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奇  知  外  記

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宗教/天地創造

2020.12.24
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カテゴリ:宗教/天地創造












一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2020.12.24 00:30:04
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2020.08.08
カテゴリ:宗教/天地創造


賛美歌49番 1972年山内修一

ありがとう さわやかな目覚めを
ありがとう 妻や子等の笑顔
小鳥たちの 夜明けのうた
ひとときの祈りを

ありがとう 健康と使命を
ありがとう 職場とまじわりを
時を忘れ 自分を忘れ
心こめる よろこびを

ありがとう たそがれのおとずれ
ありがとう こころよき疲れを
庭の木々を そよぐ風を
通い馴れた 街角を

ありがとう あかりともる我が家
ありがとう 子供らの歌声
手をつないで 夕べの感謝
ありがとう ありがとう




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2020.08.08 20:16:03
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2020.08.03
カテゴリ:宗教/天地創造


聖歌(聖歌)バイオリン(violin)演奏曲が20曲収められています。

깊은 명상과 기도, 경배시간과 함께 하는 잔잔한 성가 29곡 바이올린 연주곡으로

00:00 성가1장 승리자의 새노래(Song of Victors)
05:00 성가3장 영광의 은사(Glory of Blessing)
09:42 성가4장 어둠에 싸인 세력(Suffering Heart)
15:10 성가5장 복귀의 동산(Garden of Restoration)
20:02 성가6장 성원의 은사(Grace of the Holy Garden)
23:55 성가7장 동산의 노래(Song of the Garden)
28:29 성가9장 원리용사가(Shining in the Morning Sun
31:06 성가10장 내가오리다(My Promise)
34:47 성가12장 나는 재물(My Offering)
37:56 성가13장 맹세(pledge)
42:30 성가16장 빛나는 조국(Shining Fatherland)
46:10 성가21장 내 몫에 태인 십자가(My Cross)
51:00 성가27장 새 에덴의 노래(The Father's Dwelling Place)
55:00 성가28장 부름받은 몸(He Has Called Me)
58:06 성가29장 내 어린양(My little lambs)
1:02:22 성가33장 쓸쓸한 골짝
1:04:45 성가35장 주여 오소서(O Come My Lord)
1:09:12 성가37장 찾아진 양떼
1:13:11 성가44장 사랑의 봄동산(Song of the Banquet)
1:16:42 성가46장 동산의 봄노래(Spring Song of Eden)

이 수록된 음원입니다



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2020.08.03 23:43:11
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2020.07.26
カテゴリ:宗教/天地創造

▲韓鶴子総裁、アメリカ国会議事堂に招請され、講演を行う(1993年7月28日)


1994年7月28日、米国では「父母の日」記念式典が開催され、その翌年からは毎年7月第4日曜日は祝日「父母の日」として全米で祝われるようになりました。

過去記事『「父母の日」国際化の動き-米国(2008.08.07)からですが、
米国での「父母の日」制定までの経緯については、<アメリカ国民の祝日「父母の日」制定に至る経緯>に詳しくまとめらたものがあったので参照していただければ、と思う。​

日本でも「家庭の日」や「家族の日」というものがあるよだが、「父母の日」としても祝うようにしたいものだ。


▼ 米国「父母の日」制定の発端となった韓鶴子女史の米議会講演 (光言社「新天地」1995年5月号、57頁)







​また、2003年からは「“親と子が共に向き合い、親子の絆が強められる1日になれば素晴らしい”との願いから、7月の第4日曜日の「親子の日」が発足」、この記念日は2005年に日本記念日協会によって公式に認定され、現在様々な企画を世界に向けて発信しているとのことです。


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Last updated  2020.07.26 22:11:11
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2020.06.05
2020.05.16
カテゴリ:宗教/天地創造
​「ファミリー」1989.11月号、文鮮明総裁のみ言「韓国は人類の祖国」(一九八九年六月十八日・ソウル本部教会)の一部です。


P.34~

統一教会とは、教会と名の付くもの全部を含む

 既成教会は四十年間反対してきましたが、このレバレンド・ムーンを打ち倒せませんでした。追い出すことなどとんでもありません。そのような不肖な私ではありません。そういう複雑な過程の中で、四十年間も迫害を受けながら、銃弾一発も射たれずに今日まで生き残って、大きいことを言っている人は歴史上にレバレンド・ムーン以外にいないというのです。分かりますか?(はい)。それでこそ統一教会の食口なのです。このように有名な先生が現れたので、皆さんは故郷に帰り、おじいさんより三代を従えて、文総裁の教育の場に連れてきて訓練を受けさせることのできるリーダーにならなければなりません。

 統一教会とは、すべて教会という名の付くもの全部を含んでいるのです。キリスト教、カトリック、イスラム教、ユダヤ教などすべて集まることができるのです。そうして宗教を統一しようとするのです。最近、先生はシリアのモスレムの指導者に会いました。

 彼は四十年前、第二次世界大戦直後に啓示を受けて篤実なる信仰生活に入ったのですが、その時「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教を統一することにおいて、連合運動せよ。そうせずしてはこれからモスレムの世界は残らない」という啓示を受けたそうです。それで四十年間連合運動してみると、モスレムの人たちが歴史的怨讐として見えてきたというのです。十字軍戦争の時も、キリスト教と戦って勝敗を決したのがモスレムでした。それで彼は、そういう恩讐的見方を持ったために、モスレム世界の監獄に入れられてあらゆる迫害を受けたというのです。またユダヤ教から、「あの人は気が狂ったのではないか、私たちを見てどうしてモスレムと一つになれというのか」と言われたというのです。キリスト教でもそうであり、どこに行ってもそうでした。そうして四十年を経て、今こそ宗教が一つになる時が来たと思ったというのです。(文)先生が世界宗教議会を中心として、宗教指導者たちを集めて世界的な大会を開いて、宗教一致運動を始めているということを知っていたのです。先生がそこで何をしようとしているかということを知って、これはただごとではないと分かったのです。自分が四十年間連合運動をしてきても何の基盤もないのに、先生は既に世界的基盤を造って、また政治、外交、文化、言論などのあらゆる分野における基盤を持っているし、宗教界やあらゆる面においての旗手であるということを知ったのです。
それらを見て感嘆したというのです。

 それで約二万名の責任者たちが集まったモスレムの集会で、「私は四十年間宗教一致運動をやってくるなかで多くの追害を受けてきたが、今やこの世界は一つの世界に向かって行かなければなりません。宗教が一つにならずしては世界を収拾することができないことを神様が知って、こういうことを全部準備せよと言われるので、私もそうしてきたのですが、今やそのことを実践して、世界的版図を中心としてすべての宗教が反対しても従わざるを得ない基盤を造った方がおられます。その方こそレバレンド・ムーンなのです」と言ったのです。そして「私が今まで提唱してきた道を完結する現代の代表者がレバレンド・ムーンです」と結論付けたのです。(アーメン)。(拍手)

 先生はその人に何か強制したのではありません。霊界が、レバレンド・ムーンのみが今後宗教界のすべての壁を崩していくことのできる力を持った人であると教えてくれたのです。それで、彼なりのキリスト教に対する何かがあって、決死的に先生に会おうとしてやって来たのです。ですから、先生は会わなければなりませんでした。初めて彼に会って、国を代表した宗教指導者として彼をイーストガーデンに招待して神の摂理について話しました。

 先生は、そういう時には簡単に話をするのです。先生が説教するようになれば内容が深くなってしまいます。この前はワシントンで十二時間半も話しました。きょぅはその内容を簡単にまとめて話そうと思うのに韓国の人は受ける資格がないようですね。私の口調がなぜこのように冗談ぽくなっていくのか、先生の口を誰がコントロールするのでしょうか。畑を耕す牛を引っ張っていくように、引っ張られる方向に従っていくようになっているのです。

 それで先生は、こういうみ旨を持って歩んでいるということを話しました。その次に、内部の責任者たちが報告したことの話をしました。それで彼は、「自分はシリアの大統領の所へ行って何でも指示できる基盤を持っているので、帰国してからアラブ国家のすべての総帥たちを集めます。その時、文総裁が会ってくださるならば私が連れてまいります。それで許してくださいますか」と言うのです。それは許諾して良いでしょうか、しなくて良いでしょうか。そうすると国が引っ掛かってくるのです。モスレムの国です。イランとの戦いや中国とソ連の外交政策においてシリアが問題になっていたのですが、この人の手中で皆回ってしまうのです。こういうモスレムの頂上にいる人が先生に侍るようになったのです。彼らが贈物をラクダに積んでやってくる時に通行禁止にすればいいでしょうか、通行禁止を解除しなければならないでしょうか。皆さん、どうですか?  門を開けなければならないでしょうか、閉めなければならないでしょうか。先生は民主主義の代表者ですので、私たちは民主主義式に決定しましょう。門を開けなければなりませんか、それを閉めたらいいですか? (開けなければなりません)。開けなければならないという
人は手を挙げてみなさい。それ以外の人たちは全部何ですか。手を挙げなかった人たちは手を挙げてみなさい。朝から悪口を浴びせてデモをするような人は一人もいないですね。(笑い)

 この統一教会に入ってきて文総裁を知った人は、教会を離れても一人で生きることはできません。反対する人に、「あなたは文総裁を憎みますか」と聞いてみれば、「文総裁は尊敬するのですが、幹部たちが嫌です。教会長が私に辛くしたのでこのような姿になったのです。誰々が私をこういう姿にしてしまいました。文総裁がそうするはずはありません。私は文総裁を今でも愛しています」と言うのです。いつだったか思い出せませんが、これは実際に起きたことです。急に道路にある人が飛び出してきました。それが誰かと言うと、元ムーニーです。私を見て涙を流して逃げていきました。その人はなぜ涙したのでしょうか。先生は直ちに分かったのです。「ああ、彼か」と。先生の前で話もできず横道へ逃げていくその姿を見た時、"ああ、教会を離れてかわいそうな人になったなあ。再び訪ねてくれば先生が分別してあげよう"と思ったのです。先生は悪い人ではありません。一度手を挙げて約束すれば、原理を中心として約束したことを条件として、愛するために従おうとする人であり、反対したり排斥できない人です。それが原理の道だからです。先生自身がそうですから、彼らは先生を射つことができないのです。人は霊物であります。

 今日、既成教会の牧師たちは反対しているのですが、その信者たちは皆統一教会に来るようになるのです。そうなるか、そうならないかを見ていなさい。なぜ連日のように文総裁に反対するのですか。自分たちに何かくれと言うのですか、それとも自分の妻を強奪されたのですか。(笑い) むしろ彼らが貧しい時、隠れて学費を与えたりして、先生は既成教会にどれほど多くの投資をしてきたことかしれません。数十、数百億以上です。世界を回りながら反対する怨讐の子供たちのために犠牲となりました。今や世界はそれを知っているのです。それで信者がだんだん多くなって、これからは新芽が出てきて実を結ぶようになるでしょう。






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2020.04.30
カテゴリ:宗教/天地創造
​​​​​​​文鮮明総裁 講演文「宇宙の根本を探して」

(96.08.01 世界平和家庭連合創設会議 閉会晩餐会 ワシントン・シェラトンホテル)




 尊敬するご来賓の皆様、そして紳士淑女の皆様!

 冷戦の終息とともに、平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に地球全体に拡大しています。新しい世界的な現実を無視したり、直視することのできない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に押し流されてしまうことでしょう。

 今、私たちは新しい世紀への入り口に立ち、伝統的な思考方式を再検討し、新しい機会と価値観を受け入れるために、果敢に進んでいくべき時であると信じます。そのような意味で、私はきょう、生涯をかけて主唱してきた「世界平和の実現と真の家庭の価値」についてお話をすることができますことを大変な光栄に存じます。

 この世界には、男性と女性という二性が暮らしています。ところでこの両性は、互いにその立場を変えることはできません。皆様は、自らが願って男性、あるいは女性として生まれたのですか。それとも、願わないのにそのように生まれたのですか。私たちは、自分では考えもせず、願いもせず、そして原因はもちろん、結果や過程も知らないまま、そのように生まれたのです。

 人間がいくら偉大な存在であるといっても、それが原因的な存在ではなく、結果的な存在であるということを否定することができません。したがって、第一原因である存在がなければならないのです。すると、その第一原因とはだれでしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、あるいはどのような名前で呼んでも構いませんが、その原因的な存在がなければならないのです。

 今宵、ここには世界的に著名なかたがたが集まっておられます。皆様は「神様はどこにいるのか。見せてくれれば、私は信じよう!」とおっしゃるかもしれませんが、少なくとも、その原因的な存在がなければならないことを否定すべきではないということに、前もって注意を喚起するものです。

​ ​​きょう、私は「宇宙の根本を探して」というテーマでお話ししいたします。私たちが、宇宙の根本を探し求めていけば神様に帰着しますが、そのおかたが、男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられるということを理解しなければなりません。宇宙の出発の原因は、どのようになっているのでしょうか。神様に対しては、いまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象からなっています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべから、動物界は雄と雌から、そして人間は男性と女性から成っているということが分かります。​​

 存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界であっても、より次元が高い陽性と陰性が、より次元の低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展しているということを知ることができます。なぜ、このような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界には、万物の霊長である人間を完成させるべき責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が、愛という概念のもとに互いに一体となって存在しています。同様に、植物界もすべて雄しべと雌しべとがあり、主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続しているのです。最近、医学会では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。

​ 主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるためには、何を中心として一つになるのでしょうか、キスすることによってでしょうか。愛は、概念であると同時に実在です。それでは、その愛が定着することのできる実在とは何でしょうか。ここには、各界の指導者のかたがた、フォード元大統領、ブッシュ前大統領等、名士のかたがたが集っていらっしゃいますが、自信があれば答えてみてください。皆様がご存じでないことがあると言うことです。男性が男性になり、女性が女性になるようにしているものが何であるかということを知らなかったというのです。それがまさしく生殖器なのです。それが嫌いな人はいますか。好きであるとすれば、どれくらい好きですか。今までは、それが善くないものであると考えていたとしても、これからは好ましく思わなければなりません。​

