復帰され完成することを期待できるのです。希望を持つことができるのです。

 本当にあなたの所有物を、あなたの生命を、あなた自身を捨ることができるでしょうか。神のために自分を失なおうとする者は、神のものによって取り替えられるでしょう。

 神は、あなたに神の物を与え、あなたと愛を共有し、あなたに新しい生命を与えるでしょう。これは、あなたにとって非常にプラスになることです。これに反対する人は、ちょうど古い汗臭いジャケットと新しい絹のタキシードとをとり代えるのを、いやがっている人と同じです。

 私たちが、新しい生命ととり代えるというのは、このたとえと同じです。賢い人は、真理を知った時、どうするでしょうか。「いやです。私に触れないで下さい。私は、この汗臭いジャケットが必要なんです。」というでしょうか。そういう人はいないと思います。

 賢い人とは、すべてを神に献げて神のもとに立ち帰る人のことです。実際、神のもとに裸で帰るのがいいのです。それは素晴らしいことです。神は、あなたを祝福して、必要なものをすべて与えて下さいます。私たちは、神に対して不平をいってはいけません。そうすれば神は、私たちを祝福して必要なものを、豊かに与えて下さるでしょう。

 絶望の世界

 この世の中では、どんなにお金持ちであっても、その富を保持できない、というのが通例です。遺産税があります。どんなに一生懸命働いても、あちこちの銀行に貯蓄しても、その人が死ねば、そのお金は彼の子供や彼の家族にいかず、政府のものになります。

 この世では、愛がばらばらになっています。愛情については、大きな社会問題となっています。今日では人間の愛情問題は、動物の本能のようになっています。気高い、心情の深い昔のような美しい愛情は、めったに見られません。彼らは、出会い、契約によって別れます。また出会い別れ、と永遠性のない愛情関係をつづけています。

 誰がこれをしているのでしょうか。神がこれをしているのでしょうか。ちがいます。神によって新しい人間関係をつくるために、そのような過程が必要なのです。

 この世の中では、自分の生命に対する希望を失っています。多くの人が自殺し、なぜ生きなければならないんだろうと考え、生きているもっともな理由を探しています。あなた方の中に、人生について悩み、死のことを思った人もいると思います。

 あなた方は、かろうじてそれから逃れました。統一原理によって神のみ旨を知り、人生の目的を知りました。それでもまだ、死にたい人がいますか。もういませんね。

 今日人類は、すべてにおいてゆるんでしまっています。神を知らない世界には、良い現象がひとつもありません。なぜでしょう。そこには神の愛と永遠性と真実性がないからです。ただ何もわからず走っているだけです。

 しかしそれは、ある意味では私たちもやらなければなりません。私たちは、無になって神に向って走らなければなりません。何年も以前に先生は、アメリカでは今に人々が裸になって町を走り出す。そしてそれは、世の終りの印だ、と予言したことがあります。私たちは、真理にもとづいて神に向って走らなければなりません。

 この世の中では、今日、徹底的な露出がなされ、極端なことが起っています。私たちも天の側として、すべてを神に帰し、もっとも実際的なことをなしているのです。

 やがて多くの人々が、真の価値を求めて統一教会の門をたたきにくる時がきます。その時には私たちは、ただ準備して待っていればいいのです。すべてのものを神に帰し、生命しか持っていなかったら、その生命を神にお献げしましょう。これが統一教会の運動です。

 私たちは、それらをただ神に返すだけではありません。もっと劇的なものにします。私たちは、自分が今立っている所に帰ってくるのではありません。私たちは、人類のみじめなどん底に帰っていくのです。神も一緒にそこにできます。ですから劇的になるのです。そこで勝利すれば勝利されない所は、どこにもなくなります。

 たとえサタンの世界に下りていっても、サタンは責める余地がありません。なぜなら私たちは、自分の我を捨て、人間の一番みじめなどん底に下りていくからです。

 私たちは、毎日刺激的な歩みをしております。ある時はお金持の所へ、ある時は乞食の所へいきます。朝早くから夜遅くまで、神のみ旨のために走って働いています。しかし私たちは、一セントであっても自分のポケットに入れてはいけません。これは神の財産だからです。私たちには、微塵も我欲を持たないからです。私たちは、サタンの告発から解放されていることが、どんなに自由であるか、どんな重要なことか知っております。

 あなた方が、このようなコンテストをしている間にも、あなた方は、この世の中から見放されつつあります。あなた方の両親は、「お前は気狂になったのですか。私は、お前を食べさせ着せてあげることができるのに。」というでしょう。恋人は、「ジョンはいい人だと思ったし、賢い人と思っていたのに、彼はバカだった。」というでしょう。私たちは、すべての人々を失ないつつあります。世は、あなた方を完全に見放しつつあります。

 しかし私たちは、もう一歩行かなければなりません。「神よ、この世について思い煩らわないで下さい。私の両親についても、私の恋人についても。私の人生は、あなたのものです。いつでも準備はできています。ただ『私は、お前が必要だ。』という外電を打って下さい。」というならば、その人はジャンボ・ジェット機のように、サタンが告発する領域を越えてしまいます。サタンの力は、効力を発揮しません。

 サタンとの訣別

 あなた方は、何故こういうことをしているのですか。それはあなた方は、このサタンの影響力がいやになり、飽き飽きしているからです。

 私たちは、この世の中から自分を隔離して、まったく別の歩みをしています。私たちの生活は、世の中でいえば乞食とかわりありません。水準の高い大学の文学修士号か哲学博士号を持っていても、それを誇ることはできません。「私は、哲学博士です。だからこうして下さい。」といっても通じません。

 ハーバード大学のことをひとつも口にしないハーバード卒業生というのは、素晴らしいではありませんか。これは神の目から見て、とても美しいことです。神はそれを見て、目に涙をためておられます。私たち若者は、このような人生を通らなければなりません。

 今朝あなた方は、完全に答がわかりました。毎日々々、朝から夜まで変りなく働き続けているのか、はっきりわかりました。そは、サタンの手かせ足かせから自由になろうと一生懸命働くのです。

 皆さんは、サタンの束縛から逃れるため、何でもすると決意しました。これも貪欲であり、野心です。しかしこの野心は、私たちのものではありません。神の野心です。私たちは、神をもっともっと愛るために、その野心を持つのです。

 私たちは、神をもっともっと劇的に愛したいし、私の生命を献げたい。本当のところ、愛と生命に対する欲望は、悪いものではありません。しかしそれがサタンのものになると、悪いものになります。しかしもし、あなたが神の側にいて、それが神の生命、神の愛であればあなたは、神からそれをもっと奪おうと貪欲になって、野心的になってもかまいません。

 非難に耐える

 外部の人々は、真実の世界については何も知りませんし、摂理も明らかにされていません。彼らは、私たちも異端であり、悪魔であるなどといっています。しかしそのように非難されても、いつも明記に価することが起っています。私たちの運動は、常に前進し盛んになっている、ということです。彼らは、自分たちが正統だ、といっていますが、その一方彼らは混乱し、いつも、神がだんだん小さくなるといっています。

 人々は、沢私たちを批難し、悪魔とかいって呪います。しかし私たちは、彼らに憐みを持たねばなりません。なぜなら彼らは、私たちを非難することによって、自分たちの祝福を失い、その報いを受けなければなりません。非難をすればする程、その報いを受ける、というのは原理原則なのです。

 実際、私たちを呪うことによって、彼らはその報いを受けているのです。私たちは、少数でしかも迫害されています。しかし私たちは、神学校や修道士、修道女の宿舎を手に入れました。彼らは、次から次へと神の館を手放しています。

 歴史上における真の宗教は、いつも当時の宗教によって迫害されるのが通例です。そしてやがて栄えるようになります。これは例外のない法則です。私たちが、他の宗教によって迫害されているという事実は、私たちが真の宗教として前進していることの証拠ではないでしょうか。

 うれしい神の日を祈ろう

 三年前、先生がアメリカで初めて十字軍を始めた時、マスコミは全部冷笑的に記事を書きました。彼らは、今もそうしています。しかしそれから三年半、どうなったでしょうか。神学校とかニューヨーカービルとか、その他様々な建物が私たちのものになりました。一九六五年に、初めてアメリカにきた時、宿泊するセンターもありませんでした。しかし今は、私たちはニューヨーカー・ホテルにいます。今は、人員を部屋の数にまにあわせるのに一生懸命です。

 今後、私たちは全国に神のための立派な館をつくらなければなりません。それは、どの建物よりも立派でなければならないのです。なぜなら二百年前、アメリカの建国者たちは、まず立派な神の館をつくったからです。そのためには、どんな努力もしましょう。

 おもしろいことに、ニューヨークには二つの世界貿易センタービルとエンパイヤステートビルがあります。これは、アダム、エバ、天使長の象徴ではないでしょうか。本来これは、神のために動かなくてはなりません。国の指導者たちも、神の真理によって立たなくてはなりません。

 この部屋には、「一九七七年、うれしい神の日おめでとう」という小さな看板がありますが、私たちは、まだ「うれしい神の日」を祝っているとはいえません。この世は、まだサタンの手中にあります。人々は、今だに苦しみもがいています。

 もちろん私たちは、神の日を宣言しました。これは確かです。しかし私たちの目標は、「うれしい神の日」を祝うことです。それは、骨の折れる難しい仕事です。苦労の多い仕事です。この戦いに勝利する人間は、レバレンド・ムーンのように、根気強く確信に満ちて、どんな小さなことにでも熱心にまれる人でなければ、目標に到達することができないのです。観光を楽しむ通行人のような人は、目的地に行けません。

 皆さんはどうですか。目標を達する確信がありますか。もし神が、裸になってニューヨークの街を行進しなさい、といったらどうですか。先生は、宣伝になるから行進した方がよい、と思います。見物しているから始めて下さい。

 実際に私たちは、多くの衣服は必要ありません。人に不快を感じさせなければよいのです。

 どこにでも真理を伝えよう

 もしメシヤが再臨されたら、彼は、すぐには彼の仕事をするのではありません。まず彼は、アダムの位置に下りていって、アダムの失敗の償いをします。償ったら、それを神の所へ行って、それでいいかどうかを神に聞きます。それでアダムの罪は、償われます。

 それから彼は、イエス様の位置に行ってイエス様の位置をやり直します。そして神に許可を受けます。すべてが償われた時、初めて彼自身の使命を始めます。

 私たちは、ユダヤ教のレベル、すなわち旧約時代のみ旨の基台をつくらなければなりません。ユダヤ教の使命を果ちなければなりません。それからキリスト教の使命も果さなければなりません。私たちは、そのために三十年間かかりました。

 そして世界的基台を打ち立てるため、アメリカにきて一九七六年に、ヤンキー大会とワシントン大会の勝利を収めました。この霊的世界的勝利を土台として、地上天国を実現しなければならないのです。一九七七年元旦、新しい出発です。私たちは打ち立てられた基台を拡張していけばいいのです。

 人間は神の真理、神のみ意によって感動するようになっています。種の要る所には、どこへでも行って、それを蒔かなければなりません。それが感謝されなくても、必要だと思われようとそうであるまいと、それをなさなければなりません。

 今日私たちは、キリスト教の霊的基台の上に、肉的要素を加えています。養子の時代を通過しているのです。

 今後の自由世界の命運は、私たち統一勇士の双肩にかかっています。レバレンド・ムーンは、奇妙なことをいう、と思われるでしょう。私たちは、自分の素手以外なにも持っていません。それなのに世界の命運について語っています。まったくナンセンスです。しかし必ずそうなるのです。なぜならば私たちは、神をつかんでいるからです。さらにすべての霊界が、団結して私たちを援助しているからです。

 先生は、虚勢をはっているのでもなく、真実でないことを語ったりしているのではありません。これは公的な集会です。一つ一つの言葉が、天にも地にも正確に記録されていますから、真理を話さなければなりません。この宣言は、ここにいる皆さんだけに語っているのではなく、全世界の食口に伝えられ、知らなければならないのです。

 さあ、私たちは、きょうから次から次へと人々に会いましょう。私たちは、団結して反対勢力や神を否定する考え方に勝利しましょう。そしてそこ勝利を、この一年間保ち続けるというのが、きょうの神の日における私たちの決意です。

 二年間で神の働ける基台を

 私たちは、神の弾丸になりましょう。霊的弾丸、心情的弾丸となっていきましょう。弾丸の性質は、元に戻ることもないし、春の道を散歩するようなこともありません。ひたすら目標に向って自らを爆発させ、標的を打ち砕くのです。聖書には、一粒の麦のたとえがあります。それと同じです。私の手が、体がばらばらになった時、多くの基台がたてられるのです。

 今朝のメッセージの題目は「地上天国実現の理想家庭」でした。私たちは、理想の家庭、理想の世界、理想の天国を建設する群です。神の変らない願いは、必ず果され、神の悲しみの御心情は、解放されなければなりません。

 実にイエス様は、この目的のためにこられたのです。そしてこの使命を果たせずに、苦い十字架を味あわれたのです。今や、統一教会以外に希望はありません。あなた方は、神の唯一の希望です。私たちは、貧弱な若者たちです。しかし私たちは、神が生きた神であることを知っています。神は生きた方ですから、私たちに力と知恵を与えてくれます。私たちを無敵にしてくれます。

 きょうから一九七八年の十二月三十一日までに、七百三十日あります。秒読みが開始されました。これからの二年間、神が働ける基台をつくらなければ、自由世界の時代はなくなり、アメリカは衰え、人類に希望はなくなります。

 ですから七百三十日間、ここにいる私たちは皆、一つになって弾丸となり、神のチャンピオンにならなければなりません。私たちは、本当に神から与えられた特別の使命を果しましょう。

 きょうから私たちは、自らを神に献身して神のチャンピオンになり、二年間の開拓者となることを、もっとも厳粛に誓いましょう。

 私たちは、闇の中にいるのではありません。真理を知り、目的を知り、作戦を知っています。あと為すべきことは、神と人類のために、一オンスのエネルギーも残さずに、自らのエネルギーを献げきることです。

 一九七六年、一九七七年、一九七八年、私たちは、天宙的蕩減を払い、天宙的摂理をなしていきましょう。人類の何千年の積もりに積った負債を払っています。私たちは、これをこの三年の中に払ってしまわなければなりません。これが成されれば、神が私たちとともに住み、天国は生きた現実となるでしょう。

 きょう、どんな困難が起ろうと、艱難がふりかかろうと、どんな障害があろうと、私たちは、それで身動きができなくなるのではなく、それを打ち破り、最後の勝利を獲ち取るまで前進することを、全能なる神に両手を上げて、一緒に誓い、お祈りしましょう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.20 19:39:04
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「地上天国と理想家庭」

1977年1月1日
ニューヨーカー・ビルで


 蕩減路程から建設の時代へ

 新しい年を迎えるにあたり、全世界の食口のみなさまに声明を送ります。

 一九七六年と一九七七年とは、摂理的な意味ではっきりとした違いがあります。

 一九七七年は、飛躍的な摂理の発展をなす年です。ここに集っている皆さんと全世界の統一教会の食口たちが、完全に一つになって後退することなく前進していくならば、民主世界の今後のすべての難問題が、自動的に解決されていく道が開かれるのです。さらに、いかに共産主義の脅威が大きいとしても、それさえも自動的に防ぐ道が生じえるのです。そう考えるのが、われわれの摂理観なのです。

 一九七七年までの歴史は、蕩減復帰の歴史であったために、もし失敗するようなことがあれば元の地点にもどて、再びやり直さなければなりませんでした。このようにして縦的貫通作業をしてきたのでした。しかし一九七七年からは、神側の勝利圏が横的世代に展開されたために、われわれが立てた功績をサタンが奪っていくことのできない時代圏に入ったのです。

 今までは、個人的蕩減路程、家庭的蕩減路程、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程へといつも上っていっては落ち、上っていっては落ちてしまって、いかに苦労して国家基盤をつくりあげても、落ちてしまいました。落ちるとなるとすべての基盤が落ちてしまったのです。

 しかし今は、世界的基準を中心とした蕩減条件を立て、もはやけっして崩れることのない勝利の基盤を築いたために、横的な連結をなすことができるのです。ですから個人的蕩減の実績を越えて家庭、氏族、民族へと拡大された神への忠誠を尽した実績は、今や天の圏内に残すことのできる時となったのです。そのことを、はっきりと知っておいてください。

 さて、われわれはこのような時点に置かれていますので、ことしの年頭標語を「地上天国と理想家庭」とします。

 各自が基盤成就を

 今までの神様の願いは何であったかといいますと、堕落した世界からサタンの讒訴条件の一つもない一つの家庭をたずね求めることでした。それが復帰摂理歴史の中心的内容であったということをわれわれは良く知っています。

 堕落することによって、どのような基準が生じたかというと、神の直接主管を受けるとのできる理想的家庭を見失う結果となってしまったのです。

 ですから、サタンの讒訴条件がなく、神の直接の愛の圏内に入り、神と一つになることのできる完全に完成されたそのような家庭、言いかえるならば、理想的アダム、エバの完成基準を成就しなくてはならないのです。

 これからは、この統一教会を中心に、神の直接的家庭圏内に入ることによって、サタンのいかなる反対があったとしても反対されればされる程、逆に天に利益をもたらし、天に復帰させることのできる反作用的作用を起こす時となったのです。

 したがって、これからは反対すればする程、反対する側、すなわちサタン世界は崩れていき、反対される側においてわれわれは拡大していくことでしょう。

 そこで問題となるのは、統一教会の当面の課題が何であるかということです。天国実現をなすためには、皆さんが理想的家庭基盤を各自が、あるいは各自の所属する部署において成就させることが必要です。そしてそのことのみが、分裂に分裂を重ねているサタン世界を吸収していくことのできる唯一の道なのです。

 すると、皆さんはどのような生活をすべきでしょうか。

 神の介在による因縁関係

 堕落していない本然の世界は、神とアダムとエバが完全に一つになっているのです。真の父母を中心として、その父母と内的生活、環境的すべての生活が一致された生活圏をなしていなければ、神が主管できる真の家庭となることができないのです。

 ですから、本来の神の創造理想をみるならば、いつまでも離別することなく、永遠に父母とともに生活する子女の立場を、自らがつくりあげる、一人びとりとならなければなりません。

 皆さんと先生との間が、このような親子関係になるには、真なる子女の因縁をもつための努力が必要です。真の父母と真の子女としての成立がなければなりません。

 真の父母と真の子女になるために頑張らなくてはならないのですが、皆さんと先生だけでは、いくら頑張ってみても駄目なのです。そこには神が介在しなければなりません。神が介在してこそ、成されるということを知らなくてはなりません。

 先生の家庭に神様がともにおられると同時に、皆さんにも神様がともにいなくてはなりません。神様と一つに結ばれる働きがけをしてこそ、新しい神の家庭にふさわしい心情的体恤ができるのです。

 それには、今、皆さんが感じていなくてはならないことは何でしょう。

 自覚からの出発

 それは、真の父母に対して、「なるほど、神が中心として定められた唯一なる父母である。」という考えが、自分の思いとして自動的に息吹いていなくてはならないということです。

 春になれば陽射しを追って、生命がその方向に向って、新芽を出すように、自分の心にそのように芽生えるものを感じとれる皆さんとなってください。

 そのような皆さんになるために、一番重要な問題は何でしょうか。それは、自分自らが自覚することです。「私は、間違いなく天の息子、娘である。」という自覚をしなければなりません。「私は間違いなく天の息子、娘である。サタン世界とは区別された、神様の息子、娘である。」と自覚しえる自己を発見するということが、第一問題です。

 堕落とは何でしょうか。神様を前にしながら、神様の息子、娘という自覚ができなかったことです。ですから反対に、皆さんは「私は真の父母様と、神様の名により、真の父母様の息子、娘として生れた。」というそのような自覚をすればその場から、新しい天の心情的紐帯に結び接がれるでありましょう。

 二番目の目題は何であるかというと、「私は間違いなく、永遠に神の国建設に従事し、天の忠臣たり得る国民である。」との自覚をしなければなりません。

 三番目に、この世界の地球上にあるすべての万物は神の息子、娘としてのわれわれに賦与された、特権的賜物であるということを考えなくてはなりません。

 堕落は、神の息子、娘としての自覚ができず、神の国の国民としての自覚ができず、神様の造られたすべての万物が、神からわれわれへの賜物として与えられているものと自覚ができなかったためにおきたのですから、このような自覚をすることによって、新しい次元での子女としての資格を持つことができるのです。

 そうして、その圏内で、皆さんが心情的に体恤した新しい理想的個人完成から理想的完成が出発するのであって、それが成されない限り出発できる基盤が成立しないということを明確に知っておいてください。それだけでなくこのような統一教会のわれわれは、外的なサタン世界に残されている中間的立場の世界があることを知らなければなりません。そしてその世界から、われわれが影響を受けるのではなく、われわれがその世界にあらゆる影響を与えうるような立体的思想を持たなければなりません。

 そういうわけで、サタン世界にいかなる良いものがあったとしても、それは神の世界の一番悪いものよりも、悪いということになるのです。サタン世界で、いかに良いとされていたものでも、次第にそれは破滅していくでありましょうし、神の世界で、いかに悪いとされていたものでも、それは次第に上昇して、神の国の勝利的基台となるでありましょう。

 ですから皆さんは、サタン世界から影響を受けるのではなく、あらゆる面において影響を及ぼさなくてはなりません。

 サタン世界を吸収する秘法

 それには、サタン世界をわれわれの側に、っくりそのまま吸収することのできる、一つの秘法を知るべきです。

 サタン世界は本然の世界とは完全に反対の状態になっているのです。われわれが、一つの全世界的に理想家庭を編成しようとするのに対し、サタン世界は全世界的に家庭を破滅させ、分散させる働きをしているのです。

 サタン世界とは、どのような世界であるかというと、かりに、一家庭に八人の家族がいたとしても、おじいさん、おばあさんが別に住み、お父さん、お母さんが別に住み、息子、娘が別に住み、また、その子供たちまでも全員が別々に住もうとするのです。

 神の世界はどうかというと、家族が八人いるならばその八人家族が全員一つになって住むのです。

 そこで、おじいさんとおばあさんは、お父さんとお母さんに向って「このように生活するのですよ。」という模範を示し、理想的夫婦の姿を教育してあげるべきであり、また、お父さんとお母さんは、息子、娘に向って「私たちを手本にして生きていくように」と、教育をしなければならないのです。

 そして、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子女が完全に一体化したならば、蘇生、長成、完成と天地創造の原則となり得るのです。

 するといちばん最初のアダム家庭とは、一体何でしょうか。

 同じように考えるならば、神様がおじいさんです。アダムがお父さん、エバがお母さん、そしてアダムとエバの息子、娘が子女の立場です。そうして子女は父母と同じく結婚し、おじいさんおばあさんのように完成していくのです。結局同じことでしょう。

 縦的関係と横的関係

 ところで、アダムとエバの時においてのみ縦的関係になっているのです。繊的関係からなるおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんですが、次の息子、娘からは横的関係に広がっていくのです。縦、横の差異だけであって、形態は同じであるということです。

 もし、アダムとエバが堕落しないで、完成してから家庭を持ったならば、アダム・エバの家庭が、天国の中心家庭でありました。

 神様は霊であり無形の方でいらっしゃるので、形を見ることはできません。ですから、形を通して無形を表わそうとされ、形をもった人間をつくられたのです。それは、神の形象としての形でなければならなかったのです。その形はアダム・エバであり、神様はアダム・エバを通して御自分をあらわされようとしたのです。

 そうしたら、アダムとエバと神様は一体であるので、アダムとエバの心と同じ心をもたれた方が神様であり、アダムとエバの心の座には、神様が主人として一つになっているのです。結局は神様が、内的な主人であり、内的アダムの立場となるべきお方であるということを知らなくてはなりません。

 そのようにして神様とアダムが一つになり、エバと神様が一つになり、夫婦が一つになるならば、結局、内外の夫婦が一つになって愛する子女を生むことになるのです。ですからその子女は、直接神の血統として連結されるのです。そしてそれを結ぶのが愛なのです。

 神様がなぜ天地万物を創造し、異性をつくられたのでしょうか。神御自身が愛を感じようとされたのであり、神御自身が愛そうとされたからです。そういう結論が生れてくるのです。

 ですからわれわれにとって、神様が直接のお父様であります。そして、地上においては、アダム、エバを父母としともに生活し、霊界にいってからは、神様を父母としてともに生活するようになっていたのです。

 すなわち、地上天国とは、真の父母と永遠に暮せる資格者が住む所であり、天上天国とは、父なる神とともに永遠に生活ができる資格者が住む所なのです。

 真の父母の発見

 それでは、ここにいる皆さんで天国に行きたくない人はいないでしょう。天国でくらしたくない人いますか。皆さんがみな天国に行って住みたいのでしたら、みんなで一緒に行きましょう。

 それでは、地上に天国が実現するためにはどのようにして成されていくのでしょうか。それは、真なるアダムとエバの完成父母が現われずしては、不可能であるという理論が生じるのです。そのような意味から、今日の統一教会で「真の父母」という名詞を持ったということは、世界史的に驚くべき発見であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 本来、天国は神の名と真の父母様の名によって、この地上に実現することができるというのが原則です。したがって「真の父母」という原理的内容をもっている統一教会を中心として地上天国の実現というとが、理論的になりたつのです。

 ですから地上天国は、実体としての真の父母様とともに生活することであり、天上天国は永遠なる神様を父母としてともに生活することである、と明確に知っておくべきである。

 もしアダムとエバが堕落せずに家庭をつくり、子供を生んだとしたら、肉身の生活を終えるのはどちらが先ですか。父母たるアダム・エバが先ですか。子供が先ですか。父母が先です。

 さあ、それでは、アダムとエバが天上天国に行ってどうなるかと言えば、神の御座に立ち神の位置に立つのです。彼らは主体的霊的主人公として現われることになるのです。ですから、霊界に行けば「天のお父さま」だけいらっしゃるのでなく「天のお母さま」もいらっしゃることになるのです。お父さんとお母さんがそろわずして一人で子女を生むことができるでしょうか。

 さて、父母になっているアダムとエバの背後には、神様が分離されて現われておりながら、一つになっているのです。ということはお父さんを通してでも、お母さんを通してでも、神様に通じる道があるということなのです。そのように考えていくと天上天国の主人公が誰であるかといえば、実体をもって生活していた時の自分のお父さん、お母さんが永遠なる天国の王になるということになるはずだったのです。

 統一教会と既成教会や他の一般宗教と違うことが何であるかわかりますか。それは統一教会に入ってから皆さんが霊的経験をする時に、必ず先生とお母様が一緒に現われて指導を受けることです。

 先ほどもいいましたように無形なる神様は、有形なる形を通して実体を現わされます。それでは誰の肉身を通して御自身を現わされるでしょうか。

 今まで皆さんが、伝道に行って失望した時、信仰問題で悩んだ時など、必ず先生とお母様が現われてその行く道を指示する、という霊的指導を受けていると思います。先生がアメリカにいても、韓国にいても世界中の統一教会の食口の前に現われているはずです。

 それは誰がしているのでしょうか。神様御自身がされているのです。神様御自身が君臨されて、その働きをされているという驚くべき事実を、皆さんは知っているという報告を聞きます。きょうも、ある海外宣教師が病気になって動けなくて、伝道にもいけないでいる時に、突然、先生がまぼろしで現われて「私についてきなさい。私の言うとおりにしなさい」と言われて、そのとおりにしたら、体力が回復したというのです。

 このようにして神様が先生の体を通して、前線で働いている皆さんに現われて、現実的サタン世界の舞台に君臨され活動できるようになるまで、どれほどの苦労があったでしょうか。そのことを皆さんは、知らなくてはなりません。数千年の歴史をかけて、宗教人たちと世界的な偉人たちの犠牲の代価が支払われているのです。さらに先生自身も、今日を迎えるまで神様への忠誠と、苦労しながら勝利の基盤を築きあげてきたのです。

 国境を乗り越える霊的役事

 このような活動の役事は、民族を超越し、国境を超越し、あらゆるものを超越して、いたる所で継続されております。共産世界ではどうでしょうか。同じです。神の御前で国境があると思いますか。

 今日の統一教会が少数の群でしかない上に、反対されたりすると、孤独な思いになったりするかも知れませんが、皆さんの知らない間に、霊界が洪水のように押し寄せてきているのです。ナイアガラの滝のように、霊界が地上に降り注いでいます。水は少しでも低いところ、割れ目のあるところに押し寄せてきます。そして割れ目からの小さな流れがみつかり次第、音を立てながら洪水はそこを通って行くのです。

 同じようにわれわれが、道案内できるようなわき道を小さく開けておけば、霊界が、その洪水と同じような働きをして、その場に満ち溢れていくのです。

 考えてごらんなさい。神様は今日まで地上復帰を心配されてきたのです。神を信じるが故に霊界の聖人義人があらゆる犠牲になってきたのも、すべて地上天国完成を願ってのことです。ですから時が満ちた今、御業をなされるにあたり神様は、すべての霊人たちをひき連れてくるにちがいありません。

 しかし善霊を地上に降臨させようと思っても世界の人々が互いに愛し合える道を織りなすことのできる条件が立っていけば、連れてくることができないのです。ですから今日の統一教会に、世界の人たちが愛し合える条件が立っているとしたならば歓声をあげながら喜んでくるでありましょう。

 皆さん今までは霊界が働く時は、悪霊が、病気をもたらし恐怖や不安をもたらしたりしました。しかし善霊の働きは理由もなく、心地良いものです。

 サタンいうものは、寒い部屋の中で身を堅くしていくようなものですが、これに対して、天の側は何もかもが解けていくようなものであって、堅くなるということはないのです。

 善霊と悪霊の違い

 そのような善霊と悪霊の働きの違いを、皆さんは統一教会と教会外とで感じることができるのです。

 統一教会に来すと、何となく心地良くて、自由にふるまうことができるのです。しかし自分の家に戻った時は、霊的に暗いものを感じたことがあるでしょう。自分の家であっても、そうなのです。愛する夫、妻までがみんな厭になるのです。そのように感じたことのある人、手をあげてごらんなさい。それを感じない人はひとりもいませんね。

 アメリカの人々だけでなく世界の人々が、レバレンド・ムーンのやっている不可思議なやりかたというのは、一体なんだろうかといって、いくら研究してみても分らないというのです。

 それはちょうどこういうことになるのです。原理の御言を聞いてしまうと、それはちょうど生命のあるダムのような大きな貯水池のようなものであって、皆さんが原理を学ぶと、ゴム管が口の中に入って、水が後から後から降り注がれるようなものです。そしてその味をしめるようなものです。そしてその味をしめると夢中になってしまうのです。いくら飲んでも尽きることのない生命の水が流れてくるから、身体はそこから離れようとしても、口を離すことができないのと同じです。

 たとえば蜂と同じです。蜂が蜜房の中に入って、一生懸命おいしい蜜を舐めている時に、ピンセットのようなもので引っ張ってみなさい。この腰がずっと伸び切ってしまうまで、離れようとしないのです。そういう魅力が、ここ統一教会にあるのです。

 それから皆さんは、夢とか祈祷の中で、誰しもが、先生に会うようになるのです。先生とお母様、どちらにも会って指示を受けるようになるのです。難しい問題で祈祷すれば、一生の間、生きてる限り、ともに生活しながら指導してくれるようなことが起るのです。

 そのようなお父さんとお母さんであるならば、年を取ったお父さん、お母さんでも一緒に住みたいですか。それとも「ウァー。お父さんとお母さんは嫌いだ。」というのですか。

 そのような愛を中心にもった自分自身になるならばそのような父母の子女であるという自覚を持つ時には、この宇宙を天国にすることができる子女となるのです。

 これまでの世界の宗教の歴史においても、皆さんが今、味わっているような経験は、これまで何もなかったものであるし、今後もないでしょう。

 誰にでも同じ愛の力

 皆さん、蜂蜜は白人たちにだけ甘いのでしょうか。黒人たちにとっては、甘くないのでしょうか。どうなのですか。

 それは不具者にとっても、無知な者にとっても甘く、すべての人にとってもみんな甘いのです。

 それでは、神様はどうでしょうか。蜂蜜を好まれるでしょうか。(イエース)蜂蜜よりももっと美味しいものがあるとすれば、一体それはどういうものでしょうか。そんなものがあるでしょうか。(ラブ!)そのラブとは何ですか。愛を見ましたか。皆さんは見たのですか。

 愛は、あったかといえば、無いようで無いのではない、というものですね。愛というのは、あるにはあるが、自分のものではないのです。また愛とは、誰のようかといえば、神様のようだといえるのです。

 神様は無いようでないんですよ。また、無いようでいるんですね。いるように見えて反対にいなくなったり。それで愛の主人は、人間ではなくて神様であるということになるのです。

 そういうわけで、神様を愛して、神様のようになろうとする人は、自動的に愛の引力を持つことができるのです。はたして、そうでしょうか。(イエス)

 そこでお母様には失礼ですが、ここにいる女性で先生のような男性と結婚したい人は、手をあげなさい、と言えば全女性が手をあげるに違いないのです。(イエス)

 先生が、そういう女性にむかって、「出て行け!」と言っても、それでも皆、ついてくるでしょう。(イエス 笑い)

 だから統一教会は批難されるのです。そういうことのためにどういう事が起きるかというと、恋愛結婚した女性であっても、両親に一緒にさせてくれなければ死ぬといってやっと二人が一緒になったとしても、統一教会に一週間もいれば、みんな捨てて文先生の後についてくるようになるのです。驚くことに、それは何も若い夫婦の間に起っただけでなく、七十、八十のおばあさんにも起ったことです。(大笑)

 同じですよ。蜂蜜はおばあさんにも甘いし、娘さんにも甘いのです。そこが同じだというのです。

 同じように男性たちは、先生を親友にしようとするのです。全部が全部、先生を親友にしたいと思うのです。われわれは、そのような力で、知らないうちに育まれているのです。

 神様に奉仕するだけの先生

 一般の人々は、言論界でも、レバレント・ムーンは話が上手なのだとか、レバレント・ムーンはハンサムだからとか、また、レバレント・ムーンは手腕があり、レバレント・ムーンは誘惑する魔術的な何かを持っているとか、催眠術にかけるとか、ありとあらゆることを言っております。しかしそれは統一教会には愛の暖かさ、不思議な気高い力がわれわれを結びつけているということを分らないから、そう言うのですね。すべての人間と万物にとって、生命の源泉に行こうとするのは本性です。目に見えない神の愛と心情を表わすためチャンネルを合わして、先生が神の生命の力を伝えているので、すべての生きとし生けるものが、ひきつけられてくるのです。それは自然の力です。

 われわれはそのような力によって結びつけられて一体となっているのです。他の世界には、そのように、人を結びつける力がありません。

 さて、皆さん。このニューヨーカーホテルはわれわれの先生の家であると感じますか。考え方によって違ってくるのです。(マイホーム)。それは正しいのです。誰がそのように思わせたのですか。レバレント・ムーンがそのように思えと言ったから、思っているのですか。そうではなくて、皆さんの本心がそのように思うようにさせているのです。そしてその根には神様の力があるのです。レバレント・ムーンは単に神の力にチャンネルを合わして奉仕しているのにすぎません。

 皆さんは、何の意味もなくレバレント・ムーンに対して慕っているのでしょうか。何のわけもなく、ただそう慕えるものではありません。それは神様がおられて、神様が良いからです。だから先生を良いと思うようになっているのです。良いものは良いものとして感じるようにつくられているから、自動的にそう思うのです。

