日本の美 五重塔
京都に近づくと最初に目に入るのが、東寺の五重塔である。
青葉や紅葉に映える五重塔は、すらりとして美しく、京都のシンボルともいえる。
54.8メートルの高さを誇り、木造の塔としては日本最古の建物である。
五重塔は仏教と関係が深く日本のあちこちに見る。
山口県の瑠璃光寺の五重塔、山形県の羽黒山の五重塔などそれぞれ特徴があり有名である。 五重塔はインド仏教が源流である。ストウバーに釈迦の遺骨を納めたもので、之が五重塔の原型になったようである。
ストウパーの上にある傘のようなものは、釈迦の過去、現在、未来を表している。
之が五重塔の上に変化し、頂上部のオーナメントになったようです。五重塔の耐震性は有名である。
塔は層ごとに、左へ右へとばらばらに揺れるので重心がはずれ、倒壊しやすいことがわかっている。
之は現在の高層建築にも利用されている。
また塔は下から上へと建設されましたがこの手法は、スカイツリーの建設にも使われたということでいかに五重塔の建築様式が優れたものであるかがわかる。
外国人から見ると、塔に上れないのが不思議に映るようですが、仏教と関係が深く、釈迦や高僧の舎利を収めた聖域ということで塔に登ることはできないようです。
五重塔は高いという場合、TALLを使い、HIGHは使いません。
TALLの本来の意味は“勇敢な、力強い”ということで使われ、人の背が高いもTALLを使います。すなわち縦に長いものに使います。
それに対してHIGHはコストが高い(high cost)、身分が高い(high status)、評価が高い(high reputation)という場合に使います.
五重塔や三重塔など日本では奇数が使われることが多いですが、日本では奇数は陽の数と考えられ縁起が良いとされています。
このほか七福神、七五三、茶席に出る料理のカズなども奇数ですが、外国人が日本の土産を買って言った場合、外国人は偶数を使うので少々不便との事です。
小説には有名な幸田露伴の五重塔があります。紹介しておきます
幸田露伴の『五重塔』では、貧しく世間に評価されない職人の十兵衛が、上人を介して五重塔の棟梁として世間を見返す過程が描かれている。
資本主義がたち上がりつつあった明治二十年代は、不景気の後に貧富の格差が拡大する時代であった。
露伴は「順々競争の世の中」で徳の高い人間が正当に評価されず不遇であると考えている。 そういう人間の感情が「高士世に容れざるの恨み」として作品のテーマになっている。
露伴は十兵衛に同情する立場に立ち、十兵衛と上人と源太の三人の世界をあるべき人間関係として描いた。ここに露伴が社会を批判的に捉える視点がある。
十兵衛は周囲の人間からのっそりと軽蔑的に扱われているものの、金銭欲を持たず貧しさに耐え実入りの少ない仕事でも手を抜かない。
この十兵衛が、いかにして棟梁になるのか、五重塔を建て世に認められる過程で生じる問題にどう対処していくのか、その時にどういう感情を持つのかに、今も残る日本的精神の特徴が描かれている。
この小説で得モデルとなった五重塔は事件のため消失しました
それについて少々触れておきます
谷中五重塔心中事件
この五重塔は、1908年に天王寺より東京都(当時は東京市)に寄贈されたもので、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルになるなど、東京都内で有名であり、谷中霊園のシンボルになっていた。
だが、1957年7月6日の早朝に炎上し焼失した。焼け跡の芯柱付近から男女の区別も付かないほど焼損した焼死体2体が発見された。僅かに残された遺留品の捜査で2人は都内の裁縫店に勤務していた50歳代男性と20歳代女性であることが判明した。
関係者の証言から2人は、不倫関係の清算を図るために、焼身自殺(心中)し、この際の出火の延焼から焼失したものと推測されている。
結果として公共の文化財である五重塔を焼失したことは、当時社会的に非難された。なお、焼失後は再建されず、現在は礎石だけが残るのみである。
之は“警官の血”というドラマでも描写されていましたので良く覚えております。
歴史と五重塔、様々なものを映し出し今も美しいたたずまいを私たちに提供してくれています。
大切に守って行きたい遺産だとおもいます。