​ 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に好ましく思う世界になるなら、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談で言っているのではありません。神様が人間を創造なさる時、最も重要視して、精魂を込めてつくられた所はどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。それとも頭脳でしょうか。これらのものはすべて、死んでなくなってしまうのです。事実、そうなのではないでしょうか。​

​​​ 世界平和のための家庭連合の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎することのできる人が暮らす世界があるとするなら、それはどのような世界になるでしょうか。男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人はだれなのでしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻の生殖器の主人は夫なのです。今日まで、人類は生殖器の主人が互いに取り替えられているということを知りませんでした。簡潔な真理です。これを否定することはできないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れたとしても、この真理は変わりません。​​​

 すべての男性は、それが自分のものであると考え、またすべての女性も、それが自分たちの所有であると考えているために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違って考えているということです。人はすべて、愛は絶対的であり、永遠なるものであると言いながら、それを夢のようにかなわないものであるとばかり考えています。しかし、その永遠の愛の主人が取り替えられているということをはっきりと知るなら、世の中はこのような状態にはならなかったはずです。博士や学者は数多くいますが、このたった一つのことを考えついた人がいないというのです。

 皆様は、このことを否定することができますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖たるおかた、さらには宇宙の根本であられる神様に尋ねたとしても、すべて同意するようになっているのです。これは鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎたとしても原理原則として残るがゆえに鉄則なのです。そしてこの鉄則ゆえに、神様のみ前に立ったときに正しい人と間違った人の判定を受けるようになるということは当然なことなのです。

​​ そのように考えれば、旧約聖書に出てくるアダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたところに由来していることが分かるのです。アダムやエバは、自分たちの生殖器が自分たちの所有であると錯覚したのです。考えてみてください。神様が善悪を知る木の果を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出すでしょうか。神様は、そのようないいかげんな神様ではありません。アダムとエバは、根本的な問題において過ちを犯して、宇宙のどこからも公認を受けることができなくなったので、追放されてしまったのです。鉱物界や、植物界や動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管しているということを、アダムとエバは分からなかったというのです。​​

​ それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。それは、愛のためです。愛を探し求めていくために、そのように雌雄として生まれたということです。神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一、永遠不変であられるおかたです。そうであるならば、愛の主人はだれでしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのおかたが、正に神様であられます。愛と中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。神様が必要とする愛とは、果たしてどのような愛でしょうか。それは、絶対的愛を願われるのです。皆様はどうですか。私たちも同じです。神様が絶対的愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とされるように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠なる愛を必要とするのです。皆、神様に似るべきなのです。​

 神様ご自身が、男性格と女性格、陽性と陰性を持っておられるかたなので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように結婚を通して、縦的な神様の愛が横的に完全統一されるように追求したものが、神様のみ旨であったのです。

 人間の体は、この地を代表した横的なものです。それがすなわち、肉身です。それとは反対に、良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを探し求めるのです。したがって人間は、神様の縦的な基準と一つになることのできる点を探し求めていくべきです。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会うべきなのです。そうして、この中心点から生まれた人間は、愛とともに幼児期の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。このとき、肉身を地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟して、最後に体と心が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのような場所であるからこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜ばれ、その愛の対象対である夫婦も幸福になるのです。

 このように、上下の関係である父子の関係、東西の関係である夫婦関係、前後の関係である兄弟姉妹関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形を造るようになります。このようなことから、東洋では父子の関係のことを「一つの体」と言います。さらには夫婦関係も一体であり、兄弟姉妹も一体であると考えています。何を中心として、これらすべての関係が四方に球形を造るとき、これらすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形を造るべきなのです。その点は一つです!一つであるので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係にあるので、一つにならなければならないのです。それは真の愛を中心としてです。

 尊敬する指導者の皆様!

 人間の欲望とは、どれほど高いものを願うことでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも高くなることさえ願うのです。いくらだめな人間であったとしても、神様よりも優れた世界の代表者になろうという欲望は持つことができるのです。もし、皆様が神様の愛する息子であるのなら、「お父様、お越しください!」と言うとき、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくらだめな妻であるとしても、本当に愛しているなら、妻が呼ぶとき、夫はついていくのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたがらなくなるのです。

 神様も独りでおられた場合、寂しいでしょうか、寂しくないでしょうか。どうして分かりますか。紳士淑女の皆様、愛を持っていますか。生命を持っていますか。皆様の血統をつなぐことのできる精子と卵子、皆持っていますね? 良心も持っていますか。それならば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たことがありますか。触ってみたことがありますか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないということを知らなければなりません。ただ、心で感じることによってのみ知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるのか、いないのかというとき、または神様を見たのか、見なかったのかと問うとき、見なかったとは言うことはできないのです。

 何が重要なのでしょうか。見えるものですか、見えないものですか。見えないものが、より貴いということを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。皆、持っているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。それは、一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを保っていれば、感じることができないのです。

 皆様は、自分の目が瞬きするのを感じながら暮らしていますか。三時間も数え続けてみてください。また、息をするのを数えながら暮らしていますか。右手を左側の胸の上に当ててみてください。どのような音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。皆様は、その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみると、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは1週間、一か月……。忙しいときは、何か月間もそれを感じないで暮らしているのです。考えてみてください! 小さな蠅が一匹頭の上にとまっただけでもすぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音を聞いても、なぜ感じることができないのかというのです。それは、一つになっているからなのです。

 格式あるこの檀上から、このような話をすれば失礼だと思われるかもしれませんが、実感のわく話なので、一つの例を挙げてみましょう。皆様も毎日、朝起きてトイレに行かれることでしょう。大便をするとき、マスクをして用を足されますか。笑いごとではなく、まじめな話です! もし、ほかの人がそばで用を足して、そのようなにおいを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずですが、なぜ自分の大便のにおいは、そのまま嗅いで、平気で座っていられるのでしょうか。それは、自分の体と一つになっているので、自分の大便は汚く感じないのです。

 皆様、幼いとき、鼻くそをほじくってなめてみたことがありますか。その味は甘かったですか、しょっぱかったですか。しょっぱいですって? その味を知っているところを見ると、皆、経験者ですね! なぜ、その鼻くそを汚く感じなかったのでしょうか。それは、それが正に私たちの体の一部分だったからなのです。世の中のだれも分からなかったことをレバレンド・ムーンが初めて発見したのです。皆様、咳をして痰が出れば、ごくっと飲み込んだりもするでしょう? ここに列席なさった大統領の皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。取り澄ましていないで率直に答えてみてください。なぜ、汚く感じないのでしょうか。それは、皆、一つになっているからなのです。

 私たちは皆、朝、昼、晩と、毎日三食ずつ食べていますが、実は、私たちの口から三〇センチほど下りれば、そこには肥料工場があるのです。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。ワァー! そのことを知ったあとでも、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、そのことを感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられないのでしょうか。それは、一つになっているからです。愛、生命、血統、良心があっても、一つになっていて完全にバランスがとれていれば、感じることはできないのです。

 私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、すべて持っておられるのですが、独りではそれを感じることはできないのです。完全にバランスがとれているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここに見いだすことができるのです。男性でも女性でも、独りのときは愛を感じることはできませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れるときには、相対的に刺激的な愛と血統が雷と稲妻のように衝撃をもたらして問題を引き起こすということを知らなければなりません。ですから、しっかりと気をつけなければなりません。このような真理を知らずに生きてきたのです。神様も絶対的に愛の相対が必要であるという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。

 それならば、神様の愛の相対とはだれなのでしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるとするならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるのでしょうか。そんな夢のような話は、到底聞くに堪えません。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。すべての動物においても皆、同様です。種の区別は厳格です。だれも占領することはできないのです。

 唯物論を信奉する共産主義者たちが、猿が先祖であると信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が生まれてくると思いますか。百年、千年続けたとしても徒労に終わります。なぜ、できないのでしょうか。これは、考えてみるべき問題です。

​ それならば、神様も何を必要とされるのでしょうか。何かの器官をさらに必要とされるのでしょうか。それは、目でしょうか、手でしょうか。必要とされるのは、私たちが考える五官ではありません。神様は、男性格と女性格という二つの性稟を共に所有しておられますが、父として存在されるためには、男性各主体として存在されるかたなのです。​

​ このような基準から見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界のだれが、果たして神様の愛のパートナーになるのでしょうか。男性独りででしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います! 神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになる、その位置を中心として顕現され、人間と出会われるのです。​

​​ その位置が、どうして神様を中心として一つになる位置なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が、正にその位置であるからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性格である陽性と女性の性格である陰性が合わさって、大きく陽性的立場で、大きな陰性と合わさって一つになるのです。それが、いつそのようになるかということが問題なのです。​​

 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。それは、結婚は、愛を探し求めていく道であるからです。愛する道、生命を創造する道であり、男性と女性の生命が一体となる道であり、男性と女性の血統が混ざる所なのです。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人もなく、国もなく、理想世界もありません。このことが公式になっているのです。男性と女性は、絶対的に一つにならなければならず、父母と子供たちは、絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きた後に死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国なのです。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような人類が理想とする人がいないので、神様が理想とされる天国は、空いているのです。今まで亡くなった人類はすべて、地獄に落ちているのです。天国に入れなかったということです。

 このような観点から見るとき、イエス様も人類を救うための救世主として来られたのですが、昇天された後、天国には行けず、楽園に行っておられるということを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨されることを願われたのです。イエス様も、結婚して家庭を築き、その家庭とともに神様に侍って暮らしてから、共に天国に入ることができるのであって、独りでは天国に入ることができないのです。ですから、聖書にも「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなた方が地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ一八:18)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければならないのです。

 今日、人類は堕落した後孫となって、堕落圏下に陥っているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入ることはできないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を打ち破らなければならないのです。それゆえに、イエス様も「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」(参照マタイ一〇:39)ということを言われたのです。この死の道を行くためには、全生命をかけて、突破して上がらなければならないのです。

 皆様の家庭は、堕落圏内の家庭なのです。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されたのです。アダムとエバは、赤ん坊を生んだ後に追い出されたのでしょうか、追い出された後に赤ん坊を生んだのでしょうか。彼らは、追い出された後に、神様とは関係のない立場で子供を生んだのです。このようなことも知らずに、天国に行くことができるのでしょうか。とんでもないことです! 無知には理想はなく、完成もありません。目を覚ましてください! 私はこのように警告いたします。

 レバレンド・ムーンの話が正しいのか、間違っているのか祈祷してみてください。私がこの道を探し求めるために、どれほどの受難の道を歩んできたか、だれも知りません。罪なく監獄に六度も入るほどの苦難に遭い、探し求めてきた道です。ところが、他人の大切な子供たちを連れていって、このような真理を教え、短時間で方向転換させるので、皆、洗脳したというのです。無神論者には、神の存在を詳しく、科学的に理論的な基盤をもって証明してあげるので、無神論は崩れていくのです。それとは反対に、キリスト教徒たちは、自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを打ち据えようと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端が正当なのです!反対になるということを知らなければなりません。

 サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌われるものはサタン側であるということを知らなければなりません。全世界的にレバレンド・ムーンのことを好きな人が一人でもいましたか。皆様も、レバレンド・ムーンがどのようなことをしているか調べてみたのでここにいらっしゃったのであって、知らないまま、ただ来られたのですか。ワシントン・ポストもレバレンド・ムーンのことが分からないから反対するのであって、皆様のように知れば、それでも反対するでしょうか。反対することはできないのです。ワシントン・ポストが本当のことを知れば、ワシントン・タイムズよりもさらによく待遇することでしょう。

 思想的空白期におかれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高等学校、大学校の教材を通して、そして、ひいては刑務所の囚人までも、その教材を通して思想武装をしているのです。ロシアの三千六百か所の学校で、レバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは叫んでいます。「私たちはアメリカに先立たなければならない! レバレンド・ムーンに反対するアメリカに先立たなければならない!」と。西洋の腐敗した退廃風潮であるホモセクシャル、フリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけであると彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカよりも先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいるのです。

 皆様! 神様のことが好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことがらを展開しているのを見つめられる神様は喜ばれるでしょうか。教皇庁の教えと今回の大会に参席されたロバート・シューラート牧師の教えが同じであることがありえますか。もちろん、大きく違います。そうであるとすれば、だれの教えが正しいのか神様に尋ねてください。イエス様と聖母マリヤにたいする皆様の理解が間違ったもとであると、いくら教えてさしあげたところで、それ自体が統一教会にとって利益になるということが何かあるのでしょうか。しかし、皆様が必ずや知るべき一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯をかけてこの道を歩んできたのです。

​ 皆様、イエス様は結婚をしなければならないのでしょうか。結婚しなければならなかったのです。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいるとするなら、イエス様も彼女と結婚をしたくないでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されたのですが、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様は彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないのでしょうか。問題は、彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が代わったのです。それゆえに神様は、彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となって、神様にとっての婦人格にあるべきアダムとエバが堕落することによって、神様ご自身の体と理想を病に至らせ、恩讐になってしまったのですから、それをごらんになっていた神様の心情は、いかばかりのものであったでしょうか。堕落とは、自らを埋葬する墓です。他人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になったのです。​

 今日のアメリカは、どのような国ですか。極度の個人主義、過分なる私生活の追求、フリーセックス……このようなものを神様が好まれるでしょうか。過度の個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの話のとおりであるならば、天も地も、世界、国家、社会、家庭、ひいてはおじいさん、おばあさんまでも皆、放り出してしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになって気の向くままにさまようというのです。そして、雨や雪が降れば、行くところがないので、自殺して一生を終えようという話ではないですか。

 しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分なる私生活の保証を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいというのが、私たちの本心が願うところです。しかし、そうではあり得ない反対の道を行くうちに、良心に火がつき、本心との相克を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するほうがましであると判断し、自ら命を絶つという現象がだんだん増えていくのです。こうして、「自分のまいたものを刈り取る」(ガラテヤ六:7)という真理が的中するのを目撃するわけです。

 アダムとエバがエデンの園にどんな種をまいたのでしょうか。フリーセックスの種をまいたのです。それを否定することができますか。そうであったので、彼らは下半身を覆ったのです。小さな子供たちも、親が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして見つかれば、それを包み隠そうとするのが本性の作用ではないでしょうか。もし、善悪の果を取って食べたならば、その取って食べた手や口を覆うべきはずであるのに、どうして下半身を覆ったのかということです。