 春になればが咲くのと同じように、皆さんはパッと開いて香気を含むのです。まるで笑っているような感じにです。そういう力が、地球を通してはるか霊界にまで活動範囲を延ばしているのです。

 時間と空間は、レバレント・ムーンが主管しているのではありません。神が主管しておられるのです。神は時間空間の制限を受けるでしょうか。(ノー)

 皆さん、ですからこのような運動、このようなこのが地球を超越して繰り広げられるのは、人間によってでなく神様のみがなされるのです。サタンにでもできないことです。

 神の国は理想家庭から

 それでは具体的には、どのように成されるものでしょうか。神の国は、家庭を中心として成されていくのです。神を中心とした家庭生活を体験することによって、天国は自動的にできあがっていくということを、皆さん知らなくてはなりません。

 今年の年頭標語には「理想家庭」とありますが、天国を実現するためには、なんとかしてまず、理想家庭を実現させなければなりません。

 皆さんは、一つの部屋におります。いろいろな人種がここに集っています。もし、ある人が、自分は白人だからといって黒人をいやがれば、神様に対して反対していることになるのです。神様は黒人側にも足場をつくり、この時間にも摂理しておられるのに、私は黒人が嫌だなどと言えば神の反対する反逆者になってしまうのです。

 アフリカに伝道に行った宣教師たちに反対する人々多く、国家からも迫害されるのですが、そういう真っただ中においてでも、神様は啓示を通して、宣教師とアフリカの黒人と一つにならせるために一々直接働きかけているのです。このように霊界から神様が現れて、一つになるようにしているのに反対運動ができるというのでしょうか。

 そのような神様の導きのおかげで黒人の食口たちが訪問して行くと、こぞって神様が来たかのように歓迎してくれているというのに、このニューヨークの真中で反対できるのでしょうか。何のお話か分りますか。(イエース)

 それは神様の怨讐です。そのような人はこの世界を復帰しようとされる神様の活動に対しての反逆者です。

 そしてこのような心情的紐帯をどのようにして世界化させ、そして、どれだけ短い期日内になし得るかということが天国を地上に早く完成できるか、否かという問題と直結してくるのです。

 神様はわれわれの父母であります。神様が、父母がそうするとを好まれているのに、それに反対できるか、というのです。

 神の愛を世界的に展開するには

 そこで結局は、統一教会の中で心情的に感じる、先生と皆さんとの間の愛を、どのように展開させるかという問題が、この地上天国を実現させる鍵であるということを知らなくてはなりません。

 そういう心をアフリカを越えて、アジアに、または、他のどの地にでも向けることができるならば、霊界に行ったアフリカ人、アジア人、全世界の人々の霊界の活動範囲に接して、自分が管理することのできる範囲が比例的に広がって行くのです。

 理想家庭とはどういうものでしょうか。神様を中心にした永遠なる父母の愛があり、永遠なる夫婦の愛があり、永遠なる子女の愛がある家庭です。この三つの愛をもったのが理想家庭です。

 ここで夫婦で愛し合っている人々がいたら、これから天国をつくるのにも、それと同じ愛し方をするのです。女性はみんなが自分の妻のような、そのような心をもって愛することができなければなりません。そして妻に対しては、女性を代表していると思ってあげなければなりません。

 また、女性の皆さんもそうです。自分の夫は、全男性を代表していると考えなければなりません。

 霊界にいって見ると、父母の愛をもって愛することのできる心をもった人がおり、その次には、夫と妻が愛し合える心、その次には、兄弟同志で愛し合えるという心をもった人がいるのです。これらの心をもった人は、いつでも、東の方に行こうと思えば行けますし、行ったり来たりしようと思えば、いつでもできますし次には、周囲をも、思うままに廻ることができますし、上に行こうと思えば行けるように、上下、左右、四方八方の全般的な運動を可能にし、立体的に接触するという問題が可能であります。

 父母と子女の間は縦的な愛であり、その次、夫婦同志は、横的な愛であり、子女の愛は、周囲の愛です。兄弟の愛も周囲愛です。

 これらの愛を完全に体恤したならば、霊界に行っても、自由にどこにでも行けて、そこの人々と交流することができるのです。

 地上生活での愛の体験が霊界での基準

 それで、地上世界で体恤した愛の基準が、霊界へ行っての原則的な基盤になるのです。永遠なる理想世界がそのようになっているからです。

 世間でも、両親のいない人とか、夫か妻をなくした人はかわいそうだ、といわれています。あるいは兄弟がいない人はかわいそうだ、といわれています。

 それはなぜかといえば、それらの人との交流がなく、開かれないからです。ですから霊界に行ってもそういう人は、誰とでも交流ができず、調子を合わせることができないから、不幸だということができるのです。

 すべての人がそうです。おじいさん、おばあさんをはじめ、家庭全部がそろっている人は、ひねくれていないのです。どことなく素直で自由な行動を自然にふるまえるのです。

 そうでないと、どことなくひねくれてしまうのです。なぜかわかりませんが、欠陥があるのです。

 こうして考えてみる時、理想家庭から地上天国が繰りひろげられるとするならば、皆さんは理想家庭をつくりあげるべきでしょうか。つくるべきでないのでしょうか。(つくるべきです。)

 ですから皆さんは、おじいさん、おばあさんの愛をたくさん受けて、おじいさん、おばあさんを愛することのできる心をもたなければなりません。

 そのような心をもつならば、今までにそういうものを感じなかった人でも霊界に行ったときに年老いた人々に会っても、自然に情が移っていくようになるのです。自分のおじいさんとおばあさんのように感じられるのです。家に帰った時、おじいさんとおばあさんの手伝いをしてあげたように、助けてあげなければなりません。

 お父さんとお母さんの年代の人々に対しては、お父さんとお母さんの愛を受けて、お父さんが好きになり、お母さんを好きになるならば、お父さんとお母さんの年代の人々には、お父さんとお母さんのような、そういう接し方ができるのです。

 また、その次には、自分の同僚間において、年齢の似かよった男女間においてでも、互いに助け合い、互に尽し合ったのと同じく、社会に出てから男女が出会った場合でも、恋とか愛とかいうのではなくして、同僚間において愛し合ったそのような心を感じなければならないのです。

 今日の堕落した世界における、男女関係のいざこざにあるような、そんな考えをしてはならないのです。

 天国はどういうものかというと、そのようにおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、次には兄弟が愛し合うその愛を、横的に世界化して展開させ、展開したそのような組織世界が地上天国であるということになるのです。

 そのようなわけで今年の年頭標語を「地上天国と理想家庭」というタイトルにしたのは、皆さんが地上天国を現実的に建設すべき時が到来し、理想家庭の愛を横的に実現することのできるこの時を乗り越えていかなくてはならないということで定めました。それで神様をおじいさんとおばあさんの立場にし、その次には、真の父母様がいるのです。皆さんは、アダムとエバの直系の子女の立場に立っているのですから、堕落してから人々が大勢ふえたにしても、エデンの園で神様とアダムの家庭に生まれたそのような本然の形態を備えたという条件を立てることにより、皆さんは天国へ入ることができるという、結論がでてくるのです。

 世界に対する愛の手本を

 われわれは、全世界をまとめてそのように神様を中心としたアダム家庭の世界にしていこうというのです。

 そうしたら、サタンは讒訴しようとしても讒訴することができないのです。

 原理的にみる時、神様と一つになったアダムとエバが、完全に一つになり、その息子、娘として生まれた子女をサタンが讒訴できるでしょうか。できません。

 全世界の人々を前にして、CBSとか、宇宙中継をなして、世界むけの放送を継続的に七年間続けたら、完全に戻ってくるに違いありません。

 すべての人々は、真実を知ったならば、統一教会に加入するなと言っても、必ず加入するということになります。知らないからそうしないだけです。

 皆さん、今やここに永遠なる世界があります。皆さんが先生を愛するように、神を愛し現想的な家庭の建設に努力しましょう。また、可哀そうな人に出逢った時には、神様が、救ってくれることを願っている人と考えて、神を愛するのと同じく接してあげるのです。

 さあ、この世界をわれわれの手で素晴らしい地にかえましょう。いたるところに神の国の線を引いていくのです。そうすることによって、それに比例して御国が生じるのです。

 多くの人を愛した人は、神様から多く愛されます。そういう人ほど水は自由で流れがよく、やがて静かで大きな川となっていくのです。木でいうならば、大きな枝に値します。統一教会の女性の皆さん、お姑さんやお舅さんと一緒に住みますか。それとも別々に住みますか。(一緒に)
 今の社会は、みんな別れて住んでいます。それがよくないことなのです。そこからすべてが悪くなるのです。だから家庭に愛がないのです。

 家庭に愛がないから、おばあさんの愛、お母さんの愛、おじいさんとおとうさんの愛、孫の愛がないから、仕方なく人々は家を出て、風呂敷包みをもってさまようということになるのです。

 それでは皆さん、これからはお姑さんと住みますか。(イエース)

 誰に尽くすようにしてあげるのですか。神にしてあげるように尽くすのです。

 さあ、これを両親が知ったら何と言うでしょうか。おじいさん、おばあさんはどんなに喜ぶでしょうか。養老院に行ったりして、死ぬのを待ちながら、月を見ながら過し、太陽を見ながら過ごしている人々にとってはどれ程心情にくこたえるでしょうか。

 アメリカの社会では、自分の息子、娘の家に黙って行くと、娘が愚知をこぼすということです。「私は小さい時から、訪ねる前に電話をしてから行くように躾けられました」というふうに。

 神がアダム家庭を訪れる時に、電話で約束してから行かれるのでしょうか。そういう家庭はこわさなくてはなりません。それはサタンが入っているのです。

 また息子、娘が、お父さんとお母さんの寝台に入って、一緒に休むことがなぜいけないのでしょうか。

 子供と両親が別々に、とこういう寝方をするから狂ってしまうのです。皆さんはそうしてはいけませんよ。両親の寝室で子供たちを育てるのです。子供がふえていったならば、一人は逆さに寝かし、一人は抱いてねればいいのです。子供の方も一人で寝るよりはその方がいいといいます。たとえどうされてもですよ。

 それが自分勝手になってしまっているのです。神様はみんなをどこに送ると思いますか。息子を別々に、そして姑を別に、舅が別に、孫も別に、そのように送られたでしょうか。そうではありません。みんな、一ヵ所に一緒にいるように送られたのです。

 愛の訓練をすること

 アダムの家庭で何か良いことが起きた場合、神様にとって嬉しい事があって、エバだけがそのことを知ったら、エバ一人が喜んでいったのではなく、アダムを呼びに行き、自分の息子、娘を呼びに行って、一緒に喜んだでしょう。エバ一人だけが喜んだからと言って、神様が喜ばれるでしょうか。

 全部が一つです。良くても一つであり、食べても一つ、笑っても一つ、みんなが一つになって一緒です。

 おじいさんも一人だけでは笑って喜ばないでしょう。

 ですから人間に対して境界線を引いて生きている人は、自己の周囲にサタンの鉄網を張って生きている人になるのです。そういう事になるのです。サタンの鎖です。それは取り払わなければならないのです。

 こういう観点から一九七七年からは、そのための運動をしなければなりません。

 ですから女性の皆さんの中で、おばあさんのいない人は、おばあさんを一人連れて来て、一緒に暮らしましょうと言って、迎えなくてはならないのです。

 その次にはお母さんと一緒に、お母さんがいなければ、お母さんのような年頃の人を探してきて、一緒に生活して愛の訓練をしなければならないというのです。

 そしてお姉さんを好きになれない人がいるらば、お姉さんのような人を探して、好きになれる努力をしなければなりません。妹とか弟を嫌いな人がいるならば、妹とか弟のような人を探して、好きになれる努力をするのです。

 女性で夫を嫌う人がいるならば、夫を好きになれる訓練をしなければなりません。男性が女性を嫌ったならば、それを訓練しなければなりません。

 そのように、家庭における理想的家庭形態のすべての心情的体験をしなければ、天上世界で自由に誰とでも交流できる人になれないので、不可避的に、このような訓練をしなければならないのを知ってください。

 どうですか。年をとったおじいさん、おばあさんが嫌いな人、手をあげて見て下さい。いないのですか。それでは、好きな人、手をあげて見て下さい。あげてない人が多いですね。皆さんに約五百歳にもなったおばあさん、おじいさんを預けたらどうしますか。それでもいいですか。(イエース)

 年を取った人程、もっともっと好きにならなければならないのです。この世界で一番年を取っている御方は誰かというと神様です。

 そうですよ。神様を愛する人は、その神様よりも年下の人を、より以上に愛さなければなりません。

 そういうわけで、神様の主義は大家族主義です。

 人種を超えた愛

 その神様の家庭は、日本人もアメリカ人も一緒になれるのです。「アメリカ人は一緒でいいけれども、日本人は嫌だ!」なんていったら、そのような白人の家に日本人が行くようになります。そして嫌う人が、追い出されるのです。そうしてこそ、理想的ではないでしょうか。

 理想的とは何でしょう。理想的とは、赤なら赤ばかりが一ヵ所に集っているのが理想的と言えるのでしょうか。赤も白も色とりどりに入り混じっているのが、理想的であると言えます。どうですか。(イエース)

 絵を画く時に、白い色だけが必要でしょうか。白人たちが、白い色だけを好みますか。(ノー)みんな必要なのです。黒もともに必要なのです。

 黒もそうです。黒い馬と黄色い馬が別々になっておたがいに「ねね!黒い馬は黒い馬同志で、黄色い馬は黄色い馬同志になろう」とこう言うでしょうか。(ノー)(笑い)

 犬もそうでしょう。黒い犬、黄色い犬、白い犬と、黒い犬は黒い犬の方に行きなさいと言うでしょうか。(笑い)

 ところがどうでしょう。人間は何故そうではないのですか。一体何が間違ったと言うのでしょう。ですから造りかえなければならないのです。レバレンド・ムーンが現れて、これはこのように造くりかえるから、と言えば、神様は、良くやってくれと言われて喜ばれるでしょうか。それは駄目だと言われるでしょうか。(喜ばれます)

 ですから皆さん、今年は、どれほど神のような心情を持って、父母の伝統を受け継ぎ、人類を愛する家庭的心情の因縁を拡大すべきかに、力を注がなければなりません。

 それで結婚していない皆さんは、理想家庭をつくる計画を立て、訓練すべきでありますし、結婚している人々は、自分の家庭の形態を拡大させ、全世界に適応することができる働きをしてこそ、ここに地上天国は実現されるということを、はっきりと知っておくべきです。

 地上天国と理想家庭は、切り離すことができません。こういうことになるのです。

 今年はこの年頭標語のように、理想家庭を中心とした天国を実現しなければなりません。これが皆さんのモットーでありますからこれを日常生活の基準にして頑張って下さい。

 皆さんに、神様の祝福がありますように願うものです。(拍手)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.09.20 17:35:39
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2021.09.19
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「子女の日のみことば」

1976年11月22日
ベルベディアにて


 堕落圏より養子圏へ

 きょうは一九六一年から数えて十六回目の子女の日でありますが、統一教会では、この日を重要な行事の一つとして定めております。

 本来は人類の祖先のアダムとエバが、み旨の中において堕落せずに完成していしたとするならば、子女の日とか神の日とか万物の日とかこういった日は、一日で終わるのであります。

 被造世界の全宇宙は、神を中心とした真に幸福な日として、愛の設定の日が始まったのであります。神が喜び祝うその日をすべての天使世界と被造万物は、昆虫や微生物に至るまで讃美し祝うようになったはずであります。その日は喜びの出発であり、幸福の出発であり、愛を中心とした出発であります。しかしアダム・エバの堕落によってこれが反対になってしまったのであります。全部が転覆してしまったのであります。神が喜びうる日はなくなってしまったのであります。子女達が喜びうる日もなくなったのであります。さらに動物は人間のために創られたものでありますから、主人がそのようになったので万物までが嘆息せざるをえない圏内に入らなければならなかったのであります。それが堕落圏内であります。

 栄光と喜びの王を中心とした王族の出発がなされなければならなったのが、反対に悲しみの王であるサタンを中心として、サタンの王族が出発したのであります。

 神の本来の創造理想が、善の王国を中心としたこのような創造理想であったために、絶対なる神は理想を実現する立場にあるので、堕落した人間を再創造するため再び救援する摂理を始められたのであります。そしてこれを復帰するためには、僕の僕から僕、養子の時代を経て、子女の時代、父母の時代まで復帰してこなければならないのであります。

 いくら人間が本来神の子女であるからとしても、すぐには神の子女に戻れないのであります。すでに血統的にサタンの血統を受け継いで生れたのであるから、この血統を交差せずしては、到底神の子女として帰る道がないのであります。

 本来皆さんが堕落せずに生れたならば、神の直系の子女なのであります。それにもかかわらず実際はサタンの直系の子女として生れたので、血統が違っているのであります。それが神の前に子女として帰っていくには、そのまま帰っていくことはできなません。養子という立場にしか戻ることはできません。そして養子は血統が違うのであります。

 養子になるには

 では養子になるにはどうすればよいでしょうか。養子というのは何でありましょうか。まず養子は僕より勝れなければなりません。神側の僕よりも勝れた立場にならなければなりません。サタン側からみればサタンが悪なる世界の主でありますが、サタンよりも勝れなければないのであります。

 なぜかといえばサタンは本来天使長であります。天使長は僕であるので僕より勝れなければ養子になれないというのが、原理なのであります。

 そしてこのサタン世界は私の手でもって征服するという心を持たねばなりません。そうせずしては養子になることができません。歴史始まって以来もし神を慰める道があるとすれば誰よりも慰めることのできる、誰よりも慰める代表者が出てきてこそ、初めて養子の出発ができるのであります。

 そのうな歴史を標準として、悠久な縦的歴史時代を経て一つの民族を動員して、このような養子圏を作るために、神が苦労されなければならない、という結論が出てくるのであります。

 そのような観点からみる時、養子が出てくる目的は何でしょうか。それは神を父母として侍る相続圏を受け継ぐためのものであります。では本来神の息子がいるにもかかわらず、なぜ養子を立てるのでしょうか。息子がいないから養子が必要であって、息子がいれば養子は必要ないのは当然のことであります。したがって養子を立てる目的はどこにあるかといえば、真なる息子を立てることにあるのであります。

 それでは息子に対してどのような養子でなければならないのであろうか。私が神の相続圏を受けたとしても、その相続圏は私のものでははく、神の本来の息子の前に引き継ぐことのできる相続権である、という思想をもった養子を作らなければならないのであります。

 だから養子というのは、これから来るべき子女のために、自分の生命のすべてを犠牲にしても神の本心から願われる子女が生れることを願い、自分は真の子女のために準備されている、とう心を常にもたなければなりません。養子としての名を立てずしては、子女と関係をもつことができません。堕落することによって天使長より一段階高い中間的段階として出生したのが養子であることを、皆さんは念頭におかなければなりません。

 養子の使命

 このような意味で神は旧約時代にこうした原則的な標準に合わせるために、特定な民族としてイスラエル民族を選んだのであります。僕の僕、いいかえれば天使長が失敗した基準を中心として、神側の天使長の使命を成した群とそのような宗教がなかったので、そのような民族と宗教の代表として立ったのが、キリスト教民族の中にメシヤを送るために、四千年間メシヤ思想を中心として教育してきたのであります。

 そして神側の天使長の使命をもったキリスト教民族を完全に一つにして、天使圏のすべてを相続し、養子的立場から息子として返すことのできる一人の特別の人物を準備しなければならなかったのであります。

 その養子はどういう人かといえば、結婚した人であってはならないのであります。なぜならば神の直系の子女が結婚できなかったので、結婚することができないのであります。

 このような原則があるので今日までカトリックでは、修道士とか修道女とか神父が、みな独身生活をしてきたのであります。そして独身生活する意味は、そのような養子圏基盤が残っている故であるということを、今日彼ら自身も知らずにいるのであります。

 養子になったために結婚してはならない、という意味が分ったでしょう。なぜか、神の真なる子女が結婚していないからでありました。

 ではユダヤ教においてそのうな代表者は誰なのか。それが洗礼ヨハネなのであります。三十年間イナゴと野蜜を食べながら貞節を守ってきた洗礼ヨハネの立場は、これからこられる神の息子であるメシヤのために、全キリスト教の国とキリスト教の民族を収拾して、神と真なる息子の前に捧げるべき代表的使命を担っている、という存在であるということを、その時のキリスト教の国とユダヤ教は、夢にも思わなかったのであります。

 この洗礼ヨハネは、キリスト教民族とユダヤ教を代表して、全体を糾合してメシヤの前に導いていくべき責任がありました。

 そのためにユダヤ教の祭司長が、みな洗礼ヨハネの神の如く侍らなければ救援することができないのであります。救援の道はそれしかないのであります。そして洗礼ヨハネがすべてをとり戻して、イエスが神の愛する息子であり、神から約束された息子であることを証しするその時には、全部がイエスの主義に一つのなるのであります。

 キリスト教民族は民族全体がユダヤ教で一つになっている国で、国自体が教会のようなものであります。その指導者である祭司達が、洗礼ヨハネが独身者で家庭基盤がないからといって、彼に対して「私が伝統を築いたのだから私の話を聞け。」といったら滅びてしまうのであります。同じように洗礼ヨハネと一つになっていたユダヤ教とキリスト教民族であっても、イエスが独身者だからといって「あなたは基盤がないではないか、我々の基盤をあげるから私のいうことを聞け。」というような原則はなりたたないのであります。

 今日キリスト教において再臨主がこられるとしたら、「私がカトリックの教皇である、再臨主がひとりでこられたらその独身の人は信ずることができない。われわれの枢機卿が全部調査してから信ずる」などというやり方は通らないのであります。このように教皇がサインしてからメシヤがくるのでしょうか。神がサインしたからメシヤがくるのであります。

 養子と実子の違い

 洗礼ヨハネが養子であることが明確に分りましたね、では神の息子になろうとすればどうすればよいのでしょうか。神の息子と養子とはどのように違うのでしょうか。それが問題なのであります。目が四つあるのでしょうか、鼻が二つなのでしょうか、耳がひっくり返っているのでしょうか。何か異なる所があるのでしょうか。目も二つでありますしみな同じであります。何をもって真の息子がくることができるのでしょうか。それが問題であります。

 養子はサタン世界の血統を受け継いできたが、真の息子は神の血統を受け継いでこなければならない、という点が違うのであります。そう考えれば、原理にあてはまるのであります。

 腹の中に赤ちゃんをもつ時、サタンは「これは私の血統を受け継いだ息子であるから私がひっぱっていく。」というのであります。妊娠した時からサタンが私の息子であると主張できない、そのような血筋を清めた立場において生まれずしては、神の息子とはなりえないのであります。

 あなたたちはどうでしょうか。血筋が違うのであります。

 宗教の使命

 聖書にはオリーブの木の比喩が沢山ありますが、あなたたちは偽りのオリーブの木であり、これからこられる新しい息子は真のオリーブの木であることを知っております。

 堕落したのちに生まれたすべては偽りのオリーブの木でり、これは本来サタンが作ったものであります。

 それで神はどうするかといえば、サタンの偽りのオリーブの木の畑をもっては自由にすることができないから、神が自由にできるオリーブの畑を作るのであります。これが宗教であります。サタンの偽りのオリーブの木の畑は、神様は自由にすることができません。神が自由に木を切りたかったら切り、抜きたかったら抜く、そのような畑が必要なのであります。このような事情のある歴史だから神が神が自由にできる偽りのオリーブの畑を拡大させて、世界的な宗教圏へと動かしていく時がきたのであります。

 イエス様が来られる時と、再臨の主が来られる時こそ、そのような時であります。そしてここに真のオリーブの木が出てくる日には、偽りのオリーブの木を全部切り捨ててそして真のオリーブの木に接ぎ木するのであります。すなわちこれを復帰しようとするのであります。

 それで堕落した歴史時代であるがそれを通して、本来の神の子女としての世界を成していこうとするのが、救援摂理なのであります。

 このように接ぎ木しておけばどうなるでしょうか。偽りのオリーブの木になるでしょうか、真のオリーブの木になるでしょうか。接ぎ木することによって真のオリーブの木、すなわち神の子になることができるのであります。

 宗教をなぜ立てるのか、ということを明確に知らなければなりません。宗教がなぜ出てきたかを知らずに歩んではなりません。

 現在世界は、宗教圏文化世界とその他の世界、そのように二つに分けることができます。終わりの日が近づいてきたときのであります。子女の日を迎えて知るべきことは、神の真の子女がこの地上にこられたかどうか、イエス様が真の神の息子か、偽りのものか、ということであります。キリスト教の牧師達も、なぜイエスがメシヤであるかそれを証しすることはできないのであります。

 たしかにイエス様は外的に見ると、釈迦より孔子よりも劣るのであります。しかしメシヤとして何が異なるかといえば、天の血統が違うのであります。それを明らかに知らなければなりません。

 それが分ればまちがいなくイエス様は孔子より偉いし、釈迦やマホメットは天の血統を受け継いでこなかったのでありますから、釈迦よりマホメットより偉いのであります。

 エバの復帰

 そういうことについて少し話しをしてみましょう。堕落した子女がどのように生まれてきたのでしょうか。

 人類始祖アダムとエバからであります。

 皆さんご承知のように、蕩減復帰するためには、その時失ったその形通りを再現せずしては、復帰できないことが鉄則なのであります。

 ここにおいてエが堕落する時、サタンを中心として一つになったのでありますが、それではエバはどのような立場に立っているのでありましょうか。夫を否定した立場に立ったのであります。女性たちは注意しなければなりません。だから戻っていくにはアダムが先に戻っていくわけにはいかないのであります。堕落する時のエバの立場を蕩減復帰するには、サタン世界における父や夫の立場に反対する女でなければ、戻ってくることはできないのであります。

 このような公式を中心としてみる時、本来宗教は新婦の宗教なのであります。だから女性が宗教生活をすると男性は常に反対するのであります。

 神を求めていく女性においては、常にサタンが反対し男性が反対するようになっているのであります。なぜかといえば蕩減復帰するためであります。

 リベカの立場

 それでは神のみ旨において神はいつ、みんなバラバラに別れてしまったのを復帰するのであろうか。それはアダム・エバから二千年すぎたイサクの時代がきて、エサウとヤコブの母リベカを中心として成されたのであります。

 ヤコブの母が夫やエサウに対して許すことのできないことをしたのであります。リベカの立場は何の立場だったのでしょうか。エバの身がわりをしたのであります。堕落した世界のエバの立場を代理したのであります。そうせずしては蕩減復帰されないからであります。

 神側に戻すために、サタン側を代表した父の立場に立たされたのがイサクであり、息子の立場に立たされたのがエサウであります。

 それはなぜかといえば、父子の関係は縦的だからであります。神を中心としてみる時神とアダムの関係も縦的であります。

 そのような関係においてエバが父なる神を裏切り、息子を裏切ったように、サタン世界においても、父を裏切り息子を裏切りることによって復帰していくということは、原則にあてはまるのであります。

 原理からいえば長男はサタン側であり、次男は神側でありますが、本来はカインとアベルにおいてこれを復帰しようとしたのであります。弟が兄の立場に上がり、兄が弟の立場に下りてこなければならないのであまます。なぜかといえば神のみ旨の中において、本来の長男が神の息子であり、サタンの息子ではないのであります。だからそれを転換しなければならないのであます。

 ヤコブの祝福

 長子がカインに奪われてサタン世界を成したので、新しい世界をもたらすメシヤは神側よ血統を受け継いだ二番目の息子の立場でこられる、という結論がでてくるのであります。

 そのように聖書の中において、二番目の息子を祝福する理由がここにあるのであります。エジプトにおいても長子を打ったのであり、次子は神がとることができたのであります。ですからイサクがエサウとヤコブを祝福する時も、手を交差して祝福したのであります。

 リベカはエバの失敗を蕩減復帰しなければならなかったので、夫と息子の立場にあるエサウをだまさなければならない、という結論になるのであます。

 堕落する時は反対だったのであります。神をだまし息子もだましたが、今度は神のため父なるサタンをだまして、反対にならなければならないのであります。

 このようにしてエサウとヤコブの二人の息子を中心として転換するのであります。弟が祝福を奪って兄が弟になるのであります。

 聖書をみると、リベカの腹中において戦ったとあるが、リベカが子を生む時神の前にお祈りすると、神は「あなたの腹中には二つの国があるであろう。兄は弟に侍るであろう。」と言われたのであます。それと同じようにここにおいて交差されるのであります。一つの腹中において戦っている六であります。

 腹中で兄弟同志戦うのであります。カインとアベルは生まれてかやら兄弟同志戦ったのでありますが、エサウとヤコブは腹中で、生まれる前にすでに戦っていたのであります。

 リベカとヤコブを見れば、二人で企てた詐欺師たちであります。しかしそのようなことをせずしては、神側に帰る道がなかったのであります。

 それによってヤコブが、初めてこの地上の神の土台を作ることのできる出発者になるのであります。

 リベカと別れてヤコブは、ハランの地にきて二十一年間働くのであります。一方イサクとリベカが生活しているのでありますが、リベカは何をすべきかといえばイサクとエサウのヤコブに対する反感や嫉妬の感情を、リベカがすべてとりもって復帰しなければならないのであます。

 このため神のみ旨からみる時、エサウの長子の祝福をヤコブに返さなければならない、ということが、理論的に成立するのであります。

 リベカは夫をだまし、息子のエサウをだましてヤコブを神側に立てたのであまますが、これが将来において神側の男性を育てることになるのであります。ここにおいてはじめてカインとアベルの歴史が完全に始まるのであます。アダム時代のカイン、アベル型の長子と次子の区別がなくなりはじめるのであります。なぜかといえば堕落したのを蕩減したからであります。

 蕩減してからイスラエルという選民圏が始まるのであます。祝福を奪ってこられたのであります。

 聖書の中の話しは、このような背景を中心としてヤコブを祝福する、というこの原理を知らずしては解くことができないのであります。

 レアとラケル

 サタン世界であるハランの地においてヤコブは、二十一年回十回もだまされ利用されながら新しい家庭を築いたのであります。

 皆さんもよく知っているように、ヤコブは七年間一生懸命に働いたのちに、レアと結婚させられたのであります。なぜかといえばおじもサタン側でありますから、サタン側においてもヤコブが自分の好きな妻を娶るようになれば、サタン世界の血統が完全にふさがれてしまうので、そこでいかにして神側の血統にサタン側の血統を入れさせるか、ということをサタンは思うのであります。

 それで結局ラバンは、レアをラケルの代わりにヤコブと結ばせるのであります。

 レアと結婚してしまえば、サタンの願いどおりになってしまい大変なことになるのであります。

 それでさらに七年間もっと苦労して働き、レアを代えてラケルを本来の中益位置に立てるのであります。

 イスラエルの十二支派が、後日二支派と十二支派の南ユダと北イスラエルに分れる遠因が、この二人の母親にあるのであります。

 その後ヤコブが歩まなければならい道は、本郷の母をたずね、父子兄弟間におこったあらゆる問題を解決しなければならないのであります。もしそれを成さなければ、戦いは再び始まり子孫の代まで続いていくのであります。
 このようにして個人的な対決の時代から、家庭的な対決の時代が始まるのであります。

 神側はヤコブを中心として家庭が霊肉一つになり、一方サタン側ではエサウを中心として家庭が一つになっているのであります。

 天使に勝利したヤコブ

 それでは神の息子ヤコブを誰が先に試してみたかといえば、サタンが先にやったのであります。

 それで堕落した天使を代表した天使を送って、天使よりも勝れなければならないのであります。天使を代理として遣してヤコブを打つのであります。それがヤボク川における角力であります。私は二十一年間の受難の道を受けたのだから、私の行く道をふさぐこの天使にも勝つのだ。」ということをヤコブは知っていたのです。

 ラバンのところにおいて十度だまされながら神は私を祝福したのだから、それに対して君がいくら反対したとしても私に屈服させられるであろう。」というような信念を植えつけるために、十度も神は修練したのであります。言いかえれば神が保護したのでありました。「天使よ、神が私と共にいるのだから、君は私に負けるのである。」

 こうしてヤコブは歴史始まって以来、人間として天使と戦って勝利した最初の祖先になったのであります。

 腰のつがいがはずれながらも勝ったのであります。死んでも離さないと知ったので天使が祝福したのであります。

 これによってヤコブは霊界を支配することのできる人になり、霊的天使世界の天使が堕落してサタンになったのであるから、サタン世界を屈服させうる根拠をここに立てたのであります。

 このように勝利して、勝利したという意味のイスラエルという名をもらったのであります。

 それでヤコブが行く道において、霊界は常に協助するのであります。

 ヤコブの家庭的勝利

 それからそそにおいて天使に勝ったので、次はエサウに出会うのであります。霊的天使に勝利したので、神に安心して肉的エサウに出会わせるのです。サタンは全面的に手を出せないのであります。サタンはエサウにであります。サタンはエサウに対して干渉できないというのであります。

 そしてヤコブは何をするかといえば、今まで自分がハランにおいて研究したように、二十一年働いて得たすべての財産を、兄さんのものであります、といってエサウにすべて与えるのであります。

 エサウは、二十一年間自分の長子の特権を奪ったことに対する恨みで、ヤコブを打ち殺そうとしていたが、外的にすべてをくれるのでそこに感動したのであります。

 それからみるとエサウは現実主義者なのであります。神であろうが何であろうが、将来の神のみ業などどうでもいいのであります。

 現実主義者でありますから今お腹が一杯になればいいのであります。こうしてエサウは帰ってくる弟を歓迎したのであります。ここで世界が転換したのであります。

 このように二人が一つになると、母と父は長子をだましたといって怨讐になっていたが、息子と息子が互いに喜んでいるので父も母も喜ぶようになるのであります。そうしてみんなが喜ぶようになるのであります。

 このようにヤコブを中心として家庭が一つになるのであります。

 そのようなことはユダ教の人も知らず、キリスト教の牧師たちも知りません。しかし君たちは知っているのであります。
 では知っている人が勝利するでしょうか、知らない人が勝利するでしょうか。

 このことからも神は知っている統一教会と共におられることが分るのであります。

 こうして家庭的イスラエル圏が始まるのであります。ヤコブは、成長して約四十才になって兄から長子の嗣業を復帰したのであります。

 タマルの腹中転換

 ここにおいて本来は赤ちゃんの時から出発しなければなりませんでしたが、四十才になるまでそれがなされなかったので、四十才から母の腹中までの距離が残っているのであります。

 そのためにこの間にサタンがいつでも入り込めるのであります。どういうことかといえば、イスラエルの国の歴史の背後においても、未来に行く道においても、常にサタンが侵入することができるということであります。

 ですからイスラエルの家庭は、その侵入を防がなければならない責任があるのであります。

 そこでヤコブの息子ユダを中心として、再び腹中において両側に分けて交差する戦いをしなければならないのであります。

 聖書を見るとユダ支派を通してメシヤが来る、と書いてあるが、なぜユダの支派を通さなければならはいかということは、今日まで分らなかったのであります。

 それを説明しましょう。

 それはユダ支派を通してこのブランクの過程を清算した、という事実があるためであります。ユダの家庭において、リベカの家庭のエサウとヤコブの戦いを再びしなければならないのであります。

 ユダの嫁の中にタマルという人がいるが、マタイの福音書にこのタマルが出てくるのであります。

 本当におもしろいことにはタマルはしゅうとのユダと夫をだまさねばなりません。

 タマルは自分の夫が死んだので、本来イスラエルの伝統からいえばその弟をもらわなければならないが、その弟が嫌だといったので打たれて死んでしまったのであります。そして三番目の息子が生きていたがまだ子供なので血統を引き継ぐことができない。しかしタマルは自分の血統において神の血統が結晶されるのを願っていたのでありました。自分がどうにかしてヤコブの血統を保とうとするが、若すぎる三番目の息子ではそれは不可能であります。そこでしゅうとを欺して関係を結んで、その血統を残そうと努力する女なのであります。

