ファピーの風の花

2006/11/01(水)02:14

新井英一 ブルースを唄う 清河への道48番?

在日関連(54)

新井 英一webサイドより、   あらい えいいち。1950年3月福岡生まれ。15歳で家を出て岩国の米軍キャンプなどで働き、ブルースに魅せられる。21歳で渡米し、放浪生活の中で歌手を志し独学で歌作りを始める。日本で生まれ育ち、朝鮮半島の血を引く自らを「コリアンジャパニー ズ」と呼ぶ。  帰国後、内田裕也氏に見い出され、アルバム『馬耳東風』(1979年)でデビュー。 1986年、様々な葛藤と不安を抱き、亡くなった父親の故郷である韓国・清河(チョンハー)を初めて訪れる。数年後、その旅の思い出と共に自らのルーツと半生をストレートに歌い上げた『清河への道~48番』を作り、1995年に一枚のアルバムとして発表。TBS-TV「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマ曲に選ばれ、テレビ、雑誌、新聞等で取り上げられ話題となる。そのアルバムは第37回日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞。韓国KBS-TVでドキュメント特別番組が放映され、日本でもNHK「わが心の旅」、テレビ朝日「報道特別番組21世紀への伝言」等多数の番組に出演。またライブにおいては国内はもとより、N.Y.カーネギーホールなどでのアメリカ公演に加え2000年はパリでもライブを開催、そして2002年には韓国ツアーが実現。念願であった「清河村」でのライブを成功させている。2004年アルバム『生きる』をリリース。今もなお、国内外問わず精力的に妥協することなく唄い続けている。 岡山ライブインタビューで ●新井さんにとってブルースを唄うということはどういうことなのですか? ★音楽的にジャンルにこだわってはいないんですが、あえて言えば若い頃に出会った黒人音楽に感銘を受け、その音楽的背景にあるブルースの魂のようなものが好きなんです。 ●今、新井さんが音楽を通してアピールしたいこと、訴えていきたいことは何ですか? ★一人の人間として情熱を持って何かに向かっていく。年齢も国籍も関係なく一生懸命生きていくことがぼくからのメッセージになればいいですね。  どんな人間でも夢を持つ、幸せになる権利はあるはずです。若い人たちに伝えていきたいことは、諦めないでほしいということ。ぼくは学校というものが嫌いで、楽器も独学なんですが、ギターは25歳、ピアノは35歳から始めたんですから(笑)。 ●「清河(チョンハー)への道」は48番まであるとても長い楽曲として仕上がっていますが、どういう心境で作り上げていった作品なのですか? ★あれはぼくが40歳になって作った曲なんですが、最初は8番まで7分ほどの作品でした。その時は自分でもこの作品を48番まで作るなんて思ってもいませんし…。  あの作品は自叙伝的なものなのですが、ぼくの思いを全部伝えたくて作りあげた結果48番まである長い作品となっていました。45歳になって全部出来上がった曲なんですよ(笑)。 清河への道('95年, meldac MECR-25045) '95年日本レコード大賞アルバム大賞受賞作。父の郷里である清河(チョンハー)を訪ね、自らの半生を綴った全48番に及ぶ大作。新井英一という一人の男の不器用でタフな生き様が、リアルに吐き出されている。 オオカミ狩り('98年, OMAGATOKI OMCA-1013) 旧ソ連の反体制派歌手ヴィソーツキイの作品をはじめ、ゲンスブール、ジャック・ブレル等の作品を収録。全13曲入り。パリのミュージシャンとのジョイントが話題を呼んだ最新作。

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