 レバレンド・ムーンは賢明な人間です。皆様に及ばない人間であるからこのようなことを言っているのではありません。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することはできません。アダムとエバが堕落して落ちたものを救ってあげるためには、堕落した方向と百八十度反対方向の経路を通さなければ、救ってあげることはできないということは、至極、理論的なことです。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来られなければならないのです。

 メシヤは、堕落前の神様が創造されたエデンの園という場所で家庭を築くことのできる主人としてこられるかたです。そのことをはっきりと知らなければなりません! 理論的に合わなければならないのです。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題なのです。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければならなかったのです。この死亡の世界で、だれが自分を救ってくれるのかということが問題です。それゆえに反対を受けたのです。

 旧約時代は、「目には目、歯には歯」(出エ二一:24)という原則の下に蕩減してきました。イサクの妻であったリベカを見てください。長子であるエサウと夫までもだまし、次子であるヤコブに祝福を奪って与えた女性ではありませんか。そのような女性を、神様はなぜ愛されたのでしょうか。そのような神様のことを、どうして信じることができるというのでしょうか。今まで、これらの諸問題についてだれも理解することができませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてさしあげているのです。レバレンド・ムーンだけが、神様の秘密を皆、知っているからです。

​​ それでは、どこから天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。それは、まさしく皆様の生殖器なのです! 深刻なことです。これが天地をひっくり返したのです。このことをだれが否定することができますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本、「堕落論」に説明がなされています。疑問に思うのであれば、神様に尋ねてみてください。皆様としては、夢にも想像することのできない内容と理論をもって体系だてられた、レバレンド・ムーンの原理の本に、だれも反対することはできません。​​

 レバレンド・ムーンが天国に行くのか、そうでないのか気になるのであれば、死んでみればいいのです。死んで霊界に行ってみれば、分かることです。今晩、私の話を聞いて気分を悪くされたのならば、割腹をしてでも霊界に行ってみてください。そうすれば分かることではないでしょうか。レバレンド・ムーンがこの道を探し出すために、死の道を何度も越えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人が、レバレンド・ムーンです。有史以来、ほかのだれも、レバレンド・ムーンほど神様を愛した人はいません。ですから、いくらこの世界がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共にあられて保護してくださいます。

​ 生殖器を、目の不自由な盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国に高い所に行くのです。これは明白な結論です。​

 現在、青少年の問題が深刻です。エデンの園において、アダムとエバが青少年期に物陰で、淫乱によって堕落してフリーセックスの種をまいたので、刈り入れの時期である終わりの日には必ず、世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引き上げ、救われるという戦略を、サタンは知っています。ですから、サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときにそうしたように、全人類をフリーセックスに押しやって、裸になって皆、死んでいく方向に全世界を引っ張っていくのです。人類がすべて、天使長の後裔としての末路をたどるようになるのです。

 エデンの園においてサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの後孫が今日の人類なので、サタンは堂々と神様の前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたい放題になし得る権限を主張するというのです。神様は、サタンが何を願うかをご存じなのです。サタンは、フリーセックスを通して、ただの一人も神様の前に帰ることができないように、言い換えれば、全人類を完全にめちゃくちゃにして、地上地獄をつくろうとするのです。

 今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄になりつつある世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄となったこの世界と百八十度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来られて、この世界を救ってくださることにおいても、正にこのような百八十度反対の道を教えてくださって、天国に導いてくださるのです。

 それでは、フリーセックスの道と百八十度異なった正反対の道とは、どのような道なのでしょうか。偽りの父母が現れてつくった道がフリーセックスの道であるので、​真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は、干渉なさることができません。この地上にいかなる主権や軍事力、経済力、政治力をもってしても、手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことであるので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道がないのです。​

​​​ 罪を犯した者が、その罪を蕩減しなければならないのです。家庭において結婚を間違ってしまって、血統が百八十度曲がってしまったために、真の父母が来られて結婚させ、百八十度反対の原状に戻してくださることによって、天国に行く道を開いてくださるようになるのです。​​​

 神様がアダムとエバに期待されたことは、何であったのでしょうか。それは、絶対純潔の愛を期待されたのです。この場にお集まりの世界の指導者の皆様が、このような内容を知って帰られて、皆様がたの国で絶対純潔の愛を取り戻す運動を展開されれば、皆様の家庭と国は、そのまま天国に直行することができるということを、理解してくださるようお願いいたします。絶対純潔の愛が存在する所には、絶対相対が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レスビアンという言葉は消えるようになるのです。

 このような運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生をささげて受難の道を克服してきました。しかし今や、勝利のファンファーレを鳴り響かせ、世界に号令することのできる時が来たので、天のみ前に感謝するものです。

 世界平和に向かい得る礎石を築くのも家庭であり、世界平和への道を破壊し得るのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊された所が、アダム家庭でした。したがって、きょう、このように世界平和家庭連合を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と百八十度異なる方向に行くことのできる道を開くようになったことを、天の前に感謝せざるを得ません。この道でなくしては、自由も幸福も理想もありません!

​​ 皆様は今、絶対、唯一、不変、永遠の生殖器を中心として、これを基盤にして神様を求めていかれるようお願いいたします。この基盤が愛の基盤、生命の基盤、血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、正にここから地上天国と天上天国が生じるということを理解されるべきです。​​

​ すべての男女が、自分に所属した生殖器が、実は、自分のものではなく、その主人は自分の相対であるということを認定するようになれば、私たちは皆、頭を下げ、謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになることでしょう。愛は、相対なしには来ないのです。相対から来るということを知らなければなりません。ですから、ために生きない所には、愛があり得ないのです。絶対的にために生きる所において、絶対愛を見いだすことができるということを肝に銘じられ、皆様も今からお帰りになれば、サタン世界との一戦を覚悟してくださるようにお願いいたします。​

​​ どこに行かれても、テレビやその他の言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅ぶことはありません。地獄と化したこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるというのでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ、そのことは不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は、神様であられます。​​

​ 今、私たちは皆、共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛舞台になりましょう。今から家に帰られたら、夫と妻で共に、自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠なる器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、相手のものであり、相手が今までしっかりと保管してきたものが自分のものであると宣言し、お互いのために永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと、誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様が住まわれるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が成されるのです。​

 そうして、皆様すべてが、共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭となられますようにお願いいたします。

 ありがとうございました。アーメン!



「宇宙の根本を探して」は『ファミリー』1996.10月号P.49~65に掲載されていました。

分かりやすいように「生殖器」を青マーカーしています。上記講演文からは神様は人間始祖アダム・エバの堕落ゆえにその主人となることができませんでした。黒・天聖経「宇宙の根本」に記載され内容は創造本然のことを語られていたものであって、人類歴史で神様の生殖器は見ることも触ることも出来なかったというのが事実です。

家庭連合の夫人の方々への教育ということですが、支流人(分派)の夫人の方々はどうなのでしょうか?
真の父母様に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を教えられてきていました。それがどうなっていますでしょうか。

アダム・エバは、一粒の種(「夜の神様」)から双子の兄妹として生まれました。完成して花の雄しべ、雌しべのように合わさればそこから出てくる種は元の種(「夜の神様」)と同じ種ということはどなたも理解できるでしょう。ところが、別からの雄しべが付いたとなれば元の種と同じになるでしょうか?
それが堕落と言われているものです。血統を違えました。

子女様方の三男さん、七男さんも「真の家庭」と主張しています。
「天の父母様」が種とすれば、真の父母様から生まれてくる「家庭」も「天の父母様」の種に似たものとならなければならないはずです。
文鮮明総裁も神様は「天の父母様」、韓鶴子総裁も神様は「天の父母様」、全く同じ「天の父母様」の血統から生まれた双子の兄妹だと言われています。そのお二人が聖婚されては「真の父母様」です。

ところが、三男さんや七男さんの家庭、特には女性の相対者はどうでしょうか。それが問題です。
三男さんの相対者は自分の父母は「真の父母様」と、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」だったでしょうか。郭家からの嫁という考えでいたとすれば、それに「はんだ付けされた三男さん」もまた「真の家庭」から外れて血統を違えては「郭家の養子」ということにならないでしょうか。
七男さんの家庭ともなればもっと複雑です。相対者だけでなく七男さんまでもが「真の父母様」を蹴とばして姜賢實女史を「継母」に立てるなどしては、実の親が誰であるかも分からない「孤児」となってしまっています。b408さんも「億万歳!!」を叫んでみたところで、結果は人間始祖アダム・エバの血統と同じです。

その点からすれば、家庭連合の祝福家庭は夫も妻も「天の父母様」「真の父母様」と一つの血統から生まれた双子であり、その二世・三世の祝福家庭もまた、同じ「天の父母様」「真の父母様」と呼んでいます。

聖書ではイエス様はまたほかの多くの「種」の譬えを語られていました。その一つを最後にb408さんへの回答は終了です。
マタイによる福音書/ 16章 5~12節
5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
6 そこでイエスは言われた、​「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。​
7 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。
8 イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。
9 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
10 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
11 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
12 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2020.04.30 19:06:15
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2020.04.26
カテゴリ:宗教/天地創造
​​​​​​​​​​​​​​​​​​『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。

【前回記事】



文鮮明先生御言選集 19881014 -

神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 ③

 真の愛の真理体

 このごろ共産世界では、「文総裁を殺せ!」と騒いでいます。アメリカでも一部の人々が「レバレンド・ムーンは韓国に帰れ!」と言って騒いでいます。先生は何の負債もありません。罪のない先生に対して、間違っても打ってくれば大変なことになります。

 ですから今は、アメリカが文総裁の前に永遠に屈伏するのです。先生はこのようにして西欧社会を、白人社会をこの韓国へ連れて帰ってきたのです。さらに最近では、アメリカのホワイトハウスの周囲にいる人々も先生の世話になっているのです。「ああ文総裁、どうかアメリカにおいでください」と。先生はアメリカに行って何をするのでしょうか。先生がアメリカを助けてあげるとでも思っているのですか。今回も、どれほど先生の世話になった人々がいたか知れません。先生が力を与えなければ誰も何もできません。こういう話を信じられますか。先生が何をしているか、どんな人なのか知っていますか。「お父様」と呼びながらも、自分の父が今何をしているのか知っていますか。今や大統領を教育する、王様を教育する先生なのです。

 先生の話は膨大です。既成教会の牧師たちは、「悔い改めれば天国に行ける」と言っていますが、先生は違います。解放されてこそ天国に行けるのであって、悔い改めても解放されなければ天国には行けないのです。ですから、神の統一のための絶対的内容は何かというと、知識ではありません。皆さん、真理とは何でしょうか。真理の根本は何でしょうか。自分以上の真理はありません。天国の真理は一人の男性、一人の女性以外にはないのです。何の話か分かりますか。全世界の男性を代表する真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体が真理なのです。真理は文字ではありません。真なる女性が真理なのです。そして真なる真理の父とは、真なる愛をもった人です。また真なる真理の夫婦という真の愛をもった真理体が一つになる時、真なる真理の殿堂になるのです。真なる真理の子女とは、愛を中心として兄弟が一つになった真理体です。では、何がそれを成すのかというと、生命が成すのではありません。生命よりも先に愛があったのです。

 皆さんは生まれる時、父母の生命から生まれたのですか、愛から生まれたのですか? (愛からです)。生命が激動する男性と女性の生命が、燃えて一つになったものが愛なのです。自分という存在は、このような愛の同参者なのです。これは実に偉大なことなのです。父母が絶対視し、天地が公認する愛を中心として、その絶対的な愛の基盤の上に同参した存在なのです。さらにその根は神様を中心としているのです。神様の骨髄にも通じているのです。それで、もし人類始祖が堕落することがなかったならば、神様は人類の本然の善なる先祖として縦的な愛を代表した父母であったのです。

 今日、既成神学では、「創造主と被造物は、相関関係を結ぶことはできない。なぜならば創造主は神聖なるものであり、被造物は俗なるものであるから」と言っているのです。俗なる人間と聖なる神の愛がいかに結ばれるのでしょうか。ではなぜ「父」という言葉を使うのでしょうか。それ自体が既に矛盾しているのです。神様がなぜ人間をつくったのかといえば、その動機は愛の対象を探すためなのです。神様は独りなので、縦的な存在のままでは何の創造力も生じないのです。横的な父母としての、堕落しない人類の真の父母を立てて、神の縦的基準に応じられる横的対象圏を広げていかなければなりません。神の国は、このような横的父母を通して生じるようになっているのです。

 では、なぜ父母が必要かというと、神の子女を天地すべてに生み殖やすためです。それでは神様はいかなる方かというと、真の愛を中心とする縦的な父母なのです。その縦的な父母の前に、九十度の水平線に立った横的な父母が必要なのです。アダムとエバが、この横的な父母となるべきだったのです。一方は東から、一方は西からそれぞれに成長して、神の垂直線に対する水平線の中心的代表として、個人的な時代、家庭的な時代、氏族、民族、国家、世界、宇宙的な時代を経て、天と地を一つに連結すべきだったのです。中央線を中心にして出会うために、男性は成長して女性を訪ねていかなければならないし、女性も成長して男性を訪ねていかなければならないのです。ここで生命を受けて生まれてくる時、天地に同和できる愛の同和圏となり、すべての核がそこに集約されて、球形になって、そこから新しい芽が出て縦的に連結されるのです。

 軸は一つしかありません。真の愛の軸として、神様と、堕落していない本然の先祖が一つになった軸をつくらなければならなかったのです。これが破れてしまったのです。この軸を復帰しなければなりません。それで統一教会では、「真の父母」という言葉を使うのです。真の父母とは、縦的な真の愛を中心とした父母の前に、横的な真の愛を中心とした先祖の立場に立った方なのです。このような立場で一つになる「零」の位置に、神様も下りてこられるのです。ここに天地のすべての運勢も下りてくるのです。では、そこで縦が中心になればいいでしょうか、横が中心になればいいでしょうか? 縦横の神の愛を中心として、骨のような神の愛に対して、アダムとエバが成長して体のような真の父母の愛を完成し、愛の調和体となり、天と地を主管する王権の主人として生まれるべきであったのです。もし、そのごとく人間が生まれていれば、いかに高貴な人生であったことでしょうか。そのように完成していたならば、その個人は自動的に神様の血統圏に属するのです。神様の血統、神様の心情圏を受け継いで生まれていれば、そこに宗教は必要ありません。宗教の道は、愛の道に従って生きることです。愛の道を学んで生きることです。ですから愛の世界においては、宗教は必要ありません。絶対的な愛の対象として創造された人間の代表として、真の祖先という観点に立つ時、絶対的な真の愛に一致する神の永遠なる理想圏になるのです。人間の永生論理はここに形成されるのです。