 タマルは娼婦に仮装して、しゅうとが畑仕事をしている道端に行って誘惑して、関係を結び妊娠するのであります。

 とても不思議なことが多いのが聖書なのです。世の人達はこれをどうして信じることができるでしょうか。レバレント・ムーンが出てきたからこれらのことがみな解決できるのであます。

 結局タマルは誰を欺したかといえば、息子としゅうとをだました、というこの公式が、エバとまったく同じなのであります。

 結局リベカはヤコブを生んでからヤコブを大きく育てて神側に戻したのであますが、タマルはどうしたかといいますと、息子を腹中において神側に復帰したのであります。

 それを知らなければなりません。カインとアベルのような立場を、腹中において転換したのであます。腹中においてこれを転換しておけば、サタンは腹中の子には讒訴することができないのであります。そうすふことによって宇宙が転換するのであます。

 タマルの腹中において二人の子供が戦う時、神に「私の腹中で二人の子供が戦っています。」と言いますと、その時神はリベカに言われたのと同じことを言われたのであります。

 「腹の中には二つの国があって、兄は弟に侍るであろう。」とまったく同じ返事をされたのであます。

 この時長男が先に生まれようとして、手が先にてきたので、産婆が緋の糸を結んだのであます。それは将来共産党が出てくることを象徴するのであります。

 そのうに長男のゼラが先に出ようとしたのですが、それを押しのけてペレツが出てきたのであます。

 こうすることによって腹中で戦ってすべてを清算したために、これからこの伝統的な思想を受け継ぐイスラエルの女性中において、腹中にいる赤ちゃんに対してサタンが讒訴できないという決定的基盤を整えたのであます。

 国を求める二千年間

 腹中においてこのような伝統を受け継ぎ、ユダ支派を通して伝統を受け継いで出てくる子女は、腹中からサタンが讒訴する条件が一つもないのであります。

 このようにユダ支派を通してメシヤがくることができる歴史的伝統の偉業を、私たちは明らかにすることができるのであます。

 ですからユダ支派からメシヤが出てきた、すなわち神の子女が生まれたとてもサタンが讒訴でないという基盤、すなわち神の血統からメシヤが生まれることができる伝統的基盤が整えられた、という理論が成り立つのであます。

 それが神にとってどれほど嬉しいことであろうか。それでの女性たちが様々な苦労をしたのであすが、その時で神の血統を受け継ぐことができなかったのであります。

 その時腹中きおいて交差したので、ここから二千年間をすぎたのちにイエスが来ることができるのであます。

 ユダ支派の血統について、メシヤが誕生するまでなぜ二千年間必要であったかといえば、サタン世界が国家的基盤を整えているのに、イスラエル氏族が国家形態をもっていなかった故に、サタン世界の国家に対しる神の世界の国家がなければ、カインとアベルの関係を蕩減することができなかったのであります。

 それで国家形成期間として、二千年間待たねばならないという結果になるのであります。それで二千年後に初めて歴史を転換させるための準備をしなければなりません。その時がすなわちメシヤがこられる時なのであります。

 問題はエバがやったことを家庭を経て国家的世界的にしなければならないのであます。
 家庭的に勝利したのでありますから、氏族的にヤコブ、ユダ、タマルの三代を経て勝利した基盤をなした歴史を転換して、国家的な基準にしなければなりません。

 そのためには世界的相対を前にして国家的な転換運動をなし、国家を打ち砕かなければなりません。

 マリヤの立場と使命

 そしてその仕事を誰が責任をもななければならないかといえば、女性が責任をもたなければならないのであります。

 それは誰かといえばマリヤであります。同じ原則によって父と夫をだまさなければなりません。そしてマヒヤの夫は誰か、ヨセフであります。サタンが父の立場、ヨセフが夫の立場であります。その父と夫を欺さなければならないのであります。なぜなというとエバが堕落した時、アダムは自分の婚約した夫だったのであります。それと同じ立場に立たせるのであります。だから、ヨセフもそれとまったく同じ婚約した立場であました。

 エデンの園においてエバをサタンが奪っていったから、サタン側にいるそのエバを神が奪ってこなければなりません。

 マリヤをみる時、夫であるヨセフを中心として関係がなされてならないのに、他の人の子を妊んだとすれば父母が歓迎したでしょうか。二人とも歓迎しないのであります。

 しかしマリヤら、自分はタマルやリベカのように神から祝福を受けたのだから、自分の腹中から生まれる子供は神による子である、と信じていたのであります。
 さらにマリヤは、将来イスラエル民族にメシヤが送られる、という一つに希望的な祝福が成されることをよく知っていたのであります。

 マリヤは使命を果たすためには父母も夫も問題でなくみ旨に従う、そのような妻であったことを知らなければならないのであります。

 このようにしてサタンからまったく讒訴されない神の息子が、初めてマリヤを通して生まれ、その歴史的な因縁を蕩減して生まれた人がイエス様であります。

 このようにイエス様のみが神の息子のなることができる、という結論になるのであります。神の愛を一身に受けられる最初の息子であります。十字架と神のみ旨

 こうして歴史的に最初に緊張した祝福の場面が展開することによって、イスラエル民族の生きるべき道を開いた、世界を復帰する一人の主人公がこられたのでありましたが、しかしイスラエル民族はこの主人公を殺してしまったのであります。

 こように歴史的な過程を通して、摂理的蕩減期間をへて、歴史的な基盤の上にイエス様を送ったにもかかわらず、十字架で死ぬために送られた、というような思想が、今統一教会に反対しているのであります。

 神が最も衝撃を受け悲しまれる十字架という言葉を、十字架が救援の動機になったといっているとはありうべからざることであります。

 十字架につけられたその瞬間は、神にとっては言うに言えない瞬間でありました。イエス様は神に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれたが、その時神は答えなかったのであります。

 神は言いたかったのであります。「私はあなたが死ぬことを願ってはいなかった。」と。

 このようにして歴史的に深刻な決定的秘密を、レバレント・ムーンが、キリスト教世界に、宗教世界に明らかにしました。

 マリヤはイエス様を生んだのち、ヨセフと生活してはならなかったのであります。そういうことを宗教家達は知らないのであります。そしてカトリックでは、マリヤを聖母だと言っているのであります。

 ヨセフと生活していたマリヤを宗教家たちは、そうしてはならなかったのだ、というようにみることができないのであります。原理原則を知って初めて彼らの誤った観念を正すことができるのであります。

 きょうこの話を聞いた人は、神のみ旨はそのようになっていたのかと驚くことでありましょう。旧約以後のユダヤ教もこのみ旨を受け入れなければなりませんし、キリスト教も更めて教理を修正しなければならないということは、原理的、理論的原則が明らかにするのであます。

 キリスト教の霊的基盤の上に

 歴史過程において神が生きておられ、このように摂理され、神のみ旨を立てる歴史的な事実があったにもかかわらず、今までそれを知らずして、神のみ旨を放棄してきたのであります。

 これらのことを知って、神が歴史過程に生きていることを知らなければなりません。このような迫害の歴史を経てキリスト教は霊的国家基盤を整え、更に霊的世界基盤を整えてきたのであります。

 それゆえに本来ならば、霊的のみならず霊肉を中心として、アダム、エバの根本的な復帰完成をしなければならないにもかかわらず、霊的な立場において、イエスは夫であり、聖霊は新婦であるというように、霊的父母の基盤を中心として導いてきたのが、今のキリスト教なのであります。

 だから、キリスト教は霊的基盤のみでありますから、この現在世界を捨てなければならないのであります。

 統一教会はどうか、われわれは霊肉両面において復帰するのであります。今までの話のごとく、統一教会は、世界的キリスト教の基盤を中心として整えてきた霊的な基盤の上に、肉的基盤を組み立てて合わせる仕事をしなければなりません。

 そのようにしてアダム、エバが失なった神の日、父母の日、子女の日、万物の日を、今日統一教会は歴史的過程を通して、父母の日、子女の日、万物の日、神の日と再びとり戻すようになったのであります。

 この驚くべき歴史的事実が始まっているということを、他の誰も知らずにいるのであります。

 子女の使命

 今日韓国の国家的基盤を中心として、アジアを通して、世界的中心がここアメリカにきているのであります。アメリカにおけるレバレント・ムーンが問題であります。私がアメリカに来て失敗したのか、成功したのか。すでに判定戦は終わったのであります。アメリカの宗教界においていくら勝れている人でも、レバレント・ムーンの所にきて学ばなければなりません。真理を学ばなければならないのであります。

 このように神が歴史の中におり、時代の中におるということを、若者たちに教えれば、若者たちは教会を離れたりするでしょうか。決して離れることはないでしょう。

 それではどうしてイエスのみがメシヤであるということになるかといえば、イエスのみが血統的に根本において清められてきたのでありますから、お釈迦様もできず、孔子もできず、マホメットも成しえなかったことを成しえたのであります。

 ゆえにただイエスを通してのみ天国に行く、という堂々たる結論が出てくるのであります。これは誰も否定することができない結論であります。

 以上で統一教会の位置と使命が分ったと思います。

 今後統一教会の道は神のみ旨を大きく果たしていくであましょう。

 きょう、子女の日でありますが、これからは先生が子女の栄光をもつことができるよう皆さんがやってほしい、皆さんが子女の権威をもって、堂々たる子女になってほしいのであります。統一教会の道であることを知って、子女の名でもって頑張ってくれることを願うのであります。

 新しいピリグリム・ファーザーズ

 二百年アメリカの歴史が斜陽化するこのごろにあたって、三百年に向う明日のアメリカのために、われわれは養子の時代を過ぎて子女の権限をもって世界にはばたいていくことが、今後統一教会の道であることを知らなければなりません。

 今はそのような時代であり、皆さんの時代であります。

 新しい歴史時代のわれわれは、新しい歴史を担おうとしてここにきたのであります。

 新しく二次的に集められてきたピルグリム・ファーザーズのようなものであります。

 新しいアメリカはわれわれの手の中にある、という信念をもたなければなりません。その信念をもっていれば、必ずやアメリカは救われるのであります。そのためにはキリスト教と一つにならなければならないのであります。キリスト教は、われわれと一ちになるようになっているのであります。行くべき道がないから必然的に一つになるようになっているのであります。

 そのような意味において、きょうこの子女の日、新たなる進軍を誓う勇士とならねばなりません。

 イエス様に負けず、先生に負けない皆さんになることを願っております。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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2021.09.18
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​「救援の公式と伝統」

1976年10月10日
ベルベディアで


 堕落によって失ったもの

 皆さんがよく知っているように救いの摂理は、復帰の摂理であります。また復帰されるためには、堕落のない堕落以前の本来の姿に戻らなければならないということも、よく知っております。人間の堕落によって人間の本来の姿からはずれてしまう結果となったために、すべての堕落した人間は、創造本然の状態に戻らなければならなくなったのであります。

 では、堕落によって何を失ったのでありましょうか。第一に人間は、信仰を失ったのであります。われわれは、神のみことばから離れてしまったために、みことばと一体化できなくなってしまったのであります。すなわち神のみことばを失ってしまったのであります。それ故われわれは、みことばの主体から離れてしまい、主体と対象との間に一体化がなくなってしまったのであります。

 アダムとエバは、天宙の主人公となるべきはずなのに、その位置を放棄してしまい、サタンが天宙の主人公の位置を奪ってしまったのであります。神の創造の本来の願いは、天使界を含めた万物すべてに対して、主管性を発揮することでありました。しかし、人間の堕落によってサタンが支配者となり、人間をも主管するようになってしまったのであます。

 人間は、神に対して真の愛を捧げるべきでありました。そして神と一体化すべきでありましたが、堕落によってサタンと愛の授受作用し一体化してしまったのであります。故に堕落以後人間は、サタンと一体化し神の血統の代りに、サタンの血統となってしまったのであります。

 人間がサタン天使長に主管されるという原理はありません。あるいは人間の主管がサタンに与えられるということはありません。そのようなことは、本来の創造原理にはないことであります。人間が、神の言葉でなくしてサタンの言葉に従い、サタンと一体化しサタンの奴隷になるということは、神の本来の世界にはなかったことであります。

 神の創造本然の世界では、人間が神の言葉に従順となり、神の言葉を受け神の心情と神の人格と一体化するということが原理でありました。人間が神の真理と愛と人格と一体化したら、サタンの言葉と愛と人格と一体化するということは、なかったはずであります。したがって堕落人間にとっての希望は、神のみことばと人格と愛を復帰することであります。

 この世では多くの人々がお金とか知識とか権力を求めています。そしてそういうものが影響力があるものとなっております。しかし神の目から見れば、これらのものは取るに足にないものであります。すべての堕落人間は、神のみことばと人格と愛の三つの要素を追求するように連命づけられております。

 しかしこれらの三つの要素を確保するためには、人間は神を確保しなければなりません。そうすれば神の中にそれらのものを見い出すことができます。

 公的な人間とは

 今日、歴史の交差点において、われわれは神がもっとも公的な御方であるということを知らなければなりません。

 では公的な人間とは、どのような人間でありましょうか。公的な心を持った人間とは、どのような人間でしょうか。公的な心を持った人間は、主体の位置を占めております。では主体とは何か。それは、常に対象の為に存在するものであります。対象の為に奉仕し、益となるために自己を与えるのが主体であります。主体の位置が定まらなければ、他の何ものも位置が定まりません。主体は錨のようなものであります。それは、すべて周囲のものの位置を定めます。主体の位置が定まれば、所有の観念ができ、主人として現われてするようになるのであります。

 たとえば一つの王国を考えてみましょう。そこには王様がいます。王様は、主体の位置を決定し、それによって自動的に対象の位置を決定したします。さらに国民の性格や風習や慣習が定まるのであります。

 次に主体の役割は、何でしょうか。主体はつねに責任ある位置にありますので、主体はつねに責任を引き受けるのであります。 たとえばわが統一教会におきましても、教会の主体となるためには、その人は責任がなければなりません。教会のすべての責任を引き受けなければなりません。だから皆さんがたは、毎日いろんなことを行い苦労し経験しておりますが、すべての責任は、実際的にはレバレント・ムーンの責任になるのであります。

 たとえ皆さんがたが、困難に出会ってもまたは、批判されるようなことをしても、いつも私が批難されることになるのであります。

 それはなぜか。レバレント・ムーンが主体の位置にあるからであります。同じように宗教者の誰かが、何か悪いことをしたり無責任なことをしたら、結局は人から神様の責任とみなされることになるのであります。それは神様がすべての宗教者の主体であるからであります。

 人間を判断する基準

 いま全世界がわれわれに注目しております。とくにレバレント・ムーンが何を話すか、何をするのか注目しております。私が自己中心的なことをしていないのか、自己の利益のために説数をしていないのか。あるいは本当に公的なことをしているのか。それをはっきり見極めて判断しようとしております。

 彼らは、第一になぜ私がいろいろなことをしているのか、第二にどのような目的を持っているのか、第三にどのような活動、行動をしようとしているのかなどを見極めようとしています。とくに彼らは、レバレント・ムーンがどんな生活をしようとしているかを見つめております。私が私的な人間であるか、メンバーのために自らを与えようとしているかを注意深く見つめております。

 世間一般におきましても、ある人を見つめる時、その人が自らの言葉と行動が一致しているかどうかを判断します。そしてその人が言行一致の人であったなら、自動的にその人は、主体としての位置、すなわち責任ある位置を与えられるのであります。

 昔から人々は、指導者を選ぶ際に公的な心を持った人を求めたのであります。それが神様の性質であり方式であるからです。このような公的な心を持った人は、神に似た神の似姿であるから、人々はその人を尊敬し、その人に従おうとしたのであります。

 友達の中に二種類の友達があります。善と悪の友達です。悪の友達は、単に自分の友達を利用して自分の利益を計ろうとします。反対に友達のために自らを犠牲にし奉仕する友達は、真の善の友達であります。

 この善意の基準は、ただ友人関係にあてはまるのではありません。親子関係、隣人関係、その他すべての人間関係にあてはまるのです。

 皆さんを判断する場合、皆さんがどれだけ神に近い人であるかどうか、すなわち自己中心的な利他中心であるかによって決定します。

 われわれ統一教会のメンバーが、言行一致の人物か、統一教会の利己的な利益のために存在しているのか、奉仕するグループをみて判断いたします。

 国を判断する基準

 国を判断するのも同じ公式であります。たとえばアメリカが良い国であるかどうかの判断は、アメリカがどれぐらい公的かどうかによってなされます。もしアメリカの国と国民が、自国のために外国とつきあい、搾取しようとしたら、アメリカは悪い国と思われます。アメリカのキリスト教は、アメリカだけの宗教ではありません。それは神の宗教であります。全人類のための宗教です。

 キリスト教は、神に即した宗教であるが故に、神はキリスト教の故にアメリカの国を祝福したのであります。いいかえればアメリカが神の祝福を受けたのは、信仰のおかげであり、神に基いたからであります。さらにそれは、アメリカに対するだけの祝福ではありません。全世界に対するものなのです。

 このように見てくると、一つの公式、基準というものは、個人からすべて天宙にいたるまであてはまるのであります。

 歴史的に人類は、三つの要素を追求するようになっています。一つは、真理もしくは真理の言葉であり、第二は、真の人間、国民であり、第三に、真の愛であります。

 人類歴史は、今日まで聖人といわれる人々の言葉を受け入れ、言葉に従うことによって進歩してきました。では果して聖人とは、どのような人々でありましょうか。それは、神を中心とした人々でありました。そしてすべての平民は、それら神を中心とした神の言葉を語る神の代表である聖人の助けを求めないとしたら、神のもとに復帰される道がないのであります。

 歴史上において、または現代において人間を二つの種類に分類することができます。それは、聖人と偉人であります。偉大な人はたくさん居りますが、聖人はたくさんいません。

 偉人と聖人の違い

 では偉人と聖人は、どう違うのでありましょうか。

 聖人とはまず神を中心とした人であります。偉大な人というと、いろいろな種類の人が居りますが、彼らは必ずしも神を中心とした人々ではありません。

 アメリカの歴史を例にとりますと、そこには何人もの偉大な人がいました。ジョージ・ワシントンもエイブラハム・リンカーンも偉大な人でありました。では、なぜそれらの人々を聖人と呼ばないのでしょうか。たしかに彼らは、神に対する信仰は人に劣らず持っていました。彼らの祈りや言葉をみると、彼らは熱心に神に祈り、スピーチの証しも神に対する信仰に満ちています。しかし彼らの中心的テーマは、アメリカという一国であったのであります。つまり彼らの中心的問題は、人類ではなかったのであます。

 全世界の救いのために祈ったのではありませんでした。彼らは、神を中心とした国とか神の国といったことは考えませんでした。全能なる神の代表としての国をつくろうとは、考えなかったのであります。

 たしかにそれらの人々も、神から選ばれたことには違いありません。ワシントンもリンカーンも、とくに神が選んだのであります。しかし神が彼らを選んだのは、アメリカの独立の為とか、ある特定の限られた使命のために選んだのでありまして、全世界の救いという最高の使命者、すなわち救い主として選んだのではありませんでした。

 神の召命には、いろいろの程度があります。神は、ある特定の使命のために、その程度のちがい国々か時代のちがいによって、様々な召命をなさいます。その程度のちがいが神に対する近さを決定するのです。

 たとえばアメリカ建国にあたって、ジョージ・ワシントンは、国民の英雄でありました。しかしイギリス帝国の側からすれば彼は、反乱軍の主謀者であり裏切り者でありました。

 つまりある人物が、英雄であるかどうかの判断基準は、普遍的に世界的にあてはまるものではなかったのであります。韓国の歴史においても同じことがあります。一五九二年に日本軍が韓国に上陸し侵略しようとした時、李靈臣将軍は、日本の艦隊を撃滅しました。彼はたしかに、韓国の歴史上の偉大な英雄となりました。しかし日本側からみれば、けっして彼は良い人ではなかったのであります。彼は、日本の兵隊を多数殺害し日本の船を沈めた人物であったのです。

 では聖人は何か。聖人の範疇は何か。それは、神と完全に一つになり一体化した人間であります。その人は、神の似姿であり神の代表としての役割、使命を果そうとする人間であります。

 その目的は、全世界の復帰であり人類の願いであります。さらに神の側に属する善なる人だけというこではなく、神に反逆して罪を犯す悪の人々にも救いの手をさしのべて、それらの人々を神の前につれ帰る役割を果そうとして努力する人間であります。いいかえれば聖人とは、いかなる人をも敵としない人物であります。また敵とすることができない人物であります。

 堕落による怨讐関係

 堕落した人間の中には、そのような聖人を見い出すことはできません。なぜならば、そもそも最初からアダムとエバがお互いに怨讐となってしまったからであります。堕落の行為によって彼らは、互いに怨讐となってしまったのであります。アダムとエバは、こういい合ったにちがいありません。

 アダムは「エバ、あなたが私を堕落するように仕向けたんではないか」というし、エバは「いやアダム、あなたこそ私の主体の位置にあったのですから、あなたこそ私を主管して導いて罪を犯さないようにすべきであったのでしょう。それは、あなたの責任なんですよ。」といったにちがいありません。

 サタンもまた人間の怨讐関係にありますので、人間が「サタンよ、お前のせいで我々が惨めな立場になったのだ。」といったら、サタンは「いや、そうではない。あなた方人間が役割を果せず失敗したので、私まで犠牲になったのだ」といいます。そしてまたわれわれ人間は、神様すらも批判します。「神様、もしあなたが全知全能の神様であったら、なぜ私達を惨めな立場においてしまったのですか。」

 こうして人間の堕落以後、神と人間、人間と人間、人間と天使のすべての関係が怨讐になってしまったのであります。したがって国家間の関係も怨讐関係、搾取関係に堕いったのであります。いかに相手を利用するか、いかにして自分を益するかを考えてつき合うようになるのであります。

 心の中に敵を持つな

 では、皆さんはどうですか。たとえ反対する敵があったとしても、心の中に敵のある者は、それは天国の神様のもとに行く資格はありません。神の天国は、敵を持った人々の場所ではありません。

 ニューヨーク・タイム紙やワシントン・ポスト紙は、われわれに対して批判的な記事を連日載せました。われわれからいえばこれらの新聞は、憎らしくて破り捨てたいほどですが、私はこの十二日間祈りつづけました。そして広告を載せるようにしたのです。憎らしいはずのワシントン・ポストにお金を出して広告に出し、友好的につきあい愛そうとしたのです。そうすれば心ある人、正しい考えをする人々は考えるに違いありません。レバレント・ムーンは、普通の人間ではない、常識をのり越えた思想を持ち、崇高なる考えの持主だと感ずるようになるのであります。

 第二世代による復帰摂理

 だからわれわれが、一歩上に立った崇高なる戦略を、あるいは公式を追求していくならば、われわれの第一の世代の次元においては、われわれは犠牲となるかもしれないけれども、しかし常に神は、第二代の世代、第二代の二世の世代を通して働くのであります。

 例えばワシントンポストの例えをとって言えば、ワシントンポストのオーナー、あるいは編集長とかあるいは社長とか、そういう人々は我々の敵のままでいるかも知れませんが、しかし神は常に彼らの子供を通して働くのであります。だからいずれ時が来れば彼らの子供たちが大きくなって彼らの自らの親たちに反抗するようになります。これが神の原理であり復帰の公式なのであります。

 神は常に第二の世代を通して働かれます。第一世代であったアダムとエバは堕落してしまいました。希望がないところまで落ち込んでしまいましたが、しかし神は第二の世代たちアベルとカインを通して復帰のみ業を進められたのであります。この公式が歴史を通して働いてきたのであります。歴史上、神様のために本当に神を信じて神に従って、人々は時には犠牲となり、あるいは迫害を受けあるいは殺されてきました。けれども、彼らは第二の世代においては勝利者となったのであります。彼らは常に次の世代において、征服者となったのであります。

 逆境を益とする心

 われわれは生活においてひとつの重要な考え方を常に持っていかねばなりません。まず第一に、われわれは、いかなる批判を受けようとも、その批判が高くれきぜんとして立っていかなければならないということであります。その批判によって影響されてはいけません。それが第一の重要なことであります。いかなる批判によっても意気消沈したり、あるいは、傷ついたり、あるいは、やる気をなくしたりしてはいけません。そういった状況からは超越しなければなりませんし、影響されてはなりません。

 第二に皆さん方は、あらゆる批判を受けたとしても逆に皆さんの為の刺激として利用しなければなりません。彼らと皆さんをさらに飛躍せしめる跳躍台とする為の刺激としなさい。いいかえればあらゆるその否定的なるあるいは反対的なる、その批判というものをそういう逆境を、より積極的なよりプラスとなる目的に向かって利用しなければなりません。

 なによりも強い公的心

 だから結論としていうならば、われわれは、自らの為でなくして自己中心でない目的の為に、公的な神を中心とした目的のために前進しているのであります。それに対して目的の為にそれらの批判する人々は自己中心的な自分中心のそういった動機にもとづいて否定的なる批判をわれわれに与えてくるのでありますから、だから彼らはいかにわれわれに対して悪くあり、あるいはいかに優勢であるかのように見えたとしても、われわれの神に対する献身、そして利己的でない目的は必ず彼らのいかなるものよりも、より強いはずであります。

 彼らのいかなる否定的な批判的な面よりもまさっているはずであります。だからこれが勝つということ必ず勝利するということ、これがわれわれの標準とならなければなりません。

 これはレバレント・ムーンのこれまでの生活を通しての基本的な生活の原則でありました。レバレント・ムーンがこのアメリカにやって来ました時に、彼らはレバレント・ムーンを心よく扱いませんでした。それどころか彼らに対してレバレント・ムーンに対して意地悪をし、そして非常に辛辣でありました。しかし彼らは不公平なる批判をすればする程、レバレント・ムーンは決してそれによってくじけることはありません。レバレント・ムーンもあるいは教会の幹部たちも決してそれによってくじけることはありません。それどころかそれによって一層決意し一層われわれは、大義のために献身してきたのであります。

 これがわれわれのこれまでの通ってきた道であります。こうしていかなる逆境の中にあってレバレント・ムーンは前進しマジソンスケアガーデンを行い、さらにヤンキースタジアムのキャンペーン、そしてますます激しく反対の声が強くなる中で、台風のように強くなる中でワシントンモニュメントの大会まで突き進んできたのであります。

 絶対に勝ちえる生活原理

 こういうことでこの原則に従って、神はレバレント・ムーンに味方せざるを得なかったのであります。味方せざるを得ません。この原理原則の公式からいってもこれは絶対に正しいことであり、絶対にそれが最後の勝利を勝ち得る原則なのであります。

 われわれはただ単なる原理を持っているだけであります。われわれに反対する人々、それがどんなに反対し、どんなにわれわれを打ちこわそうと破滅させようとしても、われわれは絶対に勝ち得る公式は何か。それは反対する人たちが食べる時に私は食べない。彼らが眠る時に私は眠らない。彼らが遊ぶ時に私は働く。これがわれわれの決意であり、そして彼らのいかなる反対の活動もわれわれの一層の前進のための刺激として、そして、常に高く目標を揚げていく、これがわれわれの原理原則なのであります。

 さらにまたわれわれが成していることは、統一教会のためでは絶対にありません。われわれは何も統一教会のために献身しているのではありません。われわれは神の大義のために、全人類のために、そして我々の後孫のその幸福のためにこういうことを行っているのであります。確かにこれまで、反対がたくさんありました。彼らは必死となって反対しました。レバレント・ムーンを何とかしてやっつけてやろう。失敗させてやろうと彼らは必死となってやってきました。そして悪意のあるキャンペーンを彼らは行ってきました。

 W大会は神と歴史を代表する

 しかしどのような悪なる逆境の中にありましてもどのような烈しい反対の中にありましても、われわれは、今や大勝利を達成したのでありました。ワシントンモニュメントの大会は決してレバレント・ムーンの為の大会とかあるいは統一教会の為の大会ではありません。それは歴史的な大会であり過去と現在と未来を現す歴史的な大会であります。これはまさに神の大会であります。この大会は神を代表、歴史を代表するものであります。

 だからわれわれは、目標を高く揚げ最高の目標を揚げ、最高の記録を最高の基準を越えて、そして過去において現在、将来においてもこれを匹敵できないようなそういう最高の目標と、最高の基準と最高の記録を達成しなければならなかったのであります。これがわれわれの基準でありました。

 ワシントンの地域を良く知っている人であればワシントンについて知っている人は、本当にその大会の結果はとても信じられなかったのであります。彼らはその大会にレバレント・ムーンがあれ程の人々を集めたということ、そしてとくにあれだけ多くの有色の人々、人種が集まったということがまず第一の疑問でありました。

 そしてああいう、黒人とかそう言った人々が、集まった時には、いつも麻薬の問題とか、あるいは、不良が多いですから、物が盗まれたとか、あるいは喧嘩したとかそういった事件が起こるにちがいないのですが、その日はすべて平穏でありましたし、黒人はその日は最大の偉大な市民でありました。いかなる力をレバレント・ムーンは持っているのだろうかと人々は信じられないくらいに驚いたのであります。

 皆様御承知のようにわれわれは神の原理を知っているのであります。ワシントン大会において何も奇蹟であったのではありません。奇蹟ではありません。魔法ではありません。魔法使いでも何でもありません。それはただ単に神の原理原則の現れであったのであります。だからわれわれはこの同じ原理を今後も持ち続ける限りわれわれの生涯において、われわれはあらゆる時にいつでも等しく勝利を勝ち得ることができるはずであります。

 神の願いは何か

 皆様、神様についてどう思いますか、神様は聖人を求めていますか、あるいは家族を求めますか、あるいは聖人の国を求めますか、どのような範囲の何を求めて何を期待していると思いますか。当然のことながら最も簡単な答えですが、神様は聖なる国を求めているのであります。

 だから統一教会の目標は何か。われわれは神の最も重要なみ旨を達成しようとしております。神が最も愛するのは何か、神の最も望むものは、聖なる国であります。だからわれわれはこの地上に聖なる国家を打ち立てようとしているのであります。その聖なる国家こそ地上における神の国として知られているものであります。それは当然なことであります。そうでしょう。(イエス)。

 もしここに初めて来てレバレント・ムーンの話を聞く人がいるとしたら、彼らはレバレント・ムーンが気狂いにちがいないと思うかも知れません。レバレント・ムーンの目標は普通の人の夢を超えている。普通の人の想像を超えている、どうしてそのようなことができるかと思うかも知れません。われわれ統一教会は、その目標に向かって努力しています。実際にわれわれはその目標に向かって行動していますか。(イエス)

 何故われわれはそのような位置にあるのか、それは神様がわれわれの絶対的な意味において神様はわれわれにとって絶対的な御方であり絶対的なる目標を持った御方であるからであります。

 さらにそれ以上に最も重要なことがあります。それは、われわれの目標は神を中心としていますが、それはただ単にひとつの国のみではないということであります。ひとつの救いとか、ひとつの社会でなくしてわれわれの目標は全世界、全人類、全宇宙を神のもとに帰すことであります。

 だから統一教会の特色は第一に絶対的に神を中心としているということ。それから第二にそれが唯一の宇宙の天宙的な目標であること。第三にわれわれの理念は神を中心とした理念であるということであります。レバレント・ムーンが作った言葉でありますが、ゴッドイズム、神中心主義が我々の理念であります。

 われわれの目標はさらに全霊界すらも解放するということであります。普通の人は地獄へ行けとか、地獄へ行く運命にあるとか、そういうことをいいますが、われわれはそうではなくして地獄を解放するのであります。それがわれわれの責任というのであります。

 そして統一教会の特徴は、敵を認めないということであります。われわれにとって敵なるものは存在しないのであります。レバレント・ムーンにとって敵なる者は存在しません。

 神様はこう考えるのであります。もしレバレント・ムーンが神を愛する人間ならばむしろこのようにどんないかなる逆境、迫害の中にあってもこの世に出ていって、最も厳しい困難な中においても彼は、信仰を絶対に守りそして前進し偉大な勝利を勝ち得るであろうと、神はそれを知っているのであります。これによって本当に彼が神をあらわすものであるということの証明となる、という具合に神様は考えるのであります。

 ではこれからどういう事なると思いますか。実際にこういう事を通していって最後にはどういう結果になるでしょうか。それはそのようなはっきりとした道を通って行くことによって、本当に神様は、このサタン世界からの祝福を神の世界に移し変えることができるのであります。本当にこのみ旨に従事することによって、サタンすらも攻撃することを通して成長し、恵みを受け継ぐのであります。これが神様の公式であり原理であります。

 つまり、一方に善があり、一方に悪があるとしたならば、悪が善を攻撃します。その場合には善は何も打たれる理由がありませんから、その悪たるものは蕩減を払わなければなりません。そして善が栄えることになる。これが不変なる法則であります。だから例えば、悪なる人間が善なる神の側の人間を攻撃するとしたら、神は常にその子女達をして、その子女達に恵みを与えることができるのです。それはある意味では、我々からの復讐ということにもなります。

 神の奴隷

 もし皆さんの中で両親がレバレント・ムーンに反対している人がいたら手を上げて下さい。おそらくそういうところでは、家庭に何か問題があるはずです。今はあまり手を上げた人がたくさんいないので、それは良いことでありますが、それなら、なぜ親が反対しているのにここにいるのですか。なぜ毎週日躍日にここへ来るのですか。なぜ統一教会のために一生懸命働くのですか。

 レバレント・ムーンは、はっきりとした目的をもっています。皆さん方はそういう意味において利口なわけです。反対する皆さんの両親は、本当にレバレント・ムーンに悪意をもっているのですけれども、そして追い出そうとしているのです。それは、あまりにも皆さん方がレバレント・ムーンを愛し、従うからです。彼等は何とか皆さんの心を勝ち得ようとします。しかし彼等はある意味で自己中心的であります。

 それに対してレバレント・ムーンは皆さんを訓練し、そして聖なる人間にしようとしているのであります。本当に天地が認めうる聖なる人にしようとしているのであります。だからどんなに反対しても、反対する人達は衰退することになります。だから皆さんはこの道を歩もうとするのでしょう。

 この道には広く深いものが待っています。多くの親たちはレバレント・ムーンを批判し、レバレント・ムーンに反対します。彼等は自分達の子供が奪われ、奴隷のようにされていると思っています。しかし皆さんに聞きたいのですが、私が皆さんに私の奴隷にならなければならないと言ったことがありますか。皆さん方はそのような奴隷になろうとしているのですか。皆さんはそれほどおろかなはずはありません。

 確かにある意味では、レバレント・ムーンは皆さんを奴隷のようにしているかもしれません。しかしそれは何もレバレント・ムーンのためではありません。それはこの国のためであり、世界のためであり、神様のためであります。我々はそういう意味では、神の奴隷となるべきであります。

 仕える者が真の子女である

 実際聖人になる道は神様のために自分を否定して、自己中心的でなく、奴隷の如く神様のために尽くす道こそが聖人になる道なのであります。実際聖なる人とは神の最良の奴隷であるといってよいでしょう。例えばリンカーンはどうだったでしょうか。彼は、彼の国アメリカにおいて最高の奴隷でした。国のために本当に犠牲になった人であります。

