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テーマ:戦争反対(1190)
今、東京に暮らしている人に
「3月10日は何の日だと思いますか」と尋ねたら・・・ 果たしてどれくらいの人が 「東京大空襲のあった日」と答えるでしょうか。 12歳で東京大空襲を体験した作家の早乙女勝元さんには、東京大空襲に関する著作が数多くあります。 その原点ともいえる『東京大空襲 昭和20年3月10日の記録』は私の生年である1971年に出版され、当時ミリオンセラーとなりました。 ---[空襲記録運動と早乙女勝元氏(松浦 総三)]より引用------- 「岩波新書『東京大空襲』は、数十人の下町の被災者とインタビューして、 数ヶ月で書き上げたものである。 このドキュメンタリーは、それまで点の記録だけが中心であった三月十日の 下町大空襲を、点と線の記録とし、さらに爆撃する米国側の資料も加えた、 三月十日空襲の全体像を取材した最初のレポートだった。 ------------------------------------------------------ その日、ごく普通の人々が体験した惨劇はまさに「生き地獄」でした。 日本への空襲に使われた焼夷弾は、燃えやすい日本の家屋を対象に開発されたものです。 しかも、まず周囲を囲むように焼夷弾を落とし、逃げ場のない状況を作ったうえでの集中的な空襲です。 冬の強風にあおられた猛烈な炎と温度に竜巻さえ発生し、服や髪が自然発火したといいます。 都市を破壊することが目的であるならば、そこまでする必要はなかったはずです。 これは非戦闘員を大量に虐殺することを目的としていた、としかいいようがありません。 この一晩の死者は8万とも、10万ともいわれています。 この日に起きたことを自分の身に置き換えて想像してみます・・・。 夫は徴兵され、私一人で3歳と6歳の子供の手を引き、猛火の中を逃げまどう姿を。 四方を炎の壁に囲まれ、どこに逃げればこの子達の命を守れるのか、 どうして自分がこんな目にあわねばならないのか、 何もわからないままに、 親子で、生きながら焼き殺される姿を。 戦争の後ろには戦略があり、戦略の後ろには政治があります。 しかし、どんな理屈をもってしても、こんな残虐な行為は決して正当化されません。 イラク戦争では、相当数のイラク市民が戦闘に巻き込まれ、 子供を、親を、兄弟を、命を失いました。 それは「イラクの民主化のためのやむをえない犠牲」だったとは、決して認められません。 アメリカのイラク侵攻はやむをえなかった、と思う人には戦火の下に自分と同じ命が存在する ということへの想像力が欠如しているのではないでしょうか。 物質的には豊かになり、平和を享受している日本。 しかしながら、その平和を支える国民の気持ちという部分は大きく揺らいできている気がします。 過去を繰り返さないためには、過去を知り、伝え続けていかねばならないと思います。 ↓このサイトには当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏撮影の記録写真が豊富に掲載されて、その悲惨さを伝えています。 http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html 東京大空襲のことって、あんまり知らない・・・という方はぜひご覧になってみてください。 ただし、BGM付き(ウィンドウを開くと同時に再生される)ですのでご注意ください。 こちらの『ガラスのうさぎ』は12歳の少女が体験した東京大空襲と戦争を描いた小説です。 発刊以来210万部を超えるというロングセラーで、映画にもなりました。 小学校高学年くらいから読めます。 「東京にもこんなことが本当にあったんだよ。」と子供に伝えられれば・・・と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 10, 2006 05:05:30 AM
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