 私たち人間は、神の愛の対象としてつくられたのですから、真の愛においてのみ永生するというのです。堕落したこの世界においては、これが一八〇度回って、天が地になるようにならなければなりません。そこで統一教会が現れて、個人的に世界の東西を一つにして、家庭的にも東西を一つにして、氏族的にも、民族的にも、国家的にも東西を一つにすることのできる天地の運勢を結集したのです。西洋は東洋のために生き、東洋は西洋のために生きるという愛の交流体として連合される時、ここに初めて神様が中心となって、すべての文化世界を新しい愛の世界へと包んでいくことができるのです。そのような神聖なるみ旨の成就に酔って、このような世界になっていくのです。

  すべての出発は真の愛から

 すべて、真の愛から出発しなければなりません。そこにおいて初めて、個人の統一がなされるのです。個人が歩む理想の道、家庭が歩む理想の道、氏族が歩む理想の道、すべてこの道は愛の道なのです。ですから人類始祖がもし堕落していなければ、夫や妻が完全に絶対的な価値の愛を中心に生活するので、地獄は存在しません。すべてが天国に行くようになっていたのです。

 神の国の民となって、神の国の王宮法に従う皇族になるためには、神様を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛さなければなりません。そのような意味において、イエス様は神様を愛することにおいて狂った方であり、人類を愛することにおいて狂った方です。さらに怨讐までも愛するために狂った方です。神の国の皇族になるには、怨讐までも愛さなければなりません。それは個人のレベルにとどまらず、国のレベルまで愛さなければなりません。それで今回、統一教会で祝福を受ける人は、大韓民国内の男性や女性同士の結婚ではありません。なぜ不思議そうな目をしているのですか。もう一度繰り返しますが、今回合同結婚式で祝福を受ける人は、大韓民国の人同士で結婚できますか、できませんか? (できません)。これは何の話か分かりますか。

 では、大韓民国の人はどうなるのでしょうか。外国へ行って、大統領の夫人の義理の兄弟になることと、韓国大使館の大使になるのは、活動を行う場合、どちらがより効果的でしょうか。答えてください。大統領夫人の義理の兄弟になるほうが、いかなる国の大使になるよりも素晴らしいというのです。それは、すべての国の大使を一堂に集めてどんな訓示をしても、「そのとおりでございます」となるのです。

 では、統一教会の人たちはよく考えてみてください。もし先生が日本に行ったとしても、食口以外の日本人の家には行きません。日本の青年と結婚した韓国の女性が生活しているその家を訪ねていって、共に生活したいと思います。食事を作るにも、韓国の女性と日本の男性で共に協力して作るのです。その時、「仲人をした先生は、なぜ私たちをこのように苦しめるのだろうか。薬を盛って殺してしまいたい」と、話し合うのでしょうか? (いいえ)。皆さんが国境を越えて怨讐を愛することのできる驚くべき価値でもって、天上世界の因縁を新しい軌道へ向けて回転できる力の母体となっている事実を知った時、その偉大な恵沢圏に入れるようにしてくださった方に出会えたことは、どれほどありがたいことでしょうか。それは父親よりも、国の王様よりもありがたい方です。では、その方にどのような礼を尽くせばいいのでしょうか。皆さんがよく食べている魚のカレイのようにすることです。常に大地にひれ伏して、おなかが真っ白くなるほどにです。(笑い) それほどに敬礼しても、「私はまだ足りません」と言える韓国人に皆さんをしてあげようと思っているのです。なのに、何ですか! 何が不足ですか。この者たち!

 先生が思うには、神様は統一原理の材料を必要とされているのです。皆さんが統一原理の真なる材料となるためには、罪のない童男、童女でなければなりません。神様は、そのような世界的に歓迎される材料を願われているのです。そして、世界が喜ぶことのできる製品が必要なのです。何の話か分かりますか。世界が誇り、世界が欽慕し、天と地が尊敬するような材料でなければなりません。何の材料になるかというと、愛の材料です。どうですか、なれますか。

 韓国人同士で結婚すれば、式の翌日から口論を始めます。三年もたたないうちにけんかが始まります。しかし、日本人と韓国人が結婚すれば言葉が不自由なので、約五年間言葉を学んでいるうちに、どんなに多くの事情や曲折も越えていけるのです。どんなにつらくても苦労しても、五年間共に生活しているうちに言葉も自由に通じ合うようになり、「ああ、あなたは偉大です。どうしてこのように日本人の私を愛してくださるのですか」「あなたこそどうして韓国人の私をこれほどまでに愛することができるのですか」と言えるようになるのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。

 このような唯一の最高の喜びを得ることのできる道があるということを、神様はよく御存じなので、この先生を通して、愛する統一教会の童男、童女に祝福を与えようとされているのです。そのような決意をもった人々が二十日以後、日本からやって来るのです。

 皆さんはまだ祝福がいかに恐ろしく、またいかに尊いものかよく分かっていません。これまで祝福を受けた家庭の伝統も乱れています。先生はこれを正さなければなりません。もし今、先生が正しておかなければ、このまま曲がってしまいます。このような先生の話に反対する人は手を挙げなさい。そのような人は、「私の子女は、今回の祝福には参加できません。私は白衣民族であり、倭賊ではありません」とでも言うのですか。最近、日本人のルーツは韓国人であるということが証明されているのです。七〇パーセントがそうなのです。時がたってしまったので、分からなくなったのであり、すべての系統をたどってみれば、すべてそうなのです。

 この韓国でも、北韓からの離散家族と出会った時、お互いに系統をたどっていってみると、兄弟であったと言って、目を丸くしていたのですね。分かってみると、「私のおじの名前は何々です」と言うのです。そしてよく見ると姿形までもよく似ており、「アイゴー」と言って、抱き合っている場面を見たことがあるでしょう。韓国と日本は数百年間も分かれていたのですから、私たちは骨が折れるほどに抱き合って痛哭したとしても、神様はそれを見られて、「この者、けしからんやつだ。悪いやつだ」と言われるでしょうか。「よくやった」と、神様はおっしゃるのです。それで、韓国人と日本人とは怨讐同士だったのですが、統一教会では、この怨讐同士が結婚するのです。

 では、この文総裁と地上の女性は怨讐でしょうか、怨讐ではないでしょうか。うん? 怨讐なのです。アダムにはエバが怨讐であり、エバにはアダムが怨讐なのです。またカインにはアベルが怨讐であり、アベルにはカインが怨讐なのです。そしてアベルとカインの兄弟の前には、父母のアダムとエバが怨讐になるのです。このように、怨讐として分かれたものを統一しなければなりません。神の愛を否定したのですから、今日、神の愛で同和して一つにならなければなりません。分かりますか。

 なぜそうしなければならないかというと、神様が愛の対象をつくられる時、「私自体はあなたのために存在するのだ」とおっしゃったのです。これが真の天理の始まりです。これは偉大なる愛の思想です。神様がアダムとエバを御覧になって、「アダムよ、エバよ、私はお前たちのためにあるのだ。私が求めている愛は、お前たちを完成させるためにあるのだ」とおっしゃったのです。

 永遠なる絶対者の前に、永遠なる対象の価値を表していくために、私たちはすべての相続を受けなければなりません。相続したその愛を再び満たしていかなければなりません。完全に与えれば、そこが真空状態となり、完全に与えることによる高気圧圏をアダム、エバがもつようになるのです。そのような神の軌道の循環法度を促すために、宇宙作用の法度が回転しているのです。

  真なる愛の種に

 神様は天地創造をされる時、まず御自分を一〇〇パーセント投入されたのです。ですから救援摂理が復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理なのですが、再創造するためには神様がこの宇宙を創造されたように、本然の自らの愛を中心として、すべてを投入しなければなりません。文総裁もその法度に従って生涯を生きていかなければなりません。まず自分のすべてを投入することです。心と体とすべてを投入するのです。投入したあとは忘れるのです。自分が投入した苦労も忘れて、成長していく子供たちを見ながら、自分の父母が私を生むためにどれほど苦労されたか、そして、それらをすべて忘れて、成長していく私を父母が見て喜ばれるように、私も自分が投入したものをすべて忘れてしまうのです。父母の愛が貴いのは、子女のために一生を生きて、それでもまだ足りなくて、千年尽くして足りなく、なお子女のためになりたいからです。そのような父母の愛が絶対的に必要なのです。そのような神様です。

 なのに不平を言ったならば、この世のどこに残れる者がいるでしょうか。ために生きて、なおために生きようとする時、三六〇度回転して、自然にすべてが解けていくのです。ですから終末が訪れたのです。ために生きる時、このように回るので(先生がしぐさされる)、このように切れてしまって、偽りは清算されてしまうのです。完全に清算するために、神様は「ために生きる道理」を通してサタンを屈伏してこられたのです。サタンを打って屈伏させるのではなく、自然屈伏なのです。統一教会も今日まで、既成教会が自然屈伏できるような道をすべてつくってきました。アメリカから牧師が数千名また来るようになるでしょう。今度先生がアメリカに行ったならば、NCCに加入するつもりです。NCCの総責任者を通して、韓国支部の者たちに指命を出します。でなければ、アメリカの大統領をして、訓示を出します。先生はいつもそれぐらいの腹をもっています。それは可能な話でしょうか、ただ話してみたくてする話でしょうか? (可能な話です)。(拍手)

 そこから統一が始まるのです。まず愛の種になりなさい。結論がそうです。真の愛の種になる時、宗教の歩んだ歴史時代の統一圏を越えることができるのです。分かりましたか。種には根がありますか、ありませんか。幹がありますか。枝がありますか。花がありますか。香りがありますか。蜜がありますか。実がありますか。生命がありますか。これらがすべてあるというのです。では、皆さんは種になっていますか。

 温度、気候学的に見れば、古代は熱帯文明であり、中世は温帯文明です。これが一回転する四季の周期が六十年から七十年なのです。この期間内に世界を風靡する共産主義が現れたことによって、寒帯地方から温帯地方へシベリアの北風が吹き寄せ、温帯圏内のすべての枝はみんな落ちてしまったのです。冬になるとすべての実が落ちてしまいます。しかし、その中でも真の命の種は、いかに北風や寒雪が吹き寄せても、制圧されることはありません。共産主義の脅威がいかなるものであっても、それを貫いて新しい人類の平和の春の園が訪れるために、解放と希望の春の園が訪れるために、人類の新しい時代を迎えるために、この天地に蒔かれて、緑の葉を出して、再び冬を迎えることのない、解放の温帯圏へと進出するのです。それでは皆さんは種をもっていますか。

 種をそのままにしておけば芽が出ません。凍りついて割れてしまいます。中に湿りがあるので、四度以下になるとどんどん膨れていって割れてしまうのです。再生のためには、迫害と艱難の歴史的試練を割って、そこに新しい生命体として、緑の芽を出して春の青山の同参者となり、生命の理論をもって成長して、世界中で一番大きい木となるのです。飛びゆく鳥もそこで休んでいくし、動物たちはその木の下で休み、鳥たちは巣を作り、すべてから尊敬されて、道の標示体ともなり、安息所ともなって、すべての幸福の条件を提示できる、そのような勝利的大木のような人物とならなければなりません。分かりましたか。文先生がこのように生きたので、今や世界中の人々が文先生の胸に抱かれて生きるようになったのです。そういうことが分かりますか。

 あなた方も結婚すれば、先生の胸の中で生きたいと願いますか、どうですか。この者たち! そうですか、そうでないですか? 最近では障害者オリンピックを行うのですが、先生はそのような各国の選手たちを見て、どれほど悲しく思ったことでしょう。自転車に乗るのも手でこのようにしているのですね(先生がしぐさされる)。それは罪でないでしょうか。障害者がバスケットボールをする姿を見ても、それは罪ではないでしょうか。罪の中でも悪い罪になります。世界各国ではチャンピオンを送ったと言って、彼らがバスケットをする時、「飛べ!」と歓声をあげるのです。そして金メダルを取ればその不具な選手の前に世界が完全にひざまずくことで、統一の時代が訪れるのだとでも思っているのですか。

 それで先生は先回の障害者オリンピックの時にも援助したのですが、今回の障害者オリンピックでも助けてあげなさい。郭錠煥(先生)助けてあげなさい。(はい!)。そうしなさいよ。彼らは国を結ぶための一つの祭物となったのです。四年間運動をやってチャンピオンになることはどれほど大変なことでしょうか。そうですね。それで、霊界統一のチャンピオンになるためにも、祭物的な群れがなければならないというのです。そして、それが統一教会の文先生が教育したこの群れであるということを知らなければなりません。

 それで、南北統一のために自分の故郷へ帰りなさいと言うのです。そこで、まず妻を故郷に帰したのです。そして次は子女たち、二世を連れていかなければなりません。国を愛することにおいては、大学などが問題ではありません。先生が統一教会を始めた時、迫害のために大学にも行けないようになった人々とこの道を開拓してきたのと同じように、あなた方も自分たちの故郷を救うために、父母や妻子、すべてを救うために、このことを断固として成し遂げなければなりません。教会長、分かりましたか? (はい!)。先生は世界的に、皆さんの先祖のためにこのことを成し遂げましたが、皆さんは自分の故郷のために、自分が故郷を愛するように、妻が故郷を愛するように、妻以上に、夫以上に、父母以上に、子女以上に愛する時に、その故郷から新しい根が出てきて、天地を覆うことのできる大木になれるのです。自分の兄弟よりも自分の一族よりも故郷を愛し、国を愛し、国を指導できる、世界を指導できる一族になるような愛の根を下ろさなければなりません。そこに希望が生まれるのです。分かりましたか。