 それはいかなる種類の奴隷であるか、もっとも良い奴隷とは、実際にもっとも仕える者であります。彼等は主人のために生き、主人のために死にました。しかし重要なことは主人が一体誰であるかということです。例えばここに一人の主人の息子としもべがいるとしましょう。その息子は非常に悪い手におえない人間で、しもべは仕えるのが義務ですから、それでもその息子に仕えていったなら、主人は決してそのしもべを罰することなく、かえって息子の方を罰することでしょう。そして、その息子を戒めてしもべを救おうとするでしょう。そしてその息子を追い出し、代りにそのしもべが主人から愛され、後を継ぐということになります。
 選民はイスラエルでありました。彼等は神のしもべとして選ばれたのであります。統一教会の我々は神のしもべとして選ばれたのであります。ではレバレント・ムーンは何か、ある意味では最もみじめな神のしもべであります。

 先生も仕えるために来た

 多くの人はレバレント・ムーンは幸せなやつだ。彼は何でも持っている。高価な生活をして、素晴らしい大きな家に住んでいる。だから幸せなやつだ、と思うかもしれません。しかし、実際に彼を知っている人は彼に同情せざるを得ません。なぜならば、彼こそ最もみじめで最も悲惨な方法で、神にこきつかわれている神のしもべだからであります。

 もし皆さんの親たちが何も知らずに反対するのであれば、本当のことを知らせて教育しなければなりません。また、彼等の反対が自己を中心としたものであれば、それはどんなことをしても神様の目から見て正しい人ではありません。イエス様は言われました。「自分はこの世の人から奉仕されるためにきたのではなく、かえって仕えるためにきたのである」と。レバレント・ムーンも同じであります。レバレント・ムーンは、いつも誰よりも一生懸命に働いています。誰よりも自分にきびしく烈しくムチを打っています。もし他の人より良い物を食べるとするならば、心の中では、他のメンバーは同じ食事をしていないということについて、本当に申しわけないと思っているのです。

 考えてみなさい。統一教会は始めからそうなのであります。そこを我々は少しづつ築いていったのです。誰がこのようなものを作りましたか。実際神様はレバレント・ムーンを見つめる時に、その心は痛むのです。なぜならばこのレバレント・ムーンはあまりにもみじめだから、神様はこのレバレント・ムーンに同情せざるを得ないのです。ある意味では本当にみじめな立場に置かれているのです。

 先生は、皆さんに聖なる人になってほしいと思っています。全ての人間が聖人になれるのです。聖人とは何か、それは神に対して絶対的な信仰をもっている人であります。それが第一の条件であります。我々は神の目的を我が目的としなければなりません。神の目的は世界を救うことです。だから我々の目的も世界を救うことであります。これが我々の目的であります。

 成功と繁栄は神の公式から

 確かに我々は神の前にいる敵を知らなければなりません。皆さん方は敵がいますか?いるでしょう。(ノーノーノー)自分の教会、ニューヨークのどこの教会でも、いつも皆さん方は、その教会長や上に立つ者を批判して、自分の教会長はこうだとか、あるいは愛が無いとか、あるいは態度が悪いとか、何とか言って、いつも不平を言うではありませんか。これがまさに天使長がエデンの園において、神の息子、娘を奪ったその原因です。

 いつも不平を言い批判している人はルーシェルのいとこです。このことを覚えていなければなりません。忘れてはいけません。今の話しを聞くまではおそらく心の中で、誰かきらいな者がいたでしょう。ああ、彼はきらいだ、あいつはいやだと。ところが今の話しを聞いて、ああ、これはいけないんだな、と心から悔い改めますね。

 よろしい、それで正道に行きましょう。それでは皆さん、敵をもっているの、いないの、(笑い)今笑っている人はサタンの攻撃に苦しむよ、今はっきりわかりましたね、レバレント・ムーンはその全生涯を通して人から批難され、あるいは誤解され、攻撃されてきたけれども、しかしこのような大きな事をなしてきました。これがまさに生きた証拠であります。神の力のみがこのような成功をもたらすことができるのであります。他に何もありません。まさに神の力によってこのように成功することができたのです。皆さんはこの事を認識しなければなりません。

 神の公式を実行することによって、先生は成功して、繁栄してきました。だから皆さんも同じ公式を歩むことによって、生涯の生活において、同じように勝利することができるのです。だからわかりましたか。本当にこの事がわかる時に反対や迫害があってもかまいませんか。(かまいません)。

 み旨のチャンピオン

 だから我々は角力のチャンピオン、ボクシングのチャンピオンのようなものであります。我々は、今、リングの上に立っています。そしてその回りには多くの観衆が見ています。もしこのリングで負けたなら、我々は第二の位置に甘んじなければなりません。第二の位置とは負けた者の位置です。勝利者のみがナンバーワンになることができます。これが我々の立つべき位置なのです。

 レスリングやボクシングにおいて、普通はそのリングにおいて二人のチャンピオンが戦うとすると、普通は一方が殴ってノックアウトした時に勝ちになります。これが普通の勝ち方です。しかしもう一つ尋常でない勝ち方があります。それは本当のチャンピオンは「さあ打て、多いに打て」と、それでいて、チャンピオンは打たれながらも堂々と岩のように立っていて、決して身動きしない。倒れない、そしてついには打つ方が疲れてしまって倒れてしまう。こういうノックアウトの仕方があり、最も普通で無い勝ち方である。レバレント・ムーンはそのように考えてなっているのです。

 レバレント・ムーンは、過去三十年間このリングに立ってきました。その間あらゆる種類の人間が彼を打撃し打ち負かそうとしてきました。いつもそうでした。彼等は皆、レバレント・ムーンをノックアウトしようとやってきました。三十前間です、それから既成のキリスト教会もレバレント・ムーンを異端だとか、何だとか呼んで、そして何とか引きずり落し、倒そうとやってきました。けれどもレバレント・ムーンは決して倒れない、倒れるどころか増々強く大きくなっていく、ついには既成教会の方がまいってしまう、これが現状であります。

 神の忠実な青年たち

 だから今では先生はとても気もちのよい話しを聞いています。今まで迫害し、反対してきた政府の高官たちが本当に倒そうとしてきたが、今では、「やっぱりレバレント・ムーンはたいしたやつだ、英雄だ、偉大な実に偉大な男だ、巨人だ、本当の英雄だ」と言っています。あるいはキリスト教の反対してきた人たちや牧師たちも今では「やあ、彼は天才だ。本当にそれは認めなければならない。彼はまさに神の人だ。偉大な作戦を持っているし、頭もいい、まさに天才だよ、彼のやり方は天から、神からきているに違いない」と、こういうようになっているのです。

 そしてレバレント・ムーンがアメリカに来てからも、アメリカ中が、白人が、西洋のダブルシメントの人たちが何とかレバレント・ムーンを攻撃し、やっつけようとしましたが、今や彼は無視できない存在となってきました。

 多くの人達がレバレント・ムーンを倒そうとやってきましたが、今では彼は負けない。倒されないと認めざるを得なくなったのです。だから彼等はレバレント・ムーンを攻撃しているけれども、しかし実際に目の前でレバレント・ムーンに付き従ってくる多くの若者達を見て、一体これほど忠実な青年たちが、アメリカのどこを見ても、アメリカの歴史においてもいなかったこのような青年達がどこからきたのかと不思議でならないのです。いったいレバレント・ムーンの力はどこからくるのかと。

 彼等は、レバレント・ムーンに従ってくる青年達は全てレバレント・ムーンに忠実だから、ひとたびレバレント・ムーンが彼等に何かせよと悪いことでも言えば、あるいは人を殺すのではないかと、そんな具合に恐れているのです。しかし彼等が知らないのは、レバレント・ムーンが神の人であるということです。レバレント・ムーンは神を中心とした義なることをやっていることを知らない。だから先生は皆さんに人を殺せとか、悪いことをせよとか言いませんし、できません。

 逆境における勝利

 レバレント・ムーンに反対する人達は、彼らが自ら戦いに出てこないということを知っています。自分たちのレベルまではさがってこないということを知っています。レバレント・ムーンは最高レベルにおいて戦っている。しかし彼等のレベルにおいて戦っているのではないから、彼等は、レバレント・ムーンは大酒飲みとか、あるいは悪いことをしようとしているとか、何だかんだと反対します。あらゆる角度から反対しようとします。共産主義者すらも反対するようになっているし、マスコミも反対します。あれほど悪らつに反対しています。これが今までに我々が経験してきたことです。

 最も重要なことは、最も美しい、且つ勝利のための秘訣であります。つまりそれは逆境において勝利することであります。いかなる困難な状況においても、いかなる否定的な環境においても決して信仰を失うことなく、決してビジョンを失わず、常に神の位置に自らを置きなさい。歴史を通して一番反対されたのは誰ですか、神様です。実際神様こそ一番反対されてきた方なのです。だから皆さんも神の立場に身を置いて、神が耐え忍ばれたと同じように、皆さんもまた、耐え忍ばなければなりません。歴史を通して、神様は、この世界を救おうという目的を決して忘れたことはありませんでした。だから皆さんも、一瞬たりともこの世界を救済しなければならないという使命を忘れてはなりません。

 統一教会の目的

 神は、サタンを中心として、堕落をもたらしたものである、ということをよく知っています。しかしそれでも神様は、サタンとともに働くこともあるのです。神はサタンを罰して、ただちに地獄に突き落すなどということは、なされませんでした。それと同じように、現在多くの人たちがわれわれに対して悪意をもって敵対しておりますが、しかし皆さんは彼らを許してやり、彼らとともに働き、彼らの心を獲えるようにしなければならないのです。

 皆さんは、自らを神の立場に置きなさい。皆さんが原理原則に従って生活したならば、決してサタンは讒訴することはできないのです。なぜなら、サタンが唯一讒訴することができない存在は、神様だけだから、皆さんが神のごとくになるならば、そこには何ら讒訴する条件がないのです。それゆえに神は、今まで何千年もの間、ずっと忍耐してこられたのです。

 神が今もっとも願われることは、聖なる者の出現であります。これまでの歴史というものは、神の願いとする者の出現がなかったための、延長された歴史でありました。ですからわれわれは、今からでも聖なる者となるための、努力をしなくてはなりません。そうすることによって神の復帰摂理が、より促進されるのです。

 歴史の転換を成す者

 今日統一教会がこの歴史の交差点にあらわれたということは、重要な意味をもつものであります。そしてわれわれは、今までの歴史において誰一人として思いもおよばなかった宇宙の救済、神の悲しみを解放する、という偉大な目標を宣言いたしました。全人類の救済と神の完全なる一体化、ということを堂々と主張しているのです。

 われわれは新しい時代に生きています。そして統一教会は、歴史の転換を成しつつあるのです。われわれは、この新しい時代の先がけにおいて、中心的推進力となって活動しているのであります。

 歴史に現われた聖人の中で、一体誰が一番偉大であったでしょうか。私は世界のあらゆる宗教の聖者たちを心から尊敬しています。仏教、儒教、イスラム教、その他多くの指導者たちを心から尊敬しています。それではこれらのすべての宗教の中で、世界の救いという目標を明確にもっていたのは、誰だったでしょうか。この世界を救わんがために、生命までも捨てていったのは誰であったでしょう。このように考えてみた時に、神のみ旨を成就するためにすべてを犠牲にして、神のみ旨をわが思いとしてすべてを捧げた人は、イエス・キリストただ一人であったということを知るのであります。彼こそもっとも偉大であり聖なる人でありました。彼の教えのすべては、単なるひとつの考えというものではなくして、霊界においては厳然たる事実そのものであるということを、私は知っております。

 神の希望の群れ

 それではわれわれ統一教会の目的は何でしょうか。その革命の目標は何か、まさにイエス様と同じであります。さらにわれわれはイエス様以上の目的を達成しようという者たちであります。また、われわれの使命は、イエス様以上の一層困難な使命であります。しかしわれわれは、それを成そうというのです。二千年前に来られたイエス様は、その生涯においてまさしく世界救済を成そうとされたのですが、しかしわれわれの知る多くの理由によって、その目標を達成することができませんでした。しかしイエス様は、必ず再び来て世を救うと宣言せられたのです。今やまさにその時であり、み旨を成就する時であります。そしてわれわれの生きているうちに達成することが、一人びとりの使命であります。もしわれわれが生きている期間に、このみ旨を成就することができたならば、まさにそれはイエス様以上のことを成すことになるのです。

 今、霊界においてイエス様は、今朝のこの説教を注意深く聞いておられます。ではイエス様はこの説教を聞いて「何、君たちが私よりも偉大な者になるって」といって腹をたてているでしょうか、あるいは「その通りである、まさに私が二千年前に成そうとしたことはそれであ、私はこのことを聞いて本当にうれしい。私に代わってその使命を果す者が現われて、その目標を達成することができるのを、この目で見ることができるのがうれしい」と言って喜ぶでしょうか。答は皆さん自身がよく知っています。では神様はどうでしょうか、神は一人子イエスを冒涜されたと言って統一教会を責めるでしょうか、とんでもありません。異端というのは、実は神の原理原則にはずれたことをする者たちをいうのです。

 今日のキリスト教会は、あらゆる教派、宗派に別れており、誰もが皆、自分の教派が一番偉く、自分が偉大であると思っています。このようにキリスト教が四百にも五百にも別れて、互いに対立しあっているのを見て、果してイエス様はどのように思うでしょうか。「ああ、私にはたくさんの訪れる家があってとても嬉しい、今日はこの宗派に、明日はあの宗派に行ってやう、私にはたいへん多くの希望があって実に楽しい」といって、イエス様は喜ばれるでしょうか。あるいはこの現状を見てイエス様は心を痛められるでしょうか。神様の心も、イエス様の心もともに、悲しい思いに満たされているに違いありません。

 アメリカが摂理の中心

 キリスト教がこのように別れてしまっている中に、統一教会なるものが燎原の火のごとく現われて、この世界とキリスト教会を、統一しようというのです。こういう姿を見た時に、神様も、またイエス様も気分はつらつとしたものであるに違いありません。この統一教会において、自分はメソジストだとか、あるいはプロテスタントだとか、カソリックだとか言っている人がいるでしょうか。われわれは統一教会員なのです。自分はローマンカソリックだなどと言っている人が皆さんの中にいますか。(ノー)

 ここにはいろいろな宗教の代表が集っています。あらゆる宗派の人たちが一緒になって座っています。もし神様が合理的な神様であり、イエス様が常識的な理性をもった御方であられるなら、今こうして、あらゆる宗派、人種、あらゆる言葉をもった人たちが、すべてひとつのイデオロギーを中心として、ひとつの理念のもとに団結し、幸せに調和されている姿を見たら、これは大きな希望と思うに違いありません。だから世間の人たちが何と言おうとも、われわれの理念はその結果によって、さらに勝っていると言えるのであります。われわれはよりよい生活を知っています。そして真に神の原則に、より近い存在であります。

 教多い宗教の中で、キリスト教がその中心であるのは、すべての聖人の中でアメリが一番偉大であるからです。神がキリストにおいて、その姿を現わしているからです。さらに今日、神は最後の救いの摂理を実現させるために、キリスト教にもとづいた国家を必要として、アメリカを選ばれたのであります。アメリカはまさにそのために選ばれたのです。しかしながら、現在アメリカは、神から与えられた祝福と遺産を急速に失いつつあるのです。そしてその祝福をいたるところで、広がりつつある共産主義に奪われているのであります。

 ニクソン政権の時、レバレント・ムーンは彼のやり方を批判した一人であります。彼は外交政策において、共産圏に対して中国に行ったり、緊張緩和ということで妥協策を講じたり、軟弱なところがありました。そういった点をレバレント・ムーンは批判したのであります。しかしそれでもレバレント・ムーンは、大統領を支持し支えようとしたのです。なぜならアメリカの大統領が弱くなって、国民に支援されなくなれば、ますます共産主義が拡大し、その結果がいかに恐しいかということを知っていたからです。

 アメリカの危機

 ウォーターゲートの危機的な期間において、レバレント・ムーンは、アメリカがキリスト教の精神でもって団結しなければならないという声明を発表しました。キリストの精神は三つの言葉で言い表せます。すなわち、許せ、愛せ、団結せよ、ということであります。実際ニクソン大統領を批難したワシントンポストの記者たちを始め、反対運動の先頭に立った人たちの中で、果して聖書がいうように、最初の石を投げることができるような、罪の無い人はいたでしょうか。神の目から見て、純粋に罪の無い人はいたでしょうか。アメリカ人はよく言います。基本的な法律は憲法である、と。しかしアメリカは、その憲法に根ざしているという国益の名のもとに、これまで数多くの悪らつなことを行ってきました。例えばCIAのさまざまな悪行が暴露されているし、国益のために外国の元首に毒をもったなどとか、さまざまなことが言われています。このようなことはアメリカのためだからといって、憲法で許されるでしょうか。否、神の目から見た場合に決して許されることではありません。

 もしアメリカがその権力を世界のために、神のみ旨のために使うならば、それは正義となるでしょう。しかし、もしアメリカが国益のためにそのようなことをしたなら、それは善なることとはいえません。ウォーターゲート事件の時に、大統領を批難した人たちも、もしそれが世界のために、神の正義のために批難したのであれば、それはもちろん正義となるのであります。しかし反対に、彼らの動機が義でないものであったならばどうでしょうか。

 だからウォーターゲート事件の時にレバレント・ムーンが声明を発表したのは、世界に対する心配があったからなのです。それは世界が共産主義によって受ける脅威を心配したからです。神の目から見て、このことが最も重要なことでありました。だからアメリカの大統領は無傷のままにおかなければなりませんでした。

 ニクソン大統領は強いリーダーシップと、指導性をもっていましたから、彼であるならば、ベトナムやアジアにおける破滅状態を避けることができたでありましょう。しかし、ウォーターゲート事件の後には、大統領の力が弱まり、皆がお互いを批難しあうようになり、新聞がきわめて強い力をもつようになってきました。このようなきわめて最悪な状態に、アメリカ全体がなってきたのであります。

 世界を動かすマスコミの力

 今朝はこの部屋に、かつてワシントンポストで働いていた、われわれの親友、強力な味方がレバレント・ムーンの話を聞きに来て下さっています。このような方々は、現在マスコミに起こっている、さまざまな問題に対して非常に心配しておられます。例えば日本における大新聞のほとんどが、ますます左傾化し、共産主義の方向に向って活動しているといったことについてです。実際彼らが行っていることは、次第次第に日本を破滅させるような方向に導いているのです。

 こういったことがなぜ起こるのかといえば、共産主義の勢力が労働組合という形を通して新聞の会社に入り、ストライキなどによって作業を中断させて、彼らの要求をつきつけてくるからなのです。経営者の方も新聞を発行して利益を上げなければなりませんから、少しづつ彼らの要求に屈服して行かざるをえなくなっているのです。そうしていよいよ、共産主義者の都合のよいような記事を書くようになって、会社での重要な彼割りを奪っていくようになるのです。こうして、ついには国さえも売ってしまうことになるのです。労働運動が極端になってきて、今では彼らの道具となっているのです。あらゆる所において、ヨーロッパにおいて、イギリス、日本、アメリカにおいて、彼らは賃金を要求するとともに、産業界を麻痺させようとしています。これが、レバレント・ムーンにとってもっとも頭の痛いところであります。

 彼らは目に見えない形において労働組合に浸透し、左翼勢力を拡大し共産党の道具としつつあるのです。しかし国民の多くはこのことに気づいてはいません。なぜなら、彼らの手口は巧妙で少しづつ浸透してくるからであります。それはまさにガン細胞が肉体を蝕む時と同じようにです。

 勝共は自由世界唯一の希望

 共産主義者たちは、レバレント・ムーンが彼らにとって最大の障壁であることを、充分に知っています。だから彼らは韓国に対し警告しています。レバレント・ムーンはあなたたちの背後にいるトのようなものである。このままにしておいたなら、必ずや政府にとって脅威となるでしょう。こういう具合にレバレント・ムーンと政府とを引き離そうとしているのであります。皆さんもいろいろと聞いているでしょうが、レバレント・ムーンはKCIAと結託して国を動かそうとしているとか、さまざまなうわさが流れています。しかし皆さんはそんなことにまどわされてはなりません。

 皆さんは、なぜ彼らがそのように攻撃するのか知っているはずです。それは彼らの戦略であり、何とかレバレント・ムーンの戦力を弱めようという、彼らの戦術なのです。実際レバレント・ムーンは徹底した反共主義者であり、反共のみならず勝共を主張しているのであります。韓国において勝共連合をつくり、過去十年間に二千万人の人々に勝共教育をしてきました。これはすべてレバレント・ムーンの考えに従って行ってきたことです。さらに日本においては、今や勝共連合は自由主義を主張する人たちにとって、唯一の希望となっているのであります。彼ら各界の指導者たちは異口同音に、勝共連合こそが日本の希望であると言っているのです。さらに彼らはわれわれの助けを求めているのです。それは一体誰がそうしたかといえば、すべてレバレント・ムーンが始めたのです。

 レバレント・ムーンは以前に、日本の勝共連合に対してこのように言いました。「共産主義者たちとテレビで公開討論会を行ないなさい。」と。そしてラジオ・テレビの全マスコミを通じて、公衆の前で討論会をするように言いました。共産党の理論とわれわれの理論と、一体どちらが正しいのか討論しようではないか、と呼びかけました。それに対して共産党はわれわれの申し出を断り、さらに全国に通知を送って、勝共連合とは絶対に討論をしてはならない、と指令を出したぐらいです。彼らはこのことによって、実質的に敗北を認めたのです。だから、むしろ彼らの方がレバレント・ムーンの恐しさを知っているのです。逆に自由世界の人たちの方がレバレント・ムーンの力を知らず、かえって敵意をもちます。これは何とも皮肉なことという以外にありません。だから彼らは何も知らず共産党の道具になっているのです。

 愛のみが平和をもたらす

 もしこの運動がレバレント・ムーンのために、自分たちだけのためにやっているとしたなら、絶対に長続きするはずがありません。しかしわれわれの運動の背後には、神の原理原則があり、大義があるので長く続くのであります。そしてわれわれは、神の義と歴史の責任において運動しているのであります。ですからわれわれの運動は決して滅びることなく、世界と歴史において永遠に記録されることでしょう。この影響において、世界と歴史の流れを変えるのです。人類歴史はまさに神の真理と義とを求める方向をとっています真理とはみ言です。人々は何が真なる言葉であるか、個人にとって、世界にとって何がよりよい言葉であるか求めています。真理とは現在においても過去、未来においても真実なるものでなければなりません。そのような永遠の真理は、有限なる人間から出るものではなく、永遠なる存在、すなわち神から出るものであります。共産主義者の真理とする、弁証法的唯物論は、決して真理ではありません。それは人間のつくり出したものだからです。

 神のみ言によれば、すべての存在は、主体と対象の授受作用において、永遠に発展、繁栄するといわれています。しかし唯物弁証法においては、対立と闘争によって繁栄るというのです。まさに共産主義の理論は、サタンからきたのだということを知ることができます。また自由世界では、すべてがオープンに開かれていますが、共産主義の世界では、一切が秘密のうちに行われています。われわれは昼間に会議を開きますが、彼らは夜中に行います。彼らは神はいないとか、霊界などはありえないと言っていますが、ただ無知というほかはありません。

 彼らは無限なる宇宙のことについて何も知りません。また霊界と地上界という相対的世界があるということを知らないのです。人間も二元的存在であり、霊と肉体とによって成り立っております。人間は宇宙の本質であり、原因であります。人間の中に宇宙の原因を見ることができます。自分自身を見てごらんなさい。心と身体が互いに正しく授受することによって、健康がもたらされることが分かります。そしてその心が完全な主体となって、身体が対象となるとき、真の幸福を得ることができるのです。

 社会の幸せは、共産主義者が言うように、外的なものから生れるのではなく、より内的なものから生ずるのです。そしてその心と体が、神によって造られたものであるなら、神を除外して、真の幸福を考えることはできません。人間は泣いたり笑ったりしますが、その原因は何でしょうか。それは心によって起こります。ですから真理も心が求めるようなものを探さなければなりません。では、心は一体何を求めているのでしょうか。そは愛であり、統一、団結をもたらすものであります。

 歴史が願った神の愛

 共産主義の世界では、心もまた、身体の機能によってつくりだされていると説明しますが、心の中心となる愛も肉体によって変化、発展するでしょうか。二千年前に生きていた人たちの愛と、現在生きている人たちの愛とは違うものでしょうか。また過去に生きた人たちの愛というものは、現在の人間にとっては理解できないものでしょうか。いいえ、人間は永遠なる真理を求めるのです。永遠に変ることのない、個人において、家庭、国家、世界において変ることのない真理を求めているのであります。

 人間が救われるためには、真なる言葉が必要だということを、神様は知っておられるので、歴史を通して宗教なるものによって、真なる言葉を与えようとしてきました。そしてすべての宗教には、世の終りの時に神の真理と真理を語る人が現われて、世を救うという教えが伝わっているのです。 その真なる人は、真の愛を与える人であり、その愛は神を中心としたものです。神を中心とした世界的理念が必要であり、神による統一世界をきたらせなければなりません。過去のすべての宗教者と真理を求める人たちが、その理念において統一されるのであります。これまで科学と形而上学の世界とは、バラバラでありましたが、神がすべての原因である以上、これらのものも統一されなけばなりません。さらに世界の宗教と諸科学とが、完全に統一されなければなりません。

 では、いかなる理念が、その統一をなしとげることができるでしょうか。それは神を中心とした“ゴッドイズム”以外ないのであります。

 レバレント・ムーンは確かに宗教者であります。宗教者であるのに世界中の科学者に対して、ワシントンに集って、科学の統一に関する会議を開くようにと言っているのです。なぜそのようなことをするのでしょうか。それは神の世界においては、すべては統一されなければならないからです。宗教も科学、哲学、すべてが統一されなければなりません。

 私はときどき、統一教会に対して否定的な記事を書く人たちに対して、憐みを感ずることがあります。なぜなら、彼らは統一教会の本質を知らずしていろいろなことを書いているからです。私は宗教のみならず、哲学、心理学、あらゆる分野において、それが何であるかを知っています。それにもかかわらず、なぜ宗教を専門の道としたかといえば、それは宗教が何よりも高い次元において、人々に対し影響のある言葉を与えるからであります。

 統一原理の学問的認識

 考えてごらんなさい。アメリカという国にはすべての学問、芸術、宗教の優れたものが集っています。そのアメリカにやってきてレバレント・ムーンは、神の教育をしようというのですから、これは決してなまやさしいものではありません。しかし私は、すべてにまさる理念を知っています。そしてそれは、すべての人が必要としているものであります。しかし彼らが傲慢になって、み言を学ぼうとしないので、その二世たる皆さんに祝福が与えられるのであります。実際われわれは、民主主義の理理念をのりこえて、神の理念を見い出さなければなりません。また共産主義者たちよりも優れた理念を見い出さなければならないのであります。この統一教会の理念は、そのすべての問題を解決しうる鍵を握っているのです。皆さんはまだ若く、純真ですから、この統一原理の深い内容は理解しきれないかもしれませんが、多くの著名な学者たちが、その分野において何十年も研究をしてきた人たちが、この統一原理を研究してみて、その革命的理念に呆然としているこであります。真にその価値を知ってわくわくしながら、生涯の道において探究しようという人たちが現われているのであります。

 統一科学者会議には、多くのバックグランドをもった人たちがたくさんいます。その人たちに対して私は、ああしなさいとか、こうしてくれとか言わないで、自分このやり方で好きなようにこの原理を研究してみて下さい、といって、彼らにすべてをまかせてみましたところ、一年たってみて彼らは、レバレント・ムーンの偉大さと人格の豊かさに驚いてしまっているのです。その中にはカソリックの神学者も、プロテスタント、ユダヤ教のラビもいますが、彼らは皆、一つになって統一原理を研究しています。

 私は彼らに対して、どのように研究してもくれてもかまわないと言いましたが、一年たって彼らは、今では統一原理なしで学問するということは、考えられないと言っているのです。なぜなら統一原理は宇宙の問題、人生の問題を根本的に扱っているからであります。統一原理なしには神学を統一することはできないということを、はっきりと知ったのです。彼らは今でも、それはもう一生懸命に研究をしています。今から十年たったらどうでしょうか、彼らはこの理念の偉大さをはっきりと悟ることでしょう。神学界では、実にこのようなことが起りつつあるのです。

 人類歴史は、これまで真理を求めてきましたけれども、ようやくにして、その本質が神によらなければならないということに気づいてきたのです。神による絶対的な真理が現われた時には、それによって、あたかも朝日がのぼる時のごとく、すべての問題が解決されるようになるのです。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.18 22:19:19
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2021.09.15
​​​​​​​​​​​​​​​​​​「伝道と世界的使命」

1976年10月5日
ベルベディアにて


 霊的援助を受けるには

 このようにして伝道の班編成を組みましたから、後は、思いの限りを尽して伝道して下さい。それで伝道には何が一番重要かというと、霊的力が問題である。すなわち霊界がいかに協助するか、ということが重要になってきます。それが伝道実績に直接関係するのです。

 では、霊界が援助するような班編成になるにはどうするかというと、一つになる完全に一つになることですね。そして班長がいいという考えよりも、自分がその天の前にいい人になって、班長をも引っぱればよいのです。一つの家庭を考えてみた場合にも、すべての家庭の親がみんな立派なのではありません。

 もし親より子供の方が良い家庭があった場合、その子供を中心として固まって、親を押し上げればよいのです。反対になにか批判を始めたら、その家庭は完全に崩れてしまう。「無能な者に協助するな」とか、そんなこという者自体が一番悪い。そういう者こそサタンの要因です。ぶつぶついう人より以上に、自分ながらの実績をたたせるのが大切なことです。

 もし、班の中にぶつぶつ不平をいう人がいたら、それはサタンの要素だから、これは摂理的な破壊基盤となって、すべてが横倒れ共倒れになってしまう。そのことをしっかり認識したなら、班長と班員が完全に一つになる以外に道はありません。

 研究しあって、調和すること

 それから個人伝道、個人実績を強調するのはもちろんですが、班全体の成績向上を考えなければなりません。自分はいくらよくても、班全体がよくなければ、やはり自分の責任である、という考え方からすれば団体行動をする場合、班全体のことを考えるのは当然であります。

 自分はよくやったとして、自分の班を自分より以上の班につくり上げるにはどうするか、夜になって、みんなできないながらも一生懸命やって帰ってきたら、紙でもって説明したり話し方を説明したり、こうしたから成績がよかった、というようにみんなに教えてやるのです。

 それからみんなをまとめ、指導する班長はその班員の中の優秀な者がいた場合には、その人を一番の自分の相対者として考えるのです。そう思ってその優秀な者を中にして、自分もみんなと一つになって、すべてのことを相談しながら、みんなも早くそれに調和していく。そういう作戦を立てれば、自然的にその班の基準は高まるのです。

 一週間、甲が成績がよかったらそれにみんながまとまる。次の週は乙が優秀だったら、今度は乙を中心にまとまる。こうして六人の班だったら六人全部が勝利したら、六人の方法をみんなが互いに研究して、自分のものにして運動すれば、完全に一つになるのです。こうして結局は、実績をいかにして高めるかということが大切なのです。

 日本人が心を尽くして講義すること

 それから神山君、このメンバーでもってアメリカ人を伝道してくるんだから、アフターケアーするメンバーも必要だよ。アメリカ人を選んでね。伝道班が伝道する。街頭とか訪問とか電話で連絡して教会に連れてくる。その背後の組織を組まなければならない。全体的に循環できるよう、円満に動くように組んでね。

 それから来教者には、早く講義をするように。汗を流しながら、涙ながらに一杯にしながらね。講義するのが一番問題です。西君と沢田君ね。講義をしながら、いかに感動〆起させるか。日本人でありながら、アメリカ人に講義することは、実にいいことです。

 自分は日本人だけど、日本とアメリカとの関係は、今から三十年前は敵国でありましたが、その敵国アメリカの将来がこういうふうに心配ですから、自分なりに英語もできないのに、涙ながらに英語を勉強しました。足りないながらもこういうむつかしい話もできるようになりました。だからどうか、聞いて下さい。そうして情的に係って相手の心情を開くようにして訴えるのです。真実の道を知らなくては、アメリカの将来は行く所がないから、我々はすべてを犠牲にして為しているのです。と訴えるのです。とくに日本人は、小さいからいいのです。小柄ながらも生命をかけ、一生懸命励むのですよ(はい)。

 そうして連れられてきた人々にいかに原理を伝え、食口化していくか。講義する者は責任が重いです。一人を連れてくるのがいかにむつかしいか。その一人のために、何人にも会って、何べんも同じ言葉をポロポロ涙ながらも語り、そしてみじめな思いを経験しながら、やっと一人とめぐり逢えるのです。

 祈りの心情を講義に表わして

 そしてつれてきた以上は、全体の責任を自分の両肩にかからせて、頼むような心情でもって自分に託したのだから、これを完全に消化して、館に入る時より出る時には、伝道した食口たちに喜ばれるような結果を多くしなければなりません。

 だから祈らなければなりません。祈りの中で涙を流して、生命の救いをいかに灯すか、自分の一言で左右を決定する分水嶺に立たされるのであるから真剣に祈らなければなりません。審判でなく救わなければならないのです。心情的なそういう講義をしたら必ず反応します。講義の内容を祈りながら覚え、検討しながら、御恵の中にうたれた心情をもって壇に上るのです。祈った心情圏を再び表わしながら、講義しなければなりません。本当はもっと講義する人がいたらいいのです。

 そして表裏一体、左右前後一体となって動かなければ、いい結果ができません。だからこの期間は、いくら気持ちの悪い癪にさわることがあっても、日本人として争ったりけんかしてはいけません。もう帰ることが決定したのですから、その日まで笑いつつ歩んで下さい。

 日本語で一生(一所)懸命といいますね。一瞬々々に生命をかける、一生懸命といいますね。

 命考えて命をはること、一つの生命を懸命にかかげた命令、一生を捧げてかけた命令、任という意味でしょう。そういう立派な言葉を知っているのだから、それが成し得て外的に一生懸命が通じるようにして下さい。

 内的にでたらめで外的に一生懸命、そういう原理はありません。原因がすばらしくて結果が悪くなる。そうですね。(はい)え、原因が素晴らしいから結果が、(すばらしい)私が間違って話した時は、正しく答えて下さい(笑い)。

 すべては動機が問題です。それがぶつかりあって一つになった場合には、何事も砕けてしまいます。動機がなければ何もできません。私がみ旨を歩むのも、心情的に揺がない原動力を持っているのです。これを果たさなければならない、という精神的強い動機の前には、それに逆らうすべては無関係です。もし関係したら相手が崩れてしまいます。

 いろいろなことを考えてはいけません。日本に帰ったらどうかとか。残る人は、一度日本に帰って、日本という名目をかかげて来たのだから、励まなければなりません。班長と班員が一つになるのです。どのくらい一つになるか。神様とイエス様が一つになる以上になれば、霊界は百パーセント協助します。わかりましたか。わかりましたね。

 もし霊界が協助したら不思議なことが、たくさん起ります。街頭でも何もしなくても、通りがかりの人がみて、パンフレット一枚下さい、こういう現象が起るのです。さあ、霊界が援助するには、どうならなければならないか。神様とイエス様が一つになったように、もう一つになりましたね。班長と班員が一つになれば間違いありません。

 神様とイエス様が一つになったように、私とみんなが一つになったか、班長はそれを反省しながら、与えられた使命を絶対に果たす責任感をもって、一つになること。そういうように内的結合を大切にしましょう。

 笑顔で迎える訓練

 次は最初が重要です。毎日の生活で朝起きる時に、いろんなことがあっても、時計がリンリンと鳴って目をあける時、必ず笑うんですよ。今までそれもしなかったのですか。昨日はいくら気持ちの悪いことがあっても、惨めなことがあっても、次の朝起きる時は、必ず笑いながら起きる。宗教生活には欠かせない行為です。

