テーマ:バリアフリーの世界(188)
カテゴリ:人とのふれあい(people)
久々のバリアフリーシリーズです。 前回までのお話は→こちらをクリック 帰国を数日後に控え、仕事を山のように抱えていた私は ちょっと足首にヒビが入って熱が出ているからといって、 悠長にソファに寝そべってテレビを見ている暇はなかった。 オットは食事の買い物などはしてくれたが、 自分の仕事は、自分でこなさなければならない。 出かけなくてはならない用事が山積みであった。 慣れない松葉杖で歩き回らなければならない。やれやれ。 ここで重大なことは「ニューヨークはバリアフリーの街ではない」ということだ。 道のあちこちには普通に穴が開いているし、 地下鉄の駅は古く階段も急で、エレベーターのない場所も多い。 大きな段差も多く、障害者が生きやすい街であるとは決して言えない。 また、他の地域と比べて、人々がさして優しいというわけでもない。 ニューヨークの人間は、無愛想で文句をよく言うことで有名だ。 健常者に意地悪な人は、障害者にだって平等に意地悪なのだ。 ただ一つ言えることは、「人々が障害者の存在に慣れている」ということだろう。 買い物に行けば必ずと言っていいほど体の不自由な人を見かける。 松葉杖やウォーカーを使って歩いている人、車椅子の人…。 近所のアパートに住むDさんは、肺ガンを患った後、 外出には酸素ボンベを欠かせない。 ころころとボンベを引っ張りながら、自分でスーパーに買い物に行く。 知り合いであれば、「ああ、どうしました」というような会話にもなるだろうが そうでなければ、さして珍しい光景でもないので、誰もDさんを眺めたりはしない。 体に何らかの不自由を負った人が普通に街に出て生活しているということは、 そのような人が、困難に直面しているところをよく見かけるということでもあり つまり、彼らが、「路上で次に直面するであろう困難」を 健常者でも予測しやすいということを意味する。 もう一度言うが、ニューヨーカーは 他の地域の人々と比べて決して「優しくはない。」 慣れない松葉杖でのろのろと歩いていれば、 無視する人は無視をするし、遅いと文句を言われることもある。 しかし、ドラッグストアの前で立ち往生していれば、誰かがドアを開けてくれたり、 車道の方を向いて何かを探していれば、 「タクシーね」と目配せをして、見つけてきてくれる人がいた。 私は、そうして、ぎこちないながらも行く場所行く場所で、 人々に助けられながら用事を済ましたのだった。 つづく ![]() 障害犬のお散歩 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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