  天国の門の鍵、還故郷

 では、結論づけましょう。統一は愛によって成されるようになっています。今や先生が、すべての蕩減路程を歩み終えたのです。個人的にも終わり、家庭的な戦いも終わり、氏族的な戦いも、国家的な戦いも、世界的な戦いもすべて終わりました。それらをまとめて父母の名においてのみ相続できる時代です。しかし、相続は第三者にはできません。真の父母を中心としての父子の関係による、自然的な愛の因縁を結ぶべきです。そこから骨と肉と血が生ずるのです。それで一切の理想をそこで相続することができるのです。これが父子の因縁なのです。

 ですから統一教会では、皆さんが先生を父母と呼ぶことはどれほど恵みであるか知れません。先生は六十年の歳月を犠牲にして、万民の代表として越えてきたのです。それはなぜかというと、先生は父母の立場にいるからです。すべてを与えて忘れるのです。何の代価も求めず、すべてを与えて、忘れるのです。それを失った故郷へ植えるのです。皆さんはこのような統一の木となって、先生が神の国へ結んだ、神が共に住むようないちじくの木のようにならなければなりません。統一教会の木とならなければなりません。そこで人々がおなかが空いた時、果実を求める時、かつてイエス様がエルサレムに上っていかれる時、実のないいちじくの木を呪ったことを忘れてはなりません。実を結ばなければなりません。その実が皆さんの祖父母であり、父母であり、子女であり、皆さんの一族なのです。いま正に天地開闢時代が訪れたのです。祖父が孫になり、父が息子になるのです。そのような過程を経なければ天国へ入れません。先生が行く未来の世界に入籍することはできません。故郷をもたない人たちは入籍できません。

 今や宗教歴史にあって初めて故郷に帰るのです。故郷に帰って、故郷に愛の種を蒔いて、故郷の氏族と氏族を連結して民族となり、民族と民族を連結して国家となり、国家と国家を連結して世界となり、世界と世界を連結していくのです。このように氏族圏と人類が一つとなり、それによって統一が成されるのです。愛を中心として統一されるのです。分かりましたか? (はい)。

 先生は何度も刑務所に入りましたが、今になってみると、それは神様が先生を教育するためだったのです。先生がもし、共産党の統治のもとで三年近くの監獄生活をしなければ、共産党の本質はいまだに分からなかったでしょう。共産党の組織の中でも最も核心的な組織が監獄の組織なのです。

 また先生がアメリカへ行ってもダンベリーの生活がなかったならば、アメリカをよく知らなかったでしょう。ダンベリーに入ることによって、小さな社会ではあるが、アメリカの最も悪い面と、最も良い面が分かったのです。誤解され、また謀略によって先生はダンベリーに入った結果、彼らを心情的に最も良い人、最も悪い人に出会うことができたのです。先生は彼らを心情的に一体化させて、先生の前にひざまずかせ訓示できる立場に立ったことは、神様が未来のアメリカの国民を教育するための心情圏蕩減条件を立てさせたということです。

 先生がダンベリーに入るようになった時、人々は「レバレンド・ムーンはアメリカを滅ぼし、アメリカを売り飛ばすために来たのだ」と言ったのです。そのようなアメリカの逆賊の徒党の代表の先生が入獄するというので、「この野郎! ここに入ってきたからには、もし一つでも間違ったことを行えば即刻首を切ろう」と約束していたそうです。そこでは一夜にして人一人を殺すことなど問題ではありません。普通のことなのです。それを先生は知っていたのです。先生はその社会で戦わずに通過していかなければならないのです。そして六カ月後には、彼らが先生を尊敬するようになったのです。それは先生が生活で示した教育の結果なのです。何の話か分かりますか。ですから、あなた方が故郷に帰って一族を復帰できないというような話は、この先生には絶対に通じません。

 先生が西大門の刑務所に一〇〇日間入っていた時、教導所長から拘置所の課長、看守までもが先生に従ってきたのです。その時は夏だったので、教導所の牧師が桃などを買ってきてくれたのです。不思議なことに彼らは自分が何か食べようとすれば、獄中の統一教会の文先生を考えて食べ物がのどを通らなくなるというのです。

 ですから先生は北韓のこともよく知っています。共産党の治下に生きることが、どのようなことであるかをよく知っています。先生は南韓についても南韓の刑務所を経たのでよく知っています。日本についても日本の刑務所に入ったので、日本人とはどのような者かをよく知っています。アメリカでも刑務所に入ったのでアメリカがどのようであるかをよく知っているのです。これが最後です。今になって考えると、それらのすべてが、神様が先生に大きな恵みを与えるための準備的役事だったのです。そのために、その国の人々が先生を尊敬することができたし、地獄にいるすべての怨讐までもが、先生を称えることができるようになったのです。解放が始まったのです。何の話か分かりますか。監獄に行って反対を受けるだけの先生ではありません。監獄の中でも懐かしく思うのは、心情の世界であり故郷の便りなのです。彼らが懐かしく思うことは食事をすることよりも、楽しい慰労の時間なのです。ですから先生はよく話をしてあげました。いろんな話を毎日のようにしてあげたのです。

 そして、先生が話を始めると昼食の時間になっても食事をすることすらも忘れて、先生の話を聞くのです。これ以上の福音はないのです。人間は、飢えれば体もやせ細るのです。先生が一時間、二時間と話を続けているうちに昼食はなくなります。そのように、先生の話に酔って、食事をすることも忘れて、そこに涙を流していた人々を先生は忘れることができません。ですから今でも、彼らの思い出の中に鮮やかにレバレンド・ムーンのイメージが残っていて、電話を掛けてきたり、訪ねてきたりしようとするのですが、今は先生がそれを止めているのです。分かりますか。

 一度通過する場には必ず何かを残していかなければなりません。その中でも最も貴いものはお金でもなく、手段、方法でもなく、愛なのです。そのような愛の種を蒔いていくのです。それで神様は、先生を苦労させてきたのです。日本、アメリカ、韓国、共産世界、これらの四大国が、世界の代表として先生に獄中生活をさせたことは、歴史的な根をもった最高の愛の種を植えさせるためだったのです。深い愛の根から芽を出して、最も高く成長していく茎に完成していくための、神様の愛の教育だったのです。

 このようにして、サタン世界のカイン圏のすべてに、神様が今日まで種を蒔いて育ててきたのです。それらのすべてを一カ所に集めて、収穫して新しい天国時代を迎えるために、先生を苦労させてきたということを知らなければなりません。その苦労の下敷になって、贈り物になるのではなく、苦労の中から勝利して、その栄光の中から勝利的賛美の権限をもって、神様が同居できる場における贈り物を、今日、統一教会の文総裁は父母の名をもって、世界の人々に無条件に分け与えたのです。

 サタンはこれを妨げることができません。それで九月二十七日を期して「世界統一転換式」を行ったのです。すべてが回っていくのです。開天節を中心として四三二一年、数字的にもぴったり合うのです。そこで「世界統一国」という、新しい地上天国への出帆を天と地の前に堂々と宣布したのです。そこで統一教会の信者は、みんな故郷に帰るのです。故郷に住むチャンスをすべて分け与えました。自分の故郷に帰って家を建てて住み、子女を育てて天の公臣となることが今回の「還故郷」です。高次元の宗教は、今日まで出家することを教えてきましたが、故郷へ帰るということは、歴史が始まって以来の出来事です。そして帰る時には、父母を伴って、父母の国家レベルの相続を受けて帰るのです。分かりましたか? (はい)。

 これから、統一教会の解散命令が出るでしょう。これ以上、統一教会があって何をするのですか。故郷へ帰って、故郷の人を復帰して、故郷と直結された国を、故郷と直結された世界を、故郷と直結された天国を成し遂げるのです。それは皆さん一人一人にかかっているのです。地上で結ぶのも皆さんが結ぶのであり、地上で解くのも皆さんが解くのです。地上で結び、地上で解くことは、天上世界でも結び、解けるのだという聖書の教えのごとく、先生は「天国の門の鍵」を皆さんたちに与えたのです。それが「還故郷」です。故郷で愛の種を蒔いて氏族復帰をするのです。

 きょう、このような興南出監日を記念するため、先生が今日まで苦労してきたのです。天上世界の善なる世界、また悪なる世界、すべてを知り、そこから核を取り出して、勝利の世界的な土台をつくって皆さんに与えたのです。このことを正しく知らなければなりません。きょうのこの時を迎えることがどれほど難しかったことか、それは神様から見れば、人類歴史二五〇万年以上と言われるこの長い間、数多くの人々を犠牲にしてきたものを、先生一代において縦、横に蕩減させて、解放の旗を掲げたのです。今や高らかに前進し、北韓の解放の勇士として故郷に旗を立てて、天幕を張るのです。分かりましたか。

 愛の陣立てを整えて出発しなければなりません。今後の命令一下、南北の統一の日は、そう遠くないと先生は見ています。そのような喜びの日を望みつつ前進しましょう。それがきょうの興南出監を記念する日としての贈り物です。分かりましたか? (はい)。ありがとうございます。

 では祈祷しましょう。

 愛するお父様。過去を振り返ってみれば、事情も多く、曲折も多く、行く手をふさがれて身もだえしたことも多くありました。しかし、お父様を愛し、お父様の息子としての責任を果たさなければならないという責任と、その遂行がどれほど重要であるかをよく御存じのお父様でありました。この息子は、千年を一日のごとくに歩むと言い、あなたのみ前に喜びの日をお返しすることよりも、憂慮の痕跡のみを多く残してきた事実を、この時間に再び回想するものです。

 お父様、この大韓民国をお父様が引き受けてください。既に南と北が交流する時が来ております。物と物の交流も重要であり、人間の交流も重要でありますが、神様を中心として愛の交流をいかに成すかという問題が、最後の課題として残っており、あなたがこのことを、共産世界の瓦解、民主世界の零落のゆえ急いでおられることを知っています。

 そのような中で、今日まで隠れていた統一教会が、完全に高く中天に掲げられる時となりました。レバレンド・ムーンの名が復活して、天上世界が地上世界を覆う時が来ました。名の復活によって、実体の復活圏が訪れることを考えた時、あなたが望んでおられた創造理想の愛の対象たる栄光の一時が、私たちの目前に近づいてきていることを知るものです。そのためには、真の父母と心情圏を受け継いで、真の父母と血統的因縁を結んで、真の父母の心情を相続し、万民、万国の前に、主体的な責任者として恥ずることのない、お父様の骨と血肉に連結された息子、娘として、子女の命令を果たすことのできる、神の子女とならなければならないことをよく知っています。

 祝福のその日を目前に、あなたのみ前に善意のみをもって分別した歴史的な終末時代に、恥じることのない息子としての責任を果たすばかりでなく、神様の右側に立って、愛されて褒めたたえられるその場に向かって、千万の事情を耐えて、十年の苦痛も勝利していく統一の群れとなれるように、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。

 あなたが歩まれた道が、どれほど険しいことかを、この息子も四十数年間、血と涙の闘争の道を歩んできて、神様の悲しみと、苦しみの中にいる万民がどんなにかわいそうであるかをより分かるようになりました。ただ自分の過去を忘れることに今まで努め、記憶した悲しい事実を消し去るために努めてきた生涯の路程を知っておられるお父様。その間、あなたはその背後にあって、忘れなければならない曲折の事情が、兄弟の間、父子の間における堕落によって残された事情であることを忘れなくては、再び立てることができないということを知ったので、そのことを見つめ記憶されるお父様は、この寂しい者の友となってくださり、追われる者の垣となってくださり、石を投げる者に対して盾となってくださったことを考えます時、おそれ多いばかりでございます。

 日々訪れるお父様の時が近づければ近づくほど言葉なく、沈黙を守りながら、お父様の前に、万年の深い事情から、骨髄にまで憂いの涙を流しつつ、あなたのための孝の道、忠の道が何かを探し求めることに忙しかった日々が、今や年を取ってようやく悟れるようになったこのことを感謝いたします。

 秋になれば、木々の葉も色を失うとともに、すべての万物が実となって頭を下げ、自分の価値をなくしても喜びの収穫期を見つめて、お父様が人類の歴史路程を耐えられたことを感謝申し上げます。そのような恵みと恵沢圏にあって、統一教会を万国の追慕の対象として立ててくださり、そればかりでなく、中心的な立場にあって、千秋の生命的因縁を万国へ広めるための源泉として立ててくださったお父様の驚くべき恵みの前に、感謝し、賛美できる群れとなれるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。

 きょう、このように集うことのできた一九八八年は、解放後の二年八カ月を足せば四十年になるこの日であります。四十年間、曲折の多い路程を訪ねてこられたお父様の恨の四〇〇〇年の歴史。その節目、節目に波打つ四位基台を整えて、四十数を越えて、四方に統一圏を築かなければならないという、お父様の摂理の統一的な事情の内なる心情がいかなることかを知る時、御苦労されてこられたお父様の労苦をさらに追慕しながら、どうか私たちの前途に三数を中心とした解放の便りが訪れるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。

 これから南北統一の召命的な責任を前にして、躊躇することなく、強く雄々しく、前進的な勇士として、先頭に立って戦っていく統一勇士として、頼もしく誇らしい姿となれるように許諾してくださることを、お父様のみ前に切にお願いいたします。たとえ死に別れても、あなたの愛の涙でその場を濡らすことのできる統一の役軍になれるようにしてくださいますことを、この日を期してお願いいたします。

 日々訪れるその時が、お父様のみ前に栄光と喜びと誇りを残すことのできる日となりますように導いてくださることを、再度お願い申し上げながら、これらのすべてを真の父母の名によって祝願いたしました。アーメン。

一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2020.04.26 06:52:16
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カテゴリ:宗教/天地創造
​​​​​​​​​​​​『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。