 それが習慣になれば、実にいい顔立ちになります。しぶい顔が途端に美男子の顔になります。(笑い)鏡をみながら訓練するのです。それから、御飯を食べる時も大切な時です。笑いながら食べる。食事しなかったら笑わなくてもいいですけど、食べるのだったら朝飯食べる時、あーありがたい、と思って笑うのです。

 そうすると神様は喜びの主体だから、そして神様に属する万物と一つになって喜ぶ。そう考えて食べる食事もよく消化しますよ。みなさんは食事は三回しますね。必ず三回しますね。朝と昼と夕と、三回笑って朝起きる時も笑う。環境すべてがそうなります。

 喜ぶ人を神は喜ぶ

 そういう習慣にすれば、その人は顔をみれば自然と深い考え、喜び溢れる印象の人になります。寝る時もそうです。その日にどんなにつらいことがあっても、しかし寝る時は笑いながら、神様いい夢を見せて下さい。望みつつ床につくのです。そしたら必ず見せてくれます。次の日為すべきことを教えてくれるのです。

 そういう喜びの生活をしていけば、神様は喜ぶ人を喜ぶし、万物を喜ぶ人を喜ぶのだから、その人は必ずよい方向に向って行きます。それが原理の観点でしょう。今まであなた方やってきましたか。今からでも始めましょう。

 朝起きて笑う。花が咲き香りを吹きかけるようにしながら。家庭もそうです。そういうお父さん、お母さんだったら、子供たちにとって、教育にとって一番いいことです。仕事で人に会う時でもそうです。いい印象を与えるのです。伝道しているのにしぶい顔をしたらできませんよ。何か内心から素晴しいことが溢るような円満な顔をして、今に希望を持って、未来に希望を持って伝道するのです。

 それはみんな、するのです。三角や四角の人でも、それはそれなりの美があるのですよ。(笑い)。わかりましたね。自分の中に笑いに逆うものがあったら、それはサタンの好む要素だ、サタンの餌よさようなら、そういう生活をしましょう。わかりましたね。

 率直になって学べ

 きょうは頑張ったけど少し様子がおかしかった、基準が下がったとしたら、明日は一歩でも上げる。毎日の生活の中で平均化した自分の心情の安定基準をはっきりさせて、それが少しでも傾いた場合には全体に影響します。しかしその傾いたり下ったりした基準を自分ながら整備し、反省し明日のために祈るようにしてマイナスを迎えるところに発展は続くのです。

 明日はきょうより一つよくなろう。きょうは自分の方法がまずかった、話し方が下手だった身ぶりや表情がまずかった、また原理研究がたりなかった、人生に対する経験や見方が少なかった、相手が好奇心にかられるような魅力的な印象を持たなかったといろいろ自分で批判しながら、毎日を迎えるのです。最初のうちは伝道できなくとも、二日目も伝道できなくても、一週間やればできるのです。一週間できなかったら、もっと自分を批判し、よい人の方法をみながら、情報を聞きながら、三人位聞いて自分ながら固めて、その通りやるのです。だから人に習っていく方法が一番利口な方法です。

 人々に習っていく。私もそうです。原理の奥を探す時、自分で自然界のすべてをつぶさに観察していく。そうすると普遍的な総合的な性質とか法則があるのですね。そうした結果の存在の中に全体的総合性の多いもの、それが宇宙原理に近いのです。根源たる神様の性質に近いといえる。これは理論的なことです。そういうふうにして、環境から情報を集めて、自分の目的に向って消化していくことは、発展の早い道です。

 私は今でもそうです。私自分の主観自信は、誰も否定できないと思っているし、誰も真似のできないことをした、と思っているけど、今でもいいものがあったら、それを習って横取りして自分のものにしよう、と思っております。

 それと同じように多くの人々のいいところを自分に早く引きつけて同化させる主体性を持ったとしたら、そこに多くの人を指導しうる能力が生まれる。それは理論的なことです。だからあなた方は、仕事をするという思いをしてはいけません。勉強する、勉強するのです。社会を研究する、人間を勉強する、経済を研究するのです。それは神様にすべてを捧げる心がなければできないことです。

 勉強する努力するのが嫌いな人は、落第生です。そういう人は、みんなから嫌われるし、みんなから嫌われものを、神様が好むはずはありません。もし女性が素晴しかったら、男はみんな班長もその女性の講義を聞くのです。負けたからといって、ぶつぶつ不平をいう者は、消えなくてはならない。不平をいう資格もありません。

 私は率直な男です。率直に話を聞きます。負けたとしたら、完全に頭を下げて、勝つに必要な準備をするのです。自分が主体的な準備をして勝った以上、それに文句をいう人は、どんどん退いていくのです。主体性もなく勝った時は、次は負けるのです。

 自分なりの主体性を持って、全体を見破る、観察するのです。班長だったら班長なりに、人のいい所をみんな収集して、情報を整理して、それを班全員に教えながら刺激してやる。みんながお互い同士負けないよう方法をとれば、班全体が班長を中心に一致化し、どんどん発展していくのです。わかりましたね。

 美しい動機は美しい結果を

 第一は何か。一つになること、一つになることです。それから、動機をつくること、美しい動機をつくらなくては、美しい結果は生れてきません。そういうふうにして、まあ三週間活動して、三週間以内ですね。十一月八日まで、千八百双が家庭を持って交代するのだから、時間がありません。その期間内に数名を伝道しなければいけないという緊迫した状勢ですから、最後を飾ってほしいと思います。

 あなたがたが天の伝統を立たせてくれたら、「日本人たちは素晴らしい、言葉も通じない体も小さい人数も少ない。しかし誰にも負けない伝統を立てました。」とアメリカの食口たちにいうことができます。そうすれば私の八十一年、八十年代までの計画は成してあまりあるようになるのです。こういう刺激的な伝統基準は、相当大きな影響を生みだすのではないかと思います。

 最近アメリカに来て、アメリカの食口に刺激を与えた。帰る時にもう一歩刺激を与えていく。アメリカに来た動機が素晴らしかった以上は、結果も素晴しく帰っていかなければならないのが、東洋を代表した日本ではないでしょうか。韓国も含めて、統一食口を中心にした東洋を代表してきた以上は、西洋人に何かを確実に投入して、原動力を残していかなければ、これは天にすまない、東洋に希望を持てない、こうなってしまうのです。

 だから私は、本当にあなた方にすまないと思うのですが、今朝早く為さなければならないと強く感じましたので、来てもらったのです。今ここに、アメリカに重大な伝統を残していこう、御名に誓って決意しますか。(します)。ありがとう。では西君と沢田君は、二人一つになって、神山君は毎日指導監督して私に報告して下さい。

 準備されているキリスト教

 さて、ここにいる世界の食口たちも、日本の食口がこうして班編成して、新しい次元の基台に入るんだから、それに相応した活動を各自がしてほしいと思います。そしてこれからもう少し、あなた方に話しをしておきましょう。

 神の摂理から見ると、統一教会は神の摂理の最後の使命を果す立場に置かれています。とするならば、今日キリスト教界が、あらゆる宗教が準備されているにもかかわらず、彼らと決裂しているということは、これは悲惨なものであります。

 その宗教団体が、統一教会と一つになったとしたら、我々はもう伝道しなくともいいのです。しかし現実は一つにならないばかりでなく、反対しているのです。こういう環境を見られる神様の立場を考えたら、神様はいかばかり悲惨なお方であるか、ということを我々は考えなければなりません。

 結局、カイン・アベルの復帰摂理を、歴史において完全に収拾しなければならなかったにもかかわらず、それを果せずして、世の末の最後に来られる御方、結論の基準である御方に対して試練を与える、ということを今まで人々は解らなかったのです。

 神様は今まで、キリスト教とか、あるいは、多くの宗教を信頼しながら摂理を推し進めてきたにもかかわらず、次の段階のメシヤがこられて、その基準を引き継ぐために準備したにもかかわらず、それを知らないで、そういうふうに反対された時の神様は、今までの基台に完全に逆う立場に立つその現象を見る神様は、いかに悲惨であろうか。我々は考えなければなりません。

 蕩減期間内の使命

 神様の方から見た場合、今までキリスト教とか、その教団を中心に世界的基盤の祝福を準備してきました。それがみんな反対するのだから、その祝福はどこへいくか。今の統一教会は、個人的基盤であり、家庭的基盤であります。だから神様が準備した世界的基盤の祝福を授ける所がないのです。もし反対したら、その祝福を他にまわさなければならないのです。

 神の摂理に反対する結果になった中心宗教を崩すにしても、それは原理的期間があるのです。新しい中心に神の摂理を移すにしても、何年間以内にという原理的蕩減期間があるのです。その期間内に移されない場合には、みんな崩れてサタンの方に引っぱられてしまうのです。

 キリスト教の二千年歴史の祝福は、御旨に逆うようになって、プロテスタント運動を中心として、二百年の祝福としてみんなまとめてアメリカを祝福しました。アメリカが祝福された基台のキリスト教会とアメリカ国家という基台が、もし統一教会に反対する立場になった場合、これは二十年以内に収めなければ、みんな流されてしまいます。

 二百年間を二年間には蕩減できないから、二十年以内です。二十年以内に収拾しなければなりません。その期間内に世界的な基準に相応する我々の基盤を、いかに位置づけて、それに崩されないように引き継ぐか、というのが今まで私が苦労した課題です。

 摂理圏に立つ統一教会

 だから新しい摂理圏における統一教会のメンバーが、今考えなければならないのは、誰もがキリスト教界からざん訴さるような者がおっては、絶対にいけません。全体的完全には世界的にならなくとも、条件的にでもいいからもがきつつ、世界的基準を引き継ぐ基盤をつくらなければならないのです。そうしなければ、今までの二千年、二百年の摂理圏をそのまま保つことができないのです。神の祝福は、我々にまわらざるを得ない世界の現状なのです。

 だから今後三年間、いわゆる第三次七年路程の終る時、いろいろな面で国の基準を凌駕して、堂々と立たねば大変なことになります。国家と世界にあるすべての内容を準備して、それを受け継げる体制を整えておかなくては、民主主義圏に与えられた神の摂理は、祝福はすべて流されてしまうのです。

 今日のそういう環境、そういう現状を眺める神は、いかばかり胸がつぶれるような思いを持たれる悲惨な神様の前に、その摂理を背負わなければならない御方と人々のつらい立場を考えて、我々は一つにならなければならない。“私”一人は個人ではないのです。今日までの祝福基盤を受け継ぐ主人にならなければならない一人ひとりであります。

 世界的基盤の造成

 しかしその主人公たるべき者が、まだその基準をなしていないとしたらどうであろうか。世界は完全に滅亡状態です。そうすれば、また神様は悲惨であります。私自体もこれらの内容を果たさなければならない使命の立場にあります。その心はどんなものであろう、考えなければなりません。

 今日の世界状勢をみると、共産主義は南米、ヨーロッパすべてを浸しています。こういう結果をきたらしたのは、誰の責任か。もちろん今日までのキリスト教の責任でありますが、結局この時代の一代において使命を持っておる統一教会の責任だ、ということを心から理解しなければなりません。もう幸いとか苦しいとか弁明の余地は、我々にはないのです。

 そして私たちはどんなに反対されても、その反対するキリスト教界を神に祈らなければならないのです。これは誰が間違っているのではない、こうして攻撃をしても憎らしいからするのではなく、神を愛るからそういう立場に立っているのでから、どうか延長して頂きたい。そう思って神様に祈るのです。怨讐視して一線を画するような思いはいけません。イエス様が十字架につけられた時祈った立場は、こういう内容があるな、と初めて御心情を理解できるのですね。

 そういう原理的期間内にそれを収めなければならない、という使命があるから今まで八十年代八十一年まで、その基準を何とか受け継がなければならないと思いますので、我々の足りない現実の環境であるけれど、死力を尽して押し立てても、そこまで到達するようにしなければならない天的立場を、あなた方は理解してほしいのです。

 キリスト教会としても、言論界としても、学問としても、その他あらゆる事業を社会的、国家的基準をつくらなければならないのです。国家的、世界的な働きのできる人にならなくてはならないのです。この限られた期間内に。そうしなければ世界は滅亡に向うのです。

 行く所のない私たち

 ですから統一教会は、大変な運命にかかっています。神が摂理の前に統一教会を立たせようとするにもかかわらず、統一教会が世界的な基準に立てなかったとするなら、共産主義は、全世界をおびやかしてしまう。そしたら、宗教は阿片といい、神様はいないと訴える共産主義の世界になったら、宗教はいっぺんに滅亡する、統一教会は最初に抹殺されてしまいます。そうなったら、あなた方はどこに行きますか、私はどこに住めますか。今日の情勢から見ると、うなるのが自然的結論となるのが現状であります。

 神がこの世界の主人にならなければなりません。そして神の命を受けて世界を受け継がなければならない私たちが、もし共産主義者によって悲惨な運命をたどるとしたら、神様が実に可哀そうであります。

 それから怨讐の世界になる、神様に反対するサタンが世界を握る。神の摂理から考えた場合、統一教会は最後の宗教です。それが破壊されたとしたら、宗教の世界はどうなるでしょうか。良心家たちはどうなるでしょうか。 だから真剣になって生き残る道を命がけで造らなければならないのが我々の使命であり、命を犠牲にしてもこの基準を残してもらいたいのが、先生とあなた方と統一教会の使命であり、神の願いであります。

 それをこのような少数の人間でアメリカで活動し動かすことは、実に惨めで可哀そうな立場であります。しかしそうだからといって、私たちは後退することはできません。死んでもできないのです。

 神の期待を震える思いで

 私は、いま十字架を背負うてゴルゴダの山上に向うような思いでもって、一人でも行くと決意しています。死んでもやらなければなりません。我々がより団結して、八十一年まで何とかして基盤をつくったら、世界は完全に神の側にまわる。日本の兄弟たち、考えてごらんなさい。八十一年まで数万人を伝道しなければならないとしたら、今年は数人を配置しなければならない。その上、あなた方がすべて日本に帰るとしたら、もっと辛い立場になってしまう。そう考えたら、あなた方の使命と責任がいかに重大であるか、真剣に覚悟しなければなりません。

 もしアメリカが、世界の摂理圏に立たないで、共産主義に奪われたとしたら、三分の二はみんな抹殺されてしまうでしょう。毛沢東は、三十年間に何千万何億の生命を奪っただろうか。歴史的にこういうことを犯してきた共産主義が、アメリカにも行うということは当然のことです。今では北韓には、キリスト教が一人もいません。今でももし見つかったとしたら、即刻銃殺です。

 このことからしても、神が我々に期待する心情は、震えるような思いで眺めているということをいつも考えなければなりません。私自身もそうです。いかにしてこれを引きつけるか、そのこと以外には何も考えられません。

 進む以外に希望はない

 こういう天的心情を理解して、今度地方に帰ったら、あなた方自身も震えるような思いを持って、八十年代までの第三次七年路程の基準をなんとかして築きあげなければ、たとえ完全でなくとも、条件だけでも立たせなければならない統一教会の死んでも果たさなければならない使命であることをはっきり知って戦うことを願います。

 もしある期間内にその基準を果たすことができなかったら、その時になって不平をいっても、恨みごとをいってもどうしようもありません。言う立場も聞く環境ももうないのです。だからそれをさけるためにも、今はそれ以上悲惨な立場であったとしても、感謝しながら進んでいく所に希望があるのです。それ以外には希望がない、ということをはっきりいっておきます。

 こうして一つになっていけば、神様は私たちの生命をかけた誠意を知って摂理することができるのです。辛いとか、無理だとか不平をいう余裕もないのです。私自身もそうです。今朝は三時前から起きて、計画を立てたり、組織したりしてきました。寝る前から頭が痛くても我慢し、いろいろなことを思い思って気を張りつめています。そうかといって、頭の痛いことを誰にも話せないし、そういう素振りもできません。

 使命によって生きている我々

 使命によって生まれ、使命によって生きている以上は、体が痛いとか病気とか間違いとかいうことは、休むための条件にもなりません。

 あなた方にも苦労をせるのは、すまないと思っています。しかし今のすまないことより、その時になってすまない立場になった場合を考えると、それが恐しいのです。

 今回のワシントン大会もそうです。もしこれが失敗したらどうなるだろうか、大きな問題が起きるのです。だから私にはその日のくるのがうれしいのではなくて、非常に恐ろしいことでした。

 ですからあなた方がそういう心情を持って一つになってゆけば、八十一年までは何とかして勝利の基台がつくられるのではないか、やっとできるのではないかと思います。そしてできれば一年でも前に、それを越えるような基準をつくったとするならば、それは世界に偉大な貢献をすることになるのです。その前に何とか犠牲を払っても、いかなる悲惨なことを見ても、それを進めて、そこまで到達させたいのが私の思いですので、あなた方が私の身代りとなって働いてほしいのです。

 摂理上最後の戦い

 その時峠を越えた場合、共産主義はもう下降しています。世界で私たちに反対するものはなくなっています。今の困難なこの世界と時代に、我々の何年間の活動によって新しい方向性と新しい理想圏が生まれる、という偉大な奇跡がいるのです。歴史的緊急事態に歴史的使命感にうたれる著者にならなければなりません。

 今度が最後です。復帰摂理歴史上の宗教活動において、これが最後の戦いで最後の戦いです。今日の世界情勢をみてもそうなっています。今は世界的主人がいません。個人においても自分の主人を失い、家庭にも社会にも主人がいません。いかなる国にも世界にも、主人を見失っているのです。その主人公を我我がとり戻さないかぎり、神の摂理は完成しないのです。

 だから励んでほしい、あとわずかの後に迎えるその日まで、辛くても、辛棒して後退せず歩んで勝利の旗を揚げて神に凱旋歌をあげるのが我々の使命であります。数は少なくとも、しぶいみにくい顔をするのではなくして、喜びと希望でもってこらえながらも、笑顔で勇みつつ、苦しみをし忍んでその目的に前進する姿は、神、天地ともに頼りとする者と思いまして、またそれが、神と歴史と、私とあなた方の願いと思いまして活動して下さいますように。では祈りましょう。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.15 20:27:09
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2021.09.13
​​​​​​​​​​​​​「天勝日のみことば」

1976年10月4日
ベルベディアにて


 天地の解放

 皆さんのの顔を見るとうれしくて満足です。なぜかというと顔がほのかに紅くて若い顔立ちであるからです。皆さんの顔には希望があ明日があり新しい歴史が期待している事実があることを知らなければなりません。皆さんの顔と両手には、世界の方向が左右されるという驚くべき事実があることを悟らなければなりません。
 きょうは一九七六年十月四日であります。ワシントン大会は九月十八日終ったのです。皆さんの活動というのはきょうで終わることになっているのです。きょうは何の日かといいますと、きょうはとっても良い日なのであります。九という数はサタン世界の数をいうのであり、十数というのは神を象徴する神側に入る数であり、はじめにかえっていく帰一数であることを皆さんは知っているでしょう。四数というのは、四位基台になっている数であり、これが歴史発展において四数を基盤にして四十数、四百年というように蕩減条件に必要な数として続いてきたということを知らなければなりません。四数というのは地の数であり、神と地が合うことのできる数なのであります。その為にきょう、十月四日というのは、先生においても忘れることのできない解放の日であることを知らなければなりません。
 そして十月四日というのは、私が韓国の西大門の刑務所から出てきた日でもあるのです。アメリカに入ってきてきょう、勝利をおさめる日まで、また解放を記念する日としてきょうの意義深い日を持つことができるのことは、二つの解放を祝賀する日であるということを感謝するものであります。

 第一は神様の前に感謝し皆様の前に感謝するのであります。それできょうはワシントンの勝利を祝賀すると同時に、全体の内容が膨大な方向を持つ天的な意味を持っている為に、きょうこの日を我々統一教会の歴史を通して守るべき記念の日として定めるのであります。
神側的ローマとイスラエル

 きょう、神が勝利したという意味で、天勝日として決めました。なぜ、この日がこのような日であるかという事をこれからお話しいたします。

 蕩減歴史は歴史過程において失敗したことを再び再現させて蕩減するのであります。神の摂理において最も悲惨なことは、アダム・エバの堕落であり、二番目に悲惨だったのは、イエス様の基盤を中心として、世界的基盤を越えることができなかったことです。

 世界的基盤であるキリスト教の上にアメリカは、アメリカの国を中心としてイエス様時代を再現する運動を始めなければなりません。

 そのためにその様な歴史的な版図を神側において作らなければなりません。サタン側において作られればまた殺されるから、神側の版図をそのような系体として作らなければなりません。アメリカという国は世界的主導的国家であると同時に、昔、イスラエルの国の前にローマと同じような立場に立っているのであります。

 ローマがキリスト教の伝統を受け継いで、キリスト化したために、その延長的な世界的キリスト教圏に立っているローマ、その形が今のアメリカであることを皆さんは知らなければなりません。

 ローマの前におけるイスラエルの国は互いに相剋的になったならば問題がおこるから、神側的ローマの形と、神側的イスラエル形がアメリカと韓国なのであります。性格が異なってくるのであります。

 昔、ローマの時代においては、抑制するような主体的立っていたのがローマでした。今のアメリカは神側に立っている為、イスラエルのような韓国を救ってあげるという立場に立っているのです。なぜアメリカは韓国を投げ捨てることができないのでしょうか。韓国を投げ捨ててしまえば全部逃げてしまうのです。

 キリスオ教と同じ立場

 そのために、イエス様が失敗したのを全て取り戻して勝利したという条件を立てなければならないのが、統一教会であることを知らなければならないのであります。キリスト教を中心とした韓国が、キリスト教主権国家としての独立をしたその時から、韓国が統一教会と一つになったならば直ちにアメリカと連結されるのであります。

 イエス様がしなければならなかったこ事は、国家の立場を越えて国家の祭物のような祭壇をこえて、世界的祭物のようなローマの国と世界的な天使長のようなローマ国民をこえなければならなかったと同じように、韓国においても統一教会は、韓国の国民をこえ、アメリカの国とアメリカの国民をこえて行かなければならないのであります。そうすることによってイスラエルほ国が失敗したのを復帰するのであります。

 ローマ形世界形をこえていかなければいけないキリスト教統一教会と一つになったならば直ちにこえていくことができと同じ様に。そうであったのですがキリスト教が反対してしまったのであります。イスラエルの国がイエスの死後みんなバラバラになったと同じ様に、このみ旨を受け入れることができなかったキリスト教は、全部バラバラになりはじめるのです。

 そのように歴史は発展してくるのであります。それで先生は韓国において何をしたかといえば、イエス様が三十三年間において成しえなかった事を蕩減復帰しなければならなかったし、三十三年間において成せなかったことを、世界の舞台において蕩減復帰する歴史を、統一教会をかけてやっているこ事を皆さんは知らなければなりません。

 結局、先生は三十代に世界的舞台をなせなかったのですが、それを再び繰り返すのであります。それで、一九四五年韓国は独立してから一九七八年までが三十三年の期間であります。イエス様が生きてやった三十三年間の仕事の形を世界的基準を中心として再蕩減する時であることを知らなければなりません。イエス様が三十代において出発したと同じように、今日先生は三年半を中心として、アメリカにおいて活動していることが、イエスの公的三年路程を再蕩減する世界的な基盤と同等であることを皆は知らなければなりません。

 このようにして全ての蕩減条件を韓国において、韓国の民が反対したことを乗り越えて一九七五年を中心として、韓国の国家的基準を越えて一九七五年から七六、七七のこの三年路程にあわせて世界的アメリカ、ローマ形のような国を蕩減していこうとするのがだ今の戦いなのであります。

 七四年のマジソン・スクエア・ガーデンの大会は、霊的世界的基盤キリスト教であるアメリカにおいて霊的勝利の基盤を整えて、国際機動隊を一九七五年に韓国に入れることによって、霊肉を中心とした国家的基準に、その勝利圏を連結させる基盤となったのであります。
 霊的この世界が肉的国家基盤を連結せずしては世界的国家基盤を形成できないゆえに、韓国において国家的基盤を霊肉ともに整えたとしても世界的な霊的キリスト教圏をここにおいて吸収する基盤をつくらなければならないのであり、それを通してのみ始めて肉的世界基盤を整えることができるのです。そのような戦いが今の戦いなのです。何の話かわかりますか。

 このようにして、韓国において勝利した霊肉の中心をもって、世界的実体的戦いであるアメリカを中心としたヤンキースタジアムとワシントンの戦いが、その戦いの中心部なのであります。その戦いにいどむのは、私がいどむのであります。アメリカが黙っているのに私が戦いをいどむのであります。反対なのであります。イエス様の時と反対なのであります。アメリカが大さわぎをするし、アメリカと韓国が一つになってレバレント・ムーンを追い出そうとアメリカが反対するし韓国と一つになって、レバレント・ムーンを追放しよう、また反対しようとするのであります。

 イエス様の立場と同じように

 ヤンキーは二度目のことですからイエス様が心霊復活したのと同じであり、霊肉が一つになりうるこのような一体的復活圏における戦いと同じでありますから、ヤンキー大会においては打ち殺そうとして血を流すか、何かの事が起ると先生は思っていたのであります。また、そうならなければならないのであります。

 結局、レバレント・ムーンが、死んでから復活するのであります。その為に、雨、嵐が吹きまくり大会をするどころではなくなりました。反対する人たちは喜び、ヤァー、レバレント・ムーンが今や、滅びたと喜んでいたのでした。

 その日、悪いことをしようとする人が、嵐の為に帰ってしまった人が多いのであります。まことに蕩減復帰というのは、どうすることもできないのであります。そうしたら神山君とかいろいろと入って来て泣いたり、全ての人が絶望したのであります。そうしながら外においてはどういうことが起るかというと、ザ・ゴーワールドブラスバンドが始まって、歌を歌いはじめて聴衆が一つになったのであります。これが素晴しいことなのであります。

 それは何かといえば、イエス様が公判の場に立った時、来ていた聴衆達が全部一つになっていたのと同じなのであります。

 イエス様が三時間ほど暗闇の中に立ったのと同じように、先生も同じ三時間、暗闇に立たなければならなかったのであります。先生も苦悩の中にたたなければならないのでありますそのようにして結局、イエス死後、全て天変地異がおきて死んだにもかかわらず、天の奇跡がおこって天気になり、大会は運ばれて、聴衆を迎え入れることができたのです。内的に外的にそのような環境をへて、暗闇から復活圏を整えて勝利の楯を立てたのであります。

 イエス様の勝利とワシントン大会

 こうすることによって私たちは心において百%勝利しなければならないのに半分しか勝利していません。このようにしてヤンキーからワシントンまでのイエスの二千年を蕩減するのです。このような世界舞台を通るのと同じように、半分の勝利をもってワシントンで完全な勝利を成していくのです。

 ワシントンにおいて霊肉を中心として一挙にやってしまうの.です。皆さん、イエス様が十字架を負う時、アリマタヤの黒人が協助するようになるのです。

 本当に不思議です。全く合致するんですよ。このように一つになってレバレント・ムーンは死ななかったのです。滅びることを願い、失敗することを願い、西洋人、アメリカの国民全てが反対し、失敗することを願ったのであります。このようにして完全にアベルとアベル圏統一教会、カイン圏この外部世界が一つになって、私達の統一教会の条件をのみこんでくれたし、四十日間、協助してくれたのであります。

 私達が一挙に勝利したら全く反対になってしまいました。ワシントン市全てが花火で輝き、どうする事もできず反対する事もできなくなるのであります。このような現象が起るようになるのであります。このようにしてワシントン大会においては有名になりました。

 ワシントン大会の前後を通して、清掃作業をし、ポスターをはがしましたが、アメリカの国においてかつてない素晴らしい団体であり、素晴らしい行動でありました。統一教会という団体は、アメリカの二百年の歴史課程において見出すことのできなかった団体であり二百年歴史がここにおいて誰も成し得なかった事をやったという結論が出るのであります。

 それより、もっと問題は何かといえば、白人、黒人、黄色人種が集まれば争いが始まるはずなのに、このような人々が一つになってレバレント・ムーンはあゝ素晴らしいという事はアメリカの歴史にない事であります。

 今後の灰史においてもありえないのであります。そうすることによって最終的な結論として、統一教会には世界にないスーパー的な力があるという結論になるのです。それは何をいうかといいますと、歴史的に霊界から見れば、東洋、西洋、黒人、白人全て善なる霊達は一つになって統一教会のレバレント・ムーンを後援しているということであります。

 また地上において黒人、白人、黄色人、みな一つになって全部レバレント・ムーンを支持するのであります。このようになるとや地上協助、天上協助が完結されるようになるのであります。
世界的霊界協助の出発

 今後において私達が戦っていかなければならないのは、アジアにおける共産圏なのであります。最も主導的な責任者が毛沢東であります。その次が北韓における金日成であります。それは国家的代表、かつ共産圏世界的代表として黄色人種の魁首になっております。このような立場に立っている毛沢東が、私が世界的基盤を踏み上ったその瞬間、地の中におちこんでしまったのであります。

 ワシントンポストの全面記事がこのレバレント・ムーンの記事であり、毛沢東は十八ページの上に少し載っているだけです。その結果どうなるかといえば、統一教会は、ほっておけない存在であります。恐いといえが恐い団体であります。

 このような観点からみる時、ワシントンの集会は世界史的な意義において、レバレント・ムーンの位置、統一教会の位置をゆるぎないものにさせ、霊肉界において世界史的なローマに入ってイエスが宣布式を行ったと同じものにさせたのです。

 こうなることによって、どんな事が始まったかといえば結局は、イエス様の恨みをといたということになるのです。そうすることによって神様の恨みをとくことができるのであります。そして全ての聖賢達と義なる人たちの、イエスを殺し、メシヤを殺した為に地上で解けなかった恨みを全く解くのであります。先生が一代において念願である恨みを全部解きました。霊界の恨みと地上の恨みを解いてあげる条件があるため、勝利したということは、あらゆる条件を解いてあげると同時に、そこに関係する全てを指導しうるという結論ができるのであります。

 今まで霊界には国がないし、西洋だとかそのような国はありません。しかし仏教を信じていた人は仏教の前に、儒教を信じていた人は儒教のまえに、マホメットを信じていた人はマホメット圏内に入り、このようなあらゆる宗教界と連結されているのであります。そのために、世界的メシヤがくるまで、自分のグループのため準備をして今まで導いてきているのであります。

 堕落した時の神の恨みと、先生の今までの恨みを全て霊肉界において解くことができる以前はそれを解くことができません。その為にワシントン大会で勝利することによってそのような恨みを解くことができたのであります。それで霊界が統一されるのであります。霊界は今や一つの組織体なのであります。そして地上もそれに従って相対的に一つになった世界になったということは原理であります。

 それでどういうことが起るかといえば、神、アダム、エバ、先生を中心として、皆さんを中心として今ここに天使長圏が始まったのであります。それをみると天使世界に該当するのであり、アダムの世界に該当するのであり、全ての世界に該当するのです。

 それはどのような基準まであがるのかといえば、国家的、世界的基盤まであがるのです。
 息子をおいて最高の位置において到達したのであります。そうすることによって今、サタンは結局、神、アダム、エバ、天使長が一つになることを攻撃できないという結論になるのであります。もし打つ日には損害賠償を払わなければならないのです。そのために打つなら、全てを奪い返してくるのです。昔は、神様のところまで上ってきたのですが、これからは逆に、転換されるのであります。

 そうすることによってこれからどうするかといえば、霊界は完全に我々と一つになりました。私達がここにおいて、はっきり知らなければならないのは、統一教会が行くべき姿勢をはっきり正さなければなければなりません。

 最後の大会

 どのようにしていけばいいのでしょうか。サタンの讒訴条件にかからない様にいかなければならないのです。そのためにワシントン大会に皆さんが活動し、神の目的のために勝利を目指して働いた以上の基準をもっていく日においては、常に神は味方なのです。そのように動く時、神は協助し、それ以上動けば常に神は味方するのです。それ以下になる時にはサタンが黙っていると思いますか。弱くなったりバイキンが入ってくるのと同じであります。そのために今日ここに天勝日とともに皆さんが知らなければならないことは、統一教会の勝利の伝統基盤が何であるかといえば、ワシントン大会に参席して活動していた以上の誠意と熱意を持って耐える時、天は常に共にあるのです。勝利は常に我々のものであるという結論を出すことになるのです。

 それでは皆さん、この祝賀会に参席して、この祝賀する姿勢を整える事ができるでしょうか、できないでしょうか。整えることのできる資格があるでしょうか。それ以上、私が活動するであろうし、前進するという決意を持たなければこの祝賀会に参席する資格がないという事を知らなければなりません。これから私が前進する道においての目標は何かといえば、共産圏に行って、世界的な大会をする日が残されているのです。これから民主世界のアメリカが反対しても、どのような国が反対しても関心をもつ必要はありません。

 それは既にうしろにおいて反対する者はみな過ぎ去ることになっているのです。前ではなく後でヤァーヤァー言うような人達は、結局私たちについてくるようになるのです。前においては行かないという人は結局は私たちについてくるようになるのです。前においては行かないという人は結局は私についてくるのです。

 そのために、そのような次元を越えなければなりません。そして我々の行くべき道は、共産党を追いこえていく道なのです。

 これからでは共産党ではレバレント・ムーンを殺せというようにレバレント・ムーンとのそのような戦いが残っているのです。民主世界が反対したのと同じ様に北朝鮮において、レバレント・ムーンを撃ち殺せといってアメリカの国務省に韓国のレバレント・ムーンを追い出せと悪宣伝をしているのす。そしてキリスト教も反対し、アメリカも反対し、民主世界が全て反対するようになるのであります。共産党と真正面とむかって戦う人はいないのであります。

 アメリカもキリスト教も後退するし、ユダヤ教も後退し全てが後退していきますが、統一教会のレバレント・ムーンだけが一人で耐えようとすることにみんな拍手をするのです。顔では反対するのであるが、手は叩いているのであります。そうなると思いますか。そうじゃなうと思いますか。間違いなくそうなります。

 キリスト教・アメリカの最後の出逢い

 世界共産党が最も憎むレバレント・ムーンでありまた統一教会なのであります。世界的なキリスト教と世界的アメリカとかち合うようになったのであります。天の原理の法度に従って、原理の法度をたずさえて行くのです。目的が、彼らを滅ぼす為ではなく救ってあげる為です。我々に武器があるとすればそれは何であるかといえば、霊界の動員です。

 皆さん、エジプトにおいて長子を殺したが次子は殺さなかったと同じように、二番目のものは神のものであるから、これは復帰摂理の中においてアメリカ的立場にいるのです。共産勢力の中に、共産世界の中にアメリカ的立場にいるのが二世、息子、若い層であるために、若い層は神がつかむ事のできることを知らなければなりません。

 ムーン民族も荒野において第一世は全部滅びてしまいましたが二世達がカナンを復帰したのと同じ様に、ソビエトにいる一世達は、滅びるとしてもソビエトの二世達は、天国側に来るという論理が成立するのです。同じ原理なのです。私達が正面衝突すゝ比例によって、我々を迫害すればする程、神はその息子達を中心として、霊界で共産党最高党員の息子達が夢に見て、父がやることを見て、神がいないはずがないと父と争うようになるのです。

 ここに新聞記者が来ていれば笑うでしょう。夢のような話だと思うかもしれませんけれども事実を記しているのです。霊界を知らないからそう思うだけなのです。このような事実を知っている為に、私が共産党に対して全面的に存在するという信念を持つのです。私がもし倒れて死ねば、モスクワの広場において共産党達の後孫達が自らの手で私の銅像を立てるでしょう。
 このような信念がある私は、論理的な体制を整えて全世界、全霊界、全共産世界に施風する事のできる人は、レバレント・ムーンしかいないことを知らなければなりません。