【前回記事】


文鮮明先生御言選集 19881014 -

神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 ②
1988年10月14日

 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権

 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。

 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません」と答えなければなりません。

 皆さんは愛を知っていますか。世の中で普通に結婚して、夫を千年万年信じて生活していたのに、もし夫が隣の家にめかけを住まわせるならば、妻の心はどうなるでしょうか。夫は、自分の妻は女性の中でも最高なので、自分がどんなことをしていても「よくやりましたね」と褒めてくれるだろうと言うのですか。女性たち、どうですか。それは命を懸けても許すことができないことです。そうですか? (はい)。なぜですか。男性のゆえですか、愛のゆえですか? (愛のゆえです)。そうです、愛のゆえです。愛がいかに強いかといえば、一度に十人の首を、愛によって切っても、誰も痛いとは言わないのです。愛は命に屈伏しないのです。真の愛の道の前には、反対する者のその数百人の首を切ったとしても降伏しないのです。ですから夫の不始末を聞くや否や、心を治めることができず、大根を切るように夫の首を切りきざみたくなるのです。「この心がいったいどこから出てきたのか。なぜ、自分はこれほどまでに暴悪で、これほどまでに悪なる人になってしまったのか。数十年間祈祷を続けて、聖人の母になろうとしてきたにもかかわらず、小さなバッタみたいな者が飛び跳ねながら、少しばかりいたずらしたことに対して、なぜこうなるのか。このようになりたくないのに、どうしてこうなるのか」と思うほどです。どんなに小さな女性であってもこうなのに、もし偉大な神様が愛を踏みにじられ奪われたとすれば、神様は果たして黙っていられるでしょうか。どうですか。神様はどうされるでしょうか。神様だから黙っているのでしょうか。どうされるでしょうか。より大きな雷を落とすでしょうか。それとも「フッフッフッフッ」と笑うでしょうか? (大きな雷を落とします)。神様とても同じです。では、千年後の私たちの後孫はどうでしょうか。最近では、中、高校生にもなれば、その両親が、「私の子女たちのデートの相対がいないかなあー」と言っているのです。それは滅びの兆候です。それは真の愛と関係ありません。

「あのような女性とは結婚させたくない」と、どんなに父母が言っても、一族が騒いでも、「あなたの娘は、私の一族を売ったとしても嫁に迎えたい」と言う、そのような男を婿にしたいですか、それともこじきのような男を婿にしたいですか。どちらですか? (前者です)。神様もそのような愛には気が狂うでしょうか、狂わないでしょうか? (狂います)。それを見たことありますか? では、「神様すらも愛においては気が狂う」と言った時の感じと、「神様は愛においては気が狂わない」と言った時の感じと、どちらのほうがより皆さんに近いですか? (前者です)。前者ですね。それは正しい答えです。

 神様が愛に酔って、その目も真っ赤になり、五感とすべての表示体が麻痺したとしても、次に何を中心として動き出すかというと、愛を中心として動いて、愛の焦点を合わせるのです。愛の力がどんなに強いかというと、いったん愛の関係を結んだ人は、もしそれが王家の王女と僕であれば、王に対して「あなたが王様であるかどうか、私には関係ありません」と主張するほどです。愛の因縁を結べば、すべて自分のものになってしまうのです。その相対のいる所にいつでも行くことができるのです。それを妨げることはできません。愛にはそのような同位権があるのです。愛の性禀の中において常に同じレベルに立つのです。ですからお母様もここに来られて座っているのです。もし、近所のおばさんがここに来て座っているとすれば、それはいかに見づらいでしょうか。(笑い)お母様がここに来ているのはなぜでしょうか。先生を愛しているからです。美しく着飾っていても、そうでなくても、また手足の不自由な人であっても、愛で一つになれば同位権が生まれるのです。それから同参権です。

 先生が急に登山に行くと言った時、お母様が「あなた一人で登山に出掛けてはいけません。私も共に行きます」と言えば、先生は、いけないとは言えないのです。また下山して、急に「韓国にいないで、私は東京に行かなければならない」と言った時でも、お母様は「あなたは行ってはいけない」とは言えないのです。「どうぞ、そうなさってください」と言わなければなりません。愛にはそのような同位権、同参権があります。そして次に相続権があるのです。

 ですから、統一教会の人たちは賢くなければなりません。天国へ行くのも賢くして正しいチケットを持って行かなければなりません。もし誤ったチケットをもらえば死んでしまいます。色の黒い小さい男性が、世界一美人の立派な女性に向かって、「あなたは私の妻である」と言った時、美人のその女性は気持ちがいいでしょうか。その男性に対して、「あなたはそういうことを言ってはなりません」とは言えないのです。愛にはそのような所有権があるのです。

 神様と人間が相関関係を結んで、神様が離れることができない愛で一つになった時には、すべてが終わるのです。同じ原理に照らして、神様は誰のものになりますか。答えてください? (自分のものになります)。そこで神様は前後、左右、上下においても自分のものになるのです。愛にはそのような相続権、所有権があるのです。それを否定することはできません。そこではすべてが自由なのです。

  愛と自由

 この社会では、男性と女性に自由はありません。通りがかりの男性が、「自由だ!」と言って、横にいる女性の手をつかんでみなさい。平手打ちされます。しかし、愛の関係を結べればそれが自由になるのです。きょうはお母さん方がたくさん来ていますね。あなた方が夫の部屋に入る時、「私は今から入ります」とノックして入りますか、それとも、サーッとノックもしないで入りますか。世の中の道理に合わせてノックして入るほうがいいですか、それともそっと入ったほうがいいですか? (そっと入ったほうです)。愛に同和すると自由が生まれます。もはや制裁はありません。何でも与えることができるし、何でも受けることができるのです。

 それでは、神様と私たちが愛で一つになれば、神の宝座に共に座わることができるでしょうか、できないでしょうか。神様のひざの上に座ることができますか、できませんか? (できます)。もし神様にひげがあるとすれば、そのひげをつかんで自分の首に巻きつけたとしても、神様は「このような者は殺してしまえ」と言うでしょうか。「あ! あ! すべて自由にしなさい。天下の平和とはこのような所でも渦を巻くのだ……」と独り言の詩を歌うようになります。愛の魔術の世界には、そのような詩が生まれるし、文学の切々さがそこで交差する、のぞき眼鏡の境地が連結されるのです。愛する者同士が出会えば喜ぶように、神様との愛の関係を結んだとすれば、神様はどんなに喜ばれることでしょうか。

 上品でおとなしく、ひげを長く伸ばした、聖者になるような人は、神聖さをもたなければなりませんが、その聖者には妻が必要でしょうか? (必要です)。「あ! あ! 私は聖者様の妻になったので、聖者様の妻らしく行動しなければなりません」と。部屋に入る時もリズムに合わせて入り、あいさつも儀典に従って、すべて厳守した生活をしなければならないでしょうか? 妻が、「これは何ですか?」と言って、その儀典を守らないで、聖者様の祈祷される生活にただ合わせて生きるだけではどうにもなりません。それで、毎日のようにけんかするのではなく、互いに愛でもって溶かさなければなりません。愛でもって妻を感化させて、それ以上の幅の広い聖人にならなければなりません。そのような聖人の所へ、妻が「あなた、私はこれからそちらへ行きます。自由奔放にすべてを解放して渡っていきます」と言って、服を脱いで戸を開けて入ってきたら、聖人といわれる夫は、天地の道理を悟ろうとして瞑想して座っているのに、そのような姿で妻が入ってきた時、叫び声を上げて後ろ向きになるべきでしょうか。そのまま迎え入れるべきでしょうか? (後者です)。そうです、後者です。

 皆さん夫婦同士では、どんな姿で踊っても、何をしても罪ではありません。神様も愛する時は喜ぶでしょうか。笑うでしょうか。踊るでしょうか。神様はどうされるでしょうか。神様も同じなのです。神の目には、服よりもその人のすべてが見えているのです。全身の細胞が作動する運動もすべてを見ておられるのです。神の世界においては、すべてが解放圏なのです。ですから文総裁はどんな型にもはまりたくありません。先生が市場に行けば、露天商の古着屋さんとも友達になってよく服を売ってあげたりします。先生が売り子になってあげるのです。「あなたの夫の代わりになって売ってあげましょう」と。ある時は、その人が姉のような年であれば、先生が弟になってあげて売ってあげたのです。先生はそのような訓練をしたのです。ですからどこへ行っても多くの友達がいるのです。

 このように、愛には世界的解放があり、自由があります。皆さんは自由と解放のどちらを願いますか? (解放です)。解放のあとに自由が来るのです。人間は堕落したため、いまだ解放されていないのです。自由がないのです。サタン圏内からの解放が必要なのです。人間は天理の大主であられる神の愛を中心としていまだに解放されていないのです。

 その神様も、いったい誰に絶対的服従をするのかというと、まず神様は、「先に絶対服従してから、服従されなさい」と言うのです。それが偉大なことです。ある時、先生は皆さんに対しても無慈悲に命令したりするのですが、それは先生が皆さんに無慈悲に命令している以上に、先生は実際そのことを神様を通して知り、また行ってきたので、命令することができるのです。

  真の愛を中心とする者

 さて、きょうの話の統一世界を神の永遠に不変なる一つのみ旨を中心として収拾するという、その内容は何かということですが、聖書の旧約、新約を見本として、神様はプログラムをつくって、世界を収拾されるのでしょうか。人類始祖の堕落以前には、聖書の新約も旧約もなかったのです。既成のキリスト教会にいた人にとっては、このような話は本当に異端の話のように聞こえるかもしれませんが、それを疑うことが異端の魁首です。神様は聖書に従って動かれるのではありません。聖書は病人を治療するための処方箋のようなものです。自由人には必要ないものです。神様に出会って、「あなたは、旧約聖書でこのように語ったでしょう。ですから私に対してこのようにしてください」と言うことが可能でしょうか。愛はすべてを越えるものです。愛には規制がありません。ですから父母や親戚同士がどんなに反対していても、この愛の道を知れば、誰もがこの道へ直行するのです。たとえ正面衝突して、頭が飛んでしまっても直行するのです。では何を中心としてみ旨を成就するのでしょうか? (真の愛を中心としてです)。

 真の父母とはどういう人かというと、自分が生まれたのも子女のためであり、生涯苦悩して生きるのも子女のためであり、死ぬのも子女のために死ぬというのです。それが真なる父母なのです。自分の生命の起源から、すべての生涯路程を経て、生死を越えてまでも、子女のために生きようとするそのような父母が、真なる父母です。では、真の子女とはどういう人かというと、全く同じ道理なのです。自分が生まれたのも父母のためであり、生活のすべても父母のためであり、死ぬのも父母のために死ぬ人が真なる子女なのです。分かりましたか? (はい)。真の兄弟も同様です。真の兄とは、弟のために生まれ、弟のために生き、弟のために死のうとする人であり、すべてにおいて生命を懸けている人です。

 ここにいる年老いた女性たち、真なる妻としてそのように年老いたのですか。どうですか。女性たちが愛されるためにお嫁に行くというのは、堕落した先祖のエバと同じです。エバは愛されようとして堕落してしまったのです。本来は愛を受けようとするのではなく、愛そうとしなければなりません。そうすることによって愛が返ってくるのです。分かりますか。

 では真なる教育者、真なる指導者とはどういう人でしょうか。その人に従っている千人、万人の人々がいるとすれば、その中で自分だけが楽な道を行き、千万人の人々に苦労させようとするのではなく、千人、万人すべてが休めるようにしてあげて、自ら最も苦労する道に責任をもとうとする人が真の指導者なのです。この先生を見なさい。アメリカにおけるダンベリー事件を知っているでしょう。アメリカの法務省がレバレンド・ムーンを起訴した時、先生は韓国にいたのです。法務関係の協定がないので、アメリカには行かなくてもよかったのです。アメリカの国民ですら、自分が法に触れた場合には、アメリカから逃げ出すのです。先生はそのまま韓国にいれば、アメリカへ行って刑務所生活をする必要はなかったのです。しかし先生は起訴された翌日、ドイツを回って飛行機でアメリカに入ったのです。アメリカの法務省では、判事や検事たちが集まって、「レバレンド・ムーンは絶対に出頭しないだろう。なぜなら、アメリカ人でさえも、アメリカを離れて法の網から逃げ出すのに、何の関係もない異国の人が、なぜアメリカに来る必要があるのか……」と言っていたのです。

 神様に主管されて生きる先生は、アメリカの法の上で生きる人間です。法の下に生きるのではありません。それ以上のことをしなければならないのです。そこで、アメリカに入った文総裁は滅びましたか、勝利しましたか? (勝利しました)。勝利したのです。最近ではアメリカの大統領までも先生の世話になるようになりました。先生はそのような基盤をつくったのです。今や、アメリカの国民もレバレンド・ムーンを尊く思っているのです。統一教会の信者はどうですか? (尊く思っています)。では昼になったのに、なぜ昼食もさせてくれないのですか。(笑い)

 待遇されようとして待遇されるのはサタン世界のことです。先生は、「あいさつをせよ」とか、「再臨主」とか教えたことはありません。先生はそういう話をしましたか? 金元弼(先生)は、「再臨主」とか「メシヤ」とか言っていますが、メシヤとは、日本語で食堂の主人のことです。(笑い) 先生にはそのように聞こえるのです。また再臨主とは、死んだ夫が天国に行って再び訪ねてくることです。先生は再臨主が偉いとは思いません。そのように思っていたら、愛の話をすることもできません。悪口も言えないのです。再臨主が悪口を言ったらどうなりますか。(笑い) 先生は、再臨主という名が嫌いです。名は嫌いですが、再臨主が今まで神聖なるこの道をつくってきたのです。何の話か分かりますか。一番苦しいことを再臨主ができなくても、先生にはできるのです。ですから、その位置においては、もし再臨主が現れれば、神様の代わりとして侍らなければなりません。これはいかに恐ろしい話でしょうか。

 先生は監獄に入って、最も困難なことを成し遂げました。そこで三つの与件を出発させました。まず、共産主義の脅威からアメリカを救うことです。次にアメリカの青少年を救わなければなりません。これは最も難しいことです。それから腐敗したキリスト教を再復活させることです。このような三大与件です。これは、アメリカにおいて誰もできなかったことです。学者にも、宗教者にも、政治家にも、いかなる方法手段をもってしてもできなかったことです。お金をもってでも、世界中の科学文明をもってでもできなかったことです。先生は、アメリカを共産党の魔の手から解放する門を開きました。七〇年代には、言論機関も、共産主義によって左傾化されていました。それを先生がひっくり返したのです。このように先生は多くのことを成したのです。学者世界においても、多くの迫害を受けながら、東西四方へと散らばって戦ってばかりいる学者の群れを一つにして、その方向を提示しました。世間で学者といわれる人々は、なかなか話を聞きません。そのような群れを集めて、文総裁が「このような世界に向かわなければなりません」と、方向を示したのです。それで絶対的価値を中心として約十五、六年間教育した結果、今は議長が先生のみ言を研究するようになりました。

 アメリカの神学校にも、「AR」という組織があり、年に一回牧師、神学者約六〇〇〇名ほどが集って大会を開いています。しかし私たちは、その門前にも行けなかったのです。今はその理事会の半分が先生の側です。その展示会の重要なコーナーに統一教会を紹介したとしても、「どうぞおいでください」と言うのです。反対できないのです。アメリカへ留学した群れが、韓国に帰って、「自分は神学者だ。文総裁に反対する」とか言っているのですが、あなた方の学んだ神学校の校長が、既にレバレンド・ムーンの教えを受けているのです。どうです。気持ちがいいですか、悪いですか? (気持ちがいいです)。では、反対する者が偉いですか。反対する人々の声を聞きながらも、それらを相手にしない人が偉いですか? (相手にしない人です)。それは偉くありません。悪口を言われながら、気持ち悪くも思えない人は、愚かな人ではないでしょうか。女性としてそのような息子を生みたいですか。もしある村で、殴られて帰ってくる息子がいれば、「どうして泣いて帰ってくるのか」と言うのが母親でしょう。先生の母親もそうです。先生に「どうして悪口を言われながら黙っているのか。復讐すればいいのに」と言ったのですが、先生が知った真の道がそのような教えではなかったのです。

 それで今回、四十年ぶりに広告を出したのです。先生は悪いことはすべて忘れようとしますが、良いことは覚えています。刑務所の話もすべて忘れようとしているのです。思い出せば、今でもすべての話ができますが、もしすべてを話せば、皆さんは涙を流すことでしょう。昔、先生は有名な日曜学校の先生をしていたので、文学的専門用語を使って、どんな話も、童話も、長編小説もできるのです。馬に乗って荒野を疾走する内容などを話す時、当時の教会の若者たちは、先生がますます好きになったのです。先生はどこへ行くにも、説教を準備していくことはありません。何の準備もしなくても、先生は感銘を与える説教ができるのです。一日中語り続けても、数カ月は語れるし、説教だけでも生活できる先生です。

 さて、統一の話ですが、宗教圏の統一は何をもって成すことができるでしょうか。それは武力ではできません。不良息子が悔い改めることができるのは、父母の愛からです。愛は死亡の世界から創造力を発揮できるのです。死の場から復活圏をつくり出せるのです。今回のソウルオリンピックの時、「一二〇カ国から宣教師と代表二人ずつ韓国に来なさい」と言ったのです。旅費は各自が準備したのです。先生に助けてくださいと言うような人は一人もいないのです。皆さん、もし先生が天国へ行って、皆さんに「天国に来なさい」と言った時、先生が準備してあげるべきでしょうか、それとも皆さんが準備して来るべきでしょうか? (準備して行きます)。それと同じなのです。先生の真の道を知ったならば、先生が行うとおりに皆さんも行わなければなりません。その道がいかに険しくとも、その道を開拓していくのです。たとえヒマラヤの山頂へ登っていく道であっても、これが公式の道なのです。その山頂を越えて天国へ入るのだとすれば、すべての人々は越えなければなりません。

 ですから、先生はこのような道を知ったので、一生涯この道を行くのです。この道はただ楽に行くことはできません。サタン世界の最も深い谷底にも、神の愛を中心として、真の愛の根を下ろさなければなりません。そこに根を下ろさなければなりません。そこに根を差して、そこから出発して、サタン世界の個人的時代、氏族的時代、民族的時代と、すべてにおいてサタンが打ってくる中で、神様の本来の愛の伝統を築くのです。先生はこのようなサタン世界のすべてに迫害されながら、世界の位置にまで上がってきたのです。今や中天に名声を翻す時なのです。これからは大韓民国においても、文先生に反対する者は打たれるでしょう。

  ​迫害は神様が恵みを与えるための架け橋​

 先日もこんな話を聞きました。ある喫茶店に入っていた時、ある軍人が文総裁の悪口を言った既成教会の人の胸ぐらをつかんで、殴ったのです。「この野郎! お前は文総裁に対してどのくらい知っているというのか!」と。これから先生に反対する者はこのように殴られることでしょう。そして、死ぬ者も現れるでしょう。なぜこのような話をするかといえば、一九五五年、李承晩博士の時代に、文教部、広報部、内務部、法務部、外務部の五人の長官が一つになって、文総裁を打ってきたのです。その時、李承晩大統領の妻のフランチェスカと、金活蘭と、李起鵬の妻の朴マリヤたちが一つになって打ってきたのです。そして一瞬にして、梨花女子大学、延世大学において迫害が始まったのです。このまま統一教会を認れば、賢い青年男女が、神学校の学生が数週間のうちに完全に伝道されていって、そのまま放置しておいたら、数年以内に既成教会が滅びてしまうと思い、「どんなことをしても統一教会を打ち砕かなければならない」と言って、騒ぎ立てたのです。しかし、何の罪状もないので先生を殺すことができなかったのです。

 散々調べ尽くして、「兵役忌避」ということで打ってきたのです。先生は北で監獄生活をしてきたので、既に兵役の年齢も過ぎていたのです。どんなに法に照してみても問題にならないので、無罪釈放になったのです。しかし悪いことには、その時大騒ぎして連れ出したのに、無罪釈放になったことは誰にも知らされず、今になってもそのことで先生を打とうとする人がいるのです。

 先生は個人的に打たれ、家庭的に打たれ、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天と地においても打たれてきました。共産主義者から、またアメリカ人から、アメリカの政党全体から、さらに仏教、儒教、すべてから打たれてきましたが、誰一人として宗教者で、この先生に同情した人はいませんでした。誰一人として男性も、女性も先生に同情した人はいませんでした。しかし先生は、そのような中でもすべての人々に、この道を教えてあげました。監獄の中でも話してあげました。そして、世の中がこれほど悪なる世界になっていることを、先生はよくよく知りました。しかし先生は、これらすべてを自然屈伏させてきたのです。

 本当は監獄のことはすべて忘れなければならないのですが、殴られて痛かったことを記憶しているのです。先生の体には多くの傷が残っているのです。既成教会が与えた傷です。先生がもし人間的に生きるならば、彼らの腹を切り裂いて、禿鷹の餌にしても足りない気持ちです。先生の性格は、そのように強烈なのです。少年時代にも、もし先生の村で誰かに殴られたかわいそうな人がいれば、先生はその人を訪ねていって、責任をもってその人を殴った者を処分する魁首の役をしたのです。先生は火のような男なのです。このような先生を監獄に入れたのですから、たとえ無罪釈放したとしても、その日その時のことを、長い公文書にして発表し、謝罪しなければならなかったのです。

 しかし、なぜこのように迫害されたのかといえば、恵みを受けるためのものだったのです。罪なくして打たれる人は恵みを受けることができます。打った人が長官の友人であれば、長官の友人の恵みを受けるのです。もし長官の位置で打ってくれば、長官の位置の恵みを受けるというのです。先生は濡れ衣を着せられました。「文なにがしは、大韓民国の大統領になろうとしているのだ。李博士をポケットに入れようとしているのだ」と言われてきたのです。「文なにがしはこの国を手中に入れようとするのだ」と悪口を言われながらも、先生は黙々と歩んできたのです。最近になって、ようやく「南北を統一できる代表者は文総裁しかいません。金日成にも誰にもできません。文総裁だけです」と言うのです。さらに「文総裁を南北統一の大統領にすべし!」と言う人も多いのです。たとえ大統領に打たれることになっても、それを耐えて、その迫害が世界へ広がっても滅びないで成長していれば、その国の大統領以上の大きな位置を与えられても交換できない人になるということです。迫害は、神様が恵みを与えるための橋を架けているのだということを知ったので、先生は黙してきたのです。先生はすべての橋を渡ったのです。

 もはや統一教会に対して、既成教会が全力をかけて打ってきても先生には勝てません。どんなに強い青年の闘士の群れをもって挑んできても、統一教会の人たちには勝てません。最近では円和道という武術を習っているのです。霊界から教えられたこの武術を全世界に広めるのです。円和道は素晴らしい武術です。神様いわく、「武術はこのようであらねばならない」。円和道は原理を中心とする、世界の総合的な武術とすべく今回指示を出したのです。そして、世界中の円和道の人々を再調整して、かつて三国時代に花郎道の力を発揮して、三国を統一したように、今や万国統一時代なので万国を統一できる武術を習わなければなりません。それで、共産党も先生を恐れているのです。日本でも同じです。もはや私たちの若者を思うままにすることはできません。すべての人々が円和道を習うのです。

 この中で八〇パーセントの人々は、今でも先生と相撲を取ったら負ける人たちです。「七十代の老人が何を言うのだろう」と思ってはいけません。(笑い) 実際にもそうなのです。昔、漢江の岸でも先生と相撲を取って勝った者がいましたか、教会長どうですか? (いません)。(笑いと拍手)


<③に続く>

一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2020.04.26 06:54:24
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カテゴリ:宗教/天地創造

​​​『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。

【参考記事】




文鮮明先生御言選集 19881014 - 

神のみ旨を中心とする宗教圏の統一
1988年10月14日

 宗教の道と哲学の道  


 宗教生活は一般の生活と違うということを、私たちはよく知っています。宗教とは神に出会って、神と共に生きる道であり、哲学とは、すべての知識と文化的背景による世界観や思想的観を中心として、神を探し求めていく道なのです。ですから、今日まで歴史を動かしてきた人々は、哲学者ではありません。既に、皆さんが御存じのように、歴史上には四大聖人がいましたが、彼らはいかなる人々であったかというと、それぞれの宗教の教祖でした。イエス様がそうであり、釈迦がそうであり、孔子がそうであり、マホメットがそうです。彼らがなぜ歴史上の数多くの人々の中において、四大聖人という名をもつようになったかというと、彼らは、ただ単に人間と共に生活することにあこがれをもって生活した人たちではなく、神の遠大なるみ旨にあこがれて、そのみ旨に歩調を合わせて生きた人だからです。

 人間、その志すものはいつしかみんな流れ去ってしまいます。優れた人、愚かな人、人それぞれに生きる道は違いますが、すべては流れ去ってしまうものです。しかし、愛国者の生活伝統は、その国が存続する限りいつまでも残るのです。しかし、そのような愛国者の志も、いつか国家の興亡とともに流れ去ってしまうものです。それはなぜかというと、人間世界の歴史は、国家や社会や家庭を背景にした志を分別していく道であり、ある国家や社会、家庭、また個人の目指す道は、神のみ旨とは一切関係がないからです。それは堕落圏内にある世界だからです。

 神のみ旨の立つべき位置は、堕落した世界を越えなければなりません。ですから、この世界の全人類を理想的世界へ、より次元の高い世界へと導くための道を収拾してきたのが、歴史的な代表者としての四大聖人なのです。そのような聖人たちを中心として、ヨーロッパにおいては、キリスト教を中心とした文化圏をつくり、インドにおいてはヒンズー教を中心とした文化圏をつくり、さらに極東においては、儒教、仏教、仙教による文化圏をつくり、中東においてはイスラム教を中心とした回教文化圏を形成してきたのです。そのような文化圏は今日まで、神の理想的生活圏の土台を形成するためのものだったのです。ですから、そのような宗教同士の中でも、互いに紛争が絶えなかったのは、それぞれに自分たちの宗団を中心としてのみ、神の理想的生活土台を形成するということを願っていたからです。そのような願いの上に立っているので、今日も宗教同士の戦争が絶えないのです。このように宗教紛争が絶えないということは良くないけれども、宗教の目的とする基準が成就されない限り、どんなことがあっても神様は、宗教を残していかざるを得なかったのです。分かりましたか。

 このように見た時、神と共に生きた四大聖人の残した世界は、その民族や背景によって、それぞれが異なった文化圏なのです。そのような各々出発地の違う東洋と西洋を収拾しなければなりませんが、神が四大文化圏を形成してこられたその目的はどこにあるかというと、宗教によって世界を破綻させるためではなく、宗教を連合させて、その基盤の上で世界の全人類を救うためなのです。

 それでは、世界の全人類を救ってどこへ連れていくのでしょうか。仏教を信ずる人々は、仏教の世界へ行くことを願います。キリスト教を信ずる人々は、キリスト教の世界へ行くことを願います。さらに回教を信ずる人々は、回教の世界へ行くことを願うのです。そして、各自が処しているそれぞれの宗団を中心として世界的な生き方を願うのが、すべての教祖たちの所願であると同時に、神のみ旨もその一点にあるのです。しかし今日まで、各々の教祖に分からなかったことは、各々の文化圏を形成してきたのですが、その終末においては本来の出発である神のみ旨を中心として、個人的なみ旨、家庭的なみ旨が合致する時、氏族、民族、国家、世界、全天地が一つになるということです。世界的な文化圏を形成して次に何をするかというと、国家を中心として、民族を中心として、氏族を中心として、家庭を中心として個人が一つになれる軸による統一をするのであり、それを成すのは、神のみ旨のみです。個人が歩むみ旨、家庭が歩むみ旨、それぞれに範囲は違っても、その道は同じなのです。

 ですから統一されなければなりません。神様は絶対的な方であられるのです。四大文化圏の一人一人がみ旨を受け継いで、世界の文化的背景の異なる四方の地域から、結局は山頂に至るようになるのです。そこで「あ! あなたは東から来たのですね。あなたは南から、あなたは西から、あなたは北から来たのですね」と。このように出会ってみると、それぞれに誰しもが神を求めてきたというのです。山頂に至るまではそれが分からないのです。それは、山頂に登ってくる人々を見下ろして、摂理されている神様以外には誰も分からないのです。ですから宗教間において、歴史上に多くの複雑な問題も残してきたのです。キリスト教は、すべてにキリスト教を中心として、「自分たちが第一である」と言うのです。それは一側面からだけ見ているのです。頂上から見れば違った答えになるはずです。すべて頂上に登らなければなりません。谷間にいながら頂上にいるような行動を取れば、それらはみんな肥やしになるだけです。