 今までレバレント・ムーンがやるといってできなかったことはありません。やると言って成せせなかったことはありません。私が三年半前ここに来て、こういうことを成すであろうと言った時、誰が信じたでしょうか。その時来た時よりも今から行くのがもっとたやすいのです。
 今や民主世界を越えて共産主義に行く最後的な世界的なキリスト教に出会う時において私たちが後退すべきか、前進すべきか結論を出さなければならない場が、この場なのです。

 そうすることによってどんなことが起きるかといえば、キリスト教・アメリカが一つになれずしては父母を捜し求めることができないという事実を知ったために、今日の民主世界において統一世界と民主世界が一つになれば、民主世界に父母が登場することができ、全世界の共産党と民主世界が一つになれば、キリスト教・アメリカ圏において一つになる日、父母が登場しうる一つの国になるという結論が出るのです。そうすることによって、三次七年路程、八一年まで熾烈な戦いがあるのです。皆さんが信じて絶対的な天の信念を持って進めば短縮させることもできるのであります。

 二世達の活動

 皆さんのこの国がレバレント・ムーンを協助するようになれば期間以内において、全て成されるのであります。

 反対するにおいて二世達は神の側でありますから一世が反対しても若い二世達が、統一教会へ来ますかといえば、二世達は神の側でありますから入って来ざるをえません。

 それを知らずして反対する人達が、言論界達も父母の達の話もきかず言うこともきかないし、先生の話、大統領の話も聞かないし若者が全部行ってただ働きをして逃げることもしないでやっていると反対しているのは天的に考えないからです。結婚しなかった人、手を上げてみなさい。殆んど八十パーセントぐらいでしょう。そのためなぜこのよ様な現象がおこるかといいますと神様が成すのであります。

 反対しながら荒野において鷹の餌食になったようにみんな共産党の銃剣のもとに倒れるでしょう。反対することによってみな自分達の息子達を贈り物として捧げるのです。本当に反対する価値があるのです。それを知っているため、私がアメリカにおいて肝っ玉が大きいのです。ニューヨークタイムズ、サタンの息子、娘達が原理のみ言を聞かなかったために黙っているし、ワシントンポスト、サタンの息子、娘達が原理のみ言を聞かなくて黙っていますが知るようになったならば黙ってはいないでしょう。

 私が戦う必要はありません。自分の息子と親が戦うようになるのです。これらを知っている為に、もっとよい道を知っている為に、迫害を受けながらも慌てないのです。そうしながら、後退するのではなく発展して行くのであります。これは宇宙の復帰の公式にそって、不可避な結論である為に、私が滅びることなく反対を受けながらも耐えて、世に出てきたのです。


 人本主義の限界

 ここに反対する人が来たならば、レバレント・ムーンの論理が整然としてあるし、堂々たる論理をもっているが故に、反対すればする程、もっと喜び、もっと発展するという事をもう一度考えてみなさい。この原則は、共産主義においても、同様なのです。

 世界的な問題がおきてそれ以上発展することができなくなれば我々の側になってしまうのであります。そのために我々は生活の中において神を発見し、社会の中において発見し、世界において神を発見することができるのです。

 神がいないということは言えなくなるのです。さあ、それから行くのか、行かないのか、それではどの基準以上すると言ったか、私達がこれぐらいの、これっぽっちの基準でもって共産党にむかえば、鼻笑いされてしまうのです。

 彼等は、いくら力があるとしても人本主義思想を持って、人本主義思想を根拠とした物質的起源に執着しているにすぎません。全体のための神を中心としたみえない世界に我々は、見えない無限なる世界に執着されるのであります。

 さあ、皆さん、霊界には国境がないことを知らなければなりません。ソビエトを攻撃するのに中国人も、アフリカの人もどの国の人もみんな、攻撃することができるのです。
 あなた達、先生を夢の中か、うつつの中、祈祷の中で会った人は、手を上げてみなさい。百パーセントであります。こういうことは誰が知ることができまでしょうか。いくら研究しても知ることはできません。霊界が世界的にやると思うのにできないはずはありません。あなた達、レバレント・ムーンを悪い悪いと思うがそう変ってしまったのに、良い良いという人が変ったら、どれ程、変るでしょうか。

 霊的世界が問題になってきます。すなわち、理論的になるということを、知ることができるのです。この地球は、神の主管圏に入るのであり、神の主管圏の為に戦っているのです。我々の前に平素な世界になる時が間違いなく来るのです。他に行く道があるならば私がまっ先に行きましたよ。他に行く道がないからこの道を行っているのです。あんた達より頭は悪くないのです。
関心を持って勉強しよう

 だから皆さんそう思って、皆さんが知ってその原理の内容を持って信じてもあまりあるのであり、体験を通しても信仰生活の中においての体験からも信じてもあまりあることですから、疑わずにまっすぐ進みなさい。

 三年半前に私が単身来て、こういうことをやると言った時、他の事を考える余念がありませんでした。今は、アメリカの人で知らない人は、ないでしょう。私は、なおさら知らずにいられない事は、白人ならともかくとして、黄色人種、レバレント・ムーンであるからより知られるのです。それほど騒ぎ、それほど国家的に騒いでいるのに知らない、という人がいるならばその人は寄生虫にすぎないのです。アメリカにおいてアメリカを憂える国民ではありません。

 あなた達、レバレント・ムーンを知っているのですか。どれくらいレバレント・ムーンを知っているのですか。だから世の人はいうまでもありません,。だから、これを少し強化すればいいのです。

 先生によく質問する人がよく勉強するのです。無関心な人が関心をもてば、もっと勉強するようになるのです。だから、アメリカの国民がどうなるのか関心が多いのです。
 私がこのアメリカの社会において、一つも悪いことがないと人々は知る様になった時、またアメリカを救うた為に、このような思想の体系の上においてやらざるを得なかったということを知るようになったら、そしてアメリカ国民が来るようになれば、アメリカの国民が頭を下げるでしょう。そうなるのです。

 これから反対するそれらの後孫達に宣言しますすが、皆さんの息子、娘達がこれから二十年後に、自分の親達が、統一教会のこのみ旨を知った後に親達が反対したという事を知るながばだ親の墓を堀りおこしてしまいたい気持になるということを知らなければなりません。そのような内容を持った真理であることを知らなければなりません。あなた達が私の話を聞くのは、このように、理論的に体系づけられた真理があるから、悪口を言われながらもここに座っているのでしょう。

 これから残っている大会にむかってアメリカが世界の為に責任果せなかったために、責任果たす為に若者を集め、そこでは、アメリカの若者を先頭に立てていくの.す。そうすることによって民主世界が再び活きかえるという原理観があるため、今後皆さんはアメリカの若者の復帰にあらゆる誠意を尽すことを願うのであります。

 私が死ねば神様が代わる

 皆様は、ヨーロッパから来た弟達なのであります。旧約を救わなければなりません。キリスト教といえば旧約と新教の関係である旧約の国家としてヨーロッパが、今は全部共産主義にのみこまれてしまったわけですが、これを救わなければならないのです。そのようにしキリスト教を一つにさせなければなりません。ユダヤ教とキリスト教と我々統一教会が一つになれば問題はない、問題ないと思いますか、自信ありますか。

 アメリカにおいてキリストを信じない人いますか。共産党が奪っていったものとかサタンが奪っていったものを取り返さなければなりません。戦わずして麻葉でもって全部滅ぶようにしてしまいました。それを私がなくならせるのです。君達もそうだったんでしょう。麻薬を飲んでいた人達、手を上げてみなさい。マリファナを飲んではいけない、煙草、酒、フリーセックスなどはいけないというから、サタン側においては、大騒ぎになっています。

 アメリカ国民達が、私を表彰することはできなくても反対するとは何事でしょうか。それは全て神様の命令なの.す。レバレント・ムーンの命令ではありません。人類の公的による命令によって、その次、レバレント・ムーンの命令によって出戦するのです。

 共産党の銃剣が自分の胸にさしせまってくることを考えた事がありますか。死を覚悟していく道にのです。既に神様に預けたものですから、死ぬ時においても、私が血を流して死んだならば、神様はアァー、レバレント・ムーンよ、あなたがみ旨を成せずして死んだのか、私が代わりにやってあげましょう、と言って神様が出てくるようになるのです。イエスひとり死んだのち神様が代りに責ったために、キリスト教がそれほどの歴史環境においてさえも発展したことを皆さんは知らなければなりません。それと同じなのです。

 それでは神の永遠なる無窮なる伝統を築きうる中心の楯を持って死ぬ、ということを知らなければなりません。そのような思想が歴史を通して若者の胸に刻みこまれるのです。

 統一教会の歴史において、殉教の祖先のなることを考えてみなさい。一つの家庭ならば自分の家において一人の人が現われるのを願い娘がいればそのような娘になることが最高の希望であるのです。父母の心としては。これをれを考える時、我々はこれからワシントン大会において動いた以上の信念をもって、神の前線に向って総進軍すべきでしょう。そうできますか。私が目をつぶっていますから、そうできる人は手を上げてみなさい。それでは一場面は終りました。

 父母としての橋わたし役

 じゃ最後にひとことだけ話しましょう。皆さん、アダム・エバが堕落することによって霊界と肉界は完全に分かれるようになりました。歴史的な善なる霊達が今、霊界にい行っているが、地上に反ようとしても来る事ができません。この圏内は、サタン圏なの.す。空中圏をもっているのです。それはなぜかといえば、アダムは父であり、父が責任を果せなかった故にこのような環境をつくってしまった故に、父的な橋をかけてこれを連結させなければ、霊界と肉界は、一つになることはできないのであります。

 だから堕落した人間を復帰するにおいて、アベルというのは何かといえば、父を代理した子供達なのであります。そのようにして、個人から家庭、民族、国家、世界に至るアダム圏を作ろうとするのであります。その為に四千年間準備してきた・ムーンの歴史はいつも失敗したので連絡することができず、常に崩れてしまったのであります。そのために、これに対して父的な責任を持って来られ、これを連結させるべき使命がありましたがそれが即ちメシヤ、イエスでありました。

 死んだためにこれが霊的になったのですが、霊的だけというのは本来の創造の姿ではありません。

 そのために再びこられて、霊肉を合わせて道を開いておかなければなりません。これが父的な責任なのであります。個人的アダム、家庭、民族、社会、国家、世界的アダムが皆、失敗したことを、全て連結させて父としての橋をかける仕事をしなければなりません。

 旧約時代から新約時代ユダヤ教からキリスト教が過ちをおこしたすべてを再び直していかなければなりません。これの橋わたしをしなければなりません。二千年の歴史を統一教会の我々は短時間において橋わたしをしなければなりません。先生は今日まで父母として成しえなかった事を、人類の父母になりえなかぱたことをすべて成す為に働いております。

 そしてこれが世界基準まで、今度のワシントン大会まで完全に成遂げたのです。
 個人の失敗、家庭、社会、民族、国家、世界の失敗したすべてを初めて改めたのです。それで民主世界の人達は誰でもいける道をすべてつないでおきました。

 霊界協助による統一

 本来、アダムが完成すれば、神が臨在しようとしたと同じ様に、子女が完成すれば、神の国が臨在すると同じ様にやその後は父が臨在するようになるのです。それで何がおこるかといえば、皆さんの先祖達が皆さんを自由に訪ねてくるようになる道が生ずるのであぎます。すべて祖先達が訪ねてくるようになるでしょう。

 霊界が願っているのは、それであります。昼間訪ねてきて役事をするでしょう。統一教会は、急進的に世界へと、世界的に歴史にない発展を成遂げるでしょう。統一教会に行かなかったら、こいつ行け!というふうにしておいたてるのです。その為に、霊界の皆さんの祖先達と善なる霊達が、どれほど喜ぶでしょうか。これがワシントン大会において初めて可能になってくるのです。

 これからは、一つの村において、何人かづつそのような現象があらわれます。これが統一教一つの国になり、三つの国だけになれば、世界が一つになるのです。それで、どの祖先達が善なる霊を沢山持っているか、今、大騒ぎです。ある国の大統領が善なる沢山持っていると、その国がすべて統一教会の門を叩いて入って来るよ様になるのです。

 イエスと釈迦と孔子と孟子を全部動員してこのようなことをする時が来たのです。そのような宗主達が父の立場であるから、すべての霊界はそのような役事が始まるのです。このように、漠然と道のある世界が今日、皆さんにレバレント・ムーンを通して理論的基盤のもとに、論理的な前提に合致しうる、一体化しうる結論を出すということは、偉大な事実であることを知らなければなりません。

 そのようなレバレント・ムーンに会えたのは、幸せなことか、そうでないか、どれほど幸福でしょうか。娘がお嫁にいかないで一生をひとりで生きたとしても、独身男性が結婚しないで一生、ひとりで暮らしたとしても、それ以上に感謝することができますか。

 怨讐を越える祈りを

 これから皆さん、祈祷し、先生とみ言とともに天勝日の記念日である十月四日とともに、善なる霊は私の言う通りに、この地上にある悪なる後孫達を罪からはらいのけて、善なる地上世界をめざして、神の国へと導き給えと命令すれば、その命令が可能な時代になってくるのであります。なぜそうなのでしょうか。我々はアダム時代圏内に住んでいるのであり、霊界は、天使世界圏内に住んでいる為、アダムのために、天使が協助すべき原理原則があるから、そうせざるをえないのであります。

 皆さんは私に反対する人を首をしめてつれていって下さいという祈祷はしないで下さい。かわいそうな人を助けてあげるという祈祷をしなければなりません。みんなの幸福を祈ってあげなければなりません。なぜかといえば、カイン・アベルと一つになる立場を私がいつももとうとしますから、そのような立場をとらなければなりません。滅びないからです。ニューヨーク・タイムズと、ワシントンポストは私にとっては恩讐ですが、新聞にも出すものがあれば、ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポストに出すのです。

 私はいつも完成した息子である、という自覚を持たなければなりません。(拍手)わかりますか。

 我々には恩讐があってはなりません。悪口を言われながらも、深く昼寝をする事ができるのです。神様がすべて成さしめ給うのです。これから先生が祈るのは何であるかといいますと、これからはこういうことを祈ることができるのです。

 今までに共産党に虐殺されたかわいそうな霊達を、あるいは悪人の前に犠牲になった善人達あるいは暴君に虐殺された善なる国民達を、あなた達の恨みを晴らすためにや今や地球上にそのような人達がいればだそこに行って恨みを晴らせ、という祈祷をするのです。

 なぜそうなのでしょうか。善なる側の被害を汚してはいけないためにです。皆さんはそのように祈ることはできません。先生は祈ることができるのです。皆さんは、個人、家庭、社会にみんな復帰できなかったから。

 そのために、祖先達が再臨することを信じて、神様がともにいることを信じて悪いことはしないようにしなさい。

 一つ知らなければいけないことは、強く、大胆で、ある時は協助するが、皆さんが堕ちてしまった時においては、皆さんも滅びるし、祖先も滅びるのです。そうしたら皆さんの後孫が代価を払わなければなりません。

 これからは私達の前には可能あるのみであります。ワシントン大会の基準以上で、前進する日においては、全霊界を動員するようになり、いくらでも善なる霊界を動員してもひっかかることがなく、発展し、皆さんの功績は、天国に輝くでしょう。それを知って総進軍しなければなりません。そのような道が開かれるのは今日の七時から八時の式を通して初めて成されるのであります。だから、十月四日は、何の日を言ったかというと、天勝日であります。

 それを覚えておかなければなりません。ですから落胆せず、強く雄々しく前進することを再びおねがい申し上げ、皆さんの前に幸福が訪れることをお祈りいたひます。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.09.13 20:00:09
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​​​​​​​​​​​​「ワシントン大会後の我々の使命」

1976年9月20日
ベルベディアにて


 三年半の戦い

 今朝は、みんな飛んでいるような気持ちだろうと思います。重荷を脱ぎ捨ててね。みんな雲の上にいるような気分でしょう。どうですか。飛んでいるのはいいけれども、着陸する時は気をつけなければいけませんよ。また歩かなければならないから。

 ワシントン大会の勝利に対して、まずもって、天の父、全能なる神に心から感謝しましょう。私は、あなたたちに対して、この大会を大成功に終らせたことを心から感謝しましょう。私は、あなたたちに対して、この大会を大成功に終らせたことを心からお祝いを言います。一番初めに、天のお父様に感謝し、その次にあなたたちに、そして三番目には、大会に出席した人たちに感謝します。

 ワシントン大会を成功裡に勝利して、私はここに一九七二年以来果してきた自分の使命が、ワシントン大会の勝利をもって、本質的な目標を終えたことを宣言します。(歓声)。私は、この歴史をふりかえる時に、それは三年半程前、ちょうど、一九七二年十二月十八日でしたけれども、最初に到着した時のことを思い出します。ワシントンに着いた時には、誰も私のこの計画を知る者はいませんでした。

 しかし、私の心は、神が与える大きな計画、命令、指示で心を震わせていました。その時私は、すでにアメリカでの三年半の戦い方についての、完全な計画ができあがっていました。その戦い方は、二千年前イエス様がローマで成し遂げられなかったことを、当時のローマに匹適するアメリカで、私が実現しようということであります。そういうことを考える時、このワシントンの勝利は、まさに歴史的な記念すべきものであります。

 アメリカのマスコミ、各メディア、また心の狭い人々は、最初私たちの運動に反対し、迫害し、怒り、あらゆる手段をもって、私たちの運動を妨害してきました。しかし、このような反対勢力の中にあって、私たちの運動が前進し、このような大勝利を得たのは、天の父、生ける神が常に私たちとともにおられたことを、はっきりと示すものであります。

 はじめ、ワシントンで私は、全米の食口を集めたのですが、何人きたと思いますか。たったの七十二名でした。そのアメリカ各地から集った七十二名に私は、全米各州に講演会に行くということと、IOWCの運動を始めるということ、マディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会を行う、ということなど全ての計画を話しました。が、この計画を発表した時は、唯一人としてこれを信じることができませんでした。

 最初、統一教会の食口が信じられなかったのです。教会員が信じられないことが、どうして一般のアメリカ人に信じられましょうか。ですから、その当時のアメリカの市民にとっては、私はアジアから来た、おかしな人物で、アメリカで何かしようとしているけれども、ふり向きもされない黄色人の一人にすぎなかったのです。そんな価値などない人だと思っていたからです。

 その時、彼らは平面的にしか見ることができなかったのです。しかし、私の見方はもっと大きい立体的な見方でした。私自身は垂直的、立体的な見方をしていました。私だけが、今までずうっと、この平面的な見方でなく、垂直的、立体的な見方に確信を持っていました。時には、平面的にはとても惨めな、どうしようもない状態の時もありました。そんな時でも、いつでも私は立体的見方をしていました。それでもこの確信は、外圧によって損われることはありませんでした。永遠に変わらない立体的な戦い方は、決してくずされたり、離脱したり、迫害とか、外圧によって変えられるものではありません。

 このように立体的観点から私たちの運動は始められました。ですから私たちは、最初基盤というものを持っていませんでした。それで基盤造りが、私たちの仕事であったのです。私たちが一歩上るごとに、攻撃とか迫害が増しました。しかし、これは避けられないことでした。しかし、私はいかに迫害や攻撃が激しくとも、けっして外圧に屈しなかったのです。それはもう言うに言われない物語り、あるいは隠れた戦いが、私には沢山あったのです。この立体的戦法を強く、堅固に守る戦いが私のアメリカでの三年半の政策でありました。ですから、アメリカに着いた時からワシントン大会に至るまで、私はすさまじい戦い、対立があることを知っていたのです。七二年七三年をへて七四年に私は、マディソン大会を行いましたが、この大会の勝利は最初の基盤となり、アメリカ人の目を開かせることとなりました。これで初めてアメリカ人は目を開き、R・ムーンの力を知ったのです。

 その一日前、九月十七日にルドルフ・アストリアホテルで晩餐会があった時に、CBSのマイク・ウォレスがやってきて、私にインタビューをしました。「あなたは、マディソン大会が勝利すると思いますか。」私は直ちに「もちろん、百パーセント勝利の確信がある。」と答えました。その時、その記者は信じられなかったと思います。しかし翌日、それがまさに本当だということが証明されました。

 大半の新聞とか雑誌、マスコミはいろいろな分析や予測をするこですが、ニューヨーク・タイムスその他の新聞は、R・ムーンはマディソン・スクェア・ガーデンを一杯にすることはできないであろうと予測していました。そして、そのことを正式に発表していましたが、私のコンピューターは違っておりました。私のコンピューターは、必ず一杯それ以上になると言っておりました。神のコンピューターは、彼らのよりは、ずうっと良くできているのです。

 それ以来、人々はR・ムーンを「巨人」または「驚異」「恐ろしい人物」と言うようになりました。そして、マスコミは強烈な総攻撃を加えてくるようになりました。ウォーターゲートのあと、私たちは方針として「許せ、愛せが団結せよ」ということを宣言しました。その時、まさにR・ムーンに対する反対は最高潮に達しました。そして都合のいいように事実をゆがめて、R・ムーンを攻撃しました。

 ヤンキー大会からワシントン大会の勝利へ

 私は、たった三年間でアメリカだけでなく、全自由世界において、知られなければならない、そういう責任があったのです。ですから、一九七六年、この戦いはまさに、神とサタンの最高の戦いとして、キャンペーンをはり、出発したわけであります。

 私たちはヤンキー大会を歴史的に勝利するために、同じこの部屋で、何度も誓いました。しかし、残念ながら予期しない雨でした。それ以来メンバーの一人ひとりは、何かしら心悲しいような、心を破られるような気持ちの中にあったのです。しかし、私自身は、違って感じたのです。天の父は偉大な戦略家だから、もっと大きい長期的な戦略をもっているに違いない、ワシントン大会の勝利を目ざしておられる天の父は、全てのことに対して、全く違った見方をしておられるに違いないと感じていました。

 考えてみなさい。私たちが本当に素晴らしい勝利をヤンキー大会でしたとすれば、それ以来九月十八日のワシントン大会に対して、どのように感じたでしょうか。言葉に表わさなくても傲慢になったり、安心したり、油断したりするのではないでしょうか。それでワシントンは、ニューヨークよりも小さいのだから、ピーナッツだから必ず勝利できる、と油断したに違いありません。それが人間の性質というものです。もし、そういうことがあったとしたら、どうでしょう。今のような喜ばしい、この素晴らしい解放感、勝利感というものを味わえなかったでしょう。

 統一教会の誰もが、世界中の食口がヤンキー大会の状態に、ひどく心を痛ませたのです。ですから、ワシントン大会の真の勝利を目ざして、皆んな自分を捨てたのです。まさに、統一教会にとっても、試練の時でした。みんな神を疑って、「本当に神様は私たちの味方だろうか。そうしたら、どうしてこんなことが起ったのだろう」とか、「天の父は、私たちを疑わせるようなことはなさらない」とか思ったのです。それがここ数カ月の私たちの試練でした。

 ここに集っている指導者たちも、そのように感じていたに違いありません。しかし、もう一度チャンスを下さい。ワシントン大会では必ず完全に勝利しますからと、統一教会の全ての食口が決意したに違いありません。ですからヤンキー大会が終ったその時から、四十日間、ワシントン大会のために全力投球したのです。評価をしたり、分析したり、そんな猶予もなく、弾丸のように突進したのです。

 次第に指導者たちもまとまってきました。先生と一体化して、ヤンキー大会のどういうところが悪かったのかと分析して、それから私の指示で、もっと人との接触を深めること、心と心のふれあい、心情的なつながりを強調するようになりました。そうして、バスを利用する、バスで沢山動員できるかが、ワシントン大会の勝利の鍵であるという結論になったのです。

 私はこう思いました。まさに、これはワシントンD・Cにおける宗教的な大会であるから、過去のあらゆる伝道集会の記録を破らなければならないと。これが私のはじめからの決意でした。私は、ワシントン大会がいかに恐しいものであるかということを、はじめから知っていました。もし成功しなかったら、その結果というものは、まさに恐るべきものであるということを良く知っていました。もし私たちがこのワシントン大会で失敗したら、多くの人々が結論として、統一教会に神はいないと言うであろうし、それに対していいわけがきかなくなってしまったでしょう。私たちを批判する者は「それ見てみろ、R・ムーンは神とともにあると言ったけれども、全ての事実、状況から見て、神様がR・ムーンとともにいないということを示しているではないか」と言うでしょう。このことに対して、私達は何も答えることができなくなってしまったでしょう。

 もし、そういうことが起ったとすれば、統一教会の霊的状況に対しても、世界中のメンバーに対しても深刻な影響を与えていたでしょう。その重荷を取り除くべきものは、何もなくなっていたでしょう。どんな力も、私たち統一教会のメンバーの霊的な重荷を取り除くことができなくなってしまったでしょう。それは、本当に深刻なことです。そういう失敗があったら、私がこれから成そうとしていた戦いの方向性が失われてしまい、私の考え通りできなくなってしまったでしょう。そのことをはじめから良く知っておりました。それこそ、惨めな立場に、R・ムーンが立たなければならないということを誰よりも良く知っていました。

 統一教会の運命は、まさにワシントン大会にかかっていました。私たちは、新しい希望をもって飛び上がろうとしていたけれども、もし失敗したら、まさしく地獄の真只中に落ち込んでしまうような惨めな立場になっていたでしょう。そうなることは間違いないことでした。

 もし白人が答えなかったら、黒人でもかまいません。黒人が選ばれた者であるかも知れません。黒人を動員しようとそう思いました。イエス様の時に、カルバリ山に十字架を背負っていった最後の人は、黒人でした。だから、歴史的に言っても、黒人は最も重要な役割を、最後の摂理の段階において果す運命を持っていることを知っておりました。私は啓示によって知っていました。ある意味ではワシントン大会は、イエス様の予言が今の時代にあって成就されたと言っても良いでしょう。だから私は、これから統一教会の運動において、黒人、黒人社会が最も重要な役割を果すだろうと思っています。

 このようにワシントン大会は、無条件の勝利、大勝利であることを宣言します。これは神の勝利であり、摂理の勝利であり、歴史的な事実であり、天宙の否定できない事実です。私もまた、羽のように軽く飛んでいるような気分です。今までは、非常に重荷を持っていたけれども、ワシントン大会勝利の後は、解放されて、自由な人間となり、自由に歩くことができ、天地においても誇りを持って、上を見つめ、下を見つめ、自由な人間として、本当に軽い気持ちで、もともとの計画、戦いを堂々と進めることができます。(拍手)。

 各自が第二のR・ムーンに

 ワシントン大会は、私たち統一教会の勝利となりました。それは記録されるべき事実であり、真理であります。問題はこれから、何をするかということです。これが最も重大な問題です。ワシントン大会が今までの目標でしたが、大会の勝利の後に、どういう方向に向って動いていくべきか、ということがこの会議の目的です。

 まず、第一に決めましょう。退却すべきか、さらに前進していくべきか。(前進!)。ではどうやって。前進するにはいくつの動き方がありますが、平面的にか、四十五度の角度でか、それとも九十度で上に向っていくのですか? どれが良いですか。(九十度!)。それは、平面的でなく、上を見なくてはいけないということを意味するのですね。私たちは上を見なければなりません。

 二本の足でしっかりと、地面に立たなければならないということです。そうしなければ、上を見ても倒れてしまいます。二本の足をしっかりと地面につけて、ゆるがない基盤をつくっていなければ、ちょっと力を後から入ると、すぐ倒れてしまうでしょう。普通の人であったら、ちょっとした力では倒れないでしょうけれども、上ばかり向いている人は、ちょっとした力でも倒れてしまいます。

 だから私たちは、ただ単に上だけを見ているだけでなく、下も見なければいけません。自分の上と下を同時に見なければなりません。しっかりと地面に足を二本立てて、それから上を見なければならないということを、私は言いたいのです。ただ単に上を見るだけではだめです。身体をふらふらさせてはいけません。岩の如く、銅像の如くに、しっかりと立ちなさい。そして、それから動きなさい。もし、力がどっちからか来たら、それに影響されますか。(いいえ)では、どんな顔をするんですか。見せてごらんなさい。疲れきったような顔をするのかな、それとも確信に満ちた力強い顔をしますか。(力強い顔をします!)。はい、結構です。

 今日から、私は一つの政策をだします。百パーセント、皆を信頼しましょう。(拍手)。皆さんは、今まで私が働きに働いてきたことを見てきたでしょう。私が一つのことに組みついたら、最後にはそれを成し遂げることを知ったでしょう。だから、これからはどういうことを成すにしても、皆さん方は百パーセント一体化しなければなりません。そうすれば、成し遂げられることを知っているのですから。

 ちょっと難しい質問ですが、皆さんは私よりも良い立場ですか、悪い立場ですか。私は皆さんの方が先生より、良い、素晴らしい立場だと思います。皆さんは、アメリカで不便もなく、英語もうまく話せるし、多分アメリカの食物もおいしく食べられるし、顔つきも、平均的な白人でもあるし、若いし、その点においては私よりも優っているのです。皆さん方は、まさにアメリカの青年の模範で、良い模範です。

 あらゆる点において、皆さんは先生よりも優っているのです。皆さんは私より背は高いではないですか(笑い)。あなた方の目は深いし、大きいのです。だから、あなたたちは私より多くの優った資格、素質というものを持っています。そうでしょう。(はい)。

 皆さんは、ここ三年間で成してきたことを見てきたでしょう。実際、その目で見てきたでしょう。皆さんは素晴らしい立場にいるのです。私の場合は、信仰しかありません。自分しかいません。いわゆる模範とすべき例がありません。しかし、皆さんはその従うべき生きた模範があります。それだけでも、私より優った立場にあります。そうでしょう。(は!)。

 だから私は、皆さんが本当に強い確信をもって、私が見せてあげたんだから、同じようにすれば、一生懸命やれば、必ず勝利できるという確信をもってほしいと、そのように思っています。そういう組織、団体は必ず発展します。そうして衰退することはありません。だから皆さん、大志をもって、確信をもって、働いてもらいたいと思います。私は、何も模範にできるものはないけれども、私が生きた手本を示したから、私以上のことができるということを確信をもってほしいのです。

 このワシントン大会の勝利の後、私は一つの重要なことを決意しました。如何にして、皆さん方に、力と確信を持たせるかということに対してです。私がお手本を示したから、自分は先生が成した以上にできるという確信をいかに持たせるか、これが問題だということを結論として感じていました。今朝、この大会の勝利の後は、バラ色の輝やかしいことばかり言ってくれると思ったでしょう。天気もいいし、何か楽しいことがあるのではないかと思ったでしょう。しかし、そうはいきません……。それで構わないでしょう。(はい!)。本当に、私より良くあろうとする意欲がありますか。(はい!)。できますか。(はい)。三分の一しか返事していませんが、三分の二はどうしたんですか。

 考えてみなさい。私は三年半前にアメリカに来ました。この短い三年半の期間内に、この勝利を成し遂げました。この部屋にいる一人ひとりが、もう一人のR・サンミョン・ムーンになろうという決意をするならば、同じ三年半以内に、サンミョン・ムーンが、世界中に何千何万といたら、この国は、世界は粉粉に砕くことができるのではないだろうか! 本当にそう思わないでしょうか。(拍手)。

 今までとは違った人間に

 自分の顔を良く見てみなさい。自分の顔は小さい、しかし心は先生よりも大きいと。自分の心は先生よりも大きくしようと。自分の目は奥で輝いているように深い、しかし、自分の目を先生のように鋭く、そしてつき出すような、人を射るような、そういう具合いにしてみなさい。自分の目を私の目のようにしたら、私のように前向きに考えて、そうして前進することができるでしょう。自分の鼻は先生のよりも大きいけれど、たたいて、先生の鼻と同じぐらいの大きさにつぶしておこう。先生のように一生懸命働いてね。それを考えてごらんなさい。どこもかしこも、手も足も先生とくらべてね。そういった態度をもって頑張るならば、まさに神様が私とともに働いて下さる以上に、皆様とともに働いて下さるでしょう。それは何と素晴らしいことでしょう。天のお父様がともにいて、教え、指示して下さる、それは本当に素晴らしいことです。

 ですから今朝は、私は先生以上にするという、先生に負けない、そして先生以上の記録をなしてみせるという、そういうことを決意する時です。そういう決意をもち、確信をもっていたら、何も九十度上を見なくても良いのです。神様がともにいて下さるので、全て現実を見れば良いのです。現実を見て、現実に直面するのです。そうでしょう。できますか。(はい)。

 これからは、今までと違った人間になりなさい。歩く時でも普通通り歩くのではなくて、一インチ力強く歩きなさい。それから一秒でも早く到着するぐらいに歩きなさい。敏速に行動するのです。過去においては、いろいろ他のことをやったり、見たり、時間を過してしまいましたけれども、今日からは、早くスパークして、時間を節約しわ多くのことをしなさい。しかしトイレは短くね(笑い)。本を読む時でも、新聞とか手紙を書くとか、そういった時にももっと早く読み、内容を早く掴みなさい。そういった過去の記録を破るような、新記録をつくりなさい。

 また、髪を短くして、髪が伸びるのを遅くしなさい。爪でさえ短く切りなさい。そして指を見てごらんなさい。統一教会の女性で、今まで爪を長くして、磨いていた者は自分の指よりも短く切ってしまいなさい。これからはやることは普通の人とは反対にするのです。今朝からは、もう別の人間です。天の方向に向って、神様に向って直進する最短距離をいくような気持でやりなさい。呼吸も普通の呼吸ではなく、特別の呼吸、吸う時、吐く時神の心情をもって呼吸するのです。異った意味をもってやるべきです。もう体操をする時間がないかも知れません。が眠っている時に体操して、時間を節約しなさい。(笑い)。

 ジャングルとか山とか、誰も行ったことのないような所がありますが、そういう所へも出かけて行くという決意が必要です。そうすれば全く違った人間になることができます。そして考え方においても、態度においても、異った人間になることができます。そうして誰に言われなくても、一人で垂直的、立体的に前進することができるのです。それは、間違っていますか。(本当です)。世界の統一は大きなことです。しかし、小さいことでも、決意しそれを積み上げていけば、大きなことを成すことができます。

 会議よの時は、最後まで残って戸締りをして帰りなさい。会議が始まるとしたら、最初に来てその準備をしなさい。会議が九時から始まるとしたら、八時に来るようにするんですね。そうして、その一時間で新しいことを計画することができるでしょう。また、もし九時から始まるのに六時に来たとすると、私たちの生活には予期しない事が起りがちですが、天の父は突然、今朝会議は九時に始まるが、六時に来た者に、大いなる恵みを与えようと言われるかも知れません。その人は三時間、先を越すことができるでしょう。その人は時にかなった人です。

 たとえば会議が、今朝九時から始まると決っていたとしても、もしきのうの朝九時にきたとしたら、その人は二十四時間、新しいものを作る時間があることになります。二十四時間早くきたということは、気違いのように見えるかも知れません。そして、なぜ一日も早くきたのかと批判されるかも知れません。この二十四時間にいろいろ誤解されたり、罪人のような思いをするかも知れません。気違いだと思われる度合が多ければ多い程、神からはより大きな恵みを受けることができます。それは神様のはからいです。神様というお方は、非常識な、異常な、普通ではない角度から見られるのです。

 過去において、愛国者だとか、聖人とか、偉大な人とかいう歴史的なことをした人は、みんな気が狂ったような人たちでした。どの位気違いじみていたかというと、自分の選んだことは、生命がけで守り、けっして離しませんでした。それで、結局彼の人生は意味のあるものとなったのです。

 キリスト教、リスト教徒自身、この二千年間まさに、みんな気違いのようでした。彼らは何のしるしもないのに、イエス・キリストの再臨を二千年間も待ち望んでいました。そういう意味では、キリスト教徒は二千年の気違いと言ってもいい位です。しかし、大切なことは、他の人や、回の人々がどういうふうに見るかということではなくて、天がどのように見られるかということです。どんなに気違いと思われようとも、何という信仰か、それは良くやった、それは献身だ、努力だと、天の父が心を動かし、天の父が感動するならば、予期しない、素晴らしいことが起るかも知れません。

 私たちも皆、気が違っているような人間です。ワシントン大会そのものが、気違いじみたことでした。この大会の後にも、野球とか宗教的な集会とかロックフェスティバルとかあるかも知れません。普通の人々は、そのような行事が終ったらすぐ、そのまま帰ってしまうでしょう。そして二、三日はそこら中、汚なく散らかっているのです。しかし、統一教会のメンバーは違います。私たちは、寝ずにワシントンの会場を清掃して、ポスターをはがして壁をきれいにしました。これはまさに、私たちは気違いじみたことをしたのです。

 統一教会のメンバーには、いつも気違いのようにやるという競争があるのです。もし、皆さんが、会場掃除、ポスターをはがして、そしてもし、ある人が他の人より以上に夜遅くまで残って掃除したとしたら、その人はもっと気違いと思われるでしょう。しかし、どの人が勝利したかと言えば、その人ではないでしょうか。人々はこう言うでしょう。また別の日が……。明日やればいいじゃないかなんて、そんなに気違いみたいでなくていいじゃないか、と。しかし、私たちはそうは考えないのです。私たちにはもう明日はないのです。明日では遅すぎるのです。そういう態度で、きょうのことは、きょうやるという態度をもってやるのです。

 きょうから、新しい人間になろうと決意した人、手を挙げて見せて下さい。少なくても心の中では、きょうからは何か新しく、気違いに思われる位に、自分だけが秘密としておいていいような、そのようなことを何かしようと、そういう決意をしてほしいと思います。きょうからは違うんだという決意でやってほしいと思います。わかりましたか。(はい!)