 ですから、神のみ旨のみを中心として生きるのが宗教の道です。そして、神のみ旨の道とは、絶対者のみ旨であり永遠に一つなのです。二つはないのです。では、絶対的な一つのみ旨を中心として、個人がその絶対的な神のみ旨のみを中心として生きれば、その人は個人天国に属することができるのです。それが家庭であれば、神様と共に生きる家庭天国となるのです。そのように民族を越え、国家を越え、世界を越えて、神のみ旨を中心として世界が一つになっていくのが地上天国です。分かりましたか。

 それでは、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。統一教会も同様な道をたどっているのです。統一教会はレバレンド・ムーンという人によって始まったのですが、その教えは自分を中心として生きるということではありません。神のみ旨の道にあって、すべての宗教が様々に混乱している現状から、最終的には、本来の神のみ旨を中心としてすべてを合わせなければなりません。数多くの工場から部品を集めて、青写真によって、一つの製品として組み立てていくように、もし神様が最も喜ばれる一つの製品を作り出すブループリントによって世界を一つにする運動の理想がないとすれば、宗教を立ててこられた神御自身も不正当な方だとなるのです。ですから聖人を訪ねて、共に生活を指導してこられたというのは、個人のためではなかったのです。彼らと共に、世界的生活理想圏をつくるために、時代を経つつ、彼らが同じ喜びをもって世界的に生きることを願い、宗教を通して歴史と世界を収拾してきたのです。

  世界の統一は宗教圏の統一から

 さて、世界の統一はいかにして成されるのかという問題を考えた時、まず宗教圏の統一が成されなくては、この地上世界は統一されません。それはなぜかというと、この世界は堕落した世界だからです。堕落した世界は戦いの歴史があるだけです。堕落した世界は、自分を中心とすることをまず第一主義に考えるのです。何事においても自分を中心として生きようとするのです。エバが堕落したのも、自分を中心としたからであり、天使長の堕落の動機も、自分を中心としたからです。すべてにおいて、自分の利益のために相対的環境を処理したのが堕落なのです。

 では、このような世界から逃れるためにはどうすればいいでしょうか。まず第一に、神のみ旨の道を尋ねていかなければなりません。神のみ旨とは何かというと、悪魔の道と正反対の道です。この世で生きようとする者は、天の国においては死のうとする者です。このように正反対なのです。ですから聖書にも、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と記されているのです。そのように逆説的な論理なのです。皆さんは、聖書がなぜそのようになっているのかというその根拠を知らなければなりません。先生の話は大まかな歴史的結論だけです。

 では、これからの世界を統一できる宗教になるにはどうすればいいのかというと、人間は死ぬ時はいかに死すべきかという個人としての死を知り、家庭を犠牲にしても氏族、民族、世界を犠牲にしても、必ず神に帰るという思想をもった者とならねばなりません。そのような者が神様に出会うことができるのです。ですから、統一教会で活動することは、統一教会のためではありません。より大きなもののために投入して、犠牲になるためです。大きいものが生まれるためには、まず小さいものを投入しなければなりません。これが原則です。発展的原則であり、分野的原則でもあるのです。

 それでは、神様の創造理想は何かというと、大宇宙は統一的世界を構想しているので、この宇宙形成の理想圏を促すためには、宇宙形成圏から何かを取り出すのではなく、この宇宙も何かを取り入れなければならないのです。まず宇宙目的が形成されなければ、宇宙はこのまま存在することはできません。宇宙の目的を包むことのできる何かが存在し、その中に宇宙自体も入らなければなりません。そこに入ってからは、千年、万年、じーっとしていなければなりません。自分自身を主張しようとする人は、宇宙の大理想圏が形成できません。そのような中で、忠臣とはどのような人かというと、別に特別な人ではありません。歴史を代表するいかなる人が投入したより以上を投入する人が忠臣なのです。そして孝子とはいかなる人かというと、父母のために自らを投入することにおいて、誰よりも投入した人がより孝子なのです。

 では、これらの四大聖人の中で、一番の聖人とはいったいどのような人でしょうか。それはより犠牲的な内容をもって、この世間の道理のゆえに否定されるという論理の上に立っている人でなくてはなりません。でなければ、この堕落した世界にあって、完全にXとYを変えることはできないのです。何の話か分かりますか。左が右に行こうとすれば、必ず左右が交差しなければなりません。これと同じように、世の中の万事が堕落のゆえに逆になっているのです。堕落した世界が正しくなるためには、左と右が今までと反対に交差すれば神側に立つようになるのです。ですから聖書にも「誰よりも人をより愛せよ」とあるのです。イエス様も「父母、兄弟よりも私を愛さない者は、私の弟子にふさわしくない」と言われたのです。それに加えて、「自分の十字架を背負って私に従ってこない者は私の弟子にふさわしくない」とも言われたのです。

 さて、皆さんはこの社会の中で、父母、夫や妻、子供と共に生活しているのですが、一国の愛国者の道理や世界を中心とした聖人の道理に従っていくことによって、果たして理想世界ができるでしょうか。これが問題です。終末になってなぜ宗教が疲弊してきたのかというと、世の中と歩調を合わせているうちに、右も左も分からなくなってしまったからです。左が問題なのであり、右は問題ではありません。左を取り替えなければなりません。そのためには、誤ったものに制裁を加えることのできる反対のものが出てきて、ぶつかっていかなければ新しいものは出てきません。それで終末とは、交差時代のことをいうのです。今日のキリスト教はそういうことが分からないのです。そこで、統一教会の責任をもっている文なにがしという人が出てきて、この世界をどのようにするかというと、まっすぐに走って、直線にサーッと切ってしまうのです。

 まず、世界的個人と対決して勝利しなければ、世界的個人の代表として、神様を迎え入れて共に生きることはできません。先生はこのように世界的個人の代表として、個人解放圏を準備するための土台を再現したのです。それは単一民族です。その単一民族の中でも、歴史上最も混合されていない民族でなければなりません。それがこの韓民族なのです。韓国の人たちは他の人の意見をなかなか聞き入れません。喜んで聞いているように見えても、全く別のことを考えているのです。そして、その人の後頭部を打とうとさえ思っているのです。このように最もややこしい民族が韓民族なのです。サタンもそれを知っているし、神様もそれを知っているのです。そのような意味から、北側のサタンの群れと、南側の神の群れに分かれて戦っているのです。そして南の人々は、積極的に神様を受け入れようとし、北の人々は積極的に神様に反対しようとしているのです。そこで共産党は、「神はいない」と言うのですが、それは、父親が元気に生きているのに、その息子に対して「あなたの父は死んだ」と言うことと同じです。皆さんはそんなことを言われて黙っていますか。そんな人は気の狂った人です。

 皆さんは、全世界の民族に対して影響を与えなければなりません。全氏族に対して影響を与えなければなりません。全世界の人々に影響を与えることのできるそのような立場に立って、共産党を追い出し、サタンを追い出すための働きをしなければなりません。統一教会は共産党を打ち砕くことのできる先駆者なのです。南韓で一番金日成を嫌う人は誰でしょうか。大統領ですか、誰ですか? それは文総裁なのです。それは既に世界的にも知られていることです。しかし文総裁は、共産党を打ち砕くのに銃をもって行うのではありません。一人も殺すことなく、すべての共産党の人々を解放しようとするのです。このような主義を主張できる人は、歴史始まって以来先生しかいないのです。そういう意味で、共産党を擁護しようとするどんな個人も、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も許すことはできません。なぜかというと、神様がそれを許すことができないからです。神の本来の理想の中にはサタン、悪魔、共産党は存在しなかったのです。神様が嫌うような存在はありませんでした。神様が嫌う世界的な主義、主張は悪魔のものです。今日、終末が来るまでは全部サタンの思うままでした。サタンは神様の代わりの立場で全人類に侍られてきたのです。しかし、神様が人類を半分に右翼、左翼を分け、万民を神様の前に帰そうとするので、悪魔の失策的転換が共産主義理論となったのです。よく見ると人類が神側に戻ることは明らかなので、自分(サタン)にも、神にも侍られないようにするために詐欺的術策として作り出した哲学です。すべてが偽りなのです。

 ですから、世界の三分の一までしかサタンは食べることができません。それで、あとの三分の二に影響を及ぼそうとしているのです。しかし神様は、「これは私のものだ」と言うのです。そこで共産党は反対に、「これは自分のものだ」と言うのです。金日成は四十年間「南韓は自分のものである」と言い続けています。ひどい話です。統一教会は全世界的に防衛線を張って、これを収拾しようとするのですが、それは武器ではできません。真理でもできません。聖書には「真理を知る時、真理はあなた方を放す」と記されており、人々を自由にすることはできますが、解放することはできません。それは神の真の愛のみです。

  神様の創造された広大なる宇宙

 神様は宗教をつくって、今日まで人類と共に生きたいと願ってきたのですが、それは何を中心として生きようとされたのかというと、神様は物質によって良い暮らしができるようにすることなどは関心がありません。霊界に行けば食べる心配も、着る心配もないのです。それを知っていますか。先生が霊界の話をすれば、これから死にたいと思う人が多くなるので、このことは話しません。(笑い) 果たしてキリスト教において、主様を選挙で選び出せるでしょうか、どうでしょうか。主は天から来られるのです。対象が主体を決定することはできません。何の話か分かりますか。対象は主体が自分のようでなければならないという概念をもつことはできないのです。対象は第二の存在なのです。自分で権限を評価できない対象圏の位置にいるのです。これは少し難しい話です。

 さて、神様はお金もうけもせず、ただ黙って座っておられる無識の大王なのです。神様は黙って飢えている大王なのです。じっとしている無力の大王なのです。誰でも来て打つことができるのです。神様は黙っておられるのです。仮に、一番の知識の大学者がいたとしましょう。歴史始まって以来の大きな権力をもつ為政者がいたとしましょう。世界一お金を持っている人がいたとしましょう。皆さんは、これら三人の中で誰の手が先に伸びることを願うでしょうか。神様も考えてみられるのですが、皆さんであればどのような人の手が伸びることを願いますか。女性はお金持ちの人の手が伸びてきたらいいと思いますか。お金があればどんなにおいしいものでも食べることができるのですね。知識の手が伸びてきたらいいなと思う人は、知識をもって何をするのですか。何をしますか。それが問題です。先生の前ではみんな泥棒のようなものです。先生の手がいかに大きいか、それは全世界を代表する大きな手なのです。神様の手も大きいのですが、その神様もすべて握ることのできる大きな手なのです。さらに、子供のような小さな指がそこについています。それはどんな手かといえば、お金もないし、知識もないし、権力もないけれども、ただ一つ母親の愛だけは知っている手なのです。その手は愛を求める手です。では、神様はどの手に最も関心をもつでしょうか? (子供の手です)。それはカニの足のように小さく見え隠れするような手なのに、神様は関心をもつのです。

 この宇宙がどれほど膨大なのかといえば、ある科学者などは二一〇億光年かかる大きさだともいっています。以前、一五〇億光年の星を発見できる電波望遠鏡があるということを聞いたことがありますが、この宇宙はどれほど大きいことでしょうか。光の速さは、一秒間に三億メートルです。三億メートルといえば、地球を七回半回る距離です。それが一秒間に進む光の距離であれば、一分間ではどんなに遠くまで進むことでしょうか。さらに一時間たてばどうでしょうか。光が進むその距離は、どれほど遠くなることでしょうか。それが一時間でもなく、一日でもなく、一年かかって進む距離を一光年というのです。そのような速さをもった光が二一〇億光年かかる距離は、これから皆さんが千年、万年を生きて数えようとしても数えきれるものではありません。そのような距離をもつ膨大な宇宙も一つに連なっているのでなく、それぞれ分かれて運動をしているのです。そして互いに関係を結んで大きな固まりになって、回転運動をしているのです。それは自然に生じたものでしょうか、それとも誰かがつくったものでしょうか。自然に生じたのですね? (いいえ)。どうして「いいえ」ですか? すべての存在は、根源があって生じたものであり、何の動機もなくて生じることはないのです。

 そのような宇宙を動かすことのできる神の力がうらやましいですか。「宇宙には、ダイヤモンドの星が一〇〇〇個、一万個存在する」と言っても、「無い」と言い切れる人はいません。黄金の星、ダイヤモンドの星、五色に輝く星が数多くあるというのです。それは誰がつくったのでしょうか。神様に宝石が必要でしょうか。神様が好きなダイヤモンドは何カラットでしょうか。英国のロンドンの博物館に行けば、世界で一番大きいダイヤモンドは五一七カラットだといわれています。卵ほどの大きさです。皆さんが結婚する時、一カラットのダイヤモンドでも喜んで受け取るのですが、神の創造においては、五一七カラットのダイヤモンドなど問題ではありません。ダイヤモンドの星もあり得るというのです。そのような広大な宇宙も、共産主義者は自然に生じたというのです。そして、宇宙はそのまま存在するものとして論法を立てていくのですが、そうではなく、宇宙の根本を訪ねていかなければなりません。

 神様はどれほど素晴しい方でしょう。そのような神様にも、いとこやはとこが必要なのでしょうか。人間は、いとこやはとこを必要とします。人間は国も必要とします。神様はどうなのでしょうか。皆さんは、いとこやはとこがなぜ必要ですか。困った時、お金を借りるためでしょうか。(笑い) 知らないことを教えてもらうために必要でしょうか。人間は生活の中で、親戚と共に踊りを踊ったり、歌を歌ったりして、上下、左右へと和音をつくり出していくのです。そのような親戚が数百名も集まって、コーラスするその和音には、すべての人々も引き込まれてくるのです。そのような、全体の美と全体の調和を成すことのできる、和合した美化的感覚が必要なのです。

  宇宙の根本は父子の関係

 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!」と鳴るのです。そして大きく「パーン!」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰か神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、口、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答えがどこにありますか。

 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き永らえているのか、早く天国にでも行けばいいのに。先生がお話しされる天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。

 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は清い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。

 神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様、こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。

 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得たのちに使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。

​ では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性禀が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性禀は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性禀をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードをもつ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。​

 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に入って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に入って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を伸ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りにつきたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。

 夫の心の中に入り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言っても千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカへ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。

〈②③に続く〉


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.04.26 07:36:58
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