 なぜ私たちはそうすべきなのでしょうか。今日、こういうことを話す理由は、これまで私たちがうけた祝福というものは、これから受ける祝福に比べれば、小さいものです。ピーナッツのようなものです。だから、こういうことを言う理由は、本当にこれからくる素晴らしい祝福を受けるに値いするような、そのような準備をしてほしいからです。わかりましたか。(はい)。

 あなた方の生活の仕方、食べ方、顔の洗い方、あらゆる生活の様式が違ったものでなければなりません。どの位違うべきか、ちょっと分析してみましょう。ある一人の人が結婚するとすれば、その人の生活の仕方が変わるでしょう。独身の男性はあんまり構いません……。食物も中途半端、顔を洗うのも中途半端、皿も洗わない、それでも構わないでしょう。しかし、もし奥さんがくれば、それに注目しなければならないし、彼女からきらわれることがないように、ものの言い方にしても、生活の仕方を変えなければならないでしょう。それと同じです。

 先生が言おうとしていることは、つまり皆さん方は、それ以上に違った者とならなければなりません。つまり、独身者が結婚した時に変わらなければならないということは、これから私がいなくても良い、皆さん自身が一緒に団結して、そしてこれまで以上の業績を達成すべきであるということです。だから、成長した息子が結婚した時に、いろいろお父さんにこうして下さいとか、お金を下さいだとか、あの人がいじわるするんです、何とかして下さいなどと言ったりはしないでしょう。そういう人はけっして孝行息子ではありません。息子は独立して、そして父親以上に役割を果す、それをうまくやる、それが孝行息子というものです。

 統一教会においても、同じことが言えます。私の言うことを聞いていますか。私が好きですか。(はい)。ちょっと気分が悪いや。これからは、もう私を愛さなくてもいいです。私以上に、天の父の愛に相応わしい人になってほしいのです。それから私を愛しなさい。そうしたら私も受け入れましょう。私は皆さんを愛しません。嫌いです。それでもいいですか。(はい)。もし皆さんが本当に神を中心とした人間になるならば、神は皆さんとともにいて下さるでしょう。そして、それから私のところにきて、私を愛するならば、その愛は受け取られ、価値あるものとなるでしょう。それまでは、誰も愛するに値しません。

 私たちはこれから違った新しい次元に、違った段階に、運動に、新しい展開に入るでしょう。だから、きょうから是非とも覚えてほしいことは、私の代理と、天のお父様の代理となるような、そのような者になってほしいということです。

 個人の戦いの時

 私たちはワシントン大会に勝利しました。しかし、傲慢になってはいけません。傲慢になったり、油断したり、それは一番悪いことです。思い上ってはいけません。警告しておきます。これまで皆で一緒に働いてきました。集団で頑張ってきました。しかし、これからは各自一人ひとりの戦いになります。一人ひとりがいかに価値あるかということを示す時です。そういった戦いがこれから待っています。この集団としてのキャンペーンにおいては大勝利をしました。しかし、皆さん自身が一人ひとり個人として勝利したということを示さなければ、この集団が行った全体としての勝利は無駄になってしまうのでしょう。そのような時代がきています。

 集団的、統一キャンペーンの時代は終りました。集団、統一したクルセードは終りました。これからは個人的なクルセード、個人的な業績、個人的な競争、個人の神における価値が問題になってきます。ワシントンは一つの市でしたが、つの市とか、一つの州が問題ではなくして、世界的なレベルにおいて、あなたがたは、これから世界的な宇宙的な戦いにおけるチャンピオンになるべく覚悟しなければなりません。

 天においては、祝福というものはすべて荷造りされています。祝福はもう船積みされています。それを如何に分配するかという時代となっています。今、その時代がこようとしています。それは私が分配するのではありません。皆さん自身が分配を与えられるに価する者となって、天から分配されなければなりません。では自分自身、誓える者、必ず天の息子、娘だと言える者、手を挙げなさい。天の息子、娘だとそう確信のある人、手を挙げてみて下さい。手と心が同じことを言っているか、どうかを反省しなさい。皆、神の息子、娘なら世界的なスケールの子ですか。(天宙的な息子です)。では、R・ムーンは神の息子ですか。この世的な目から見れば、まさに悪魔、サタンの子のようにいわれています。しかし、私は悪いこと、サタンのすることは、けっしていないし、サタンの好きなものは嫌いだし、百パーセント完全に異質だからです。考え方においても、心においても。

 さらに私は「論議の的となっても恐れない」と新聞のインタビューで言ってあります。いかに世界中で、アメリカのみならず、世界中で論議の的となってもかまいません。天宙的、霊界、地上界においても、もだえ苦しんでいる人すらも耳を傾けて、R・ムーンが大きな、ひっくり返すような物事を企てたので、地上が混乱しているということを……。それでも私は絶対話すのはやめません。それぐらいの議論の多い人間になりなさい。

 もし、地獄すらもそういった方向に動くならば、天国だったら、霊界のあらゆるところら、誰ともなく、R・ムーンのことを話すようになります。

 もし、地獄すらそういった方向に動くならば、天国だったら、霊界のあらゆるところから、誰ともなく、R・ムーンのことを話すようになります。そうすれば、R・ムーンはいたるところにいることになるでしょう。昨日、韓国の指導者の一人の文社長が世界を巡ってきて話すところによると、自分がムーンだと紹介する度に、みんながちょっとおかしい顔をして、あなたはR・ムーンと関係があるんですか、といつも聞かれたということです。それで、文社長はその度に、とても誇りに思ったそうです。(拍手)。

 迫害をのりこえて

 R・ムーンは世界中に知られています。それはギャングとしてですか、銀行強盗として知られているのですか。R・ムーンが有名なのは、スキャンダルとしてですか。青年を誘惑するということで有名なのですか。そういう非難を受けたことがあります。統一教会のベリータウンとか修練所に来るとか、R・ムーンは大きな注射器を持ってきて、ジンセン、ジュースを注射して洗脳すると、そう言って批判する人がいます。(笑い)。人参ジュースで改宗させるというのです。

 皆は笑ったね。私たちは真実を知っています。真理を得た私たちは、神が私たちを変えたと知っています。神がともにあるということを知っている私たちは、こういうことを言われると、笑うことができるのです。だから、外で本当のことを知らない人、ラジオ、新聞とかで仕事をしている人の話しは、秋の葉っぱのようです。時がくれば、冬がくれば落ちてしまうのです。そんなものは長続きしません。時がくれば、そんなことは消えてしまします。

それから、R・ムーンを批判して、私たちの運動が政治的なものだと言って批判している人々がいますが、そう言わせておいたらいいです。私たちは笑って済ませることができます。私たちは権力とかを求めているのではありません。私たちのクルセードは教育的なものであり、一人ひとりとお話しして、神を中心とした人間に変えていくための教育です。皆さんは、私に天宙的、世界的な霊的指導者となってほしいと思いますか。(はい)。そうでしょう。一国の指導者になるよりも、教育の方が影響を与えることができるのです。神を中心とした世界をもたらすための指導者をつくることが、R・ムーンの仕事です。

 それから人々はR・ムーンは青年をつれてきて、奴隷のようにしていると批判しています。あなたがたを奴隷にしましたか。皆にとって辛い仕事かも知れません。皆さんはそれを一生懸命やっています。それは奴隷というのではありません。自分自身の心から喜んで、決意してやっているのです。R・ムーンが誰よりも働いているのを知っており、また韓国、日本、世界の指導者たちがアメリカにきて、一生懸命働いているのも知っているので、皆さんは、それを知った時、良心的な人たちが、神を知った愛国的青年として、どうして一生懸命、働かないでいられるでしょうか。それが彼らの動機です。自分から進んで努力しているのであって、強制的にクルセードに入れられたり、奴隷のようにつかわれているのではありません。

 アメリカの国民は確かに一生懸命働いています。彼らは、アメリカ人としての権威、威厳というものを、こわされたくないので、自分たちの良心を傷つけたくないので、一生懸命働くのです。私たちの運動は、実に心から喜んで行っている運動です。それは間違いないことです。だから、私たちはこの国を救うために、アメリカの国民の権威とプライドのために働いているチャンピオンなのです。私たちは何も恥じることはありません。日本人は十五時間働きます。アメリカ人がアメリカのために、世界のために十六時間働くのです。働いて、何が悪いのでしょうか。日本人が十五時間働いているのをみて、アメリカ人は十二時間でいいと、そうすると、日本人によって、アメリカ人は奴隷化されてしまうでしょう。アメリカ国民は“いや、私たちはそんなことはできない。私たちは強い国である。献身的な、プライドの高い国である。私たちは決して負けない”と考える、それが普通です。多くの人々は奴隷にしていると批判していますが、それは根拠こないことです。

 R・ムーンは何もお金に興味があるのではありません。皆さんを通して、お金をもうけて、韓国に持って帰ろうとか、安楽な生活をしようとか、そんなことではありません。私は自分自身をアメリカのために献げているのです。アメリカ自身は、天の法則によって私以上に働かなければいけない立場です。人々が何と言おうとも、R・ムーンがアメリカにきたのは、青年を教えて、皆さんのようにアメリカの青年が心を献げ、そうしてこの国の将来を救うことのできる指導者をつくるために、教育するためにきたのです。私のこの国に対する貢献は計り知れないものです。

 神の子として誇りをもって

 皆さん方の大部分がアメリカの二十代の青年です。私が二十代だった時には、何もありませんでした。全く一握りの何ものも持ちませんでした。そこから基台を造ってきました。そういう基台の上で、皆は全てを与えられているのです。だから、私以上のことができないはずがあるでしょうか。あらゆる確証をもち、あらゆる物質をもち、あらゆる経験が例として与えられているでしょう。

 私は誰より以上に自分自身を、ここ三年間奴隷のごとく酷使してきました。考える以上、自分自身を奴隷化してきたのです。しかし、神の中にあって、自分自身を決して、奴隷とは思いませんでした。天国のチャンピオンであり、開拓者であると思ってきました。私は刑務所で鎖につながれて苦しんだし、霊界において沢山の、何千、何百の奴隷が鎖につながれて死ぬど苦しんでいるのを見てきました。外的にみるならば、私はまさに奴隷でした。共産主義者の強制収容所でもそうでした。しかし、今や、奴隷としてではなくて、神の子としてその奴隷以上の惨めな立場を自ら進んで担ったのです。重要なことは、歴史が明らかにするでしょう。

 アフリカの奴隷を打ったとしても結果は小さいのです。しかし、神の息子を打ち、神の息子を奴隷としたならば、その結果は非常に大きいのです。その審きは大きく、歴史はけっして許さないでしょう。だから神の息子であり、神の娘であるということを、まずわかって、実際あなたたちがするのは、奴隷のような仕事ですが、としても落胆することはありません。それは、もっとも高潔な、神聖な仕事です。自分の心の中に誇りをもって頑張るべきです。かつて多くの人々は、意味のないことに苦しんできました。多くの奴隷が苦しみながら意味なく死んでいきました。

 かし皆さんはそうではありません。もし、皆さんが神の子としての誇りをもち、神の心の中で、そして訓練の中で苦しむとしたら、その苦しみは意味のあるものとなります。だから、あらゆる苦しみを受けたとしても、それは価値があるのです。条件ともなるし、伝統をつくることになります。そして永遠の歴史において、神の国を築くための苦しみとして残るでしょう。そして一つ苦しむことは、神に対する条件となり、皆さんは誉め称えられ、まさに、一つひとつが神の前で誇りとして記憶されるでしょう。

 奴隷として苦しんだならば、御旨ではありません。その苦しみは深刻であればあるほど、大きな栄光を約束するものです。どちらの役割を皆さんはとりますか。私たちは奴隷として苦しみますか、神の子として苦しみますか。私はこれまでずうっと苦しんできました。皆さん方が、それを見て私のところにきて、「私達が先生の重荷を担います。どうか先生、少し休んで下さい。」と言った時に、神様すらも私に対して「息子よ、今まで充分にやってきたんだし、おまえに代わるものが沢山いるから、少しリラックスして休んだらどうか」と言われるかも知れません。その時にR・ムーンは「お父様!それはできません。いかに天のお父様が休めと言われても、私はこれからもっともっと一生懸命頑張ります」と言うでしょう。たとえ、それによって天から批判されても、それに対して皆さんは批判しますか。それとも尊敬できますか。

 私は五十七才になっています。七十才位までしか働けません。「あと十三年間は休んで天国に行こう」とは考えません。私はこの十三年間、働いてもっと苦しんで、もっと困難な目にあっても、それ以上のもっとすばらしい影響を天地にもたらすために頑張ります。私はさらに、天のお父様はこういうでしょう「さあ、ここに祝福があるから、それを受けて楽しみなさい」と。それに対して「お父様、この祝福は統一教会に与えて下さい。青年に与えて下さい」と答えたら、天のお父様はどう思われるでしょうか。「お前みたいに呪われた者は、だめだ」と言うでしょうか。それは天のお父様の心を感動させるに違いありません。

 祝福は無限であり、そして十年、百年、百万年と永遠のものとして、天の父が与えて下さるものです。私たちは、全てに対し、私たちの運動に対して、そして人類に対してR・ムーンの口を通して語られるでしょう。そうすると、どちらが私にとって望ましいものですか。「先生、死ぬまで一生懸命働いて下さい」と言いますか(いいえ)。それでは皆さんはどう言うのですか。私は決して引退しません。皆さんとしてできることは、私の仕事を全部ひきうけて、私を完全に何もできないようにする、それが皆さんがやることです。

 R・ムーンはもし皆さんから何もできないように妨げられたとしたら、野球のバットをもって、あっちへ行けと、皆さんを打つかも知れません。そうしたら皆は、血が出て、骨が折れたりします。その時に天に対して、皆さんの足を傷つけたと言って訴えますか。裁判所に告訴しますか。どうしますか。骨が折れたとしてもやあありがとう、感謝してもっと一生懸命、神様のために働きます、と言いますか。そういう光景を考えてみなさい。

 その時、神様もこの息子は大したものであると、神様も降参するでしょう。そういうことが、まさに神様を降参させる唯一の道です。そして神様は「サタンよ来い」とサタンを呼んで「この男を「この男を見てみろこの男を助ける値うちがあるか、イエスかノウか」と質問すると、サタンですら何も述べることができないで「はい神様、そのとおりでございます」と認めざるを得ないでしょう。サタンすらも「私は降参しました。彼に対しては全く降参です」と、そう言うでしょう。そのような人間にこそ、永遠に神の息子としての権能が与えられ、サタンすらもそれを証しし、認め宣言するでしょう。このように考えます。

 神を感動させる私達に

 そういう意味で、きょうから新しい日を出発するのです。人間はいつかは死ななければなりません。一度は死ななければなりません。神様は、まさにスーパー人間ですから、情もあり、ちょうど皆さんの情のように働いているのです。だから、皆さん本当に孝行息子として、娘としての行いをすれば、天のお父様のその心をとりこにすることができます。それが天の父の心をとらえる唯一の方法です。そうして皆さんの心に神をもつことができるのです。

 二千年前のイエス・キリストの死は神の心を動かし、イエス様は神への忠誠を身をもって表わしたので、神はイエス様を復活させて、キリスト教を始めたのであります。それと同じことがあなたにも起るでしょう。だから、決して不平を言ってはいけません。誰も批判してはいけません。復讐しようとしてはいけません。神様が良く知っていて下さいます。サタンも良く知っています。死ぬ時、あなた方は、神とサタンの、まさにその真ん中に立ちます。そして、自分自身の行為によって、どちらに行くべきかが決まるでしょう。

 だからサタンを屈服させるためには、絶対的なる、中心の心を神の子として持たなければなりません。そうすれば、まさに神側に立つことによって、サタンを粉砕することができるし、サタンはこの地上に足場をなくしてしまうでしょう。昨日と今日は違います。私たちは新しい人間です。違った人間です。自分を与え、み旨のため、神の子の名において自らを献げましょう。そうすることは大きな遺産であり、大いなる伝統です。素晴らしい贈物を残すことになるでしょう。そうして、あなたたちの行為は覚えられて、永遠のものとなることでしょう。

 私は自分の経験から、もっとも重要なことを一つ教えておきましょう。私が本当に誤解され、弁解も、全くできず、弁護も全くない時に、私は静に神に味方し、絶対的に神に忠なる立場に立っていました。皆さんも分かるように、このようにして、神様は私と共にいらしたのです。私にも突然死ぬ日が来るのです。しかし、私は別の世界で考え続け、働き続けるので、死などはありません。だから私は、自分をのろったり、批判したり、怒ったりしても、世間の人に弁解したり、弁護したりしようとは思いません。むしろ、迫害をもっともっと受けて、伝統と条件を残していこうと思います。そして、私が死んだ後はが何百万、何千万という霊界、地上界の人たちが、R・ムーンの保証人、成した行為の証しをするようにさせましょう。

 私の行為は、歴史においては唯一瞬の出来事ですけれども、永遠の立場から見た場合には、永遠に輝き続けるのです。私が霊界に帰る時、私は道を開くことができます。地上で苦労している者たちを助けることができるのです。そういう立場に立つのです。また霊界では、神の名によって苦労した者たち、そういう人たちは、霊界でも中心的な立場にいるのですが、とりわけ歴史上の苦労した聖人たちと一緒にいて、彼らをまとめ、ひきあげ、この世界の苦労の解放を早めるのです。何のことかわかりますか。これは天の戦略の一つです。

 私はどんなに苦労が絶えなくても、もっと苦労しようと思います。もっと誤解され、もっと非難されようとも、それに一言も文句も言わず、全てを受け、たずさえて霊界に行こうと思います。そして引き続いて伝統をたてていきましょう。そうすれば、いずれは私たちのやっていること、私たちの真理は勝利を治めるようになるのです。私は分っているのです。だから、私は霊界にいても、地上にいても働き続けます。

 迫害の嵐を消化して

 私が生きている間に、統一をなし遂げるかどうかというのは、小さな問題です。仕事は続くのです。そして私は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっているのです。私の思想、計画、伝統、心情は間違いなく、統一の世界を目ざしているのです。私が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあなた方に現われてあげましょう。同じように、同じ伝統をもって、この地上に完全な神の国を造るまで。これが私のやっている、一番重要な作戦です。

 私がやっているのは、十年先のためではありません、永遠を基準として作戦を立てているのです。私が地上にいようが、霊界にいようが、そのようなことが問題ではありません。あなたたちには見えないかも知れませんが、私は霊界の組織、システム、ようすを熟知しています。あなたたちの目前には、もう新しい天地が開かれようとしています。私はその時間表をはっきりと知っています。新しい世界、新しい生活が必ず開かれます。

 最高気圧と最低気圧があって、その差が大きければ大きいほど、ぶつかった時は衝撃が大きいのです。その衝撃は大きい方がいいですか、小さい方がいいですか、今、歴史的台風が統一教会の目前で大きくなっています。最高気圧と最低気圧がぶつかり、まさに爆発しようというのです。これは統一教会にとって新しい道の出発点となります。考えてみなさい、そう思いませんか。私はその時を知っています。そんなに遠いことではありません。

 霊界はまさに近づいています。私はあなたたちのために、霊界にはっきりとした宣言を下さなければなりません。あなた方や、この運動に正しい方向性を与えておかなければなりません。マスコミは統一教会に対して、どう言うでしょうか。彼らももはや、私たちを傷つけるようなことは言わなくなるでしょう。誰も私たちに手をつけることができなくなります。R・ムーンがアメリカ人や他の人々からひどい仕打ちや、迫害や、激怒した態度を見せつけられることがなくなれば、それは統一教会への祝福を意味することを知ってほしいのです。

 キリスト教史は二千年間を通じて、迫害の雨が降りに降ったが、私は生きている間に、この二千年分の迫害、想像もつかない迫害を一に受けて、それを消化してしまったのです。だから、二、三年もたたないうちに全てが清算され、条件が満されます。だから、早く将来のために蕩減を払ってしまいなさい。統一教会の将来はバラ色で増々発展します。わかりますか。確信がありますか。先生はこの二、三年のうちに、この歴史に考えられない業績を残そうとしているのです。

 人々は「R・ムーンはどうして、もう少しゆっくりと、時間をかけて、外交的に、スマートに自分を良く見せてやらないんですか」と言うでしょう。人々は何も知らないからそう言うのです。それは神が進めるやり方ではなくして、サタンです。サタンは私にそうしてほしいと願っているのです。わかりますか(はい)。あなたたちの将来はバラ色です。何でもできるのです。あなたたちは先生のように、三年も共産主義の刑務所に入って、拷問を受ることはないでしょう。あなたたちはやるべきことをやれば良いのです。

 私は良く考えます。ワシントン・ポストがR・ムーンはワシントン大会で五万人を動員したと書きましたが、よし、五万人でも良い、嘘を書くなら、いっそうもっとひどい嘘を書いても良い、私は五千人と書いても、ちっとも驚かない結構だと考えました。真実が私たちとともにあるからです。やがて真実が現われてくるからです。私はドラマチックなのが好きです。時が来ます。私たちには記録、映画があります。ビデオテープがあります。そのフィルムは歴史のどんなフィルムよりも多く上映されるに違いありません。(拍手)。

 テレビショウで、アナウンサーが「さあ、今から五千人のワシントン大会に集った人々を見ましょう。(笑い)と言って、カメラが東から西、縦横にうつし出します。全くドラマチックです。あれだけの人数が、ワシントン・ポストでは五千人だと。私たちは実際にそれで楽しくなってしまいますね。意気消沈してはいけません。ドラマチックにならなければなりません。私はたった五百人といわれてもいいと思います。私はサタンは利口だと思いますよ。あまりドラマチックにさせなかったからね。適当なところで勝利させています。私たちの真理は永遠です。

 考えてみなさい。私たちがこれからつくろうとする映画、ビデオテープ、これらは歴史でいかなる力を持つでしょうか。あなたたちが考だに及ばないあらゆる武器よりも、原子爆弾も及ばない強力な力です。説明は不要です。だからワシントン・ポストや、ワシントン・スターのことでがっかりする必要はありません。彼らをかわいそうに思いなさい。先生はこう思いました。何で五百人としなかったのだろう。五千人は多いじゃないかと。

 今朝、朴普煕が部屋に飛び込んできて「先生、良い知らせ、があります。ワシントン・ポストやニューヨークタイムスに匹敵する韓国の東亜日報が『R・ムーンのワシントン大会は大成功で、少くとも二十万から三十万の人々が集った』と書いています」と言ってきました。(歓声)。私はそのニュースよりも朴総裁の大げさな、うれしそうな顔をみて、その方を笑ってしまいました。

 いかなる勝利を捧げるか

 今や、東洋と西洋の戦いです。これはR・ムーンのいるおかげでこうなったのです。R・ムーンのいるおかげで、白人と黒人が争いをするようになりました。誰がこれを調停しますか。白人が、黒人が、誰もこの争いを和解させることはできません。しかし、たった一人、和解させることができ、平和をもたらし、東洋と西洋の文化を統一させることのできる人間がいます。それがR・サンミョン・ムーンです。(歓声)。

 この点において、疑いなくワシントン大会は勝利でした。ワシントン・ポストを始め、マスコミは全く故意の陰謀を企だてて、攻撃をしました。まさに殺人のような攻撃をしかけてきました。それで全ての東洋人は、R・ムーンのためにワシントンポストを反対にやっつけました。傲慢な白人は「ふん!私たちは行かないよ」と言い、そして黒人は「よし、一番前に陣取ろう。おれたちはチャンピオンだ」と言い、スペイン人やプエルトルコ人は「R・ムーンはおれたちのヒーローだ」と言いました。このようにR・ムーンのために様々な人種の間に対立が起りました。黒人の指導者、アメリカ政府の役人も、このことを知るでしょう。

 この予想もしない対立のことを、私はずうっと前から、警告していたでしょう(はい)。当然私は白人を拒否するようなことはしません。実際私が来た時、白人をもてなしました。人口からいっても多い白人に期待をかけてきました。しかし、接待は失敗したようです。私はもうかまいません。仕返しもしません。私に代わって誰かがやるでしょう。統一教会の者がやるのではありません。神がやるのです。天に神に反対する者は、神の中にいることはできません。これが天法です。このように歴史が動いているのです。

 さあ結論に入りましょう。私は何をしようとしているのでしょう。忘れてはいけません。今日、この時をして個人的な目標をたてるのです。私はこうしますという目標、それを立てるのです。私の生きている間は、これを成し遂げるという目標を持つのです。自分を賭けて、勝利を先生に捧げようというように。今日、自分で自分のキャンペーンをはり、自分のワシントン大会を開く決意をしなさい。

 私の伝統からみると、皆さんは私の足跡です。皆さんはその伝統をひきつぐように、どんどん先に行って、先生を越えていくのです。自分は前線のチャンピオンだ、前線の兵隊だと、そして各自の勝利を捧げていく……とこう決意すべきです。勝利の年は一九八〇年です。どのような勝利を自分は、その年に捧げるか、第三次七年路程が終るその時に統一教会は、全く無敵の基盤の上に立っています。今、それに向って歩いているのです。もう一歩一歩歩く必要はありません。飛びなさい。ジャンプして進みなさい。これからはそういう時です。
 だから今日からは、皆は神の代身者、私の代身者です。あなたたちの名前は、サンミョン・ムーンです。一人ひとりがもう一人のサンミョン・ムーンとなるのです。そのようにその威厳において、自信と責任をもって勝利に向っていけば、どのような辛いことに出会おうとも、その道が、ふさがれることはありません。そのように生活するのです。

 白人の血も、黒人の血も、黄色人の血も、血はみんな同じです。それと同じように統一教会の者たちの心も皆同じです。同じ血が流れているのです。白人も黒人も黄色人も。統一教会の血が、天の血が流れているのです。先生と先生の血と皆さんの血は同じですか、違いますか。同じです。考えてみなさい。天の父はどんな他の人々よりも、皆さんが素晴らしい天の息子、娘になってほしいと願っています。

 先生が若い時、三十年位前にはこんな勝利を得て、歓喜することはできませんでした。このようなことは一度もありませんでした。あなたたちはそれを得て、若くして天の父を慰めることができるのです。ここにはアメリカの指導者のみならず、ヨーロッパ、そして日本の指導者たち、韓国の指導者たちも集ってきています。これは世界的な集会です。これは私からの重要な伝言です。私達は全て、世界的レベルで変わらなければなりません。私達は新しい人間となり、そして新しい出発をしなければなりません。

 ワシントン大会の勝利の上に更に前進を

 私のワシントン大会での一番大切なテーマは宗教の統一でした。中心宗教、ユダヤ教、キリスト教、統一教会の統一、これが一つにならなければなりません。世界の統一の前に宗教の統一がなされなければなりません。ユダヤ教とキリスト教の一体化、これは誰がなすのでしょう。事実、先生はワシントン大会で、私たちがやりますと宣言しました。歴史では、カイムとアベルの溝、この溝を誰がうめ、一体化させるのですか。多くの血がこのために流されてきました。誰がやるのでしょうか。誰でもありません。私たちです。世界的な、歴史的なインとアベルを一つにするのです。

 皆さんはもう良く知っていることですが、ワシントン大会で私は言いました。歴史上の中心宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国は、共産主義世界やまた世論から迫害をうけるようになっているのです。国連においてさえも、反対され、追いやられ、横ヤリを入れられています。これは全て、天的理由からそうなっているのです。だから、この三ヵ国は一体化し、総力を結集するのです。そうすれば、多くの希望をもつことができるのです。そうでなければ、その反対です。三つの宗教が一つになり、互いに理解し合う、そうしたら世界を救う力が生まれてきます。どうですか、生まれますか。(生まれます)。

 もし、そのような時がこなければ、ユダヤ教、キリスト教、統一教会が今まで準備してきた祝福すべてが、共産主義世界にいってしまいます。それが運命です。そう思いませんか。だから、そのような、悲惨な非劇的な運命をさけるために、イスラエルとアメリカと韓国は、すなわち三つの宗教は、一体化しなければなりません。そのために私たちは神の共通の原則を表明しなくてはいけません。それは自己否定です。完全な自己否定、奉仕、自己犠牲的公的精神です。

 そうして、アフリカのような貧しい国の一人ひとりに、神の国を造ってやるのです。できますか(はい)。その前に私はあなたたちのために、神の国を造ってやりたいと思っています。私の生きている間に、皆に、白人にも黒人にも黄色人にも、何千何万も家を建ててやりたいと思っています。そのかわりに、何千何万とアフリカ人にアメリカ人にと、あなたたちが家を買ってあげなさい。誰がそれをやりますか。真理を知っている人がやれば良いのです。

 復帰の歴史は、迫害と抑圧の歴史でした。では誰がその重荷を担うのですか。それは知っている者が解放をもたらすことができるのです。そういう者が重荷を担うべきです。それが神の摂理、神様のやり方です。統一教会がもっと大きくって、力も大きくなったら先生はどこへそれを動員しましょうか。それは私たちだけの利己的な栄誉のためでなく、神にとどくような、ために生きるその目的に使うのです。

 もし、アメリカ政府が、私の忠告を受け入れ、原理に従うなら、七年以内に世界は全く違ったものとなります。可能だと思いますか。しかし、彼らはまだ知りません。だから私たちは開拓しなければなりません。私たちは教え、教育しなければなりません。できるだけ早く。私はアメリカ大会で、今まで大衆に話したこともないような内容、原理を話しました。何を宣言したのでしょうか。それは最後の宣言です。

 アメリカ大会が勝利的に行われたということは、歴史が新しい段階に入ったことを意味し、それを宣言したのです。今からは、あなたたちは、私の代身、もう一人のサンミョン・ムーンになって、そのことを強く自覚してほしいと思います。神が世界を勝利されたのです。今から、自分の生命をかけて、ますます前進し、最後の目標に向って先頭をきってほしいと思います。神があなたたちを祝福れますように。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.13 18:40:05
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2021.09.11



​​​​​​「アメリカと神のみ旨」

1976年9月18日
「ゴッド・ブレス・アメリカ(ワシントン大会)」フェスティバルにおける講演より


 分裂の中にある世界

 尊敬すべきアメリカ市民並びに世界の代表の皆さま。

 私は、皆さまがワシントン・モニュメントでの大会にお集り下さいましたことに対し、衷心から感謝申し上げます。今晩、私たちは神のみ名において、アメリカ建国二百年を祝っております。きょうは皆さまと私にとって、歴史的な瞬間であります。

 今晩、私は「アメリカと神のみ旨」というテーマでお話したいと思います。

 神は永遠、不変、唯一、絶対であります。もし、これらが神の属性であるとすれば、神の天地創造の目的も永遠、不変、唯一、絶対のものでなければなりません。はじめ、神の理想は統一と調和に満ちた一つの世界を創ることでありました。

 しかしながら、今日われわれの世界には、統一も調和もありません。そのかわりにあるのは、分裂と不調和、混乱と混沌であります。われわれ個人においては、心と体が分裂しており、またわれわれの家庭、民族、国家、および世界そのものもバラバラに分かれております。この現実は、神の本来の意図とは完全に相反するものであります。明らかに何かが根本的に狂っているからです。

 宗教はそれを明確に説明しています。それによると、この世界的な分裂はわれわれの始祖たちの神に対する反逆、つまり人間の堕落の結果であるということです。

 神は堕落した人間を救うために、メシア(救世主)を送られました。メシアの目的は人間を堕落以前の正しい状態に復帰させることでありました。したがって「救い」は「復帰」と同じことであります。

 人間の堕落によって、この堕落した世界が生まれました。人間は神に反逆したのです。これにより人間は、サタン(悪魔)に騙(だま)され、ほん弄される立場に陥りました。やがて人間はサタンと一体となり、神の性質と愛のかわりに、サタンの性質と情念のトリコになり果てました。

 われわれが創造本然の人間に立ち返るためには、堕落の経路を逆にたどって行かなければなりません。そのために、今度はわれわれが失ったその神のみ言(ことば)に聞き従い、サタンと自己とを引き離して神に帰らなければなりません。このようにしてわれわれは、神の性質と神の愛を受け入れることができるのです。

 神は最高に自己がなく、最高に公的な心を持っておられます。これに反しサタンは、絶望的なほど自己中心的で、自己自身のためだけにすべてを利用する存在です。神が人間を復帰する「公式」は、われわれが神のかたちに似ることです。つまりこれは、われわれが神のように完全に利己心をなくして公的な心を持った者になることを意味しています。

 われわれは隣人のために、自分自身を犠牲にすることができるものとならねばなりません。そのようなエゴのない、公的な心を持った人は、神のかたちを宿した者となり、繁栄するでしょう。利己的で、自己中心的な人は、神と人に敵対するがゆえに衰退することは明らかです。これが神の法則です。

 人類の歴史は、闘争の歴史であり、戦争の歴史でありました。それはあたかも人間存在をかけた、神とサタンの綱引きのようなものです。善なるものと悪なるものが、人間をそれぞれの側に勝ち取ろうとして戦ってきたのです。

 人類歴史は人間始祖の堕落で始まったために、悪が善に先行することになりました。したがって歴史上、悪の側に立ったものは、つねに侵略的、攻撃的立場をとってきました。しかし、神は善そのものであるために、最後には善の側が絶対に勝利を得るのです。善の側はこれまでつねに“負け犬”とされてきました。しかし最終的には、勝利者であり、つねにその勝利圏は広がってゆきます。

 例をあげれば第一次世界大戦や第二次世界大戦においても、悪の側が最初に、攻撃をしかけてきました。しかし、彼らは敗北の道をたどったのです。今日、第三次世界大戦についても、非常に多くのことがいわれていますが、悪の側を代表した共産主義国家群によって、自由世界への挑戦がなされ、争いが全世界の各地で頻発しています。しかし、神の「公式」からすれば、究極の勝利が善の側にあることは確実です。

 中心的宗教と国家

 神の復帰のみ業について、もう一つの「公式」があります。神は、堕落した人間を復帰するためにメシアを送られるのですが、その前に神はいつも、中心的宗教と選ばれた国家を準備して、メシアを迎える基盤を整えられるということです。この「公式」によれば、神は最初の中心的宗教としてユダヤ教をたて、イスラエル民族を最初に選ばれたのです。この基盤の上に、神はイエス・キリストをメシアとして送られたのです。イエスの願いは、選ばれた国家と宗教がイエスとともに地上に「神の国」を建て、世界と人類を神のもとへ復帰することでした。神はこの目的のために、四千年もの歳月をかけてユダヤ教を準備し、イスラエル民族を訓練してこられたのです。もし、彼らがイエス・キリストをメシアとして受け入れていたなら、そして彼とともに犠牲精神を発揮して働いていたならば、イエスはイスラエルで成功していたばかりでなく、アラブ、アジア全域を統一することに成功していたでしょう。さらに東洋と西洋を一つにすることにも成功していたはずです。

 しかし、イスラエル民族とユダヤ民族は、彼らの使命について完全には理解できませんでした。イエスは、メシアとして受け入れられなかったばかりか、最後には、十字架にかけられて殺されてしまったのです。

 このようにして「神の国」の建設は未完成のままに地上に残されました。しかし、他界したイエスは霊的救いの道を開き、キリスト教徒が第二イスラエルとして、霊的な立場で使命達成に出発したのです。初期のクリスチャンたちは迫害を受けながらも、ローマに進軍して行きました。その迫害は四百年間も続き、非常に多くの殉教の血が流されました。メシアのために神が準備した四千年間を償うために、このような犠牲が必要だったのです。しかし、クリスチャンはついに、ローマで勝利を収め、キリスト教はその国教となったのです。このようにして、ローマは第二イスラエルの立場をとるようになり、神の祝福を受けるようになるのです。

 失敗したローマと英国

 神は、ローマ法王とローマが完全に一つになり、統一した世界を設してイスラエルが成就しえずに残した仕事を果たしてほしい、と願ったのです。しかし韓国法王もまた、その使命の重要さを理解できず、たびたび自己の栄光のために権力を濫用したのです。悪弊と腐敗が教会の中にはびこり、神のみ意(こころ)から遠く離れてしまいました。法王の権威は地に堕ち、この反動でヒューマニズムが台頭してきたのです。

 そして、一方では、プロテスタントが、腐敗した教会の改革を叫んで出現してきました。しかし、その強い叫びにもかかわらず、法王とローマの権力者たちは、改革者への弾圧を強化しました。この期間にイギリス国王のヘンリー八世は、ローマ・カトリックに反対し、英国議会を通して新しい法律を制定し、新しくイギリス国教を定めたのです。

 これは英国がヨーロッパのプロテスタント運動に加わり、神のみ旨に加わる絶好の機会でした。そして「太陽が沈むことのない国」といわれたほど、大英帝国は世界で最大の国家になりました。しかしこれはただ英国のための特別な祝福ではなく、「神の国」を実現するための神の祝福だったのです。もし英国がこのような神のみ意を理解していたなら、英国はピューリタンとプロテスタントの運動を支持して、神から与えられた世界復帰の運動に取り組んでいったことでしょう。そして英国はすべての国境を越えて、神の統一国家を実際的に創っていたはずです。

 しかし英国はピューリタンを迫害し冷遇したのです。迫害された人びとは、「希望の地」を見つけなければなりませんでした。彼らは迫害という共通の運命によって結ばれ、国境を越えてその迫害からのがれるために、新世界にやってきたのです。これがアメリカ大陸でした。ここで彼らは、独立したプロテスタントの国家を創ったのです。これがアメリカ誕生の摂理的背景です。

 今日、アメリカとキリスト教はともに、神の世界復帰の聖なる使命を果たさなければなりません。アメリカは、西洋と東洋、そして中東の文化を統一しなければなりません。そして大統一文化を創造しなければなりません。それは最終的に、地上に「神の国」を建設することになるのです。

 苦悩かかえる米国

 ユダヤ教は神が最初に選んだ中心的宗教でした。キリスト教は第二番目のものです。そして神の摂理における最後の段階を完成するために、新しい啓示として出現した統一教会は、第三番目のものです。これらの中心的宗教は現在のアメリカにおいて一つにならなければなりません。そして世界の宗教を一つにしなければなりません。

 旧約聖書を中心としたユダヤ教は、神の最初のみ業でした。それは長男の立場です。そして神の新しい啓示、成約のみ言を実現すべき統一教会は、三男の立場です。これらの三つの宗教は、神の摂理から見れば三人の兄弟なのです。それゆえ、これらの宗教が基盤となっている三つの国ぐに、すなわちイスラエル、アメリカ、韓国は兄弟国家にならなければなりません。なぜなら、これらの国ぐには、神の側を代表とした共通の運命をもっているからです。

 サタン側を代表する共産圏は、これらの国ぐにを国連で孤立させ、その存在を破壊しようとしています。それゆえ、これらの三つの国ぐには手を取り合って、国連の本来の目的と機能が完全に果たせるよう努力し合わなければなりません。

 これらの国家は、内的には世界の宗教の統一、外的には世界の国家の統一のために貢献しなければなりません。神のもとにある統一世界(ワン・ワールド・アンダー・ゴッド)こそ不変で永遠の、そして絶対的な神の願いです。しかしこの目的を実現するために、まず、宗教の統一が最も重要な課題です。もしすべての人びとが一つの神を父として礼拝し、一人のメシアを受け入れ、「神中心主義」と、絶対的に神を中心とした生活を支持するなら、神はそれらの人びとと共に住まわれるでしょう。それこそが「神の国」を実現するために最も重要なことです。

 アメリカ合衆国は人種や国境を超えて、すでに統一世界のモデルになっています。神がアメリカの上にふり注いでいる無数の祝福は、アメリカだけのものではなく、世界の人びとのためだということを知らなければなりません。世界のキリスト教の中で、アメリカはキリスト教を指導する立場として神の選んだ国家としてその使命を果たさなければなりません。

 ローマも英国も神の願いを果たすことができませんでした。さて、アメリカは、どうでしょうか。アメリカは同じ過ちを繰り返さないよう、世界のために犠牲になり、神のもとの「統一世界」のために働くように、神はレバレント・ムーンをこの国に呼び神の新しい啓示を発表させたのです。そしてとくに神はアメリカの青年たちを指導し、私の後につづく明日の指導者をつくるため、私をここに送られたのです。

 今日アメリカは、人種問題、青少年の犯罪、道徳心の欠如など、多くの問題に苦しめられています。キリスト教は衰退しつつあり、反対に「共産主義」が興りつつあります。「共産主義」の脅威は、今ではいたるところで見られるようになりました。これらすべての問題の中で、とくに唯物論を唱える「共産主義」は悪なるものです。これはアメリカだけの問題ではありません。これはすべての人にかかわる問題です。そしてこれはすべての宗教人の問題であり、これは神ご自身の問題であるのです。

 紳士、淑女の皆さん。人類歴史の交叉点に立つわれわれは、神の声に耳を傾けなければなりません。神はアメリカを二百年間にわたって準備し訓練してこられました。今こそ目覚める時がやってきたのです。アメリカは今日、宇宙的責任を果たさなければなりません。アメリカは「神中心主義」によって共産主義世界を解放しなければなりません。そして最後には、地上に「神の国」を創らなければなりません。明日ではもはや遅すぎるのです。

 約束と決意の時に

 私はアメリカを尊敬するだけではなく、真にこの国を愛しております。私はアメリカを偉大な国として、神の摂理の中心国家として尊敬しております。アメリカはいま第三世紀の出発点に立っているのです。アメリカはもう神を悲しませてはなりません。きょう、われわれは、全能の神に誓いましょう。「われわれは神のみ意を果たします」と。「われわれはけっして再び神を苦労させません」と。

 きょう、この聖なる地で、共に集い、地上に「神の国」の礎石を築きましょう。神の共働者として、共に進んで行きましょう。

 一つになることを切に願ってきた愛する皆さま!ここはそれを約束する場所です。今は決心の時です。この聖なる時に、天と地とすべての人類の前に、もし皆さまが喜んで汗と血と、そして神の声に応える真実の生活を捧げる決心をするなら、われわれはそれらを短期間で成し遂げることができるのです。われわれは地上に、今この所から「神の国」をわれわれ自身の手で創ることができるのです。

 神の祝福が皆さまと皆さまの家庭にともにありますように、そして、アメリカ合衆国の上にも。

 どうもありがとうございました。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.09.11 23:23:57
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2021.09.10
​​​​​​​​​​​​​「神とアメリカと我々の方向」

1976年7月4日
ベルベディアにて


 二〇〇年と二〇年

 皆様方もご存知のとおり、きょうは、アメリカ建国二〇〇年記念日であります。

 私の知るところでは、我々統一教会の歴史におきまして、アメリカ建国二〇〇年を祝うのは、今度が最初でありまた最後であります。アメリカの今日までの歴史は、神のアメリカに対する祝福とアメリカを通しての世界に対する祝福の歴史でありました。

 したがって、この歴史は、アメリカが六〇〇〇年を蕩減する期間でありました。神の復帰摂理の上において、アメリカの三〇〇年目に入るとただちに、我我統一教会の食口が神の復帰の残された意義と重大さを蕩減復帰する責任があることを私たちは、よく知っております。そして同時に、私たちは、アメリカが三〇〇年目に入って、上り坂にあるのではなくして、下り坂にあり、退廃し、腐敗しつつあることは確かであることを知っています。

 神は、アメリカが衰退しつつあるのを放っておいたり、衰退するのを見るのをがまんすることはできないのです。それ故に、アメリカを救い、世界を救うために、統一教会というグループを三世紀目にあたって建てられたのです。

 きょうは、アメリカ建国二〇〇年の記念日であるばかりでなく、統一教会の歴史におきましてから二〇年前、不名誉で屈辱的な日でありました。二〇年前のきょう(七月四日)統一教会にとって、不名誉で屈辱的なことがありました。そして、これは、その不名誉と屈辱を耐え忍び、ある期間を蕩減することによって、それをこの国の建国二〇〇年に二〇〇年祭に結合したのです。

 これには摂理上の重大な意義があり、我々にはこれから果たさなければならない重大な使命があるのです。統一原理によれば、我々が二〇年間の困難を忍んできたことと、アメリカが二〇〇年を神の復帰摂理の歴史に足跡を記してきたことは、一致点がありますが、ご存知の通り、十月十四日は私が、解放された日であります。十月までは私たちは、神の復帰摂理の歴史全体を蕩減復帰するために自分が果せるどのような蕩減をもなしてゆかなければなりません。

 私は、あなた方に、きょう我々がこのように集まったことは、意義あることになるのであろうことを知ってもらいたいと思います。

 あなた方もご存知のように数多くの式典が行なわれようとしています。その中の一つの大きな式典は、ここで行なわれ、ワシントンでは、もう一つの大会があり、フィラデルフィアでも行なわれようとしています。その他の所でも行なわれようとしています。

 外的大会と内的大会

 しかし、我々の活動におきましては、我々の大会の意義は、四数をすることにあると感ずるのです。ここにおいて、我々の二〇〇年記念祭と他の式典とは、神の目から見ればどれが最も意義ある大会でしょうか。私たちは自分たちが正しい方法によって祝うことによって、過去のあやまりを蕩減復帰して将来のための基礎が築かれるのです。

 他のすべての祝典は、外的なものですが、我々は内的に祝うのです。そして私の喜ばしく思うのは、建国二〇〇年の祝典が、偶然に日曜日にあたるということです。統一教会の二〇数と建国二〇〇年の一致があり、日曜日と内外が給合されているのです。さきほども述べましたように、ワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアにおいて外的な祝典がなされますが私たちは、同じ日、ワシントンで内的な祝典を行ないます。

 内的なものが中心でありますから、ワシントンで私たちの行なおうとする大会が神の目から見るならば最も意義あるものであり、もし私たちがこの立場から出発して、神の歴史を給合し完了する方向に向かって上っていくならば、この祝典が人類歴史において最も意義のあるものになるでしょう。これは単に導入部分にすぎませんので、これから本題に入っていきましょう。(笑い)

 すでに導入部分に二十三分間経ましたね。しかし、私がすでに語ったことが、きょうの話しの本題になります。

 ニューヨークの大会はきょうの何時に始まるか知っていますか。八時に始まり、本格的な話は十時になります。ですから私たちが最初に、アメリカ建国二〇〇年を祝うことになります。したがって、誰も、きょうの朝までこのような大会は、アメリカ二〇〇年の歴史にもなかったことです。もし、眠ってしまっては、それを祝う資格はありません。一夜、眠らずにすごさなくては、二〇〇年、二〇〇年この神の意義ある日を迎えることはできませんよ。だから眠ってしまってはだめですね、わかりましたか。

 神が建国したアメリカ

 きょうの話は、神の御旨の方向、アメリカの方向と我々の方向です。私たちは、アメリカの歴史の意味をいろいろな方向から見ることがきますが、アメリカの歴史は、神の摂理としか考えざるをえません。神がこの国を建て、神が祝福したのです。神の目にもアメリカの人の目にも世界の人々の目にも、アメリカの歴史は、神の摂理と結びつけて考えるほどに意義深いものです。

 キリスト教なしにはこの国は、生まれませんでした。アメリカは、ヨーロッパの国々を含めて世界中からきた世界中の民族によって構成された国です。過去の歴史では、すべてのヨーロッパの国々は敵対関係にありました。

 その敵対関係にあったイギリス、オランダ、イタリア、フランス、ドイツ、スカンジナヴィア諸国の人々が、続々と海を渡ってまで、新大陸で調和のとれた一つの国家を形成したことは神秘的であり、謎めいたことです。

 しかし、移民の主要な流れ、すなわち、あなたがたの先祖の中には、ヨーロッパという旧世界において、宗教の分野で迫害されカトリックの国々から宗教の自由を求めて、この新大陸において、プロテスタント信仰の自由を得たのです。

 彼らは、神の名において自分たちの政府や国民によって迫害され、旧大陸からのがれて新大陸に渡ってきました。彼らは、宗教の名において、教会の名において、やってきました、彼らは一つの共通点があったのです。彼らは自分の国では、カトリックに迫害され宗教の自由を求めてきたのです。

 それ故に、彼らは、共通点があるのです。このような方法においてのみアメリカという秩序ある調和のとれた国家を建てることができたのです。あなたがたのピルグリム・ファーザーズやピューリタンは、新しい宗教秩序や教会法律までもをイングランドで建設しようとしたのです。

 宗教の自由と新しい教会を求めて

 それ故、彼らは宗教の自由を求めてきたのです。イングランドからやってきてどうして母国イギリスと戦うことができたのでしょうか。それは、彼らが、宗教の世界において迫害されたために、憤がいして、旧い勢力に対して統一して戦かったのです。

 彼らは自分たちの(祖国)旧世界を否定しなければならなかったのです。というのは、彼らの願ったことは、プロテスタンティズムかアメリカという国を建てるようにということであり、この意味において、旧世界に対して戦うために一体化したのです。ご存知の通りジョージ・ワシントンは、神の前にひざまずいて祈りました。彼らの人々の心の中には、迫害する勢力に対して戦かい、プロテスタントの新しい国を建設しなければならないという根深い考えがあったのです。それ故に、彼らは、神の名において、神の国、将来における神の国を建てることを願ったのです。

 その当時の軍隊はいろいろな国籍の人々からなっているのです。独立軍は、世界中の国々の人々から構成されており、その当軍隊の志気をあげて勝利に導びくための、彼らの共通した考えは、この新大陸において、神の国となるべき国を建て神の名において建てるというものでなければなりませんでした。

 その当時の将軍は、イギリスの為とかイタリアの為とかオランダの為とかブラジルの為とか、特定の国の為に戦うのだということはできませんでした。しかし、神の名において新大陸に教会を建てるというのが、戦いの原動力であったのです。それは私たちのスローガンでもありますね。

 神の御旨と教会の建設の理想がなくして彼らは、それらの勢力に対して戦い勝利することはできず、アメリカという国を建てることはできなかったのです。すべての旧世界の国々を否定し、旧世界と戦わなければならず、彼らの目標や目的が、旧世界の旧制度に勝さったものとするためにアメリカという国を建てるということでなくてはなりませんでした。彼らの考えたことは、神のもとにおける新しい国であり新しい教会でありました。

 神様主義は国境と宗派を乗り越えるもの

 彼らが主張し、彼らがつくらなければならなかったのは、国境を越え旧世界の社会秩序を越えた神の名における新しい教会であり、神の名における新しい国家でありました。

 彼らは、新しい教会新しい国家を建てるという考えによって動かされました。その思想は、他ならぬ神様主義でありました。その思想によって独立が可能でありました。

 独立戦争において、勝利をもたらしたのは、このような思想でありました。私達は、神様主義といいましたが神様は、特定の宗派、キリスト教さえをも中心としているのではありません。神様は、メソジスト派フレスビテリアン派その他キリスト教の宗派を中心にしているのでもありません。

 では、神様主義とは何でしょうか。神様主義というのは、諸宗派キリスト教の宗派を乗り越えたものです。神様主義、神の思想というのは国境を越え、人種の差を乗り越えているのです。

 それでは、神様が諸宗派間の争いを考えたのでしょうか、それは、宗派の教えであり、(人種差別主義であり)神様主義ではありません。神様は、全世界を救い、すべての民族が一体となることを見ることもできません。この国の建国精神を見る時に、それが国境を越えたものであることがわかります。しかし、今だに諸宗派間の壁を取り除くことはできないのです。

 この国にはメソジスト派とか長老派とか教多くの宗派が存在しています。この点においてアメリカ史上、私たちの義務、使命はこの大陸に神の名のもとに一体化し神の国を建設できるように諸宗派間、諸民族間、諸国家間の壁を打ち破ることであります。


 御旨と人間の意志とのへだたり

 それでは、諸宗派間の壁を打ち破ることと、諸民族間の壁を打ち破るのはどちらが先ですか。(国家間の壁を取り除くことによって動機づけられています。国家間の壁を取り除いた後、私たちの仕事は、諸宗派間の壁を取り去ることにあります。

 もし、私たちが諸宗派間の壁を取り去ってしまえば、国家間や民族間の壁を取り去ることは容易であります。アメリカ史上初めにメソジスト派、長老派などキリスト教諸派の国会議員がその当時諸宗派間の壁を打ち破って統一国家を築くために一体化していたならば、統一をなすことはもっともっと容易であったでありましょう。この国の建国精神は、神のもとにおける一つの国家ということでありましたが、それは弱められこの社会から根こそぎにされて、忘れられようとしています。

 あなたがたの先祖がこの国を建てた理由は、宗教の自由を得るためであり、すべてのことが神の名において、教会の名においてなされるためでありましたが、このような事はこの国の政府においては見られなくなりました。

 彼らは、神の名においてではなく、国民の名において、アメリカの名において語っています。それ故、神の御旨とこの国の意志にはギャップがあるのです。この国を建てた神の御旨と国民の意志の間には、大きなへだたりがあります。したがって、もしこのような状態がそのままつづくならば、この国は、必ずや滅びる運命にあります。

 ここアメリカ建国二〇〇年祭で、この偉大な国の第三世紀目を迎えて社会の内部をながめてみると、将来における希望と光よりも、暗黒と絶望が広がっています。よくご存知だと思いますが、フィラデルフィアにおいて、ワシントンにおいてさえも、共産党の式典である。いわゆる人民の二〇〇年式典が行なわれようとしています。

 これは何でしょうか。共産党のアメリカ建国二〇〇年祭は、神考えたことでしょうか、あなたがたは、世界中の国々から船がやって来たり、三〇トンの花火を打ち上げたりする光景を目にするでしょうか。これらは、本当の意味で神の名においてなされるのでしょうか。それともそうでないでしょうか。

 あなたがたも知らず、この国の国民も知らずに、三〇トンの花火のための材料は中共の毛沢東から送られて来たのです。

 神の立場から見るならば、神は二〇〇年前に、神の摂理の四〇〇〇年歴史を蕩減復帰するために建てた、アメリカがこのようなことになることを願われたと思いますか。このようなことをごらんになろうことを望まれたと思いますか、神は、この式典が神の名において、おこなわれ、この国の過去の歴史を神の名において完結して、この国が新しい世紀、第三世紀を願っています。

 二〇〇年歴史の完結のために

神の名においてすべての国家の壁のほか宗教や教派の壁を乗り越えて始めることを望まれるでしょう。神は、どうか私達を神のもとに帰して下さいという叫び声を聞き、神の名において二〇〇年式典が行なわれることを望まれています。

 神は、この国からそのような叫び声が起こることを望まれているのです。私は二〇〇〇年歴史を蕩減復帰するためにこの国を立てられた、神の蕩減の重大さを知っており、この国の二〇〇年祭の重大さを完結するために、六月一日と九月十八日の間にこの国の二〇〇年式典の日を祝いたいと思うのです。

 私たちは、ほかにも式典が行なわれることを知っていますが、私たちは神の御旨にかなうように行ないたいと思います。それ故、私たちの式典が内的な意味において、最も重要だということになります。わかりますね。(はい)

 数は少いけれども私ちは、ここにおいて、国家の諸民族の壁を乗り越え、宗教や宗教の壁を乗り越えての二〇〇年祭を祝うのです。そうですね(はい)。

 私たちの見方によれば、アメリカ史は、神の御旨と一体とならなければならず、私たちはアメリカ史を完結してこの国の二〇〇年祭を神の名において祝わなければなりません。ワシントン、フィラデルフィア、そして、ニューヨークでの祝典は、たとえ忘れさられても、私たちが、ここで開く祝典の意義をけっして忘れてはなりません。

 私たちは、この国が神の御旨に一体化するために、三世紀に入って神が神の復帰摂理を完結することを望み、私たちはいかなる犠牲を払っても、この国を建国精神に立ちもどらせなければなりません。

 衰え行くアメリカ

 もし、この国の人々が衰退の道をたどるとすれば、神は地獄に向っていることになります。しかし、私たちは、この国を建国精神に立ちもどらせ、永遠の繁栄をすることができる本来の道にもどさなければなりません。わかりますか(はい)。

 あなたがたは、神がこの国を去りつつあり、神がこの国の教会を去りつつあるということを知らなければなりません。なぜあなたがたから神が去りつつあるのでしょうか。それは神の御旨とアメリカ国民との間に、さらには、神の御旨とアメリカの教会との間においてさえ一体化したことがないためです。寝てもさめても、あなたがたの先祖は、この国を建てるにあたって神の御旨が実現化されることを考えていました。

 ですから少なくとも、ここアメリカに建国精神に立ち帰るように働きかけるグループが立ち上らなくてはなりません。そして彼らは、寝てもさめても、先祖の建国精神を相続して、神の御旨がこの国においてなされるように、考えなくてはなりません。

 さもなければ、この国は、滅亡する運命にあるのです。その他にいく道はないのです。ごらんのように、この国の国民や、この国の政府と神の御旨の間にはギャップがあります。

 そして、アメリカの政府や世界中の国々の政府は、異なった目的や異なった目標において異なった利益を持っています。神がこの国を建てたのは、教会や宗教の自由のためである、この国を通して、他の国を救うということでありました。しかし、神がこの国を中心とするこの二つの目的はともに消滅してしまいました。

 アメリカは、今や教会と世界を失ないつつあります。それは神の御旨ではありません。今から、アメリカは神の御旨において教会を救い他の国を救えるような国にならなければなりません。

 今そのような状態になっているでしょうか(いいえ)。第二次世界大戦が勝利に終わった時、神は、アメリカが神の御旨において世界を指導することを願われたのです。しかし、この国の人々はその点においても誤まりを犯したのです。

 それ故に、この国の人々は教会を失ない始め、教会の基礎を失い、神のもとにおける世界国家を失なったのです。それ故、あなたがたは危機に直面しているのです。反対に世界の国々が「ゴーホーム、ヤンキーズ」といって、アメリカを追い払っているのです。そのような迫害や拒否に会っているのです。それを知っていますか。

 責任をとるのは誰か

 宗教と政府との間にはへだたりがあるのです。あなたがたの政府はあなたがたの国(あなたがたの国民は)どうですか。上り坂にありますか、それとも、下り坂でしょうか。もしアメリカ政府、アメリカの教会さえもが責任を取ることができないならば、誰かが責任を取らなければなりません。誰がしますか。あなたがたにできますか。どのようにすれば責任を果たすことができるでしょうか。

 神が私たちの側にいらっしゃっています。ですから私たちが神の名のもとにおいて、私たちが国家の壁や宗教の壁を乗り越えようとする時、私たちは、私たちの仕事を果たすことができます。

この国の建国精神に立って、国家間の壁や宗教間の壁を乗り越えて、もし私たちがそれを再生させて、この点から出発して、神のもとにおける一つの国民ではなく、神のもとにおける一つの世界を作らんとしてこの国の第三世紀目に入るならば、もし私たちがそれらの問題を解決しようとするならば、神が私たちとともにあり、私たちの目標を達成することができるのです。

 この建国二〇〇年の記念日にあたって、このアメリカは、一つの国家の基準を乗り越えて神のもとにおける世界というスローガンを声たかく掲げて、神の御旗をかけなければなりません。そうでなければこの国は滅びつつあります。

 誰がその仕事を果たしますか。アメリカ政府に期待できますか、(いいえ)、アメリカの教会がそれをなすと期待できますか、誰がそれをしますか、(私たちです)あなたがたにそれができますか。

 アメリカ政府とアメリカの全国民は、私たちを迫害しようとしています。それでもなしていくことができますか(はい)。

 神のもとに帰るということが唯一の方法です。それが神の御旨だからです。神の目から見るらば、メソジスト派も長老派も洗礼派も、その他の宗教もありません。

 神の唯一の御旨はそれらの諸宗派が一体化することであります。神様主義だけが適用されるのです。神様主義とは何ですか。それは世界を救うということです。世界を救うためには、必要であれば、私たちは、このアメリカという国家を否定し、アメリカの国民や教会さえも否定しなければなりません。国家を救い、世界を救うためには、私たちは、統一教会の食口は、私たちの教会と教会のメンバーさえも否定しなければなりません。

 教会の食口には、アメリカの国民の代表し、教会は、アメリカの教会を代表しています。したがって、私たちは、両方とも否定しなければなりません、それができますか(はい)。

 私たちの準備

 統一教会においては、韓国人もアメリカ人も日本人もヨーロッパ人もありません。ただ神のもとにおける民だけであります。キリスト教の宗派も、他の宗派もありません。民族もありません。私達は、神の子であります。そのようにできますか(はい)。この世においては、この二〇〇年を祝うために人々は気狂いのようにおどったり歌ったりしていますが、私たちは、この国を救うために、もっと困難な道を通過しなければなりません。その準備ができていますか(はい)。

 あなたがたの体は小さいけれども、もし、この国において神の御旨をなすために、この偉大な目的のために自らを献げるならば、手を上げてみなさい、ありがとう。レバレンド・ムーンは、アメリカの教会、アメリカの政府やアメリカの国民に迫害されていますが、神の目から見るならば、どちらが正しいでしょうか。

 あなたがたは、本当にそう思っているのでしょうか、それとも私があなたがたにイエースと言わせようと脅迫しているのでしょうか。本当に神が私を支えていると思いますか(は)。もし、あなたがたが本気でイエースといったならば、迫害し屈辱を与えんとする嵐や台風があなたがたを襲ってきたとしても、あなたがたは完全に一体化しなければなりません。いいですね(はい)。

 ここに、私たちは黒人、白人、黄色人の間に強力な一体化を成して、国家の間を乗り越える世界中のどのような力も、私たちの一体化を崩すことができないようにしなければなりません。たとえ、彼らが私たちを打ち負かそうとしても、彼らが粉みじんとなるでしょう。しかしそれは私たち自身の力ではありません。そうですね。(はい)もし、全世界が私たちを打ち負かそうとしても、私たちは、それに耐え忍び私たちの目標を果たすことができるのです。たとえば壁の上にくぎが立っているとします。私たちは、壁をたたこうとします。くぎは私たちの力によって、飛び出てしまいます。それは、私たちがくぎによって突きぬけられるためではありませんね。(はい)

 もし、巨大な力があなたがたにおそいかかってきた時に、あなたがたは、くぎの役割を果たし、その固まりを突きぬけることができますか。(はい)

 私はすでにその準備ができています。たとえ、全アメリカが私におそいかかり、全世界が私を拒否したとしても、私は生き残ります。

 神の声に敏感であれ

 人類の歴史は、真夜中暗やみを通過していますが、たそがれ来るときには、人々は、レバレンド・ムーンの成したことを神の御旨において正しいことと悟るでありましょう。あなたがたは強く勇気を持たなければなりません。全イスラエルが荒野で死につつある時、モーセが年を取りすぎて死ななければならなかったため神は、ヨシュアとカレブを召命なさいました。

 そして、その時神は、彼らに強く雄々しくあれと語りかけられました。シナイの荒野で当時、イスラエル民族はなくなりました。しかし、私たちは、第二イスラエルにならなければなりません。そして私たちはすべての力が私たちを拒絶せんとしており、再び荒野の中に立たなければなりません。

 今、アメリカのすべての人々は危機に直面した第二イスラエルです。その中から、ヨシュアやカレブのような人々の群れを(神は)召命し、これらの人々に対してヨシュアやカレブに対したのと同じように強く雄々しくあるようにと叫びかけ、はげまされるのです。その声が聞こえますか。カナンという新天地を目の前にしながら第一イスラエルは滅亡せざるを得ませんでした。

 この世界の腐敗と危機の中にあっても私たちは、ヨシュアやカレブのような役割を果たしながら神の民として立ち上がっています。そして私たちは、強く雄々しくあれという神の声に対して敏感で注意深くなくてはなりません。あなたがたにはそれだけの強さと勇気がありますか(はい)。

 私は、あなたがたが神の意図にかなうことを願っています。全世界が神の御旨にかなっていない時、神のアメリカに対する希望が果たされていない時には、アメリカ国民は神を絶望し暗やみの中に追いやっているのです。

 しかし、ここに神の視点において立ち上がったグループがあり、神が私たちのグループに希望をたくして、私たちは神の復帰摂理の過去の歴史を結合して、アメリカのこの第三世紀と世界の未来を、神の御旨にかなうようにしなければならず、それをできるのは私たちのグループしかいのです。

 それを実現するために私たちのグループに希望をたくされているのです。人々が絶望し、神に対して感謝の心がないのに対して、私たちは、自分たちが与えられた使命に対して、神に感謝しなければなりません。

 反対があったら神に近づく

 あなたがたの両親は、あなたのしていることに反対しています。すべての教会が私たちに反対していますそれについて私は次のように考えるのです。反対や迫害には意義があります。あなたがたの両親からなされている反対や迫害においては、あなたがたは、真の父母とより一体化するように動機づけられています。もし、あなたの国と人々が私たちの運動に対して反対するならば、あなたがたは、国家以上に、そして既成教会以上に強くなるように立ち上り、試みられなければなりません。

 反対は必ずしも悪いものではありません。私たちがそれによって成長すればいいのです。したがって、私たちはそれに対して感謝しなければなりません。そうすれば私たちは最も強いグループとなり、神がともにいて、よりよい自分をつくることができるのです。

 私たちは、自分たちが最も困難な時代に生きているということを悟らなければなりません。そして、国家が私たちの運動に対して反対することによって、神は、国家に対する祝福を私たちに相続させようとしているのです。

 教会が私たちの運動に対して反対することによって、その祝福が与えられ、どのようなグループでも私たちに反対すれば、それらの祝福が私たちに与えられるのである。迫害されればされるほど祝福がそれだけ与えられるのです。従って、伝道や経済活動において一生懸命努力しなくてはなりません。そして人の言うことを聞くときには、その人が教会のメンバーになるように愛のこもった目でながめなくてはなりません。

 人々は私たちが気が狂っていると思うでしょう。しかし(このようにして)私たちは気が狂っているのではありません。もし私たちが気が狂っているのであれば、私たちは、神の御旨のために気が狂っているのであります。

 私たちがたとえ正気でなかったとしても、神の御旨のためであれば、神にとがめられることも罰せられることもありません。そのように気が狂ったとしても、神は、私たちと一体化するために私たちを選ばれたのです。私はそれを確信しています。(拍手)

 九月十八日にすべてが一体となること

 この国の建国二〇〇年を祝うならば、私たちは、この日を神の御旨を相続し、この国と世界が神の御旨を成しとげるように、内的な意味において祝うようにしなければなりません。私ちは、この世における世俗的なことに対して、つんぼで、盲目でなければなりません。私たちの心の中の望みは、この貴重で偉大な日において、神の御旨をなすことであります。この祝典をすぎると私たちに残されたのは、ワシントン大会です。そして、この大会がこの国を世界においてアメリカ建国二〇〇年祭を終結することになります。

 私は、統一教会が、神の前において、それが受け入れられ、この国と世界の人々によって受け入れられ、歓迎され、人類の歴史においてこのようにして、忘れられるということはないと思うものです。

 私の望みと希望は、それが神とこの国の人々とレバレンド・ムーンとそのグループが、一体となって九月十八日を祝うということであります。これが私の願いであります。レバレンド・ムーンがたとえいなくとも、神の望みと願いは、アメリカ政府とアメリカ大統領自身が第三世紀目にあたり、この国と世界を救うという決意をなして建国二〇〇年を祝うということでありましたが、しかし、これが成されそうもないため、神は、それを成し遂げるために私を立てられたのです。

 神の本来の御旨は、この日を神を中心として、この国の政府と、国民と大統領と教会が一体となって祝うということでありました。しかし、実際はそのようになっていないので、神は、私を立たせました。私は、建国二〇〇年祝典をそのように勝利したいと望んでいます。

 あなたがたは、世界の中の数多い教会と、神の御旨を代表しているということを悟らなければなりません。そしてそのような責任と新しい決意を持って、この日を祝うものと思います。

 あなたがたは、世界と栄光とか比べて、たとえられるのではありません。しかしもしあなたがたが、神の御旨とこの国と世界をこの祝典に代表しているというあなたがたの責任を悟るならば、あなたがたは、全世界の誰よりも重大であります。私は、あなたがたに、この貴重な祝典の日に、自分の存在の重大さを悟ってほしいのです、この祝典の偉大な日に私は、あなたがた自分をささげることを願うものであります。

 神の権威において、あなたがたは、生きた供え物として自分を犠牲にささげるようにしなければなりません。このようにしてあなたがたは神の御旨において世界を代表することができるのです、このようになすことを願うものです。このようになすことによって、神が私たちと共にあり、この日を祝うことができるのです。そして、神の願われる勝利は私たちの力によって成されるのです。

 その勝利は、ワシントン・モニュメントのもとで成されます。そして、私たちは、自分の努力を九月十八日に集中しなければなりません。忘れずに、私たちは、ワシントン・モニュメントをめざして前進しなければなりません。これこそ神の御旨の方向であり、アメリカの方向であり、きょうの朝の題目であります。私は、どのような犠牲を払っても、前進し、目標に到達したいと思います。もし心がまえできているなら、神の前に手を上げて誓いましょう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.09.11 22:37:10
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